奥平 剛士(おくだいら つよし、1945年(昭和20年)7月… 奥平 剛士(おくだいら つよし、1945年(昭和20年)7月21日 - 1972年(昭和47年)5月30日)は、日本の新左翼活動家、テロリスト、革命家。日本赤軍創設メンバーで最高幹部。同じく日本赤軍メンバーの重信房子は戸籍上の妻、奥平純三は弟。重信など関係者の手記、支援者間の会報等ではアラブ名「バーシム」と書かれていることがある。 山口県下関市生まれ。1960年に山口県立下関西高等学校に入学したが、6月に岡山県立岡山朝日高等学校に転校。 1964年、京都大学工学部に入学。在学中の奥平は京都・九条でセツルメント活動をしており、日本共産党系の青年団体である日本民主青年同盟(民青同盟)の同盟員にもなっていた。
千 宗守(せん そうしゅ、1945年(昭和20年)7月21日… 千 宗守(せん そうしゅ、1945年(昭和20年)7月21日 - )は、日本の茶人。武者小路千家第14代家元。公益財団法人官休庵理事長。京都府京都市生まれ。 洛星中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学院文学研究科美学美術史専攻修士課程修了。 1989年(平成元年)12月、武者小路千家第14代家元を継承し「宗守」を襲名。1997年(平成9年)、第15回京都府文化賞功労賞を受賞。 東京芸術大学、大阪音楽大学、大手前大学、帝塚山学院大学客員教授を歴任。
佐藤 清(さとう きよし、1944年(昭和19年)7月21日… 佐藤 清(さとう きよし、1944年(昭和19年)7月21日 - )は、日本の政治家。元山形県村山市長(2期)、元村山市議会議員(6期)。 山形市立商業高等学校卒業。1983年、村山市議会議員に初当選(日本社会党、のち社会民主党)。村山市議を6期務める。2005年、当時の村山市長菊池汪夫が市職員採用を巡る受託収賄容疑で逮捕された。同年の市長選挙に立候補し、初当選する。2009年に元村山市職員の志布隆夫らを破って再選。2013年の市長選では再び立候補した志布に敗れた。
平山 征夫(ひらやま いくお、1944年〈昭和19年〉7月2… 平山 征夫(ひらやま いくお、1944年〈昭和19年〉7月21日 - )は、日本の政治家、大学教員。新潟県知事(公選第14・15・16代、在任1992年 - 2004年)。新潟県知事時代に大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレを発案し、開催に漕ぎ着けた。長岡技術科学大学特任教授、事業創造大学院大学非常勤教員。新潟国際情報大学前学長(在任2008年 - 2018年)。 東京佐川急便事件に関わったとして金子清が辞職したことに伴い行われた1992年新潟県知事選挙にて、自民党と社会党からの推薦を受け出馬し、長﨑明を破り当選した。ロシアとの交流に積極的であり、1994年8月には新潟市にロシア総領事館を開設することなった。
赤堀 侃司(あかほり かんじ、1944年7月21日 - )は… 赤堀 侃司(あかほり かんじ、1944年7月21日 - )は、日本の教育工学者。東京工業大学名誉教授。日本教育情報化振興会名誉会長。元日本教育工学会会長。 広島県呉市生まれ。1967年静岡大学理学部物理学科卒業。1969年東京工業大学大学院理工学研究科物理学専攻修了、理学修士。1989年東京工業大学工学博士。 静岡県立清水南高等学校教諭、東京学芸大学講師、同助教授、東京工業大学助教授、同教授、同名誉教授、白鷗大学理事・教授・教育学部長、国連大学高等研究所客員教授、コンピュータ教育開発センター理事長等を歴任。 2005年日本教育工学会会長。2012年日本教育情報化振興会会長。2015年ICT CONNECT21(みらいのまなび共創会議)会長。
福島 資剛(ふくしま もとたけ、1944年7月21日 - )… 福島 資剛(ふくしま もとたけ、1944年7月21日 - )は、日本の元俳優である。 長野県松本市出身。明治大学卒業。 大学在学中にアルバイトを兼ねて劇団民芸に大道具係として入団。その後、俳優を志すようになり劇団青俳に移籍する。 1972年、青俳同期であり親友でもあった戸野広浩司の事故死に伴い『快傑ライオン丸』のタイガージョー / 虎錠之介役の依頼を受けたものの一度は辞退。最終的に同期生で戸野広と親交が深かった俳優・狭間鉄の勧めを受ける形で演じることを承諾し、第42話「殺しの流れ者 キルゴッド」より虎錠之介役で出演する。しかし乗馬が得意だった戸野広と違い福島は全く馬に乗れなかったため、福島に交替後の錠之介は乗馬のシーンが無くなった。
