中村 紀雄(なかむら のりお、1940年〈昭和15年〉10月… 中村 紀雄(なかむら のりお、1940年〈昭和15年〉10月30日 - )は日本の政治家。群馬県議会議員(7期)、第75代群馬県議会副議長、第79代群馬県議会議長を歴任した。 1940年10月30日、群馬県前橋市曲輪町(現大手町2丁目)に生まれる。1955年、前橋市立元総社中学校卒業。その後は、実家の製菓業に従事する。1961年、群馬県立前橋高等学校定時制卒業。1969年、東京大学文学部西洋史学科卒業。卒業後、私塾修学館を設立した。 1987年に初めて群馬県議会議員選挙に立候補した際は270票及ばず落選。1988年7月10日、群馬県議会議員補欠選挙に前橋市選挙区から無所属で立候補して、初当選を果たした。
長澤 英俊(ながさわ ひでとし、1940年10月30日 - … 長澤 英俊(ながさわ ひでとし、1940年10月30日 - 2018年3月24日)は日本の彫刻家。現在の中国黒龍江省生まれ。 父親が日本軍の軍医として勤務していた満洲国牡丹江省東寧(トウネイ―現在の中国吉林省東寧・トンニン)で生まれた。1945年の敗戦時、ソ連軍が満洲に侵攻してきたため、長澤と家族は、突然の引揚げを余儀なくされた。助産婦だった母親の実家のある埼玉県比企郡川島郷三保谷村(現在の川島町)に定住した長澤は、県立川越高校時代に数学と絵画に傾倒し、多摩美術大学に進学してからは1963年の卒業まで、建築とインテリア・デザインを学ぶかたわら、空手と徒歩旅行に打ち込んだ。その間、東京上野で毎年開催されていた読売アンデパンダン展などをとおして「グタイ」、「ネオダダ」など当時最先端の前衛動向に親しく接し、芸術の本質が物質・物体に記録されなくても行為と精神に宿るものであることを理解した。
富田 孝佳(とみた たかよし、1940年10月30日 - 2… 富田 孝佳(とみた たかよし、1940年10月30日 - 2015年9月2日)は、徳島県出身のプロ野球選手。 海南高校ではエースとして活躍。1957年秋季四国大会県予選決勝に進み、徳島商の板東英二と投げ合うが敗退。1959年に大洋ホエールズへ外野手として入団。1960年の最終戦で広島を相手に右翼手、八番打者として先発出場を果たすが、その後は出場機会に恵まれず1961年限りで引退。
益富 信孝(ますとみ のぶたか、1939年10月30日 - … 益富 信孝(ますとみ のぶたか、1939年10月30日 - )は、日本の男性俳優、声優。1963年5月1日に劇団青年座入団。東京都出身。身長175cm、体重75kg。血液型はO型。青山学院高等部卒業。
青木 保(あおき たもつ、1938年10月30日 - )は、… 青木 保(あおき たもつ、1938年10月30日 - )は、日本の文化人類学者、元文化庁長官。大阪大学名誉教授、前国立新美術館館長。 1938年東京府生まれ。1962年上智大学文学部独文科卒業、東京大学教養学部入学。1964年東京大学教養学部卒業。1967年、同大学大学院社会学研究科文化人類学専攻修士課程修了。東京大学東洋文化研究所助手、立教大学文学部助教授を経て、大阪大学人間科学部教授。1994年に学位論文『儀礼の象徴論的研究:儀礼の基礎論を目指して』を大阪大学に提出して博士 (人間科学)の学位を取得。1996年、東京大学先端科学技術研究センター教授となった。1999年からは政策研究大学院大学教授、2005年からは法政大学企画・戦略本部特任教授、2006年からは早稲田大学 アジア研究機構アジア研究所 教授 。
小川 捷之(おがわ かつゆき、1938年10月30日 - 1… 小川 捷之(おがわ かつゆき、1938年10月30日 - 1996年12月6日)は、日本の臨床心理学者。学位は、教育学博士(筑波大学・論文博士・1978年)。 北海道札幌市生まれ。実験心理学から臨床心理学に転じ、関東におけるユング派分析心理学研究の拠点となった山王教育研究所を主宰した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
山中 衛(やまなか まもる、1938年10月30日 - 20… 山中 衛(やまなか まもる、1938年10月30日 - 2018年4月17日)は、日本の経営者。HOYA社長、会長を務めた。 東京都出身。1964年に早稲田大学院商学研究科を修了し、ニューヨーク大学院での留学を経て、1965年に保谷硝子(現在のHOYA)に入社。1983年12月に取締役に就任し、1987年12月に常務、1989年6月に専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1993年6月には社長に昇格。2000年6月に会長に就任。 2018年4月17日肝内胆管がんのために死去。79歳没。
