布上 正之(ぬのがみ まさゆき、1934年3月24日 - 2… 布上 正之(ぬのがみ まさゆき、1934年3月24日 - 2023年6月25日)は、日本の元陸上競技選手、指導者。熊本県山鹿市出身。中央大学卒業。 2年時の第30回箱根駅伝では9区を走る。2位の早稲田大学とは13秒差と首位で襷を受け、少しずつ差を離していたが、中継所から約300mにある戸塚踏切の警報器が鳴り始め、布上が通る直前に遮断機が降り始める。すると、遮断機をくぐるのにロスタイムがあってはいけないと、ムキになって駆け抜けた。しかし、このペースアップの影響で後半に失速し、早稲田大学に抜かれ、2位に後退。10区でも日本大学に抜かれて順位を一つ落とし、中央大学は総合優勝を逃した。この失敗が布上の選手、そして指導者としての原点になっているという。
八重樫 茂生(やえがし しげお、旧名:茂夫、1933年3月2… 八重樫 茂生(やえがし しげお、旧名:茂夫、1933年3月24日 - 2011年5月2日)は、岩手県和賀郡東和町(現・花巻市)出身(朝鮮・大田生まれ)の元サッカー選手(FW、MF)・監督。 大田中学1年時に太平洋戦争が終結し、一家は岩手に引き揚げ、転校した盛岡中学でサッカーに出合う。盛岡一高では郷里の先輩である工藤孝一の指導を受け、3年次の1951年には高校選手権に東北代表として出場。FWでプレーしたが1回戦で高知農業に敗退し、同年5月の天皇杯では盛岡サッカークラブのメンバーとして参加するが、こちらも1回戦で敗退。 高校卒業後の1952年に中央大学へ進学し、同年の関東大学リーグで新人王を獲得。3年次の1954年に工藤が監督を務める早稲田大学へ編入し、関東大学リーグ優勝3回・東西学生王座決定戦2回・大学選手権優勝1回に貢献。
松濤 弘道(まつなみ こうどう、1933年3月24日- 20… 松濤 弘道(まつなみ こうどう、1933年3月24日- 2010年12月29日)は、浄土宗僧侶、仏教学者。 栃木県生まれ。大正大学卒、ハーバード大学大学院修士課程修了、文学修士。ハワイ浄土宗別院で開教に7年間従事。栃木市の浄土宗近龍寺住職。上野学園大学国際文化学部教授。上野学園図書館長。全日本仏教会国際交流審議会委員委員長。
小尾 芙佐(おび ふさ、1932年3月24日 - )は、日本… 小尾 芙佐(おび ふさ、1932年3月24日 - )は、日本の翻訳家。婚姻前の姓は神谷(かみや)。 東京府豊多摩郡淀橋町大字柏木(現在の東京都新宿区西新宿)に生まれ、東京市淀橋第一尋常高等小学校、三輪田高等女学校で学んだ。戦時中は長野県上伊那郡高遠町に疎開し、長野県伊那高等女学校(その後、長野県伊那弥生ヶ丘高等学校に校名変更)へ転学した。大学受験に向けて、1950年高3の夏休みには東京にある父親の仮住まいに移り、千駄ヶ谷の津田英語会(現在は津田塾大学千駄ヶ谷キャンパスとなった)が主催する夏期講習に通った。講習が終わった後は国立国会図書館で猛勉強に励み、津田塾大学英文学科に合格を果たした。大学入学後は学生寮に入った。
能登 和夫(のと かずお、1931年(昭和6年)3月24日 … 能登 和夫(のと かずお、1931年(昭和6年)3月24日 - 1994年(平成6年)8月28日)は、日本の政治家。北海道三笠市長。位階は従六位。勲五等双光旭日章。 北海道三笠市出身。1948年(昭和23年)空知農業高等学校卒、北海道三笠高等学校定時制卒。 1948年(昭和23年)三笠町役場に入り、1954年(昭和29年)三笠高等学校の定時制に入学、勤労学生となる。三笠市教育長を経て、1983年(昭和58年)三笠市長に初当選。以後、連続2期務め、1991年(平成3年)に勇退。1994年死去。死没日付をもって従六位に叙され、勲五等双光旭日章を追贈された。
宇野 輝雄(うの てるお、1931年3月24日- 2017年… 宇野 輝雄(うの てるお、1931年3月24日- 2017年2月13日)は日本の翻訳家。 千葉県夷隅郡大多喜町出身。1953年明治学院大学文学部英文科卒。
門 玲子(かど れいこ、1931年3月24日- )は、日本近… 門 玲子(かど れいこ、1931年3月24日- )は、日本近世文学研究者。 石川県加賀市大聖寺生まれ。1953年金沢大学文学部卒。1980年『江馬細香 化政期の女流詩人』で第8回泉鏡花記念金沢市民文学賞受賞。1998年『江戸女流文学の発見』により毎日出版文化賞受賞。江馬細香など近世の女性漢詩人、只野真葛など近世の女性思想家について研究している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山内 清子(やまのうち きよこ、1931年3月24日 - 2… 山内 清子(やまのうち きよこ、1931年3月24日 - 2000年)は、日本の翻訳家。北欧児童文学、絵本などの翻訳をおこなった。 東京府生まれ。東京教育大学言語学科卒業。
