西山 孝(にしやま たかし、1935年8月18日 - 201… 西山 孝(にしやま たかし、1935年8月18日 - 2016年4月25日)は、日本の経営者。ミニストップ社長、会長を務めた。岡山県岡山市出身。 1958年に大阪市立大学商学部を卒業。野村證券での勤務を経て、1968年に明星食品取締役に就任し、1978年に常務を経て、1983年5月にミニストップ社長に就任。1995年5月に会長を経て、1998年5月には監査役に就任。 2016年4月25日、喘息のために死去。80歳没。
海野 義孝(うみの よしたか、1935年8月18日 - )は… 海野 義孝(うみの よしたか、1935年8月18日 - )は、日本の政治家。公明党所属。参議院議員(1期)を歴任。 愛知県出身。中央大学経済学部卒業後、勧角証券に入社。株式部長を経て、勧角証券総合研究所取締役を務めた。1995年の参院選に比例区に新進党から立候補して当選。新進党解党後は公明に加わり、1998年11月に新公明党結成に参加した。2001年の参院選に出馬しないで引退した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
武田 幸男(たけだ ゆきお、1934年8月18日[要出典] … 武田 幸男(たけだ ゆきお、1934年8月18日[要出典] - 2021年8月4日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。文学博士。東方学会評議員・東洋文庫研究員・朝鮮学会幹事・史学会会員。専門は朝鮮史、東アジア交渉史。山形県上山市出身。 専攻は朝鮮史(おもに朝鮮古代、高句麗史、古代日朝関係史)。末松保和の研究を継承。広開土王碑の研究で知られ、数多くの拓本を収集。その分析から1970年代に李進熙らの提唱した広開土王碑についての仮説(好太王碑改竄説)や解釈がすべて成り立たないことを論証した学者である。また中国正史に見られる「倭の五王」遣使記事を検討し、当時の倭国の大王が中国王朝に対して「倭」という姓を名乗っていたことを指摘し、古田武彦らの九州王朝説を批判した。
平川 公義(ひらかわ きみよし、1934年8月18日 - 2… 平川 公義(ひらかわ きみよし、1934年8月18日 - 2012年12月23日)は、日本の医学者である。東京医科歯科大学名誉教授。 広島県福山市で誕生。父が医師として開業していたことから、子供のころから将来は医者を目指していた。1953年(昭和28年)4月に東京大学へ入学。1969年(昭和34年)3月に医学部卒業後、東京大学医学部第一外科学教室(主任は清水健太郎)へ入局した。 日本脳神経外傷学会の平川賞は、遺族の寄付によって設立された 。
佐伯 尚孝(さえき なおたか、1934年8月18日 - 20… 佐伯 尚孝(さえき なおたか、1934年8月18日 - 2023年5月10日)は日本の実業家。第9代三和銀行頭取。 鹿児島県出身。1955年福岡県立福岡高等学校卒業、1959年東京大学経済学部卒業、三和銀行入行。1994年から第9代三和銀行頭取を務めたが、渡辺滉会長と派閥抗争を繰り広げ、1999年に渡辺会長と「相打ち」のかたちで頭取を辞任し、相談役に退いた。後任の代表権のない会長には内藤碩昭が、頭取には室町鐘緒が就いた。のち三菱UFJ銀行名誉顧問、三菱UFJ信託地域文化財団評議員、岩谷直治記念財団理事長、HOYA社外取締役。 2023年5月10日、横浜市の自宅で死去。88歳没。
鍵山 秀三郎(かぎやま ひでさぶろう、1933年8月18日 … 鍵山 秀三郎(かぎやま ひでさぶろう、1933年8月18日 - 2025年1月2日)は、株式会社ローヤル(現 イエローハット)の創業者。創業以来続けている「掃除」運動が内外に広がった。NPO法人「日本を美しくする会」(「日本を美しくする会・掃除に学ぶ会」)の創唱者で相談役でもある。 1953年(昭和28年)に自動車業界に入る。当時の自動車業界は、職場や社員なども含め業界全体が粗野な面があり、鍵山が就職した自動車部品販売店でも一般ユーザーの来店などは期待できない状態であった。鍵山は就職した職場でこうした環境を変える必要を感じ、トイレ掃除を始める。このため当初は、社内ハラスメントにもあったが、職場や店舗が清潔になったことで客層がよくなり、ディック・ミネ、森繁久彌などの有名人も来店するほどとなる。
萩野 弘巳(はぎの ひろみ、1933年8月18日 - )は、… 萩野 弘巳(はぎの ひろみ、1933年8月18日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家。
