中平 邦彦(なかひら くにひこ、1938年 - )は、日本の… 中平 邦彦(なかひら くにひこ、1938年 - )は、日本の将棋観戦記者、ジャーナリスト、ノンフィクション作家。筆名=原田 史郎。武庫川女子大学講師。現代風俗研究会、日本文芸家協会会員。 兵庫県芦屋市生まれ。同志社大学卒業。神戸新聞社に入社、論説委員長、1988年、論説副委員長。 将棋の観戦記者としても知られ、東京新聞などの王位戦(神戸新聞社は1973年から主催に加わる)で執筆も行う。1987年「パルモア病院日記-三宅廉と二万人の赤ん坊たち」で第11回井植文化賞(報道出版部門)。2017年、第24回大山康晴賞を受賞。
阿久 悠(あく ゆう、1937年〈昭和12年〉2月7日 - … 阿久 悠(あく ゆう、1937年〈昭和12年〉2月7日 - 2007年〈平成19年〉8月1日)は、淡路島出身の放送作家、詩人、作詞家、小説家。数々のヒット曲の歌詞を生み出し、日本歌謡界の黄金時代を築いた。 ペンネームの由来は、広告会社勤務時代に放送作家として活躍を始めたが、兼業禁止の会社にばれないよう“悪友”をもじった筆名として使い始めた事から。深く考えずにつけたため、いずれは別の筆名にするつもりだったが、仕事が途切れなかったので、独立後も使い続けた。また、多夢星人(たむせいじん)の変名も使用した(阿久の小説『グッドバイ―BN童子の青春』の登場人物であるロック歌手の名に由来する)。 長男は作曲家の深田太郎で、阿久作詞・深田作曲の楽曲も存在する。
岩田 信義(いわた のぶよし 1937年 - )は、日本の教… 岩田 信義(いわた のぶよし 1937年 - )は、日本の教育者、著作家、歴史家。神戸連続児童殺傷事件当時加害者の通っていた神戸市立友が丘中学校校長であり、事件に関わる著作を行った。 兵庫県神戸市出身。神戸大学教育学部卒業。神戸市内の学校教諭を経て神戸市立友が丘中学校校長に就任。事件当時は校長として、ことあるごとに記者会見を開き、記者からの質問には一つ一つ答えていた。 1998年には日本精神衛生会の広報誌で、メンタルヘルスについての連載を行っていた。 2000年には新潮45で、神戸連続児童殺傷事件が起きてから3年後に思うことの手記を掲載する。 2001年には『校長は見た!酒鬼薔薇事件の「深層」』という書籍を出版した。
横尾 忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は… 横尾 忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は、日本の美術家、グラフィックデザイナー、版画家、作家。 実弟の成瀬政博は画家・イラストレーター。長女の横尾美美も美術家。日本芸術院会員。 兵庫県西脇市出身。20歳までを西脇で過ごす。幼少期に西脇でさまざまな超常現象を経験。死の世界に憧れを抱く。 神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、独立。三島由紀夫に出会い三島の「聖俗一体」的言動に触発される。1970年の三島の死をきっかけにその後の15年間をオカルティズムや神秘主義まで包括した精神世界に傾斜してゆくが、それらが大いなる錯覚だったと気づき「私」の探求の延長線上で絵画に出会う。
平 龍生(たいら りゅうせい、1935年4月5日 - )は、… 平 龍生(たいら りゅうせい、1935年4月5日 - )は、日本の小説家。 兵庫県神戸市生まれ。本名・忠夫。早稲田大学第二文学部日本文学科卒。広告業界で働いたのち、1972年「真夜中の少年」でオール読物新人賞受賞(平忠夫名義)、1983年「脱獄情死行」で横溝正史賞受賞。以後、平龍生の名で小説を発表する。サスペンス、官能小説、ホラー、バイオレンスなどを主に手がける。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
北岡 耕二(きたおか こうじ、1935年 - )は、日本の小… 北岡 耕二(きたおか こうじ、1935年 - )は、日本の小説家。兵庫県神戸市出身、一橋大学社会学部卒業。電通を定年退職。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小中 陽太郎(こなか ようたろう、1934年〈昭和9年〉9月… 小中 陽太郎(こなか ようたろう、1934年〈昭和9年〉9月9日 - 2024年〈令和6年〉12月3日)は、日本の小説家、社会評論家、翻訳家。 兵庫県神戸市生まれ。 幼時を上海で過ごす。東京都立大学附属高等学校を経て、東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事。1958年に同大学を卒業してNHKに入り、ディレクターとして『夢であいましょう』などを手がける。 1964年に退職してフリーとなり、野坂昭如の薫陶を受けてルポルタージュやコラムを執筆。 1965年、小田実たちと共にベ平連を結成。世話人としてパリやハノイやストックホルムに赴き、国際連帯に貢献する。特に脱走兵援助では、ハノイやモスクワを巡った。 1970年から法政大学講師を務める。
