林田 彪(はやしだ たけし、1944年4月4日 - )は、日… 林田 彪(はやしだ たけし、1944年4月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(5期)。 熊本県玉名郡長洲町生まれ。長洲町立長洲中学校、熊本県立玉名高等学校を経て、東京農工大学農学部林学科卒業。1967年に建設省入省。1995年10月16日、建設大学校副校長を最後に依願退官[要出典]。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に熊本2区から立候補したが、新進党の現職野田毅に敗北し落選。1999年6月、東家嘉幸が体調不良が原因で任期途中で辞職し、本来の比例九州ブロック次点であった渡瀬憲明が1998年11月に死去しており、次々点の宮島大典は一旦当選人として告示を受けたが、既に1998年2月の衆議院長崎4区補欠選挙で当選しており、規定期間内に同職を辞職せず当選権利が喪失となったことから、さらなる次順位の林田が当選人の告示を受け、同年7月6日付で繰上当選となった。
但馬 久美(たじま くみ、本名:林 久美子 <はやし … 但馬 久美(たじま くみ、本名:林 久美子 <はやし くみこ>、1944年1月12日 - )は 日本のタレントで宝塚歌劇団卒業生(元花組・星組・専科男役)、元参議院議員。
宮本 勝彬(みやもと かつあき、1943年12月13日 - … 宮本 勝彬(みやもと かつあき、1943年12月13日 - )は、日本の政治家、教諭。元熊本県水俣市長(2期)。 熊本県熊本市出身。東洋大学文学部卒業。1967年(昭和42年)、中学校教諭として水俣市に赴任。小中学校の教諭、小中学校長を経て、2001年(平成13年)4月、市教育委員会教育長に就任した。 2003年(平成15年)、東亜道路工業の子会社のIWD東亜熊本が、市内山間部(同市長崎、同市湯出)に産業廃棄物処理施設建設を計画。同年5月11日に地元説明会を開催すると、これを契機として2004年(平成16年)6月、産廃反対の市民団体「水俣の命と水を守る市民の会」(以下、水の会)が発足。水の会は約2万人分の署名を集めて,反対運動を展開した。
中島 隆利(なかしま たかとし、1943年(昭和18年)6月… 中島 隆利(なかしま たかとし、1943年(昭和18年)6月22日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、旧八代市長(1期)、熊本県議会議員(4期)、八代市議会議員(2期)を歴任した。
園田 博之(そのだ ひろゆき、1942年〈昭和17年〉2月1… 園田 博之(そのだ ひろゆき、1942年〈昭和17年〉2月19日 - 2018年〈平成30年〉11月11日)は、日本の政治家。位階は従三位。 内閣官房副長官(村山内閣・村山改造内閣)、厚生政務次官(宮澤内閣)、衆議院法務委員長、衆議院議員(11期)、太陽の党党首、次世代の党顧問、日本維新の会副幹事長、たちあがれ日本幹事長、自由民主党幹事長代理、同政務調査会長代理、新党さきがけ幹事長、同副代表兼総務会長兼党務幹事、同代表幹事などを歴任。 父は内閣官房長官、外務大臣、厚生大臣を務めた園田直、甥はアニメ監督の山崎理。 熊本県天草郡河浦町(現:天草市)生まれ。習志野市立習志野高等学校(野球部1期生)、日本大学経済学部卒業。
三角 保之(みすみ やすゆき、1940年(昭和15年)10月… 三角 保之(みすみ やすゆき、1940年(昭和15年)10月23日 - 2021年(令和3年)7月8日)は、日本の政治家。熊本市長(2期)。 熊本県体育協会顧問、熊本県障害者スポーツ・文化協会会長、濟々黌上塚周平顕彰会会長、熊本県柔道整復師連盟顧問、芝浦工業大学校友会熊本支部長、九州・トルコ協会会長、熊本城顕彰会会長、熊本県神社庁総代会副会長を務めた。
春田 重昭(はるた しげあき、1940年8月25日 - )は… 春田 重昭(はるた しげあき、1940年8月25日 - )は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(6期)。 熊本県熊本市出身。1960年熊本県立熊本工業高等学校卒業。同年神戸電機入社。1967年から守口市議会議員、1975年に大阪府議会議員となり、翌1976年の第34回衆議院議員総選挙で旧大阪7区から立候補して初当選。6期務めた。1993年に引退した。
