大林 文敏(おおばやし ふみとし、1945年10月 - )は… 大林 文敏(おおばやし ふみとし、1945年10月 - )は日本の法学者。専門は憲法学、アメリカ最高裁判所論。愛知大学法学部、同大学院法学研究科・法務研究科(法科大学院)教授。 愛知県出身。1969年、愛知大学法経学部法学科卒業。1971年に同大学院法学研究科公法学専攻修了後、1972年の沖縄国際大学設立に参画。沖国大では1985年に玉野井芳郎教授が提唱し纏めた「生存と平和を根幹とする『沖縄自治憲章案』」の草案を西原森茂(琉球大学)、仲地博(沖国大)と共に作成する。 1989年から愛知大学法学部教授。2004年には法科大学院が開設され、大学院教授を併任。2009年、加藤克佳の後任として法科大学院長に就任(2011年まで)。
大野 紀明(おおの としあき、1945年(昭和20年)4月1… 大野 紀明(おおの としあき、1945年(昭和20年)4月18日 - 2016年(平成28年)10月20日)は、日本の政治家。愛知県稲沢市長(3期)。 愛知県稲沢市出身。1968年(昭和43年)3月、愛知大学法経学部卒業。同年、稲沢市役所に入庁。 市長就任の前年、2005年に稲沢市は祖父江町、平和町と市町村合併したが、「稲沢ブランド」を全国に売り出すことに力を入れている。2010年11月に告示された市長選挙では民主党、自民党、公明党の推薦を受けて、無投票で再選した。 2014年12月7日の市長選において市民団体事務局長の茶原正士を破り3選。 3期目の任期途中の2016年(平成28年)10月20日、稲沢市内の病院で転移性脳腫瘍のため死去、71歳没。
鈴木 富久(すずき とみひさ、1945年(昭和20年) - … 鈴木 富久(すずき とみひさ、1945年(昭和20年) - )は、日本の社会学者、桃山学院大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。工業高校卒業後、民間企業に数年間勤務、1975年愛知大学法経学部経済学科(夜間)卒、1980年立命館大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。1991年桃山学院大学社会学部助教授、教授。2016年定年退職、名誉教授。2010年「グラムシ『獄中ノート』の学的構造」で立命館大学博士(社会学)。
金子 勝(かねこ まさる、1944年1月16日- )は、日本… 金子 勝(かねこ まさる、1944年1月16日- )は、日本の法学者。立正大学法学部名誉教授。専門は憲法学、政治学、社会科学論。 愛知県出身。1966年、愛知大学法経学部法学科卒業。1968年、同大学院法学研究科公法学専攻修士課程修了。1971年、立正大学教養部講師、1976年助教授、1986年教授、1995年法学部法学科教授、2014年、定年退職、名誉教授。 国民の「幸福」のために、世界と日本の憲法問題を科学的に解明するには、憲法学と政治学と社会科学が必要であるとの考えから憲法学、政治学、社会科学論を専攻し研究している。学部講義では法律学概説、現代時事問題を担当した。
大野 信彦(おおの のぶひこ、1944年(昭和19年) - … 大野 信彦(おおの のぶひこ、1944年(昭和19年) - )は、日本の政治家、元岐阜県土岐市長(1期)。 愛知大学法学部卒。土岐市役所に入り、助役となる。2007年の市長選挙に立候補し、元市議会議長を破り当選した。2011年の選挙でも再び立候補したが、元土岐市職員の加藤靖也に敗れた。
中尾 勝洋(なかお まさひろ、1944年(昭和19年) - … 中尾 勝洋(なかお まさひろ、1944年(昭和19年) - )は日本の実業家。名鉄観光サービス株式会社取締相談役。同社の前代表取締役社長。 中尾が社長に就任した2005年は、中部国際空港(セントレア)が開港し、愛・地球博なども開催されるなど、名古屋経済が活性化し旅行業界も大いに恩恵を受けた年であった。しかしながら、2001年のアメリカ同時多発テロに端を発した国際テロ問題は、依然として旅行業界にダメージを与えており、さらには SARS 感染問題、中国の抗日運動、H5N1型鳥インフルエンザなどの世界的大流行の恐れにいたるまで、次から次へと予期せぬ出来事が発生した多難な時代でもあった。外務省が行った海外安全情報によると「海外旅行に行く際に、滞在中の事故や病気、トラブルを避けるための知識や情報の相談先」の第1位は旅行業者で、全体の50%を占めていた。
