大宮 信光(おおみや のぶみつ、1938年8月10日- )は… 大宮 信光(おおみや のぶみつ、1938年8月10日- )は、日本の科学ジャーナリスト、SFファン活動家。 東京神田生まれ。東京教育大学(中退)在学中から家庭教師、塾経営をはじめる。 1967年にSF同人誌『宇宙塵』に参加。SFファン時代の1967年、ハインラインの『宇宙の戦士』が翻訳され、石川喬司の否定的なレビューにより『SFマガジン』誌上で論争となった際、論争に参加しており、のちの石川の著書『SFの時代』で投稿が紹介されている。 1968年から石原藤夫、柴野拓美らと「SFファン科学勉強会」(SFフ科会)を結成して活動。のちに草場純、志水一夫、鹿野司らもメンバーとなる。 1979年頃からSF乱学者を名乗る(「蘭学者」のもじり)。
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樺 美智子(かんば みちこ、1937年〈昭和12年〉11月8… 樺 美智子(かんば みちこ、1937年〈昭和12年〉11月8日 - 1960年〈昭和35年〉6月15日)は、日本の学生運動家。安保闘争で死亡した東京大学の女子学生である。 曽祖父は鳥取県出身の数学者樺正董、父は社会学者の樺俊雄。 1937年(昭和12年)に東京都北多摩郡武蔵野町(現:武蔵野市)の学者の家系に生まれた。2人の兄がいる。中学から父の神戸大学赴任に伴い兵庫県芦屋市に移る。 芦屋市立山手中学校、兵庫県立神戸高等学校を卒業後、一浪して東京の研数学館(お茶の水校)へ通ったが、授業に満足できず、6月に紅露外語予備校に移ったが、午前中だけの授業に飽き足らず、2学期から駿台予備学校に移る。1957年(昭和32年)に東京大学文科二類(現在の文科三類)に入学。
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久保 覚(くぼ さとる、1937年2月 - 1998年9月9… 久保 覚(くぼ さとる、1937年2月 - 1998年9月9日)は、編集者、文化活動家、朝鮮芸能文化史研究家。本名・鄭 京黙(チョン・キョンムク)。
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高野 哲夫(たかの てつお、1934年10月1日 - 198… 高野 哲夫(たかの てつお、1934年10月1日 - 1985年3月23日)は、日本の薬学者、薬害問題の運動家。 山形県生まれ。大連、東京で育つ。東京都立小石川高等学校卒、1959年京都大学医学部薬学科卒、64年同大学院薬学研究科博士課程満期退学。1981年「戦後薬害問題の研究」で北海道大学薬学博士。関西医科大学助手、立命館大学、京都府立医科大学講師を務めた。スモン、サリドマイドなど薬害問題にとりくむが、子供の頃のカリエスが33歳で再発し、病と戦いつつ50歳で死去した。反戦平和運動にも挺身。妻は高野恵美子(1938年京都府生まれ、旧姓森本。1962年神戸薬科大学卒業。会社勤務を経て1964年国立京都病院検査技師。
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柴田 道子(しばた みちこ、本姓・横田、1934年3月30日… 柴田 道子(しばた みちこ、本姓・横田、1934年3月30日 - 1975年8月14日)は、日本の児童文学作家、社会運動家。被差別部落問題や狭山事件の被告支援活動にも取り組んだ。 夫は弁護士で狭山弁護団の一員だった横田雄一。 東京市大森区(現・東京都大田区)生まれ。大森区立馬込第三国民学校(各地を転々と疎開)、東京都立雪谷高等学校併設中学校、同高校を卒業。高校在学中、クラスメイトと同人誌『たわごと』を創刊。在校中、自由研究の詩を同校教諭が編集する文芸誌『六華』に発表したほか、太宰治についての購読感想文で学内のコンクールに一等入選している。一方で、持病であった喘息の悪化による出席日数不足のため、1年留年している。
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本多 延嘉(ほんだ のぶよし、1934年〈昭和9年〉2月6日… 本多 延嘉(ほんだ のぶよし、1934年〈昭和9年〉2月6日 - 1975年〈昭和50年〉3月14日)は、日本の新左翼活動家。革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の最高指導者。 1934年(昭和9年)2月6日、本多延嘉は東京都神田区神田和泉町に生まれる。父は全逓労働者で、旧浅草区鳥越で育つ。柳北小学校に入学。太平洋戦争中は、一家で埼玉県北足立郡足立町(現志木市)に疎開。同地で宗岡小学校を卒業。 1946年(昭和21年)4月、 旧制埼玉県立川越中学校(現・埼玉県立川越高等学校)入学。中学生で日本共産党の青年組織・青年共産同盟(のちの日本民主青年同盟)に加盟。川越高等学校で共産党に入党する。 1953年(昭和28年)4月、は早稲田大学第二法学部に入学する。
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オノ・ヨーコ(小野 洋子、1933年〈昭和8年〉2月18日 … オノ・ヨーコ(小野 洋子、1933年〈昭和8年〉2月18日 - )は、日本の前衛芸術家、音楽家、平和運動活動家。1969年にビートルズのメンバーだったジョン・レノンと結婚。共に平和活動、音楽、創作活動を行ったことでも知られている。ニュースクール大学でジョン・ケージが開いた作曲講座の出席者らと1960年代の前衛運動を主導し、「フルクサス」の関係者でもあった。 1933年(昭和8年)2月18日、小野英輔・磯子の長女として東京で出生した。兄弟姉妹は、洋子(ヨーコ)・啓輔・節子の3人であった。 父・英輔は、日本興業銀行総裁を務めた小野英二郎の三男であり、ピアニストから銀行員に転じ、ヨーコが生まれたときは横浜正金銀行サンフランシスコ支店に勤務していた。
