大国 真彦(おおくに まさひこ、1927年(昭和2年)9月1… 大国 真彦(おおくに まさひこ、1927年(昭和2年)9月15日 - )は、日本の小児科医。日本大学名誉教授、大国小児科クリニック院長。 朝鮮釜山府生まれ。1951年東京大学医学部卒。52年東大医学部小児科助手。1958年東京大学医学博士。1959年東大講師、1963年日本大学医学部助教授、1973年教授、1986年日本大学医学部附属板橋病院副院長、1990-1992年院長、1988年日本小児科学会会長。1995年日大名誉教授、表参道眼科・小児科クリニック院長。成城に大国小児科クリニックを開設し院長。2008年春瑞宝中綬章受勲。小児のコレステロール値を研究し、動脈硬化や肥満などの小児成人病を指摘した。
平井 富雄(ひらい とみお、1927年8月21日 - 199… 平井 富雄(ひらい とみお、1927年8月21日 - 1993年1月26日)は、日本の医学者、精神科医。 東京生まれ。東京大学医学部卒業。学位は、医学博士(東京大学・1960年)(学位論文「坐禅の脳波的研究」)。東京大学医学部附属病院分院長、東京家政大学教授、日本精神神経学会理事長(任期:1973年 - 1977年)も務めた。 禅宗の僧侶を脳波測定し、α波など、精神状態と脳波の関連性について研究を行った。脳波研究での草分け的な存在。日本睡眠学会の設立にも参加した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
大島 清(おおしま きよし、1927年1月25日 - 202… 大島 清(おおしま きよし、1927年1月25日 - 2023年4月19日)は、日本の性科学者、産婦人科医師、脳生理学者、京都大学名誉教授。 広島県生まれ。都島工高を経て海軍兵学校(76期)で終戦を迎える。旧制三高を経て1957年東京大学医学部卒業。1963年「Progesteroneの中枢作用に関する電気生理学的研究」で東京大学医学博士。1971年京都大学霊長類研究所助教授、1980年同教授、1990年定年退官し名誉教授、愛知工業大学教授を務めた。サケの母川回帰、サルとヒトの生殖生理の比較研究など、生物の「性」に学問的関心を寄せ、50代半ば以降、多数の一般向け著作で知られる(著書に付されたプロフィールより)。
安田 一郎(やすだ いちろう、1926年12月11日 - 2… 安田 一郎(やすだ いちろう、1926年12月11日 - 2017年8月)は、日本の心理学者・医師。 安田徳太郎の長男として京都に生まれる。前橋医学専門学校卒業、東京大学文学部心理学科卒。横浜市老人リハビリテーション友愛病院長。1982年、横浜市立大学教授。1992年、定年退官。フロイト、ユングなどを研究、紹介し、セクソロジー(性科学)の著述、翻訳でも知られた。 著作の一部はデジタル化され、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。
高橋 良(たかはし りょう、1926年11月17日 - 19… 高橋 良(たかはし りょう、1926年11月17日 - 1988年9月2日)は、日本の医学者、精神科医。元東京医科歯科大学医学部教授。長崎大学名誉教授。医学博士。
杉村 隆(すぎむら たかし、1926年4月20日 - 202… 杉村 隆(すぎむら たかし、1926年4月20日 - 2020年9月6日)は、日本の医学者(生化学・腫瘍学)・医師。学位は、医学博士(東京大学・1957年)。国立がんセンター名誉総長、東邦大学名誉学長、国立がん研究センター名誉総長。日本学士院会員。文化功労者。位階は従三位、勲等は勲一等。 東京大学医学部助手、財団法人癌研究会癌研究所研究員、国立がんセンター研究所研究員、国立がんセンター研究所生化学部部長、国立がんセンター研究所所長、国立がんセンター総長、東邦大学学長、日本学士院院長などを歴任した。 生化学と腫瘍学を専攻する東京府出身の基礎医学研究者である。国立がんセンター在職時に東京大学医科学研究所教授に併任された。
清寺 眞(せいじ まこと、1926年 - 1982年9月30… 清寺 眞(せいじ まこと、1926年 - 1982年9月30日)は、日本の医学者、皮膚科医。東北大学教授。色素細胞が作るメラニン顆粒”melanosome"の発見とその命名者。悪性黒色腫の4番目の病型を世界に先駆けて、掌蹠・爪下・粘膜型(palmoplantal-subungal-mucosal type)” として提唱 (残念ながら現在 欧米で提唱された末端黒子型(acral lentiginous type) が汎用されている)。 1926年2月1日鎌倉にて生まれ、東京の誠之小学校、府中第五中学校、旧制都立高校を経て、1949年に東京大学を卒業、翌年東京大学医学部皮膚科に入局し、北村包彦教授に師事した。
