篠 弘(しの ひろし、1933年3月23日 - 2022年1… 篠 弘(しの ひろし、1933年3月23日 - 2022年12月12日)は、日本の歌人・近代短歌研究者。短歌結社「まひる野」代表。日本現代詩歌文学館館長、日本文藝家協会理事長。日本ペンクラブ会員。近現代短歌史研究に功績を残した。
3月23日生まれ:304人
篠 弘(しの ひろし、1933年3月23日 - 2022年1… 篠 弘(しの ひろし、1933年3月23日 - 2022年12月12日)は、日本の歌人・近代短歌研究者。短歌結社「まひる野」代表。日本現代詩歌文学館館長、日本文藝家協会理事長。日本ペンクラブ会員。近現代短歌史研究に功績を残した。
畑中 正一(はたなか まさかず、1933年3月23日 - )… 畑中 正一(はたなか まさかず、1933年3月23日 - )は、日本の医学者、医師。専門はウイルス学(ヒトがんウイルス分野)。京都大学名誉教授。
辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本の… 辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本のアニメ・特撮脚本家、推理作家、漫画原作者、旅行評論家、エッセイスト、デジタルハリウッド大学名誉教授。 父は自由民主党の衆議院議員・中日電機工業会長の辻寛一。「実家はおでん屋」と語ることもあるが、これは父寛一が栄で「辻かん」というおでん屋を営んでいたからである。愛知県第一中学校、愛知県立明和高等学校、名古屋大学文学部卒業。 1954年、NHKに入局。制作進行、演出、プロデューサーなどを務めた。NHK在局中も脚本の執筆を行っていたが、1962年に退局し、脚本家としてアニメ・特撮などを中心に多くの脚本を担当。 小説家としては旧『宝石』の新人賞候補作が商業誌デビュー作という経歴を持つ。
西長明(にしなが あきら、1932年3月23日 - )は、日… 西長明(にしなが あきら、1932年3月23日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学工学部応用化学科元教授。理学博士(大阪市立大学)。日本化学会第11回学術賞受賞者。 専門は、有機化学・有機金属化学/錯体化学、触媒化学・合成化学。 1963年大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院博士課程修了、理学博士(大阪市立大学)。同大学助手を経て、1965年京都大学工学部助手。1986年同学部合成化学教室助教授を経て、1987年大阪工業大学工学部応用化学科教授。1999年大阪工業大学退官。 京都大学・大阪工業大学工学部にて30年以上の長きに渡り教鞭を執り、特に有機金属化学/錯体化学・触媒化学・合成化学の研究・育成に努めた。
新藤 凉子(しんどう りょうこ、1932年〈昭和7年〉3月2… 新藤 凉子(しんどう りょうこ、1932年〈昭和7年〉3月23日 - 2022年〈令和4年〉10月7日)は、日本の詩人。本名は古屋涼子(ふるや りょうこ)。元『歴程』編集発行人。元日本現代詩人会会長。夫は古屋奎二(1931-2000、元産経新聞論説副主幹、近畿大学中国文化史教授)。 1932年、鹿児島県生まれ。幼少期を旧満州(現中国東北部)で過ごした。共立女子大学中退。1952年(昭和27年)、東宝舞台に入社すると共に劇団東童に入団する。1954年(昭和29年)、三木卓らと同人の詩誌『氾』に参加する。その後、舞台衣装研究室を設立する。文壇バーの経営もした。1962年(昭和37年)、早稲田大学聴講生として学んだ後にヨーロッパに渡り、日本に帰国後は草野心平の推薦で『歴程』同人となる。
清原 淳平(きよはら じゅんぺい、1932年3月23日 - … 清原 淳平(きよはら じゅんぺい、1932年3月23日 - )は、東京都出身の社会活動家。本名は北村雅夫(きたむら まさお)。公益財団法人協和協会代表理事兼専務理事、時代を刷新する会専務理事、新しい憲法をつくる国民会議 会長。 1956年、早稲田大学社会科学課程卒業。1958年3月、同大学大学院商学研究科世界経済課程を修了して商学修士。引き続いてその博士課程に進学。西武グループの創業者堤康次郎邸に付属する会長秘書室に勤務した。 堤の秘書を務めていた時期に、吉田茂と岸信介に接する機会を得る。堤は吉田と岸を尊敬していて、月に1回程度、箱根の湯の花プリンスホテルで懇談会を催した。清原は、特に堤から指名され、これにほとんど同行した。
