田村 志津枝(たむら しづえ、1944年1月1日 - )は… 田村 志津枝(たむら しづえ、1944年1月1日 - )は日本のノンフィクション作家、映画研究家。中国語圏の映画字幕翻訳を多数手掛けている。夫は作家の夫馬基彦。 1944年の正月に日本統治下の台湾台南市に生まれる。父親は台南陸軍病院(中国語版)に勤務していた。小学校入学前、母親から「あなたはタンパンセンで生まれた」と聞かされ、自分は船の中で生まれたと思いこむが、これは地名の「台南市桶盤桟(中国語版)(タンパンセン)18番地」のことだった。引き揚げ後は長野県小諸市で育つ。1968年早稲田大学第一文学部ドイツ文学専修卒。 雑誌の編集、記録映画製作などに携わる。1973年新潟県中蒲原郡上杉町に中国語研修所が開所する。
柳沢 京子(やなぎさわ きょうこ、1944年 - )は、日本… 柳沢 京子(やなぎさわ きょうこ、1944年 - )は、日本の切り絵作家。長野県北佐久郡浅科村(現・佐久市)生まれ。 独自の切り絵創作で、日本はもとよりドイツ各地、ニューヨークなど個展多数。長野県を本来の美しい風土にしたい、と情熱を燃やし続ける。特定非営利活動法人として「ふるさと研究所」を発足。長野県のグランドデザインを描き、興す活動は、切り絵創りにも通ずる潔さがある。
中嶋 大道(なかじま だいどう、1944年 - )は、日本の… 中嶋 大道(なかじま だいどう、1944年 - )は、日本の彫刻家、造形作家。長野県安曇野市出身。出身地である安曇野市に工房を構え、おもに昆虫などをモチーフとして、ステンレス彫刻作品を制作している。 中島大道と記される場合もある。 長野県南安曇郡穂高町(現在の安曇野市穂高)に生まれた。最初は木彫に取り組んだが、後に金属溶接を学んで、様々な金属素材による造形を試行錯誤し、最終的にステンレスを素材に溶接によって造形する技法を編み出した。 1980年代はじめから、ステンレスによる巨大彫刻制作に取り組みはじめた。巨大な作品では、厚さ4mm〜5mmほどのステンレス鋼板などを使用し、溶接や研磨によって作品が造形される。
丸山 健二(まるやま けんじ、1943年12月23日 - )… 丸山 健二(まるやま けんじ、1943年12月23日 - )は、日本の小説家。 高校を卒業後、通信士として商社に勤務。傍ら創作をはじめ、生と死の主題を冷静な筆致で描いた『夏の流れ』(1966年)で芥川賞受賞。『正午なり』(1968年)、『朝日のあたる家』(1970年)などで帰郷と定着の問題を扱い、一層の社会性を加える。 国語教師の息子として長野県飯山市で生まれ、父の転勤に伴い各地を転々とし、大町市に育ち、長野市篠ノ井で中学校を卒業。1964年、国立仙台電波高等学校(現在の仙台高等専門学校広瀬キャンパス)を卒業後、1967年まで株式会社江商東京支社総務部通信課にテレックス・オペレーターとして勤務。
宮原 安春(みやばら やすはる、1942年1月2日 -201… 宮原 安春(みやばら やすはる、1942年1月2日 -2017年1月20日)は、日本の元政治運動家、ノンフィクション作家。 長野県埴科郡戸倉町(現千曲市)出身。長野県上田高等学校卒業、早稲田大学第二文学部露文科中退。 平岡正明らと政治結社『犯罪者同盟』を結成。1962年に、松田政男、山口健二、川仁宏らが企画した自立学校に、学生として参加し、事務局だった平岡正明と知り合う。平岡ともに、自立学校の講師だった森秀人に師事。 1963年、犯罪者同盟の機関誌の単行本『赤い風船あるいは牝狼の夜』を刊行したところ、猥褻図画頒布の容疑で警視庁から捜査を受ける。なお、この捜査の際、安原の自宅に赤瀬川原平(赤瀬川も自立学校の学生であった)の芸術作品「印刷千円札」があったことから、「千円札裁判」が起きるきっかけになった。
百瀬 明治(ももせ めいじ、1941年1月2日 - 2016… 百瀬 明治(ももせ めいじ、1941年1月2日 - 2016年10月26日)は、日本の著作家。 長野県松本市生まれ。京都大学文学部国史学科卒。25歳で青春小説でデビュー。平凡社で『季刊歴史と文学』の編集長を務め、38歳から歴史作家として、会田雄次、邦光史郎との共著などを含めて活動を始める。仏教史、宗教史への関心が深い。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
工藤 かずや(1941年 - )は、日本の小説家、劇画原作者… 工藤 かずや(1941年 - )は、日本の小説家、劇画原作者。長野県上田市出身。 小説を書きながら『週刊漫画アクション』(双葉社)「恵子のチャンピオン」で原作デビュー。 「マグナム」で第1回集英社青年漫画大賞原作賞受賞。 劇画原作で数百編、小説で五十数編の発表作品がある。 『ゴルゴ13』の脚本を手掛け、「アルヘンティーノ・ティグレ」・「死闘ダイヤ・カット・ダイヤ」など約20話を執筆している[要出典]。 その他の代表作に小説「異形の者」「恨み葵」原作『イリーガル』・『危険なジル』・『信長』・『パイナップルARMY』等がある。 (暫定的に50音順。) この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。
