高橋 俊龍(たかはし しゅんりゅう、1932年3月9日 - … 高橋 俊龍(たかはし しゅんりゅう、1932年3月9日 - 2019年2月18日)は、日本の地方公務員。東京都港湾局長や、東京都副知事、東京都競馬代表取締役社長、ゆりかもめ代表取締役社長などを歴任した。 山形県西置賜郡白鷹町出身。山形県立長井高等学校を経て、1954年東京教育大学教育学部卒業。1966年中央区教育委員会事務局社会教育課長。1967年中央区教育委員会事務局学務課長。1969年中央区総務部財務課長。1971年東京都総務局人事部給与課長。1972年東京都総務局人事部調査課長。1976年東京都監察員。1977年東京都公害局参事。1979年東京都総務局勤労部長。1982年東京都総務局総務部長。
今井 和也(いまい かずや、1931年3月9日[要出典] -… 今井 和也(いまい かずや、1931年3月9日[要出典] - 2019年10月24日)は、日本の広告宣伝プロデューサー。1960年代、株式会社レナウン宣伝部在職時に、テレビCMを担当。「イエイエ」をはじめとするテレビCMで一時代を築き、日本における「CM元年」をプロデュースした人物。東京都出身、東京大学文学部美学美術史学科卒業。 東京都自由が丘で、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)を卒業した父・秀雄と、女子美術専門学校を卒業した母・テイの長男として生まれた。清水組(現在の清水建設)に建築設計士として勤務していた父がハルビン工業大学の教授になったことを契機に、1937年、小学校1年の時に父母、姉と4人の一家でハルビンに移住。
篠田 正浩(しのだ まさひろ、1931年3月9日 - 202… 篠田 正浩(しのだ まさひろ、1931年3月9日 - 2025年3月25日)は、日本の映画監督。株式会社表現社代表取締役、早稲田大学特命教授、日本中国文化交流協会代表理事、城西国際大学メディア学部客員教授。 岐阜県岐阜市生まれ。梅林小学校、岐阜県立加納高等学校、早稲田大学第一文学部卒業後、松竹に入社。1960年代にかけて大島渚、吉田喜重とともに松竹ヌーヴェルバーグの旗手と呼ばれた。 早々に会社と衝突して独立した二人と異なり、松竹にしばらく残った後、1966年にフリーになる。翌年に独立プロダクションの株式会社表現社を設立。前衛的作品も辞さない大島や吉田に比べ、篠田は平易なサービス精神も持ち合わせており、独立後の1960年代後半から1970年代前半は『心中天網島』(1969年)や『無頼漢』(1970年)などの先鋭的な作品を独立プロから連発したが、1970年代後半からは『はなれ瞽女おりん』(1977年)や『鑓の権三』(1986年)などの大手映画会社配給の大作が多く、『鑓の権三』ではベルリン国際映画祭の銀熊賞 (芸術貢献賞)を受賞した。
厚木 淳(あつき じゅん、1930年3月9日 - 2003年… 厚木 淳(あつき じゅん、1930年3月9日 - 2003年5月19日)は、日本の翻訳家、編集者。厚木氏の末裔。 東京市日本橋生まれ。成城高等学校 (旧制)を経て、1952年、旧制京都大学経済学部2年在学中に創元社入社。1953年に同大学を卒業。東京創元社で編集者として『世界推理小説全集』などを担当。1959年、創元推理文庫を創刊。1963年、創元推理文庫にSF部門を設ける。編集者として働く傍ら、100冊近い翻訳も手がけた。 宮田昇は著書で「長身白皙の容姿に加えて、老人キラーといわれてもよい、育ちのよさから来る礼儀ただしさ、しかも裏表のないまっすぐな生一本さがあった」と回想している。 1967年取締役編集部長、編集顧問を経て、1981年に東京創元社を退職。
濱尾 文郎(はまお ふみお、1930年3月9日 - 2007… 濱尾 文郎(はまお ふみお、1930年3月9日 - 2007年11月8日)は、日本の枢機卿。洗礼名はステファノ。東京市出身。 子爵濱尾四郎の3番目の息子として東京で生まれた。家族は神道と仏教を信仰していたが、母が1942年にカトリックに改宗してから後の1946年に、文郎と兄の濱尾実は洗礼を受けた。 一橋大学社会学部および東京カトリック神学院卒業。上智大学大学院神学研究科修士課程を経て、1951年から1958年までローマの教皇庁立ウルバノ大学およびグレゴリアン大学に留学する。ウルバノ大学で哲学修士および神学修士の学位を取得、グレゴリアン大学で教会法学博士の学位を取得する。1957年12月21日ローマで司祭に叙階された。
