克美 しげる(かつみ しげる、1937年〈昭和12年〉7月2… 克美 しげる(かつみ しげる、1937年〈昭和12年〉7月2日 - 2013年〈平成25年〉2月27日)は、日本の歌手。本名は津村 誠也(つむら せいや)。宮崎県宮崎市出身。1950年代に始まったロカビリー・ブームの中、1961年(昭和36年)に『霧の中のジョニー』の日本語カバーでレコードデビューし、漫画映画『エイトマン』の主題歌『エイトマン』や、歌謡曲路線に転向してのちの『さすらい』が大ヒット。1964年(昭和39年)と1965年(昭和40年)には、2年連続で「NHK紅白歌合戦」への出場も果たした。 しかし1976年(昭和51年)、自身の愛人である女性を殺害して死体を遺棄する事件を起こし(克美茂愛人殺害事件)、懲役10年の実刑判決を受ける。
黛 哲郎(まゆずみ てつろう、1936年7月2日 - 199… 黛 哲郎(まゆずみ てつろう、1936年7月2日 - 1993年7月21日)は、日本の文学・音楽・映画・演劇評論家、元朝日新聞東京本社学芸部編集委員。 神奈川県横浜市出身。東京都立豊多摩高等学校、早稲田大学文学部卒業後、朝日新聞社入社。学芸部に所属し、文学・音楽・映画・演劇に関する評論を執筆した。その後は学芸部編集委員を務めた。 没後、朝日新聞などに掲載された評論を集成した『学芸記者〈哲〉コレクション文学と音楽のあいだ』が河出書房新社より刊行された。 安部公房をはじめ、安岡章太郎、丸谷才一、武満徹、大江健三郎、山崎正和などの作家・作曲家との親交があった。 作曲家の黛敏郎は兄であり、NHKエンタープライズ所属のドラマ番組ディレクターの黛りんたろうは甥である。
濱本 英輔(はまもと えいすけ、1936年7月2日 - )は… 濱本 英輔(はまもと えいすけ、1936年7月2日 - )は、日本の経営者。国税庁長官、北海道東北開発公庫総裁、ロッテ副社長を務めた。 兵庫県出身。1961年に東京大学法学部を卒業し、同年に大蔵省に入省した(為替局総務課)。近畿財務局長、大臣官房審議官などを歴任し、1989年6月23日に大臣官房総務審議官に就任。1991年6月11日に主税局長に就任。1993年6月25日に国税庁長官に就任。 1994年に退官し、日本損害保険協会副会長に就任。その後、1997年7月には北海道東北開発公庫(北東公庫)総裁に就任した。1999年10月に北東公庫と日本開発銀行が統合し、日本政策投資銀行が誕生した結果、同行副総裁となった。
浅越 桂一(あさごえ けいいち、1936年7月2日 - 20… 浅越 桂一(あさごえ けいいち、1936年7月2日 - 2011年8月6日)は、岡山県都窪郡妹尾町(現・岡山市南区)出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。 関西高等学校では1954年夏の甲子園予選東中国大会決勝に進むが、米子東高のエース義原武敏に抑えられ、延長10回0-1xでサヨナラ負け、甲子園出場を逸する。高校の1年上に吉岡史郎がいた。 1955年に大阪タイガースに入団。小柄ながら体格がよく期待された。背番号を3に変更した1958年には、開幕からレギュラー二塁手として起用される。シーズン後半は辰市邦輔に定位置を譲るが48試合に先発出場を果たした。翌年も70試合に出場するが、鎌田実が台頭し1960年には出場機会が激減。
寺嶋 潔(てらしま きよし、1935年7月2日 - )は、日… 寺嶋 潔(てらしま きよし、1935年7月2日 - )は、日本の運輸官僚。帝都高速度交通営団総裁を務めた。 愛知県出身。1960年に東京大学法学部公法学科を卒業し、同年に運輸省に入省した。1985年6月に大臣官房審議官、1989年6月に貨物流通局長、1990年6月に国際運輸・観光局長、1991年7月に運輸審議官を歴任した。1993年7月に帝都高速度交通営団副総裁に就任し、1996年7月に総裁に昇格し、2000年に日比谷線事故で責任を取る形で辞任した。 2002年2月に海事産業研究所の理事長兼所長に就任。 営団最後の総裁土坂泰敏が2022年に死去して以来、営団総裁経験者最後の存命者となっている。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
