都築 忠彦(つづき ただひこ、1935年10月4日 - )は… 都築 忠彦(つづき ただひこ、1935年10月4日 - )は、日本のテレビプロデューサー。元日本テレビプロデューサー。愛知県出身。 日本テレビホールディングスのグループ企業である「NTVヨーロッパ」社長、顧問を歴任した。 『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の生みの親で、同番組には1978年の第1回から1991年の第14回まで携わった。 名古屋市立菊里高等学校を経て東京大学経済学部卒業後、1961年に日本テレビ入社。 担当した『11PM』の社会派名企画「巨泉・考える」シリーズの成功で注目される(1972年に第9回ギャラクシー賞・放送批評家賞を受賞)。 1977年に日本テレビ開局25周年記念番組の社内コンペがあり、都築は考えるシリーズの一つであった「世界の福祉特集」を下敷きとして企画化し、日本テレビに提案したところ、採用された。
桂 音也(かつら おとや、1935年10月4日 - 1978… 桂 音也(かつら おとや、1935年10月4日 - 1978年3月28日)は、上方落語の落語家(上方噺家)で、フリーアナウンサー。本名は今井 清之。 大阪府箕面市に生まれる[要出典]。 神戸大学法学部卒業後、1960年に朝日放送にアナウンサーとして入社した。スポーツ番組や歌番組、演芸番組を担当する。後輩の道上洋三、乾浩明らと落語研究会を作り趣味で落語を始めた、この会には客として桂米朝一門の3代目桂米朝、2代目桂枝雀(当時は桂小米)や漫才作家の三田純市らが見に来ていた。会では主に古典落語を演じていた、これがきっかけで桂枝雀の教えを乞うようになる。[要出典] 1967年に朝日放送を退職してフリーの司会者となる。
牧田 哲明(まきた てつあき、1935年10月4日 - 20… 牧田 哲明(まきた てつあき、1935年10月4日 - 2022年11月23日)は、日本の版画家(木版画)。自動車画家としても知られる。戦前生まれの世代ながら自動車レースやクラシックカーを題材に独自の木版画作品を制作、国内外に名を知られた。 1935年10月4日、愛知県豊橋市に生まれる。 豊橋市立豊城中学校から愛知県立時習館高等学校へ進学し、高校では美術部に所属して写実画家の野田弘志らと活動した。 愛知大学を卒業後、大阪や東京の商社勤務を経て故郷の豊橋に戻り、地元のデザイン会社にデザイナーとして勤務。その後、創作活動に専念するため独立し、自動車画家・版画家としてのキャリアを開始。独立後は各地の展覧会で作品を発表するとともに、自動車イベントのポスター制作や企業からの依頼作品も手掛けた。
松岡 満寿男(松岡 滿壽男、まつおか ますお、1934年〈昭… 松岡 満寿男(松岡 滿壽男、まつおか ますお、1934年〈昭和9年〉10月4日 - 2024年〈令和6年〉6月9日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(1期)、山口県光市長(3期)を務めた。 旧・満洲国生まれ。戦後、山口県光市にて育つ。満寿男の名は大叔父の松岡洋右が「満洲の満、ジュネーブ(寿府)の寿から名づけた。山口県立光高等学校全日制普通科卒業。早稲田大学政治経済学部卒業。 早稲田大学を卒業後、八幡製鐵(現日本製鉄)に勤めていたが、1971年(昭和46年)に父三雄が市長在職のまま急逝し、後任の光市長候補に担ぎ出され、36歳で初当選した。その後3回当選し、行政経験のない世襲の新米市長だったが多くの功績を残した。
鮎沢 成男(あゆざわ しげお、1932年10月4日 - 20… 鮎沢 成男(あゆざわ しげお、1932年10月4日 - 2004年2月11日)は、日本の経営学者。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、一橋大学大学院経済学研究科を修了した[要出典]。中央大学商学部教授を務め、1988年に同大学企業研究所所長となった。
高倉 公朋(たかくら きんとも、1932年〈昭和7年〉10月… 高倉 公朋(たかくら きんとも、1932年〈昭和7年〉10月4日 - 2019年〈令和元年〉5月2日)は、日本の医学者。専門は脳神経外科学。医学博士。東京大学名誉教授。東京女子医科大学名誉教授、元学長。 旧姓は河鰭。河鰭実英の三男として生まれる。東京出身。学習院高等科時代に高倉篤麿(元・子爵)の養子となる。