戸川 昌子(とがわ まさこ、1931年3月23日 - 201… 戸川 昌子(とがわ まさこ、1931年3月23日 - 2016年4月26日)は、日本の推理作家、シャンソン歌手。 1931年、東京市に生まれる。東京都立千歳丘高等学校中退。戦争で父と兄を亡くし、戦後は母と二人で女性専用の同潤会大塚女子アパートに入居。伊藤忠商事の英文タイピストの職を経て、1957年頃からはシャンソン歌手として銀巴里に出演するようになる。これは、銀巴里の素人飛び入り企画で、アルトで歌っている戸川を観た美輪明宏が、バンドマスターにレギュラーに加えるよう進言したのがきっかけだった。 1962年、戸川自身が住んでいた大塚女子アパートを舞台としたミステリー『大いなる幻影』で第8回江戸川乱歩賞を受賞。
廣瀬 鎮(ひろせ しずむ、新字体:広瀬鎮、1931年〈昭和6… 廣瀬 鎮(ひろせ しずむ、新字体:広瀬鎮、1931年〈昭和6年〉3月23日 - 1994年〈平成6年〉5月29日)は、千葉県出身の文化人類学者・博物館学者。 財団法人日本モンキーセンターを経て、名古屋学院大学教授をつとめた。専門は、猿と人の関係を対象とする文化人類学。豊田市文化振興財団の研究奨励賞を受賞した。 千葉県千葉市生まれ。1956年(昭和31年)立命館大学法学部卒、1962年同大学院文学研究科日本史専攻修士課程修了。 学生時代、本来の専攻とは関係のない京都大学理学部動物学教室の霊長類研究グループでアルバイトをしていた。アルバイト終了後も、当時研究員をしていた間直之助に従って嵐山の野生ニホンザルの調査・研究を手伝い、やがて野外観察に興味を抱くようになった。
忍 博次(おし ひろつぐ、1930年3月23日 - 2024… 忍 博次(おし ひろつぐ、1930年3月23日 - 2024年10月22日)は、日本の社会福祉学者、北星学園大学名誉教授。 北海道富良野市生まれ。1954年北海道大学教育学部卒。北星学園大学助教授、教授、2000年定年退任、名誉教授。北海道障害者施策推進協議会会長。
権藤 恒夫(ごんどう つねお、1930年〈昭和5年〉3月23… 権藤 恒夫(ごんどう つねお、1930年〈昭和5年〉3月23日 - 2001年〈平成13年〉5月29日)は、日本の政治家。 福岡県議会議員(2期)、衆議院議員(7期)、公明党国会対策委員長などを歴任した。 福岡県出身。専売公社で働きながら、1957年に夜学を卒業。1955年に創価学会に入会し、九州青年部長を経験。1963年より福岡市議会議員、1967年より福岡県議会議員(2期)を務め、1976年の第34回衆議院議員総選挙で公明党から初当選。 1985年、公明党国会対策委員長の大久保直彦の公明党副書記長就任にともない、後任の公明党国会対策委員長に就任する。 1986年12月、竹入義勝が公明党委員長を退任することにともない、公明党国会対策委員長を退任する。
犬塚 弘(いぬづか ひろし、1929年〈昭和4年〉3月23日… 犬塚 弘(いぬづか ひろし、1929年〈昭和4年〉3月23日 - 2023年〈令和5年〉10月26日)は、日本の俳優、ベーシスト。東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区大森)出身。本名は犬塚 弘(いぬづか ひろむ)。 コミックバンド『ハナ肇とクレージーキャッツ』で最後まで存命だった人物であり、昭和・平成・令和と3つの時代にわたって存命していた唯一のメンバーだった。最終所属は境事務所。 生家は代々裁判官の家系であり、江戸っ子の16代目にあたるという。また、元は徳川家康と共に三河から江戸へ出てきた直参の旗本の家柄で、祖父の代まで十数代にわたり現在の第一ホテル東京本館の一帯に居を構えていた大地主だったともいう。
津本 陽(つもと よう、1929年〈昭和4年〉3月23日 -… 津本 陽(つもと よう、1929年〈昭和4年〉3月23日 - 2018年〈平成30年〉5月26日)は、日本の小説家。本名、寅吉(とらよし)。 和歌山県和歌山市出身。旧制和歌山中学校から旧制大阪専門学校(現・近畿大学) を経て、1951年東北大学法学部卒。明間輝行は同期。同人誌『VIKING』で活動し、掲載作『丘の家』が第56回直木賞候補。1978年(昭和53年)、故郷和歌山を舞台にした『深重の海』で第79回直木賞を受賞。膨大な資料をたどり、小説の中で逐次資料の内容の提示と解説をしながら話を展開してゆく形式が多い。文体は情緒性を排した重厚で簡潔な表現が主体。 題材は主に剣豪や戦国大名、幕末英傑を主題にした歴史小説が多い。
