酒井 均(さかい ひとし、1930年8月3日 - 2008年… 酒井 均(さかい ひとし、1930年8月3日 - 2008年9月30日)は、日本の地球化学者。静岡県清水市生まれ。 この間、1958~1960年:カナダ国マクマスター大学核物理研究所研究員(ウラン同位体の核分裂の研究)。1960~1962年:米国イェール大学地質学教室研究員(ペグマタイト鉱物中の揮発性成分の硫黄同位体比の研究)。 この間、1971~1972年:米国カリフォルニア大学ロサンジェルス校研究員(アポロ計画月試料の分析)。 世界における安定同位体地球化学の研究の先駆者の一人で、同位体分別に関する理論的・実験的研究、岩石・鉱物・熱水などの地質学的試料の同位体比分析法の開発、それらを基礎とした野外での地球化学的研究において多くの成果を上げた。
森 恒夫(もり つねお、1930年8月3日 - )は、日本の… 森 恒夫(もり つねお、1930年8月3日 - )は、日本の財政学者。 滋賀県近江八幡市に生まれる。福岡県中学修猷館、旧制福岡高等学校(文科丙類)を経て、1953年東京大学経済学部卒業。1958年東京大学経済学部大学院(研究奨学生)を修了し、同学部助手となる。 1961年甲南大学経済学部非常勤講師となり、1963年講師、1964年助教授を経て、1969年教授に就任する。甲南大学において、1975年から1976年まで経済学部長、1983年から1986年まで常務理事、1985年から1988年まで学長を務める。 2007年瑞宝中綬章受章。
市川 惇信(いちかわ あつのぶ、1930年8月3日 - 20… 市川 惇信(いちかわ あつのぶ、1930年8月3日 - 2018年) は、日本のシステム科学者。東京工業大学名誉教授。学術情報センター名誉教授。元国立環境研究所長。元人事官。元計測自動制御学会長。 1953年、東京工業大学工学部化学工学科卒業。1955年東京工業大学大学院工学研究科化学工学専攻修士課程修了。1958年、東京工業大学大学院理工学研究科化学工学専攻博士課程修了、工学博士、東京工業大学助手。プリンストン大学博士研究員、ケース工科大学(現ケース・ウェスタン・リザーブ大学)博士研究員、東京工業大学助教授、東京工業大学教授を経て、1991年定年退官、東京工業大学名誉教授。1992年国立環境研究所所長。
石原 武(いしはら たけし、1930年8月3日 - 2018… 石原 武(いしはら たけし、1930年8月3日 - 2018年3月20日)は、日本の詩人、英文学者、翻訳家。文教大学名誉教授。 山梨県甲府市生まれ。明治学院大学文学部英文科卒業。1967年に詩集『軍港』を上梓、1974年『離れ象』で日本詩人クラブ賞受賞。1996年、英米詩の翻訳業績により第21回地球賞受賞。立正女子大学助教授、校名変更で文教大学教授、図書館長を務め、2001年定年。2007年『遠いうた 拾遺抄』で日本詩人クラブ詩界賞受賞。ほかブライアン・オールディスの翻訳、詩の翻訳がある。 2018年3月20日午後8時20分、誤嚥性肺炎のため、埼玉県越谷市のグループホームで死去。87歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
神山 圭介(かみやま けいすけ、1929年8月3日 - 19… 神山 圭介(かみやま けいすけ、1929年8月3日 - 1985年1月16日)は、日本の作家・小説家。 神奈川県横浜市生まれ。本名・金子鉄磨(カネマロ)。東京大学文学部独文科卒。在学中より雑誌『現代文学』に参加。 卒業後、中央公論社に勤めるかたわら執筆活動を行う。 1976年「鴾色の武勲詩」で芥川賞候補。文化学院講師を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 20… 川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 2021年1月9日) は日本の実業家。住友電気工業代表取締役社長、同会長、関西経済連合会会長、日本電線工業会会長等を歴任。位階は従三位。勲一等瑞宝章受章。 東京都吉祥寺出身。父は厚生省官僚。東京府立二中、海軍兵学校第77期を経て、1952年東京商科大学(現・一橋大学)卒業。古川栄一ゼミ出身。 商社志望だったが、大学卒業後は、健康診断で落ちた内定者の代わりとして、ゼミの教授の勧めで住友電気工業に入社。1975年同社取締役、1978年常務取締役、1980年代表取締役専務、1982年代表取締役社長、1991年代表取締役会長、1999年相談役。2008年8月名誉顧問 財団法人関西情報センター会長などを経て、1994年から1997年まで関西経済連合会会長を務め、関西国際空港第二期事業の取りまとめ等や、阪神・淡路大震災への対応にあたり、総理府阪神・淡路復興委員会委員も務めた。
