森 彰英(もり あきひで、1936年8月9日 - )は、日本… 森 彰英(もり あきひで、1936年8月9日 - )は、日本のノンフィクション作家。 東京都生まれ。東京都立大学卒。広告会社、光文社の編集者を経て1969年独立、以降フリーで取材執筆活動を続けている。1998年『行動する異端』で開高健賞優秀作となる。最近の関心領域は都市・交通、出版メディア、人物ノンフィクションなど。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
吉行 和子(よしゆき かずこ、1935年〈昭和10年〉8月9… 吉行 和子(よしゆき かずこ、1935年〈昭和10年〉8月9日 - 2025年〈令和7年〉9月2日)は、日本の女優、エッセイスト、俳人。東京府(現:東京都)出身。 父は作家の吉行エイスケ、母は美容師の吉行あぐり。兄は作家の吉行淳之介、妹は詩人の吉行理恵。 2歳で小児喘息を患い、病弱な子ども時代を過ごす。1948年3月、千代田区立番町小学校卒業。 父は和子が4歳のときに死去、母は美容師として働いていたため、ひどい喘息の発作が起こると、岡山県の祖父の元に預けられていた。 1954年、女子学院高等学校を卒業。なお、卒業前に劇団民藝付属水品研究所を受験して入所。女優になるつもりはなく、絵を描くことや裁縫は得意だったことから「衣装係にでもなれれば」と思って受験したところ、思いがけず女優候補として採用された。
関 広一(せき ひろかず、1935年8月9日 - 2015年… 関 広一(せき ひろかず、1935年8月9日 - 2015年(平成27年)1月18日)は、日本の政治家。新潟県小千谷市長(2期)。 新潟県小千谷市出身。新潟県立六日町高等学校卒。小千谷市役所に入り、市職員労働組合書記長、新潟県労働金庫監事から、小千谷市議会議員に転じ、議長となった。1998年小千谷市長広井庄一の辞職による出直し市長選挙に立候補し、広井を破って初当選。2002年は無投票当選。市長を2期務め、2006年に退任した。2015年死去。
横井 明(よこい あきら、1935年8月9日 - 2008年… 横井 明(よこい あきら、1935年8月9日 - 2008年1月21日)は、日本の実業家。トヨタ自動車取締役副社長、豊田自動織機取締役会長、中部経済連合会副会長、日本経団連常任理事などを務めた。 愛知県出身。愛知県立刈谷高等学校を経て、横浜国立大学経済学部卒業後、トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)入社。トヨタ・キジャン生みの親として知られる。1986年トヨタ自動車取締役。1992年トヨタ自動車常務取締役。1996年トヨタ自動車取締役副社長。1999年豊田自動織機取締役副会長。2000年東海日中貿易センター会長。2001年豊田自動織機取締役会長、愛知製鋼監査役、トヨタ車体監査役。2002年名古屋スウェーデン名誉領事。
北川 透(きたがわ とおる、1935年8月9日 - )は、日… 北川 透(きたがわ とおる、1935年8月9日 - )は、日本の詩人・文芸評論家。本名は磯貝 満(いそがい みつる)。愛知県碧南市出身。 梅光学院大学特任教授。中原中也賞選考委員。現代詩から北村透谷、萩原朔太郎、中原中也論など著書多数。 1935年(昭和10年)に愛知県碧南市に生まれる。1958年(昭和33年)に愛知学芸大学(現・愛知教育大学)学芸学部国語科を卒業。高校教諭を経て、1962年(昭和37年)に詩誌「あんかるわ」を創刊し、詩と批評を掲載する。1990年(平成2年)に同誌を廃刊させ、1991年(平成3年)には山口県下関市に移住して梅光女学院大学教授となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
兵頭 冽(ひょうどう ただし、1934年8月9日 - 201… 兵頭 冽(ひょうどう ただし、1934年8月9日 - 2013年8月)は、愛媛県出身のプロ野球選手。ポジションは内野手。 八幡浜高校時代に若林忠志のスカウトを受け、1953年に毎日オリオンズへ入団。毎日時代は2年間で25試合の出場に留まった。 1955年に同年より若林がコーチに就任したトンボユニオンズに移籍。長身を活かした力強スイングを評価され、春のキャンプでは主力級の扱いを受けた。しかし、兵頭は周囲の期待に応えられず一割台の打率に低迷した。なお、8月2日の毎日戦に「高校時代に投手をやっていたから」との理由で敗戦処理ながら投手として初登板し、無失点に抑える。この起用に対しては、兵頭本人も「まさか本当に登板するとは」と苦笑したという。
黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ、1933年8月9日 - )は… 黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ、1933年8月9日 - )は、日本の女優、タレント、テレビ司会者、エッセイスト。愛称は、トットちゃん、チャック。 吉田名保美事務所所属。日本史上最初のテレビ出演者のひとりで、ニュースショーのキャスターや、トーク番組の司会を女性では初めて務めた。日本芸術院会員。1984年から現在までユニセフ親善大使。 日本でテレビの放送を開始した初日(1953年2月1日)からテレビ出演を続ける、日本史上最初のテレビ女優である。テレビ草創期から活躍を続けるタレントの一人として知られ、日本史上最初のテレビ女優としては唯一、21世紀に至るまでテレビ番組のレギュラーを継続して持ち続けており、日本のテレビ放送史を代表する芸能人の1人であると言える。
寺内 信(てらうち まこと、1933年8月9日 - )は、日… 寺内 信(てらうち まこと、1933年8月9日 - )は、日本の建築計画学者・建築史家、まちづくり専門家。 大阪工業大学工学部建築学科元教授。工学博士(京都大学)。日本都市計画学会総務委員会元委員。 専門は建築計画・建築史、都市計画・まちづくり。 京都工芸繊維大学に進学し、1957年に卒業する。大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院に進み(川名吉エ門の指導を受ける)、1959年に同大学院修士課程を修了した。 1960年に日本住宅公団大阪支所、大阪府企業局勤務などを経て、1966年に大阪工業大学工学部建築学科講師となる。大阪工業大学では助教授(1973年)を経て、同学科教授に就任した。 1993年に京都大学大学院工学研究科より論文「大阪における長屋建住宅建設と市街地形成の近代化過程に関する研究」で工学博士号を取得した。
鰺坂 真(あじさか まこと、1933年8月9日- 2022年… 鰺坂 真(あじさか まこと、1933年8月9日- 2022年1月6日)は、日本の哲学者。関西大学名誉教授。専門はドイツ古典哲学、ヘーゲル哲学。父は教育学者で京都大学名誉教授の鰺坂二夫。 鹿児島県加世田市(南さつま市)と京都府京都市出身。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科博士課程修了。1999年と2000年の大阪府知事選挙に日本共産党の推薦を得て出馬したが、落選。日本共産党員であり、同党の機関紙誌に頻繁に執筆していた。関西大学では、部落出身の生徒の優先的入学に反対した。平和・民主・革新の日本をめざす全国の会代表世話人を務めた。 2022年1月6日死去。88歳没。
平田 次郎(ひらた じろう、1933年(昭和8年)8月9日 … 平田 次郎(ひらた じろう、1933年(昭和8年)8月9日 - 1993年(平成5年)3月15日)は、日本の政治家。香川県宇多津町長(6期)。 香川県立丸亀高等学校、明治大学法学部卒業。1963年(昭和38年)から1970年(昭和45年)まで宇多津町議会議員を2期務め、1970年(昭和45年)から1993年(平成5年)まで宇多津町長を6期務める。1991年(平成3年)から1993年(平成5年)まで香川県町村会会長を務めた。 父は第10代(公選3代)宇多津町長 平田三次郎。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
三好 重恭(みよし しげやす、1931年8月9日 - 202… 三好 重恭(みよし しげやす、1931年8月9日 - 2022年7月8日)は、日本の実業家、工業デザイナー。アルマン株式会社創業者。禁煙グッズ「禁煙パイポ」の開発者であり、1980年代半ばにユニークなテレビCM戦略で社会現象を巻き起こしたヒットメーカーとして知られる。 1984年の設立当初、社長以下わずか4名の体制で「禁煙パイポ」を発売。静岡県でのテスト販売を経て、首都圏、名古屋、大阪へと市場を拡大した。発売当初は月商580万円ほどであったが、テレビCMのヒットにより1年足らずで月商3億円(年商換算30億円規模)を超える爆発的な成長を記録した。 三好は禁煙パイポを単なる健康器具ではなく、口寂しさを紛らわせる「おしゃぶり」のような「心理的商品」と定義した。