本田 良一(ほんだ りょういち、1940年4月24日 - 2… 本田 良一(ほんだ りょういち、1940年4月24日 - 2022年7月22日)は、日本の政治家。位階は正五位。 参議院議員(1期)、参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員長、熊本県議会議員(3期)、熊本市議会議員(2期)などを歴任。 尚、現職の阿蘇市派出畳店出の本田雄三議員とは関係ない 熊本県玉名郡南関町出身。熊本県立南関高等学校を経て、北九州市立大学外国語学部中国語学科卒業。 1964年、日本電信電話公社九州電気通信局に入社する。 1979年、熊本市議会議員に初当選し、2期務める。 1987年、熊本県議会議員初当選。3期目の満了まで6か月を残した1998年の第18回参議院議員通常選挙に旧民主党公認で熊本県選挙区から立候補。
魚住 汎英(うおずみ ひろひで、1940年〈昭和15年〉2月… 魚住 汎英(うおずみ ひろひで、1940年〈昭和15年〉2月11日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(2期)、防衛政務次官、熊本県議会議員(3期)、菊池市議会議員(4期)を歴任。父は元熊本県議会議員の魚住一海。 熊本県立熊本高等学校・成城大学経済学部・東京農業大学(通信)畜産学科卒業。菊池市議会議員、熊本県議会議員を経て1986年の第38回衆議院議員総選挙にて初当選。自由民主党所属。 1993年の第40回衆議院議員総選挙において自民党を離党した新生党議員で唯一の前職落選者。 2007年の、第21回参議院議員通常選挙に、郵政民営化法案に反対したことを理由に公認が得られず、無所属で熊本県選挙区から立候補することを模索も断念し、引退。
篠崎 鉄男(しのざき てつお、1939年 - )は、日本の政… 篠崎 鉄男(しのざき てつお、1939年 - )は、日本の政治家。前熊本県宇城市長(1期)。元熊本県議会議員。元三角町議。成城大学卒業。
島津 勇典(しまづ ゆうてん、1938年(昭和13年)6月2… 島津 勇典(しまづ ゆうてん、1938年(昭和13年)6月26日 - )は、日本の政治家。元玉名市長(1期)、元熊本県議会議員(6期)、元熊本県議会議長。 熊本県出身。熊本県立玉名高等学校を経て、1967年(昭和42年)3月、中央大学法学部法律学科卒業。高田浩運参議院議員秘書を経て、1983年(昭和58年)4月、熊本県議会議員選挙に初当選。1999年(平成11年)11月、第71代同県議会議長に就任。2000年(平成12年)12月、12代自由民主党熊本県連幹事長に就任。 2005年(平成17年)10月3日、旧玉名市・岱明町・横島町・天水町の1市3町は対等合併し、新市制による玉名市が誕生する。これに伴って11月13日に行われた市長選挙に自由民主党の推薦を受けて出馬。
木村 仁(きむら ひとし、1934年6月24日 - 2023… 木村 仁(きむら ひとし、1934年6月24日 - 2023年11月15日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は従三位。 消防庁長官(第17代)、自治大学校長、参議院議員(2期)、防災情報機構顧問などを歴任。 熊本県出身。熊本市立白川中学校、熊本県立熊本高等学校卒業。 1958年、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。地方自治庁入省。大阪府総務部地方課。 1961年、大阪府総務部庶務課兼総務部地方課。その後、福島県地方課長、奈良県総務部長で勤務。 1979年4月1日、自治省行政局振興課長。1982年4月1日 - 自治省行政局公務員部公務員第一課長。1983年11月15日 - 自治省行政局行政課長。
川本 輝夫(かわもと てるお、1931年8月1日 - 199… 川本 輝夫(かわもと てるお、1931年8月1日 - 1999年2月18日)は、日本の市民活動家、政治家。水俣病の患者の運動体『チッソ水俣病患者連盟』の委員長、水俣市議会議員(3期)を務めた。 熊本県葦北郡水俣町(現・水俣市)出身。父・川本嘉藤太は、水俣市に工場がある新日本窒素肥料株式会社(1965年に「チッソ」と改名)に勤めていた。 川本は、家庭の事情により熊本県立水俣高等学校を2年で中退した。漁業作業員、建設作業員、チッソ臨時工員などの職業を経験した後に病院勤務する。寝たきりの父を介護しつつ、准看護士資格を取得した。 1955年、水俣病を発症。1961年より父が発病して寝たきりとなり、1965年4月に急性劇症でもだえ死ぬのを看取った。
