渡邉 久藤(わたなべ ひさと、1923年(大正12年)4月2… 渡邉 久藤(わたなべ ひさと、1923年(大正12年)4月28日 - 2007年(平成19年)2月23日)は、日本の教育者、金属工学者(冶金学者)。千葉工業大学9代目学長(後に名誉学長)・教授。哈爾濱工業大学・北京理工大学・吉林大学名誉教授。千葉工業大学の発展(大学院修士課程、後期博士課程の設置など)に尽力。千葉工業大学卒業生で初の学長でもある。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
李 鍾承(イ・ジョンスン、朝鮮語: 이종승、1923年4月2… 李 鍾承(イ・ジョンスン、朝鮮語: 이종승、1923年4月28日 - ?)は、日本統治時代の朝鮮の朝鮮貴族。 本貫は全義李氏。本籍は京城府體府洞(現: ソウル特別市)。 1923年4月28日、日本統治時代の朝鮮で男爵であった李能世の3人目の子供として生まれた。1934年9月、子爵李忠世の死後、養子として入籍した。 1934年10月15日には養父の李忠世が受けた子爵位を継承し、1940年には日本紀元2600年祝典記念招待者に選ばれた。 1942年に東京学習院(当時)を卒業し、1943年5月15日には日本政府から従五位に叙位された。東京帝国大学法学科1年生に在学中の1943年11月15日に帰国し、1943年11月18日には京城府東大門警察署を訪れ、日本軍学徒兵に志願した。
宇井 昇(うい のぼる、1923年4月28日 - 2008年… 宇井 昇(うい のぼる、1923年4月28日 - 2008年3月18日)は、元中部日本放送(CBC)アナウンサー。日本の民間放送(本放送)で第一声を発した人物でもあった。 東京都墨田区出身。東京工業大学卒業後、大蔵省に入省する。1951年、同省を退職し、開局直前の中部日本放送に入社。プロ野球・中日ドラゴンズ戦や大相撲の実況中継、クイズ番組の司会などで活躍。1959年、同社を退社しフリーに。主に日本短波放送・ラジオ関東で活躍。1981年から2002年まで、リクルートで企業の社員研修を行うトレーナーを勤める。 晩年は東京都江戸川区に住み、出身地の墨田区でボランティア活動を行う特定非営利活動法人「てーねん・どすこい倶楽部」の理事を務めながら余生を送っていた。
羽田 三郎(はねだ さぶろう、1922年4月28日 - 20… 羽田 三郎(はねだ さぶろう、1922年4月28日 - 2005年11月6日)は、英語学者、青山学院大学名誉教授。 1922年(大正11年)大阪市生まれ。1943年(昭和18年)大阪外国語学校英語部卒業。大阪外国語大学教授を経て1969年(昭和44年)青山学院大学教授。1991年(平成3年)退任、名誉教授。日本商業英語学会理事長、相談役。 2005年11月6日、慢性呼吸不全のため死去。
森脇 隆夫(もりわき たかお、1922年(大正11年)4月2… 森脇 隆夫(もりわき たかお、1922年(大正11年)4月28日 - 1996年(平成8年)2月27日) は、日本の化学工学者、司祭。学校法人上智学院理事長。 1945年名古屋帝国大学工学部応用化学科卒業。1952年上智大学文学部哲学科卒業。1954年上智大学大学院哲学研究科修了。 1957年カトリック司祭。1958年上智大学大学院神学研究科修了。1962年上智大学理工学部助教授。 1965年ノートルダム大学Ph. D. in Chemistry。 1967年上智大学学生部次長。1971年上智大学理工学部教授。 1975年学校法人上智学院理事。1975年学校法人上智学院評議員。1976年学校法人上智学院総務担当理事。
藤田 喬平(ふじた きょうへい、1921年4月28日 - 2… 藤田 喬平(ふじた きょうへい、1921年4月28日 - 2004年9月18日)は、東京府豊多摩郡大久保町(現・東京都新宿区百人町)生まれのガラス工芸家。 東京美術学校で彫金を学ぶが、途中でガラス工芸に転向する。その後、イタリアで学んだ色ガラスと金箔を混ぜた飾筥(かざりばこ)で独自のガラス工芸分野を確立した。 1955年の市川市北方に転居。 1989年(平成元年)日本芸術院会員、1997年(平成9年)文化功労者、1999年(平成11年)、市川市名誉市民、2002年(平成14年)文化勲章受章。 宮城県宮城郡松島町(日本三景・松島)に、藤田喬平ガラス美術館がある。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
