井上 吉夫(いのうえ きちお、1923年〈大正12年〉3月1… 井上 吉夫(いのうえ きちお、1923年〈大正12年〉3月1日 - 2003年〈平成15年〉10月24日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。参議院議員(5期)、国務大臣(北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官、国土庁長官)、鹿児島県議会議員(3期)、自由民主党参議院議員会長等を歴任。 鹿児島県出水郡出水町(現在の出水市)出身。地主だが自作もおこなう豪農の家に生まれる。祖父の吉太郎は村会議員だった。旧制鹿児島県立出水中学校(現:鹿児島県立出水高等学校)を経て、1942年に旧制熊本高等工業学校(現:熊本大学工学部)採鉱冶金科を卒業。卒業と同時に日本鉱業に就職し、四国の白滝鉱山にて勤務するが、1年後に召集される。
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原田 泰夫(はらだ やすお、1923年3月1日 - 2004… 原田 泰夫(はらだ やすお、1923年3月1日 - 2004年7月11日)は、将棋棋士。棋士番号35。新潟県西蒲原郡(後の分水町、現在の燕市)出身。分水町名誉町民。加藤治郎名誉九段門下。 10歳のころ、13世名人(関根金次郎)の立派な指導対局姿に心を打たれ、棋士を志す。原田の父は棋士になることに反対していたが、結局は高等小学校を卒業した原田とともに上京して棋士になる手助けをしている。はじめに縁のあった溝呂木光治(当時七段)を訪ねたが、溝呂木は当時三段で足踏みしていた弟子の間宮純一の名前を出して「自分は弟子運が悪い」「私のところじゃ四段になれない」と入門を断り、加藤治郎(当時五段)を紹介した。このため加藤に弟子入りすることになった。
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カズオ・ナカモト(中本 一男、1922年3月1日 - 201… カズオ・ナカモト(中本 一男、1922年3月1日 - 2011年6月7日)は、日本出身のアメリカ合衆国の化学者。専門は赤外分光およびラマン分光。イリノイ工科大学教授、マーケット大学(英語版)教授。 結晶構成分子の伸縮振動の周波数と水素結合距離の相関図であるNakamotoダイアグラムにその名を残す。 1922年3月1日に神戸市で生まれた。1945年に大阪帝国大学理学部を卒業、1953年に同大学大学院理学研究科を修了し、理学博士号を取得した。 大阪大学の助教を4年間務めるが、その内の1953年から1955年の最初の2年間をフルブライト奨学金を得て博士研究員としてアイオワ州立大学で過ごした。その後、日本に戻り1955年から1957年までを大阪大学で過ごした。
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神門 至馬夫(ごうど しまお、1922年(大正11年)3月1… 神門 至馬夫(ごうど しまお、1922年(大正11年)3月1日 - 1974年(昭和49年)12月11日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 島根県邑智郡川戸村(桜江村、桜江町を経て現江津市)で生まれる。江津町小学校高等科を卒業し、1937年(昭和12年)鉄道省に入省。1941年(昭和16年)広島鉄道教習所機関士科を卒業し機関士として乗務。 戦後、日本国有鉄道浜田機関区で勤務。1950年(昭和25年)国鉄労働組合の専従となり、国労米子地方本部書記長、同委員長、島根県労働組合協議会議長、同事務局長、島根県農民協議会副会長、島根県労働委員、島根県労働基準審議会委員などを務めた。 小瀧彬の死去に伴い1958年(昭和33年)7月に実施された第4回参議院議員通常選挙・島根県地方区補欠選挙に出馬して落選。
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崔 栄喜(チェ・ヨンヒ、1921年3月1日 - 2006年1… 崔 栄喜(チェ・ヨンヒ、1921年3月1日 - 2006年1月11日)は、大韓民国の軍人、外交官、政治家。朝鮮戦争の指揮官であり、陸軍中将で陸軍参謀総長(第12代)を務めた。退役後は国会議員(第7代・第8代・第9代・第10代)、国防長官(第16代)、維新政友会院内総務などを歴任した。太極武功勲章授与者。本貫は隋城崔氏(朝鮮語版)、仏教徒。 1921年、日本統治下の朝鮮京城府(現ソウル特別市)生まれ。1944年に日本の専修大学法学部卒業後、日本陸軍工兵学校に入校し、日本陸軍工兵少尉に任官される。 戦後、韓国に帰国した後、1946年2月18日付で軍事英語学校を卒業し、任少尉(軍番10051番)。1947年、第1旅団人事参謀。
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江崎 誠三 (えさき せいぞう、1921年3月1日 - 20… 江崎 誠三 (えさき せいぞう、1921年3月1日 - 2002年5月27日)は、元豊田通商代表取締役社長、会長。他に、第7代東海日中貿易センター会長、中国青島市経済顧問等を務めた。 三重県津市出身。1941年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業。 1982年に藍綬褒章、1992年に勲三等旭日中綬章を受章。2002年5月27日、すい臓がんのため81歳で逝去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
