藤井 基之(ふじい もとゆき、1947年3月16日 - )は… 藤井 基之(ふじい もとゆき、1947年3月16日 - )は、日本の政治家、薬剤師。 文部科学副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、参議院議員(3期)、自由民主党参議院政策審議会長などを歴任。 岡山県岡山市生まれ。現在は神奈川県在住。岡山大学教育学部附属中学校、岡山操山高等学校、東京大学薬学部卒業。1969年、厚生省(現厚生労働省)に薬系技官として入省。薬務局麻薬課長等の役職を歴任した。 2001年に退官。同年、第19回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から出馬し、初当選。2002年には例外的に夫婦の別姓を実現させる会に参加。2004年、厚生労働大臣政務官に就任。 2007年の第21回参議院議員通常選挙では、16万票余りの票を獲得するも落選。
三島 紀元(みしま のりもと、1946年〈昭和21年〉12月… 三島 紀元(みしま のりもと、1946年〈昭和21年〉12月6日 - 2021年〈令和3年〉11月30日)は、日本の政治家。元岡山県笠岡市長(1期)。 岡山県笠岡市出身。武蔵工業大学卒業。 1970年(昭和45年)4月、笠岡市役所に入庁。2004年(平成16年)5月30日、笠岡市助役に就任。2007年(平成19年)4月1日、笠岡市副市長に就任。2012年(平成24年)1月31日、同副市長退任。 2012年(平成24年)4月15日に行われた笠岡市長選挙に無所属で立候補。元市職員の柚木義和を破り初当選(三島:15,674票、柚木:14,085票)。投票率は68.69%だった。4月24日、市長に就任した。
井元 乾一郎(いもと けんいちろう、1946年6月17日 -… 井元 乾一郎(いもと けんいちろう、1946年6月17日 - )は、岡山県苫田郡鏡野町出身の地方政治家。元岡山県議会議員(5期)、元鏡野町長(2期)。 鏡野町長時代に「鏡野町総合計画」の子供を大切にの主題からキャッチフレーズに日本のペスタロッチタウン・鏡野を定めた。ペスタロッチ像を建て、ペスタロッチゆかりの町であるスイスのイヴェルドン・レ・バンからケルネン市長夫妻を招いて「ペスタロッチ祭」を開催した。1996年に、鏡野町とイヴェルドン市が、ケルネン市長夫妻ら8名、井元乾一郎夫妻ら10名、在ジュネーブ日本政府代表部から2名が出席して友好憲章を締結した。翌年、第1回友好都市交流事業を開始したほか、すべての小学6年生の児童を対象として「ペスタロッチ賞」の表彰なども実施した。
石井 正弘(いしい まさひろ、1945年11月29日 - )… 石井 正弘(いしい まさひろ、1945年11月29日 - )は、日本の政治家、建設官僚。 参議院議員(2期)、経済産業副大臣兼内閣府副大臣、参議院内閣委員長、参議院決算委員長、自由民主党政務調査会副会長、公選14・15・16・17代岡山県知事(4期)、文部科学省中央教育審議会委員(第3・4期)、自然エネルギー協議会初代会長(2011年 - 2012年)を歴任。 1945年、岡山県上道郡光政村(現・岡山市東区)に生まれる。岡山県立岡山操山高等学校、東京大学法学部を卒業。1969年に建設省に入省し、岐阜県民生部児童家庭課長、建設大臣秘書官、民間住宅課長、河川総務課長、大臣官房文書課長、建設省大臣官房審議官などを歴任。
日笠 勝之(ひかさ かつゆき、1945年7月4日 - )は、… 日笠 勝之(ひかさ かつゆき、1945年7月4日 - )は、日本の政治家。株式会社桜梅桃里取締役相談役。 郵政大臣(第58代)、参議院法務委員長、参議院議員(1期)、衆議院議員(4期)等を歴任した。 岡山県津山市生まれ。岡山県立津山高等学校卒業。慶應義塾大学商学部卒業。大学卒業後は聖教新聞社や公明党・創価学会の職員を務める。 1983年、第37回衆議院議員総選挙に旧岡山県第1区から公明党公認で出馬し、初当選を果たした。以後4期連続当選。1994年、公明党も参加した非自民連立政権の羽田内閣で郵政大臣に任命され初入閣を果たしたが、羽田内閣は日本社会党の連立離脱によりわずか64日で退陣に追い込まれた。
河野 昌弘(こうの まさひろ、1945年(昭和20年)6月2… 河野 昌弘(こうの まさひろ、1945年(昭和20年)6月28日 - )は、日本の政治家。元兵庫県西宮市長(1期)。 岡山県英田郡西粟倉村出身。兵庫県立佐用高等学校卒業。1964年(昭和39年)、西宮市に入庁。1968年(昭和43年)、関西大学法学部卒業。2003年(平成15年)、西宮市の総務局担当理事に就任。2005年(平成17年)、助役に就任。2007年(平成19年)、副市長に就任。 2010年(平成22年)4月1日、西宮市長の山田知が健康上の理由により辞職。それに伴って行われた西宮市長選挙に無所属で出馬し初当選。同年5月18日、市長に就任。 2013年(平成25年)11月28日、翌年4月投開票の市長選に再選を目指し立候補する意向を明らかにし、2014年の市長選に挑むも対立候補の今村岳司に敗れ落選。
