板谷利雄(いたや としお、1935年7月11日 - 2012… 板谷利雄(いたや としお、1935年7月11日 - 2012年1月22日)は、日本の政治家、元地方公務員。北海道長沼町長(1988年 - 2008年)。旭日小綬章受章。位階は従五位。 北海道夕張郡長沼町出身。札幌文科専門学院(現札幌学院大学)法科を経て、1952年札幌短期大学商業科卒。 1952年北海道長沼町役場に入庁。同町議会事務局長、同総務課長などを歴任。1979年同収入役。その後、自由民主党の北修二秘書。1988年長沼町長選挙に出馬し初当選。以後、連続5期当選。2008年勇退した。 この他、長沼町グリーン・ツーリズム推進協議会会長も務めた。 2012年1月22日に急性肺炎のため76歳で死去。
出淵 博(いずぶち ひろし、1935年7月11日 - 199… 出淵 博(いずぶち ひろし、1935年7月11日 - 1999年7月23日)は、日本の英文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 W・B・イェイツを専門とする。没後、著作集全2巻が編纂された。妻は日本女子大学名誉教授の出淵敬子。 東京府東京市四谷区(現・東京都新宿区)生まれ。 1959年、東京大学教養学部を卒業し、日本放送協会(NHK)入局(報道局勤務)。1962年、東京大学大学院人文科学研究科英語英文学専門課程入学。1965年、國學院大學講師。1968年、東京大学大学院人文科学研究科英語英文学専門課程博士課程を満期退学。1971年、國學院大學助教授。1972年、東京工業大学助教授。1978年、東京大学教養学部助教授を経て1987年に教授。
本多 一夫(ほんだ かずお、1934年7月11日 - )は、… 本多 一夫(ほんだ かずお、1934年7月11日 - )は、日本の劇場経営者、実業家、俳優である。本多劇場グループ代表として、下北沢が「演劇の街」と呼ばれるようになった契機を作った。社団法人日本劇団協議会顧問。東京都世田谷区在住[要出典]。息子は本多劇場総支配人の本多愼一郎。 北海道札幌市に生まれ、1953年(昭和28年)に北海道立伏見高校(現・北海道札幌啓北商業高等学校)を卒業後、北海道放送(HBC)の演劇研究所で学んだ後に上京した。 初めは俳優として活動し、映画俳優として新東宝に入社、1955年(昭和30年)の「新東宝ニューフェイス 第4期生」となった。新東宝ニューフェイスの同期には、女優・三ツ矢歌子、原知佐子、万里昌代、北沢典子、浅田勝子らがいた。
17代 石川 弥八郎(彌八郎、いしかわ やはちろう、1934… 17代 石川 弥八郎(彌八郎、いしかわ やはちろう、1934年(昭和9年)7月11日 - 2012年(平成24年)9月21日)は、昭和から平成時代の政治家。醸造家。東京都福生市長。旧名は慶一郎。位階は従五位。旭日小綬章。 石川家は幕府天領(熊川村字南・字熊川牛浜、現福生市熊川)の名主役。13代目の石川弥八郎和吉の時、酒造りを始めた。 1957年(昭和32年)慶應義塾大学法学部卒業後、石川酒造所に入る。1965年(昭和40年)石川酒造設立に際し取締役、1977年(昭和52年)社長。のち会長。 1979年(昭和54年)福生市議会議員に当選。1985年(昭和60年)弥八郎を襲名。1988年(昭和63年)福生市長に就任し、3期務めた。
寺田 博(てらだ ひろし、1933年7月11日 - 2010… 寺田 博(てらだ ひろし、1933年7月11日 - 2010年3月5日)は、日本の編集者、文芸評論家。 長崎県に生まれる。早稲田大学教育学部卒業。1961年、河出書房新社に入社。1962年に復刊された『文藝』の編集者として井伏鱒二や瀬戸内晴美などを担当。編集長に就いた。また容貌が丸谷才一に酷似していることを丸谷から随筆の材料にされた。 1979年、作品社設立に参加し、翌年文藝雑誌『作品』を創刊。編集長に就任したが、7号で休刊となる。 1981年、福武書店(現ベネッセコーポレーション)に入社し、『海燕』創刊編集長、取締役出版事業本部長を歴任。1994年退職。時代小説案内を刊行し、回想記を著述していた。
栗山 欣彌(くりやま きんや、1932年7月11日 - )は… 栗山 欣彌(くりやま きんや、1932年7月11日 - )は、京都府亀岡市出身の医学者。専門は薬理学。アルコール依存症などを手がける。