吉井 正澄(よしい まさずみ、1931年7月10日 - 20… 吉井 正澄(よしい まさずみ、1931年7月10日 - 2024年5月31日)は、日本の政治家。熊本県水俣市長(2期)、水俣市議会議員(5期)などを歴任した。 熊本県葦北郡久木野村(現水俣市)生まれ。1950年3月、熊本県立芦北農林高等学校卒業、農林業自営。 1975年4月、水俣市議会議員に初当選、連続5期務めた。この間、市議会議長を2期務めた。また、自民党水俣市支部長を務めた。1985年、全国市議会議長会公害対策特別委員会委員長。 1994年、水俣市長選挙に自民党の推薦を受けて立候補。健康上の理由により出馬を断念した岡田稔久市長の後継候補である助役の小松聰明、水俣商工会議所会頭の原一夫を破り初当選した。
八浪 知行(やつなみ ちこう、1930年7月28日 - )は… 八浪 知行(やつなみ ちこう、1930年7月28日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手、高校野球指導者、政治家。ポジションは外野手。
三浦 八水 (みうら はっすい、1930年1月23日 - 1… 三浦 八水 (みうら はっすい、1930年1月23日 - 1996年10月22日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 現在の熊本県山鹿市出身。熊本県立中学済々黌卒業。 1950年、熊本家庭裁判所委託少年補導所「愛隣園」創設。熊本県議会議員3期を経て1979年、三善信二の死去に伴う第11回参議院議員通常選挙熊本県選挙区補欠選挙で初当選。1982年、参議院農林水産委員会委員。 この他、熊本県果実連を創設して同会長を務めた。 1996年、農協運動への功績を讃えて農協人文化賞受賞。同年10月22日、慢性腎不全のため熊本県熊本市の済生会熊本病院で死去、66歳。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、正五位に叙される。
西村 武典(にしむら たけのり、1928年(昭和3年)11月… 西村 武典(にしむら たけのり、1928年(昭和3年)11月10日 - 2012年(平成24年)2月11日)は、日本の政治家。熊本県牛深市長(8期)、牛深市議会議員(3期)。 熊本県出身。1946年、熊本県立熊本商工学校(現・熊本県立熊本商業高等学校)卒。家業の酒屋を継ぎ、牛深市議を3期務める。1973年、牛深市長に初当選。市長を3期務めたが、3期目途中の1980年に辞職。1984年に市長に復帰、天草市に合併する前の2006年までに5期務めた。2012年2月に死去した。
福島 譲二(ふくしま じょうじ、1927年3月31日 - 2… 福島 譲二(ふくしま じょうじ、1927年3月31日 - 2000年2月25日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(6期)、熊本県知事を務めた。熊本県出身。
田尻 靖幹(たじり やすもと、1926年(大正15年)3月2… 田尻 靖幹(たじり やすもと、1926年(大正15年)3月27日 - 2013年(平成25年)5月1日)は、日本の政治家。熊本市長(2期)。位階は正六位。勲四等旭日小綬章。 熊本県熊本市出身。1950年早稲田大学専門部卒。1954年熊本市役所に入り、観光、総務の各部長、経済、総務の各局長を経て、1980年助役に就任。1984年まで務めた後、1986年の熊本市長選に立候補して当選し、2期8年務めた。在任中は全国に先駆けて環境基本条例を制定、1991年には近隣の旧飽託郡4町合併などを行った。1994年に市長を引退。1999年春の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。2013年死去。死没日付をもって正六位を追贈された。
馬場 昇(ばば のぼる、1925年11月26日 - 2015… 馬場 昇(ばば のぼる、1925年11月26日 - 2015年6月15日)は、日本の政治家。衆議院議員、日本社会党書記長を歴任。 熊本県葦北郡湯浦町(現在の芦北町)に生まれる。熊本高等工業学校(現・熊本大学工学部)卒業。1947年、教職に就き、教員組合・教職員組合に加入。1951年頃より専従職員。1952年には熊本県高教組初代副委員長。1953年には日教組中央執行副委員長。1961年には熊本県総評副議長、1967年には同・議長。 1972年12月、第33回衆院選で旧熊本2区において日本社会党から出馬し初当選。 1980年6月には当選3回以下の議員を中心に53名で中間左派の党内派閥日本社会党新生研究会を結成し、当時当選4回の馬場は代表委員に就任。
渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 19… 渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 1998年8月1日)は、日本の政治家。衆議院議員。熊本県八代市出身。旧制八代中学、明治大学法学部卒業。 坂田道太の秘書を経て政界入り。1990年、第39回衆議院議員総選挙に坂田の後継者として旧熊本2区から自由民主党公認で立候補し、初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・藤井裕久・鈴木俊一・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・簗瀬進など)。2期務め、河本派に所属した。この間、防衛政務次官、衆議院文教委員会理事、衆議院安全保障委員会委員、衆議院厚生委員会委員、石炭対策特別委員会委員などの要職を歴任。
福田 幸弘(ふくだ ゆきひろ、1924年12月3日 - 19… 福田 幸弘(ふくだ ゆきひろ、1924年12月3日 - 1988年12月23日)は、日本の政治家。大蔵官僚。参議院議員(1期)。位階は正四位。勲等は勲二等。 著書に『カナダ経済の旅』、『連合艦隊 - サイパン・レイテ海戦記』があり、後者は秦郁彦から「第一級の史書」という評価を受けた。 映画ファンで、大蔵省の広報誌『ファイナンス』で映画評を連載したり、日本文藝家協会会員でもあった。
守住 有信(もりずみ ゆうしん、1924年8月11日 - 1… 守住 有信(もりずみ ゆうしん、1924年8月11日 - 1999年11月14日)は、日本の政治家。参議院議員。熊本県熊本市出身。
久々山 義人(くぐやま よしと、1924年(大正13年)2月… 久々山 義人(くぐやま よしと、1924年(大正13年)2月9日 - 2013年(平成25年)10月11日)は、日本の政治家。熊本県本渡市(現・天草市)長。 熊本県天草郡櫨宇土村出身。1944年、海軍経理学校卒。1952年、櫨宇土村教育委員となり、1954年に合併で本渡市になるまで務める。1957年、本渡市議会議員に当選。7期連続で務め、議長も務めた。1984年、本渡市長に当選、市長を4期務める。2000年に市長を退任した。2013年死去。
沢田 一精(澤田 一精、さわだ いっせい、1921年10月6… 沢田 一精(澤田 一精、さわだ いっせい、1921年10月6日 - 2016年3月4日)は、日本の政治家。熊本県知事(公選第7 - 9代)、参議院議員(4期)。 熊本県下益城郡小川町(後の宇城市)出身。熊本中学校(後の熊本県立熊本高等学校)、旧制第七高校を経て京都大学を卒業し、経済企画庁に入庁。熊本県の総務部長や副知事を務めた後、松野鶴平の死去を受けた1962年の第6回参議院議員通常選挙に熊本県選挙区から自民党公認で立候補し、初当選。再選後の1968年には大蔵政務次官に就任した。 その後、前任の寺本広作に代わり自民党の公認を得て1971年から熊本県知事に転身し、水俣病の患者認定問題などに取り組んだほか、熊本県民テレビの開局にも尽力した。
三善 信二(みよし しんじ、1921年(大正10年)1月30… 三善 信二(みよし しんじ、1921年(大正10年)1月30日 - 1979年(昭和54年)3月7日)は、日本の官僚、政治家。参議院議員(1期)。衆議院議員三善信房の次男。兄はリコー会長を務めた三善信一。
荒木 修(あらき おさむ、1920年(大正9年)1月2日 -… 荒木 修(あらき おさむ、1920年(大正9年)1月2日 - 2002年(平成14年)12月13日)は、昭和から平成時代の政治家。教育者。熊本県菊池市長。 菊池市出身。1944年(昭和19年)京都帝国大学法学部卒業。 1945年(昭和20年)9月、隈府女子技芸学校(隈府女子専門学校を経て現菊池女子高等学校)校長代理に就任。1963年(昭和38年)7月、学校法人菊池女子学園、菊池女子高等学校を設立し、理事長兼校長に就任した。ほか、熊本県私立学校審議会長を歴任した。 1989年(平成元年)菊池市長に当選し、1期務めた。
園田 清充(そのだ きよみつ、1919年10月6日 - 19… 園田 清充(そのだ きよみつ、1919年10月6日 - 1985年9月7日)は、日本の政治家。位階勲等は従三位勲一等、勲章は瑞宝章。国土庁長官(第8代)、参議院議員(4期)を歴任した。 1919年(大正8年)10月6日、熊本県下益城郡豊野村(現宇城市)にて旧家の長男として出生。1936年(昭和11年)法政大学入学、1940年(昭和15年)に徴兵。 復員後1947年(昭和22年)豊野村農業協同組合長を経て、熊本県議会議員に初当選、熊本県議会議員(4期)18年間県議会に在職。熊本県連幹事長、熊本県議会議長を歴任後、北口龍徳の死去に伴う第6回参議院議員通常選挙熊本地方区補欠選挙で初当選。 農林水産委員会に11年10か月在籍、1970年(昭和45年)2月から1971年(昭和46年)1月にかけて農林水産委員長を務める。
