杉田虔一郎(すぎた けんいちろう、1932年10月14日 -… 杉田虔一郎(すぎた けんいちろう、1932年10月14日 - 1994年9月5日)は、日本の医学者。専門は脳神経外科学。学位は、医学博士。信州大学医学部脳神経外科学教室教授(初代1978年-1988年)、名古屋大学医学部脳神経外科教授(1988年-1994年の死亡時まで)を歴任。 定位脳手術、手術機器の開発などを手がけ、脳動脈瘤治療のためのクリップ(Sugitaクリップ)を開発する。さらに、顕微鏡手術のための手術機器および支援機器を精力的に開発し脳神経外科手術の治療成績と安全性の向上、国内外の若手医師の指導など幅広く寄与する。門下に小林茂昭世界脳神経外科学会連盟名誉会長らがいる。 在任中に、看護師と共同で開催する信州セミナー(1978年創設)、手術映像を用いた症例検討会の嚆矢である白馬脳神経外科セミナー(1979年)を創設
北村 康雄(きたむら やすお、1932年10月14日 - )… 北村 康雄(きたむら やすお、1932年10月14日 - )は、日本の元競泳選手。兄は1932年ロサンゼルスオリンピック1500m自由形金メダリストの北村久寿雄。高知市立高知商業高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。第15回ヘルシンキオリンピック競技大会代表選手選考会を兼ねた第28回日本選手権水泳競技大会の1500m自由形で2位となり、オリンピック代表選手に選出された。その後1952年ヘルシンキオリンピックの競泳競技・男子1500m自由形に出場し、6位入賞した。
加美 和照(かみ かずてる、1931年10月14日 - )は… 加美 和照(かみ かずてる、1931年10月14日 - )は、日本の法学者。専門は、商法・会社法。学位は、博士(法学)(中央大学・論文博士・1997年)。中央大学名誉教授。 1954年中央大学法学部法律学科卒業。1956年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。 埼玉大学文理学部助手。1962年青山学院大学法学部専任講師。1965年青山学院大学法学部助教授。1966年中央大学法学部専任講師。1967年中央大学法学部助教授。1969年中央大学法学部教授。1975年ドイツ・ミュンスター大学に留学(~1976年)。1979年中央大学通信教育部長(~1981年)。1986年学校法人中央大学評議員(~1990年)。
河合忠(かわい ただし、1931年10月14日- )は、日本… 河合忠(かわい ただし、1931年10月14日- )は、日本の医学者・血液学者・臨床検査専門医。自治医科大学名誉教授。2025.6.2793歳で逝去 北海道夕張市真谷地生まれ。1955年北海道大学医学部卒。 1956年米国ハワイ大学クアキニ病院インターン、1956年医学博士。1958年マイアミ大学医学部・ジャクソン記念病院レジデント、米国解剖病理学・臨床病理学認定医取得。1963年国鉄中央鉄道病院副医長、1966年日本大学医学部臨床病理学助教授、1972年教授・駿河台日大病院検査科部長。1974年自治医科大学臨床病理学教授・付属病院臨床病理部長。1997年名誉教授。国際臨床病理センター所長。2005年(財)国際医療技術交流財団(現:公益財団法人国際医療技術財団)理事長。
坂本 長利(さかもと ながとし、1929年10月14日 - … 坂本 長利(さかもと ながとし、1929年10月14日 - 2024年3月20日)は、日本の俳優。島根県出雲市出身。身長163cm、体重54kg。かつてはオフィスPSCに所属していた。 1967年、新宿の幕間狂言として当時38歳にて初演。以後55年に渡り演じ続け、ライフワークと言える坂本の代表作となった。1985年、紀伊国屋演劇賞特別賞、2000年、旅の文化賞を受賞。1996年1月、広島・因島公演で1000回を突破し、2012年3月の福島県昭和村公演で1150回となり、最終的には令和5年7月2日、栃木県佐野市での公演にて1223回を数えている。
山村 嘉己(やまむら よしみ、1929年10月14日 - )… 山村 嘉己(やまむら よしみ、1929年10月14日 - )は、フランス文学者、関西大学名誉教授。 三重県生まれ。1953年京都大学文学部仏文科卒。1963年佛教大学助教授、1967年関西大学文学部助教授、1976年教授、2000年定年、名誉教授。華頂短期大学学長。
