田畑 健介(たばた けんすけ、1921年(大正10年)3月1… 田畑 健介(たばた けんすけ、1921年(大正10年)3月16日 - 1989年(平成元年)7月31日)は、昭和期の地方公務員、政治家。東京都練馬区長。 鹿児島県大島郡名瀬村(現・奄美市)金久出身。兄に民俗学者の田畑英勝。旧制鹿児島県立大島中学校(鹿児島県立大島高等学校の前身)、旧制台北中学校(台北市立建国高級中学の前身)、旧制台北高等学校を経て、1944年東京大学法学部政治学科卒業。学徒出陣、復員後、郷里の奄美で大島郡連合青年団初代会長、大島高等学校教諭、古仁屋警察署署長を務める。 1950年東京都職員。労政課長、企画調整局参事などを経て、1969年主税局査察室長、1971年に練馬区総務部長となる。
谷上 幸男(たにうえ さちお、1920年8月28日 - )は… 谷上 幸男(たにうえ さちお、1920年8月28日 - )は、日本の政治家、漁師。坊津町長(4期)を務めた。 1920年8月28日、鹿児島県川辺郡西南方村大字坊(現南さつま市坊津町坊)生まれ。坊泊尋常小学校高等科卒業。その後、裁判所の書記を目指して鹿児島市の弁護士前之園喜一郎の元で書生として住み込む。その後、上京して日立航空機製作所に入社する。その後、1941年に召集され平壌飛行場に終戦まで勤務した。終戦後は帰郷して、原捨思が所有するカツオ漁船の漁労長となった。1973年、南方水産経理部長となる。1979年11月17日、坊津町助役に就任して11年務めた。1991年、坊津町長選挙に立候補して現職の原多計志と別の新人を破って初当選を果たした。
内田 善利(うちだ ぜんり、1919年(大正8年)6月10日… 内田 善利(うちだ ぜんり、1919年(大正8年)6月10日 - 2005年(平成17年)3月24日)は、日本の政治家。公明党参議院議員(2期)。 鹿児島県日置郡東市来村養母(現日置市)出身。鹿児島県立川内中学校 (旧制)を経て、1941年明治専門学校応用化学科卒。日本窒素肥料に入社するが、直後に召集。1946年の復員後、旧制鹿児島県立伊集院中学校・新制鹿児島県立伊集院高等学校や福岡県立折尾高等学校で教職に就く。1968年の第8回参議院議員通常選挙において公明党公認で全国区から立候補して当選する。6年後の第10回参議院議員通常選挙においても再選。参議院議員を2期務めた。この間、参議院運輸委員長などを歴任した。
川原 新次郎(かわはら しんじろう、1917年10月28日 … 川原 新次郎(かわはら しんじろう、1917年10月28日 - 1995年12月4日)は、日本の政治家。参議院議員(2期、自由民主党)。 鹿児島県揖宿郡喜入町大字瀬々串(現在の鹿児島市喜入瀬々串町)出身。1937年鹿屋農卒。鹿児島県議会議員を2期務めた後、1965年5月から1975年3月まで喜入町長を3期務めた。町長時代は町内に日本石油基地を誘致した。 同年の鹿児島県知事選に立候補したが、現職の金丸三郎に大差で敗れて落選した。※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 1980年の第12回参議院議員通常選挙に鹿児島県選挙区から立候補して初当選。1988年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲八等からの昇叙)。
宮之原 貞光(みやのはら さだみつ、1917年10月4日 -… 宮之原 貞光(みやのはら さだみつ、1917年10月4日 - 1983年10月29日)は、日本の政治家。日本社会党参議院議員(2期)。日本教職員組合中央執行委員長。龍郷町名誉町民。 鹿児島県大島郡龍郷町生まれ。戸口小学校から鹿児島県立大島中学校 (旧制)に進学し卒業。1938年鹿児島県師範学校(現・鹿児島大学教育学部)卒。鹿児島県内の小中学校の教員となる。鹿児島県教職員組合から日本教職員組合に入り、書記次長、書記長、副委員長を経て、1962年に中央執行委員長に就任した。1971年の第9回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。2期務める。国会内では建設委員長、公害及び交通安全対策特別委員長などを歴任した。
宮崎 茂一(みやざき もいち、1917年2月15日 - 20… 宮崎 茂一(みやざき もいち、1917年2月15日 - 2004年2月16日)は、日本の政治家、技術士(建設部門)。位階は従三位。 自由民主党衆議院議員(8期)。第42代科学技術庁長官。 鹿児島県鹿児島郡谷山村大字上福元上松崎(現在の鹿児島市谷山中央)出身。鹿児島県立第二中学校(現甲南高校)から第七高等学校造士館(現鹿児島大学)を経て1939年東京帝国大学工学部を卒業。 大学卒業後、内務省に入省。その後は経済企画庁を経て運輸省に移り、港湾局長などを歴任。退官後、政界入りを目指し1969年の衆議院議員総選挙に旧鹿児島1区から無所属で出馬したが落選。3年後の1972年の総選挙に再び旧鹿児島1区から無所属で出馬、初当選を飾った(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。