厳 廷柱(オム・ジョンジュ、朝鮮語: 엄정주/嚴廷柱、192… 厳 廷柱(オム・ジョンジュ、朝鮮語: 엄정주/嚴廷柱、1920年4月28日 - 2000年4月8日)は、大韓民国の警察公務員、実業家、政治家。第6代韓国国会議員。 本貫は寧越厳氏。号は東泉(トンチョン、동천)。 日本統治時代の江原道寧越郡出身。日本大学経済学部卒。寧越警察署長(1949年6月12日〜1950年3月9日)、韓国鉱業振興株式会社副参事、シンシン薬品株式会社支配人、民主共和党江原第5地区党委員長・中央常任委員を歴任した。1963年の第6代総選挙では寧越・旌善選挙区より民主共和党所属で出馬して当選し、国会議員を1期務めた。以後、大韓鉱業振興公社副社長、韓国ブドウ堂社長、大韓民国憲政会書画委員長などを務めた。
成川 武夫(なるかわ たけお、1919年4月28日 - )は… 成川 武夫(なるかわ たけお、1919年4月28日 - )は、日本の哲学者、東京藝術大学名誉教授。 京都府生まれ。東京帝国大学文学部哲学科卒。同大学院修士課程修了。東京藝術大学教授、83年定年退官、名誉教授。
矢山 哲治(ややま てつじ、1918年4月28日 - 194… 矢山 哲治(ややま てつじ、1918年4月28日 - 1943年1月29日)は日本の詩人。九州帝国大学在学中、同人雑誌「こをろ」を主宰。福岡県福岡市出身。 1936年福岡県中学修猷館、1939年旧制福岡高等学校理科甲類を経て、九州帝国大学農学部繰り上げ卒業。福岡高校在学中から当時火野葦平の率いていた『九州文学』同人となり『九州文学』、『文藝首都』などに詩やエッセイを掲載。この時期1938年7月、福岡高校生であった矢山は『九州文学』を詩人の立原道造に贈り、文通を始め、当時立原が企図していた詩誌『午前』への参加を誘われた。 1939年、第一詩集『くんしやう』を上梓。この頃、保田與重郎、太宰治、檀一雄ら『日本浪曼派』の作家、評論家を愛読する。
千秋 実(、1917年〈大正6年〉4月28日 - 1999年… 千秋 実(、1917年〈大正6年〉4月28日 - 1999年〈平成11年〉11月1日)は、日本の俳優。本名は佐々木勝治()。旧姓は森竹。 妻の女優佐々木踏絵とともに薔薇座を結成して舞台で活動後、映画俳優に転向し、黒澤明監督作品の常連俳優として活躍。テレビドラマでもホームドラマを中心に人気を得た。主な作品に『七人の侍』『隠し砦の三悪人』『花いちもんめ。』など。著書に妻との共著『わが青春の薔薇座』などがある。俳優の佐々木孝丸は岳父にあたる。俳優の佐々木勝彦は息子(次男)。女優の宮本信子の父親とは従兄弟同士であり、従兄弟の娘という関係性を説明するのが面倒との理由で宮本信子を姪と紹介していた。 1917年(大正6年)4月28日(土曜日)、北海道中川郡恩根内村(現在の美深町)に、呉服・洋品雑貨店を営む森竹家の3男として生まれる。
奈良 靖彦(なら やすひこ、1917年4月28日 - 201… 奈良 靖彦(なら やすひこ、1917年4月28日 - 2013年9月6日)は、日本の外交官。駐シンガポール特命全権大使や駐カナダ特命全権大使を務めた。位階は従三位。 大分県出身。旧制京北中学校を経て、1941年に旧制東京商科大学(一橋大学の前身)を卒業し、外務省入省。同期に西堀正弘(国連大使)、魚本藤吉郎(駐ソ連大使)、内田宏(駐仏大使)、吉野文六(駐独大使)、人見鉄三郎(駐コスタリカ大使)など。 1943年、外務省弘報部で勤務し、戦時体制下で、ジャパンタイムズの監督を行った。 1965年5月シカゴ総領事に就任。着任時に、総領事公邸が外交に使うにはあまりに貧弱なものだったため、筋向いの邸宅を購入しようと考え、東京銀行のシカゴ支店長と交渉し購入資金の融資を受け、また当時大蔵事務次官を務めていた石野信一も案内した末購入し、新しい公邸とした。
尾川 正二(おかわ まさつぐ、1917年(大正6年)4月28… 尾川 正二(おかわ まさつぐ、1917年(大正6年)4月28日 - 2009年(平成21年)3月5日)は、旧朝鮮生まれの国文学者である。
山口 健作(やまぐち けんさく、1917年4月28日 - 2… 山口 健作(やまぐち けんさく、1917年4月28日 - 2012年7月25日)は、昭和時代中期から平成時代日本の作曲家。長崎大学名誉教授。 長崎市出身。1938年(昭和13年)4月に東京音楽学校甲種師範科に入学。下総皖一、城多又兵衛、伊藤武雄、今井治郎らの師事を仰ぐ。1941年(昭和16年)3月に同校を卒業後、台湾に渡り台中師範学校に赴任。終戦後に帰郷し、長崎師範学校教諭に就く。 戦後は学制改革により長崎大学学芸学部助教授となり、1961年(昭和36年)制定の県民歌「南の風」を始め県内各地の校歌を作曲、教育学部名誉教授に至る。 2012年(平成24年)7月25日死去。享年96(満95歳没)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
