辻 久子(つじ ひさこ、本名:坂田 久子、1926年3月16… 辻 久子(つじ ひさこ、本名:坂田 久子、1926年3月16日 - 2021年7月13日)は、日本のヴァイオリニストである。大阪芸術大学名誉教授。辻久子弦楽塾塾長。
3月16日生まれ:326人
辻 久子(つじ ひさこ、本名:坂田 久子、1926年3月16… 辻 久子(つじ ひさこ、本名:坂田 久子、1926年3月16日 - 2021年7月13日)は、日本のヴァイオリニストである。大阪芸術大学名誉教授。辻久子弦楽塾塾長。
塩田 重利(しおた しげとし、1926年3月16日 - )は… 塩田 重利(しおた しげとし、1926年3月16日 - )は、日本の歯学者。専門は、歯学、口腔外科学、顎顔面外科学、中医学。 博士(医学)。東京医科歯科大学名誉教授。
桑原 章吾(くわばら しょうご、1926年3月16日 - 2… 桑原 章吾(くわばら しょうご、1926年3月16日 - 2008年1月6日)は、日本の医学者(微生物学)。元学校法人東邦大学理事長。勲三等旭日中綬章受章。 愛知県名古屋市生まれ。1943年9月東京帝国大学医学部を卒業。1949年5月松本医科大学助教授を経て、1954年5月に東邦大学医学部細菌学教授として着任、1969年4月同大学医学部長・学校法人東邦大学理事を経て、同年11月学校法人東邦大学理事長に就任、1991年8月に退任するまでの連続7期22年間理事長を務め、同大学の充実発展と経営基盤に尽力した。また、私立医科大学理事長会代表幹事、厚生省中央薬事審議会委員を始め社会福祉法人鶴風会、日本ワックスマン財団などの理事を務め、学会においては日本化学療法学会、日本感染症学会、日本細菌学会、日米医学協力委員会コレラ専門部会等で長く要職にあった。
中山 利生(なかやま としお、1925年3月16日 - 20… 中山 利生(なかやま としお、1925年3月16日 - 2004年9月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、防衛庁長官、自民党副幹事長、衆議院安全保障委員長などを歴任。位階は正三位。 衆議院議員を務めた中山栄一の息子として、茨城県稲敷郡龍ケ崎町(現・龍ケ崎市)に生まれた。旧制龍ケ崎中学(現・竜ヶ崎一高)を経て、日本大学法学部を卒業。大学時代は水泳部に所属し、副主将を務めた。 大学卒業後、父の秘書を経て1969年の第32回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧茨城県第1区から出馬し当選。以降9期当選した。法務政務次官や自治政務次官を経て、1992年12月12日、宮澤改造内閣で初入閣し、防衛庁長官に任命された。
舟橋 尚道(ふなはし なおみち、1925年3月16日 - 1… 舟橋 尚道(ふなはし なおみち、1925年3月16日 - 1998年8月3日)は、日本の法学者。専門は労働法。学位は、法学博士(法政大学・論文博士・1960年)(学位論文「労働法学の方法論についての研究」)。法政大学名誉教授。勲二等瑞宝章。山形県出身。 1947年東京帝国大学法学部卒、1960年「労働法学の方法論についての研究」で、法政大学より法学博士の学位を取得。 全日本炭鉱労働組合書記、1948年大原社会問題研究所に入り、1949年法政大学法学部助手、講師、助教授、1960年教授、法学部学部長、大原社会問題研究所所長、1968年社会政策学会代表幹事、1996年定年、名誉教授。1995年勲二等瑞宝章受章。
井上 泰男(いのうえ やすお、1925年3月16日 - 20… 井上 泰男(いのうえ やすお、1925年3月16日 - 2017年8月26日[要出典])は、日本の歴史学者、北海道大学名誉教授。専門はフランス史。 東京府生まれ。1948年北海道帝国大学農学部卒業、1949年北大法文学部助手。1953年同文学部助手、1954年8月北海道学芸大学助教授(札幌分校)、1960年10月北大文学部助教授。1970年5月教授。1988年定年退官、名誉教授。北星学園大学経済学部教授、1991年英知大学教授、1995年同文学部長。1998年同大学特任教授、2002年客員教授。2004年瑞宝中綬章叙勲。
石井藤吉郎(いしい とうきちろう、1924年3月16日 - … 石井藤吉郎(いしい とうきちろう、1924年3月16日 - 1999年6月30日)は、東京六大学野球・社会人野球で活躍した野球選手・監督。 茨城県大洗の旅館に生まれ、5歳の時に亡くなった母の遺志に沿うように野球を始める。旧制水戸商業に進んで投手として活躍、1942年に文部省主催の“幻の甲子園大会”に出場、当時では超大型の181cmから速球を投げ込む左腕の好投手として注目され、準々決勝まで進む。 早稲田大学法学部に進み、1943年には出陣学徒壮行早慶戦にベンチ入りする。将来のエースとして嘱望されるが応召、終戦当時満州にいた石井は捕虜となり1947年まで約2年シベリアに抑留される。 1947年秋日本に帰りついた石井は早大に復学、栄養失調の影響でブクブクに太ったその姿ではさすがに即復帰とはいかなかったが、その年暮れのキャンプからチームに合流、周囲の度肝を抜く豪打を連発した。
