新井 明(あらい あきら、1932年1月17日- 2023年… 新井 明(あらい あきら、1932年1月17日- 2023年10月9日)は、日本の英文学者、日本女子大学名誉教授。ジョン・ミルトンが専門で、聖書も研究した。 茨城県水戸市生まれ。1954年東京教育大学英文科卒。アマースト大学卒、東京教育大学大学院修士課程修了、ミシガン大学修士。1961年、名古屋大学講師、のち助教授。1968年、東京教育大学助教授。1972年、「ミルトン研究 ヒロイズム観の展開」で東京教育大学文学博士。1977年、大妻女子大学教授。1981年、日本女子大学教授、2000年退任、名誉教授。敬和学園大学学長。2009年退任。 2023年10月9日午前に老衰のため藤沢市の老人ホームで死去。
菅 登未男(すが とみお、1931年1月17日 - )は、日… 菅 登未男(すが とみお、1931年1月17日 - )は、日本の俳優・タレント。宮崎県出身。所属事務所はGMBプロダクション。シニアタレントとして数多くのテレビ番組・CM・プロモーションビデオなどに出演。身長155cm。かつては麗タレントプロモーション、ジンズ・キャストに所属していた。 CM制作会社太陽企画株式会社にて清掃員として勤務。職務中に個性的なキャラクターが某ディレクターの目に留まり、2001年にマツモトキヨシのCMに出演が決まる。70歳でのデビューであった。 2005年より『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に「ピカデリー梅田」として準レギュラー出演していたことで知られる(初登場は次長課長河本準一の七変化コーナー。
緒方 博丸(おがた ひろまる、1931年1月17日 - 20… 緒方 博丸(おがた ひろまる、1931年1月17日 - 2023年3月18日)は、日本の医学者・麻酔科医。獨協医科大学名誉教授。学位は、医学博士(東京大学)。
藤本 孝雄(ふじもと たかお、1931年〈昭和6年〉1月17… 藤本 孝雄(ふじもと たかお、1931年〈昭和6年〉1月17日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(10期)、沖縄開発庁長官、厚生大臣、内閣官房副長官、農林水産大臣などを歴任した。 香川県高松市出身。香川県立高松高等学校、東京大学法学部卒業。証券会社、日本電信電話公社勤務を経て、1963年衆院選に初当選。(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。通算当選10回。自民党内では三木→河本派に属し沖縄開発庁長官、厚生大臣、内閣官房副長官、農林水産大臣などを歴任。農水大臣時代は、諫早干潟事業続行決定に対して環境破壊との批判があった。
高柳 芳夫(たかやなぎ よしお、1931年1月17日 - 2… 高柳 芳夫(たかやなぎ よしお、1931年1月17日 - 2023年11月23日)は、日本の元小説家、外交官。 栃木県宇都宮市生まれ。栃木県立宇都宮高等学校卒業、京都大学文学部独文科卒業。同大学大学院文学研究科修士課程修了。 1957年、外務省入省。在独大使館、ベルリン総領事館副総領事等を歴任。 1971年、「『黒い森』の宿」で第10回オール讀物推理小説新人賞受賞。1973年、「『禿鷹城』の惨劇」で第19回江戸川乱歩賞候補になるが落選。松本清張の推薦もあって刊行されるが、外務省研修所教務主事に左遷され、1977年に退職。 1979年、プラハの春以後の国際情勢を題材とした「プラハからの道化たち」で第25回江戸川乱歩賞受賞。
岡部 宏之(おかべ ひろゆき、1931年(昭和6年)1月17… 岡部 宏之(おかべ ひろゆき、1931年(昭和6年)1月17日 - 2023年12月29日)は、日本のSF翻訳家、詩人。日本文藝家協会会員。杉山 高之の名義も使用した。 静岡県静岡市出身。1953年静岡大学文理学部卒業。静岡のSFサークル「東海SFの会」で活動している際、浜松在住の浅倉久志の紹介でSF翻訳家になる。SFファン時代の1967年、ハインラインの『宇宙の戦士』が翻訳され、石川喬司の否定的なレビューにより『SFマガジン』誌上で論争となった際、杉山高之名義で論争に参加しており、のちの石川の著書『SFの時代』で「読み応えがある」と4頁もにわたり投稿全文が紹介されている。なお、この時の杉山の在住地は「静岡県志太郡岡部町」と書かれている。