水島 恵一(みずしま けいいち、1928年8月3日 - 20… 水島 恵一(みずしま けいいち、1928年8月3日 - 2015年7月27日)は、日本の心理学者、文教大学名誉教授。 東京生まれ。父は東京大学名誉教授で学士院会員の化学者である水島三一郎。旧制武蔵高等学校を経て、東京大学法学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科心理学専攻修了。1965年「自己疎外理論による非行性仮説設定とその臨床的検討」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。横浜少年鑑別所技官、立正女子大学助教授、校名変更で文教大学人間科学部教授。文教大学学長(1996-2001)、2000年定年退任、名誉教授。2012年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。墓所は多磨霊園。 次弟水島昭二は元東大教授、三弟水島裕は元参議院議員。
大橋 和夫(おおはし かずお、1928年(昭和3年)8月3日… 大橋 和夫(おおはし かずお、1928年(昭和3年)8月3日 - 2005年(平成17年)10月25日)は、日本の政治家。千葉県船橋市長。 新潟県長岡市出身。表町小学校、旧制長岡中学校、旧制新潟高等学校を経て、東京大学法学部卒業後、自治庁に入庁。外事広報課長、地方課長、衆議院議長秘書官、埼玉県財政課長等を歴任、1968年4月、千葉県へ赴任。企画部長を経て、1971年7月には千葉県教育長に就任、県立高校7校を新設開校したのをはじめ、若潮国体の開催、千葉県立美術館の開館等に尽力。後に川上紀一と千葉県知事の座を巡って争うが、知事選挙において川上に敗れる。 習志野文化ホール理事長を歴任後、1981年7月、公選制第6代の船橋市長に就任した。
安藤 日出男(あんどう ひでお、1927年8月3日 - 20… 安藤 日出男(あんどう ひでお、1927年8月3日 - 2002年3月20日)は、日本の脚本家。 東京出身。東京大学卒業。2002年3月20日、肝硬変のため東京都文京区の病院で死去。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
猪俣 宇吉(いのまた うきち、1927年8月3日 - 201… 猪俣 宇吉(いのまた うきち、1927年8月3日 - 2016年5月10日)は、日本の経営者。北越製紙社長を務めた。 新潟県出身。1952年に東京工業大学化学工業学科を卒業し、同年に北越製紙に入社。1981年7月に取締役に就任し、1987年7月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。1999年6月に会長を経て、2001年6月には相談役に就任。 1999年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2016年5月10日に呼吸不全のために死去。88歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
岩崎 俊一(いわさき しゅんいち、1926年〈大正15年〉8… 岩崎 俊一(いわさき しゅんいち、1926年〈大正15年〉8月3日 - 2025年〈令和7年〉7月25日)は、日本の工学者。工学博士(東北大学・1959年)(学位論文「磁気録音に関する研究」)。東北大学名誉教授。東北工業大学名誉理事長。元電子情報通信学会副会長。文化勲章受章者。福島県福島市生まれ、同県郡山市出身。 専門は電気工学・磁気記録。記録密度を飛躍的に上げる手法として垂直磁気記録方式を提唱した。 1977年頃に、磁気記録の記録密度を飛躍的に上げる手法として垂直磁気記録方式を提唱した。同方式は基礎研究は進められたものの、いくつかの困難があり、物性的にそれに適した磁気テープなどは割と早くに実現したが、広く市販される商品となったものは光磁気ディスク等といった別方式との併用を除けば、主力機器では東芝による2005年のハードディスク商品化が初であった。
広渡 常敏(ひろわたり つねとし、1926年8月3日 - 2… 広渡 常敏(ひろわたり つねとし、1926年8月3日 - 2006年9月24日)は、福岡県宗像郡福間町(現福津市)出身の劇作家、演出家。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小林 力(こばやし りき、1926年8月3日 - 2016年… 小林 力(こばやし りき、1926年8月3日 - 2016年10月26日)は、日本の小説家。 栃木県足利市生れ。本名読み・つとむ。旧制松本高等学校を経て、1951年東京大学経済学部経済学科卒業。朝日新聞社勤務。定年退職後、大学講師、番組制作編集会社に勤務するかたわら、エッセイなどの執筆活動に入り、『旋風喜平次捕物捌き』で小説家デビュー。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