竹内 日出男(たけうち ひでお、1933年11月26日 - … 竹内 日出男(たけうち ひでお、1933年11月26日 - 2022年8月30日)は、日本の脚本家・作家。兵庫県西脇市生まれ。東京大学文学部卒業。 1957年、東京大学文学部を卒業すると同時に日本放送協会に入局。 5年間の盛岡放送局勤務を経て東京の本部に移り、主としてドラマ番組の演出とプロデュースに当たる。 その間、ラジオドラマの演出作品では文化庁芸術祭に度々入賞し、日本放送作家協会賞演出者賞なども受賞。 1972年に移ったテレビドラマ部門では、連続テレビ小説『北の家族』(1973年〜1974年)、金曜ドラマ『新・坊っちゃん』(1975年〜1976年)、『ドラマ人間模様の5シリーズ――『妻たちの2.26事件』(1976年)、『冬の桃』(1977年)などのチーフプロデューサーを務めた。
織田 正吉(おだ しょうきち、1931年12月4日 - 20… 織田 正吉(おだ しょうきち、1931年12月4日 - 2020年11月20日)は、日本の演芸作家、放送作家、エッセイスト。本名は構 恒一(かまえ つねいち)。 日本笑い学会名誉会員、関西演芸作家協会顧問。このほか、日本笑い学会理事、園田学園女子大学短期大学部講師を歴任。 兵庫県神戸市出身。神戸大学法学部卒業。大学在学中から漫才台本等の執筆を行うかたわら、漫画の雑誌投稿の常連となり、やがて鈴木義司ら東京の学生漫画家グループ「漫画エポック」に参加するにいたり、上京。しかし「天才とはこういう人のことかと思った」とのちに述懐するほどの鈴木の量産ぶりを前に、漫画家としての活動に「早々と見切りをつけ」、東京を去った。
榊原 康夫(さかきばら やすお、1931年9月21日 - 2… 榊原 康夫(さかきばら やすお、1931年9月21日 - 2013年1月6日 )は、日本の牧師、神学者、説教者、著作家。 新改訳聖書のイザヤ書、エレミヤ書、哀歌を翻訳した。福音主義神学会の創立に関わった。 兵庫県芦屋市出身。灘高等学校卒業。大阪大学工学部機械科中退。1957年、神戸改革派神学校卒業。日本基督改革派教会の和歌山伝道所、甲子園教会牧師を歴任し、1967年(昭和42年)より東京恩寵教会牧師となる。1977年(昭和52年)- 1981年(昭和56年)日本基督改革派教会大会議長。 2001年(平成13年)に定年によって正牧師を引退し、東京恩寵教会名誉牧師となる。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。
吉武 輝子(よしたけ てるこ、1931年(昭和6年)7月27… 吉武 輝子(よしたけ てるこ、1931年(昭和6年)7月27日 - 2012年(平成24年)4月17日)は、日本の作家・評論家。反戦平和、男女平等を主なテーマとしていた。長女は看護師で随筆家の宮子あずさ。 兵庫県芦屋市生まれ。終戦翌年の14歳の時、進駐軍兵士5人に襲われる性被害を受け、2度にわたる自殺未遂を経験する。東洋英和女学院高等部卒業。1954年3月、慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。同年、東映に入社。監督志望だったが広報部に配属され、宣伝部で活躍し、1961年に日本で初めての女性宣伝プロデューサーとなる。長女出産で、意に反する庶務に配置転換させられたのを機に退職。 フリーとなった以後は、旧社会党系の政治・市民運動に取り組む。
坂本 公延(さかもと ただのぶ、1931年7月23日 - )… 坂本 公延(さかもと ただのぶ、1931年7月23日 - )は、日本の英文学者、著作家。広島大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。1955年大阪大学英文科卒業。1957年同大学院修士課程修了。 1959年大阪工業大学専任講師、1964年助教授、1965年広島大学助教授、1977年教授、1979年「ヴァージニア・ウルフ 小説の秘密」で大阪大学文学博士。1995年広島大学を定年退官、名誉教授、広島女学院大学教授。2002年退職。 2011年秋、瑞宝中綬章受勲。小説を日本語、英語で書き、短篇小説'The Spirit in the Stone'などが英国BBC海外放送で朗読された。ほか短編集『別れる理由』で中国新聞社新人登壇・文芸作品第1席。