下嶋 哲朗(しもじま てつろう、1941年 - )は、日本の… 下嶋 哲朗(しもじま てつろう、1941年 - )は、日本のノンフィクション作家、画家。沖縄県をテーマとした著作で知られる。 長野県上田市に生まれる。中学1年生の時に上京する。武蔵野美術大学油絵学科を中退。 1975年から約1年間石垣島に妻子とともに移住した。この移住で沖縄の歴史や文化への興味を抱く。 1983年、沖縄県の洞窟「チビチリガマ」の調査を地元住民らとともにおこない、沖縄戦時に壕内で集団自決があったことを明らかにした。下嶋はもともと、アメリカ合衆国施政下でおこなわれた沖縄本島からの移民の調査のために沖縄を訪れ、出会った読谷村出身の女性から聞いた断片的な話をきっかけに関係者への聞き取りを重ねて証言を引き出し、それをもとに壕内の調査で自決を裏付けた。
小沢 さとし(おざわ さとし、1938年7月8日 - )は、… 小沢 さとし(おざわ さとし、1938年7月8日 - )は、日本の児童文学作家、小説家。本名・聰。箕輪町の資料館「美空ひばり歌の里」館長。 長野県上伊那郡箕輪町出身。立教大学文学部卒。 1983年、『黒潮物語』で第6回塚原健二郎文学賞受賞。「絵本伊那谷ものがたり」シリーズを刊行している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
柳谷 郁子(やなぎたに いくこ、1937年5月2日 - )は… 柳谷 郁子(やなぎたに いくこ、1937年5月2日 - )は、日本の小説家、随筆家。文学同人誌『播火』主宰・編集長。〈播磨の黒田武士顕彰会〉理事。日本ペンクラブ会員。日本文藝家協会会員。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪二葉高等学校を経て、1961年早稲田大学教育学部英語英文学科を卒業する。1987年、第1回神戸新聞文芸賞小説部門優秀賞を受賞する。1997年、『月柱』で第14回大阪女性文芸賞を、『藤村の海』で第3回小諸・藤村文学賞を受賞する。2009年、黒田官兵衛を主人公にしたNHK大河ドラマの実現を目指す運動の一環で、絵本『官兵衛さんの大きな夢』を執筆する。同作品は、「官兵衛の生き方を通して、子どもたちに夢や希望を抱いてほしい」という思いから、わかりやすい言葉を選んで文章を書いたという。
和田 登(わだ のぼる、1936年1月1日 - 2025年2… 和田 登(わだ のぼる、1936年1月1日 - 2025年2月4日)は、日本の作家・児童文学作家。信州児童文学会事務局長・編集委員。 長野県長野市生まれ。信州大学教育学部卒業。 1956年大学時代の仲間で親友はまみつを、高橋忠治らと児童文学同人誌「とうげの旗」を創刊。1959年より公立小学校の教師を31年間務めるかたわら、1966年「虫」で第1回日本児童文学者協会短編賞を受賞し児童文学作家となる。1977年、松代大本営設営に駆り出された朝鮮人を描いた『悲しみの砦』で第1回塚原健二郎文学賞。2005年「武器では地球を救えない」で産経児童出版文化賞受賞。 反戦・反差別の立場からする児童文学のほか、人物伝、怪奇もの、児童向けSFなどを多く執筆、中山晋平の伝記を何度か書いている。
市川 一雄(いちかわ かずお、1935年 - 2019年4月… 市川 一雄(いちかわ かずお、1935年 - 2019年4月17日)は、日本の作家、編集者。 長野県下諏訪町出身。長野県諏訪清陵高等学校卒。地域紙「湖国新聞」編集長を経て、編集工房「草原社」(現「あざみ書房」)を設立し、地方文献を出版。 文芸誌『窓』編集発行人。自身の著書も多数。 「諏訪こぶしの会」(新田次郎顕彰会)会長、「ふるさとの製糸を考える会」副会長、諏訪市文化財専門審議委員、下諏訪町文化財専門委員等、多数の役職を務めた。 霧ヶ峰 ビーナスライン建設にあたり、新田次郎、藤森栄一らと共に反対運動(霧ヶ峰八島線事件)に取組み(1967~)、当初の八島ケ原湿原や旧御射山遺跡を通る計画を回避させた。
池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23… 池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23日 - 1997年〈平成9年〉3月8日)は、日本の画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。しかし、多岐にわたる活動や多才さは、かえって“池田芸術”の高い知名度にふさわしい正当な評価を困難にしている。 旧満洲国奉天市(現在の瀋陽市)に生まれ、戦後長野県長野市で育つ。長野市立柳町中学校、長野北高等学校(現・長野県長野高等学校)定時制課程卒業。高校在学中に絵画が入選、画家を志し上京するが、東京芸術大学の受験に3度失敗し大学進学を断念。