長﨑 信行(ながさき のぶゆき、1945年〈昭和20年〉6月… 長﨑 信行(ながさき のぶゆき、1945年〈昭和20年〉6月25日 - )は、日本の政治家、岡山県備前市長(1期)。 岡山県和気郡片上町(現在の備前市)に生まれる。備前町立片上小学校、岡山市立丸之内中学校、岡山県立岡山操山高等学校を経て、東京電機大学精密機械工学科を卒業する。卒業後は長﨑鉄工所に入社し、のち、1970年に同社代表取締役、2024年に会長となる。このほか備前商工会議所会頭、一般社団法人備前観光協会会長、備前交通安全協会会長などを務めた。 2025年1月、同年4月に任期満了を迎える備前市長選挙に無所属で立候補することを表明。 2025年4月20日投票の備前市長選挙に無所属で立候補し、3回目の当選を目指した現職の吉村武司に3倍以上の得票差で破り、初当選を果たした。
安宅 敬祐(あたか けいすけ、1942年(昭和17年)1月2… 安宅 敬祐(あたか けいすけ、1942年(昭和17年)1月28日 - 2020年(令和2年)8月29日)は、日本の政治家。階は正五位。岡山県岡山市長(第29・30代)。
江田 五月(えだ さつき、1941年〈昭和16年〉5月22日… 江田 五月(えだ さつき、1941年〈昭和16年〉5月22日 - 2021年〈令和3年〉7月28日)は、日本の弁護士(登録番号:15935)、政治家、裁判官。 衆議院議員(4期)、参議院議員(4期)、科学技術庁長官(第50代)、法務大臣(第86代)、環境大臣(第16代)、参議院議長(第27代)、社会市民連合代表、社会民主連合代表、民主党参議院議員会長、民主党・民進党最高顧問などを歴任した。 父は日本社会党委員長代行を務めた元衆議院議員の江田三郎。 1941年に岡山県上道郡財田村長岡に生まれる。岡山県立岡山朝日高等学校卒業後、1960年、東京大学文科一類に入学。 東京大学教養学部自治会委員長時代、大学管理制度改革に反発し、全学ストを決行。
石垣 正夫(いしがき まさお、1941年〈昭和16年〉1月1… 石垣 正夫(いしがき まさお、1941年〈昭和16年〉1月15日 - 2016年〈平成28年〉11月9日)は、平成時代の政治家。岡山県新見市長。新見市名誉市民。 岡山県新見市出身。1959年(昭和34年)岡山県立新見農業高等学校卒業。1971年(昭和46年)旧・新見市役所に入る。建設課長などを経て、1994年(平成6年)に旧・新見市の市長に就任。3期務めた。 2005年(平成17年)市町合併後、初代の新見市長に就任。 3期目在任中の2016年(平成28年)11月9日、山林での作業中の事故による脳挫傷や外傷性脳内出血などにより、倉敷市内の病院で死去した。叙従四位、旭日中綬章追贈。 市長在任中は地域情報化の推進や子育て支援施策の充実、社会資本施設の整備等に貢献した。
荒嶋 龍一(あらしま りょういち、1938年〈昭和13年〉7… 荒嶋 龍一(あらしま りょういち、1938年〈昭和13年〉7月10日 - )は、日本の政治家、元岡山県赤磐市長(1期)。旭日双光章受章。 岡山県出身。岡山県立瀬戸高等学校卒。吉井町農業共済組合に就職後、吉井町役場に勤務し、収入役など各役職を歴任する。1998年 吉井町長に当選し、2期務める。2005年、吉井町は合併により、赤磐市が発足。合併後の赤磐市長の市長選挙に立候補し、2人を破って当選した。赤磐市長を1期務め、2009年の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、元赤磐市議の井上稔朗に敗れて落選した。
高谷 茂男(たかや しげお、1937年〈昭和12年〉1月1日… 高谷 茂男(たかや しげお、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2024年〈令和6年〉8月8日)は、日本の政治家、実業家。岡山県岡山市長(第33・34代)。 岡山県総社市出身。岡山大学法経短期大学部法経科第二部卒業。1959年、岡三證券(現:岡三証券グループ)に入社し、岡山支店に勤務する。1964年、山陽玩具(現:サンヨープレジャー)代表取締役社長に就任。その後、1995年におもちゃ王国代表取締役社長、2001年にチボリ・ジャパン(倉敷チボリ公園の運営企業)代表取締役社長に就任する。また社団法人日本青年会議所岡山ブロック協議会副会長(1977年〜)、岡山市商店会連合会副会長(1985年〜)、岡山商工会議所副会頭(1995年〜)、社団法人岡山西法人会会長(2003年〜)、社団法人岡山経済同友会常任幹事(2005年~)等の役職を歴任した。
片山 虎之助(かたやま とらのすけ、1935年〈昭和10年〉… 片山 虎之助(かたやま とらのすけ、1935年〈昭和10年〉8月2日 - 2025年〈令和7年〉12月18日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は正三位。勲等は旭日大綬章。 総務大臣(初代・第2代)、郵政大臣(第68代)、自治大臣(第57代)、総務庁長官(第26代)、参議院議員(5期)、参議院予算委員長、自由民主党参議院幹事長・参議院国会対策委員長、たちあがれ日本参議院幹事長、旧日本維新の会国会議員団政策調査会長兼参議院議員団会長、維新の党総務会長兼参議院会長、日本維新の会共同代表兼国会議員団代表兼参議院会長、日本消防協会会長、日本防火協会会長等を歴任。 日本維新の会所属の参議院議員の片山大介は次男。