東海林 さだお(しょうじ さだお、男性、1937年10月30… 東海林 さだお(しょうじ さだお、男性、1937年10月30日 - 2026年4月5日)は、日本の漫画家、エッセイスト。本名は庄司 禎雄(読み同じ)。1974年6月16日から2014年12月31日にかけて毎日新聞朝刊に13,749回連載した4コマ漫画の『アサッテ君』で、一般全国紙の連載漫画の最多掲載記録を作った。他の漫画・エッセイの連載においても、ほとんどが40年超のロングランとなっている。 東海林は1937年10月30日、東京府東京市杉並区高円寺南で生まれた。父は小西六(現在のコニカミノルタ)の社員だった。小学生時代に戦火を避け、父以外の家族で山梨県大月市に疎開。終戦後も東京には戻らず、母方の実家のある栃木県那須郡武茂村(のちの馬頭町)に移り、中学2年時まで過ごす。
水木 楊(みずき よう、1937年10月30日 - 2021… 水木 楊(みずき よう、1937年10月30日 - 2021年8月29日)は、日本の作家。本名は市岡 揚一郎(いちおか よういちろう)。 中華人民共和国上海生まれ。終戦後兵庫県に在住、自由学園最高学部を卒業した。日本経済新聞社に入社、記者として活動し、ワシントン支局長、総編集次長、取締役等を歴任し、退社。作家として独立した。 2009年4月から2017年4月まで第8代学校法人自由学園理事長を務めた。 2021年8月29日、死去。83歳没。 戦後史、政治家・軍人、企業経営者などがテーマ。「田中角栄-その巨善と巨悪」は、発行部数10万部のベストセラーとなった。短編小説「青いあひる」は、自叙伝的な色彩が強い叙情的な作品である。
熊本 典道(くまもと のりみち、1937年〈昭和12年〉10… 熊本 典道(くまもと のりみち、1937年〈昭和12年〉10月30日 - 2020年〈令和2年〉11月11日)は、日本の裁判官、弁護士。袴田事件第1審の担当判事(左陪席)として無罪の心証を形成しつつも裁判長・右陪席の説得に失敗し死刑判決を下したが、後年良心の呵責から合議の秘密を破って被告人(袴田巌)の無実を訴えた人物として知られる。 1937年(昭和12年)佐賀県東松浦郡打上村(後の鎮西町、現:唐津市)に生まれる。父母ともに小学校教員をつとめる家庭の長男として厳格な教育を受ける。 1953年(昭和28年)に鎮西町立打上中学校(現:唐津市立海青中学校)卒業、佐賀県立唐津高等学校(在学中に分離により佐賀県立唐津東高等学校となる)入学。
相馬 錩一(そうま しょういち、1936年(昭和11年)10… 相馬 錩一(そうま しょういち、1936年(昭和11年)10月30日 - 2024年(令和6年)1月3日)は、日本の税理士。政治家。元青森県弘前市長(1期)。 青森県弘前市出身。青森県立弘前中央高等学校卒。税理士、行政書士、社会保険労務士となる。弘前市議会議員を経て、1986年、青森県議会議員弘前市選挙区補欠選挙に無所属で立候補して当選する。以来連続6回当選する。2006年合併による弘前市長選挙に立候補し、合併前の弘前市長だった金沢隆を破って当選した。津軽広域水道企業団企業長を併任。市長を1期務め、2010年の市長選挙に出馬したが、元弘前市副市長の葛西憲之に敗れて落選した。2011年の青森県議会議員選挙に立候補して当選し、県議に復帰。
石田 晴久(いしだ はるひさ、1936年10月30日 - 2… 石田 晴久(いしだ はるひさ、1936年10月30日 - 2009年3月9日)は、日本の計算機科学者。東京大学名誉教授、サイバー大学IT総合学部長。アイオワ州立大学でPh.D取得。 C言語のリファレンス本であった「The C Programming Language」(通称「K&R」)の日本語版「プログラミング言語C」の訳者としても有名。他にUNIX関連の著書、訳書を多数執筆した。東京大学時代には大型計算機センター長として、慶應義塾大学の村井純らと共に日本におけるインターネットの基礎を築いた。大学の仕事、一般向けの著作活動以外にも技術の普及、広報に力を注いだ。 1936年、台湾に生まれる。茨城県立土浦第一高等学校を経て、1959年東京大学理学部物理学科卒業、1961年東京大学大学院数物系研究科物理学専門課程修士課程修了。
川田 孝子(かわだ たかこ、1936年10月30日 - 20… 川田 孝子(かわだ たかこ、1936年10月30日 - 2021年12月31日)は、日本の童謡歌手。姉は童謡歌手の川田正子、妹も同じく童謡歌手であった川田美智子。作曲家、音楽教育家の三代目海沼実は甥にあたる。 東京都出身。戦後期に活躍した人気童謡歌手。姉の川田正子が童謡歌手を引退した後は、日本の童謡界をリードする童謡歌手として1959年(昭和34年)に結婚し引退するまで長きに渡って活躍した。数多くの童謡作品を世に送り出し、川田三姉妹、つまり姉の正子、妹の美智子と共に史上類を観ない人気童謡歌手として一世を風靡した。当時、川田孝子は他の童謡歌手よりも非常に声量が豊かであったと言われ、姉のように変声期で苦しむこともなく、NHK紅白歌合戦にも2回連続出場している(詳細は下記参照)。