小松 左京(こまつ さきょう、1931年〈昭和6年〉1月28… 小松 左京(こまつ さきょう、1931年〈昭和6年〉1月28日 - 2011年〈平成23年〉7月26日)は、日本の小説家。本名:小松 実(こまつ みのる)。 『易仙逃里記』(1962年)でデビューして以降、人類と文明の可能性を模索し続けた、SF小説の大家。作品に『日本アパッチ族』(1964年)、『果しなき流れの果に』(1966年)、『日本沈没』(1975年)など。 星新一・筒井康隆と共に「SF御三家」と呼ばれ、日本SF界を代表するSF作家であり、戦後の日本を代表する小説家でもあった。 1970年の日本万国博覧会でテーマ館サブ・プロデューサー、1990年の国際花と緑の博覧会の総合プロデューサーとしても知られる。
日下 公人(くさか きみんど、1930年〈昭和5年〉12月9… 日下 公人(くさか きみんど、1930年〈昭和5年〉12月9日 - )は、日本の評論家、作家。日本財団特別顧問。多摩大学名誉教授。三谷産業株式会社監査役。 兵庫県生まれ。日本長期信用銀行取締役、ソフト化経済センター理事長、東京財団会長、社会貢献支援財団会長 などを歴任。原子力安全システム研究所最高顧問会議・顧問。2001年に共同で立ち上げた市民満足学会の会長。多摩大学名誉教授。著書『新・文化産業論』でサントリー学芸賞1979年度社会・風俗部門受賞。 アメリカや中国に否定的であり、日本の国益を潰そうとする国の第一に挙げている。[要出典]また、自著で「日本は核武装をすべきだ(原子爆弾を持て)」と主張している。
妹尾 河童(せのお かっぱ、本名同じ、旧名:妹尾 肇(せのお… 妹尾 河童(せのお かっぱ、本名同じ、旧名:妹尾 肇(せのお はじめ)、1930年(昭和5年)6月23日 - )は、兵庫県神戸市生まれのグラフィックデザイナー・舞台美術家・エッセイスト・小説家。 自著『河童が覗いた』シリーズでの緻密な手書きイラストレーションでも知られている。妻はエッセイストの風間茂子。 神戸で洋服屋の長男として生まれる。 小学生の時、芥川龍之介の『三つの宝』を裕福な友人から借りたくて、その友人が冗談で出した「空中2回転が出来たら貸す」という条件を鵜呑みにして失敗、肩から落下し骨折した経験がある。本自体は友人が父親に内緒で貸し出した。近所に可愛がってくれる青年が数人いたが彼は出征、非合法活動による逮捕、召集拒否からの自殺によって居なくなる。
三山進(みやま すすむ、1929年6月22日 - 2004年… 三山進(みやま すすむ、1929年6月22日 - 2004年5月11日)は、日本の美術史学者、推理作家。仏教美術史専攻。 筆名・久能啓二(くのけいじ)で推理作家。 兵庫県神戸市生まれ。1952年東京大学文学部美学美術史学科卒、同大学院修士課程修了、1952年から1965年まで鎌倉国宝館学芸員、1965年跡見学園女子大学助教授、1971年教授、1991年青山学院大学教授、1994年退任。 また、1959年、雑誌『宝石』『週刊朝日』の共同募集に応募した『玩具の果てに』で二等賞に入選。久能恵二名義で推理小説も発表していたが、1968年に『推理ストーリー』に掲載した『死者の旅路』を最後に執筆をやめている。
三枝 和子(さえぐさ かずこ、1929年3月31日 - 20… 三枝 和子(さえぐさ かずこ、1929年3月31日 - 2003年4月24日)は、日本の小説家。 旧姓四本。夫は文芸評論家の森川達也。『葬送の朝』で注目されて以来、反リアリズム的手法を用いた実験的作品を書き続けた。日本ペンクラブ女性作家委員会初代委員長。 兵庫県神戸市出身。1948年兵庫師範学校女子部(明石分校)卒、旧制関西学院大学文学部哲学科に入学、1950年卒業、同大学院文学研究科修士課程に進学、武市健人にヘーゲルを学ぶ。1951年中退、森川(本名三枝)と結婚。中学校教師をしながら、森川らと同人雑誌『文藝人』を創刊。1963年、森川が兵庫県の実家の寺を継いだため、東京に仕事場をもち、東西往復生活が始まる。
横谷 輝(よこたに てる、1929年3月13日 - 1973… 横谷 輝(よこたに てる、1929年3月13日 - 1973年8月14日)は、日本の児童文学作家、評論家。本名・輝雄。 兵庫県美嚢郡三木町大塚(現・三木市)生まれ。1946年湊川中学校夜間部卒業、小学校教師となり、生活綴方運動に加わる。1954年「文学と教育研究はくぼくの会」に参加、日本児童文学者協会に入り評論活動を行う。1958年教師を辞して上京、協会事務局長となる。児童向け再話なども行い、1970年日本子どもの本研究会会長を務めるが、1973年胃がんのため44歳で死去した。 1975年日本児童文学者協会賞特別賞。
木谷 恭介(こたに きょうすけ、1927年11月1日 - 2… 木谷 恭介(こたに きょうすけ、1927年11月1日 - 2012年12月9日)は、日本の推理作家、放送作家。本名:西村 俊一(にしむら しゅんいち)。 大阪府生まれ、兵庫県出身。旧制甲陽中学校(現・甲陽学院中学校・高等学校)卒。 劇団「新風俗」「三木トリロー文芸部」などを経て、ルポライター。また、ラジオ番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』の台本を執筆。そのかたわら、若者向け旅行ガイドを執筆。 1977年、『俺が拾った吉野太夫』で第1回小説クラブ新人賞受賞。以後作家生活に入り、トルコ風呂などを舞台とした官能小説、あるいはトルコガイドブックなどを執筆していたが、1983年の『赤い霧の殺人行』から、旅情ミステリーに専念。
