山本 貞(やまもと てい、1934年7月10日 - )は、洋… 山本 貞(やまもと てい、1934年7月10日 - )は、洋画家、日本藝術院会員。 東京生まれ。武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)卒。1957年「青い円」で二紀展初入選。1964年渡米、アート・スチューデント・リーグで学ぶ。1997年二紀会理事長。2004年「少年のいる夏」で日本芸術院賞、同年芸術院会員。2010年から2020年まで日本美術家連盟理事長。2017年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。風景画家。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小峰 顕一(こみね けんいち、1933年7月10日 - 20… 小峰 顕一(こみね けんいち、1933年7月10日 - 2012年3月20日)は、日本の経営者。セコム社長を務めた。東京都出身。 神奈川県立湘南高等学校を経て、1956年に学習院大学政経学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入行。 1970年に日本警備保障(のちのセコム)に転じ、1976年12月に取締役に就任し、1981年3月に常務、1986年2月に専務を経て、1990年2月に社長に就任。1995年6月に取締役相談役に就任。 2012年3月20日食道がんのために死去。78歳没。
山之内 秀一郎(やまのうち しゅういちろう、1933年 (昭… 山之内 秀一郎(やまのうち しゅういちろう、1933年 (昭和8年)7月10日 - 2008年(平成20年)8月8日)は、日本の鉄道実業家。東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)初代副社長、元会長、宇宙航空研究開発機構(JAXA)初代理事長。
杉町 壽孝(すぎまち としたか、1933年7月10日 - )… 杉町 壽孝(すぎまち としたか、1933年7月10日 - )は、日本の経営者。 セコム社長を務めた。佐賀県出身。 佐賀県杵島郡大町町で生まれ、高校2年生の時に東京に転校。1961年に慶應義塾大学経済学部を卒業。 コーンズアンドカンパニーでの勤務を経て、1976年に日本警備保障(のちのセコム)に転じ、1979年に取締役に就任し、1986年に常務、1994年6月に専務を経て、1995年6月に社長に就任。2002年4月に会長に就任。2005年4月に取締役相談役に就任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
水谷 尚(みずたに しょう、1933年(昭和8年)7月10日… 水谷 尚(みずたに しょう、1933年(昭和8年)7月10日 - 2013年(平成25年)10月13日)は、日本の政治家、愛知県津島市長(1期)、愛知県議会議員(2期)、津島市議会議員(5期)。 愛知県海部郡八開村(現・愛西市)出身。横浜市立大学商学部卒業。 津島市議会議員を5期務め、1991年(平成3年)4月の愛知県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選した。1995年(平成7年)の県議選は自民党公認で立候補し再選。同年11月、藍綬褒章を受章。 1999年(平成11年)4月の県議選は、元津島市長の井桁克の息子の井桁亮に敗れ落選。同年11月末、津島市長の山田克己が翌年の市長選への不出馬を表明し、「後継指名はしない」と述べた。
熊川 好生(くまかわ よしお、1932年7月10日 - 20… 熊川 好生(くまかわ よしお、1932年7月10日 - 2002年2月15日)は、日本の政治家。浦安町長を経て、初代浦安市市長を務めた。 千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市)出身。1951年、東京都立両国高等学校卒業。浦安町役場職員を経て1969年から浦安町長(2期)、1981年の市制施行後の浦安市にて1998年9月28日まで連続8期・29年、初代市長を務めた。東京ディズニーランドの誘致を始めとした数多くの政策を打ち出した。 1998年9月28日、体調不良を理由に浦安市長を辞任した。同年11月8日の市長選挙で松崎秀樹が当選し、第2代浦安市長となった。 2002年2月15日、急性心不全のため浦安市の病院で死去。