松野 頼三(まつの らいぞう、1917年(大正6年)2月12… 松野 頼三(まつの らいぞう、1917年(大正6年)2月12日 - 2006年(平成18年)5月10日)は、日本の政治家。軍人時代の最終階級は海軍主計少佐。位階は正三位。勲等は旭日大綬章。総理府総務長官、労働大臣、防衛庁長官、農林大臣を歴任した。長男に松野頼久(政治家)、孫娘に松野未佳(2016年ミス日本グランプリ)がいる。
坂田 道太(さかた みちた、1916年〈大正5年〉7月18日… 坂田 道太(さかた みちた、1916年〈大正5年〉7月18日 - 2004年〈平成16年〉1月13日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等。 衆議院議長(第64代)、法務大臣(第40代)、防衛庁長官(第33代)、文部大臣(第91・92代)、厚生大臣(32代)、衆議院議員(17期)等を歴任した。 父は衆議院議員や八代市長を務めた坂田道男。 坂田道男の長男として熊本県八代市で生まれる。旧制八代中学校、旧制成城高等学校(現・成城大学)、1938年東京帝国大学文学部独文科卒業。石井光次郎商工大臣の秘書官を経て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に熊本県全県区から出馬し、初当選した。以後、17期連続当選。
高田 浩運(たかた こううん、1914年2月4日 - 197… 高田 浩運(たかた こううん、1914年2月4日 - 1977年7月17日)は、日本の政治家、厚生官僚。位階は従三位。勲等は勲二等。参議院議員(2期)。 1914年(大正3年)熊本県玉名市生まれ。熊本県立玉名中学校、第五高等学校を経て、1936年(昭和11年)、東京帝国大学卒業後、内務省に入省する。1937年(昭和12年)に香川県警警務課長。 1941年(昭和16年)に厚生省に配転され、1945年(昭和20年)より同省庶務課長、1955年(昭和30年)より医務局次長、1956年(昭和31年)より児童局長、1960年(昭和35年) より官房長、1962年(昭和37年)4月より保険局長を経て、同年7月社会保険庁長官に就任。
園田 直(そのだ すなお、1913年〈大正2年〉12月11日… 園田 直(そのだ すなお、1913年〈大正2年〉12月11日 - 1984年〈昭和59年〉4月2日)は、日本の政治家、陸軍軍人。位階は正三位。 挺進第1連隊第2中隊長等を務める。階級は陸軍大尉。戦後一町田村助役・同村長を経て衆議院議員に当選。内閣官房長官、外務大臣、厚生大臣等を歴任。熊本県天草島出身。弟の幹男は陸軍少佐。後妻・よし子との間に生まれた長男の博之は内閣官房副長官・自由民主党衆議院議員を務めた。また後々妻・天光光との間に生まれた次男の直飛人は自身の議員秘書にしている。 町長・熊本県議会議員を務めた園田二三四の長男として生まれ、天草中学校(現:熊本県立天草高等学校)を卒業し大阪歯科医学専門学校(現大阪歯科大学)に進学するが徴兵される。
森 国久(もり くにひさ、正字体:森國久、1912年(明治4… 森 国久(もり くにひさ、正字体:森國久、1912年(明治45年)7月10日 - 1961年(昭和36年)6月26日)は、日本の政治家。熊本県天草地方で首長を務め、全国の離島の振興に力を注ぎ、天草五橋の実現に尽力した。 熊本県龍ヶ岳町長、熊本県町村会副会長、天草郡町村会長、天草振興協議会長、天草架橋期成会副会長、天草観光協会長、全国離島振興協議会副会長、内閣離島振興対策審議会委員(すべて死亡時)。 出生から学校卒業まで 1912(明治45年)7月10日、熊本県天草郡樋島村(現・熊本県上天草市龍ヶ岳町樋島)に生まれる。地元の小学校を卒業後、1925年(大正14年)4月、熊本県立天草中学校(現・熊本県立天草高等学校)に入学。
吉田 重延(よしだ しげのぶ、1909年2月14日 - 19… 吉田 重延(よしだ しげのぶ、1909年2月14日 - 1989年8月7日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員。岳父は中野猛雄。 熊本県天草郡栖本村(現・天草市)の農家に生まれる。東京帝国大学農学部農学実科(実科は1935年に東京高等農林学校として独立、現・東京農工大学)を卒業後は帰郷し農作業に従事する。その後熊本県職員、栖本村長を経て、1953年の第26回衆議院議員総選挙に旧熊本2区から自由党公認で立候補し初当選する。以後連続7回当選。 自民党では宏池会に所属する。自治政務次官、衆院大蔵委員長等を歴任。1972年にはリベリアのウィリアム・R・トルバート新大統領の就任式典に政府特使として派遣された。