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庄 幸司郎(しょう こうしろう、1931年10月6日 - 2… 庄 幸司郎(しょう こうしろう、1931年10月6日 - 2000年2月18日)は、昭和後期、平成時代の市民運動家、ジャーナリスト、実業家。 1931年(昭和6年)10月6日、中国大連生まれ。東京都立一橋高等学校卒。1963年(昭和38年)、庄建設株式会社を設立、代表取締役。のち映画制作会社青林舎、シグロ、および出版の記録社、影書房の代表取締役も兼務。戦争末期の大陸での体験から一貫して反権力・反戦の姿勢をつらぬき、市民運動に力をそそぐ。ミニコミ誌「告知板」、雑誌「辺境」などを刊行し、記録映画「よみがえれカレーズ」などを製作した。2000年(平成12年)2月18日死去。68歳。
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大野 明男(おおの あきお、1930年〈昭和5年〉9月12日… 大野 明男(おおの あきお、1930年〈昭和5年〉9月12日 - )は、日本の思想家、社会運動家。社会評論家。 東京生まれ。旧制東京都立第三中学校、東京陸軍幼年学校、旧制群馬県立桐生中学校、旧制浦和高等学校を経て、東京大学に入学。東京大学教養学部の学生自治会委員長としてレッドパージ反対闘争を指揮し、退学処分を受ける。東大を中退後、東大生協、業界紙記者を経てフリーになる。自らの全学連(全日本学生自治会総連合)の経験を踏まえた学生運動や世代論に関する発言を中心に新中間層、経済、経営の分野に及ぶ幅ひろい評論活動を展開する。兄の評論家・大野力と共に思想の科学研究会を活動の拠点とし、思想の科学研究会の事務局長、会長もつとめた。
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澤地 久枝(さわち ひさえ、1930年9月3日 - )は、日… 澤地 久枝(さわち ひさえ、1930年9月3日 - )は、日本のノンフィクション作家、社会運動家。東京都港区青山出身。 編集者を経て『妻たちの二・二六事件』(1972年)で作家に。綿密な取材で、真実に迫る作品を執筆。作品に『火はわが胸中にあり』(1978年)、『もうひとつの満州』(1982年)、『滄海よ眠れ』(1985~86年)など。 大工の長女として生まれる(下に妹と弟)。父親は小学校卒業後伊豆での見習修業を経て大工となり、久枝が4歳の時、家族で満洲へ移住し、吉林市の満鉄社宅で暮らした。1945年、吉林で敗戦を迎え1年間の難民生活の後に日本に引き揚げ山口県立防府高等学校に編入した。1947年夏に東京に移り焼野原の原宿に建てた6畳のバラックで育つ。
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五十嵐 良雄(いがらし よしお、1930年5月20日 - 2… 五十嵐 良雄(いがらし よしお、1930年5月20日 - 2011年6月8日)は、日本の教育評論家、政治活動家。 東京府南葛飾郡小松川(のち東京都江戸川区小松川)生まれ。1948年に日本共産党員となる。早稲田専門学校卒、東京都立江戸川高等学校卒、1949年中央労働学園大学に入学、全学連書記局で働く。1955年東京学芸大学英語専修課程修了、清水書院編集部に入社、1958-1963年東京大学教育学部研究生、1963年世界経済研究所(英語版、ロシア語版)アジア=アフリカ研究所員。インド、ベオグラード、モスクワなどアジア・アフリカ諸国の大学などに留学。1966-1967年和光大学教務学生課職員。大学闘争に際して日本教育学会を退会し、「反教育シリーズ」を主催。
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小森 香子(こもり きょうこ、1930年2月1日 - 20… 小森 香子(こもり きょうこ、1930年2月1日 - 2023年6月28日)は、詩人、社会運動家。旧姓・相本。代表作は『母の友 2012年 02月号』 『青い空は青いままで子どもらに伝えたい―母と子で語る昭和といま』 『陽子』などがある。 東京雑司ヶ谷生まれ。父は相本修平、母は桂島ふじ(桂島不二の名で雑誌に投稿していた)で、三女として生まれる。東京都立第十高等女学校在学中に学徒動員を経験。空襲で関西へ疎開したが、再び動員される。 神戸女学院家政学部卒業後、大日本紡績本店に勤務するが、レッドパージに遭う。社会主義者の小森良夫(1926年 - 2008年)と結婚し、新日本文学会で詩や小説を発表。1961年から、夫が世界労働本部の常駐スタッフに就任したため4年間プラハに住む。
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新島 淳良(にいじま あつよし、1928年2月7日 - 20… 新島 淳良(にいじま あつよし、1928年2月7日 - 2002年1月12日)は、日本の中国文学者、コミュニティー活動家。
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三好 達(みよし とおる、1927年(昭和2年)10月31日… 三好 達(みよし とおる、1927年(昭和2年)10月31日 - 2023年(令和5年)3月6日)は、日本の裁判官、政治活動家。海軍兵学校75期。位階は従二位。最高裁判所長官、法曹会会長、日本会議会長、皇室の伝統を守る国民の会会長、美しい日本の憲法をつくる国民の会共同代表などを歴任した。 東京府生まれ。日本中学校卒業。海軍兵学校(第75期)に進む。海兵在校中に終戦。海兵ではリベラルとして知られた井上成美校長の薫陶を受けた最後の卒業生の一人となった。旧制東京高等学校卒業。昭和28年(1953年)、東京大学法学部卒業。 1952年、24歳で司法試験合格。司法修習7期。1955年、裁判官任官。東京地方裁判所を振り出しに各地の裁判所等で勤務。