江川 三郎(えがわ さぶろう、1932年〈昭和7年〉7月10… 江川 三郎(えがわ さぶろう、1932年〈昭和7年〉7月10日 - 2015年〈平成27年〉1月18日)は、オーディオ評論家。 東京生まれ。上智大学経済学部商学科卒業。 当初はコンサートマネージメントなどの音楽関係者だったが、学生時代にオーディオ誌のライターをしており、後にオーディオ評論家になる。40代に入ってから自身でも機器の開発を始めるようになり、『レコード芸術』や『オーディオアクセサリー』などで研究発表を開始する。同じオーディオ評論家の菅野沖彦は学生時代からの友人で、菅野は「江川からオーディオを習った」と季刊アナログ誌などに記している。音楽関連の職についていた経験から、一般的なオーディオ評論家とは音楽に対するスタンスが異なる。
市田 ひろみ(いちだ ひろみ、1932年〈昭和7年〉7月10… 市田 ひろみ(いちだ ひろみ、1932年〈昭和7年〉7月10日 - 2022年〈令和4年〉8月1日)は、日本の美容師、服飾評論家、エッセイスト、女優、タレント。新しい歴史教科書をつくる会の理事と、日本会議の4つの関連団体の役員を務めた。 大阪府大阪市大正区出身。京都市立堀川高等学校、京都府立大学女子短期大学部国文科卒。 父の仕事(華中鉱業)の都合で、小学生時代を上海特別市で過ごした。1945年2月戦況の悪化を受けて、母弟と3人で日本へ帰国。母の郷里滋賀県大津市膳所で終戦を迎え、まもなく伯父の世話で京都(西洞院四条)へ移った。父が帰国するまで、と母が自宅で始めた美容院が繁昌し、高校三年生の時に美容師免許を取得。
市野瀬 浩(いちのせ ひろし、1932年7月10日 - )は… 市野瀬 浩(いちのせ ひろし、1932年7月10日 - )は、日本の経営者。日本新薬社長、会長を務めた。初代社長を務めた市野瀬潜の孫でもある。 京都府京都市出身。1950年に京都大学法学部を卒業し、同年に日本新薬に入社。1991年に取締役に就任し、1996年6月に専務を経て、1997年6月に社長に就任。2001年6月に会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉井 正澄(よしい まさずみ、1931年7月10日 - 20… 吉井 正澄(よしい まさずみ、1931年7月10日 - 2024年5月31日)は、日本の政治家。熊本県水俣市長(2期)、水俣市議会議員(5期)などを歴任した。 熊本県葦北郡久木野村(現水俣市)生まれ。1950年3月、熊本県立芦北農林高等学校卒業、農林業自営。 1975年4月、水俣市議会議員に初当選、連続5期務めた。この間、市議会議長を2期務めた。また、自民党水俣市支部長を務めた。1985年、全国市議会議長会公害対策特別委員会委員長。 1994年、水俣市長選挙に自民党の推薦を受けて立候補。健康上の理由により出馬を断念した岡田稔久市長の後継候補である助役の小松聰明、水俣商工会議所会頭の原一夫を破り初当選した。
三船 正俊(みふね まさとし、1931年7月10日 - 20… 三船 正俊(みふね まさとし、1931年7月10日 - 2012年9月16日)は、福岡県山田市(現:嘉麻市)出身のプロ野球選手。 福岡県立山田高等学校(現在は統合され福岡県立嘉穂総合高等学校)、日鉄鉱業二瀬を経て、1952年に大阪タイガースに入団。同年はルーキーながら開幕投手を務め、この試合で完封を記録した。タイガースでルーキーでありながら、開幕投手を務めたのは、1936年春の藤村富美男以来2人目の快挙だった。同年シーズンは、防御率4点台ながら7勝を挙げるなど、将来を非常に期待された。1953年も6勝を挙げ、防御率も3点と改善したが、1954年は僅か10試合の登板で1勝に終わった。同年オフに金銭トレードで東映フライヤーズに移籍。
来宮 良子(きのみや りょうこ、1931年7月10日 - 2… 来宮 良子(きのみや りょうこ、1931年7月10日 - 2013年11月25日)は、日本の声優、女優、ナレーター。東京俳優生活協同組合に所属していた。東京府荏原郡荏原町(後の東京府東京市荏原区、現:東京都品川区荏原)出身。 キャリア初期は、本名の櫻井 良子(さくらい りょうこ)名義でも活動していた。 小さい頃から本を朗読することが好きであり、アナウンサーになることを志望していた。 当初は東京府青山師範学校(後の東京第一師範学校)に通っていたが、小学4年生から東京都白金国民学校(現:港区立白金小学校)に転校。戦時中は疎開がてらに茨城県立土浦高等女学校(現:茨城県立土浦第二高等学校)に進学し、女子寮に入る。