山田 信夫(やまだ のぶお、1932年〈昭和7年〉7月11日… 山田 信夫(やまだ のぶお、1932年〈昭和7年〉7月11日 - 1998年〈平成10年〉2月2日)は、日本の脚本家。 中国・上海出身。父親は電気技師。母親を9歳時に胃癌で亡くしたため、中国人の手伝いが身の回りの世話をし、中国語と日本語のちゃんぽんの言葉の中で暮らした。。1945年2月に上海から引き揚げ、父親の郷里である愛知県豊橋市で暮らす。愛知県立工業高校電気科入学。1951年同校卒業後、愛知大学に入学したが、学生運動で学校閉鎖、この学校では何もできないと思い、翌年、早稲田大学文学部を受け直し、進学した。大学では、やがて訪れるであろうカラー映像時代を見据えて美術を専攻。大学在学中に東宝の脚本研究生となる。
大塚 康生(おおつか やすお、1931年7月11日 - 20… 大塚 康生(おおつか やすお、1931年7月11日 - 2021年3月15日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。島根県生まれ、山口県育ち。演出を担当する際には、鈴木一というペンネームを用いることがある。晩年は日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員、テレコム・アニメーションフィルム顧問であった。 1931年、島根県に生まれる。小学2年生のときに山口県山口市に転居した。戦前から終戦直後にかけての少年時代に機関車や米軍の軍用車両などのスケッチに熱中し、やがて絵で生計を立てたいと思うようになる。 旧制中学を卒業後、1951年に山口県庁に就職するも、翌年には漫画家を目指して上京を決意。
平川 祐弘(ひらかわ すけひろ、1931年7月11日 - )… 平川 祐弘(ひらかわ すけひろ、1931年7月11日 - )は、日本の比較文学研究者、評論家。東京大学名誉教授、国家基本問題研究所理事。
市川 博邦(いちかわ ひろくに、1931年7月11日 - 2… 市川 博邦(いちかわ ひろくに、1931年7月11日 - 2016年3月2日)は、日本の経営者。象印マホービン社長を務めた。創業者市川重幸の弟でもある。 東京都出身。1956年に大阪市立大学文学部を卒業し、同年に協和魔法瓶工業(現在の象印マホービン)に入社。1961年に監査役に就任し、1968年に取締役、1977年に常務、1978年に専務を経て、1982年に副社長に就任し、1987年2月には社長に昇格。2001年2月に会長に就任。 1992年に藍綬褒章を受章。 2016年3月2日に呼吸不全のために死去。84歳没。
池田 利夫(いけだ としお、1931年7月11日 - 201… 池田 利夫(いけだ としお、1931年7月11日 - 2012年3月12日)は、日本の国文学者。 横浜市生まれ。慶應義塾大学国文科卒。1963年同大学院博士課程満期退学。1976年「日中比較文学の基礎研究 翻訳説話とその典拠」で慶應義塾大学より文学博士の学位を取得。1960年慶應女子高等学校講師、1963年鶴見女子大学講師、助教授、鶴見大学教授、2002年定年、名誉教授。
小林 薫(こばやし かおる、1931年7月11日 - )は、… 小林 薫(こばやし かおる、1931年7月11日 - )は、日本の国際的経営評論家。経営学者。産業能率大学名誉教授。 1954年、東京大学法学部卒業。マンハッタン大学経営学部にフルブライト・プログラムで留学。 その後、興亜石油、日本能率協会などを経て現職。 NHK教育テレビ「英語ビジネスワールド」(講師として1998年4月から1年間)や「英語で勝負」に出演した経験を持つ。 ASTD(1981年より)、ドラッカー学会、国際ビジネス研究学会、組織学会、米国教育訓練学会、欧州経営開発学会などに所属、米国経営近代化学会(SAM)国際理事兼日本支部長、人材育成学会副会長も務める。 ピーター・ドラッカーとは約50年に及ぶ親交を結び、ダイヤモンド社刊のドラッカーの『21世紀の企業経営』(ビデオ8巻+解説書)の総監修や、『経営の新次元』『新しい経営行動の探求』などの訳出も行っている。