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胡暁子(おう あきこ、1927年(昭和2年) - 2011年… 胡暁子(おう あきこ、1927年(昭和2年) - 2011年(平成23年) 10月31日)は、実業家・慈善活動家。タイガーバームを率いる胡一虎の配偶者。シンガポール赤十字副総裁などを歴任。 東京都千代田区に生まれる。生家は長瀬商店(花王)一族。番町小学校、文化学院卒。 昭和22年に日本で中国人男性と結婚するが、3人の子をもうけた後離婚。その後、昭和33年にアジア最大の財閥タイガーバーム3代目総裁、胡一虎に嫁ぐ。結婚式は香港・シンガポール・東京の三か所で行われた。 結婚後はシンガポールに移住し、主婦業の傍ら星虎公司社長や役員などを歴任。銀行、新聞社、建築、レジャー施設や旅行会社、スーパーマーケットから高級ブティック等におよぶ数十の会社をシンガポールを拠点に経営する。
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千葉 利雄(ちば としお、1926年10月4日 - 2009… 千葉 利雄(ちば としお、1926年10月4日 - 2009年2月5日)は、昭和から平成時代の労働運動家。日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連)副委員長。宮田義二鉄鋼労連委員長の政策ブレーン。 東京生まれ。1945年武蔵高等学校卒業、東京帝国大学経済学部に入学。文学青年であったが在学中に左傾化し、全日本石炭産業労働組合(全石炭)の工作員として石炭復興会議の事務局に勤務。1949年東京大学経済学部卒業。4月に共産党の指示もあって人事院事務官となるが、レッド・パージにあい退官。10月に共産党の指示で日本労働組合総同盟(総同盟)書記局調査部に入るが、総主事の高野実に傾倒して次第に共産党と距離をとった。
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内田 宜人(うちだ よしと、1926年4月 - 2016年)… 内田 宜人(うちだ よしと、1926年4月 - 2016年)は、昭和から平成時代の労働運動家。中学校教師。元東京都教職員組合(都教組)墨田支部長。 鳥取県で生まれ、東京で育つ。東京府東京市泰明尋常小学校、東京府立第一中学校卒。1944年第一高等学校の受験に失敗し、鳥取県の国民学校の助教となる。1945年徴兵。 1952年早稲田大学第一文学部仏文科卒業。同年より東京都墨田区の公立中学校教員。1987年定年退職。この間、東京都教職員組合(都教組)墨田支部長、都教組本部執行委員、東京地方労働組合評議会(東京地評)常任幹事、東京都同和教育研究協議会会長、全国同和教育研究協議会副委員長を務め、勤評反対闘争、主任制反対闘争、部落解放教育、平和教育などに熱心に取り組んだ。
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金杉 秀信(かなすぎ ひでのぶ、1925年2月24日 - )… 金杉 秀信(かなすぎ ひでのぶ、1925年2月24日 - )は、日本の労働運動家。元全国造船重機械労働組合連合会(造船重機労連)中央執行委員長、全日本労働総同盟(同盟)副会長、全日本民間労働組合協議会(全民労協)副議長。勲三等旭日中綬章。 東京・向島生まれ。第一寺島高等小学校卒業後、1939年石川島造船所(現・IHI)に養成工として入社。石川島造船所青年学校卒。戦時中に右翼運動家の穂積五一、元共産党員の川﨑堅雄から影響を受けた。敗戦時に退職して家業を手伝うが、かつての仲間から共産党に対抗するため復帰を要請され、1946年に職場復帰。1948年全造船石川島支部執行委員、組織部長。占領政策を批判したかどでGHQに呼び出され、半年で組合役員を辞任。
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金子 徳好(かねこ とくよし、1924年7月24日 - 20… 金子 徳好(かねこ とくよし、1924年7月24日 - 2007年11月26日)は、反戦活動家・平和活動家・ミニコミ研究家である。 東京都渋谷区に生まれる。東京高等農林学校(現・東京農工大学)中退。 戦後渋谷でローカル新聞を主宰。労組書記(全銀連)を経て、日本機関紙協会勤務。 1965年、「アメリカはベトナムから手をひけ」を書いたゼッケンをつけて8年間にわたり通勤。その記録として『ゼッケン8年』(朝日新聞社)を1974年に刊行している。 1981年10月には核廃絶を訴え再びゼッケン通勤を始め、1984年の広島原爆忌まで続けられた。 退職後は地域のミニコミに力を入れ、地域からの平和運動を研究・促進。
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鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月… 鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月25日 - 2015年〈平成27年〉7月20日)は、日本の哲学者・評論家・政治運動家・大衆文化研究者。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。 米国ハーバード大学で哲学を学んだのち、リベラルな立場の批評で論壇を牽引。思想史から大衆文化まで幅広い分野を扱う。著書は『戦時期日本の精神史』(1982年)、『アメリカ哲学』(2008年)など多数。 1922年6月25日、東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)で、父・祐輔と母・愛子(後藤新平の娘)の間に、4人きょうだいの2番目(長男)として生まれる。