安井 善宏(やすい よしひろ、1942年8月18日 - 20… 安井 善宏(やすい よしひろ、1942年8月18日 - 2013年9月22日)は日本の実業家。愛知県出身。明治電機工業株式会社の元代表取締役社長。長男は実業家の安井淳一郎。
平松 礼二(ひらまつ れいじ、1941年9月3日 - )は、… 平松 礼二(ひらまつ れいじ、1941年9月3日 - )は、日本画家。本名:平松邦夫。多摩美術大学教授、了徳寺大学学長を歴任。岩彩、箔、墨、コラージュ等、多彩な技法を駆使した21世紀を代表する日本画家のひとりである。 東京都中野区出身。愛知県名古屋市で育ち、愛知県立旭丘高等学校美術科、愛知大学法経学部卒業。 横山操に私淑し、1960年より青龍社展に出品。青龍社解散後は創画会を経て無所属で作品を発表していく。ライフワークとなる「路」シリーズがスタートした30代後半には、新たな日本画を生み出そうとした日本画家の研究グループ「横の会」結成に参加。40代には日本画家の登竜門である山種美術館賞展大賞受賞など著名な美術賞を総なめにする。
塚本 隆敏(つかもと たかとし、1941年5月 - )は、日… 塚本 隆敏(つかもと たかとし、1941年5月 - )は、日本の経済学者。専門は経済政策(博士(経済学))。中京大学名誉教授。
榊原 伊三(さかきばら いぞう、1940年(昭和15年)12… 榊原 伊三(さかきばら いぞう、1940年(昭和15年)12月18日 - 2024年(令和6年)5月29日)は、日本の政治家。元愛知県半田市長(2期)。 愛知県半田市に生まれる。幼い頃から海に憧れ、世界一周航海をすることを夢見ていたという。半田市立成岩中学校卒業。1959年(昭和34年)、愛知県立半田高等学校卒業。同年、愛知大学法経学部経済学科入学。大学時代はヨット部に在籍した。1963年(昭和38年)に卒業し、半田市役所に入庁。 1969年(昭和44年)、市役所を退職。新美春光、高須洪吉、石垣洋一らと共に外洋ヨット「白雲」を製作し、2年1ヶ月にわたる世界一周航海に出帆した。 1971年(昭和46年)、市役所に再入庁。
高井 和伸(たかい かずのぶ、 1940年12月13日 - … 高井 和伸(たかい かずのぶ、 1940年12月13日 - 2025年7月30日)は日本の元政治家、弁護士。元連合参議院参議院議員(1期)。愛知県名古屋市出身、岐阜県久々野町(現高山市)育ち。 岐阜県立斐太高等学校卒業後、名古屋中央郵便局にて働きながら愛知大学法経学部二部を卒業。郵政大学校本科などを経て、1969年郵政省入省。1974年司法試験合格。1976年司法修習修了(29期)。高知地裁、浦和家裁各判事補を経て、1981年高井和伸弁護士事務所開設。東京弁護士会所属。 1989年第15回参議院議員通常選挙に連合の会公認で岐阜県選挙区より出馬し初当選。以後1期途中まで務める。その後、1993年第43回衆議院議員総選挙岐阜県第2区で日本新党公認で落選。
藤田 佳久(ふじた よしひさ、1940年(昭和15年)11月… 藤田 佳久(ふじた よしひさ、1940年(昭和15年)11月1日 - )は、日本の地理学者。愛知大学名誉教授。 1940年、愛知県豊橋市生まれ。愛知学芸大学学芸学部で学んだ後、名古屋大学大学院文学研究科へ進み、1967年(昭和42年)に博士課程中退。(後の1976年(昭和51年)「日本における育成林業地域の形成に関する研究」で東京教育大学理学博士号を取得している。) その後は名古屋大学教育学部附属高等学校教諭を務め、その後奈良大学助教授となる。愛知大学文学部助教授を経て、教授。2011年に定年退任し、名誉教授となる。近年は東亜同文書院大学について研究を続けている。
宇田 一明(うだ かずあき、1940年8月19日- )は、日… 宇田 一明(うだ かずあき、1940年8月19日- )は、日本の法学者。専門は商法。札幌学院大学名誉教授。弁護士、弁護士法人愛知リーガルクリニック代表社員。愛知県名古屋市出身。 1964年愛知大学法経学部法学科卒業。1969年愛知大学大学院法学研究科単位取得満期退学。 1969年愛知大学法経学部助手。浜松短期大学幼児教育科非常勤講師。1970年札幌学院大学商学部専任講師、1975年同商学部助教授。1976年札幌学院大学商学部教授。1983年札幌学院大学法学部教授。1996年札幌学院大学大学院法学研究科教授。2005年札幌学院大学早期退職。同名誉教授。弁護士登録。愛知大学大学院法務研究科教授。2010年愛知大学定年退職。
