小木曽 絢子(おぎそ あやこ、1937年6月3日 - )は、… 小木曽 絢子(おぎそ あやこ、1937年6月3日 - )は、日本の翻訳家。日本推理作家協会会員。 東京都世田谷区生まれ。福岡県立修猷館高等学校、東京女子大学文学部卒業。 英語教師だったが、SF好きの息子の影響で40歳頃から翻訳を勉強し、1986年にアンドレ・ノートン『スター・ゲイト』小隅黎(柴野拓美のペンネーム)との共訳で、翻訳家としてデビューした。 紀伊国屋書店で、当時世界的には無名だったロイス・マクマスター・ビジョルドの『自由軌道』を発掘し、翻訳を企画。相談先の東京創元社が『戦士志願』の翻訳を企画していたのもあり、小木曽単独による翻訳出版が決まった。出版後、米国在住のビショルドを訪ね、親密な仲となった。
高辻 知義(たかつじ ともよし、1937年2月10日 - )… 高辻 知義(たかつじ ともよし、1937年2月10日 - )は、日本のドイツ文学者、音楽学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 ワーグナーを研究、ワーグナー作品の絵入り本の翻訳のほか、対訳本も刊行している。1980年代に、NHKラジオドイツ語講座(中級)の講師を務め、『ローエングリン』を訳読した。 妻はピアニストの岡村梨影。 東京市生まれ。広島大学附属福山高等学校卒業。1959年東京大学文学部ドイツ文学科卒業、1961年東京大学大学院人文科学研究科独語独文学専門課程修士課程修了。1963年國學院大學文学部講師。 1965年から1966年まで、ベルリン自由大学(西ドイツ)へ留学。 1970年10月より東京大学教養学部助教授、1986年より東京大学教養学部教授、その後東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻主任。
天沢 退二郎(あまざわ たいじろう、1936年7月31日 -… 天沢 退二郎(あまざわ たいじろう、1936年7月31日 - )は、日本の詩人、仏文学者、児童文学作家、翻訳家。宮沢賢治研究者。東京大学文学部仏文科卒業。明治学院大学文学部フランス文学科名誉教授。
大伴 昌司(おおとも しょうじ、1936年2月3日 - 19… 大伴 昌司(おおとも しょうじ、1936年2月3日 - 1973年1月27日)は、日本の編集者、SF研究家、映画評論家、翻訳家。別名、大伴秀司。「怪獣博士」と呼ばれた。ペンネームの「大伴」は大伴家持に、「司」は司葉子に由来。 本名は四至本豊治(ししもと とよじ、後に「よしもと」と読みを改める)。父は国際ジャーナリストの四至本八郎(ししもとはちろう)。母の四至本愛子(本名はアイ)は母権擁護運動家でコラムニスト。叔父(母の弟)にニコンの研究で名高い荒川龍彦。 四至本八郎とアイの息子として東京市本郷区の順天堂医院に生まれる。 1938年から父の任地メキシコで育ち、アステカのピラミッドや石像から大きな影響を受ける。
三木 卓(みき たく、1935年5月13日 - )は、日本の… 三木 卓(みき たく、1935年5月13日 - )は、日本の小説家、詩人、翻訳家。日本芸術院会員。
高橋 武智(たかはし たけとも、1935年 - )は、日本の… 高橋 武智(たかはし たけとも、1935年 - )は、日本の仏文学者、翻訳家。
波多野 ミキ(はたの みき、1934年 ‐ )は、日本の教育… 波多野 ミキ(はたの みき、1934年 ‐ )は、日本の教育者でカウンセラー、元女優、翻訳家。 夫は法学者の波多野里望、息子は小説家の波多野鷹。 高校卒業後、NHK劇団で女優となる。 読売新聞に掲載された記事をきっかけに波多野里望と知り合い結婚する。 社交上などからも大学での勉強の必要性を感じ、大学受験する。早稲田大学文学部仏文専修を卒業し、大学院に進学も、妊娠したため退学した。その後、東洋大学文学部教育学科へ学士入学、教育学士と社会教育主事の資格を取得する。義母の波多野勤子が創立した波多野ファミリースクールで副理事長に就任し、教育活動を行う。また、日本家庭福祉会理事長や東京家庭裁判所の家事調停協会副会長、日本尊厳死協会副理事長を務めたほか、国際法学者の里望と共に海外での活動経験も豊富である。
野々山 真輝帆(ののやま まきほ、1934年 - 2016年… 野々山 真輝帆(ののやま まきほ、1934年 - 2016年3月8日)は、日本のスペイン文学者、翻訳家。筑波大学名誉教授。獨協大学名誉教授。本名・ミチコ。 東京外国語大学スペイン語学科卒業。イリノイ大学博士課程修了後、ハーバード大学に学ぶ。 1981年『スペイン内戦』で毎日出版文化賞受賞、1993年『リスボンの春 ポルトガル現代史』でロドリゲス通事賞(ポルトガル)受賞。1995年イサベルカトリック女王勲章(スペイン語版、英語版)受章。 1998年まで筑波大学教授、のち獨協大学教授。文学だけでなく現代史も論じた。