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金本 源之助(かねもと げんのすけ、1921年3月1日 - … 金本 源之助(かねもと げんのすけ、1921年3月1日 - 2013年7月7日)は、日本のロシア文学者。 広島県豊田郡西生口村字福田(現在の尾道市瀬戸田町福田)に生まれる。広島県立師範学校を経て1941年4月に東京高等師範学校文科第五部へ入学。1943年の冬、満洲開拓義勇団の教学勤労奉仕隊員としてハルピン近郊に赴任、滞在中にロシア文学の世界と出合ったことがのちの人生に大きく影響を与えた。1944年9月東京高等師範学校繰上卒業と同時に海軍予備学生として土浦海軍航空隊に入隊。1945年10月復員を経て、戦後、1946年4月に旧制の早稲田大学文学部(ロシア文学専攻)に入学し、1950年3月に卒業。早稲田大学第一文学部副手、助手に従事しながら1956年3月に大学院(旧制)を修了したのち、同年4月第一法学部本属専任講師、同年5月第二文学部専任講師などを経て(早稲田大学のほかに専修大学講師〈1951年 - 1965年〉なども)、1960年4月早稲田大学第一文学部、第二文学部助教授に就任したのち、1965年4月同教授に就任。
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宗田 一(そうだ はじめ、1921年3月1日 - 1996年… 宗田 一(そうだ はじめ、1921年3月1日 - 1996年7月7日)は、新潟県寺泊(現長岡市)出身の医史学者。 1941年(旧制)官立金沢医科大学薬学専門部(現在の金沢大学医薬保健学域薬学類)を卒業。薬学史、医史学の硏究。日本医史学会常任理事、野間科学医学研究資料館理事。 国際日本文化研究センター所蔵の宗田文庫は、宗田一が収集した、医学史・薬学史に関する書籍、図版資料などを中心とする日本医療文化史の資料コレクションで、目録が作成されており、国際日本文化研究センターサイトでも検索できる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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石橋 幹一郎(いしばし かんいちろう、1920年(大正9年)… 石橋 幹一郎(いしばし かんいちろう、1920年(大正9年)3月1日 - 1997年(平成9年)6月30日)は、日本の実業家。ブリヂストンの社長・会長を務めた。ブリヂストンタイヤ創業者の石橋正二郎の長男。 石橋正二郎の長男として福岡県久留米市に生まれる。旧制・中学明善校(現在の福岡県立明善高等学校)、福岡高等学校 (九州大学教養部の前身)を卒業後、1年間の浪人を経て1937年、東京帝国大学に進学。1943年に東京帝国大学法学部を卒業後、海軍主計科の短期現役(略称「短現」、短期現役海軍主計科士官(10期))に志願して、同年9月、海軍経理学校に入学。1944年3月に卒業。東京監督官事務所監査官付となる。
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柳生 直行(やぎゅう なおゆき、1920年3月1日 - 19… 柳生 直行(やぎゅう なおゆき、1920年3月1日 - 1986年9月3日)は、日本の英文学者、キリスト教学者、翻訳家。 横浜市保土ヶ谷生まれ。父の柳生光異は茅ヶ崎湧泉教会の牧師。1933年(昭和8年)、湧泉教会でキリスト教の洗礼を受ける。 1941年、大阪外国語学校を卒業。東京文理科大学英文科卒。米国コロンビア大学に留学。関東学院大学教授、文学部長、関東学院長を歴任。C・S・ルイス、ジョン・バニヤンなどキリスト教文学者を研究した。 また、湧泉教会の牧師としても活動した。
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柴田 裕(しばた ひろし、1920年3月1日 - )は、日本… 柴田 裕(しばた ひろし、1920年3月1日 - )は、日本の経済学者。 山形県酒田市出身。1942年東京商科大学(現一橋大学)卒。1969年「多数国貿易の理論」で大阪市立大学経済学博士。富山大学経済学部助手、講師、助教授、教授。大阪市立大学教授、84年定年退官、名古屋学院大学教授、日本大学国際関係学部教授。
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明日 待子(あした まつこ、1920年3月1日 - 2019… 明日 待子(あした まつこ、1920年3月1日 - 2019年7月14日)は岩手県釜石出身の女優で、ムーラン・ルージュ 新宿座の看板スターとして人気を博す。後半生は日本舞踊家として過ごし、正統五條流宗家家元・五條 珠淑(ごじょう たまとし)を名乗った。 1920年(大正9年)3月、警察署長を務める父・小野寺円之助と母・とらえの娘、小野寺とし子として岩手県釜石に生まれる。尺八を嗜む父と義太夫を嗜む母の影響で5歳から三味線と日本舞踊を習う。9歳で父を亡くした後は母が税関通りで東洋軒という店を始め生活を支えた。13歳のとき釜石市において地方巡業中だったムーラン・ルージュの俳優、有馬是馬にスカウトされたことが舞台人生へのきっかけとなる。