徳田 良仁(とくだ よしひと、1925年9月22日 - 20… 徳田 良仁(とくだ よしひと、1925年9月22日 - 2021年2月16日)は、日本の精神科医。 神奈川県横浜市出身。1953年、東京慈恵会医科大学卒業。1959年、東京大学生物系第二臨床大学院博士課程修了、医学博士。東京大学医学部附属病院精神神経科勤務。1961年、日本医科大学精神医学教室講師。1965年、神経研究所附属晴和病院副院長。1991年、長谷川病院副院長。2001年、北野台病院勤務。日本芸術療法学会名誉会長、国際表現学会国際委員、日本精神衛生会理事。
二木 武(ふたき たけし、1925年1月12日 - 1998… 二木 武(ふたき たけし、1925年1月12日 - 1998年3月21日)は、日本の小児科医。 石川県金沢市生まれ。東京帝国大学医学部卒業。同小児科教室入局。1954年「乳幼児栄養失調症の蛋白代謝に関する研究」で東京大学医学博士。長野赤十字病院、東京都立小児保健院(現東京都立八王子小児病院)院長を経て、東京都立母子保健院院長、実践女子大学教授を務めた。95年定年退職。
加藤 健三(かとう けんぞう、1924年(大正13年)11月… 加藤 健三(かとう けんぞう、1924年(大正13年)11月28日 - )は、日本の医師。内科医。専門は循環器内科。旧姓、山田。元宮内庁皇太后宮侍医長。医学博士(東京大学)。 侍医、また侍医長として昭和天皇や香淳皇后の治療に当たった。 静岡県島田市出身。静岡県立静岡中学校に学ぶ。1948年(昭和23年)、東京大学医学部卒業。1949年(昭和24年)、東京大学医学部左々、美甘内科教室勤務。1952年(昭和27年)、東京大学助手。1955年(昭和30年)、関東逓信病院内科勤務。1957年(昭和32年)、医学博士(東京大学)。1964年(昭和39年)、佐々木研究所附属杏雲堂病院内科勤務。1976年(昭和51年)、銀座菊池病院内科勤務。
高橋 悦二郎(たかはし えつじろう、1924年3月30日 -… 高橋 悦二郎(たかはし えつじろう、1924年3月30日 - 2015年8月14日)は、日本の小児科医。 東京府(現中野区)出身。1952年東京大学医学部卒。1960年医学博士。東大病院小児科勤務、1955年東京・愛育病院勤務、小児科部長。1980年愛育会総合母子保健センター保健指導部長。院長代行、愛育研究所副所長を歴任。1989年定年退職。女子栄養大学教授。東京都小児保健協会会長。
鎮目 和夫(しずめ かずお、1924年1月24日 - 201… 鎮目 和夫(しずめ かずお、1924年1月24日 - 2015年8月16日)は、日本の内科医。東京女子医科大学名誉教授。 東京市(現新宿区)出身。鎮目恭夫の兄。1946年東京帝国大学医学部卒。1947年同冲中重雄内科入局。1951-1954年オレゴン大学に学ぶ。1952年医学博士。1956年東京大学助手(東大病院冲中内科)。1964年医学部講師。1968年虎の門病院内分泌科部長。1972年東京女子医科大学内科学主任教授、1984年同大学内分泌疾患総合医療センター所長。1994年名誉教授。 1981年日本医師会医学賞、1984年紫綬褒章受勲。日本学術会議会員。スウェーデン王国北極星勲章、勲三等瑞宝章受勲。
石川 清(いしかわ きよし、1924年 - )は、日本の精神… 石川 清(いしかわ きよし、1924年 - )は、日本の精神科医。元東京大学講師。 士族の末裔。祖父は戦艦三笠の軍医長で、父も信州大学医学部附属病院初代病院長という医家の三代目。 日比谷高校から東大医学部へ進学。松沢病院でインターンの時期に白木博次のロボトミー手術を目撃。 1960年3月、東京大学医学博士 論文の題は「妄想の研究 : 現象学的了解心理学的考察」。 1971年、日本精神神経学会評議員として、東大教授で元同会理事長の臺弘を、人体実験の件で告発し、赤レンガ闘争を引き起こす。連合赤軍のリーダー森恒夫を病棟内に宿泊させたこともあるとも語っている。
堀口 星眠(ほりぐち せいみん、1923年〈大正12年〉3月… 堀口 星眠(ほりぐち せいみん、1923年〈大正12年〉3月13日 - 2015年〈平成27年〉2月2日)は、群馬県出身の俳人、医師。本名・慶次。 群馬県碓氷郡安中町(現・安中市)生まれ。旧制高崎中学、旧制新潟高校を経て、1942年に東京帝国大学医学部入学。1947年に卒業後、東大付属病院物療内科入局。 東京帝国大学在学中より水原秋桜子に師事。1949年、軽井沢に友人と共同で「森の家」と称する家を借り、翌年より大島民郎、相馬遷子、岡谷公二らと句会。「馬酔木」に新風を吹き込み馬酔木高原派と呼ばれた。1952年「馬酔木」同人。1955年、郷里の安中市にて開業。1958年馬酔木賞。1976年句集『営巣期』で第16回俳人協会賞受賞。
松島 富之助(まつしま とみのすけ、1923年 - 1976… 松島 富之助(まつしま とみのすけ、1923年 - 1976年5月18日)は、日本の小児科医。 兵庫県美方郡出身。東京帝国大学医学部を卒業。1954年に東京大学より医学博士号を取得した。[要出典] 愛育病院小児科、愛育研究所栄養部、東京警察病院小児科部長、小児保健協会理事を歴任した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