浜田 一義(はまだ かずよし、1943年(昭和18年)7月2… 浜田 一義(はまだ かずよし、1943年(昭和18年)7月21日 - )は、日本の政治家。第2代広島県安芸高田市長(3期)、元吉田町長。 広島県吉田町(現・安芸高田市)生まれ。広島県立広島工業高等学校、日本大学理工学部卒業。 建設省研究員、広島県庁職員などを経て吉田町長に就任。吉田町は2004年(平成16年)3月1日に、八千代町、美土里町、高宮町、甲田町、向原町と新設合併を行い廃止。安芸高田市が誕生する。これに伴って町長を退任。 4年後、2008年(平成20年)4月6日に行われた安芸高田市長選挙に立候補。元副市長の増元正信と前市議の熊高昌三を破り初当選した。4月18日、市長就任。 2012年(平成24年)、無投票で再選。
藤田 昌久(ふじた まさひさ、1943年7月21日 - )は… 藤田 昌久(ふじた まさひさ、1943年7月21日 - )は、日本の経済学者。独立行政法人経済産業研究所所長。京都大学名誉教授。専門は都市経済学、空間経済学。 1943年、山口県に生まれる。京都大学工学部を卒業し、ペンシルベニア大学でウォルター・アイザードに地域科学(英語版)を学ぶ。1972年に同大学よりPh.D. (in Regional Science) を取得。 ポール・クルーグマンらとの共同研究により、アイザードの地域科学論を経済学に応用することで行った空間経済学の構築と発展へ多大な貢献を行った。
服部 信吾(はっとり しんご、1942年7月21日 - 19… 服部 信吾(はっとり しんご、1942年7月21日 - 1987年4月25日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 1942年(昭和17年)神奈川県横浜市神奈川区生まれ。1955年(昭和30年)横浜市立一本松小学校卒業。1965年(昭和40年)慶應義塾大学卒業。大学在学中はボクシング部所属。 その後、公明党衆議院議員伏木和雄の秘書を務める。1974年(昭和49年)横浜市会議員補欠選挙(西区選挙区)に立候補し落選するも、翌1975年(昭和50年)横浜市会議員選挙に再び西区選挙区から立候補し、当選し、2期務める。1966年5月に横浜市鶴見区臨港鶴見川橋付近で発生した殺人事件被害者の両親が始めた犯罪被害者補償法制定運動(映画『衝動殺人 息子よ』のモデル)に伏木の秘書時代から関わり、横浜市議事務所の一部を運動関係者に開放した。
川谷 拓三(かわたに たくぞう、1941年〈昭和16年〉7月… 川谷 拓三(かわたに たくぞう、1941年〈昭和16年〉7月21日 - 1995年〈平成7年〉12月22日)は、日本の俳優。本名は仁科 拓三(にしな たくぞう・旧姓:川谷)。愛称は拓ボン。身長163cm。 大部屋俳優から上り詰め、昭和を中心に活躍した名優の一人。"3000回殺された男""不世出の役者バカ"とも評された。 仁科貴は長男、仁科扶紀は長女、仁科熊彦は岳父、岡島艶子は丈母にあたる。大叔父(実母の叔父)に伊沢一郎がいる。 父・川谷庄平は1915年に17歳で日活京都にカメラ助手として入社、牧野省三作品や尾上松之助の映画を撮り、1927年に日活を退社するまでに、主に築山光吉とコンビで237本の映画を撮影したカメラマンで1975年没。
中野 一新(なかの いっしん、1940年7月21日 - 20… 中野 一新(なかの いっしん、1940年7月21日 - 2024年4月22日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門は、農業経済論、アグリビジネス論、地域経済論。経済学博士(京都大学、1987年)。東京都生まれ。
井上 隆雄(いのうえ たかお、1940年(昭和15年)7月2… 井上 隆雄(いのうえ たかお、1940年(昭和15年)7月21日 - 2016年(平成28年)7月21日)は、日本の写真家。日本写真家協会・日本ペンクラブ・民族芸術学会・日本写真学会、各会員。滋賀県大津市出身。 1965年(昭和40年)京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)卒業、1973年(昭和48年)写真家として独立。 2016年(平成28年)7月21日、肺炎のため京都市内の病院で死去、享年76歳。 主に民族芸術・仏教美術・生活などを企画撮影し、アジアを中心に世界各地を撮影した後、京都を中心に取材を重ねた。自然の撮影もライフワークの一つだった。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