ロイ・ジェームス(Roy James、1929年3月9日 -… ロイ・ジェームス(Roy James、1929年3月9日 - 1982年12月29日)は、日本のタレント、俳優、コメンテーターである。出生名はハンナン・サファ(タタール語: Габделхәннан Сафа)。1971年に日本国籍を取得し、六条 祐道に改名。1975年に結婚し湯浅姓となる。 1929年3月9日、東京市下谷区(現・東京都台東区)に生まれる。 出自は、ロシア革命後にロシアから日本へと亡命してきたいわゆるカザン・タタール人(カザン・トルコ人)である。父親のアイナン・ムハンマド・サファ(Ainan Muhammad Safa、1898年12月23日 - 1984年1月9日)は、ウラル山脈の西にある都市ペルミ出身で、戦後、東京回教寺院(現在の東京ジャーミイ)の導師イマームを勤めた経験もある人物。
田辺 哲夫(たなべ てつお、1929年3月9日 - 1995… 田辺 哲夫(たなべ てつお、1929年3月9日 - 1995年8月8日)は、日本の法律家、政治家。弁護士、元参議院議員(2期)。
本多 正道(ほんだ まさみち、1929年3月9日 - 200… 本多 正道(ほんだ まさみち、1929年3月9日 - 2007年7月5日)は、日本の経営者。不二越社長、会長を務めた。 富山県出身。1953年に京都大学法学部を卒業し、同年に不二越に入社。1979年に取締役に就任し、1987年2月に常務、1989年2月に専務を経て、1993年2月には社長に就任。1998年2月に会長に就任。 2007年7月5日心不全のために死去。78歳没。
西川 杏太郎(にしかわ きょうたろう、1929年(昭和4年)… 西川 杏太郎(にしかわ きょうたろう、1929年(昭和4年)3月9日 - 2023年(令和5年)2月24日)は、日本の美術史研究者。専門は日本彫刻史、文化財保存学。父は、書家で昭和の三筆の一人に数えられた西川寧。 東京市(現墨田区)向島の生まれ。1950年(昭和25年)、慶應義塾大学文学部文学科(芸術学専攻)卒業。翌年、文化財保護委員会(現・文化庁)に入り、文化財保護部美術工芸課長、文化財調査官、東京国立博物館次長を経て、1987年(昭和62年)4月、奈良国立博物館館長、91年東京国立文化財研究所の所長を歴任。退官後に、横浜美術短期大学学長、神奈川県立歴史博物館館長。 2023年2月24日、心不全のため死去。
土方 巽(ひじかた たつみ、1928年〈昭和3年〉3月9日 … 土方 巽(ひじかた たつみ、1928年〈昭和3年〉3月9日 - 1986年〈昭和61年〉1月21日)は、日本の舞踊家、振付家、演出家、俳優。暗黒舞踏の創始者として、国際的に知名度の高い舞踊家である。 『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』土方巽 著、吉増剛造 筆録(書肆山田、1992年) あんま(1963年・2007年、白黒、20分) バラ色ダンス(1965年・2007年、白黒、13分)
片方 善治(かたがた ぜんじ、1928年3月9日 - )は、… 片方 善治(かたがた ぜんじ、1928年3月9日 - )は、日本の電気技術者、電気通信学者、システム工学者、文筆家、翻訳家。成安造形大学名誉教授。 情報文化学会会長、名誉会長。高崎商科大学客員教授、金城学院大学特任教授、日本DEVNET協会会長。 専門の電気通信以外にも、ビジネス書、子供向け、伝記、英語、酒、話し方、仏教などについて多くの一般向け著作をなしている。 書道の雅号は片方 大幹。 岩手県北上市生まれ。 カーネギーメロン大学卒業後、同大学院電子工学専攻修士課程修了、コロンビア大学大学院通信システム工学専攻修士課程修了。1966年「狭帯域符号化変調方式に関する研究」で北海道大学工学博士。日本電信電話公社勤務、1960年同計画局のち、工学院大学講師、1969年助教授。