中村 廣治郎(なかむら こうじろう、1936年(昭和11年)… 中村 廣治郎(なかむら こうじろう、1936年(昭和11年)10月30日 - 2023年(令和5年)12月5日)は、日本のイスラム学者。東京大学名誉教授。 福岡県生まれ。1960年東京大学文学部宗教学科卒、1969年同大学院博士課程退学、1970年ハーヴァード大学大学院博士課程修了、Ph.D. 1971年東京大学東洋文化研究所専任講師、1972年助教授、1981年文学部助教授兼任、1982年文学部に新設されたイスラム学科の助教授、1987年教授、1997年定年退官、名誉教授、桜美林大学教授。 2023年12月5日、急性硬膜下血腫のため死去。87歳没。
金川 英雄(かねかわ ひでお、1936年10月30日 - )… 金川 英雄(かねかわ ひでお、1936年10月30日 - )は、愛知県出身の日本のバスケットボール選手である。 立教大学卒業。八幡製鐵所在籍中、全日本チームに選ばれ、ローマ五輪に出場した。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
藤山 智昭(ふじやま ともあき、1936年10月30日 - … 藤山 智昭(ふじやま ともあき、1936年10月30日 - )は、日本の経営者、銀行家。八千代銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1960年に早稲田大学第一商学部を卒業し、同年に八千代信用金庫(のちの八千代銀行)に入行した。1991年に取締役に就任し、1994年に常務、1997年に専務を経て、1999年6月には頭取に就任。2004年6月には会長に主任。
滝内 弥瑞生(たきうち やすお、1935年10月30日 - … 滝内 弥瑞生(たきうち やすお、1935年10月30日 - 2018年9月23日)は、福岡県出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。 戸畑高校ではエース・中島孝司(南海)を擁し、3年次の1953年に夏の甲子園県予選で決勝に進出するが、後にプロで同僚となる東筑高の仰木彬投手に抑えられ惜敗。卒業後の1954年に西鉄ライオンズへ入団。3年目の1956年に一軍に定着し、内野のユーティリティプレイヤーとして39試合に先発出場。また代走・守備要員としても起用され、同年からの3年連続リーグ優勝・日本一に貢献。1年先輩の正遊撃手であった豊田泰光が少し打撃不調になると、滝内はベンチの横に来て「あんたが打てんかったら何の取り柄もなか。
吉川 武彦(きっかわ たけひこ、1935年10月30日 - … 吉川 武彦(きっかわ たけひこ、1935年10月30日 - 2015年3月21日)は、日本の医学者、精神科医。金沢市出身。1961年千葉大学医学部医学科卒。1966年同大学院医学研究科神経精神医学専攻修了(医学博士、論文の題は「ロールシャッハテストによる不安の研究 : 特に不安の顕在化と潜在化をめぐる精神力動について」)。 また、日本泳法委員として日本泳法の普及、発展に尽力。古式泳法の水府流太田派 桐游倶楽部の免許皆伝。 学生時代には安保闘争に参加、1960年6月15日のデモでは国会へ詰めかける。この時、先頭に立っていた樺美智子が倒れ込むところを間近に目撃、混乱のなかから樺美智子を引きずり出して救護所へ運び込んだ。
小林 和男(こばやし かずお、1935年〈昭和10年〉10月… 小林 和男(こばやし かずお、1935年〈昭和10年〉10月30日 - 2018年〈平成30年〉1月26日)は、日本の政治家、地方公務員、教育者。北海道乙部町出身。北海道学芸大学旭川分校卒業。北海道三笠市市長(3期)。 8人兄弟の5番目として生まれる。大学卒業後、小中学校教諭、三笠市立博物館副館長を経て、1987年三笠市議会議員に当選。その後の市議選で落選し、1999年7月三笠市教育長に就任。市教育長を辞職して、2003年三笠市長選に立候補し初当選。2011年3期目当選。市長在職中は全国市長会理事も務めていた。2015年任期満了で市長を退任。 退任後は、後任の西城賢策市長の発案により、三笠市の特産品などをPRする目的で新設した特命大使第1号に任命された。