梶田 昭(かじた あきら、1922年12月2日 - 2001… 梶田 昭(かじた あきら、1922年12月2日 - 2001年1月7日)は、日本の医師、医学史家、東京女子医科大学名誉教授。 岐阜県岐阜市生まれ。地元の小学校に入学後1929年に東京・池袋の小学校に転校。1934年、府立五中(現:東京都立小石川中等教育学校)の受験に失敗し城西学園中学校入学。1938年、旧制一高文科受験に失敗し府立五中補習科へ。1939年旧制浦和高等学校理科へ入学。1942年東京大学医学部入学。 大学時代は太平洋戦争最中であり、学徒出陣壮行会にも参加。その一週間後、故郷・岐阜での徴兵検査に丙種合格も徴兵は免れる。戦後は原爆被害地の広島で研究班の一員として原爆症解剖にあたる。 1945年9月に東大医学部を繰り上げ卒業。
山本 俊一(やまもと しゅんいち、1922年10月24日 -… 山本 俊一(やまもと しゅんいち、1922年10月24日 - 2008年12月13日)は、日本の医師、衛生学者。 福井県敦賀市生まれ。1946年東京帝国大学医学部卒。47年医師国家試験合格、東大衛生学教室助手。60年医学博士、東京大学医学部助教授。1965年教授。83年定年退職、名誉教授、東京都老人総合研究所副所長。1987年聖路加看護大学教授、92年副学長。96年退職。1986年東京都文化賞受賞。公衆衛生の研究に尽力し、はじめてのハンセン病の歴史を執筆、ハンセン病訴訟では熊本地裁に原告側意見書を提出した。
中田 修(なかた おさむ、1922年7月8日 - 2025年… 中田 修(なかた おさむ、1922年7月8日 - 2025年1月21日 )は、日本の医学者、精神科医。専門は犯罪精神医学。東京医科歯科大学名誉教授。兵庫県津名郡野島村(現:淡路市野島)出身。農学者の中田正一は実兄。 東京大学医学部精神科副手、東京拘置所医務部技官、東京都立松沢病院医員、東京都立梅ヶ丘病院医長などを歴任する。 精神鑑定のみならず、飲酒事故の多くについて、実際にどの程度の酒量があったのかを飲酒試験として再現し、裁判で証拠とされる場合が多い。 その際、飲酒試験に関する一定の方向性が示されていないことに注目し、それをまとめた点が際立つ。『飲酒試験における酩酊型の再現性』犯罪学雑誌60巻1号1994年によれば、飲酒試験に使用したアルコールの種類、酒量、酩酊型による再現性の差異と飲酒による健忘の問題についてまとめ、単純酩酊や複雑酩酊では再現性が高いが、病的酩酊では再現性が低いことを実証した。
梅垣 洋一郎(うめがき よういちろう、1922年3月3日 -… 梅垣 洋一郎(うめがき よういちろう、1922年3月3日 - 2010年1月2日)は、日本の医師、医学者。専門は放射線医学。日本の放射線治療の発展に貢献した。 1945年東京帝国大学医学部医学科卒業。同大医学部放射線科助手、癌研究会付属病院放射線科医員(塚本憲甫に師事)、千葉大学医学部放射線科助教授を経て、1958年信州大学医学部放射線科教授に就任。1962年に国立がんセンターの初代総長であった田宮猛雄に乞われて初代放射線診療部長に就任、在任中に池田勇人首相(当時)の下咽頭がんの診療にも従事した。その後も放射線医学総合研究所臨床研究部長、癌研究会付属病院放射線科部長などを歴任。日本学術会議第13期会員。
宮尾 益英(みやお ますひで、1921年〈大正10年〉11月… 宮尾 益英(みやお ますひで、1921年〈大正10年〉11月28日 - 1994年〈平成6年〉5月29日)は、日本の小児科学者、小児科医。医学博士(東京大学・1953年)。徳島大学名誉教授、杏林大学名誉教授。 新潟県北蒲原郡京ヶ瀬村大字猫山(現 阿賀野市猫山)の10代続く医師の家・宮尾家の四男として新潟県新潟市西大畑町(現 新潟市中央区西大畑町)で育つ。 1939年(昭和14年)3月に新潟中学校を卒業、1942年(昭和17年)3月に新潟高等学校を卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 実地修練後、1948年(昭和23年)10月に東京大学医学部小児科学教室(担任:詫摩武人教授)に入局、1949年(昭和24年)に助手に就任、1953年(昭和28年)5月に徳島大学医学部小児科学教室(担任:北村義男教授)助教授に就任、1964年(昭和39年)8月にドイツのマールブルク大学に留学、ホルスト・ビッケル(ドイツ語版、英語版)に師事、1968年(昭和43年)12月から1969年(昭和44年)12月までドイツのハイデルベルク大学に留学、ホルスト・ビッケルに師事、1970年(昭和45年)5月に徳島大学医学部小児科学教室第2代教授に就任、1974年(昭和49年)4月に徳島大学医学部附属看護学校第12代学校長に就任、1976年(昭和51年)2月に徳島大学医学部附属病院第13代病院長に就任、1977年(昭和52年)10月に徳島大学医学部附属助産婦学校第4代学校長に就任、1982年(昭和57年)4月に徳島大学医学部第12代学部長に就任、1987年(昭和62年)3月に徳島大学を定年退官、同年4月に徳島大学名誉教授の称号を受称、杏林大学客員教授に就任、東京海上メディカルサービス顧問に就任、1990年(平成2年)3月に千葉県柏市松ケ崎に宮尾クリニックを開業。