河島 英昭(かわしま ひであき、1933年11月22日 - … 河島 英昭(かわしま ひであき、1933年11月22日 - 2018年5月25日)は、日本のイタリア文学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。 東京府生まれ。福島県立白河高等学校卒業後、学資のため三年間働き、東京外国語大学イタリア語科を卒業、同大学副手、助手、専任講師、助教授、1960年からチェーザレ・パヴェーゼ全集の半ばを翻訳、1960年代後半にローマ大学に留学、1979年、東京外大教授。 イタリア文学の研究、翻訳に業績をあげ、1988年、『ウンガレッティ全詩集』でピーコ・デッラ・ミランドラ賞、1990年、ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』の翻訳で日本翻訳文化賞、1991年、BABEL国際翻訳大賞日本翻訳大賞、2006年、『イタリア・ユダヤ人の風景』で読売文学賞受賞。
藤原 英司(ふじわら えいじ、1933年2月23日 - )は… 藤原 英司(ふじわら えいじ、1933年2月23日 - )は、日本の動物学者、翻訳家。
髙坂 和彦(こうさか かずひこ、1932年12月9日 - 2… 髙坂 和彦(こうさか かずひこ、1932年12月9日 - 2006年12月19日)はフランス文学者、翻訳家。東京都出身。
小尾 芙佐(おび ふさ、1932年3月24日 - )は、日本… 小尾 芙佐(おび ふさ、1932年3月24日 - )は、日本の翻訳家。婚姻前の姓は神谷(かみや)。 東京府豊多摩郡淀橋町大字柏木(現在の東京都新宿区西新宿)に生まれ、東京市淀橋第一尋常高等小学校、三輪田高等女学校で学んだ。戦時中は長野県上伊那郡高遠町に疎開し、長野県伊那高等女学校(その後、長野県伊那弥生ヶ丘高等学校に校名変更)へ転学した。大学受験に向けて、1950年高3の夏休みには東京にある父親の仮住まいに移り、千駄ヶ谷の津田英語会(現在は津田塾大学千駄ヶ谷キャンパスとなった)が主催する夏期講習に通った。講習が終わった後は国立国会図書館で猛勉強に励み、津田塾大学英文学科に合格を果たした。大学入学後は学生寮に入った。
千野 栄一(ちの えいいち、1932年2月7日 - 2002… 千野 栄一(ちの えいいち、1932年2月7日 - 2002年3月19日)は、日本の言語学者、翻訳家、東京外国語大学名誉教授、元和光大学学長。専門は言語学、およびチェコ語を中心としたスラブ語学。 晩年は旧字体の「千野 榮一」と表記した。 1932年、東京府豊多摩郡渋谷町(現:東京都渋谷区)栄通1丁目生まれ。1948年、東京都立高校(旧制)尋常科(現:東京都立桜修館中等教育学校)修了。当時からの友人に地理学者江波戸昭がいる。 1949年、東京都立高校高等科(現:東京都立大学)修了。1955年、東京外国語大学第四部(ロシア語)を卒業。1958年、東京大学文学部言語学専攻を卒業した。同年よりチェコスロヴァキア政府奨学生としてプラハのカレル大学に入学。
谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう、1931年〈昭和6年〉… 谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう、1931年〈昭和6年〉12月15日 - 2024年〈令和6年〉11月13日)は、日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。愛称は「タニシュン」。 太平洋戦争後の現代日本を代表する、国民的詩人と評価されている。 哲学者で法政大学総長を務めた谷川徹三を父、衆議院議員 長田桃蔵の娘である多喜子を母として、東京府豊多摩郡杉並町(現:東京都杉並区)に生まれ育つ。 1938年 (昭和13年)に東京市立杉並第二尋常小学校、1944年(昭和19年)に東京都立豊多摩中学校(後の東京都立豊多摩高等学校)へ入学。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月に山の手空襲を体験した。この年、京都府久世郡淀町に疎開し、京都府立桃山中学校に転学した。
中山 容(なかやま よう、1931年11月28日 - 199… 中山 容(なかやま よう、1931年11月28日 - 1997年3月7日)は、日本の翻訳家、詩人、英米文学研究者。「ボブ・ディラン全詩集」などの訳者として有名。平安女学院大学、京都精華大学で教鞭をとった。本名、矢ケ崎庄司。 東京都八王子市出身。1954年、明治学院大学文学部英文科卒業。 1959年~1960年、フルブライト奨学生として渡米し、サンフランシスコに滞在。ここで片桐ユズルと出会う。1968年、国際基督教大学修士課程修了。1960年代末、東京都立武蔵高等学校の英語教諭から、京都の平安女学院短期大学の教官となる。 片桐ユズルとともにボブ・ディランの楽曲の歌詞の翻訳を手がけ、関西フォーク運動の影の仕掛人のひとりとしても知られ、中山ラビ、古川豪、高石ともやらに影響を与えた。