はま みつを(本名:浜 光雄(はま みつお)、1933年9月… はま みつを(本名:浜 光雄(はま みつお)、1933年9月20日 - 2011年2月22日)は、日本の児童文学作家。 長野県塩尻市出身。旧制松本中学を経て、信州大学教育学部修了。信州児童文学会会長を務めていた。 高橋忠治、和田登らとともに「とうげの旗」創刊の参加を機に創作活動に専念。1970年処女作『わが母の肖像』を刊行。1979年『春よこい』で赤い鳥文学賞) 1983年『レンゲの季節』で塚原健二郎文学賞) 1989年『赤いヤッケの駅長さん』で産経児童出版文化賞を受賞。 2011年2月22日、肺炎のため長野県松本市の病院で死去。77歳没。 はま自身が担任を務めた塩尻市の中学校の教え子の一人に、テレビプロデューサーで上智大学文学部新聞学科教授の碓井広義がいる。
宮崎 惇(みやざき つとむ、1933年6月15日 - 198… 宮崎 惇(みやざき つとむ、1933年6月15日 - 1981年11月16日)は、日本の小説家、SF作家、漫画原作者。ジュブナイルSFなどに作品を残した。日本文藝家協会、日本推理作家協会会員。 長野県小諸市出身。1957年、日本最初のSF同人誌『宇宙塵』に参加。後に編集委員も務める。60年代以降は商業誌にも進出し、SFや時代劇などのジャンルで作品を発表した他、「聖マッスル」(作画:ふくしま政美)などの漫画原作も手がけた。1981年に顎下腺ガンのため48歳で亡くなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
梓 林太郎(あずさ りんたろう、1933年1月20日 - 2… 梓 林太郎(あずさ りんたろう、1933年1月20日 - 2024年1月27日)は、日本の小説家。本名は林 隆司。 長野県下伊那郡上郷村(現:飯田市)生まれ。 父の仕事の都合で静岡県清水市(現:静岡市清水区)に一家3人で転居。その後、父の出征のみならず、第二次世界大戦の戦況悪化もあって上郷村の母の実家に戻った。その翌年(1945年)、小学6年生の時に終戦を迎える。中央アルプスに連なる山村にあった母の実家では、家業の農家の手伝いなどで毎日のように山に入った。進学のため18歳で上郷を離れたが、本格的に山登りを始めたのは東京に出てからという。 貿易会社、調査会社、経営コンサルタント会社などを経て、1980年『九月の渓で』で小説宝石エンタテインメント小説大賞を受賞し、デビュー。
一ノ瀬 綾(いちのせ あや、1932年6月19日 - 202… 一ノ瀬 綾(いちのせ あや、1932年6月19日 - 2025年2月17日)は、日本の作家。本名は掛川たつよ。 長野県小県郡武石村(現上田市)出身。上田高等女学校卒業後、農業に従事ののち上京。 1968年「春の終り」で農民文学賞、1975年「黄の花」で田村俊子賞受賞。
本多 勝一(ほんだ かついち、1932年1月28日 - )は… 本多 勝一(ほんだ かついち、1932年1月28日 - )は、日本の新聞記者・ジャーナリスト・作家。元朝日新聞編集委員。 長野県下伊那郡大島村(現在の松川町)に生まれる。 長野県飯田高松高校卒。高校3年次の担任はのちに日本古生物学会の会長を務めた鹿間時夫であった。同級に富永明夫がおり、後に本多の義兄となった。 本多には脳性小児麻痺の妹がいた。父は雑貨商を営んでおり、本多には薬科大学に進むことで薬局を加えた店の跡を継いでほしいと願っていた。本多は高校で木原均の講演に感銘を受け、京都大学で遺伝学を学びたいと考えたため、父と衝突した。結局、薬剤師の資格を取得すれば好きなことをやってもよいとの妥協案を受け入れ、千葉大学薬学部に進学。
上條 逸雄(かみじょう いつお、1931年10月23日 - … 上條 逸雄(かみじょう いつお、1931年10月23日 - 2002年8月14日)は、脚本家・作家。長野県上水内郡中条村(現長野市)出身。長野県長野北高等学校を経て、早稲田大学第一文学部卒。 『サインはV』『アテンションプリーズ』『積木くずし』といった高視聴率のテレビ番組や、日本テレビの『これが青春だ』『でっかい青春』『進め!青春』『おれは男だ!』『飛び出せ!青春』『われら青春!』といった一連の青春学園シリーズを執筆。他、数多くの人気テレビドラマの脚本を書く。晩年は舞台の脚本も手がける。(新橋演舞場『都おどり』など) 叔父の阿木翁助の影響で大学時代からラジオドラマを書き始める。大学の同級生に監督の高瀬昌弘がおり、彼がメイン監督となった『これが青春だ』の折に「君の青春を提供してくれ」と依頼を受け、その後も一連のシリーズに執筆しつづけた。
井出 孫六(いで まごろく、1931年9月29日 - )は、… 井出 孫六(いで まごろく、1931年9月29日 - )は、日本の小説家、ルポライター。