玉井 清弘(たまい きよひろ、1940年7月21日 - )は… 玉井 清弘(たまい きよひろ、1940年7月21日 - )は、日本の歌人。歌誌「音」選者・編集運営委員会。香川県高松市在住。令和6年6月3日現在。 愛媛県西条市生まれ。國學院大学文学部日本文学科卒業。元香川県立高等学校教諭。 1965年、窪田章一郎の「まひる野」に入会。1982年、武川忠一の「音」に参加。四国を拠点とし、自らの住む所を詠み続ける地方歌人の代表的存在である。四国新聞、愛媛新聞、朝日新聞四国版の歌壇選者。
笠原 章平(かさはら しょうへい、1939年7月21日 - … 笠原 章平(かさはら しょうへい、1939年7月21日 - )は、日本のハンマー投選手。 1964年東京オリンピックに出場した。 埼玉県比企郡竹沢村(現在の小川町)出身、埼玉県立松山高等学校に入学。兄が松山高校の陸上部元主将であった縁で、陸上部に属することとなった。ハンマー投げは高校在学中から始め、県大会優勝やインターハイ準優勝といった成績を残した。 中央大学に進学。1962年(昭和37年)に中央大学を卒業し、東急電鉄に入社、実業団チームに属する。1964年(昭和39年)8月の記録会で、自己最高記録(65m01)を出す。1964年東京オリンピックのハンマー投で出場するが、予選落ち。後年の取材によれば「周囲の期待を裏切ってしまったという申し訳なさから、東京五輪出場の話題は長く封印してきた」という。
松村 満美子(まつむら まみこ、1939年7月21日 - 2… 松村 満美子(まつむら まみこ、1939年7月21日 - 2020年8月1日)は、日本の社会福祉活動家・フリーアナウンサー・元NHKアナウンサー。晩年は特定非営利活動法人腎臓サポート協会の理事長を務めており、主にジャーナリスト、評論家として活動していた。 1939年、東京の四谷生まれ。1958年、千葉大学文理学部入学。大学時代は放送部と英語会話部に所属していた。同大学卒業後、1962年NHKにアナウンサーとして入局。1968年、産休中に民放に誘われNHKを退職。その後はフリーのアナウンサーとして活動。2001年、腎臓サポート協会設立の主唱者のひとりとして代表に就任。2005年7月、特定非営利活動法人認可後、理事長に就任。
川地 民夫(かわち たみお、1938年〈昭和13年〉7月21… 川地 民夫(かわち たみお、1938年〈昭和13年〉7月21日 - 2018年〈平成30年〉2月10日)は、日本の俳優。神奈川県逗子市出身。本名は河地猛。 1938年、神奈川県逗子市に生まれる。逗子開成高等学校卒業、関東学院大学工学部中退。 大学1年の頃に逗子の家の隣に石原裕次郎が住んでいたのが縁で裕次郎の勧めもあり日活に入社する。1958年、『陽のあたる坂道』でデビュー。小林旭、沢本忠雄と「三悪トリオ」として売り出し、アクション物、青春物に次々と主演する。その後、脇役に転じてから独特の個性に磨きがかかり、特に1963年の『野獣の青春』以来、鈴木清順監督に重用された。 日活退社後は、東映への出演が多く、特に1971年から9本作られた『まむしの兄弟』シリーズで見せたユーモラスな演技は、大いに人気を博した。
則定 衛(のりさだ まもる、1938年7月21日 - )は、… 則定 衛(のりさだ まもる、1938年7月21日 - )は、日本の元検察官、弁護士。大阪府出身。 1999年、月刊誌「噂の眞相」5月号が「高検検事長が愛人ホステスを公費出張に同伴し偽名で宿泊、愛人と別れる際には慰謝料をパチンコ業者に肩代わりさせた」という女性スキャンダルをスクープとして報道し、朝日新聞が同年4月9日付でこれを引用する形で一面トップ記事としたことから主要新聞、スポーツ紙、週刊誌も大々的にこの問題を報じ、混乱の責任をとらされる形で辞任に追い込まれた。女性スキャンダルがここまで大きくなった背景には、時の法相・中村正三郎が指揮権を発動しようとするなど権力の私的行使により辞職するなど法務省・捜査当局に対する世間の厳しい風当たりや、ゴシップ誌の「噂の真相」を新聞が引用する形で一面記事にするという極めて異例な報道展開であったことも一因にある。
大塚 明彦(おおつか あきひこ、1937年(昭和12年)7月… 大塚 明彦(おおつか あきひこ、1937年(昭和12年)7月21日 - 2014年(平成26年)11月28日)は、日本の実業家。大塚製薬元代表取締役社長、大塚ホールディングス初代会長。 1937年(昭和12年)、徳島県鳴門市に生まれる。父は大塚製薬初代社長で実質的な創業者の大塚正士。長男は大塚ホールディングス会長の大塚一郎。二男は大塚二郎。長女は大塚知子。 1960年(昭和35年)、中央大学工学部を卒業。大塚製薬に入社して、取締役、常務、副社長を経て、1976年(昭和51年)に社長に就任。1977年(昭和52年)に大塚食品社長、1982年(昭和57年)に日本抗体研究所会長。大鵬薬品工業、アース製薬の会長をそれぞれ兼務。