松本 三郎(まつもと さぶろう、1931年 <昭和6年> 1… 松本 三郎(まつもと さぶろう、1931年 <昭和6年> 10月4日 - 2009年 <平成21年> 3月5日)は、日本の国際政治学者。慶應義塾大学名誉教授。法学博士。専門は、中国外交、アジア国際政治学、東南アジア学。位階は従四位。 大日本帝国台北州生まれ。広東や東京で幼年期を過ごした後、1945年の東京大空襲をきっかけに愛媛県宇和島市に疎開。1950年、愛媛県立宇和島東高等学校卒業、同年東京大学理科Ⅱ類に入学。1954年、東京大学教養学部国際関係論科卒業。 1955年、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程入学。英修道に師事する。1963年、同博士課程修了。1975年、学位論文『中国の東南アジアに対する政策』で慶應義塾大学より法学博士の学位を取得。
古賀 誠二(こが せいじ、1931年10月4日 - 2005… 古賀 誠二(こが せいじ、1931年10月4日 - 2005年9月30日)は、日本の銀行家。 福岡県出身。1954年に京都大学農学部を卒業し、同年に西日本相互銀行(のちの西日本銀行)に入行。 1977年6月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1986年6月に専務を経て、1992年6月に副頭取に就任し、1995年6月には頭取に昇格。2000年6月に会長に就任し、2002年6月には相談役に就任。 2005年9月30日肝不全のために死去。73歳没。
牧野 洋一(まきの よういち、1931年10月4日 - )は… 牧野 洋一(まきの よういち、1931年10月4日 - )は、日本の地方公務員。東京都副知事や、東京都国民健康保険団体連合会理事長、全国信用保証協会連合会会長を務めた。 1954年東京都立大学人文学部卒業。1966年東京都民生局副主幹。1968年東京都民生局厚生部調査課長。1969年東京都民生局厚生部企画課長。1971年東京都民生局総務部庶務課長。1973年東京都民生局主幹。1976年東京都政策室参事。1979年東京都民生局総務部長。1981年東京都福祉局次長。1983年東京都立大学事務局長。1987年東京都労働経済局長。1990年東京都企画審議室長。1991年東京都副知事。1995年東京のあすを創る協会会長。
神作 光一(かんさく こういち、1931年10月4日 - 2… 神作 光一(かんさく こういち、1931年10月4日 - 2025年9月11日)は、日本の歌人・国文学者。専門は平安朝文学。学位は、文学博士(東洋大学・論文博士・1979年)(学位論文「曽禰好忠集の研究」)。東洋大学名誉教授。元東洋大学学長。日本歌人クラブ名誉会長。短歌結社誌「花實」代表。市川市文化振興財団理事。子息は国文学者、国文学研究資料館教授の神作研一。 千葉県出身。1955年東洋大学文学部卒業。1961年同大学院文学研究科国文学専攻博士課程満期退学。1979年「曽禰好忠集の研究」で、東洋大学より文学博士の学位を取得。 同文学部助教授、教授、学長。2002年定年退任、名誉教授。 学長時代に現代学生百人一首を発起。
松浦 玲(まつうら れい、1931年(昭和6年)10月4日 … 松浦 玲(まつうら れい、1931年(昭和6年)10月4日 - )は、日本の歴史学者。専門は、日本近代政治史、政治思想史。広島県生まれ。 京都大学在学中の1953年(昭和28年)、全学連主催の学園復興会議の京大での開催に奔走した。しかしその過程で起こった荒神橋事件などの混乱の責任者とされ、大学当局による放学処分(復学を認めない除籍処分で退学より重い)を受けて中退(松浦君放学事件)。その後、立命館大学大学院を修了し、京都市史編纂所主幹から桃山学院大学教授に就任。 幕末・明治時代の政治史・思想史に関して多くの著書や論文がある。特に横井小楠および勝海舟の研究者として、高い評価を受けている。
木村 一夫(きむら かずお、1930年10月4日 - )は、… 木村 一夫(きむら かずお、1930年10月4日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。 桐生工業時代は1946年の夏の甲子園と1948年の選抜甲子園に出場。 日本大学、熊谷組を経て1955年に大阪タイガースへ入団。1年で退団し、地元の社会人野球チーム富士重工業の選手としてプレーを続けた。 1963年に富士重工業監督に就任。同年の都市対抗野球大会にも出場した。 1966年に監督を退任するが1974年から再び監督に就任し、1979年まで監督を務めた。 1989年に樹徳高校の監督に就任。1991年に夏の群馬大会を制し夏の甲子園初出場。翌1992年の夏の甲子園にも連続で出場した。