高松 秀明(たかまつ ひであき、1924年3月16日 - 2… 高松 秀明(たかまつ ひであき、1924年3月16日 - 2019年4月14日)は、歌人。 北海道出身。東京外国語学校卒。岡山巌に師事し、同人誌『木立』を主宰した。『歌と観照』同人の他、個人誌『獅子座』を刊行した。1996年、『宙に風花』で第23回日本歌人クラブ賞を受賞。
重富 健一(しげとみ けんいち、1923年3月16日 -20… 重富 健一(しげとみ けんいち、1923年3月16日 -2020年10月11日)は、日本の経済学者。専門は農業経済学。東洋大学名誉教授。 佐賀県生まれ。佐賀師範学校卒、1945年東京高等師範学校卒、1947年まで東京都立上野中学校(旧制)(現東京都立上野高等学校)教諭、1950年京都大学農学部卒、政治経済研究所研究員、1961年東洋大学経済学部専任講師、1962年助教授、1967年教授。1976年東洋大学理事。1979年評議員。1983年東洋大学経済研究所長。1992年退任、名誉教授。 全日本学生自治会総連合設立に関わり、日本共産党に入党した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
佐川 清(さがわ きよし、1922年3月16日 - 2002… 佐川 清(さがわ きよし、1922年3月16日 - 2002年3月11日)は、日本の実業家。佐川急便株式会社の元社主(初代社長・会長)である。 新潟県中頸城郡板倉村(板倉町を経て、現在の上越市板倉区)の旧家に生まれる。有恒学舎に学んだのち、家業に従事した。1948年に建設業「佐川組」を設立し、建設会社の経営などを経て、1957年に自転車2台を使って妻と2人で運送業を創業した。中小企業の小口貨物に狙いを定めて得意先を開拓し、1966年に「佐川急便」株式会社に改組した。 日曜集配などの迅速な配達や運転手の集金担当など運送業の革命的な発想で高収益を上げ、各地の運送業者の吸収合併や新会社の設立で全国進出を図り、1977年に全国ネットワーク網を完成させた。
織田 敏次(おだ としつぐ、1922年3月16日 - 201… 織田 敏次(おだ としつぐ、1922年3月16日 - 2012年9月19日)は、日本の医学者(内科学)。勲等は勲一等。学位は医学博士(東京大学・1955年)。東京大学名誉教授、国立病院医療センター名誉院長、日本赤十字社医療センター名誉院長、日本学士院会員、文化功労者。 東京大学医学部教授などを歴任した。 石川県金沢市出身の医学者である。血清肝炎がB型肝炎ウイルスの感染に起因することを究明したことで知られている。その後、B型肝炎ウイルスのワクチンの調製に成功した。さらに、B型肝炎ウイルスの母子感染の阻止にも尽力した。東京大学医学部にて教鞭を執り、後進を育てた。 1922年3月16日生まれ、石川県金沢市出身。
園池 実覧(そのいけ さねみ、1922年3月16日 - 20… 園池 実覧(そのいけ さねみ、1922年3月16日 - 2014年6月9日)は、東京府出身の応用物理学者。工学博士、中央大学名誉教授、応用物理学会功労会員、中央大学名誉評議員、霞会館会員。長男は園池家現当主園池公毅。 子爵園池公致の長男として東京市四谷区信濃町に生まれ育つ。 1945年、東京大学工学部機械工学科卒業。 1951年、東京大学大学院応用物理特別研究生後期修了。 1952年、東京大学工学部応用物理学科講師。 1953年、中央大学工学部教養物理助教授。 1960年、中央大学工学部教授。 1962年、中央大学理工学部物理学科教授。 1964年、応用物理学会理事。 1968年、応用物理学会評議員。
鞠 快男(クク・クェナム、朝鮮語: 국쾌남、1922年3月1… 鞠 快男(クク・クェナム、朝鮮語: 국쾌남、1922年3月16日 - 2007年11月15日)は、大韓民国の実業家、政治家。忠武路にある映画館の大韓劇場(朝鮮語版)の設立者。第4代韓国国会議員。 本貫は潭陽鞠氏。号は白雪(ペクソル、백설)。15歳年下の弟の鞠鍾男は第14代国会議員、長男の鞠井本は1981年に大韓劇場の経営を継承した。 全南潭陽出身、4男2女中の長男である。早稲田大学法学部卒。軍政庁通訳官、ソングァン商事取締役、世紀商事代表、世紀航空(朝鮮語版)代表などを務めた。 1958年8月に映画館を運営する会社である世紀商事を設立し、1960年代に大韓劇場を引き継いだ以降に事業は着実に発展した。