田島 裕(たじま ゆたか、1940年4月30日~2022年9… 田島 裕(たじま ゆたか、1940年4月30日~2022年9月29日)は、日本の法学者(英米法・比較法)だった人物。筑波大学名誉教授。法学博士(カリフォルニア(バークレー)大学)。博士(文科系)(ケンブリッジ大学)。愛知県生まれ 1964年愛知大学法経学部卒。1970年カリフォルニア大学バークレー校にて法学博士。1974年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(指導教授:伊藤正己)。1976年ケンブリッジ大学にて博士号を受ける。 1974年大阪市立大学法学部助教授。1979年カリフォルニア大学ロー・スクール教授(~1980年)。1982年大阪市立大学法学部教授。1986年ハーバード・ロー・スクール客員教授(~1987年)。
鈴村 照男(すずむら てるお、1940年3月24日 - )は… 鈴村 照男(すずむら てるお、1940年3月24日 - )は愛知県出身のプロゴルファー。 愛知大学卒業後の1963年9月にプロ入りし、1967年の関西オープンで初優勝を飾る。同年の日本シリーズではシリーズ初登場の学士プロとして出場し、河野高明・橘田規・佐藤精一に次ぐと同時に宮本省三を抑え、杉原輝雄と並んでの4位タイに入った。 1968年の日本プロでは、最終日の午前を69で回って通算5アンダーで首位に立つ。最終18番パー5でバーディーを奪って通算5アンダーでホールアウトしたが、島田幸作に1打及ばず2位に終わった。 1969年の中日クラウンズでは2日目に1、2番と連続バーディ発進の後、10番からも3ホール連続でバーディを奪う。
鈴木 公平(すずき こうへい、1939年(昭和14年)3月2… 鈴木 公平(すずき こうへい、1939年(昭和14年)3月20日 - )は、日本の政治家。第7代愛知県豊田市長(3期)。 愛知県豊田市上郷町出身。1954年(昭和29年)、高橋村役場に奉職。23歳のときに父を亡くし、以後、母と弟妹4人の一家の柱となる。かたわら愛知県立旭丘高等学校の通信課程と夜間の愛知大学短期大学部法経科に通い、1965年(昭和40年)、同大学を卒業する。豊田市役所で秘書課長、広報課長、総務部長などを務めた。1992年(平成4年)4月1日、豊田市助役に就任。 1999年(平成11年)10月15日、豊田市長の加藤正一は任期満了に伴う豊田市長選挙への不出馬を表明。自民党系と全トヨタ労連系の市議で構成される市議会の与党会派「思政クラブ」はただちに後継者の人選に入る。
清水 一嘉(しみず かずよし、1938年11月8日 - )は… 清水 一嘉(しみず かずよし、1938年11月8日 - )は、日本のイギリス文学者。愛知大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。岡山県立岡山朝日高等学校卒、1962年東北大学文学部英文科卒、1964年同大学院修士課程修了。同年愛知大学教養部講師、1969年助教授、1980年教授、1998年文学部教授。2009年定年退任、名誉教授。専攻は英文学、英国文化史。 2018年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
府主教ダニイル(ロシア語: Даниил、俗名: 主代郁夫 … 府主教ダニイル(ロシア語: Даниил、俗名: 主代郁夫 - ぬしろいくお、1938年9月5日 - 2023年8月10日)は、日本ハリストス正教会の首座主教。正式な称号は「東京の大主教・全日本の府主教」。「ダニイル」は聖名であり、「モスクワの大公聖ダニイル」を記憶する。聖名日は9月12日。 日本正教会においては通例、「ダニイル府主教」と表記される。日本正教会(のみならずスラヴ系の正教会)では「大主教」よりも「府主教」の方が格上の称号であり、いずれか一つのみの称号を冠する場合は「府主教」を用いる。 前任の首座主教であったフェオドシイ永島新二府主教が1999年5月7日に永眠した後、後継として日本正教会において選立された。