上田 耕一郎(うえだ こういちろう、1927年〈昭和2年〉3… 上田 耕一郎(うえだ こういちろう、1927年〈昭和2年〉3月9日 - 2008年〈平成20年〉10月30日)は、日本の政治家。日本共産党中央委員会名誉役員。長く参議院議員として活動するとともに、党宣伝局長、政策委員長、副委員長などを歴任した。日本共産党前議長の不破哲三(本名・上田建二郎)は実弟。 1927年(昭和2年)3月9日、教育評論家の上田庄三郎の長男として神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。 府立六中(現東京都立新宿高等学校)を経て、旧制一高へ入学した。 旧制一高在学中の1946年(昭和21年)に日本共産党へ入党する。1951年(昭和26年)、東京大学経済学部を卒業する。東大における日本共産党細胞一期生であり、大学卒業後に『中野新報』の記者として地域のオルグ活動へ従事し、いわゆる「中野懇談会」を足場に活躍した。
可部 恒雄(かべ つねお、1927年(昭和2年)3月9日 -… 可部 恒雄(かべ つねお、1927年(昭和2年)3月9日 - 2011年(平成23年)2月3日)は、日本の裁判官、弁護士、最高裁判所判事。位階は正三位。 広島県・可部寅蔵の二男。父・寅蔵は広島市猿猴橋町で呉服商を営んでいた。 旧制広島高師附属中学、旧制広島高校、東京大学法学部卒。1952年(昭和27年)判事補任官。水戸地裁所長、最高裁首席調査官、東京地裁所長等を経て、1988年(昭和63年)福岡高等裁判所長官に就任。 1990年(平成2年)から最高裁判所判事を務める。就任あいさつでは「重い職責を担うことになった。気力、体力、勇気をふりしぼり、困難にめげず、最後までがんばりたい」と述べた。 1997年4月2日の愛媛県靖国神社玉串料訴訟大法廷判決では三好達と共に国側主張を支持し反対意見を出した。
高橋 宗治郎(たかはし そうじろう、1927年 <昭和2年>… 高橋 宗治郎(たかはし そうじろう、1927年 <昭和2年> 3月9日 - 2015年 <平成27年> 12月26日)は、日本の経営者、銀行家。滋賀銀行頭取を務めた。位階は正五位。 京都府京都市出身。1947年4月に滋賀銀行に入行し、1950年には立命館大学経済学部を卒業。1978年6月に常務、1984年5月に専務を経て、1987年8月に副頭取に就任し、1989年6月には頭取に昇格。1997年6月に会長に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2015年12月26日、心不全のために死去。88歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
小林 昭三(こばやし しょうぞう、1927年3月9日 - 2… 小林 昭三(こばやし しょうぞう、1927年3月9日 - 2020年1月24日 )は、日本の法学者。早稲田大学名誉教授。名城大学大学院法学研究科講師。専門は憲法学・比較憲法学。 神奈川県出身。憲法改正の主唱者として、憲法学界のみならず政界や言論界にも広く影響を与えた[要出典]。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。
松尾 敏男(まつお としお、1926年3月9日 - 2016… 松尾 敏男(まつお としお、1926年3月9日 - 2016年8月4日)は、日本画家、日本芸術院会員、日本美術院理事長。
仲上 正信(なかうえ まさのぶ、1926年3月9日 - 19… 仲上 正信(なかうえ まさのぶ、1926年3月9日 - 1999年11月18日)は、日本の経営者。日鉄鉱業社長を務めた。 福岡県出身。1949年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に日鉄鉱業に入社。1979年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に専務、1987年1月に副社長を経て、同年6月には社長に就任。1993年6月に相談役に就任。 1999年11月18日肝癌のために死去。73歳没。
西川 富雄(にしかわ とみお、1926年3月9日 - 201… 西川 富雄(にしかわ とみお、1926年3月9日 - 2010年7月7日)は、日本の哲学者(ドイツ哲学)。立命館大学名誉教授。 1926年、京都府で生まれた。立命館大学文学部哲学科で学び、1950年に卒業。2010年7月7日、呼吸不全のため死去。 卒業後は、立命館大学で教鞭を執った。1991年、立命館大学名誉教授。1995年、学位論文『続・シェリング哲学の研究:「自然の形而上学」の可能性』を立命館大学に提出して文学博士号を取得。フリードリヒ・シェリングの哲学を研究対象とし、日本シェリング協会会長を務めた。2010年に死去。