瓜生 喬(うりゅう たかし、1931年3月28日 - 200… 瓜生 喬(うりゅう たかし、1931年3月28日 - 2009年10月6日)は、脚本家・作家。本名は上條孝之。 長野県松本市出身。同志社大学文学部卒。1955年から1966年まで長野県立高校の英語教師を務め、1962年劇団「炎」を旗揚げし、全国や海外で民話劇や朗読劇を上演する一方、NHKラジオの劇作家として約300本のラジオドラマを書き下ろす。1982年にはNHKニュースワイドのリポーターとして活躍。「推理ロマン〜望郷〜」で1992年度日本民間放送連盟賞優秀賞を受賞。またタイ国立芸術大学客員講師を務め、1997年にタイ王国政府から文化功労賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
塩沢 実信(しおざわ みのぶ、1930年11月29日 - )… 塩沢 実信(しおざわ みのぶ、1930年11月29日 - )は、出版ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
大川 悦生(おおかわ えっせい、1930年7月6日 - 19… 大川 悦生(おおかわ えっせい、1930年7月6日 - 1998年3月27日)は、日本の児童文学作家。本名の読みは「よしお」。 長野県更級郡村上村(現埴科郡坂城町網掛)生まれ。父大川豊市(長野県上水内郡三水村・現飯綱町出身)、母やすの長男として生まれる。幼少期は東京で生活していたが、太平洋戦争でそのまま暮らし続けることが困難になり、母の実家に疎開した。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、早稲田大学文学部仏文科卒。在学中から早大童話会に属した。のち木下順二の影響で民話の再生に力を入れた。 1980年『たなばたむかし』で産経児童出版文化賞受賞。原爆についての作品もある。
藤岡改造(ふじおか かいぞう、1923年10月11日- )は… 藤岡改造(ふじおか かいぞう、1923年10月11日- )は、日本の作家、俳人。 長野県松本市生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て旧制二松學舍専門学校卒。新制高等学校移行後の母校国語教師となった。号は筑邨(ちくそん)。学校で飼っていた犬クロの世話役をしていた体験から、『職員会議に出た犬クロ』を執筆。ベストセラーとなり、2003年「さよなら、クロ」として映画化された。「信毎俳壇」「俳句四季」の選者。俳人協会評議員。
伊藤 正一(いとう しょういち、1923年 - 2016年6… 伊藤 正一(いとう しょういち、1923年 - 2016年6月17日)は日本の山小屋経営者、著作家。 長野県松本市出身で、町一番の料亭の長男。飛行機のエンジンなどに携わるエンジニアだったが、第二次大戦後はその資産を山に注ぎ込んだ。1945年に三俣蓮華小屋を買取ったのを皮切りに続いて水晶小屋も得ると、その後湯俣山荘、雲ノ平山荘を建設した。湯俣温泉から湯俣川沿いに三俣山荘に至る伊藤新道(1956年開通)の開削を主導。日本勤労者山岳連盟を創設。 2016年6月17日、多臓器不全のため死去。 新道は1983年に通行困難となり廃道となるも、再整備され2023年8月に復活。現在は長男・圭が三俣山荘と水晶小屋を、次男・二郎が雲ノ平山荘の経営を引き継いでおり、伊藤新道の廃道とともに40年間閉まっていた湯俣山荘も長男によって改装され2023年再オープン。
藤原 てい(ふじわら てい、1918年11月6日 - 201… 藤原 てい(ふじわら てい、1918年11月6日 - 2016年11月15日)は、日本の作家。夫は作家の新田次郎(本名・藤原寛人)、数学者でエッセイストの藤原正彦は次男。エッセイストの藤原咲子は長女。孫はベーシストの村井研次郎。旧姓両角。 長野県茅野市出身。県立諏訪高等女学校(現、諏訪二葉高等学校)卒業。1939年、新田と結婚。1943年に新京の気象台に赴任する夫と共に満州に渡る。敗戦後の1945年、夫を一時残して子供3人を連れ満州より引き揚げ、1946年帰国、心臓を患い寝たきりで、精神にも変調をきたしていたらしく、しばらくして新田も帰国したが、すぐには夫と分からない状態だったという。 帰国後、遺書のつもりでその体験をもとに、小説として記した『流れる星は生きている』はベストセラーとなった。
唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2… 唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2011年5月6日)は、社会運動研究者・俳人・自由律俳句研究者・作家。「唐沢柳三」の筆名も使用する。石川三四郎に師事する。 長野県に生まれる。滋野尋常高等小学校、長野県上田中学校(現:長野県上田高等学校)、純真学園、東京物理学校(現:東京理科大学)を経て、北海道帝国大学理学部数学科を卒業。北海道大学応用電気研究所に勤務。同研究所を退職後、東京に移住し、東京都立桜町高等学校、東京都立北高等学校ほか都立高校の教員を務めた。 出版のためにソオル社を興し、書籍の編集・発行も行った。 上田中学校時代に荻原井泉水の俳句誌『層雲』に参加した。 個人誌『柳』および『美』の発行者。
中村 八朗(なかむら はちろう、1914年4月16日 - 1… 中村 八朗(なかむら はちろう、1914年4月16日 - 1999年2月3日)は、昭和期の小説家。 長野県長野市出身。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)、第二早稲田高等学院(現早稲田大学高等学院)を経て早稲田大学文学部仏文科卒業。吉江喬松にフランス文学を学んだ。高等学院時代に八木義徳、辻亮一、多田裕計らとともに同人誌『黙示』を創刊。『黙示』に載せた小説「或る尼僧の話」を丹羽文雄に評価され、以後師事する。1937年、丹羽の推挙により『早稲田文学』に処女作「古い絆」を発表、文壇デビューを果たす。初期の作品は僧侶を題材としたものが多かった。 大学卒業後、1938年から早稲田大学出版部に勤務するが、翌年応召され、松本市の歩兵第50連隊を経て、盛岡市の陸軍予備士官学校に入る。
宮本 幹也(みやもと みきや、1913年3月20日 - 19… 宮本 幹也(みやもと みきや、1913年3月20日 - 1993年11月2日)は、日本の作家。本名は正勝(まさかつ)。 長野県上水内郡吉田村(現長野市)生まれ。旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、明治大学文学部卒業。1932年「青春街」がサンデー毎日新人賞を受賞し、作家デビュー。週刊朝日に「霧の中の獣心」「渋柿」を掲載、1935年日活撮影所脚本部員となり、1937年社会浪漫派同人となる。1940年国民文化建設同盟を結成し、1941年『公論』編集長となる。1943年に軍に応召し、1945年復員、1949年から文筆業に復帰。戦後、ユーモア小説、通俗小説を多く書いたが、50代で筆を折ったようである。
久保田 正文(くぼた まさふみ、1912年9月28日 - 2… 久保田 正文(くぼた まさふみ、1912年9月28日 - 2001年6月6日)は、文芸評論家、小説家、文学博士。 長野県下伊那郡山本村(現飯田市)生まれ。旧制飯田中学(現長野県飯田高等学校)、松本高等学校文科甲類、東京帝国大学文学部美学科卒。福井県の旧制北陸中学(現北陸中学校・高等学校)に教師として赴任したが、『信州文学』に掲載した小説「残夢」が治安維持法違反に問われた。 日本大学藝術学部教授を経て、大正大学文学部教授。戦前から文学活動を始め、1946年、上京、短歌雑誌『八雲』を編集、1947年、新日本文学会に入会、『近代文学』に発表した「しづかな甍」でデビュー、以後、民主主義文学者として小説や評論を発表。
今井 潤(いまい じゅん、1910年8月15日 - 1997… 今井 潤(いまい じゅん、1910年8月15日 - 1997年10月13日)は、日本の小説家、随筆家、編集者。本名は、今村義雄。 長野県上伊那郡伊那富村(現・辰野町)出身。旧制諏訪中学校(長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東洋大学専門部東洋文学科修了、1933年法政大学文学部哲学科中退。簡易保険局勤務を経て、日本文学報国会事務局長を務めた。戦後、鎌倉文庫勤務を経て、文芸美術国民健康保険組合発足から運営に従事し常務理事を務めた。1975年藍綬褒章受章。
山岡 勝人(やまおか かつと、1908年11月14日 - 1… 山岡 勝人(やまおか かつと、1908年11月14日 - 1998年10月12日)は、昭和時代日本の詩人、小説家、作詞家、劇作家。長野県出身。 1908年(明治41年)、長野県諏訪郡平野村(現在の岡谷市)湊に生まれる。旧制松本商業学校を卒業したのち、諏訪地域で小学校各校の教員を務める傍ら、伊藤松雄主宰の「町の劇場」運動に参加した。 1930年代後半からは文芸グループ「諏訪文学」に属し、小説を執筆する傍ら「山岡羊村」他の名義で懸賞歌謡への応募を始め、1941年(昭和16年)には大政翼賛会が制定した「大政翼賛の歌」で入選する。戦後は地域活動に徹し校歌や婦人会歌、音頭の作詞、新聞小説連載などの活動に従事した。