河原 武敏(かわはら たけとし、1931年3月24日 - 2… 河原 武敏(かわはら たけとし、1931年3月24日 - 2013年4月25日)は、日本の造園教育者。庭園研究者。第5代日本庭園学会会長 (2000年-2003年)。 東京生まれ。1953年(昭和28) 3月 東京農業大学農学部緑地学科(現・地域環境科学部造園科学科)卒業。大学時代は特待生で総代。1953年(昭和28) 6月東京都建設局に採用。造園技術者としての活躍を開始。同年日本造園学会に入会し学会活動も開始。 1976年(昭和51) 3月に東京都を依願退職し、同年4月に東京農業大学農学部造園学科助教授就任。江山正美の後任として造園計画学第1研究室 主任(後の庭開学・造園学原論研究室、現ガーデンデザイン研究室)を経て庭園学・造園学原論研究室主任、庭園史・近代造園史の授業科目、実務経験を活かした「庭園学及び演習」などの設計演習等を担当。
堀川 孝夫(ほりかわ たかお、1931年(昭和6年)3月24… 堀川 孝夫(ほりかわ たかお、1931年(昭和6年)3月24日 - 1999年(平成11年)11月22日)は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取・会長。 秋田県秋田市出身。1953年(昭和28年)、東北大学卒業後、秋田銀入行。 職員組合委員長のほか、本部において企画や人事を長く担当。また秋銀初の外部団体への出向として、「八郎潟新農村建設事業団」へ派遣され、大潟村の大規模モデル農村づくりにも携わった。加えて支店長として初めて赴任した能代支店では、第一次オイルショックの影響を食い止めるべく奔走もした。 1991年(平成3年)、頭取に昇格。トップ在任時は不良債権処理に取り組み、1995年(平成7年)度にはいわゆる住専向け融資、翌年度には「秋田県木造住宅」向けの融資の大半を償却させ、不良債権処理に目処をつけた。
横手 幸助(よこて こうすけ、1931年3月24日 - 20… 横手 幸助(よこて こうすけ、1931年3月24日 - 2001年11月15日)は、日本の経営者、銀行家。協和銀行頭取を務めた。 秋田県出身。1953年に東北大学法学部を卒業し、同年4月に協和銀行に入行。1981年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1984年6月に専務、1985年6月に副頭取を経て、1986年6月に頭取に就任。1991年4月に協和埼玉銀行(のちのあさひ銀行)会長に就任し、1997年6月に相談役を経て、1998年4月には特別顧問に就任。 2001年11月15日肝不全のために死去。70歳没。
高橋 彦博(たかはし ひこひろ、1931年3月24日 - )… 高橋 彦博(たかはし ひこひろ、1931年3月24日 - )は、日本の政治学者。法政大学名誉教授。法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員。研究テーマは日本現代史・政治史、社会労働運動史、日本の社会民主主義。 学派としては学部指導教授だった増島宏、大学院の指導教授だった中村哲に連なる。 長年にわたり日本共産党の「党員知識人」であったが、著書『左翼知識人の理論責任』の出版後、一方的に除籍される。以降は同時期に除籍となった加藤哲郎、後房雄とともに日本共産党批判の急先鋒に立つ。 また研究・指導活動のみならず、1984年の法政大学キャンパス移転の際には、社会学部学部長として学内の調整、移転反対勢力との交渉に尽力し、『法政大学百二十年史』の編集委員も務めた。
平出 慶道(ひらいで よしみち、1930年3月24日 - )… 平出 慶道(ひらいで よしみち、1930年3月24日 - )は、日本の法学者。専門は商法。学位は、法学博士(1962年)。弁護士(第一東京弁護士会、平出慶道法律事務所)。名古屋大学名誉教授。元西村あさひ法律事務所顧問(カウンセル)。鈴木竹雄門下。弟子に青竹正一など。 手形法における手形理論において、師である鈴木と同じく二段階創造説を採った上で、前田庸の手形権利移転行為有因論を更に発展させ、手形授受の当事者間では有因であるが、第三者との間では無因であるとして相対的有因論を提唱する。手形振出人に意思の欠缺、意思表示の瑕疵のある場合の事例は、前田説では、手形権利移転行為の当事者ではない第三者は善意・無重過失である場合に善意取得によって保護されるのと異なり、過失が有無を問わず善意でありさえすれば保護されることになり、より手形の流通保護に厚い見解となっている。