左右田 一平(そうだ いっぺい、1930年7月10日 - 2… 左右田 一平(そうだ いっぺい、1930年7月10日 - 2012年2月10日)は、日本の俳優。北海道札幌市出身。血液型はA型。本名は廣田 信夫(ひろた のぶお)。劇団中芸、東京芸術座、東京俳優生活協同組合を経て、最終所属はたむらプロ。舞台芸術学院卒業。 高校卒業後に兄を頼って上京。1955年に劇団中芸入団。1959年に東京芸術座が誕生すると団員の一人となる。東京芸術座の舞台やテレビ、映画で活躍した。1979年に京都市民映画祭でテレビ部門男優賞を受賞。 結束信二作品の常連的存在で、『忍びの者』から『燃えよ剣』までの全ての作品に出演していた。特にテレビ時代劇『用心棒』シリーズは、左右田のみ同じ品田万平役でシリーズ4作全て出演した。
加東 康一(かとう こういち、1930年7月10日 - 19… 加東 康一(かとう こういち、1930年7月10日 - 1990年5月13日)は、日本の芸能評論家。 千葉県市川市出身。『国際タイムス』の社会部記者などを経て1960年、フリーの芸能評論家となり新聞・雑誌で健筆を振るう一方、『テレビ三面記事』、『アフタヌーンショー』、『こんにちは2時』、『やじうまワイド』などテレビに出演。ラジオ・テレビ同時放送だったKBS京都「山崎弘士のお昼は天国」にも電話出演していた。 父も映画記者で、いわゆる芸能レポーターの先駆け的存在である。当時、芸能界の独占的存在だったナベプロ体制を批判するなど権威に屈さない反骨の人であった。 しかし1989年7月、舌癌のため舌・咽頭の全摘出手術を受け、声を失う。
川瀬 宏之(かわせ ひろゆき、1930年7月10日 - )は… 川瀬 宏之(かわせ ひろゆき、1930年7月10日 - )は、静岡県出身のプロ野球選手(捕手)。 興誠商業(現・浜松学院中学校・高等学校),ノンプロの小口製作所を経て、1950年に大洋ホエールズに入団。しかし正捕手の門前眞佐人の壁は厚く、2試合しか出場できず、同年末に引退した。 川口芳弘とは、興誠商業、小口製作所、大洋全てでチームメイトであった(高校、ノンプロ時代にはバッテリーを組んでいた)。
和久 峻三(わく しゅんぞう、1930年7月10日 - 20… 和久 峻三(わく しゅんぞう、1930年7月10日 - 2018年10月10日)は、日本の推理作家・弁護士。本名は古屋峻三。別名として夏目 大介(なつめ だいすけ)。写真家としての顔も持ち、日本図書館協会選定図書の写真集『日本の原風景』(1993年)も発表している。 大阪府大阪市出身。1955年(昭和30年)に京都大学法学部を卒業し中部日本新聞の記者となるが、友人から月刊文芸誌『宝石』を見せられ推理小説の魅力にとりつかれる。1960年(昭和35年)に同誌の宝石賞に応募し候補作に選ばれる。応募作『紅い月』は本名の滝井峻三名義で『宝石』に掲載され作家としてデビューした。「生まれて初めて書いた小説が雑誌に掲載されたときの私の感動は、一生涯、忘れることができないものとなりました」と和久は語っている。
石黒 忠(いしぐろ ただし、1930年7月10日 - )は、… 石黒 忠(いしぐろ ただし、1930年7月10日 - )は、愛媛県伊予三島市出身の元プロ野球選手(投手)。 三島高校から1951年に広島カープへ入団。1952年に引退。
八染 茂雄(やそめ しげお、1929年7月10日 - 198… 八染 茂雄(やそめ しげお、1929年7月10日 - 1983年8月17日)は、栃木県足利市朝倉町出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。現役時代の体格は172cm、93kg。得意手は左四つ、寄り、肩透かし、上手捻り。最高位は東前頭16枚目(1957年3月場所)。 栃木県立足利工業学校(現・栃木県立足利工業高校)を卒業後、食糧公団勤務を経て春日野部屋に入門し、1949年10月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外と新序でそれぞれ好成績を残したため、翌年1月場所の番付では序ノ口を飛び越し、序二段に四股名が載った。 なお、当初より、本名でもある「八染」を名乗った(以後は「栃木岩」に改名した時期もあったが、2年足らずで元の「八染」に再改名している)。
平井 聖(ひらい きよし、1929年7月10日 - )は、日… 平井 聖(ひらい きよし、1929年7月10日 - )は、日本の建築史家。専門は、日本建築史、特に住宅史。東京工業大学名誉教授。第7代昭和女子大学学長。 東京都生まれ。1952年、東京工業大学工学部建築学科卒業、同大学助手。1962年、「日本近世住宅に於ける殿舎平面と配置に関する研究」で工学博士。1963年、助教授、1974年、教授。1993年、定年退官、名誉教授。1969年多摩美術大学建築科で教えた。 昭和女子大学教授。2002-2020年、冬夏会会長。2003-2007年、昭和女子大学学長兼大学院委員長。福井県立歴史博物館館長。NHK大河ドラマの建築考証を1993年『炎立つ』から現在まで務めている。