乾 宏巳(いぬい ひろみ、1931年1月17日 - )は、… 乾 宏巳(いぬい ひろみ、1931年1月17日 - )は、日本の歴史学者。大阪教育大学名誉教授。専門は日本近世史(都市史)。東京都墨田区出身。 1956年、東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了。東京都立高校教諭・大阪教育大学助教授を経て同大学教授。1996年退官。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
板橋 敏雄(いたばし としお、1931年1月17日 - 20… 板橋 敏雄(いたばし としお、1931年1月17日 - 2019年3月25日)は日本の実業家。板通会長、わたらせテレビ社長、公益財団法人ロータリー米山記念奨学会理事長、国際ロータリー会長代理、日台ロータリー親善会議総裁などを歴任した。国際ロータリー超我の奉仕賞等受賞。 1953年一橋大学商学部卒業、三菱商事入社。1959年、当時従業員15人程度だった家業の板橋通商(現板通)に入り、カリスマ的トップに依存した経営体制からの脱却などを行った。1972年柏ハウジング代表取締役。1973年板通通商代表取締役社長。1993年同代表取締役会長。1996年足利ケーブルテレビ(現わたらせテレビ)代表取締役社長。
山上 正高(やまかみ まさたか、1931年1月17日 - 2… 山上 正高(やまかみ まさたか、1931年1月17日 - 2014年2月27日)は、日本の経営者。三重テレビ放送社長を務めた。 三重県出身。1954年に三重大学農学部を卒業し、同年に近畿東海放送に入社。1958年に東海テレビ放送に転じ、1983年に取締役に就任し、1987年に常務、1991年に専務を経て、1999年6月から2003年6月までに三重テレビ放送社長を務めた。 2014年2月27日肺炎のために死去。83歳没。
鴨田 利太郎(かもだ としたろう、1930年(昭和5年)1月… 鴨田 利太郎(かもだ としたろう、1930年(昭和5年)1月17日 - 1985年(昭和60年)1月16日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期、自由民主党)。 埼玉県熊谷市出身。父は熊谷市長と衆議院議員を務めた鴨田宗一。1950年(昭和25年)3月、拓殖大学政経学部卒業。1952年(昭和27年)3月、早稲田大学教育学部卒業。1979年(昭和54年)2月、熊谷商工信用組合理事長となった。同年、宗一の後継者として第35回衆議院議員総選挙に埼玉県第3区から自民党で立候補し当選した。1980年(昭和55年)、第36回衆議院議員総選挙でも再選した。しかし、1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙には3回目の立候補したものの、加藤卓二と糸山英太郎(無所属)と議席を争ったが落選した。
吉田 憲治(よしだ けんじ、1930年(昭和5年)1月17日… 吉田 憲治(よしだ けんじ、1930年(昭和5年)1月17日 - 2014年(平成26年)6月29日)は日本の実業家、元トマト銀行社長・会長。岡山県津山市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小沢 元(おざわ げん、1930年1月17日 - )は、日本… 小沢 元(おざわ げん、1930年1月17日 - )は、日本の経営者。大東京火災海上保険社長を務めた。 東京都出身。1965年に東京大学法学部を卒業し、同年に大東京火災海上保険に入社した。1973年6月に取締役に就任し、1976年7月に常務、1983年7月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。1998年6月から2001年3月までに会長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
阿井 美千子(あい みちこ、1930年1月17日 - )は、… 阿井 美千子(あい みちこ、1930年1月17日 - )は、京都府京都市上京区出身の日本の女優。宝塚歌劇団出身。旧芸名は百 ちとせ(もも ちとせ)、阿井 三千子(あい みちこ)。本名は渡辺 千歳。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 紅羽真希(現役)
