柏木 惠子(かしわぎ けいこ、1932年7月 - )は、日本… 柏木 惠子(かしわぎ けいこ、1932年7月 - )は、日本の心理学者。東京女子大学名誉教授。千葉県生まれ。 専門は、発達心理学・家族心理学。発達心理学の分野で、歴史人口学・文化人類学・家族社会史など広い知見を背景に、変動する社会と家族・人間の発達を新しい視点でとらえ発達研究の枠を広げている。またジェンダー問題に関する急進的な論客としても知られている。人格心理学・計量行動学者の柏木繁男は夫である。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
船戸 牧子(ふなど まきこ、1932年〈昭和7年〉5月 - … 船戸 牧子(ふなど まきこ、1932年〈昭和7年〉5月 - )は、日本の翻訳家、日本語教師。 東京女子大学文学部社会学科卒。ミネソタ大学に留学。英米文学、特に推理小説やSFを翻訳した。 1979年から4年間、コミュニティー誌「OCSニュース」で「学校訪問」シリーズを執筆。1985年から16年間、ニューヨーク市の高校で日本語教師を務めた。
中村 千栄子(なかむら ちえこ、1932年4月25日 - 1… 中村 千栄子(なかむら ちえこ、1932年4月25日 - 1997年9月22日)は、日本の詩人、作詞家。中村は旧姓で、本名は新野 千栄子(あらの ちえこ)。 中村家の二女として新潟県柏崎市に生まれる。1945年、新潟県立柏崎高等女学校に入学。1951年、山脇学園高等学校卒業。高校時代に上京し、1953年、東京女子大学短期大学部国語科を卒業。そのまま東京で詩の勉強を続けようとしたが、母のすすめでいったん故郷に戻る。1954年、新潟大学学生歌、応援歌をそれぞれ応募し、前者が1位、後者が2位に選ばれたのを機に、詩作を本格的に行おうと決意する。同年5月より、加藤省吾の下で童謡の作詞を学ぶ。翌年、同郷の新野央と結婚し、再び上京。
古川 智映子(ふるかわ ちえこ、1932年4月1日 - 20… 古川 智映子(ふるかわ ちえこ、1932年4月1日 - 2024年7月29日)は、日本の作家。埼玉県所沢市在住。本名、古川 ぬい(こがわ ぬい)。 青森県弘前市に生まれる。青森県立弘前中央高等学校、東京女子大学短期大学部英語科、東京女子大学文学部日本文学科を卒業。国立国語研究所で『国語年鑑』の編集に従事、その後東京都内の私立高校教諭を経て、執筆活動に入る。日本文藝家協会会員。ヴィクトル・ユゴー文化賞受賞(フランスのヴィクトル・ユゴー文学記念館主催)。潮出版文化賞受賞。 著書の『小説 土佐堀川 女性実業家・広岡浅子の生涯』は、NHK連続テレビ小説『あさが来た』(2015年度後期)の原案となる。本書は著者の処女作。
岡本 浜江(おかもと はまえ、1932年2月24日 - 20… 岡本 浜江(おかもと はまえ、1932年2月24日 - 2025年12月30日)は、日本の翻訳家。岡本 濱江とも表記される。旧姓は花見 濱江(はなみ はまえ)。 東京都生まれ。東京女子大学文学部英米文学科を卒業後、共同通信社に入社し記者として働く。子育てのために退職した後、中村能三に師事して翻訳を学び、英米の推理小説や児童文学を中心に翻訳を手掛ける。修道士カドフェルシリーズなど大人向け作品のほか、キャサリン・パターソンの作品、アン・ファインの『ミセス・ダウト』など百数十冊の訳書がある。1986年からはアサヒカルチャーセンタ-の講師として15年以上にわたり翻訳などの指導に当たった。1996年、日本児童文芸家協会賞特別賞。
湊 晶子(みなと あきこ、旧姓:大城、1932年 - )は、… 湊 晶子(みなと あきこ、旧姓:大城、1932年 - )は、日本の神学校教師。広島女学院大学学長。5代続いたクリスチャンであり、キリスト教朝顔教会会員。東京基督教大学名誉教授。元東京女子大学学長。神学修士。キリスト新聞のレギュラー執筆者を務める。 独自のキリスト教女子教育論を唱え、日本キリスト教史の定説を否定。 『父性の復権』の著者林道義と対立した。林道義は湊晶子を「ジェンダー教育の先頭に立つフェミニスト」と評している。
大島 かおり(おおしま かおり、1931年11月3日 - 2… 大島 かおり(おおしま かおり、1931年11月3日 - 2018年5月8日)は、日本のドイツ語翻訳家。 東京出身。東京女子大学文学部英米文学科卒業。英語教師を10年間勤めたのち、ドイツに渡る。帰国後、翻訳家となった。 ミヒャエル・エンデの『モモ』をはじめ、ナチス、ハンナ・アーレント、アドリエンヌ・リッチ、ノーマ・フィールドなど、プロテスタント左派、フェミニズムの立場からのドイツ語からの翻訳が多いが、英語の翻訳も行う。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