小坂 樹徳(こさか きのり、1921年(大正10年)9月11… 小坂 樹徳(こさか きのり、1921年(大正10年)9月11日 - 2010年(平成22年)8月3日)は、日本の医学者、医学博士。専門は内科学、糖尿病学。東京大学名誉教授、虎の門病院名誉院長。日本人の糖尿病の原因や病態を明らかにし、診断法や治療法の確立に貢献した。 長野県下伊那郡座光寺村(現飯田市)出身。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)、 松本高等学校理科乙類を経て、1945年 東京帝国大学医学部卒業後、坂口康蔵教授の、東京帝国大学第三内科学教室入局。1966年から東京女子医科大学教授、1972年から82年まで東京大学医学部第三内科第6代教授。後任の教授は高久史麿。東京大学退官後は虎の門病院院長を歴任。
鈴木 雅洲(すずき まさくに、1921年(大正10年)5月2… 鈴木 雅洲(すずき まさくに、1921年(大正10年)5月21日 - 2015年(平成27年)11月23日)は、日本の産婦人科医、東北大学名誉教授。仙台市青葉区出身。 東京帝国大学医学部卒。1955年東北大学より医学博士の学位を取得。東北大学医学部産婦人科教室、1964年新潟大学医学部教授、1970年東北大学医学部教授。1983年日本で初めて体外受精児の誕生に成功、1992年顕微鏡下での授精による出産を成功させる。1985年東北大退官、名誉教授、小山市民病院院長、1986年スズキ病院(現・スズキ記念病院)院長。 2015年、「ヒト体外受精・胚移植の確立と普及に関する研究」により日本学士院賞を受賞。
三枝 正裕(さいぐさ まさひろ、1921年〈大正10年〉3月… 三枝 正裕(さいぐさ まさひろ、1921年〈大正10年〉3月4日 - 2001年〈平成13年〉10月19日)は、日本の医学者、医師。専門は心臓血管外科学。東京大学胸部外科第二代教授。東京大学名誉教授。医学博士。 1921年(大正10年)、広島県呉市に生まれる。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1945年(昭和20年)9月、東京帝国大学医学部卒業。海軍軍医(4月見習士官、9月復員)。同年10月、第二外科(都築正男教授)に入局。当時木本誠二を中心に開発が進められていた心臓外科の研究に従事、その成果が「非チアノーゼ性先天性心疾患の血行動態に関する研究」としてまとめられ、1956年(昭和31年)、医学博士。
巷野 悟郎(こうの ごろう、1921年2月12日 - 201… 巷野 悟郎(こうの ごろう、1921年2月12日 - 2017年2月2日)は、日本の小児科医。 栃木県足利市生まれ。1944年東京帝国大学医学部卒業。1953年「乳児ヒポプラジーの研究」で東京大学より医学博士の学位を取得。東京大学医学部小児科、厚生省児童局母子衛生課技官、東京都立八王子乳児院長、市立札幌病院小児科医長、東京都立駒込病院小児科医長、副院長、東京都立府中病院長、東京家政大学教授。聖徳大学児童学科教授、こどもの城・小児保健クリニック院長。日本保育園保健協議会会長。日本母性保護協会先天異常調査委員会。全国ベビーシッター協会会長。 NHKラジオでの電話による育児相談でも知られる。筋拘縮症は乱注射による医原病であると報告した。
永田 丕(ながた はじめ、1921年 -2012年9月3日 … 永田 丕(ながた はじめ、1921年 -2012年9月3日 )は日本の医師、医学者、医学博士。北信総合病院第4代院長(昭和41年4月 - 昭和61年3月)。現在は同院の名誉院長。 府立高等学校を経て、東京大学医学部を卒業する。長野県厚生農業協同組合連合会北信総合病院に外科医として赴任し、農村医療に従事した。1966年から1986年まで院長を務めた。退職後にパリ・ソルボンヌ大学(フランス文明講座)へ留学し、併せて国際音楽療法センターで音楽療法の研修を受けた。帰国後に北信総合病院精神科等で音楽療法を実践し、独自の理念にもとづいた「声による能動的精神音楽技法」などによる音楽療法の普及に貢献した。 また、府立高等学校在学時に学生歌「青春という」の作曲をしている。