安西 篤子(あんざい あつこ、1927年8月11日 - )は… 安西 篤子(あんざい あつこ、1927年8月11日 - )は、日本の小説家。 兵庫県武庫郡須磨村(神戸市須磨区)村雨町生まれ。父は福島県出身で横浜正金銀行に勤務した安西政一郎。母は東京都の出身。妹に作家の杉本晴子がいる(本項に記述)。生後間もなく父の勤務でドイツに渡り、1933年まで在住した。ドイツ滞在中、ベルリンで群衆の歓呼に応えるアドルフ・ヒトラーを目撃する(「あの日、ヒトラーを見た私」新潮社「波」2021年5月号)。帰国後の1935年、再び父の転勤で中国へ渡り、青島高等女学校を経て1941年に帰国。1945年神奈川県立横浜第一高等女学校(現・神奈川県立横浜平沼高等学校)卒。1946年冨中暁と結婚、長女、長男を儲ける。
陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年(大正13年)2月18… 陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年(大正13年)2月18日 - 2015年(平成27年)1月21日)は、推理小説、歴史小説作家、歴史著述家。代表作に『阿片戦争』『太平天国』『秘本三国志』『小説十八史略』など。『ルバイヤート』の翻訳でも知られる。神戸市出身。本籍は台湾台北だったが、1973年に中華人民共和国の国籍を取得し、その後、1989年の天安門事件への批判を機に、1990年に日本国籍を取得している。台湾国籍同時保有。日本芸術院会員。長男は写真家の陳立人(1952年 - )。
上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月2… 上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月21日 - 1989年(平成元年)1月8日)は、昭和期の歌人・小説家・文芸評論家。内科医。専門は結核。医学博士。 兵庫県加東郡市場村字樫山(現:小野市樫山町)出身。柏原中学、第三高等学校、1948年京都帝国大学医学部卒。結核を専門とする内科医として、国立京都療養所や国立療養所東京病院に勤務。 1949年(昭和24年)に北原白秋系の歌誌「新月」に参加し、その後アララギ派に移行。1956年(昭和31年)には歌会「青の会」結成に参加。1966年(昭和41年)に大腸癌、1983年(昭和58年)に膀胱癌を患う。二度の大病を経て、晩年は生命の内面を見つめ直した著述が多くなり、西行や良寛といった仏教の死生観を追求した歌人に傾倒した。
山田 風太郎(やまだ ふうたろう、1922年1月4日 - 2… 山田 風太郎(やまだ ふうたろう、1922年1月4日 - 2001年7月28日)は、日本の小説家。本名は山田 誠也(やまだ せいや)。戦後日本を代表する娯楽小説家の一人。東京医科大学(入学時は東京医学専門学校)卒業、医学士号取得。 『南総里見八犬伝』や『水滸伝』をはじめとした古典伝奇文学に造詣が深く、それらを咀嚼・再構成して独自の視点を加えた伝奇小説、推理小説、時代小説の3分野で名を馳せる。特に奇想天外なアイデアを用いた『魔界転生』や忍法帖シリーズに代表される大衆小説で知られている。2010年(平成22年)、その名を冠した「山田風太郎賞」が創設された。 筆名は、中学生時代に3人の友人らと互いに呼び合うのに用いた雷 / 雨 / 雲 / 風という符丁、そして受験雑誌への投稿時代にペンネームとして使用した「風」に由来する。
小峰 元(こみね はじめ、1921年3月24日 - 1994… 小峰 元(こみね はじめ、1921年3月24日 - 1994年5月22日)は、日本の小説家。 1921年、兵庫県神戸市に生まれる。本名は廣岡 澄夫。姫路商業学校、大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)スペイン語科卒業後、貿易商、教員等を経て昭和18年、毎日新聞社に入社。毎日新聞社では大阪本社編集局整理部デスク、高松支局、金沢支局などを経て、大阪本社編集委員となる。新聞社時代の後輩としては作家の長井彬がいる。太平洋戦争終結(終戦)のすぐあとから短編小説を執筆する。1948年、雑誌「百面相」にて「仮面の花嫁」を発表、またこの年「百万塔の秘密」を刊行した。その後も少年向け小説を執筆する。毎日新聞社在職中、1973年に『アルキメデスは手を汚さない』で第19回江戸川乱歩賞を受賞する。
