石堂 淑朗(いしどう としろう、1932年7月17日 - 2… 石堂 淑朗(いしどう としろう、1932年7月17日 - 2011年11月1日)は、日本の脚本家、映画評論家。 広島県尾道市久保町出身。実家は『東京物語』の撮影が行われた浄土寺の近くで、田坂啓の家も近所にあった。 父は種子島出身で、足が悪く、苦学して33歳で京都大学法学部を卒業した弁護士だった。 旧制尾道中学校(現・広島県立尾道北高等学校)在学中に学制改革を経験するが、男女共学化に反対して岡山県立岡山朝日高等学校に転校。しかし翌年秋からここも共学化されるのを知り、同校を2年生の夏に中退。大学入学資格検定を受けて同級生よりも1年早く広島大学に入学したがまた中退して、東京大学文学部独文学科に入学した。
白井 佳夫(しらい よしお、1932年4月29日 - 202… 白井 佳夫(しらい よしお、1932年4月29日 - 2024年10月5日)は、日本の映画評論家。 神奈川県川崎市出身。1958年早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。キネマ旬報社に入社して編集者として10年在籍、1968-76年『キネマ旬報』編集長を8年半つとめる。 <<1977年、「キネマ旬報」のオーナーであった大物総会屋・上森子鉄が、竹中労の連載「日本映画縦断」の打ち切りを宣言し、あわせて白井も編集長を解任された(いわゆる「キネマ旬報事件」)。>> 上記の<<>>の記述が「通説」として当該項目にあったが、『キネマ旬報の100年』(キネマ旬報社、2024年刊行)に掲載された白井へのインタビューによると、白井が解任された経緯は異なる。
増淵 健(ますぶち けん、1931年8月1日 - 1996年… 増淵 健(ますぶち けん、1931年8月1日 - 1996年5月21日)は日本の編集者・映画評論家。日本映画ペンクラブ会員。 千葉県船橋市生まれ。1956年、東京教育大学文学部独文科卒業。 光文社での月刊誌、週刊誌の編集者を経て、1964年からフリーに。 娯楽映画評価の先駆者であり。また、映画を作品論としてとらえるだけでなく、映画産業のメカニズムの中で論じるという、独自の評論スタイルを持った。主著に「映画のもうひとつの楽しみ方」「西部劇」「B級映画フィルムの裏まで」などがある。 西條の没後、2003年度の日本映画批評家大賞内に増淵健賞が創設されており、2004年度・2005年度は特別賞、2006年度から2011年度まで特別功労賞の副名称として授賞が行われていた。
秦 早穂子(はた さほこ、1931年7月31日 - )は、日… 秦 早穂子(はた さほこ、1931年7月31日 - )は、日本の映画評論家、随筆家。 東京府豊多摩郡渋谷町(現・東京都渋谷区)生まれ。祖父はシンガーミシン極東支配人を務めた秦敏之。秦敏之は日本初の本格的な洋裁学校であるシンガーミシン裁縫女学院を設立し、妻の秦利舞子が初代院長を務めた。ファッションデザイナーの秦万紀子は早穂子の叔母に当たる。 女子学院高等学校卒業。1957年、雑誌社の特派員という名目でフランスに渡る。帰国後、映画輸入業の新外映に入社。1958年、新外映の買い付け担当としてフランスへ渡る。 1959年半ばに帰国。同年5月、フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』がカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し、7月にはクロード・シャブロル監督の『いとこ同志』がベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した。