豊 永光(ゆたか えいこう、1916年10月3日 - 200… 豊 永光(ゆたか えいこう、1916年10月3日 - 2001年7月12日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(1期)。名瀬市長(1期)。 鹿児島県名瀬市(奄美市)出身。鹿児島県立大島中学校 (旧制)四年修了で第七高等学校造士館 (旧制)に進学、卒業。1939年、高等試験行政科試験に合格、翌年東京帝国大学法学部を卒業。農林省に入り、畜産局資料課長、大臣官房広報課長、大阪、熊本の各営林局長となり、1967年の第31回衆議院議員総選挙に奄美群島区から無所属で立候補したが落選。1969年の第32回衆議院議員総選挙で保岡武久を破り、初当選した。しかし、1972年の第33回衆議院議員総選挙では保岡武久の息子の保岡興治に敗れて落選。
池田 正辰(いけだ まさとき、1916年3月7日 - 198… 池田 正辰(いけだ まさとき、1916年3月7日 - 1982年5月30日)は、日本の政治家。鹿児島県姶良郡蒲生町長(3期)。 鹿児島県蒲生町(当時・蒲生村、現:姶良市の一部)出身。1933年旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)卒業。1936年に第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)を卒業。1940年に京都帝国大学経済学部卒業。日本石油株式会社に入社し勤務するが、1941年に応召し、1946年に復員。1947年に鹿児島県庁職員となり、鹿児島県東京事務所長、鹿児島県林務部長などを歴任。旧制中学時代の恩師でもある小山田政弘蒲生町長の後継として、郷里の町長選に出馬し無投票当選して、1973年5月より第11代蒲生町長。
中馬 辰猪(ちゅうまん たつい、1916年2月27日 - 2… 中馬 辰猪(ちゅうまん たつい、1916年2月27日 - 2010年4月18日)は、日本の政治家。衆議院議員、建設大臣。 現在の鹿児島県霧島市国分に、参議院議員を務めた中馬猪之吉の二男として生まれる。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)、第七高等学校 (旧制)を経て、1941年京都帝国大学法学部を卒業。陸軍主計大尉としてインパール作戦に従事し、負傷するものの危機一髪で生還した経験を持つ。帰国後は水産会社役員、鹿児島県煙草耕作連嘱託等を経て、1949年第24回衆議院議員総選挙に吉田茂率いる民主自由党公認で旧鹿児島2区から立候補し当選(当選同期に池田勇人・岡崎勝男・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
肥後 正典(ひご まさのり、1915年(大正4年)12月27… 肥後 正典(ひご まさのり、1915年(大正4年)12月27日 - 2004年(平成16年)9月28日)は、日本の政治家、鹿児島県指宿市長(2期)。医師、医学博士。鹿児島県議会議員、山川町議会議員も務めた。位階は正五位。 鹿児島県指宿市出身。旧制鹿児島県立指宿中学校(現鹿児島県立指宿高等学校)、日本医科大学予科を経て、1943年日本医科大学卒業。陸軍に入隊し、陸軍軍医学校卒業後、上海検疫官(陸軍軍医大尉)。1946年7月復員、1946年10月開業。復員後は旧揖宿郡山川町に居住。1953年新制鹿児島大学・旧制県立鹿児島医科大学の桝屋富一内科教室専攻生。1955年4月30日から山川町議会議員を務める。
柴立 芳文(しばたて / しばたての[要検証 – ノート] … 柴立 芳文(しばたて / しばたての[要検証 – ノート] よしふみ、1915年(大正4年)8月12日 - 1975年(昭和50年)8月5日)は、昭和期の日本の農林業指導者、政治家。参議院議員(1期)、鹿児島県議会議長。 息子も県議会議長を務めた柴立鉄彦(7期)。孫も 現 県議会議員 柴立鉄平(1期)。 鹿児島県肝属郡大根占村神川(現錦江町)に生まれ、同郡田代村(現:錦江町)の柴立家の養子となる。鹿屋中学校(現鹿児島県立鹿屋高等学校)を経て、鹿児島高等農林学校林学科を卒業した。王子製紙に入社して終戦を迎えた。 故郷に引揚げ、1947年(昭和22年)田代村議会議員に選出され同議長も務めた。1951年(昭和26年)鹿児島県議会議員に選出され5期在任し、同副議長(2期)、同議長(2期)も務めた。
鶴園 哲夫(つるぞの てつお、1915年 <大正4年> 5月… 鶴園 哲夫(つるぞの てつお、1915年 <大正4年> 5月28日 - 2006年 <平成18年> 4月11日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 鹿児島県知覧町(現南九州市)出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校、旧制第七高等学校造士館、東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業。1940年に農林省入省。全農林労働組合委員長を経て1959年、第5回参議院議員通常選挙全国区に日本社会党から出馬し初当選。1971年、第9回参議院議員通常選挙で鹿児島地方区に回り、当選。決算委員長や公害対策環境保全特別委員長などを歴任した。 1985年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。 2006年4月11日、呼吸不全のため東京都新宿区の病院で死去。