瓜生 卓造(うりゅう たくぞう、1920年(大正9年)1月6… 瓜生 卓造(うりゅう たくぞう、1920年(大正9年)1月6日 - 1982年(昭和57年)6月1日)は、日本の小説家、随筆家。兵庫県神戸市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。 息子は瓜生中(うりゅう なか)で同じく作家。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
武田 繁太郎(たけだ しげたろう、1919年(大正8年)8月… 武田 繁太郎(たけだ しげたろう、1919年(大正8年)8月20日 - 1986年(昭和61年)6月8日)は、日本の小説家。兵庫県神戸市生まれ。早稲田大学独文科卒。 早稲田大学在学中に同人誌「炬火」に参加。 芥川賞候補に4回推されるが、いずれも受賞を逸した。 1960年作の「自由ヶ丘夫人」(光文社)はベストセラーとなり、1960年8月に映画化(東宝、監督佐伯幸三。出演:新珠三千代・池部良・淡路恵子・安西郷子・加東大介・浜美枝・有島一郎・杉葉子)されて、自由が丘の高級住宅街としてのイメージアップにつながった。また全国に「〜丘」という地名が出来るきっかけともなった。この他に「芦屋夫人」(1959年)、「銀座夫人」(1962年)がある。
藤井 重夫(ふじい しげお、1916年(大正5年)2月10日… 藤井 重夫(ふじい しげお、1916年(大正5年)2月10日 - 1979年(昭和54年)1月17日)は、兵庫県生まれの作家。 兵庫県豊岡市生まれ。豊岡商業学校卒(現兵庫県立豊岡総合高等学校)。 21歳で応召し、4年間を中国大陸の戦火の中で過ごした。1941年、25歳の時に朝日新聞に入社(姫路通信局専属通信員)。第二次世界大戦中は陸軍報道班員としてフィリピンやマレーなどに派遣され、約2年間を南方の地で従軍した。戦後の1951年、大阪本社から東京本社へ転勤。雑誌編集などに携わる傍ら、執筆した「佳人」(同人誌『作家』所収)が川端康成に激賞され、芥川賞候補となる。同作が1958年に日活で映画化されたことを機に、翌年朝日新聞社を退社し、作家業に専念する。
下畑 卓(しもはた たく、1916年1月30日 - 1944… 下畑 卓(しもはた たく、1916年1月30日 - 1944年4月10日)は、日本の児童文学作家。
直井 潔(なおい きよし、1915年4月1日 - 1997年… 直井 潔(なおい きよし、1915年4月1日 - 1997年11月23日)は日本の小説家。 広島県広島市に生れ、兵庫県滝川中学卒業後は区役所に勤める。応召により中国戦線に出征して病を得、本土に送還のうえ入院する。全身が「石地蔵のように」硬直する奇病で、現地の風土病に罹患したらしい。以降身体の自由を欠き、寝たきりの生活となって、老母の看護を受けながら療養を余儀なくされる。 病床でつれづれのあまり手に取った『暗夜行路』に感激し、これを暗唱するまで読みこみ、著者志賀直哉に師事せんことを願う。文通によって志賀もその境遇に同情し、読書をはげましながらしきりと小説の執筆をすすめたが、1943年小説『清流』の原稿が手元に送られるに至ってその出来栄えを称揚し、これが直井の文壇へのデビューとなった。
野間 宏(のま ひろし、1915年(大正4年)2月23日 -… 野間 宏(のま ひろし、1915年(大正4年)2月23日 - 1991年(平成3年)1月2日)は、日本の小説家・評論家・詩人。 大学時代の左翼運動と出征経験から、戦後『暗い絵』を書いて第一次戦後派の先頭に立ち、特に『真空地帯』は大きな反響を呼んで戦後文学の記念碑的名作となった。その後は社会全体の構造をとらえる全体小説を志向し、次々と大作を発表。文学の国際交流にも尽力し、また最晩年まで社会的な発言を多く行った。部落外の出身者だが部落解放同盟中央委員となった
堀尾 青史(ほりお せいし、1914年3月22日〈大正3年〉… 堀尾 青史(ほりお せいし、1914年3月22日〈大正3年〉 - 1991年〈平成3年〉11月6日)は、日本の紙芝居作家・児童文学作家。宮沢賢治の伝記研究でも知られる。 兵庫県加古郡高砂町(現・高砂市)生まれ。1935年明治大学中退、松永健哉と出会い、紙芝居に関わる。その前年、東北大冷害の取材のために岩手県を訪れ、宮沢賢治とその前年の死去を知る。その後、賢治の実弟である宮沢清六の知遇を得て、賢治の事績について研究を始める。戦後は1948年民主紙芝居集団、1968年子どもの文化研究所に参加。また、農山漁村文化協会や全日本社会教育連合会に勤務した。 1966年、宮沢賢治の編年体伝記『年譜宮澤賢治伝』(図書新聞社)を刊行する。