北爪 利世(きたづめ りせい、1916年4月28日 - 20… 北爪 利世(きたづめ りせい、1916年4月28日 - 2004年6月30日)は、日本クラシック音楽界の草分け的クラリネット奏者で、その黎明期から長年にわたり第一人者の一人として演奏・教育など多方面において重要な役割を果たした。 旧制成城学園オーケストラでクラリネットを始め、同時に成城合唱団に属して新交響楽団(現・NHK交響楽団)とも共演する。同窓に作曲家の柴田南雄などがいる。 1937年に東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)入学。同級生には千葉 (後の川崎) 静子、佐々木成子、中山悌一、栗本正、高田信一、中田一次、中山冨士雄らがいた。1943年に卒業後、東京放送管弦楽団、東京都フィルハーモニー管弦楽団(現・東京フィルハーモニー交響楽団)を経て、東宝交響楽団(現・東京交響楽団)首席奏者を務める。
近藤 典生(こんどう のりお、1915年4月28日 - 19… 近藤 典生(こんどう のりお、1915年4月28日 - 1997年1月21日)は、日本の環境共生学者・研究者・指導者。探検家。専門は植物遺伝育種学などで、種無しスイカの生みの親でもある。三重県松阪市生まれ。 1915年、小津茂右衛門の次男として生まれる。は旧制津中学(現・三重県立津高等学校)を経て1939年、東京農業大学農学部農学科卒業。京都帝国大学農学部遺伝子研究室副手。1941年、財団法人木原生物学研究所所員。1944年同研究所主任。1948年、同研究所主任・京都大学副手を辞任、東京農業大学助教授就任。1950年、東京農業大学育種学研究所創設。1954年に農学博士。1957年、東京農業大学教授就任。
前田 直衞(まえだ なおえ、1915年(大正4年)4月28日… 前田 直衞(まえだ なおえ、1915年(大正4年)4月28日 - 2008年(平成20年)12月23日)は、日本の日本画家。京都の町屋造りの老舗を描いた「京の老舗」シリーズで知られる。
藤井 精一(ふじい せいいち、1914年〈大正3年〉4月28… 藤井 精一(ふじい せいいち、1914年〈大正3年〉4月28日 - 1988年〈昭和63年〉1月11日)は、日本の政治家。前橋市長を務めた。 1914年(大正3年)、群馬県前橋市神明町(現・千代田町)に生まれる。旧制前橋中学校から新潟県立小千谷中学校に転校し、1932年(昭和7年)同校を卒業。 その後は前橋市役所に勤務し、税務課長、庶務課長、商工部長、総務部長を歴任。石井繁丸市長のもとで1971年(昭和46年)より前橋市助役を務める。 1978年(昭和53年)前橋市長選挙に立候補し初当選。1982年(昭和57年)と1986年(昭和61年)にも当選を重ねる。 市長在職中には市民体育館、文化会館、総合運動場、市庁舎の建設を実現した。
高須 清(たかす きよし、1914年4月28日 - 没年不明… 高須 清(たかす きよし、1914年4月28日 - 没年不明)は、愛媛県出身のプロ野球選手(二塁手、三塁手、遊撃手、外野手)。
山崎 完(やまざき ひろし、1914年 <大正3年> 4月2… 山崎 完(やまざき ひろし、1914年 <大正3年> 4月28日 - 2003年 <平成15年> 3月2日)は、日本の経営者。住友林業社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1939年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に住友鉱業(のちの住友金属鉱山)に入社。1965年11月に取締役、1969年6月には常務を歴任。 1972年に住友林業に転じ、専務を経て、1974年11月に社長に就任し、1984年12月に会長、1993年6月に取締役相談役、1994年6月に取締役を歴任した。日本木造住宅産業協会会長も務めた。 1990年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2003年3月2日、がん性悪液質のために死去。
武田 範芳(たけだ のりよし、1913年4月28日 - 19… 武田 範芳(たけだ のりよし、1913年4月28日 - 1989年7月29日)は、北海道旭川市出身の洋画家。色の魔術師と呼ばれた国際的な画家である。エーゲ海をはじめて描いた作家でもあり、1960年代より国際展に出品し多くの国際賞を獲得した。フランス美術家連盟会員。ル・サロンフランス政府展 金 銀 銅 受賞。長男は俳優の武田光太郎。6親等に武田真治がいる。 1913年4月28日、北海道旭川生まれ。小学校のときに応募した水彩画公募展の審査員であった上野山清貢にほめられたことを契機に画家を志す。1932年、北海道庁立永山農業学校(現北海道旭川農業高等学校)林学科を卒業して上川支庁林務課に勤務し、大雪山自然林の保護に携わる。