島薗 安雄(しまぞの やすお、1920年7月30日 - 19… 島薗 安雄(しまぞの やすお、1920年7月30日 - 1997年4月9日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学・精神生理学。元金沢大学医学部教授。東京医科歯科大学名誉教授。学位は、医学博士(東京大学・1950年)。京都府京都市生まれ。 父は東京大学医学部教授などを務めた島薗順次郎、息子は東京大学大学院人文社会系研究科教授の島薗進。 1920年京都府京都市生まれ。1943年東京帝国大学医学部医学科卒業。1950年東京大学より医学博士の学位を取得。1954年フンボルト留学生として西ドイツ留学。1956年東京大学医学部助教授。1959年金沢大学医学部教授。1967年東京医科歯科大学医学部教授。
駿河 敬次郎 (するが けいじろう、1920年7月28日 -… 駿河 敬次郎 (するが けいじろう、1920年7月28日 - 2023年3月21日)は日本の医師。順天堂大学医学部名誉教授、ノアクリニック院長。 1941年(昭和16年)、旧制第四高等学校理科乙類卒業。 1944年(昭和19年)、東京帝国大学医学部卒業。 1944年~1945年、陸軍短期軍医中尉。 1946年(昭和21年)、東京帝国大学医学部第2外科副手。 1949年(昭和24年)、賛育会病院外科部長。 1959年(昭和34年)、米国ピッツバーグ大学医学部留学。 1963年(昭和38年)、東京大学医学部外科学講師。順天堂大学医学部外科学講師。 1966年(昭和41年)、順天堂大学医学部外科学客員教授。
土居 健郎(どい たけお、1920年3月17日 - 2009… 土居 健郎(どい たけお、1920年3月17日 - 2009年7月5日)は、日本の精神科医・精神分析家・評論家。東京大学名誉教授。学位は医学博士(東京大学・1960年)。 日本人の心理特性として「甘え」の概念を精神分析に導入し、その精神構造を解明した『「甘え」の構造』(1971年)は、日本人論に新局面をもたらした。他の著書に『表と裏』(1985年)、『時のしるし』(1990年)など。 1920年、東京生まれ。府立高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学医学部に入学。1942年に卒業し、陸軍軍医となった。 戦後、アメリカ・メニンガー精神医学校、サンフランシスコ精神分析協会に研修留学。自身、キリスト教カトリック教会の信徒であった。
宇治 達郎(うじ たつろう、1919年11月25日 - 19… 宇治 達郎(うじ たつろう、1919年11月25日 - 1980年11月27日)は、日本の医師。胃カメラの開発者の1人。 長野県上伊那郡小野村(現在の辰野町小野)出身。その後、埼玉県の大宮に移り、浦和中学、浦和高校、東京帝国大学医学部に進学し、1943年に卒業した。 卒業後、東京大学附属病院分院の外科に勤務が決まっていたが、軍医候補生として召集され中国に従軍した(第58師団司令部に所属した)。1946年に復員し、外科副手となった。1948年に林田健男助教授のもとで胃カメラの開発に着手し、オリンパス光学工業の技師であった杉浦睦夫と深海正治と共同で1950年に胃カメラを世界で初めて完成させた。1950年に医学博士を取得した。
赤星 進(あかほし すすむ、1918年11月10日 - 20… 赤星 進(あかほし すすむ、1918年11月10日 - 2012年5月18日)は、日本の精神科医。クリスチャンとして「医学と福音」をライフワークのテーマとし精神医学と神学の関係を研究した。また日本ルーテル神学大学や東京神学大学などの神学校で精神医学を講じた。 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。1938年(昭和13年)第七高等学校造士館 (旧制)理科卒業。1943年(昭和18年)東京大学医学部卒業。大槻外科入局、副手。医学博士。 1946年(昭和21年)、国立療養所清瀬病院外科医長。1953年(昭和28年)、東芝林間病院副院長兼外科医長。1961年(昭和36年)、浜松の社会福祉法人聖隷病院院長。1958年、シカゴ大学で「医学と宗教の関係」を研究。
高橋 晄正(たかはし こうせい、1918年6月20日 - 2… 高橋 晄正(たかはし こうせい、1918年6月20日 - 2004年11月3日)は、日本の医師。 秋田県仙北郡西木村(現仙北市)生まれ。1936年(昭和11年)旧制秋田県立角舘中學校を卒業し1941年(昭和16年)東京帝國大學医学部を卒業する。その後物療内科に入局し増山元三郎に推計学を紹介される。 漢方医学(鍼、経絡など伝統中国医学全般)を研究し、1966年(昭和41年)『漢方の認識』(NHKブックス)を出版。その後 論文「西洋医学と東洋医学-科学論の立場から-」(『保健の科学』 37(1):4-、1995年(平成7年))や著作『漢方薬Q&A』(1990年、『漢方薬は危ない』、『漢方薬は効かない』などで伝統中国医学及び漢方薬(副作用)を批判した。
