喜納 昌春(きな まさはる、1947年6月10日 - )は、… 喜納 昌春(きな まさはる、1947年6月10日 - )は、日本の政治家。沖縄県議会議員(6期)、沖縄県議会議長、沖縄社会大衆党委員長などを務めた。沖縄県中頭郡西原町出身。 琉球大学卒業。1988年の第6回沖縄県議会議員選挙で中頭郡選挙区より立候補し初当選。以後、5期連続当選し2004年に沖縄社会大衆党(社大党)委員長に就任。同年の第20回参院選で民主党・社民党・共産党と共に野党共闘体制を構築し、社大党の副委員長・糸数慶子を無所属の野党統一候補として出馬、当選させた。2008年の第10回県議選においては県政の与野党を逆転させたものの自身は落選し、社大党も議席を減らす結果となったが委員長職を続投した。
下地 敏彦(しもじ としひこ、1945年(昭和20年)12月… 下地 敏彦(しもじ としひこ、1945年(昭和20年)12月10日 - )は、日本の政治家。元沖縄県宮古島市長(3期)。2015年8月、沖縄の保守系市長の会「チーム沖縄」を立ち上げ、その会長に就任した。落選後の2021年5月、陸上自衛隊駐屯地の用地売却を巡る贈収賄事件で逮捕された。 沖縄県宮古郡平良町(現宮古島市平良)生まれ。沖縄県立宮古高等学校、琉球大学理工学部生物学科卒業。 沖縄県宮古支庁長や旧城辺町助役を務めた。 2002年、平良市長選挙に出馬するも、現職の伊志嶺亮に敗れ、落選。2005年11月、市町村合併に伴い誕生した宮古島市の市長選に出馬したが、再び伊志嶺に413票差で敗れる。2006年6月より沖縄県漁業協同組合連合会会長を務めた。
平川 崇賢(ひらかわ そうけん、1945年8月13日 - )… 平川 崇賢(ひらかわ そうけん、1945年8月13日 - )は、日本の政治家。元沖縄県石川市長(1期)。 沖縄県石川市(現うるま市)出身。琉球政府立工業高等学校(現・沖縄県立沖縄工業高等学校)卒。石川市議会議員、石川青年会議所理事長を経て、2002年、石川市長選挙に立候補し、現職の金城秀吉を破って当選した。市長を2005年の合併まで務めた。市長退任後はうるま市社会福祉協議会会長を務めた。
稲嶺 進(いなみね すすむ、1945年(昭和20年)7月17… 稲嶺 進(いなみね すすむ、1945年(昭和20年)7月17日 - )は、日本の政治家。オール沖縄共同代表、元沖縄県名護市長(2期)。 沖縄県国頭郡久志村(現:名護市字三原)生まれ。久志村立三原小学校、琉球政府立宜野座高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、琉球大学法文学部卒業。1972年(昭和47年)1月、名護市役所に就職し、厚生課に配属される。その後、名護市総務部長や収入役を経て、2005年(平成17年)に名護市教育長に就任。以後4年間同市教育長を務める。2010年(平成22年)1月24日執行の名護市長選挙に「普天間飛行場県内移設反対」を掲げて出馬し、初当選した。同年2月8日、市長に就任。
岸本 建男(きしもと たてお、1943年(昭和18年)11月… 岸本 建男(きしもと たてお、1943年(昭和18年)11月22日 - 2006年(平成18年)3月27日)は、日本の政治家。沖縄県名護市長(2期)。 沖縄県名護市出身。親は教員を務めていた。琉球政府立首里高等学校(現・沖縄県立首里高等学校)時代はボクシング部に所属した。1967年(昭和42年)3月、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同大学大学院に在学中、沖縄の本土復帰運動に身を投じた。1969年(昭和44年)12月刊行の『ドキュメント沖縄闘争』(亜紀書房)の編集に新崎盛暉や全国沖縄闘争学生委員会委員長の渡名喜明らとともに携わった。1970年(昭和45年)、北米・南米へ向かい、放浪。チェ・ゲバラに心酔し、ゲバラが死を遂げたボリビアでベレー帽をかぶった写真を撮るほどであった。
白保 台一(しらほ たいいち、1942年8月3日 - 201… 白保 台一(しらほ たいいち、1942年8月3日 - 2013年2月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。沖縄県議会議員(3期)。
嘉数 知賢(かかず ちけん、1941年〈昭和16年〉6月1日… 嘉数 知賢(かかず ちけん、1941年〈昭和16年〉6月1日 - 2024年〈令和6年〉10月15日)は、日本の政治家。沖縄県本部町出身。自由民主党所属の元衆議院議員(4回)。 1941年6月1日生まれ。1966年に早稲田大学第一政治経済学部を卒業。1980年、沖縄県議会議員に当選し、5期務めた。1994年には県議会議長に就任する。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に宮里松正の後継者として自民党から初当選(当選同期に河野太郎・菅義偉・平沢勝栄・渡辺喜美・大村秀章・河本三郎・桜田義孝・下地幹郎・下村博文・新藤義孝・滝実・棚橋泰文・田村憲久・谷畑孝・戸井田徹・松本純など)。防衛庁長官政務官や内閣府大臣政務官を歴任。