波瀬 満子(はせ みつこ、本名:白波瀬 智子(しらはせ とも… 波瀬 満子(はせ みつこ、本名:白波瀬 智子(しらはせ ともこ)1931年3月5日 - 2012年4月19日)は、日本のことばパフォーミング・アーティスト、女優。 京都府出身。東京女子大学卒業。劇団四季、仮面座を経て、1977年谷川俊太郎らと「ことばあそびの会」を設立する。 1993年から1999年まで6年間にわたって、NHK教育テレビのあいうえおにレギュラー出演。その後も「詩」や「ことば」そのものを構成・演出・出演する「ことば」パフォーマンスを行う。 2012年4月19日15時45分、急性腎不全のため、東京都町田市内の病院で死去。81歳没。 ジャンルを超えたスーパーことばショーを創ったことばパフォーマーはせみつこは、ウリポ・はせ・カンパニーを設立。
竹之内 明子(たけのうち あきこ、1931年2月26日- )… 竹之内 明子(たけのうち あきこ、1931年2月26日- )は、日本の英文学者、梅花女子大学名誉教授。 神戸市生まれ。父は銀行員の金田俊郎。東京女子大学卒業、大阪大学大学院博士課程中退、1976年梅花女子大学英米文学科教授、2001年定年退任。英国演劇を専攻し、シェリダン、ゴールドスミスなどの18世紀喜劇を翻訳したほか、ジョージ・エリオットの『ダニエル・デロンダ』を初めて全訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中島 みち(なかじま みち、1931年2月10日 - 201… 中島 みち(なかじま みち、1931年2月10日 - 2015年10月29日)は、日本のノンフィクション作家。本名、高橋 道(たかはし みち)。旧姓、中島(なかじま)。 京都府京都市出身。1948年、東京都立武蔵高等女学校卒業。東京女子大学英文科卒業。1953年2月に大学卒業後、当時のラジオ東京(現在のTBS)にアナウンサー2期生として入社。1958年12月にラジオ東京を退社。1959年1月、ラジオ東京と嘱託契約しタレントアナ第二号に(中島道名義)。1970年に中央大学大学院法学研究科(刑事法専攻)修士課程修了。同年乳がん手術を機に医療の質や安全について関心を持って作家活動を始め、一貫して患者の立場から医療改革を訴え、医療に法律が関わる問題とその接点となる諸問題、医療制度、安楽死、がんの告知、臓器移植、尊厳死など生命倫理の問題医療に関する問題をテーマした作品の執筆、訳書、評論活動が多く、脳死の状態を「見えない死」と紹介するなど、医療現場が直面する課題を社会に投げかけたり、看護の日を発案し制定を呼びかけた。
有吉 佐和子(ありよし さわこ、1931年(昭和6年)1月2… 有吉 佐和子(ありよし さわこ、1931年(昭和6年)1月20日 - 1984年(昭和59年)8月30日)は、日本の小説家、劇作家、演出家。和歌山県和歌山市出身。日本の歴史や古典芸能から現代の社会問題まで広いテーマをカバーし、読者を惹きこむ多くのベストセラー小説を発表した。カトリック教徒で、洗礼名はマリア=マグダレーナといった。代表作は『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』、『恍惚の人』など。娘にエッセイストの有吉玉青がいる。正確には「吉」の字は下が長いのだが、小説を書いていた頃には活字がなかった。
鈴木 道子(すずき みちこ、1931年 - )は、日本の音楽… 鈴木 道子(すずき みちこ、1931年 - )は、日本の音楽評論家。祖父は鈴木貫太郎。 東京府出身。自由学園ピアノ学校に学び、林光は同級生であった。東京女子高等師範学校附属高等学校から東京女子大学文学部英米文学科に進む。高校の頃からNHKやTBSのラジオ放送に出演していた。大学卒業後、文化放送にアナウンサーとして入社したが、レコード室を経て、音楽番組を手がけるプロデューサーとなり、『モダン・ジャズを分析する』で『スイングジャーナル』誌のプロデューサー・オブ・ジ・イヤーを受賞した。 1960年にアメリカ合衆国へ渡り、1年半ほどで帰国して以降は、フリーランスとしてラジオ番組のプロデューサーやディスクジョッキー、音楽評論家として活動した。
藤原 房子(ふじわら ふさこ、1930年9月1日 - )は、… 藤原 房子(ふじわら ふさこ、1930年9月1日 - )は、日本のジャーナリスト。本名・黒羽房子。夫は教育学者・社会学者の黒羽亮一。 福井県福井市生まれ。1948年福井県立福井高等女学校卒業。1953年東京女子大学文学部社会科学科卒業。日本経済新聞社に入社し、社会部、出版局、婦人部を経て退職後、東京都監査委員、財団法人日本女子社会教育会理事長を務める。『手の知恵――秘められた可能性』(山手書房) にて1979年度サントリー学芸賞受賞。日本エッセイスト・クラブ理事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