田島 英三(たじま えいぞう、1913年4月28日 - 19… 田島 英三(たじま えいぞう、1913年4月28日 - 1998年10月10日)は、日本の物理学者。立教大学名誉教授。原子力安全研究協会元理事長。原子力の研究と平和利用に生涯を捧げ、日本における「放射線影響」の概念の普及に貢献するとともに、日本人初の国連職員(原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)初代科学担当官)として海外においても活躍した。 1913年(大正2年)、埼玉県行田市に生まれる。1938年(昭和13年)、東京文理科大学(現・筑波大学)物理学科卒業。 理化学研究所で仁科芳雄に師事し、原子核、原爆の研究に従事する。戦後まもなく、日本学術研究会議による「原子爆弾災害調査特別委員会」の一員として広島原爆と長崎原爆の被災直後の被災地調査を行う。
高木 圭二郎(たかぎ けいじろう、1913年4月28日 - … 高木 圭二郎(たかぎ けいじろう、1913年4月28日 - 1987年8月26日)は日本の歯科医師、歯学者。元東京歯科大学学長(1983年 - 1986年)。 1935年、東京歯科医学専門学校を卒業後、同大学口腔外科学教室、厚生省、ハルピン医科大学、厚生省勤務を経て東京歯科大学教授、同大学社会歯科学初代主任教授、副学長、学長職務代行を経て1983年から1986年まで同大学学長を務める。
瑛九(えいきゅう、1911年4月28日 - 1960年3月1… 瑛九(えいきゅう、1911年4月28日 - 1960年3月10日)は、日本の画家、版画家、写真家。前衛的な作品、抽象的な作品(抽象絵画)が多い。本名、杉田 秀夫。QEiとも自署した。浦和画家として有名。 宮崎県宮崎市に生まれる。瑛九の生家は宮崎市内で眼科医院を営んでいるが、極度の近視のため家業を継ぐことはできなかった。1925年、宮崎中学校(現宮崎県立宮崎大宮高等学校)を中退して上京。日本美術学校卒業。 1934年に生涯の友人となる画家の山田光春(当時は教員)と出会う。1935年に中央美術展に初入選した。山田らと芸術家クラブふるさと社を結成した。この頃より美術評論家の外山卯三郎や、画家の長谷川三郎と親交を深める。
曽田 範宗(そだ のりむね、1911年4月28日 - 199… 曽田 範宗(そだ のりむね、1911年4月28日 - 1995年6月30日)は、日本の機械工学者、文化功労者。 新潟県柏崎市出身。1935年東京帝国大学工学部機械学科卒。1941年東京帝大助教授、1949年「摩擦の研究」で工学博士、東大理工学研究所教授、1968年東大宇宙航空研究所長。1972年定年退官、名誉教授、1976年理化学研究所理事、80年同研究顧問、相談役。1981年豊田工業大学客員教授。 1971年『摩擦の話』で毎日出版文化賞受賞、1975年紫綬褒章受勲、1981年勲二等瑞宝章受勲、1989年文化功労者。1968-1971年日本潤滑学会長、1971年日本航空宇宙学会長、1975年日本機械学会長。
伊藤 和衛(いとう かずえ、1911年4月28日 - 198… 伊藤 和衛(いとう かずえ、1911年4月28日 - 1989年6月4日)は、日本の教育学者、東京教育大学名誉教授。 福島県いわき市生まれ。1941年、東京文理科大学卒業。東京都教育研究所を経て、1964年から東京教育大学教育学部(教育行財政講座)教授。1961年、「教育の機会均等」により、東京文理科大学文学博士。1975年、定年退官、名誉教授、山梨英和短期大学教授。1989年6月4日、急性腎不全のため死去。 日本教育行政学会の創設に携わり、1974年から3年間会長を務めた。
島村 道康(しまむら みちやす、1911年 <明治44年> … 島村 道康(しまむら みちやす、1911年 <明治44年> 4月28日 - 1989年 <平成元年> 2月19日)は、日本の経営者。位階は従四位。 なお名前については、音読みの「どうこう」と呼ばれることも多かった。 高知県高知市出身。1935年に東京商科大学本科を卒業し、同年4月に第一銀行に入行。1963年11月に取締役に就任し、1966年11月に常務。1968年から翌1969年にかけて起きた第一銀行と三菱銀行の合併騒動では、合併反対派の急先鋒として当時同行会長だった井上薫らに与し、合併を推進した頭取の長谷川重三郎と対立したため、長谷川の逆鱗に触れた島村は銀行を追い出され東亜ペイントに転出を余儀なくされた。