武田 信照(たけだ のぶてる、1938年(昭和13年)7月 … 武田 信照(たけだ のぶてる、1938年(昭和13年)7月 - )は、日本の経済学者。専門は、経済学史。愛知大学第14代学長、南開大学名誉教授。経済学博士。 株式会社の学説上の発展についてを主な研究対象とする。1969年から2009年まで愛知大学に勤務。1986年に大阪市立大学より経済学博士号を授与。 愛知大学においては、大学院経済学研究科長、法経学部経済学科長、経済学部長、理事を歴任し1999年から2期8年にわたり理事長ならびに学長を務めた。 長崎県佐世保市出身。大阪市立大学では福井孝治、飯田繁の指導を受ける。1969年に専任講師として愛知大学法経学部に着任。のち助教授、教授となる。 1989年に所属する法経学部が法学部、経済学部、経営学部の3学部に分離。
磯貝 治良(いそがい じろう、1937年 - )は、日本の朝… 磯貝 治良(いそがい じろう、1937年 - )は、日本の朝鮮韓国に関わる作家、評論家、活動家。「在日朝鮮人作家を読む会」の主宰。金城学院大学非常勤講師。NPO法人「三千里鐵道」副理事長。 1937年、愛知県半田市生まれ。愛知大学法経学部経済学科卒業。1977年から名古屋で「在日朝鮮人作家を読む会」を主宰し、会の文芸誌『架橋』を発行。 大学講師、警備員などの仕事をしながら、新日本文学会、マダン劇グループ、外国人登録法反対運動、在日韓国人に対する参政権付与運動、NPO法人「三千里鐵道」など、主に朝鮮韓国に関わる様々な活動に参加している。 2006年には、全18巻に及ぶ『〈在日〉文学全集』(勉誠出版)を黒古一夫とともに編集した。
稲垣 博愛(いながき ひろよし、1936年3月12日 - )… 稲垣 博愛(いながき ひろよし、1936年3月12日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。 愛知県西尾市一色町(旧 幡豆郡一色町一色)生まれ 町立一色中部小学校 〜町立一色中学校 〜愛知県立西尾高等学校 〜愛知大学へ進学。愛知大学リーグでは通算65試合に登板し46勝7敗(中日スポーツのスコア記事より)。リーグ記録とされている西崎幸広の37勝を超える成績を挙げている。三菱重工名古屋硬式野球部〜新三菱重工名古屋を経て、1961年に東京ヤクルトスワローズ (国鉄スワローズ)へ入団。1964年に引退。
新村 徹(しんむら とおる、1936年(昭和11年)2月17… 新村 徹(しんむら とおる、1936年(昭和11年)2月17日 - 1984年(昭和59年)10月21日)は、日本の中国文学者、児童文学者。 1936年、京都府生まれ。子供の頃に、父・新村猛が「世界文化」出版に関連して治安維持法違反で逮捕されたことから国賊の子扱いされ、国民学校時代にはいじめ抜かれるという経験も持つ。 愛知大学中国文学科卒業を経て、旧・東京都立大学大学院博士課程修了。専攻は中国文学。 『広辞苑』(岩波書店)第二版以降の改訂編集や「新村出全集」ほかの祖父の著作編集などにも加わった。立命館大学、同志社大学などの非常勤講師を経て、1975年より桜美林大学助教授を経て、教授となる。 今江祥智とは同志社大学の学生時代でロマン・ロラン研究会で講師として来た父・新村猛と出会って人生の恩師になると同時に徹とも出会って以来親交深かった。
小沢 文夫(おざわ ふみお、1935年12月5日 - )は、… 小沢 文夫(おざわ ふみお、1935年12月5日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。 愛知県立岡崎北高等学校から愛知大学を経て、1955年にトンボユニオンズへ入団。 1956年オフに球団が吸収合併したため1957年は近鉄パールスへ移籍。同年引退。
牧田 哲明(まきた てつあき、1935年10月4日 - 20… 牧田 哲明(まきた てつあき、1935年10月4日 - 2022年11月23日)は、日本の版画家(木版画)。自動車画家としても知られる。戦前生まれの世代ながら自動車レースやクラシックカーを題材に独自の木版画作品を制作、国内外に名を知られた。 1935年10月4日、愛知県豊橋市に生まれる。 豊橋市立豊城中学校から愛知県立時習館高等学校へ進学し、高校では美術部に所属して写実画家の野田弘志らと活動した。 愛知大学を卒業後、大阪や東京の商社勤務を経て故郷の豊橋に戻り、地元のデザイン会社にデザイナーとして勤務。その後、創作活動に専念するため独立し、自動車画家・版画家としてのキャリアを開始。独立後は各地の展覧会で作品を発表するとともに、自動車イベントのポスター制作や企業からの依頼作品も手掛けた。