堤 貞夫(つつみ さだお、1934年〈昭和9年〉10月30日… 堤 貞夫(つつみ さだお、1934年〈昭和9年〉10月30日 - )は、日本の鉱床学者(地球科学者)。工学博士。早稲田大学名誉教授。専門は鉱物学。群馬県利根郡久呂保村(現:昭和村)生まれ。 群馬県立沼田高等学校を経て、1957年早稲田大学第一理工学部鉱山学科を卒業。1962年、同大学院理工学研究科博士課程を修了。1965年工学博士(早稲田大学)。同年より同大学教育学部助手、講師、助教授を経て1975年教授。1986年から1990年にかけて教育学部長、1990年から1993年まで早稲田実業学校理事長、1995年から2003年まで早稲田中・高等学校長を歴任。2005年3月定年退職、名誉教授。 大学では稲門地学会会長、循環型環境技術研究会会長、また1981年から2005年までバスケットボール部の部長を務めた。
時枝 正昭(ときえだ まさあき、1934年〈昭和9年〉10月… 時枝 正昭(ときえだ まさあき、1934年〈昭和9年〉10月30日 - 2016年〈平成28年〉11月29日)は、日本の政治家、内科医。医学博士、大分県宇佐市長(3期)。 大分県宇佐市出身。1959年、九州大学医学部卒業。1967年「飲泉の胆汁分泌におよぼす影響に関する研究」により九州大学から医学博士号を授与された。九州大学温泉治療学研究所講師を務めた。1970年、地元で内科医院を開業する。2000年宇佐市長選挙に立候補し、初当選する。2004年には無投票で再選。翌2005年宇佐市は宇佐郡院内町と安心院町と合併し、新たな宇佐市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選した。合併後の宇佐市長を2009年まで1期務めた。
越智 敬(おち たかし、1934年10月30日 - 2010… 越智 敬(おち たかし、1934年10月30日 - 2010年11月14日)は、日本出身のドイツで活躍したマンドリン奏者、作曲家。 愛媛県今治市生まれ。13歳の時からマンドリンを始めた。1954年、東京外国語大学に入学してイタリア語や英語などを学び、そのかたわら比留間きぬ子のプライベートスクールでマンドリンとギターを学んだ。大学卒業後の数年間、同スクールでマンドリンとギターの講師を務め、いくつかの団体にソリストとして参加したりテレビ・ラジオの録音の活動を行った。 1961年、ジークフリート・ベーレントの招きでドイツに渡り、ザールラント州ザールルイに居を構え、いくつかの音楽学校でフリーランスの教師を務め、ドイツマンドリン連盟の講師として活動した。
北村 昌男(きたむら まさお、1934年10月30日 - 2… 北村 昌男(きたむら まさお、1934年10月30日 - 2023年7月9日)は、将棋棋士。1994年、引退。渡辺東一名誉九段門下。棋士番号は60。北海道函館市出身。 渡辺東一名誉九段門下で1953年、プロデビュー。初参加の順位戦(第8期C級2組順位戦)において7勝3敗で2位となり、1期でC級1組に昇級。 2年後、第10期(1955年度)C級1組順位戦で11勝2敗の1位で、B級2組へ昇級。このとき、2位で同時に昇級した‘神武以来の天才’こと加藤一二三から白星を挙げた。 さらに2年後の第13期(1958年度)B級2組順位戦では9勝4敗の1位でB級1組へ昇級。以降17年間B級1組に在籍し続けたが、A級昇級には手が届かなかった。
櫻井 孝頴(さくらい たかひで、1932年(昭和7年)10月… 櫻井 孝頴(さくらい たかひで、1932年(昭和7年)10月30日 - 2014年(平成26年)1月3日)は、日本の実業家、第一生命保険社長。 埼玉県出身。趣味は読書。埼玉県立浦和高等学校を経て、1955年(昭和30年)、東京大学経済学部卒業、第一生命保険入社。1981年(昭和56年)取締役財務第一部長、1983年(昭和58年)常務取締役財務企画部長、1986年(昭和61年)代表取締役副社長、1987年(昭和62年)代表取締役社長、1997年(平成9年)代表取締役会長、2004年(平成16年)相談役。 2013年(平成25年)旭日重光章受章。 2014年(平成26年)1月3日午後10時44分、肺癌のため東京都文京区の病院で死去、81歳没。
小倉 薫(おぐら かおる、1932年10月30日 - )は、… 小倉 薫(おぐら かおる、1932年10月30日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。 広島観音高校から1952年に大洋ホエールズへ入団。 観音高のワンマン投手、シュートが武器、26年国体で優勝した。 1954年に外野手へ転向。1955年に引退。
佐々木 誠造(ささき せいぞう、1932年10月30日 - … 佐々木 誠造(ささき せいぞう、1932年10月30日 - )は、日本の政治家。前青森市長。旧青森市長を4期(新設合併により途中失職)、新設合併した青森市長を1期務めた。コンパクトシティ構想を推進。