執印テル(しゅういん てる、1915年(大正4年)3月10日… 執印テル(しゅういん てる、1915年(大正4年)3月10日 - 2007年(平成19年)9月25日)は、昭和時代の日本のジャーナリスト、政治家。出水市出身(旧高尾野町・執印氏9人兄弟の7番目・次女)。
金丸 三郎(かねまる さぶろう、1914年(大正3年)2月8… 金丸 三郎(かねまる さぶろう、1914年(大正3年)2月8日 - 2007年(平成19年)8月15日)は、日本の官僚、政治家。自治事務次官、鹿児島県知事、自由民主党参議院議員、総務庁長官、参議院協会会長、財団法人井上育英会顧問を務めた。 位階は従三位。勲等は勲一等瑞宝章。学位は法学士(東京大学)。称号は特定非営利活動法人日本居合道連盟名誉範士。 鹿児島県出水郡上出水村(後の出水町)生まれ、現在の出水市出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校(のち鹿児島県立鶴丸高等学校)、第七高等学校造士館(のち鹿児島大学)を経て、東京帝国大学(のち東京大学)法学部卒業後の1938年(昭和13年)、内務省入省(地方局配属)。
田畑 金光(たばた かねみつ、1914年(大正3年)1月22… 田畑 金光(たばた かねみつ、1914年(大正3年)1月22日 - 2013年(平成25年)4月22日)は、昭和期の政治家。民社党衆議院議員、いわき市長。 鹿児島県大島郡龍郷町芦徳出身。 1932年鹿児島県立大島中学校 (旧制)卒業。1936年大阪高等学校 (旧制)文科卒業。1939年東京帝国大学法学部法律学科卒業。 大学卒業後は満州国政府に勤めながら、大同学院を卒業。1940年に従軍し、1945年に陸軍主計大尉で復員。 戦後、福島県の現いわき市に移り、1946年大日本炭鉱勿来鉱業所勤務。1947年(昭和22年)福島県議会議員に当選。右派社会党公認で、1953年(昭和28年)に第3回参議院議員通常選挙福島県選挙区で初当選。
井元 正流(いのもと まさる、1913年(大正2年)5月28… 井元 正流(いのもと まさる、1913年(大正2年)5月28日 - 2008年(平成20年)7月8日)は、昭和時代の政治家。医師。鹿児島県西之表市長。 西之表市出身。井元出千代・ヨ子の三男。1936年(昭和11年)東京医学専門学校卒業。 駿河台病院、立川飛行機病院に勤務。1943年(昭和18年)5月27日に応召され、近衛騎兵連隊附軍医となる。 1945年(昭和21年)9月6日をもって応召を終える。1946年(昭和21年)2月11日、西之表市に井元医院を開業。1951年(昭和26年)年4月23日から1955年(昭和30年)4月29日まで西之表町議会議員。1961年(昭和36年)12月23日から(昭和47年)1月12日まで西之表市教育委員会委員長。
福田 昌子(ふくだ まさこ、1912年7月8日 - 1975… 福田 昌子(ふくだ まさこ、1912年7月8日 - 1975年12月30日)は、日本の政治家、学校法人純真女子学園(現・学校法人純真学園)の創立者。衆議院議員。医学博士。 鹿児島県鹿児島市生まれ、福岡県出身(籍は築上郡吉富町)。福岡県立福岡高等女学校(現・福岡県立福岡中央高等学校)を経て、1934年(昭和9年)に東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)を卒業。九州帝国大学医学部に学び、九大医学部附属医院、済生会病院に勤務しながら、1940年(昭和15年)、ヒスタミンの研究により史上最年少(満26歳)で医学博士号を取得した。また、大阪府衛生課、東京都公衆衛生課などに勤めた。 戦後の1947年(昭和22年)に、第23回衆議院議員総選挙に社会党から福岡県第1区で立候補して当選した。
小牧 次生(こまき つぎお、1911年(明治44年)9月 -… 小牧 次生(こまき つぎお、1911年(明治44年)9月 - 没年不詳)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 鹿児島県薩摩郡、のちの川内市(現薩摩川内市)で生まれる。旧制鹿児島県立川内中学校(現鹿児島県立川内高等学校)を経て、1932年(昭和7年)に旧制第七高等学校造士館文科を卒業して東北帝国大学法文学部へ進学するが、1933年(昭和8年)に東京帝国大学法学部法律学科へ入学し直す。1936年(昭和11年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。 三井鉱山(現日本コークス工業)に入社。終戦直前に帰郷した。その後、鹿児島造船役員、東亜重工業役員、西日本建設業保証 (株) 営業所長などを務めた。 戦後、山中貞則らと青壮年同志会に加わり青年団運動に参画。
中垣 國男(なかがき くにお、1911年6月24日 - 19… 中垣 國男(なかがき くにお、1911年6月24日 - 1987年4月2日)は、日本の政治家、実業家。第16代法務大臣。衆議院議員を通算9期務めた。 鹿児島県日置郡市来町(現・いちき串木野市)に木場善太郎の四男として生まれる。同町にあった、鹿児島県第二師範学校附属小学校で学んだのち、1931年3月、鹿児島県立商船水産学校(現・鹿児島県立鹿児島水産高等学校)卒業。東京帝国大学の試験に落ち、行くところを探していたときに水産学校の教諭に勧められ東洋大学文学部哲学科に入学。 当時、東洋大学には成績上位者に対しドイツに2年、インドに3年留学できる制度があった。成績の良かった中垣は留学を勧められるも、1934年秋、強度の神経衰弱に陥ってしまう。