指田 吾一(さしだ ごいち、1909年〈明治42年〉 - 1… 指田 吾一(さしだ ごいち、1909年〈明治42年〉 - 1969年〈昭和44年〉3月24日)は、日本の医師、政治家。東京都田無市(現在の西東京市)長を務めた(2期)。 熊本県宇土市出身。日本医科大学を卒業した。戦時中は軍医として活動する。1945年、広島で原子爆弾により被爆する。この時の被爆体験を記録し、後日『原爆日記』として出版した。1953年12月、東京都北多摩郡田無町で開業する。1962年、田無町長に就任した。田無町は東京のベッドタウンとして人口が急増し、町長2期目の1967年に田無町は市制施行した。教育施設の整備のほか、急増する人口にともない、ゴミや屎尿の処理が大きな問題となり、市内に屎尿処理場を建設することを決定した。
諸谷義武(もろたに よしたけ、1907年1月17日 - 20… 諸谷義武(もろたに よしたけ、1907年1月17日 - 2002年4月16日)は、日本の政治家。元長崎市長(在任1967年 - 1979年)。 熊本県出身。長崎高等商業学校卒業後、長崎市内で底引き網の網元の支配人となる。1945年(昭和20年)8月9日、長崎市内の自宅で原爆投下に遭遇。水を求めながら亡くなった被爆者を多数目撃した体験から、市長就任後に平和公園内に「平和の泉」を造らせている。1947年(昭和22年)より長崎市議会議員を2期、1955年(昭和30年)より長崎県議会議員を3期務め、この間1963年5月~1964年12月まで副議長になった。1967年(昭和42年)4月の統一地方選挙で執行された長崎市長選に出馬し当選、以後1979年(昭和54年)4月の市長選で本島等に敗れるまで3期12年間長崎市長を務めた。
大久保 武雄(おおくぼ たけお、1903年11月24日 - … 大久保 武雄(おおくぼ たけお、1903年11月24日 - 1996年10月14日)は、日本の政治家。労働大臣(第36代)、衆議院議員(7期)。俳人でもあり、俳号は大久保 橙青(おおくぼ とうせい)で、息子も俳人の大久保白村。 1903年、熊本城下西通町にある醤油屋の三男坊として生まれる。祖先の大久保八左衛門宗雅は、長水と号し近郊では有名な蕉門の俳人であった。 1928年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。在学中は、五高時代から親しんだ野球の主力として全国高等専門学校野球大会優勝を果たしている。逓信省に入省すると、先輩の富安風生の紹介で、東大俳句会に入り高浜虚子に師事。郷土熊本が橙の産地であることから橙の字を使い、俳号を橙青とつける。
内村 清次(うちむら せいじ、1902年(明治35年)4月8… 内村 清次(うちむら せいじ、1902年(明治35年)4月8日 - 1964年(昭和39年)11月22日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。 熊本県飽託郡春日村(春日町、熊本市春日町を経て現:熊本市西区春日)で、内村政平、ノトの息子として生まれる。古町小学校を経て、1918年(大正7年)3月、西部高等小学校を卒業した。 1918年4月、鉄道院(のち鉄道省)熊本機関区の機関夫試傭試験に合格。1919年(大正8年)2月、機関科教習所に入所し、同年5月に卒業。1922年(大正11年)4月、機関士見習に合格し、1923年(大正12年)4月、機関士科を卒業。同年6月、機関士に任じられた。1924年(大正13年)1月、徴兵され歩兵第13連隊に入隊し満洲に派遣され、1925年(大正15年)11月に除隊した。
深水 六郎(ふかみ ろくろう、1901年11月19日 - 1… 深水 六郎(ふかみ ろくろう、1901年11月19日 - 1995年1月4日)は、日本の政治家、逓信官僚、実業家。参議院議員(2期)、熊本放送取締役、日本民間放送連盟副会長、熊本県経営者協会会長。
松前 重義(まつまえ しげよし、1901年(明治34年)10… 松前 重義(まつまえ しげよし、1901年(明治34年)10月24日 - 1991年(平成3年)8月25日)は、日本の逓信官僚、政治家、工学者、教育者。学位は工学博士(東北帝国大学・1937年)。熊本県出身。東海大学創立者。内村鑑三を師とするクリスチャン。 戦前は逓信官僚として新体制運動に加わり大政翼賛会総務部長、戦後は逓信院総裁(逓信大臣・郵政大臣相当)、社会党右派の衆議院議員を務め、ソ連との友好親善に尽力した。静岡市名誉市民。 熊本県上益城郡嘉島町生まれ。合併前の大島村で村長を務めた松前集義が父である。祖父松前熊太郎、曾祖父松前叶は熊本藩士。小学5年生のとき熊本市に移った際、故郷の農村と違って夕方になると町中に一斉に電灯がともるのを見て美しさに驚き、これがのちに電気を専攻するきっかけとなった。