村松 剛(むらまつ たけし、1929年3月23日 - 199… 村松 剛(むらまつ たけし、1929年3月23日 - 1994年5月17日)は日本の評論家、フランス文学者。筑波大学名誉教授。立教大学、京都産業大学、筑波大学、杏林大学の各教授を歴任。
中瀬 寿一(なかせ としかず、1928年3月23日 - 20… 中瀬 寿一(なかせ としかず、1928年3月23日 - 2001年8月26日)は、日本史・経営史学者。 大阪府出身。同志社中学校卒、旧制大阪高等学校卒、1954年大阪市立大学経済学部卒、年表編纂委員となる。関西国民文化会議、大阪総評十年史代表編纂委員。1969年「日本広告産業発達史研究」で中央大学商学博士。大阪産業大学助教授、教授、1972-1973年、1978年経営学部長、1998年定年、名誉教授。
島田 とみ子(しまだ とみこ、1927年3月23日 - 20… 島田 とみ子(しまだ とみこ、1927年3月23日 - 2001年8月10日)は、日本のジャーナリスト・評論家。 埼玉県出身。東京文理科大学英文科卒。朝日新聞記者を経て、東海大学外国語教育センター(英語)教授。1992年退職、名誉客員教授。女性・老人問題について発言した。 2001年8月10日、くも膜下出血のため死去。
土居 君雄(どい きみお、1926年3月23日 - 1990… 土居 君雄(どい きみお、1926年3月23日 - 1990年10月2日)は、日本の実業家。ドイ(カメラのドイ)創業者。広島県広島市出身。 1943年、関西甲種商業学校(現関西大学第一高校)卒業。戦後大阪で伯父の写真材料会社に勤務。左前となったため1956年、妻の郷里・福岡県福岡市で土居商店として独立した。当初は問屋から製品を仕入れ小売店に納入する二次卸だった。メーカー直結の問屋が流通経路を牛耳る時代、新参者が食い込む隙はなく苦戦。悩んだ末、末端の写真館やDPE店、土産物屋へのダイレクトメールを思いつく。これも当時は簡単に資料が集められず、市町村役場の商工係にアンケート用紙を送り顧客名簿を作成した。
片岡 真太郎(かたおか しんたろう、1926年3月23日 -… 片岡 真太郎(かたおか しんたろう、1926年3月23日 - 2016年11月1日)は、洋画家。 大阪府大阪市東区に生まれる。鈴木信太郎に師事。1948年、関西学院大学在学中に第3回行動美術展に初入選。1959年にシェル美術賞展佳作賞を受賞し、その後も朝日選抜新人展、第3回ふらんす・クリティック賞絵画展、「現代美術の動向」展などに出品。1961年には神戸市立美術館の新鋭作家展に『神将』を招待出品し、神戸新聞社賞を受賞する。同作品は1963年の京都国立近代美術館開館展にも招待出品された。1960年代に高橋和巳、五木寛之、永井龍男、曽野綾子等の挿絵や装丁を担当し、1974年に第5回講談社出版文化賞・さしえ賞を受賞した。
土田 衞(つちだ まもる、1926年3月23日 -2023年… 土田 衞(つちだ まもる、1926年3月23日 -2023年5月4日)は、日本の演劇研究者。専門は近世期の演劇。大阪女子大学名誉教授。河竹賞受賞。 大阪市生まれ。1948年京都帝国大学文学部国文科卒業、大阪府立池田高等学校教諭。1961年京都大学文学部大学院退学、愛媛大学文理学部助教授。1971年同教授。1975年大阪女子大学学芸学部教授、1989年退職、名誉教授、佛教大学教授。 1989年『歌舞伎絵尽し年表』(須山章信共編)で河竹賞受賞。2004年4月、瑞宝中綬章受章。
中川 米造(なかがわ よねぞう、1926年3月23日 - 1… 中川 米造(なかがわ よねぞう、1926年3月23日 - 1997年9月30日)は、日本の医師・医学者。 朝鮮・京城生まれ。穀物取引業を営む中川泰治の長男。京都府出身。旧制松江高等学校を経て1949年京都大学医学部卒、1955年医学博士。1950年京都大学附属病院耳鼻科助手、1955年大阪大学医学部講師、80年教授。89年定年退官し、名誉教授。滋賀医科大学教授、大阪国際女子大学教授を経て、1996年仏教大学教授。1970年阪大医学部の森永ヒ素ミルク中毒症追跡調査会代表を務め、訴訟では原告側証人として因果関係を証言。68年に札幌医科大学で実施された日本初の心臓移植(和田心臓移植事件)については告発する会を結成し、「病者のための人権宣言」を発表。