松井 透(まつい とおる、1926年8月3日- 2008年3… 松井 透(まつい とおる、1926年8月3日- 2008年3月23日)は、日本の東洋史学者。 東京出身。旧制京都一中、旧制三高、京大理学部(中退)、京大工学部(中退)を経て1952年東京大学文学部西洋史学科卒、1955年同大学院研究奨学生修了、平凡社嘱託として『世界歴史事典』を編集、1956年青山学院大学経済学部第二部専任講師、1960年助教授、1965年東京大学東洋文化研究所専任講師、1968年助教授、1973年教授、1987年定年退官、名誉教授。1988年川村学園女子大学教授、日本南アジア学会初代理事長。1994年-1997年日本学術会議会員。
平林 敏彦(ひらばやし としひこ、1924年8月3日 - 2… 平林 敏彦(ひらばやし としひこ、1924年8月3日 - 2025年4月6日)は、日本の詩人。草鹿 宏(くさか ひろし)の名で作家としても活動。 横浜市生まれ。横浜市立商業学校卒業。戦中に詩作をはじめ「四季」などに発表。戦後、第一次「ユリイカ」創刊と同時に編集に携わる。1993年、詩集『磔刑の夏』で富田砕花賞、2005年、『舟歌』で現代詩人賞、2009年、『戦中戦後 詩的時代の証言』で桑原武夫学芸賞受賞。2012年、第18回横浜文学賞受賞。2015年、『ツィゴイネルワイゼンの水邊』で小野十三郎賞受賞。 草鹿宏名義ではジュニア向けノンフィクション、漫画のノヴェライゼーションなどを書き、『翔べイカロスの翼』や『神様なぜ愛にも国境があるの』は映画化もされ話題になった。
北野 祐次(きたの ゆうじ、1924年8月3日 - 2013… 北野 祐次(きたの ゆうじ、1924年8月3日 - 2013年2月12日)は、日本の実業家。関西スーパーマーケットの創業者でもある。 大阪府出身。1941年に私立中外商業学校(現在の兵庫県立尼崎北高等学校)を卒業。大阪鉄道管理局での勤務を経て、1959年に関西スーパーマーケットを設立し、社長に就任。2002年4月には会長に就任。。 1985年4月に藍綬褒章を受章した。。 2013年2月12日、肺炎のために死去。88歳没。
高橋 安光(たかはし やすみつ、1924年8月3日 - 20… 高橋 安光(たかはし やすみつ、1924年8月3日 - 2008年3月8日)は、日本のフランス思想史研究者。専門はヴォルテール研究。 1924年、埼玉県生まれ。1947年に 東京大学文学部仏文科を卒業。その後は、一橋大学教授、東京国際大学教授をつとめた。 2008年3月8日、循環器不全のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
柿崎 実(かきざき みのる、1922年(大正11年)8月3日… 柿崎 実(かきざき みのる、1922年(大正11年)8月3日 - 1945年(昭和20年)5月2日)は、日本の海軍軍人。海兵72期。大東亜戦争(第二次世界大戦)の末期、人間魚雷「回天」で出撃して戦死した。死後二階級特進し、最終階級は海軍少佐。 1922年(大正11年)8月3日に山形県酒田市で生まれる。旧制酒田中学校を経て海軍兵学校に入校する。性格は温厚・無口で、あまり感情を表に出さなかったとされる。1943年(昭和18年)9月15日に海軍兵学校(72期)を卒業後、同日中に空母「瑞鶴」へ乗り組んで実習を続けるが、1944年(昭和19年)8月に海軍潜水学校学生の発令を受け、そのまま人間魚雷「回天」搭乗員に転じた。
仁科 栄三(にしな えいぞう、1922年8月3日 - )は兵… 仁科 栄三(にしな えいぞう、1922年8月3日 - )は兵庫県出身の元プロ野球選手。
吉村 平吉(よしむら へいきち、1920年8月3日 - 20… 吉村 平吉(よしむら へいきち、1920年8月3日 - 2005年3月1日)は、東京都出身の日本の作家。 東京市赤坂に生まれる。父は書画骨董商で、平吉は長男だった。小学生時代から父に芸者の置屋に連れられたという。旧制中学3年生の時、榎本健一が所属していた劇団「ピエル・ブリヤント」のレビューに熱中して浅草に通い詰めた。ついには自作のレビュー台本を持ち込み、早稲田大学専門部政治経済科在学中には、文芸部見習いとなることを許される。 しかし、徴兵されて内モンゴルの包頭で兵役に就いた。1945年12月に復員。帰国後は「空気座」という劇団(左卜全・有島一郎らが参加)の代表となるが、資金不足により1年ほどで解散し、以後は上野駅や新橋駅界隈で娼婦を斡旋する「ポン引き」を稼業とした。