塚田 茂(つかだ しげる、1926年(大正15年)3月9日 … 塚田 茂(つかだ しげる、1926年(大正15年)3月9日 - 2008年(平成20年)5月13日)は、日本の演出家、放送作家、構成作家、作詞家、タレント。東京府東京市(現・東京都特別区)豊島区池袋出身。血液型はB型。 東京府立商工学校(現・東京都立北豊島工科高等学校)卒。 太平洋戦争中の1945年2月に徴兵検査で第一種乙種合格、それを受けて翌3月に召集令状が来た。しかし、工科系学校に在籍する特権で2年の入営延期を認められ、日本無線に動員されるという形で勤務。その間に戦争は終結した。塚田は工科系の学生になったのは、特権が狙いだったとも話している。終戦後はしばらくの間、親類の時計店の居候となった。
中川 一郎(なかがわ いちろう、1925年〈大正14年〉3月… 中川 一郎(なかがわ いちろう、1925年〈大正14年〉3月9日 - 1983年〈昭和58年〉1月9日)は、日本の政治家。衆議院議員。自由民主党の派閥・自由革新同友会の領袖。正三位勲一等。 農林大臣(第49代)、農林水産大臣(初代)、科学技術庁長官(第35代)、原子力委員会委員長(第35代)。 「北海のヒグマ」と呼ばれ、タカ派議員として知られていた。財務大臣兼内閣府特命担当大臣(金融担当)などを務めた中川昭一は長男。参議院議員を務めた中川義雄は実弟。 北海道広尾郡広尾町に農業・中川文蔵、セイの長男として生まれた。祖父・五八郎の時代に富山県福光町から北海道の広尾郡広尾村にある山奥の開拓地に移住した農民の出である。
蜷川 譲(にながわ ゆずる、1925年3月9日 - 2014… 蜷川 譲(にながわ ゆずる、1925年3月9日 - 2014年7月9日)はフランス文学者、比較文学者、ロマン・ロラン研究家。 本籍は愛知県一宮市。台湾台北州基隆市に生まれる。愛知東海中学校卒。1948年早稲田大学政経学部卒業、同文学部大学院にて現代フランス文学を専攻。1954年渡欧、1957年帰国までパリ大学ソルボンヌにおいて学ぶ。日本福祉大学教授、早稲田大学講師などを務めた。1951年に兵藤正之助、金井光太郎らと日本ロマン・ロラン協会を創立。昭和30年代からは窪村らの参加を得て、東京の新宿(初期は毎月)、水道橋労音(年3回)、五反田(年2回)、吉祥寺(晩年は年2回)で、449回にわたり「ロマン・ロラン研究会」を主催した。
大谷 光紹(おおたに こうしょう、1925年(大正14年)3… 大谷 光紹(おおたに こうしょう、1925年(大正14年)3月9日 - 1999年(平成11年)12月24日)は、浄土真宗の僧で、浄土真宗東本願寺派第25世法主。東京都台東区の東京本願寺(現:浄土真宗東本願寺派本山東本願寺)住職。幼名は光養麿。雅号は愚苑。院号は無稱光院。法名は興如。上皇の従兄、今上天皇の従伯父に当たる。弟は大谷暢順、大谷暢顯、大谷光道。長男は大谷光見。 東本願寺第24世法主(のちに門首)・大谷光暢(闡如)の長男として誕生。母は久邇宮邦彦王の三女で香淳皇后の妹に当たる大谷智子。1934年(昭和9年)、真宗大谷派の法嗣(法主後継者)として得度。1946年(昭和21年)、京都大学文学部史学科を卒業し、その後、アメリカのハーバード大学やコロンビア大学等に留学。
井上 周八(いのうえ しゅうはち、1925年〈大正14年〉3… 井上 周八(いのうえ しゅうはち、1925年〈大正14年〉3月9日 - 2014年〈平成26年〉9月26日)は、日本の経済学者。専攻は農業経済学。立教大学名誉教授。チュチェ思想国際研究所名誉理事長。 マルクス経済学における地代論で知られる。立教大学在職中より北朝鮮と朝鮮労働党のチュチェ思想の宣伝工作に熱意を燃やし、日本におけるチュチェ思想宣伝の旗振り役として知られる。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
木村 万平(きむら まんぺい、1924年(大正13年)3月9… 木村 万平(きむら まんぺい、1924年(大正13年)3月9日 - 2014年(平成26年)7月11日)は、日本の社会科教師、教育者、市民活動家である。大韓帝国・京城府(現在の大韓民国・ソウル特別市)出身。木村 萬平は旧字体表記。 下記の作品の監督をした記録がある。 コミンテルン( - 1943年5月)