沢本 忠雄(さわもと ただお、1935年7月2日 - 202… 沢本 忠雄(さわもと ただお、1935年7月2日 - 2022年6月5日)は、日本の俳優。三重県松阪市出身。白木万理は元妻にあたる。 1958年、日本大学芸術学部(映画科・演出/シナリオ)卒業。日活に入社。公式のデビュー作は南田洋子主演で、南田の弟役を演じた『雌花』(1957年、阿部豊監督作品)であるが、その前に同じ南田主演の『素足の娘』でエキストラ出演している。そのエキストラ出演で阿部に認められて『雌花』に起用されたという。 1958年に『十代の恋よさようなら』(小林桂三郎監督作品)にて初主演。以後は『嵐を呼ぶ友情』、『群衆の中の太陽』、『青春蛮歌』、『祈るひと』等、数々の作品に出演し、日活映画の顔となる。
村上 義雄(むらかみ よしお、1934年7月2日 - )は、… 村上 義雄(むらかみ よしお、1934年7月2日 - )は、日本のジャーナリスト。 東京生まれ。上智大学外国語学部フランス語科卒。NHK記者をへて朝日新聞社に入り、記者、編集委員、『朝日ジャーナル』『週刊朝日』編集部。
服部 黎子(はっとり れいこ、旧姓:渋沢、1933年〈昭和8… 服部 黎子(はっとり れいこ、旧姓:渋沢、1933年〈昭和8年〉7月2日 - )は、日本の微生物学者。曽祖父は渋沢栄一、祖父は渋沢篤二、父は渋沢敬三。兄に渋沢家当主の渋沢雅英と渋沢紀美(夭折)。夫の服部勉も生物学者である。 1933年7月2日、渋沢栄一の嫡孫の子爵・渋沢敬三と妻・登喜子の次女として東京で誕生する。余談であるが登喜子の父(母方の祖父)は京都府知事木内重四郎。登喜子の祖父は実業家岩崎弥太郎。生来控え目な性格で父の敬三に深い愛情を注がれて育ったという。敬三の溺愛ぶりはかなりのものであったらしく、双葉女学院卒業後の東北大学受験の時は父の敬三が同伴するほどであったという。東北大学在学中に夫の服部勉と出会いその後結婚。
島津 隆子(しまづ たかこ、1932年7月2日 - )は、日… 島津 隆子(しまづ たかこ、1932年7月2日 - )は、日本の作家。 山梨県生まれ。本姓・森。東京都立荻窪高等学校卒。
内橋 克人(うちはし かつと、1932年7月2日 - 202… 内橋 克人(うちはし かつと、1932年7月2日 - 2021年9月1日)は、日本の経済評論家。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立星陵高等学校、神戸商科大学(現・兵庫県立大学)商経学部卒業。神戸新聞記者を経て、1967年よりフリーとなる。2006年、第16回イーハトーブ賞受賞。2008年、第60回NHK放送文化賞受賞。2021年9月1日午後4時37分、急性心筋梗塞により神奈川県鎌倉市の病院で死去した。89歳没。 読売テレビ制作の「ウェークアップ!」のレギュラーコメンターを務めたほか、「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人や、日本による対韓輸出優遇撤廃に反対する<声明>「韓国は「敵」なのか」呼びかけ人の1人となった。
石井 進(いしい すすむ、1931年7月2日 - 2001年… 石井 進(いしい すすむ、1931年7月2日 - 2001年10月24日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本中世史。 1931年、東京都で生まれた。東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学し、同校では後に東京大学教授となる芳賀徹、平川祐弘、高階秀爾、平田賢と同じクラス(第1部)であった。1944年に卒業し、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に進学。1950年に卒業し、東京大学文学部に進学。文学部国史学科で学び、在学中は佐藤進一に師事。1955年に卒業し、同大学大学院人文科学研究科国史学専門課程に進んだ。1957年に修士課程を修了し、1960年に博士課程を単位取得退学。
小野 純朗(おの じゅんろう、1931年7月2日 - 202… 小野 純朗(おの じゅんろう、1931年7月2日 - 2025年7月10日)は、日本の経営者。近畿車輛社長を務めた。 大分県出身。1955年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に日本国有鉄道に入社。1986年1月に日本鉄道運転協会顧問に就任し、同年6月に理事、1987年7月に帝都高速度交通営団理事、1991年6月に近畿車輛専務を経て、1992年6月には社長に就任。2002年6月に相談役に就任。 2025年7月10日、老衰のために死去。94歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