伊藤 雄之助(いとう ゆうのすけ、本名:伊藤 嘉朗(いとう … 伊藤 雄之助(いとう ゆうのすけ、本名:伊藤 嘉朗(いとう よしろう)、1919年8月3日 - 1980年3月11日)は、日本の俳優。「ゆうのすけ」は雄之助・雄之弼・侑之助でクレジットされている映画もある。 兄は二代目澤村宗之助、弟は伊藤寿章(澤村敞之助、澤村昌之助)、妻は新東宝の女優だった桐丘峯子。子に俳優の伊藤高と歌手の伊藤照子。付き人に大地康雄がいる。 1919年8月、東京市浅草区東仲町(現在の東京都台東区雷門)で帝国劇場専属の歌舞伎俳優の初代澤村宗之助(本名伊藤三次郎)の次男として生まれる。母は帝国劇場専属女優第1期生の鈴木徳子。兄、弟も役者の芸能一家に育つ。父方の祖父は尾張藩に仕えた300石取りの武士の家柄に生まれた士族だが、地元の子供芝居に投じて台頭、四代目助高屋高助に認められて上京し、その養子となって七代目澤村訥子を襲名していた。
花山院 親忠(かさんのいん ちかただ、1918年〈大正7年〉… 花山院 親忠(かさんのいん ちかただ、1918年〈大正7年〉8月3日 - 1994年〈平成6年〉2月28日)は、日本の華族、神職。花山院家36代目当主。佐賀県立三養基高等学校校長、春日大社宮司を歴任した。 1986年当時、奈良県神社庁常任理事、神社本庁評議員、奈良県教育委員会委員であった。 大正7年(1918年)8月3日、花山院親家の長男として、東京府に生まれる。 大正13年(1924年)3月11日に父の親家が薨去すると、7月15日、6歳で家督を継承し襲爵した。第二開成中学校を経て、昭和12年(1937年)、國學院大學国文学科に入学。武田祐吉や折口信夫に学び、『御湯殿上日記』を研究した。 昭和16年(1941年)、國學院大學国文学科を卒業。
田川 孝治(たがわ こうじ、1915年 <大正4年> 8月3… 田川 孝治(たがわ こうじ、1915年 <大正4年> 8月3日 - 没年不明)は、日本の経営者、銀行家。鳥取銀行頭取を務めた。 大阪府出身。1939年に大阪商科大学を卒業し、同年に三和銀行に入行した。1971年11月にオリエント・リース副社長を経て、1973年5月に鳥取銀行副頭取に就任し、1980年6月には頭取に昇格した。1987年6月には取締役相談役に就任。1988年6月には今橋興業会長に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
岩崎 寿男(いわさき ひさお、1914年8月3日 - 200… 岩崎 寿男(いわさき ひさお、1914年8月3日 - 2005年10月24日)は、日本の実業家。元三菱自動車工業顧問。 近藤宏太郎の四男として新潟県に生まれた(出生地は東京府…現:東京都)。1937年京都帝国大学工学部機械工学科を卒業し、三菱重工業に入社。岩崎俊弥(旭硝子創業者)の三女・温子と結婚し、俊弥未亡人(すなわち妻・温子の母)八穂の婿養子となった。 名古屋航空機製作所、名古屋発動機製作所、静岡発動機製作所、川崎機器製作所勤務を経て東京自動車製作所に転じる。1958年10月同所川崎製造部長に、1965年3月川崎自動車製作所副所長に就任。1967年5月同所長となったが、同年妻・温子に先立たれた。
岡田 茂(おかだ しげる、1914年〈大正3年〉8月3日 -… 岡田 茂(おかだ しげる、1914年〈大正3年〉8月3日 - 1995年〈平成7年〉7月20日)は、日本の実業家。三越社長(1972年 - 1982年)。 1972年から老舗百貨店・三越の社長を10年務めて「流通界の革命児」と呼ばれたが、一方で三越社内にワンマン体制を敷いて「岡田天皇」とも呼ばれるほどの権勢をふるった。愛人の竹久みちへの不正な利益供与など背任行為問題を起こしたことで、1982年の「三越事件」により社長職を解任され、後に特別背任で逮捕、裁判で有罪判決を受けるなど、明暗二様を生きた。 京都府京都市で生まれた。父親は雅号を紫郊といい、京友禅染めの下絵描きだったが、岡田が生まれてまもなく上京。
根上 博(ねがみ ひろし、1912年8月3日 - 1980年… 根上 博(ねがみ ひろし、1912年8月3日 - 1980年6月7日)は、北海道余市郡余市町出身の日本の競泳選手。立教大学卒業。1930年代に活躍し、1936年ベルリンオリンピックで入賞した。 余市町大川尋常小学校(現 余市町立大川小学校)時代に本格的に水泳を始め、旧制余市中学校(現・北海道余市紅志高等学校)時代から競泳選手となり、全国大会に出場するが、予選で敗退している。 1931年に立教大学に入学してから徐々に力をつけ、1934年の第10回日本選手権水泳競技大会では男子1500m自由形にて19分16秒2で優勝、そのレースの1000m途中計時で12分41秒8の世界新記録を樹立すると、同年の第十三回全國學生水上競技大會では400m及び800mの自由形で牧野正蔵(早稲田大学)と激しく鍔迫り合いを演じ、2種目とも牧野に及ばず2位となるも800mでは10分8秒4のタイムを出し、10分1秒2を出した牧野とともに世界新記録を更新した。