立木 大夫(たちき ともお、1934年〈昭和9年〉2月21日… 立木 大夫(たちき ともお、1934年〈昭和9年〉2月21日 - 2013年〈平成25年〉7月30日)は、日本の政治家。岡山県高梁市長(2期)。位階は正六位。旭日小綬章受章。 岡山県高梁市出身。立正大学文学部卒業。高梁市役所に入り、助役などを務める。1996年の市長選挙に立候補し、初当選。2000年の市長選挙は無投票で再選する。2004年高梁市は上房郡有漢町、川上郡成羽町、川上町、備中町と合併し、新たな高梁市が発足した。合併後の市長職務執行者となり、市長選挙には立候補しなかった。2005年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2013年死去。死没日付をもって正六位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
森 暢子(もり のぶこ、1932年4月23日 - )は、日本… 森 暢子(もり のぶこ、1932年4月23日 - )は、日本の政治家、元日本社会党参議院議員(1期)。 岡山県岡山市出身。1961年岡山大学教育学部卒。中学教諭を務め、その後、岡山県教職員組合副委員長や日本社会党岡山県副委員長などを歴任する。1989年の第15回参議院議員通常選挙で岡山選挙区から日本社会党公認で立候補して当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選した。1998年の第18回参議院議員通常選挙では比例区に社会民主党から立候補したが落選した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
谷村 啓介(たにむら けいすけ、1932年1月15日 - 2… 谷村 啓介(たにむら けいすけ、1932年1月15日 - 2017年2月21日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 岡山県高梁市出身。1954年同志社大学経済学部卒。新聞記者、岡山市議会議員を経て、1967年より岡山県議会議員を6期務める。1990年の総選挙で旧岡山1区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。 2017年2月21日、多臓器不全のため、死去した。85歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
渡邊 行雄(わたなべ ゆきお、1931年〈昭和6年〉11月6… 渡邊 行雄(わたなべ ゆきお、1931年〈昭和6年〉11月6日 - 1996年〈平成8年〉4月1日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。岡山県倉敷市長。 倉敷市出身。1954年(昭和29年)同志社大学経済学部卒業。百十四銀行勤務を経て、1975年(昭和50年)以来、岡山県議会議員に4選し、1987年(昭和62年)同副議長に就任する。1991年(平成3年)倉敷市長に当選し、2期目在任中に死去した。ほか、水島ゴム工業用品社長を務めた。 市長在任中は、倉敷チボリ公園、くらしき作陽大学、倉敷芸術科学大学の誘致、下水の倍増計画に尽力した。
小枝 英勲(こえだ ひでのり、1929年〈昭和4年〉6月1日… 小枝 英勲(こえだ ひでのり、1929年〈昭和4年〉6月1日 - 2014年〈平成26年〉8月12日)は、日本の政治家。岡山県久米郡中央町長。岡山県議会議員・議長。(自由民主党)。 岡山県久米郡加美村(加美町→中央町を経て、現在の美咲町)原田に生まれる。旧制岡山県立津山中学校(現在の岡山県立津山中学校・高等学校)を経て、明治大学法学部を卒業する。卒業後は、アメリカのスタンフォード大学大学院に学び、修了する。帰国後は全国農業協同組合中央会に入り、経理課長、教育部次長などを務める。その後、帰郷し、1976年の衆議院議員総選挙に岡山1区から新自由クラブ公認で立候補したが、落選した。3年後の1979年の総選挙では無所属で立候補したが落選した。
林 保夫(はやし やすお、1928年4月2日 - 2022年… 林 保夫(はやし やすお、1928年4月2日 - 2022年8月14日)は、日本の政治家。元衆議院議員(民社党)(3期)。 岡山県総社市出身。岡山一中(現岡山県立岡山朝日高等学校)卒業、海軍兵学校中退。1947年時事通信社に入社。神戸支局長、経済解説編集長などを経て、1972年日本経済教育センター事務局長に就任、その後専務理事に就任した。1975年民社党岡山県連常任顧問執行委員長、民社党機関紙局副局長、国際局副局長を務め、1979年、第35回衆議院議員総選挙で岡山2区から初当選。通算3期務めた。1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選し、政界から引退した。後継候補は石田美栄。1998年、勲三等旭日中綬章受章。