野田 昌宏(のだ まさひろ、1933年8月18日 - 200… 野田 昌宏(のだ まさひろ、1933年8月18日 - 2008年6月6日)は、日本の小説家、SF作家、翻訳家、宇宙開発評論家、テレビディレクター、プロデューサー、経営者。元日本テレワーク株式会社代表取締役社長(後に相談役)。株式会社ガイナックスの元監査役。 1960年代には主に本名の野田宏一郎(のだ こういちろう)名義を用い、1970年代以降は野田昌宏名義を用いた。また、作詞家としては「山本圭一」の変名も使用した。 1933年8月18日、野田健三郎とツヤ子の長男として福岡県で生まれる。1946年、福岡第一師範学校男子部附属国民学校(現在の福岡教育大学附属福岡小学校)を卒業。泰星中学校・高等学校入学。
三好 信浩(みよし のぶひろ、1932年8月18日 - 20… 三好 信浩(みよし のぶひろ、1932年8月18日 - 2024年1月24日)は、日本の産業教育史学者、広島大学・比治山大学名誉教授。 大分県日田市生まれ。1961年広島大学大学院教育学研究科博士課程満期退学、1966年「英国公教育制度成立課程の研究 ケイ・シャトルワースを中心にして」で教育学博士。茨城大学講師、助教授、大阪市立大学助教授、広島大学教育学部助教授をへて、教授、1996年定年退官、名誉教授となり、甲南女子大学教授、比治山大学学長を務め、名誉教授となった。 2013年4月瑞宝中綬章受章。 2024年1月24日に悪性リンパ腫のため、広島県福山市の病院で死去。91歳没。
山下宏明(やました ひろあき、1931年8月18日- )は、… 山下宏明(やました ひろあき、1931年8月18日- )は、日本の国文学者。名古屋大学名誉教授。専門は『平家物語』などの軍記物語で、世界的に知られる研究者である。 神戸市生まれ。1958年神戸大学文学部国文科卒、1964年東京大学大学院国文学博士課程満期退学、1986年「平家物語の生成」で文学博士。金城学院大学助教授、名古屋大学教養部助教授から、文学部助教授に転じ、教授。1995年定年退官、名誉教授となり、愛知淑徳大学教授に着任。2007年、定年退職。
段木 一行(だんぎ かずゆき、1931年8月18日 - )は… 段木 一行(だんぎ かずゆき、1931年8月18日 - )は、日本史学・博物館学者。 千葉県出身。國學院大學文学部史学科卒業。卒業論文は、「荘園制の崩壊過程(序)」。1958年法政大学大学院修士課程修了。東京都教育庁学芸研究職、文化財調査担当課長補佐、1988年「中世村落構造の研究」で法政大学文学博士。法政大学文学部教授。2002年定年退任。秋山庄太郎写真芸術館館長。専門は博物館学・日本中世史研究。
服部 潔(はっとり きよし、1931年〈昭和6年〉8月18日… 服部 潔(はっとり きよし、1931年〈昭和6年〉8月18日 - 2017年〈平成29年〉8月25日)は、日本の教師、教育評論家。 群馬県伊勢崎市出身。1957年埼玉大学教育学部卒業。埼玉県川口市立飯塚小学校、同仲町小学校などで教員として勤務した。全国生活指導研究協議会中央常任委員、東京都立大学非常勤講師、日本生活指導研究所事務局長。 この項目は、教育者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:教育)。
土金 琢治(つちがね たくじ、1931年8月18日 - )… 土金 琢治(つちがね たくじ、1931年8月18日 - )は、日本の経営者、銀行家。群馬銀行頭取を務めた。 栃木県出身。1954年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1983年1月に国庫局長、同年7月に考査局長を経て、1985年6月に群馬銀行専務に就任し、1987年に副頭取を経て、1990年6月には頭取に就任。1997年6月に会長を経て、2001年6月には相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤木 幸夫(ふじき ゆきお、1930年〈昭和5年〉8月18日… 藤木 幸夫(ふじき ゆきお、1930年〈昭和5年〉8月18日 - )は、日本の実業家。藤木企業代表取締役会長、一般社団法人横浜港振興協会会長、横浜港ハーバーリゾート協会会長、横浜エフエム放送代表取締役会長。元横浜港運協会会長、元横浜スタジアム取締役会長。父親は藤木企業創業者の藤木幸太郎。政財界との繋がりが深いことから、しばしば「ハマのドン」と称される。 神奈川県横浜市西区天神町生まれ。藤木企業の創業者である藤木幸太郎の長男。横浜市立老松小学校(昭和22年廃校)、横浜市立老松中学校、神奈川県立工業学校(現・県立神奈川工業高校)を経て、1953年に早稲田大学政治経済学部卒業。 若い頃には共産党員であったが転向し、自由民主党が結成されると党員になった。