若杉 嘉津子(わかすぎ かつこ、1926年3月23日 - 没… 若杉 嘉津子(わかすぎ かつこ、1926年3月23日 - 没年不明)は、日本の女優である。本名勝田 英津子(かつた えつこ)。女優時代の初期には、若杉 須美子(わかすぎ すみこ)、若杉 紀英子(わかすぎ きえこ)の芸名を使っていた。 1926年(大正15年)3月23日、山形県南陽市に生まれる。誕生の日に母を亡くし、1928年(昭和3年)、2歳で東京市大塚の勝田家に養子に出された。幼時の記憶をなくしていたために長らく勝田家の実子と思い込んでいたが、女学校時代に戸籍謄本を偶然目にして養子であることが判明する。出生時の真実については、2000年(平成12年)のインタビューで初めて明らかにしたため、それ以前に出版されたキネマ旬報社・刊『日本映画人名事典』(1995年)の若杉嘉津子の項目などでは「1928年東京市出身」となっている。
潮 健児(うしお けんじ、1925年3月23日 - 1993… 潮 健児(うしお けんじ、1925年3月23日 - 1993年9月19日)は、日本の俳優。本名:益戸 正雄()。別名義:潮 建志・潮 建磁・泉 正夫。 東京府荏原郡出身。オノプロに所属していた。 旧制 専修大学予科在学中に応召し、陸軍飛行学校に入る。太平洋戦争終結後の1945年に友人の紹介で古川ロッパの一座に入団するも、1947年に退団し[要出典]、専修大学専門部経済学科に通いながら、小劇団を転々とする。 1949年、太泉映画と契約し、翌年『執行猶予』(佐分利信監督)で映画デビュー。以来、太泉映画の後身である東映において長きに渡り、脇役として活動。千葉真一主演の『ファンキーハットの快男児シリーズ』でのコミカルで憎めない役柄や『極道』シリーズ(若山富三郎主演)。
山極 圭司(やまぎわ けいじ、1925年3月23日 - )は… 山極 圭司(やまぎわ けいじ、1925年3月23日 - )は、日本近代文学研究者。 宮城県仙台市出身。旧制水戸高等学校卒、1949年東京大学文学部国文科卒。東京都立戸山高等学校教諭、白百合女子大学文学部教授。1996年定年。木下尚江を研究した。
川本 崇雄(かわもと たかお、1925年〈大正14年〉3月2… 川本 崇雄(かわもと たかお、1925年〈大正14年〉3月23日- 2020年〈令和2年〉2月8日)は、日本の言語学者、上越教育大学・創価大学名誉教授。 群馬県碓氷郡安中町(現・安中市)生まれ。東京高等師範学校を経て、東京文理科大学英文学科卒。群馬県立太田高等学校教諭、近畿大学講師、奈良教育大学助教授、上越教育大学教授、89年定年退官、名誉教授、創価大学教授、2000年退任、名誉教授。日本語について、アルタイ系の基層語の上に南島系言語が重なったと推定している。 2020年2月8日、肺炎のため八王子市内の病院にて死去。94歳没。叙従四位、瑞宝小綬章追贈。
高田 榮一(たかだ えいいち、1925年3月23日 - 20… 高田 榮一(たかだ えいいち、1925年3月23日 - 2009年10月13日)は、詩人、爬虫類研究者。ヘルスカウンセラー。 高田栄一と表記される場合もある。「へび博士」として知られる。 東京生まれ。東洋大学文学部卒業。 歌人、詩人として多くの作品を発表するかたわら、小説、エッセー、評論なども手がけていた。一方で、幼少の頃から野生動物、とりわけ爬虫類に興味をもち、飼育を始めて、独学で爬虫類の研究を行う。 1960年ごろ、爬虫類研究のために、東京・根津の自宅に「高田爬虫類研究所」(爬虫類友の会/高田爬虫類研究所/高田動物生態研究所)を創設。日本人専門家として初のコモド島調査を成功させ、コモドオオトカゲの紹介に尽くし、マダガスカルではマダガスカル・ボアやカメレオンの生態を調査する。
石川 義寛(いしかわ ぎかん、1925年〈大正14年〉3月2… 石川 義寛(いしかわ ぎかん、1925年〈大正14年〉3月23日 - 2024年〈令和6年〉)は、日本の映画監督、脚本家。 静岡県富士宮市出身。日本大学法文学部政治経済学科卒業後、映画界に入る。1957年『怪談かさねが渕』、1958年『毒婦高橋お伝』、『憲兵と幽霊』、『女吸血鬼』、(『亡霊怪猫屋敷』脚本)、1959年『東海道四谷怪談』助監督を経て1960年『怪猫お玉ヶ池』で監督を務める。 2024年死去、99歳。 『酒をたしなみ糖尿病とも闘う 人生は“心”楽しく』健友館 2001年 ISBN 978-4773705782