杉浦 健五(すぎうら けんご、1935年(昭和10年)8月1… 杉浦 健五(すぎうら けんご、1935年(昭和10年)8月12日 - 2006年(平成18年)5月7日)は、日本の空手家および実業家。静岡県浜松市出身。愛知大学出身。元全日本空手道連盟和道会理事長。政治活動家・田中清玄の秘書だった。
松浦 元男(まつうら もとお、1935年 - )は、プラスチ… 松浦 元男(まつうら もとお、1935年 - )は、プラスチック製小型精密部品メーカーの株式会社樹研工業の会長である。愛知県名古屋市出身。
岡安 辰雄(おかやす たつお、本名:伊藤 辰雄、1934年5… 岡安 辰雄(おかやす たつお、本名:伊藤 辰雄、1934年5月19日 - 2014年5月31日)は、愛知県出身の演劇評論家、元新聞記者 。名古屋タイムズ社を経て、中日新聞社に勤務した。 愛知県西尾市生まれ。1953年愛知県立西尾高等学校卒業、1957年愛知大学法経学部経済学科卒業。同年名古屋タイムズ社入社、報道部長、文化部長、編集局次長を務めたのち、中日新聞社に転職し、2010年放送芸能部退社。新聞記者として「芸能」のほかに「釣り」「囲碁」などの取材執筆も担当した。 2010年からは演劇評論家、フリーランス記者として活動した。御園座・名鉄ホール・中日劇場の興業を軸に半世紀以上、主たる興業の稽古取材・プログラム執筆を手掛けた。
田中 秀夫(たなか ひでお、1933年11月24日 - 20… 田中 秀夫(たなか ひでお、1933年11月24日 - 2011年7月9日)は、映画・テレビドラマ作品の元監督・演出家。 愛知大学法経学部卒業。岐阜県出身。 1956年に愛知大学法経学部を卒業した後、1958年に東宝映画撮影所で助監督となり、監督の山本嘉次郎に師事。数々の映画作品に助監督として携わった後、山本の紹介で、山本の義弟が初代所長を務めた東映テレビ・プロダクションに移籍。テレビドラマの助監督として務め、1965年に『特別機動捜査隊』にて監督デビューした。以降、主に東映のテレビ作品に参加し、刑事ドラマ・アクションドラマなどを多く手掛けた。『どっこい大作』以降は子供向け番組も多い。 自他共に認める監督生活の代表作として挙げられる『スケバン刑事』シリーズではメイン監督を務め上げ、2本の長編映画も成功に導いている。
河合秀敏(かわい ひでとし、1933年8月30日- )は、日… 河合秀敏(かわい ひでとし、1933年8月30日- )は、日本の経営学者、愛知大学名誉教授。 愛知県出身。愛知大学法経学部卒、1966年神戸大学大学院経営学研究科博士課程単位取得満期退学、経営学博士。愛知大学法経学部講師、助教授、教授、経営学部教授となる。2004年定年、名誉教授。 2013年11月瑞宝中綬章受章。
今泉 潤太郎(いまいずみ じゅんたろう、1932年 - )は… 今泉 潤太郎(いまいずみ じゅんたろう、1932年 - )は、日本の中国語学者。愛知県豊橋市出身。愛知大学名誉教授。現在、『中日大辞典』編集主幹を務めている。 1951年、愛知県立豊橋時習館高等学校卒業。1955年、愛知大学文学部文学科卒業、愛知大学華日辞典編纂所に勤務する。1959年、同大学教養部にて中国語を担当する。1997年、同大学現代中国学部教授。大学院中国研究科教授(中国語学)。2000年、同大学現代中国学部長。2003年、同大学名誉教授。 2012年、瑞宝中綬章受章。 1933年5月、東亜同文書院において、鈴木擇郎を責任者として『華日辞典』の編纂が始まり、「華日辞典カード」14万枚が作成された。
亀井 節子(かめい せつこ、1932年 - )は、日本の社会… 亀井 節子(かめい せつこ、1932年 - )は、日本の社会保険労務士、行政書士。名古屋市を拠点に実務に従事するかたわら、女性の働き方に関する著作などを発表した。 愛知大学法経学部を卒業した。1967年に行政書士登録して、労務コンサルタント事務所「亀井事務所」を名古屋市千種区に設立し、制度の導入とともに社会保険労務士として活動した。当時は、労務関係では数少ない女性の専門家として、数多くのセミナー等で講師を務めるとともに、愛知県社会保険労務士会副会長などを歴任した。 事務所は1972年に亀井労務管理事務所と改称し、1994年に名古屋市昭和区に移転した後、2009年に社会保険労務士法人となった。