卯木 肇(うのき はじめ、1930年7月11日 - )は、日… 卯木 肇(うのき はじめ、1930年7月11日 - )は、日本の実業家。アイワ代表取締役社長、同会長や、スカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現スカパーJSAT)代表取締役会長、同社長を務めた。 福岡県出身。一橋大学商学部卒業後、1954年4月ゼネラル物産株式会社(現三井物産株式会社)入社。1959年10月、海外貿易要員第1期としてソニー株式会社に入社し、外国部配属。 ソニー入社数ヶ月でアフリカ出張を行い、エジプトからアフリカ大陸に入り、南アフリカ、西アフリカと、半年間アフリカ大陸を周って代理店契約の相手方候補の調査を行い、海外販路の開拓を行った。ソニー・アメリカ駐在やソニー外国部長株式会社などを経て、1977年10月ソニー株式会社取締役、1984年1月ソニー株式会社専務取締役。
藤永 幸治(ふじなが ゆきはる、1930年7月11日 - 2… 藤永 幸治(ふじなが ゆきはる、1930年7月11日 - 2001年5月5日)は京都府出身の検察官。 1945年8月15日の敗戦を大阪陸軍幼年学校で過ごし、1946年旧制京都府立桃山中学校に復学。旧制第三高等学校を経て、1953年京都大学法学部卒業。司法修習8期を経て、東京地方検察庁検事に任官。海外のロースクールへ留学。東京地方検察庁特別捜査部長、最高検察庁刑事部長、次長検事、東京高等検察庁検事長などを歴任。退官後帝京大学法学部教授。 2001年5月5日、急性多臓器不全のため死去。71歳没。叙正三位、叙勲一等授瑞宝章。 1990年代後半の司法試験制度について、あまりにも単純に法律知識に偏り過ぎており、経済や歴史、文学、一般社会を幅広く知る人間を司法界は求めるべきだとの考えを持っていた。
柴田 一(しばた はじめ、1930年7月11日 - 2017… 柴田 一(しばた はじめ、1930年7月11日 - 2017年9月18日)は、日本地方史学者、就実大学名誉教授。 岡山県岡山市生まれ。岡山大学教育学部社会科卒業。その後岡山県職員の教員となり岡山県立林野高等学校、岡山県立倉敷天城高等学校、岡山県立倉敷青陵高等学校、岡山市立商業高等学校教員、岡山県教育庁文化課主幹、岡山県立博物館主任学芸員を経て退職後、兵庫教育大学教授、1996年定年退任、就実大学教授、就実大学・就実短期大学学長、名誉教授。1993年「近世大名領国経営の研究」で広島大学より文学博士の学位を取得。宇喜多史談会会長、岡山歴史研究会顧問を務める。 2017年9月18日、肺炎のため死去、87歳。
阿部 龍蔵(あべ りゅうぞう、1930年7月11日 - 20… 阿部 龍蔵(あべ りゅうぞう、1930年7月11日 - 2013年11月1日)は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。 東京都出身。旧制第一高等学校を経て、1953年東京大学理学部物理学科卒業。1959年東京教育大学理学博士。東京工業大学助手、1961年東京大学物性研究所助教授、1966年東京大学教養学部教授。1991年定年退官、名誉教授、放送大学教授、副学長。
松原 治郎(まつばら はるお、1930年7月11日 - 19… 松原 治郎(まつばら はるお、1930年7月11日 - 1984年4月20日)は、日本の教育社会学者。 東京出身。東京大学卒。東京学芸大学助教授、東京大学教育学部助教授、78年教授。家族、青年問題などで積極的に発言。農村の実地調査など積極的に行い、地域社会学(コミュニティ社会学)に関して広く研究成果を発表していた。
小坂 伊佐夫(こさか いさお、1930年7月11日 - )は… 小坂 伊佐夫(こさか いさお、1930年7月11日 - )は、日本の経営者。大東京火災海上保険社長を務めた。 東京都出身。1953年に東北大学法学部を卒業し、同年に大東京火災海上保険に入社した。1970年6月に取締役に就任し、1972年6月に常務、1974年6月に専務を経て、1982年7月に副社長に就任し、1988年6月には社長に昇格。1995年6月に会長を経て、1998年6月には相談役に退いた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
鈴木 建三(すずき けんぞう、1929年7月11日 - 20… 鈴木 建三(すずき けんぞう、1929年7月11日 - 2015年7月2日)は、イギリス文学者。 1954年東京大学英文科卒。旧・東京都立大学教授を務め、1992年定年退任後は、青山学院大学教授。イギリス文学ではジョゼフ・コンラッドを主として研究。多くの20世紀英米小説を訳した。児童文学は木庭 茂夫(こば しげお)で訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