金 意俊(キム・イジュン、キム・ウィジュン、朝鮮語: 김의준… 金 意俊(キム・イジュン、キム・ウィジュン、朝鮮語: 김의준、1909年4月28日または1916年2月19日 - 1985年2月14日)は、大韓民国の裁判官、検察官、弁護士、政治家。第2・3・4代韓国国会議員。本貫は延安金氏(朝鮮語版)。 京畿道驪州郡出身。京城第一高普、明治大学法科卒、高等考試司法科合格。検察庁春川支院検事、ソウル地方法院判事、ソウル高等法院判事、驪州支院長を経て政界入りし、国会議員3期、国会法制司法委員長、高等考試委員、国連総会オブザーバー韓国代表、自由党中央党宣伝部長・党務委員を務めた。 5・16軍事クーデター以降は政界を引退し弁護士として活動したが、脳卒中が発病してからは子供たちがいるアメリカに移住した。
釘本 久春(くぎもと ひさはる、1908年4月28日 - 1… 釘本 久春(くぎもと ひさはる、1908年4月28日 - 1968年5月11日)は、日本の国語学者、国文学者。 東京出身。群馬県立男子師範学校附属小学校、旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒業。旧制第一高等学校を経て、1932年、東京帝国大学国文科卒業。中央大学予科教授を経て、1939年9月文部省図書監修官。戦時中は石黒修などとともに大東亜共栄圏への日本語普及政策に関わっていた。戦後はGHQと連携を取りながら、西尾実とのコンビで国語改革や、国立国語研究所の創設に参与。1960年、東京外国語大学教授。在職中に死去。 一高と東大で同級生だった中島敦の親友で、パラオ南洋庁赴任の職の斡旋をし、死後の全集編纂などに尽くした。
国分 直一(國分 直一、こくぶ なおいち、1908年4月28… 国分 直一(國分 直一、こくぶ なおいち、1908年4月28日 - 2005年1月11日)は、日本の民族学者、考古学者。梅光女学院大学名誉教授。台湾の歴史、考古学などを研究した。 1908年、東京に生まれ、台湾で育つ。1930年、台湾総督府台北高等学校を卒業し、京都帝国大学文学部史学科に入学。1933年に卒業論文「近世初頭に於ける精神的轉向に就いて」をまとめて、卒業。 在学中に学生運動にかかわったため当局ににらまれ、台湾に戻って台南州立台南第一女学校教諭。鹿野忠雄の影響を受けて民族学や考古学に関心を持つようになり、1937年に鹿野・御園生暢哉とともに現地人シャーマン・カリヤルの助けを借りて蘭嶼で民族調査を行った。
赤松 俊秀(あかまつ としひで、1907年4月28日 - 1… 赤松 俊秀(あかまつ としひで、1907年4月28日 - 1979年1月24日)は、日本の歴史学者。北海道旭川市出身。 北海道鷹栖村(現旭川市)の真宗大谷派の寺院光岸寺に次男として生まれる。第三高等学校を経て京都帝国大学文学部史学科に進み、三浦周行・西田直二郎・中村直勝らに学ぶ。同期に清水三男がいる。卒業論文として「室町幕府の統制意識に関する一考察」をまとめ、1931年京都帝国大学文学部史学科卒。 京都府嘱託・主事として、府下の社寺宝物や史跡の調査に従事。1949年京都府教育委員会文化財保護課の初代課長。東寺百合文書のうち、東寺にて放置されたままであった文書群の存在を確認してその解読にあたり、その成果を「東寺百合文書」として発表する。
木場 深定(きば じんじょう、1907年 <明治40年> 4… 木場 深定(きば じんじょう、1907年 <明治40年> 4月28日 - 1999年 <平成11年> 9月20日)は、日本の哲学者。ドイツ哲学を専攻。東北大学名誉教授。位階は正四位。 富山県小矢部市出身。1932年東北帝国大学法文学部哲学科卒、1962年「ヘーゲル宗教哲学の研究 特に宗教的意識と哲学的思惟との関係について」で東北大学文学博士。東北大学文学部教授。1971年定年退官、名誉教授、大谷大学教授を務めた。 1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 父・木場了本は第四高等学校で西田幾多郎の教えを受けた後、1911年東京帝国大学文学部哲学科卒、京都で大谷大学の教授を勤め、後郷里金沢に帰って第四高等学校の教授となった。
東郷 豊治(とうごう とよはる、1905年4月28日 - 1… 東郷 豊治(とうごう とよはる、1905年4月28日 - 1969年3月17日)は、日本の心理学者、良寛研究家。 福井県敦賀市生まれ。1930年京都帝国大学文学部心理学科卒。1945年新潟県高田師範学校教授、1955年大阪外国語大学教授。 伝記『良寛』で1957年度読売文学賞受賞。堀口大學、鈴木虎雄と協力し良寛全集編さん・研究を行った。
龍村 謙(たつむら けん、1905年4月28日 - 1979… 龍村 謙(たつむら けん、1905年4月28日 - 1979年)は、日本の織物研究家。同じく織物研究家である龍村平藏の息子で二代目龍村平藏を襲名した。号は光翔。 1929年、東京帝国大学文学部美術史科を卒業する。梶井基次郎らの同人誌『青空』に参加した。 卒業年から翌年にかけ外遊した。帰国後織物製作、織物研究に専念する。ゴブラン織の研究のため渡仏した際、神戸港まで見送りに来た梶井は『榛名丸』の甲板上で、「行きたいなあ」と何度もつぶやき、「僕の代わりに見て来てくれ」と泣いたという[要出典]。 二代目龍村平蔵を襲名し、龍村織物美術研究所長となった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