原條 あき子(はらじょう あきこ、1923年3月9日 - 2… 原條 あき子(はらじょう あきこ、1923年3月9日 - 2003年)は、日本の詩人。マチネ・ポエティクに属し、押韻定型詩を試みた。芥川賞作家池澤夏樹の母。声優の池澤春菜と起業家、投資家の池澤摩耶は孫。画家のSaya(摩耶の娘)は曽孫。 本名は山下澄。兵庫県神戸市に生まれる。兵庫県立第一高等女学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)を卒業後上京、日本女子大学に学ぶ。第2外国語として学んでいたフランス語の力をつけるためにアテネ・フランセに通い、福永武彦と知り合う。福永の誘いによって、マチネ・ポエティクの集まりに参加し、原條あき子の筆名を使用するようになる。1944年、女子大卒業直後に福永と結婚、1945年に長子夏樹をもうける。
松葉 昇(まつば のぼる、1922年3月9日 - 1995年… 松葉 昇(まつば のぼる、1922年3月9日 - 1995年10月26日)は、和歌山県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。1947年から1948年の登録名は旧姓の朝井昇。
前田純敬(まえだ すみのり、1922年3月9日-2004年2… 前田純敬(まえだ すみのり、1922年3月9日-2004年2月10日)は、日本の小説家。 鹿児島県平之町生まれ。東京外国語学校(現東京外国語大学)フランス語科卒業。在学中から『四季』などに詩を発表、太平洋戦争後、島尾敏雄のすすめで富士正晴らの同人誌『VIKING』に参加。1949年「夏草」で第22回芥川龍之介賞候補、『文藝春秋』に掲載される。その後筆を折り、『Cahier』に所属。ほか翻訳もした。息子は放送作家の松本尚久(和田尚久)。
金 重業(キム・ジュンオプ、ハングル: 김중업、1922年3… 金 重業(キム・ジュンオプ、ハングル: 김중업、1922年3月9日 - 1988年5月11日)は、大韓民国の建築家である。 1922年3月9日誕生。本貫は延安金氏(朝鮮語版)。父は金永弼、母は李英子であり、5男2女の家族の次男として生まれた。父は郡守であり、幼少期は江東・中和・成川などを転々とした。平壌の高校を卒業したのち横浜高等工業学校(現・横浜国立大学工学部)にて中村順平に師事し、ボザール様式建築を学んだ。1941年に同校を卒業したのち、松田平田設計にて3年勤務した。1944年に帰国したのち、朝鮮住宅営団(朝鮮語版)、朝鮮飛行機製作株式会社などを経て、1947年にはソウル大学校の助教授となった。
古家 武夫(ふるや たけお、1921年3月9日 - 2014… 古家 武夫(ふるや たけお、1921年3月9日 - 2014年7月14日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(投手)。
神山 清志(かみやま きよし、1921年3月9日 - 198… 神山 清志(かみやま きよし、1921年3月9日 - 1982年11月7日)は日本の新聞記者、作詞家。別名義に岡 きよし(おか きよし)、岡 久美子(おか くみこ)、岡 秋二(おか しゅうじ)、深山 しぐれ(みやま しぐれ)。 1921年(大正10年)、栃木県上都賀郡足尾町(現在の日光市足尾町)に生まれる。小学生の頃から詩作に取り組み、20歳の時には西條八十が主宰する詩誌『蝋人形』の同人として活動していた。戦後は引き続き高橋掬太郎に師事していたが、1948年(昭和23年)11月に毎日新聞社へ入社し足尾通信部を振り出しに宇都宮支局、佐野通信部に勤務。 1962年(昭和37年)、栃木県が主催した県民歌の歌詞募集で応募作が入選する(岡きよし名義)。
影井 梅夫(かげい うめお、1920年3月9日 - 2003… 影井 梅夫(かげい うめお、1920年3月9日 - 2003年7月4日)は、日本の外交官。法務省入国管理局長、外務省国際連合局長、駐イタリア特命全権大使、NTT特別参与などを歴任した。 鳥取県気高郡湖山村出身。武蔵高等学校尋常科、同校高等科文科甲組を経て、1941年高等試験外交科合格。同年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省入省。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 終戦連絡中央事務局連絡官を経て、1947年外交官補、叙二級。在マニラ日本政府在外事務所一等書記官、日本国とフィリピン共和国との間の賠償協定及び経済開発借款協定につき交渉し且つ署名する全権委員随員を経て、1956年在フィリピン日本国大使館一等書記官。
