内田 慶(うちだ けい、1981年2月11日 - 2008年… 内田 慶(うちだ けい、1981年2月11日 - 2008年9月11日)は元競輪選手、元自転車競技選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第87期生。現役時代は日本競輪選手会栃木支部に所属。師匠は福田明。弟子にはアテネパラリンピック(2004年)、自転車競技・タンデムスプリント(視覚障害部門)において葭原滋男のパイロットとして同種目の銀メダル獲得に貢献した大木卓也がいる。 東京都中央区出身。埼玉県の大和田小学校2年生の時からスイミングクラブに入ってトライアスロンを始め、6年生の時に自転車競技を中心にレースに出場。学校法人石川高等学校を経て作新学院高等学校に転校し、同校を卒業。 2001年、競輪学校に入学。
森田 洋平(もりた ようへい、1979年10月20日 - )… 森田 洋平(もりた ようへい、1979年10月20日 - )は、NHKのアナウンサー。
内田 有紀(うちだ ゆき、1975年〈昭和50年〉11月16… 内田 有紀(うちだ ゆき、1975年〈昭和50年〉11月16日 - )は、日本の女優、歌手。東京都出身。所属事務所はバーニングプロダクションを経てテンビーンズ合同会社。 異父妹は、ラジオパーソナリティ、タレントである澪奈(れいな)。 東京都広尾生まれ、裕福な家庭に育つ。 小学6年の頃に母親と一緒にモデルにスカウトされ、中学2年生からモデル活動を開始。CMにも出演するなどしていた。 1992年(平成4年)のテレビドラマ『その時、ハートは盗まれた』(フジテレビ)への出演で女優デビューし、同年冬には、ユニチカの1993年 水着キャンペーンモデルと『フジテレビビジュアルクイーン』に選出された。この頃、
江戸家 猫ハッピー(えどや ねこハッピー、1971年〈昭和4… 江戸家 猫ハッピー(えどや ねこハッピー、1971年〈昭和46年〉7月28日 - )は、東京都中央区出身のアーティスト(動物かきまね)、イラストレーター。本名は 岡田満世。父は3代目江戸家猫八、姉は江戸家まねき猫、異母兄は4代目江戸家猫八。 高校卒業後、3年間父・猫八の付き人をした際、ドラマ『鬼平犯科帳』の撮影で主演の中村吉右衛門より「猫八」と幸せの「ハッピー」をかけた「猫ハッピー」の芸名をもらう。 1993年3月より緒形拳に師事。舞台『ゴドーを待ちながら』(2000、2002、2003年、Bunkamura)にて少年役として出演。2002年より緒形拳の個人事務所にてマネージャーを務める。 2006年より「猫満福庵」を開店(ショップロゴは緒形拳の書による)。
江戸家 まねき猫(えどや まねきねこ、1967年〈昭和42年… 江戸家 まねき猫(えどや まねきねこ、1967年〈昭和42年〉10月31日 - )は、東京都中央区出身の寄席芸人(動物ものまね)、歌手、女優。本名∶岡田 富士子。 父は三代目江戸家猫八、異母兄は四代目江戸家猫八。 1975年、「猫八ファミリー」のメインボーカルとして『チキンソング』で歌手デビュー。高校卒業後の1986年3月、父に弟子入りし、付き人修行を経て、1989年9月に江戸家まねき猫として高座デビューを果たす。 出囃子は『猫じゃ猫じゃ』。高座では落語家と同じように座布団に座って動物の物まね芸を披露する。『枕草子』の一節を引用したネタが十八番である。 1989年4月から、かつて父・3代目江戸家猫八が所属した落語芸術協会に所属している(ただし、兄の4代目江戸家猫八は落語協会に所属した)。
田中 善則(たなか よしのり、1967年10月1日 - )は… 田中 善則(たなか よしのり、1967年10月1日 - )は、東京都出身の元社会人野球選手(内野手)・監督。右投右打。 1990年代から2000年代にかけて、たくぎん、シダックスで活躍し、昭和第一学園の監督を務めた。 東京都中央区出身。法政一高では2年春の選抜、夏も甲子園に出場、3年夏は西東京大会準決勝で先発登板したが6回コールド負け。その後法政大学に進んだ。野球部の同級生に大島公一、葛西稔がいる。法大時代はリーグ4連覇を経験、自身もベストナインに3度選ばれている。 その後北海道拓殖銀行に入行して野球部で6年間プレーした後、1995年限りで自らの意思で退部したが、当時結成間もなかったシダックスに請われ転籍。
北田 典子(きただ のりこ、1966年8月10日 - )は、… 北田 典子(きただ のりこ、1966年8月10日 - )は、東京都中央区出身の日本の柔道家。世田谷学園高校を経て、日本体育大学体育学部武道学科卒業。現役時代は61kg級の選手。旧姓は持田。兄は監督として母校の世田谷高学園高校を何度も全国優勝に導いた持田治也であり、また、従兄には世界選手権で2位になったことのある持田達人がいる。身長162cm。得意技は内股、小内刈。