高橋 玄洋(たかはし げんよう、1929年3月24日 - )… 高橋 玄洋(たかはし げんよう、1929年3月24日 - )は、日本の脚本家、劇作家。島根県松江市出身。 松江生まれだが先祖伝来は広島県。松江市立内中原小学校2年のとき、父親が40歳になって大学へ入り直すため一家で広島市に移り、広島市立袋町小学校に転校。父親は教育者で、のち広島県尾道市助役を務めた。4年後父が大学を卒業し朝鮮へ赴任したため、平壌、釜山、新義州と少年時代を外地で過ごす。朝鮮船橋里小学校、平壌第一中学校、釜山中学校(現・釜山高等学校)と転校を繰り返し、新義州中学校4年のとき、海軍兵学校最後の78期生として入学。1945年8月6日原爆投下の日には、広島市郊外で勤労奉仕中で、当日市内に救援に入った。
伊藤 光男(いとう みつお、1929年3月24日 - 201… 伊藤 光男(いとう みつお、1929年3月24日 - 2019年11月14日)は、日本の物理化学者。東北大学名誉教授、分子科学研究所所長、岡崎国立共同研究機構長。紫綬褒章受章。正四位瑞宝重光章。専門は分子分光学。 福岡県北九州市若松区生まれ。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
有木 宗一郎(ありき そういちろう、1929年3月24日 -… 有木 宗一郎(ありき そういちろう、1929年3月24日 - )は、日本の経済学者。 大連生まれ。1947年広島県福山市へ引き揚げ。1954年神戸大学経済学部卒、同助手、1972年『ソ連経済の研究』で一橋大学社会学博士。 下関商業短期大学助教授、1962年國學院大學経済学部助教授、教授、下関市立大学教授、1996年定年退官。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
渡瀬 昌忠(わたせ まさただ、1929年3月24日 - 20… 渡瀬 昌忠(わたせ まさただ、1929年3月24日 - 2017年1月14日)は、日本の国文学者。文学博士(國學院大学・論文博士・1977年)。元大東文化大学教授。上代文学、『万葉集』が専門。 兵庫県生まれ。大東文化学院国語国漢科、國學院大學文学部国文科卒、1977年「柿本人麻呂研究 歌集非略体歌論」で國學院大学より文学博士の学位を取得。兵庫県立尼崎北高等学校、埼玉県立戸田高等学校などの教諭を経て、大東文化大学専任講師、助教授を経ずに教授。1987年実践女子大学教授。99年定年。講談社取締役・渡瀬昌彦とノンフィクション作家・渡瀬夏彦の父。旧制中学時代の同級生に河合隼雄がいる。
増尾 竜一(龍一、ますお りゅういち、1928年 <昭和3年… 増尾 竜一(龍一、ますお りゅういち、1928年 <昭和3年> 3月24日 - 1999年 <平成11年> 1月6日)は、日本の機械工学者。大阪工業大学名誉教授、工学博士(京都大学)。第6代大阪工業大学機械工学科同窓会会長。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 専門は、機械計測工学、機械力学、機械金属工学。 京都府京都市左京区出身。1951年京都大学工学部卒業。結核を患い、療養所に入る。復帰後、1954年大阪工業大学工学部機械工学科に着任、機械工学教室を担当。1961年京都大学大学院工学研究科にて工学博士。大阪工業大学機械工学科計測研究室で多数の研究室生を輩出し、その研究室卒業生により「竜の子会」が1962年に結成される。
石井 真司(いしい しんじ、石井眞司、1928年3月24日 … 石井 真司(いしい しんじ、石井眞司、1928年3月24日 - 2004年5月17日)は、日本の弁護士、法学者。 東京府東京市(現東京都台東区)出身。1952年中央大学法学部卒、日本勧業銀行に入り、1966年最高裁司法研修所修了、勧銀に戻り、調査部課長代理、同主任調査役、同参与、第一勧業銀行調査部、第一勧銀総合研究所、第一勧銀経営センター、みずほ銀行法務部各顧問を経て、2003年退職。銀行勤務の傍ら、全国銀行協会連合会法規専門部会・不渡手形審査専門委員会各特別委員、金融法学会理事、法制審議会倒産法部会委員などを歴任。弁護士(尾崎昭夫法律事務所)。