廣瀬 貞雄(ひろせ さだお、1918年(大正7年) - 20… 廣瀬 貞雄(ひろせ さだお、1918年(大正7年) - 2007年(平成19年)6月9日)は、日本の精神科医、ロボトミスト、日本医科大学教授。同大名誉教授にも。 1918年大阪生まれ。 産婦人科医の養子になる。中学時代から歌舞伎を愛し、演劇論をやるために美学者を志したが、父の反対で断念。 1938年東京帝大医学部に入学。 その後も歌舞伎を愛好し続け、16代目市村羽左衛門宅を訪ねたりしていた。 1946年に派遣された松沢病院では、市村から教わった「切られ与三郎」の所作を披露したことから、「与三さん」との異名をとった。 1951年に学会に発表され、1971年に石川清に告発された、いわゆる「臺実験」で実際に執刀したのは、臺弘ではなく、廣瀬であった。
安部 英(あべ たけし、1916年5月15日 - 2005年… 安部 英(あべ たけし、1916年5月15日 - 2005年4月25日)は、日本の医師。医学博士。元帝京大学副学長。 山口県長門市の網元の家に生まれる。旧制大津中学校、旧制山口高等学校を首席卒業、1941年東京帝国大学医学部医学科卒。1951年医学博士(東京大学)。論文の題は「プロトロンビンに関する研究」。 海軍軍医大尉として従軍し、その後1946年東京大学医学部第一内科助手、コーネル大学留学等を経て、1964年東京大学医学部第一内科講師。1971年に帝京大学に招聘され医学部教授に就任、1980年から1987年まで帝京大学医学部長、のち帝京大学名誉教授。1987年から1996年まで帝京大学副学長。
森村 茂樹(もりむら しげき、1916年〈大正5年〉3月21… 森村 茂樹(もりむら しげき、1916年〈大正5年〉3月21日 - 1979年〈昭和54年〉11月24日)は精神科医、地域医療と社会福祉を推進した教育者。兵庫県西宮市に兵庫医科大学を創設、理事長、学長、病院長を歴任した。 精神科医森村真澄・豊の一人っ子として兵庫県川辺郡尼崎町(現在の尼崎市)で生まれる。尼崎市第三尋常小学校から兵庫県立第一神戸中学校(現神戸高校)を経て第三高等学校(現京都大学)に進んだ。卒業した1936年(昭和11年)は京都帝国大学文学部哲学科に合格したが方向転換、翌年、東京帝国大学医学部に入学、1941年(昭和16年)卒業、精神病学教室主任教授で東京都立松沢病院長を兼務する内村祐之の指導を受け、東大病院精神病学講座の副手嘱託となる。
立津 政順(たてつ せいじゅん、1915年(大正4年)10月… 立津 政順(たてつ せいじゅん、1915年(大正4年)10月18日 - 1999年(平成11年)1月28日)は、日本の精神科医。沖縄県出身。統合失調症、一酸化炭素中毒、水俣病などを研究。松沢病院時代は終戦時の精神病療養所の死亡率を発表した。位階は正四位。 小学校時代は沖縄県今帰仁小学校に通学し、優等生であった。1936年旧制水戸高等学校を卒業、1940年3月東京大学医学部卒業。精神科入局(内村祐之教授)東京大学助手を経て1942年12月19日、東京都立松沢病院に勤務。1946年12月東京大学医学博士。論文の題は「本邦人の精神疾患負荷に関する研究」1954年3月医長に昇任。1961年4月1日、第4代熊本大学精神科教授。
山川 邦夫(やまかわ くにお、1915年10月4日 - 19… 山川 邦夫(やまかわ くにお、1915年10月4日 - 1966年10月24日)は、日本の内科学者、医学博士。専門は循環器病学。東京都生まれ。父は内科学者の山川章太郎。弟は生化学者で東京大学名誉教授の山川民夫。姪は科学ジャーナリストの大熊由紀子。義従弟(母の妹の長女の夫)は佐々学。
秋山 太一郎(あきやま たいちろう、1915年〈大正4年〉8… 秋山 太一郎(あきやま たいちろう、1915年〈大正4年〉8月16日 - 2006年〈平成18年〉1月5日)は、日本の医学者、医学博士(東京大学)、実業家。補綴材(エピテーゼ、プロテーゼ)の研究者。株式会社高研の創業者。株式会社荘内日報社元社長・元会長。鶴岡市行政顧問。勲四等瑞宝章。山形県鶴岡市出身。「世界にさきがけ、独創に生きる」を座右の銘とした。 医療用高分子の研究の分野で活躍し、血液樹脂、合成高分子、医用シリコーン、医療用の生体モデルなどを開発し、医療技術の向上に貢献した。略歴は以下のとおり。
山田 尚達(やまだ なおみち、1915年(大正4年)5月8日… 山田 尚達(やまだ なおみち、1915年(大正4年)5月8日 - 2014年(平成26年)1月21日)は日本の小児科学者、北海道大学名誉教授、北星学園大学文学部教授、北海道公安委員会委員長、医学博士。 東京都出身。趣味は陸上競技・音楽・登山。 1939年(昭和14年)東京大学医学科卒業。1954年(昭和29年)信州大学教授、1959年(昭和34年)北海道大学教授、1979年(昭和54年)同大学名誉教授、同年、北星学園大学教授。 2014年1月21日、急性心不全のため札幌市の病院で死去、98歳。 交詢社 第69版 『日本紳士録』 1986年 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。