水野 晴郎(みずの はるお、1931年〈昭和6年〉7月19日… 水野 晴郎(みずの はるお、1931年〈昭和6年〉7月19日 - 2008年〈平成20年〉6月10日)は、日本の映画評論家、映画監督、タレント。倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。 映画監督としてはMIKE MIZNO(マイク・ミズノ)の名義を使っていた。出生時の本名は水野 和夫(みずの かずお)であったが、山下奉文陸軍大将への尊敬の念と、自ら製作・監督し山下を演じた『シベリア超特急』シリーズへの愛着から、戸籍上の本名を山下奉文と一文字違いの山下奉大(やました ともひろ)に改名した。日本アカデミー賞の発案者。 1931年(昭和6年)7月誕生。戸籍では19日の生まれだが、両親が「17日だったよ」と言っていたような気がするとも述べている。
佐藤 忠男(さとう ただお、1930年10月6日 - )は、… 佐藤 忠男(さとう ただお、1930年10月6日 - )は、日本の映画評論家・教育評論家。日本映画大学名誉学長。本名、飯利忠男。
田山 力哉(たやま りきや、1930年6月1日 - 1997… 田山 力哉(たやま りきや、1930年6月1日 - 1997年3月23日)は、日本の映画評論家である。 兵庫県神戸市出身。旧制都立武蔵中学校を経て早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。 日新火災海上保険を経て、1961年に日本放送協会に入局し、国際局に勤務した。並行して、映画雑誌の『キネマ旬報』『映画評論』には1950年代初めから読者投稿を繰り返し常連採用者となっていた。 やがて、読者から常連執筆者となり、1969年にNHKを退局。以後、フリーランスの立場で映画評論やフランス語翻訳などの執筆活動を行い、毒舌の辛口映画評論家として知られた。特にフランス映画に強く、1972年以降フランスのカンヌ国際映画祭には繰り返し出席してレポート記事を執筆した。
品田 雄吉(しなだ ゆうきち、1930年2月3日 - 201… 品田 雄吉(しなだ ゆうきち、1930年2月3日 - 2014年12月13日)は、日本の映画評論家。 北海道留萌管内遠別町生まれ。仏文学者で早稲田大学名誉教授の品田三和一良(品田一良)は実兄。北海道札幌西高等学校、北海道大学法文学部国文学科卒業。 北海道大学在学中に『キネマ旬報』編集部の荻昌弘に見出され、同誌の懸賞論文に入選。このことから1953年の大学卒業後にキネマ旬報社に入社して『キネマ旬報』編集部配属となり、1955年まで在籍。後に『映画旬刊』と『映画評論』の編集部に在籍。1965年にフリーとなり映画評論家として活動を始めた。 1989年から多摩美術大学教授、のち名誉教授。 日本芸術文化振興会運営委員・映画部会長、独立行政法人国立美術館運営委員、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭顧問、ゆうばり応援映画祭実行委員長、川喜多記念映画文化財団理事、最北シネマ株式会社特別顧問、日本映画製作者連盟理事を歴任した。
桂 千穂(かつら ちほ、1929年8月27日 - 2020年… 桂 千穂(かつら ちほ、1929年8月27日 - 2020年8月13日)、日本の脚本家、小説家、翻訳家、映画評論家。男性。岐阜県出身。別名義に宇治 英三、リチャード・ピータース。本名は島内 三秀である。 父は高知県出身の陸軍将校。読書家だった母の影響と病弱だったことから、読書に耽る少年時代を送った。1943年(昭和18年)、志願して名古屋陸軍幼年学校に入学し、ここで終戦を迎える。退校直前に幼年学校の映画会で古川緑波主演の喜劇を観て、映画の魅力に取り憑かれた。 1954年(昭和29年)、早稲田大学文学部卒業。1955年(昭和30年)にTBSに入社。編成局連絡課に配属されるが、激務のために高校時代に患った結核が悪化して6ヶ月で退社。