田畑 健介(たばた けんすけ、1921年(大正10年)3月1… 田畑 健介(たばた けんすけ、1921年(大正10年)3月16日 - 1989年(平成元年)7月31日)は、昭和期の地方公務員、政治家。東京都練馬区長。 鹿児島県大島郡名瀬村(現・奄美市)金久出身。兄に民俗学者の田畑英勝。旧制鹿児島県立大島中学校(鹿児島県立大島高等学校の前身)、旧制台北中学校(台北市立建国高級中学の前身)、旧制台北高等学校を経て、1944年東京大学法学部政治学科卒業。学徒出陣、復員後、郷里の奄美で大島郡連合青年団初代会長、大島高等学校教諭、古仁屋警察署署長を務める。 1950年東京都職員。労政課長、企画調整局参事などを経て、1969年主税局査察室長、1971年に練馬区総務部長となる。
下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、192… 下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、1920年〈大正9年〉3月16日 - 2013年〈平成25年〉4月14日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員。厚生大臣、参議院議院運営委員長、同国際平和協力等に関する特別委員長などを歴任した。位階は従三位。貴族的な風貌から「まろ」の通称で呼ばれていた。 長野県松本市出身。下条康麿の長男。私立暁星小學校、武蔵高等学校、1944年 東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。同年大蔵省に入省するが、太平洋戦争の激化に伴い短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。
塚谷 晃弘(つかたに あきひろ、1919年〈大正8年〉3月1… 塚谷 晃弘(つかたに あきひろ、1919年〈大正8年〉3月16日 - 1995年〈平成7年〉10月13日)は、日本の経済学者・作曲家。経済学博士。國學院大學名誉教授。戸籍名、塚谷博通。 東京府本郷区湯島にて、鉄道照明機工場経営者の長男として生まれる。豊島師範附属小学校(現在の東京学芸大学附属小金井小学校)から武蔵高等学校 (旧制)尋常科・同高等科文科甲類を1937年に卒業。この間、14歳のとき母からピアノの手ほどきを受け、16歳で塚谷留太(国立音楽大学講師)からヴァイオリンを習い、旧制高校在学中から鯨井孝に師事、声楽を約2年間習う。 1938年、東京帝国大学経済学部入学。東大時代は同校の管弦楽団で1年間コントラバスを演奏。
久保 道正(くぼ みちまさ、1918年〈大正7年〉3月16日… 久保 道正(くぼ みちまさ、1918年〈大正7年〉3月16日 - 1992年〈平成4年〉6月28日)は、広島県広島市出身の実業家。第一産業(後のダイイチ/デオデオ/エディオンWEST、現エディオン WESTカンパニー)創業者。現エディオン社長、サンフレッチェ広島会長・久保允誉は長男、上新電機取締役を経てエディオン専務取締役の浄弘晴義は次男。 広島県広島市大手町(現在の同市中区大手町)生まれ。久保家は代々江州屋の屋号で刀剣商を営んでいた。寺下辰夫の小説『サンパギタ咲く戦線で』に太平洋戦争中、陸軍報道班員として広島宇品港からフィリピンに向かう寺下、尾崎士郎、石坂洋次郎らが、その前日、今日出海の短刀を軍刀に拵えるため、ふと久保刀剣店に立ち寄り、刀が出来る間、店の二階で御馳走に与り、訣れの酒宴を行なったエピソードが書かれている。
小坂 秀二(こさか ひでじ、1918年3月16日 - 200… 小坂 秀二(こさか ひでじ、1918年3月16日 - 2003年4月6日)は、日本の歯科医、相撲評論家、著作家、アナウンサー。 太平洋戦争で軍医として徴用され終戦まで中国の陸軍病院に勤務。その後NHK・TBSで相撲等でスポーツアナウンサーとして活躍。1974年にアナウンサーを引退。1975年に歯科医に復帰後は、相撲評論家・著作家としても活動し、「柏鵬時代」の命名者でも知られる。 東京府東京市本所区(現・東京都墨田区)出身。幼年期から相撲になじみ、学生時代が双葉山の全盛と重なっていたこともあって、さらに没頭する。 東京高等歯科医学校卒業。卒業後、歯科医となる。 東京高等歯科医学校時代、翌日に解剖学の大事な卒業試験を控え猛勉強中に「双葉山70連勝ならず!」の一報が入り、その衝撃で試験のことが頭に入らなくなり、翌日、追試験覚悟で臨んだところ、厳格で知られる試験官の藤田恒太郎教授が相撲好きの人で、「小坂君、双葉山負けたね!」といきなり話をふられた。