青山 光二(あおやま こうじ、1913年2月23日 - 20… 青山 光二(あおやま こうじ、1913年2月23日 - 2008年10月29日)は、日本の小説家。 神戸市生まれ。第三高等学校を経て東京帝国大学文学部美術史学科卒業。在学中の1935年(22歳)、織田作之助らと同人雑誌『海風』を創刊する。 大村謙太郎の仲介により映画『東京ノ回敎徒』を制作することとなり脚本を担当、1944年6月「室町一郎」名義で脚本完成、9月末に映画完成。 戦後、『旅への誘ひ』(1948)などの私小説風連作を発表。1956年、『法の外へ』で直木賞候補。 その後、任侠ヤクザ路線に移行し、『修羅の人』で1966年再度直木賞候補、1966年(53歳)小説新潮賞を受賞。1977年、『竹生島心中』で三たび直木賞候補、及び泉鏡花文学賞・平林たい子文学賞候補。
椎名 麟三(しいな りんぞう、1911年10月1日 - 19… 椎名 麟三(しいな りんぞう、1911年10月1日 - 1973年3月28日)は、日本の小説家である。本名は大坪 昇(おおつぼ のぼる)。
森玉 美雄(もりたま よしお、1910年4月19日 - 19… 森玉 美雄(もりたま よしお、1910年4月19日 - 1943年4月8日)は、日本の小説家、詩人。兵庫県加古郡天満村(現・稲美町)出身。織田作之助が編集長格の雑誌「大阪文学」で見出された小説家。 短編小説『おふくの家出』(雑誌「大阪文学」2巻4号に発表)が第15回芥川賞推薦候補になる。活躍し始めてすぐの昭和18年4月8日に、結核のため32歳で死去。 1910年(明治43年)4月19日、大百姓の森玉柳祐の次男として生れる。母はえい。本名は作男。1911年(明治44年)に長女豊江、1916年(大正5年)に三女善枝が生れる。天満村立天満尋常小学校(現・稲美町立天満小学校)から兵庫県立小野中学校(現・兵庫県立小野高等学校)を経て、神戸高等商船学校(現・神戸大学海洋政策科学部)機関科に入学。
森 はな(もり はな、1909年(明治42年)4月16日 -… 森 はな(もり はな、1909年(明治42年)4月16日 - 1989年(平成元年)6月14日)は、兵庫県出身の児童文学作家・教育者。代表作は知的障害のある青年と地域との交流を描いた『じろはったん』。 1909年(明治42年)、兵庫県養父郡大蔵村宮田(現・朝来市和田山町)で、酒類販売業を営む父の次女として生まれた。1924年(大正13年)に大蔵尋常高等小学校高等科から兵庫県明石女子師範学校(神戸大学国際人間科学部の前身のひとつ)に進学し、1928年(昭和3年)に明石女子師範学校を卒業した後、南谷尋常小学校の教員となり、その後養父尋常小学校に転任となった。 この頃に兄の友人であり後に結婚する森種樹との文通が始まり、1932年(昭和7年)に結婚した。
三橋 一夫(みつはし かずお、1908年8月27日 - 19… 三橋 一夫(みつはし かずお、1908年8月27日 - 1995年12月14日)は、日本の作家、健康研究家。 兵庫県神戸市生まれ。本名・敏夫。父親の三橋信三は三菱倉庫に勤務で、後、同社社長、三菱本社理事などを歴任。父親の影響で武術をはじめるが、一方で文学少年でもあった。 慶應義塾大学経済学部卒。在学中にヨーロッパへの留学経験がある。1940年ごろから同人誌『三田文学』、『文芸世紀』などに創作を発表し、終戦後の1948年には林房雄の紹介で『新青年』に「腹話術師」が掲載され、商業誌にデビューした。「不思議小説」と銘打った奇妙な作風で好評を博し、同誌の常連執筆者となる。『新青年』1949年6月号から同誌休刊の1950年7月号まで、横溝正史の命名による「まぼろし部落」のタイトルで不思議小説を毎号連載した。
忽那 吉之助(くつな きちのすけ、1903年(明治36年)6… 忽那 吉之助(くつな きちのすけ、1903年(明治36年)6月8日 - 1982年(昭和57年)10月21日)は、日本の小説家、教員。梶井基次郎らと同人誌『青空』を創刊した。大学卒業後の後半生は主に中等教育の教職に就いた。就職以後の氏名は野村 吉之助。 愛媛県温泉郡浅海村(現在の松山市)に造り酒屋の6人きょうだいの末弟として生まれる。父を小学生の時に失い、母・きょうだいとともに兵庫県神戸市に転居した。忽那がのちに記したところ(『青空』掲載の「記憶」)では、家計は22歳の長兄の収入だけが頼りだったという。 兵庫県立第一神戸中学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)卒業後、京都の第三高等学校(現在の京都大学)文科乙類に入学した。
丸山 義二(まるやま よしじ、1903年2月26日 - 19… 丸山 義二(まるやま よしじ、1903年2月26日 - 1979年8月10日)は、農民作家。 兵庫県揖保郡誉田村(現・たつの市)生まれ。龍野中学校(現・兵庫県立龍野高等学校)中退。農家を営み、醤油会社勤務を経て上京、「萬朝報」の記者となる。編集長を経て昭和初年退社、日本プロレタリア作家同盟に参加し、貴司山治、伊藤永之介、鶴田知也と交わる。1938年「田植酒」で芥川賞候補。農民文学懇話会の結成に参加。また上京直後の水上勉を日本農林新聞に世話した。戦後は日本農民文学会に参加。 三男(事実上の長男)に丸山工作、その下に丸山匠がいる。