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犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 20… 犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 2017年7月24日)は、日本の慈善家・環境活動家・小説家。 首相を務めた犬養毅の孫にあたる。カトリック信徒。 現在の東京都新宿区四谷に犬養健・仲子夫妻の長女として生まれる。父・健は犬養毅の嗣子で親子2代の政治家であり、母方の曾祖父が長与専斎と後藤象二郎である。母方の祖父は男爵長与称吉。従姉の娘に緒方貞子、異母妹に安藤和津がいる。 女子学習院、津田英学塾で学んだ後、アメリカ合衆国やフランスに留学。 1970年代以降ヨーロッパに在住し、環境破壊抑止を目指した「みどり一本」運動を提唱したり、1979年から世界の飢餓、難民問題に深くかかわった。また欧州滞在中は、ジュネーヴ空港に近いフランスの街フェルネ=ヴォルテールに住み、ライフワークの聖書研究のかたわら、難民支援活動を積極的に展開した。
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三木 睦子(みき むつこ、1917年〈大正6年〉7月31日 … 三木 睦子(みき むつこ、1917年〈大正6年〉7月31日 - 2012年〈平成24年〉7月31日)は、日本の政治運動家、社会活動家。第66代内閣総理大臣三木武夫の妻。三木事務所代表。全国発明婦人協会、アジア婦人友好会、国連婦人会の各会長、社団法人中央政策研究所理事、国際教育交流協会理事長など役職多数。旧姓は森。 千葉県出身。森コンツェルン総帥で昭和電工の創業者・森矗昶の次女。この父をはじめ、兄の森曉と森清、弟の森美秀、甥の森英介はいずれも衆議院議員に、また長女の高橋紀世子は参議院議員になっている政治家一族の出身である。また、姉は元昭和電工社長の安西正夫に嫁いでいる。 東京府立第一高等女学校(現東京都立白鷗高等学校)卒業。
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浅沼 美智雄(あさぬま みちお、1915年11月19日 - … 浅沼 美智雄(あさぬま みちお、1915年11月19日 - 2001年、浅沼 美知雄〈あさぬま みちを〉とも)は、日本の政治活動家、右翼活動家。大日本愛国団体連合・時局対策協議会(時対協)副代表・最高顧問。防共新聞社編集長・主幹。大日本愛国党参与・最高顧問。防共挺身隊隊長・顧問。学生運動純正同盟顧問。全日本愛国者懇親会世話人。大日本愛国団体連合第二代代表。嶽南義塾顧問。言論同志会顧問。皇道民族連盟代表。 東京都八丈島出身。三宅村出身の浅沼稲次郎は遠縁に当たる。日本大学専門部を中退し、読売新聞社記者を経て、戦後、日本社会党に入り杉並区議会議員を1期務める。 1952年、社会党右派から右翼に転向した。
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塙 英夫(はなわ ひでお、1912年10月25日 - 198… 塙 英夫(はなわ ひでお、1912年10月25日 - 1988年2月20日)は、日本の作家、翻訳家、左翼活動家。 東京生まれ。本名・正。千葉県立旧制匝嵯中学校を経て第一高等学校に進学するが、伊藤律らと非合法政治活動に加わり、1931年に校友会雑誌に発表したものが問題となり検挙され中退。満州に渡り農村工作に当たる。 1941年、「アルカリ地帯」が『中央公論』懸賞小説に当選し掲載。一方で検挙され奉天の監獄に入る。 敗戦後、引き揚げの手助けをして1947年帰国。1953年、引き揚げの経験を描いた『背教徒』で芥川賞候補、同年「すべて世はこともなし」で再度候補。 日本教職員組合関係の仕事に就いて翻訳を行った。
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菱沼 五郎(ひしぬま ごろう、1912年〈大正元年〉8月20… 菱沼 五郎(ひしぬま ごろう、1912年〈大正元年〉8月20日 - 1990年〈平成2年〉10月3日)は、日本の政治家(茨城県議会議員、同議長)、実業家、テロリスト。別名は小幡五朗。 茨城県那珂郡前渡村にて農業徳松の三男として生まれ、水戸勤王の遺風を学んで成長した。上京後は自動車の助手を経て岩倉鉄道学校(現・岩倉高等学校)に進学。1929年(昭和4年)10月、同校業務課を卒業し、翌1930年(昭和5年)、東武東上線池袋駅に就職するつもりが、紅緑色盲のため鉄道業務に致命的であると判断されて就職できなかった。失意の中、大洗町の護国堂にいた井上日召のもとに通う。 1930年(昭和5年)、ロンドン軍縮条約をめぐって統帥権干犯問題が起きると、日本国民党(委員長・寺田稲次郎、書記次長・鈴木善一)がその抗議行動のために結成しようとした決死隊に参加。
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高橋 岩太郎(たかはし いわたろう、1912年1月25日 -… 高橋 岩太郎(たかはし いわたろう、1912年1月25日 - 2002年)は、日本のヤクザ、右翼活動家。日本国粋会落合一家六代目総長。東京都中野区本町出身。 明治45年(1912年)1月25日、東京府東多摩郡中野町(現:東京都中野区本町)で生まれた。実家は農業と酒造業を営む旧家だった。 大正12年(1923年)、中野の桃園尋常小学校を卒業。東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高校)に進学した。 同年9月1日昼、自宅の裏の鶏小屋で卵を取っていたところ、関東大震災に遭遇。中学校は半年間休校となった。その間、酒や煙草、博打を覚え、喧嘩に明け暮れるようになった。 大正14年(1925年)には喧嘩で相手を刺す事件を起こし、から放校処分を受けた。