大野咲 慎祐(おおのさき しんすけ、1937年7月21日 -… 大野咲 慎祐(おおのさき しんすけ、1937年7月21日 - 没年不明)は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 晋。現在の秋田県北秋田市出身。174cm、92kg。最高位は西十両4枚目。得意技は左四つ、寄り。 1951年9月場所に初土俵。当初は序ノ口、序二段で勝ち越せずに苦戦したが、1954年9月場所で入門して初めての勝ち越しを決めると、そこから勝ち越しを続けていき、1961年5月場所に十両昇進。1961年11月場所には自己最高位となる十両4枚目まで番付を上げるも入幕は果たせなかった。1962年9月場所で幕下陥落すると、以降十両へ復帰できずに幕下下位で3勝4敗と負け越した1963年9月場所限りで廃業した。
工藤 正明(くどう まさあき、1936年7月21日 - 20… 工藤 正明(くどう まさあき、1936年7月21日 - 2011年5月13日)は、北海道出身のプロ野球選手。 北海高校では1953年選抜高校野球大会から4季連続で甲子園に出場した。 1955年に読売ジャイアンツへ入団。1959年に退団し、その後は地元の電電北海道でプレーした。
9代目 三笑亭 可楽(さんしょうてい からく、1936年7月… 9代目 三笑亭 可楽(さんしょうてい からく、1936年7月21日 - )は、茨城県鹿嶋市出身の落語家。落語芸術協会所属。本名:石上 吉男。出囃子:『勧進帳』。 茨城県立鹿島高等学校を卒業した。 1955年5月、8代目三笑亭可楽に入門、前座名「可津男」を名乗る。1958年9月、三遊亭とん馬とともに二ツ目昇進し「可勇」と改名。 1964年8月に師匠の8代目可楽が死去し、10月に兄弟子三笑亭夢楽門下に移籍した。 1969年9月、8代目都家歌六とともに真打昇進し「浮世亭写楽」に改名。1992年9月、9代目となる「三笑亭可楽」を襲名。1995年より落語芸術協会監事を務めた。 2025年の三遊亭円輔没後、落語芸術協会の落語家では最高齢となっている。
田名網 敬一(たなあみ けいいち、1936年7月21日 - … 田名網 敬一(たなあみ けいいち、1936年7月21日 - 2024年8月9日)は、日本のアーティスト、グラフィックデザイナー、イラストレーター、映像作家。 1936年、東京の服地問屋の長男として生まれる。1941年に日本の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃発すると、田名網の生家は危険に晒される。1942年4月18日の東京初空襲の後、田名網は京橋を離れ、目黒の権之助坂付近にあった祖父の家に居を移す。1945年、9歳の時に東京大空襲を経験する。この時脳裏に焼き付いた数々の光景は、田名網が後に描き出す作品の主要なモチーフを占める事になる。轟音を響かせるアメリカの爆撃機、それを探すサーチライト、爆撃機が投下する焼夷弾、火の海と化した街、逃げ惑う群衆、そして祖父の飼っていた畸形の金魚が爆撃の光に乱反射した水槽を泳ぐ姿である。
中島 弘明(なかじま ひろあき、1935年7月21日 - 2… 中島 弘明(なかじま ひろあき、1935年7月21日 - 2023年7月17日)は、日本の経営者。メディキット会長。
春名 公雄(はるな きみお、1935年7月21日 - )は、… 春名 公雄(はるな きみお、1935年7月21日 - )は、日本の実業家。同和火災海上保険(現・あいおいニッセイ同和損害保険)の副社長を務めたのち、同和生命保険の代表取締役社長を務めた。ミノルタ(現 コニカミノルタ)監査役、同和ビジネスサービス 取締役会長、NDIビジネスサービス 取締役会長を歴任した。 兵庫県出身。滋賀大学経済学部を卒業後、同和火災海上保険に入社。社内では損害部門などを歩み、神戸支店損害部長、本社損害部長を経て取締役に就任した。その後、常務取締役、代表取締役専務などを歴任し、1997年に代表取締役副社長となった。 1999年6月、同和火災海上保険の代表取締役副社長を退任し、同年6月30日付で同和生命保険の代表取締役社長に就任した。
悠木 圭子(ゆうき けいこ、1935年7月21日 - 202… 悠木 圭子(ゆうき けいこ、1935年7月21日 - 2026年3月3日)は、日本の作詞家、元女優。女優名は藤田佳子。親類に女優の葉山葉子がいる。山口県防府市生まれ。八代亜紀の大ヒット曲『なみだ恋』、『おんなの夢』、香西かおりの大ヒット曲『浮雲』の作詞や田川寿美を見出し大歌手にまで育成したことで知られる。 最初の夫は俳優の山田真二だったが、のち離婚。その後、作曲家の鈴木淳と再婚した。 芸能界入りしたのは16歳だが、藤田佳子の芸名で女優として「十代の秘密」でデビュー。1954年に大映入り。出演作には「婦系図 湯島の白梅」、「霧の音」、「夜の蝶」、「細雪」、「大奥」などがある。京マチ子、若尾文子、山本富士子や市田ひろみらと共演している。