高瀬 文志郎(たかせ ぶんしろう、1924年3月23日 - … 高瀬 文志郎(たかせ ぶんしろう、1924年3月23日 - 2015年1月9日)は、日本の天文学者(銀河天文学)。 学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1961年)。東京大学名誉教授。 兵庫県西脇市出身。萩原雄祐、鏑木政岐、広瀬秀雄に師事。東京大学東京天文台附属木曽観測所の初代所長を務めたことで知られる。 のちに天文学者となった東京大学での学問的な弟子としては磯部琇三、岡村定矩、濱部勝などがいる。また、逗子市長・島根大学法文学部を経て龍谷大学法学部教授となった富野暉一郎(政治家・政治学者)も、高瀬の門下生である。 高瀬の業績を記念してその名前は小惑星に名付けられた。高瀬の名がつけられた小惑星については(2838) Takaseを参照。
吉田 金彦(よしだ かねひこ、1923年3月23日 - 20… 吉田 金彦(よしだ かねひこ、1923年3月23日 - 2022年9月19日)は、日本の国語学者。姫路獨協大学名誉教授。 香川県満濃町(現まんのう町)生まれ。京都帝国大学文学部国語国文学科卒業。京都大学大学院博士課程(旧制)修了。静岡女子短期大学助教授、愛媛大学助教授、京都府立大学短期大学部教授、大阪外国語大学教授。1987年、定年退官、姫路獨協大学教授、退職、名誉教授。日本語語源研究会主宰。日本語語源研究所を私設。2000年勲三等瑞宝章受章。 2022年9月19日に死去、99歳没。
新妻 元春(にいつま もとはる、1923年(大正12年)3月… 新妻 元春(にいつま もとはる、1923年(大正12年)3月23日 - 2007年(平成19年)6月12日)は、日本の洋画家。 宮城県栗原郡志波姫町に生まれる。 18歳から25歳まで軍属・軍人として過ごす。 1961年38歳の時、家族を宮城に残して単身千葉に住む。昼は土木作業、夜は絵を描く生活を続け、1965年家族を千葉に迎えて画業に専念。 師は奈良岡正夫(示現会会長・日展参与)で、1970年にテレビ出演していた奈良岡正夫の芸術に対する信念に感動して1971年に弟子入りした。 1972年第25回示現会展で「現場にて」が初入選、以後入選を重ね1975年第28回展では「閑日」が佳作賞を受賞。 1978年に会員となる。
小堀 光詮(こぼり こうせん、1922年3月23日 - 20… 小堀 光詮(こぼり こうせん、1922年3月23日 - 2013年6月21日)は、天台宗三千院門跡第六十一世門主。大僧正。
二豊山 光良(にほうざん みつよし、1922年3月23日 -… 二豊山 光良(にほうざん みつよし、1922年3月23日 - 没年不明 )は、現在の大分県津久見市出身で立浪部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)に所属した元大相撲力士。本名は金丸 光良(かねまる みつよし)。175cm、95kg。最高位は東十両8枚目。得意技は右四つ、上手投げ。 1938年1月場所に初土俵。出世は早くなかったが、1952年5月場所の幕下優勝を機に1953年1月場所に十両昇進。12場所連続で在位し、十両下位で4勝11敗と大きく負け越した1955年9月場所に廃業した。
川上 哲治(かわかみ てつはる(現役時代は「てつじ」)、19… 川上 哲治(かわかみ てつはる(現役時代は「てつじ」)、1920年3月23日 - 2013年10月28日)は、熊本県球磨郡大村(現・人吉市)出身のプロ野球選手・監督、野球解説者。
水戸 光子(みと みつこ、1919年〈大正8年〉3月23日 … 水戸 光子(みと みつこ、1919年〈大正8年〉3月23日 - 1981年〈昭和56年〉4月5日)は、日本の女優。本名は関場 ミツ子。 福島県大沼郡新鶴村(現・会津美里町)境野出身。 愛知県岡崎市立高等女学校(現・愛知県立岡崎北高等学校)を中退した翌1934年(昭和9年)、名古屋万平ホテルから熱海の万平ホテルへ移って働いていたところ、たまたま宿泊していた松竹の井上伊三郎取締役にスカウトされ、松竹蒲田撮影所に入社。 同年大晦日封切りの正月映画『大学の若旦那・日本晴れ』端役にてデビュー。いわゆる「大部屋」の無名女優として3年間の下積みを重ね、1938年(昭和14年)1月に準幹部へと昇進。その後はB級作品ながら主役をつとめるようにもなった。
直木 和(なおき かず、1918年3月23日 - 1940年… 直木 和(なおき かず、1918年3月23日 - 1940年代)は、日本のサッカー選手。 旧制兵庫県立第一神戸中学校(現・兵庫県立神戸高等学校)出身で、1933年に全国中等学校蹴球選手権大会で優勝した。 旧制第六高等学校(現在の岡山大学)を経て、東京帝国大学法学部に入学してア式蹴球部に入部。在学中の1939年8月27日に大連で行なわれた大連関東州代表との国際親善試合で日本代表デビューし、1940年6月16日に紀元二千六百年奉祝東亜競技大会において行なわれたフィリピン代表との国際親善試合にも日本代表として出場した。後者は、2007年に国際Aマッチとして認定された。 1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。