サンボ浅子(サンボあさこ、1963年8月27日 - 2004… サンボ浅子(サンボあさこ、1963年8月27日 - 2004年5月18日)は、日本のプロレスラー。本名:浅子 文晴(あさこ ふみはる)。 中学2年生より柔道を始め、柔道家を経て1982年の世界サンボ選手権で活躍後、第一次UWFやジャパン女子プロレスの営業マンとして勤務していたが、1989年10月に大仁田厚が旗揚げしたFMWへ初期のレスラーとして参加。12月1日に対徳田光輝戦でプロデビュー。 大仁田厚・ターザン後藤に次ぐ「FMW第3の男」と呼ばれ、明るく憎まれない人柄とサンボ仕込みのファイトスタイルで、ファンに親しまれて大仁田軍団の一員として活躍する。しかし持病の糖尿病で体調を崩してしまい、1995年1月5日に行われた後楽園ホール大会の大仁田戦で現役を引退する。
松木 安太郎(まつき やすたろう、1957年11月28日 -… 松木 安太郎(まつき やすたろう、1957年11月28日 - )は、東京都中央区出身の元サッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。日本体育大学体育学部体育学科卒業。 従弟には築地市場場内のマグロ仲卸の生田與克。祖父は大相撲力士の葵龍(最高位は十両)。 実家は東京都中央区日本橋にある明治2年創業の老舗のうなぎ屋「近三」。幼稚園時代から小学校2-3年の間、藤城清治主宰の人形劇団「木馬座」で、ケロヨンの相棒「もぐらのモグちゃん」の着ぐるみに入って演じていた。 暁星小学校時代からサッカーに打ち込み、小柄な体躯ながらゴールキーパーを務めていた。学校の代表チームである暁星アストラの選手に選ばれると小学6年生の時には全国サッカー少年団大会(全日本少年サッカー大会の前身)に出場した。
岡沢 茂(おかざわ しげる、1957年2月18日 - )は日… 岡沢 茂(おかざわ しげる、1957年2月18日 - )は日本のベース奏者。東京都中央区銀座出身。同じくベース奏者の岡沢章は実兄。 父がジャズ・ギタリストおよび三味線弾き、母が長唄という音楽一家の三男として育つ。15歳の頃、既にプロとして活躍していた兄である岡沢章の薦めでベースを弾き始め、その後フォークデュオの″風″(伊勢正三・大久保一久)のサポートミュージシャンとして活動を始める。 1976年に行われた風のツアーに、佐藤準、吉原マキ(現・矢島マキ)等と参加し、翌年渡辺香津美の誘いでハーヴィー・メイソンのドラム・クリニックと呼ばれるイベントに出演する。同時期に渡辺香津美グループにも加入し、レコーディングやツアーサポートなど数多のセッションに参加する。
岡沢 章(おかざわ あきら、1951年3月23日 - )は、… 岡沢 章(おかざわ あきら、1951年3月23日 - )は、日本のジャズベース奏者。同じベース奏者の岡沢茂は実弟。 1968年、グループサウンズ「M」にてデビュー。1970年には「稲垣次郎とソウル・メディア」に加入。その後、本格的にスタジオ・ミュージシャンの活動を開始。現在、レコーディング・セッションやアーティストのサポートメンバーとして活動する。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
初代大谷 桂三(おおたに けいぞう、1950年(昭和25年)… 初代大谷 桂三(おおたに けいぞう、1950年(昭和25年)6月11日 – )は、歌舞伎役者。屋号は十字屋。定紋は巴の二重丸。本名は井上 敬三(いのうえ けいぞう)。東京銀座生まれ。青山学院高等部卒業。兄は六代目尾上松助、甥は二代目尾上松也、姪は春本由香(新派)、長男は大谷龍生。 新派の春本泰男の三男として生まれる。母は女流清元節の清元延はる寿、上の兄は六代目尾上松助、二番目の兄は清元節三味線方の清元邦寿。 昭和31年 (1956年) 1月、新橋演舞場『雨乞妻』の倅与太郎で初舞台を踏む。その後二代目尾上松緑の部屋子となり、昭和34年 (1959年) 2月、初代尾上松也を襲名した。十一代目市川團十郎襲名披露「鏡獅子」に後の九代目市川團蔵と共に胡蝶を舞う、名子役であった。
テリー伊藤(テリー いとう、1949年12月27日 - )は… テリー伊藤(テリー いとう、1949年12月27日 - )は、日本の演出家、テレビプロデューサー、タレント、評論家、著作家。本名は伊藤 輝夫(いとう てるお)で、芸名の「テリー」は本名の輝夫にちなむ。東京都中央区築地出身。本籍地は千葉県山武郡横芝光町。身長174cm