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引間 博愛(ひきま ひろよし、1920年3月1日 - 201… 引間 博愛(ひきま ひろよし、1920年3月1日 - 2011年12月3日)は、日本の労働運動家。元全国貨物自動車労働組合委員長、統一労組懇常任代表委員、全労連顧問。 北海道夕張市生まれ。高等小学校卒。大夕張鉱業購買会・東京貨物運送統制組合勤務を経て、戦後の1946年に神田運送で労組を結成。同年東京貨物運送労働組合(東貨労)本部役員。1954年、全国貨物自動車労働組合(全自労)委員長。1977年、全日本運輸一般労働組合(全自労の後身)委員長。 1980年、統一労組懇常任代表委員。同団体の中心人物として、1989年の全労連結成に大きな役割を果たした。以後、全労連顧問、全日本年金者組合委員長(初代)、全国革新懇・東京革新懇各代表世話人などを歴任した他、原水爆禁止運動にも尽力した。
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石田 寛(いしだ ひろし、1919年3月1日 - 2019年… 石田 寛(いしだ ひろし、1919年3月1日 - 2019年1月22日)は、日本の地理学者、広島大学名誉教授。岡山県出身。 岡山県熊山村(後の熊山町→赤磐市)に生まれ、岡山県第二岡山中学校(後の岡山県立岡山操山中学校・高等学校の前身)から広島高等師範学校地歴科に進み、1940年3月に文科第三部乙を卒業、さらに京都帝国大学文学部で地理学を学んだ。1942年9月、文学部史学科地理学専攻を繰り上げ卒業後、大学院に進んだが、召集を受け10月に中部第48部隊(歩兵第10連隊留守隊)に入隊した。1944年8月兵科見習士官として陸軍中央通信調査部に配属され、アメリカ軍の暗号解読に従事した。1945年1月陸軍少尉に昇進したが、敗戦を受け、9月に召集解除となった。
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知野 虎雄(ちの とらお、1919年3月1日 - 2009年… 知野 虎雄(ちの とらお、1919年3月1日 - 2009年6月2日)は、日本の官僚、国会職員。衆議院事務総長や会計検査院長、地方財政審議会委員を務めた。 1919年に和歌山県串本町で生まれる。1942年に九州大学法学部卒業後、内務省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進む。海軍省大臣官房勤務時に終戦を迎える。 熊本県庁へ出向後、1946年に衆議院書記官となる。衆議院委員部第一課長、庶務部長兼人事課長事務取扱、委員部長、事務次長を経て1967年に衆議院事務総長に就任した。
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室木弥太郎(むろき やたろう、1918年3月1日 - )は、… 室木弥太郎(むろき やたろう、1918年3月1日 - )は、日本の日本演劇・芸能研究者。金沢大学名誉教授、金沢女子大学名誉教授。1969年日本演劇学会河竹賞受賞、1992年勲三等旭日中綬章受章。 石川県金沢市育ち。1940年東京帝国大学文学部国文学科卒。金沢大学助教授、教授、Ⅰ975-76年大阪大学文学部教授を併任。1983年金沢大学名誉教授、金沢女子大学教授、1999年退任、名誉教授。1969年『金平浄瑠璃正本集』全3巻で日本演劇学会河竹賞受賞。1992年勲三等旭日中綬章受勲。
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汐ノ海 運右エ門(しおのうみ うんえもん、1918年3月1日… 汐ノ海 運右エ門(しおのうみ うんえもん、1918年3月1日 - 1983年7月18日)は、兵庫県印南郡(現:兵庫県姫路市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は岸本 忠夫(きしもと ただお)。最高位は西大関。得意手は右四つ、寄り、筈押しなど。現役時代の体格は180cm、113kg。 1918年3月1日、兵庫県印南郡(現:兵庫県姫路市)で生まれた。小学生の頃から体格が良く腕力も強かったことから、大人と同じ塩田作業に従事していたが、岸本少年の素質を見出した同郷の好角家に笠置山勝一を紹介され、出羽海部屋へ入門した。笠置山は当時としては珍しい大学出身(早稲田大学)のインテリ力士で、当時の出羽海部屋では「打倒双葉」を合言葉に双葉山の連勝を止めるための研究・対策を繰り広げていた。
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宇知川 朝子(うぢがわ あさこ、1917年3月1日 - 没年… 宇知川 朝子(うぢがわ あさこ、1917年3月1日 - 没年月日不詳)は、日本の女優、昭和期の宝塚歌劇団花組主演男役のタカラジェンヌで宝塚歌劇団卒業生である。大阪府出身。 芸名は、母親が姓名判断に依って命名したものである。 本名は戸田 千恵(とだ ちえ、旧姓:宮地)。愛称はチエコさん、ミヤヂ(本名の千恵と旧姓の宮地から)。 1930年、香蘭女学校(現・香蘭女学校中等科・高等科)を中退して宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に入学して、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)に入団。宝塚歌劇団20期生の同期生に久美京子、尾上さくら、霧立のぼるらがいる。当時は「入学イコール入団」で学校と劇団は一体であった。