知念 恒男(ちねん つねお、1940年9月11日 - )は、… 知念 恒男(ちねん つねお、1940年9月11日 - )は、日本の政治家。沖縄県初代うるま市長(1期)、具志川市長(2期)、具志川市議会議員(6期)などを歴任した。 沖縄県具志川村具志川出身(現・沖縄県うるま市具志川)出身。沖縄国際大学短期大学部卒。1970年から具志川市議会議員を6期連続で務め、議長に就任した。1998年、具志川市長に当選。2期務めた。2005年に具志川市は合併でうるま市となり、合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選、初代うるま市長として、合併後うるま市の基盤づくりに努めた。。うるま市長は1期務め、2009年に退任した。2011年11月3日、秋の叙勲において旭日中綬章受章した。
仲里 利信(なかさと としのぶ、1937年3月16日 - )… 仲里 利信(なかさと としのぶ、1937年3月16日 - )は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(1期)、沖縄県議会議長(第14代)、沖縄県議会議員(4期)を務めた。 沖縄県島尻郡南風原町生まれ。幼少期は沖縄戦を体験する。沖縄県立知念高等学校、琉球大学文理学部化学科卒業。卒業後は島ぞうり(ゴムぞうり)製造を主に手がける企業を設立し、同社代表を務める。 衆議院議員、参議院議員を務めた大城眞順の後援会事務局長を経て、1992年の沖縄県議会選挙に自由民主党公認で島尻郡選挙区から出馬し、初当選。自民党を離党して新進党に参加するが、1997年9月、新進党を離党し、自民党に復党した。4期16年にわたり県議を務め、2006年には沖縄県議会議長に選出された(~2008年)。
新川 秀清(あらかわ しゅうせい、1937年1月1日 - )… 新川 秀清(あらかわ しゅうせい、1937年1月1日 - )は、日本の政治家、沖縄市長、沖縄県議会議員などを歴任した。 1937年、越来村仲原(後の沖縄市の一部)に生まれ、コザ高等学校に学ぶ。 高校卒業後、沖縄群島社会福祉協議会(のち、沖縄社会福祉協議会:沖縄県社会福祉協議会の前身)に勤務する。この頃には、地元のコザ市山里で青年会長を務めており、1958年ころには、それまで男性だけが踊っていたエイサーへの女性の参加を進めるなどした。 1967年に当時のコザ市役所に入り、経済民生部長を務め、沖縄市となった後には福祉部長、経済部長、中部広域市町村協議会事務局長などを歴任し、1989年に退職した。 1990年の沖縄市長選挙に、日本社会党、日本共産党、沖縄社会大衆党の推薦と、公明党の支持を得て出馬し、4選を目指していた現職の桑江朝幸を破って初当選を果たした。
渡口 初美(とぐち はつみ、1935年1月15日 - 202… 渡口 初美(とぐち はつみ、1935年1月15日 - 2020年11月26日)は、日本の料理研究家、政治家。那覇市議会議員。 沖縄県那覇市出身。父親は実業家・政治家の高良一。沖縄県立那覇高等学校卒業、東京国際クッキングスクール卒業。 沖縄県那覇市三原の郷土料理店「まんがん」を経営。また、琉球料理研究家として活動。主な著書として『渡口初美の琉球の家庭祭祀』『沖縄の葬祭と祖先供養』『琉球料理と御火の神様』など、沖縄の年中行事、祖先供、伝統料理などの書籍がある 。日本各地での琉球料理の講習会の開催でも活動している。料理漫画『美味しんぼ』では単行本28巻で、主人公に料理を提供する役として登場している。 2020年11月26日、肺炎のため那覇市内の病院で死去。
玉城 栄一(たまき えいいち、1934年2月9日 - 201… 玉城 栄一(たまき えいいち、1934年2月9日 - 2015年8月1日)は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(6期)。 沖縄県平良市(現宮古島市)出身。宮古商卒。速記者養成所に入り、立法院(琉球政府)に入庁。1969年那覇市議を経て、1976年の総選挙で沖縄県全県区から立候補して初当選。6期務めた。1993年に引退した。 2015年8月1日、老衰のため、糸満市の病院で死去した。81歳没。