秋元 寿恵夫(秋元 壽惠夫、あきもと すえお、1908年3月… 秋元 寿恵夫(秋元 壽惠夫、あきもと すえお、1908年3月13日 - 1994年2月4日)は、医師、著作家。筆名室田 有。 長野県長野市生まれ。一家は旧諏訪藩士の家系。精神医学者秋元波留夫は実兄。旧制東京府立第五中学、旧制第一高等学校卒業後、東京帝国大学医学部医学科で血清学を専攻し、1938年卒業、1943年大学院博士課程修了、医学博士。同年満州国平房の関東軍防疫給水部本部(731部隊)に加わった。 戦後は東京民主医療機関連合会結成に参加。1949年、臨床検査法の確立と検査技師の教育・育成を目的とする秋元研究所(1952年より病体生理研究所)を開設。長尾研究所、神奈川保健所勤務を経て、1959年3月-1966年3月横浜市衛生研究所長、1966年4月-1984年5月病体生理研究所長、1967年1月新日本臨床検査技師学校長。
山田 多賀市(やまだ たかいち、1907年12月16日 - … 山田 多賀市(やまだ たかいち、1907年12月16日 - 1990年9月30日)は日本の小説家、農民運動家。本名は多嘉市(たかいち)。 長野県南安曇郡三田村田尻(現・安曇野市)の農家の長男に生まれる。旧制小学校を4年で中退すると、13歳の時に年期奉公に出て建設作業員や瓦焼きの職人として東海地方を転々とした後、19歳の時、伊那谷の発電工事場で働き、帳付けをしていた葉山嘉樹の知遇を得た。のちに山梨県北巨摩郡登美村(現・甲斐市)に移り、21歳の時、日本農民組合青年部に加入して、小作料引き下げ闘争などの農民解放運動を展開したが、闘病生活に入った。 25歳で運動から転向し、作家を志す。新田潤の勧めによって書いた短篇「夕立雲」が、1937年に「人民文庫」に新人創作として載り、1939年から同人雑誌「槐」に代表作となる小説『耕土』が掲載されると、「中央公論」や東大の「赤門文学」で高評価を得た。
北沢 喜代治(きたざわ きよじ、1906年10月17日 - … 北沢 喜代治(きたざわ きよじ、1906年10月17日 - 1980年8月11日)は、日本の作家。 長野県上高井郡須坂町(現須坂市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科甲類を経て東京帝国大学国文科卒業。 富山県旧制高岡中学(富山県立高岡高等学校)などの教壇に立つ傍ら、1937年、臼井吉見らと同人誌『鳰の巣』を発行し「最後の銅貨」などの小説を発表。『早稲田文学』には「雁の書」が掲載された。 詩集『兄の最後の手紙』(1935年)では貧困への憎悪を表現したものであるが、秋山清には酷評された。 戦時中は宇野浩二が北沢を頼り松本に疎開。戦後は小谷剛主宰の『作家』に「日之島」、「夢三代」などの小説集を出した。
平林 たい子(ひらばやし たいこ、1905年〈明治38年〉1… 平林 たい子(ひらばやし たいこ、1905年〈明治38年〉10月3日 - 1972年〈昭和47年〉2月17日)は、日本の小説家。本名タイ。 職を転々としながら、同棲、離別、検挙、生活破綻、中国大陸や朝鮮での放浪などを経て、その体験から『嘲る』『施療室にて』を発表。プロレタリア作家として出発した。戦後は反共姿勢を強め、晩年は難病に苦しんだが、社会や人生の不条理を逞しい筆致で描いた作品で知られた。没後日本芸術院賞・恩賜賞を受け、平林たい子文学賞が設定された。 現在の長野県諏訪市(旧諏訪郡中洲村)出身。平林家はもともと土地の名家であったが、祖父の事業失敗で貧しい農家に落ちていた。 1915年(大正4年)1月、父と弟と朝鮮へ出稼ぎに行く。
臼井 吉見(うすい よしみ、1905年(明治38年)6月17… 臼井 吉見(うすい よしみ、1905年(明治38年)6月17日 - 1987年(昭和62年)7月12日)は、日本の編集者、評論家、小説家、日本藝術院会員。息子は映像作家の臼井高瀬。 長野県南安曇郡三田村(現・安曇野市)に、父貞吉・母きちの次男として生まれる。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)、旧制松本高校(現・信州大学)文科甲類を経て、1929年東京帝国大学文学部卒業。松本中学での同級生に筑摩書房の創業者となる古田晁、俳優・演劇評論家の松本克平がいる。 旧制伊那中学(現・長野県伊那北高等学校)、松本女子師範学校などで教員を務めた後、上京して東京女子大学でも教え、さらに1946年に創刊した筑摩書房の総合雑誌『展望』編集長を務め、文芸評論家としても活躍した。
椋 鳩十(むく はとじゅう、1905年1月22日 - 198… 椋 鳩十(むく はとじゅう、1905年1月22日 - 1987年12月27日)は、日本の小説家、児童文学作家、鹿児島県立図書館長、教員。本名は久保田 彦穂(くぼた ひこほ)。日本における動物文学の代表的人物である。 1947年から19年間務めた鹿児島県立図書館長時代には、第二次世界大戦で崩壊した図書館機能の再建のため、市町村図書館と共同運営を行い、市町村図書館を設置できない市町村には図書館を設置して県立図書館が支援するという、のちの図書館ネットワークの原型となる、図書館学において「鹿児島方式」と呼ばれるものを構築した。 1905年1月長野県下伊那郡喬木村阿島北にて、父(金太郎)、母(たき)の次男として誕生。