三浦 大四郎(みうら だいしろう、1928年2月4日 - 2… 三浦 大四郎(みうら だいしろう、1928年2月4日 - 2017年6月21日)は、東京都出身の映画館経営者、映画製作者、映画評論家。 東京目黒に山下要、ふゆの四男として生まれる。次兄は誕生時に死去していたため3人兄弟の末っ子として育つ。山下家の四男で、大四郎と命名された。成城高等学校 (旧制)から東京大学経済学部卒業。兄にドイツ文学者の山下肇、ロシア文学者の泉三太郎。 東京大学在学中は学業よりも幼い頃 からの夢であった演劇に情熱を注ぎ、俳優としての活動に勤しんだ。卒業後は船舶会社に就職していたが、1951年、三浦寛子と結婚し、岳父母三浦守(作家・三角寛)よしえ夫妻の養子となり、三角寛経営の映画館、人世坐、文芸坐、文芸地下劇場、弁天坐の経営に携わることとなる。
山田 和夫(やまだ かずお、1928年 - 2012年8月1… 山田 和夫(やまだ かずお、1928年 - 2012年8月11日)は、日本の映画評論家、映画史家、映画運動家。
村井 実(むらい みのる、1926年-2002年)は、ポルノ… 村井 実(むらい みのる、1926年-2002年)は、ポルノ映画評論家。 秋田県生まれ。東北学院大学卒業。『河北新報』『内外タイムス』の記者をへてフリー。雑誌『成人映画』を九年間にわたって刊行。ピンク映画というネーミングの名付け親とされる。
荻 昌弘(おぎ まさひろ、1925年8月25日 - 1988… 荻 昌弘(おぎ まさひろ、1925年8月25日 - 1988年7月2日)は映画評論家、料理研究家、オーディオ評論家。月曜ロードショーの解説者を長年務め、その落ち着いた語り口から、淀川長治、水野晴郎と並んで名解説者として知られた。身長165センチ、体重69キロ。
川部 修詩(かわべ しゅうじ、1922年4月17日 - 20… 川部 修詩(かわべ しゅうじ、1922年4月17日 - 2006年4月3日)は、日本の俳優、脚本家、映画評論家、雑誌編集者である。旧芸名川部 守一(かわべ しゅいち)。筆名の秋田 謙三(あきた けんぞう)では、テレビ台本の執筆、記録映画の製作を行う。日本映画ペンクラブ会員。麹町区第22代区長の川部爽介は実父である。 1922年(大正11年)4月17日、東京府豊多摩郡渋谷町(現在の東京都渋谷区)に生まれる。父の爽介は旧天童藩士で、川部が満3歳であった1925年(大正14年)8月に東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区)の区長に就任し、川部が満7歳を目前にし尋常小学校就学直前であった1929年(昭和4年)3月まで同職を務めた。
山村 謙一(やまむら けんいち、1921年 - 2007年8… 山村 謙一(やまむら けんいち、1921年 - 2007年8月22日)は、東京都出身の映画評論家である。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
児玉 数夫(こだま かずお、1920年4月30日 - 202… 児玉 数夫(こだま かずお、1920年4月30日 - 2022年7月20日[要出典])は、日本の映画評論家。別名、玉松 徳夫(タママツ トクオ)。日本映画ペンクラブ名誉会員。 東京府東京市赤坂区溜池町(現在の東京都港区赤坂)に生まれる。本籍は三重県伊勢市。1941年、日本大学専門部経済科卒業後、外務省に入省し、調査部、情報局第三部に配属。 戦後は1947年にセントラル映画社に入社、のちロマンス社『フォトプレイ』日本語版・編集部他を経て、映画評論家となる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長沢 節(ながさわ せつ、1917年5月12日 - 1999… 長沢 節(ながさわ せつ、1917年5月12日 - 1999年6月23日)は、日本のイラストレーター、水彩画家、デザイナー、エッセイスト、ファッション評論家、映画評論家。セツ・モードセミナー創設者。日本のファッション・イラストレーターの草分け。 本名は、長沢 昇(ながさわ のぼる)。 福島県会津若松市に生まれる。 小学校時代、画家で小学校教師の渡部菊二と出会う。会津中学入学。 軍事教練をボイコットした為、官立校の東京美術学校(東京芸大)への受験資格を失う。文化学院へ入学。卒業後水彩画家へ。 春日部たすく画伯と親交。戦前から中原淳一の推薦で女性誌『新女苑』にデビュー。『それいゆ』や『ひまわり』といった雑誌にイラストやエッセイを掲載。