江崎 照雄(えざき てるお、1934年7月21日 - 201… 江崎 照雄(えざき てるお、1934年7月21日 - 2016年2月19日)は、愛知県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。
池坊 専永(いけのぼう せんえい、1933年7月21日 - … 池坊 専永(いけのぼう せんえい、1933年7月21日 - )は、京都府出身の華道家である。池坊の45代目家元。華道家元四十四世池坊専威の長男。妻は元公明党所属衆議院議員の池坊保子、長女は次期家元の四代目 池坊専好、次女は華道家の池坊美佳である。 現在は個展、国内・海外の普及活動だけでなく執筆、講演会を行っている。
桜井 滋人(さくらい しげと、1933年7月21日 - 20… 桜井 滋人(さくらい しげと、1933年7月21日 - 2008年9月21日)は、作家。埼玉県生まれ。本名・茂。 中央大学法学部卒。64年金子光晴が若い詩人たちを集めて創刊した詩誌「あいなめ」の同人となる。時代小説、金子を描いた小説などを書いた。 2008年9月、慢性呼吸不全で死去。
長岡 洋介(ながおか ようすけ、1933年7月21日 - 2… 長岡 洋介(ながおか ようすけ、1933年7月21日 - 2024年5月7日)は、日本の物理学者。専門は物性理論。京都大学名誉教授。名古屋大学名誉教授。理学博士。第57期日本物理学会会長。 1933年7月21日、岩手県盛岡市に生まれた。 岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1956年に東京大学理学部を卒業し、1961年に同大学大学院数物系研究科の博士課程を修了した。指導教員は久保亮五であった。 京都大学基礎物理学研究所の助手、名古屋大学理学部の助教・教授、京都大学基礎物理学研究所の教授・所長を歴任した。1997年に定年退職後、同年に関西大学工学部教授に就任した。 2001年9月からの1年間、日本物理学会会長を務めた。
細野 邦彦(ほその くにひこ、1933年7月21日 - 20… 細野 邦彦(ほその くにひこ、1933年7月21日 - 2021年4月25日)は、日本の元テレビディレクター、プロデューサー。元東京MXテレビ顧問。 東京都出身。幼少期に石川県金沢市、京都府宇治市に住む。立教大学経済学部卒業後、1959年に日本テレビに入社し、バラエティ畑を歩く。1960年代半ば~1970年代に『踊って歌って大合戦』『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』『TVジョッキー』『テレビ3面記事 ウィークエンダー』など、高視聴率の低俗番組で一世を風靡する。 1993年に日本テレビを退社し、2000年に東京MXテレビに迎えられて同社のエクゼクティブプロデューサーや常務取締役に就任、その後は顧問を務めた。
清水義之(しみず よしゆき、1932年7月21日 - 201… 清水義之(しみず よしゆき、1932年7月21日 - 2014年5月4日)は、日本の実業家。株式会社十六銀行前代表取締役会長・顧問、前岐阜商工会議所(岐商)会頭、元中部経済連合会(中経連)副会長。 父は、後に助役を経て第9代大垣市長(在任1974年~1975年)となる清水正之。前任頭取の高橋順吉は父親の従兄弟。 ちなみに、後に大垣共立銀行頭取となる外村次郎は旧制大垣中学校(現岐阜県立大垣北高等学校)での先輩、同じく後に日銀を経て岐阜銀行頭取となる花田実は、名古屋大学経済学部・塩野谷九十九ゼミの一年先輩にあたる。塩野谷ゼミでは経済学者・飯田経夫と同級生で、飯田は晩年、十六銀行社外監査役に就任する。
辻 昇平(つじ しょうへい、1932年7月21日 - 201… 辻 昇平(つじ しょうへい、1932年7月21日 - 2012年6月7日)は、日本の実業家。ナショナル住宅産業(現・パナソニック ホームズ)の社長・会長を務めた。 岡山県出身。金光学園中学校・高等学校を経て、1956年に滋賀大学経済学部を卒業し、同年松下電工(現:パナソニック)に入社した。 松下電工では営業部門を歩み、東京営業所長などを務めた。1977年3月、ナショナル住宅建材(現・パナソニックホームズ)に移り、取締役・東京営業部長に就任した。その後、東部営業担当部長、常務取締役、商品事業本部長を歴任し、1987年6月に専務取締役となった。 1990年6月、西尾稔の後任としてナショナル住宅産業(現・パナソニック ホームズ)社長に就任した。