横溝 正史(よこみぞ せいし、本名:漢字同じ(よこみぞ まさ… 横溝 正史(よこみぞ せいし、本名:漢字同じ(よこみぞ まさし)、1902年〈明治35年〉5月24日 - 1981年〈昭和56年〉12月28日)は、日本の推理作家。兵庫県神戸市東川崎出身。 当初は筆名は本名読みであったが、誤読した作家仲間にヨコセイと渾名されているうちに、セイシをそのまま筆名とした。戦前にはロマン的な『鬼火』、名探偵・由利麟太郎が活躍する『真珠郎』、戦後には名探偵・金田一耕助を主人公とする『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』などの作品を著した。 姪は女優の由美かおる。 横溝は1902年(明治35年)5月24日、兵庫県神戸市東川崎(現:中央区東川崎町)に父・宜一郎(ぎいちろう)、母・波摩の次男として生まれた(三男とする説もある)。
阪本 勝(さかもと まさる、1899年(明治32年)10月1… 阪本 勝(さかもと まさる、1899年(明治32年)10月15日 - 1975年(昭和50年)3月22日)は、大正・昭和期日本の政治家、戯曲作家、美術評論家。衆議院議員(1期)、兵庫県知事(2期)を歴任。 1899年(明治32年)、兵庫県川辺郡尼崎町(現在の尼崎市)で眼科医の家に生まれる。家は尼崎藩の藩医の家柄であった。北野中学校・第二高等学校を経て1922年に東京帝国大学経済学部を卒業、学生時代は新人会(前期新人会)に属した。北野中学時代の同級生には、後に洋画家となった佐伯祐三がいた。 卒業後は福島県立福島中学校の英語教諭や大阪毎日新聞学芸部記者などを務めたが、水平社運動との関わりなどで1926年(大正15年)3月に大阪毎日新聞を辞し、1927年(昭和2年)に関西学院大学の講師となった。
十一谷 義三郎(じゅういちや ぎさぶろう、1897年10月1… 十一谷 義三郎(じゅういちや ぎさぶろう、1897年10月14日 - 1937年4月2日)は、昭和初期の小説家、翻訳家。 神戸市元町生まれ。早くに父を失い、兵庫県立第一神戸中学校を卒業後、苦学と病気を経て第三高等学校から1922年東京帝国大学英文科卒。1920年学生時代に三宅幾三郎、本田喜代治らと同人誌『行路』を創刊、東京府立第一中学校の英語教師をしながら創作を行い、1924年川端康成、横光利一らの『文藝時代』に参加。文化学院英語英文学主任。1928年『唐人お吉』が好評を得て、国民文芸賞を受賞した。知的な文体で知られ、敗残者への共感、現世放棄的傾向に特徴がある。他に代表作『静物』『仕立屋マリ子の半生』など。
野溝 七生子(のみぞ なおこ、1897年〈明治30年〉1月2… 野溝 七生子(のみぞ なおこ、1897年〈明治30年〉1月2日 - 1987年〈昭和62年〉2月12日)は、日本の小説家・比較文学者。兵庫県姫路市出身。 父の野溝甚四郎は陸軍軍人で、父の赴任先である姫路にて1897年に生まれ、鳥取・金沢・丸亀・大分などで育つ。 香川県立丸亀高等女学校、大分県立大分高等女学校を経て同志社女学校英文科専門部予科に入学。在学中、辻潤・宮島資夫と知合う。彼らは野溝をゲアハルト・ハウプトマンの『沈鐘』(泉鏡花『夜叉ヶ池』の元ネタと言われる)のラウテンデラインに因んで「ラウ」と呼んだ。卒業後、東洋大学専門学部文化学科で西洋哲学を学ぶ。
由木 康(ゆうき こう、1896年4月16日 - 1985年… 由木 康(ゆうき こう、1896年4月16日 - 1985年1月27日)は、日本の牧師、讃美歌作家。日本の讃美歌の発展の中心的な役割を果たし、賛美歌「きよしこの夜」の訳者として知られる。パスカルの研究家で「パンセ」を翻訳した。教育者・郷土史研究者足立正の次男。 鳥取県西伯郡上道村(現境港市)に足立正の次男として生まれ、生後間もなく由木虎松の養子になる。 養父虎松の宣教活動のために、鹿児島、神戸、対馬などに転居する。養父の影響を受けてクリスチャンになり、神戸二中時代に洗礼を受ける。洗礼を受けてすぐの中学3年の時、すでに最初の賛美歌を作った。1914年、死の危険に直面して献身を決意する。関西学院高等学部文科(関西学院大学文学部の前身)で聖書学と神学を専攻する。
伊藤 貴麿(いとう たかまろ、1893年9月5日 - 196… 伊藤 貴麿(いとう たかまろ、1893年9月5日 - 1967年10月30日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。 兵庫県神戸市生まれ。1920年早稲田大学英文科卒。1924年新感覚派の同人誌『文藝時代』に参加し、のち文芸春秋系の作家となる。その後児童文学界の重鎮となり、『西遊記』の再話などで知られた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