國弘 正雄(くにひろ まさお、1930年8月18日 - 20… 國弘 正雄(くにひろ まさお、1930年8月18日 - 2014年11月25日)は、日本の同時通訳者、翻訳家、文化人類学者、ニュースキャスター、政治家。「同時通訳の神様」と呼ばれ、外務大臣・首相を務めた三木武夫のブレーンとしても知られた。参議院議員を1期務め、護憲派として活動した。 現在の東京都北区に生まれる。東京府立六中(現・東京都立新宿高等学校)に入学するが、父親の転勤により、神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)に転校する。同級生に小松左京と高島忠夫がいた。神戸空襲に遭い、親しくしていた知人の最期を看取った経験から、強い反戦思想を持つようになる。 中学時代、新渡戸稲造の伝記に感銘を受け、英語の猛勉強を開始した。
ギリヤーク尼ヶ崎(ギリヤークあまがさき、1930年8月18日… ギリヤーク尼ヶ崎(ギリヤークあまがさき、1930年8月18日 - )は、北海道函館市出身の日本の大道芸人、舞踏家、俳優。本名は尼ヶ崎 勝見(あまがさき かつみ)。芸名の由来は自身の風貌が樺太の少数民族であるギリヤーク(近年はニヴフと呼ばれる)に似ていることから。
高秀 秀信(たかひで ひでのぶ、1929年(昭和4年)8月1… 高秀 秀信(たかひで ひでのぶ、1929年(昭和4年)8月18日 - 2002年(平成14年)8月29日)は、日本の政治家、官僚。従三位勲一等瑞宝章。 横浜市長(第25・26・27代)、全国市長会会長(第24代)、水資源開発公団総裁、建設事務次官を歴任。 北海道夕張郡夕張町(現:夕張市)出身。北海道立夕張中学校から北海道大学工学部土木工学科を卒業後、1952年に建設省に入省。建設事務次官を経て、1986年には水資源開発公団の総裁に就任した。 1990年2月15日、横浜市長の細郷道一が任期中に病死。細郷の死去に伴い4月8日に行われた市長選に、自民党幹事長在任中の小沢一郎や自民党の派閥で当時最大最強の経世会会長金丸信の後押しを受けて立候補。
小野 二郎(おの じろう、1929年8月18日 - 1982… 小野 二郎(おの じろう、1929年8月18日 - 1982年4月26日)は、日本の英文学者、思想家。 1929年、東京府高円寺で生まれた。1947年、東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を卒業。東京大学教養学部教養学科イギリス科で学び、1955年に卒業。同大学院比較文学比較文化に進み、1958年に修士課程を修了した。 卒業後は出版社の弘文堂に勤務し、谷川雁の評論集「原点が存在する」や「現代芸術論叢書」シリーズを企画し、師の島田謹二『ロシヤにおける広瀬武夫』や、澁澤龍彦『サド復活』、篠田一士『邯鄲にて』等多くを刊行した。 1960年、中村勝哉と共に晶文社を設立し、のち編集顧問。弘文堂を退職し、東海大学専任講師となった。
鈴木 治彦(すずき はるひこ、1929年8月18日 - )は… 鈴木 治彦(すずき はるひこ、1929年8月18日 - )は、日本のアナウンサー。愛称は「治さん」。味の素創業者一族・鈴木家の一人。 神奈川県藤沢市辻堂出身で、第二次世界大戦後に茅ヶ崎市へ転居して以来、茅ヶ崎に在住。慶應義塾中等部3年生の時に相撲中継がやりたくてアナウンサーへの道を志す。 1955年4月、第4期アナウンサーとしてラジオ東京(現在のTBS)入社(同期には田畑国夫・増子智英・松野道男・柳広武・大沢嘉子・杉田喜代子・高橋作子・松浦園子)。1966年1月にラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部に所属、1967年11月15日にはアナウンサー研修室設置に伴いチーフ・アナウンサーへ就任。その後、テレビ本部編成局朝ワイド制作部兼ラジオ局アナウンス室(1971年2月)、報道局朝ワイド制作部(1976年11月)、第二制作局朝ワイド制作部(1979年12月)、第二制作局(1981年7月)をそれぞれ歴任。