清水 正之(しみずまさゆき、1931年7月2日 - 2016… 清水 正之(しみずまさゆき、1931年7月2日 - 2016年5月12日)は、日本の地方公務員、造園家。元大阪府理事、元大阪芸術大学教授、元NPO国際造園研究センター理事長、日本イエメン友好協会理事長など歴任。農学博士(東京大学、1997年)。 1954年東京大学農学部農学科を卒業。北村徳太郎に師事。同年大阪府庁入庁。農林部林務課勤務。1957年大阪府土木部計画課勤務で以降の府営公園整備や府内の自然公園に関わる、1963年土木部服部緑地管理事務所主査、1964年土木部公園課施設係長、1972年南部公園事務所長、1977年大阪芸術大学芸術学部非常勤講師、1978年からイエメン国でJune13公園の設計や首都サナアの緑化・レクリエーション地計画・駐車場配置計画策定指導などに尽力、1979年土木部公園課長、1985年社団法人大阪府公園・都市緑化協会理事長、1986年財団法人国際花と緑の博覧会協会事務次長を歴任し、1988年に大阪府を退職。
前ノ山 政三(まえのやま まさぞう、1931年7月2日 - … 前ノ山 政三(まえのやま まさぞう、1931年7月2日 - 1973年4月8日)は、愛媛県八幡浜市堀川町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は菊池 秀介(きくち ひですけ)。最高位は東前頭14枚目(1958年5月場所)。現役時代の体格は176cm、102kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 1931年、中国北東部の奉天市(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市、当時は満洲国の統治下にあった)附近で生まれ、第二次世界大戦の終結とともに愛媛県八幡浜市に引き揚げて来た。 15歳の時に高砂部屋へ入門し、1947年6月場所(※現在の5月場所に相当)で初土俵。翌11月場所、「前ノ川」の四股名で序ノ口に付いた。
中島 誠(なかじま まこと、1930年7月2日 - 2012… 中島 誠(なかじま まこと、1930年7月2日 - 2012年1月14日)は、日本の文芸評論家。 東京生まれ。戦時中は両親の郷里である群馬県の安中へ疎開し、群馬県立高崎高等学校を卒業(48回生)。1955年、早稲田大学英文科卒業。当初社会評論を書いたがのち時代・歴史小説を主として論じた。第17回大衆文学研究賞受賞。 2012年1月14日、肺炎のため死去。81歳没。
村越 末男(むらこし すえお、1930年7月2日 - 200… 村越 末男(むらこし すえお、1930年7月2日 - 2008年4月11日)は、日本の部落問題研究家。大阪市立大学名誉教授。高知県出身。 高知県幡多郡大方町(現・黒潮町)の被差別部落に生まれ育つ。1953年、龍谷大学文学部哲学科社会学専攻卒業。高知県立中村高校教諭、高知大学教育学部非常勤講師などを勤めながら、解放団体高知県連合会の創立に参加した。1968年4月、大阪府同和教育指導員となり、同年8月大阪部落解放研究所の設立に参加し、事務局長と理事を兼任する。1970年9月、大阪市立大学助教授、1980年4月、同教授。1983年、全国大学同和教育研究協議会事務局長(1992年、同副会長)。1984年、部落解放研究所第2代理事長に就任、大阪市立大学同和問題研究室室長。
中村 義(なかむら ただし、1929年7月2日 - 2008… 中村 義(なかむら ただし、1929年7月2日 - 2008年4月19日)は、日本の歴史学者。東京学芸大学名誉教授。専門は中国近代史。 1929年、東京で生まれた。東京教育大学文学部東洋史学科で学び、1953年に卒業。同大学大学院に進学し、1955年に修士課程を修了。 1969年、東京学芸大学助教授に就き、後に教授昇格。1977年、学位論文『辛亥革命の研究:湖南省を中心にして』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。1994年に東京学芸大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は二松学舎大学教授をつとめた。2008年4月19日、出血性胃潰瘍のため死去。