松本 謙一(まつもと けんいち、1949年 - )は、日本の… 松本 謙一(まつもと けんいち、1949年 - )は、日本の雑誌編集者・鉄道ファン。月刊鉄道模型雑誌「とれいん」の元編集主幹。同誌の発行や鉄道模型の販売を行う株式会社エリエイの元社長。元新しい歴史教科書をつくる会東京支部長。元自由社取締役教科書編集室長。 東京都中央区出身。立教中学校(現立教池袋中学校)、立教高校(現立教新座高校)から1968年に立教大学に入学し、1年で中退。「鉄道ジャーナル」の契約カメラマンを経て、父の松本一郎(俳号・松本芒風、2003年死去)が東京・京橋や日本橋で営んでいた呉服店「ゑり栄」(エリエイの前身)に入社した。 妹はニューヨーク在住の聖公会宣教師で『イエスとともに歩む―十字架の道ゆき』などの訳書もある景山恭子。
柄本 明(えもと あきら、1948年11月3日 - )は、日… 柄本 明(えもと あきら、1948年11月3日 - )は、日本の俳優、演出家、タレント。愛称は、えもっちゃん、エモアキ。 ノックアウト所属。 東京都中央区銀座(旧:木挽町)出身。東京都立王子工業高等学校機械科卒業。妻は角替和枝、息子は柄本佑、柄本時生。義娘は安藤サクラ(佑の妻)、ほな・いこか(さとうほなみ、時生の妻)。 父親は殿山泰司の小学生時代の親友であった。母方の祖父は東京・銀座で箱屋(芸妓斡旋業)を経営していた。生家が歌舞伎座の裏手にあったこと、映画や演劇好きの両親・家族に囲まれて幼少期を過ごしたことが俳優を志すきっかけとなる。工業高校卒業後は商社に就職したが、俳優に憧れ金子信雄が主宰する劇団「マールイ」の演劇教室の生徒となり、同じ教室にいた松田優作と知り合う。
山口 果林(やまぐち かりん、本名:山口 静江(やまぐち し… 山口 果林(やまぐち かりん、本名:山口 静江(やまぐち しずえ)、1947年〈昭和22年〉5月10日 - )は、日本の女優。 東京都中央区出身。実家は日本橋兜町の老舗の外商専門書店「千代田書店」。 お茶の水女子大学附属中学校・高等学校、桐朋学園大学短期大学部卒業後、俳優座に入る(若手時代の愛称は「かりんとう」)。 1970年3月、桐朋学園大学演劇専攻科を卒業すると森川時久監督の『若者の旗』で映画デビュー。同年行われたNHK長編ドラマ『繭子ひとり』(1971年放映)の選考会では150人を相手に勝ち抜き主役の座をつかみ好演した。 1979年、俳優座を離れ、フリーとなる。テレビドラマや映画で活動する一方、舞台女優としての経歴も長い。
奥田 誠治(おくだ せいじ、1943年4月16日 - )は、… 奥田 誠治(おくだ せいじ、1943年4月16日 - )は、東京都中央区出身の日本のアニメーション演出家、アニメ監督、小説家。武蔵野アニメーション研究所所長。 これまでに描いた絵コンテは1000本以上を記録する。2020年現在(データ原口氏確認) どのような作品であっても水準とスケジュールは厳守する。 少年時代から絵や文章を書くことは好きで、漠然と「漫画家になれたら」と想像したことはあったという。工業高校卒業後は一般企業に就職するも、仕事がどうも性に合わないと思い、そんな時に映写技師はどうかとの話をもらい、元々映画が好きだったなどのことからこの仕事を始め、1年ほど映写技師を務める。 1963年、求人広告で見たTCJに応募し入社。
川喜多和子(かわきた かずこ、1940年(昭和15年)2月1… 川喜多和子(かわきた かずこ、1940年(昭和15年)2月1日 - 1993年(平成5年)6月7日)は、日本の実業家であり、海外の映画を日本国内に数多く配給したことで知られる。元夫は俳優・映画監督の伊丹十三。 東京都出身。父・川喜多長政、母・川喜多かしこの一人娘として聖路加病医院で生まれる。父の仕事の都合で、中国の上海・北京で育つ。上海で暮らした3歳の頃にはロシア人の先生についてバレエを習いだす。第二次世界大戦の敗戦により、引き揚げまでの2ヶ月は収容所で過ごした。1946年(昭和21年)2月に帰国。生家であった麻布の邸宅は空襲により焼け落ちていたため、鎌倉へ一家で転居した。1947年(昭和22年)御成小学校入学、その後、御成中学校へ進学し、東勇作バレエ団に入団。
川口 知子(かわぐち ともこ、1936年5月21日 - 19… 川口 知子(かわぐち ともこ、1936年5月21日 - 1969年1月19日)は、1960年代に文学座で活動した、日本の新劇女優。テレビ・ドラマや映画にも出演し、1960年には日本映画製作者協会新人賞を受賞した。 東京、銀座で、両親とも長唄の師匠という家に生まれる。 親類の田村秋子に影響を受け、女優を志し、共立女子学園高等部を卒業して俳優座養成所に入った(川口は、田村秋子の姪とする記述と、従妹とする記述がある)。 1959年に俳優座養成所を卒業し、文学座に入って研究生となり、同年9月の公演『黄色と桃色の夕方』で大役に抜擢された。 1960年には、映画『赤坂の姉妹より 夜の肌』に、映画初出演にして淡島千景、新珠三千代とともに主演し、この年の日本映画製作者協会新人賞を受賞した。