坂本 卓(さかもと たかし、1929年8月18日 - 202… 坂本 卓(さかもと たかし、1929年8月18日 - 2024年6月29日)は、日本の経営者。新日鉱ホールディングス会長を務めた。東京都出身。 1953年に東京大学理学部鉱物学科を卒業し、同年に日本鉱業に入社。1981年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1992年6月に副社長に就任し、同年12月には取締役に降格。1992年6月に日鉱金属副社長にも就任し、1996年6月には社長に昇格し、2002年4月に会長に就任し、同年9月には相談役と新日鉱ホールディングス会長に就任し、翌年6月には相談役に専任。2006年6月から特別顧問を務めた。 1996年11月に藍綬褒章を受章。 2024年6月29日、肺炎のため死去。
村野 鐵太郎(むらの てつたろう、1929年8月18日 - … 村野 鐵太郎(むらの てつたろう、1929年8月18日 - 2020年7月)は、日本の映画監督。 鹿児島県鹿児島市大黒町出身。東京商船大学を受験する予定だったが、ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』を観た影響で、早稲田大学に入学。同期には篠田正浩、和田勉がいた。 大学を卒業後大映に入社、最初は東京撮影所企画部に所属、助監督部に移籍すると溝口健二、増村保造などの作品を担当、1960年には『青い嵐』で監督デビュー。『闇を裂く一発』を監督したのを最後に大映を離れた。その後は石原裕次郎主演の『富士山頂』を監督した。 1979年には『月山』で芸術選奨文部大臣賞を受賞、アカデミー外国語映画賞日本代表になった。
伊達 宗克(だて むねかつ、1928年(昭和3年)8月18日… 伊達 宗克(だて むねかつ、1928年(昭和3年)8月18日 - 1988年(昭和63年)1月15日)は日本のジャーナリスト。 旧宇和島藩主伊達宗城の七男(八男とも)伊達宗倫を祖とする伊達男爵家の伊達宗光の長男として愛媛県に生まれる。宗光が昭和3年11月に隠居した後に男爵位を継承。旧制松山中学校、日本大学芸術科を経て同大法学部新聞学科を卒業。1954年8月、東京日日新聞社会部からNHKに移り放送記者となる。 1970年(昭和45年)11月25日に、交流のあった三島由紀夫から徳岡孝夫(当時:サンデー毎日の記者)と共に、遺書と檄文を受け取り、三島事件の目撃者となった。事件裁判を傍聴し、編著『裁判記録「三島由紀夫事件」』を刊行。
高木 豊(たかぎ ゆたか、1928年8月18日 - 1999… 高木 豊(たかぎ ゆたか、1928年8月18日 - 1999年5月10日)は、日本の歴史学者。立正大学名誉教授。専攻は日本中世仏教史。日蓮宗の信徒。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。1951年東京文理科大学史学科(国史)卒業。1952年立正大学仏教学部宗学科助手。1956年立正大学仏教学部講師。1959年同助教授、日蓮教学研究所所員。1966年立正大学短期大学部教授、法華経文化研究所資料部副部長。1967年立正大学教養部教授。1970年「日蓮の宗教の社会的展開に関する研究」で文学博士(東京教育大学)。この間、東京教育大学・日本女子大学・東北大学・千葉大学の非常勤講師を兼務。1972年立正大学学長補佐(1980年まで)。
金馬 昭郎(きんば あきお、1927年8月18日 - 201… 金馬 昭郎(きんば あきお、1927年8月18日 - 2019年4月15日)は、日本の実業家。京阪電気鉄道社長、会長などを務めた。 大分県大分市出身。大分県立大分上野丘高等学校、東京大学第二工学部土木工学科卒業。1951年4月、京阪電気鉄道に入社。主に技術畑を歩み、1977年から取締役、常務、専務を経て1992年から副社長。1995年から社長に就任。京阪神急行電鉄(1943年に阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併して発足。企業としては現在の阪急阪神ホールディングス)から京阪電鉄が再分離した後に入社した、初の社長となった。社長時代は子会社の整理など事業の構造改革に取り組んだ。2001年に社長を退任。尚、後任の社長の佐藤茂雄も同郷・大分県出身である。
城山 三郎(しろやま さぶろう、1927年(昭和2年)8月1… 城山 三郎(しろやま さぶろう、1927年(昭和2年)8月18日 - 2007年(平成19年)3月22日)は、日本の小説家。本名は、杉浦 英一(すぎうら えいいち)。