稲嶺 恵一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月… 稲嶺 恵一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月14日 - )は、日本の実業家、元政治家(沖縄県知事)。沖縄県国頭郡本部町出身。父は、琉球石油(現・りゅうせき)創業者で元参議院議員の稲嶺一郎。旭日重光章。報道などでは新字体を用い稲嶺 恵一とも表記される。
稲嶺 惠一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月… 稲嶺 惠一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月14日 - )は、日本の実業家、元政治家(沖縄県知事)。沖縄県国頭郡本部町出身。父は、琉球石油(現・りゅうせき)創業者で元参議院議員の稲嶺一郎。旭日重光章。報道などでは新字体を用い稲嶺 恵一とも表記される。 知事時代の功績には、2000年に開催された九州・沖縄サミットの誘致と二千円札(弐千円券)の発行、沖縄都市モノレール線の開通などがある。 防衛官僚の守屋武昌は普天間基地移設問題の早期決着を目指していたが、2005年の日米合意2日後に反対を表明した稲嶺知事(当時)から「守屋さん、沖縄では大きな仕事は20年かかるんですよ。新石垣空港だってそうでしょう。
宮城 健一(みやぎ けんいち、1933年〈昭和8年〉6月3日… 宮城 健一(みやぎ けんいち、1933年〈昭和8年〉6月3日 - 2021年〈令和3年〉9月3日)は、日本の政治家。元沖縄県浦添市長(1期)。位階は従五位。 浦添市生まれ。1951年(昭和26年)、沖縄県立首里高等学校卒業。卒業後は米軍基地で勤務した。1952年(昭和27年)、コザ教員訓練校卒。卒業後は沖縄県内で中学校教諭となる。本土復帰後の1975年(昭和50年)に沖縄教職員組合政治部長となった。1976年(昭和51年)、沖縄県議会議員選挙に浦添市選挙区から社会党公認で初当選を果たした。1980年(昭和55年)の県議選にも立候補したが、落選した。1984年(昭和59年)の県議選で当選し、返り咲きを果たした。
上原 康助(うえはら こうすけ、1932年〈昭和7年〉9月1… 上原 康助(うえはら こうすけ、1932年〈昭和7年〉9月19日 - 2017年〈平成29年〉8月6日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は従三位、勲等は勲一等。 衆議院議員(10期)、北海道開発庁長官(第59代)、沖縄開発庁長官(第28代)、国土庁長官(第24代)を歴任。 沖縄県国頭郡本部町字伊豆味に、農業・上原幸福の二男として生まれる。1951年沖縄県立北山高等学校を卒業後、米軍沖縄地区工作隊に就職する。当時の米軍基地では、USCARの布令116号でストライキに参加することは違法で解雇とされ、琉球住民への賃金差別をはじめとする差別待遇が横行していた。やがてある日一方的に解雇通告を受けたことを契機に労働問題への関心を強め、1960年上原が中心となって「軍労働問題研究会」を立ち上げ、翌1961年には全沖縄軍労働組合連合会を結成、委員長となる。
瑞慶覧 長方(ずけらん ちょうほう、1932年 - 2023… 瑞慶覧 長方(ずけらん ちょうほう、1932年 - 2023年8月18日)は、日本の政治家・植物学者。元沖縄県議会議員・沖縄社会大衆党委員長。前沖縄県南城市長・瑞慶覧長敏は長男、2024年の沖縄県議会議員選挙で当選した元南城市議会議員の瑞慶覧長風は孫にあたる(長敏の次男)。 沖縄県島尻郡大里村(現・南城市)出身。1945年6月に多数の民間犠牲者を出した沖縄戦の南部戦線を生き残り、米国統治下で琉球大学理学部に入学。1953年に高良鉄夫助教授を団長とする尖閣諸島の生物分布調査に参加している。大学卒業後、知念高校の教諭を経てサボテン研究家となり、特に南米産の品種を数多く紹介したことで沖縄の園芸界において広く名前を知られる存在となった。
仲村 正治(なかむら せいじ、1931年9月6日 - 201… 仲村 正治(なかむら せいじ、1931年9月6日 - 2018年11月15日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(7期)、沖縄県議会議員(2期)、那覇市議会議員(1期)などを歴任。 1969年に那覇市議会議員、1976年に沖縄県議会議員となり、沖縄県政界における地位を築く。1983年に第37回衆議院議員総選挙で初当選し、1度の落選を挟んで7回当選(83年当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・額賀福志郎・野呂田芳成・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・中川昭一・鈴木宗男・甘利明など)。1993年6月の宮澤内閣不信任案採決直前に沖縄開発庁政務次官を辞任し不信任案に賛成、改革フォーラム21ごと自民党を集団離党する。