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藤原 亮子(ふじわら りょうこ、1917年3月1日 - 19… 藤原 亮子(ふじわら りょうこ、1917年3月1日 - 1974年1月27日)は昭和期の歌手。 山口県萩市出身。東洋音楽学校本科声楽科卒業。 1937年(昭和12年)、「泣いて居る」でビクターレコードからデビュー。 柴田睦陸との「朝だ元気で」、小畑実との「勘太郎月夜唄」、「婦系図の歌(湯島の白梅)」、「小太刀を使う女」、竹山逸郎との「誰か夢なき」、「月よりの使者」など、男性歌手とのデュエットでヒットを飛ばす。 生涯独身で、晩年は横浜で暮らした。 昭和40年代の懐メロブームの際に再登場し、テレビ番組などで自身のヒット曲を披露していた。その際は、ソロで披露することが多く、特に不仲だったとされる竹山逸郎とは、決してデュエットしなかった。
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山本 武(やまもと たけし、1917年(大正6年)3月1日 … 山本 武(やまもと たけし、1917年(大正6年)3月1日 - 1998年(平成10年)2月8日)は、日本の元学校経営者・元地方公務員。北海道出身。 北海道帝國大学農学部卒。1947年(昭和22年)北海道庁に入庁。その後、同農政部課長などを経て、1968年(昭和43年)同上川支庁長。1972年(昭和47年)同公営企業管理者。同年、北海道教育委員会教育庁教育長。1975年(昭和50年)北海道教育委員会学校教育局長。1977年(昭和52年)北海道庁停年退官。北海道文化財保護協会副会長。1978年(昭和53年)学校法人札幌学院大学理事。1983年(昭和58年)北海道文化放送番組審議会委員長。1987年(昭和62年)学校法人札幌学院大学副理事長。
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宇留木 康二(、1917年3月1日 - 没年不詳)は、日本の… 宇留木 康二(、1917年3月1日 - 没年不詳)は、日本の元俳優。別名は宇留木 耕嗣(読み同じ)、宇留多耕司、宇留木康三など。姓は「宇畄木」と略字体で表記される場合もある。山形県出身。 東宝の俳優で同じ山形県出身の中島春雄によれば、宇留木は赤湯温泉にある旅館の息子であった。戦時中は陸軍に所属して満州へ出征しており、復員後に東宝の専属俳優となる。 クレジットされる作品は少ないが、特撮映画を始め、ジャンルを問わず数多くの作品に出演した。1965年頃には芸名を宇留木 康二(読み同じ)に改名している。 1971年に東宝専属俳優の一斉解雇が行われた後は主にテレビに活動の場を移し、1970年代末まで俳優業を続けた。
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梶井 健一(かじい けんいち、1916年(大正5年)3月1日… 梶井 健一(かじい けんいち、1916年(大正5年)3月1日 - 2011年(平成23年)7月16日 )は、日本の実業家。名古屋鉄道の元社長。梶井剛の長男。位階は正四位。 東京都出身。武蔵高等学校を経て、1940年(昭和15年)に東京帝国大学経済学部卒業とともに日本銀行に入行。短期現役海軍主計科士官(5期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。1941年(昭和16年)1月に経理学校を卒業。衣笠に配属され、以後、厦門警備隊勤務、岩国海軍航空隊副官兼海兵教官を歴任。1942年(昭和17年)5月、主計大尉に昇進。出水海軍航空隊主計長、兼国分海軍航空隊主計長、光州海軍航空隊主計長を務め、1945年(昭和20年)4月、光海軍工廠会計部に転任し、同年5月、主計少佐に進み終戦を迎えた。
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有島 一郎(、1916年〈大正5年〉3月1日 - 1987年… 有島 一郎(、1916年〈大正5年〉3月1日 - 1987年〈昭和62年〉7月20日)は、日本の俳優。本名は大島 忠雄()。愛知県名古屋市出身。旧制名古屋中学校卒業。有島一郎一座に始まり、小夜福子一座、劇団たんぽぽ、劇団空気座、松竹大船、東宝芸能を経て、最後はフリーだった。俳優・歌手のRomi(成田路実)は孫。 鉄工所経営者の長男として生まれる。 日置尋常小学校を経て名古屋中学に入学。その頃から芝居好きで、学生時代は学芸会の花形であった。が、両親が相次いで亡くなる不幸に見舞われ、自活を迫られる。 1933年、俳優を目指して当時の人気スターだった田村邦男に弟子入り。十代で軽演劇の世界へと飛び込む。
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因州山 稔(いんしゅうざん みのる、1916年3月1日 - … 因州山 稔(いんしゅうざん みのる、1916年3月1日 - 1980年5月3日)は、鳥取県気高郡宝木村(現役当時、現在の鳥取県鳥取市気高町)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は梅原 實(うめはら みのる)→渡辺 實(わたなべ -)。現役時代の体格は174cm、101kg。得意手は右四つ、寄り。 17歳の時に、元横綱・栃木山が率いる春日野部屋へ入門し、1934年1月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、「久寶山」。 固く体が締まったアンコ型で、右差しで頭を付けての寄りを得意とした。ただし、右を差さないと力を出せない右一辺倒の力士であり、そのため“右の石松”の異名があった。 昇り坂の時期の1938年1月場所から、兵役により、3年間のブランクがある。