福尾 武彦(ふくお たけひこ、1919年3月9日 - 200… 福尾 武彦(ふくお たけひこ、1919年3月9日 - 2009年3月17日)は、日本の社会教育学者。 福島県出身。東京文理科大学卒、岩手大学教育学部助教授、1961年千葉大学教育学部助教授、教授、83年定年退官、名誉教授、大阪経済法科大学教授、89年退任。
金高 清吉(かねたか せいきち、1919年3月9日 - 19… 金高 清吉(かねたか せいきち、1919年3月9日 - 1960年2月16日)は、将棋棋士。贈八段。木村義雄十四世名人門下。千葉県天津小湊町(現・鴨川市)出身。 1946年、順位戦C級に参加し、成績上位のために六段へ跳び昇段。翌年にB級に昇段する。B級2組在籍のまま、1960年に逝去。 珍形、変形、手損等は気にしない棋風で、「悪力の金高」の異名があった。 海釣りが好きで、釣った魚のことをけなされると、闘志満々で戦ったという。 非常に酒が好きであり、清野静男、間宮純一との三人で「将棋界の三奇人」とよばれた。 将棋の現行規則においては、指し手に反則行為が生じた場合には反則を犯した対局者の即負けが規定されているが、かつては反則を定めた明文規定がなく、反則規定が設けられたのは昭和32年頃であった。
湯川 宏(ゆかわ ひろし、1918年3月9日 - 1986年… 湯川 宏(ゆかわ ひろし、1918年3月9日 - 1986年9月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(5 期)。 1918年、和歌山県海南市生まれ。和歌山県立和歌山中学校を経て第三高等学校文科甲類卒業。東京帝国大学法学部在学中、高等文官試験行政科試験に合格。大学卒業後、厚生省に入省した。短期現役海軍主計科士官(6期)を志願し、1941年4月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年8月、経理学校を卒業。飛龍に配属。第15警備隊勤務を経て、1942年8月、旭東丸主計長に就任。同年11月、主計大尉に進み、以後、第二軍需部部員、第四南遣艦隊スラバヤ連絡所長を歴任し同副官として敗戦を迎えた。1945年9月、海軍主計少佐に進む。
吉井 精三郎(よしい せいざぶろう、1917年3月9日 - … 吉井 精三郎(よしい せいざぶろう、1917年3月9日 - 1947年9月)は、日本の元バスケットボール選手である。 新潟県立新潟商業学校(現在の新潟県立新潟商業高等学校)に学び、強豪の籠球部(バスケットボール部)に所属した。 全日本の一員として1936年ベルリンオリンピックに出場した。 1964年東京オリンピックバスケットボール日本代表監督の吉井四郎は2歳下の弟。
中川 三郎(なかがわ さぶろう、1916年〈大正5年〉3月9… 中川 三郎(なかがわ さぶろう、1916年〈大正5年〉3月9日 - 2003年〈平成15年〉10月24日)は、「社交ダンスの父」と呼ばれる日本におけるモダンダンスの創始者。日本タップダンス界の祖。洋舞家。ニューヨーク市立大学シティカレッジ卒。大阪市出身。「日本のディスコの産みの親」とも呼ばれる。 「擬装の麗人」と呼ばれ、昭和の日本の興行界に一大センセーションを巻き起こした。妻は戦前にジャズ歌手として活躍した上村まり子。長男はタップダンサーの中川一郎(本名:大輔)。長女は女優でタップダンサーの中川弘子。次女は女優の中川姿子。三女は「スリー・チャッピーズ」の元メンバー、女優でタップダンサーの中川裕季子(女優当時の芸名:中川ゆき、本名:元子)。
原 良宗(はら よしむね、1915年〈大正4年〉3月9日 -… 原 良宗(はら よしむね、1915年〈大正4年〉3月9日 - 2004年〈平成16年〉9月22日)は、日本の政治家。島根県平田市(現・出雲市)長(5期)。位階は従四位。 島根県簸川郡平田町(のち平田市、現・出雲市)出身。1930年(昭和5年)、島根県立大社中学校(現・島根県立大社高等学校)中退。中退後は印刷所を経営。1941年(昭和16年)に島根合同印刷専務に就任し、のち報光社代表取締役となる。1955年(昭和30年)、平田市議会議員に当選する。1959年(昭和34年)、島根県議会議員選挙に平田市選挙区から自由民主党公認で立候補して初当選を果たした。県議を2期務めた後の1967年(昭和42年)、平田市長に当選する。