安次富 盛信(あしとみ せいしん、1930年(昭和5年)12… 安次富 盛信(あしとみ せいしん、1930年(昭和5年)12月13日 - 2011年(平成23年)4月13日)は、日本の政治家。元沖縄県宜野湾市長。 沖縄県出身。コザ高等学校卒業。1957年(昭和32年)から宜野湾市議会議員4期を経て、1977年(昭和52年)宜野湾市長に当選した。 任期中の1983年(昭和58年)10月8日、西銘順治沖縄県知事に普天間飛行場移転を要請した。1985年(昭和60年)7月、落選した。
半嶺 当泰(はんみね とうたい、1929年〈昭和4年〉9月5… 半嶺 当泰(はんみね とうたい、1929年〈昭和4年〉9月5日 - 2019年〈平成31年〉4月14日)は、日本の政治家。元沖縄県石垣市長(1期)。 石垣市生まれ。旧制沖縄県立八重山中学校卒。琉球大学語学部国語科中退。自治大学第二部課程修了。石垣市大浜支所総務課長や議会事務局長などを歴任した。1970年(昭和45年)石垣市議会議員に当選し、5期務めた。この間、1982年(昭和57年)9月から1990年(平成2年)3月まで第11・12代市議会議長を務めた。 1990年(平成2年)、任期途中で市議を辞職した。同年の市長選挙に立候補して、5選を現職の内原英郎を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:88.85%(前回比:-pts) 1994年(平成6年)の市長選に再選を目指して立候補したが、元沖縄県立八重山病院長の大濱長照に敗れた。
古堅 実吉(ふるけん さねよし、選挙ポスター等では「フルゲン… 古堅 実吉(ふるけん さねよし、選挙ポスター等では「フルゲン実吉」と表記、1929年7月5日 - )は、日本の政治家。日本共産党所属の元衆議院議員(3期)。沖縄県国頭村出身。 OKINAWA 2015 少年兵の見た戦場 古堅実吉さんの証言(完全版) 戦火に焼かれた首里城 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
伊波 幸夫(いは ゆきお、1927年(昭和2年)11月30日… 伊波 幸夫(いは ゆきお、1927年(昭和2年)11月30日 - 2013年(平成25年)1月25日)は、昭和時代の政治家。沖縄県平良市長。 平良市出身。1945年(昭和20年)台中第二中学校卒業。 平良市議会議員、同議長を経て、1982年(昭和57年)平良市長に当選。1986年(昭和61年)任期満了に伴う選挙で落選した。市長在任中、「スポーツアイランド宮古島」の足掛かりとなる「スポーツアイランド構想」を策定した。
大浜 方栄(おおはま ほうえい、大濱方榮、1927年10月2… 大浜 方栄(おおはま ほうえい、大濱方榮、1927年10月27日 - 2014年4月28日)は、日本の政治家、医師。位階は従四位。 社会福祉法人・医療法人・財団法人おもと会理事長。元自由民主党参議院議員。 1980年の第12回参議院議員通常選挙(沖縄地方区)に保守系無所属で立候補するも、革新共闘会議の喜屋武真栄に敗北。その後、1983年の第13回参議院議員通常選挙(比例区)で初当選、2期務める。派閥は平成研究会(竹下派→小渕派)。 2014年4月28日午前0時47分、老衰のため沖縄県那覇市の大浜第一病院で死去。86歳没。叙従四位。
大城 眞順(おおしろ しんじゅん、1927年10月5日 - … 大城 眞順(おおしろ しんじゅん、1927年10月5日 - 2016年2月18日)は、日本の政治家。沖縄返還前の琉球政府では立法院議員として活動し、復帰後には衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)を務めた。 1965年の琉球政府の第7回立法院議員総選挙で第26区より当選。 1968年の第8回立法院議員総選挙で再選。 1979年10月7日の第35回衆議院議員総選挙に沖縄県全県区に自由民主党から出馬し、初当選。四十日抗争では田中派として大平正芳に投票。 1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。 1980年の喜屋武眞榮の任期途中での沖縄県知事選出馬に伴う第12回参議院議員通常選挙の沖縄県選挙区補欠選挙で自由民主党から出馬し、初当選。
島袋 宗康(しまぶく そうこう、男性、1926年10月5日 … 島袋 宗康(しまぶく そうこう、男性、1926年10月5日 - 2022年12月9日)は、日本の政治家。沖縄社会大衆党名誉顧問。元参議院議員(2期)・沖縄社会大衆党委員長。姓は琉球語読み(沖縄の名字)で、日本語読みは「しまぶくろ」とも。 1969年、那覇市議会議員に当選し4期務めた。 1984年、沖縄県議会議員に当選し2期務めた。 1989年から約15年間、沖縄社会大衆党委員長を務めた。 1992年の第16回参院選では第二院クラブ公認で革新共闘の統一候補として沖縄県選挙区に立候補し、PKO法反対などを訴え、341票の僅差で自民党の大城真順を破り初当選。1人区では唯一の野党が獲得した議席となった。