朝井 ゆかり(あさい ゆかり、1932年10月30日 - 2… 朝井 ゆかり(あさい ゆかり、1932年10月30日 - 2010年11月28日[要出典])は、日本の声優。愛知県名古屋市出身。「浅井 ゆかり」表記もある。 かつて同名で活動していたとされる声優の浅井淑子とは別人である。 愛知県名古屋市で生まれ、福岡県で育つ。 福岡県立福岡中央高等学校卒業。在学時はスポーツが得意であり、陸上部でキャプテンを務めたほか、走高跳では当時のアマチュア全国大会で10位以内に入るなど好成績を残した。 1957年、東京女子大学短大部を卒業後に人形座を経て劇団舞芸座へ入団。1964年に同劇団が解散してからは、東京アーチスト・プロに所属していた。 1968年、量子生態学提唱者野上倫加(本名・導子)の夫・野上昭治と結婚、2男1女をもうけるが1987年に離婚。
青空 たのし(あおぞら たのし、1931年10月30日 - … 青空 たのし(あおぞら たのし、1931年10月30日 - 2021年8月24日)は、ハーモニカ漫談家、元漫才師、司会者、ラジオパーソナリティ。東京都台東区浅草出身。本名:北川 要。旧芸名:神田 一郎、青空 田の志。 コロムビア・トップ・ライト門下で「青空たのし」を名乗った人物は3人いる。 1949年9月、双葉バラエティー団で初舞台を踏んだ。その後浅草松竹楽劇団員、1955年からは岡晴夫歌謡ショー専属司会者を経て、1958年に中野四郎(元『ハッピーボーイズ』の瓶九郎)と立体司会コンビを組み、松山恵子歌謡ショー専属司会者として巡業した。 1960年6月にコロムビア・トップ・ライト同門の司会者・島田寿三(青空うれし)と、漫才コンビ青空うれし・たのしを結成した。
布施 鉄治(ふせ てつじ、1930年10月30日 - 199… 布施 鉄治(ふせ てつじ、1930年10月30日 - 1994年6月21日)は、日本の社会学者。専門は、社会学・教育社会学。東京出身。法政大学教授・北海道大学教授を歴任。 北海道大学文学部哲学科卒業。1957年同大学院文学研究科社会学専攻修士課程修了。1957年同文学部助手。1960年北海道大学文学部講師(専任講師)。1965年同助教授。1967年法政大学社会学部助教授。1970年同教授。1971年北海道大学教育学部教授。1981年同附属産業教育計画研究施設長(-1985年)。1983年同教育学部長(-1985年)。1994年北海道大学停年退官。同名誉教授。1994年6月21日、脳梗塞のため死去。
西垣 昭(にしがき あきら、1929年(昭和4年)10月30… 西垣 昭(にしがき あきら、1929年(昭和4年)10月30日 - 2021年(令和3年)7月13日)は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官。位階は従三位。娘は石川県副知事の西垣淳子。 大蔵事務次官時代、消費税創設を盛り込んだ税制改革関連法の成立に尽力した。 旧大蔵省同期入省者(昭和28年新制入省組)には、梅沢節男(公正取引委員会委員長、国税庁長官、主税局長)、石川周(常陽銀行会長・頭取、国土事務次官、造幣局長)、矢崎新二(防衛事務次官)、酒井健三(国際金融局長、国税庁次長)、垂水公正(アジア開発銀行総裁、関税局長)、大竹宏繁(経済企画事務次官、経済企画審議官)、今永伸二(駐英公使)などがいる。 昭和28年旧制入省組には、吉野良彦、水野繁、津島雄二、大場智満、宮本保孝などがいる。
藤田 正蔵(ふじた しょうぞう、1928年10月30日- 2… 藤田 正蔵(ふじた しょうぞう、1928年10月30日- 2012年5月29日 )は、日本の経営者、馬主。中鉄バスとテレビせとうちで社長を務めた。 岡山県岡山市出身。1952年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に中鉄バスに入社し、取締役にも就任。1953年に社長に就任し、1954年には中国交通社長に就任。1984年10月から1999年12月までにテレビせとうち社長を務めた。 1984年6月に運輸大臣表彰を受けた。1965年9月に紺綬褒章を受章し、1990年5月に藍綬褒章を受章した。 2012年5月29日、心不全のために死去。83歳没。 日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。
竹山 昭子(たけやま あきこ、1928年10月30日 - )… 竹山 昭子(たけやま あきこ、1928年10月30日 - )は、日本の放送史研究者、昭和女子大学元教授。日本の放送黎明期や太平洋戦争下におけるラジオ放送の実態解明など、放送史研究の第一人者として知られる。旧姓、楢木(ならき)。夫はTBSアナウンサー第2期生で、のち記録映像作家・作家の竹山恭二。 東京出身。日本女子大学文学部社会福祉学科卒業。1951年4月、父が戦死したために大学を卒業後に働かなければならないため、進駐軍の施設・物資・役務の調達や管理を扱う特別調達庁に入庁し調査・統計を担当。10月、東京放送(TBS)にアナウンサー第1期生として入社。 1961年5月、TBSを退職しフリーアナウンサーとして1967年頃まで活動。