那須 宗一(なす そういち、1914年3月9日 - 1990… 那須 宗一(なす そういち、1914年3月9日 - 1990年9月10日)は、日本の社会学者。中央大学名誉教授。元淑徳大学学長。専門は、老人社会学、社会病理学、犯罪社会学。 和歌山県田辺市生まれ。1934年大阪府立浪速高等学校卒業。1937年東京帝国大学文学部社会学科卒業。1951年東洋大学文学部助教授、1953年中央大学文学部教授に就く。1958年中央大学文学部教授、1966年経済企画庁国民生活審議会委員、1972年東京都老人総合研究所副所長、日本老年学会理事、日本老年社会科学会会長。1984年中央大学を定年退職、名誉教授。淑徳大学学長。同学長在職中に死去。
望月 達夫(もちづき たつお、1914年(大正3年)3月9日… 望月 達夫(もちづき たつお、1914年(大正3年)3月9日 - 2002年(平成14年)8月21日)は、日本の実業家、登山家。和光証券(現・みずほ証券)副社長、新和光投信委託(現・アセットマネジメントOne)社長。日本山岳会名誉会員。 東京生まれ。1938年、東京商科大学(現・一橋大学)を卒業し、三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)に入社。 1941年から召集を受け、大日本帝国陸軍東部七十八部隊独立野戦高射砲第二十二中隊に配属され、キスカ島で書類作業に従事。1943年のキスカ島撤退作戦で北千島に逃れたものの、ソビエト連邦の捕虜となり、南樺太で通訳やソ連軍将校に英語を教える仕事などに従事した。1947年に復員。
徳野 大空(とくの たいくう、1914年〈大正3年〉3月9日… 徳野 大空(とくの たいくう、1914年〈大正3年〉3月9日 - 1974年〈昭和49年〉6月12日)は、群馬県安中市出身の書家。本名は徳野 輝雄(とくの てるお)。現代書芸、筆および墨の研究で知られる。 1914年(大正3年)、群馬県碓氷郡後閑村下後閑(現・安中市下後閑)に生まれる。1931年(昭和6年)半田神来に師事。1933年(昭和8年)群馬県師範学校を卒業。同年より碓氷郡秋間小学校に勤務。 1935年(昭和10年)に比田井天来の門に入り、天来の下で多様な古典を学習した。1937年(昭和12年)上京、翌1938年(昭和13年)より世田谷区玉川小学校に勤務する。1940年(昭和15年)手島右卿に師事。
相馬恵胤(そうま やすたね、大正2年(1913年)3月9日 … 相馬恵胤(そうま やすたね、大正2年(1913年)3月9日 - 平成6年(1994年)1月4日)は、旧陸奥相馬中村藩主の相馬子爵家32代当主。相馬孟胤の子。妻は尾崎行雄の三女雪香。子に相馬和胤。 学習院高等科を経て、1941年東京帝国大学文学部倫理学科卒業後、宮内庁事務官になった。昭和11年(1936年)2月に父孟胤が死亡したのちに相続。競走馬の馬主となり、日本馬主協会連合会第8代会長となる。相馬市に二の丸球場や長友グラウンドなどを寄贈した。また、相馬野馬追の振興に大きく貢献し、相馬市名誉市民になった。 相馬市公式HP(名誉市民)
佐和 隆研(さわ りゅうけん/さわ たかあき、1911年3月… 佐和 隆研(さわ りゅうけん/さわ たかあき、1911年3月9日 - 1983年1月5日)は、日本の美術史家・仏教学者・真言宗の僧侶。京都市立芸術大学名誉教授。嵯峨美術短期大学元学長。密教美術や仏像研究の第一人者。密教図像学会会長も務めた。 広島県生まれ。インドネシア、インド、アフガニスタンなど仏教美術の伝流経路、源流地を訪ね歩いた。 経済学者の佐和隆光(京都大学名誉教授、滋賀大学学長)は息子。
加納 秀夫(かのう ひでお、1911年3月9日 - 2003… 加納 秀夫(かのう ひでお、1911年3月9日 - 2003年9月2日)は、日本の英文学者、翻訳家。 1911年、広島県で生まれた。東京帝国大学文学部英文科で学び、1934年に卒業。 戦後、東京大学教養学部助教授に就いた。1953年、東京都立大学教授に転じ、のち青山学院大学教授。 専門は英文学で、ワーズワースなどのロマン派詩人からエリオット、イエーツなどの現代詩人を研究テーマとした。
豊田 武(とよだ たけし、1910年(明治43年)3月9日 … 豊田 武(とよだ たけし、1910年(明治43年)3月9日 - 1980年(昭和55年)3月29日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。日本中世史専攻。