親泊 康晴(おやどまり こうせい、1926年8月28日 - … 親泊 康晴(おやどまり こうせい、1926年8月28日 - 2005年4月11日)は、日本の政治家。1984年から2000年まで沖縄県那覇市長を務めた。
大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月1… 大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉6月12日)は、日本・沖縄の政治家・社会学者。元沖縄県知事(2期)、元社会民主党参議院議員(1期)。琉球大学名誉教授。特定非営利活動法人沖縄国際平和研究所理事長。 沖縄県島尻郡具志川村(現・久米島町)出身。 母校の小学校の用務員などを経て、東京の工学院へ特待生で進学する予定であったが、親戚のつてで沖縄師範学校に進学する。在学中の1945年(昭和20年)3月に鉄血勤皇隊に動員され、情報宣伝隊の「千早隊」に配属された。沖縄戦の中、九死に一生を得るが多くの学友を失う(同期125人中生存は大田を含めて37人)。
西銘 順治(にしめ じゅんじ、1921年〈大正10年〉11月… 西銘 順治(にしめ じゅんじ、1921年〈大正10年〉11月5日 - 2001年〈平成13年〉11月10日)は、日本の政治家。那覇市名誉市民、知念村名誉村民、与那国町名誉町民。 沖縄県知事(本土復帰後第3代)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院議員(4期)、沖縄県那覇市長(第18・19代)、沖縄自由民主党総裁、立法院議員(1期)等を歴任した。 沖縄県八重山郡与那国村(現・与那国町)生まれ。小学生時代の一時期、南洋庁のパラオに在住していた。旧制沖縄県立第二中学校、旧制水戸高等学校を経て1948年、東京帝国大学法学部卒業。戦時下に海軍中尉となる。 外務省に入省するが、半年で退官。沖縄へ戻り、沖縄ヘラルド(その後改名して沖縄朝日新聞)の創設に参加し社長などを歴任する。
伊江 朝雄(いえ ともお、1921年5月17日 - 2007… 伊江 朝雄(いえ ともお、1921年5月17日 - 2007年5月14日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員。北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官。沖縄県出身者初の国務大臣として知られる。
桑江 朝幸(くわえ ちょうこう、1918年(大正7年)2月3… 桑江 朝幸(くわえ ちょうこう、1918年(大正7年)2月3日 - 1993年(平成5年)12月16日)は、琉球政府・沖縄県の政治家である。軍用地主の団体である市町村土地特別委員連合会(現:沖縄県軍用地等地主会連合会、通称:土地連)の初代会長となった。1978年から1990年まで沖縄市の市長を務めた。1989年に泡瀬干潟の埋め立て事業を含む東部海浜開発計画市案を発表する。2014年から2024年の死去まで沖縄市長を務めた桑江朝千夫の父である。 琉球列島米国民政府(略称:USCAR)については、「アメリカ民政府」と記述する。また肩書、施設名、その他名称について、当時のもので表記する。 1918年(大正7年)に沖縄県中頭郡越来村(現:沖縄市)に生まれる。
亀谷 長榮(かめや ちょうえい、1914年(大正3年)1月4… 亀谷 長榮(かめや ちょうえい、1914年(大正3年)1月4日 - 1999年(平成11年))は、日本の政治家。福岡県筑紫郡春日村(現、春日市)村議会議員(2期)、同町議会議員(2期)。同議長(2期)。 春日市長(3期。第2・3・4代)を務めた。 1914年(大正3年)1月に、第一尚氏の末裔とされる亀谷家(福山英治著、大神二郎発行『波濤を越えて 亀谷長栄伝記』葦書房有限会社、初版昭和61年9月15日、8頁。以下特に脚注・出典の記載がないかぎり記述は全て同書からの引用である。また名の表記については同書に基づき「長栄」とする。)の亀谷長睦と、その妻であるツルとの間に沖縄県島尻郡玉城村字屋嘉部(現、南城市字玉城屋嘉部)に生まれる。