森山 京(もりやま みやこ、1929年〈昭和4年〉7月10日… 森山 京(もりやま みやこ、1929年〈昭和4年〉7月10日 - 2018年〈平成30年〉1月7日)は、日本の童話作家、コピーライター。化粧品のCMコピー「25歳はお肌の曲がり角」の作者。 東京都大森生まれ。兵庫県立福崎高等女学校卒業、神戸女学院大学中退。大阪阪急百貨店宣伝部勤務を経てフリーのコピーライターとなり、日本デザインセンターで活動した。40歳から創作を始める。1968年「子りすが五ひき」で講談社児童文学新人賞佳作、翌年児童文学作家としてデビュー。1983年『ねこのしゃしんかん』(講談社)でボローニャ国際児童図書展エルバ賞特別賞受賞。1989年「きつねのこ」シリーズで路傍の石幼少年文学賞、1990年『あしたもよかった』で小学館文学賞、1996年『まねやのオイラ旅ねこ道中』で野間児童文芸賞、1999年『パンやのくまちゃん』でひろすけ童話賞、2009年『ハナと寺子屋のなかまたち』で赤い鳥文学賞を受賞。
高林 清高(たかばやし きよたか、1928年7月10日 - … 高林 清高(たかばやし きよたか、1928年7月10日 - 没年不詳)は、日本の元スピードスケート選手である。 長野県下諏訪町出身。明治大学在学中の1952年にオスロオリンピックへ出場し、500mで6位入賞、これは1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック500mで4位となった石原省三以来2人目の入賞である。また、1500mで34位となった。4年後のコルティナダンペッツォオリンピックでは500mで30位に終わった。インスブルックオリンピックではスケートチームのコーチを務めた。 1953年(昭和28年)増沢工業に入社し、1956年(昭和31年)高林スケート工業専務に就任、1960年(昭和35年)明治精機製作所を創業し代表者となった。
許 佶(ホ・ギル、朝鮮語: 허길、1928年7月10日 - … 許 佶(ホ・ギル、朝鮮語: 허길、1928年7月10日 - 2016年3月18日)は、大韓民国の実業家、政治家。第5代韓国国会議員。 本貫は陽川許氏。キリスト教徒。元法務法人太平洋顧問の許京旭(朝鮮語版)は息子。 日本統治時代の京畿道金浦郡(現・金浦市)出身。城東高等学校、東国大学(現・東国大学校)専門部文科大学卒。高麗大学校政法大学法科2年修了。明治大学政経学部3年卒、同大学院国際政治科2年修了。共盛染料株式会社専務理事・専務取締役、大韓行政学会理事、陽川許氏中央宗親会顧問、陽川許氏本山宗親会長・長安宗親会長、民主党中央党常務委員・中央委員・金浦郡党委員長を務めた。 2016年に死去。享年88。
谷口 龍男(谷口竜男、たにぐち たつお、1928年7月10日… 谷口 龍男(谷口竜男、たにぐち たつお、1928年7月10日 - 2005年8月28日)は、日本の哲学者。早稲田大学名誉教授。 東京出身。早稲田大学第二文学部西洋哲学専修卒業。1955年3月、早稲田大学大学院文学研究科西洋哲学専修修士課程修了、文学修士。1958年3月、早稲田大学大学院文学研究科西洋哲学専修博士課程単位取得満期退学。早稲田大学第一・第二文学部助教授、第一・第二文学部教授。1987年に「キルケゴール研究」で早稲田大学文学博士。1998年定年退任。2000年から2002年まで早稲田大学第二文学部長。 2005年8月28日、肺炎のため死去。
三町 半左(さんちょう はんざ、1928年7月10日-201… 三町 半左(さんちょう はんざ、1928年7月10日-2019年1月16日)は、埼玉県所沢市出身の漫画家。本名、山畑儀雄。 結核の悪化に伴い入退院を繰り返し、執筆を断念した後所沢市で新聞販売店を経営。のちに社団法人日本新聞販売協会会長として再販問題に取り組む。 少年飛行兵だったが、肺結核にかかり入院。1952年、小康を得て退院時に医師に「ものを書いて生きていきたい」と話したところ、小学館の編集局長に「漫画家のタマゴを育ててやってくれんか」と声をかけてもらった。ものを書くというのは小説を、というつもりだったが、出版社に出入りしておれば、そのうち小説を書くチャンスもあろうか、と漫画を描き始めた。地域の新聞に見よう見まねの漫画やカットを描いていただけで、絵の基礎はなかったという。