藤枝 晃(ふじえだ あきら、1911年〈明治44年〉8月3日… 藤枝 晃(ふじえだ あきら、1911年〈明治44年〉8月3日 - 1998年〈平成10年〉7月23日)は、日本の東洋学者。敦煌学および西域出土の古写本研究の第一人者である。 1911年、大阪府西成郡粉浜村(大阪市住之江区)生まれ。旧制大阪高校を経て、1934年(昭和9年)、京都帝国大学文学部史学科を卒業。 卒業後は同文学部の副手に着任。1937年(昭和12年)、東方文化研究所の図書係、のちに同副研究員となった。太平洋戦争末期には中国・内蒙古の西北研究所に派遣され、現地調査に従事した。 戦後の1948年(昭和23年)、京都大学人文科学研究所助教授となった。1951年(昭和26年)、研究所の森鹿三を班長とする居延漢簡共同研究班に所属し、木簡の研究を行った。
山本 林(やまもと りん、1911年8月3日 - 1995年… 山本 林(やまもと りん、1911年8月3日 - 1995年9月15日)は、日本の経営者。安田倉庫社長を務めた。 愛知県出身。1936年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に富士銀行に入行。1963年5月に取締役に就任し、1965年11月に安田倉庫副社長を経て、1966年7月には社長に就任。1976年1月には相談役に退いた。 1995年9月15日、肺炎のために在任時に死去。84歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
伊藤 佐喜雄(いとう さきお、1910年8月3日 - 197… 伊藤 佐喜雄(いとう さきお、1910年8月3日 - 1971年10月17日)は、日本の作家。 島根県津和野生まれ。女優の伊沢蘭奢の子。漢方胃腸薬「一等丸」で知られる、島根県津和野の薬屋「伊藤博石堂」の長男として生まれる。大阪高等学校中退。在学中に文芸評論家の保田與重郎を知り師事、『日本浪曼派』、『コギト』の同人となる。 1936年第二回「芥川賞」に「面影」と「花の宴」の2作が候補となる。1943年「花の鼓笛」で第8回池谷信三郎賞を受賞。 戦後は少女小説や、偕成社の児童向け名作文庫の再話、偉人伝などを執筆した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
稲沼 瑞穂(いなぬま みづほ、1908年(明治41年)8月3… 稲沼 瑞穂(いなぬま みづほ、1908年(明治41年)8月3日 - 1965年(昭和40年)7月29日)は、日本の翻訳家、元岩波書店編集部長。科学史研究の先達とされる。 1908年8月3日、東京都文京区高田豊川町に生まれる。東京府立第五中学校、第一高等学校理科甲類を経て、1929年に東京帝国大学理学部物理学科に入学する。 1933年に卒業し、4月に岩波書店編集部に入る。1937年11月、病気療養のため退職する。1938年4月、神奈川県立厚木中学校の嘱託に、同年6月から教諭になる。1941年、陸軍予科士官学校の教授となる。同年に日本科学史学会が発足し、その幹事の一員として会務を処理する。 1942年、文部省図書監修官となり、図書局第二編修課に勤務する。
6代目 三升家 小勝(みますや こかつ、1908年8月3日 … 6代目 三升家 小勝(みますや こかつ、1908年8月3日 - 1971年12月29日)は、東京都出身の落語家。本名は吉田 邦重。生前は落語協会所属。出囃子は『井出の山吹』。 通称「右女助の小勝」「糀谷の師匠」。妻は日本舞踊の花柳一衛。 東京の本所太平町に生まれる。神田錦町の電機学校(現在の東京電機大学)卒業後、東京市水道局(現在の東京都水道局)に勤務。金町浄水場の技師を務める。 1931年3月、曲芸の春本助次郎を通じて8代目桂文楽に入門。一番弟子となる。文楽の「文」と中村の「中」から一字ずつ取って「桂文中」と名乗り、常磐亭で初高座。1932年、「桂文七」で二つ目に昇進する。1936年5月にキングレコード専属となり、最初の吹き込みレコードを発売。