深町 眞理子(ふかまち まりこ、1931年11月1日 - )… 深町 眞理子(ふかまち まりこ、1931年11月1日 - )は、日本の翻訳家。 東京府東京市生まれ。生命保険会社に勤務していた父の転勤のため、日本・朝鮮の各地を転々として過ごす。朝鮮の京城で敗戦を迎える。 京城府立第一高等女学校を経て、1951年、東京都立忍岡高等学校卒。 洋書輸入会社タトル商会(のち日本洋書販売)に11年間、勤務。同社の著作権部の宮田昇の推薦で山本恭子の下訳者を4年間務める。1962年に翻訳家を目指して退社し、宇野利泰、福島正実の下訳者を務めながら、専業翻訳者となる。 英米のSF、ミステリーを中心に、スティーブン・キング、ルース・レンデル、M・H・クラーク、アガサ・クリスティーなど、数多くの翻訳を刊行している。
蛭川 久康(ひるかわ ひさやす、1931年9月30日 - )… 蛭川 久康(ひるかわ ひさやす、1931年9月30日 - )は、日本の英文学者、翻訳家。武蔵大学名誉教授。 東京府豊多摩郡戸塚町(現・東京都新宿区高田馬場)生まれ。1954年東京大学教養学部イギリス分科卒業。中学、高校教諭をへて、1965年玉川大学教養部専任講師、1966年助教授、1969年武蔵大学助教授、1973年教授、1997年定年となり特任教授。 現代英国小説、特にアイリス・マードックの研究で知られる。ほかに英国文化史が専門。
吉川 勇一(よしかわ ゆういち、1931年3月14日 - 2… 吉川 勇一(よしかわ ゆういち、1931年3月14日 - 2015年5月28日)は、元ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)事務局長など市民運動家、翻訳家。元英語教師(予備校講師・専門学校講師)、元大学非常勤講師。ソ連崩壊によるソ連共産党秘密文書公開で、日本共産党の不破哲三委員長(当時)から、ソ連のスパイと認定された。 東京大学在学中に日本共産党に入党し、武装闘争を志向する、党内では多数派だが東大では少数派の所感派の活動家として頭角を現し、旧国際派は役職に就かせないという共産党中央の指示で東京大学学生自治会議長に就任した。山村工作隊、東大ポポロ事件、砂川闘争などに参加し、講和・安保両条約発効に抗議する全学ストライキを指導して退学処分を受けた後は、共産党員として専従活動家の道を歩み、全学連書記局員、日本戦没学生記念会(わだつみ会)事務局員(組織部長)、日本平和委員会事務局員、同常任理事などを歴任して実務能力を身につけ、所感派の山村工作隊出身ながら「日本共産党第6回全国協議会(六全協)」後も党に留まり、1958年4月には、後藤新平の義理の姪婿で鶴見和子・俊輔姉弟と姻戚に当たる平野義太郎の仲人で結婚していたが、1965年、前年の原水爆禁止世界大会で共産党の方針に反対意見を表明したことで党から除名処分を受ける。
北川 幸比古(きたがわ さちひこ、1930年10月10日 -… 北川 幸比古(きたがわ さちひこ、1930年10月10日 - 2004年12月25日)は、日本の児童文学作家、翻訳家、編纂家。 のちの東京都立豊多摩高等学校在籍時は中原中也や立原道造などの詩に傾倒し、自ら詩の雑誌を作るなどしていた。同級の友人であった谷川俊太郎は、それに影響され自らも詩作を行うようになった。 1954年に早稲田大学國文科を卒業した。児童雑誌『ぎんのすず』編集部に勤務した。 1956年頃から2年ほど的場書房という出版社を独りで経営していた。的場書房からは谷川の『絵本』(1956年)、寺山修司の第一歌集『空には本』(1958年)などを出版している。 その後、児童文学の道を歩み、1960年代から児童SFを執筆し、のちに詩集の編纂を多く手掛ける。
國弘 正雄(くにひろ まさお、1930年8月18日 - 20… 國弘 正雄(くにひろ まさお、1930年8月18日 - 2014年11月25日)は、日本の同時通訳者、翻訳家、文化人類学者、ニュースキャスター、政治家。「同時通訳の神様」と呼ばれ、外務大臣・首相を務めた三木武夫のブレーンとしても知られた。参議院議員を1期務め、護憲派として活動した。 現在の東京都北区に生まれる。東京府立六中(現・東京都立新宿高等学校)に入学するが、父親の転勤により、神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)に転校する。同級生に小松左京と高島忠夫がいた。神戸空襲に遭い、親しくしていた知人の最期を看取った経験から、強い反戦思想を持つようになる。 中学時代、新渡戸稲造の伝記に感銘を受け、英語の猛勉強を開始した。
