宮地 正介(みやち しょうすけ、1940年6月26日 - 2… 宮地 正介(みやち しょうすけ、1940年6月26日 - 2025年3月8日)は、日本の政治家。衆議院議員7期。佐賀県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。 若くして創価学会に入信。程なく政治活動に入り、公明党所属参議院議員秘書、公明党埼玉県政策局次長、西部開発特別委員長などを経て、1972年の衆院選に出馬するも落選。1976年の第34回衆議院議員総選挙に旧埼玉2区から立候補。山口敏夫、小宮山重四郎ら新自由クラブ、自由民主党の大物がそろう選挙区で厳しい戦いを迫られたが、現職の日本社会党の清水徳松を振り切って3位に滑り込み、初当選。1980年、第36回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。1983年、第37回衆議院議員総選挙で衆議院議員に返り咲いた。
菊谷 勝利(きくや かつとし、1939年6月26日 - 20… 菊谷 勝利(きくや かつとし、1939年6月26日 - 2015年7月5日)は、日本の政治家。北海道砂川市長(3期)。 北海道増毛郡増毛町出身。1958年、北海道留萌高等学校卒。1961年、砂川市役所に入る。1971年、自治労砂川市職員労働組合特別執行委員となり、同年の砂川市議会議員選挙で当選する。砂川市議は1999年まで務め、この間、副議長と議長を歴任した。同年の砂川市長選挙に立候補し当選し、3期務める。2011年に市長を退任した。
島津 勇典(しまづ ゆうてん、1938年(昭和13年)6月2… 島津 勇典(しまづ ゆうてん、1938年(昭和13年)6月26日 - )は、日本の政治家。元玉名市長(1期)、元熊本県議会議員(6期)、元熊本県議会議長。 熊本県出身。熊本県立玉名高等学校を経て、1967年(昭和42年)3月、中央大学法学部法律学科卒業。高田浩運参議院議員秘書を経て、1983年(昭和58年)4月、熊本県議会議員選挙に初当選。1999年(平成11年)11月、第71代同県議会議長に就任。2000年(平成12年)12月、12代自由民主党熊本県連幹事長に就任。 2005年(平成17年)10月3日、旧玉名市・岱明町・横島町・天水町の1市3町は対等合併し、新市制による玉名市が誕生する。これに伴って11月13日に行われた市長選挙に自由民主党の推薦を受けて出馬。
冨士田 元彦(ふじた もとひこ、1937年6月26日 - 2… 冨士田 元彦(ふじた もとひこ、1937年6月26日 - 2009年12月18日)は、日本の評論家、編集者、実業家。京城府(現・ソウル特別市)生まれ、山形県出身。 山形県立山形東高等学校を経て、早稲田大学文学部史学科卒業。角川書店の「短歌」編集長として60年代の前衛短歌運動の一端を担う。1972年、個人誌「雁-映像+定型詩」を創刊。14号まで編集・発行を続ける。小紋潤と設立した書肆「雁書館」代表。短歌及び日本映画の評論を精力的に行った。著書に「冨士田元彦短歌論集」など。2009年、敗血症のため逝去。
津久井 督六(つくい すけろく、1936年6月26日 - 2… 津久井 督六(つくい すけろく、1936年6月26日 - 2024年6月28日)は、日本の実業家。ツクイの代表取締役会長や社会福祉法人ひまわり福祉会理事長を勤めた。 山梨県竜王町出身。山梨県立甲府工業高等学校卒業。1955年に大同建設入社。1969年、津久井土木(現・ツクイ)設立。家族が患った認知症をきっかけに、1973年に福祉事業部を設立。訪問入浴サービスを開始した。2002年土木業から撤退する。 2012年に代表取締役社長を退任して代表取締役会長に就任し、2015年にツクイの代表取締役会長を退任した。 2024年6月28日、88歳で死去。
深尾 道典(ふかお どうてん、1936年6月26日 - 20… 深尾 道典(ふかお どうてん、1936年6月26日 - 2023年9月22日)は、日本の映画監督、脚本家。本名:ふかお みちのり。滋賀県神崎郡五個荘町(現東近江市)出身。 六人兄弟の三男として五個荘町(現東近江市)に生まれる。両親とも小学校教師。家は貧しかった。滋賀県立八日市高校野球部でサードを守り、二年の夏、京滋代表として第35回夏の甲子園に出場した。レギュラーとして甲子園の土を踏んだ映画監督は深尾ただ一人とされる。早稲田大学第一文学部文学科美術専攻に進学し、20世紀美術史を専攻。実家からの仕送りを米だけで、学費と生活費を東ハトの工場のアルバイトで凌ぐ。学生運動にも活発に参加、警職法反対闘争や60年安保闘争では機動隊に何度も殴打された。