和田 敏明(わだ としあき、1905年(明治38年)4月28… 和田 敏明(わだ としあき、1905年(明治38年)4月28日 - 1990年(平成2年)11月21日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)、日本社会党所属。徳島県出身。 1929年(昭和4年)、東京帝国大学政治科卒。東京日日新聞に入り、同社スラバヤ支局長、毎日新聞サイゴン支局長、調査研究部長を経て、北海道日日新聞社取締役主筆となる。1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙(北海道2区・日本社会党公認・20249票獲得)において初当選。1948年(昭和23年)12月23日、衆議院解散(馴れ合い解散)により議員失職。翌1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙で(北海道2区・日本社会党公認・13034票獲得)落選。
田口 真二(たぐち しんじ、1904年4月28日 - 198… 田口 真二(たぐち しんじ、1904年4月28日 - 1984年5月16日)は、日本の経営者。平和不動産社長を務めた。 東京都出身。1927年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に住友銀行に入行。後に田口証券に転じ、1955年には社長に就任。1956年に東京証券取引所理事に就任し、1957年に専務、1961年に副理事長を経て、1971年5月には平和不動産社長に就任。1977年6月には取締役相談役に退いた。 1976年11月に勲三等瑞宝章を受章した。 1993年3月2日、急性心不全のために死去。88歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
羽田 武嗣郎(はた ぶしろう、1903年〈明治36年〉4月2… 羽田 武嗣郎(はた ぶしろう、1903年〈明治36年〉4月28日 - 1979年〈昭和54年〉8月8日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(7期)。第80代内閣総理大臣を務めた羽田孜の父。 長野県小県郡和田村(現・長和町)に羽田貞義の三男として生まれる。福島中学(現・福島県立福島高等学校)、旧制新潟高等学校を経て、1929年に東北帝国大学法文学部卒業。東京朝日新聞社に入社し、政治部に勤務。 政治部記者から鉄道大臣秘書官となり、1937年に立憲政友会公認で第20回衆議院議員総選挙に立候補し当選。「羽田書店」を創立する。社員には後に独立してみすず書房を創業する小尾俊人らがいた。 1939年の政友会分裂に際しては中島知久平が総裁を務める政友会革新同盟(革新派、中島派)に所属。
森滝 市郎(森瀧 市郎、もりたき いちろう、1901年4月2… 森滝 市郎(森瀧 市郎、もりたき いちろう、1901年4月28日 - 1994年1月25日)は、日本の倫理学者、原水禁運動家。日本原水爆被害者団体協議会理事長、原水爆禁止日本国民会議代表委員などを務めた。 広島県双三郡君田村(現三次市)生まれ。1925年に広島高等師範学校文科2部を卒業し県立三次中学校の教員となるが、1927年に京都帝国大学文学部哲学科に進学し1930年に卒業。その後入学した同大学の大学院を1931年に卒業、出身校である広島高師教授に任じられ同年末に西しげと結婚。 1945年の原爆投下に際し、広島高師教官として動員学徒を引率していた市内江波(現・中区)の三菱重工広島造船所江波工場(爆心から4km)で被爆、爆風で飛散した窓ガラスの破片で右目を失明した。
佐藤 邦雄(さとう くにお、1901年4月28日 - 199… 佐藤 邦雄(さとう くにお、1901年4月28日 - 1996年9月20日)は、日本の弁護士、経営者。東北銀行監査役、取締役、岩手ヤクルト販売社長、ヤクルトスワローズ球団社長などを務めた。 宮城県出身。1927年に中央大学法学部を卒業。高等試験に合格して1928年に内務省に入省したが3年で辞め、1931年6月に弁護士として登録し、岩手県弁護士会に所属する。盛岡銀行の取り付け騒ぎに端を発する預金者からの訴訟では、頭取金田一国士の弁護人を務めた。日本弁護士連合会理事、盛岡弁護士会会長など弁護士会の役職を歴任したほか、同和対策協議会委員、中央公害対策審議会委員、全国人権擁護委員連合会会長(1979年から1989年まで)など各種の委員を務めた。