清水 晶(しみず あきら、1916年8月27日 - 1997… 清水 晶(しみず あきら、1916年8月27日 - 1997年4月30日)は、日本の映画評論家、編集者である。『映画評論』編集長、フィルム・ライブラリー協議会(のちの川喜多記念映画財団)事務局長、川喜多記念映画財団常務理事、慶應義塾大学講師等を歴任した。 1916年(大正5年)、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。 東京帝国大学(現在の東京大学)文学部美学科に入学、在学中の1938年(昭和13年)、映画評論を開始する。1941年(昭和16年)、同学を卒業、日本映画雑誌協会に勤務する。1942年(昭和17年)、中国の上海に渡り、中華電影公司に入社する。1943年(昭和18年)、帰国し、『映画評論』誌の編集長に就任する。
滝沢 一(たきざわ おさむ、1914年11月10日 - 19… 滝沢 一(たきざわ おさむ、1914年11月10日 - 1993年7月11日)は、日本の映画評論家、ジャーナリスト、脚本家である。株式会社通信合同社代表。中川信夫との共同のペンネームは猿沢 丈介(さるさわ じょうすけ)。リアルタイムで作品を追い続けた、伊藤大輔、山中貞雄研究の第一人者である。 1914年(大正3年)、大阪市に生まれる。大阪府立市岡中学校(現・大阪府立市岡高等学校)卒業。 1933年(昭和8年)、マキノ・プロダクションの元宣伝部長・都村健らとともに、京都に合同通信社を興す。同社がのちに株式会社通信合同社となる。 1935年(昭和10年)、前年に市川右太衛門プロダクションに入社した、9歳上の友人・中川信夫と共同で脚本を執筆、『恥を知る者』『御用唄鼠小僧』を中川が監督した。
杉山 平一(すぎやま へいいち、1914年11月2日 - 2… 杉山 平一(すぎやま へいいち、1914年11月2日 - 2012年5月19日)は、日本の詩人、映画評論家、帝塚山学院大学名誉教授。 福島県生まれ。大阪府立北野中学校(旧制)、松江高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。在学中三好達治に認められ『四季 (詩雑誌)』に参加、文芸同人となる。卒業後、織田作之助らと『大阪文学』を創刊。1941年第2回中原中也賞(現在の同名の賞とは異なる)、1943年『夜学生』で文芸汎論詩集賞受賞。1987年大阪芸術賞受賞、2003年『戦後関西詩壇回想』で第5回小野十三郎賞特別賞受賞。2012年、詩集『希望』で第30回現代詩人賞を受賞。その他、兵庫県文化賞など受賞。
猪俣 勝人(いのまた かつひと、1911年6月27日 - 1… 猪俣 勝人(いのまた かつひと、1911年6月27日 - 1979年8月7日)は、日本の脚本家・映画監督、映画評論家。東京府出身。 牛込出身。父が検事という厳格な家庭に育つ(のちに初期テレビドラマ『検事』の脚本も手がけている)。父の転任のたびに、長野、東京、千葉、新潟、福岡と転々とする。少年時代から学業を嫌い、文学書に親しみ、中学3年生の時には新聞『万朝報』の長編小説募集に応募、落選するもそれ以降は雑誌にの懸賞小説に毎年応募をし続けたが、当選することは一度もなかった。 日本大学芸術学部卒業後は、福岡で1年半ほど職に就けないでいたが、『九州日報』の短編小説募集で一等に入り、賞金5円を貰い、1934年に松竹蒲田撮影所にシナリオ・ライターの研究生として入社した。