岡崎 光治(おかざき みつはる、1935年6月26日 - 2… 岡崎 光治(おかざき みつはる、1935年6月26日 - 2018年12月6日)は、日本の作曲家・指揮者。日本作曲家協議会会員、日本電子音楽協会理事、仙台電子音楽協会代表、仙台作曲家集団所属、宮城県芸術協会参事、NHK仙台放送局合唱団音楽監督。常盤木学園高等学校音楽科講師。
白川 澄子(しらかわ すみこ、1935年6月26日 - 20… 白川 澄子(しらかわ すみこ、1935年6月26日 - 2015年11月25日)は、日本の声優、女優。 『サザエさん』の中島弘役、『ドラえもん(テレビ朝日版第1期)』の出木杉英才役など、アニメ黎明期より端正な少年役を演じて長期レギュラー出演していた。 東京府(現東京都)出身。放送劇が好きであり、慶應義塾大学文学部卒業後、TBS放送劇団に入団。その後、青年工房、富士放送プロ、土の会、七の会、劇団河に所属していた。 2015年11月25日午後10時頃、クモ膜下出血のため東京都杉並区内の自宅で死去、80歳没。11月26日、『サザエさん』12月6日放送分の収録に出演する予定であったが、集合時間を過ぎても現場に姿を見せず、連絡も取れなかったことから、アニメスタッフがマネージャーや白川の実弟と一緒に自宅アパートを訪れたところ、風呂場の浴槽で顔が水に浸かった状態で倒れ亡くなっているのが発見された。
鈴木 政志(すずき まさし、1935年6月26日- 2005… 鈴木 政志(すずき まさし、1935年6月26日- 2005年5月13日 )は、日本の経営者。野村證券社長、会長を務めた。 千葉県出身。1958年に東京大学法学部を卒業し、同年に野村證券に入社した。1981年12月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1972年4月に副社長に就任し、1993年6月には副会長に就任し、翌年6月に会長に就任した。 しかしその後総会屋への利益供与事件で酒巻英雄社長が引責辞任したことにより、1997年3月に暫定的に社長を兼務し、経営を刷新したが、わずか2ヶ月後の5月に社長を氏家純一に譲り、会長に専任する。1998年6月から顧問を務めた。 日本証券業協会会長も務めた。 2005年5月13日、腎不全のために死去。
森下 郁子(もりした いくこ、1935年6月26日 - )は… 森下 郁子(もりした いくこ、1935年6月26日 - )は、日本の河川学者、社団法人淡水生物研究所所長。 台北生まれ。奈良女子大学理学部動物学科卒。兵庫県河川審議委員、応用生態工学研究会副会長、環境技術学会副会長、日本河川協会理事、国土技術研究センター理事、大阪産業大学教授などを経て現職。1977年『川の健康診断』で毎日出版文化賞受賞。2002年「魚類群集による河川環境評価手法の開発に関する研究」で芝浦工業大学工学博士。 専門は、陸水生態学、比較河川学、ダム湖学。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
後藤 暢(ごとう とおる、1934年〈昭和9年〉6月26日 … 後藤 暢(ごとう とおる、1934年〈昭和9年〉6月26日 - )は、福岡県出身の元競泳選手。 高校3年生のときに1952年ヘルシンキオリンピックに出場し、男子800m自由形リレーで銀メダルを獲得した。のちに西日本新聞社に入社してスポーツ記者として活動、運動部長を務める。 福岡県朝倉郡朝倉村恵蘇宿(現在の朝倉市山田)に生まれる。 父の後藤均は村長も務めるとともに地域の水泳の発展に貢献した人物で、本人含め2男4女(暢は次男)が水泳の達者という水泳一家であった(とくに長男の龍美、次女の美智子は全国大会で成績を残し、オリンピック選手候補として名が挙がるレベルであったという)。1940年には均が中心となり、有志の協力・村民の理解のもとで、朝倉村立朝倉小学校に福岡県の小学校では最初に25mプールが設けられた。
鳥井 克之(とりい かつゆき、1934年6月26日 - )は… 鳥井 克之(とりい かつゆき、1934年6月26日 - )は、中国語学者、関西大学名誉教授。 大阪市生まれ。大阪府立今宮高等学校卒、1958年大阪市立大学経済学部(二部)卒業。1960年同文学部中国学科(二部)卒業。1963年同大学院文学研究科修士課程修了、大阪市立大学文学部助手、1967年関西大学文学部講師、助教授、教授、2000年外国語教育研究機構教授。2005年定年、名誉教授。 1996年「中国文法学説史」で関西大学より文学博士の学位を取得。 2014年11月瑞宝中綬章受章。