矢川 澄子(やがわ すみこ、1930年7月27日 - 200… 矢川 澄子(やがわ すみこ、1930年7月27日 - 2002年5月29日)は、日本の作家・詩人・翻訳家。早くから天才少女として注目され、没後は「不滅の少女」と呼ばれた。 教育学者・矢川徳光の5人姉妹の次女として東京府北豊島郡王子町大字王子312番地(現・東京都北区王子)に生まれ、生後まもなく、東京府北豊島郡高田町雑司ヶ谷7丁目1117番地(現・東京都豊島区雑司が谷)に転居。園児としてキリスト教系の幼稚園で過ごす。高田第五尋常小学校(現在の目白小学校)1年の時、1938年1月、東京市世田谷区新町に転居。深沢尋常小学校(現・世田谷区立深沢小学校)に転入。1943年、府立第十一高等女学校(現・東京都立桜町高等学校)に入学。
多田 智満子(ただ ちまこ、1930年4月1日 - 2003… 多田 智満子(ただ ちまこ、1930年4月1日 - 2003年1月23日)は、日本の詩人・随筆家・翻訳家・フランス文学者。福岡県福岡市の博多(現・博多区)出身。本名、加藤智満子。 銀行員だった父の転勤に伴い、幼少期を京都、東京などで過ごす。小学校5、6年で『プルタルコス英雄伝』や『平家物語』を愛読し、15歳で滋賀県愛知川沿いに戦争疎開した際にプラトン、エピクテトス、セネカなどを携えるなど、少女時代から異才を放っていた。また、謡曲や歌舞伎にも親しんだ。桜蔭高等女学校を卒業後、東京女子大学外国語科で学び、矢川澄子と親交を結ぶ。卒業後に慶應義塾大学文学部英文科に編入学するも、結核に罹り半年間休学。病床での思索が自らの文学的出発点となった。
青柳 まちこ(あおやぎ まちこ、本名・青柳真智子、1930年… 青柳 まちこ(あおやぎ まちこ、本名・青柳真智子、1930年 - )は、日本の文化人類学者、立教大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。東京女子大学文学部社会科学科卒業。東京都立大学 (1949-2011)大学院博士課程修了(1964年中退、1984年「モデクゲイ - パラオ新宗教の研究」で文学博士)。ハワイ大学、オークランド大学留学。清泉女子大学助教授、立教大学助教授、文学部教授、1997年定年、名誉教授、茨城キリスト教大学教授を務めた。専攻はオセアニア地域。夫は、同じく文化人類学者の青柳清孝。 立教大学に青柳から寄贈された奨学基金を基にした「青柳真智子奨学金」が設置されているが、人文地理学および文化人類学の分野において、主として海外調査を行う学生を対象として、研究者の育成・支援を目的とした奨学金となっている。
佐藤 道子(さとう みちこ、1930年(昭和5年) - 20… 佐藤 道子(さとう みちこ、1930年(昭和5年) - 2022年(令和4年)1月17日 )は、元東京国立文化財研究所芸能部長、博士(文学)。仏教芸能を専攻し、特に東大寺二月堂修二会の研究で著名である。東京文化財研究所名誉研究員。日本統治時代の台湾台中州生まれ。 東京女子大学専門部国語科卒業。1955年(昭和30年)東京国立文化財研究所芸能部の臨時筆生となる。1959年(昭和34年)4月に職員となり、以後は行政職、研究職、芸能部長となる。1967年(昭和42年)から東京国立文化財研究所芸能部による東大寺二月堂修二会の研究を担当し、6年間にわたり集中的な調査を実施。行事の次第や内容、所作、声明を手書き図を入れて詳しくまとめ、平凡社「芸能の科学」シリーズ6・7・12・13の4冊『東大寺修二会の構成と所作』1975年から1982年刊行したほか、修二会のうち観音悔過(お水取り)を録音して日本ビクターから1971年に発売されたレコードに付いた解説を横道萬里雄とともに執筆した。
青木 玉(あおき たま、1929年11月30日 - )は、日… 青木 玉(あおき たま、1929年11月30日 - )は、日本の随筆家である。幸田露伴の孫、幸田文の一人娘。 東京出身。東京女子大学国語科卒業。1994年「小石川の家」で芸術選奨文部大臣賞受賞。 娘の青木奈緒もエッセイスト。 1929年11月30日、父三橋幾之助、母幸田文の一人娘として、東京市芝区伊皿子(現東京都港区)に生まれる。生後八ヶ月で腸重積で手術を受けるなど、幼少の頃は病気がちであった。 1936年、永田町小学校(現麹町小学校)入学。この年、築地で会員制小売り酒屋を開店。三橋本店が倒産。 1937年、京橋に引っ越して小売り酒屋を開く。このとき既に幾之助は結核にかかっており、実際には文が店を切り回していた。