小平 邦彦(こだいら くにひこ、1915年〈大正4年〉3月1… 小平 邦彦(こだいら くにひこ、1915年〈大正4年〉3月16日 - 1997年〈平成9年〉7月26日)は、日本の数学者。東京大学名誉教授。学位は理学博士(東京大学・1949年)。 東京帝国大学理学部数学科卒。同大学で博士号取得。日本人初のフィールズ賞およびウルフ賞受賞者となった。 農政官僚だった小平権一の長男として東京に生まれる。東京府立第五中学(現:東京都立小石川中等教育学校)、第一高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学理学部数学科および物理学科卒。東京大学理学博士(1949年)。 フィールズ賞を1954年に日本人として初めて受賞(調和積分論、二次元代数多様体(代数曲面)の分類などによる)。
寺田 透(てらだ とおる、1915年〈大正4年〉3月16日 … 寺田 透(てらだ とおる、1915年〈大正4年〉3月16日 - 1995年〈平成7年〉12月21日)は、日本の文芸評論家・フランス文学者。東京大学教養学部教授を歴任。 神奈川県横浜市出身。神奈川一中から第一高等学校をへて東京帝国大学文学部仏文学科卒業、大学時代に、立原道造・杉浦明平とともに同人雑誌をやっていたが、立原が日本浪曼派に接近したことで絶交し、同人雑誌も終わりとなった。戦後、中央大学予科教授、第一高等学校教授から、1949年東京大学教養学部教授。1969年大学紛争のときに事態の収拾法に不満をもち、辞職した。ただし当時の文章や対談では、以前から新制大学に「文人」は適合できないと感じていたと言っている。
嵯峨 浩(さが ひろ、1914年〈大正3年〉3月16日 - … 嵯峨 浩(さが ひろ、1914年〈大正3年〉3月16日 - 1987年〈昭和62年〉6月20日)は、侯爵嵯峨家(公家華族)の長女。愛新覚羅溥傑(満洲国皇帝愛新覚羅溥儀の弟)の妻。後に記した自伝のタイトルから「流転の王妃」として知られるが、溥傑は皇帝の弟ではあったものの爵位を授与されなかったため皇族ではなく平民で、浩は「妃」でも皇族、王族でもない。 侯爵嵯峨実勝と妻・尚子(9代目浜口吉右衛門の長女)の第一子として東京府で生まれた。嵯峨家は藤原北家閑院流の三条家の分家で、大臣家の家格を持つ。1884年(明治17年)の華族令では家格に基づき実勝の父・公勝に伯爵が叙爵されたが、1888年(明治21年)になって「父・実愛(浩の曽祖父)の維新の功績」により公勝は侯爵に陞爵している。
三谷 一馬(みたに かずま、1912年(明治45年)3月16… 三谷 一馬(みたに かずま、1912年(明治45年)3月16日 - 2005年(平成17年)6月15日)は、日本画家、江戸風俗研究家。 香川県高松市に生まれる。実家は古くから歌舞伎芝居などの背景画や小道具、看板等を描く仕事をしていた。 東京美術学校日本画科卒業。岡本綺堂「半七捕物帳」など挿絵の分野で活躍ののち、江戸時代の風俗考証画を描くことに専念する。 日本文芸家協会会員。江戸を語る「江戸会」に属した。1988年、「失われてゆく江戸風俗を四十年の歳月をかけ、『江戸職人図聚』はじめ数著に集大成、江戸風俗の”絵引き”として貴重な資料を提供」した功績により、吉川英治文化賞を受賞した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
黒田 了一(くろだ りょういち、1911年〈明治44年〉3月… 黒田 了一(くろだ りょういち、1911年〈明治44年〉3月16日 - 2003年〈平成15年〉7月24日)は、日本の法学者(憲法)・政治家・弁護士。大阪府知事(2期)。憲法改悪阻止各界連絡会議代表委員。 大阪市北区大淀町生まれ。旧制北野中・旧制三高から東北帝国大学法学部法律学科を卒業後、東北帝国大学法学部助手を経て満洲国高等鉄路警護学校教官などを歴任。終戦後5年間シベリア抑留を経験し、1950年(昭和25年)に帰国。大阪市立大学法学部助教授に就任し、憲法学を担当した。1956年に教授に昇任し学生部長・法学部長を歴任、日本学術会議「学問・思想の自由」委員会委員長・日本科学者会議全国参与・大阪護憲連合代表委員なども務めた。
尹 亨南(ユン・ヒョンナム、朝鮮語: 윤형남、1911年3月… 尹 亨南(ユン・ヒョンナム、朝鮮語: 윤형남、1911年3月16日または1912年 - 2002年10月9日)は、大韓民国の官僚、政治家、弁護士、ジャーナリスト。漆谷郡・尚州郡郡守、第3・4・5代韓国国会議員を歴任した。本貫は坡平尹氏。 日本統治時代の全羅南道順天郡(現・順天市)出身。全羅南道公立師範学校(現・光州教育大学校)を経て日本大学法学科卒。高等文官試験司法科・行政科合格。漆谷郡・尚州郡(現・尚州市)郡守、外務部法務課長、法制処法制官、光州朝鮮衆報主筆、弁護士、民主党中央委員・全南道党副委員長、内閣責任制改憲起草委員、第5代国会民議院法制司法委員長(1960年10月2日~1961年5月16日)を務めた。