吉沢 國雄(よしざわ くにお、1915年5月4日 - 200… 吉沢 國雄(よしざわ くにお、1915年5月4日 - 2008年11月9日)は、埼玉県出身の医師。佐久市立国保浅間総合病院名誉院長 浅間総合病院初代院長であり、糖尿病インスリンの自己注射の実現をはじめ、住民と一体となった集団健診や栄養改善、ひと部屋暖房運動など生活様式の改善活動に取組み、脳卒中死亡率の低下をはじめ、長寿のまちの基礎を築いた。 昭和34 年4 月浅間病院の初代院長として佐久の地に赴任した。当時は、地域住民の健康管理状況は必ずしも良好でなく、脳卒中の死亡率は日本でも最高位であった。このような環境の中で診療と保健予防活動という二本の柱を、地域に密着して住民と共に実践するために、広く地域住民の健康を守る医療、地域医療の推進を提唱し、佐久市立国保浅間病院を中心にその実践活動をした。
三好 和夫(みよし かずお、1914年10月25日 - 20… 三好 和夫(みよし かずお、1914年10月25日 - 2004年11月9日)は、医学者、医師。専門は神経筋疾患学・血液学。 1914年、東京生まれ。東京大学医学部で血液学を研究した。 1954年3月、第五福竜丸操業中に被爆(ビキニ事件)した乗組員の診察と治療にあたった。その後、東大付属病院(現:東京大学医学部附属病院)と米軍医団共同の原子爆弾影響合同調査団に参加。1955年4月1日、京都市で開かれた第14回日本医学会総会において、熊取敏之(国立東京第一病院)とともに「ビキニ放射能の臨床的、血液学的観察」と題して発表した。「久保山愛吉さんの死因は単なる肝臓障害ではなく、死の灰によって致死量以上の放射線を受けたため」と、アメリカ合衆国側の見解に反論した。
鴫谷 亮一(しぎや りょういち、1914年 - 1989年6… 鴫谷 亮一(しぎや りょういち、1914年 - 1989年6月21日)は、日本の医学者、医師。専門は循環器内科。 旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校理科乙類、東京帝国大学医学部卒業。1974年まで群馬大学医学部第二内科(循環器内科)教授。東海大学医学部教授、国立横浜病院院長を歴任。 新谷家は戦国期に今川氏勢力下の駿河国に来住、5代目述賢の頃に新谷を鴫谷姓に改め郷士となり、医術を甲斐国の徳本に学び、代々業とした。江戸幕末期の鴫谷一元(14代)は、兵太夫新田(現藤枝市内)の村松良元に医科修業、田中藩の御典医でもあったと伝えられる。この一元は1876年(明治9年)に隠居別家し、自らは代々定住の子持坂村(現藤枝市内)から近隣の横内村へ転居、医業を継続した。
臺 弘(うてな ひろし、1913年11月28日 - 2014… 臺 弘(うてな ひろし、1913年11月28日 - 2014年4月16日)は、日本の医学者・精神科医。東京大学医学部教授、群馬大学医学部教授を歴任。医学博士(東京大学・1952年)。栃木県足尾町生まれ。『台弘』と表記されることもある。 1913年栃木県足尾町生まれ。1937年東京帝国大学医学部医学科卒業。1952年、論文「精神分裂病者腦組織の含水炭素代謝について」で東京大学より医学博士の学位を取得。東京大学病院精神科、松沢病院医員、群馬大学医学部教授、1966年東京大学医学部精神医学教室教授、1974年3月東大を定年退官。山田病院(東京都調布市)を経て坂本病院(埼玉県新座市)勤務。
島村 喜久治(しまむら きくじ、1913年8月11日 - 1… 島村 喜久治(しまむら きくじ、1913年8月11日 - 1997年11月28日)は、日本の医師。結核対策に尽くした。 岡山県出身。旧制岡山第一中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)、旧制第六高等学校を経て、東京大学医学部卒業。39歳で東京の国立療養所清瀬病院の院長に就任、1953年『院長日記』で日本エッセイストクラブ賞受賞。清瀬病院が統合された国立療養所東京病院院長を務め、のち名誉院長。長男は地震学者・武蔵野学院大学特任教授の島村英紀。ピアニストの妻千枝子の叔母(母の妹)が吉行あぐり。
島崎 敏樹(しまざき としき、1912年11月8日 - 19… 島崎 敏樹(しまざき としき、1912年11月8日 - 1975年3月17日)は、日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。東京医科歯科大学名誉教授。医学博士。 東京医科歯科大学医学部精神医学教室初代教授となり、日本における精神病理学の礎を築いた。西丸四方、村上仁らと共に、日本の精神病理学第一世代を代表する人物である。 村上仁、西丸四方らと共に、日本の精神病理学第一世代を代表する人物である。精神医学の基礎領域である精神病理学を広く精神科臨床に根付かせるなど、日本の精神医学の発展に大きく貢献した。島崎は人間を「個々の症状の寄せ木細工としてでなく、人格の深みから孤立化していく人間像としてとらえなおそう」とする学風で知られており、主論文『精神分裂病における人格の自律性の意識の障碍』は日本における精神病理学の嚆矢となった。