田原 武雄(たはら たけお、1910年(明治43年)12月1… 田原 武雄(たはら たけお、1910年(明治43年)12月15日 - 1988年(昭和63年)10月25日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(1期)。 鹿児島県揖宿郡頴娃村(頴娃町を経て現南九州市)で生まれる。1938年(昭和13年)陸軍士官学校(少尉候補者19期)を卒業した。1944年(昭和19年)勲五等瑞宝章受章。 戦後、頴娃町議会議員、頴娃町農業振興会長、青戸農業協同組合長、鹿児島県信用農業協同組合連合会監事、同農業信用基金協会監事、同農民政治連盟副委員長、同経済農業協同組合連合会会長、全国農業協同組合連合会理事、全国茶生産団体連合会会長、えい農業協同組合長、鹿児島県農業協同組合連合会理事、同県茶振興会会長、熊本果実連合会理事、南栄糖業監査役などを務めた。
二階堂 進(にかいどう すすむ、1909年〈明治42年〉10… 二階堂 進(にかいどう すすむ、1909年〈明治42年〉10月16日 - 2000年〈平成12年〉2月3日)は、日本の政治家。 内閣官房長官(第36・37代)、北海道開発庁長官(第27・28代)、科学技術庁長官(第18・19代)、原子力委員会委員長(第18・19代)、労働政務次官(第1次岸改造内閣)、衆議院商工委員長、同建設委員長、衆議院議員(16期)、自由民主党副総裁(第11代)、自由民主党幹事長(第16・23・24代)、自由民主党総務会長(第24代)などを歴任。 鹿児島県肝属郡高山村(現・肝付町)生まれ、出身。鹿児島県高山村長を務めた二階堂篤志の四男二女の次男として生まれる。鎌倉時代以来の名家・二階堂氏の出身であり、生家(二階堂屋敷)は国の重要文化財(1975年6月指定)で最後の居住者であった。
岩元 達一(いわもと たついち、1909年(明治42年)9月… 岩元 達一(いわもと たついち、1909年(明治42年)9月1日 - 1982年(昭和57年)6月23日)は、日本の実業家、政治家。山形屋会長、貴族院多額納税者議員。 鹿児島県鹿児島市で、実業家・岩元善蔵(岩元信兵衛弟)の三男として生まれ、伯父・信兵衛の養嗣子となり、山形屋の6代目を継承した。第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1934年(昭和9年)慶應義塾大学法学部を卒業した。その後、東京銀座の松屋に入社し、デパート経営を経験した。 1935年(昭和10年)山形屋の取締役に就任し、1943年(昭和18年)会長となる。その他、田辺鉄工所監査役、新生工業副社長、日本瓦斯取締役、小牧組取締役などを務めた。
浜田 尚友(はまだ ひさとも、1909年(明治42年)6月2… 浜田 尚友(はまだ ひさとも、1909年(明治42年)6月29日 - 1988年(昭和63年)3月3日)は、日本の政治家。帝国議会衆議院議員、国分市議会議長。 鹿児島県の国分村(現・霧島市)出身で国分小学校卒業。1927年(昭和2年)鹿児島県立加治木中学校 (旧制)卒業。1932年(昭和7年)早稲田大学政治経済学部政治科卒業。同年東京日日新聞社(現・毎日新聞社)に入社し、社会部・政治部記者。厚生大臣秘書官(1940年(昭和15年))などを経て、1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)で翼賛政治体制協議会推薦候補として鹿児島県第2区にて当選。1943年(昭和18年)現職議員中より第一号陸軍二等兵として応召、硫黄島戦闘参加。
川上 嘉(かわかみ よしみ、1909年(明治42年)5月 -… 川上 嘉(かわかみ よしみ、1909年(明治42年)5月 - 1994年(平成6年)8月2日)は、日本の政治家、参議院議員。鹿児島県大島郡龍郷町戸口出身。龍郷町名誉町民。 鹿児島県立大島中学校 (旧制)および明治大学専門部法科を卒業。中央大学の税務高等経理講習と東京大学の公開講座を修了。 大島支庁に勤務した後、1935年から東京財務局管内の各税務署に勤務。1946年結成の全国財務労働組合(全財、国公関連労働組合連合会の前身の一つ)に参加し、1947年東京財務職員組合委員長に就任。 1947年の第1回参議院議員通常選挙全国区に無所属で立候補して、初当選(任期3年)。1948年、税務会計事務所を開設。
末吉 利雄(すえよし としお、1909年(明治42年)3月2… 末吉 利雄(すえよし としお、1909年(明治42年)3月23日 - 1995年(平成7年)12月31日)は、日本の政治家。第17代鹿児島市長。 鹿児島市出身。鹿児島県立鹿児島工業学校(現:鹿児島県立鹿児島工業高等学校)を卒業し、日本専売公社に勤務する。1951年から鹿児島県議を連続4期務める。また、1960年には日本社会党鹿児島県本部委員長となり、7期務める。 1967年鹿児島市は谷山市を合併し、新鹿児島市が発足した。合併直後の市長選に革新系から立候補し、保守系の現職の三ッ井卯三男と一騎討ちとなった。末吉は「市民との対話」を訴え、選挙戦を進め、現職を破って当選、平瀬實武以来の革新市長の誕生となった。