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茂木 克己(もぎ かつみ、1915年3月1日 - 2005年… 茂木 克己(もぎ かつみ、1915年3月1日 - 2005年4月26日)は、日本の経営者。キッコーマン社長、会長を務めた。位階は従四位。 千葉県出身。キッコーマン初代社長・茂木七郎右衛門 (6代)の弟・藤崎勘三郎の五男として生まれる。1938年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年に野田醤油(のちのキッコーマン)に入社。 1958年2月に取締役に就任し、1963年6月に常務、1974年2月に副社長を経て、1980年3月には社長に就任。1985年10月に取締役相談役に就任し、1994年3月に相談役を経て、2002年6月には特別顧問に就任。 2005年4月26日心不全のために死去。90歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
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増田 冨寿(ますだ とみじゅ、1915年3月1日 - 198… 増田 冨寿(ますだ とみじゅ、1915年3月1日 - 1989年8月5日)は、近代ロシア経済史の研究者。早稲田大学名誉教授。 増田冨寿は、1915年(大正4年)に東京府東京市下谷区(現東京都台東区)に生まれ、早稲田大学文学部史学科に入学した。一年生の時に煙山専太郎の講義、二年生の時には浮田和民の「フランス革命史」の講義を聴き、両者から影響を受けた。「フランス大革命」のロシアへの影響を扱った卒業論文を提出し、主査を煙山、副査を浮田が務めた。さらに研究を進めたいと考えた増田は、政治経済学部に学士入学した。学士入学した増田は、講義よりも図書館で時間を過ごすことが多かったという。この頃に増田は、煙山専太郎の研究室において個人的に指導を受けたと記している。
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松本 善壽(まつもと よしじ、1914年3月1日 - 200… 松本 善壽(まつもと よしじ、1914年3月1日 - 2000年1月4日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。計理士。税理士。行政書士。社会保険労務士。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
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木村 定三(きむら ていぞう、1913年〈大正2年〉3月1日… 木村 定三(きむら ていぞう、1913年〈大正2年〉3月1日 - 2003年〈平成14年〉1月21日)は、愛知県名古屋市出身の実業家・美術品収集家。 特に熊谷守一の収集家として知られていた。晩年や没後にはコレクションが愛知県美術館に寄贈されており、愛知県美術館は3309点の木村定三コレクションを有している。 1913年(大正2年)3月1日、木村定治郎ととくの三男として、愛知県名古屋市に生まれた。定治郎は名古屋市中区で肥料米穀仲買を商い、名古屋市内に多数の土地や家屋を所有する大地主でもあった。定治郎は大正初期に米穀肥料商を廃業し、土地や家屋の管理に専念していた。 1929年(昭和4年)に旧制愛知県熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)を卒業し、第八高等学校(現・名古屋大学)文科甲類に入学した。
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平野 史(ひらの ふひと、1913年3月1日 - 1994年… 平野 史(ひらの ふひと、1913年3月1日 - 1994年12月2日)は、日本の経営者。日本電装(現在のデンソー)社長、会長を務めた。愛知県出身。 1938年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1941年にトヨタ自動車工業に入社。1949年12月に日本電装に転じ、1956年2月に取締役に就任し、1967年1月に常務、1971年2月に専務を経て、1977年3月には社長に就任。1982年3月から会長を務めた。 1979年4月に藍綬褒章を受章し、1984年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1994年12月2日急性肺炎のために死去。81歳没。
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小川 昂(おがわ たかし、1912年3月1日 - 2008年… 小川 昂(おがわ たかし、1912年3月1日 - 2008年4月14日)は日本のミュージック・ライブラリアン (音楽司書) の先駆者。NHK資料室でレコードや楽譜など音楽資料の整理に長年携わり、音楽関係の多様なレファレンスブックを刊行。また後進の育成にも尽力した。1972年黄綬褒章受章。 1912年東京に生まれた小川昂は、父の転勤により10歳の時京都へ転居。役人であった父親は几帳面で整理魔であり、また管楽器を吹く趣味もあった。小川は中学在学中からチェロを学び東京音楽学校に進学を志すが、父の許しが得られず断念。京都帝国大学農学部図書室へ就職し、上司や先輩から仕事の手ほどきを受ける。京大オーケストラに参加する一方、青年図書館連盟の集会で間宮不二雄に認められる。