中里 信男(なかさと のぶお、1927年7月10日 - 20… 中里 信男(なかさと のぶお、1927年7月10日 - 2013年7月15日)は、青森県の政治家。青森県議会議員、元八戸市長で淀地区顧問。 盛岡工業学校機械科を卒業後、日本砂鉄に就職。1954年に東北建機工業所(後に東北建機工業)を設立した。1967年に八戸市議会議員に初当選し、青森県議会議員を経て1985年(昭和60年)11月の市長選で現職秋山皐二郎に敗れるも、1989年(平成元年)11月に初当選を果たす。3期務め、長期政権を築いた市長と短命に終わった市長とで繰り返す交代の例外となった。市長在任中は八戸市医師会に距離を置かれつつあった日本共産党候補のみ対抗馬として立候補していたため、八戸戦争は休戦に至った。
夏目 晴雄(なつめ はるお、1927年〈昭和2年〉7月10日… 夏目 晴雄(なつめ はるお、1927年〈昭和2年〉7月10日 - 2016年〈平成28年〉9月21日)は、日本の防衛官僚。防衛事務次官、防衛大学校長。 長野県出身。特別調達庁(後の防衛施設庁)を経て、防衛庁へ出向。防衛官僚としてベレンコ中尉亡命事件(ミグ25事件)、大韓航空機撃墜事件などの対処に当たる。 2008年(平成20年)10月31日に田母神俊雄航空幕僚長が更迭された際、新聞に『いつか来た道、歩き始めた』という記事を投稿。この中で「制服組が思い上がりとも思える自信過剰になってきた」、「制服を容易に政治に直轄させてはならない」などと述べて処分を肯定したほか、背広・制服組の統合に対し否定的見解を示した。
湯浅 洋(ゆあさ よう、1926年〈大正15年〉7月10日 … 湯浅 洋(ゆあさ よう、1926年〈大正15年〉7月10日 - 2016年〈平成28年〉9月7日)は、日本の形成外科医で京都府出身。ハンセン病対策の第一人者として知られ、関連する国際機関の委員や長を歴任する。2002年にハンセン病制圧の貢献者へ贈られるダミアン・ダットン賞(ドイツ語版)を受賞する。 結核で療養した経験から医師を志し、岡山愛生園で出会ったハンセン病患者らと交流を重ね、国際ハンセン病学会で事務局職員として活動し、ハンセン病医療に生涯を費やす。 イギリスで医学を修め、ザ・レプラシー・ミッションに従事する。笹川記念保健協力財団の要請で日本へ帰国し、財団で医療部長、常任理事、顧問を歴任する。
河野 重男(こうの しげお、1926年(大正15年)7月10… 河野 重男(こうの しげお、1926年(大正15年)7月10日 - 2004年(平成16年)6月8日)は、日本の教育社会学者・教育行政学者。お茶の水女子大学名誉教授。 宮崎県出身。東京大学卒。国立教育研究所勤務、1967年お茶の水女子大学教授、87年学長。92年定年退官、名誉教授、東京家政学院大学長。日本教育社会学会会長、中央教育審議会委員、社会教育審議会委員などを務めた。
飯田 善國(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 20… 飯田 善國(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 2006年4月19日)は、日本の彫刻家、現代美術家、詩人。 栃木県足利市生まれ。旧制館林中学卒。慶應義塾大学在学中に徴兵され中国を転戦した。帰国後慶應に復学した後、かねてからの希望だった画家を志して東京藝術大学に入学、梅原龍三郎らの教えを受け1953年に卒業した。その後は、池田龍雄らと制作者懇談会を結成し、芸術論の交換をしながら、戦争体験でばらばらになった世界観や自己への懐疑を再構築すべく、表現主義的な絵画で彼なりのリアリズムを築き上げようとした。 1956年からのローマ留学の間、彫刻のコースで学び、さらにヴォルスの絵画やヘンリー・ムーアの抽象彫刻に衝撃を受けてそれまで描いてきた「リアル」に対する概念をゆすぶられた彼は、より外に開かれた、実感に近いものを求めて彫刻制作に転じ、ウィーンやベルリンなど主に欧州で活躍し、木や石を素材に各地の展覧会に出展した。
飯田 善国(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 20… 飯田 善国(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 2006年4月19日)は、日本の彫刻家、現代美術家、詩人。