竹谷 長二郎(たけたに ちょうじろう、1910年3月16日 … 竹谷 長二郎(たけたに ちょうじろう、1910年3月16日 - 2012年2月28日)は、日本の漢文学者。 東京出身。1931年東洋大学専門部倫理学東洋文学専攻卒。書道を吉田苞竹に、漢詩を仁賀保香城に学ぶ。旧制中学勤務をへて、東京都立日比谷高等学校漢文・国語教師を務めた。1970年退職。江戸時代の文人画家を研究した。
久保 伊津男(くぼ いつお、1909年3月16日 - 196… 久保 伊津男(くぼ いつお、1909年3月16日 - 1968年4月10日)は、日本の動物学者、海洋生物学者。東京水産大学教授。水産動物資源学を研究し、クルマエビの権威だった。 鹿児島県日置郡東市来村(現・日置市)出身。1928年錦城中学校卒業。1934年水産講習所本科養殖科を卒業、翌月講習所助手となる。1945年5月22日、理学博士の学位を修得(北海道帝国大学審査)。論文は「本邦およびその近海産車蝦科蝦類の研究」。 1952年東京水産大学教授に就任。1955年日本水産学会賞を受賞。1968年4月10日、教授会の最中に心筋梗塞のため死去。
小河内 芳子(こごうち よしこ、1908年3月16日 - 2… 小河内 芳子(こごうち よしこ、1908年3月16日 - 2010年3月3日)は、日本の児童図書館員。東京の公共図書館に勤務し、児童サービスに従事した。児童図書館研究会の設立メンバーであり、30年ちかく会長をつとめたほか、日本図書館協会児童青少年委員会の設立に寄与し初代委員長をつとめるなど、児童サービスの普及と発展に尽力した。「児童図書館員の草分け」「児童図書館員のパイオニア」と評されている。 1908年(明治41年)3月16日、三重県桑名町に生まれた。小河内家は桑名藩の重役で、父の小河内弥兵衛は桑名町助役をつとめる有力者だった。 1924年(大正13年)三重県立桑名高等女学校を卒業。1925年(大正14年)に上京して日本女子大学校国文科に入学した。
西村 節朗(にしむら せつろう、1908年(明治41年)3月… 西村 節朗(にしむら せつろう、1908年(明治41年)3月16日 - 1997年(平成9年)8月23日)は、日本の政治家。秋田県能代市長。秋田県議会議員(4期)。 秋田県出身。1931年、東北帝国大学工学部機械工学科卒。同年、中島飛行機に入り、技術部長などを務める。戦後、帰郷し、家業の酒造業に携わる。1948年、秋田県教育委員となり、1951年、秋田銀行取締役となる。1963年、秋田県議会議員(自由民主党)に当選し、4期務める。1969年に議長に就任した。1975年、能代市長に当選する。1979年と1983年も当選し、能代市長を3期務め、1987年に退任した。ほかに秋田県酒類卸協同組合理事長、全国酒類卸協同組合連合会会長、秋田県国民健康保険団体連合会理事長などを務めた。
星野 仁十郎(ほしの にじゅうろう、1908年(明治41年)… 星野 仁十郎(ほしの にじゅうろう、1908年(明治41年)3月16日 - 1986年(昭和61年)7月22日)は、日本の政治家、アイスホッケー選手。栃木県(旧)日光市長を務めた。 日光町清滝水沢に生まれる。1942年(昭和12年)5月、日光町議会議員となる。その後、日光町の市制施行に伴い市議会議員となり1969年(昭和44年)7月まで議員を務めた。同年8月23日の日光市長選挙で当選。同月28日から1981年(昭和56年)8月27日まで市長を務めた。 市長在任中には前任者の佐々木耕郎と同様に観光施設の整備などに力を注いだ。さらに、清滝バイパスや霧降高原有料道路の開通など道路を整備することによる観光客増加を図った。
大日方 傳(おびなた でん、明治40年(1907年)3月16… 大日方 傳(おびなた でん、明治40年(1907年)3月16日 – 昭和55年(1980年)8月21日)は日本の映画俳優。常用漢字では「大日方 伝」と表記する。 福岡県小倉市堺町の地元の料理家で指月館という敷地が一丁四方ある裕福な名家に生まれたが、父の時代には家は衰えていたという。少年時代からよく喧嘩をしていて顎に傷が残った。中学校卒業後に家族で東京府に移り、東京府立園芸学校(現・東京都立園芸高等学校)を卒業後、しばらく園芸好きの兄の農園を手伝ったが東洋大学社会科へ進む。 昭和5年(1930年)、大学卒業後に日活の専属俳優として『至誠の輝き』で銀幕デビュー。デビュー後に日活で数作に出演した後、松竹(松竹蒲田撮影所)へ移籍し同社の専属俳優となる。
黄田 多喜夫(おうだ たきお、1907年〈明治40年〉3月1… 黄田 多喜夫(おうだ たきお、1907年〈明治40年〉3月16日 - 1998年〈平成10年〉)は、日本の外交官、通産官僚。外務書記官、大東亜省電信課長、香港占領地外事部長、公正取引委員会総務部長、通産省通商局長、外務省経済局長、駐デンマーク公使・大使、駐インドネシア大使、外務審査官、外務次官を務めた。 1907年広島県生まれ。広島国泰寺高校から東京帝国大学を経て、第39回文官高等試験外交科合格後、1930年に外務省に入省。1942年に外務書記官(在米大使館外務書記生)を務めた後、大東亜省電信課長を経て、日本占領下の香港で外事部長を務め 、日本の降伏まで務めた。帰国後は、終戦連絡中央事務局経済部長、公正取引委員会総務部長、通商産業省の通商局長(通商監)、外務省の経済局長、駐英公使(1954年より)、駐デンマーク公使・大使、インドネシア大使などを歴任。