宮崎 世民(みやざき せいみん、1901年10月17日 - … 宮崎 世民(みやざき せいみん、1901年10月17日 - 1985年8月19日)は、日本の政治家。日中友好協会理事長を務めた。 宮崎民蔵の子で、宮崎世龍の実兄、宮崎滔天の甥に当たる。 熊本県出身。熊本県立玉名中学校(1919年卒業)を経て、1924年に東京帝国大学法学部を卒業した。1913年に、孫文が革命成功の謝礼として、熊本県荒尾市の民蔵宅を訪問したときの記念写真に、孫文の隣にいる姿が残されている。『土地農民にかえる』などを翻訳した。 日中友好運動に貢献し、日中友好協会結成に尽力。1963年5月13日に、日中友好協会第13回全国大会で専従の理事長に就任し、17年間その職を務めた。 理事長就任時には、岸内閣・佐藤内閣の反中国政策のために、中華人民共和国との民間交流も断絶していた。
園木 登(そのき のぼる、1901年(明治34年)8月16日… 園木 登(そのき のぼる、1901年(明治34年)8月16日 - 1962年(昭和37年)12月23日)は、大正から昭和期の官吏、農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(1期)。 熊本県鹿本郡山東村大字小野(植木町大字小野を経て現熊本市北区)で生まれる。1914年(大正3年)3月、山東小学校を卒業し、同年4月、熊本県立中学済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)に入学したが、1915年(大正4年)9月、肋膜炎となり同校を退学。その後回復して家業の農業に従事した。 1922年(大正11年)11月、朝鮮総督府官吏となり、1931年(昭和6年)6月まで在任。同年11月、満州国官吏に任官し新京警察署に赴任。1937年(昭和12年)10月、満州国官吏を辞任し、同年11月、北京の北支派遣軍嘱託となり特務部総務課に配属。
松村 秀逸(まつむら しゅういつ、1900年(明治33年)3… 松村 秀逸(まつむら しゅういつ、1900年(明治33年)3月1日 - 1962年(昭和37年)9月7日)は、日本の陸軍軍人、国会議員(参議院議員)。最終階級は陸軍少将。 熊本県出身。松村又熊の息子として生まれる。八代中学校(現熊本県立八代高等学校)、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第12連隊付となる。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業した。 1930年(昭和5年)12月、参謀本部付勤務となり、陸軍野戦砲兵学校教官、関東軍参謀部付を経て、1935年(昭和10年)8月、砲兵少佐に昇進し陸軍兵器本廠付(新聞班)に就任。
細川 隆元(ほそかわ りゅうげん、1900年〈明治33年〉1… 細川 隆元(ほそかわ りゅうげん、1900年〈明治33年〉1月17日 - 1994年〈平成6年〉12月19日)は、日本の政治評論家、衆議院議員。熊本県熊本市出身。 中学濟々黌、旧制第五高等学校大学予科(現熊本大学)を経て1923年、東京帝国大学法学部を卒業、同年朝日新聞社に入社する。記者を務め1936年政治部長、1940年ニューヨーク支局長、1944年編集局長。 1947年朝日新聞社に在籍したまま熊本県知事選に出馬するも落選した。同年、朝日新聞を退社して日本国憲法成立直後の第23回衆議院議員総選挙で日本社会党から熊本2区から出馬して初当選、衆議院議員を1期務めた。 その後、政治評論家に転身し1957年から始まったTBSの『時事放談』で小汀利得(後に藤原弘達)とホストを務めた。
坂口 主税(さかぐち ちから、1899年(明治32年)4月2… 坂口 主税(さかぐち ちから、1899年(明治32年)4月20日 - 1981年(昭和56年)4月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、熊本市長(2期)を歴任した。 熊本県玉名郡賢木村(現・南関町)出身。1917年(大正6年)熊本県立玉名中学校、旧制第五高等学校を経て、1923年(大正12年)東京帝国大学法学部政治学科卒業。台湾総督府に入り、高雄、台北の各州の知事などを務め、台湾新報社社長に就任する。 帰国後、郷里の賢木村長に就任。1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙に旧熊本1区(定数5)から民主党公認で立候補し、初当選した。1949年(昭和24年)に再選。1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙の旧熊本1区では改進党は坂口を含め5人の候補者を擁立。
佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年〈明治30年〉1月23… 佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年〈明治30年〉1月23日 - 1948年〈昭和23年〉10月9日)は、日本の政治学者、ジャーナリスト、参議院議員。 1897年(明治30年)1月23日、衆議院議員佐々友房の三男として東京府東京市四谷区四谷箪笥町に生まれる。 東京府立第四中学校・第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科に入学。吉野作造や美濃部達吉の薫陶を受け法学者・政治学者として将来を嘱望される。東京帝大では新人会に参加した。1920年(大正9年)卒業。 卒業後は直ちに東京帝国大学法学部副手・助手を経て、外務省欧米局の嘱託となり英仏独に2年間留学。特にドイツにおいては、ハイパーインフレの惨状やヴァイマル共和国の行き詰まり、そしてナチス勃興を目の当たりにし、反ヒトラー派となって帰国した。
野田 武夫(のだ たけお、1895年2月8日 - 1972年… 野田 武夫(のだ たけお、1895年2月8日 - 1972年6月7日)は、昭和期の日本の政治家。総理府総務長官・自治大臣。位階は正三位。元衆議院議員の野田毅は娘婿。 熊本県飽託郡川口村(現・熊本市南区)出身。 旧制熊本中学校(現熊本県立熊本高等学校)を経て、1923年早稲田大学法学部独法科を卒業後、国民新聞記者、東京朝日新聞政治部記者、神奈川新聞社社長、町田忠治商工大臣秘書官を経て、1936年第19回衆議院議員総選挙に立憲民政党公認で旧神奈川2区より立候補して当選を果たす。以後戦後も含めて当選8回。戦前は軍需政務次官、商工省参与などを務めた。政党解消後は翼賛議員同盟→翼賛政治会→大日本政治会に所属した。
石坂 繁(いしざか しげる、1893年(明治26年)1月24… 石坂 繁(いしざか しげる、1893年(明治26年)1月24日 - 1972年(昭和47年)12月31日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(6期)。熊本市長(3期)。 熊本県合志郡西合志村(菊池郡西合志村、西合志町を経て現合志市)出身。熊本県立中学済々黌、旧制五高を経て東京帝国大学法学部を卒業。 1936年の総選挙で熊本1区から国民同盟で立候補し、初当選。以後、途中公職追放によるブランクや落選を挟んで通算6期衆議院議員を務めた。 国政の傍ら、1945年には第12代熊本市長を兼任し翌年まで1期務め、また高橋守雄の懇請によって東洋語学専門学校の初代理事長となる。1958年の第2次岸内閣では農林政務次官を務めている。
林田 正治(はやしだ まさはる、1892年8月3日 - 19… 林田 正治(はやしだ まさはる、1892年8月3日 - 1979年12月14日)は、日本の内務官僚、政治家。 衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、熊本市長(16代)、新竹州知事。 熊本県下益城郡城南町(現熊本市南区)に生まれる。済々中学、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業し、1918年(大正7年)内務省に入省する。のち渡台し、1939年(昭和14年)新竹州知事を務める。 終戦後の1946年(昭和21年)第22回衆議院議員総選挙に熊本選挙区から日本進歩党より出馬し当選。1948年(昭和23年)熊本市助役を経て、1952年(昭和27年)第16代熊本市長に就任。1956年(昭和31年)第4回参議院議員通常選挙では熊本県選挙区から無所属で出馬し当選する。
今村 等(いまむら ひとし、1892年〈明治25年〉3月23… 今村 等(いまむら ひとし、1892年〈明治25年〉3月23日 - 1979年〈昭和54年〉11月1日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。労働運動家。 熊本県玉名郡八嘉村(現:玉名市)出身。今村畑喜の長男として生まれた。小学校卒業後、炭鉱夫として働き、友愛会に入る。1920年(大正9年)香焼炭鉱争議を指導し、検挙され投獄される。出獄後の1929年(昭和4年)日本大衆党から長崎市会議員となる。その後は国家社会主義に転向し、長崎県会議員となる。1945年(昭和20年)8月、長崎市への原子爆弾投下により被爆し、長女が死亡した。 1946年(昭和21年)第22回衆議院議員総選挙で長崎県から日本社会党公認で立候補して初当選。