石井 吉也(いしい よしや、1931年(昭和6年)8月27日… 石井 吉也(いしい よしや、1931年(昭和6年)8月27日 - )は、日本の法学者。専門は、商法。愛知大学名誉教授。瑞宝中綬章。 専攻は商法。愛知大学法経学部法学科、同大学院出身。 浜松短期大学(現・浜松学院大学短期大学部)をへて愛知大学に着任。短期大学部長、図書館長、法経学部長、法学部長を歴任し、出身者として初の学長を務める。 1931年、三重県鈴鹿市生まれ。1957年に愛知大学法経学部法学科卒業、1959年に愛知大学大学院法学研究科修士課程を修了。愛知大学では本間喜一の教えを受け、後に愛知大学に教員として勤めるようになった後も本間とは親しい関係が続いた。本間が1987年に亡くなった際には、大学葬の葬儀副委員長となった。
東松 照明(とうまつ しょうめい、男性、1930年1月16日… 東松 照明(とうまつ しょうめい、男性、1930年1月16日 - 2012年12月14日)は、日本の写真家。 戦後日本を代表する写真家の一人。ヨーロッパやアメリカでも写真展を開くなど、海外での評価も高い。愛知県名古屋市出身。 愛知県名古屋市に生まれる。1954年 - 愛知大学法経学部経済学科在学中、土門拳・木村伊兵衛が審査員を務める「カメラ(CAMERA)」の月例コンテストに応募。学内新聞に発表した「皮肉な誕生」が反響を呼ぶ。卒業後、『岩波写真文庫』のスタッフになる。 1956年 - フリーとなる。1958年 - 「地方政治家」を題材にした作品群で日本写真批評家協会新人賞受賞。 1959年 - 奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」設立(61年解散)。
夏目 文雄(なつめ ふみお、1929年〈昭和4年〉12月1日… 夏目 文雄(なつめ ふみお、1929年〈昭和4年〉12月1日 - 2018年〈平成30年〉7月25日)は、日本の法学者。専門は刑法。愛知大学名誉教授。
甲斐 一政(かい かずまさ、1929年 - 2024年9月1… 甲斐 一政(かい かずまさ、1929年 - 2024年9月16日)は、元愛知県副知事。宮崎県西臼杵郡高千穂町出身。勲位は勲三等瑞宝章。 このほか、日本国際連合協会評議員、総務省中部管区行政苦情処理委員会座長、愛知大学理事を務めた。
しかた しん(本名・四方晨(読み同じ)、1928年3月6日 … しかた しん(本名・四方晨(読み同じ)、1928年3月6日 - 2003年12月7日)は、日本の児童文学作家・劇作家。 1928年日本統治時代の朝鮮京城府(現:ソウル特別市)生まれ。 父は京城帝国大学教授、岐阜大学学長、愛知県立大学学長を歴任した朝鮮社会経済学者の四方博。母は洋画家、四方れい。 第二次世界大戦の日本敗戦に伴い引き上げ、愛知大学卒業後、中部日本放送に勤務する。児童番組のディレクターを務めながら、1973年に児童劇団「うりんこ」を創設。1982年まで代表、のち名誉代表。愛知大学短期大学部教授を務めた。 2003年12月7日、入院先の名古屋市昭和区内の病院にて、呼吸器不全により75歳で死去。
加藤 義行(かとう よしゆき、1927年10月25日 - 2… 加藤 義行(かとう よしゆき、1927年10月25日 - 2008年1月21日)は、日本の経営者。テレビ大阪社長を務めた。 愛知県出身。1951年に愛知大学を卒業し、同年に日本経済新聞社に入社。1981年6月にテレビ大阪取締役に就任し、1983年6月に常務、1986年3月に専務を経て、1990年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任し、1998年6月に相談役を経て、2000年6月に顧問に就任。 2000年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2008年1月21日に急性呼吸不全のために死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