クロイワ・カズあるいはクロイワカズ(1931年7月21日 -… クロイワ・カズあるいはクロイワカズ(1931年7月21日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。早稲田大学英文科卒業。血液型O型。もとコピーライター。本名、黒岩一雄。漫画集団、日本漫画家協会、横浜ペンクラブ、ジャパンチ各会員。 ひとコマ漫画(カートゥーン)作家。理知的でスマートな作風。意識的に説明を排したストイックさが最大の特徴。 ひとコマ漫画家集団“JAPUNCH”の一員としての一連の著作 "JAPUNCH"の一員として この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
二見 忠男(ふたみ ただお、1931年〈昭和6年〉7月21日… 二見 忠男(ふたみ ただお、1931年〈昭和6年〉7月21日 - 1994年〈平成6年〉8月1日)は日本の俳優、声優。本名同じ。 東京都出身。早稲田大学卒業。テアトル・エコーに所属していた。 大学卒業後、1957年2月、グループかささぎに所属。1958年3月にテアトル・エコーに入団。味わい深い脇役としてテレビドラマ、舞台、映画、アニメなどで活躍。特に『仮面の忍者 赤影』では飄逸な忍者を一人二役で演じた。 1970年代、1980年代には『太陽にほえろ!』をはじめ、東宝・NTV系のアクションドラマの悪役としてもお馴染みの存在だった。 テアトル・エコー退団後はオールススタッフへ移籍。舞台『いずみたくミュージカル・俺たちは天使じゃない』を最後に、1994年8月1日、肺癌のため死去。
谷川 和穂(たにかわ かずお、1930年7月21日 - )は… 谷川 和穂(たにかわ かずお、1930年7月21日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(12期)、法務大臣(第49代)、防衛庁長官(第41代)などを歴任した。「谷川和穂」の戸籍上の正式表記は旧字体の「穗」。
松長 有慶(まつなが ゆうけい、1929年〈昭和4年〉7月2… 松長 有慶(まつなが ゆうけい、1929年〈昭和4年〉7月21日 - 2023年〈令和5年〉4月16日)は、高野山真言宗の僧侶。仏教学者。補陀落院住職。金剛峯寺第412世座主。同宗管長(2006-2014年)。 全日本仏教会会長(2008-2010年)。高野山大学名誉教授。元同大学長。21世紀高野山医療フォーラム名誉会長。和歌山県高野町出身。 1929年(昭和4年)、和歌山県高野町の高野山南院住職で高野山大学教授・松長有見の長男として誕生。1941年(昭和16年)、高野山南院道場において藤村密憧を戒師として得度。1951年(昭和26年)、高野山大学密教学科を卒業。1959年(昭和34年)、東北大学大学院文学研究科博士課程を修了。
川井 秀幸(かわい ひでゆき、1929年7月21日 - 20… 川井 秀幸(かわい ひでゆき、1929年7月21日 - 2016年6月16日)は、元宝塚歌劇団所属の演出家、脚本家、翻訳家。兵庫県神戸市出身。関西大学法学部卒業。 1955年、宝塚歌劇団に入団、白井鐵造に師事する。1959年にはカナダ・アメリカ公演の、1965年にはフランス公演の舞台監督を務める。英語が堪能で「オクラホマ!」や「回転木馬」・「ミー・アンド・マイガール」・「キス・ミー・ケイト」などブロードウェイミュージカルの企画・交渉・翻訳・通訳などに携わる一方、郷土芸能研究会において「鯨」「ユンタ」などの日本の伝統文化を題材にした作品の脚本、演出も手掛ける。長年にわたり機関誌「歌劇」で主にブロードウェイミュージカルを紹介したエッセイ「ミュージカル」を掲載する。
信岡 資生(のぶおか よりお、1929年7月21日 - 20… 信岡 資生(のぶおか よりお、1929年7月21日 - 2018年12月21日 )は、日本のドイツ語学者。成城大学名誉教授。 広島県尾道市生まれ。旧制広島高等学校卒、1952年東京大学独文科卒、愛媛大学助教授、大阪学芸大学助教授、中央大学教授を経て、1979年成城大学経済学部教授、2000年定年退任、名誉教授。ドイツ語学院ハイデルベルク講師。1979年 - 1989年、月刊『基礎ドイツ語』(三修社)編集長。2009年秋瑞宝中綬章受勲。