宮内 宏二(みやうち こうじ、1933年6月26日 - 20… 宮内 宏二(みやうち こうじ、1933年6月26日 - 2022年1月10日)は元・ヤマト運輸代表取締役相談役。愛媛県川之江市出身。趣味はゴルフ。
石井 連藏(いしい れんぞう、1932年6月26日 - 20… 石井 連藏(いしい れんぞう、1932年6月26日 - 2015年9月27日)は、日本のアマチュア野球選手、監督。早稲田大学野球部第9代・第14代監督。 水戸第一高等学校では、エースとして1949年秋季関東大会県予選決勝に進むが、水戸商に惜敗。翌1950年夏の甲子園予選でも北関東大会決勝に進むが、宇都宮工の神田昌男、吉成武雄(いずれものち大洋ホエールズ)のバッテリーに完封を喫し甲子園出場を逸する。 1951年に早稲田大学野球部に進み、東京六大学野球リーグでは在学中3度の優勝を経験。2年生からエースとして剛速球のストレートと大きなカーブを武器に活躍、なかでも早慶戦では6勝を挙げ大活躍した。2年次の1952年は慶應の河合貞雄と春秋にわたって全試合に投げ合いを演じ、春季2位、秋季優勝の記録を残した。
長谷川 清(はせがわ きよし、1932年6月26日 - 20… 長谷川 清(はせがわ きよし、1932年6月26日 - 2017年6月1日)は、日本の政治家、元民主党参議院議員(2期)。 旧朝鮮・釜山生まれ。1952年、大分県立大分工業高等学校卒業。同年東京電力に入社。東京同盟書記長、電電労組委員長、電力労連副会長、電力総連副会長を歴任する。1992年の第16回参議院議員通常選挙で比例区に民社党から立候補して当選。1994年の新進党結党に参加。その後新党友愛を経て民主党に合流。2期務め、2004年の第20回参議院議員通常選挙に立候補せず、引退。 2002年、勲二等瑞宝章受章。 2017年6月1日20時46分、腎不全のため狭山市で死去。84歳没。
石井 連藏(いしい れんぞう、1932年6月26日 - 20… 石井 連藏(いしい れんぞう、1932年6月26日 - 2015年9月27日)は、日本のアマチュア野球選手、監督。早稲田大学野球部第9代・第14代監督。
藤岡 大拙(ふじおか だいせつ、1932年6月26日- )は… 藤岡 大拙(ふじおか だいせつ、1932年6月26日- )は、地方史学者、島根県立大学短期大学部名誉教授。 島根県簸川郡斐川町(現出雲市)生まれ。1956年京都大学文学部国史学科卒業、1958年同大学院文学研究科修士課程修了。司書。1958年島根県立出雲高等学校教師、1962年島根県立松江南高等学校教師、1977年島根県立図書館資料課長、1984年主査。1985年島根女子短期大学助教授、1988年教授、1996年学長。島根県立大学短期大学部名誉教授。 島根県立八雲立つ風土記の丘所長、島根県文化振興財団理事長、NPO法人出雲学研究所理事長、荒神谷博物館館長、松江歴史館館長などを歴任。2022年、地域文化功労者表彰。
鈴木 保巳(すずき やすみ 1931年6月26日 - 200… 鈴木 保巳(すずき やすみ 1931年6月26日 - 2008年2月9日)は、競輪評論家、元競輪選手。群馬県出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第1期生。現役時は日本競輪選手会群馬支部所属。選手登録番号5808。 夫人も、実子の鈴木一正(48期)も元競輪選手。この他、甥にあたる鈴木大介(37期)も元競輪選手だった。 群馬県立前橋高等学校時代は野球部の主将として活躍し、1948年に行われた第30回全国高等学校野球選手権大会に出場。その後は日本大学に進学した後、競輪に転向する形で競輪学校に第1期生として入学。 競輪選手としては1951年9月に京王閣競輪場でデビューし、35歳まで現役を続けたが、1966年9月9日に選手登録を消除して引退。
栗原 蘆水(くりはら ろすい、1931年6月26日 - 20… 栗原 蘆水(くりはら ろすい、1931年6月26日 - 2010年6月30日)は、日本の書家。本名は靖。広島県福山市駅家町出身。 1950年広島県立府中高校卒業後、4年間天満屋デパートに勤務。1954年、脱サラして村上三島に師事し、大阪に住む。1962年、第5回日展で特選受賞。1965年、蘆交会を主宰し、書道文化の普及や後進の育成に尽力。1969年、改選第1回日展審査員就任、以後12回務める。1988年、日展文部大臣賞、1994年、日本芸術院賞などを受賞。日本を代表する書家として活躍した。翌1995年、日展理事就任。2001年、日本書芸院理事長に就任。同年、勲四等旭日小綬章受章。日展常務理事、全国美術振興会常務理事なども務めた。