大塚 布見子(おおつか ふみこ、1929年11月30日 -2… 大塚 布見子(おおつか ふみこ、1929年11月30日 -2020年4月12日 )は、日本の歌人。1977年歌誌『サキクサ』創刊。歌集、評論集など多数。夫は小説家・歌人の大塚雅春。孫に劇団アマヤドリ所属の女優・大塚由祈子。 香川県観音寺市出身。香川県立三豊高等女学校(現・香川県立観音寺第一高等学校)在学中に、「形成」同人で同校の南信一校長に短歌を学ぶ。東京女子大学国語科在学中、担任の藤森朋夫に万葉集を学ぶ。一時勤務したスタイル社の『スタイル』、ロマンス本社の『モダン・ロマンス』で、宇野千代、北原武夫、和田芳恵のもとで編集者として仕事をする。歌誌『藝林』を経て、1977年歌誌「サキクサ」を創刊、サキクサ短歌会を主宰。
大藪 郁子(おおやぶ いくこ、1929年〈昭和4年〉8月13… 大藪 郁子(おおやぶ いくこ、1929年〈昭和4年〉8月13日 - )は、日本の脚本家。 本名は斎藤郁子。出身地は旧朝鮮京城(現ソウル)。 香川県立丸亀高等学校、東京女子大学英米文学科卒業。大学では、有吉佐和子と同級だったという。 学生時代から芝居好きであった。大学卒業後にアメリカ人の秘書を務めるが、会社の近くでテレビドラマ研究所のポスターを見つけて惹かれ、そこの第一期生として入所。同研究所の卒業制作として自ら制作した韓国人差別問題を扱ったストーリー『船着き場』が雑誌に掲載され、それがテレビ局関係者の目に留まり、脚本家デビューのきっかけをつかむ。1962年にNHK教育テレビで放送された創作劇場『うわさ島』で脚本デビュー。
川中 なほ子(かわなか なほこ、1929年1月24日 - 2… 川中 なほ子(かわなか なほこ、1929年1月24日 - 2017年10月17日)は、日本の宗教哲学者。 1950年東京女子大学在学中にイエズス会の洗礼を受ける。東京女子大学(哲学科)、オックスフォード大学大学院神学部(宗教哲学専攻)卒業。藤女子大学教授、副学長を務めた。日本ニューマン協会会員。夫は川中康弘・上智大学教授。次男は川中仁・上智大学教授、副学長。兄は心理学者の相場均(高田敏江の亡夫)。
一ノ木 アヤ(いちのき あや、1929年 - )は日本の漫画… 一ノ木 アヤ(いちのき あや、1929年 - )は日本の漫画原作者。女性。 東京女子大学卒。1970年前後の少女漫画の革新期に原作を提供した。「花結勝男節塩梅(はなむすびおかかのあんばい)」が第1回菊池寛ドラマ賞(1991年度)佳作受賞。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
木々 康子(きぎ やすこ、1929年 - )は、日本の作家・… 木々 康子(きぎ やすこ、1929年 - )は、日本の作家・美術史研究者。 1929年、裁判官だった父親の任地先の三重県津市で出生(父親の出生地は富山県氷見市)。東京女子大学で、歴史・哲学を学び、私小説を主とする日本の近代文学に飽き足りず、「日本の近代とは何か」をテーマとして、幕末期から現代までを、膨大な資料を駆使して緻密な長編小説を描く。 特に近代とはまだ呼べなかった「初期の近代日本」の中で、苦闘し、祖国との乖離に傷つく知識人に焦点を当てる。とりわけ明治時代初期に、パリで美術商を営んだ義祖父林忠正については、いくつかの評伝、資料解説を執筆。林忠正研究の第一人者である。義曾祖父に当たるフランス法学者の磯部四郎の生涯も掘り起こした。
栃折 久美子(とちおり くみこ、1928年12月7日 - 2… 栃折 久美子(とちおり くみこ、1928年12月7日 - 2021年6月25日)は、日本の装幀家、製本工芸家、エッセイスト。 東京生まれ。東京女子大学卒業。 筑摩書房に勤務ののち、1967年に退社。フリーの製本家となる。森有正を知り、以後森の死去まで恋愛関係にあった。 1972年、ベルギー国立高等視覚芸術学校でルリユール((仏語))と呼ばれる製本技術を学び、帰国後は後進の指導にも当たった。1975年国井喜太郎賞受賞、1981年、国際製本家協会よりマイスターの認定を受け正会員となる。1985年、国際女流芸術文化協会連盟の現代芸術展審査員賞受賞。 エッセイストとしては、2003年に『森有正先生のこと』を刊行した。
村井 志摩子(むらい しまこ、1928年〈昭和3年〉7月12… 村井 志摩子(むらい しまこ、1928年〈昭和3年〉7月12日 - 2018年〈平成30年〉5月9日)は、日本の劇作家・演出家である。国内での活動よりも、むしろ国際的な活躍が目立つ。本名は葛井志摩子で、プロデューサー葛井欣士郎は夫。筆名は井村愛。 広島県広島市出身。広島県立広島第一高等女学校卒業。東京女子大学卒業。舞台芸術学院(第1期生)で土方与志に学び、卒業後、チェコに留学。カレル大学哲学部演劇科学科卒業。博士号取得。広島市の原爆ドーム世界遺産化推進委員(1994年 - 1996年)、日本チェコ協会理事などを務める。日本ペンクラブ会員。日本演出者協会会員。 代表作は「広島の女」。その他、劇作家の別役実、女優の楠侑子らと共に、かたつむりの会の公演に参加し、一貫して演出を担当していた。