藤田 潔(ふじた きよし、1929年7月11日 - 2021… 藤田 潔(ふじた きよし、1929年7月11日 - 2021年3月9日)は、日本のテレビプロデューサー、実業家。株式会社ビデオプロモーション取締役名誉会長。 愛媛県新居浜市出身。早稲田大学商学部卒業。 「世界遺産」や「美の巨人たち」といった数々の名番組も企画している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
林 雅子(はやし まさこ、1928年7月11日 - 2001… 林 雅子(はやし まさこ、1928年7月11日 - 2001年1月9日)は、北海道出身の日本の建築家。女性建築家の草分け的存在である。夫は建築家の林昌二。 日本女子大学家政学部住居学科では彼女を記念して「林雅子賞」を設けている。
石田 喜久夫(いしだ きくお、1928年7月11日 - 20… 石田 喜久夫(いしだ きくお、1928年7月11日 - 2001年6月30日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(神戸大学・論文博士・1980年)。神戸大学名誉教授、京都学園大学名誉教授。京都市出身。 1948年第三高等学校文科乙類卒業。1951年大阪大学法経学部卒業。同法経学部助手。1956年大阪大学法学部専任講師。1961年大阪市立大学経済学部助教授。1968年大阪市立大学経済学部教授。1969年神戸大学法学部教授。1975年神戸大学評議員。1980年神戸大学より法学博士の学位を取得。 1990年経済企画庁消費者保護功労者表彰。1991年3月31日神戸大学定年退官。同名誉教授。京都学園大学法学部教授。
大西 武士(おおにし たけし、1928年7月11日 - )は… 大西 武士(おおにし たけし、1928年7月11日 - )は、日本の銀行員、法学者。 香川県仲多度郡琴平町出身。1953年東京大学法学部政治学科を卒業し、東京都民銀行に入る。審査部長、取締役営業部長、取締役業務推進部長をへて、とみんリース専務取締役。 富山大学教授に転じ、東海大学教授。1998年定年退職し、東亜大学教授を務めた。銀行の実務・法務に関する著書がある。
北村 春江(きたむら はるえ、1928年(昭和3年)7月11… 北村 春江(きたむら はるえ、1928年(昭和3年)7月11日 - 2022年(令和4年)3月13日)は、日本の元政治家、弁護士。兵庫県芦屋市長(第15・16・17代)。夫は弁護士の北村巌。 京都府京都市左京区生まれ、大阪府育ち。女学校時代には学徒動員を経験し、 1945年に立命館専門学校に入学。1952年に立命館大学法学部を卒業。性別による職場での不平等を経験したことから法律家を目指す。1956年に立命館大学の女子卒業者で初めて司法試験に合格し、司法修習を経て1959年に弁護士登録。大阪家庭裁判所調停委員や1979年からは芦屋市教育委員会委員長を務める。 教育関係者や市民グループに推されて1991年、62歳で芦屋市長選挙に無所属で立候補し、現職に約2千票差をつけ初当選を果たした。
高林 秀雄(たかばやし ひでお、1927年(昭和2年)7月1… 高林 秀雄(たかばやし ひでお、1927年(昭和2年)7月11日 - 1997年(平成9年)1月26日)は、日本の法学者(国際法)。九州大学名誉教授。法学博士(京都大学・論文博士・1966年)。石川県金沢市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
石月 昭二(いしづき しょうじ、1927年7月11日 - 2… 石月 昭二(いしづき しょうじ、1927年7月11日 - 2013年11月2日)は、日本の運輸官僚。 新潟県新津市出身。1953年に東京大学経済学部を卒業し、同年に運輸省に入省。1980年6月に大臣官房総務審議官に就任し、1983年6月から1984年7月までに海上保安庁長官を務めた。1984年8月に日本長期信用銀行顧問、1987年4月に新幹線鉄道保有機構理事長、1990年4月に国鉄清算事業団理事長、1993年6月に日本観光協会会長、1999年6月に日本気象協会会長を歴任した。 2002年4月に勲二等旭日重光章を受章した。 2013年11月2日、急性心筋梗塞のために死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