重松 徳(しげまつ めぐみ、1927年 - 1992年9月2… 重松 徳(しげまつ めぐみ、1927年 - 1992年9月24日)は、日本の鉄道実業家。 福岡県糸島郡に生まれる。満州国新京(現在の長春市)の建国大学に入学。1945年、建国大学生として敗戦を迎える。 1950年3月、愛知大学法学部を卒業し、京阪電気鉄道に入社。京阪電鉄では労務開発関係などを担当、くずはローズタウンの開発計画にも携わった。また、重松自身も大阪府枚方市内に在住した。1967年、京阪タクシーの社長に就任、同社の再建を果たす。 以後、琵琶湖汽船取締役社長(1975年8月)、京阪電気鉄道常務取締役(1979年)、琵琶湖ホテル取締役社長(1981年)、京阪電鉄専務取締役(1985年6月)をそれぞれ歴任した。
蟹江 一忠(かにえ いちただ、1926年7月24日 - 19… 蟹江 一忠(かにえ いちただ、1926年7月24日 - 1984年5月9日)は日本の実業家。愛知県知多郡荒尾村(現・東海市)出身。カゴメ株式会社代表取締役社長。 カゴメ創業者蟹江一太郎は養父。 1926年に愛知県知多郡荒尾村(現・東海市)に生まれ、1950年に愛知大学法経学部経済科を卒業した。蟹江一族が経営する愛知トマト株式会社(現・カゴメ株式会社)に入社。1962年に第2代カゴメ社長に就任し、蟹江英吉に椅子を譲る1982年まで社長を務めた。 明治期にトマト栽培とその加工技術で名を挙げたカゴメ創業者の蟹江一太郎は、その後もトマトケチャップ、ウスターソース、トマトジュース等を相次いで開発販売し、カゴメを日本有数の食品メーカーに育て上げていった。
牧野 由朗(まきの よしろう、1926年(大正15年)6月6… 牧野 由朗(まきの よしろう、1926年(大正15年)6月6日 - 2016年(平成28年)5月25日)は、日本の社会学者。専門は、地域社会学・農村社会学。愛知大学第12代学長。北京第二外国語学院名誉教授。勲三等旭日中綬章。 入学してから、研究者として定年退職するまで一貫して愛知大学で過ごす。社会学者としては、志摩(三重県)の漁村や渥美(愛知県)の農村を対象に長らく研究をおこなっている。 愛知大学では、短大部長に始まり、文学部長、中国学術委員長、国際交流委員長、評議員、理事、理事長、学長など要職を歴任。この功績から、愛知大学から名誉教授ならびに名誉役員の称号が授与されたほか、愛知大学同窓会からも2012年に「愛知大学の隆昌発展、東亜同文書院大学のよき伝統の継承や同窓会との関係強化に尽力」したことを理由に同窓会創立60周年特別奨励賞が贈られている。
小田 啓二(おだ けいじ、1925年12月14日 - 200… 小田 啓二(おだ けいじ、1925年12月14日 - 2006年9月9日)は日本の実業家。熊本市出身。兼松株式会社元代表取締役社長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
笠岡 喬(かさおか たかし、1925年(大正14年)7月5日… 笠岡 喬(かさおか たかし、1925年(大正14年)7月5日 - 2011年(平成23年)4月4日)は、昭和期の政治家。衆議院議員(3期)。 岡山県出身。1953年(昭和28年)愛知大学法経学部経済学科を卒業した。 小学校教員を務め、その後、衆議院議員秘書となる。1955年(昭和30年)岡山県議会議員に選出され3期在任した。 1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙で岡山県地方区から自由民主党公認で出馬したが次点で落選。1969年(昭和44年)12月の第32回衆議院議員総選挙で岡山県第1区から出馬し初当選。選挙後、選挙違反で書類送検された。次の第33回総選挙でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
角谷 登志雄(すみや としお、1925年7月5日-2005年… 角谷 登志雄(すみや としお、1925年7月5日-2005年)は、日本の経営学者。学位は、経営学博士(立命館大学・論文博士・1981年)(学位論文「科学としての経営学 変革期におけるその課題と方法」)。立命館大学名誉教授。 愛知県出身。1951年愛知大学法経学部卒、1954年同研究科修了。1981年「科学としての経営学 変革期におけるその課題と方法」で立命館大学より経営学博士の学位を取得。中部電力勤務、愛知大学助教授、立命館大学経営学部教授、同学部長、1991年定年退職、名誉教授、名古屋経済大学教授。2001年退任。マルクス主義の立場から経営学を研究した。