河村 五良(かわむら ごりょう、1930年1月17日 - 1… 河村 五良(かわむら ごりょう、1930年1月17日 - 1991年1月23日)は、日本の政治家。山口県議会議長。山口県柳井市出身。 柳井市から下松市に移住し、タクシー会社㈱メトロ交通を興す。その後、ゴルフ場経営の白須那高原開発㈱を設立した。 1967年、山口県議会議員(下松市区)当選(以後、1987年まで6期連続当選)。自民党山口県連幹事長、1985年5月9日から1989年5月13日まで山口県議会議長を務めた。 国政選挙では常に佐藤栄作、佐藤信二父子を二代にわたって支持し、選対本部長などの要職を務めた。地方政界のフィクサー的役割を果たす「県政の寝業師」として、地域のために政治力を発揮した。
村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月1… 村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月17日 - 2002年(平成14年)6月13日)は、日本の演歌歌手、俳優。佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)である。本名:梶山 勇。血液型はAB型。新栄プロダクションに所属していた。愛称は、ムッチー。 浪曲で鍛え上げた歌声と男らしい風貌、世界観を持ち味に、戦後歌謡界の黄金期をリードした演歌界を代表する歌手の一人である。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)に、二代目広沢虎吉の弟子であった実父・広沢仙遊(本名・近藤官七)、やはり浪曲師であった実母・矢野ツタ子の子として生まれる。生後まもなくツタ子の姉弟子である出利葉スミ子の養子となる。
中嶋 英一(なかじま えいいち、1927年〈昭和2年〉1月1… 中嶋 英一(なかじま えいいち、1927年〈昭和2年〉1月17日 - 2004年〈平成16年〉11月25日)は、日本の元男子フェンシング選手。元日本フェンシング協会会長。宮城県出身。 1927年1月17日、宮城県栗原郡若柳町にて誕生。宮城県築館中学校(現在の宮城県築館高等学校)に進学した。中嶋は走ることが子供の頃から好きであったため、中学校では陸上部へ入部する。中学校卒業後は明治大学へと入学。明治大学にて友人にフェンシングを誘われ当日明治大学にコーチをしていた森寅雄から「足が良いし、反射神経も中々良いぞ」と褒められ、その後本格的にフェンシング選手へとなった。明治大学に在学中チームの中心選手として活躍後、東北フェンシング連盟会長、日本フェンシング協会副会長などを経て、1999年から2002年に日本フェンシング協会会長を務めた。
中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、… 中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、日本の弁護士・弁理士・詩人・評論家。中村合同特許法律事務所パートナー、日本商標協会顧問、公益財団法人日本近代文学館名誉館長、第二東京弁護士会所属、日本芸術院会員、文化功労者。 中松特許法律事務所弁護士、中村・山本・武田合同特許法律事務所代表パートナー、中村合同特許法律事務所代表パートナー、日本商標協会会長(初代)、財団法人日本近代文学館理事長(第6代)、社団法人日本商事仲裁協会常任理事、日本芸術院第二部部長などを歴任した。 千葉県木更津市生まれ。父・光三は、尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲの予審担当の主任判事。東京府立第五中学校から第一高等学校を経て、1950年、東京大学法学部法律学科卒業。
白崎 昭一郎(しらさき しょういちろう、1927年1月17日… 白崎 昭一郎(しらさき しょういちろう、1927年1月17日 - 2014年8月3日)は、作家、歴史家、医師。 東京生まれ。1950年京都大学医学部卒。開業医、福井保健所長、福井工業大学教授、97年定年退職。『福井県史』古代史部会の副部会長などを務めた。
上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 20… 上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 2019年6月28日)は、日本の哲学者。専門はドイツ哲学・宗教哲学。京都大学名誉教授。京都学派を継承し、禅、東西神秘主義、エックハルト、ハイデッガー、京都学派思想などの研究を行った。 1926年、高野山真言宗僧侶の父・上田天瑞の長男として東京都で生まれた。横浜市立間門小学校、神奈川県立横浜第一中学校で学んだ。1943年に中学を卒業し、第一高等学校に入学。太平洋戦争の戦局悪化により就学期間が2年短縮され、1945年3月に卒業。京都帝国大学文学部に進学したが、4月中に召集し、本土防衛の任に就いた。戦後、1946年に京都帝国大学文学部に復学。哲学科で宗教学を専攻した。