新田 潤(にった じゅん、1904年9月18日 - 1978… 新田 潤(にった じゅん、1904年9月18日 - 1978年5月14日)は、小説家。本名・半田 祐一。 長野県上田市生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、東京帝国大学英文科卒。1936年に高見順らと『人民文庫』を創刊、プロレタリア・リアリズムの作家として活動した。1943年から海軍報道班員として徴用され、復員後は風俗小説を書いた。1968年から東京電機大学講師。 1978年5月14日、肝硬変の末期症状である食道静脈瘤破裂のため東京都杉並区高円寺北の自宅で死去。戒名は無得豊潤居士。
宮口 しづえ(みやぐち しずえ、1904年9月2日 - 19… 宮口 しづえ(みやぐち しずえ、1904年9月2日 - 1994年7月5日)は、日本の児童文学作家。 長野県小諸市生まれ。松本女子師範学校卒業。1927年から1934年まで木曽・馬籠の神坂小学校教師を務め、その後は臨時教員となる。戦後は島崎藤村全集の編纂を行う。1955年から童話を執筆し、1957年に信州児童文学会の前身である「とうげの旗の会」に入会。同人誌「とうげの旗」に作品を発表する傍ら、同会の整備と拡大に尽力し、1971年には発展組織である信州児童文学会の会長に就任、同年、少年少女向け雑誌である文学誌「とうげの旗」を創刊した。 1957年に『ミノスケのスキー帽』で児童文学者協会新人賞、1958年『ゲンと不動明王』で未明文学賞、1974年『箱火ばちのおじいさん』で野間児童文芸推奨作品賞、1980年「宮口しづえ童話全集」全8巻で赤い鳥文学賞受賞。
原 圭二(はら けいじ、1903年 - 没年不詳)は、日本の… 原 圭二(はら けいじ、1903年 - 没年不詳)は、日本のノンフィクション作家、編集者、翻訳家。本名は堀経道 長野県諏訪郡宮川村(現・茅野市)出身。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、長野師範学校卒業。関西学院英文科卒業。博文館編集部で「少年世界」などの担当を経て、1933年頃に出版社・六人社を発足。1936年頃から原圭二名義で戦争に関する文章の寄稿を始める。その後、民主教育協会勤務。探検記、探偵小説、翻訳多数。 堀経道名義では探偵小説・推理小説の翻訳を多数しており、昭和22年6月刊行の「黄金の書」(まひる書房)の企画を終戦後いち早く立ち上げ、江戸川乱歩の元へ相談を持ちかけた。
宮下 正美(みやした まさみ、1901年5月15日 - 19… 宮下 正美(みやした まさみ、1901年5月15日 - 1982年12月17日)は、日本の教育評論家、児童文学作家。男性。 長野県下伊那郡市田村(現高森町)生まれ。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、慶應義塾大学文学部心理学科卒。同幼稚舎教師を経て、戦後は小原國芳の湘南学園設立に参加し初代園長、杉野女子大学短期大学部教授。 自ら児童読物を多く書いたほか、教育指南書を著し、旧文部省の「幼稚園指導要綱」作成委員なども歴任した。 子に演劇評論家・「朝日ジャーナル」編集長の宮下展夫、ドイツ文学者・慶應義塾大学名誉教授の宮下啓三。
小島 勗(こじま つとむ、1900年(明治33年)6月1日 … 小島 勗(こじま つとむ、1900年(明治33年)6月1日 - 1933年(昭和8年)1月6日)は、日本の小説家、劇作家。 1900年6月1日、宮城県仙台市に生まれる。長野県旧制松本中学(現在の長野県松本深志高等学校)を経て、1924年に早稲田大学文学部哲学科卒業。在学中に横光利一や中山義秀と同人誌『塔』を発行した。卒業後はプロレタリア文学に傾倒し、1925年、『早稲田文学』に「地平に現れるもの」を発表したが発禁処分となる。翌年には『新小説』に「遥かなる眺望」、創作集『ケルンの鐘』などの戯曲を発表して、社会主義とモダニスムを併せ持つ作風で注目を集めた。当初は労農芸術家連盟に所属していたが、その後第二文戦打倒同盟をへて日本プロレタリア作家同盟に参加した。
椿 八郎(つばき はちろう、1900年4月18日 - 198… 椿 八郎(つばき はちろう、1900年4月18日 - 1985年1月27日)は、日本の作家。眼科医。本名は藤森 章。 長野県東筑摩郡松本町(現松本市)生まれ。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を経て、慶應義塾大学医学部卒業後、1925年同大眼科教室助手となった。その後は満鉄長春医院眼科医長、満鉄撫順医院眼科医長を歴任。 1946年に引き揚げ、東京電力病院眼科医長などを歴任した。 「テノン氏嚢の研究」「ミュッレル氏筋の研究」など眼科研究論文を発表。 大学在学中、本名で正木不如丘主宰の同人誌『脈』に小品を発表。1949年『宝石』に「カメレオン黄金虫」を発表し推理小説作家として登場した。1951年に『宝石』に発表した「扉」が翌年の第5回探偵作家クラブ賞候補作となる。