平野 宗浄(ひらの そうじょう、1928年〈昭和3年〉7月2… 平野 宗浄(ひらの そうじょう、1928年〈昭和3年〉7月2日 - 2002年〈平成14年〉7月6日)は、臨済宗の僧、仏教学・仏教文学研究者。道号は華翁、法諱は宗浄。室号は素雲軒。 大阪府堺市少林寺町生まれ。17歳で京都真珠庵山田宗憲について得度。花園大学仏教学部卒。1955年(昭和30年)4月、神戸祥福僧堂に掛搭、山田無文老師に参じる。その後、松島瑞巌僧堂にて修行、加藤隆芳老師に嗣法。大津市祥瑞寺住職、禅文化研究所研究員・花園大学文学部教授、1999年同名誉教授。1988年瑞巌僧堂師家に就任。2000年禅文化研究所所長。一休、大燈国師について研究した。
新井 馨(あらい かおる、1927年(昭和2年)7月2日 -… 新井 馨(あらい かおる、1927年(昭和2年)7月2日 - 2016年(平成28年)7月26日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県北本市長。 のちの埼玉県北本市出身。石戸国民学校(現北本市立石戸小学校)卒業。北本市収入役、助役を務め、1987年(昭和62年)北本市長に当選した。 2016年(平成28年)7月26日、横行結腸がんのため死去した。
奥村 善久(おくむら よしひさ、1926年7月2日 - 20… 奥村 善久(おくむら よしひさ、1926年7月2日 - 2023年2月18日)は、日本の工学者。電波の伝播の研究に取り組み、電波が伝わる環境を独自に分類した経験則である「奥村モデル(奥村カーブ)」(或いは、奥村カーブを式に表した「秦モデル」と併せて「奥村-秦モデル」)の構築で知られる。石川県金沢市出身。 1947年金沢工業専門学校(現在の金沢大学理工学域)卒業。 通商産業省勤務を経て、1950年日本電信電話公社入社。見通し外長距離通信システムの研究開発に携わり、九州~奄美大島~沖縄間において電話とテレビの回線を無線電波で繋ぐシステムを構築した。電電公社在職中の1961年‐75年に、自動車に移動局を搭載し、基地局から半径100キロの圏内を走行しながら送受信する実験などを通じて、距離や地形による電波の伝播伝送の変化を研究。
奥村 三雄(おくむら みつお、1925年7月2日 - 199… 奥村 三雄(おくむら みつお、1925年7月2日 - 1998年4月19日)は、日本の国語学者。九州大学名誉教授。専門は古典語、方言学。 京都府出身。1949年京都大学文学部国文科卒。1978年「平曲譜本の国語学的研究」で九州大学文学博士。京大助手、1956年岐阜大学講師、1958年助教授、1969年九州大学文学部助教授を経て、1978年教授となる。1989年定年退官、名誉教授。
津田元一郎(つだ げんいちろう、1925年7月2日- )は、… 津田元一郎(つだ げんいちろう、1925年7月2日- )は、日本の哲学者。 静岡県伊豆長岡生まれ。1949年東京大学文学部哲学科卒、同大学院博士課程満期退学、1969年「インド教育における伝統と近代化に関する研究」で名古屋大学教育学博士。静岡県立教育指導研修所指導主事、南山大学教授、1969-73年ユネスコ教育専門家としてアフガニスタン、イランに派遣。中部工業大学教授、名古屋大学医療技術短期大学部教授、89年定年退官、京都精華大学教授。
村上 直(むらかみ ただし 1925年7月2日 - 2014… 村上 直(むらかみ ただし 1925年7月2日 - 2014年2月10日)は、日本の近世史研究者。法政大学名誉教授。大久保長安研究で知られる。 東京に生まれる。東京第一師範学校を経て1951年に法政大学文学部卒業。日本史を専攻し、東京都立大学 (1949-2011)大学院修了。法政大学文学部助教授、1973年教授。1974年に論文「江戸幕府代官制度の研究」により文学博士の学位を取得。1978年同大文学部長。1993年川崎市文化賞(学術)。1996年定年、名誉教授。 研究テーマは、江戸幕府の政治、関東を中心とした代官や幕領、江戸近郊の地域史であった。江戸時代初頭に石見銀山などの代官を務めた大久保長安に関する論文を生涯で28編書いており、そのうち15編が最後の著書『論集 代官頭大久保長安の研究』に収められた。
野崎 泰一(のざき ひろかず、1923年7月2日 - 200… 野崎 泰一(のざき ひろかず、1923年7月2日 - 2009年7月30日)は、広島県呉市出身のプロ野球選手(投手)・監督・コーチ。
藤原 彰(ふじわら あきら、1922年7月2日 - 2003… 藤原 彰(ふじわら あきら、1922年7月2日 - 2003年2月26日)は、日本の歴史学者。日本近代史専攻。一橋大学名誉教授。1980年日本学術会議会員。元歴史学研究会委員長。