矢川 澄子(やがわ すみこ、1930年7月27日 - 200… 矢川 澄子(やがわ すみこ、1930年7月27日 - 2002年5月29日)は、日本の作家・詩人・翻訳家。早くから天才少女として注目され、没後は「不滅の少女」と呼ばれた。 教育学者・矢川徳光の5人姉妹の次女として東京府北豊島郡王子町大字王子312番地(現・東京都北区王子)に生まれ、生後まもなく、東京府北豊島郡高田町雑司ヶ谷7丁目1117番地(現・東京都豊島区雑司が谷)に転居。園児としてキリスト教系の幼稚園で過ごす。高田第五尋常小学校(現在の目白小学校)1年の時、1938年1月、東京市世田谷区新町に転居。深沢尋常小学校(現・世田谷区立深沢小学校)に転入。1943年、府立第十一高等女学校(現・東京都立桜町高等学校)に入学。
原 卓也(はら たくや、1930年 <昭和5年> 7月3日 … 原 卓也(はら たくや、1930年 <昭和5年> 7月3日 - 2004年 <平成16年> 10月26日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。位階は従三位。瑞宝中綬章。 1930年、東京に生まれ。東京都立北園高等学校を経て、1953年東京外国語大学ロシヤ語卒業。卒業後は文筆活動に入る。1966年、母校である東京外国語大学助教授に着任。1973年に教授昇進。1989年から1995年まで東京外国語大学学長を務めた。学界では、1993年より日本ロシア文学会会長を務めた。2004年死去。死没日付をもって従三位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された。
羽仁 協子(はに きょうこ、1929年11月5日 - 201… 羽仁 協子(はに きょうこ、1929年11月5日 - 2015年4月5日)は、日本の音楽教育家、翻訳家。 羽仁五郎と羽仁説子の娘、羽仁進の妹として東京府に生まれる。祖父母に当たる羽仁もと子・羽仁吉一夫妻が創設した自由学園で学ぶ。在学中に山本直純や林光らと共に音楽教育を受け、齋藤秀雄指揮教室にて指揮法を学んだ。同門には小澤征爾、久山恵子、秋山和慶らがいる。1949年自由学園高等科卒業。 1953年に渡欧。ウィーン滞在を経て、1958年ライプツィヒ音楽院指揮科卒業。同年よりハンガリーに移り住み、父・五郎を通じてコダーイ・ゾルターンに会う機会を得た。1959年から1967年までブダペスト大学(正式名はエトヴェシュ・ロラーンド大学、略称:ELTE)で日本語講師を務める。
栗田 勇(くりた いさむ、1929年7月18日 - 2023… 栗田 勇(くりた いさむ、1929年7月18日 - 2023年5月5日)は、日本のフランス文学者、美術評論家、作家、翻訳家。駒沢女子大学日本文化研究所名誉所長。 フランス象徴主義の詩人・ロートレアモン伯爵の作品を日本で初めて全訳し、レフ・トロツキーの翻訳も行った。また詩人でもあり、戯曲も書いた。多彩な創作、評論活動を展開し、仏教、寺院建築、美術等に関する日本文化論の著書を多く発表した。 東京生まれ、満洲出身。父は栗田健男。 1947年、東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)卒業。1953年、東京大学文学部仏文科卒業。1955年、同大学院修士課程修了。1960年より文筆活動に入る。 1962年、松田政男、山口健二、川仁宏らが企画した自立学校で、谷川雁、吉本隆明、埴谷雄高、黒田寛一、森秀人らとともに、講師をつとめる。
上遠 恵子(かみとお けいこ、1929年7月17日 - )は… 上遠 恵子(かみとお けいこ、1929年7月17日 - )は、日本のエッセイスト、翻訳家。レイチェル・カーソン日本協会会長。 東京都出身。東京薬科大学卒業。1974年、ポール・ブルックス(英語版)『生命の棲家』(後に『レイチェル・カーソン』と改題)を訳出。研究室勤務、学会誌編集者を経て、現在エッセイスト。レイチェル・カーソン日本協会理事長を経て会長。 1929年:東京・田園調布にて誕生。父親は昆虫学者。東京帝国大学理学部を卒業後、農林省(現:農林水産省)に勤務する技官だった。両親がクリスチャンだったため、幼児洗礼を受ける。 1936年:小学校入学。 1941年:太平洋戦争勃発。田園調布のあたりもB29の空襲を受けるが、生家は被害を免れた。
岡枝 慎二(おかえだ しんじ、1929年3月31日 - 20… 岡枝 慎二(おかえだ しんじ、1929年3月31日 - 2005年5月23日)は、日本の字幕翻訳家。東京生まれ。映画翻訳家協会会員。 英、独、仏、伊、西、露、スウェーデン語の7か国語に精通し、2,000本以上の映画の字幕翻訳を行った。簡潔で透明な翻訳を特徴とする。 言葉を分かる人が少なかったヨーロッパ映画の字幕を手がけたことにより、字幕界に入る。代表作は英語映画では『エイリアン』シリーズ、『ブレードランナー』、『スター・ウォーズ』シリーズ、『ダイ・ハード』シリーズ、『リーサル・ウェポン』シリーズ、『遠すぎた橋』に加え、フランス映画の『エマニエル夫人』シリーズ、ドイツ映画の『アギーレ・神の怒り』、イタリア映画の『揺れる大地』、スペイン映画の『エル・ドラド』、ソ連(ロシア)映画の『惑星ソラリス』、スウェーデン映画の『愛の風景』など。