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菅 寿子(すが ひさこ、1909年〈明治42年〉5月20日 … 菅 寿子(すが ひさこ、1909年〈明治42年〉5月20日 - 1994年〈平成6年〉12月3日)は、日本の福祉活動家、社会事業家。神奈川県厚木市の社会福祉法人・紅梅会の元理事長、紅梅会で女性の知的障害者(精神薄弱者)を対象とする入所施設である紅梅学園の創立者、元園長。「女子精薄者の母」「女性知的障害者の母」と呼ばれる。夫は小説家・編集者の菅忠雄。東京市下谷区(後の東京都台東区)龍泉寺町出身、私立佐藤高等女学校(現・女子美術大学付属高等学校)卒業。旧姓は鶴田。 炭問屋の7人兄弟の長女として誕生。重度の知的障害者の末弟が滋賀の知的障害児施設である近江学園に引き取られ、同学園の女子部を目にしていたことが、後の人生に大きく影響を及ぼした。
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岩田 英一(いわた えいいち、1906年〈明治39年〉2月1… 岩田 英一(いわた えいいち、1906年〈明治39年〉2月19日 - 1999年〈平成11年〉8月23日)は、労働運動家、政治家。 東京市牛込区矢来町(現東京都新宿区神楽坂)生まれ。市谷尋常小学校を経て、1917年4月早稲田実業学校に入学し、おもに理工系の科目を履修した。 卒業後、1924年7月に牛込区でラジオ商を開業し、のちソウル市の京城ラジオ商会や東京市大森区の日本真空管製作所に勤務した。 1926年12月、労働農民党に入党。1929年、日本共産青年同盟(共青)に加盟。同年5月の京浜合同労働組合結成の中心となり、前後して日本労働組合全国協議会(全協)のオルグとなった。同年11月、大山郁夫らの新労農党の結成に参加し、世田谷支部の実質的な責任者となった。
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伊井 弥四郎(いい やしろう、1905年(明治38年)11月… 伊井 弥四郎(いい やしろう、1905年(明治38年)11月14日 - 1971年(昭和46年)12月12日)は、日本の労働運動家。日本共産党中央委員、全官公庁共闘会議議長。 1905年(明治38年)11月14日、富山県富山市水橋町に生まれる。1926年(大正15年)に岩倉鉄道学校を卒業し、日本国有鉄道(国鉄・当時は鉄道省が管轄)に入る。その後、働きながら、1932年(昭和7年)に法政大学経済学部を卒業する。平塚駅、鶴見駅、東京駅の助役などを務める。第二次世界大戦後、国鉄労働組合の結成に参加、中央執行委員に就任する。 1946年(昭和21年)11月に全官公庁労組拡大共同闘争委員会(全官公庁共闘)が結成されると議長に就任し、産別会議議長・聴濤克巳とともに二・一ゼネストの最高責任者となる。
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石垣 綾子(いしがき あやこ、1903年9月21日 - 19… 石垣 綾子(いしがき あやこ、1903年9月21日 - 1996年11月12日)は、日本の女性問題評論家、社会運動家。旧姓・田中。 陸軍幼年学校物理学教授田中三四郎の二女として東京(現在の東京都新宿区市谷加賀町)に生まれる。2歳のときに早稲田南町に転居した。転居先の近所には夏目漱石が居住しており、漱石の三女とは小学校で同級だった。4歳の時母親と死別し、父親の手で育つ。府立第一高女に学び、YMCAの英語クラス、バイブル・クラスに通って社会運動にふれる。卒業後は自由学園高等科に入学。自由学園卒業後。警察に検挙されたことをきっかけに、家族の勧めにより、1926年に外交官としてワシントンに赴任する姉夫婦とともに米国に渡り、反戦・社会運動に参加する。
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大河原 一次(おおかわら いちじ、1903年(明治36年)9… 大河原 一次(おおかわら いちじ、1903年(明治36年)9月20日 - 1988年(昭和63年)3月7日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。 福島県岩瀬郡長沼町(現須賀川市)で生まれる。1921年(大正10年)錦城中学校(現錦城学園高等学校)卒を経て、早稲田大学高等師範英文科を修了した。 1927年(昭和2年)古河鉱業(現古河機械金属)に入社し好間鉱業所に配属された。1930年(昭和5年)に退社し労働運動、農民運動に加わる。1945年(昭和20年)の終戦を迎えて常磐地方で日本社会党の支部と労働組合の結成に尽力し、日本炭鉱労働組合常磐地方本部執行委員長に就任し8期在任した。その他、福島県労働対策審議会委員などを務めた。
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近藤 真柄(こんどう まがら、別名・筆名: 堺真柄・近藤真柄… 近藤 真柄(こんどう まがら、別名・筆名: 堺真柄・近藤真柄、旧姓戸籍名: 堺マガラ、最初の結婚改姓戸籍名: 高瀬マガラ、第2の結婚改姓戸籍名: 近藤マガラ、女性、1903年1月30日 - 1983年3月18日)は、社会主義者、婦人運動家、フェミニスト。
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赤松 明子(あかまつ あきこ、1902年〈明治35年〉9月2… 赤松 明子(あかまつ あきこ、1902年〈明治35年〉9月27日 - 1991年〈平成3年〉3月21日)は、昭和時代の社会運動家。旧姓は吉野。 東京出身。吉野作造の次女。東京女子高等師範学校附属女学校卒業。1923年3月赤松克麿と結婚。克麿の妹の赤松常子とともに総同盟・社会民衆党系の婦人運動を指導。1927年7月社民党系の小池元子(小池四郎夫人)、松岡勝代(松岡駒吉夫人)、総同盟傘下の日本縫工組合、東京電気従業員組合の女工らと労働婦人連盟を結成し、山一林組争議に参加。同年11月赤松常子らと社民党系の社会婦人同盟を結成。1928年赤松常子、阿部静枝らと社会民衆婦人同盟を結成し、婦人参政権獲得運動や母子扶助法制定運動などを推進。