金 寿煥(キム・スファン、きん じゅかん、朝鮮語:김수환、1… 金 寿煥(キム・スファン、きん じゅかん、朝鮮語:김수환、1922年7月2日 - 2009年2月16日)は、洗礼名をステファノといい、大韓民国初の枢機卿である。本貫は光山金氏。 金寿煥は、1922年7月2日に日本統治時代の朝鮮の大邱で8番目の子供として生まれた。 聖ユスティノ神学校を経て1941年から日本の上智大学で哲学を学んだが、1944年1月に学徒出陣して日本軍の任務に就いた。父島で士官候補生訓練を受けたが、差別に抗議した結果幹部候補生資格を剥奪され、一等兵として終戦を迎える。なお、小笠原事件を目撃しており、戦後グアム法廷で証言した。 1947年から1951年まで韓国天主教大学で哲学の勉強を続け、1957年から1964年までドイツのミュンスター大学で神学及び社会学を学んだ。
松田 瑞穂(まつだ みずほ、男性、1921年7月2日 - 1… 松田 瑞穂(まつだ みずほ、男性、1921年7月2日 - 1998年8月13日)は、日本の実業家。株式会社吉野家初代社長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
竹内 均(たけうち ひとし、1920年7月2日 - 2004… 竹内 均(たけうち ひとし、1920年7月2日 - 2004年4月20日)は、日本の物理学者(地球物理学)。東京大学名誉教授。理学博士(1949年)。科学啓蒙家。科学雑誌『Newton』初代編集長。代々木ゼミナール札幌校元校長。 独特のふちの厚いメガネがトレードマークの、科学者でありながら質実剛健を地で行く人物で、自分に厳しく他人(特に子供)に優しい性格であった。科学者として偉ぶらず、時にユーモアを交えながら落ち着いた話しぶりで、その独特の口調はタモリに「歩くヨーデル」と評された。 彼が科学者を目指したのは寺田寅彦に憧れてのことであった。大学に東京大学を選んだのも、「地球物理学」が東京大学以外では学べなかったことと、何より寺田寅彦の弟子筋にあたる人物がいた(坪井忠二と思われる)ということをテレビ番組の対談で述べていた。
舟橋 和郎(ふなはし かずお、1919年7月2日 - 200… 舟橋 和郎(ふなはし かずお、1919年7月2日 - 2006年1月15日)は、日本の脚本家。兄は小説家の舟橋聖一。 東京府出身。東京帝国大学教授の四男として生まれる。母方の祖父に古河財閥幹部の近藤陸三郎がおり、裕福な家庭で育つ。1939年、東京高等学校在学中、治安維持法違反で検挙される。1943年、明治大学専門部文科(文芸科)を卒業。菊池寛の秘書を経て、1944年、大映企画部に入社、同年応召。翌年復員し、1946年、『彼と彼女は行く』を発表して脚本家に転じ、のちフリーとなる。1950年に映画『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』の脚本でシナリオ賞受賞。その他代表作に『雁の寺』、『兵隊やくざ』シリーズ、『与太郎戦記』シリーズなど。
堀 文子(ほり ふみこ、1918年7月2日 - 2019年2… 堀 文子(ほり ふみこ、1918年7月2日 - 2019年2月5日)は、日本画家。東京市麹町区平河町(現・東京都千代田区麹町)生まれ。 洋画家の内海信彦は甥である。 アルビレックスチアリーダーズに2003年から2010年まで所属していた堀文子は、同姓同名の別人である。 永田町小学校(現・千代田区立麹町小学校)、東京府立第五高等女学校(現・都立富士高等学校)、女子美術専門学校師範科日本画部(現・女子美術大学芸術学部美術学科日本画専攻)を卒業。府立第五高等女学校時代に自宅近くで二・二六事件に遭遇した。 在学中の1939年に第2回新美術人協会展入選。1940年に女子美術専門学校を卒業し、新美術人協会会員。
真山 くみ子(まやま くみこ、1916年7月2日 - )は、… 真山 くみ子(まやま くみこ、1916年7月2日 - )は、日本の女優である。旧芸名は高松 美絵子(たかまつ みえこ)、本名は高橋 美枝子(たかはし みえこ)。1930年代から1940年代にかけての間、新興キネマ現代劇のスター女優として活躍したことで知られる。 1916年(大正5年)7月2日、福島県に生まれる。1934年(昭和9年)、旧制・麹町高等女学校(現在の麹町学園女子高等学校)を卒業する。 1935年(昭和10年)、トーキーによる現代劇を製作するスタジオである、日活多摩川撮影所(現在の角川大映撮影所)に入社する。最初の芸名は「高松美絵子」で、もっとも初期に記録に残る作品は、阿部豊が監督し、日活、協同映画社、太秦発声映画、ゼーオー・スタヂオ、日本ビクター各社が提携して製作した大作『海国大日本』で、広瀬恒美演ずる「松井敏夫」の妹「静子」役であった。