服部 一敏(はっとり かずとし、1929年10月14日 - … 服部 一敏(はっとり かずとし、1929年10月14日 - )は、図書館員、著述家。図書館情報学者。 東京市(現文京区)出身。1953年東京教育大学理学部卒。国立国会図書館勤務、専門資料部科学技術資料課課長補佐。1976-1977年イリノイ大学アジア資料センター客員講師。
野村 耕三(のむら こうぞう、1929年〈昭和4年〉10月1… 野村 耕三(のむら こうぞう、1929年〈昭和4年〉10月14日 - 2001年〈平成13年〉10月15日)は、日本の作詞家、放送作家、脚本家である。日本作詩家協会理事を歴任した。本名同、ペンネームに山野 良夫(やまの よしお)がある。 1929年(昭和4年)10月14日に生まれる。明治大学政治経済学部を卒業後、大蔵事務官に任官(昭和26年)、東京国税局 国税調査官などとして働いた経歴を持つ。 1960年(昭和35年)、西河克己監督、児井英生プロデュースの映画『俺の故郷は大西部』に本名で原作を提供、翌1961年(昭和36年)の野口博志監督、児井プロデュース作『早討ち無頼 大平原の男』以降、「山野良夫」名義で原案・原作を提供する。
高田 誠三(たかだ せいぞう、1928年10月14日 - 2… 高田 誠三(たかだ せいぞう、1928年10月14日 - 2010年10月2日)は、日本の写真家。 大阪芸術大学写真学科教授、全日本写真連盟理事、日本写真家協会会員、朝日カルチャーセンター講師などを歴任した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、カメラに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:写真/PJ:カメラ)。
木原 信敏(きはら のぶとし 1926年(大正15年)10月… 木原 信敏(きはら のぶとし 1926年(大正15年)10月14日 - 2011年(平成23年)2月13日)は、日本の技術者、実業家。元ソニー専務。元ソニー木原研究所会長。創業者井深大に見出され、ソニー創成期の基礎技術を確立させる。東京通信工業時代からのソニー創成期メンバーの一人。 東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区)生まれ。東京府立第二中(現東京都立立川高等学校)を経て早稲田大学専門部工科機械科を卒業後、1947年東京通信工業(現:ソニー)に新卒採用1期生として入社。 1950年に日本最初のテープレコーダー、1964年にビデオテープレコーダー国産第一号機やベータ方式のVTR「ベータマックス」を開発。
田丸 仁(たまる ひとし、 1926年10月14日 - 19… 田丸 仁(たまる ひとし、 1926年10月14日 - 1993年2月2日)は、神奈川県川崎市出身の元野球選手(内野手)・コーチ・監督。 旧制立正中から法政大学に進学するも、アキレス腱断裂の重傷を負ったため選手を断念。 卒業後は法政二高の監督に就任し、バントとヒットエンドランを多用する戦術で1960年の甲子園大会、1961年の選抜大会を連覇。1961年に母校・法大の監督となった。1964年退任。同年12月22日に東京オリオンズへの入団と同球団の二軍監督への就任が発表された。 本堂保次監督の代理として指揮を執っていた濃人渉の後任に、当初鶴岡一人を招聘しようとしたのが頓挫したことから。1966年の1シーズンだけ一軍の監督を務めた。
辻 敬一(つじ けいいち、1926年10月14日 - 199… 辻 敬一(つじ けいいち、1926年10月14日 - 1990年2月24日)は、日本の大蔵官僚。元行政管理事務次官。 東京府出身。東京大学法学部政治学科卒業。1948年3月 大蔵省入省。大臣官房文書課配属。1951年6月16日 沼津税務署長。1952年9月1日 甲府税務署長。以降、主計局中心のキャリアを歩み、総務課長補佐、主計官補佐(社会保険、労働係)、同(厚生係)などを務める。1966年8月1日 主計局主計官(厚生・労働担当)。1969年8月15日 主計局法規課長。1970年6月25日 大臣官房文書課長。1971年6月28日 東海財務局長。1972年6月27日 主計局次長(末席)。1973年6月26日 同(次席)。