加藤 六月(かとう むつき、1926年〈大正15年〉6月17… 加藤 六月(かとう むつき、1926年〈大正15年〉6月17日 - 2006年〈平成18年〉2月28日)は、日本の政治家。 農林水産大臣(第10・20代)、国土庁長官(第11代)、北海道開発庁長官(第45代)、衆議院議員(11期)。 岡山県笠岡市出身。陸軍士官学校を経て1947年に姫路高等学校文科乙類卒業。 姫路高卒業後は笠岡市内の中学校、高等学校の教諭を務めた。日教組活動に熱中し、1949年には岡山県教組小田郡支部書記長に就任した。また青年団運動にも取り組んでいたが、国民協同党への接触を深める中で、1950年、のちに衆議院議長となる星島二郎と知り合い、秘書として仕えた。 1967年に自由民主党公認で星島の後継者として、旧岡山2区から立候補し、初当選(以降は11回連続で当選)。
野田 哲(のだ てつ、本名の読み:のだ さとし、1926年1… 野田 哲(のだ てつ、本名の読み:のだ さとし、1926年1月10日 - 2017年10月21日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、日本社会党)。 現在の岡山県笠岡市出身。1942年岡山県立笠岡商業学校卒業。福山市役所に入り、労働組合で活動し、自治労広島県委員長、自治労中央本部組織部長、副委員長などを経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。3期務める。国会内では決算、地方行政の各委員長を歴任、党内では参議院国会対策委員長などを務めた。1992年の第16回参議院議員通常選挙に出馬せず引退した。 1996年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章。 2017年10月21日、肺癌のため広島県福山市の病院で死去、91歳。
笠岡 喬(かさおか たかし、1925年(大正14年)7月5日… 笠岡 喬(かさおか たかし、1925年(大正14年)7月5日 - 2011年(平成23年)4月4日)は、昭和期の政治家。衆議院議員(3期)。 岡山県出身。1953年(昭和28年)愛知大学法経学部経済学科を卒業した。 小学校教員を務め、その後、衆議院議員秘書となる。1955年(昭和30年)岡山県議会議員に選出され3期在任した。 1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙で岡山県地方区から自由民主党公認で出馬したが次点で落選。1969年(昭和44年)12月の第32回衆議院議員総選挙で岡山県第1区から出馬し初当選。選挙後、選挙違反で書類送検された。次の第33回総選挙でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
矢山 有作(ややま ゆうさく、1924年1月1日 -2017… 矢山 有作(ややま ゆうさく、1924年1月1日 -2017年3月27日)は、日本の政治家。元衆議院議員・参議院議員。日本社会党中央執行委員教宣局長、衆議院石炭対策特別委員長、参議院社会労働委員長を務めた。 岡山県津山市小桁に生まれる。旧制岡山県津山商業学校(現・岡山県立津山商業高等学校)を経て、1949年中央大学法学部卒業、会計検査院事務官となる。1951年に退職後、津山市議会議員を1期、岡山県議会議員を2期務めた。1962年の第6回参議院議員通常選挙に岡山県選挙区から出馬し、トップ当選。参議院社会労働委員長などを歴任し、2期務めた。その後1976年の第34回衆議院議員総選挙に黒田寿男の後継として出馬し、当選した。
福田 正彦(ふくだ まさひこ、1923年〈大正12年〉1月2… 福田 正彦(ふくだ まさひこ、1923年〈大正12年〉1月2日 - 2001年〈平成13年〉4月29日 )は、岡山県出身の政治家。新見市議会長を経て新見市長を3期務めた。 岡山県新見市にて生れる。地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学した。同期には、東芝を経て日本原子力研究所副理事長を務める天野昇や大学教授になる田井庄之助、丸善石油(現:コスモ石油)副参与と北海道の各社の関連社長を務めた古米初男がいる。1940年(昭和15年)同校を卒業した。 その後、紆余曲折を経て新見市議会議員となり、新見市議会議長を務めた後、当時の新見市長を4期務めた赤木孜一の退任に伴う、新見市長選挙で松浦宏美と塚村正二に競り勝ち、新見市長となる。
山田 徹一(やまだ てついち、1921年〈大正10年〉3月1… 山田 徹一(やまだ てついち、1921年〈大正10年〉3月12日 - 1997年〈平成9年〉2月28日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員。 岡山県岡山市で生まれる。1940年(昭和15年)関西中学校(現関西高等学校)を卒業した。会社経営を行う。 1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙に全国区から公明党公認で出馬して当選。1971年(昭和46年)6月の第9回通常選挙でも再選され、参議院議員に連続2期在任した。その間、創価学会総務、公明党中小企業局長、同統制委員長、参議院公明党議員団長、参議院懲罰委員長、公明党財務委員長、同岡山県本部長、国土開発幹線自動車道建設審議会委員などを務めた。