西尾 常三郎(にしお つねさぶろう、大正5年(1916年)7… 西尾 常三郎(にしお つねさぶろう、大正5年(1916年)7月2日 - 昭和19年(1944年)11月13日)は、大日本帝国陸軍軍人。陸軍少佐だったが特別攻撃隊に志願、富嶽隊隊長として特攻、戦死。二階級特進により大佐となる。正七位、勲三等、功二級。
渡辺 武夫(わたなべ たけお、1916年7月2日 - 200… 渡辺 武夫(わたなべ たけお、1916年7月2日 - 2003年9月11日)は、埼玉県出身の洋画家。日本芸術院会員。浦和画家の一人。瑞宝章受章者。
上松 陽助(うえまつ ようすけ、1914年(大正3年)7月2… 上松 陽助(うえまつ ようすけ、1914年(大正3年)7月2日 - 1996年(平成8年)1月18日)は、日本の政治家。岐阜県知事、岐阜市長を務めた。岐阜県名誉県民、岐阜市名誉市民。 岐阜県岐阜市出身。岐阜中学校(現:岐阜県立岐阜高等学校)、第八高等学校(現:名古屋大学)、東京帝国大学法学部政治学科(現:東京大学)卒業。 その後、日鉄鉱業に就職し、兵役を経て、雑貨を扱う常盤産業株式会社を設立し代表取締役社長に就任。 岐阜市役所に入庁し、経済部長、企業部長、民生部長、農林部長、民生局長等の要職を歴任した。収入役を経て、1970年に岐阜市長に初当選。 1977年2月に岐阜県知事選挙に出馬し、日本社会党参議院議員の中村波男らを破り初当選。
北川 悌二(きたがわ ていじ、1914年7月2日- 1984… 北川 悌二(きたがわ ていじ、1914年7月2日- 1984年12月16日)は、日本の英文学者。 東京生まれ。1938年東京帝国大学文学部英文科卒。旧制松本高等学校教授、旧・東京都立大学助教授を経て、東京大学教養学部教授、1975年定年、立正大学教授、獨協大学教授。 エリザベス朝演劇からサマセット・モーム、チャールズ・ディケンズ、ハーマン・メルヴィルなど幅広く翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
薬師寺 厚(やくしじ ひろし、1913年7月2日 - 199… 薬師寺 厚(やくしじ ひろし、1913年7月2日 - 1998年12月8日)は、日本の建築家。佐野利器の女婿。 岡山県出身。父の薬師寺主計は大原美術館などを設計した建築家である。1932年(昭和7年)私立武蔵高等学校卒業後、1937年(昭和12年)、東京帝国大学工学部建築学科を卒業(同期に丹下健三らがいる)。 逓信省(当時)に入省し山田守に薫陶を受ける。郵政省(当時)の建築部長を経て1964年(昭和39年)退官した。その後藤田建設に入社し、1965年常務、1971年専務、1979年顧問、1982年監査役を務めた。1983年、勲三等瑞宝章受章。
藤谷 俊雄(ふじたに としお、1912年7月2日 - 199… 藤谷 俊雄(ふじたに としお、1912年7月2日 - 1995年2月11日)は、日本の歴史学者、部落問題研究家である。 京都府京都市出身。生家は真宗大谷派の即現寺。京都府立第二中学校卒業後、1934年に高知高等学校文科甲類、1937年京都帝国大学文学部史学科卒業。1938年、治安維持法違反で検挙。その後、生家の住職、また京都市史編纂に参加。 戦後、日本史研究会創設に参加。また1966年には部落問題研究所理事長兼所長に就任し、文化厚生会館問題によって奈良本辰也・林屋辰三郎・原田伴彦らが去った後の研究所再建に尽力。
半田義之(はんだ よしゆき、1911年7月2日 - 1970… 半田義之(はんだ よしゆき、1911年7月2日 - 1970年8月1日)は、日本の小説家である。神奈川県横浜市保土ヶ谷出身。 旧制前橋中学(現群馬県立前橋高等学校)中退後、国鉄の職員として働く傍ら、同人誌に創作を発表する。「文藝首都」の1939年6月号に掲載した「鶏騒動」で第9回芥川龍之介賞を受賞した。受賞後は国鉄を退職し、菊池寛が編集長だった「日本映画」の記者となる。 戦後は日本共産党に入党。国鉄の労働運動に参加し、日本共産党系の『民主文学』などに小説を発表したが、1970年に59歳で自殺した。