高木 久雄(たかぎ ひさお、1924年10月14日 - 20… 高木 久雄(たかぎ ひさお、1924年10月14日 - 2014年8月31日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授、京都外国語大学元学長。近代ドイツ文学専攻。 長野県岡谷市生まれ。長野県立諏訪中学校(現:長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、一高を経て、1951年京都大学文学部卒、西京大学助教授、京都大学教養部助教授、1971年教授、1988年定年退官、名誉教授、京都外国語大学教授、1992年から1998年まで同大学及び短期大学学長、2000年に定年退職、名誉教授。 2014年8月31日、肺炎により京都市内の病院で死去。
黒須 重彦(くろす しげひこ、1924年10月14日 - 2… 黒須 重彦(くろす しげひこ、1924年10月14日 - 2014年2月24日)は、日本文学・中国文学者。 旧制第一高等学校を経て、東京大学文学部中国文学科卒(1953年)。藤家礼之助と同人雑誌に加わり作家を目指す。 1963年(昭和38年)「蜘蛛と毛糸」並びに「落下」にて群像新人賞候補。 結婚の際には宇沢弘文が仲人を務めた。千葉県立千葉中学校・高等学校国語科教諭のかたわら、現代語訳に疑問を持っていた「夕顔の巻」の研究を進める。 大東文化大学教授。1995年定年退任。『源氏物語私論』で文学博士。
西尾 出(にしお いずる、1924年(大正13年)10月14… 西尾 出(にしお いずる、1924年(大正13年)10月14日 - 1992年(平成4年)5月12日)は、日本の実業家である。日本ナレッジインダストリ(現在のアイエックス・ナレッジ)の社長を務めた。 東京府東京市(現在の東京都)世田谷区に生まれ、東京工業大学電気工学科に入学する。1949年(昭和24年)に卒業後は、第一物産(現在の三井物産)に入社しコンピューティングセンター室長代理を務めた。1967年(昭和42年)には三井情報開発取締役および常務を務め、1970年(昭和45年)から一年間業務部システム開発室長、1972年(昭和47年)には専務を歴任する。 その後独立し1979年(昭和54年)にはコンサルタントとしての活動を開始し、同年日本ナレッジインダストリを設立し同社の初代社長に就任した。
駒宮 安男(こまみや やすお、1922年10月14日 - 1… 駒宮 安男(こまみや やすお、1922年10月14日 - 1993年3月11日)は、日本の電気工学者。 1944年、東京帝国大学工学部電気工学科卒業。通産省電気試験所(現在の産業技術総合研究所)に入所。1952年、末包良太とともに日本初の自動計算機である、継電器式自動計算機のパイロットモデルETL Mark Iを完成。1955年、本格的な大型継電器式自動計算機ETL Mark IIを完成。リレー計算機として世界最大、最高速のものであった。1969年、電子情報通信学会コンピュータシステム研究専門委員会委員長。1980年、九州大学大学院教授。1986年、明治大学教授。
浜田 義文(濱田 義文、はまだ よしふみ、1922年(大正1… 浜田 義文(濱田 義文、はまだ よしふみ、1922年(大正11年)10月14日 - 2004年(平成16年)9月10日)は、日本の哲学研究者。法政大学名誉教授。日本を代表するカント学者。 東京府豊多摩郡(現東京都杉並区)出身。第五高等学校卒業、1947年東京帝国大学法学部政治学科卒業、1950年東京大学文学部哲学科卒業。1968年熊本大学法文学部教授。1969年熊本大学法文学部学部長。1973年法政大学文学部教授となり、同大学で図書館長、大学院議長、評議員などを歴任し、1992年に名誉教授となる。1983年「カント倫理学の成立 イギリス道徳哲学及びルソー思想との関係」で同大学文学博士。 日本倫理学会常任評議員、日本カント協会会長、日本哲学会編集委員、法政哲学会会長などを歴任した。
上原 重太郎(うえはら じゅうたろう、1921年10月14日… 上原 重太郎(うえはら じゅうたろう、1921年10月14日 - 1945年8月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。宮城事件森赳近衛師団長殺害事件の首謀者の一人。 兵庫県神戸市生まれ。父は船員であった。京都府立二中、広島陸軍地方幼年学校から陸軍士官学校卒(55期)。陸軍戸山学校生徒を経て、陸軍挺進練習部(現 新田原基地)で落下傘降下を学ぶ。1944年陸軍航空士官学校(現入間基地)へ移る。 1945年8月15日、近衛師団司令部で森師団長を刺殺。同月19日、陸軍航空士官学校(修武台)裏の航空神社前で自決。なお、入間基地内に「上原大尉自刃之碑」がある。