重岡 曻(しげおか のぼる、1908年(明治41年)8月3日… 重岡 曻(しげおか のぼる、1908年(明治41年)8月3日 - 1991年(平成3年)7月7日)は、日本の剣道家。段位称号は範士九段。 鹿児島県日置郡日置村日置(現日置市日吉町日置)生まれ。父は剣道家の重岡栄之丞だが、9歳の時に死別。小学校高学年から剣道を始め、鹿児島県第二師範学校を卒業。 短期間の兵役及び教員を務めた後、大日本武徳会武道専門学校に入学し、小川金之助、宮崎茂三郎、津崎兼敬、佐藤忠三らの指導を受ける。 1937年(昭和12年)、大阪府警察部に奉職。日満対抗剣道試合出場、明治神宮体育大会剣道競技優勝。 戦後は鹿児島に帰郷し教員を務める。1965年(昭和40年)、近畿管区警察学校教授となる(後に名誉教授)。
三鬼 陽之助(みき ようのすけ、1907年8月3日 - 20… 三鬼 陽之助(みき ようのすけ、1907年8月3日 - 2002年10月5日)は、日本の経済評論家。
小川 清四郎(おがわ せいしろう、1907年8月3日 - 1… 小川 清四郎(おがわ せいしろう、1907年8月3日 - 1981年8月3日)は、日本の外交官。公正取引委員会事務局長、法務省入国管理局長、駐ビルマ特命全権大使などを歴任した。 広島県尾道市出身。第一高等学校文科丙類を経て、1931年東京帝国大学法学部政治学科卒業。1932年外務省入省。外務省条約局事務官、情報局総裁秘書官、戦争調査会事務局事務官、横須賀捕獲審検所評定官等を経て、1952年調達庁総務部調停官。1953年公正取引委員会事務局長。1957年在ヴィエトナム日本国大使館参事官。 1959年外務大臣官房審議官。1960年駐ハンガリー特命全権公使。1962年法務省入国管理局長。1964年駐ヴァチカン特命全権大使。
小西 新兵衛 (七代目)(こにし しんべえ、1907年8月3… 小西 新兵衛 (七代目)(こにし しんべえ、1907年8月3日 - 1995年1月18日)は、日本の経営者。武田薬品工業社長、会長を務めた。 東京都出身。1930年に東京帝国大学医学部薬学科を卒業し、翌年に小西薬品に入社した。1943年に社長に就任し、翌年には武田薬品工業との合併により、武田薬品工業常務に就任した。専務、副社長を経て、1974年に社長に就任した。1981年6月に会長に就任し、1991年に取締役名誉会長に就任した。 1995年1月18日がん性腹膜炎のために死去。
本島 百合子(本嶋 百合子、もとじま / もとしま ゆりこ、… 本島 百合子(本嶋 百合子、もとじま / もとしま ゆりこ、1907年(明治40年)8月3日 - 1972年(昭和47年)5月21日)は、日本の婦人運動家、政治家。衆議院議員(4期)、東京都議会議員(3期)を歴任。 福岡県遠賀郡八幡町(八幡市を経て現北九州市)で、本島礼三郎の四女として生まれる。 1929年、日本大学高等師範部地歴科を卒業した。在学中から無産運動に加わった。卒業後、萬朝報記者、婦人毎日新聞記者を務め、婦人解放運動を行った。 1945年、日本社会党の結党に加わり、1946年、同党婦人部に勤務し同副部長を務めた。1947年5月、東京都議会議員に当選。以後、都議を3期務めた。 1958年5月の第28回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧東京3区(定数3)から立候補して初当選。
五十五世梅若六郎(うめわか ろくろう、1907年〈明治44年… 五十五世梅若六郎(うめわか ろくろう、1907年〈明治44年〉8月3日 - 1979年〈昭和54年〉2月8日)は、観世流シテ方能楽師、日本芸術院会員。本名は梅若 亀之(うめわか たかし)、別名として梅若景英、梅若六之丞。三代梅若実を追贈。 五十四世梅若六郎(後の二代梅若実)の子として東京浅草厩橋に生まれる。祖父は明治三名人の一人、初代梅若実。弟に梅若雅俊、梅若恭行。次男に五十六世梅若六郎。 1911年「忠信」の法師で初舞台。1915年「菊慈童」で初シテ。1918年浅草精美高等小学校卒。1925年「道成寺」を披く。1928年「翁」を披く。1944年、55世を襲名。1949年、厩橋の能楽堂が戦災で焼失したため、後援会長の支援で東京・東中野に移転。
戸川 安章(とがわ あんしょう、明治39年(1906年)8月… 戸川 安章(とがわ あんしょう、明治39年(1906年)8月3日 - 平成18年(2006年)12月12日)は、日本の民俗学者。山形県民俗研究協議会会長。日本山岳修験学会顧問。致道博物館顧問、荘内文化財保存会理事。鶴岡女子専門学校校長。栄典・称号は、勲五等双光旭日章・羽黒町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。
松田 武(まつだ たけし、1906年(明治39年)8月3日 … 松田 武(まつだ たけし、1906年(明治39年)8月3日 - 1988年(昭和63年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、旧軍需省官僚、実業家である。第4代航空幕僚長。