今井 千鶴子(いまい ちづこ、1928年6月16日 - 20… 今井 千鶴子(いまい ちづこ、1928年6月16日 - 2025年7月4日)は、俳人。 元波止浜町長の今井五郎と俳人の今井つる女の長女として東京に生まれる。両親からの影響で早くから句作し、東京女子大学国語科を卒業後、星野立子主宰の「玉藻」社に勤務。高濱虚子の口述筆記を行うなどした。1989年、深見けん二らとともに「珊」創刊。2008年、句集 『過ぎゆく』により第8回俳句四季大賞受賞。他の句集に『吾子』『梅丘』『花の日々』など。「ホトトギス」「玉藻」同人。日本伝統俳句協会理事。愛媛俳壇、南日本新聞俳壇選者。娘の今井肖子も俳人。 2025年7月4日、肺炎により東京都内で死去。97歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
尾崎 左永子(おざき さえこ、1927年11月5日 - )は… 尾崎 左永子(おざき さえこ、1927年11月5日 - )は、日本の歌人、随筆家、放送作家。歌誌「星座」主筆、エッセイスト・クラブ常務理事。本名は尾崎磋瑛子(読みは同じ)。夫は慶應義塾大学経済学部名誉教授の尾崎巌。神奈川県鎌倉市在住。 東京府豊島区巣鴨に、宮内省に勤務する父・酒巻芳男(旧姓・飯島)、母・壽(旧姓・秋月)の四女として生まれる。母方の祖父は明治天皇の侍医であった。 東京女学館中等科を1学年飛び級し、東京女子大学国語科入学。大学では松村緑、西尾実の指導を受けた。また関鑑子に声楽を学んだ。戦後は大学の演劇部に所属し、木下順二、山本安英、薄田研二らの指導を受けた。大学在学中に歌誌「歩道」に入会し、佐藤佐太郎に師事。
森 英恵(森 英惠、もり はなえ、1926年〈大正15年〉1… 森 英恵(森 英惠、もり はなえ、1926年〈大正15年〉1月8日 - 2022年〈令和4年〉8月11日)は、日本のファッションデザイナーであり、日本人で唯一のパリのオートクチュールデザイナー。地域経済総合研究所評議員。森英恵ファッション文化財団理事長。位階は従三位。1996年、文化勲章、2002年、レジオンドヌール勲章オフィシエ章を受章。旧姓「藤井」。 1965年にニューヨーク・コレクションで成功をおさめ、日本人デザイナーの海外進出の先駆けとなった。1977年には東洋人として初めてパリ・オートクチュール協会(サンディカ)のメンバーとなる。バルセロナおよびリレハンメルオリンピックの日本選手団の公式ユニフォームのデザインや、歌舞伎、海外のオペラやバレエの舞台衣裳を担当するなど、ファッション界の第一人者として活躍した。
岡本 敏子(おかもと としこ、1926年〈大正15年〉1月1… 岡本 敏子(おかもと としこ、1926年〈大正15年〉1月1日 - 2005年〈平成17年〉4月20日)は、画家の岡本太郎のパートナーであり、養女。実質的な妻でもあった。千葉県出身。旧姓は平野。 1926年(大正15年)1月1日、千葉県に生まれる。東京女子大学文理学部卒業。出版社勤務を経て、岡本太郎主催「夜の会」で太郎と親しくなり秘書となった。事実上の妻であり、のちに太郎の養女となる。 1996年(平成8年)正月早々に太郎が急逝した際、未完の作品が数点のこっていたが、これらの全作品のその後の製作・仕上げにすべて監修として携わり、また太郎のアトリエ兼自宅を岡本太郎記念館として改装・公開を行い館長となる。
永井 路子(ながい みちこ、1925年〈大正14年〉3月31… 永井 路子(ながい みちこ、1925年〈大正14年〉3月31日 - 2023年〈令和5年〉1月27日)は、日本の歴史小説家。本名は黒板擴子(くろいた ひろこ)。茨城県古河市および神奈川県鎌倉市の名誉市民。 東京府東京市本郷区に生まれる。実父は来島清徳、実母は声楽家の永井智子。実父は生後数年で死去している。 母が一人娘だったため、母の実家を継ぐ目的で、血縁的には大叔父に当たる永井八郎治の長女として入籍。3歳で茨城県古河町(現:古河市)に転居して、当地で育つ。茨城県立古河高等女学校(現:茨城県立古河第二高等学校)卒業。1944年、東京女子大学国語専攻部を卒業。戦後は東京大学で経済史を学んだ。 1949年、歴史学者の黒板勝美の甥で同じく歴史学者となる黒板伸夫と結婚し、東京・中野に転居。
斎藤 美津子(さいとう みつこ、1925年1月27日 - 2… 斎藤 美津子(さいとう みつこ、1925年1月27日 - 2004年2月29日)は、日本のコミュニケーション学者、同時通訳(養成)者。国際基督教大学名誉教授。専門は異文化コミュニケーション論、コミュニケーション教育、一般意味論。 夫は元衆議院議員の福永一臣。父は元東京銀行監査役の斎藤保義。弟は元毎日新聞社社長・会長の斎藤明。姉の夫に井上孝、妹の夫に福田歓一、竹内昭夫、前田庸がいる。 京都市生まれ。東京銀行の前身である横浜正金銀行に就職していた父親の海外勤務で幼少期を7年間上海で過ごす。1945年東京女子大学英語専攻部卒業。1950年イリノイ州シカゴにあるノース・パーク大学(North Park University)に留学しスピーチ学に関心を持つ。