伏見 格之助(ふしみ かくのすけ、1919年〈大正8年〉3月… 伏見 格之助(ふしみ かくのすけ、1919年〈大正8年〉3月12日 - 2007年〈平成19年〉7月2日)は、日本の政治家、東大阪市長。日本社会党と日本共産党の推薦で革新市政を12年間担った。 岡山県岡山市出身。旧制大阪府立八尾中学校(現・府立八尾高等学校)を経て、大阪府天王寺師範学校(現・大阪教育大学)卒。大阪教職員組合委員長、日本社会党大阪府本部書記長となる。 1967年(昭和42年)4月の大阪府議会議員選挙に日本社会党から立候補(布施市選挙区)も次点。 1970年6月の東大阪市長選挙に日本社会党と日本共産党の推薦で立候補。現職の初代市長で自由民主党の辰巳佐太郎を破り初当選した。 1967年4月の東京都知事選挙で社会党・共産党推薦の美濃部亮吉が初当選するなど革新自治体ブームの最中であり、同2月に誕生 したばかりの人口50万人を抱える全国15番目の大都市 に革新市政が生まれた衝撃は大きく、翌1971年の大阪府知事選挙で黒田了一革新府政が誕生するきっかけとなった。
山田 太郎(やまだ たろう、1918年3月24日 - 200… 山田 太郎(やまだ たろう、1918年3月24日 - 2002年12月23日)は、日本の政治家、公明党の衆議院議員(6期)。岡山市出身。
山田 太郎(やまだ たろう、1918年3月24日 - 200… 山田 太郎(やまだ たろう、1918年3月24日 - 2002年12月23日)は、日本の政治家、公明党の衆議院議員(6期)。岡山市出身。 1941年、慶應義塾大学文学部を卒業。1967年の第31回衆議院議員総選挙で当時の中選挙区であった岡山県第1区で、党結成後初めての総選挙に公明党から出馬して初当選し、以降、1980年の第36回衆議院議員総選挙まで連続6回の当選を果たした。この間、1972年には政策審議会文教部会長、1981年には中央統制委員など、党内の要職を歴任した。2002年12月23日、岡山市内の病院で脳梗塞の後遺症により84歳で亡くなった。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
長野 士郎(ながの しろう、1917年10月2日 - 200… 長野 士郎(ながの しろう、1917年10月2日 - 2006年12月5日)は、日本の内務・自治官僚、政治家。 自治省選挙局長(1963年〜1966年)、行政局長(1966年〜1969年)、財政局長(1969年〜1971年)、自治事務次官(1971年~1972年)、公選8-13代岡山県知事(6期)、全国知事会会長(1995年~1996年)を歴任した。正三位勲一等旭日大綬章。 1917年、岡山県吉備郡服部村(現・岡山県総社市南溝手)に医師であった父・健次郎と母・菊野の四男として生まれる。岡山県第一岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)、第六高等学校、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1941年、高等文官試験行政科に合格する。
柴田 健治(しばた けんじ、1916年11月14日 - 19… 柴田 健治(しばた けんじ、1916年11月14日 - 1984年3月9日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。 岡山県出身。1930年、倭文村(現津山市)秀実尋常高等小学校を卒業した。1946年に日本社会党に入党した。1948年8月2日に第5代倭文村長に就任した。1951年3月31日に村長を退任した。同年に岡山県議会議員選挙に久米郡選挙区から社会党で立候補して、当選した。1967年1月1日に辞職するまで4期務めた。同年の第31回衆議院議員総選挙で岡山1区から立候補して当選し4期務めた。この間、社会党岡山県本部委員長や党農林水産部会長などを務めた。1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。
竹内 歌子(たけうち うたこ、1915年12月15日 – 没… 竹内 歌子(たけうち うたこ、1915年12月15日 – 没年不明)は日本の政治家、衆議院議員(1期)。 岡山県牛窓町(現瀬戸内市)生まれ。山陽高等女学校(のち山陽女子中学校・高等学校、現・山陽学園中学校・高等学校)卒。都新聞に入り記者となり、その後国際通信社に移る。報知新聞社監査役、1942年東京第一服装女学院長に就任。1944年に退任し、王子産業(株)取締役になる。1946年に房総産業(株)代表取締役社長になり、同年に行われた第22回衆議院議員総選挙に千葉県から新日本青年党公認で立候補して当選する。翌1947年の総選挙で埼玉1区から民主党公認で立候補して落選した。その後は再び選挙に出ることはなかった。
加藤 武德(かとう たけのり、1915年〈大正4年〉11月2… 加藤 武德(かとう たけのり、1915年〈大正4年〉11月21日 - 2000年〈平成12年〉2月9日)は、日本の政治家。位階は正三位。 岡山県知事(公選第6・7代)、自治大臣(第26代)、国家公安委員会委員長(第35代)、北海道開発庁長官(第40代)、参議院議員(5期)。剣道範士、全日本剣道連盟顧問。 弟に農林水産大臣の加藤六月、次男に自由民主党参議院議員の加藤紀文、義理の甥に自由民主党衆議院議員の加藤勝信、義理の兄に渡辺武次郎がいる。 岡山県笠岡市出身。旧制中央大学法学部を経て、内務省入省。1950年の参議院議員選挙に岡山県選挙区から自由党公認で出馬し初当選、当時の最年少参院議員だった。保守合同後、自由民主党に移り通算当選5回。