戸川 安章(とがわ あんしょう、1906年8月3日 - 20… 戸川 安章(とがわ あんしょう、1906年8月3日 - 2006年12月12日)は、日本の民俗学者。山形県民俗研究協議会会長。日本山岳修験学会顧問。致道博物館顧問、荘内文化財保存会理事。鶴岡女子専門学校校長。栄典・称号は、勲五等双光旭日章・羽黒町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。 日本民俗学の第一人者で、特に出羽三山山岳修験道の研究で知られる。 母方で備中庭瀬藩戸川家の分家である帯江戸川家の家系。母方の祖父は帯江戸川家8代戸川安愛の弟の戸川最兎女(もとめ)栄秀。父の島津伝道は荒沢寺住職として、羽黒山修験本宗を天台宗から独立させた。安章は戸川家を継ぎ戸川姓となった。甥(妹の息子)に東京創元社の編集者の戸川安宣。
大木 金次郎(おおき きんじろう、1904年(明治37年)8… 大木 金次郎(おおき きんじろう、1904年(明治37年)8月3日 - 1989年(平成元年)8月3日)は、日本の教育者、経済学者、経済学博士。青山学院大学第11代院長、青山学院理事長。 1904年8月3日、山梨県甲府市に生まれる。1922年3月、甲府商業学校を卒業し、校長の推薦により同年4月に朝鮮銀行に就職する。同年10月、同行大邱支店在勤中にF.H.スミスから洗礼を受け、さらにクリスチャンだった支店長の薦めにより、1925年に青山学院高等学部商科に無試験入学する。1929年3月に卒業した後、同年6月に同学院の留学生として渡米し、アメリカのオハイオ・ウェスリアン大学経済学部に留学し、その卒業後さらにコロンビア大学大学院で経済政策を専攻してマスター・オブ・アーツの学位を取得する。
藤井 斉(ふじい ひとし、1904年〈明治37年〉8月3日 … 藤井 斉(ふじい ひとし、1904年〈明治37年〉8月3日 - 1932年〈昭和7年〉2月5日)は、日本の海軍軍人。海兵53期卒。五・一五事件を起こした海軍青年士官の指導者で革命児と称された人物であり、また、日本海軍搭乗員最初の戦死者の一人である。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍少佐。 1904年〈明治37年〉8月3日、長崎県平戸に生れる。本籍は佐賀県。 父は炭鉱主であったが事業に失敗し、藤井は祖父、次いで親族の山口半六に引き取られ養育を受けた。山口は孫文の革命運動に協力した人物であり、藤井は大きく影響を受けたといわれる。 佐賀中学を卒業するにあたり、山口は藤井に外交官を勧めたが、海軍士官の道を選ぶ。
小山 寛二(こやま かんじ、1904年8月3日 - 1982… 小山 寛二(こやま かんじ、1904年8月3日 - 1982年11月27日)は、熊本県八代市出身の小説家。 八代中学校卒業。早稲田大学中退。クロポトキンの影響を受け、アナキズム、左翼運動家の道を歩むが、1928年(昭和3年)、転向する。 三上於菟吉に師事し、大衆文学などを執筆した。作品に、1934年(昭和9年)に映画化された「明暦名剣士」、宮崎滔天を主人公とした「波浪の歌」、細川忠興の妻ガラシャを描いた「細川ガラシャ」、「曠野の父」、「風雲万里」、「江南碧血記」などがある。 随筆雑誌「騒友」主宰。1982年(昭和57年)、東京にて没した。
都築 賴助(つづき よりすけ、1903年8月3日 - 197… 都築 賴助(つづき よりすけ、1903年8月3日 - 1972年10月28日)は、日本の教育者、都築学園グループの創始者。妻は都築貞枝、次男は都築泰壽。 徳島県美馬郡美馬町(現・美馬市)生まれ。九州帝国大学(法文学部文科)卒業、同大学院修了、福岡学芸大学、福岡教育大学教授歴任。産業教育振興に寄与した功績により紺綬褒章を受く。 学校法人都築学園、都築育英学園を創設し、第一薬科大学・第一経済大学(現 日本経済大学)・福岡第一高等学校・福岡第一商業高等学校(現 第一薬科大学付属高等学校)・みやこ幼稚園・だいいち幼稚園・むろずみ幼稚園の学園総長。 正四位勲三等に叙せられ旭日中綬章を受章。
三間 安市(みつま やすいち 、1903年(明治36年)8月… 三間 安市(みつま やすいち 、1903年(明治36年)8月3日 - 1974年(昭和49年)2月7日)は、日本の実業家。日本鉱業の社長や会長、日本鉱業協会会長などを歴任した。従三位勲一等。 岐阜県生まれ。1924年長崎高等商業学校(現長崎大学)卒業。1925年東京商科大学(現一橋大学)本科入学。1928年同卒業、久原鉱業入社。 鉱山統制会原価計算課長などを経て、1946年日本鉱業常務取締役。1957年日本鉱業取締役社長。1962年日本鉱業協会会長。1963年藍綬褒章受章。 1968年には田中清玄及び中山素平の日本自主原油開発油田確保計画に基づき、アブダビ石油を設立し、同社取締役社長に就任。1969年日本鉱業取締役会長、共同石油取締役会長。