宮智宗七(みやち そうしち、1931年8月9日 - 2015… 宮智宗七(みやち そうしち、1931年8月9日 - 2015年7月7日)は、日本のジャーナリスト、経済学者。 東京府にて宮智喜十郎の子として生まれる。祖父は彫金家の宮智一男。1955年早稲田大学政経学部経済学科卒、日本経済新聞社入社、ロンドン特派員、経済部次長、経済解説部長産業部長 北米総局長などを経て論説副主幹、89年テレビ東京取締役解説委員長、95年退任。産能大学経営学部教授を務めた。墓所は江東区清澄の本誓寺。
磯村 尚徳(いそむら ひさのり、1929年(昭和4年)8月9… 磯村 尚徳(いそむら ひさのり、1929年(昭和4年)8月9日 - 2023年(令和5年)12月6日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。NHK専務理事待遇特別主幹。ニュースセンター9時(NC9)編集長兼キャスター。 東京生まれ。初め(小学校)と終わり(旧制高等科→新制大学)が学習院で、間に挟んで都立第四高校(都立戸山高校)に通った。陸軍の駐在武官だった父・磯村武亮の勤務の関係で、小学時代の大半をトルコで過ごした。トルコではフランス人学校で学び、フランス語を習得する。帰国後、学習院に入りなおした。 1953年に学習院大学政経学部卒業後、NHKに入局。当時NHKではフランス語の使い手が必要だったため、たった一人東京報道局に配属になった。
安西 廸夫(あんざい みちお、1929年〈昭和4年〉8月9日… 安西 廸夫(あんざい みちお、1929年〈昭和4年〉8月9日 - 1999年〈平成11年〉5月14日)は、日本の国文学者・国語教育学者。位階は正五位。 静岡県沼津市出身。1953年東京文理科大学国文科卒。東京都立高校教諭、東京成徳短期大学教授、上越教育大学教授、上越教育大学附属小学校長、上越教育大学附属図書館長、1995年定年退官、名誉教授、十文字学園女子大学教授。1999年、脳内出血のため死去。死没日付をもって正五位に叙された。
高瀬 一太郎(たかせ いちたろう、1929年(昭和4年)8月… 高瀬 一太郎(たかせ いちたろう、1929年(昭和4年)8月9日 - 2010年(平成22年)9月11日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県加須市長。加須市名誉市民。 埼玉県北埼玉郡加須町(現加須市)出身。東京農業大学専門部卒業。埼玉県農業振興公社理事長、加須市助役を経て、1994年(平成6年)加須市長に当選した。2006年(平成18年)12月、加須市名誉市民に推挙された。2008年、旭日小綬章受章。没後叙従五位。
山口 哲夫(、1928年8月9日 - 2020年8月25日)… 山口 哲夫(、1928年8月9日 - 2020年8月25日)は、日本の政治家。釧路市長・参議院議員(2期)・新社会党書記長を歴任した。 電気技師の子として樺太の真岡町に生まれる。旧制樺太庁立豊原中学校卒業後、大泊町役場に勤務していた時に日本の敗戦を経験した。ソ連軍進駐下で町役場は民政局と改称され、山口はそのままソ連軍に民政局勤務を命じられた。父親が大泊町の電気事業の責任者だったため、山口一家はなかなか日本への復員が許されず、1947年にようやく日本に復員することが出来た。その後、釧路市役所に勤務となり、市役所勤務のかたわら北海道釧路湖陵高等学校の定時制に通い、戦争のために満足に受けられなかった中等教育をやり直した。
有地 亨(ありち とおる、1928年(昭和3年)8月9日 -… 有地 亨(ありち とおる、1928年(昭和3年)8月9日 - 2006年(平成18年)7月22日)は、日本の法学者。専門は家族法。学位は、法学博士(九州大学・論文博士・1962年)。九州大学名誉教授、聖心女子大学名誉教授。弁護士。鳥取県鳥取市出身。 日本法社会学会理事、比較家族史学会副会長、日本家族(法と社会)学会理事、福岡家庭裁判所家事調停委員、同参与員、九州地方鉱業協議会委員、RKB番組審議会委員長、福岡国税局土地評価審議会委員、九州大学出版会常任理事等を歴任。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