大下 宇陀児(おおした うだる、1896年11月15日 - … 大下 宇陀児(おおした うだる、1896年11月15日 - 1966年8月11日)は日本の探偵小説作家。本名、木下龍夫。別名、XYZ。 1896年(明治29年)、長野県上伊那郡中箕輪村(現箕輪町)に父・甚五郎、母・やすのもとに生まれる。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)、第一高等学校へ進む。1921年(大正10年)、九州帝国大学](現在の九州大学)工学部応用化学科を卒業。農商務省臨時窒素研究所に勤務。同僚の甲賀三郎の探偵小説文壇における活躍に触発されて探偵小説を書き始めた。 1925年(大正14年)4月、博文館の探偵雑誌『新青年』誌上で、探偵小説『金口の巻煙草』でデビュー。 探偵小説だけでなくSF小説にも関心を示し、「空中国の大犯罪」や『ニッポン遺跡』といった作品を執筆し、星新一の文壇デビューに一役買った。
武井 武雄(たけい たけお、1894年6月25日 - 198… 武井 武雄(たけい たけお、1894年6月25日 - 1983年2月7日)は、童画家、版画家、童話作家、造本作家である。 童話の添え物として軽視されていた子供向けの絵を「童画」と命名し、芸術の域にまで高めた。武井武雄の童画は、大胆な構図や幾何学的な描線によって、モダンかつナンセンスな味わいを感じさせ、残された作品はいまもって古びていない。『コドモノクニ』をはじめとした児童雑誌の挿画、版画、図案(デザイン)、おもちゃの研究・創作「イルフ・トイス」、本自体を芸術作品と捉えた「刊本作品」、童画批評など多岐多彩な分野で作品を残した。 収集癖があり、日本全国の郷土玩具や郷土菓子を集め、郷土菓子169点について『日本郷土菓子図譜』(3巻)をまとめている。
藤森 秀夫(ふじもり ひでお、1894年(明治27年)3月1… 藤森 秀夫(ふじもり ひでお、1894年(明治27年)3月1日 - 1962年(昭和37年)12月20日)は、日本のドイツ文学者、童謡作家。別名に藤太彦。
山崎 斌(やまざき あきら、1892年11月9日 - 197… 山崎 斌(やまざき あきら、1892年11月9日 - 1972年6月27日)は、日本の小説家、染織家。 「草木染め」の命名者として知られる。 長野県東筑摩郡麻績村で善光寺街道麻績宿本陣臼井家の三男として生まれ、父の生家・山崎家の養子となる。 旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、国民英学舎を卒業後、京城日報の記者となったが、1922年作品を島崎藤村に賞賛され作家として歩み始めた矢先、昭和の大恐慌で郷里の養蚕業が打撃を受けたため帰郷。植物染を復活させ「草木染め」と名付け、「草木屋」を創設して編著書を刊行、のち月明会を興す。 息子に染色工芸家で群馬県指定重要無形文化財保持者の山崎青樹、孫に同じく染色工芸家の山崎和樹がいる。
久米 正雄(くめ まさお、1891年(明治24年)11月23… 久米 正雄(くめ まさお、1891年(明治24年)11月23日 - 1952年(昭和27年)3月1日)は、日本の小説家、劇作家、俳人。俳号は三汀(さんてい)。“微苦笑”という語の造語者として有名。 芥川龍之介らと第三、四次「新思潮」同人となる。理知的な作風から、のち感傷的作風の通俗小説に転じた。作品に戯曲『牛乳屋の兄弟』(1914年)、小説『受験生の手記』(1918年)、『破船』(1922年)など。 永井龍男は義弟(永井の妻が久米の妻の妹)。 長野県上田市生まれ。父・由太郎は江戸出身で町立上田尋常高等小学校(現在の上田市立清明小学校)の校長として上田に赴任し、正雄が生まれた。父は1898年(明治31年)に小学校で起きた火災によって明治天皇の御真影を焼いてしまった責任を負って割腹自殺した。
加藤 みどり(かとう みどり、1888年(明治21年)8月3… 加藤 みどり(かとう みどり、1888年(明治21年)8月31日 - 1922年(大正11年)5月1日)は、明治・大正期の小説家。本名はきくよ。月刊誌「青鞜」の社員であった。 1888年(明治21年)8月31日、長野県上伊那郡赤穂村(現駒ヶ根市)にて、医師の父・高仲泰一と、母・久与の間に、長女として生れる。1899年(明治32年)12月11日、母・久与が病死(享年32歳)。幼い4人の弟妹たちの世話を、11歳のきくよがすることとなった。 文学に憧れ始めたのは小学校4年か5年の頃のことで、受持ちの教師の作った狂歌のようなものを面白く思い、家にあった本の物語や和歌を読み耽った。その後、「新小説」「早稲田文学」「明星」などの文芸雑誌や、与謝野晶子、島崎藤村などを愛読した。