村山 新治(むらやま しんじ、1922年7月10日 - 20… 村山 新治(むらやま しんじ、1922年7月10日 - 2021年2月14日)は、日本の映画監督。兄はドキュメンタリー監督の村山英治。 長野県埴科郡屋代町(現千曲市)生まれ。1941年に長野工業学校卒業後、記録映画の助監督を経て、1949年に東映の前身である太泉映画入社。今井正らの助監督を務めた後、1956年に東映教育映画部の『わんぱく時代』で監督デビュー。1957年の『警視庁物語 上野発五時三十五分』で一般映画も監督するようになる。その後も『警視庁物語』シリーズをはじめとしたセミ・ドキュメンタリー的な作品を多く手がけた。 1970年代以降は主にテレビドラマ演出に活躍の場を移し、『特捜最前線』や一連の東映不思議コメディーシリーズなどの監督を長年にわたって務めた。
伊藤 淳二(いとう じゅんじ、1922年7月10日 - 20… 伊藤 淳二(いとう じゅんじ、1922年7月10日 - 2021年12月19日)は、日本の実業家。武藤絲治に認められ、のちにカネボウ会長になる。日本航空元会長。建築学者の横尾義貫は従兄にあたる。江藤新平の曾孫。
田井 庄之助 (たい しょうのすけ、1922年 <大正11年… 田井 庄之助 (たい しょうのすけ、1922年 <大正11年> 7月10日 - 2012年 <平成24年> 10月31日) は、日本の教育者であり文学者である。大分大学教授、別府大学教授を務めた。位階は従四位。岡山県高梁市出身。 1922年(大正11年)7月10日、岡山県高梁市に生れる。地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学。同期には、日本原子力研究所副理事長を務める天野昇、岡山県新見市長になる福田正彦、丸善石油(現:コスモ石油)副参与と北海道の丸善石油関連社長を務めた古米初男がいる。 1940年(昭和15年)同校を卒業し、広島高等師範学校文科へ進学した。同校を1944年(昭和19年)卒業し、広島文理大学文学部へ進学する。
横地清(よこち きよし、1922年7月10日 - 2022年… 横地清(よこち きよし、1922年7月10日 - 2022年12月10日)は、日本の数学教育学者。 愛知県に生まれる。1945年東京文理科大学数学科卒業。1966年和光大学人文学部教授。1976年山梨大学教育学部教授。1988年東海大学海洋学部教授。北京師範大学客員教授、内蒙古師範大学科学史研究所客員教授。数学教育学会名誉会長。
部谷 孝之(へや たかゆき、1922年7月10日 - 200… 部谷 孝之(へや たかゆき、1922年7月10日 - 2004年10月20日)は、昭和期における日本の政治家である。民社党衆議院議員(2期)、民社党山口県議会議員(3期)を務めた。 広島県出身。1943年9月、旧制広島高等工業学校(現・広島大学工学部)工作機械学科を卒業。同年10月に海軍予備学生となった。1946年6月に徳山曹達に入社した。同年12月には同社労働組合青年部長専従となった。1955年4月に、受田新吉の秘書となった。1960年、民社党結党に参画した。1967年4月に山口県議会議員選挙に民社党公認で徳山市選挙区から立候補して、初当選した。1975年4月、山口県議会議員選挙に徳山市・都濃郡選挙区から立候補して再選を果たした。
楠 正弘(くすのき まさひろ、1921年7月10日-2009… 楠 正弘(くすのき まさひろ、1921年7月10日-2009年7月20日)は、日本の宗教学者。東北大学名誉教授。 京都府綾部市出身。浄土真宗の寺に生まれる。東北大学大学院文学部特別研究生博士課程修了。東北大学教養部助教授、文学部日本文化研究施設教授。79年「信仰の形成と本質構造」で東北大学文学博士。85年定年退官、名誉教授、武蔵野女子大学教授。堀一郎に師事し、宗教学から民間信仰へと研究を進めた。
上田 明一(うえだ めいいち、1921年7月10日 - 20… 上田 明一(うえだ めいいち、1921年7月10日 - 2004年6月20日)は、日本の哺乳類学者。元農林省林業試験場鳥獣科長。森林野生動物研究会会員。北海道における森林害獣としてのユキウサギやエゾヤチネズミ等の応用動物学的研究を行った。動物学者・生態学者の上田宏の父。 1921年北海道旭川に生まれる。1945年北海道帝国大学農学部農業生物学科卒業。1947年北大大学院特別研究生を修了し、農林省札幌営林局森林有害動物調査所に勤務。1951年森林有害動物調査所の廃止に伴い、林業試験場(現・森林総合研究所)札幌支場に移った。1961年、農学博士(北海道大学)取得。論文の題は「エゾヤチネズミの発生予察並びにその駆除法に関する研究」。
飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年(大正9年)7月10… 飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年(大正9年)7月10日 - 2007年(平成19年)2月25日)は、山梨県出身の俳人。飯田蛇笏の四男で、蛇笏を継ぎ俳誌「雲母」を主宰。戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した。
的場 徹(まとば とおる、1920年〈大正9年〉7月10日 … 的場 徹(まとば とおる、1920年〈大正9年〉7月10日 - 1992年〈平成4年〉)は、日本の特撮監督、撮影技師、ドキュメンタリー監督。東京市(現・東京都)麹町区有楽町出身。 1920年(大正9年)7月10日、東京の有楽町に生まれる。幼少時より映画に憧れを持つ。 1937年(昭和12年)、旧制中学時代にP.C.Lのエノケン物の映画を観て、「数十人に分身したエノケンの孫悟空」などといった、トリック撮影の魅力にはまる。父親、兄ともに絵描きで、母親は別方面への進学を望んだが、結局、東京美術学校 (現:東京芸術大学)に進む。 1938年(昭和13年)、東京美術学校を卒業。撮影助手募集の新聞公募を見て、日活多摩川撮影所の「技術部」に姫田真佐久と共に入社。
松村 昶子(まつむら しょうこ、1920年(大正9年)7月1… 松村 昶子(まつむら しょうこ、1920年(大正9年)7月10日 - 1945年(昭和20年))は、昭和時代の競泳選手。 山口県吉敷郡大歳村矢原高畑(現山口市矢原町高畑)の医師松村章の二女として生まれる。1927年(昭和2年)大歳小学校に入学し、椹野川の八光面(石津橋の下)で泳ぎを覚えた。 山口高等女学校在学中、100m自由形で1936年ベルリンオリンピック競泳日本代表に選出されたが、本大会では出場しなかった。
改井 秀雄(かい ひでお、1919年(大正8年)7月10日 … 改井 秀雄(かい ひでお、1919年(大正8年)7月10日 - 1983年(昭和58年)3月31日)は、昭和期の地方公務員、労働運動家、政治家。1971年から1983年まで富山県富山市長(4期)を務めた。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 富山県出身。1943年(昭和18年)拓殖大学商学部卒業後、富山県庁に入庁し、同県職組委員長、全日本自治団体労働組合富山県本部委員長などを歴任。富山県議会議員(日本社会党公認、1963年から2期)をへて、1969年(昭和44年)の県知事選に挑戦するも落選(当選は自民党公認で新人の中田幸吉)。 その後、1971年(昭和46年)2月に行われた富山市長選挙にて、社共統一候補として立候補し初当選。
緒方 太郎(おがた たろう、1919年 <大正8年> 7月1… 緒方 太郎(おがた たろう、1919年 <大正8年> 7月10日 - 2003年 <平成15年> 12月8日)は、日本の銀行家。千葉銀行頭取を務めた。位階は正四位。 東京都出身。父は陸軍大将の緒方勝一。1943年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に日本銀行に入行。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 戦後、日銀に復帰し、1974年4月から1975年4月までに理事を務めた。 1975年5月に千葉銀行副頭取に就任し、1976年4月には頭取に昇格。1987年6月に会長に就任し、1991年6月に取締役相談役を経て、1997年6月には相談役に就任。
人見 鐵三郎 (ひとみ てつさぶろう、1918年(大正7年)… 人見 鐵三郎 (ひとみ てつさぶろう、1918年(大正7年)7月10日 - 2008年(平成20年))は、日本の外交官、翻訳家。 昭和16年(1941年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年外務省に入省。 1953年ユネスコ臨時総会政府代表団、1955年ハンブルク領事、1958年在スイス大使館一等書記官、1960年法務省入国管理局資格審査課長、1962年外務省移住局振興課長、1965年在ケニア大使館参事官、在アイルランド大使館参事官などを経て、1968年ボンベイ総領事。 その後、駐コスタリカ・グアテマラ・フィンランド特命全権大使などを歴任。日本翻訳家協会・日本翻訳文化賞記念会会長。仏教徒。
市田 夏生(いちだ なつお、1917年7月10日 - 没年不… 市田 夏生(いちだ なつお、1917年7月10日 - 没年不明)は、広島県出身のプロ野球選手(投手)。 1950年に広島カープへ33歳で入団。武器はドロップ。1951年に引退。