長嶺 秋夫(ながみね あきお、1908年(明治41年)8月2… 長嶺 秋夫(ながみね あきお、1908年(明治41年)8月29日 - 2002年(平成14年)10月29日)は、日本の政治家。小禄村長(第8・9代)、立法院議員(7期)、立法院副議長(3期)、立法院議長(3期)を歴任。 米国統治下の沖縄において、当時の佐藤栄作首相や日米国政府高官と度重なる会合・折衝を実施し、沖縄の本土復帰に尽力した。全8回実施された琉球政府立法院議員選挙において、初回を除く7回に立候補し、全て当選した。琉球政府立法院の議長を3期務めた人物は長嶺以外に存在しない。尚、長嶺は副議長も3期務めており、過去最多である。
平良 良松(たいら りょうしょう、1907年(明治40年)1… 平良 良松(たいら りょうしょう、1907年(明治40年)11月12日 - 1990年(平成2年)3月19日)は、日本の政治家。沖縄県那覇市長(4期)などを務めた。 那覇市出身。沖縄県立第一中学校(現・沖縄県立首里高等学校)を卒業後上京し、近衛師団兵器部にて働きながら法政大学専門部法律科に通っていたが、赤色救援会の活動への関与が発覚したことや病気療養により、一旦帰郷する。 だが、警察の監視つきで就職さえままならなかったため、1934年、ペルー・リマ市に渡り現地の日本人学校で8年間教鞭を執る。終戦後の1946年に沖縄へ戻り、村会議員や農協会長などを経て、1954年から4期にわたり立法院議員となる。
瀬長 亀次郎(せなが かめじろう、1907年(明治40年)6… 瀬長 亀次郎(せなが かめじろう、1907年(明治40年)6月10日 - 2001年(平成13年)10月5日)は、日本の政治家、ジャーナリスト。 1946年 - 1949年、米軍機関紙「うるま新報」(後の琉球新報)社長を務めた。復帰前に、那覇市長(1期)、立法院議員(3期)、沖縄人民党委員長、国政参加選挙で衆議院議員1期。本土復帰後、衆議院議員としては人民党で1期、日本共産党として連続5期。1973年以降共産党幹部会副委員長をつとめた。 太平洋戦争後のアメリカ合衆国による沖縄統治(施政権下)において、沖縄人民党を組織し、米国による統治に対する抵抗運動を行った。返還前の沖縄において立法院議員や那覇市長を歴任、国政参加選挙において衆議院議員に当選した。
稲嶺 一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1… 稲嶺 一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1989年6月19日)は、日本の政治家・実業家・軍人。沖縄県国頭郡本部村出身。元沖縄県知事稲嶺惠一の父。
星 克(ほし かつ、1905年4月9日 - 1977年5月2… 星 克(ほし かつ、1905年4月9日 - 1977年5月25日)は、戦前の沖縄県の教育者で、沖縄群島政府、琉球政府及び沖縄県の政治家。沖縄県石垣市出身。 戦前の教職時代に沖縄民謡「安里屋ユンタ」を基に「新安里屋ユンタ」を作詞したことでも知られる。 1905年(明治38年)4月9日生まれ。1922年(大正11年)に石垣島の白保尋常高等小学校代用教員となる。戦前は教育界に身を置いた。 沖縄戦後は大浜町に就職し、収入役・助役・町長の三役を務めた後、八重山群島議会議員に就任。そして琉球政府発足後の第2回立法院議員総選挙で初当選した。 琉球政府立法院では、当時の保守政党であった沖縄自由民主党の重鎮として活躍する。
小田 栄(小田 榮、おだ さかえ、1904年〈明治37年〉3… 小田 栄(小田 榮、おだ さかえ、1904年〈明治37年〉3月24日 - 1994年〈平成6年〉7月11日)は、日本の社会主義者、政治家、ジャーナリスト。衆議院議員。別名・天界。 広島県賀茂郡川尻村(川尻町を経て現呉市)で菓子製造業の家に生まれる。父の事業が失敗し、叔父からの勧めで1912年に一家で沖縄に移住。一家で飴屋を始め、小田も行商を行う。1918年、沖縄県立第一中学校に入学。4年次の学芸会で社会批判の演説を行い放校となった。 沖縄出身の先輩、アナキストで労働運動社にいた泉正重を頼り上京。同志と雑誌創刊を計画するも当局に検挙された。1922年、中浜哲、古田大次郎らのギロチン社に加わったが、1923年の関東大震災により沖縄に戻った。
大田 政作(おおた せいさく、1904年2月12日 - 19… 大田 政作(おおた せいさく、1904年2月12日 - 1999年8月18日)は、日本の官僚、琉球政府の政治家。元琉球政府行政主席(1959年10月21日 - 1964年11月1日)。
安里 積千代(あさと つみちよ、1903年8月22日 - 1… 安里 積千代(あさと つみちよ、1903年8月22日 - 1986年9月30日)は、八重山群島政府及び琉球政府の政治家。元衆議院議員(沖縄社会大衆党→民社党)。