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菊地 庄次郎(きくち しょうじろう、1912年 <明治45年… 菊地 庄次郎(きくち しょうじろう、1912年 <明治45年> 3月1日 - 1984年 <昭和59年> 8月31日)は、日本の経営者。日本郵船社長、会長を務めた。位階は従三位。 宮城県仙台市出身。1934年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本郵船に入社。1959年に取締役に就任し、1961年に常務、1965年に専務を経て、1967年に副社長に就任し、1971年には社長に昇格した。1978年6月に会長に就任。 1973年11月に藍綬褒章を受章し、1982年4月に勲二等旭日重光章を受章。 1984年8月31日肝不全のために死去。72歳没。死没日付をもって従三位に叙された。
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庄司 保親(しょうじ やすちか、明治45年(1912年)3月… 庄司 保親(しょうじ やすちか、明治45年(1912年)3月1日 - 没年不明)は日本の実業家、政治家。元合資会社第弐商会代表社員社長。元鳥取県西伯郡渡村会議員。 女優・司葉子はいとこ。 明治45年(1912年)3月1日、鳥取県西伯郡渡村(現境港市渡町)に庄司廉の長男として生まれる。 昭和11年(1936年)東京帝国大学経済学部卒業。 昭和17年(1942年)鳥取県石炭統制(株)常務取締役。昭和21年(1946年)鳥取地方裁判所調停委員(~1980年)。昭和26年(1951年)合資会社第弐商会代表社員社長。昭和35年(1960年)協和地下工業(株)代表取締役社長。 昭和36年(1961年)鳥取県教育委員(~1969年)昭和37年(1962年)(株)博愛病院取締役社長。
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福田 久男(ふくだ ひさお、1912年3月1日 - 1998… 福田 久男(ふくだ ひさお、1912年3月1日 - 1998年5月9日)は、日本の経営者。中央信託銀行社長を務めた。福岡県築上郡吉富町出身。 1936年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に大蔵省に入省。1962年5月に中央信託銀行専務に就任し、1968年11月に副社長を経て、1970年12月に社長に就任。1979年12月に会長に就任し、1983年12月に取締役相談役を経て、1987年3月には相談役に就任。 1982年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1998年5月9日に急性腎不全のために死去。86歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
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西山 夘三(にしやま うぞう、1911年3月1日 - 199… 西山 夘三(にしやま うぞう、1911年3月1日 - 1994年4月2日)は日本の建築学者、建築家。都市計画家。住宅問題を科学的に研究する基礎を築いた。
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西山 夘三(にしやま うぞう、1911年3月1日 - 199… 西山 夘三(にしやま うぞう、1911年3月1日 - 1994年4月2日)は、日本の建築学者で、都市計画家、建築家。住生活を科学的に研究する基礎を築き、戦後の住宅計画に大きな影響を与え、住宅問題や都市計画への視点を深めた。 大阪市此花区の安治川沿いの鉄工所の三男として生まれた。 西山一家の暮らした西九条は、重工業中心の工場地帯として発展した工場と長屋の密集地。1930年に第三高等学校理科乙類を卒業。京都帝国大学建築学科に進学し、クラスをDEZAMとし、同級生らとともにマルクス主義に共感を寄せた。またクラス会が東京の建築科学研究会京都支部となる。1931年、東京の4つの学校と共同で五大学建築展覧開会を東京にて開催。
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神林 淳雄(かんばやし あつお、1911年(明治44年)3月… 神林 淳雄(かんばやし あつお、1911年(明治44年)3月1日 - 1945年(昭和20年)4月または7月)は、日本の考古学者。山形県出身。東京国立博物館の前身である東京帝室博物館の職員(鑑査官補)として古墳時代の武器に関する先駆的な研究成果を遺したが、太平洋戦争末期に召集され沖縄本島にて戦死した。 1911年(明治44年)、現在の山形県鶴岡市にあたる旧東田川郡羽黒町に生まれる。 上京して國學院大學に入学し、在学中は人類学者の鳥居龍蔵に師事。國學院大學内の学会「上代文化研究会」に参加する。 1934年(昭和9年)に國學院大學を卒業し、東京帝室博物館に就職する。同博物館では鑑査官補となり、鑑査官の後藤守一の下に所属。