中原道喜(なかはら みちよし、1931年6月26日-2015… 中原道喜(なかはら みちよし、1931年6月26日-2015年6月)は、日本の英語教師・受験参考書の著者。 大阪府出身であり、玉川大学文学部英文科卒、開成高等学校教諭を務めた。開成高校にて原仙作に師事した。
沢田 一彦(さわた かずひこ、1931年6月26日 - )は… 沢田 一彦(さわた かずひこ、1931年6月26日 - )は、日本の経営者。学習研究社(現在の学研ホールディングス)社長を務めた。東京都出身。 1954年に東京大学文学部英文学科を卒業し、同年に学習研究社に入社。 1983年11月に取締役に就任し、1993年1月に副社長を経て、1993年4月に社長を就任。1997年6月に会長に就任。
千野 陽一(ちの よういち、1931年6月26日 - )は、… 千野 陽一(ちの よういち、1931年6月26日 - )は、日本の教育学者、歴史学者、東京農工大学名誉教授。 愛知県安城市生まれ。1955年東京大学教育学部教育行政学科卒。東京農工大学工学部助教授、教授。96年定年退官、名誉教授。その後、帝京大学教授、2002年定年退職。戦時下の婦人団体の歴史、農村での教育などを研究した。
芹川 有吾(せりかわ ゆうご、1931年6月26日 - 20… 芹川 有吾(せりかわ ゆうご、1931年6月26日 - 2000年10月4日)は、日本のアニメーション演出家、脚本家、映画監督である。東京都小石川区水道町出身。ペンネームに、浜田 稔、山中 肇、金子 健がある。父は、東京シネマ商会会長の芹川政一。 映画人の家庭に育ち、新東宝では、助監督として並木鏡太郎、中川信夫に師事した。渡辺邦男の早撮りの技術も勉強になったという。ウォルト・ディズニーの『バンビ』でアニメーションに魅了され、『白蛇伝』を見て制作した東映動画(現・東映アニメーション)へ入社。初監督作品『わんぱく王子の大蛇退治』は、内容的な評価も高く、それまでの東映動画になかった本格的な演出を持ち込み、監督という職制を確立した歴史的作品である。
森本 三男(もりもと みつお、1930年6月26日 - )は… 森本 三男(もりもと みつお、1930年6月26日 - )は、日本の経営学者。青山学院大学名誉教授。経営学博士(1997年、名古屋大学にて取得)。 満州国旅順生まれ。1953年山口大学経済学部を卒業。1955年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了、横浜市立大学助手、1960年同大学講師、1961年同大学助教授、1971年同大学教授を経て、1984年青山学院大学国際政治経済学部教授に就任。1997年「企業社会責任の経営学的研究」で、名古屋大学より経営学博士の学位を取得。1999年退職。同大学名誉教授となる。白鷗大学教授に就任。1993年藍綬褒章受章。1996年横浜市功労者表彰。2010年瑞宝中綬章受勲。
芦沢 俊郎(あしざわ としろう、1930年6月26日 - 2… 芦沢 俊郎(あしざわ としろう、1930年6月26日 - 2020年10月20日)は、日本の脚本家。東京都府中市出身。 1952年に早稲田大学文学部を卒業、松竹大船撮影所脚本部に入部し、斎藤良輔に師事。1959年にフリーの脚本家となる。後に「芦沢俊郎のシナリオ研究塾」を開講した。 2020年10月20日、肺梗塞のため死去。90歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中松 義郎(なかまつ よしろう、通称: ドクター中松、英語表… 中松 義郎(なかまつ よしろう、通称: ドクター中松、英語表記: Dr. NakaMats 1928年(昭和3年)6月26日 - )は、日本の発明家、実業家である。「ドクター中松創研」代表取締役、日本文化振興会第10代会長、現副総裁[注 1][3]、国際発明協会および世界天才会議の主宰者[4]。東京都知事選挙に繰り返し出馬するなどのパフォーマンスで注目を集め、タレントとしてテレビに出演するようになった[5]。アパグループ広報誌「アップルタウン」では「サー中松義郎博士」と表記されている[6]。
阪本 健二(さかもと けんじ、1928年6月26日- )は、… 阪本 健二(さかもと けんじ、1928年6月26日- )は、日本の精神科医。 大阪府に坂本病院創設者・阪本三郎の長男として生まれる。弟は阪本良男。1953年京都大学医学部卒、55年助手、1956年ニューヨーク大学ベルビュー病院助手、57年ロンドン大学神経学研究所助手、58年阪本病院副院長、1959年京都大学医学博士。62年京大講師。68年父三郎の死により阪本病院院長、1979年財団法人阪本精神病理学研究所設立。長女の夫は岩井圭司(神戸大学医学博士、兵庫教育大学教授)。