村上 俊亮(むらかみ しゅんすけ、1901年4月28日 - … 村上 俊亮(むらかみ しゅんすけ、1901年4月28日 - 1977年3月19日)は、日本の教育学者。 宮崎県出身。1927年、東京帝国大学文学部教育学科卒。文部省視学官。1949年、国立教育研究所に入り、1952年に所長。1956年、東京学芸大学学長。のち、青山学院大学学長、岐阜女子大学学長。元東京大学教授の村上泰亮は子。
石中 象治(いしなか しょうじ、1900年4月28日 - 1… 石中 象治(いしなか しょうじ、1900年4月28日 - 1981年11月12日)は、ドイツ文学者、九州大学名誉教授。 熊本県生まれ。東京帝国大学独文科卒、戦後九州大学教授、1964年定年退官、名誉教授、千葉商科大学教授。
千田 正(ちだ ただし、1899年4月28日 - 1983年… 千田 正(ちだ ただし、1899年4月28日 - 1983年2月5日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位。勲等は勲一等。学位は商学士(早稲田大学)。金ケ崎町名誉町民。 参議院議員3期(1947年 - 1962年)、岩手県知事4期(1963年 - 1979年)を歴任した。 1899年(明治32年)、岩手県胆沢郡金ケ崎村(現・金ケ崎町)三ケ尻に父・政五郎と母・マサの長男として生まれる。千田家は水沢から三ケ尻に移り住み、北上川の舟運事業を行う地域有数の豪農だった。7歳で父を亡くした千田は、マサと養蚕と雑貨屋を始めた。 1905年(明治38年)、三ヶ尻小学校尋常科入学。1913年(大正2年)、胆沢郡立胆沢農業高等学校(現・岩手県立水沢農業高等学校)に進み、水沢の祖母宅から通った。
鈴木 強平(强平、すずき きょうへい、1898年〈明治31年… 鈴木 強平(强平、すずき きょうへい、1898年〈明治31年〉4月28日 - 1969年〈昭和44年〉3月3日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。 群馬県前橋市連雀町(現・本町)で、鈴木留太郎の長男として生まれる。群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を経て、慶應義塾大学部理財科に進んだが、父の病により帰郷して家業を継承した。 1934年(昭和9年)群馬林業社長、全国燃料組合理事組合長に就任。その他、群馬県木炭連合会長、同燃料林産組合長、全国燃料組合連合会副理事長、前橋商工会議所商業部長、群馬県商工倶楽部理事長、全国燃料会館副理事長、前橋文化服装学院(現前橋文化服装専門学校)理事、日本燃料機社長、鈴木商会社長などを務めた。
佐伯 祐三(さえき ゆうぞう、1898年〈明治31年〉4月2… 佐伯 祐三(さえき ゆうぞう、1898年〈明治31年〉4月28日 - 1928年〈昭和3年〉8月16日)は、大正・昭和初期の洋画家。大阪出身で、短い画業の大半を戦間期のフランス(仏国)に渡ってパリのモンパルナス等で過ごし、パリで客死した。作品はパリの街角、店先などを独特の荒々しいタッチで描いたものが多い。佐伯の風景画にはモチーフとして文字の登場するものが多く、街角のポスター、看板等の文字を造形要素の一部として取り入れている点が特色である。作品の大半は都市風景だが、人物画、静物画などもある。 佐伯は1898年(明治31年)、大阪府西成郡中津村(現:大阪市北区中津二丁目)にある光徳寺の男4人女3人兄弟の次男として生まれた。
小菅 芳次(こすげ よしじ、1898年(明治31年)4月28… 小菅 芳次(こすげ よしじ、1898年(明治31年)4月28日 - 1961年(昭和36年)9月16日)は、日本の内務・警察官僚。官選香川県知事、台湾総督府交通局総長。 愛知県出身。小菅佐吉の四男として生まれる。第六高等学校を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し埼玉県属となる。 以後、警視庁事務官、同警視、内務事務官、警視総監官房調停課長、工場監督官、広島県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、東京府総務部長などを歴任。 1942年1月、香川県知事に就任。戦時下の対応に尽力。1945年1月、最後の台湾総督府交通局総長に転じ終戦を迎えた。