藤井 勝志(ふじい かつし、1915年4月13日 - 199… 藤井 勝志(ふじい かつし、1915年4月13日 - 1996年1月25日)は、日本の政治家。叙正三位勲一等旭日大綬章。 井原市名誉市民。労働大臣、大蔵政務次官などを務めた。 岡山県井原市出身。興譲館中学、第一高等学校を経て、東京帝国大学(現在の東京大学)法学部卒業。東大法学部では、矢部貞治に師事。帝国石油に就職したが短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。第101燃料廠に配属されバリックパダンに赴任。同廠スラバヤ出張所主任を経て、1943年11月、海軍主計大尉に昇進し同廠会計部員に就任。1944年9月、海軍省軍務局御用掛兼軍需省軍需官となり終戦を迎えた。
松本 一(まつもと はじめ、1915年(大正4年)1月2日 … 松本 一(まつもと はじめ、1915年(大正4年)1月2日 - 1998年(平成10年)1月16日)は、日本の政治家。第27・28代岡山市長。岡山県岡山市出身。 岡山市に生まれる。1933年岡山県第二中学校(現在の岡山県立岡山操山中学校・高等学校)卒業。1944年勲六等瑞宝章を受章。1947年上道郡幡多村助役。1951年同村長。1954年幡多村は岡山市に編入。翌1955年岡山市議会議員に当選。以後、市議を6期務め、副議長、議長に就任。1975年第40代全国市議会議長会会長、就実学園理事長に就任する。1977年紺綬褒章を受章。 1983年5月市長選にて初当選し、第27代岡山市長に就任。日本下水道協会会長 岡山市体育協会会長を務める。
木村 睦男(きむら むつお、1913年〈大正2年〉7月29日… 木村 睦男(きむら むつお、1913年〈大正2年〉7月29日 - 2001年〈平成13年〉12月7日)は日本の政治家、運輸官僚。位階は正三位。参議院議員、参議院議長、運輸大臣を歴任。 岡山県阿哲郡千屋村(現・新見市千屋)出身。東京帝国大学法学部卒業。 田中派に属し、ロッキード事件では公判に証人として立ち田中角栄を擁護した。1987年7月4日、竹下登、金丸信らによる新派閥「経世会」が結成され、田中派が竹下派、二階堂グループ、中立系の3派に分裂した際は二階堂グループにはついていかず、中立系に属した。 自民党系の改憲団体で、「自主憲法期成議員同盟」(現・「新憲法制定議員同盟」)の関連団体である「自主憲法制定国民会議」(現・「新しい憲法をつくる国民会議」)会長をつとめ、憲法改正私案を発表するなど改憲論者であった。
舩橋 求己(ふなはし もとき、1911年(明治44年)8月1… 舩橋 求己(ふなはし もとき、1911年(明治44年)8月14日 - 1984年(昭和59年)2月4日)は、日本の政治家。3期10年にわたり京都市長を務める。全国革新市長会副会長。 岡山県岡山市出身。旧制第二岡山中学校(現;岡山県立岡山操山中学校・高等学校)、1934年京都帝国大学経済学部を卒業後、京都市役所に入庁。研修時代には交通局に所属し、市電の運転も行った。その後は住宅局、民生局、水道局(現:上下水道局)の各局長などを経て、1967年助役に就任。1971年の京都市長選に日本社会党と日本共産党の推薦を得て出馬し、前民社党代議士の永末英一らを破り初当選を果たす。 当選時は、同じく革新系の京都府知事蜷川虎三も「府市協調を歓迎する」と発言したものの、1975年の市長選では社会党の妨害によりこれまでの社共共闘が崩壊。
安井 謙(やすい けん、1911年3月22日 - 1986年… 安井 謙(やすい けん、1911年3月22日 - 1986年3月10日)は、日本の政治家。位階は従二位勲一等、勲章は旭日桐花大綬章。 参議院議長(第13代)、参議院副議長(第11代)、自治大臣(第4代)、国家公安委員会委員長(第13代)、総理府総務長官(第14代)、参議院議院運営委員長(第16代)、自由民主党参院議員会長(第10代)同参議院幹事長、参議院議員(6期)。 兄は公選初代東京都知事を務めた安井誠一郎。弟は雪印食品副社長の安井三郎。 岡山県岡山市出身。旧制岡山第二中学校、旧制第六高等学校文科乙類、1935年、京都帝国大学経済学部卒業。京都帝国大学在学中は学生運動に参加し、左翼思想に傾倒していたため周囲から「マルクス坊や」と呼ばれていた。
肥田 次郎(ひだ じろう、1906年(明治39年)9月28日… 肥田 次郎(ひだ じろう、1906年(明治39年)9月28日 - 1974年(昭和49年)5月10日)は、大正から昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。岡山県高梁市出身。 1906年(明治39年)岡山県川上郡成羽町(現:高梁市)で貧しい小作農家に生れる。地元の吹屋小学校を卒業後、八百屋、呉服屋、食堂などで働き大阪市へ移住する。 1921年(大正10年)ころ初めてメーデーに参加。1922年(大正11年)南海鉄道(後の南海電気鉄道)に電気工夫として入社。電気労働組合に加入。独学でアナキズムを学んだ。1923年(大正12年)大阪英語学校初等科で学び、徴兵され陸軍伍長で除隊。南海鉄道技師となる。 戦後、南海電鉄労働組合執行委員長、日本私鉄労働組合関西地方連合会執行委員長、大阪地方交通運輸労働組合協議会議長、大阪府地方労働委員、同あっせん委員などを務めた。