石井 勝(いしい まさる、1927年〈昭和2年〉8月9日 -… 石井 勝(いしい まさる、1927年〈昭和2年〉8月9日 - 2009年〈平成19年〉9月27日)は、日本の経営者。高砂熱学工業社長、同会長。海軍兵学校75期。 東京都出身。1945年10月、海軍兵学校75期卒業、1951年に慶應義塾大学工学部機械学科を卒業し、同年に高砂熱学工業に入社した。1972年5月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1983年6月に専務、1985年6月に副社長を経て、1986年4月に社長に就任。2004年4月に会長に就任。 2009年9月27日、死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
銀林 浩(ぎんばやし こう、1927年〈昭和2年〉8月9日 … 銀林 浩(ぎんばやし こう、1927年〈昭和2年〉8月9日 - 2020年〈令和2年〉8月18日)は、日本の数学者。数学教育運動家。明治大学名誉教授。 東京出身。旧制第一高等学校を経て、東京大学理学部数学科卒業。遠山啓とともに考案した四則計算の指導体系「水道方式」を提唱。1962年、日大数学科事件に伴い日本大学講師を退職。ファン・デル・ヴェルデンの現代代数学の名訳で知られている。同書は2018年に第1巻のみ復刊された。
小西 正泰(こにし まさやす、1927年8月9日 - 201… 小西 正泰(こにし まさやす、1927年8月9日 - 2013年8月25日)は、日本の昆虫学者。 1927年、兵庫県西宮市に生まれる。父の小西正倫は、三重県出身で麹町区平河町の日本赤十字医師小西功の次男として1891年生まれた。祖父の小西正職は津藩士であった。父は俳人として翠雨と号し、のちに藤田組の監査役となっている。父の兄の正道は園芸家で駒沢で農園を営んだ。 父親の仕事の関係で小学生時代は秋田県で過ごす。青森県立弘前中学校(現:青森県立弘前高等学校)を卒業。北海道大学農学部農業生物学科を卒業。北海道大学大学院農学研究科修士課程修了、1961年「日本列島産キクイゾウムシ亜科(鞘翅目、象鼻虫科)の分類学的研究」で農学博士。
佐々 克明(さっさ かつあき、1926年(大正15年)8月9… 佐々 克明(さっさ かつあき、1926年(大正15年)8月9日 - 1986年(昭和61年)10月20日)は、日本のジャーナリスト、作家。「東アジアの古代文化を考える会」会員。 政治学者・佐々弘雄の長男として、福岡県福岡市に生まれる。警察官僚の佐々淳行は弟、女性運動家で参議院議員の紀平悌子は妹、母方の祖父に図書館学者・和田万吉がいる。 成蹊高等学校を経て新潟医科大学中退、1949年東京大学法学部を卒業後、朝日新聞社に入社。社会部などに勤務したが、1981年退社。 朝日新聞社在職中から歴史関係のライターとして活動。退社後はビジネス書も執筆したほか、朝日を批判する『病める巨象・朝日新聞私史』も上梓した。
正橋 正一(まさはし しょういち、1926年(大正15年)8… 正橋 正一(まさはし しょういち、1926年(大正15年)8月9日 - 2006年(平成18年)8月28日)は、昭和から平成初期の地方公務員、政治家。富山県富山市長(4期)。勲三等旭日中綬章。 富山県射水郡大門町(現:射水市)出身。1943年に富山県立高岡商業学校(現:富山県立高岡商業高等学校)を卒業。卒業後は東京立川の立川飛行機に勤務する。 終戦後、故郷に帰り、1945年11月 富山県庁に入る。1951年から地方自治庁に出向する。1972年 富山県庁に戻り、総務部地方課長、知事公室秘書課長、東京事務所長、総務部長、公営企業管理者などを歴任する。1983年 富山市助役となり、1986年、前年12月に死去した富山市長塩谷敏幸の後継者として富山市長選に立候補して当選する。
八木 大介(やぎ だいすけ、1926年8月9日 - 2012… 八木 大介(やぎ だいすけ、1926年8月9日 - 2012年4月20日)は、日本の作家、政治家。位階は正五位。参議院議員(1期)。本名は木本 平八郎(きもと へいはちろう)。 大阪府枚方市出身。1951年、京都大学経済学部を卒業し、協和交易(後の三菱商事)へ入社。コロンビア三菱商事副支配人や機械総括部次長などを務める。1981年3月に『青年重役』が日本経済新聞の懸賞経済小説に当選し、著述業にも手を広げた。 1983年5月1日、定年まで1年半を残して退社。翌月の第13回参議院議員通常選挙に家族の反対を押し切って立候補し、サラリーマン新党から比例区で当選を果たす。この時、数年の間に大きく境遇が変化したことを「経済学部から文学部に移って、今度は法学部に来てしまったようなもの」と喩えた。
仲田 紀夫(なかだ のりお、1925年8月9日 - )は、日… 仲田 紀夫(なかだ のりお、1925年8月9日 - )は、日本の数学教育者、元埼玉大学教授。