上迫 忠夫(うえさこ ただお、1921年(大正10年)10月… 上迫 忠夫(うえさこ ただお、1921年(大正10年)10月14日 - 1986年(昭和61年)10月20日)は、日本の体操競技選手・指導者。 島根県浜田市浅井町出身。1935年、旧制浜田中学(現・島根県立浜田高等学校)に入学し、体操競技と出会う。昼休みに上級生(体操部の上級生には竹本正男もいた)が鉄棒で行っていた大車輪や宙返りに度肝を抜かされ、自分が進むべきスポーツだと直感して体操部に入部したという。体操に打ち込んだ上迫は、中学生の全国大会で優勝する戦績を残している。 1940年に中学を卒業し、日本体育専門学校(現・日本体育大学)に進学。1942年には東亜競技大会で個人2位の成績を残した。1942年7月、日本体育専門学校を繰り上げ卒業。
月丘 夢路(つきおか ゆめじ、1921年10月14日 - 2… 月丘 夢路(つきおか ゆめじ、1921年10月14日 - 2017年5月3日)は、日本の女優で、元宝塚歌劇団娘役の宝塚歌劇団卒業生である。本名:井上 明子、旧姓:旭爪(ひのつめ)。愛称は「ツメ」(旧姓から)。夫は井上梅次、娘は井上絵美。実妹は月丘千秋、月丘洋子。 広島県広島市大手町(現:中区大手町)に、薬局の長女として生まれる。 袋町尋常小学校(現:広島市立袋町小学校)を経て、県立広島高等女学校(現:広島県立広島皆実高等学校)在学中に小夜福子の宝塚少女歌劇団(現:宝塚歌劇団)の舞台を観劇し、宝塚少女歌劇団へ入団を決意する。反対する親を説得して女学校を中退した。 1937年、宝塚音楽歌劇学校に入学。
由良 三郎(ゆら さぶろう、1921年10月14日 - 20… 由良 三郎(ゆら さぶろう、1921年10月14日 - 2004年4月3日)は日本の推理作家である。
竹村 健一(たけむら けんいち、1920年〈大正9年〉10月… 竹村 健一(たけむら けんいち、1920年〈大正9年〉10月14日 - 1993年〈平成5年〉5月7日)は、日本の政治家。長野県駒ヶ根市長。 長野県上伊那郡赤穂村(現駒ヶ根市)で、竹村季一、いくゑ の長男として生まれた。東京市京橋区に移り、1938年(昭和13年)3月、旧制東京府立第二中学(現東京都立立川高等学校)卒業。同年9月、赤穂村役場に入り書記となり、その後、兵役についた。1954年(昭和29年)駒ヶ根市に合併後、総務課長、福祉事務所長、税務課長、昭和伊南総合病院事務長を経て、1970年(昭和45年)9月7日に収入役となる。 1975年(昭和50年)12月22日に収入役を退職した。1976年(昭和51年)1月、駒ヶ根市長選挙に保守系候補として立候補して、革新系の新人を破って初当選を果たした。
向井 啓雄(むかい ひろお、1919年10月14日 - 19… 向井 啓雄(むかい ひろお、1919年10月14日 - 1983年)は、ジャーナリスト、翻訳家。ロンドン出身。向井忠晴の子。 1942年、慶應義塾大学英文科卒。45-52年、アメリカピッツバーグ大学でジャーナリズムを学ぶ。54-55年、イギリス、アフリカを視察。同盟通信社、共同通信社、進駐軍施設、凸版印刷などに勤務。
飯島 登(いいじま のぼる、1919年10月14日 - )は… 飯島 登(いいじま のぼる、1919年10月14日 - )は、日本の医学者、聖マリアンナ医科大学名誉教授。 東京生まれ。東京帝国大学医学部卒、1950年「ショックの研究」で東京大学医学博士。東京大学講師、聖マリアンナ医科大学教授、1990年定年、名誉教授。がんの治療にヨードを用いた。 Original Papers Review etc. 原著論文(症例報告を含む)
森井 眞(もりい まこと、1919年10月14日 - 202… 森井 眞(もりい まこと、1919年10月14日 - 2023年8月10日)は、日本の歴史学者。明治学院大学文学部名誉教授、元同学学長。長年、宗教改革者ジャン・カルヴァンの研究に従事した。日本基督教団千歳丘教会員。 1919年、秋田県生まれ(東京都生まれとする情報もある)。旧制第一高等学校卒業。1943年、東京帝国大学文学部西洋史学科を繰り上げ卒業。敗戦時まで従軍する。1959-1961年、ストラスブール大学プロテスタント神学部に留学。1961年、宗教学博士号取得。1965年、明治学院大学文学部フランス文学科助教授、1967年、同教授。1979年、同大学文学部長(- 1982年)、1982年、同大学学長(- 1992年)。
塚本 博睦(つかもと ひろよし、1918年10月14日 - … 塚本 博睦(つかもと ひろよし、1918年10月14日 - 2009年8月20日)は広島県呉市出身のプロ野球選手(外野手。主に中堅手)・野球指導者・監督。