高田 誠二(たかだ せいじ、1928年3月24日 - 201… 高田 誠二(たかだ せいじ、1928年3月24日 - 2015年)は、日本の科学史家、計量工学者。北海道大学名誉教授。 東京府生まれ。1950年東京大学工学部計測工学科卒業、通商産業省中央度量衡検定所(のち計量研究所)に入り、温度計測・単位論の研究に従事。1961年「金点における黒体放射の実現」で東京大学より工学博士の学位を取得。1970年『単位の進化』で毎日出版文化賞受賞。同年計量研究所研究企画官、72年第二部長、1980年北海道大学理学部教授、1991年退官、名誉教授、久米美術館参事・研究員。 計量に関する研究、一般書の著述のほか、岩倉使節団の自然科学面での研究著述も行った。
藤田 宏達(ふじた こうたつ、1928年3月24日 - 20… 藤田 宏達(ふじた こうたつ、1928年3月24日 - 2023年9月17日)は、日本の仏教学者。北海道大学、札幌大谷短期大学名誉教授。北海道大学教授・札幌大谷短期大学学長を歴任。浄土真宗の僧侶で北海道の真宗大谷派役員でもある。 1950年、東京大学文学部哲学科(印度哲学専修)を卒業し、同大学院で中村元に師事した。卒業後は北海道大学教授。1992年に札幌大谷短期大学長に就いた。 2023年9月17日、心不全のため死去。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
皆川 完一(みながわ かんいち、1928年3月24日 - 2… 皆川 完一(みながわ かんいち、1928年3月24日 - 2011年10月28日)は、昭和・平成時代の歴史学者。東京大学名誉教授。 1949年(昭和24年)3月、東京大学文学部国史学科入学。1953年(昭和28年)卒業後は同大学院に進学。1956年(昭和31年)から史料編纂所に勤務し、1962年助手、1972年助教授、1979年教授、1988年(昭和63年)定年退官、名誉教授、愛知学院大学教授、1992年(平成4年)中央大学文学部教授、1998年(平成10年)定年退職。 文化庁文化財保護審議会専門委員・新潟県史編纂委員会参与・日本歴史学会理事・日本古文書学会理事などを歴任。 国史大系『令集解』後編・『尊卑分脈』の校訂に従事。
植木 光教(うえき みつのり、1927年3月24日 - 20… 植木 光教(うえき みつのり、1927年3月24日 - 2009年6月6日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 参議院議員(5期)、総理府総務長官(第24代)、沖縄開発庁長官(第5代)などを歴任。 京都府生まれ。京都府立京都第一中学校を経て、第三高等学校にて学んだ。その後、東京帝国大学法学部に入学した。東京大学時代は学生運動に関わり、渡邉恒雄らとともに、共産党勢力を排除した新「新人会」の創設に加わった。またクリスチャンでもあったため、東大YMCA代表も務めた。 1950年に大学を卒業すると、日本放送協会に勤務した。その後、警視総監を経て政治家となった町村金五の秘書を務めた。 1962年、35歳の誕生日直後に京都府知事選挙に自由民主党公認で立候補するが、現職の蜷川虎三に敗れ落選。
榎本 敏夫(えのもと としお、1926年3月24日 - 20… 榎本 敏夫(えのもと としお、1926年3月24日 - 2017年7月2日)は、政治家秘書。田中角栄の秘書として知られている。タレントの榎本三恵子は元妻。元北区議会議員の榎本 一(えのもと はじめ)は長男。 東京府東京市北区の質屋の息子として生まれる。大正大学文学部哲学科卒後に民主自由党(後の自由民主党)の職員になる。1955年5月から1962年7月まで東京都の北区区議会議員を務めた。1956年に日本電建に総務部長として入社し、1965年に田中角栄衆議院議員の秘書となった。1971年から1972年まで通商産業大臣秘書官、1972年から1974年まで内閣総理大臣秘書官であった。 1976年に発覚したロッキード事件において、田中角栄首相の秘書(首相秘書官)としてロッキード社の代理人であった丸紅から5億円を受け取ったとして同年7月に外国為替法違反で逮捕され、同年8月に起訴された(田中角栄は外国為替法違反だけでなく受託収賄罪でも起訴された)。