西山 千明(にしやま ちあき、1924年8月9日 -2017… 西山 千明(にしやま ちあき、1924年8月9日 -2017年11月20日)は、日本の経済学者。立教大学名誉教授、国際大学大学院教授、スタンフォード大学フーヴァー研究所上級研究員、ロンドン経済事情研究所理事。専門は、理論経済学、貨幣論、経済哲学、人的資本論。日本を代表する自由主義経済学者で、モンペルラン・ソサイエティー会長も務めた。 『ハイエク全集』(春秋社)の監修・監訳者を気賀健三、古賀勝次郎などと務め、フリードリヒ・ハイエクの著作群の日本への紹介者として知られ、ミルトン・フリードマンの『選択の自由』の日本語訳を行い、一般向け著作も多く、日本におけるマネタリズムの樹立や自由主義経済の進展に尽くした。
賀川 太郎(かがわ たろう、1922年8月9日 - 1990… 賀川 太郎(かがわ たろう、1922年8月9日 - 1990年3月6日)は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手。 神戸一中(現・県立神戸高校)、神戸経済大学(現・神戸大学)を経て、1948年に田辺製薬サッカー部に入団。全日本実業団サッカー選手権大会で6連覇を含む7回の優勝を遂げた田辺製薬の黄金期を支えた一人だった。同時期の天皇杯全日本サッカー選手権大会には大阪クラブの選手として出場し、1951年から3年連続で準優勝している。 日本代表としてもワールドカップ・スイス大会予選など、国際Aマッチ5試合に出場した。 2006年に第2回日本サッカー殿堂入りした。サッカーライターの賀川浩は実弟である。
紀野 一義(きの かずよし、1922年8月9日 - 2013… 紀野 一義(きの かずよし、1922年8月9日 - 2013年 12月28日)は、日本の仏教学者、宗教家。真如会主幹。
石田 尚豊(いしだ ひさとよ、1922年(大正11年)8月9… 石田 尚豊(いしだ ひさとよ、1922年(大正11年)8月9日- 2016年(平成28年)7月29日)は、日本の美術史学者。専門は日本仏教美術史。 東京都出身。1950年東京大学文学部国史学科卒。1952年東京国立博物館資料課、1970年文化庁美術工芸課文化財調査官、1976年東京国立博物館資料課長。1978年『曼荼羅の研究』で東大文学博士、日本学士院賞受賞。1981年東京国立博物館を退職して青山学院大学教授、1991年聖徳大学教授。
池田 久之(いけだ ひさゆき、1921年8月9日 - 194… 池田 久之(いけだ ひさゆき、1921年8月9日 - 1944年)は、長崎県出身のプロ野球選手(捕手)。
高嶋 正彦(たかしま まさひこ、1921年〈大正10年〉8月… 高嶋 正彦(たかしま まさひこ、1921年〈大正10年〉8月9日 - 2004年〈平成16年〉7月8日)は、日本の農学者・経済学者。専門は農業経済学。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授、元釧路公立大学学長。位階は正四位。指導教授は松田武雄。門下生に出村克彦。 『北海道人物・人材リスト 2004 あ-そ』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
尾崎 中和(おざき なかかず、1919年8月9日 - 194… 尾崎 中和(おざき なかかず、1919年8月9日 - 1943年12月27日)は、日本陸軍の軍人。戦死後、二階級特進し陸軍中佐。 水戸藩家老に連なる海軍中佐・尾崎貴信の二男として長崎県佐世保市で生まれる。出身地は東京市四谷区若葉町。東京府立一中、東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科を経て、1940年6月、陸軍航空士官学校(53期)を卒業。航空兵少尉任官。明野陸軍飛行学校学生。 1940年10月、飛行第33戦隊付になり、1941年3月、太刀洗飛行学校教官、8月に中尉任官。1942年10月から1943年4月にかけて明野飛行(甲)学生、同じく同年4月から飛行第25戦隊第二中隊長に着任。同年12月に大尉。
大浦 猛(おおうら たけし、1919年8月9日 - 2001… 大浦 猛(おおうら たけし、1919年8月9日 - 2001年12月15日)は、日本の教育哲学者。元山梨県立女子短期大学学長。 富山県滑川市出身。東京文理科大学教育学科卒。1945年青森青年師範学校講師、46年助教授、47年教授、1949年東京高等師範学校助教授、1952年東京教育大学助教授、66年教授、1962年「ジョン・デューイにおける初期教育思想の形成 実験主義教育思想の成立過程」で東京教育大学文学博士。1974年埼玉大学教育学部教授、84年定年退官、創価大学教授ののち、山梨県立女子短期大学長を歴任。専門は、教育哲学、デューイ研究。 東京教育大学在職中、筑波移転に反対し、その意思を表明する意味で埼玉大学に移籍した。