富岡 興永(とみおか おきなが、1928年〈昭和3年〉6月2… 富岡 興永(とみおか おきなが、1928年〈昭和3年〉6月26日 - 2012年〈平成24年〉7月20日)は、日本の神職。富岡八幡宮宮司(第19代)。 富岡盛彦・好子の次男として東京都に生れる。別名宰一郎か。1950年、國學院大學の旧制哲学科を卒業。同年、電通に入社。 1959年、京都府宮津市にある籠神社の禰宜となる。時期は不明だが、同神社宮司の海部穀玄の長女と結婚した。 1960年、東京都に戻り富岡八幡宮の禰宜となる。 1974年9月9日、父の富岡盛彦が死去。同年、父の後継として富岡八幡宮第19代宮司に就任。 1994年10月に宮司退任。1995年3月、長男の富岡茂永が宮司となり、興永は名誉宮司となった。
佐佐木 行美(ささき ゆきよし、1928年〈昭和3年〉6月2… 佐佐木 行美(ささき ゆきよし、1928年〈昭和3年〉6月26日 - 2016年〈平成28年〉6月25日)は、日本の無機化学者。専門はポリ酸の溶液化学・構造化学。東京大学名誉教授。理学博士。 1928年6月26日、東京府にて父・佐佐木行忠侯爵と母・米子の間に生まれた。佐佐木家はもともと土佐藩士家で、曾祖父・佐佐木高行の維新以来の勲功により華族に列した家系である。 1952年に東京大学理学部化学科を卒業した。卒業研究では、原爆投下された長崎の残留放射能の分析を行った。大学院在籍時にビキニ事件が発生し、大学院ではビキニの灰の放射能分析に明け暮れた。1955年に同大学理学部の助手に着任した。翌1956年から1961年までスウェーデン王立工科大学に留学し、研究助手を務めた。
都筑 卓司(つづき たくじ、1928年6月26日 - 200… 都筑 卓司(つづき たくじ、1928年6月26日 - 2002年7月13日)は、日本の物理学者。横浜市立大学名誉教授(理学博士)。 静岡県浜松市生まれ。東京文理科大(東京教育大学の前身校の一つ)でノーベル賞物理学者の朝永振一郎に師事。 1957年8月に横浜市立大学文理学部講師となり、以後助教授(1961年4月)を経て、1972年4月に教授に就任する。 趣味は「都市探索」で、社交ダンスもたしなんだ。 1970年頃から物理学に関する約40冊以上の著書を残した。講談社ブルーバックスでは17冊の著書を刊行し、2017年現在でもシリーズ中著者として最多(刊行部数はその時点で累計340万部)である。ブルーバックスの編集者からは、都筑の著書は「本が好きであれば科学の知識がなくても読めること」が魅力で、「宇宙・素粒子などの私たちの日常とはかけ離れた世界を題材にして「科学」というものの「驚き」を教えてくれ」、「ブルーバックスの原点ともいえるスタイル」との評価を受けている。
杉本 苑子(すぎもと そのこ、1925年6月26日 - 20… 杉本 苑子(すぎもと そのこ、1925年6月26日 - 2017年5月31日)は、日本の小説家、歴史小説家、文化勲章受章者。 東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身。旧制千代田女子専門学校(現 武蔵野大学)、文化学院卒業。 1952年、「燐の譜」で『サンデー毎日』の懸賞小説に入選、選考委員である吉川英治に師事する。吉川死去の翌年、『孤愁の岸』で第48回(1962年下半期)直木賞を受賞。以後、歴史小説家として活躍する。また、一般向けの歴史書も記している。 1985年に、『マダム貞奴』および『冥府回廊』を原作とするNHK大河ドラマ『春の波濤』が放映される。作品が舞台演劇として上演された数も多い。
高谷 朝子(たかや あさこ、1924年(大正13年)6月26… 高谷 朝子(たかや あさこ、1924年(大正13年)6月26日 - 2018年(平成30年)5月11日)は、宮内庁元内掌典。高谷の高は、はしごだか(髙) 滋賀県大津市生まれ。1942年(昭和17年)3月に滋賀県立大津高等女学校(現滋賀県立大津高等学校)を卒業。翌1943年(昭和18年)6月1日に宮内省内掌典を拝命。以後約57年間に亘り、皇室の神事、賢所や候所の伝統を護る。終戦から昭和天皇崩御までを皇居内で過ごした。この間、1985年(昭和60年)4月におかしら(内掌典の長)に就任。昭和天皇大喪の礼、第125代天皇明仁即位の礼、皇太子徳仁親王成婚に関わった。2000年(平成12年)11月、勲四等瑞宝章受章。