三木 露風(みき ろふう、1889年6月23日 - 1964… 三木 露風(みき ろふう、1889年6月23日 - 1964年12月29日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。国木田独歩の曾祖母が三木家出身。その縁もあり1912年『独歩詩集』を刊行した。早稲田詩社結成に加わり、『廃園』(1909年)を刊行。ほかに詩集『寂しき曙』(1910年)、『白き手の猟人』(1913年)など。 近代日本を代表する詩人・作詞家として、北原白秋と並んで「白露時代」を築いた。若き日は日本における象徴派詩人でもあった。 1889年(明治22年)6月23日、兵庫県揖西郡龍野町(現・たつの市)に父・三木節次郎、母・かたの長男として生まれた。
深尾 須磨子(ふかお すまこ、1888年〈明治21年〉11月… 深尾 須磨子(ふかお すまこ、1888年〈明治21年〉11月18日 - 1974年〈昭和49年〉3月31日)は、日本の詩人、作家、翻訳家。本名は荻野志げの(おぎの しげの)。 兵庫県氷上郡大路村(現・丹波市)の旧家の生まれ。京都師範学校中退、1907年京都菊花高等女学校卒。与謝野晶子に師事する。大正元年(1912年)詩人で技師の深尾贇之焏と結婚するが、大正9年(1920年)に死別。夫の遺稿集『天の鍵』を出版、その附録に深尾須磨子作として掲載した詩54篇と散文「最終の旅」が処女作となる。 大正14年(1925年)詩集『斑猫』を上梓すると神戸港から箱根丸で初めてフランスに渡り、シドニー=ガブリエル・コレットの知遇を得ている。
水守 亀之助(みずもり かめのすけ、1886年(明治19年)… 水守 亀之助(みずもり かめのすけ、1886年(明治19年)6月22日 - 1958年(昭和33年)12月15日)は兵庫県出身の小説家。 兵庫県若狭野村(現・相生市)生まれ。大阪の医学校を中退して1906年に上京し、1907年には田山花袋に入門。春陽堂で編集者となる。1914年、徳田秋声の紹介で中央公論社に入るも1日で退職。1919年、中村武羅夫の紹介で新潮社に入社。『新潮』編集部に入る。編集者生活の傍ら、自然主義の影響下に『末路』『帰れる父』などを発表。中村武羅夫や加藤武雄と共に新潮三羽烏と称された。1923年には文学雑誌『随筆』を主宰し、八木隆一郎を書生とする。1924年、1925年に『少女倶楽部』で連載した「涙の握手」「残月の曲」で人気を集める。
小口 みち子(おぐち みちこ、1883年2月8日 - 196… 小口 みち子(おぐち みちこ、1883年2月8日 - 1962年7月27日)は、日本の美容家、婦人運動家、小説家。出生名は寺本みち子(てらもと みちこ)、号は美留藻(みるも)。兵庫県出身。 1883年(明治16年)2月8日、兵庫県加東郡社村(加東市)出身。教育者の寺本武・ぬいの長女。旧姓は寺本。号は美留藻(みるも)。小学校卒業後、独学で教員検定試験に合格し、郷里で2年間、神戸市立神戸小学校で3年間、上京後も2年間、小学校正教員の教職に就いた。 同じ時期、平民社の社会主義婦人講演会に出席し「生まれて初めてわが魂をゆさぶる内容」に感銘し、社会主義そのものよりも女性解放に魅せられて平民社に出入りする。
上司 小剣(かみつかさ しょうけん、1874年(明治7年)1… 上司 小剣(かみつかさ しょうけん、1874年(明治7年)12月15日 - 1947年(昭和22年)9月2日)は、日本の小説家。 奈良県奈良市生まれ、兵庫県多田村(のちの川西市)育ち。本名は延貴。父が多田神社の宮司を務めていた為、小学生まで多田村で育ち、その後母の実家である大阪に預けられる。大阪の浪華文学会で活動したあと1897年上京、読売新聞社に勤め、編集局長。1914年の半生記小説『鱧の皮』が田山花袋に賞賛され、代表作となった。1937年帝国芸術院会員。戦後、新日本文学会の賛助会員となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
木村 曙(きむら あけぼの、"明治5年"3月3日("1872… 木村 曙(きむら あけぼの、"明治5年"3月3日("1872年"4月10日) - 明治23年(1890年)10月19日)は兵庫県出身の作家。本名、岡本ゑい(えい子、栄子)。 牛鍋チェーン店"いろは"の経営者木村荘平とその愛人(のち正妻)岡本政の娘として神戸市に生まれる。官立東京高等女学校(東京女子師範学校附属高等女学校/現:お茶の水女子大学附属中学校・附属高等学校)在学中、ヨーロッパで刺繍を学ぶことを望み、フランス語の学習に熱中。卒業後、文部省にフランス留学を命じられた女性から同行するよう誘われ、父荘平に留学の許可を求めたが許されず、母と共に浅草広小路の"いろは"第十支店に住み込んで帳場を担当。