山内 一生(やまうち かずお、1929年10月4日 - 20… 山内 一生(やまうち かずお、1929年10月4日 - 2024年10月18日)は、愛知県西加茂郡小原村(現在の豊田市)出身の和紙工芸作家。戦後に小原村で和紙工芸を広めた藤井達吉に師事し、小原工芸紙(小原和紙)を代表する和紙工芸作家で小原和紙工芸の第一人者とされる。現・日工会名誉会長で、プロ野球選手の山内壮馬は親類。2004年には旧小原村(当時)の名誉村民となり、2017年12月に豊田市名誉市民に推挙された。名前の読みは「かずお」だが、作品を制作する際は一貫して「いっせい」を用いており、自身の工房も「山内いっせい(一生)工房」としている他、名誉市民推挙の際の豊田市の資料でも読みは「やまうち いっせい」となっている。
中江 利忠(なかえ としただ、1929年10月4日 - )は… 中江 利忠(なかえ としただ、1929年10月4日 - )は、日本のジャーナリスト。元朝日新聞社社長。
谷川 敏朗(たにかわ としろう、1929年10月4日 - 2… 谷川 敏朗(たにかわ としろう、1929年10月4日 - 2009年1月20日)は、日本の教育者、良寛研究者。 新潟県白根市(現在は新潟市南区)出身。1953年東北大学文学部卒。新潟県内や宮城県内において高校の教諭を務め、のち新潟大学人文学部や県立新潟女子短期大学で非常勤講師としても活動していた。地元新潟で生きた良寛に関する多くの伝記研究に加え、『定本良寛全集』(中央公論新社)など著作の書誌編纂、良寛に関する作品監修を行い、「全国良寛会」の常任理事を務めていた。 2009年、肺炎により没した。享年79。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
三木 申三(みき しんぞう、1928年10月4日 - 201… 三木 申三(みき しんぞう、1928年10月4日 - 2010年10月26日)は、日本の医師、政治家。徳島県知事(3期)、徳島県議会議員(3期)を歴任した。 徳島県麻植郡山川町(現在の吉野川市山川町)出身。旧制徳島県立麻植中学校(現在の徳島県立川島高等学校)を経て、1954年に徳島医科大学(現在の徳島大学医学部)を卒業。三菱鉱業大夕張炭鉱病院で勤務医を務めた後、郷里の山川町で医院を開業した。 1967年徳島県議会議員に初当選し、以来連続3期当選した。1977年知事選に出馬するが惜敗。1981年知事選で雪辱を果たした。1981年10月9日から1993年10月4日まで3期12年間知事を務め、明石海峡大橋の工事計画や橘湾石炭火力発電所の稼働など多くの実績を残した。
藤縄 昭(ふじなわ あきら、1928年10月4日 - 201… 藤縄 昭(ふじなわ あきら、1928年10月4日 - 2013年1月29日 )は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。学位は、医学博士(京都大学・1959年)。京都大学名誉教授。国立精神・神経センター精神保健研究所所長などを歴任。 兵庫県神戸市生まれ。京都大学精神科において村上仁教授のもとで精神病理学を学んだ。加藤清、笠原嘉、木村敏らと共に研究を行い、『京都学派』を形成した。 1928年兵庫県神戸市生まれ。1953年京都大学医学部医学科卒業。1960年四日市日永病院、三重県立大学医学部講師。1959年京都大学より医学博士の学位を取得。1976年京都大学教養部教授。1977年-1983年文部省在外研究によりウィーン大学、ミュンヘン大学精神医学教室出張。
緒方 規矩子(おがた きくこ、1928年(昭和3年)10月4… 緒方 規矩子(おがた きくこ、1928年(昭和3年)10月4日 - 2025年(令和7年)2月7日)は、日本の舞台衣裳デザイナー。 東京府日本橋生まれ。京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)図案科に学ぶ。在学中から演劇に傾倒し、クラスメートの田中一光や橋本潔等と「アトリエ座」という劇団を作り、美大卒業と同時に新たな劇団「喜劇座」を起こす。 鐘紡勤務をへて、舞台衣裳デザイナーとしては1952年(昭和27年)関西歌劇団の『椿姫』でデビュー。以後、妹尾河童に招かれ上京。1955年(昭和30年)栗山昌良演出の『道化師』と『カヴァレリア・ルスティカーナ』の衣裳デザインで東京デビュー。1957年(昭和32年)外山雄三、岩城宏之、林光、妹尾河童、栗山昌良、佐々木忠次と“スタッフ・クラブ”を結成。