神吉 俊和(かんき としかず、1926年3月24日 - 20… 神吉 俊和(かんき としかず、1926年3月24日 - 2002年3月26日)は、兵庫県明石市出身のプロ野球選手。 明石中学校から関西大学に入学。1950年には春のリーグで最高殊勲選手を受賞する。 1951年に大洋ホエールズへ入団。1953年に引退。 その後、大都魚類の取締役を務めていた。 2002年に肺炎のため死去。 1男1女の父であり、それぞれ医者になっている。 ロビンスの選手時代に監督であった小西得郎が長男の名付け親である。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
速水 優(はやみ まさる、1925年3月24日 - 2009… 速水 優(はやみ まさる、1925年3月24日 - 2009年5月16日)は日本の銀行家である。称号は名誉法学博士(LLD・聖学院大学)。
宮津 隆(みやづ たかし、1925年(大正14年)3月24日… 宮津 隆(みやづ たかし、1925年(大正14年)3月24日 - 2013年(平成25年)2月20日)は、日本の統計学者。専門分野は統計処理・応用統計学。帝京科学大学名誉教授。 日本統治時代の朝鮮・京城府(現・大韓民国ソウル特別市)に生まれる。京城帝国大学1年在学中に終戦を迎え、九州大学工学部応用化学科を1949年に卒業後、日本鋼管に入社し、川崎製鉄所(現・JFEスチール東日本製鉄所)の検査部試験課で石炭分析を担当した。1955年に技術研究所化学研究室に転じる。 1961年から石炭利用技術とコークスの研究を始め、高炉の脈動送風や高炉への重油・タール吹き込み研究も同時に行い、1960年代にコークス研究室の地歩を固めた。
平野 邦雄(ひらの くにお、1923年〈大正12年〉3月24… 平野 邦雄(ひらの くにお、1923年〈大正12年〉3月24日 - 2014年〈平成26年〉9月20日)は、日本の歴史学者。文学博士(東京大学・論文博士・1971年)。東京女子大学名誉教授。専攻は日本古代史。
大武 幸夫(おおたけ ゆきお、1923年3月24日 - 19… 大武 幸夫(おおたけ ゆきお、1923年3月24日 - 1994年1月28日)は、日本の政治家。元福井市長。福井市名誉市民。位階は正五位。勲三等旭日中綬章。 福井県福井市出身。1946年、名古屋帝国大学医学部卒業後、福井市に勤務し、厚生部長、総務部長等を歴任。1974年、前市長死去に伴い行われた福井市長選挙で立候補し、初当選。以後連続5期20年に亘り市長を務めた。 在任中は、30万人都市実現を目標とし、都市開発、教育文化、国際交流等を推進し、福井市の発展に寄与。また、特に、治水・利水対策には、「百年の計」との思い入れがあって注力し、九頭竜川鳴鹿大堰の建設推進等に努力した。 在任中の1994年1月28日、肝不全のため死去。
大内 恒夫(おおうち つねお、1922年3月24日 - 20… 大内 恒夫(おおうち つねお、1922年3月24日 - 2018年2月8日)は、日本の裁判官。最高裁判所判事。位階は正三位。山形県出身。 1943年(昭和18年)東京帝国大学法科を卒業。同年司法官試補となる。東京地方裁判所判事、最高裁訴廷部などに勤務。再び裁判事務に就いた後、1964年(昭和39年)5月に最高裁秘書課長兼広報課長に就任。新聞記者との折衝も仕事の一つだが、懇切丁寧な大内の対応は記者から好評だった。後に最高裁経理局長となり、現最高裁庁舎の建設に参画した。78億円から126億円と膨らんだ建設予算獲得のために大蔵省との折衝をした。国家的事業と考え、法廷内に吸音板を張り巡らして静穏に工夫したり、天井の高い大法廷の暖房にエアカーテンを流すなど最新の注文をつけるなどした。
石田 博(いしだ ひろし、1922年3月24日 - 2002… 石田 博(いしだ ひろし、1922年3月24日 - 2002年12月16日)は、日本の経営者、元日本交通公社(JTB)社長。東京都小平市出身。官立旧制和歌山高等商業学校(現:和歌山大学経済学部)卒業
小峰 元(こみね はじめ、1921年3月24日 - 1994… 小峰 元(こみね はじめ、1921年3月24日 - 1994年5月22日)は、日本の小説家。 1921年、兵庫県神戸市に生まれる。本名は廣岡 澄夫。姫路商業学校、大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)スペイン語科卒業後、貿易商、教員等を経て昭和18年、毎日新聞社に入社。毎日新聞社では大阪本社編集局整理部デスク、高松支局、金沢支局などを経て、大阪本社編集委員となる。新聞社時代の後輩としては作家の長井彬がいる。太平洋戦争終結(終戦)のすぐあとから短編小説を執筆する。1948年、雑誌「百面相」にて「仮面の花嫁」を発表、またこの年「百万塔の秘密」を刊行した。その後も少年向け小説を執筆する。毎日新聞社在職中、1973年に『アルキメデスは手を汚さない』で第19回江戸川乱歩賞を受賞する。