泊 宝徳(とまり ほうとく、1908年7月18日 - 198… 泊 宝徳(とまり ほうとく、1908年7月18日 - 1986年2月10日)は日本の政治家。鹿児島県加世田市長(6期)。 鹿児島県生まれ、加世田市(現南さつま市)出身。1926年鹿児島県立川辺中学校(旧制、現鹿児島県立川辺高等学校)四年修了。1933年から加世田町役場に勤務し、書記を務め、1945年より税務主任。1947年8月加世田町助役に就任し、1954年7月に加世田町と万世町が合併して加世田市となるまでに2期務める。合併後の新市長就任までの間、市長職務執行の代理者を務める。1954年9月から1962年7月まで加世田市収入役(初代、2期)。1962年8月の市長選挙に立候補をして松山賢太郎初代市長と争って当選し、1962年8月10日、第2代加世田市長に就任。
川上 為治(かわかみ ためじ、1907年〈明治40年〉10月… 川上 為治(かわかみ ためじ、1907年〈明治40年〉10月10日 - 1984年〈昭和59年〉5月6日)は、昭和期の官僚、政治家。参議院議員、中小企業庁長官。 鹿児島県日置郡、のちの金峰町(現南さつま市)で生まれる。旧制の私立福山中学校(現鹿児島県立福山高等学校)を経て、第一高等学校を卒業。1933年(昭和8年)10月、高等試験行政科試験に合格し、1934年(昭和9年)東京帝国大学経済学部を卒業した。同年、商工省に入省し商務局属に任官。以後、同省事務官、北京興亜院商工課長、商工省石炭課長などを務めた。 戦後は物価庁第三部長、通商産業省(現経済産業省)鉱山局長、同公益事業局長、中小企業庁長官などを歴任した。
満留 正光(みつどめ まさみつ、1907年2月27日 - 1… 満留 正光(みつどめ まさみつ、1907年2月27日 - 1993年10月24日)は日本の政治家。鹿児島県串木野市長(3期)。串木野市名誉市民。 鹿児島県日置郡串木野村(串木野町、串木野市を経て現いちき串木野市)荒川に生まれる。1919年3月に荒川尋常小学校(現いちき串木野市立荒川小学校)を卒業し、三井鉱山の串木野鉱山西山坑勤務を経て、1920年10月串木野村役場職員に採用される。働きながら串木野村立公民学校で学び、1927年卒業。1932年9月鹿児島県庁職員に採用され転任。働きながら鹿児島法学院で学ぶ。戦後、鹿児島県の内務部、議会調査局、出納長室、教育委員会事務局(教育庁)の中の各課長などを経て、1955年12月24日串木野市助役に就任。
温水 三郎(ぬくみ さぶろう、1905年(明治38年)10月… 温水 三郎(ぬくみ さぶろう、1905年(明治38年)10月3日 - 1976年(昭和51年)10月22日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(3期)。位階は正四位、勲等は勲二等。 宮崎県西諸県郡小林村(現小林市)で、宮崎県会議長を務めた温水実孝の息子として生まれた。その後、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校を経て1931年(昭和6年)法政大学法科卒業し、農業に従事した。 1942年(昭和17年)小林町会議員に選出。1946年(昭和21年)小林町農業会会長に就任。1948年(昭和23年)宮崎県農業会会長となり。1954年(昭和29年)宮崎県農業協同組合中央会会長。1963年(昭和38年)宮崎県の農協中央会、信用農協連、経済農協連、共済農協連の各会長就任。
小山 長規(こやま おさのり、1905年〈明治38年〉6月1… 小山 長規(こやま おさのり、1905年〈明治38年〉6月10日 - 1988年〈昭和63年〉1月31日)。は、日本の政治家。衆議院議員(12期)、建設大臣(第23-24代)、国務大臣環境庁長官(第3代)を歴任。 宮崎県西諸県郡小林村(後の西諸県郡小林町、小林市)に、森長興(西諸県貯蓄銀行頭取、宮崎県会議員等歴任)の息子(資料により二男や四男)として生まれる。1919年に細野小学校を卒業。旧制の鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)を1923年に、第三高等学校を1926年に卒業。第三高等学校と東京帝国大学ではボート部に所属。1928年高等文官試験司法科に合格。村上朝一最高裁判所長官は、ともに高等文官試験の勉強をした学生時代の親友。
泉 芳朗(いずみ ほうろう、1905年3月18日 - 195… 泉 芳朗(いずみ ほうろう、1905年3月18日 - 1959年4月9日 )は、日本の政治家、詩人、教育者。名瀬市長(1期)。 鹿児島県大島郡伊仙村生まれ。1924年3月、鹿児島県立第二師範学校(現・鹿児島大学教育学部)卒業。卒業後は、小学校の教員として鹿児島と東京の学校を転々とした。1931年、日本大学専門部国文科中退。 1950年8月、奄美大島社会民主党を結成し、書記長、中央執行委員長を歴任した。同年、群島議会議員選挙に同党公認で立候補したが、次点で落選した。1951年2月、奄美大島復帰協議会を結成して、議長となった。同年8月1日から5日まで日本復帰の断食祈願を行った。その後、奄美各地で決起集会が開かれ、参加者が24時間の断食を行うなどの広がりを見せた。