伊藤 晃(いとう あきら、1927年10月4日 - 2008… 伊藤 晃(いとう あきら、1927年10月4日 - 2008年3月8日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。國學院大學名誉教授。 愛知県生まれ。1956年東京大学文学部仏文科卒業。同大学院修士課程修了、國學院大學文学部助教授、教授。1998年定年退任、名誉教授。 言語学、歴史学などの翻訳多数。
中村 紀夫(なかむら のりお、1927年10月4日 - 20… 中村 紀夫(なかむら のりお、1927年10月4日 - 2020年1月27日)は、日本の医学者(医学博士)。専門は脳神経外科学。東京慈恵会医科大学名誉教授。藍綬褒章受章者。東京都神田淡路町出身。 父親の中村康(やすし、1898-1956)は、日本の視力検査法、検眼表、色盲検査表の発案に関わった日本医科大学眼科教授である。日本初の角膜移植手術を行い、後にアイバンクの設立に寄与している。 1951年に東京大学医学部附属病院に脳神経外科の外来部門が設置された曙期から、興隆期を経て最盛期に至る真只中で活躍した。「流水不濁、忙人不老」と題した1993年の定年退任記念講演では、「社会のニーズに応え、診療研究に全精力を傾倒し、その学識を次世代に伝え、医者冥利に尽きる」と述べている。
千葉 利雄(ちば としお、1926年10月4日 - 2009… 千葉 利雄(ちば としお、1926年10月4日 - 2009年2月5日)は、昭和から平成時代の労働運動家。日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連)副委員長。宮田義二鉄鋼労連委員長の政策ブレーン。 東京生まれ。1945年武蔵高等学校卒業、東京帝国大学経済学部に入学。文学青年であったが在学中に左傾化し、全日本石炭産業労働組合(全石炭)の工作員として石炭復興会議の事務局に勤務。1949年東京大学経済学部卒業。4月に共産党の指示もあって人事院事務官となるが、レッド・パージにあい退官。10月に共産党の指示で日本労働組合総同盟(総同盟)書記局調査部に入るが、総主事の高野実に傾倒して次第に共産党と距離をとった。
三和 完児(みわ かんじ、1926年〈大正15年〉10月4日… 三和 完児(みわ かんじ、1926年〈大正15年〉10月4日 - )はタレント、作詞・作曲家、音楽評論家。 本名は松岡寿夫(まつおか かずお)。ペンネーム:佃清風(つくだ せいふう)。 神奈川県横浜市出身。 東京府南葛飾郡吾嬬町(のち東京市向島区、現墨田区立花)にて鉄筋業 松岡工業(廃業)を経営していた松岡滋忠の子として、9人兄弟の長男として生まれる。 「司会の神様」の異名を持っていた。 1945年旧制日本大学第一中学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)を卒業。 1946年東邦楽劇団バンドマスターを経て、美空ひばり、江利チエミ、藤山一郎等の専属司会者として活動を始める。 1953年最初の民放テレビ「私も出まショー」のレギュラー司会となる。
久松 定成(ひさまつ さだなり、1926年10月4日 - 2… 久松 定成(ひさまつ さだなり、1926年10月4日 - 2008年4月3日)は、日本の農学者、昆虫学者。甲虫類の分類学的研究を主とし、愛媛大学農学部の講師・教授等を務めた。退官後は靖国神社崇敬奉賛会会長などを務めた。 東京府(現・東京都)生まれ。 成蹊小学校(23回生)、陸軍幼年学校(45期)、陸軍予科士官学校(60期)を卒業し、陸軍航空士官学校在学中に終戦を迎える。1952年、学習院大学文政学部政治学科、愛媛県立松山農科大学農学科(現愛媛大学農学部)を卒業。 愛媛大学農学部教務員、文部教官助手、講師、1991年10月より同学部環境昆虫学研究室第4代教授を歴任し、1992年3月定年退官。1991年12月、東京農業大学 農学博士 「Revisional Studies on the Family Eucnemidae of Japan(日本産コメツキダマシ科の分類学的研究) 」。
西島 和彦(にしじま かずひこ、1926年〈大正15年〉10… 西島 和彦(にしじま かずひこ、1926年〈大正15年〉10月4日 - 2009年〈平成21年〉2月15日)は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。京都大学名誉教授。茨城県土浦市生まれ。 大阪市立大学時代、中野董夫、マレー・ゲルマンら(独立)と素粒子の新しい規則性となる中野・西島・ゲルマンの法則を発見する。そのほかにも、多くの業績がある。生前、1960年と1961年、1964年、1966年 - 1970年にノーベル物理学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。 西嶋と中野は、それ以前から知られていた量子数(素粒子の特性)である電荷とバリオン数のほかに新しい量子数であるストレンジネスをもつことを示した。