細田 安兵衛(ほそだ やすべえ、1927年8月18日 - 2… 細田 安兵衛(ほそだ やすべえ、1927年8月18日 - 2021年11月3日)は、日本の実業家。榮太樓總本鋪第6代社長、相談役。幼名は恕夫。 1927年東京都中央区日本橋一丁目生まれ。1950年慶應義塾大学経済学部卒業。株式会社榮太樓總本鋪入社。1972年代表取締役社長に就任。1995年代表取締役会長に就任。2000年相談役に就任。
辻内 順平(つじうち じゅんぺい、1927年〈昭和2年〉8月… 辻内 順平(つじうち じゅんぺい、1927年〈昭和2年〉8月18日 - 2024年〈令和6年〉12月29日)は、日本の物理工学者。専門は応用光学。東京工業大学名誉教授。応用物理学会会長(1988年度-1989年度)。工学博士。 1927年8月18日、和歌山県那賀郡粉河町に生まれた。旧制第八高等学校を経て、1951年に東京大学理学部天文学科を卒業した。同年、通商産業省工業技術院機械試験所(現在の産業技術総合研究所)に入所し、光学顕微鏡の結像特性に関する研究に携わった。1958年9月から1960年4月まで、フランス政府技術留学生およびCNRS研究員として、パリの光学研究所に在籍し、光学研究に従事した。
渡辺 宏(わたなべ ひろし、1927年8月18日 - 200… 渡辺 宏(わたなべ ひろし、1927年8月18日 - 2007年7月17日)は、日本の経営者、理学博士。日立マクセル社長を務めた。 長野県出身。1952年に東京大学理学部物理学科を卒業し、同年に日立製作所に入社。1973年11月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1983年6月に専務、1985年6月に副社長を経て、1989年6月には日立マクセル社長に就任。1995年6月から相談役を務めた。1996年6月に東電工業監査役に就任。 1989年4月に藍綬褒章を受章。 2007年7月17日虚血性心疾患のために死去。79歳没。
坂本 昇一(さかもと しょういち、1927年(昭和2年)8月… 坂本 昇一(さかもと しょういち、1927年(昭和2年)8月18日 - )は、日本の教育学者。千葉大学名誉教授。 神奈川県川崎市生まれ。1945年海軍兵学校中退、1947年(旧制)横浜工業専門学校(のち横浜国立大学工学部)卒業、横浜市の中学校教諭となり、1956年東京教育大学卒、64年同大学院博士課程満期退学後、都立教育研究所員。千葉大学教育学部助教授、教授。1970年「アメリカのガイダンスにおける哲学的前提に関する研究」で東京教育大学より教育学博士の学位を取得。1992年千葉大を定年退官、名誉教授、聖徳大学教授、同児童学研究所長。文部省の「児童生徒の問題行動に関する調査研究協力者会議」主査。1998年「学校は万能ではない」として限界主義の答申を行う。
宗藤 尚三(むねとう しょうぞう、1927年(昭和2年)8月… 宗藤 尚三(むねとう しょうぞう、1927年(昭和2年)8月18日 - 2016年(平成28年)10月30日)は、日本の随筆家であり、牧師、教育者、被爆者でもある。倉田百三の甥。 広島市内にて、アメリカによる原子爆弾の爆心地から約1kmの至近距離で被爆。生死をさまようも89歳の長寿を全うした。一般市民をも標的にした原爆投下について、被爆者としては珍しくアメリカに恨みを持つのではなく、軍事主義であった日本国の責任もあると語った。中立の立場から平和について語り、多くの書籍を出版した。死の境目であった己が生かされていることを神に感謝し、宗教学者として様々な宗教への関わりや知識がある。 被爆の後に広島大学中退、東京神学大学大学院修了。
林 董一(はやし とういち、1927年8月18日 - 201… 林 董一(はやし とういち、1927年8月18日 - 2018年9月21日)は、日本の法制史学者。 名古屋市東区七間町(現・中区錦三丁目)、伸銅品販売の小舗岐阜屋東助こと、岐阜東商店の長男として出生。名古屋薬学専門学校(現・名古屋市立大学薬学部)、名古屋帝国大学法学部から、名古屋大学大学院(旧制)に進み、1959年修了。1957年愛知学院大学法学部講師に嘱任、助教授、教授となり、2004年定年、名誉教授。日本法制史担当。1962年「尾張藩公法史の研究」で京都大学法学博士(旧制)の学位を受く。薬剤師免許。城山三郎の妹を妻とする(生年月日も城山と同じである)。