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曺 奉岩(チョ・ボンアム、そう ほうがん、朝鮮語: 조봉암、… 曺 奉岩(チョ・ボンアム、そう ほうがん、朝鮮語: 조봉암、1899年9月25日または1898年9月 - 1959年7月31日)は、朝鮮の独立運動家、のちに韓国の政治家。本貫は昌寧曺氏(朝鮮語版)、号は竹山(チュクサン、죽산)。社会民主主義者で、第一共和国時代における革新政党である進歩党の委員長を務めた。 妻は活動家の金祚伊。姓の「チョ」は真ん中の部分が曲の「曹」ではなく由の「曺」。 京畿道江華郡(現在の仁川広域市)出身。農業補習学校を卒業し江華郡庁の職員として働くが、三・一独立運動に参加して投獄される。釈放後の1921年に日本へ留学し、正則英語学校を経て中央大学で一年間政治学を学び、朴烈らと共に在日朝鮮人による社会主義団体「黒濤会」を結成した。
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安 駿相(アン・ジュンサン、朝鮮語: 안준상、1898年1月… 安 駿相(アン・ジュンサン、朝鮮語: 안준상、1898年1月9日 - 1994年12月27日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育者、実業家、政治家、独立運動家。制憲韓国国会議員。 初代文教部長官の安浩相は従弟。 慶尚南道宜寧郡富林面立山里の耽津安氏(朝鮮語版)の世居地である立山村出身。東萊高等普通学校、正則英語学校(現・正則学園高等学校)卒。早稲田大学政経科2年修了。三・一運動のときは宜寧郡内の万歳運動を主導し、その後も族叔の安熙済の独立闘争活動を手伝った。また、立山学院長、古今社経営者、宜寧協同組合創立・経営者、馬山ゴム工業社経営者、薬草栽培園経営者を歴任した。光復後は慶尚南道ハングル文化普及会長、釜山東亜大学(現・東亜大学校)理事、独立促成国民会釜山支部副会長、朝鮮民族青年団慶尚南道団部理事、釜山一五倶楽部幹事、宜寧郡選出の国会議員、制憲同志会会長などを務めた。
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朱 基瑢(チュ・ギヨン、朝鮮語: 주기용、1897年3月12… 朱 基瑢(チュ・ギヨン、朝鮮語: 주기용、1897年3月12日 - 1966年5月8日)は、日本統治時代の朝鮮および韓国の独立運動家、教育者、政治家。制憲国会議員。氏名の漢字表記は朱基容、朱基溶、朱基鎔などもある。 本貫は新安朱氏。牧師の朱基徹は従弟、独立運動家・教育者の李昇薫は岳父。 慶尚南道昌原郡(現・昌原市鎮海区)出身。1916年に平安北道定州郡の五山中学校を卒業した後に故郷に戻り、熊東面にあった啓光学校で教鞭を取った。学校に在職中に三・一運動が起こると、熊川・熊東の万歳デモを主導したため馬山の刑務所に投獄された。出獄後は創立者で岳父の李昇薫の助けを借りて日本内地に渡り、正則英語学校を経て東京高等師範学校数学科を卒業した。
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文 時煥(ムン・シファン、朝鮮語: 문시환、1897年または… 文 時煥(ムン・シファン、朝鮮語: 문시환、1897年または1899年 - 1973年11月11日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、ジャーナリスト、官僚、政治家。東萊郡郡守、制憲韓国国会議員、慶尚南道知事。本貫は南平文氏(朝鮮語版)。 釜山蓮山洞(現・釜山広域市蓮堤区蓮山洞)または福泉洞出身。私立東萊東明学校、東京正則英語学校、モスクワ東方共産大学卒。満洲の安東で中国人貿易商会の書記を務めながら、秘密政治結社の花郎徒に参加した後、1920年に朝鮮共産党に入党した。1922年10月、ベルフネウジンスクで開催された高麗共産党連合大会に出席し、党中央委員会第3書記部(国内)委員となった。
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秋元 梅吉(あきもと うめきち、1892年8月26日 - 1… 秋元 梅吉(あきもと うめきち、1892年8月26日 - 1975年2月8日)は、日本の社会事業家・教育者・キリスト教指導者・編集者である。 視覚障害当事者として視覚障害者のための福祉ホーム・点字出版社である東京光の家を創設したしたほか、日本初の点字『旧約聖書』シリーズ全巻を刊行した。 1892年 東京・中野の大地主の家に生まれる。先天性の弱視であり、5歳で失明。 1906年(明治39年)、14歳で東京盲唖学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)に入学した。 1913年(大正2年)、台湾人留学生である同級生から『新約聖書』「マルコによる福音書」を紹介され、一章三節の「荒れ野に呼ばわる者の声す。「主の道を備え、その道を直くせよ」」に「電光を受けたように感銘を受けて」キリスト教に入信した。
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金 尚徳(キム・サンドク、김상덕、1891年12月10日また… 金 尚徳(キム・サンドク、김상덕、1891年12月10日または1892年12月10日 - 1956年4月28日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の政治家である。号は令洲。 慶尚北道高霊郡苧田洞で小農の5男に生まれた。5歳の時に父の勧誘で書堂に入って、郷里で19歳の時まで漢学を学んだと言う。1912年4月慶尚北道高靈公立普通学校に入学したが翌年やめた。1915年京城府で儆新中学校に入学した。1917年には、16歳時に許嫁となった陜川郡出身の姜泰貞と結婚した。儆新中学校に通いながら、昼には大工で学費を稼ぎ、夜に勉強しながら、20代初盤の青年期を儆新中学校で過ごした。そしてキリスト教に接して新学問を学び、民族意識と抗日意識を培って、日本に渡り、近代的な新学問を学んで独立運動をすることを決心した。