石原 一子(いしはら いちこ、1924年(大正13年)10月… 石原 一子(いしはら いちこ、1924年(大正13年)10月22日 - 2024年(令和6年)12月1日)は、日本の実業家。元髙島屋常務取締役。東証一部上場企業初の女性重役であり、経済同友会初の女性会員でもあった。 満州国大連市生まれ。父は南満州鉄道勤務。1952年、東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学では山田雄三教授のゼミナールに所属し、教授の紹介で東京銀行(現東京三菱銀行)へ就職するつもりだったが、紹介先の取締役が急逝し、当時は珍しかった男女同一賃金制度を採る髙島屋に入社。 1954年にゼミナールの先輩である石原英雄(のちに朝日新聞西部本社代表取締役社長)と結婚し、2人の子供を育てながら仕事を続け、婦人服第2部課長等を経て、1979年に取締役に選任され広報室長に就任。
村瀬 実恵子(むらせ みえこ、Miyeko Murase、1… 村瀬 実恵子(むらせ みえこ、Miyeko Murase、1924年4月27日 - 2025年2月12日)は、アメリカにおける日本美術史家。 日本の絵画、ことに中近世時代の絵巻物、屏風、書の研究で高い評価を受けてきた。アメリカ・ニューヨークのコロンビア大学渥美健夫・伊都子記念日本美術教授、メトロポリタン美術館日本美術特別顧問を歴任。 村瀬実恵子は大野実蔵の長女として、当時日本の統治下にあった樺太・豊原(現在のサハリン)で誕生。父実蔵は、植民地裁判官であった。幼少期を同じく日本が統治していたサイパンやパラオを含む南洋諸島で過ごし、第二次世界大戦末期の日本に帰国、アメリカ軍による東京大空襲に遭遇した。
大塚 野百合(おおつか のゆり、1924年3月10日 - )… 大塚 野百合(おおつか のゆり、1924年3月10日 - )は、日本の英文学者、キリスト教文化・賛美歌研究家。恵泉女学園大学名誉教授。キリスト教文化功労者。
近藤 富枝(こんどう とみえ、1922年8月19日 - 20… 近藤 富枝(こんどう とみえ、1922年8月19日 - 2016年7月24日)は、日本の作家、エッセイスト。旧名:水島富枝。夫は軍事史研究家の土門周平。 東京府東京市日本橋区矢ノ倉町(現:東京都中央区東日本橋一丁目)の袋物問屋に生まれる。1929年に、父の破産で一家離散となり、一人で父方の祖父母の家にひきとられ、東京市田端で育つ。祖父・水島辨治郎は、日本橋の金襖問屋・増見屋の8代目水島三右衛門の次男だった。 東洋高等女学校卒業。東京女子大学国語専攻部に在学中に演劇に熱中し、1942年新劇団「芸術小劇場」(北村喜八・村瀬幸子が主催)の研究生、のち文学座の研究生となる。1943年に大学卒業後、文部省教学局国語課勤務。
瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年〈大正11年… 瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年〈大正11年〉5月15日 - 2021年〈令和3年〉11月9日)は、日本の小説家、天台宗の尼僧。位階は従三位。俗名:晴美(はるみ)。僧位は権大僧正。1997年文化功労者、2006年文化勲章。天台寺名誉住職、徳島市名誉市民、京都市名誉市民、二戸市名誉市民。天台寺住職、比叡山延暦寺禅光坊住職、敦賀女子短期大学学長を務めた。 作家としての代表作は、『夏の終り』『花に問え』『場所』など多数。1988年以降は『源氏物語』に関連する著作が多く、新潮同人雑誌賞を皮切りに、女流文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞などを受賞した。 大正・昭和・平成・令和と4つの時代を生きた作家である。
水野 弥穂子 (水野 彌穗子 みずの やおこ、1921年10… 水野 弥穂子 (水野 彌穗子 みずの やおこ、1921年10月15日 - 2010年1月26日)は、日本の仏教学者・曹洞宗僧侶。駒澤大学名誉教授。東京女子大学教授。専門は道元の思想。 1921年、東京市出身。1939年4月、東京女子大学国語専攻部予科入学、1942年9月に本科を繰り上げ卒業。その後、東北大学法文学部に進学、卒業後、文部省に勤め、国立国語研究所研究員に転じる。駒澤大学助教授・教授、法政大学通信教育部非常勤講師などを経て、1975年より東京女子大学教授に、1987年3月に退任。 半世紀に及ぶ道元『正法眼蔵』研究で著名。主な注解版は、岩波文庫(全4巻)と、春秋社版『原文対照現代語訳 道元禅師全集』(全7巻)。