松沢 俊昭(まつざわ としあき、1927年10月30日 - … 松沢 俊昭(まつざわ としあき、1927年10月30日 - 1985年11月10日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。全日本農民組合連合会会長。 新潟県五泉市生まれ。旧制村松中卒。代用教員を経て、農民運動に従事した。五泉市議会議員を2期務めた。1963年、新潟県議会議員選挙に、五泉市選挙区から日本社会党公認で立候補して当選した。全日農副会長などを歴任した。1969年12月に2期目の途中で県議を辞職した。同年の第32回衆議院議員総選挙で旧新潟2区から社会党公認で立候補して当選。しかし、1972年の第33回総選挙では落選した。 1974年の新潟県知事選挙に日本社会党公認で立候補した。浦沢与三郎が共産党公認で立候補したため票が分散。
中川 徳男(なかがわ とくお、1927年10月30日 - 2… 中川 徳男(なかがわ とくお、1927年10月30日 - 2022年8月10日)は、日本の政治家。元北海道砂川市長(4期)。 北海道空知郡砂川町出身。1942年、砂川町役場に入る。役場内では庶務、企画の各係長、総務、企画の各課長、総務、建設の各部長を務めた。この間、砂川町は1958年に砂川市となり、中川は自治大学校を卒業した。1982年に砂川市役所を退職、翌1983年、砂川市長選挙に立候補して初当選、4期連続で務めた。1999年に市長を退任した。
斎藤 尞(さいとう りょう、1926年10月30日 - 20… 斎藤 尞(さいとう りょう、1926年10月30日 - 2015年10月30日)は、日本の元ラグビー選手及び同監督。 北海中学を経て明治大学へと進んだ。 第二次世界大戦後初めて行われた1946年を手始めに、明早戦に5シーズン連続で出場。1949年度シーズンには主将として、東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦制覇など、11戦全勝の記録をもたらした。その後、大映に進み、ここでもプレーした。 また、1952年のオックスフォード大学戦(2試合)、1953年のケンブリッジ大学戦(2試合)に日本代表選手として出場し、キャップ4を獲得。 現役から退いた後は、長らく監督の北島忠治を補佐するヘッドコーチとして母校・明治大学の指導にあたる傍ら、1974年に日本代表監督に就任。
宮 太郎(みや たろう、1926年〈大正15年〉10月30日… 宮 太郎(みや たろう、1926年〈大正15年〉10月30日 ‐ 2013年〈平成25年〉7月6日)は、日本の実業家。 旧制金沢一中(現石川県立金沢泉丘高等学校)、旧制富山高等学校を経て早稲田大学商学部卒業後、石川県金沢市に本店をもつ百貨店、大和に入社。代表取締役社長、会長、取締役相談役などを歴任した。晩年は名誉相談役を務め、また筆頭株主でもあった。1986年に藍綬褒章、北國文化賞、1989年に金沢市産業功労賞、2001年に勲三等旭日中綬章を受章する。没後、金沢市より景仰の証を授与される。1974年より金沢商工会議所会頭を務めていたが、2006年6月に病気を理由に退任し、名誉会頭に就任。2013年7月6日午後7時15分、呼吸不全のため、金沢社会保険病院で死去。
山田 幸一(やまだ こういち、1925年10月30日 - 1… 山田 幸一(やまだ こういち、1925年10月30日 - 1992年7月30日)は、建築学者。 1925年、京都市で由緒ある左官屋に生まれた。京都帝国大学工学部建築学科で学び、戦後の1949年に卒業。一級建築士として、鹿島建設に勤務。一方で、京都大学大学院特別研究生として学んだ。 1953年、大阪市立大学講師に就いた。1961年、学位論文『日本壁の歴史的研究』を京都大学に提出して工学博士号を取得。1963年、助教授昇格。1968年、関西大学工学部教授となった。大学では、日本建築史だけでなく、一般構造学、建築設計製図の講義や演習なども担当。また関西大学が企画した日印共同「伝祇園精舎発掘プロジェクト」にも参加した。
野地 二見(のじ ふたみ、1925年10月30日 - 201… 野地 二見(のじ ふたみ、1925年10月30日 - 2018年3月9日)は日本の実業家。フジテレビ勤務を経て、産経新聞社取締役、日本工業新聞社副社長、第二電電常任顧問、ツーカーセルラー東海社長などを歴任。同台経済懇話会常任幹事。 福島県二本松町生まれ。仙台陸軍幼年学校および陸軍士官学校(59期)を卒業。戦後、中央大学を卒業。日本の復興推進のための陸士・陸幼出身の経営者団体の必要性を感じ、同台経済懇話会を創立し、常任幹事に就任する。 2018年3月9日、末期腎不全のため死去。92歳没。