暉峻 衆三(てるおか しゅうぞう、1924年〈大正13年〉6… 暉峻 衆三(てるおか しゅうぞう、1924年〈大正13年〉6月26日 - 2023年〈令和5年〉12月22日)は、日本の経済学者。専門は農業経済学。学位は、農学博士(東京大学・論文博士・1984年)(学位論文『日本農業問題の展開』)。東京教育大学教授・信州大学教授・宇都宮大学教授・東亜大学教授を歴任。 暉峻義等の次男。妻は暉峻淑子。長男は暉峻創三。 岡山県倉敷市出身。1943年東京帝国大学に入学。1944年学徒動員により入隊し、陸軍経理学校に入る。1945年8月12日、原爆投下後の広島市に入る。 1947年東京帝国大学農学部農業経済学科卒業。1984年『日本農業問題の展開』で東京大学より農学博士の学位を取得。
久保田 晴寿(くぼた せいじゅ、1923年(大正12年)6月… 久保田 晴寿(くぼた せいじゅ、1923年(大正12年)6月26日 - 2004年(平成16年)8月31日)は、日本の薬学者。専門は薬品合成化学。 長野県上田市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1946年京都帝国大学医学部薬学科卒業。1947年母校助手。1951年徳島大学薬学部助教授、1957年教授、1972年薬学部長を経て、1988年に徳島大学学長に就任し1991年に学長を退任。退任後の1992年に大阪薬科大学学長に就任、1995年に同大学学長を退任。1997年、勲二等旭日重光章受章。 1953年、京都大学薬学博士。論文名は「アセチレンとアンモニアの縮合に関する研究」。 2004年に急性呼吸不全のため徳島県小松島市の病院で死去。
景浦 賢一(かげうら けんいち、1923年6月26日 - 没… 景浦 賢一(かげうら けんいち、1923年6月26日 - 没年不明)は、愛媛県松山市出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手、三塁手。
湊 俊一(みなと しゅんいち、1923年6月26日 - )は… 湊 俊一(みなと しゅんいち、1923年6月26日 - )は日本の俳優。声優。本名は湊谷 順平(みなとや じゅんぺい)。 秋田県平鹿郡で生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業。大学在学中は演劇研究会で活動。大学卒業後は劇団創作座に参加。1952年、ラジオ東京放送劇団に入団。劇団内では寺島信子、嵯峨隆一とともに研究会を作り演技の勉強を続けた。その後はタレントエージェント、三木事務所、劇団東芸、天知プロ、ニューキャスターブロフに所属していた。 現代劇における科学者や上司役などが当たり役で数多くのドラマに出演。時代劇では主に家老や商人役などを演じた。声優としても草創期から吹き替えを中心に活躍。 社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている。
市川 喜一(いちかわ きいち、1923年〈大正12年〉6月2… 市川 喜一(いちかわ きいち、1923年〈大正12年〉6月26日 - 2006年〈平成18年〉3月31日)は、日本の映画プロデューサー・元俳優である。俳優としての芸名は黒田潤。群馬県高崎市出身。妻は市川千恵子(旧姓・関千恵子、元女優)。 海軍予備学生として魚雷艇部隊に在籍した。1946年に早稲田大学法学部を卒業するとともに、黒田潤名義で、新人スターとして大映入りして、いくつかの作品に出演。デビュー作『いつの日か花咲かん』で共演した関千恵子と交際、後に結婚。 1952年に大映を退社してフリーとなる。シナリオ作家志望だった市川は、故郷の群馬県高崎市の交響楽団をモデルにした作品を構想して、今井正監督に売り込んで採用される。
新堀 通也(しんぼり みちや、1921年6月26日 - 20… 新堀 通也(しんぼり みちや、1921年6月26日 - 2014年3月24日)は、日本の教育学者・社会学者。学位は、文学博士(広島大学・1961年)。広島大学名誉教授、武庫川女子大学名誉教授。 神戸市出身。第一神戸中学校(現兵庫県立神戸高等学校)・広島高等師範学校を経て、1942年10月広島文理科大学に入学。卒業直前の1945年8月6日に広島市への原子爆弾投下により被爆。同年9月広島文理科大学教育学科を卒業。稲富栄次郎に師事。卒業の翌日、広島女子高等師範学校教諭に就任、翌年広島高師助教授に転任。1951年、広島大学教育学部助教授に配置換えとなり、1971年同教授。1968年からは広島大学助教授併任のまま文部省社会教育官として3年間つとめ、広島大学では教育学部長・大学教育研究センター長などの役職を歴任。