米谷 半平(こめたに はんぺい、1925年7月11日 - 2… 米谷 半平(こめたに はんぺい、1925年7月11日 - 2012年3月28日 )は、日本の経営者。北國銀行頭取を務めた。 石川県出身。1950年に東京大学経済学部を卒業し、1954年6月に北國銀行に入行した。1964年11月に取締役に就任し、1966年11月に常務、1968年11月に専務を経て、1974年11月に副頭取に就任し、1978年12月には頭取に昇格した。1997年6月には会長に就任し、1997年6月から1998年12月までは会長と頭取を兼任。2000年6月に取締役を経て、2006年6月から相談役を務めた。 1985年11月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2012年3月28日、死去。
平林 眞(ひらばやし まこと、1925年(大正14年)7月1… 平林 眞(ひらばやし まこと、1925年(大正14年)7月11日 - 2015年3月5日)は、日本の金属学者。理学博士(東北大学)。専門は金属物性結晶学。東北大学名誉教授。北見工業大学元学長および名誉教授。 東京都出身。1947年(昭和22年9月)東京帝国大学第二工学部冶金学科卒業、大学院特別研究生、1948年4月東京工業大学大学院に転学。1951年(昭和26年)東北大学金属材料研究所助手。1959年(昭和34年)同助教授。1963年(昭和38年)同教授、1987年(昭和62年)東北大学金属材料研究所所長。1989年東北大学停年退官。同名誉教授。いわき明星大学理工学部教授。1990年(平成2年)北見工業大学5代学長に就任。
岡 豊(、1925年〈大正14年〉7月11日 - 2000年… 岡 豊(、1925年〈大正14年〉7月11日 - 2000年〈平成12年〉7月27日)は、日本の元俳優である。妻は女優の記平佳枝。 東京府東京市(現在の東京都)出身。早稲田大学卒業。 東宝ニューフェイス第1期として東宝に所属。クレジットされる作品は少ないが、ジャンルを問わず数多くの映画に出演。特に特撮映画では新聞記者を演じていることが多い。アナウンサー役もいくつか演じており、記平は特にアナウンスを学んだことはなく、東京出身で訛りがないため選ばれたのではないかと述べている。 俳優の中島春雄とは両夫婦で新婚旅行に行くほど仲が良かった。 1971年(昭和46年)、専属俳優一斉解雇の際に俳優を引退。記平によると、引退後はビル管理会社に勤務していたという。
多田 美波(ただ みなみ、1924年7月11日 - 2014… 多田 美波(ただ みなみ、1924年7月11日 - 2014年3月20日)は、日本の彫刻家。 台湾高雄市生まれ。1944年女子美術専門学校(現・女子美術大学)師範科西洋画部卒業。1958年二科展入選、1960年二科展特選。1962年に多田美波研究所を設立し代表に就任。 光の反射を用いた抽象的立体造形作品を制作。アルミニウムを叩き、シワをつけ半球状型に造形した「周波数」シリーズは代表作。昭和期・平成期を代表する立体造形作家である。 皇居新宮殿、帝国ホテル、リーガロイヤルホテル、在米日本国大使公邸(ワシントンD.C.)、外務省飯倉別館(公館)、河内長野市庁舎、などの室内・構内装飾や、壁面作品(レリーフ)を数多く手掛けた他、立体造形作品を制作した。
北条 浩(ほうじょう ひろし、1923年〈大正12年〉7月1… 北条 浩(ほうじょう ひろし、1923年〈大正12年〉7月11日 - 1981年〈昭和56年〉7月18日)は、日本の海軍軍人、政治家、宗教家。公明党所属の参議院議員(1期、1965年 - 1971年)、第4代創価学会会長。 前任会長の池田大作が執筆した小説『人間革命』の登場人物「十条潔」のモデルとなる。 神奈川県三浦郡葉山町生まれ。北条釐三郎の長男として生まれる。先祖は、後北条氏河内狭山藩初代藩主の北条氏盛(後北条氏第3代北条氏康の孫の一人)であり、その嫡流にあたる。ただし、祖父・北条氏恭が伊達政宗の子孫(伊達氏→堀田氏→狭山藩北条氏と養子入りした家系)であるため、男系の血筋上は伊達氏の末裔である。
木村 久邇典(きむら くにのり、1923年7月11日 - 2… 木村 久邇典(きむら くにのり、1923年7月11日 - 2000年4月12日)は、日本の新聞記者、作家、文芸評論家。 中央大学法学部卒業。朝日新聞社に入社後、山本周五郎の担当記者となり、のち山本の研究家として多くの著書を著した。 ほか軍人伝、小説などがある。