米山 恒治(よねやま つねはる、1904年(明治37年)12… 米山 恒治(よねやま つねはる、1904年(明治37年)12月3日 - 1966年(昭和41年)6月5日)は、昭和期の公吏、政治家、実業家。衆議院議員、鹿児島県議会議長。 鹿児島県鹿児島郡伊敷村(現在の鹿児島市)で生まれる。13歳で父が死去して学校を中退。鹿児島県庁の給仕となり、苦学して1921年(大正10年)鹿児島実業学校(現鹿児島実業高等学校)商業本科を卒業した。 1940年(昭和15年)鹿児島県属に任官。1942年(昭和17年)地方事務官に任官。以後、鹿児島県経済部商工課長、同軍需商工課長を歴任。1944年(昭和19年)9月、岩切重雄鹿児島市長の要請をうけて鹿児島市助役となり1947年(昭和22年)3月まで在任した。
赤路 友蔵(友藏、あかじ ともぞう、1904年(明治37年)… 赤路 友蔵(友藏、あかじ ともぞう、1904年(明治37年)12月1日 - 1987年(昭和62年)9月16日)は、昭和期の農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員(6期)。 鹿児島県鹿児島市で生まれる。1925年(大正14年)大阪市民労働学院を卒業した。 実業界では、鹿児島鉄工常務取締役、高千穂電機工場長、汎東亜工業常務取締役などを務めた。戦後、鹿児島県専門委員、同県農地委員、同県地方労働委員を歴任した。 1947年(昭和22年)8月の第1回参議院議員通常選挙補欠選挙に鹿児島県地方区から日本社会党公認で立候補して落選し、1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙に鹿児島県第3区から立候補したが落選した。
上林山 榮吉(かんばやしやま えいきち、1904年10月18… 上林山 榮吉(かんばやしやま えいきち、1904年10月18日 – 1971年8月10日)は、日本の政治家。衆議院議員、防衛庁長官を務めた。 現在の鹿児島県指宿市生まれ。鹿児島実業学校出身。関西大学専門部法律学科中退後、1928年日本大学法律科を卒業、鹿児島毎夕新聞社記者、鹿児島県庁勤務を経て、1936年鹿児島市会議員補欠選挙に当選。1939年からは鹿児島県会議員を務める。1946年第22回衆議院議員総選挙で日本自由党から旧鹿児島1区にて立候補し初当選する(当選同期に小坂善太郎・二階堂進・江﨑真澄・小沢佐重喜・石井光次郎・坂田道太・水田三喜男・村上勇・川崎秀二・井出一太郎・早川崇・中野四郎など)。
福山 郷太郎(ふくやま ごうたろう、1904年8月29日 -… 福山 郷太郎(ふくやま ごうたろう、1904年8月29日 - 1982年5月27日)は日本の政治家。宮崎県串間市長(第2代、2期)、串間市議会議長などを歴任。 宮崎県出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)にて学び、小山長規と同級で親しかった。1932年旧制第五高等学校(現熊本大学)文科卒業。1935年九州帝国大学法文学部法科(現九州大学法学部)政治専攻卒業。満洲綿花協会勤務を経て、1936年4月から1937年12月まで満洲国産業部農政課嘱託。 1959年4月串間市議会議員に当選し、1962年5月まで務める。そのうち1960年5月23日から1962年5月30日は、串間市議会議長の任にあった。
佐多 忠隆(さた ただたか、1904年6月4日 - 1980… 佐多 忠隆(さた ただたか、1904年6月4日 - 1980年4月23日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 鹿児島県鹿児島市生まれ。同市下荒田町出身。佐多直正の次男として生まれる。後の鹿児島市長平瀬實武は、地元の小学校と学舎の2年先輩。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校を経て、1925年旧制第七高等学校造士館文科を卒業。七高時代は佐野博らとともにサークル「鶴鳴会」(かくめいかい)に参加。東大に進学し、新人会で活動。1928年東京帝国大学経済学部卒業。大学卒業後は「中央公論」などの雑誌に評論を書いていたが、1935年内閣調査局(内閣企画院の前身)に入り、次いで第2次近衛内閣のもとで企画院調査官に就任し勝間田清一、和田博雄とともに同政権の「経済新体制」の策定に関与するが、企画院事件により治安維持法違反の嫌疑で検挙、投獄された。
小泉 純也(こいずみ じゅんや、旧姓名:鮫島 純也〈さめじま… 小泉 純也(こいずみ じゅんや、旧姓名:鮫島 純也〈さめじま すみや〉、1904年〈明治37年〉1月24日 - 1969年〈昭和44年〉8月10日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(7期)。1960年日米安保改定への尽力や防衛庁長官を務めたことなどから、安保男(あんぽおとこ)と呼ばれた。 衆議院副議長、逓信大臣などを歴任した小泉又次郎の女婿。首相を務めた小泉純一郎の父。根津財閥の大番頭だった鮫島宗一郎は従兄弟。横須賀市議会議長をつとめた井料克己は甥。 鹿児島県川辺郡東加世田村大字小湊(後の万世町、加世田市、現:南さつま市加世田小湊)小松原地区の漁業・鮫島家に生まれた。父親の鮫島彌三左衛門は事業に失敗し、地元の鰹節工場に雇われていたが、純也が11歳の時に亡くなった。