大山 朝常(おおやま ちょうじょう、1901年(明治34年)… 大山 朝常(おおやま ちょうじょう、1901年(明治34年)12月25日 - 1999年(平成11年)11月24日)は、琉球政府および沖縄県の政治家。1954年に立法院議員に当選。1958年から1974年まで4期16年間にわたりコザ市長を務めた。沖縄社会大衆党の結党メンバーの1人で、沖縄の本土復帰運動のリーダーであった。位階は正六位。沖縄戦の後の沖縄の政治、行政に大きな影響を与え、現在の沖縄市の基礎を築いたと評される。晩年、『沖縄独立宣言』 を出版し、「ヤマトは帰るべき祖国ではなかった」として琉球独立を主張した。 琉球列島米国民政府(略称:USCAR)については、「アメリカ民政府」と記述する。また肩書、施設名、その他名称について、当時のもので表記する。
比嘉 秀平(ひが しゅうへい、1901年(明治34年)6月7… 比嘉 秀平(ひが しゅうへい、1901年(明治34年)6月7日 - 1956年(昭和31年)10月25日)は、沖縄県の官僚、教育者、琉球政府の政治家。1952年4月から1956年10月まで琉球政府行政主席を務めた。琉球民主党初代総裁。 沖縄県中頭郡読谷村に生まれる。小学校時代に事故で右腕を失うも、勉学に励み、1925年(大正14年)早稲田大学文学部英文学科を卒業する。 和歌山県の高野山中学に勤務後、約20年間の教員生活を送り、母校である沖縄県立第二中学校の教諭および沖縄県立第三中学校の教頭を務める。 沖縄戦では県立第三中学校の学徒隊を率いたが生還し、終戦後、沖縄民政府に採用されて、翻訳課長や官房長などを歴任した。
石原 昌淳 (いしはら しょうじゅん、1900年(明治33年… 石原 昌淳 (いしはら しょうじゅん、1900年(明治33年)2月5日 - 1995年(平成7年)10月16日)は、沖縄県の政治家、実業家。 戦前は旧美里村議会議員、美里村助役、沖縄県会議員を、戦後のアメリカ施政権下では沖縄民政(沖縄民政府)議会議員、群島議会議員、琉球政府立法院議員、同中央教育委員会委員長、琉球工業連合会副会長、沖縄製塩社長などを務めた。勲五等瑞宝章受章。 1900年(明治33年)、現在の沖縄県沖縄市泡瀬地区にて生まれる。 大正の末期から昭和10年頃にかけての沖縄の政治界は、本土の二大政党であった民政党と政友会との対立に巻き込まれて、激しい勢力争いが続いていた。沖縄県選出の国会議員や県会議員のほとんどもこの二大政党のいずれかに属し、選挙の際には自派の議員の選出に懸命であった。
吉野 高善(よしの こうぜん、1898年(明治31年)5月1… 吉野 高善(よしの こうぜん、1898年(明治31年)5月15日 - 1965年(昭和40年)11月4日)は、八重山民政府の政治家で、八重山民政府知事を務めた。沖縄県八重山郡竹富町小浜島出身。 明治31年生まれ。沖縄県立第二中学校を経て台北医学専門学校を卒業する。 その後、昭和2年(1927年)に帰島し、石垣島で医院を開業した。 沖縄戦後は、八重山自治会の副会長に選出され、続いて八重山支庁の衛生部長に就任する。その後、米軍によって八重山民政府の知事に任命される。 1950年の八重山群島知事選挙では、安里積千代候補に敗れた。
宮里 栄輝(みやさと えいき 、1898年(明治31年)3月… 宮里 栄輝(みやさと えいき 、1898年(明治31年)3月2日 - 1984年(昭和59年)1月10日)は、日本の政治家。沖縄県真和志市(現・那覇市)長。立法院議員。 沖縄県真和志間切(のち島尻郡真和志村→真和志市、現・那覇市)与儀に生まれる。沖縄県立第一中学校(現・沖縄県立首里高等学校)を経て、熊本の第五高等学校に入るが、1年で中退する。東京の私立大学(大学名不明)に入るが、ここも中退した。その後は沖縄県立図書館に勤務する。以後は沖縄文化の研究に没頭する。1940年に図書館を退職。翌年開南中学校講師となる。1942年、小学校教師の石川初子と結婚する。1945年、熊本に疎開し、終戦を迎える。終戦後は沖縄県の疎開者の生活を守る活動をし、沖縄人連盟の九州本部の会長に選ばれ、1946年に沖縄に戻った。
井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月… 井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月28日 - 昭和42年(1967年)6月30日)は、日本の政治運動家、革命家、ジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期)。 沖縄県那覇市出身。1912年(大正元年)鹿児島一中を卒業、1916年(大正5年)慶應義塾大学部予科に入学し、卒業。1918年(大正7年)同大学部理財科に進む(後に中退)。在学中に、「日本社会主義同盟」、山川均らが主宰していた水曜会で活躍。1921年(大正10年)12月より翌年11月まで一年志願兵として鹿児島歩兵連隊に入隊。24年春から秋頃まで大阪の『関西日報』の記者となる。 1923年(大正12年)に日本共産党に入党。