輪湖 公寛(わご きみひろ、1923年7月11日 - 200… 輪湖 公寛(わご きみひろ、1923年7月11日 - 2003年8月5日)は日本の裁判官。 長野県南安曇郡上野村(現松本市)生まれ。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)、旧制松本高校文科を経て、東京帝国大学卒業。1948年司法修習生となり、1950年長野地方裁判所松本支部判事補等を経て、1971年最高裁判所調査官となる。1975年東京高等裁判所判事、1981年函館地方裁判所長、1983年仙台高等裁判所裁判長。1988年退官。1993年勲二等瑞宝章。 2003年(平成15年)9月19日付の官報号外(第219号)210頁の「弁護士名簿登録・登録換・登録取消 諸事項」において、同年8月5日付で死亡により弁護士名簿登録取消となっている。
小松 雅雄(こまつ まさお、1919年7月11日 - 201… 小松 雅雄(こまつ まさお、1919年7月11日 - 2010年10月16日)は、日本の経済学者。専門は、経済政策。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1945年早稲田大学政治経済学部卒業。1949年同大学院修了。同大学助手、政治経済学部助教授を経て、1955年教授、1978年学部長。麗澤大学初代国際経済学部(現・経済学部)長、同大学名誉教授。民主社会主義研究会議第4代議長(1983~1994)、日本経済政策学会名誉会員、学校法人廣池学園顧問、サンリツ服部美術館理事、諏訪郷友会評議員・長善館館長などを務めた。晩年は、郷里近くの長野県茅野市で過ごした。1997年勲三等旭日中綬章受勲。
中川 鶴太郎(なかがわ つるたろう、1919年7月11日-1… 中川 鶴太郎(なかがわ つるたろう、1919年7月11日-1992年10月9日)は、日本の化学者。 岐阜生まれ。1942年東京帝国大学理学部化学科卒業。赤松秀雄に師事。1952年理学博士。東京大学理学部化学科助教授、北海道大学理学部助教授、教授、1983年定年退官、名誉教授、札幌学院大学教授。富士通国際社会情報科学研究所主任研究員。
有住 直介(ありずみ なおすけ、1918年7月11日 - 2… 有住 直介(ありずみ なおすけ、1918年7月11日 - 2007年12月6日)は、日本の気象技官。気象庁長官を務めた。 東京都出身。1942年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業し、同年に気象庁に入庁。1973年に福岡管区気象台長、1974年に観測部長を経て、1976年から1978年までに長官を務めた。1980年に芝浦工業大学講師、1984年に宇宙開発事業団理事を歴任。 2007年12月6日に虚血性心疾患のために死去。89歳没。
林 博(はやし ひろし、1917年(大正6年)7月11日 -… 林 博(はやし ひろし、1917年(大正6年)7月11日 - 1994年(平成6年)5月4日)は、昭和期の検察官、弁護士、政治家。衆議院議員。 東京府出身。1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業した。 司法省に入省し、司法官試補に任官。横浜地方検察庁検事、東京地方検察庁検事、経済安定本部経済査察官を歴任した。その後、弁護士を開業した。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に東京都第6区から出馬したが落選。同補欠選挙、第25回、第26回総選挙でも落選したが、1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙に日本民主党公認で出馬して初当選。第28回総選挙では落選し、1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙で再選され、衆議院議員に通算2期在任した。
林 栄夫(はやし よしお、1916年7月11日 - 1983… 林 栄夫(はやし よしお、1916年7月11日 - 1983年1月21日)は、日本の経済学者。東京都立大学名誉教授。専門は財政学。経済学博士(東京大学、1962年)。栃木県宇都宮市生まれ。