大山 信郎(おおやま のぶろう、1911年11月1日 - 2… 大山 信郎(おおやま のぶろう、1911年11月1日 - 2009年2月13日)は、日本の医学者、医学博士。東京教育大学学長を務めた。 愛知県出身。1937年に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 東京帝国大学副手、山梨県立医学専門学校眼科部長、国立盲教育学校教授などを経て、1951年に東京教育大学教授に就任し、1974年3月から1978年3月までに学長を務めた。1972年4月に教育学部長を経て、1978年3月には名誉教授に就任。 1983年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2009年11月26日に死去。97歳没。
近藤 宏二(こんどう こうじ 1910年〈明治43年〉9月9… 近藤 宏二(こんどう こうじ 1910年〈明治43年〉9月9日 - 1990年〈平成2年〉3月19日)は、日本の医師。群馬県吾妻郡原町(吾妻町を経て現・東吾妻町)出身。 群馬県立高崎中学校に入学後、東京府立第四中学校に転入し4年修了。第一高等学校を経て、1936年に東京帝国大学医学部を卒業。1937年内務省衛生局に入り、1938年厚生省(現・厚生労働省)が設立されると技官として結核予防施策に取り組んだ。戦後母子衛生課長を務め、その後退官。 1947年に東京大学より医学博士の学位を取得。学位論文の題は「本邦における潜在結核死亡推計に関する統計的研究」。 1952年よりNHKのラジオドクター・テレビドクターを務め、「皆さんの健康」「療養の時間」を担当する。
津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 198… 津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 1988年9月4日)は、日本の政治家、精神科医、作家である。 青森県南津軽郡五郷村(現青森市浪岡地区)に生まれ、小作人の子どもとして育つ。学業成績が優秀であったため、小学校の教師のすすめで弘前中学校に進学し、その後旧制弘前高等学校に進む。弘前高時代は、石上玄一郎と交友をもつ。なお、太宰治とも同時期に弘前高に在学していたが、そのころは交流はなかったという。なお、津川、石上、太宰は、いずれも旧制中学四修で高校入学組の秀才だった。ただし、太宰は高等小学校1年就学後に中学入学のため津川と石上よりは一歳上だった。 1930年、東京帝国大学医学部に進学。
若月 俊一(わかつき としかず、1910年6月26日 - 2… 若月 俊一(わかつき としかず、1910年6月26日 - 2006年8月22日)は、長野県佐久市にある佐久総合病院を育て、農村医療を確立した医師(外科医)。
上田 英雄(うえだ ひでお、1910年3月12日 - 199… 上田 英雄(うえだ ひでお、1910年3月12日 - 1993年10月19日)は、日本の内科医、医学博士、東京大学病院長。5代目横綱審議委員会委員長。 1910年東京市浅草区に生まれる。旧制第一高等学校を経て、1934年東京帝国大学医学部卒。1950年東京慈恵医大教授。1958年東京大学教授。1967年同大学病院長。1970年東京女子医大教授。1972年から1984年まで中央鉄道病院院長を務めた。ほかに日本心臓財団名誉会長なども歴任した。1964年ベルツ賞佳作賞受賞。 また、横綱双葉山の主治医でもあり、それが縁で1966年に横綱審議委員となり、1990年から1993年まで委員長を務めた。1993年5月に体調不良を理由に同委員長辞任を申し出て、受理され、10月19日に腎不全のため死去した。
高津 忠夫(たかつ ただお、1910年〈明治43年〉3月3日… 高津 忠夫(たかつ ただお、1910年〈明治43年〉3月3日 - 1974年〈昭和49年〉12月6日)は、日本の医師、小児科学者。東京大学名誉教授。栄典は正五位・勲二等旭日重光章。学位は医学博士(東京大学・1939年)。 広島県生まれ。1933年〈昭和8年〉東京帝国大学医学部卒、同年、同大学小児科教室副手、1939年医学博士取得。1944年山梨県立医学専門学校教授、1947年山梨県立病院小児科部長、1949年松本医科大学講師、同年、信州大学教授。 1954年東京大学医学部教授、1961年日本小児科学会理事長(併任)、1966年東京大学医学部保健学科母子保健学初代主任教授(現東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻国際生物医科学講座発達医科学)、1970年東京大学定年退官、東京大学名誉教授。