位野木 益雄(いのき ますお、1911年 <明治44年> 7… 位野木 益雄(いのき ますお、1911年 <明治44年> 7月2日 - 2000年 <平成12年> 2月15日)は、日本の裁判官、弁護士。 専門は、民事。主に行政事件を担当。元福岡高等裁判所長官。位階は正三位。 香川県三豊郡観音寺町(現 観音寺市観音寺町)出身。旧制香川県立三豊中学校、 旧制松山高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業。 1935年(昭和10年)東京帝国大学卒業。司法官試補を経て、1936年(昭和11年)判事任官。1937年(昭和12年)京都地方裁判所判事、大阪地方裁判所判事、1942年(昭和15年)東京民事地方裁判所判事を務める。 東京民事地方裁判所判事時に「労音入場税問題」では、入場税を支払えと全国に先駆けて判決したことで知られている。
真藤 恒(しんとう ひさし、1910年7月2日 - 2003… 真藤 恒(しんとう ひさし、1910年7月2日 - 2003年1月26日)は、日本の実業家。福岡県久留米市出身。石川島播磨重工業(現:IHI)の社長、電電公社の最終代総裁、NTT初代社長・会長を務めた。また、ドクター合理化の異名を取った。 中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)卒業。1934年春、九州帝国大学工学部造船学科を卒業後、播磨造船所(後の石川島播磨重工業)に入社。戦後はアメリカの「海運王」、ダニエル・ラドウィックと手を組み、当時としては画期的な手法で数々の船舶を建造し、専門の船ではそれまでの常識を破った「ズングリムックリ」型のタンカーを考え出したり、従来の貨物船が一隻ごとにオーナーと仕様を決めるオーダーメイドであったのを、あらかじめ造船所が主要スペックを決めてカタログ販売する標準船を世に送り出した。
正木 茂(まさき しげる、1910年7月2日 - 1980年… 正木 茂(まさき しげる、1910年7月2日 - 1980年8月28日)は、昭和時代の日本の洋画家。 1910年7月2日、徳島県美馬郡脇町(現・美馬市)に生まれる。1929年、大阪市立商業学校(後の大阪市立大学)を卒業する。1947年8月、脇町中学校助教諭となり、1953年3月休職。その後、徳島新聞の挿絵画家として活躍する。 大阪の川上拙以に入門し、契村と号して日本画を学ぶ。のちに油絵に転向し、東光会に入選する。東京へ出向し、東向会会員となる。「阿波の踊り子シリーズ」で第12回日展に入選し、特選候補にもあがる。日展会友。 1980年、東京で没する。70歳。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
野知 浩之(のち ひろゆき、1908年(明治41年)7月2日… 野知 浩之(のち ひろゆき、1908年(明治41年)7月2日 - 1994年(平成6年)9月9日)は、昭和期の農林技官、政治家。参議院議員(1期)、農学博士。 福島県出身。1935年(昭和10年)東京帝国大学農学部を卒業した。 福島県農地部耕地課長、農林省農地局開墾建設課長、同かんがい排水課長、農林省仙台農地事務局長などを歴任した。 1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙で全国区に自由民主党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。この間、参議院農林水産委員長などを務めた。 その他、全国土地改良事業団体連合会顧問、全国農業土木技術連盟顧問、全国農業土木コンサルタンツ顧問などを務めた。
宝生 弥一(ほうしょう やいち、1908年(明治41年)7月… 宝生 弥一(ほうしょう やいち、1908年(明治41年)7月2日 - 1985年(昭和60年)3月11日)は、ワキ方宝生流(下掛宝生流)の能楽師。元の名は光本弥一郎。 愛媛県松山市のワキ方下掛宝生流能楽師・光本敬一の長男として生まれる。1918年に上京し、下掛宝生流家元宝生新に入門する。翌年、「小鍛冶」の大臣役で初舞台を踏む。1923年、関東大震災に遭い、松山に帰郷する。1931年、法政大学専門部商業科を卒業する。1933年、宝生新の次女と結婚する。その後、宝生家に入籍し、宝生姓を名乗る。1944年、宝生新の死に伴い、宝生彰彦の家元後見となる。 1970年以降、芸術祭優秀賞・紫綬褒章・芸術選奨文部大臣賞、1980年には日本芸術院賞を受賞。