今藤 政太郎(いまふじ まさたろう、1935年10月10日 … 今藤 政太郎(いまふじ まさたろう、1935年10月10日 - 2026年6月30日)は、日本の長唄三味線奏者、作曲家。重要無形文化財保持者(人間国宝)であり、日本藝術院賞受賞者でもある。本名は中川 昇一(なかがわ しょういち)。 四世藤舎呂船、藤舎せい子の長男として東京日本橋に生まれる。十世芳村伊四郎、三世今藤長十郎、今藤綾子、山田抄太郎に師事した。 1959年、東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業した。1963年、二世今藤政太郎を襲名した。 大学卒業後は演奏活動と作曲活動を続け、海外公演にも参加した。また、桐朋女子短期大学講師、国立音楽大学講師、国立劇場養成課講師、NHK邦楽技能者育成会講師などを歴任し、2017年からは京都市立芸術大学客員教授を務めている。
内海 孚(うつみ まこと、1934年(昭和9年)5月17日 … 内海 孚(うつみ まこと、1934年(昭和9年)5月17日 - )は、東京都中央区出身の元大蔵(財務)官僚。現在は、東海東京フィナンシャル・ホールディングス株式会社 グローバル・アドバイザリー・ボード議長、公益財団法人東芝国際交流財団理事などを務める。
明石 寿々栄(あかし すずえ、1932年8月24日 - 20… 明石 寿々栄(あかし すずえ、1932年8月24日 - 2013年8月13日)は、落語協会に所属していた音曲師。本名は鈴木 登代子。 11歳の頃より琵琶を習い、戦後は宗家山に錦堂師についていた。 羽田の米国空軍基地の教育センターで教育アドバイザー、秘書として7年間勤務したのち、1957年9月、テネシー州フリード・ハーディマンカレッジに奨学資金を得て留学する。1958年、テキサス州ラバック・クリスチャン大学に引き抜かれて移籍し、1959年、A.A.学位を得て卒業。 帰国数年後、子供の頃より憧憬を持っていた三味線音楽に没頭し、民謡・端唄・俗曲・鳴物など、各分野において師範となる。1994年、落語協会に入会。
青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17… 青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17日 - 2006年〈平成18年〉12月20日)は、日本の政治家、小説家、作詞家、タレント、テレビ司会者、俳優、放送作家、映画監督、歌手。位階は正四位。 参議院議員(5期)、第二院クラブ代表(初代・第5代)、東京都知事(第13代)等を歴任した。 テレビ業界で当初は放送作家として成功し、高度成長期を歌った「スーダラ節」を作詞する。クレージーキャッツ主演の映画はもとより、『若大将シリーズ』などでも映画の主題歌を作詞した。主演したドラマ『いじわるばあさん』では国民的キャラクターとして定着し、小説を執筆すれば処女作『人間万事塞翁が丙午』が直木賞を受賞するなど、多才の人として知られ、「超マルチタレント」と呼ばれた。
青空 たのし(あおぞら たのし、1931年10月30日 - … 青空 たのし(あおぞら たのし、1931年10月30日 - 2021年8月24日)は、ハーモニカ漫談家、元漫才師、司会者、ラジオパーソナリティ。東京都台東区浅草出身。本名:北川 要。旧芸名:神田 一郎、青空 田の志。 コロムビア・トップ・ライト門下で「青空たのし」を名乗った人物は3人いる。 1949年9月、双葉バラエティー団で初舞台を踏んだ。その後浅草松竹楽劇団員、1955年からは岡晴夫歌謡ショー専属司会者を経て、1958年に中野四郎(元『ハッピーボーイズ』の瓶九郎)と立体司会コンビを組み、松山恵子歌謡ショー専属司会者として巡業した。 1960年6月にコロムビア・トップ・ライト同門の司会者・島田寿三(青空うれし)と、漫才コンビ青空うれし・たのしを結成した。
岡野 加穂留(おかの かおる、1929年 <昭和4年> 6月… 岡野 加穂留(おかの かおる、1929年 <昭和4年> 6月22日 - 2006年 <平成18年> 6月7日)は、日本の政治学者。明治大学名誉教授。第11代明治大学学長。専門は、比較政治学、政治制度論、比較憲法学。位階は正四位。 日本におけるデモクラシー研究の第一人者。民主主義という精神論を科学としての政治学から排除し、比較政治制度研究の過程の中でデモクラシー概念を洗練化させ、政治的多数者による統治方式と捉えた。他方では、人権・平等・平和など政治的理念をうたう日本国憲法を固持する姿勢は、政治家共通の心情になければならないとの一貫した姿勢を表明していた。また、スウェーデンの福祉国家・社会民主主義政策を評価していた。