磯野 国徳(いその くにのり、1921年3月24日 - 19… 磯野 国徳(いその くにのり、1921年3月24日 - 1992年5月12日)は、日本の経営者。兵庫県出身。 1943年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1948年2月に同和火災海上保険に入社。 1973年6月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1978年7月には社長に就任し、1979年3月までに務めた。 1992年5月12日肺炎のために死去。71歳没。
武田 うめ(たけだ うめ、1921年3月24日 - 没年不明… 武田 うめ(たけだ うめ、1921年3月24日 - 没年不明)は日本映画の編集技師。長野県中野市出身。 1941年に新興キネマ大泉撮影所に入社するも、12月に社団法人日本映画社に移籍。1951年に東宝撮影所の移籍を経て、1973年にフリーとなる。 担当番組は『ウルトラマンレオ』(1974年/円谷プロダクション・東京放送)など。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
磯野 富士子(いその ふじこ、1918年3月24日 - 20… 磯野 富士子(いその ふじこ、1918年3月24日 - 2008年1月5日)は、日本のモンゴル研究家、翻訳家。 広島県生まれ。日本女子大学附属高等女学校卒業。日本女子大学校英文科卒業。磯野誠一と結婚、1943年誠一とともにモンゴルに行き、西北研究所の所員となる。 戦後帰国、『冬のモンゴル』を刊行。1961年「再び主婦労働について」を発表し、第二次主婦論争の口火を切る。1966年『オルドス口碑集』の翻訳を出版、パリのラティモア-モンゴル学研究所主任研究員となる。 父は海軍技術少将穂積律之助、伯父に東大教授穂積重遠と叔父に京城電気取締役穂積真六郎。祖父東大教授穂積陳重、祖母歌子は渋沢栄一の長女であり、父の律之助は栄一の2番目の孫であった
山田 太郎(やまだ たろう、1918年3月24日 - 200… 山田 太郎(やまだ たろう、1918年3月24日 - 2002年12月23日)は、日本の政治家、公明党の衆議院議員(6期)。岡山市出身。
山田 太郎(やまだ たろう、1918年3月24日 - 200… 山田 太郎(やまだ たろう、1918年3月24日 - 2002年12月23日)は、日本の政治家、公明党の衆議院議員(6期)。岡山市出身。 1941年、慶應義塾大学文学部を卒業。1967年の第31回衆議院議員総選挙で当時の中選挙区であった岡山県第1区で、党結成後初めての総選挙に公明党から出馬して初当選し、以降、1980年の第36回衆議院議員総選挙まで連続6回の当選を果たした。この間、1972年には政策審議会文教部会長、1981年には中央統制委員など、党内の要職を歴任した。2002年12月23日、岡山市内の病院で脳梗塞の後遺症により84歳で亡くなった。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
原 忠三(はら ちゅうぞう、1917年 <大正6年> 3月2… 原 忠三(はら ちゅうぞう、1917年 <大正6年> 3月24日 - 2004年 <平成16年> 12月15日)は、日本の政治家。山梨県甲府市長(2期)、山梨県議会議員(3期)。位階は正五位。 山梨県出身。1933年、甲府市立商業学校(現・甲府市立甲府商業高等学校)卒。家業の製糸業に従事し、1946年、東京電力に入社する。1955年山梨県労連事務局長、1956年、同議長、1957年東電労組本部書記長を経て、1959年、山梨県議に当選。3期務め、1967年には副議長に就任した。1980年の第12回参議院議員通常選挙において山梨地方区から日本社会党公認で立候補したが落選した。1983年、甲府市長に当選、2期務めた。