川合 勇太郎(かわい ゆうたろう、1897年〈明治30年〉4… 川合 勇太郎(かわい ゆうたろう、1897年〈明治30年〉4月28日 - 1980年〈昭和55年〉10月30日)は、日本の民俗学者、民話・口承文芸研究家、口演童話家、地方史家、温泉史研究家、ジャーナリスト。青森県東津軽郡青森町(現・青森市)生まれ。20代で蘆谷蘆村に師事し、童話文学を学ぶ。1927年、子どもたちに民話・童話を語り聞かせる八戸童話会を仲間たちとともに結成。のちに同会の理事長も務めた。また十和田市(当時の三本木町、藤坂村)の郷土史も執筆した。青森県に伝わる民話や伝説を研究し、1939年には「民間伝承の会」(後の日本民俗学会)に入会。ジャーナリストとしては、三本木の日刊紙『南部日報』(1927年創刊)の編集長、『東奥日報』三本木支局長などを務めた。
橋本 凝胤(はしもと ぎょういん、1897年4月28日 - … 橋本 凝胤(はしもと ぎょういん、1897年4月28日 - 1978年3月25日)は、法相宗の僧侶で仏教学者。奈良・薬師寺元管主、法相宗管長。「20世紀最後の怪僧」「昭和の怪僧」の異名を持つ。 奈良県生駒郡平群村(現在の平群町)に生まれる。本名は東丈太郎。法隆寺の佐伯定胤に唯識を学び、その意向で後継者のいなかった薬師寺に入る。生涯肉食妻帯せず、厳格な仏教僧として活躍する。有名な尼僧が訪ねてきても絶対に寺に入れさせず、その手土産にも口をつけなかった。 あるとき弟子の高田好胤がよその家に呼ばれて、レコードで浪曲の「清水港は鬼より怖い、大政・小政の声がする」というくだりを耳にして、薬師寺にはもっと怖い鬼(橋本凝胤)がいると思ったという。
東郷 青児(とうごう せいじ、1897年(明治30年)4月2… 東郷 青児(とうごう せいじ、1897年(明治30年)4月28日 - 1978年(昭和53年)4月25日)は日本の洋画家。本名は東郷 鉄春。夢見るような甘い女性像が人気を博し、本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後一世を風靡した。派手なパフォーマンスで二科展の宣伝に尽力し、「二科会のドン」と呼ばれた。 1916年 パラソルさせる女 第1回昭和洋画奨励賞 1928年 日本芸術院賞 1957年 日活映画『誘惑』
四方 諒二(しかた りょうじ、1896年〈明治29年〉4月2… 四方 諒二(しかた りょうじ、1896年〈明治29年〉4月28日 - 1977年〈昭和52年〉12月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 兼松商店[要出典]の役員であった四方素の二男として神戸市で生れる。第一神戸中学校、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業し、同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第19連隊付となる。1924年(大正13年)3月、陸軍委託学生として学んだ東京外国語学校(独語)を修了。1927年(昭和2年)6月、兵科を憲兵科に移し憲兵大尉となり、咸興憲兵分隊長となった。 小倉憲兵分隊長を経て、1930年(昭和5年)4月から3年間、陸軍派遣学生として東京帝国大学法学部で学ぶ。
羅 蕙錫(ら けいしゃく、ナ・ヘソク、朝鮮語:나혜석、189… 羅 蕙錫(ら けいしゃく、ナ・ヘソク、朝鮮語:나혜석、1896年4月28日 - 1948年12月10日)は、日本統治時代の朝鮮および韓国の洋画家、作家、詩人、ジャーナリスト。本貫は羅州羅氏。現在の京畿道水原市八達区出身。女子美術大学の留学生。韓国最初の女性画家で近代朝鮮文学における最初の女性作家とも評される。女性解放論者であり、女性解放のための運動や朝鮮独立運動にも参加していた。初名は児只、字は明順、号は晶月。 1896年4月、父・羅基貞と母・崔是議の間に五人兄姉の二女として京畿道水原に生まれた。父の家系は代々官僚をつとめ、資産家で子弟教育に関心が高かった。幼名は兒只(アジ=子供を意味する)、幼児期は明順(ミョンスン)と呼ばれ、日本留学時から蕙錫、号は晶月(チョンウォル)と名乗った。
井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月… 井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月28日 - 昭和42年(1967年)6月30日)は、日本の政治運動家、革命家、ジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期)。 沖縄県那覇市出身。1912年(大正元年)鹿児島一中を卒業、1916年(大正5年)慶應義塾大学部予科に入学し、卒業。1918年(大正7年)同大学部理財科に進む(後に中退)。在学中に、「日本社会主義同盟」、山川均らが主宰していた水曜会で活躍。1921年(大正10年)12月より翌年11月まで一年志願兵として鹿児島歩兵連隊に入隊。24年春から秋頃まで大阪の『関西日報』の記者となる。 1923年(大正12年)に日本共産党に入党。