山口 鶴男(やまぐち つるお、1925年〈大正14年〉10月… 山口 鶴男(やまぐち つるお、1925年〈大正14年〉10月4日 - 2015年〈平成27年〉8月3日)は、日本の政治家。総務庁長官(第15代)、衆議院議員(11期)、日本社会党書記長(第11代)、日本社会党国会対策委員長(第14代)、衆議院予算委員長、群馬県議会議員(2期)などを歴任した。位階は正三位。勲章は勲一等旭日大綬章。通称「ヤマツル」。 群馬県吾妻郡草津町生まれ。旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を経て、桐生高等工業学校(現群馬大学工学部)卒業。1946年前橋商業学校の教員となり、その後草津中学校に勤務する。教職員組合活動に取り組み、群馬県教組書記長となる。 1955年に群馬県議会議員選挙に立候補し当選。
大村 政男(おおむら まさお、1925年10月4日 - 20… 大村 政男(おおむら まさお、1925年10月4日 - 2015年10月31日)は、日本の心理学者。文学博士(日本大学・論文博士・1982年)。日本大学名誉教授。2006年瑞宝中綬章受章。 東京府出身。日本大学第二高等学校、日本大学法文学部心理学科卒業、同大学院修士課程修了。1982年「顕現性不安の構造に関する研究」で日本大学より文学博士の学位を取得。少年鑑別所にて鑑別技官を務めた後、日本大学文理学部教授、1996年定年、名誉教授。2006年瑞宝中綬章を叙勲。1995年 日本応用心理学会名誉会員、2000年 日本心理学会名誉会員。 血液型と性格の関係に懐疑的な立場で一連の論文や著作を発表した。
新井正男(あらい まさお、1925年10月4日 - 2019… 新井正男(あらい まさお、1925年10月4日 - 2019年1月6日)は、日本の法学者・弁護士。英米法学者。中央大学名誉教授。埼玉県熊谷市出身。 1949年司法試験合格。1950年、中央大学法学部卒業。1950年同大学院法学部助手(指導教授:守屋善輝)。この後、司法修習修了。1955年、同法学部助教授。1962年、中央大学法学部教授。1963年イギリス・ロンドン大学、アメリカ・ミシガン大学ロースクールに研究留学(~1965年)。1967年中央大学通信教育学部部長、1975年同日本比較法研究所長、1985年中央大学附属中学校・高等学校校長を歴任。1996年中央大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。
飯田 ふさ江(いいだ ふさえ、1925年〈大正14年〉10月… 飯田 ふさ江(いいだ ふさえ、1925年〈大正14年〉10月4日 - 没年不明)は日本の童謡歌手、女優。本名飯田房江。 1925年(大正14年)、東京市板橋区板橋町に生まれる。父は歌人の飯田莫哀。板橋第二小学校在学中に長谷基孝のもとで童謡を学び、コロムビア専属の童謡歌手となる。千代田高等女学校卒業後は宮川美子に師事、東洋音楽学校に入学するが太平洋戦争により音楽学校が閉鎖となったため1944年(昭和19年)東宝に参加、女優となる。1949年(昭和24年)ごろに第八軍法務部勤務の丸山晴次と結婚する。
徳島 秀一(とくしま ひでかず、1924年10月4日 - 2… 徳島 秀一(とくしま ひでかず、1924年10月4日 - 2007年2月28日)は、日本の経営者。日産化学工業社長、会長を務めた。 千葉県出身。1948年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日産化学工業に入社。1974年12月に取締役に就任し、1979年7月に常務、1983年7月に専務、1986年7月に副社長を経て、1992年6月には社長に就任。1996年6月から2000年6月までに会長を務めた。 2007年2月28日急性肺炎のために死去。82歳没。
馬場 正雄(ばば まさお、1923年 <大正12年> 10月… 馬場 正雄(ばば まさお、1923年 <大正12年> 10月4日 - 1986年 <昭和61年> 10月27日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(1962年)。元京都大学教授。位階は正四位。 滋賀県出身。京都大学経済学部卒、1962年「景気予測と企業行動」で経済学博士の学位を取得。和歌山大学講師、助教授、京都大学助教授、教授。1971年 - 1974年京都大学経済研究所所長、1986年に再任されるが、ほどなく63歳で死去。死没日付をもって正八位から従四位、正四位に進階し、勲二等瑞宝章を追贈された。