苅田アサノ(かんだ あさの、本名:堀江アサノ(ほりえアサノ)… 苅田アサノ(かんだ あさの、本名:堀江アサノ(ほりえアサノ)、1905年6月21日 - 1973年8月5日)は、日本の政治家、婦人運動家、著述家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)。夫は元日ソ協会副会長の堀江邑一。 岡山県津山町(現・津山市)生まれ。生家は代々地主の家系で、学生時代からロシア文学及び社会主義思想に傾倒し、日本女子大学国文科を卒業後の1931年、日本共産党に入る。入党以降財政面で支援を行うものの、1933年に治安維持法の疑いで検挙。転向の後1935年に出獄すると東洋経済新報社などを経て、1938年には郷里の岡山県に戻り西日本製紙に勤務する。 戦後は日本共産党に再入党し、1949年の衆院選に旧岡山1区から出馬し初当選を果たす。
山崎 始男(やまさき もとお、1904年(明治37年)3月1… 山崎 始男(やまさき もとお、1904年(明治37年)3月18日 - 1983年(昭和58年)10月9日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 岡山県吉備郡総社町(現総社市)で、米穀問屋・山崎重の長男として生まれる。岡山中学校(現岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、1931年(昭和6年)慶應義塾大学政治学科を卒業した。名古屋市において製陶会社で勤務したり木材関係貿易に従事した。1944年(昭和19年)に帰郷し会社経営を行う。 1948年(昭和23年)初の公選制による岡山県教育委員に選出され、1949年(昭和24年)副委員長に就任。1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙で岡山県第2区から出馬して初当選。
大山 茂樹(おおやま しげき、1903年(明治36年)6月1… 大山 茂樹(おおやま しげき、1903年(明治36年)6月10日 - 1995年(平成7年)4月5日)は、日本の政治家。岡山県倉敷市長。位階は従四位。 岡山県出身。大山俊吉の長男。1921年、倉敷商業学校(現・岡山県立倉敷商業高等学校)卒業。翌年、田村商会に就職、同社東京支店長代理などを経て、1948年に日本野草莚加工(株)を創立、1950年に岡山県輸出花莚野草莚協同組合を創立し、理事長となる。同年、岡山県議会議員に初当選。以後、5期連続務める。1964年、倉敷市長に初当選。1967年に倉敷市は児島市、玉島市と合併、新倉敷市の市長選挙に立候補し、当選した。市長は1979年まで務め、この間、全国市長会副会長などを務めた。
三木 行治(みき ゆきはる、1903年 <明治36年> 5月… 三木 行治(みき ゆきはる、1903年 <明治36年> 5月1日 - 1964年 <昭和39年> 9月21日)は、日本の医師、政治家。岡山県知事。位階は正三位。勲二等瑞宝章。水島臨海工業地帯の誘致など岡山県の発展に貢献したことが認められ、日本人で初めてマグサイサイ賞を受賞した。 マグサイサイ賞の受賞金は郷土の発展に役立てたいとの考えから副賞1万米ドル全額が県に寄付され、この受賞金と県民からの寄附金を中心に岡山県三木記念事業基金が1965年に設置された。 また岡山県下にアイバンクを設置して自ら第1号の登録者となったことから、二人の女性に三木の角膜が移植された。 亡くなった時、私財は着ていた服と眼鏡だけだったといわれる。
森谷 新一(もりたに しんいち、1903年(明治36年)3月… 森谷 新一(もりたに しんいち、1903年(明治36年)3月31日 - 1978年(昭和53年)12月19日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、岡山県和気郡日生町長。旧姓・森下。 岡山県和気郡日生村(日生町を経て現備前市)で、森下元治の長男として生まれ、5歳で母方の森谷虎吉の養子となる。閑谷中学校(現岡山県立和気閑谷高等学校)を経て、1927年(昭和2年)早稲田大学電気科を卒業した。 朝鮮に渡り全羅南道宝城郡筏橋面で、筏橋電気常務取締役兼主任技師として電灯開発を担当した。1930年(昭和5年)ころに帰郷して製綿業、耐火煉瓦工場を営み、児島窯業社長、日生造船造機社長、日生土地取締役、中日生土地取締役、日生町商工会長などを務めた。
板野 勝次(いたの かつじ、旧姓:森本、1903年1月26日… 板野 勝次(いたの かつじ、旧姓:森本、1903年1月26日 - 1985年12月30日)は、日本の政治家、労働運動家。参議院議員(日本共産党公認、1期)、清涼飲料協同組合理事長。 岡山県岡山市紺屋町で古物商を営む森本岩助、寿子夫妻の次男として生まれる。3歳の時に広島に住む寿子の兄・板野安次郎の養子に出され板野姓を名乗る。岡山県立商業学校(現・岡山県立岡山東商業高等学校)在学中から社会主義に目覚め、商業学校卒業後の1920年12月、堺利彦や山川均、大杉栄らが率いる日本社会主義同盟に加入する。 同盟は程なくして解散に追い込まれるが、在籍中は山川からマルクスの『共産党宣言』についての講義を聞き、労働組合の必要性を悟った板野は、1922年12月に県下初の本格的な労働組合・岡山労働組合を発足させる。