梅田 佳声(うめだ かせい、本名:梅田 義彦(うめだ よしひ… 梅田 佳声(うめだ かせい、本名:梅田 義彦(うめだ よしひこ)、1928年6月12日 - 2015年8月27日)は、東京都中央区出身の紙芝居師。江戸弁の語りをし、自身で脚色を行い、紙芝居の世界観を形づくった。 1948年に長谷川一夫主宰の新演伎座演技研究所に入所。その後、梅田弘の芸名で多摩川園歌劇団、デン助劇団などの舞台に立ったほか、漫才師としても活躍。のち、ろく膜炎を患い芸能界を引退、東京の印刷会社に勤務。 1981年台東区立下町風俗資料館で紙芝居用の自転車を見かけたことをきっかけに、勤務先を定年後、毎月第1と第3日曜日、同資料館で紙芝居の実演を行うようになった。 1993年ごろ入手した、計600枚からなる怪談仕立ての長編紙芝居「猫三味線」を、1996年、お江戸日本橋亭で2日間にわたり全巻通しで上演。
笠原 和夫(かさはら かずお、1927年5月8日 - 200… 笠原 和夫(かさはら かずお、1927年5月8日 - 2002年12月12日)は、日本の脚本家。東京府日本橋出身。日本大学中退。 裸電球を一つを灯した部屋に壁に作品の時間軸を記した巻物を壁に貼り執筆した。 第二次世界大戦後まもない頃に、大日方傳の経営していたキャバレーで従業員兼用心棒をしていた[要出典]。晩年にも日本の政治などの現状を憂いており、「戦後、暗殺事件がもっとあったなら、今よりは良い社会になっていたかもしれない。」と発言。 生前、自身の脚本について「ストーリーではなく、怒りを売っている。鬱屈したものを叩きつけている」と発言し、「大衆は、作っている人間の情念、怨念、恨みつらみを受け止めている」と語っていた。
大山 智弥子(おおやま ちやこ、1926年12月10日 - … 大山 智弥子(おおやま ちやこ、1926年12月10日 - 2006年6月6日)は、元極真会館大山派館長。旧姓:藤巻 照子(ふじまき てるこ)。東京市日本橋区(現・東京都中央区日本橋)出身。夫は極真会館創始者の大山倍達。娘は3人おり、三女は大山喜久子。弟は俳優の藤巻潤。 1946年6月、大山倍達と結婚。旧名は「照子」、結婚後「置弥子(のちに智弥子)」と改名。倍達存命時は極真会館の事務長を務めた。 1994年、大山倍達の死後に極真は分裂。翌年2月に高木薫ら5人の支部長とともに大山智弥子未亡人を館長とし遺族派を結成する。 1995年4月、遺族派と支部長協議会派が合流し、大山派館長に就任。しかし1998年には大山派館長を辞任し、大山智弥子を含む旧遺族派は極真会館 宗家として、旧支部長協議会派は新極真会として再分裂した。
稲川 英雄(いながわ ひでお、1924年12月31日 - 2… 稲川 英雄(いながわ ひでお、1924年12月31日 - 2004年3月5日)は、日本のアナウンサー。 日本橋生まれ。『テレビ演芸会』『素人うた合戦』等を担当。更に、1953年12月、三原山大爆発リポートを担当。1966年1月にラジオ営業局JRN業務部、1967年2月にラジオ局放送部、1967年7月に第一制作部、1968年9月に第二制作部に所属、ラジオ交通情報の初代ヘリリポーターを務める。1969年3月にはテレビ制作局第二制作部兼テレビ編成局放送部、1970年3月にはテレビ本部編成局放送部、1970年9月には開発室に在籍した後、1972年12月に審議室委員に。1973年11月には調査局審査部、1974年2月には人事室開発センターに在籍した後、1974年3月、福島テレビに出向し、FTVテレポートのキャスターを担当した。
鈴木 清順(すずき せいじゅん、1923年〈大正12年〉5月… 鈴木 清順(すずき せいじゅん、1923年〈大正12年〉5月24日 - 2017年〈平成29年〉2月13日)は、日本の映画監督・俳優。本名:鈴木 清太郎(すずき せいたろう)。弟に元NHKアナウンサーの鈴木健二がいる。 日活の専属監督として小林旭、高橋英樹、宍戸錠ら当時の日活の主力俳優の主演作品を多く手がけ、その「清順美学」と評される独特の映像表現で名を馳せた。特に宍戸錠主演の『殺しの烙印』は一般映画のみならずカルト映画としても世界的な評価が高い。一方でその実験的とも言える作風が当時の日活の経営陣の不興を買い会社を追われるなど、境遇は波乱に富んでおり、映画作家として約10年間の空白期間がある(「鈴木清順問題共闘会議」参照)。
太田 じろう(おおた じろう、1923年1月2日 - 198… 太田 じろう(おおた じろう、1923年1月2日 - 1982年3月29日)は、日本の漫画家、絵本作家。本名、太田二郎。東京市京橋区八丁堀出身。 東京市京橋区八丁堀にて製本職人の家庭に生まれる。早稲田実業学校卒業後、新潮社や東宝美術部に勤務。日本画を学び、野口昂明たちの勧めで『日の出』誌にカットを寄稿、1941年、『イソップまんが』で漫画家としてデビューした。 1943年に徴兵され、大刀洗飛行場で従軍にあたった。1945年に復員した後、帷子進や芳谷勝に師事する。1950年、『少年クラブ』に『お山のクロちゃん』を連載。1952年、島田啓三の長女と結婚した。1960年、『こりすのぽっこちゃん』で第5回小学館漫画賞を受賞する。