小山田 政弘(こやまだ まさひろ、1903年〈明治36年〉8… 小山田 政弘(こやまだ まさひろ、1903年〈明治36年〉8月30日 - 1990年〈平成2年〉1月23日)は、日本の政治家。鹿児島県姶良郡蒲生町長(第10代、3期)。元は旧制鹿児島二中教諭を長く務めた教育者。 鹿児島県姶良郡蒲生村(後の蒲生町、姶良市の一部)生まれ。1922年3月鹿児島県立加治木中学校(現鹿児島県立加治木高等学校)卒業。1926年3月東洋大学国文科卒業。鹿児島実業学校(現鹿児島実業高等学校)、鹿児島和洋裁縫女学校(現鹿児島城西高等学校)勤務を経て、鹿児島県立第二鹿児島中学校(鹿児島二中、現鹿児島県立甲南高等学校)で国語・漢文の教諭を1927年8月31日から約20年間務める。1947年4月重富村立重富中学校初代校長に就任。
宇田 国栄(宇田國榮、うだ くにえ、1903年(明治36年)… 宇田 国栄(宇田國榮、うだ くにえ、1903年(明治36年)3月1日 - 1988年(昭和63年)8月4日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。派閥は藤山派を経て、福田派。 鹿児島県日置郡東市来村(東市来町を経て現日置市)生まれ。同郷で政界の大物だった床次竹二郎に憧れ床次の秘書として薫陶を受けた後に岸信介秘書へと転じる。1943年に東郷茂徳の要請を受け、大日本興亜同盟の代表使節として満州、北支、中支、南支、海南島を訪れ、汪兆銘とアジアの発展へ向けて協力するための会談を行った。 1946年の第22回衆議院議員総選挙鹿児島1区に日本農本党から出馬し初当選。その後、第23回から第27回まで5回の衆議院議員総選挙に出馬するが落選。
保岡 武久(やすおか たけひさ、1902年11月25日 - … 保岡 武久(やすおか たけひさ、1902年11月25日 - 1983年2月7日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員。 奄美大島にある鹿児島県大島郡宇検村の生まれ。旧制鹿児島県立大島中学校と旧制第七高等学校造士館を経て、東京帝国大学法学部政治学科卒。1929年、高等文官試験行政科に合格。群馬県警察警部補を振り出しに、1934年内務省警視庁警視に任命される。海軍司政官、二・二六事件を担当、1939年大阪府刑事課長、地方警視、鹿児島県副知事などを経て、1951年の第2回鹿児島県知事に自由党公認で立候補したが落選。1954年に行われた奄美群島の日本復帰に伴う衆院選に奄美群島区から自由党公認で立候補した。
村尾 薩男(むらお さつお、1902年(明治35年)8月25… 村尾 薩男(むらお さつお、1902年(明治35年)8月25日 - 1970年(昭和45年)1月5日)は、昭和期の社会運動家、政治家、実業家。衆議院議員。 鹿児島県薩摩郡、のちの川内町(川内市を経て現薩摩川内市)で、鹿児島市の山形屋呉服店常務取締役の息子として生まれる。鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て第七高等学校造士館に入学。是枝恭二、喜入虎太郎らと文芸、哲学、社会問題の研究会を立上げ、ロシア飢饉救済運動にも加わった。1923年(大正12年)東京帝国大学文学部社会学科に進み、新人会に加入して活動したが、京都学連事件で検挙され、第1審で禁固1年の判決を受け、1926年(大正15年)1月に大学を中退した。
迫水 久常(さこみず ひさつね、1902年(明治35年)8月… 迫水 久常(さこみず ひさつね、1902年(明治35年)8月5日 - 1977年(昭和52年)7月25日)は、日本の大蔵官僚、弁護士、政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 いわゆる「玉音放送」を起草した人物の一人として知られる。 内閣書記官長(第51代)、総合計画局長官、貴族院議員、衆議院議員(2期)、参議院議員(4期)、経済企画庁長官(第9・10代)、郵政大臣(第17代)、鹿児島工業短期大学学長(初代)などを歴任した。
平瀬 實武(実武、ひらせ さねたけ、1901年11月17日 … 平瀬 實武(実武、ひらせ さねたけ、1901年11月17日 - 1994年1月18日)は、日本の政治家、革新首長。第15代鹿児島市長、第2代鹿児島県串木野市長、第6代串木野町長。鹿児島県議会(鹿児島県会)議員、鹿児島市会議員、同副議長も歴任した。串木野市名誉市民。位階は従五位。 鹿児島市下荒田町の旧家・最上家に生まれる(平瀬は養子先の姓)。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1922年旧制第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)文科卒業、1926年に東京帝国大学農学部農業経済学科卒業。同じ下荒田町出身で後輩の佐多忠隆とは、旧制中学生(通う中学は別)と旧制七高生のとき、ともに社会主義について勉強した。