岸田 衿子(きしだ えりこ、1929年〈昭和4年〉1月5日 … 岸田 衿子(きしだ えりこ、1929年〈昭和4年〉1月5日 - 2011年〈平成23年〉4月7日)は、日本の詩人・童話作家、翻訳家。詩誌『櫂』同人。 詩集に『忘れた秋』『らいおん物語』『ソナチネの木』などがある。1966年、絵本『かばくん』でドイツ児童図書賞、1974年、絵本『かえってきたきつね』で産経児童出版文化賞大賞を受賞した。 劇作家岸田国士の長女として東京府(現・東京都杉並区)に生まれる。妹は女優の岸田今日子。従弟に俳優の岸田森がいる。 立教女学院小学校、立教女学院女学校、東京芸術大学油絵科卒業。画家を志すも肺病を患い詩人になる。 1954年10月4日、北軽井沢大学村にて交友のあった谷川俊太郎と結婚。
武鹿 悦子(ぶしか えつこ、1928年12月20日 - )は… 武鹿 悦子(ぶしか えつこ、1928年12月20日 - )は、日本の児童詩人、児童文学作家、翻訳家。 東京生まれ。本姓・荒谷。東京都立第八高等女学校卒業。 戦後西條八十との出会いを契機に、NHKラジオ「うたのおばさん」に童謡を発表、文筆生活に入る。 フランス民謡の曲「踊る少女」と「きらきら星」の訳詞を担当。 1983年『詩集ねこぜんまい』で産経児童出版文化賞、日本童謡賞受賞。2014年『星』で日本児童文学者協会賞、日本童謡賞受賞。 2009年に三郷町図書館に「武鹿文庫」を設立した。 児童詩、絵本、再話、翻訳、子供向け伝記など多数を執筆している。奈良県三郷町在住。
出口 裕弘(でぐち ゆうこう、1928年8月15日 - 20… 出口 裕弘(でぐち ゆうこう、1928年8月15日 - 2015年8月2日)は、昭和・平成期の日本の作家、翻訳家、フランス文学者。元一橋大学教授。 東京府北豊島郡日暮里町(現在の東京都荒川区東日暮里)の生まれ。ただし『北海道名士録 昭和35年度版』(1頁には千葉県松戸市出身とある。本名の訓みはヤスヒロといい、葛飾区立堀切小学校から東京府立第十一中学校(東京都立江北高等学校)を経て1945年4月、旧制浦和高等学校理科1組入学、1945年7月1日、武原寮(ぶげんりょう)に入寮しここで敗戦を迎えた。寮で1級下の野沢協と相識る。 1945年10月、文科甲類に転科する。在学中は文芸部に所属し、短歌や俳句、詩や小説などの創作活動に熱中した。
額田 やえ子(ぬかだ やえこ 、1927年12月13日 - … 額田 やえ子(ぬかだ やえこ 、1927年12月13日 - 2002年4月9日)は、東京出身の英語翻訳家、吹き替え字幕翻訳家。映画翻訳家協会会員。 父は劇作家・小説家の額田六福。本名・渡辺弥栄子。夫は英米文学翻訳家・渡辺栄一郎。 東京府青山師範学校附属小学校(現・東京学芸大学附属世田谷小学校)から立教女学院をへて1944年日本女子大学国語学科に入学、母の同期生だった茅野雅子に学び、敗戦後1948年に卒業。アテネ・フランセで英語を学び、高等科を卒業、1952年、南部圭之助の秘書としてスタア社に入り、映画雑誌『スタア』の編集に4年間携わり、1956年からテレビ映画の吹き替えの翻訳を始める。 『刑事コロンボ』など、テレビドラマ等の吹き替え(アテレコ)の翻訳や、小説の翻訳などで知られている。
別宮 貞徳(べっく さだのり、1927年3月28日 - 20… 別宮 貞徳(べっく さだのり、1927年3月28日 - 2025年3月21日[要出典])は、日本の英文学者・翻訳家。元上智大学文学部教授。 1927年、東京府で生まれた。兵庫県立第一神戸中学校、第一高等学校理科を経て、東京大学理学部動物学科に入学。しかし在学中に聖職者を志し、東京カトリック神学院に入学。健康上の問題で休学し、上智大学ラテン哲学科を経て、同大学英文学科を卒業。同大学大学院修士課程を修了。 1972年から1992年まで上智大学教授。 同僚であったピーター・ミルワード、チェスタトンなどの多くの翻訳のほか、誤訳批評・批判でも知られる。また、クラシック音楽にも造詣が深く、数多くの著書がある。
若林 彰(わかばやし あきら、1926年12月26日 - 2… 若林 彰(わかばやし あきら、1926年12月26日 - 2013年10月22日)は日本の俳優、演出家、戯曲翻訳家。本名は若林忠昭(わかばやし ただあき)。上海出身(一族は水戸市)、血液型はO型、身長178cm、趣味は鳥類飼育、犬猫ブリード。長男は若林忠宏、長女は若林マリ子で共に音楽家。 1926(昭和元)年12月26日、上海に生まれる。当時父親は、日本水産から独立し上海で海鮮問屋を経営。一家は、上海と若林家の地元茨城県水戸と東京荻窪の別宅を行き来する。代々一族は、水戸藩の足軽頭(馬廻組頭)もしくは書院番を勤め、長男には「忠」の文字を入れることが家訓であった。昭和元年に生まれたため「忠昭」となり、水戸藩士からは十一代目。
丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月2… 丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月27日 - 2012年(平成24年)10月13日)は、日本の小説家、文芸評論家、翻訳家、随筆家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 主な小説作品に『笹まくら』『年の残り』『たった一人の反乱』『裏声で歌へ君が代』『女ざかり』など。文字遣いは、1966年から74年までを除いて、独自の歴史的仮名遣いを使用。日本文学の暗い私小説的な風土を批判し、軽快で知的な作品を書くことを目指した。評論・随筆も『忠臣藏とは何か』『後鳥羽院』『文章読本』など長年にわたり多く刊行し、また英文学者としてジョイスの『ユリシーズ』の翻訳などにも携わった。座談や講演も多く行い「文壇三大音声」の一人と自負していた。
工藤 幸雄(くどう ゆきお、1925年3月20日 - 200… 工藤 幸雄(くどう ゆきお、1925年3月20日 - 2008年7月5日)は、日本の詩人、ロシア・ポーランド文学者、翻訳家。元多摩美術大学教授。別筆名に仲谷鴻介(なかや こうすけ)、篠 ひろ子。 大連にて南満州鉄道社員の家庭に生まれる。旧制中学校卒業後、第一高等学校受験に3度失敗し、1944年善隣外事専門学校露西亜科に入学。その後城北補習学校を経て、1946年9月、第一高等学校文科甲類三組に入学し、1952年頃東京大学仏文科卒。 1954年共同通信社外信部に入り13年勤め、その間ロシア、ポーランドの文学を翻訳する。1967年ワルシャワ大学に日本語講師として赴任、7年間滞在し、1975年帰国。翌年多摩美術大学教授となるが、その前には、ブレイクリー・セント・ジェイムズ『女友だち』(フランス書院、1978年)などのポルノ小説を篠 ひろ子の変名で訳し、糊口を凌いだという。
厨川 圭子(くりやがわ けいこ、1924年〈大正13年〉11… 厨川 圭子(くりやがわ けいこ、1924年〈大正13年〉11月11日 - )は、日本の翻訳家。 夫は英文学者・厨川文夫。旧姓は広瀬 圭子(ひろせ けいこ)。 オスカー・ワイルド、サマセット・モームなどを訳し、後年は児童書を多く訳した。 厨川圭子は、医師・広瀬季雄の娘として中華民国奉天市(現・中華人民共和国瀋陽市)で生まれた。1942年に東京府立第三高等女学校を卒業、1944年には津田英学塾を卒業した。終戦後の1946年、慶應義塾大学文学部英文科に女子学生の第一期生として入学し、西脇順三郎、厨川文夫に師事して1949年卒業した。 1949年、1月に前妻と離婚した厨川文夫と同年7月結婚。1950年、単身でアメリカへ1年間留学。
虫明 亜呂無(むしあけ あろむ、1923年9月11日 - 1… 虫明 亜呂無(むしあけ あろむ、1923年9月11日 - 1991年6月15日)は、日本の作家、評論家、随筆家、翻訳家。
島原 落穂(しまはら おちほ、女性、1921年12月9日 -… 島原 落穂(しまはら おちほ、女性、1921年12月9日 - 2013年3月31日)は、日本のロシア語翻訳家、ノンフィクション作家、歌人。 東京府北豊島郡巣鴨町大字巣鴨出身。父は慶應予科教授の島原逸三。1939年普連土女学校卒。1941年玉成保母養成所卒、森村幼稚園に勤務。1944年慶應義塾大学工業図書館勤務。1945年から1946年に母と父が死去。1961年慶應義塾大学附属外国語学校ロシア語科卒。1965年同校講師、1966年日ソ学院講師、東京ロシア語学院講師。 1946年から同人誌「創作」(若山牧水創刊)会員。 島原の遺稿をまとめた芹生一(本名・島原健三〈1928年 - 〉、成蹊大学名誉教授、工業化学)は弟。
鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年〈大正9年〉8月23… 鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年〈大正9年〉8月23日 - 1986年〈昭和61年〉10月17日)は、日本の詩人・評論家・翻訳家。別名・二宮 佳景(にのみや よしかげ)。本名・上村 隆一(うえむら りゅういち)。 戦後の詩壇で一貫して重要人物とされる。第1次、第2次『荒地』の創刊に関わる。「詩人の条件」「なぜ詩を書くか」などの詩論で、戦後詩を性格づける中心的役割を果たした。作品に詩「死んだ男」(1947年)、『鮎川信夫詩集』(1955年)など。 東京小石川の高田豊川町に生まれる。父・上村藤若(「帝国文化協会」主催の出版者・文筆家)は農本主義的なナショナリストで、世間的には温厚な人格者でありながら、家庭内ではすこぶる冷淡な人間であったため、鮎川にとってのモダニズムは〈父親イメージへの反逆から始まった〉と後に語っている。