佐々木 喜美子(ささき きみこ、1918年(大正7年)8月9… 佐々木 喜美子(ささき きみこ、1918年(大正7年)8月9日 - 2009年(平成21年)11月8日、旧姓:前田喜美子)は、日本の植物生理学、植物分子生物学者、教育者。北海道大学教授を務めた。 北海道庁立旭川高等女学校(現・北海道旭川西高等学校)を卒業後、北海道帝国大学農学部水産学科の白浜潔教授の副手となる[要出典]。1943年(昭和18年)に北海道帝国大学農学部水産学科(化学専攻)に入学した山西貞(てい)(お茶の水女子大学名誉教授)の研究への情熱に触発され研究生活への夢がふくらみ、1944年(昭和19年)10月に北海道帝国大学理学部植物学科に入学した。同学科植物第1講座(植物生理学)の坂村徹教授の指導で卒業研究「ハンゼヌラ・アノマーラの硝酸代謝とモリブデンの役割」に取り組む。
斉藤 滋与史(齊藤 滋与史、さいとう しげよし、1918年〈… 斉藤 滋与史(齊藤 滋与史、さいとう しげよし、1918年〈大正7年〉8月9日 - 2018年〈平成30年〉8月9日)は、日本の実業家・政治家。富士市名誉市民。静岡県知事(第47・48代)、建設大臣(第44代)、衆議院議員(6期)、富士市長、吉原市長、大昭和製紙社長などを歴任した。 大昭和製紙の創業者、斉藤知一郎の次男。防衛庁長官を務めた元衆議院議員の斉藤斗志二は甥で養子。 静岡県出身。五年制男子校・静岡県立沼津中学校(現:静岡県立沼津東高等学校 共学)を経て、早稲田大学商学部卒業。大学卒業後の1940年、父・斉藤知一郎が創業した大昭和製紙に入社した。1961年より大昭和製紙副社長。 1964年、吉原市長に初当選し1966年の市町村合併により初代富士市長。
沖 克已(おき かつみ、1918年8月9日 - 1993年6… 沖 克已(おき かつみ、1918年8月9日 - 1993年6月15日)は、香川県坂出市出身のプロ野球選手(捕手)・プロ野球審判員。 香川県立坂出商業学校を卒業後、社会人の朝鮮竜山鉄道局でプレー。1937年に阪急軍に入団するが、その年限りで退団した。 太平洋戦争ではレイテ島の戦いに参加。捕虜収容所で、アメリカ軍の通訳にバッキー・ハリスがいるのに気づいて声をかけると、捕虜の雰囲気が一挙に好転、ハリスも再会を大変喜んだという逸話がある。 阪急軍退団後はプロ野球界との関わりを絶っていたが、1955年にパシフィック・リーグの東京審判部に入部し、プロ野球審判として再出発。以降、1988年に引退するまで一筋の道を往く。
西野 順治郎(にしの じゅんじろう、1917年(大正6年)8… 西野 順治郎(にしの じゅんじろう、1917年(大正6年)8月9日 - 2001年(平成13年)3月5日)は、日本の外交官、実業家、教育者。初代在泰日協会学校理事長、タイ・トーメン社長・会長。 大阪府泉南市で生まれる。 6歳の頃に姉を亡くしたが、1937年(昭和12年)、横浜専門学校(現・神奈川大学)に進学。刑法担当の林頼三郎をはじめ、国際法の横田喜三郎、経済学の中山伊知郎、 会計学の太田哲三、商工経営の美濃部亮吉、産業能率の上野陽一、商業数学の久武雅夫、英語のジョン・オーエン・ガントレット、 学監米田吉盛、倫理学の朝比奈宗源、英語の江本茂夫らの指導を受ける。 在学中に外務省留学生試験に合格し、タマサート大学法学部に国費で留学した。
高橋 達男(たかはし たつお、1917年8月9日 - 197… 高橋 達男(たかはし たつお、1917年8月9日 - 1976年7月9日)は、日本の経営学者。 大阪府出身。浪速高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部卒。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。神戸監督官事務所監査官付となる。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み、富山監督官事務所北陸軍需管理部勤務で終戦を迎えた。 日本電信電話公社に入り、経営調査室長。日本生産性本部経営アカデミー参与、産業能率短期大学教授などを務め多数の著作、翻訳をなした。