宮原 正吾(みやはら しょうご、1916年(大正5年)7月1… 宮原 正吾(みやはら しょうご、1916年(大正5年)7月11日 - 1977年(昭和52年)9月21日)は、日本の実業家。備前信用金庫理事長(現・備前日生信用金庫)。岡山県高梁市出身。 1916年(大正5年)岡山県に生まれる。1929年(昭和4年)に旧制高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)へ進学した。1934年(昭和9年)同校を卒業して、第六高等学校文科乙類へ入学した。1937年(昭和12年)、同高校を卒業し、浪人した後、1938年(昭和13年)東北帝国大学法学部へ入学した。1941年(昭和16年)同大学を卒業し、就職した。その後、1974年(昭和49年)8月、備前信用金庫の第3代理事長に就任した。
スパット・スタタム(Suphat Sutatum、1915年… スパット・スタタム(Suphat Sutatum、1915年7月11日 - 没年不詳)は、タイ王国の政治家、タイ王国元財務大臣。 1915年7月11日、タイのバンコクで生まれる。1930年に、ワット・ボピトルピムク・スクール(Wat Bopitrpimuk school)で中等教育を修了。 1934年にタイ会計検査院で研修生としてキャリアをスタートさせ、1935年に2級事務官に任じられた。 その後来日し、立教大学で学び、1941年には商学修士号を取得。また、バンク・オブ・アメリカの監査役として研修を受けた。 1948年、タイ監査委員会委員、1975年、監査委員会事務局長、1972-75年、監査委員会委員長、1974年、汚職・腐敗行為防止局委員など、タイの国家財務の要職を歴任。
熊谷 尚夫(くまがい ひさお、1914年(大正3年)7月11… 熊谷 尚夫(くまがい ひさお、1914年(大正3年)7月11日 - 1996年(平成8年)6月11日)は、日本の経済学者。専門は、厚生経済学・経済政策。学位は、経済学博士(大阪大学・論文博士・1958年)(学位論文「資本主義経済と雇傭」)。大阪大学名誉教授。日本学士院会員。位階は従三位。岡山県岡山市生まれ。河合栄治郎門下。
室井 綽(むろい ひろし、1914年7月11日 - 2012… 室井 綽(むろい ひろし、1914年7月11日 - 2012年10月5日)は、植物学者。専門は竹の分類、植物の生態。「日本竹笹の会」の会長として研究をリードし、「竹博士」と呼ばれた。 兵庫県赤穂市生まれ。1938年、盛岡高等農林学校農学部(現岩手大学農学部)卒業。1948年、第二神戸中学校(現兵庫県立兵庫高等学校)の教諭となり、1956年、富士竹類植物園(静岡県駿東郡長泉町)の初代園長となる。1962年「有用竹類の形態学的特性とその利用に関する研究」で北海道大学農学博士。1973年、県立兵庫高等学校を退職し、姫路学院女子短期大学教授。同年、兵庫県生物学会長。2012年10月5日、肺炎のため死去。
松本 民之助(まつもと たみのすけ、1914年7月11日 -… 松本 民之助(まつもと たみのすけ、1914年7月11日 - 2004年3月15日)は、日本の作曲家、教育者。東京藝術大学名誉教授。 1936年(昭和11年)東京音楽学校甲種師範科卒業。下総皖一に作曲、伊藤武雄に声楽、福井直俊にピアノを師事する。1936年 (昭和12年) ベルリンオリンピックの芸術競技で佳作入選。1938年(昭和14年)交響曲『文覚』がワインガルトナー賞優等賞受賞。作曲家の松本日之春、松本清は息子。弟子に坂本龍一や嵐野英彦、赤石敏夫らがいる。東京芸術大学音楽学部附属高等学校で松本に師事した奥慶一によれば「非常に熱心かつ厳格」という人物評がある。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
谷口 敏雄(たにぐち としお、1913年7月11日 - 19… 谷口 敏雄(たにぐち としお、1913年7月11日 - 1988年8月24日)は、土木工学・地球物理学者。日本の地すべり研究の第一人者の一人。正五位勲四等旭日小綬章受章。工学博士(京都大学)。元建設省土木研究所砂防研究室長および河川部長。日本技術士会元理事。日本工営元副社長・最高顧問。日本地すべり学会第2代会長・名誉会長。地すべり対策技術協会元会長。土質工学会(現:地盤工学会)元副会長。元京都大学防災研究所非常勤講師・大阪工業大学工学部土木工学科客員教授。 日本の地すべり工学の最高権威者として自他ともに認められ、地すべり対策事業の黎明よりかかわり、育ててきた最大の功労者である。