白井 浩司(しらい こうじ、1917年10月19日 - 20… 白井 浩司(しらい こうじ、1917年10月19日 - 2004年11月1日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。慶應義塾大学名誉教授。 1917年、東京府で早川千吉郎の三男として生まれた。兄の次男とともに白井秀の養子となり、白井姓を名乗った。暁星中学校を経て、慶應義塾大学文学部仏文科に進学し卒業。 1942年、NHK国際局海外放送フランス語班に勤務。太平洋戦争終結後の1945年9月、NHKを退職。 1947年、母校慶應義塾大学予科講師となった。1951年、サルトルの『嘔吐』を翻訳。実存主義ブームのきっかけを作り、その後もカミュ、ロブ=グリエなどを翻訳紹介。1958年、慶應義塾大学文学部教授に昇格。
瀬田 貞二(せた ていじ、1916年4月26日 - 1979… 瀬田 貞二(せた ていじ、1916年4月26日 - 1979年8月21日)は、日本の児童文学作家・翻訳家・児童文学研究者。 東京市本郷区(現:東京都文京区)湯島切通坂町にて父・瀬田金之助と母・余寧の息子として生まれる。1939年、俳人中村草田男に師事。本郷尋常小学校、開成中学校、東京高等学校を経て、1941年、東京帝国大学国文科卒業。同1941年、東京府立第三中学校(のちの、都立両国高校)の夜間部の教諭となる。 1942年、千葉県立国府台陸軍病院の衛生兵となる。1945年の終戦後、東京府立第三中学校に復職し、同年の秋、結婚。 戦後、東京府立第三中学校夜間部教師のかたわら、余寧金之助の筆名で児童文学作品を雑誌に寄稿。
塙 英夫(はなわ ひでお、1912年10月25日 - 198… 塙 英夫(はなわ ひでお、1912年10月25日 - 1988年2月20日)は、日本の作家、翻訳家、左翼活動家。 東京生まれ。本名・正。千葉県立旧制匝嵯中学校を経て第一高等学校に進学するが、伊藤律らと非合法政治活動に加わり、1931年に校友会雑誌に発表したものが問題となり検挙され中退。満州に渡り農村工作に当たる。 1941年、「アルカリ地帯」が『中央公論』懸賞小説に当選し掲載。一方で検挙され奉天の監獄に入る。 敗戦後、引き揚げの手助けをして1947年帰国。1953年、引き揚げの経験を描いた『背教徒』で芥川賞候補、同年「すべて世はこともなし」で再度候補。 日本教職員組合関係の仕事に就いて翻訳を行った。
福田 恆存(ふくだ つねあり、1912年〈大正元年〉8月25… 福田 恆存(ふくだ つねあり、1912年〈大正元年〉8月25日 - 1994年〈平成6年〉11月20日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。現代演劇協会理事長、日本文化会議常任理事、日本芸術院会員などを務めた。名前については「こうそん」と音読みされることも多い。 保守派の文士であり、進歩的文化人を批判した『平和論にたいする疑問』(1955年)は、戦後思潮の転換点となる。討議倫理が戦後民主主義を軸とする進歩派にも影響を与えるなど、戦後日本を代表する思想家。 また、同時期には『ハムレット』(1955年)をはじめとするシェイクスピア戯曲の翻訳、演出を開始する。新劇を日本の近代化問題の象徴的な弱点と捉え、演劇の革新に取り組んだ。
金子 幸彦(かねこ ゆきひこ、1912年1月5日 - 199… 金子 幸彦(かねこ ゆきひこ、1912年1月5日 - 1994年7月25日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。一橋大学名誉教授。 1912年、東京市・新宿津久戸町で生まれた。私立早稲田中学校を経て、東京外国語学校ロシア語科に進学。在学中に治安維持法違反で逮捕され勾留された。 卒業後は、逓信省勤務を経て、1948年に旧制東京商科大学予科非常勤講師となった。1951年、一橋大学社会学部専任講師に採用され、ロシア語を担当。1954年に助教授、1957年に教授昇格。この間、1953年から1972年まで北海道大学スラブ研究センター(現・北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター)客員研究員も兼ねた。1977年一橋大学を定年退官。