大島 弘(おおしま ひろむ、1921年(大正10年)6月26… 大島 弘(おおしま ひろむ、1921年(大正10年)6月26日 - 1994年(平成6年)2月3日)は、昭和期の大蔵官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(2期、日本社会党)。兄は第14代大阪市長の大島靖。 和歌山県、現在の田辺市出身。第三高等学校を経て、1942年(昭和17年)4月、東京帝国大学法学部に入学。1943年(昭和18年)12月、現役入営。1945年(昭和20年)8月、陸軍主計少尉に任官し予備役に編入され臨時召集。同年12月、召集解除となる。1947年(昭和22年)東京帝大法学部政治学科を卒業。同年4月、高等試験行政科・司法科に合格。 卒業後、1947年5月、大蔵省に入省して大蔵事務官に任官し専売局長官官房に配属された。
吉田 正己(よしだ まさみ、1921年6月26日 - 197… 吉田 正己(よしだ まさみ、1921年6月26日 - 1977年12月2日)は、ドイツ文学者。 北海道岩内郡共和町出身。浦和高等学校(旧制)卒、1948年東京帝国大学独文科卒。東京大学教養学部助教授、教授。1972年定年退官。 1977年12月2日、S字結腸癌のため死去。 フロイトなどを訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
鴻池 十郎(こうのいけ じゅうろう、1920年 <大正9年>… 鴻池 十郎(こうのいけ じゅうろう、1920年 <大正9年> 6月26日 - 2004年 <平成16年> 2月22日)は、日本の経営者。鴻池運輸社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1943年に日本大学商経済学部を卒業し、同年に鴻池組に入社。1970年11月に鴻池運輸社長に就任し、1989年12月には会長に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1997年4月に勲四等瑞宝章を受章。 2004年2月22日に肺炎のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
名東 孝二(なとう たかつぐ、1919年6月26日 - 20… 名東 孝二(なとう たかつぐ、1919年6月26日 - 2002年1月8日)は、日本の経済学者。 福岡県出身。神戸商業大学(現・神戸大学)卒。彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)講師、広島大学経済学部講師、助教授、1961年教授。1982年定年退官、名誉教授、日本大学経済学部教授、1974年「資金流通分析の基礎理論」で日大経済学博士。1990年東京国際大学教授、九州保健福祉大学学長。産業総論、経営学、財政学、税制論、地下経済などを研究し、生活者経済学を提唱した。
山本 素石(やまもと そせき 1919年6月26日 - 19… 山本 素石(やまもと そせき 1919年6月26日 - 1988年8月1日)は、釣り研究者、エッセイスト、宗教家。 滋賀県甲賀郡甲南町(現甲賀市)生まれ。本名、山本幹二。日本随筆協会、日本釣振興会、日本渓流釣連盟、各会員。 各種学校や塾を遍歴して一つも卒業せず、職業も転々として自由業に終始。絵付け職人の傍ら、山釣りと渓魚とツチノコの研究にのめり込み、京都を拠点に北海道北端から九州南端、さらには離島、韓国江原道まで彷徨した。 昭和40年代のツチノコブームの火付役で、田辺聖子の小説「すべってころんで」のモデルにもなった。天理教滋京分教会会長、ノータリンクラブ会長。
村上 正名(むらかみ まさな、1918年6月26日 - 20… 村上 正名(むらかみ まさな、1918年6月26日 - 2002年2月9日)は、日本の教育学者、郷土史家。元広島大学附属福山中学校・高等学校教諭。勲四等旭日小綬章受章。後に従四位に叙せられた。 「東洋のポンペイ」と呼ばれる草戸千軒遺跡の発掘に尽力した。個人的な調査と資料をもとに草戸千軒集落の発掘と保存を粘り強く行政に訴えつづけ、1961年に福山市が行った発掘調査に続き、1973年に広島県により調査所が、1976年調査研究所を発足させるに至った。これ以降、1990年までに行われた全面的な調査と研究が継続され、草戸千軒遺跡の全貌が明らかになり、広島県立歴史博物館の創設をもたらすことにもなった。 また、姫谷焼について、日本陶磁協会誌『陶説』を場として、当時まだ地方窯(じかたよう)としか見られていなかった色絵姫谷焼の貴重性を広く世に広めた。