千代田 葛彦(ちよだ くずひこ、1917年7月10日 - 2… 千代田 葛彦(ちよだ くずひこ、1917年7月10日 - 2003年11月22日)は、俳人。本名次郎。台湾台中州にて生まれる。1934年阿川燕城の「竹鶴」に参加。終戦後に引揚げ。肺湿潤で療養後、中央大学法学部を卒業、教職に就く。1950年、「馬酔木」に入会し水原秋桜子に師事。1964年、『旅人木』で第4回俳人協会賞受賞。2003年、葛飾賞受賞。代表句「眠るまで月をいくつも見て眠る」他。「賜る俳句」を作句信条とした。句集に『旅人木』(1964年)『瀝々集』(1980年)『無邪』(2003年)。
大口 信夫(おおぐち のぶお、1917年〈大正6年〉7月10… 大口 信夫(おおぐち のぶお、1917年〈大正6年〉7月10日 - 1994年〈平成6年〉1月28日)は、日本の外交官。 ブラジル、サウジアラビア、ポルトガル駐箚特命全権大使を務めた。 サンパウロ総領事在任中の1970年3月11日に、都市ゲリラによる誘拐事件で日本人外交官初めての人質となった。4日後の3月15日に無事解放された。 1917年(大正6年)愛知県豊橋市で政治家・大口喜六の4男として生まれる。1942年(昭和17年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、外務省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年5月、主計大尉に進み終戦を迎えた。
中村 浩三(なかむら こうぞう、1917年(大正6年)7月1… 中村 浩三(なかむら こうぞう、1917年(大正6年)7月10日 - 2008年(平成20年))は、日本のドイツ文学者、翻訳家、早稲田大学名誉教授。 島根県生まれ。1944年早稲田大学文学部独文科卒。早稲田高等学校講師、1951年早稲田大学理工学部助教授、1957年教授、1968 - 1974年語学教育研究所長、1988年定年退任、名誉教授。 1991年『少年ルーカスの遠い旅』で産経児童出版文化賞受賞。ドイツの児童文学を多く訳し、『大どろぼうホッツェンプロッツ』三部作がロングセラーとなっている。
遠藤 湘吉(えんどう しょうきち、1916年7月10日 - … 遠藤 湘吉(えんどう しょうきち、1916年7月10日 - 1975年10月19日)は、日本の経済学者。東京大学教授。専攻は財政学、学位は経済学博士(1962年)。実兄に東大野球部で投手として活躍した遠藤洋吉がいる。 北海道に生まれる。京都府立京都第一中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第一高等学校を経て1940年東京帝国大学経済学部卒業。同年東京帝国大学経済学部助手、1949年東京大学社会科学研究所助教授、1958年同教授。1963年東京大学経済学部教授に移り、1970年から1972年まで同経済学部長。
磨甎庵 劫石<ませんあん ごっせき>(本名:白田 貴郎<はく… 磨甎庵 劫石<ませんあん ごっせき>(本名:白田 貴郎<はくた たかお>)、1915年7月10日 - 2009年2月11日)は、臨済宗妙心寺派系の法を嗣ぐ老師、人間禅第三世総裁。倫理学学者。千葉大学名誉教授。聖徳短期大学名誉教授。勲二等瑞宝章受章。 1915年7月10日、東京に生まれ、隅田小学校に学ぶ。 1932年、東京府立第七中学校4年修了後、府立高等学校文科甲類に進学。 在学中野球部に入り、練習で体調を崩して結核となり、人間の死について疑団をもち、これを決着しなければ、人生は砂 上の楼閣となると考え、経済学部への進学をやめて、東大の和辻哲郎教授につき、哲学を学ぶことを決意。 1935年、東京帝国大学文学部倫理学科に進学。
小林 章(こばやし あきら、1915年(大正4年)7月10日… 小林 章(こばやし あきら、1915年(大正4年)7月10日 – 1999年(平成11年)8月1日)は、日本の昭和期の大蔵官僚、政治家。参議院議員、日本専売公社総務理事。 大阪府大阪市出身。大阪高等学校を卒業。1937年(昭和12年)10月、高等試験行政科試験に合格。1938年(昭和13年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。同年、大蔵省に入省し主税局属となる。 以後、大阪税関総務部長、松山海運局監理部長、高松財務局経理部長、同関税部長、大蔵省管理局財務第二課長などを歴任した。 日本専売公社に移り、塩業課長、主計課長、仙台地方局長、本社綜合企画室長、塩脳部長、臨時塩業整備本部長、経理部長、企画部長、総務理事を歴任し、1964年(昭和39年)に退任した。