名島 弘三(大正6年(1917年)8月9日 - 没年不明)は… 名島 弘三(大正6年(1917年)8月9日 - 没年不明)は日本の実業家。名島(名)代表社員、全国肥料商連合会鳥取県部会支部長、日本肥料商業協同組合中国ブロック理事、米子商工会議所建設業部会常任委員。元中国興業銀行頭取名島嘉吉郎の甥。 名島善の長男。早大商科卒。日産化学工業入社。木津川工場勤務、課長補佐。昭和30年(1955年)、帰郷して家業を継承。 趣味は音楽、写真。宗教は浄土宗。住所は鳥取県米子市明治町。 大正5年(1916年)刊の『陰陽八郡一覧』によって、国税二十円以上の納税者をみると、米子駅前通りと考えられる成実村では、 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2… 後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2005年9月19日)は、日本の内務・警察・防衛・自治官僚、政治家。
田井 洋子(たい ようこ、1911年8月9日 - 2008年… 田井 洋子(たい ようこ、1911年8月9日 - 2008年3月13日)は、昭和・平成期の脚本家。 東京生まれ。兄は田井真孫。本名・丸茂ふぢ子。東京府立第三高等女学校卒。その後薬剤師を目指して薬学専門学校に進学するも、学内が大学への昇格運動 で揺れて休校状態だったため、進路を変更してタイピストになり、10年間官庁に勤務。 1929年、詩人の河井酔茗に入門し師事。しかし田井本人は詩が書けなかったことから、河井に勧められた岡本綺堂に師事して劇作を始め、綺堂主宰の「舞台」などに作品を発表。河井の元にはその後河井が亡くなる1965年まで通い続け、他に額田六福、岡田八千代にも世話になった。 1948年NHK懸賞放送劇に「魚紋」が1位入選。
熊沢 光子(くまざわ てるこ、1911年8月9日 - 193… 熊沢 光子(くまざわ てるこ、1911年8月9日 - 1935年3月25日)は、戦前日本の社会運動家。大泉兼蔵のハウスキーパー (日本共産党)として日本共産党スパイ査問事件に巻き込まれ、逮捕後獄中自殺した。 愛知県名古屋市の弁護士の家庭に生まれる。愛知県立第一高等女学校在学中に教師村瀬示路のマルクス経済学の講義をきっかけにマルクス主義に目覚める。同校を1931年に卒業し、妹の勝子や仲間とともに部屋を借りてエスペラント語を学ぶ。愛知県庁に勤務。1931年、米よこせ運動や消費組合運動をしていた山本秋により社会運動に参加。1932年に上京し住み込みの女給となりカフェーを転々とし、同年秋の赤色ギャング事件の資金局本部事務員として検挙され、4か月留置の末、転向して釈放され帰郷。
木下 双葉(きのした ふたば、1910年8月9日 - 193… 木下 双葉(きのした ふたば、1910年8月9日 - 1938年8月30日)は、日本の女優である。本名は光田 貞子(みつだ さだこ)で、初期は本名で活動していた。 1910年(明治43年)8月9日、東京府東京市本所区押上町(現在の東京都墨田区押上)に「光田貞子」として生まれる。 1926年(大正15年)、名古屋のキリスト教主義学校である旧制・金城女学校(現在の金城学院高等学校)を卒業し、東京に戻って、松竹蒲田撮影所に入社する。当時は本名を名乗っていた。1929年(昭和4年)、京都に移り、東亜キネマ京都撮影所に移籍した。1931年(昭和6年)9月、東亜キネマが経営不振に陥り、福西譲治監督の『霧の中の白蓮』を最後に、同社の業務を代行する会社として設立された東活映画社(東活)に移籍する。
野口 久光(のぐち ひさみつ、1909年8月9日 - 199… 野口 久光(のぐち ひさみつ、1909年8月9日 - 1994年6月13日)は、日本の映画、ジャズ、ミュージカル評論家。画家、グラフィックデザイナー。生涯に1000点を超える映画ポスターを描いたと言われる。
田中千代(たなか ちよ 1906年8月9日 - 1999年6… 田中千代(たなか ちよ 1906年8月9日 - 1999年6月28日)は、教育者、服飾デザイナー。昭和初期に渡欧し欧米の文化・服飾を学び、日本に近代洋裁教育、服飾デザインの礎を作った。民族衣装の研究・収集家でもあった。