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金 性洙(キム・ソンス、朝鮮語: 김성수、 光緒17年9月9… 金 性洙(キム・ソンス、朝鮮語: 김성수、 光緒17年9月9日(1891年10月11日) - 1955年2月18日)は、日本統治時代の朝鮮の実業家、独立運動家。大韓民国の政治家、教育者、言論人。本貫は蔚山金氏(朝鮮語版)。『東亜日報』や高麗大学校、韓国民主党などの設立者としても知られる。朝鮮独立のためには実力の養成が必要だとして、朝鮮人の立場を代弁するメディアとして『東亜日報』を、人材の育成を目的に中央高等学校と高麗大学校を設立した。実業家としても、京城紡織を中心に綿紡績・ナイロン生産に従事し、朝鮮内のみならず満州にまで事業範囲を伸ばしたが、このことにより、韓国では、2002年に発表された親日派708人名簿に登録され、2005年には民族問題研究所による親日派リストに含まれた。
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古市 春彦(ふるいち はるひこ、1891年3月15日 - 1… 古市 春彦(ふるいち はるひこ、1891年3月15日 - 1943年1月9日)は、日本の学者・労働運動家。 鹿児島県熊毛郡南種子村(現・南種子町) 出身。農業に従事していたが、20歳で志をたてて上京し錦城中学に入る。在学中友愛会の賛助会員となる。第五高等学校を経て京都帝国大学に入るが友愛会運動を続ける。京大では1918年9月に結成された河上肇を顧問とする労学会に所属し、同年10月には同年12月に赤松克麿らが東大で新人会をつくるきっかけにもなる東西両大学連合演説会(岡崎公会堂で東京帝国大学と京都帝国大学の学生が行った)で東京帝大の赤松らと論戦する。卒業後の大正10年に上京し出版社隆文館に勤務するが、13年福岡の西南学院商科長となる。
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植村 環(うえむら たまき、1890年8月24日 - 198… 植村 環(うえむら たまき、1890年8月24日 - 1982年5月26日)は、日本で2番目の女性の牧師で、婦人運動家である。戦後再建された日本キリスト教会の指導者でもある。 1890年(明治23年)、日本基督教会の指導者植村正久・季野夫妻の三女として、東京市麹町区で生まれる。クリスチャン実業家渡辺荘の長女渡辺貞子と1年近く早天祈祷を続け、1905年(明治38年)に富士見町教会で正久より洗礼を受けた。1910年に女子学院専門部を卒業し、1911年に医師になるために渡米した。途中で哲学に転向し、1915年(大正4年)6月にウェルズリー大学を卒業して帰国した。帰国後は津田英学塾、女子学院の教師をつとめた。
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宋 鎮禹(そう ちんう、ソン・ジヌ、1890年5月8日 - … 宋 鎮禹(そう ちんう、ソン・ジヌ、1890年5月8日 - 1945年12月30日)は、朝鮮の独立運動家、政治家。本貫は新平宋氏。号は「古下」(コハ、고하)。 全羅南道潭陽郡に生まれる。1907年に金性洙とともに日本に留学し、1915年に明治大学を卒業後、帰国して私立中央学校校長に就任する。1919年の三・一独立運動に参加した容疑で、1年間投獄される。1921年から1924年まで東亜日報第3代社長、1927年から1937年まで第6代社長を務め、民族主義右派の立場で論陣を張った。1945年12月1日に第8代社長に就任した。 日本の敗戦を控えた1945年8月11日に、朝鮮総督府は京畿道知事を通じて、朝鮮における資本家及び地主勢力を代弁することができる宋鎮禹と接触し、「行政委員会」を構成してくれる事を要請した。
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白 寛洙(ペク・クァンス、朝鮮語: 백관수/白寬洙、1889… 白 寛洙(ペク・クァンス、朝鮮語: 백관수/白寬洙、1889年1月28日 - 1961年)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のジャーナリスト、実業家、教員、独立運動家、政治家。二・八独立宣言を主導したほか、第7代東亜日報社社長、制憲韓国国会議員を歴任した。 本貫は水原白氏、号は芹村(クンチョン、근촌)。白仁傑(朝鮮語版)の10代孫で、父は白道鎮、独立運動家の白麟洙は従兄。実業家・漢陽大学校創設者の金連俊(朝鮮語版)は娘婿、元漢陽大学校総長の金鍾亮(朝鮮語版)は外孫。 朝鮮国全羅北道(現・大韓民国全北特別自治道)高敞郡星内面(朝鮮語版)出身。5歳の時に田愚(朝鮮語版)の下で漢学を学んだ後、同郷で友人である金性洙・宋鎮禹とともに白羊寺清流庵(朝鮮語版)で修業をし、韓承履の下でも学んだ。
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洪 命熹(ホン・ミョンヒ、朝鮮語: 홍명희/洪命憙、1888… 洪 命熹(ホン・ミョンヒ、朝鮮語: 홍명희/洪命憙、1888年5月23日 - 1968年3月5日)は、朝鮮の独立運動家、作家。本貫は豊山洪氏。忠清北道槐山出身。号は碧初。 1905年日本の東京に留学するが、1910年の日韓併合時、錦山郡守であった父・洪範植の自決により、中国に亡命し、申采浩らと交友し、独立運動に参加する。1919年の三・一独立運動では故郷の槐山でデモ活動を指導する。『東亜日報』の主筆を務める。後に東亜日報の主筆、時代日報社の社長、五山学校校長などを務める。小説『林巨正』を執筆する。1927年からは、民族統一戦線組織新幹会運動の中心となったが、1929年に検挙され、投獄された。 1945年の光復後は、南朝鮮で政治運動を展開する。