川本 末雄(かわもと すえお、1907年(明治40年)3月1… 川本 末雄(かわもと すえお、1907年(明治40年)3月16日 - 1982年(昭和57年))は、熊本県玉名村(現玉名市玉名)出身の日本画家。 現代的解釈による大和絵の世界を展開し、郷里の菊池川周辺の自然風景をモチーフに、現代日本画の新境地を開いた。 1907年(明治40年)、熊本県玉名村に生まれる。旧制玉名中学校(現熊本県立玉名高校)を経て1929年、東京美術学校(現東京芸術大学)へ入学、1933年卒業。松岡映丘に師事する。1938年の松岡映丘の死去により翌1939年より山口蓬春に師事。 1948年、第4回日展(日本美術展覧会)にて「水辺薄日」が初入選、翌1949年第5回日展で「夕映」特選、1953年第9回日展で「朝の渓谷」が特選・白寿賞・朝倉賞を受賞。
嶺 駒夫(みね こまお、明治39年(1906年)3月16日 … 嶺 駒夫(みね こまお、明治39年(1906年)3月16日 - 昭和49年(1974年)11月16日)は、日本の実業家。元昭和製袋工業社長。 妻の淑子は櫻内幸雄(商工大臣、農林大臣、大蔵大臣を歴任)の二女、娘の貴代子は福田康夫(第91代内閣総理大臣)の妻、孫の福田達夫は衆議院議員。 趣味は音楽、登山。宗教は浄土宗。 中国電力会長を務めた櫻内乾雄とは明治中学校1年生のときからのクラスメートであり、親友だった。妻・淑子は櫻内の妹である。
日野西 義輝(ひのにし よしてる、1906年(明治39年)3… 日野西 義輝(ひのにし よしてる、1906年(明治39年)3月16日 - 1983年(昭和58年)6月15日)は、日本の蛍光体研究者・実業家であり、日本電気化学代表取締役の後、日立ランプ取締役。北海道出身。 北海道茅部郡石倉村(現・森町)濁川の広大な日野西牧場で農場を経営していた日野西長輝(日野西光善の三男)の長男として生まれた。日野西家は京都の堂上華族である。1916年に父親が日本統治下の朝鮮・慶尚南道の村井進永農場の農場長に就任したため、小学校6年より叔母の家があった岡山県成羽町(現・高梁市)で暮らす。その後、1919年(大正8年)旧制岡山県立高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)に入学し同期に石川達三、金澤覚太郎、翁孝文(クラボウ常務)がいた。
野原 正勝(のはら まさかつ、1906年3月16日 - 19… 野原 正勝(のはら まさかつ、1906年3月16日 - 1983年2月10日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(10期)、労働大臣(第30代)を務めた。 埼玉県出身。旧制宇都宮高等農林学校(現・宇都宮大学)卒業後、青森営林局(林野庁)入庁。 1947年の第23回衆議院議員総選挙に盛岡営林署在籍のまま旧岩手1区から出馬し初当選。通算当選10回。自民党内では三木武夫派に属した。 1955年5月23日に公職選挙法違反被告事件につき最高裁判所の言渡した判決に対する訂正の申立が棄却され、被選挙資格を喪失して議員退職した。 第3次吉田茂内閣では農林政務次官を務め、1970年1月から1971年7月まで第3次佐藤榮作内閣の労働大臣を務めた。
鳥羽 陽之助(とば ようのすけ、1905年3月16日 - 1… 鳥羽 陽之助(とば ようのすけ、1905年3月16日 - 1958年10月10日)は、日本の俳優である。本名は鳥羽 輝雄(とば てるお)、高勢実乗との「極楽コンビ」で知られる。 1905年(明治38年)3月16日、東京府東京市(現在の東京都区部)に「鳥羽輝雄」として生まれる。 旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、大倉高等商業学校(現在の東京経済大学)を3年次で中途退学し、満17歳になる1922年(大正11年)、新劇の東京自由劇場俳優養成所の研修生となる。1923年(大正12年)に伊川八郎の「国精劇」、1926年(大正15年)には明石潮の一座に参加する。 同年、京都・御室のマキノ・プロダクションで、二川文太郎らが監督した月形龍之介主演作『修羅八荒』に出演して映画界にデビューした。