双葉 十三郎(ふたば じゅうざぶろう、1910年10月9日 … 双葉 十三郎(ふたば じゅうざぶろう、1910年10月9日 - 2009年12月12日)は、日本の映画評論家、翻訳家である。本名は小川 一彦(おがわ かずひこ)。ペンネームはトム・ソーヤーに由来する(双葉は「Sauyer」、十三は「Tom」をもじったもの)。 東京府東京市出身。父は化学者の小川若三郎。幼少時から映画に熱中、映画館に入り浸り、映画三昧の日々を送っていた。 東京府立第八中学校(現在の東京都立小山台高等学校)時代から埼玉県立浦和中学校(現在の埼玉県立浦和高等学校)、東京帝国大学(現在の東京大学)に至る学生生活のあいだ書き留めた「映画ノオト」は数十冊に及んだ。 自身は辰野隆に傾倒し、仏文科へ進みたかったのだが、父・若三郎から「仏文に行ったら勘当する」と強硬に申し渡されたため、泣く泣く経済学部に入学した。
小森 和子(こもり かずこ、1909年〈明治42年〉11月1… 小森 和子(こもり かずこ、1909年〈明治42年〉11月11日 - 2005年〈平成17年〉1月8日)は、日本の映画評論家、タレント。旧姓は安彦(あびこ)。愛称は「(小森の)おばちゃま」。 東京府東京市赤坂区(今の東京都港区赤坂)に生まれ育つ。実家は裕福であった。小学校は赤坂区内に通い、当時麻布区にあった東京府立第三高等女学校(現・東京都立駒場高等学校)を卒業した、今風に言えば港区育ちである。高等女学校卒業後、『婦人公論』誌編集部で見習い記者を務める。 関係を持った菊池寛の運営する『映画時代』誌編集部へ移り、さらに京都で作家の川口松太郎の愛人生活を送るようになる。その後、神戸にあったイギリスの船舶会社『P&O』の日本支店で会社員生活を送る。
淀川 長治(よどがわ ながはる、1909年〈明治42年〉4月… 淀川 長治(よどがわ ながはる、1909年〈明治42年〉4月10日 - 1998年〈平成10年〉11月11日)は、日本の雑誌編集者、映画解説者、映画評論家。 約32年に渡って務めた『日曜洋画劇場』の解説の締め括りに「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…」と強調して言う独特の語り口から全国的に有名になり、「ヨドチョーさん」「ヨドさん」「サヨナラおじさん」等と呼ばれる程に多くの視聴者に親しまれてきた。 兵庫県神戸市(兵庫区)西柳原町にて芸者置屋の跡取り息子として父・又七、母・りゅうのもとに生まれる。実母は、父の本妻の姪にあたった。長く病身で、自分に子ができないことを悔いた本妻が、妾として姪を夫に推薦したのだった。
大黒 東洋士(おおぐろ とよし、1908年11月12日 - … 大黒 東洋士(おおぐろ とよし、1908年11月12日 - 1992年10月24日)は、日本の映画評論家。辛口の映画批評で知られる。 高知県高岡郡仁井田村下呉地()(現・四万十町下呉地)出身。小学校入学前に小高坂村(現・高知市)へ転居。高知県師範学校附属小学校を経て旧制高知城東中学校卒業。中学5年の時に一家が東京へ移住したため、1926年に中学卒業とともに上京。有島武郎の小説や山への憧憬から北海道大学進学を目指すが叶わず、1927年の頃は復興局で測量技師の助手のアルバイトに従事して、収入の多くを映画鑑賞に費やし、やがて「人生の転機」(『映画とともに五十年』より)にいたる。1928年、松竹キネマ蒲田撮影所において所長の城戸四郎の肝煎りで新たに開設される「脚本養成所」(後に「松竹映画脚本研究所」と改称)の研究生に応募、30人の中に合格して第1期生の一人となった。
旗 一兵(はた いっぺい、1908年11月3日 - 1988… 旗 一兵(はた いっぺい、1908年11月3日 - 1988年10月28日)は、昭和期に活躍した日本のテレビプロデューサー、映画評論家、演劇評論家、雑誌編集者、新聞記者。フジテレビプロデューサー、吉本興業企画課長、東京日日新聞社(現・毎日新聞)芸能部記者、日本移動演劇連盟劇団課長、キネマ旬報社編集者などを務めた。本名は金田福太郎。 1908年(明治41年)11月3日生まれ。東京府東京市芝区(現在の東京都港区)高輪出身。 1931年(昭和6年)、立教大学文学部卒業。学生時代から映画や演劇の研究を行い、大学在学中の1929年(昭和4年)には立教大学雑誌部出版の『立教大学文学』に「発声映画に関する常識」と題する論評を発表している。