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宋 必満(ソン・ピルマン、朝鮮語: 송필만/宋必滿、1887… 宋 必満(ソン・ピルマン、朝鮮語: 송필만/宋必滿、1887年12月3日または1890年 - 1978年7月23日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の政治家。制憲韓国国会議員、第5代国会参議院議員。初代韓国大統領の李承晩の側近であった。 本貫は礪山宋氏。別名は鳴皐。 京畿道利川郡長湖院生まれ、忠清北道鎮川郡出身。1908年ごろに新学問を学ぶために渡日し、正則英語学校中等科、中央大学法学部卒。帰国後の1919年に延禧専門学校の法律教授となり、4年間在職した。その後は法律研究のために渡米しようとしたが、東京で関東大震災での朝鮮人虐殺を目撃し苦境に陥った。その時、アメリカ人の宣教師の力を借りてハワイに密航し、そこで李承晩と知り合ってそのまま滞在し、1924年6月までに大韓人同志会の総務として機関誌『太平洋雑誌』を発刊し、関東大震災での朝鮮人虐殺の真相を宣伝した。
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北沢 新次郎(きたざわ しんじろう、1887年2月21日 -… 北沢 新次郎(きたざわ しんじろう、1887年2月21日 - 1980年1月3日)は、日本の経済学者、社会運動家、早稲田大学名誉教授。労働問題、社会政策を専門とし、東京経済大学学長なども務めた。 東京出身。府立三中(現東京都立両国高等学校)を経て早稲田大学に学び、アメリカ合衆国へ5年間留学して、1911年に「Industrial Revolution of England and Japan」でノースカロライナ大学からM.A.を、1914年には「Japanese Finance during Russo-Japanese War」でジョンズ・ホプキンス大学からPh.D.を取得した。1915年に商学部講師として教職に就き、1916年には教授となって、「工業経済」、「社会政策」といった科目を担当しながら、実質的に労働問題についての研究教育を行なうとともに、1919年には早稲田大学の学生を中心とした学生運動団体であった建設者同盟の顧問となった。
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平塚 らいてう(ひらつか らいちょう、1886年(明治19年… 平塚 らいてう(ひらつか らいちょう、1886年(明治19年)2月10日 - 1971年(昭和46年)5月24日)は、日本の思想家、評論家、作家、フェミニスト、女性解放運動家。本名は平塚 明(ひらつか はる)。 大正から昭和にかけ、婦人参政権など、女性の権利獲得に奔走した活動家の一人として知られるが、結局、その実現は、第二次大戦後、連合国軍の日本における占領政策実施機関GHQ主導による「日本の戦後改革」を待たなければならなかった。 しかし、1911年(明治44年)9月、平塚25歳の時、雑誌『青鞜』の創刊を祝い、自らが寄せた文章の表題「元始、女性は太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である(大昔は女性は自らいきいきと輝いていたが、今は自分の力で輝けない)」は、女性の権利獲得運動を象徴する言葉の一つとして、永く人々の記憶に残ることとなった[要ページ番号]。
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李 仁(イ・イン、朝鮮語: 이인、1886年または1890年… 李 仁(イ・イン、朝鮮語: 이인、1886年または1890年9月20日または1896年10月26日 - 1979年4月5日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、弁護士、検察官、裁判官、政治家。米軍政庁大法院長代理、第4代米軍政庁検事局検事総長、過渡政府大検察庁検察総長、初代法務部長官、制憲・第3・5代韓国国会議員(第5代は参議員)を歴任した。 本貫は慶州李氏、号は愛山。李益斎の子孫で、性理学者の李寛俊は祖父、自彊会と大韓協会の中心人物だった李宗栄は父、独立運動家の李始栄(朝鮮語版)は叔父。元国会議員の李泰九(朝鮮語版)は娘婿。 慶尚道大邱都護府(現・韓国大邱広域市)出身だが、先祖代々は慶州に在住。
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林 きむ子(はやし きむこ、明治17年(1884年)12月1… 林 きむ子(はやし きむこ、明治17年(1884年)12月1日 - 昭和42年(1967年)2月2日)は、舞踏家、作家、社会運動家、実業家。 大正三美人の1人として数えられる場合もある。戸籍名は「きん」。日本女子美術学校(同校は後に公立学校化され現在の東京都立忍岡高等学校)卒業。日本舞踊協会監事。 林きむ子は、1884年12月1日、東京の柳橋に生まれた。父は狂言浄瑠璃の祖といわれる初代豊竹和国太夫、母は女義太夫の初代竹本素行であった。 きむ子は7歳のときに新橋の料亭「浜の家」の女将・内田はな(花)の養女となり、跡を継ぐように望まれる、9歳で藤間流の藤間久満、11歳で正派西川流の初代西川喜洲、西川流9代目西川扇蔵に師事し西川扇紫を名乗り、三味線、踊り、お茶、お花など、ありとあらゆる芸事を身につけたという。
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