三井 礼子(禮子、みつい れいこ、1905年(明治38年)3… 三井 礼子(禮子、みつい れいこ、1905年(明治38年)3月16日 - 1989年(平成元年)1月13日)は、日本の女性史研究者、歴史家。 東京市出身。(三井高棟〔三井家総領家当主〕)四女に生まれる。女子学習院高等科に進み、蒙古史や東洋歴史論などで著名な河野元三に師事すると1924年(大正13年)卒業。東京帝国大学文学部(現東京大学文学部)に聴講生として通いはじめマルクスやエンゲルスに立脚する歴史を学ぶ。同年に三井高篤と結婚後、1929年から4年余りを海外で過ごし、やはり海外赴任に帯同していた石本(加藤シヅエ)に出会う。 1946年(昭和21年)民主主義科学者協会設立に参画すると、そのもとに婦人問題研究会を組織した。
浅地 庄太郎(あさじ しょうたろう、1905年〈明治38年〉… 浅地 庄太郎(あさじ しょうたろう、1905年〈明治38年〉3月16日 - 1983年〈昭和58年〉8月8日)は、日本の実業家。位階は正五位。 日本不動産管理を設立し、日本初の契約によるビル管理業を生み出した。ビル管理業、ビルメンテナンス業界の発展に尽力し、ビルメンテナンス協会を設立。ビル管理業・業界のあり方を規定する社会的な取り組みを行った。 1905年(明治38年)3月16日、石川県金沢市瓢箪町に浅地伊三郎・すずの長男として出生。兄弟は、姉の葉留と弟の多吉、妹の光子の4人であった。実家は機を織る機屋「浅庄」を経営していた。1912年(大正元年)に瓢箪町尋常小学校に入学し、小将町高等小学校に進学。
小川 三郎(おがわ さぶろう、1904年3月16日 - 19… 小川 三郎(おがわ さぶろう、1904年3月16日 - 1995年9月20日)は、日本の小児科医師。 長野県諏訪郡富士見村(現・富士見町)出身。実業家の小川金治の二男として生まれる。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1930年に慶應義塾大学医学部を卒業した。 同大助手、慶應義塾大学病院小児精神衛生相談員を務めた後、1939年に東京市日本橋小児保健所長となる。1940年、国際聖母病院(現・聖母病院)小児科部長兼副院長に就任する。 1945年、慶應堂病院院長となる。1965年より青山学院大学教授兼保健管理センター所長を務め、1970年に小川医学研究所を開設した。 いとこの三村二も医師であった。
小倉 繁(おぐら しげる、1904年3月16日 - 1958… 小倉 繁(おぐら しげる、1904年3月16日 - 1958年5月29日)は、日本の俳優。栃木県宇都宮市出身。本名同じ。喜劇映画で活躍し、和製チャップリンと呼ばれた。 栃木県宇都宮市の生まれ。劇団に入り、地方巡業を経て、1923年に国活に入社。 1925年に松竹蒲田撮影所に入社。始めは端役を演じていたが、小津安二郎監督の『女房紛失』から頭角を現していき、短編喜劇映画の脇役として活躍。1929年、喜劇の神様と呼ばれ、城戸四郎が開拓したナンセンス喜劇を多く演出した斎藤寅次郎監督の『モダン怪談100,000,000』に国定忠次の幽霊役で出演。以降、ナンセンス喜劇の代表的俳優となり、軽妙なドタバタ演技で人気喜劇俳優となった。
小塩 力(おしお つとむ、1903年3月16日 - 1958… 小塩 力(おしお つとむ、1903年3月16日 - 1958年6月12日)は、日本の牧師。 小塩節と久米あつみの父。 群馬県に留岡幸助の同労者の小塩高恒(福岡県生葉郡姫治村出身、1872年 - 1943年)の息子として生まれる。東京府立第四中学(東京都立戸山高等学校)、松本高等学校理科甲類を経て、東京帝国大学農学部を卒業後、1926年東京神学社に入学し、植村正久より薫陶を受ける。また、信濃町教会で高倉徳太郎に師事し、高倉の元で伝道師を務める。後に、高倉牧師の伝記を書いた。 神学校卒業後、松江教会、佐世保教会の牧師を務めた。佐世保にいるときに1931年長男の小塩節が生まれた。戦争中はスパイの嫌疑をかけられた。
阿賀 正美(あが まさみ、1903年(明治36年)3月16日… 阿賀 正美(あが まさみ、1903年(明治36年)3月16日 - 1986年(昭和61年)4月9日)は、日本の内務・厚生官僚。最後の官選福島県知事。 佐賀県出身。阿賀末治郎の二男として生まれる。第五高等学校を卒業。1926年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年12月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し、東京府属となる。 以後、厚生省社会保険局監理課長、同体力局企画課長、同人口局管理課長、同局修練課長、山形県内務部長、愛知県部長・警察部長、岩手県内務部長などを歴任。 1947年3月、前任の石原幹市郎が知事選に出馬のため辞任したことに伴い福島県知事に就任。県議会議員選挙、知事選挙などを執行して同年4月に知事を退任。