竹内 黎一(たけうち れいいち、1926年8月18日 - 2… 竹内 黎一(たけうち れいいち、1926年8月18日 - 2015年9月5日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲章は勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(10期)、科学技術庁長官(第38代)、原子力委員会委員長(第38代)、衆議院外務委員長・環境委員長等を歴任した。 父は青森県知事や衆議院議員を務めた竹内俊吉。 青森県黒石市生まれ。旧制青森中学校、旧制弘前高等学校、東京大学経済学部卒業。東大卒業後、毎日新聞社に入社。毎日新聞の政治記者、運輸大臣秘書官を経て、1963年の第30回衆議院議員総選挙に、青森県知事に転身した父・俊吉に代わって旧青森2区(定数3)から無所属で立候補し、得票数トップで初当選した(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・奥野誠亮らがいる)。
阿部 宏(あべ ひろし、1926年8月18日 - 2014年… 阿部 宏(あべ ひろし、1926年8月18日 - 2014年12月26日)は、日本の英文学者。 宮城県仙台市生まれ。1951年東北大学文学部英文科卒、東北大学教養部助教授、文学部教授、1989年定年退官、名誉教授、いわき明星大学人文学部教授。1997年退職。長男は哲学者の阿部宏慈・山形大学教授。 2014年12月26日、肺炎のため死去。
北村 翼(きたむら よく、1926年〈大正15年〉8月18日… 北村 翼(きたむら よく、1926年〈大正15年〉8月18日 - 2020年〈令和2年〉8月15日)は、日本の政治家。和歌山県橋本市長(3期)。和歌山県議会議員(2期)。位階は正五位。旭日小綬章受章。 和歌山県出身。旧制和歌山県立伊都中学校(のち和歌山県立伊都高等学校、現・和歌山県立伊都中央高等学校)卒。橋本市助役、橋本市議会議員を経て、和歌山県議会議員に当選、2期務める。1993年〈平成5年〉橋本市長選挙に立候補し無投票で当選する。1997年〈平成9年〉も無投票当選。2001年〈平成13年〉の市長選挙で三選した。2005年〈平成17年〉に退任。2006年春の叙勲で旭日小綬章を受章。2020年〈令和2年〉死去。
後藤 善猛(ごとう ぜんみょう、1926年8月18日 - 2… 後藤 善猛(ごとう ぜんみょう、1926年8月18日 - 2008年10月18日)は、日本の真言宗の僧侶。徳島県阿南市にある真言宗大覚寺派・梅谷寺住職。 徳島県出身。京都大学大学院文学研究科(哲学)修了。鳴門工業高等学校、徳島県立脇町高等学校、徳島県立城南高等学校校長を歴任。その後高野山に登り、大覚寺教学研究室審議委員、洛南高等学校・附属中学校校長。1997年に密教教化賞を受賞。
青木 龍山(あおき りゅうざん、1926年8月18日 - 2… 青木 龍山(あおき りゅうざん、1926年8月18日 - 2008年4月23日)は、日本の陶芸家である。 佐賀県西松浦郡有田町生まれ。本名は久重(ひさしげ)。多摩美術大学日本画科卒業。染め付けや色絵の白磁の町・有田で、漆黒の天目釉を中心とした作陶で知られる異色の作家。位階は従三位。 1926年(大正15年)有田町の陶磁器製造販売会社の長男として生まれる。佐賀県西松浦郡有田町外尾山の陶磁器製造販売会社「青木兄弟商会」の長男として生まれ、外尾尋常小学校に通う。佐賀県立有田工業学校を経て、1951年(昭和26年)多摩美術大学日本画科を卒業すると同時に、神奈川県の法政大学第二高等学校および法政大学女子高等学校の美術教師となり、以後二年間勤務するが、父に呼び戻されて、祖父の興した会社に入る。
小澤 重男(小沢 重男、おざわ しげお、1926年8月18日… 小澤 重男(小沢 重男、おざわ しげお、1926年8月18日 - 2017年3月21日)は、日本のモンゴル語学者。 東京生まれ。1947年東京外事専門学校蒙古科卒業。1951年東京大学文学部言語学科卒業。1951年東京外国語大学講師、助教授、教授、1977年「中世蒙古語形態論の研究」で東洋大学文学博士。89年東京外大を定年退官、名誉教授。モンゴル語の研究に従事。モンゴル国立ウランバートル大学名誉教授、内蒙古大学名誉教授、モンゴル科学アカデミー海外会員・国際モンゴル学会会長・日本モンゴル学会名誉会長。
佐藤 光(さとう あきら、1925年 <大正14年> 8月1… 佐藤 光(さとう あきら、1925年 <大正14年> 8月18日 - 2001年 <平成13年> 1月9日 )は、日本の銀行家。岩手銀行頭取を務めた。位階は正五位。 岩手県気仙郡三陸町(現大船渡市)出身。1947年9月に横浜経済専門学校を卒業し、1949年4月岩手殖産銀行(のちの岩手銀行)に入行。1974年11月に取締役に就任し、1979年12月に常務、1984年5月に専務を経て、1989年6月に頭取に就任。1996年6月に会長に退いた。 2001年1月9日、盛岡市内の病院で死去。75歳没。膀胱腫瘍につき入院していた最中の訃報となった。死没日付をもって正五位に叙され、勲三等瑞宝章を追贈された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