前田 岩一(まえだ がんいち、1902年〈明治35年〉1月2… 前田 岩一(まえだ がんいち、1902年〈明治35年〉1月21日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。菊水旅館代表取締役。米子市議会議員。米子市観光協会会長。皆生温泉旅館組合組合長。 岡山県真庭郡(現・真庭市)出身。尋常小学校、高等小学校を卒業する。1918年(大正7年)、鳥取県米子市にて諸業に従事する。1937年(昭和12年)、菊水旅館を設立する。1949年(昭和24年)、有限に改組する。 米子市観光協会会長、皆生温泉旅館組合組合長、鳥取県観光連盟副会長、鳥取県旅館組合連合会副理事長、鳥取県中小企業団体中央会理事、鳥取県中小企業振興対策審議会委員、鳥取県労務対策協議会理事、米子労働基準協会理事・協会会長などをつとめる。
近藤 鶴代(こんどう つるよ、1901年(明治34年)11月… 近藤 鶴代(こんどう つるよ、1901年(明治34年)11月16日 - 1970年(昭和45年)8月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)。日本初の女性国会議員となった39人のうちの一人であり、2人目の女性閣僚となった。 岡山県新見市に生まれる。1924年日本女子大学校家政科を卒業後、山陽高等女学校(現山陽学園高等学校)、岡山県第一岡山高等女学校(現岡山県立岡山操山高等学校)等で教諭を務める。家事や作法を教えていた。 戦後の1946年、日本進歩党衆議院議員の長兄小谷節夫が公職追放となり、兄の代わりとして、無所属で衆議院議員選挙に岡山全県区(当時)から立候補し当選、日本初の女性代議士の一人となった。
亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1… 亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1979年3月25日)は、日本の内務及び厚生官僚、政治家。福島県知事(官選第40代)、衆議院議員(6期)。 岡山県出身。内務官僚亀山理平太、佐登夫妻の長男として生まれる。台北一中、岡山一中、第一高等学校を経て、1924年4月に東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年5月、内務省に入り内務属として衛生局に配属された。 1925年10月、地方警視・岐阜県警察部付となり、山口県警察部特高課長、防疫官兼内務事務官・衛生局付、内務書記官・衛生局医務課長、計画局防空課長、愛知県書記官・警察部長、兵庫県書記官・総務部長、企画院第三部長などを歴任。
藤原 道子(ふじわら みちこ、1900年5月26日 - 19… 藤原 道子(ふじわら みちこ、1900年5月26日 - 1983年4月26日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)、参議院議員(4期)。衆議院議員時代は、山崎 道子(やまざき みちこ)で活動した。 1900年5月26日、岡山県児島郡(旧宇野町、現玉野市)出身。幼少期に生家が没落したため小学校を5年で中退して印刷女工などをしながら後に上京、1915年看護婦試験に合格。賀川豊彦の影響を受けてクリスチャンとなる。派出看護婦、巡回産婆も経験し1925年日本労農党の山崎釼二と結婚、夫婦で貧困と戦いながら農民運動に勤しんだ。1946年の総選挙で静岡県(大選挙区の全県1区)から日本社会党より「山崎道子」として立候補して初当選。
田中 弘道(たなか ひろみち、1897年9月21日 - 19… 田中 弘道(たなか ひろみち、1897年9月21日 - 1975年11月3日)は、岡山県岡山市小畑町出身の政治家。 1897年9月21日、岡山市小畑町に生まれる。大西姓を名乗っていたが、後に田中姓となる。1918年、旧制関西中学校(現・関西高等学校)を卒業する。 1934年、岡山市会議員に当選する。その後、市会議長を務め、1939年、岡山県会議員となる。 1947年、公選による初代岡山市長に就任し、1951年まで1期務める。 退任後の1952年、播備商事を設立し、会社経営に尽力した。 活躍が評価され、勲五等双光旭日章が授与された。 1975年11月3日死去。享年79。
井上 義夫(いのうえ よしお、1896年〈明治29年〉9月3… 井上 義夫(いのうえ よしお、1896年〈明治29年〉9月3日 - 1956年〈昭和31年〉6月7日)は、日本の政治家、岡山県津山市長(1期)。 岡山県東南条郡林田村(のち苫田郡林田村→津山東町、現・津山市)生まれ。旧制岡山県立津山中学校(現・岡山県立津山中学校・高等学校)卒。林田村役場に入り、収入役となり、1923年の津山東町発足後は、同町助役となる。1929年、合併により、津山市役所勤務。同市収入役、助役を経て、1955年、津山市長に当選。 市長に就任した年は岡山県は農業県から工業県への転換や町村行財政近代化による町村合併(昭和の大合併)の推進など激しい変動期に当たった。これらは国内市場の拡大や後進地域の経済振興といった高度経済成長政策に見合うものだった。