トニー 谷(トニー たに、1917年〈大正6年〉10月14日… トニー 谷(トニー たに、1917年〈大正6年〉10月14日 - 1987年〈昭和62年〉7月16日)は、東京府東京市京橋区銀座(現:東京都中央区銀座)出身の舞台芸人(ヴォードヴィリアン)。本名、大谷 正太郎(おおたに しょうたろう)。 『モルガンお雪』
宮川 満(みやかわ みつる、1917年10月14日 - 20… 宮川 満(みやかわ みつる、1917年10月14日 - 2003年12月31日)は、日本の歴史学者・家政学者・家庭科教育学者。 滋賀県出身。1941年、広島文理科大学史学科国史学専攻に入学し、1944年に卒業。兵役ののち、1947年から京都大学大学院在籍。1950年滋賀県立短期大学助教授、1953年大阪学芸大学助教授、大阪教育大学(校名変更)教授、1983年定年退官、名誉教授。1961年「太閤検地論」により広島大学から文学博士の学位を授与される。1984年羽衣学園理事長、羽衣学園短期大学学長。
西尾 信一(にしお しんいち、1916年10月14日 - 2… 西尾 信一(にしお しんいち、1916年10月14日 - 2017年11月2日)は、日本の経営者。第一生命保険社長、会長を務めた。 東京都出身。1935年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年に第一生命保険に入社。 1968年5月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1981年4月に社長に就任。1987年4月に会長に就任した。 1984年から1年間だけ生命保険協会会長を務めた。 1983年11月に藍綬褒章を受章し、1990年4月に勲一等瑞宝章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
瀬良 明(、1912年〈大正元年〉10月14日 - 没年不詳… 瀬良 明(、1912年〈大正元年〉10月14日 - 没年不詳)は、日本の俳優。岡山県児島郡味野町[要出典]出身。本名は渡辺 章()。 広島県立福山誠之館中学を経て大阪外国語学校スペイン語部を卒業。 1935年(昭和10年)、大阪共同劇団の創立に参加し、久板栄二郎作『断層』や真船豊作『裸の町』などの舞台に出演。1939年(昭和14年)、今井正監督の『沼津兵学校』で映画初出演。劇団解散後の1941年(昭和16年)、大阪放送劇団創立に参加するが、翌1942年(昭和17年)に退団、上京して瑞穂劇団に参加し、終戦まで移動演劇を続けた。 戦後、大阪共同劇団出身であった田中友幸の誘いにより東宝の専属となり、黒澤明監督の『生きる』を始め多くの映画に出演。
森田 安次(もりた やすじ、1912年〈大正元年〉10月14… 森田 安次(もりた やすじ、1912年〈大正元年〉10月14日 - 1959年〈昭和34年〉8月11日)は、日本の書家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
青木 周吉(あおき しゅうきち、1911年10月14日 - … 青木 周吉(あおき しゅうきち、1911年10月14日 - 1981年7月1日)は、日本の経営者。東京都出身。 1934年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年4月に日本興業銀行に入行。1958年11月に取締役に就任し、1961年11月に常務を経て、1966年11月に東洋曹達工業(現在の東ソー)副社長に就任し、1968年11月には社長に昇格した。1979年6月から会長を務めた。 1981年7月1日心不全のために死去。69歳没。
山川 丈平(やまかわ じょうへい、1911年10月14日 -… 山川 丈平(やまかわ じょうへい、1911年10月14日 - 1983年11月17日)は、日本のドイツ文学者。 福岡県生まれ。1935年東京帝国大学文学部独文科卒。福岡県立修猷館高等学校教諭、九州大学教養部助教授、教授、75年定年退官、名誉教授、福岡歯科大学教授。
倉 信雄(くら のぶお、1910年10月14日 - 1945… 倉 信雄(くら のぶお、1910年10月14日 - 1945年)は、昭和時代前期に活躍したプロ野球選手。