染谷 勲(そめや いさお、1915年〈大正4年〉3月23日 … 染谷 勲(そめや いさお、1915年〈大正4年〉3月23日 - 2007年〈平成19年〉12月31日)は、日本の電気工学者であり、無線通信分野の先駆者。 東京帝国大学工学部電気工学科卒業後、逓信省電気通信研究所で無線通信の開発実用化研究に従事した。 戦後、電電公社が新超多重回線を建設する際マイクロ波多重通信方式の実用化研究の責任者を務める、国際無線通信諮問委員会(現・国際電気通信連合無線通信部門)のカラーテレビジョン伝送に関する規格設定に参加するなど、無線通信技術実用化の牽引役となった。その後日本電気に移り通信技術の発展に尽力した。 情報理論分野で重要とされている標本化定理を、クロード・シャノンとは独立に証明した。
吉岡 勲(よしおか いさお、1914年3月23日 - 199… 吉岡 勲(よしおか いさお、1914年3月23日 - 1993年5月4日)は、日本の歴史学者である。岐阜県の郷土史研究に従事。皇學館大学助教授。 北海道常呂郡常呂村(本籍岐阜県)に生まれる。岐阜縣立本巣中學校(現・岐阜県立本巣松陽高等学校)を経て1933年に岐阜縣師範學校を卒業し、岐阜県内の小学校教諭・訓導を経て、岐阜市立西郷小学校・早田小学校・長良小学校・金華小学校の校長を歴任。その間、岐阜県小中学校校長会理事や全国小学校長会理事、また岐阜県教育研究所次長や岐阜県史編集室長、あるいは岐阜大学や中部女子短期大学で非常勤講師もつとめた。 1974年に満60歳で教職を勇退した後、1976年に皇學館大学文学部講師、1978年に助教授になる。
陶山 繫弘(すやま しげひろ、1914年3月23日 - 19… 陶山 繫弘(すやま しげひろ、1914年3月23日 - 1991年7月29日)は、日本の経営者。東京都民銀行頭取を務めた。鳥取県出身。 1939年に中央大学商学部を卒業。内国貯金銀行、復興金融公庫での勤務を経て、1952年に東京都民銀行に入社。 1961年に取締役に就任し、1968年5月に常務、1972年2月に専務を経て、1976年8月に副頭取に就任し、1979年6月には頭取に昇格。1982年6月に会長、1987年6月に取締役相談役を経て、1989年6月から相談役を務めた。 1983年11月に藍綬褒章を受章し、1989年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 1991年7月29日肺炎のために死去。77歳没。
村岡 美枝(むらおか みえ、1913年3月23日 - 没年不… 村岡 美枝(むらおか みえ、1913年3月23日 - 没年不明)は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。 愛知県生まれ。愛知県第一高等女学校(愛知県立明和高等学校の前身校の一つ)在学中の1930年にチェコスロヴァキアのプラハで開かれた第3回国際女子競技大会に代表選手として参加する(参加選手は6人で、人見絹枝、本城ハツ、中西みち、村岡美枝、渡辺すみ子、浜崎千代。人見以外は学生選手)。このとき代表の中心としてチームを引率した人見が翌1931年に死去した際に、葬儀で「お姉さんは女子スポーツに貢献されました。その大きな足跡はけっして消えることがないでしょう。私たちは非力ですが、遺志をつぐよう全力を尽くして頑張るつもりです」と弔辞を読んだ。
志摩 靖彦(しま やすひこ、1913年〈大正2年〉3月23日… 志摩 靖彦(しま やすひこ、1913年〈大正2年〉3月23日 - 1991年〈平成3年〉3月16日)は、日本の俳優。本名は嶋 正朶(しま まさえだ)。旧名は島 泰彦。東京府東京市本所区(現・東京都墨田区本所)出身。 1941年に鉄嶺実業学校を卒業。1942年7月に青少年劇場に入団。1943年4月に関西移動演劇隊に移籍。その後1944年10月にNHK大阪放送劇団を経て、1951年2月に獅子座を結成。1964年に大阪音楽大学演劇科講師。1977年に大阪芸術大学演劇科講師を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