安田 章生(やすだ あやお、1917年〈大正6年〉3月24日… 安田 章生(やすだ あやお、1917年〈大正6年〉3月24日 - 1979年〈昭和54年〉2月13日)は、昭和期の歌人、国文学者。文学博士。 尾上柴舟門下の歌人・安田青風の長男として兵庫県に生まれる。2歳のとき朝鮮・釜山に、4歳のとき京城に移る。1921年、兵庫県揖保郡龍野町(現たつの市)に転居。1925年、宍粟郡山崎町に移る。 龍野中学校(現兵庫県立龍野高等学校)、姫路高等学校文科を経て、東京帝国大学国語国文学科卒。大手前高等女学校教諭となる。戦中は土浦海軍航空隊教授嘱託、海軍教授を務める。1945年、天理語学専門学校(現天理大学)教授。1946年、樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)教授。
向坊 隆(むかいぼう たかし、1917年3月24日 - 20… 向坊 隆(むかいぼう たかし、1917年3月24日 - 2002年7月4日)は、日本の応用化学者。東京大学総長。専門は電気化学で、金属の腐蝕、原子炉材料を研究し、日米原子力協力協定のまとめ役となり、原子力委員会委員長代理、日本原子力産業会議会長を務めた。1992年文化功労者。 関東州大連生まれ(父親が満鉄の理事だった)。大連二中、一高を経て、東京帝国大学応用化学科卒、1955年東京大学工学博士、「電気化学装置の化学工学的研究」。1959年東大教授。1968年の東大紛争時の工学部長で学内の改革に努め、1977年から総長。 1977年電気化学協会会長。1982年日本工学教育協会会長。
石田 正(いしだ ただし、1917年 <大正6年> 3月24… 石田 正(いしだ ただし、1917年 <大正6年> 3月24日 - 1996年 <平成8年> 1月4日)は、日本の経営者。グンゼ社長、会長を務めた。位階は従四位。 岡山県出身。1938年に長崎高等商業学校を卒業し、同年に朝鮮銀行に入行。 1945年に郡是製絲(のちのグンゼ)に転じ、1967年に取締役に就任し、1969年に常務、1975年に専務を経て、1979年2月には社長に就任。1985年2月に会長を経て、1988年6月には相談役に就任。 1983年4月に藍綬褒章を受章し、1988年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1996年1月4日肝不全のために死去。78歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
目迫 秩父(めさく ちちぶ、1916年3月24日 - 196… 目迫 秩父(めさく ちちぶ、1916年3月24日 - 1963年3月18日)は、神奈川県出身の俳人。本名は文雄。 横浜市生。県立商工実習学校(現神奈川県立商工高等学校)卒。1941年、昭和特殊製鋼に入社。1946年、スト争議により退社。同年「濱」に入会し大野林火に師事。1949年に結核を発病。貧困生活の中、入退院を繰り返しながら意欲的に病涯を詠んだ。代表句『狂へるは世かはたわれか雪無限』他。1958年、句集『雪無限』により第7回現代俳句協会賞。1963年、喀血による窒息で死去。「濱」(1963年7月号)では追悼号が組まれた。
木村 三四吾(きむら みよご、1916年3月24日 - 20… 木村 三四吾(きむら みよご、1916年3月24日 - 2008年4月)は、日本の近世文学研究者。大阪樟蔭女子大学名誉教授。「餘二稿」「餘二庵」「佐保之不貞祢」と号した。 兵庫県姫路市生まれ。1933年、姫路高等学校入学。1939年、京都帝国大学国文科卒業、同大学院に進学。1945年、天理図書館司書研究員。天理図書館の名物司書として名声が高かった。1976年、天理図書館を停年退職し、同年大阪樟蔭女子大学教授に就任。同大学図書館長を勤め、1986年定年退職、同大学名誉教授。 若い頃は俳諧関係の研究を中心に行い、晩年は曲亭馬琴を中心に研究した。『木村三四吾著作集』全4巻がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
石原田 愿(いしはらだ すなお、1915年(大正4年)3月2… 石原田 愿(いしはらだ すなお、1915年(大正4年)3月24日 - 1987年(昭和62年)3月19日)は、昭和時代の競泳選手。 鹿児島県姶良郡福山村(福山町を経て現霧島市)に生まれる。旧制福山中学校(現 鹿児島県立福山高等学校)出身。 明治大学在学中、1932年ロサンゼルスオリンピックに競泳日本代表として男子1500m自由形に出場し4位に入賞した。つづく1936年ベルリンオリンピックでは前大会と同じく男子1500m自由形に出場し4位に入賞した。