宇沢 弘文(うざわ ひろふみ、旧字体: 宇澤 弘文、1928… 宇沢 弘文(うざわ ひろふみ、旧字体: 宇澤 弘文、1928年〈昭和3年〉7月21日 - 2014年〈平成26年〉9月18日)は、日本の経済学者。専門は数理経済学。意思決定理論、二部門成長モデル、不均衡動学理論などで功績を認められた。シカゴ大学ではジョセフ・E・スティグリッツを指導した。東京大学名誉教授。位階は従三位。 鳥取県米子市出身。父時夫は小学校の教師。宇沢家の始祖は江戸中期に遡る。元は米子の南に位置する法勝寺(現在の南部町)というところの出で、のちに米子に移った。生家は代々米屋を営んでいたが破産している(時期は不明)。宇沢家は長い間、男の子に恵まれなかった。全くの女系家族といってよい。父も祖父も婿養子である。
石川 達也(いしかわ たつや、1928年7月21日 - 20… 石川 達也(いしかわ たつや、1928年7月21日 - 2014年7月2日)は、日本の歯科医師、歯学者。元東京歯科大学学長、名誉教授、歯科保存学第三講座教授。元日本全身咬合学会会長、元日本コンピューター歯科医学会会長。 1951年神戸経済大学卒業、1955年東京歯科大学卒業。以後、同大学助手、講師、助教授を経て1965年教授に就任。1995年より2004年まで東京歯科大学学長。 この項目は、歯学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:歯学/Portal:医学と医療)。
川原 啓美(かわはら ひろみ、1928年7月21日 - 20… 川原 啓美(かわはら ひろみ、1928年7月21日 - 2015年5月22日)は日本の医師(外科医)。 長野県長野市出身。1952年に名古屋大学医学部卒業。1953年、暁子(さとこ)と結婚。夫婦として医師として一緒に歩み始める。 1962年JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)入会。理事を務めた。 アメリカ合衆国のオールバニ医科大学(en)留学を経て一般外科、胸部外科にたずさわる。 1976年ネパール王国での短期医療協力の経験を生かし、1980年アジア保健研修所を設立。1981年愛知国際病院を開設し院長に就任。 1992年老人保健施設 愛泉館発足。1999年よりホスピス病棟を開設。 1959年 医学博士(名古屋大学)。
高橋隆天(たかはし りゅうてん、1927年(昭和2年)7月2… 高橋隆天(たかはし りゅうてん、1927年(昭和2年)7月21日 - 2006年(平成18年)9月30日 )は東京都生まれの僧侶、川崎大師平間寺第44世・中興第1世貫首。僧階は大僧正。真言宗智山派宗機顧問。 日本大学法文学部宗教学科卒、大正大学大学院仏教学研究科修了。 1939年、川崎大師第43世隆超に従って得度。 1948年、隆超死去により、平間寺住職となる。 成田山新勝寺での練行の後、1958年に川崎大師に入山、貫首に就任。 2006年、急性白血病により死去。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
石山 洋(いしやま ひろし、1927年7月21日 - 201… 石山 洋(いしやま ひろし、1927年7月21日 - 2016年1月16日)は、日本の図書館学者、地理学者、科学史家。 東京府豊多摩郡(現・東京都中野区)出身。 1951年に東京大学理学部地理学科卒、最高裁判所図書館に勤務。1952年に国立国会図書館上野図書館に勤務、1959年に国立国会図書館に勤務。 2016年1月16日に死去したことが告知された。88歳没。没後に日本政府から従四位に追叙。 1953年に、朝倉治彦と共に上野図書館の木造倉庫で江戸時代の蘭書3600余冊を発見し、これが翌年の「蘭学資料研究会」の発足につながった。また雑誌記事索引のオンラインデータベース化に尽力した。 1982年に丹羽賞学術賞を受賞。
藤沢 嵐子(ふじさわ らんこ、本名:早川 嵐子〈はやかわ ら… 藤沢 嵐子(ふじさわ らんこ、本名:早川 嵐子〈はやかわ らんこ〉、1925年7月21日 - 2013年8月22日)は、1950年代に日本で活動したタンゴ歌手である。 東京生まれ。東京市立忍岡高等女学校(現:東京都立忍岡高等学校)卒業。1943年4月に東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)予科に入学。平原寿恵子に師事した。翌年本科声楽部に進むが、満州の紡績工場に単身赴任していた父の招きで、音楽学校を休学(のちに中退)して一家で満州に渡る。大連近郊の瓦房店市に住み、父が勤める工場で働く女工に歌を教える日々を送る。 日本の敗戦後しばらくしてから、治安の悪化や父の失業などの理由から瓦房店市から大連に移り、家計を支えるためにダンスホールで歌い始める。