双葉 十三郎(ふたば じゅうざぶろう、1910年10月9日 … 双葉 十三郎(ふたば じゅうざぶろう、1910年10月9日 - 2009年12月12日)は、日本の映画評論家、翻訳家である。本名は小川 一彦(おがわ かずひこ)。ペンネームはトム・ソーヤーに由来する(双葉は「Sauyer」、十三は「Tom」をもじったもの)。 東京府東京市出身。父は化学者の小川若三郎。幼少時から映画に熱中、映画館に入り浸り、映画三昧の日々を送っていた。 東京府立第八中学校(現在の東京都立小山台高等学校)時代から埼玉県立浦和中学校(現在の埼玉県立浦和高等学校)、東京帝国大学(現在の東京大学)に至る学生生活のあいだ書き留めた「映画ノオト」は数十冊に及んだ。 自身は辰野隆に傾倒し、仏文科へ進みたかったのだが、父・若三郎から「仏文に行ったら勘当する」と強硬に申し渡されたため、泣く泣く経済学部に入学した。
阿部 主計(あべ かずえ、1909年5月22日 - 2006… 阿部 主計(あべ かずえ、1909年5月22日 - 2006年6月27日)は、日本の随筆家、翻訳家。日本推理作家協会名誉会員。 東京都生まれ。1927年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。慶應義塾大学国文科卒業。
宇野 利泰(うの としやす、1909年4月21日 - 199… 宇野 利泰(うの としやす、1909年4月21日 - 1997年1月6日)は、日本の翻訳家。日本文芸家協会、日本推理作家協会、各会員。 本名、太田 稔治(おおた としじ)。ペンネームは、江戸川乱歩の土曜会で知り合った翻訳家阿部主計が、タバコの「Union Leader」をもじって命名したもの。書籍によっては、太田 稔(おおた みのる)、多田 雄二(ただ ゆうじ)などの別名義を用いることもあった。 東京市神田区生まれ。実家は太田鉄工所を経営し、裕福な一家に生まれ育つも、宇野の代で工場は人手に渡っている。旧制武蔵高等学校を経て、1932年東京帝国大学独文科卒。 田園調布(4の70)の自宅の隣人は石坂洋次郎であり、海外推理小説に詳しかったことから江戸川乱歩の知遇を得、雑誌『宝石』(岩谷書店)の創刊に貢献。
稲沼 瑞穂(いなぬま みづほ、1908年(明治41年)8月3… 稲沼 瑞穂(いなぬま みづほ、1908年(明治41年)8月3日 - 1965年(昭和40年)7月29日)は、日本の翻訳家、元岩波書店編集部長。科学史研究の先達とされる。 1908年8月3日、東京都文京区高田豊川町に生まれる。東京府立第五中学校、第一高等学校理科甲類を経て、1929年に東京帝国大学理学部物理学科に入学する。 1933年に卒業し、4月に岩波書店編集部に入る。1937年11月、病気療養のため退職する。1938年4月、神奈川県立厚木中学校の嘱託に、同年6月から教諭になる。1941年、陸軍予科士官学校の教授となる。同年に日本科学史学会が発足し、その幹事の一員として会務を処理する。 1942年、文部省図書監修官となり、図書局第二編修課に勤務する。
日影 丈吉(ひかげ じょうきち、1908年6月12日 - 1… 日影 丈吉(ひかげ じょうきち、1908年6月12日 - 1991年9月22日)は、日本の小説家、推理作家、翻訳家。東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)出身。本名は片岡十一。幻想的な作風で、代表作として長篇小説「真赤な子犬」「内部の真実」「応家の人々」、短篇小説「猫の泉」「吸血鬼」、探偵右京慎策の活躍するハイカラ右京シリーズなど。 1908年(明治41年)に東京府東京市深川区深川木場町(現在の東京都江東区木場一丁目)で、魚問屋の父と魚小売商の母の間に第三子として生まれる。4歳の時に父が亡くなり、その魚問屋のあった日本橋に移る。1917年に深川に戻り、神田の明治中学に入学、中学時代は金剛社の探偵小説の叢書を愛読し、『童話』誌に投稿して入選したこともあった。
井上 良雄(いのうえ よしお、1907年9月25日 - 20… 井上 良雄(いのうえ よしお、1907年9月25日 - 2003年6月10日)は、日本の文芸評論家、翻訳家、神学者。 東京府生まれ。東京府立第一中学校(現:東京都立日比谷高等学校)、第一高等学校を経て、1930年京都帝国大学文学部独文科卒。 神保光太郎、北川冬彦らと同人誌『磁場』などで文芸評論を書く。『磁場』1932年4月に「芥川龍之介と志賀直哉」を発表。1939年法政大学で教える。 1935年治安維持法違反で検挙、不起訴。 1936年日本大学講師。1945年3月東京信濃町教会で洗礼を受ける。1947年東京神学大学専任講師、1951年教授、1971年定年退任。 1997年、これらの功績が認められ、日本キリスト教文化協会よりキリスト教功労者の表彰を受ける。
清水 俊二(しみず しゅんじ、1906年11月27日 - 1… 清水 俊二(しみず しゅんじ、1906年11月27日 - 1988年5月22日)は、日本の映画字幕翻訳家、映画評論家、翻訳家。東京帝国大学経済学部卒業。