粟谷 菊生(あわや きくお、1922年(大正11年)10月3… 粟谷 菊生(あわや きくお、1922年(大正11年)10月31日 - 2006年(平成18年)10月11日)は、シテ方喜多流の能楽師である。位階は正五位。 人間国宝、日本芸術院会員。社団法人日本能楽会会長。 広島藩主浅野家のお抱え能楽師の家系に連なる粟谷益二郎の次男として東京府東京市京橋区で生まれる。両親とも広島の出身であった。名付け親は喜多実。兄に粟谷新太郎。弟に粟谷辰三・粟谷幸雄。息子に粟谷明生。歌手のペギー葉山は従妹にあたる。 父ならびに喜多流宗家十四世の喜多六平太および同家十五世の喜多実に師事。喜多実の厳正重厚さと六平太の絢爛自在さをあわせもつといわれ、『羽衣』『安宅』『景清』など幅広い演目を得意とした。
大岩山 大五郎(おおいわざん だいごろう、1919年5月20… 大岩山 大五郎(おおいわざん だいごろう、1919年5月20日 - 1980年12月5日)は、東京都中央区(入門時は東京府東京市京橋区)入船出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は船橋 金次(ふなばし きんじ)。最高位は西前頭9枚目(1948年10月場所)。現役時代の体格は179cm、120kg。得意手は右四つ、上手投げ。 17歳の時に立浪部屋へ入門し、1937年5月場所で初土俵を踏んだ。 序ノ口当初より「大岩山」を名乗り、以降は「東岩」や「羽衣」に改名した時期もあったが、いずれも短期間で元の「大岩山」に戻している。 その前後、1944年11月場所で新十両昇進、1946年11月場所で入幕と順調に出世。
二代目 市村 吉五郎(にだいめ いちむら よしごろう、191… 二代目 市村 吉五郎(にだいめ いちむら よしごろう、1918年1月18日 - 2010年2月17日)は、歌舞伎役者。屋号は橘屋。定紋は根割り橘、替え紋は渦巻。公家役を得意とした。 1918年(大正7年)1月18日、十二代目片岡仁左衛門の次男として生まれる。 1922年(大正11年)12月天満八千代座『三日月次郎吉』の三太で本名の片岡義直の名で初舞台。 1940年(昭和15年)十五代目市村羽左衛門の養子となる。 1941年(昭和16年)1月歌舞伎座『鞍馬山だんまり』の牛若丸で二代目市村又三郎を襲名し名題昇進。 1946年(昭和21年)3月、父、十二代目片岡仁左衛門が下男に殺される(片岡仁左衛門一家殺害事件)。
小倉 朗(おぐら ろう、1916年〈大正5年〉1月19日 -… 小倉 朗(おぐら ろう、1916年〈大正5年〉1月19日 - 1990年〈平成2年〉8月26日)は、日本の作曲家。本名:小倉 晋(すすむ) 、旧姓は小林。 鉄道技師小林源松の五男として福岡県門司市(現北九州市門司区)の鉄道官舎に生まれ、生後3ヶ月から東京市京橋区木挽町(現東京都中央区)の銅鉄商小倉家の養子として東京に育つ。6歳からピアノの手ほどきを受け、蓄音機やオルガン、ギター、マンドリンがある家で育つ。母から音楽家になるよう勧められ、声楽家下八川圭祐の紹介で深井史郎に師事する。易に凝っていた母から「朗」の字を贈られる。 1933年、早稲田第一高等学院仏文科にはいるが、下八川圭祐の主宰するコーラスで歌ったり、新交響楽団の打楽器の見習いなどをやり、学校は1学期で中退。
梅園 龍子(うめぞの りゅうこ、1915年11月28日 - … 梅園 龍子(うめぞの りゅうこ、1915年11月28日 - 1993年4月30日)は、日本の女優。 梅園 竜子と表記されることもある。 1915年(大正4年)11月28日、植草正枝として東京市日本橋区村松町(現在の東京都中央区東日本橋)に生まれる。 三崎英語学校在学中の1929年(昭和4年)に榎本健一の第2次カジノ・フォーリーの旗揚げ公演に踊り子で出演した。 1931年(昭和6年)退団し、1932年(昭和7年)パイオニヤ・クインテット舞踊団、益田隆のトリオ舞踊団に入団した。 1935年(昭和10年)P.C.L.映画製作所準専属で『乙女ごころ三人姉妹』で映画デビューした。 1936年(昭和11年)に専属となり、1937年(昭和12年)『夜の鳩』、『江戸の白鷺』、1938年(昭和13年)『エノケンの猿飛佐助 ありゃありゃの巻』、『泣蟲小僧』などに出演した。
朝吹 四郎(あさぶき しろう、1915年〈大正4年〉10月2… 朝吹 四郎(あさぶき しろう、1915年〈大正4年〉10月26日 - 1988年〈昭和63年〉9月18日)は昭和時代の日本の建築家。日本建築家協会会員。 1915年(大正4年)10月26日、実業家朝吹常吉・磯子の四男として東京市築地明石町に生まれた。慶應義塾幼稚舎で学童期を過ごし、1933年(昭和8年)、慶應義塾普通部を卒業した。その後イギリスにわたってケンブリッジ大学で建築学を学び、1938年(昭和13年)には同大学を卒業して「建築学士」の称号を得た。帰国後の1939年、千代田設計事務所を開設した。1949年(昭和24年)、朝吹設計事務所開設、1951年には朝吹一級建築士事務所を東京に創設して、その代表となった。