河原崎 国太郎(かわらさき くにたろう、1909年10月14… 河原崎 国太郎(かわらさき くにたろう、1909年10月14日 - 1990年10月11日)は、前進座の女形で俳優。本名:松山 太郎(まつやま たろう)。屋号は山崎屋。 両親とも広島県の出身。祖父・渡辺又三郎は広島藩主浅野家に仕え、維新後、代言人から政治家になり広島市会議長、第8代広島市長、衆議院議員などを務めた。父・松山省三はその三男で松山家に養子入り。リベラリストだった省三は政治家になることを嫌がり、画家になるべく家族を連れて1909年上京。母・英子は当時妊娠7ヵ月で、上京直後に生まれたのが太郎(国太郎)である。このため東京神田の生まれだが、国太郎自身「私の故郷は広島」と話している。 1928年、旧制立教中学校卒業後、二代目市川猿之助に入門。
盧 道陽(ノ ドヤン、노도양、1909年10月14日 - 2… 盧 道陽(ノ ドヤン、노도양、1909年10月14日 - 2004年4月3日)は、大韓民国の地理学者。日本の駒澤大学地歴科を卒業し、明知大学校の博物館長や湖西大学校名誉教授を務めた。大韓地理学会を、キム・ドテ(김도태)、ユク・ジス(陸芝修、육지수)、キム・ジョンウォン(金鍾遠、김종원)とともに1945年9月11日に創立し、カヤ文化研究院長などを歴任した。盧道陽は、1970年の論文で、風水地理と現代の科学的地理学を比較して、両者とも人間と自然環境との関係を見ているが、風水地理はある特殊な場所の土地を論じるだけなので、現代地理学でいう自然環境よりはその範囲が狭いと述べた。
中尾 明(なかお あきら、男性、1909年10月14日 - … 中尾 明(なかお あきら、男性、1909年10月14日 - 没年不明)は、日本の元アマチュアボクシング選手。ロサンゼルスオリンピックバンタム級日本代表。法政大学卒業。 1931年、全日本アマチュア拳闘連盟主催の全日本アマチュア拳闘選手権大会にフェザー級で優勝を収めた。 1932年、ロサンゼルスオリンピックにバンタム級の日本代表として出場したが、1回戦でこの大会の銅メダリストとなるホセ・ルイス・ビジャヌエバ(英語版)(フィリピン)と対戦し、ポイント負けを喫した。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
岡田 貢助(おかだ こうすけ、1907年 <明治40年> 1… 岡田 貢助(おかだ こうすけ、1907年 <明治40年> 10月14日 - 1993年 <平成5年> 1月18日)は、日本の経営者。川崎汽船社長、会長を務めた。位階は従四位。 三重県出身。1931年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に第一銀行に入行。 1953年10月に川崎製鉄に出向。当時川崎製鉄は千葉製鉄所の建設中だったが、当時の日本銀行総裁・一万田尚登がこの方針に懐疑的で、メインバンクの第一銀行に対し、人員の派遣を含むバックアップ体制の確立を求めていた。このため第一銀行では常務の大森尚則を川崎製鉄の会長に送り込む方針を固めたが、大森は当時兜町支店長だった岡田を伴うことを求め、その結果出向が決まった。
高石 勝男(たかいし かつお、1906年(明治39年)10月… 高石 勝男(たかいし かつお、1906年(明治39年)10月14日 - 1966年(昭和41年)4月13日)は、日本の競泳選手。元日本水泳連盟会長。1928年アムステルダムオリンピックにおいて800mリレーで銀・100m自由形で銅の2つのメダルを獲得した。50m・100m・200m・400m・800m・1500m自由形元日本記録保持者。 大阪府出身。西成郡川北小学校、尼崎市立第一小学校、旧制大阪府立茨木中学(現・大阪府立茨木高等学校)、早稲田高等学院を経て、早稲田大学商学部卒業。妻は元200m・400m自由形日本記録保持者永井峰子。 1928年アムステルダムオリンピック男子800m自由形リレー銀メダリスト、同オリンピック100m自由形銅メダリスト。
宮川 善造(みやかわ ぜんぞう、1904年(明治37年)10… 宮川 善造(みやかわ ぜんぞう、1904年(明治37年)10月14日 - 1985年(昭和60年)12月11日)は、日本の地理学者。満州の建国大学で教鞭をとった。 青森県弘前市出身。京都大学地理学教室を卒業。大学院を経て東北の東北学院高等学校の教授となる。その後、1938年、作田荘一が指導する満州の建国大学へ着任する。戦後はチェレンホーボ炭鉱に抑留され、1947年に日本に帰国した。1949年に東北大学の講師、翌年に教授となった。 太平洋戦争中の彼の論文「大東亜地政学と満洲の地位」によれば、大東亜共栄圏について大東亜という広い地域のなかでの日本を中核とした国家連合を想定した。その大東亜の範囲について、日本を中心に、内核には日本、満州、中国を、中間圏にタイ王国やフィリピン、極東のシベリアなど、外側にはオーストラリアやアリューシャン列島などを想定する。