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中橋 一夫(なかはし かずお、1911年3月1日 - 195… 中橋 一夫(なかはし かずお、1911年3月1日 - 1957年8月20日)は、昭和中期の日本の英文学者。 本名・太郎。東京帝国大学文学部英文科卒業。『道化の宿命』を刊行し、ジョン・ミドルトン・マリ、T・S・エリオット、チャールズ・モーガンなどの著作を翻訳。戦後まもなくに英文学会の新星として将来を嘱望され、文芸雑誌などにも健筆を揮った。 東京大学教養学部助教授在任時にイギリス留学するも、半ばに病に倒れ、慌しく帰国。まもなくに没した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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竹中 錬一(たけなか れんいち、1911年(明治44年)3月… 竹中 錬一(たけなか れんいち、1911年(明治44年)3月1日 - 1996年(平成8年)12月31日)は、日本の実業家。竹中家第15代当主。竹中工務店社長、会長、関西経済同友会代表幹事等を歴任した。 兵庫県神戸市出身。旧制甲南高等学校を経て、1933年(昭和8年)早稲田大学理工学部建築学科卒業、早稲田大学大学院修了。 1975年(昭和50年)には無公害、省エネルギー空調システムの開発で毎日工業技術奨励賞受賞。
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長谷川 実雄(はせがわ じつお、1911年3月1日 - 20… 長谷川 実雄(はせがわ じつお、1911年3月1日 - 2001年5月9日)は、日本の経営者。読売新聞社常務、読売ジャイアンツ球団代表を務めた。愛知県江南市出身。 1937年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に読売新聞社に入社した。社会部、編集局婦人部長、社会部長、編集局総務を経て、1969年に報知新聞社副社長兼編集局長に就任し、1971年に読売新聞社編集局長兼取締役に就任し、1973年に常務に就任した。1975年6月から1987年までに読売ジャイアンツ球団代表を務めた。1978年から1979年にかけての江川事件では球団代表として対応にあたった。 1987年にセントラル・リーグから連盟特別功労賞として表彰され、同リーグの顧問も務めた。
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一柳 寿一(ひとつやなぎ じゅいち、1910年3月1日 - … 一柳 寿一(ひとつやなぎ じゅいち、1910年3月1日 - 1998年7月14日)は日本の天文学者。 長野県出身。昭和6年(1931年)東京帝国大学理学部天文学科卒業。同10年(1935年)東北帝国大学理学部講師、同12年(1937年)助教授、同25年(1950年)東北大学教授、同48年(1973年)定年退官。日本天文学会理事長も務めた。 著書に「量子物理学と天文学」などがある。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
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吉田 豊(よしだ ゆたか、1909年3月1日 - 1980年… 吉田 豊(よしだ ゆたか、1909年3月1日 - 1980年5月22日)は、日本の裁判官。最高裁判所判事。福井県出身。 東京帝国大学法科在学中に高等文官試験司法科に合格。1932年(昭和7年)3月に同大学を卒業。1935年(昭和10年)12月に判事となる。京都、福岡、大阪、東京各地裁に勤務。 1947年(昭和22年)12月から1952年(昭和27年)7月までの4年半、最高裁長官の下で最高裁事務局会計課長、経理課長を務めた。その後、東京地裁、東京高裁に勤務。1967年(昭和42年)5月に最高裁事務総局次長に、1970年(昭和45年)7月に最高裁事務総長に就任。最高裁事務総長としては青法協問題等に取り組む。
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出羽ノ花 國市(でわのはな くにいち、1909年3月1日 -… 出羽ノ花 國市(でわのはな くにいち、1909年3月1日 - 1987年5月30日)は、元大相撲力士。位階は正五位。 石川県能美郡(現:石川県小松市)出身(出生地は東京都江東区)、出羽海部屋に所属した。本名は市川 國一(いちかわ くにいち)(旧姓:駒澤)。 1909年3月1日に東京府南葛飾郡大島町(現:東京都江東区大島)で肥料会社を営む家に生まれ、石川県能美郡(現:石川県小松市)で育つ。既に9歳で体重が60kgに達して怪童と話題になり、実家の得意先の世話で出羽ノ海部屋を紹介された。毎週土曜日には地元の巡査の迎えで部屋に行って関取と相撲を取らせてもらったり、出羽海によって遊びに連れて行ってもらったり、部屋に宿泊する時は豪華な文房具をお土産に貰ったりするなど可愛がられた。
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若林 忠志(わかばやし ただし、本名:タダシ・ヘンリー・ワカ… 若林 忠志(わかばやし ただし、本名:タダシ・ヘンリー・ワカバヤシ(Tadashi Henry Wakabayashi)、1908年3月1日 - 1965年3月5日)は、アメリカ合衆国ハワイ準州(Territory of Hawaii、現:ハワイ州)生まれのプロ野球選手(投手)・監督。ハワイ移民の日系2世。 ジャズ・ミュージシャンの津上研太は孫。 1908年3月1日、アメリカ合衆国ハワイ準州(Territory of Hawaii、現:ハワイ州)・オアフ島ワヒアワで出生。五男四女の九人兄妹の五番目の三男。父親の代に広島県芦品郡戸手村(現:福山市)からハワイへ移民しており、父母ともに広島県芦品郡生まれの日本人。