谷口 慶吉(たにぐち けいきち、1901年(明治34年)11… 谷口 慶吉(たにぐち けいきち、1901年(明治34年)11月10日 - 1971年(昭和46年)11月14日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(2期)。 鹿児島県鹿児島郡吉田村大字東佐多浦(現鹿児島市東佐多町)出身。1918年(大正7年)鹿児島県立川辺中学校(現鹿児島県立川辺高等学校)を卒業した。 鹿児島県鹿児島郡吉田村会議員、同村農会長、同村煙草耕作組合長などを務めた。1932年(昭和7年)上京して運輸事業に従事した。 戦後、鹿児島県食糧調整委員、吉田村北農業協同組合長、鹿児島県経済農業協同組合連合会長、全国販売農業協同組合連合会理事、全国運輸農業協同組合連合会長、鹿児島県農業会議議員、同県茶業振興会長、同県鹿児島茶輸出協会長、同県農業協同組合中央会理事、同県トラック協会監事、鉄道貨物協会監事などを務めた。
滿尾 君亮(みつお きみすけ、1901年(明治34年)9月5… 滿尾 君亮(みつお きみすけ、1901年(明治34年)9月5日 - 1994年(平成6年)8月3日)は、日本の政治家、衆議院議員、運輸官僚。 満尾彦吉の長男として、鹿児島県鹿児島市上之園町で生まれ。4年生まで中洲尋常小学校に通い、鹿児島県師範学校附属小学校に転校し卒業する。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て第七高等学校造士館 (旧制)文科甲類卒業する。旧制鹿児島二中では、のちの鹿児島市長平瀬實武と同級となる。1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治学科に入学し。在学中の1925年(大正13年)11月高等文官試験外交科に合格する。1925年(大正14年)に卒業し。鉄道省に奉職する。その年の月に高等文官試験行政科にも合格する。
寺園 勝志(てらぞの かつし、1901年(明治34年)7月2… 寺園 勝志(てらぞの かつし、1901年(明治34年)7月25日 - 1998年(平成10年)2月11日)は日本の政治家、元官僚。鹿児島県知事や南日本放送会長を務めた。 1901年(明治34年)、姶良郡栗野村(のちの栗野町、現在の湧水町栗野地域)出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校を経て東京帝國大学(現・東京大学)を卒業。 内務官僚となり 、厚生省部長、鹿児島県経済部長、同県副知事などを経て、1955年(昭和30年)から鹿児島県知事を3期12年務めた。在任中、戦後の混乱で厳しい財政の中で農業振興や交通・通信の整備に尽力し、大隅半島の広大なシラス台地である笠野原台地に大規模灌漑で農業用水を提供する土地改良事業をおこなった。
葉梨 新五郎(はなし しんごろう、1901年〈明治34年〉2… 葉梨 新五郎(はなし しんごろう、1901年〈明治34年〉2月20日 - 1956年〈昭和31年〉3月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。 茨城県稲敷郡木原村(現:美浦村木原)に葉梨伴之助の四男として生まれた。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)を卒業し、明治大学専門部法律科中退、国士舘高等部(国士舘大学の前身)中退。 中央新聞、日本電報通信社(後の電通)の記者、関東長官秘書官などを経て、1932年旧茨城1区から立憲政友会公認で第18回衆議院議員総選挙に初当選し、戦前・戦後合わせて公職追放の期間を挟み、5回当選した(第18回、第20回、第22回、第23回、第26回)。
大谷 贇雄(おおたに よしお、1900年11月2日 - 19… 大谷 贇雄(おおたに よしお、1900年11月2日 - 1970年12月23日)は、日本の政治家。名古屋市会議員(2期)、参議院議員(3期)。愛知県教育委員長(初代)、農林政務次官、参議院懲罰委員会委員長などを歴任した。位階勲等は従三位勲二等。 明治33年(1900年)11月2日、学校法人桜花学園の創立者である大渓専の長男として、鹿児島県に生まれる。鹿児島市出身。2歳になるまでを鹿児島、姫路にて過ごした後に、父の郷里である愛知県幡豆郡横須賀村(後の吉良町、西尾市)で育つ。大正8年(1919年)3月に旧制尾張中学校(現・名古屋大谷高等学校)を卒業した。 大正14年(1925年)3月に慶應義塾大学文学部を卒業すると、桜花高等女学校(現・桜花学園高等学校)で教鞭をとった。
池田 清志(いけだ きよし、1900年(明治33年)9月15… 池田 清志(いけだ きよし、1900年(明治33年)9月15日 - 1991年(平成3年)7月29日)は、日本の内務・警察官僚、政治家、弁護士。衆議院議員、最後の官選栃木県知事。
田上 松衛(たがみ まつえ、1900年1月10日 - 199… 田上 松衛(たがみ まつえ、1900年1月10日 - 1995年1月28日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。横浜市会議員(3期)。神奈川県議会議員(2期) 鹿児島県揖宿郡山川村(現・指宿市)に生まれる。1917年、鹿児島県大成実業補習学校高等部卒業。1920年、日本海員組合結成に参画。 1926年には社会民衆党、1932年には社会大衆党の創立委員になった。1936年6月、神奈川県会議員選挙に横浜市神奈川区選挙区から立候補して初当選を果たした。1938年3月5日、横浜市会議員選挙に第2選挙区から社会大衆党公認で立候補して初当選を果たした。1940年、県会議員選挙に社会大衆党を抜け、中立候補で神奈川区選挙区から立候補したが、落選した。