橋本 武(はしもと たけし、1912年7月11日 - 201… 橋本 武(はしもと たけし、1912年7月11日 - 2013年9月11日)は、日本の国語教師、国文学者、元灘校(灘中学校・高等学校)教頭。京都府宮津市出身。中学の3年間をかけて中勘助の『銀の匙』を1冊読み上げる国語授業「『銀の匙』授業」で知られる。
亀谷俊司(かめたに しゅんじ、1910年7月11日 - 20… 亀谷俊司(かめたに しゅんじ、1910年7月11日 - 2010年4月2日)は、日本の数学者。 東京に生れる。1936年東京帝国大学理学部卒業。45年「ハウスドルフ測度と一般化された容量に就いて其の函数論への応用二,三」で理学博士。多賀高等工業學校教授、東京女子高等師範学校教授、1949年お茶の水女子大学助教授、教授、1976年定年退官、名誉教授。99歳で没、没後正四位。
星加 要(ほしか かなめ、1909年7月11日 - 1989… 星加 要(ほしか かなめ、1909年7月11日 - 1989年5月28日)は、昭和時代の労働運動家。国鉄労働組合(国労)書記長、副委員長。 愛媛県新居浜市生まれ。高等小学校卒業後、鉄道教習所を経て、四国鉄道局の運転局総務課に勤務。1946年四国鉄道従業員連合組合(のち国鉄労働組合四国地方本部)の結成を主導。1947年10月の国労第2回臨時大会で右派系執行部の提案(片山内閣の1800円ベース受諾)が否決され、執行部が総辞職、右派系代議員が退場して斉藤鉄郎議長が流会を宣言。11月に斉藤らと中心になって国鉄労組反共連盟(1948年3月国鉄労組民主化同盟に改称)を結成し、民同運動の口火を切った。民同派のリーダーとして共産党グループと国労の主導権を争い、1948年3月から4月、1948年9月から1949年4月(第5回臨時大会から第6回臨時大会)に書記長を務めた。
坂口 宏(さかぐち ひろし、明治40年(1907年)7月11… 坂口 宏(さかぐち ひろし、明治40年(1907年)7月11日 - 没年不明)は、日本の実業家。 実業家2代坂口平兵衛の従弟にあたる。 鳥取県米子市出身。坂口武市の長男。 昭和7年(1932年)京都帝国大学法学部卒業。東京芝浦電気入社。昭和20年(1945年)退職、ヤマサ電気工業所創立所長就任。 趣味はスポーツ、住所は米子市西町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
福島 正夫(ふくしま まさお、1906年7月11日-1989… 福島 正夫(ふくしま まさお、1906年7月11日-1989年12月14日)は、昭和・平成期の法制史学者・弁護士。社会主義法学・比較法学・日本近代法制史などの研究において業績を残した。 静岡県磐田郡見付町(現在の磐田市)出身。東京府立第五中学校・第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科に入る。穂積重遠・末弘厳太郎の指導を受け、1928年には在学のまま高等文官試験行政科に合格。 1929年(昭和4年)の卒業後は日本不動産に入社しながら学問を続け、1931年には高等文官試験司法科にも合格し、翌年には弁護士登録を行う。ところが、1934年(昭和9年)に日本共産党に資金提供をしていたとして治安維持法違反で摘発されたために会社を退社に追い込まれ、同年東京帝国大学大学院に再入学、我妻栄の下で土地法の研究を行う。
中野 五郎(なかの ごろう、1906年7月11日 - 197… 中野 五郎(なかの ごろう、1906年7月11日 - 1972年10月14日)は、日本の新聞記者、軍事史研究者、翻訳家。 東京府出身。東京帝国大学卒業後、東京朝日新聞に入社。太平洋戦争開戦当時はニューヨーク特派員を務めており、アメリカ政府により抑留される。開戦の翌1942年に交換船により帰国した。帰国後の1943年に『祖国に還へる』を公刊し、開戦直前から帰国に至る経緯で、アメリカ政府への最後通告遅延問題に関し議論の対象となる新庄健吉陸軍大佐の葬儀に出席した模様が記されている。 占領下の1948年に朝日新聞を退社。以降は第二次世界大戦を中心とした軍事関係の著述家・翻訳者となる。1972年に死去。 加藤哲郎によると、戦前に偽名を使って日本で活動していた労農赤軍本部のスパイであるアイノ・クーシネンが著書で「中野男爵」と記している人物は、中野のことであるとみられる。