岩永 健吉郎(いわなが けんきちろう、1918年6月26日 … 岩永 健吉郎(いわなが けんきちろう、1918年6月26日 - 1998年11月22日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。 福岡市に生まれる。1936年福岡県中学修猷館、1938年第一高等学校文科甲類を経て、戦争による非常時を理由に高等教育の修業年限が短縮されたことにより、1941年12月東京帝国大学法学部政治学科を3か月繰り上げて卒業。東大在学中は、戦時色が高まる中で欧米における民主政の発展過程を学ぶことに心の救いを求め、高木八尺教授のアメリカ政治史や岡義武教授のヨーロッパ政治史を熱心に聴講した。また、両教授の勧めにより、アレクシ・ド・トクヴィルやアルトゥル・ローゼンベルクの著作を熟読している。
桂 英澄(かつら ひでずみ、1918年6月26日 - 200… 桂 英澄(かつら ひでずみ、1918年6月26日 - 2001年1月28日)は、日本の小説家。父は東京帝国大学教授(金属工学)の桂弁三。姉は洋画家・桂ゆき。 東京市本郷区生まれ。1943年京都帝国大学文学部哲学科卒。在学中から太宰治に師事。卒業後NHKに入社、戦後放浪生活に入り八年ほど療養生活をしたのち、同人誌に創作を発表。1971年『早稲田文学』に「寂光」を連載、72年同作で直木賞候補となる。
染野 義信(そめの よしのぶ、1918年6月26日 - 20… 染野 義信(そめの よしのぶ、1918年6月26日 - 2007年)は、日本の法学者。専門は、民事訴訟法・裁判法。日本大学法文学部卒業。日本大学名誉教授。茨城県出身。 明治期以降の司法制度の研究で知られ、『講座 日本近代法発達史』(有斐閣)に収められた「司法制度」「裁判制度」は珠玉の業績として影響力をもった。染野の近代司法制度に関する研究業績は、東京大学より法学博士の学位が授与されている。また、日本学術会議会員に選出され、同会議第二部(法学・政治学部門)部長の要職も務めた。『民事訴訟法講義』『破産法講義』(ともに勁草書房)などの著作があり、『口語民事訴訟法』(自由国民社)の監修者でもある。 1992年、勲三等旭日中綬章を受章。
山川 鴻三(やまかわ こうぞう、1917年6月26日 - 2… 山川 鴻三(やまかわ こうぞう、1917年6月26日 - 2009年4月25日)は、日本の英文学者。大阪大学名誉教授。 三重県生まれ。京都帝国大学文学部英文科卒。京都工芸繊維大学助教授、1960年大阪大学文学部助教授、68年「近代英文学における批評の伝統」で大阪大学文学博士。74年教授、81年定年退官、名誉教授、佛教大学教授。
清宮 質文(せいみや なおぶみ、1917年〈大正6年〉6月2… 清宮 質文(せいみや なおぶみ、1917年〈大正6年〉6月26日 - 1991年〈平成3年〉5月11日)は、日本の木版画家。父は版画家・清宮彬(ひとし)。ガラス絵、モノタイプ、水彩画技法など、数多くの作品を残した。 1917年(大正6年)東京府豊多摩郡内藤新宿北裏町(現:東京都新宿区)に生まれる。 1935年(昭和10年)麻布中学校卒業。1937年(昭和12年)東京美術学校(現:東京芸術大学美術学部)油画科に入学。藤島武二に師事し、4年からは田辺至の指導を受ける。1942年(昭和17年)、東京美術学校を卒業。同年6月、長野県上田中学校の美術教師となるも、翌年3月に辞職した。 1944年(昭和19年)慶應義塾工業学校の美術教師となるが、同年中に応召される。
古瀬 大六(こせ たいろく、1917年(大正6年)6月26日… 古瀬 大六(こせ たいろく、1917年(大正6年)6月26日 - 2007年(平成19年)4月11日)は、日本の経済学者。元東北大学経済学部教授、一橋大学商学博士。四女の漫画家、山下和美の作品『天才柳沢教授の生活』の主人公・柳沢良則のモデル。なお、良則は大六の父、つまり山下の祖父の名である。 1917年(大正6年)6月26日、父・古瀬良則(英語学者・一橋大学名誉教授)、母・要(旧姓、鷲田)の長男として、石川県金沢市に生まれる。 1940年(昭和15年)、東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業後、東京芝浦電気に入社。短期現役海軍主計科士官(4期)を志願し、同年5月、海軍経理学校に入学して海軍主計中尉に任官。