田中 未来(田中 未來、たなか みき、女性、1921年6月2… 田中 未来(田中 未來、たなか みき、女性、1921年6月28日 - 1999年10月5日)は、日本の保育学者。哲学者田中王堂の一人娘(他の3人は夭折した)。 東京府東京市小石川区白山生まれ。1940年私立立教高等女学校卒業、1943年東京女子大学国語専攻部卒業、1946年早稲田大学文学部哲学科教育学専攻卒業、東京家庭学園助教授、1953年白梅保母学園教授、1955年白梅学園保育科教授、1957年白梅学園短期大学専任講師、1962年助教授、1965年教授、1983年学長。1989年退任。
白光 (はく こう、バイ・クァン、Bai Kwong、192… 白光 (はく こう、バイ・クァン、Bai Kwong、1921年〈民国10年〉6月27日 - 1999年8月27日)は、1940年代から1950年代にかけて活躍した中国の歌手・女優。七大歌后の1人。本名は史永芬。 一筋の白い光がスクリーンに映像を映し出す姿に強い印象を受けたことから芸名を白光とした。女優として『蕩婦心』『一代妖姫』『玫瑰花開』といった映画がヒット。1950年代末に芸能界を引退の後、マレーシアの首都クアラルンプールに移り住み、1999年8月27日に結腸癌で病死。 白光は本名を史永芬といい、1921年に京都市(現:北京市)で生まれた。女学校時代に史永芬は北平沙龍劇団という劇団で、端役ながら新劇女優として曹禺の『日出』などの作品の舞台に立っていた。
杉浦澄子(すぎうら すみこ、1921年3月15日- )は、裏… 杉浦澄子(すぎうら すみこ、1921年3月15日- )は、裏千家流の茶人、陶芸研究家。 浅井竹五郎の次女として名古屋に生まれる。別名・澄心庵、杉浦宗美。愛知県立第一高等女学校卒。1941年東京女子大学英文科中退。東京大学印度哲学研究室にて中村元の指導をうける。裏千家茶道教授。
添田 清美(そえだ きよみ 1920年4月1日 - 2021… 添田 清美(そえだ きよみ 1920年4月1日 - 2021年12月11日)は、日本の寺庭婦人、高野山の宿坊ビジネスの元祖。センテナリアン。旧姓・土生川。 和歌山県出身、和歌山県立橋本高等女学校卒業、東京女子大学卒業。 教師の家に生まれ育つ。女学校で英語が好きになり、教育熱心な親のおかげで大学進学し英語を専攻する。卒業後は横浜正金銀行に就職したものの、東京が空襲を受けるようになったことから帰郷。帰郷後は周囲から女学校での家庭科教師になるように望まれていたのに対し、本人は英語教師を希望していたが敵性語のために叶わなかった。1946年に高野山の宿坊・蓮華定院に嫁ぐ。戦後の宿坊には進駐軍が訪れるようになり英語力が役立った。
宮澤 庸子(みやざわ ようこ、1920年〈大正9年〉2月18… 宮澤 庸子(みやざわ ようこ、1920年〈大正9年〉2月18日 - 2014年〈平成26年〉5月4日)は、日本の元ファーストレディである。 早稲田大学名誉教授で英語学者の伊地知純正の二女として生まれる。宮澤夫妻の出会いは、1939年(昭和14年)の夏に宮澤喜一が東京帝国大学、庸子が東京女子大学に入学して間もなくの「日米学生会議」がきっかけだった。 1941年(昭和16年)東京女子大学英語専攻部卒業。その後、1943年(昭和18年)11月30日に結婚。 1991年(平成3年)11月5日から1993年(平成5年)8月9日までは夫の喜一が内閣総理大臣に在任し、その間、ファーストレディとして活動した。 2014年 (平成26年)5月4日に東京都で死去。
園田 天光光(そのだ てんこうこう、1919年1月23日 -… 園田 天光光(そのだ てんこうこう、1919年1月23日 - 2015年1月29日)は、日本の政治家。日本初の女性代議士の一人。夫は園田直。旧姓は松谷。
粟津 キヨ(あわづ きよ、1919年(大正8年) - 198… 粟津 キヨ(あわづ きよ、1919年(大正8年) - 1988年(昭和63年)9月6日)は、新潟県立高田盲学校教諭で、生涯を視覚障害者教育に捧げた人物である。旧名は金井キヨ。4歳で失明した。1977年に「失明女子を考える会」を結成した。1986年度第6回山川菊栄記念婦人問題研究奨励金を受けた。 『ふみ子の海―ある盲少女の青春』(理論社)では、高田盲学校で同僚だった市川信夫が、粟津キヨをモデルにその考えと生き方、特に少女時代を紹介している。また、2007年に新潟県上映推進委員会が結成され、『ふみ子の海』の映画版が制作された。 高田瞽女最後の親方・杉本キクイが、毎年秋金井家に泊まりに行く折、弟子の養女シズ(1916年(大正5年)生)と3つ違いだったので、よく遊んだと証言している。