林 塩(はやし しお、女性、1904年〈明治37年〉10月1… 林 塩(はやし しお、女性、1904年〈明治37年〉10月14日 - 1992年〈平成4年〉5月8日)は、昭和期の看護師、政治家。参議院議員(1期)、日本看護協会会長。 兵庫県神戸市奥平野で、弁護士の林松柏、千万(ちま)の第9子、五女として生まれる。1912(大正元年)9月に父が死去したため、兵庫中道通の中尾家の養女となるが、奥平野の山田家に預けられた後、1916年(大正5年)夏に淡路島洲本在住の母のもとに戻った。1919年(大正8年)3月、洲本尋常高等小学校を卒業し、地元の鐘淵紡績(のちカネボウ)の工場に事務員として就職した。 1922年(大正11年)4月、日本赤十字社大阪支部病院(現大阪赤十字病院)救護看護婦養成所(のち大阪赤十字看護専門学校)に入学(14回生)。
木下 保(きのした たもつ、1903年(明治36年)10月1… 木下 保(きのした たもつ、1903年(明治36年)10月14日 - 1982年(昭和57年)11月11日)は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者、指揮者、合唱指揮者、オペラ歌手、音楽評論家、作曲家・編曲家。日本の洋楽の黎明期を代表する音楽家として多大な功績を残した。 兵庫県城崎郡豊岡町(現: 豊岡市)に三人兄弟の次男として生まれる。父・松吉は特産「柳行李」製造卸業。1920年(大正9年)3月上京。ヴァイオリンを川上淳、声楽を澤崎定之に師事。1922年(大正11年)4月東京音楽学校予科入学。1926年(大正15年)同校本科声楽部を卒業し研究科進級。ペツォード、ネトケ=レーヴェに師事。 ベートーヴェン『第九』は、学生時代に東京音楽学校定期演奏会での公式初演で合唱団メンバーとして参加し、1927年(昭和2年)5月新交響楽団(現「NHK交響楽団」の前身)による初演奏「ベートーヴェン没後百周年演奏会」でソリストとしてデビュー。
姜 昇求(カン・スング、朝鮮語: 강승구、1903年10月1… 姜 昇求(カン・スング、朝鮮語: 강승구、1903年10月14日 - 1986年1月8日)は、大韓民国の政治家。第3・5・6代韓国国会議員。 ソウル市鍾路区または京畿道出身。京城第二高等普通学校(現・景福高等学校(朝鮮語版))、普成高等普通学校(現・普成高等学校(朝鮮語版))卒。東京帝国大学(現・東京大学)中退、東京物理学校(現・東京理科大学)修了。三光精米株式会社支配人、大韓青年団(朝鮮語版)楊州郡団長、自由党楊州郡党委員長を経て、1961年に新民党訓練部長を務めた。その後は民衆党京畿第4地区党委員長・院内対策委員を歴任した。 1954年の第3代総選挙当選時は自由党所属だったが、のちに離党したことが広く知られている。
山下 栄二(山下 榮二やました えいじ、1901年(明治34… 山下 栄二(山下 榮二やました えいじ、1901年(明治34年)10月14日 - 1990年(平成2年)1月9日)は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員。 鹿児島県姶良郡西襲山村(現・霧島市)で生まれる。肥料問屋に奉公後、1920年(大正9年)、久保田鉄工所の尼崎工場に鋳物臨時工として入り、同鉄工所に1956年(昭和31年)の定年まで務め、その後、同顧問、同社友となる。 1921年(大正10年)の争議を機に労働運動に加わる。1923年(大正12年)に関西商工学校(現・関西大倉高等学校)を卒業した。1928年(昭和3年)、三・一五事件で検挙されたが不起訴となる。同年、社会民衆党所属で尼崎市会議員に当選し、その後、兵庫県会議員を務めた。
西山 善次(にしやま ぜんじ、1901年10月14日 - 1… 西山 善次(にしやま ぜんじ、1901年10月14日 - 1991年3月12日) は、日本の物理学者。大阪大学名誉教授。日本学士院賞受賞。マルテンサイト変態で世界的に有名で「Mr. Martensite」と称された。 佐賀県西松浦郡有田町生まれ。1927年東北帝国大学理学部物理学科卒業、東北帝国大学金属材料研究所助手。1934年理学博士。1936年東北帝国大学助教授。1939年大阪大学産業科学研究所助教授、1941年同教授。1965年退官、大阪大学名誉教授。1973年日本学士院賞受賞。全米工学アカデミー外国会員、日本工学アカデミー会員。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