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藤原 岩市(ふじわら いわいち、1908年(明治41年)3月… 藤原 岩市(ふじわら いわいち、1908年(明治41年)3月1日 - 1986年(昭和61年)2月24日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。 太平洋戦争においてF機関を指示し、チャンドラ・ボースらと共にインド国民軍の編成や戦後のインド独立に大きな役割を果たした。そのため、インド独立運動に携わり「インド独立の父」と呼ばれるマハトマ・ガンディーに対して、藤原はボースと並び「インド独立の母」とも呼ばれる。 藤原為蔵の二男として兵庫県多可郡(現在の西脇市黒田庄町喜多)に生まれる。柏原中学校を卒業し、陸軍予科士官学校を経て、1931年7月、陸軍士官学校(43期)を卒業、同年10月、陸軍少尉任官、歩兵第37連隊付となった。
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安松 京三(やすまつ けいぞう、1908年(明治41年)3月… 安松 京三(やすまつ けいぞう、1908年(明治41年)3月1日 - 1983年(昭和58年)1月25日)は、日本の昆虫学者。九州大学名誉教授。日本における天敵による害虫防除の草分け。
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海江田 譲二(かいえだ じょうじ、1908年3月1日 - 1… 海江田 譲二(かいえだ じょうじ、1908年3月1日 - 1986年4月11日)は、日本の俳優である。本名は上遠野 武史(かどの たけし)である。 1908年(明治41年)3月1日、秋田県北秋田郡大館町(現在の同県大館市)に上遠野武史として生まれる。 1930年(昭和5年)、同郷の映画監督・辻吉朗を頼って京都に移り、辻の所属する日活太秦撮影所に入社する。同年、辻監督による主演作『股旅しぐれ』で映画界にデビュー、つづいて大河内傳次郎が出演予定だった同監督の『大虚』の主演に急遽抜擢され、スターの道を歩み始める。1931年(昭和6年)、稲垣浩監督の『男達ばやり』で片岡千恵蔵と共演、翌1932年(昭和7年)には、辻監督の『沓掛時次郎』で主演する。
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川又 克二(かわまた かつじ、1905年(明治38年)3月1… 川又 克二(かわまた かつじ、1905年(明治38年)3月1日 - 1986年(昭和61年)3月29日)は日本の実業家。日産自動車中興の祖として知られ、同社の社長や会長、日本自動車工業会初代会長、経団連副会長、日経連副会長などを歴任した。 茨城県東茨城郡上大野村大字吉沼(現在の水戸市吉沼町)に生まれる。川又家は、昔はこの集落の庄屋のような家柄だった。明治になって子供がいなかったので、旧水戸藩士の田辺家から養女を迎えた。これが母錦(きん)である。母が17歳のとき、同じ土地の丹下という家から父の操(みさお)が養子にきた。父は水戸の専売局の太子出張所に勤める一役人にすぎず、いわば半農半勤の家計だったので、母は慣れない農事に精を出しながら、しだいに田畑を手放していかざるをえなかった。
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井狩 彌治郎(いかり やじろう、1905年(明治38年)3月… 井狩 彌治郎(いかり やじろう、1905年(明治38年)3月1日 - 1999年(平成11年)7月19日)は、昭和期の実業家。大丸社長を務めた。位階は従四位。 滋賀県出身。膳所中学校(現・滋賀県立膳所高等学校)時代は野球部に所属。慶應義塾大学経済学部を経て、同大学院修了後の1931年に大丸入社。 常務、専務、副社長を経て、1963年に社長に就任し21年間在任した。その間にはパリ、シンガポールなど海外出店を積極的に進め、1984年に相談役に退いた。 1974年から2年間にわたり日本百貨店協会会長、1970年から19年間にわたり社団法人大阪工芸協会会長を歴任。毎日放送取締役なども務めた。1999年死去。
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益田 義信(ますだ よしのぶ、1905年(明治38年)3月1… 益田 義信(ますだ よしのぶ、1905年(明治38年)3月1日 - 1990年(平成2年)1月10日)は、日本の洋画家。益田農事株式会社取締役。 益田太郎冠者の子として東京に生まれる。兄弟は5人とも「信」の字を名前に含むため、俗に「五信」と呼ばれる。慶應義塾大学卒。梅原龍三郎に師事する。パリ留学後、国画会に所属した。ヴェネツィア・ビエンナーレなど国際展のコミッショナー。国際造形芸術連盟会長。 日本自動車連盟(JAF)のマークは、1963年(昭和37年)の創立当時に理事を務めていたことから益田がデザインした。色については、制作当初から白とブルーと決めていたとのことで、全9種の試作のうち5枚をJAFに持参し、最終決定されたものが、益田の一番のお気に入りのデザインだったというエピソードが残されている。
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渋川 驍(しぶかわ ぎょう、1905年3月1日 - 1993… 渋川 驍(しぶかわ ぎょう、1905年3月1日 - 1993年1月24日)は、日本の小説家、文芸評論家。福岡県福岡市生まれ。本名・山崎武雄。東京帝国大学倫理学科卒。同人誌『日暦』、『人民文庫』などに参加して小説家として立つ。1938年、『龍源寺』で第7回芥川龍之介賞候補。戦後は評論にも進出した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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