石川 達三(いしかわ たつぞう、1905年〈明治38年〉7月… 石川 達三(いしかわ たつぞう、1905年〈明治38年〉7月2日 - 1985年〈昭和60年〉1月31日)は、日本の小説家。社会性の濃い風俗小説の先駆者で、『蒼氓』により第1回芥川賞受賞。華中従軍から得た『生きてゐる兵隊』は発禁処分を受けた。戦後は、新聞小説や社会における個人の生活、愛、結婚をテーマにした作品でベストセラーを連発。書名のいくつかは流行語にもなった。記録的手法に拠る問題意識の明確な作風が特徴。社会的・文壇的活動も活発で、日本ペンクラブ会長、日本文芸家協会理事長、日本文芸著作権保護同盟会長、アジア・アフリカ作家会議東京大会会長などを務めた。日本芸術院会員。 秋田県平鹿郡横手町(現・横手市)に父石川祐助、母ウンの三男として生まれる(兄弟妹は7人、のち異母弟妹4人)。
泉井 久之助(いずい ひさのすけ、1905年7月2日 - 1… 泉井 久之助(いずい ひさのすけ、1905年7月2日 - 1983年5月28日)は、日本の言語学者。京都大学を中心に、第二次世界大戦前後に活動した。 (出典:堀井令以知「泉井久之助先生 (1905-1983)」『言語研究』1983年1に所収) 月刊『言語』(大修館書店刊行)が、1977年5月号で当時の著名な言語学者に「かつて最も印象深く読まれた言語学及び言語論の図書を三点挙げていただき、簡単な感想をつけて」もらう特集を組んだ。泉井はそれに、以下の3点を挙げている。(なお感想も省略して付記する) なお、泉井は最後のメイエ『印欧語比較研究入門』を臨終の直前まで手放さず、4回目の購入本を使用していたという。
日沖 憲郎(ひおき のりお、1903年7月2日 - 1993… 日沖 憲郎(ひおき のりお、1903年7月2日 - 1993年4月8日)は、日本の刑法学者、裁判官、弁護士、法学博士。 三重県出身。小野清一郎らに師事、刑法学者として改正刑法準備草案、ついで改正刑法草案の作成に関わる。戦後政財界の主な汚職事件で弁護団に参加、ロッキード事件では全日空の若狭得治の主任弁護士として活動した。訳書にイェーリング著『権利のための闘争』(岩波文庫)がある。
中嶋 光矢(なかじま みつや、1903年 <明治36年> 7… 中嶋 光矢(なかじま みつや、1903年 <明治36年> 7月2日 - 1989年 <平成元年> 11月10日)は、日本の経営者。日本短波放送社長を務めた。位階は正五位。 山形県出身。1930年に京都帝国大学法学部英法学科を卒業し、同年に日本経済新聞社に入社。1949年3月に取締役に就任し、1956年2月に常務を経て、1965年5月には日本短波放送社長に就任。1976年6月に最高顧問に就任。 1974年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1989年11月10日老衰のために死去。86歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
三角 寛(みすみ かん、みすみ ひろし、1903年(明治36… 三角 寛(みすみ かん、みすみ ひろし、1903年(明治36年)7月2日 - 1971年(昭和46年)11月8日)は、小説家、山窩(サンカ)作家、映画館経営者。本名は三浦守。僧名は釈法幢。 大分県直入郡岡本村大字枝字真米(現・竹田市大字枝字真米)に農家の4人姉弟の末子として生まれる。私生児であった。幼少期に父親と死別し、10歳で豊後大野市大野町田中の真宗系の最乗寺に預けられる。1922年春、19歳で地元から出奔。日本大学法科卒業と自称していたが、筒井功はこれを疑問視し「三角の最終学歴は、小学校卒であった可能性が強い」と述べている。 1926年(大正15年)3月、記者の手伝いをする雇員(非正規採用)待遇で朝日新聞社に入社し、サツ回り担当(取材記者)となる。
山内 恭彦(やまのうち たかひこ、1902年7月2日 - 1… 山内 恭彦(やまのうち たかひこ、1902年7月2日 - 1986年10月14日)は、日本の理論物理学者。東京大学名誉教授。理学博士(東京帝国大学、1938年)。神奈川県生まれ。祖父は山内堤雲(六三郎)。
淡野 安太郎(だんの やすたろう、1902年(明治35年)7… 淡野 安太郎(だんの やすたろう、1902年(明治35年)7月2日 - 1967年(昭和42年)9月28日)は、日本の哲学者。台北帝国大学助教授、東京大学教授、学習院大学教授を歴任。 兵庫県出身。京都帝国大学哲学科卒。台北帝国大学助教授、東京大学教養学部助教授、1957年教授、63年定年退官、学習院大学教授。専門はフランス哲学、社会思想史。