津村 秀夫(つむら ひでお、1907年8月15日 - 198… 津村 秀夫(つむら ひでお、1907年8月15日 - 1985年8月12日)は、日本の映画評論家。弟は詩人の津村信夫、息子は俳優の津村鷹志。
清水 俊二(しみず しゅんじ、1906年11月27日 - 1… 清水 俊二(しみず しゅんじ、1906年11月27日 - 1988年5月22日)は、日本の映画字幕翻訳家、映画評論家、翻訳家。東京帝国大学経済学部卒業。
岸 松雄(きし まつお、1906年9月18日 - 1985年… 岸 松雄(きし まつお、1906年9月18日 - 1985年8月17日)は、日本の映画評論家、ジャーナリスト、脚本家、映画監督である。本名は阿字 周一郎(あじ しゅういちろう)、別名は和田山 滋(わだやま しげる)。映画作家・山中貞雄を発見した批評家として知られる。 1906年(明治39年)9月18日、東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋)の商家に「阿字周一郎」として生まれる。 慶應義塾大学に入学、同学在籍中の1925年(大正14年)ころには『キネマ旬報』、『映画往来』、『映画評論』、『映画時代』、『蒲田』(松竹蒲田撮影所の雑誌)等の雑誌の執筆者となる。やがて同学を卒業する。1927年(昭和2年)から1931年(昭和6年)までの時期、社会主義的言説に耽溺する。
山本 恭子(やまもと きょうこ、1906年ごろ - 1996… 山本 恭子(やまもと きょうこ、1906年ごろ - 1996年11月6日)は、日本の映画評論家、翻訳家、編集者。本名、山本田鶴。山本田鶴子の名義も用いた。 京都府船井郡和知町出身。宮城県第一高等女学校卒業。女性映画評論家の草分けである。 洋画の字幕スーパーや原作本の翻訳に従事した。ユナイテッド・アーティスツ日本支社、雑誌『キネマ旬報』編集部、のち『映画之友』などの編集者として活躍した。雑誌『映画ファン』の編集長も務めた。
岡田 真吉(おかだ しんきち、1903年10月1日 - 19… 岡田 真吉(おかだ しんきち、1903年10月1日 - 1964年11月17日)は、日本の映画評論家、翻訳家。 東京・日本橋出身。1934年、東京帝国大学仏文科卒業。 高校時代から『キネマ旬報』に投稿。映画評論家、翻訳家として活躍し、フランス映画をはじめとする外国映画および理論を紹介。 また、『女の一生』などフランス文学の翻訳を多く行った。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
田中 純一郎(たなか じゅんいちろう、1902年〈明治35年… 田中 純一郎(たなか じゅんいちろう、1902年〈明治35年〉12月3日 - 1989年〈平成元年〉3月26日)は、日本の映画史家、映画評論家、編集者。本名:松倉 寿一(まつくら ひさいち)。代表作は『日本映画発達史』。 1902年(明治35年)12月3日、群馬県新田郡生品村(のち新田郡新田町、現:太田市新田地区)で出生。 大正初年に上京し、東京市神田区(現:東京都千代田区)の旧制中学校に通う。映画に夢中になり、卒業後には映画界に入る旨を祖父に表明すると、学業半ばに同市日本橋区(現:中央区日本橋)の糸屋に奉公に出されてしまう。奉公先の主人が簿記学校に通わせてくれるので、外出するとやはり映画館に入ってしまうような映画狂(シネフィル)で、映画雑誌によく投稿していた。
佐々木 能理男(ささき のりお、1902年10月28日 - … 佐々木 能理男(ささき のりお、1902年10月28日 - 1972年1月4日)は、日本の映画評論家。 宮城県生まれ。東京帝国大学法学部卒、1929年『映画評論』編集部に入り、映画評論で活躍。戦時中はナチスの本を多く訳し、カール・ハウスホーファーの『日本』も翻訳した。戦後は不遇で、晩年は東宝の嘱託として著作権問題などを研究した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