山崎 栄治(やまざき えいじ、1905年8月9日 - 199… 山崎 栄治(やまざき えいじ、1905年8月9日 - 1991年8月27日)は、日本の詩人、フランス文学者。 1905年に佐賀県西松浦郡伊万里町で生まれる。幼少期に中国に移住して幼稚園時代を奉天市で過ごし、小学校の途中で大連市から東京市の青山に移っている。大倉商業学校に進み、教科書に載っていたロングフェローの詩やウォルト・ホイットマンの『草の葉』を英語で読んだ他、15歳の頃にジャン=ジャック・ルソーの『懺悔録』、16歳の頃に野口米次郎の詩、そして17歳頃に萩原朔太郎の詩をそれぞれ読み、詩作への影響を受けた。東京美術学校の受験に失敗して東京外国語学校に進み、1925年には『日本詩人』に投稿した詩が四等に入選している。
森 武臣(もり たけとみ、1902年8月9日 - 1971年… 森 武臣(もり たけとみ、1902年8月9日 - 1971年3月23日)は、日本の経営者。富国生命保険社長を務めた。 山梨県出身。1927年に東北帝国大学法文学部を卒業し、1936年8月に富国生命保険に入社。1947年10月に取締役に就任し、1951年4月に常務、1953年5月に専務を経て、同年9月には社長に就任した。 日本航空、富士急行各取締役、東武鉄道、後楽園スタジアム、昭和電工各監査役も歴任した。 1971年3月23日、腎臓炎のために死去。68歳没。
青木 理(あおき まさる、1902年〈明治35年〉8月9日 … 青木 理(あおき まさる、1902年〈明治35年〉8月9日 - 1967年〈昭和42年〉1月25日)は、大正末から昭和期の実業家、政治家。初代三重県公選知事(2期)。 三重県一志郡久居町西鷹跡町(久居市を経て現津市)で生まれた。1923年(大正12年)東京帝国大学法学部を卒業。理研特殊鋼総務部長、日本兵器車両取締役などを経て、1942年(昭和17年)拓務大臣・井野碩哉秘書官となる。翌年実業界に戻り、日本蚕糸近畿中国支社長などを歴任した。 戦後の1947年(昭和22年)の第1回三重県知事選挙に立候補して、官選知事の佐伯敏男や共産党の候補ら4人を破って当選し、初代公選知事となった。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 同年4月16日に就任した。
牧野 茂(まきの しげる、1902年(明治35年)8月9日 … 牧野 茂(まきの しげる、1902年(明治35年)8月9日 - 1996年(平成8年)8月30日)は、日本の海軍軍人、造船技師。東京帝国大学卒業。最終階級は海軍技術大佐。愛知県名古屋市出身。 1902年(明治35年)8月9日生まれ。愛知県名古屋市出身。東京府立第一中学校、第八高等学校を経て、1922年(大正11年)、東京帝国大学工学部船舶工学科に入学。大正11年7月、海軍造船学生。1925年(大正14年)3月、東京帝国大学を卒業(工学士)。 大正14年5月、海軍造船中尉に任官、横須賀鎮守府付。1927年(昭和2年)12月に海軍造船大尉に進級し、1931年(昭和6年)12月から1934年(昭和9年)12月までフランスに駐在し(フランス国立造船大学〈シェルブール〉)、その間の1932年(昭和7年)12月に海軍造船少佐に進級。
岩井 文男(いわい ふみお、1902年〈明治35年〉8月9日… 岩井 文男(いわい ふみお、1902年〈明治35年〉8月9日 - 1983年〈昭和58年〉8月12日)は、日本基督教団牧師、教育者。 群馬県北甘楽郡高瀬村(現・富岡市高瀬)に生まれる。1918年(大正7年)16歳で、日本組合甘楽(基督)教会にて岡部太郎牧師より受洗。旧制富岡中学校(現・群馬県立富岡高等学校)を経て、同志社大学法学部を卒業。三井銀行に入行したが2年で退職。大学の恩師で法学部教授・中島重に共鳴、日本労働者ミッション派遣員として京都府綴喜郡下草内村で伝道、のち、賀川豊彦の支援により岐阜県加茂郡富田村で農民福音運動やセツルメント活動に従事、兼松沢一らを指導した。 1934年(昭和9年)-1937年(昭和12年)、同志社大学文学部神学科に学んだ後、日本組合渋谷基督教会、日本組合永福町基督教会牧師を歴任。
山下 春江(やました はるえ、1901年(明治34年)8月9… 山下 春江(やました はるえ、1901年(明治34年)8月9日 – 1985年(昭和60年)3月19日)は、昭和期の政治家。日本初の女性国会議員の一人で、元自由民主党衆議院議員・参議院議員。 山口県阿武郡の出身。 1921年二階堂体操塾(現・日本女子体育大学)を卒業(1期生)。体操講習会で見た塾長・二階堂トクヨの脚が憧れのアンナ・パヴロワ(バレリーナ)のようにすんなりとしていたことが入塾理由である。柔道2段のほか、空手・薙刀術の心得もあった。広島県の呉高等女学校で教師となるが、当時の校長と不正入試問題で対立し辞職、大阪毎日新聞記者に転職する。その後山下悌三と結婚、病弱の夫に代わり東京で「富士アスベスト工業所」の経営にあたる。