桂 章太郎(かつら しょうたろう、1914年5月8日 - 1… 桂 章太郎(かつら しょうたろう、1914年5月8日 - 1935年5月13日)は、日本の俳優である。本名松田 秀雄(まつだ ひでお)。日本映画データベースにおける「柱章太郎」は、単純な誤記である。満18歳で映画主演して以降、サイレント末期の剣戟映画における青年スターであったが、満21歳で戦死した。 1914年(大正3年)5月8日、東京府東京市京橋区八丁堀(現在の東京都中央区八丁堀)に生まれる。 1926年(大正15年)3月、旧制小学校を卒業し、同年4月、旧制・日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)に進学したが、満15歳になる1929年(昭和4年)、同校を中途退学して京都に移り、等持院の東亜キネマ京都撮影所に入社する。
北園 孝吉(きたぞの こうきち、1914年2月13日 - 1… 北園 孝吉(きたぞの こうきち、1914年2月13日 - 1984年12月)は、日本の作家、歴史家。 東京市日本橋区本町 (現・中央区日本橋室町) の提灯屋・大和屋四代目の家に生れる。彼の父は、番傘や提灯などにさまざまな書体や紋章を施す筆耕職人であった。9歳のとき、関東大震災を経験。 1937(昭和12)年10月、「明日はお天気」が第21回サンデー毎日大衆文芸賞に入選し作家デビュー。『新青年』や『宝石』などに執筆した。ユーモア小説、風俗小説、時代小説を書いた。ほか歴史ノンフィクションも書いている。 1958(昭和33)年1月刊行の『おとぼけ侍』 (和同出版社) を原作として、1961(昭和36)年6月公開の映画『橋蔵の若様やくざ』(河野寿一/監督、東映)が製作されている。
三代目 市川 翠扇(いちかわ すいせん、1913年(大正2年… 三代目 市川 翠扇(いちかわ すいせん、1913年(大正2年)12月16日 - 1978年(昭和53年)9月27日)は、昭和時代に活躍した新派の女優、舞踊家。歌舞伎舞踊市川流三世家元。本名は堀越 喜久榮(ほりこし きくえ)。 東京都東京市京橋区築地の生まれ。父は歌舞伎役者の五代目市川新之助、母は九代目市川團十郎の次女の二代目市川旭梅。二代目市川翠扇は伯母にあたる。千代田高等女学校(現在の武蔵野大学附属千代田高等学院)卒業。 1929年(昭和4年)6月歌舞伎座『戻り駕』の禿で市川紅梅(いちかわ こうばい)を名乗って初舞台。翌年日本俳優学校の1期生となる。1931年(昭和6年)11月より新派に参加。
麻生 三郎(あそう さぶろう、1913年(大正2年)3月23… 麻生 三郎(あそう さぶろう、1913年(大正2年)3月23日 - 2000年(平成12年)4月5日 )は、東京都生まれの洋画家である。 武蔵野美術大学名誉教授。戦中戦後を通して焼けただれ、焦げ付いたような暗褐色に彩られた家族を中心とした人物像や自己の内面を解体デフォルメし、闇の中から浮かび上がるように描き出す作風で知られる。彫刻家の麻生マユは実娘。 1913年(大正2年)3月23日、東京市京橋区本湊町(現在の東京都中央区湊)に麻生惣兵衛、喜代の三男(3男3女の4番目)として生まれる。麻生家は100年以上の歴史をもつ炭問屋、屋号は「山惣」。実家は当時築地の居留区があった明石町にほど近く、洋館が立ち並ぶその場所に麻生は毎日通い、お小遣いでラスクやレーズンなどを買っていた。
加賀 邦男(かが くにお、1913年2月9日 - 2002年… 加賀 邦男(かが くにお、1913年2月9日 - 2002年1月7日)は、日本の俳優。本名は亀山 邦雄(かめやま くにお)。 次男の亀山達也、三男の志賀勝も俳優として活動した。 東京府東京市日本橋区人形町(東京都中央区日本橋人形町)出身。慶應義塾普通部中退後、浅草の劇場・昭和座での役者修業を経て、1930年にスカウトで映画界入り。「舟波 邦之介」の芸名で新興キネマ京都撮影所『仇討太夫桜』でデビュー。時代劇の二枚目として活動した。「舟波 邦之佑」への改名を経て、1939年に「加賀 邦男」に改名。1940年に新興の東京撮影所に転籍し、現代劇を演じるようになる。後身の大映に所属したのち、終戦直前に退社。
岸井 明(きしい あきら、1910年10月13日 - 196… 岸井 明(きしい あきら、1910年10月13日 - 1965年7月3日)は日本のコメディアン、俳優、歌手。