渡辺 武(わたなべ たけし、1915年(大正4年)3月24日… 渡辺 武(わたなべ たけし、1915年(大正4年)3月24日 - 2005年(平成17年)10月4日)は、日本の政治家、経済学者。日本共産党参議院議員。 静岡県沼津市出身。1941年(昭和16年)九州帝国大学法文学部経済学科を卒業する。福岡経済専門学校(後の福岡大学)教授を務めた後、1946年(昭和21年)日本共産党に入党。党中央委員、中央委員会経済調査部長、経済政策委員会責任者などを歴任。 1968年(昭和43年)第8回参議院議員通常選挙で全国区から立候補し当選する。当選回数2回。党参議院国会対策委員長などを務めた。 2005年(平成17年)10月4日多臓器不全のため死去。90歳。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
玉上 琢弥(たまがみ たくや、1915年3月24日 - 19… 玉上 琢弥(たまがみ たくや、1915年3月24日 - 1996年8月30日)は、日本の国文学者。谷崎潤一郎の『源氏物語』現代語訳の監修者であり、自身も『源氏物語』の現代語訳を完成させた。学位は、文学博士(京都大学)。大阪女子大学名誉教授。 東京生まれ。旧制浪速高等学校卒業後、京都帝国大学国文科で、澤瀉久孝の教えを受ける。京都帝国大学国文科卒業。1939年、同大学院在学中、『源氏物語』現代語訳を完成した谷崎潤一郎が京大国文科の招きで話をした時に連なっていた。戦後、京大国文科助手を務めていた1951年から、谷崎の新訳の手伝いをし、事実上の監修者となった。その時期すでに「源氏物語音読論」を書いており、後の谷崎版の新々訳が「ですます」体になったのは、玉上の影響ではないかと言われている。
八木 好美(やぎ よしみ、1914年(大正3年)3月24日 … 八木 好美(やぎ よしみ、1914年(大正3年)3月24日 - 1996年(平成8年)5月17日)は、兵庫県揖保郡越部村觜崎(現たつの市新宮町觜崎)出身の詩人。 1914年(大正3年)、警察官であった父肔哉の長男として、越部村觜崎に生まれる。本名美衛。尋常小学校の頃、父の仕事のため一時姫路に住むが、後に帰郷し兵庫県立龍野中学校に入学。龍野中学校時代、作文を先生に褒められた事が文学を志すきっかけとなった。この頃から『愛誦』『若草』『山脈』『昭和詩人』等に詩を投稿するようになり、『山陰詩人』『詩創元』『ばく』等の同人に参加の他、自らも『火虹』『深苑』等の同人誌を主宰した。生涯の友である大塚徹、植原繁市らと出会ったのもこの頃である。
足達 兼一郎(あだち けんいちろう、1914年(大正3年)3… 足達 兼一郎(あだち けんいちろう、1914年(大正3年)3月24日 - 1980年(昭和55年)2月11日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第9代市長。栄典は、従六位・勲八等。
諸星 静次郎(もろほし せいじろう、1914年3月24日 -… 諸星 静次郎(もろほし せいじろう、1914年3月24日 - 2001年1月5日)は、日本の蚕糸学者。東京農工大学学長や、江戸川大学学長、日本蚕糸学会会長、日本学士院会員などを歴任した。日本学士院賞受賞。紫綬褒章受章。 神奈川県中郡秦野(現秦野市)出身。吉田島農林学校(現神奈川県立吉田島高等学校)、東京高等蚕糸学校(現東京農工大学)養蚕学科を経て、1939年九州帝国大学農学部卒業、郡是製絲入社。1945年農学博士。1946年郡是製絲蚕種部品種課長。1951年郡是工業蚕種部事業部長兼蚕桑研究所長。1963年東京農工大学農学部教授。1965年東京農工大学評議員。1968年東京農工大学農学部長。1973年日本学士院賞受賞。
江口 榛一(えぐち しんいち、1914年〈大正3年〉3月24… 江口 榛一(えぐち しんいち、1914年〈大正3年〉3月24日 - 1979年〈昭和54年〉4月18日)は、日本の詩人、社会運動家。 大分県中津市耶馬溪町山移に生まれる。本名は江口新一。1937年(昭和12年)明治大学文芸科を卒業。大学卒業後は満州で新聞記者を務める。 戦後、日本に復員後は赤坂書店で働きながら詩作を行う。一時期共産党に加入。 1949年(昭和24年)に「未練」(『文藝時代』1949年3月号)が第21回芥川龍之介賞予選候補、1954年(昭和29年)に「近所合壁」(『新潮』1954年5月号)が第31回芥川龍之介賞候補となる。 1955年(昭和30年)に受洗。翌年の1956年(昭和31年)、地の塩の箱運動を起こし、機関誌『地の塩の箱』を発行する。