麻生 三郎(あそう さぶろう、1913年(大正2年)3月23… 麻生 三郎(あそう さぶろう、1913年(大正2年)3月23日 - 2000年(平成12年)4月5日 )は、東京都生まれの洋画家である。 武蔵野美術大学名誉教授。戦中戦後を通して焼けただれ、焦げ付いたような暗褐色に彩られた家族を中心とした人物像や自己の内面を解体デフォルメし、闇の中から浮かび上がるように描き出す作風で知られる。彫刻家の麻生マユは実娘。 1913年(大正2年)3月23日、東京市京橋区本湊町(現在の東京都中央区湊)に麻生惣兵衛、喜代の三男(3男3女の4番目)として生まれる。麻生家は100年以上の歴史をもつ炭問屋、屋号は「山惣」。実家は当時築地の居留区があった明石町にほど近く、洋館が立ち並ぶその場所に麻生は毎日通い、お小遣いでラスクやレーズンなどを買っていた。
杉森 久英(すぎもり ひさひで、1912年(明治45年)3月… 杉森 久英(すぎもり ひさひで、1912年(明治45年)3月23日 - 1997年(平成9年)1月20日)は日本の小説家。 石川県七尾市の公務員の家庭に生まれ、金沢市で育つ。旧制石川県立金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)から第四高等学校を経て、1934年(昭和9年)に東京帝国大学文学部国文科卒業。地方公務員(公立学校教員)となり、旧制埼玉県立熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校)の教師となった。 教員を退職後、中央公論社編集部に入社。編集者という職に自信を失い退職後、大政翼賛会文化部、日本図書館協会などを経て、戦後河出書房に入り『文藝』の編集に従事。1947年『文藝』編集長に就任。 1953年デイヴィッド・ガーネットやフランツ・カフカの影響が色濃い短篇小説『猿』が芥川賞の候補になったのを機に作家専業となる。
川村 清一(かわむら せいいち、1911年3月23日 - 2… 川村 清一(かわむら せいいち、1911年3月23日 - 2004年7月16日)は、日本の政治家。参議院議員(3期・日本社会党)、北海道議会議員。 北海道小樽市生まれ。函館師範学校(現在の北海道教育大学函館校)卒。1946年北海道教職員組合情報宣伝部長、1948年浦河町立浦河第一中学校校長を経て、1955年日本社会党から北海道議会議員に初当選。1963年日本社会党北海道本部委員長。1965年の同党公認で第7回参議院議員通常選挙にて初当選。以後連続3期。参議院農林水産委員会理事を長く務め、1979年に再び同党北海道本部委員長に就任。横路孝弘の知事選の裏方役に徹し、横路道政誕生に尽力した。1983年横路知事の誕生と共に引退。
古波蔵 保好(古波藏 保好、こはぐら ほこう・やすよし、19… 古波蔵 保好(古波藏 保好、こはぐら ほこう・やすよし、1910年3月23日 - 2001年8月30日)は、日本のエッセイスト、評論家。妻は服飾評論家の鯨岡阿美子。妹は琉球料理研究家の古波蔵登美で、登美の孫(姪孫)にあたるのが作家・与那原恵である。 沖縄県首里市(現・那覇市)金城出身。沖縄県立一中卒業[要出典]、東京外国語学校印語学科中退(1930年)。1931年、当時県域新聞社として発行していた沖縄日日新聞(後の沖縄日報)に記者として入社。1941年、大阪毎日新聞社に移籍し社会部記者、論説委員。 1964年に退社後はエッセイスト、評論家として、日本エッセイストクラブ賞を獲得した『沖縄物語』をはじめ、沖縄県の歴史、文化・世相風俗、食などに関する著書を多数発表した。
末吉 利雄(すえよし としお、1909年(明治42年)3月2… 末吉 利雄(すえよし としお、1909年(明治42年)3月23日 - 1995年(平成7年)12月31日)は、日本の政治家。第17代鹿児島市長。 鹿児島市出身。鹿児島県立鹿児島工業学校(現:鹿児島県立鹿児島工業高等学校)を卒業し、日本専売公社に勤務する。1951年から鹿児島県議を連続4期務める。また、1960年には日本社会党鹿児島県本部委員長となり、7期務める。 1967年鹿児島市は谷山市を合併し、新鹿児島市が発足した。合併直後の市長選に革新系から立候補し、保守系の現職の三ッ井卯三男と一騎討ちとなった。末吉は「市民との対話」を訴え、選挙戦を進め、現職を破って当選、平瀬實武以来の革新市長の誕生となった。
坪井 与(與)(つぼい あたえ、1909年3月23日 - 1… 坪井 与(與)(つぼい あたえ、1909年3月23日 - 1992年3月31日)は、日本の映画プロデューサー。満映娯民映画所長、東映専務取締役、東映化学工業社長。