飯島 正(いいじま ただし、1902年3月5日 - 1996… 飯島 正(いいじま ただし、1902年3月5日 - 1996年1月5日)は、日本の映画評論家・詩人。旧姓:吉田。 東京府生まれ。父の吉田平太郎は豊後国出身で日露戦争で活躍した陸軍中将だったが、退役後に毛皮商として一旗揚げるべくモンゴルに渡り、そこで部下に騙されて零落し日本に帰国、持ち家を手放し、都内を転々とした。のち茨城県の愛人の元に移り、釣りに明け暮れ、肝臓病で亡くなった。母方の祖父の池上正路は銀座の大手広告代理店「正路喜社」(しょうじきしゃ)の創立者。平太郎には離婚した先妻との間に子がいたため、正の実母ヤス(安子)は先妻の子に気を遣い、正を自分の兄(正の母方の伯父)の養子に入れ、飯島姓とした。
古田 昴生(ふるた こうせい、1901年9月15日 - 19… 古田 昴生(ふるた こうせい、1901年9月15日 - 1986年7月2日)は日本の大正から昭和前期に活動した新聞記者、映画評論家、脚本家。 1901年(明治34年)、名古屋市東区で古田徳次郎・きん夫妻の長男として出生。1919年(大正8年)に旧制愛知中学校を卒業し、新愛知新聞社へ入社する。新愛知では社会部記者から出版部主任となり、1921年(大正10年)には松永亮逸と共同で児童雑誌『少年少女宝の玉』を創刊、学芸部長に至り映画評論の分野において「中京地区の草分け的存在」と評されていた。 新愛知新聞社が地元で競合していた名古屋新聞社との新聞統制を受けた合併により中部日本新聞社となる前に退社、極東キネマで映画の脚本の執筆を手掛けた。
北川 冬彦(きたがわ ふゆひこ、1900年〈明治33年〉6月… 北川 冬彦(きたがわ ふゆひこ、1900年〈明治33年〉6月3日 - 1990年〈平成2年〉4月12日)は、日本の詩人、映画評論家。『悪夢』(1947年)などの小説作品もある。本名は田畔 忠彦(たぐろ ただひこ)。 第1詩集『三半規管喪失』(1925年)を自費出版、詩誌「詩と詩論」を創刊し、新散文詩運動を展開した。戦後は新現実主義を提唱し、現代詩の可能性を追究した。作品に詩集『戦争』(1929年)など。 滋賀県大津に生まれながら、父親の仕事関係で満州で育ち、軍国主義の旅順中学で5年間寄宿舎生活を送った。 1919年(大正8年)に第三高等学校(現・京都大学 総合人間学部)文科丙類(フランス語必修)に入学。
森 岩雄(、1899年〈明治32年〉2月27日 - 1979… 森 岩雄(、1899年〈明治32年〉2月27日 - 1979年〈昭和54年〉5月14日)は、日本の映画プロデューサー、脚本家、映画評論家。神奈川県横浜市出身。 40年以上に渡り東宝の役員を務め、同社映画の近代的な方向性を確立し、日本映画界に大きく貢献した。 1917年(大正6年)、京華商業高等学校卒業後、成蹊実業専門学校に学ぶ(一期生)。在学中、結核を患ったことをきっかけに、活動写真に興味を持つ。 1919年(大正8年)東京日日新聞が募集した乙種活動写真シナリオに二等第一席(一等なし)で入選。1921年(大正10年)、『活動倶楽部』に日本初の映画論文となる「活動写真芸術の過去・現在・未来」を発表。
袋一平(ふくろ いっぺい、1897年10月27日 - 197… 袋一平(ふくろ いっぺい、1897年10月27日 - 1971年7月2日)は、日本の翻訳家、映画評論家。 東京生まれ。1915年(大正4年)工手学校(wikidata)(現・工学院大学)化学学科卒業(第12回特待生)。 1922年東京外国語学校ロシア語科卒。ロシア語の和訳を専門とした。またソ連映画の研究家、日本山岳会会員。 翻訳対象はフィクションとノンフィクションの両分野にまたがる。 フィクションではアントン・チェーホフやマクシム・ゴーリキーなど近代ロシア文学もあるが、むしろ現代の小説やヴィタリー・ビアンキなど児童向け作品の翻訳が主体である。またアレクサンドル・ベリャーエフ、ゲオルギー・グレーウィッチらの作品を初めて邦訳するなど、ロシア(ソ連)SFの日本紹介に関して先駆的な役割を果たした。