三宅 千代(みやけ ちよ、1918年1月7日-2017年3月… 三宅 千代(みやけ ちよ、1918年1月7日-2017年3月30日)は、昭和・平成期の歌人・作家。 愛知県名古屋市にて眼科医の家系に生まれる。旧姓・杉田。杉田久女の夫・杉田宇内は遠縁にあたる。 母が崖からの転落事故の後遺症で半身不随となったため、幼少期は両親それぞれの実家や親戚宅に預けられて育つ。そうした生活から非行少女的な行動をとるようになったが、小学4年のときに担任教師の綴り方指導を受け、新愛知新聞への投稿で50回入賞するなど文才を認められたことで立ち直った。東京女子大学国文科在学中に歌誌「詩歌」に入会し、前田夕暮に師事。卒業後は名古屋市立大学病院の勤務医・三宅寅三と結婚するが、結婚の翌年に夫が太平洋戦争に召集され、その所属部隊はレイテ島で全員玉砕したと伝えられる。
伊原 昭(いはら あき、1917年10月24日 - 2018… 伊原 昭(いはら あき、1917年10月24日 - 2018年5月20日)は、日本の国文学者、梅光女学院大学名誉教授。本名・昭子。 鎌倉市生まれ。東京女子大学卒業、日本大学文学研究科修了。1970年「平安朝文学の色相」で日大文学博士。国立国会図書館主査、和洋女子大学助教授、同教授、1977年梅光女学院大学教授、1988年定年退任、名誉教授。 1975年『日本文学色彩用語集成 中世』で風俗史学会第一回「野口眞造記念染色研究奨励金」受賞、1977年『日本文学色彩用語集成 中古』で風俗史学会第六回「江馬賞」受賞。2007年エイボン女性年度賞受賞。古典文学における色彩について研究してきた。 2018年5月20日、老衰のため死去。
恩地 三保子(おんち みおこ、1917年〈大正6年〉2月12… 恩地 三保子(おんち みおこ、1917年〈大正6年〉2月12日 - 1984年〈昭和59年〉12月27日)は、日本の児童文学翻訳家。 画家・恩地孝四郎の長女として東京市麹町区中六番町(現・東京都千代田区四番町)に生まれる。1938年東京女子大学英文科卒業、同年7月師範学校中学校高等女学校教員免許状(英語)取得。 戦後、東京のアメリカ第8軍教育本部勤務や国際基督教大学美術史教授ヒューゴ・ムンスターバーグ(wikidata)の著作執筆の助手等を経て、明星学園高等学校講師を務めるなどして、1951年頃から英米文学の翻訳を始めた。はじめ推理ものや少女ものを訳し、ローラ・インガルス・ワイルダーの作品の訳者として知られる。
川田 泰代(かわた やすよ、1916年8月12日 - 200… 川田 泰代(かわた やすよ、1916年8月12日 - 2001年5月5日)は、日本のジャーナリスト、平和運動家。『婦人画報』の編集者、編集長として活動した後、フリーランスの著述業に転じ、アムネスティ・インターナショナルの活動に参画し、もっぱら東アジアの政治犯、いわゆる「良心の囚人」の救援活動に携わった。 大阪府大阪市に生まれる。 1937年に東京女子大学を卒業して『婦人画報』の編集者となるが、1939年に退社して、結婚し、3児の母となる。 戦後、離婚して、1950年に『婦人画報』に復帰し、後に編集長となる。 1960年にはオーストリアで開催された第2回世界ジャーナリスト会議に参加した。またこの前後には、さらに中国、ソビエト連邦、東ドイツ、ハンガリー、チェコスロバキアといった当時の東側諸国から招待を受けて歴訪する。
高橋 展子(たかはし のぶこ、1916年4月19日 - 19… 高橋 展子(たかはし のぶこ、1916年4月19日 - 1990年9月25日)は、日本の昭和期の労働官僚、評論家。旧姓は富田。建築家の富田玲子は娘。 旧満洲長春に生まれる。1929年3月、長春西広場尋常小学校を卒業。長春高等女学校から、大連神明高等女学校に転校した。1933年(昭和8年)、東京女子大学英語専攻部に入学。当初、別の大学に入学したが、どうにも合わず2日で退学し、合格していた東京女子大学に1週間遅れで入学した。卒業後、直ぐに結婚し、医師の夫(道也)との間に1女2男をもうけた。娘は、建築家の富田玲子。 1943年の春に夫が召集され、旧満洲の陸軍病院へ。同年冬に5歳の長男を連れ満洲にわたるも、夫は南方へ転進。
渡辺 道子(わたなべ みちこ、1915年3月25日 - 20… 渡辺 道子(わたなべ みちこ、1915年3月25日 - 2010年1月23日)は、東京都出身の元弁護士。戦後初の女性弁護士で第二東京弁護士会に所属した。日本女性法律家協会会長、婦人少年問題審議会会長、中央労働基準審議会公益委員、日本キリスト教女子青年会(日本YWCA)理事長などを務めた。女子学院、東京女子大学、明治大学専門部女子部法科を経て、早稲田大学法学部卒業。 2010年1月23日に肺炎のため死去した。享年94歳。 日本社会党に所属し党婦人局長を務めた渡辺道子は同姓同名の別人である。 1956年(昭和31年)5月11日参議院法務委員会公聴会にて、死刑廃止に賛成する旨の発言を行っている。 1958年(昭和33年)11月4日衆議院地方行政委員会公聴会にて、警察官職務執行法改正案に対して反対する旨の発言を行っている。