三宅 貞祥(みやけ さだよし : 1908年(明治41年)3… 三宅 貞祥(みやけ さだよし : 1908年(明治41年)3月23日 - 1998年(平成10年)9月30日)は、昭和・平成期の日本の動物学者。農学博士。十脚目、特に異尾類の分類で功績を残した。九州大学名誉教授、日本甲殻類学会会長。 日本甲殻類学会設立時のメンバーの一人であり会長も務めるなど、甲殻類研究の発展に寄与した。 1908年(明治41年)3月23日、香川県小豆島に生まれ、1920年(大正9年)に岡山県へ移った。1931年(昭和6年)に岡山市の旧制第六高等学校を卒業し、九州帝国大学(現 : 九州大学)農学部に入学した。指導教官の大島広は棘皮動物研究者であったが、三宅の最初の論文はカクレガニの幼生についてのものであった。
山田 長司(やまだ ちょうじ、1908年(明治41年)3月2… 山田 長司(やまだ ちょうじ、1908年(明治41年)3月23日 - 1972年(昭和47年)3月2日)は、日本のジャーナリスト、農民運動家、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。 栃木県安蘇郡新合村閑馬(田沼町を経て現佐野市閑馬町)で生まれる。1925年(大正14年)に上京し、苦学して1932年(昭和7年)日本大学法律科を卒業した。萬朝報、時事新報、名古屋新聞の記者を務めた。1935年(昭和10年)時事新報社解散反対ストライキを主導した。1936年(昭和11年)日本無産党栃木県支部連合会長に就任したが、1937年(昭和12年)12月の人民戦線事件で検挙された。その後、情報局嘱託、日本移動展協会専務理事、日本輿論研究所長などを務めた。
中川 英造(なかがわ えいぞう、1908年(明治41年)3月… 中川 英造(なかがわ えいぞう、1908年(明治41年)3月23日 - 1999年(平成11年)10月14日)は、日本の実業家。朝日新聞社で業務部門を歩み、代表取締役専務を経てテレビ朝日第7代社長。広島県出身。 1930年(昭和5年)東京商科大学(現一橋大学)本科卒業後、東京朝日新聞社入社。大学時代は、漕艇部に所属し、のちに日本漕艇協会(現日本ローイング協会)の顧問なども務めた。 庶務、販売、会計各部長、業務局次長、経理総務などを歴任。1959年(昭和34年)2月には、新設の北海道支社の初代支社長となり、翌年取締役となる。1963年の村山事件の折には、矢島八洲夫、横田武夫らともに辞表を提出し、業務関係の役員不在という異常事態に陥るが、村山長挙が社長を辞任したことで同事件は収束し復職した。
渡辺 うめ(わたなべ うめ、1907年3月23日 - 201… 渡辺 うめ(わたなべ うめ、1907年3月23日 - 2014年9月16日)は、日本(青森県青森市出身)の農民・人形作家。太平洋戦争中に転居した夫の故郷の但馬地方の農村風景や農作業をする人々を描写した人形を製作していた。
明本 京静(あけもと きょうせい、1905年3月23日 - … 明本 京静(あけもと きょうせい、1905年3月23日 - 1972年10月17日)は、日本の作詞家、作曲家。本名は明本 教成。 青森県黒石市出身。旧制青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、旧制弘前高等学校卒業。東京帝国大学工学部中退。 近衛秀麿に師事し、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)でベートーヴェンの「第九」のテナー独唱者となる。 その後、しばらく鳴かず飛ばずの時代が続いたが、昭和14年(1939年)、朝日新聞社が募集した「皇軍感謝の歌」の当選作、「父よあなたは強かった」の作曲依頼が日本コロムビアに依頼され、専属作曲家12人の競作になり、採用されたのは最も無名に近かった明本の曲であった。
亀岡 勝雄(かめおか かつお、1905年3月23日 - 19… 亀岡 勝雄(かめおか かつお、1905年3月23日 - 1945年11月14日)は、日本の元アマチュアボクシング選手。ロサンゼルスオリンピックフェザー級日本代表。福島県桑折町出身。 日本大学卒業。 1930年、全日本アマチュア拳闘連盟主催の全日本アマチュア拳闘選手権大会にフェザー級で優勝を収めた。この大会には帝国ホテル所属選手として出場した。 1932年、ロサンゼルスオリンピックにフェザー級の日本代表として出場したが、1回戦でこの大会の銅メダリストとなるアラン・カールソン(英語版)(スウェーデン)と対戦し、ポイント負けとなった。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。