千葉 省一(ちば しょういち、1900年〈明治33年〉10月… 千葉 省一(ちば しょういち、1900年〈明治33年〉10月14日 - 1988年〈昭和63年〉10月18日)は、日本の政治家、僧侶。宮城県本吉町長、曹洞宗布教師、宗議会議員などを歴任。勲五等双光旭日章綬章 本吉郡御嶽村(現・気仙沼市)生まれ。1927年(昭和2年)、曹洞宗大学(現: 駒澤大学)卒業。愛知中学校舎監、曹洞宗布教師、軍人布教師、中国吉林市の日満寺を開設し吉林省強化興亜禅林、九台布教所を設立。磐石県禅宗寺を設立。南満鉄道巡回布教師、宗議会議員などを経て、本吉町長を務める。1963年(昭和38年)4月30日に町長に就任した。1967年(昭和42年)4月に無投票で再選を果たした。1975年(昭和50年)4月に4選を果たした。
今村 学郎(いまむら がくろう、1900年10月14日 - … 今村 学郎(いまむら がくろう、1900年10月14日 - 1982年11月4日)は、日本の地理学者、地形学者、地質学者。 東京府(現・東京都)出身。後に専修大学総長を務めた弁護士、今村力三郎の息子として生まれた。 1927年、東京帝国大学理学部地理学科を卒業。1928年、文部省留学生としてドイツに渡りベルリン大学に学び、翌1929年にはパリ大学に移る。その後、1930年に2か月スウェーデンに滞在し、シベリア経由で帰国。同年、東京文理科大学助教授となった。今村が在職した当時の東京文理科大学地理学教室は、福井英一郎や吉村信吉らもおり、大学の所在地から「大塚の黄金時代」と評された。 今村の研究業績は多岐にわたったが、1933年には「地理学における法則、自然環境の解釈等」をめぐって石田龍次郎と論争し、1937年には『科学』誌上で海岸段丘をめぐって大塚弥之助と論争を展開したほか、氷河地形に関して多様な観点からの業績を残した。
谷口 明三(たにぐち めいぞう、1900年(明治33年)10… 谷口 明三(たにぐち めいぞう、1900年(明治33年)10月14日 - 1987年(昭和62年)10月9日)は、日本の内務・警察官僚。官選宮崎県知事、北海道開発庁次長。旧姓・田中。 現在の山口県下関市出身。田中種吉の三男として生まれ、谷口寛の養子となる。第八高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。横浜市役所を経て、1926年、内務省に入省し徳島県属となる。 以後、鳥取県警察部課長、青森県警察部課長、茨城県警察部課長、大阪府警察部課長、内務省事務官、満州国治安部警務司長、埼玉県内務部長などを経て、警視庁警務部長となる。 1944年8月、宮崎県知事に就任。
十一谷 義三郎(じゅういちや ぎさぶろう、1897年10月1… 十一谷 義三郎(じゅういちや ぎさぶろう、1897年10月14日 - 1937年4月2日)は、昭和初期の小説家、翻訳家。 神戸市元町生まれ。早くに父を失い、兵庫県立第一神戸中学校を卒業後、苦学と病気を経て第三高等学校から1922年東京帝国大学英文科卒。1920年学生時代に三宅幾三郎、本田喜代治らと同人誌『行路』を創刊、東京府立第一中学校の英語教師をしながら創作を行い、1924年川端康成、横光利一らの『文藝時代』に参加。文化学院英語英文学主任。1928年『唐人お吉』が好評を得て、国民文芸賞を受賞した。知的な文体で知られ、敗残者への共感、現世放棄的傾向に特徴がある。他に代表作『静物』『仕立屋マリ子の半生』など。
長山 英一(ながやま えいいち、明治30年(1897年)10… 長山 英一(ながやま えいいち、明治30年(1897年)10月14日 - 没年不明)は、日本の陸上競技選手、登山家、政治家。元境港市議会議員。 鳥取県西伯郡中浜村大字佐斐神(現・境港市佐斐神町)出身。長山善完の長男。長山家は大農家だった。鳥取県立農学校(現・鳥取県立倉吉農業高等学校)卒業。 大正8年(1919年)日本体育会主催の第7回全国オリンピックに出場した英一は、1,500メートル、4分28秒(日本新記録)で第1位、同タイムの早大・麻生武治と優勝を分け合い、優勝カップを夫々受賞した。 大正11年(1922年)松本秀松(渡村出身)と鳥取県で初めて冬山大山登山に挑んだ。 戦後、村会議員、市会議員などをつとめた。