東 健而(ひがし けんじ、あずま けんじ、とう けんじ、18… 東 健而(ひがし けんじ、あずま けんじ、とう けんじ、1889年(明治22年) - 1933年(昭和8年)3月20日)は、日本のユーモア作家、翻訳家、映画評論家。筆名は愚教師のほか、森田三祢子、森田みね子などを用いた。 東京都出身、正則英語学校卒。大正から昭和にかけて、ユーモア小説、雑文、シャーロック・ホームズ等の初期の翻訳家として活躍した。実父は「坂の上の雲」の秋山好古と陸軍士官学校同期の陸軍騎兵第二連隊長騎兵大佐東常久である。妻、静江は外務省参事官(広東総領事)森田寛蔵の息女。家族は長女冨士子(神奈川県三浦郡葉山町在住)の三人。 松竹キネマ俳優学校で映画劇史を教え、徳川夢声と知り合う。東の没後、夫人は友人の徳川夢声(徳川も妻に先立たれていた)と再婚した。
増井 孝子(ますい たかこ、3月5日 - )は、日本の映画評… 増井 孝子(ますい たかこ、3月5日 - )は、日本の映画評論家、ラジオパーソナリティ。
細野 真宏(ほその まさひろ)は、新潟県出身の予備校講師、経… 細野 真宏(ほその まさひろ)は、新潟県出身の予備校講師、経済解説者、映画評論家。受験予備校Hosono's Super School主宰。 元々は大学受験における数学の参考書・数学の学習指導で有名であり、1990年代には文化放送のラジオ番組『大学受験ラジオ講座』(後番組の『KEISETSUアルシェITEMAEラジオ』を含む)に出演していた。当時、細野は現役の大学生・大学院生であり、学業の傍ら受験生に数学をあらゆるメディア(雑誌、ラジオ、ビデオ講座など)で教えていた。 2000年代に入ると、経済に関する書籍も多数発行しており、現在は受験数学及び経済の著書で有名である。 2008年に福田康夫内閣が開催した社会保障国民会議の委員を務め、その際に日本の「金融・経済教育の問題の深刻さ」を認識して書き上げた、自身初となる新書『「未納が増えると年金が破綻する」って誰が言った?』はamazonの2009年度の新書部門で年間ベストセラー売上1位を記録した。
杉江 弘(すぎえ ひろし)は、航空評論家、ノンフィクション作… 杉江 弘(すぎえ ひろし)は、航空評論家、ノンフィクション作家、鉄道・航空・山岳写真家、航空映画評論家。元日本航空パイロット。 長年日本航空で機長を務め、現役当時ジャンボジェット(ボーイング747)の乗務時間において世界最長の記録を保持していた。 愛知県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、日本航空に入社し操縦士となる。DC-8、ボーイング747、エンブラエルE170などに乗務し、首相フライトなど政府要請による特別便の操縦も経験した。 ボーイング747の飛行時間では14,051時間(機長としては12,007時間)を記録し、2011年(平成23年)にボーイング社よりそれを記念してジャンボ機の設計者であるジョー・サッターのサイン入りのモデルプレーンを贈られ表彰を受ける。
丸屋 九兵衛(まるや きゅうべえ 生年非公開)は、日本の万物… 丸屋 九兵衛(まるや きゅうべえ 生年非公開)は、日本の万物評論家(自称)、音楽評論家、映画評論家、編集者、ラジオDJ、講演家、音楽情報サイト「bmr」元編集長。 京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒。 大学卒業後、ブルース・インターアクションズのブラック・ミュージック専門誌『bmr』の編集部に入社。その後、会社再編があり、株式会社スペースシャワーネットワークに、2019年3月31日まで社員として勤務。 SF評論家としては、『SFマガジン』でのスター・トレックに関するコラムの連載、WOWOWでのSF映画の解説などの活動を行っており、SF作家のアーシュラ・K・ル=グウィンを敬愛している。 愛猫家であり、自身のトークイベントの主題としてネコを取り上げたり、Yahoo!ライフマガジンの猫特集でインタビューを受けるなどしている。