村田 健郎(むらた けんろう、1923年10月4日 - 20… 村田 健郎(むらた けんろう、1923年10月4日 - 2009年7月27日)は日本の理学者、情報工学者。TAC (コンピュータ)開発、日立製作所で電子計算機の国産化HITAC5020開発、HITAC8800(東京大学大型計算機センターの2号機)開発、1973年頃から数値計算分野、帯行列固有値解析の新算法の開発、元神奈川大学教授。
武末 悉昌(たけすえ よしまさ、1922年10月4日 - 1… 武末 悉昌(たけすえ よしまさ、1922年10月4日 - 1998年6月2日)は、福岡県出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 名前は、悉昌を音読みして「しっしょう」とも称した。 福岡県筑紫郡の農家の家系に生まれる。父が農業を継がせようとする両親(武末にとっては祖父母にあたる)に反発して家を出奔して銀行員となったため、1人残った武末は祖父母からの迫害を受けることになった。旧制筑紫中学(現:福岡県立筑紫丘高等学校)を卒業後、親類から逃れて野球を続けるために旧満州に渡り、大連高等商業学校を経て、満協中央銀行に入る。その後、1944年に召集令状を受け取り、関東軍に経理将校として召集される。
広野 寛(廣野、ひろの ゆたか、1921年 <大正10年> … 広野 寛(廣野、ひろの ゆたか、1921年 <大正10年> 10月4日 - 2006年 <平成18年> 5月19日)は、日本の経営者、銀行家。滋賀銀行頭取を務めた。位階は正五位。 滋賀県出身。1944年に京都帝国大学経済学部を卒業。日本銀行での勤務を経て、1954年10月に滋賀銀行取締役に就任し、1959年10月に常務、1963年10月に専務、1967年11月に副頭取を経て、1971年11月に頭取に就任。1979年6月に会長に就任し、1997年6月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2006年5月19日肺炎のために死去。84歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
半澤 良一(はんざわ りょういち、1920年(大正9年)10… 半澤 良一(はんざわ りょういち、1920年(大正9年)10月4日 - 1990年(平成2年)12月9日)は、日本の政治家。元千葉県館山市長(4期)。位階は従五位。 千葉県出身。旧制千葉県立安房中学校(現・千葉県立安房高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科に入る。翌年学徒動員で兵役に就く。1944年に大学を卒業。1946年復員と同時に帰郷し、家業の酒造会社を継いだ。1961年館山市教育委員、1968年千葉県教育委員、1972年館山市商工会議所会頭となる。 1974年館山市長選挙に保守系無所属で立候補し、当選。4期務める。就任当初、館山市は財政赤字で、財政改革を断行し、市の財政を黒字に転換した。
三枝 佐枝子(さいぐさ さえこ、1920年(大正9年)10月… 三枝 佐枝子(さいぐさ さえこ、1920年(大正9年)10月4日 - 2023年(令和5年)1月12日)は、日本の編集者、著述家。中央公論社編集局長、商品科学研究所所長などを務めた。旧姓、若尾。 若尾金造の三女として山梨県甲府市に生まれる。生家の若尾家は甲州財閥の中心的存在だった。 1938年東洋英和女学院高等部、1941年日本女子大学を卒業。1942年、同郷の三枝守雄と結婚。守雄は東大生時代に本郷追分のYMCAに寄宿していたことから佐枝子と知り合った。 守雄が気付いた新聞の三行広告をきっかけに、1946年4月に中央公論社に入社。 1958年9月、嶋中鵬二に代わって『婦人公論』編集長となり、日本で初めて商業誌の女性編集長となった。
竹内 潔(たけうち きよし、1920年10月4日 - 198… 竹内 潔(たけうち きよし、1920年10月4日 - 1984年8月21日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(2期)。三木派。従四位勲二等