当間 重剛(とうま じゅうごう、當間 重剛、1895年(明治… 当間 重剛(とうま じゅうごう、當間 重剛、1895年(明治28年)3月25日 - 1971年(昭和46年)10月20日)は、戦前の沖縄県および琉球政府の政治家・裁判官。那覇市長・琉球政府行政主席(1956年11月11日 - 1959年11月10日)。フランス語に堪能な人物だった。 ジャーナリストで初代那覇市長だった当間重慎の息子として沖縄県那覇(現・那覇市)に生まれる。沖縄県立第一中学校、旧制第三高等学校を経て、1920年に京都帝国大学法学部を卒業。1939年に那覇市長に選出され、戦時中は大政翼賛会沖縄県支部長を務めた。 沖縄戦後には一転沖縄民政府行政法務部長を歴任し、1946年には戦前の市町村長経験者を市町村長に起用する米軍の特別措置に伴い再度那覇市長に就任。
徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年〈明治27年〉9月… 徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年〈明治27年〉9月12日 - 1953年〈昭和28年〉10月14日)は、日本の政治運動家、共産主義者、革命家、弁護士、政治家。衆議院議員(3期)、戦前の非合法政党時代から戦後初期に至るまでの日本共産党の代表的活動家で、戦後初代の書記長を務めた。徳球の愛称で知られる。 沖縄県国頭方名護間切(現:沖縄県名護市)で、鹿児島の豪商の庶子であった父とウチナーンチュの母の間に生まれる。家は沖縄の中にあっては裕福で、「球一」の名は「琉球一の人物」になることを願って付けられた。母方の祖母は高利貸しと泥藍売りを営み、徳田もこの稼業を手伝っていたが、強欲な祖母に反発して「お金を借りてはだめだ」と借りに来た者に対して注意するなど、正義感が強い子供であった。
宮良 長詳(みやら ちょうしょう、1894年(明治27年)1… 宮良 長詳(みやら ちょうしょう、1894年(明治27年)1月11日 - 1965年(昭和40年)1月30日)は、戦前の沖縄県の医師で、八重山支庁の政治家。終戦直後に八重山支庁長を務めた。沖縄県石垣市出身。 明治27年(1894年)1月11日生まれ。大正10年(1921年)に九州帝国大学医学部を卒業する。 大正13年(1924年)に石垣島に帰島し医院を開業する。戦前は八重山諸島の旧制中学校設立運動に関わる。 沖縄戦後は、八重山諸島の混乱を鎮めるために、有志とともに八重山自治会を結成し自治会長に就任する。進駐したアメリカ軍によって八重山支庁長に任命される。 翌年に支庁長を辞任し、以降は八重山人民党を結成するなど、しばらく政治活動を続け、晩年には仏教に帰依する。
平尾 喜一(ひらお きいち、1893年(明治26年)12月1… 平尾 喜一(ひらお きいち、1893年(明治26年)12月18日 - 1971年(昭和46年)5月28日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 沖縄県、のちの那覇市で実業家・平尾喜三郎の長男として生まれる。沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)を修了した。 家業の平尾商店に勤務し、その後、同商店の経営を弟・喜治郎に委ね、ライジングサン石油沖縄県代理店、新垣・平尾自動車社長、沖縄県石油統制配給社長、沖縄県自動車整備配給社長、沖縄県製瓦販売社長、琉球新報社長、沖縄新報常務取締役、那覇商工会議所議員などを務めた。 政界では、那覇市会議員を務め、1939年、貴族院多額納税者議員選挙で当選して、同年9月29日、同議員に就任し、交友倶楽部に所属して活動し、1941年5月2日に辞職した。
伊礼 肇(伊禮 肇、いれい / いれ はじめ、1893年(明… 伊礼 肇(伊禮 肇、いれい / いれ はじめ、1893年(明治26年)10月15日 - 1976年(昭和51年)6月7日)は、沖縄県出身の日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 沖縄県中頭郡北谷村(現北谷町)字北谷で、農家・伊礼昆正の三男として生まれる。沖縄県立第一中学校から第七高等学校造士館に進学し、1916年に同校理科を卒業。京都帝国大学法学部法律学科(独法)に進学し、1919年7月に卒業した。 同年に帰郷して沖縄県属となり地方課に配属。要請を受け1920年8月に北谷村長に就任。村政改革を進めたが保守勢力との対立を引き起こした。1923年11月に村長を辞して那覇に法律事務所を開設。1924年5月の第15回衆議院議員総選挙に憲政会の公認を受けて沖縄県から出馬したが落選。