江津 萩枝(えづ はぎえ、1910年9月 - 2008年3月… 江津 萩枝(えづ はぎえ、1910年9月 - 2008年3月27日)は、日本の小説家。 東京・京橋出身。沢村貞子の紹介で築地小劇場内の移動劇団「メザマシ隊」に参加し、小杉てるの芸名を名乗った。小説家としては、原爆文学として知られる『桜隊全滅』や築地小劇場を描いた『メザマシ隊の青春』など、太平洋戦争の時代とそれに翻弄された演劇集団を描きだした著作がある。 『桜隊全滅』は1988年、新藤兼人の脚本・監督により「さくら隊散る」の題名で映画化された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
初代 吾妻 徳穂(あづま とくほ、1909年2月15日 - … 初代 吾妻 徳穂(あづま とくほ、1909年2月15日 - 1998年4月23日)は、日本の舞踊家。吾妻流家元・宗家。日本芸術院会員。東京出身。
十一代目 市川 團十郎(いちかわ だんじゅうろう、1909年… 十一代目 市川 團十郎(いちかわ だんじゅうろう、1909年(明治42年)1月6日 - 1965年(昭和40年)11月10日)は、日本の歌舞伎役者。本名は堀越 治雄(ほりこし はるお)。位階は従四位。屋号は成田屋。定紋は三升、替紋は杏葉牡丹。俳名は五粒。 海老蔵時代、「花の海老さま」として空前のブームを巻き起こした美貌で知られ、品格ある風姿、華のある芸風、高低問わずよく響く美声などを売り物とした、戦後歌舞伎を代表する花形役者の一人。 東京府東京市日本橋区(現中央区日本橋)に、七代目松本幸四郎の長男として生まれる。誕生時の本名は藤間治雄。次弟の順次郎は後に八代目松本幸四郎を、末弟の豊は後に二代目尾上松緑を襲名して、いずれも戦後昭和の東京大歌舞伎の屋台骨を支える名優に成長した。
岸井良衞(きしい よしえ、1908年〈明治41年〉3月21日… 岸井良衞(きしい よしえ、1908年〈明治41年〉3月21日 - 1983年〈昭和58年〉11月15日)は、昭和時代の劇作家、演出家、プロデューサー、時代考証家。本名は良雄。弟に俳優岸井明がいる。 1908年(明治41年)3月21日、東京市日本橋区小網町三丁目上田回漕店(上田辰之助の実家)裏店に、弁護士の岸井辰雄とりうの長男として生まれる。 岸井家は江戸時代には裕福だったが、嘉永2年生まれの祖父弁吾の代で散財した。父辰雄は1880年(明治13年)4月2日に現在の埼玉県深谷市に生まれ、貧困の中苦学して青山学院中等部を経て明治法律学校(現在の明治大学)を1903年に首席で卒業。1904年に判事検事登用試験に合格し、浦和地方裁判所に勤務。
河原崎 しづ江(かわらざき しづえ、1908年1月25日 -… 河原崎 しづ江(かわらざき しづえ、1908年1月25日 - 2002年1月1日)は、日本の女優。旧姓は山岸。初期の芸名は山岸 静江(後に山岸 しづ江)など。しづ江をしず江と表記することもある。 東京市日本橋区(現在の東京都中央区)生まれ。石川県出身。1923年、帝国劇場附属技芸学校(帝国女優養成所)の7期生として卒業。同期に飯島綾子らがいる。子爵家の長男大河内信威と結婚し、男児・信具を儲ける。1931年、前進座の創設に参加し、山岸しづ江の芸名で舞台に立った他、1933年以降は前進座がユニット出演した映画に出演した。1932年に夫の信威が共産党事件で逮捕される。 信威とは離婚し、1936年、前進座座員の河原崎長十郎と結婚。
清水 幾太郎(しみず いくたろう、1907年7月9日 - 1… 清水 幾太郎(しみず いくたろう、1907年7月9日 - 1988年8月10日)は、日本の社会学者・評論家。学習院大学教授などを歴任。 1907年、東京市日本橋区(現在の東京都中央区)の竹屋の息子として生まれた。祖父は江戸幕府旗本であった。獨協中学、旧制東京高校を経て、東京帝国大学文学部社会学科卒業。文学部社会学科時代の恩師は戸田貞三。在学中からオーギュスト・コントの研究にいそしむ。中学時代にドイツ語を学んで堪能であったが、フランス語は大学時代に習得したものである。 大学卒業後、1931年東京帝国大学社会学研究室副手に採用された。社会学研究室副手の2代前の副手が同じ戸田貞三門下の兄弟子牧野巽で、牧野は清水を弟と思い、清水は牧野を兄と思い親しくしていた。
今藤 綾子(いまふじ あやこ、1906年2月20日 - 20… 今藤 綾子(いまふじ あやこ、1906年2月20日 - 2003年3月29日)は、長唄女流三味線の第一人者。重要無形文化財保持者(人間国宝)。本名は志村綾。 東京市京橋区 (現東京都中央区京橋)出身。父は二世今藤長十郎。長女は今藤文子。弟は今藤長十郎 (三世)。姪が今藤長十郎 (四世)。歌舞伎俳優の市川團十郎 (11代目)、松本白鸚 (初代)、尾上松緑 (2代目)は従兄弟になる。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。