郡 祐一(こおり ゆういち、1902年(明治35年)3月16… 郡 祐一(こおり ゆういち、1902年(明治35年)3月16日 - 1983年(昭和58年)12月28日)は、日本の政治家、官僚。
片岡 武修(かたおか たけのぶ、1902年3月16日 - 1… 片岡 武修(かたおか たけのぶ、1902年3月16日 - 1978年5月16日)は、日本の経営者。熊本県出身。 1928年に慶應義塾大学法学部独法科を卒業し、同年に旭絹織(のちの旭化成工業)に入社。取締役、専務を経て、1949年2月に社長に就任。1961年7月には会長に就任。。 1963年に藍綬褒章を受章し、1972年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1978年5月16日肺炎のために死去。76歳没。
田中 勝之助(たなか かつのすけ、1901年(明治34年)3… 田中 勝之助(たなか かつのすけ、1901年(明治34年)3月16日 - 1945年(昭和20年)8月6日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 島根県那賀郡今市村丸原(現浜田市旭町丸原)で、酒造業・田中勝聴の長男として生まれる。島根県立浜田中学校を経て、1923年(大正12年)鹿児島高等農林学校を卒業。その後、家業を継いだ。今市村会議員を務めた。日中戦争で応召して足かけ4年間従軍し、陸軍歩兵中尉に昇進した。 1942年(昭和17年)3月、島根県会議員に当選し、帝国在郷軍人会那賀郡連合会分会長も務めた。同年4月、第21回衆議院議員総選挙に非推薦で島根県第2区から出馬して当選し翼賛政治会に参加。
土井 忠生(どい ただお、1900年(明治33年)3月16日… 土井 忠生(どい ただお、1900年(明治33年)3月16日 - 1995年(平成7年)3月15日)は、日本の国語学者。キリシタン文献の国語学的研究を専門とする。
渡辺 紳一郎(わたなべ しんいちろう、1900年3月16日 … 渡辺 紳一郎(わたなべ しんいちろう、1900年3月16日 - 1978年12月22日)は、日本のジャーナリスト、放送タレント、文筆家。 東京出身。杉靖三郎の兄。東京外国語学校仏語科を経て1928年東京帝国大学文学部支那文学科を卒業。1924年東京朝日新聞社に入社。パリ支局長、ストックホルム支局長を務め、1955年退社して社友。戦後は、NHKのラジオクイズ番組「話の泉」に8年間休まず出演。聴取者から寄せられた難問奇問に、その博識ぶりで「物知り博士」として知られた。
小池 厚之助(こいけ こうのすけ、1899年(明治32年)3… 小池 厚之助(こいけ こうのすけ、1899年(明治32年)3月16日 - 1985年(昭和60年)1月2日)は、日本の実業家。元山一証券社長、元同社会長、元小池銀行頭取、元小池証券社長、元高千穂商科大学(現高千穂大学)理事長。 小池国三の子として1899年(明治32年)山梨県で生まれ、旧制高千穂中学校(第3回卒業)を経て東京帝国大学政治学科を卒業。1943年(昭和18年)9月、厚之助が社長を務めていた小池証券が山一証券に吸収合併。新体制となった山一証券では厚之助が社長となり、山一の社長だった木下茂が会長に就いた。厚之助は小田急電鉄株式会社監査役、東京商工会議所議員、国際商業会議所日本国内委員会財務委員、経済同友会幹事なども務めた。
田中 英篤(たなか ひであつ、1897年 <明治30年> 3… 田中 英篤(たなか ひであつ、1897年 <明治30年> 3月16日 - 1984年 <昭和59年> 4月2日)は、日本の経営者。北越銀行頭取を務めた。新潟県出身。位階は従五位。 1922年に東京高等商業学校専攻科を卒業し、1927年4月に長岡銀行(のちの北越銀行)に入行。 1948年6月に常務に就任し、1962年1月に専務を経て、1965年11月から1970年11月までに頭取を務めた。 1972年4月に勲四等瑞宝章を受章。 1984年4月2日老衰のために死去。87歳没。死没日付をもって従五位に叙された。
馬淵 美意子(まぶち みいこ、1896年〈明治29年〉3月1… 馬淵 美意子(まぶち みいこ、1896年〈明治29年〉3月16日 - 1970年〈昭和45年〉5月28日)は、日本の詩人、画家。 幼年時代より絵を志し有島生馬に師事する。二科展に4回出品し入選を果たすが、のちに絵を断念して詩作に転じる。1952年に刊行した『馬淵美意子詩集』は読売文学賞の候補となった。夫は洋画家の庫田叕。 兵庫県神戸市に生まれる。1902年(明治35年)、長崎尋常小学校へ入学した。1909年(明治42年)、鎌倉女学校へ入学し、後に卒業した。1916年(大正5年)、父親の専断により結婚し二児を得るが、1922年(大正11年)に離婚する。1926年、有島生馬に師事する。1928年(昭和3年)、二科展に初入選し、以後3回出品する。