松田 文雄(まつだ ふみお、1908年3月9日 - 1971… 松田 文雄(まつだ ふみお、1908年3月9日 - 1971年7月9日)は、日本の洋画家。一水会会員。
金東一(キム・ドンイル、1908年3月9日 - 1998年7… 金東一(キム・ドンイル、1908年3月9日 - 1998年7月20日)は、大韓民国の応用化学者。号は石泉(석천)。 1908年3月9日、平安南道江西郡に生まれる。教育熱心な父親の意向で幼い頃から漢文を学び、私立鳳儀学校、平壌上儒公立普通学校、平壌公立高等普通学校を経て、1926年に旧制佐賀高等学校理科甲類へ入学し、1929年卒業。翌年には東京帝国大学へ進み、1933年工学部応用化学科を卒業。当時、応用化学科の唯一の朝鮮人卒業生であった。 1年間指導教授のもとで助手を務めたのち、1934年に岩城硝子へ入社。同社では1939年まで研究科長を務め、酢酸セルロース関連技術により7つの特許を取得した。その後、鐘淵紡績に引き抜かれたが、1942年にはさらに京城紡織へ転じた。
林 了(はやし りょう、1908年〈明治41年〉3月9日 –… 林 了(はやし りょう、1908年〈明治41年〉3月9日 – 1953年〈昭和28年〉12月20日)は、昭和期の歯科医師、政治家。参議院議員(1期)、日本大学歯学部教授。医学博士。 福井県福井市生まれ。1929年(昭和4年)日本大学歯科医学校(現日本大学歯学部)を卒業。同年、歯科医院を開業。1932年(昭和7年)日大歯科医学校附属医院に勤務。以後、城西病院歯科部長、日大歯科医学校長、日大歯学部教授を歴任。 その他、日本歯科医師会理事、同事務局長、同常務理事、同税制対策委員長、日本歯科医師政治連盟(現日本歯科医師連盟)理事長、臨時診療報酬調査会委員、臨時医療保険審議会委員、社会保険診療報酬支払基金理事、軽井沢会理事長、軽井沢国際観光協会顧問、八欧無線(株)顧問などを務めた。
荒舩 清十郎(あらふね せいじゅうろう、1907年(明治40… 荒舩 清十郎(あらふね せいじゅうろう、1907年(明治40年)3月9日 - 1980年(昭和55年)11月25日)は、日本の政治家、実業家。位階は正三位、勲等は勲一等。運輸大臣(第33代)、行政管理庁長官(第40・42代)、衆議院副議長(第49代)。衆議院議員(13期)。東映フライヤーズのプロ野球選手(1970年 - 1972年)、埼玉県議会議員(1期、1979年4月 - 1983年3月)であった荒舩洋資は甥であり後に養子となる。 埼玉県秩父郡高篠村(現秩父市)出身。先代・清十郎の長男。埼玉県立工業学校卒業、明治大学専門部中退。織物製造業を経営。 「清十郎」は先祖代々の襲名で、本人は16代目にあたる(以後は襲名者は出ていない)。
大岡 博(おおおか ひろし、1907年(明治40年)3月9日… 大岡 博(おおおか ひろし、1907年(明治40年)3月9日 - 1981年(昭和56年)10月1日)は、日本の歌人。 静岡県静岡市生まれ。貿易商だった父延時(1883年 - 1935年)の関係で少年期までを神戸で過ごす。その後、三島に定住。曾祖父の永夢は幕臣で旗本。徳川慶喜の駿府移住に随行し、同地に住んだ、祖父直時は、三島に移り、のちに三島警察署長を務めた。1924年(大正13年)沼津中学校(現静岡県立沼津東高等学校)卒業後、父不在のもと苦学し、家族の病気や経済面から進学を断念して三島市で教職につく。のちに1949年(昭和24年)から1951年(昭和26年)まで県教職員組合執行委員長、初代県立児童会館長、中学校校長を務めるなど教育者として力を尽くした。
小林 佐三郎(こばやし ささぶろう、1906年3月9日 - … 小林 佐三郎(こばやし ささぶろう、1906年3月9日 - 1995年11月30日)は、日本の経営者、工学博士。長野県出身。位階は従四位。 1927年に浜松高等工業学校応用化学科を卒業し、同年に日本製鋼所に入社。 1947年5月に取締役に就任し、1949年12月に常務、1957年11月に専務を経て、1961年11月に副社長に就任し、1965年11月には社長に昇格。1973年11月に会長を経て、1983年6月から相談役を務めた。 1967年4月に藍綬褒章を受章し、1976年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1995年11月30日心不全のために死去。89歳没。死没日付をもって従四位に叙された。