松本 昭(まつもと あきら、1925年10月30日 - 20… 松本 昭(まつもと あきら、1925年10月30日 - 2018年11月9日)は、日本のジャーナリスト・仏教学者、昭和女子大学副学長。 神奈川県生まれ。早稲田大学文学部美術史専攻卒業、同大学院特別研究生。1982年「弘法大師入定説話の研究」で早大文学博士。毎日新聞社入社後、サンデー毎日編集部、学芸部、政治部を経て事業部長。昭和女子大学副学長を務めた。
旭 輝子(あさひ てるこ、1924年(大正13年)10月30… 旭 輝子(あさひ てるこ、1924年(大正13年)10月30日 - 2001年(平成13年)12月31日)は、日本の女優である。本名、杉 輝子(すぎ てるこ)。東京都台東区浅草出身。1938年(昭和13年)、実践女学校(現・実践女子学園中学校)を中退し松竹少女歌劇学校に入る。翌年、松竹少女歌劇団に入団。1947年(昭和22年)に退団。映画やドラマ、舞台にと幅広く活躍した。
唯是 震一(ゆいぜ しんいち、1923年10月30日 - 2… 唯是 震一(ゆいぜ しんいち、1923年10月30日 - 2015年1月5日)は、日本の邦楽作曲家、筝曲家(生田流)。妻は筝曲家の中島靖子。 北海道深川市生まれ。父親は尺八奏者、母親は筝曲家。農業経済学者の唯是康彦は従弟。3歳から生田流筝曲を学ぶ。小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒業後、一度就職するが、間もなく退職し、東京音楽学校邦楽科に入学。宮城道雄に師事する。その後、後身の東京藝術大学に楽理科が設置されると転科し、在学中の1952年、邦楽コンクール(東京新聞社主催)で第1位・文部大臣賞を受賞。 卒業後の1953年から2年間、コロンビア大学でヘンリー・カウエルに師事。この間クックレーベルからレコード『日本の琴』をリリース。
赤木 須留喜(あかぎ するき、1923年10月30日 - 2… 赤木 須留喜(あかぎ するき、1923年10月30日 - 2000年4月16日)は、日本の政治学者。 兵庫県豊岡市出身。旧制姫路高等学校を経て、1950年東京大学法学部政治学科卒。1955年同大学院研究奨学生修了。旧・東京都立大学人文学部講師、助教授、1966年法学部教授。1987年定年退官、名誉教授、明治学院大学教授。1994年退職。 父は中筋村(現豊岡市)村長の赤木一雄、兄は画家の赤木蘇夫二(そぶじ)、叔父は農学博士・政治家で「砂防の父」と呼ばれる赤木正雄である。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
頴川 史郎(えがわ しろう、1922年10月30日 - 20… 頴川 史郎(えがわ しろう、1922年10月30日 - 2007年3月4日)は、日本の経営者、銀行家。日本債券信用銀行頭取を務めた。長崎県出身。 1947年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。1964年11月に日本不動産銀行(のちの日本債券信用銀行)に転じ、1970年11月に取締役に就任し、1972年4月に常務を経て、1975年12月に副頭取に就任し、1982年11月に頭取に昇格。1987年12月に会長に就任し、1992年6月には相談役に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2007年3月4日病気のために死去。84歳没。
中曽根 蔦子(なかそね つたこ、1921年〈大正10年〉10… 中曽根 蔦子(なかそね つたこ、1921年〈大正10年〉10月30日 - 2012年〈平成24年〉11月7日)は、日本の71・72・73代内閣総理大臣である中曽根康弘の妻。 東京府(現在の東京都)出身。明治大学教授で理学博士であった小林儀一郎の三女として1921年(大正10年)10月30日に生まれる。学制改革前の専門学校であった日本女子大学校の国文科を卒業。戦時中、海軍士官として台湾の高雄の海軍施設部にいた中曽根康弘と東京で出会い、1945年(昭和20年)2月11日に結婚。 1947年(昭和22年)に康弘が衆議院議員選挙に初当選し、代議士の妻となる。また1982年(昭和57年)11月27日から1987年(昭和62年)11月6日までは康弘が内閣総理大臣に在任し、長期にわたってファーストレディとして活動をした。