向井孝(むかい こう/たかし、1920年10月4日 - 20… 向井孝(むかい こう/たかし、1920年10月4日 - 2003年8月6日)は、日本の詩人、社会運動家。 東京都出身。中央大学卒。1947年日本アナキスト連盟に加盟。1952年WRI(戦争抵抗者インター)に参加、1956年WRI日本部書記。「自由連合」「イオム通信」を発行。詩誌「コスモス」同人。
樋口 善典(ひぐち よしのり、1920年10月4日 - 20… 樋口 善典(ひぐち よしのり、1920年10月4日 - 2006年11月23日)は、日本の経営者。共同印刷社長、会長を務めた。 福岡県出身。1938年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に第一銀行に入行。1969年1月に取締役に就任し、第一勧業銀行でも務め、1971年10月常務就任、1973年4月に清和興業社長を経て、1975年8月に共同印刷副社長に就任し、1977年8月には社長に昇格。1988年6月に会長に就任し、1992年6月には相談役に就任。 1986年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2006年11月23日肺炎のために死去。86歳没。
北村 文男(きたむら ふみお、1920年10月4日 - 19… 北村 文男(きたむら ふみお、1920年10月4日 - 1993年1月14日)は、将棋棋士、囲碁棋士。三重県鈴鹿市出身。将棋では板谷四郎九段門下。日本将棋連盟棋士番号76。囲碁では関西棋院中部総本部所属のプロ三段、伊神肇六段(関西棋院中部総本部代表)門下。 現代の棋士制度上での、唯一の、囲碁・将棋双方のプロ棋士であった。 早稲田大学卒業後、教員の傍ら、1948年10月の第2回全日本アマチュア将棋名人戦で三重県代表として出場し優勝。1950年の第4回では西日本代表(西名人)となり全国準優勝。 その後、1956年に奨励会初段試験に合格し同年奨励会「予備クラス」に入り、当時順位戦から陥落して「予備クラス」入りしていた浅沼一、後に棋士となる木村嘉孝・内藤國雄・佐伯昌優・伊達康夫らを相手に、内藤に1敗のみの11勝1敗の成績で1期で昇段を決め、翌1957年に四段昇段。
小川 アンナ(おがわ アンナ、1919年10月4日 - 20… 小川 アンナ(おがわ アンナ、1919年10月4日 - 2015年7月24日)は、静岡県庵原郡富士川町(現:富士市)生まれの詩人。女性。本名は芦川 照江(あしかわ てるえ)。日本現代詩人会会員。
林屋 永吉(はやしや えいきち、1919年10月4日 - 2… 林屋 永吉(はやしや えいきち、1919年10月4日 - 2016年5月18日)は、日本の外交官。スペイン大使。 京都府宇治市出身。歴史学者林屋辰三郎の実弟。 1941年3月、大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)本科西語部を卒業後、同年4月24日付けで外務省留学生を命ぜられ、スペイン・サラマンカ大学で学んだ。後年に駐ボリビア大使、駐スペイン大使を務めた。 ユカタン半島・マヤ文明の「ポポル・ヴフ」(中央公論社)や「大航海時代叢書」(岩波書店)の訳者でもある。メキシコのノーベル文学賞作家オクタビオ・パスと交友があり、スペイン語版の松尾芭蕉「おくのほそ道」を共訳した。レアル・アカデミア・エスパニョーラの準会員(correspondientes)になった。
福井 謙一(ふくい けんいち、1918年10月4日 - 19… 福井 謙一(ふくい けんいち、1918年10月4日 - 1998年1月9日)は、日本の化学者。京都大学・京都工芸繊維大学名誉教授。日本学士院会員、ローマ教皇庁科学アカデミー会員、全米科学アカデミー外国人客員会員。工学博士。奈良県奈良市出身(大和郡山市出身の説もある)。大阪市西成区育ち。
宮之原 貞光(みやのはら さだみつ、1917年10月4日 -… 宮之原 貞光(みやのはら さだみつ、1917年10月4日 - 1983年10月29日)は、日本の政治家。日本社会党参議院議員(2期)。日本教職員組合中央執行委員長。龍郷町名誉町民。 鹿児島県大島郡龍郷町生まれ。戸口小学校から鹿児島県立大島中学校 (旧制)に進学し卒業。1938年鹿児島県師範学校(現・鹿児島大学教育学部)卒。鹿児島県内の小中学校の教員となる。鹿児島県教職員組合から日本教職員組合に入り、書記次長、書記長、副委員長を経て、1962年に中央執行委員長に就任した。1971年の第9回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。2期務める。国会内では建設委員長、公害及び交通安全対策特別委員長などを歴任した。