小谷 澄之(こたに すみゆき、1903年8月3日 - 199… 小谷 澄之(こたに すみゆき、1903年8月3日 - 1991年10月9日)は、日本の柔道家(講道館10段)、レスリング選手。 身長162cm・体重69kgという小柄な体格ながら現役時代は柔道選手として明治神宮競技大会で優勝したほか、昭和天覧試合や熊本・福岡対抗試合、満州・福岡対抗試合等にも出場して活躍した。レスリング選手としてもロサンゼルス五輪に出場している。 現役を退いてからは欧州やアメリカ等を歴訪して柔道の普及と振興に尽力する傍ら、講道館や全日本柔道連盟で要職を歴任して永く柔道界の運営に携わり、晩年には講道館10段位に列せられた。 小谷は兵庫県但馬、朝来郡中川村(現・朝来市)の農村の家に4人兄弟の末っ子として生まれる。
閑院宮春仁王(かんいんのみや はるひとおう、1902年〈明治… 閑院宮春仁王(かんいんのみや はるひとおう、1902年〈明治35年〉8月3日 - 1988年〈昭和63年〉6月18日)は、日本の旧皇族、陸軍軍人、居合道家、剣道家。閑院宮載仁親王と同妃智恵子の第2男子。閑院宮第7代当主にして最後の当主。軍人としての階級は陸軍少将。全日本居合道連盟第2代会長。栄典は大勲位・功四級。戦後は皇籍を離脱し、姓を閑院とし、「閑院 春仁(かんいん はるひと)」と名乗った。のちに「純仁(すみひと)」と改名した。 1902年(明治35年)8月3日 、閑院宮載仁親王と同妃智恵子の第2男子(第5子)として誕生。 学習院初等科を健康上の理由で長期休学し、その後神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)を経て、1924年(大正13年)7月陸軍士官学校(36期、兵科・騎兵)を卒業。
浅井 孝二(あさい こうじ、1902年8月3日 - 1992… 浅井 孝二(あさい こうじ、1902年8月3日 - 1992年2月20日)は、日本の実業家。住友銀行元頭取。石川県金沢市出身。 1921年に大阪明星高校、1925年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に住友銀行に入行。1947年に取締役、1952年に常務、1958年に専務、1963年に副頭取を経て、堀田庄三の後を継ぐ形で、1971年6月から1973年5月までに頭取を務めた。 その一方で、1974年から1981年までに大阪商工会議所副会頭を務め、1981年に大阪商工会議所会頭の座を巡り、関西財界を二分した「大商戦争」の際に、佐伯勇会頭の続投を支持しつつ、事態の収拾にも努めた。1972年に勲二等瑞宝章を受章した。
中村 寅太(なかむら とらた、1902年8月3日 – 197… 中村 寅太(なかむら とらた、1902年8月3日 – 1978年2月14日)は、日本の政治家。位階は正三位。 運輸大臣、国家公安委員会委員長、行政管理庁長官を歴任。 現在の福岡県糸島市志摩の農家に生まれる。農業の傍ら、中野正剛の門下生となり、同志を集めて「糸島又新会」を結成、普選運動に挺身する。1933年糸島農学校を卒業後、福岡県産業組合(現在の農協の前身)に入り、1938年主事となる。1942年県農業会主事。終戦後農業会を辞職し、「農民青年連盟」を結成、書記長となる。 1947年第23回衆議院議員総選挙に同連盟から旧福岡1区から立候補し、45,889票を集めて2位で当選する(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘など)。
嘉治 隆一(かじ りゅういち、1896年8月3日 - 197… 嘉治 隆一(かじ りゅういち、1896年8月3日 - 1978年5月19日)は、日本の政治評論家。上田敏の娘婿。 兵庫県生まれ。東京帝国大学法学部卒、南満州鉄道東亜経済調査局勤務ののち、東京朝日新聞社に入社、1945年論説主幹、1947年出版局長。その後、獨協大学講師、文部省大学設置審議会委員、東京市政調査会評議員などを歴任。1945年9月より1946年4月まで朝日新聞のコラム、天声人語を担当。 『心』同人(生成会)委員も務め、柳田國男など文化人との交遊も広かった。中江兆民・田口卯吉・陸奥宗光などの研究・著作解説も行っている。作家三島由紀夫も、父平岡梓が嘉治の旧友という縁から親しい間柄で、1951年(昭和26年)出帆の初の世界一周旅行(詳細は『アポロの杯』を参照)に関しても世話になっている。