伊豆野 一郎(いずの いちろう、1925年(大正14年)8月… 伊豆野 一郎(いずの いちろう、1925年(大正14年)8月18日 - 2001年(平成13年)6月7日)は、昭和から平成時代の政治家。新潟県両津市長。 新潟県出身。両津高等小学校卒業。 両津市議会議員2期、新潟県議会議員2期を経て、1984年(昭和59年)両津市長に当選。3期務め、1995年(平成7年)引退した。
小坂 隆(こさか たかし、1925年8月18日 - 1989… 小坂 隆(こさか たかし、1925年8月18日 - 1989年11月26日)は、日本の政治家。広島県竹原市長(1期)。 広島県竹原市出身。広島県立忠海中学校卒業。竹原町議会議員、同市議、同議長となる。その一方、竹原市で中国通運を創業し、社長となる。また、中通冷蔵、中通倉庫を創業し、各社長となる。1986年竹原市長に当選。市長在任中の1989年に死去した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
増岡 康治(ますおか こうじ、1924年〈大正13年〉8月1… 増岡 康治(ますおか こうじ、1924年〈大正13年〉8月18日 - 1996年〈平成8年〉12月2日)は、日本の内務及び建設官僚、政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。 広島県広島市出身。旧制広島一中、旧制広島高校を経て1946年東京帝国大学工学部土木工学科卒。同年内務省に入る。1948年、建設省発足に伴い同省に移る。1972年北陸地方建設局長、1974年河川局長に就任する。1976年に退官。翌年の第11回参議院議員通常選挙に全国区から自民党公認で立候補して当選した。1981年鈴木善幸改造内閣で大蔵政務次官に就任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。1991年に首都圏建設資源高度センター社長に就任した。
大陽寺 順一/菅 順一(たいようじ じゅんいち/すが じゅん… 大陽寺 順一/菅 順一(たいようじ じゅんいち/すが じゅんいち、1924年8月18日 - 1995年5月5日)は、日本の社会政策学者。一橋大学名誉教授。元社会政策学会代表幹事。 東京市芝区白金で菅礼之助の四男として生まれ、のち菅礼之助義兄 大陽寺順儀に跡取りがいなかったため同家の養子となる。1942年、府立第一中学校(現 都立日比谷高校)卒業。1947年、旧制東京商科大学(現 一橋大学)卒業。中山伊知郎ゼミ出身。井藤半彌門下。1950年一橋大学社会学部助手。1953年講師。1956年助教授。1966年教授。1988年定年退官、名誉教授、八千代国際大学政治経済学部教授。1992年同図書館長。 社会政策本質論、ドイツ社会政策史などを研究し、1976年から1978年まで社会政策学会代表幹事も務めた。
髙野 鎮雄(たかの しずお、1923年8月18日 - 199… 髙野 鎮雄(たかの しずお、1923年8月18日 - 1992年1月19日)は、日本ビクターの元副社長。事業部長だった頃にVHSの開発を指揮し、「VHSの父」「ミスターVHS」と呼ばれる。1986年に副社長に就任した。 愛知県碧海郡依佐美村(現・安城市)出身。旧制刈谷中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)、浜松高等工業学校精密機械科(現・静岡大学工学部)を卒業。 日本光学工業(現・ニコン)に入社後、応召。1946年、日本ビクターに入社。 1986年6月、副社長に就任。エミー賞受賞。1989年、藍綬褒章受章。 1992年1月19日、死去。68歳没。墓は刈谷市の昌福寺にある。 VHS開発の経緯はNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で2000年4月4日に放送された「窓際族が世界規格を作った~VHS・執念の逆転劇~」で紹介され、大きな反響を呼んだ。
松本 和雄(まつもと かずお、1923年8月18日 - )は… 松本 和雄(まつもと かずお、1923年8月18日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは遊撃手。