藤波 恒雄(ふじなみ つねお、1917年10月4日 - 19… 藤波 恒雄(ふじなみ つねお、1917年10月4日 - 1988年4月8日)は、日本の通商産業技官。科学技術事務次官を経て、日本原子力研究所理事長、日本原子力学会会長などを歴任した。 山梨県出身。1938年第八高等学校理科甲類卒業。1940年東京帝国大学工学部卒業、電気庁入庁。1955年通商産業省公益事業局公益事業調査課長。1956年科学技術庁原子力局管理課長。1965年通商産業省公益事業局技術長。1967年科学技術庁原子力局長。1968年科学技術事務次官、国防会議幹事。1969年放射線審議会委員、海洋科学技術審議会委員、航空技術審議会委員。 1972年電力中央研究所理事。1974年電源開発調整審議会委員。
鈴木 鎮郎(すずき しずお、1916年〈大正5年〉10月4日… 鈴木 鎮郎(すずき しずお、1916年〈大正5年〉10月4日 - 2006年〈平成18年〉3月10日)は、日本の経営者。三楽オーシャン((現在のメルシャン)社長、会長を務めた。東京都出身。 1939年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に昭和酒造(のちの三楽オーシャン)に入社。1946年に取締役に就任し、1958年に常務、1970年に専務を経て、1977年には社長に就任。1985年に会長、1987年に取締役相談役を経て、1988年には相談役に就任。 1980年に藍綬褒章を受章し、1986年に勲三等瑞宝章を受章。 2006年3月10日、心不全のために死去。89歳没。
河村 勝(かわむら かつ、1915年(大正4年)10月4日 … 河村 勝(かわむら かつ、1915年(大正4年)10月4日 - 2001年(平成13年)1月30日)は、日本の政治家。
山川 邦夫(やまかわ くにお、1915年10月4日 - 19… 山川 邦夫(やまかわ くにお、1915年10月4日 - 1966年10月24日)は、日本の内科学者、医学博士。専門は循環器病学。東京都生まれ。父は内科学者の山川章太郎。弟は生化学者で東京大学名誉教授の山川民夫。姪は科学ジャーナリストの大熊由紀子。義従弟(母の妹の長女の夫)は佐々学。
大津 慶吾(おおつ けいご、1914年(大正3年)10月4日… 大津 慶吾(おおつ けいご、1914年(大正3年)10月4日 - 1990年(平成2年)1月15日)は、日本の実業家。元北海道放送会長。 1914年(大正3年)10月4日、北海道函館市に生まれる。 1949年(昭和24年)、法政大学を卒業。 1951年(昭和26年)、北海道新聞東京総局長の野口小太郎の推薦により、北海道放送に入社。1961年(昭和36年)、取締役に就任。1964年(昭和39年)常務に就任。1975年(昭和50年)、副社長に就任。1979年(昭和54年)、社長に就任。1984年(昭和59年)、会長に就任。 1990年(平成2年)1月15日、死去、75歳没。 1988年(昭和63年)に第26回衣笠賞を受賞している。
伏見 博英(ふしみ ひろひで、1912年〈大正元年〉10月4… 伏見 博英(ふしみ ひろひで、1912年〈大正元年〉10月4日 - 1943年〈昭和18年〉8月21日)は、日本の皇族、華族、海軍軍人。第二次世界大戦時に太平洋戦線で戦死。最終階級は海軍少佐。爵位は伯爵。臣籍降下以前の名は博英王(ひろひでおう)。 1912年10月4日に誕生。伏見宮博恭王の第4王子。香淳皇后(昭和天皇后)の再従弟にあたる。 海軍兵学校(第62期)卒業。同期に同じく戦死した皇族軍人の音羽正彦少佐など。 最上級生のときは、ノーブルな雰囲気ながらも下級生が何かヘマをやろうものなら「待て! 貴様!」と鉄拳をふるう、やや御気性の荒っぽい宮様だったという。 1932年(昭和7年)10月3日、貴族院皇族議員に就任。
豊錦 規矩雄(とよにしき きくお、1912年10月4日 - … 豊錦 規矩雄(とよにしき きくお、1912年10月4日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。井筒部屋→九重部屋→朝日山部屋所属。本名は上田 菊男(うえだ きくお)。最高位は東十両8枚目。得意技は突っ張り、右四つ、寄り。 大分県宇佐市出身。井筒部屋に入門し、1927年1月場所に初土俵を踏む。その後、同郷の大関・豊國福馬が独立した際に九重部屋に移籍した(その後朝日山部屋に移籍)。1934年1月場所に十両に昇進したが、2場所続けて負け越し、幕下に陥落。「祝洋」に改名後の1937年1月場所に廃業した。