大沢 喜好(おおさわ きよし、1925年7月21日 - 生死… 大沢 喜好(おおさわ きよし、1925年7月21日 - 生死不明 )は、大阪府出身の元プロ野球選手。 京阪商業学校から1946年にパシフィックへ入団。同年途中にセネタースへ移籍。
大塚 仁(おおつか ひとし、1923年〈大正12年〉7月21… 大塚 仁(おおつか ひとし、1923年〈大正12年〉7月21日 - 2020年〈令和2年〉12月23日)は、日本の法学者。専攻は刑法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「間接正犯の研究」)。名古屋大学名誉教授。 群馬県勢多郡桂萱村(現・前橋市)生まれ。 福田平と共に団藤重光の指導を受ける(指導教授であった小野清一郎が公職追放となったための措置であり、もとは団藤の弟子でなかった)。同い年の福田平とはその後も深い親交を保った。また、福田とともに長く司法試験委員を務め、その著書は司法試験の基本書とされた。妻は弁護士で朝日大名誉教授の大塚錥子で、民法・環境法学者の大塚直(早稲田大学教授)は息子。
上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月2… 上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月21日 - 1989年(平成元年)1月8日)は、昭和期の歌人・小説家・文芸評論家。内科医。専門は結核。医学博士。 兵庫県加東郡市場村字樫山(現:小野市樫山町)出身。柏原中学、第三高等学校、1948年京都帝国大学医学部卒。結核を専門とする内科医として、国立京都療養所や国立療養所東京病院に勤務。 1949年(昭和24年)に北原白秋系の歌誌「新月」に参加し、その後アララギ派に移行。1956年(昭和31年)には歌会「青の会」結成に参加。1966年(昭和41年)に大腸癌、1983年(昭和58年)に膀胱癌を患う。二度の大病を経て、晩年は生命の内面を見つめ直した著述が多くなり、西行や良寛といった仏教の死生観を追求した歌人に傾倒した。
大石 泰彦(おおいし やすひこ、1922年7月21日 - 2… 大石 泰彦(おおいし やすひこ、1922年7月21日 - 2014年1月16日)は、日本の経済学者。専門は、近代経済学(厚生経済学・交通問題)。学位は、経済学博士(東京大学・論文博士・1961年)。東京大学名誉教授。元東京大学経済学部長。日本会議代表委員。勲二等瑞宝章受章者。位階は正四位。 大分県中津市生まれ。旧制水戸中学校、旧制水戸高等学校を経て、1943年、東京帝国大学経済学部卒業。 1948年、東京帝国大学大学院特別研究生を退学し、東京大学経済学部助教授に就任。1960年、東京大学経済学部教授に昇任。1969年から1970年まで東京大学経済学部長。1983年、東京大学を退官し、東京大学名誉教授となる。
岩佐 嘉親(いわさ よしちか、1922年〈大正11年〉7月2… 岩佐 嘉親(いわさ よしちか、1922年〈大正11年〉7月21日 - 2014年〈平成26年〉2月17日)は、日本の探検家、研究者。 広島県呉市生まれ。1942年関西高等工業学校(現:大阪工業大学)卒業。1965年太平洋文化研究所を設立して所長となる。1959年より1995年までの間に50数回にわたってポリネシアを中心とした南太平洋海域の民俗学的な調査をする。 太平洋地域の言語の入門書・会話集も多数執筆した。サモア語やフィジー語など、類書がほかになく、その言語を学習する者にとって、日本語で書かれたものとしては唯一の教材であるものもある。オセアニアの諸語だけでなく、パプア・ニュー・ギニアのトク・ピシンについても入門書を執筆している。
村山 喜一(むらやま きいち、1921年〈大正10年〉7月2… 村山 喜一(むらやま きいち、1921年〈大正10年〉7月21日 - 1996年〈平成8年〉8月16日)は、日本の政治家。 鹿児島県議会議員、衆議院議員(10期)、衆議院副議長(第58代)などを歴任した。 鹿児島県姶良郡蒲生町(のちの姶良市)にて生まれた。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)卒業。1941年に台南師範学校卒業後、小学校教員、鹿児島県評事務局長、鹿児島県議会議員を経て、1960年の第29回衆議院議員総選挙に日本社会党より立候補し当選、以後当選10回。 党内では和田博雄 – 勝間田清一 – 石橋政嗣の派閥に所属する。1982年2月、飛鳥田一雄委員長の下で国会対策委員長に就任、その後馬場昇書記長下ろしに伴う役員改選により、同年12月副委員長となる。