荻原 賢次(おぎはら けんじ、1921年10月30日 - 1… 荻原 賢次(おぎはら けんじ、1921年10月30日 - 1990年1月7日)は、日本の漫画家。 祖先は松本藩士であったという。神奈川県横浜市で生まれ、東京府東京市浅草区(現:東京都台東区)の「職人の多い下町」で育つ。少年時代に、湯島聖堂の斯文会で『日本外史』などを通じ、漢文に親しみ、歴史の素養を身につける。小島尋常小学校卒業後、商業補習学校、研数学館などを転々とする。この間、川端画学校を中退したほか、クロッキー研究所に在籍している。クロッキー研究所ではのちにともに漫画家になる根本進、塩田英二郎、上田トシコ、永井保らと知り合う。 自作漫画を雑誌に投稿して頭角を現すと、1939年には永井に、その永井が所属する若手漫画家のグループ「漫画突撃隊」へ勧誘される。
都城 秋穂(みやしろ あきほ、1920年10月30日 - 2… 都城 秋穂(みやしろ あきほ、1920年10月30日 - 2008年7月22日?)は、日本の地質学者。専門は、岩石学・プレートテクトニクス。学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1953年)(学位論文「変成作用に対する関係からみた非石灰質ざくろ石 」)。ニューヨーク州立大学名誉教授。 岡山県生まれ。1943年、東京帝国大学卒業。東京大学助教授、コロンビア大学教授、ニューヨーク州立大学教授を歴任、ニューヨーク州立大学名誉教授。1953年、「変成作用に対する関係からみた非石灰質ざくろ石 」で、東京大学より理学博士の学位を取得。 本格的な顕微鏡による記載岩石学および熱力学に基づいた火成岩成因論を日本の岩石学界に輸入した坪井誠太郎を師とし、物理・化学的観点から天然の岩石の成因を探る研究を行った。
舩坂 弘(ふなさか ひろし、1920年〈大正9年〉10月30… 舩坂 弘(ふなさか ひろし、1920年〈大正9年〉10月30日 - 2006年〈平成18年〉2月11日)は、日本の陸軍軍人、剣道家、実業家。最終階級は陸軍軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。戦後は大盛堂書店を開き、代表取締役会長を務めた。全日本銃剣道連盟参与、南太平洋慰霊協会理事、大盛堂道場館主。 特別銃剣術徽章、特別射撃徽章、剣道教士六段、居合道錬士、銃剣道錬士など、武道・射撃の技能に習熟していた。 栃木県上都賀郡西方村で農家の三男として生まれて育つ。幼少期からきかん坊で近所のガキ大将であった。小学校と尋常高等小学校を終えて公民学校を卒業すると、さらに早稲田中学講義録で独学し、専門学校入学者検定試験に合格する。
川上 紀一(かわかみ きいち、1919年(大正8年)10月3… 川上 紀一(かわかみ きいち、1919年(大正8年)10月30日 - 2009年(平成21年)8月14日)は、日本の政治家、内務官僚。千葉県知事(公選第9・10代)。 千葉県安房郡富浦町(現南房総市)生まれ。出生時の姓は羽山であり、後年市川市の川上家へ婿入りして以降は川上姓を名乗る。旧制安房中学、旧制一高を経て、1944年(昭和19年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、内務省に入省した。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し海軍主計見習尉官。1945年4月に経理学校を卒業し豊川海軍工廠に配属。同年6月、主計少尉に任官され海軍艦政本部に転じ終戦を迎えた。1945年9月、予備役に編入。
香西 照雄(こうざい てるお、1917年10月30日 - 1… 香西 照雄(こうざい てるお、1917年10月30日 - 1987年6月24日)は、日本の俳人。 香川県木田郡庵治村(現高松市)に生まれる。旧制高松中学、旧制姫路高校を経て、1941年に東京帝国大学文学部国文科を卒業。ラバウルから復員後、1946年に高松で高校教諭となる。俳句ははじめ竹下しづの女に師事。のち東大俳句会で中村草田男を知り終生の師とする。1946年、中村草田男の「萬緑」創刊に参加。1955年、成蹊高等学校にうつり草田男の同僚となる。また大学部の講師も兼任した。1960年、第8回現代俳句協会賞受賞。「萬緑」の誌風のもと季語の象徴性に着目、思想性や社会性のある句を作った。「萬緑」では編集を補佐し、草田男の死去後は選者も務めている。
平田 次三郎(ひらた じさぶろう、1917年10月30日 -… 平田 次三郎(ひらた じさぶろう、1917年10月30日 - 1985年10月28日)は、日本の評論家、ドイツ文学者。 福島県生まれ。1941年東京帝国大学文学部独文科卒。在学中、山下肇、堤重久、小島輝正らと同人誌『新思潮』を刊行。卒業後、逓信省・内務省嘱託・明治大学講師などを経て、中央大学教授。戦後から文芸評論活動を始め、1947年春『近代文学』同人となり、編集者としても働く。荒正人とともに夏目漱石論などを書いた。中大在職中に死去。