大島 国雄(大島 國雄、おおしま くにお、1923年10月1… 大島 国雄(大島 國雄、おおしま くにお、1923年10月15日 - 2016年1月24日)は、日本の経営学者。 名古屋市出身。1944年陸軍士官学校卒、1950年愛知大学法経学部卒、75年「公企業に関する経営学的研究」で神戸大学経営学博士。50年運輸調査局研究員、1955年東京都立商科短期大学講師、助教授、教授、1966年青山学院大学経営学部教授、70-72年学部長、92年定年、名誉教授、駿河台大学教授。99年退職。ソビエト経営学が専門。
小崎 昌業(おざき まさなり、1922年4月25日 - 20… 小崎 昌業(おざき まさなり、1922年4月25日 - 2022年[要出典])は、日本の元外交官。中華民国青島市生まれ。滋賀県甲賀市出身。財団法人霞山会顧問、愛知大学名誉役員、東亜同文書院大学記念センター委員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鈴木 正四(すずき まさし、1914年2月11日 - 200… 鈴木 正四(すずき まさし、1914年2月11日 - 2001年12月24日)は、日本の歴史学者。愛知大学名誉教授。 山形県出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)を経て、1933年第七高等学校造士館 (旧制)卒業。1936年東京帝国大学西洋史学科卒業。外務省図書係嘱託、ナウカ社「社会評論」編集長を経て、1956年愛知大学教授、後に同大学国際問題研究所長。1985年定年退任。
小岩井 浄(こいわい きよし、1897年〈明治30年〉6月9… 小岩井 浄(こいわい きよし、1897年〈明治30年〉6月9日 ‐ 1959年〈昭和34年〉2月19日)は、日本の社会運動家、教育者、弁護士、政治家。愛知大学第3代学長。 長野県東筑摩郡島立村(現在の松本市)に小岩井宗十の長男として生まれる。父・宗十は松本での分県移庁運動で検挙(のちに無罪)された経験のある社会運動家で、1902年に妻子を残して単身渡米し、カリフォルニアで農園経営者として成功したとも、消息を絶ったとも伝えられる。 1911年、旧制長野県立松本中学校(現在の長野県松本深志高等学校)に入学。1915年、同校を本荘太一郎校長との衝突を理由に中退。その後旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)に入学する[要出典]。
吉田 正(よしだ ただし、1896年10月20日 - 196… 吉田 正(よしだ ただし、1896年10月20日 - 1969年8月19日)は、日本の政治家。実業家。
大橋 熊雄(おおはし くまお、1894年(明治27年)11月… 大橋 熊雄(おおはし くまお、1894年(明治27年)11月20日 - 1944年(昭和19年)4月14日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。駐蒙軍政治参謀。愛知大学の森久男は、蒙古連合自治政府の成立にあたって大橋が、「陸軍省との渉外事項を担当して、蒙疆地域の政治的統合に決定的役割を果たした」と指摘している。 1914年(大正3年)、新潟県立長岡中学校(第19回卒業)を経て、1917年(大正6年)、陸軍士官学校(第29期)を卒業した。1927年(昭和2年)、陸軍大学校を卒業(第39期)する。 1936年(昭和11年)二・二六事件の軍事裁判官を務める。関東軍参謀に就任。1938年(昭和13年)に駐蒙兵団参謀に転任となる。
本間 喜一(ほんま きいち、1891年(明治24年)7月15… 本間 喜一(ほんま きいち、1891年(明治24年)7月15日 - 1987年(昭和62年)5月9日)は、日本の商法学者、教育者、検察官、裁判官、弁護士、司法官僚。愛知大学名誉学長、東亜同文書院大学学長、一橋大学名誉教授。初代最高裁判所事務総長。正四位勲二等旭日重光章、勲二等瑞宝章。妻は磯辺弥一郎の娘。 東京帝国大学法科大学法律学科卒業。判事検事登用試験二次試験首席合格。検事、判事を経て東京商科大学教授となるが白票事件によって辞職し、弁護士に転じた。1940年、中華民国・上海の東亜同文書院大学教授となる。1943年辞職し帰国するが1944年、東亜同文書院大学に復帰して学長となり、同地で終戦を迎えた。