大塚 清六(おおつか せいろく、1923年8月18日 - 1… 大塚 清六(おおつか せいろく、1923年8月18日 - 1974年6月5日)は、日本の画家、イラストレーター、装幀家、グラフィックデザイナー。先駆的なミニマリストとしても知られる。 1950年代から1970年代前半にかけて、小説の挿絵や装幀、油彩画などを手がける一方、商業デザインでも活躍。1962年(昭和37年)からは広瀬鎌二設計の自邸「SH-60」に居住した。 1923年(大正12年)8月18日、福島県喜多方町(現:喜多方市)に生まれる。女手ひとつで育てられ、町立喜多方幼稚園、喜多方小学校を経て、1941年(昭和16年)に喜多方商業学校を卒業する。1943年(昭和18年)、父親の位牌を鉈で割って上京し、東京美術学校に入学。
羽藤 一志(はとう かずし、1922年(大正11年)8月18… 羽藤 一志(はとう かずし、1922年(大正11年)8月18日 - 1942年(昭和17年)9月13日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争のエース・パイロット。戦死による特進で最終階級は二等飛行兵曹。 1922年8月18日、愛媛県今治市(旧越智郡玉川町)に生まれる。生後、父親の仕事で今治市常盤町に転居。父親が早くに亡くなり、母親が再婚、異父兄弟の妹と弟がいたが、兄弟仲は良かった。 1938年(昭和13年)6月、海軍飛行予科練習生乙飛9期生として入隊。同期の本間猛は、羽藤は予科練時代から温和な優男であり、級友は羽藤が戦闘機に行ったというので「羽藤が戦闘機にねえ」と言ったが、ひとたび戦場に出るや、闘志満々、戦意旺盛、零戦を駆って縦横無尽の活躍をして敵機十数機を撃墜したと語っている。
明田 鉄男(あけた てつお、1921年8月18日 - )は、… 明田 鉄男(あけた てつお、1921年8月18日 - )は、日本の歴史家、文筆家。 愛媛県出身。京都大学法学部卒。読売新聞大阪本社記者、論説委員。1964年小説「月明に飛ぶ」でオール読物新人賞受賞。のち、霊山歴史館主任研究員、滋賀女子短期大学教授。 1993年、著書『日本花街史』で、島原の揚屋として寛永以来使われ、国の重文にも指定されている「角屋(すみや)」の中川徳右衛門・十三代当主と、財団法人「角屋保存会」が、明田と雄山閣出版を相手に「内部の写真を無断で掲載、角屋が女性の自由を奪ったような表現で名誉を傷つけられた」などとして全国紙への謝罪広告と保存会、中川当主に各250万円の損害賠償を求める訴えを京都地裁に起こした。
皆川 洸(みながわ たけし、1920年8月18日 - 198… 皆川 洸(みながわ たけし、1920年8月18日 - 1984年3月3日)は、日本の国際法学者。法学博士。上智大学法学部教授を経て、指導教官大平善梧の招きで後継者として一橋大学法学部教授に着任するが、在任中死去し、後任には大平門下の桑原輝路が就いた。正四位・勲三等旭日中綬章。国際法学会名誉理事。世界法学会理事。 他にゼミ出身者に内閣府副大臣等を務めた末松義規衆議院議員などがいる。
斎藤 純忠(さいとう じゅんちゅう、1918年(大正7年)8… 斎藤 純忠(さいとう じゅんちゅう、1918年(大正7年)8月18日 - 2010年(平成22年)10月21日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県戸田市長。日蓮宗の僧。妙顕寺住職。 埼玉県北足立郡戸田村(戸田町を経て現戸田市)出身。1941年(昭和16年)立正大学文学部卒業。戸田市助役を経て、1974年(昭和49年)以来、戸田市長に6選した。市長在任中は、道路・下水道整備、公共施設建設、埼京線の駅の誘致などに取り組んだ。
森 重敏(もり しげとし、1917年8月18日 - 2012… 森 重敏(もり しげとし、1917年8月18日 - 2012年3月14日)は、日本の教育心理学者、東京都立大学名誉教授。 大分県出身。1938年第五高等学校中退、小学校の代用教員、日中戦争(日華事変)で召集、ノモンハンへ行き、帰国後高校再入学、卒業。1942年東京帝国大学入学、1945年心理学科卒業、大学院進学、1954年鹿児島の八幡幼稚園園長、島根大学助教授、東京家政大学助教授、東京都立大学教授、1972年「わが国における優秀児の心理学的研究」で立教大学文学博士。1981年定年退官、名誉教授、創価大学教育学部教授。特任教授、1993年満期退任。同年、勲三等瑞宝章を受章。2012年3月14日、肺炎のため死去。