森 一久(もり かずひさ、1926年1月17日 - 2010… 森 一久(もり かずひさ、1926年1月17日 - 2010年2月3日)は元日本原子力産業会議副会長、ジャーナリスト。日本で原子力研究開発の推進に貢献した。中央公論の編集者をしながら、1955年から毎日新聞出版の『エコノミスト』に間弘明(はざまひろあき)の筆名で記事を書き、『自然』や岩波書店『世界』で匿名記事を書いた。 京都大学物理学科で素粒子論を専攻し湯川秀樹のもとで理論物理を学んだ。中央公論社に9年間記者として在籍し、東京12チャンネル(現テレビ東京)、電源開発を経て日本原子力産業会議に入社。同会議の設立にも関与しており、電源開発からの出向の形で事務方として同会議に入社し、後に専務理事を務め、1996年から2004年まで副会長を務めた。
中島 健(なかじま たけし、1924年1月17日 - 199… 中島 健(なかじま たけし、1924年1月17日 - 1990年1月24日)は、日本の経営者。三井信託銀行社長を務めた。東京都出身。 1945年に東京帝国大学経済学部を卒業し、三井信託銀行に入行した。1973年に取締役に就任し、1977年に常務、1979年に専務、1982年に副社長を経て、1987年6月には社長に就任。 1990年1月24日急性心不全のために社長在任中に死去。66歳没。
鹿島 保夫(かしま やすお、1924年1月17日 - 197… 鹿島 保夫(かしま やすお、1924年1月17日 - 1976年10月29日)は、日本のロシア文学者。 東京出身。1949年早稲田大学露文科卒業。戦後、新日本文学会、多喜二・百合子研究会、ソビエト研究者協会などに所属し、また、中央労働学院講師(1958年度 - 1960年度)を務めた。そのほか、日ソ親善協会事務局にも勤務し、その後、著述業に専念した。ソビエト文芸理論の研究にかかせない資料である『ソヴェト芸術論争』(青木文庫、1954年)を江川卓とともにまとめた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
木村 筆之助(きむら ふでのすけ、1924年(大正13年)1… 木村 筆之助(きむら ふでのすけ、1924年(大正13年)1月17日 - 1984年(昭和59年)4月26日)は大相撲の元幕内格行司。伊勢ノ海部屋所属。師匠は初代木村今朝三。長野県伊那市出身。本名は田畑 啓。生家は伊那市の映画館「伊那旭座」。 1936年1月、12歳で相撲界へ入門。兵役で一時相撲界を離れたが、1946年11月場所から三段目格で復帰した。 1958年7月場所に幕内格行司に昇格。1967年7月場所より2代木村今朝三を襲名したが、1970年9月場所より今朝三の名跡を返上し筆之助に戻した。今朝三の名跡はこれ以降襲名する者が現れていない。 1966年11月場所より幕内格の筆頭行司であったが、上位の行司が急に廃業したり、病気休場したこともあり、行司の成績考課制度が導入された1972年~1973年頃の一時期は三役の取組を裁いたことがある。
大隈 秀夫(おおくま ひでお、1922年1月17日 - 20… 大隈 秀夫(おおくま ひでお、1922年1月17日 - 2017年11月11日)は、日本のフリーライター。日本エディタースクール講師。 佐賀県生まれ。東京帝国大学文学部を経て九州大学法文学部卒業。 大戦末期に学徒出陣し、西部第47部隊に入営。甲種幹部候補生に合格し、久留米第一予備士官学校に11期生として入学。歩兵砲中隊速射砲区隊を経て福知山の中部軍教育隊での教育機関を終えたのち、12月に大村に戻り初年兵教育を担当する。45年頭に新田原飛行場の警備兼塹壕構築に従事。3月中旬に第156師団に転じ、速射砲中隊を経て5月より歩兵第454連隊(護西第22804部隊)第3大隊副官に転じる。7月に幹部候補生教育隊も兼任した。
吉田 耕造(よしだ こうぞう、1922年(大正11年)1月1… 吉田 耕造(よしだ こうぞう、1922年(大正11年)1月17日 - 1978年(昭和53年)1月28日)は日本の海洋物理学者。 1922年に大阪府で出生。旧制大阪府立北野中学校、旧制第一高等学校を経て、1944年に東京帝国大学理学部地球物理学科を卒業後、日本の海洋物理学の有識者に学んだり、カリフォルニアのスクリップス海洋研究所で研究をしたりした。1953年東京大学理学博士、学位論文の題は「海の波浪及び海洋に起る波動の研究 」。 1954年には東京大学理学部助教授、1964年には同大教授に就任した。沿岸湧昇の国際的な権威であり、日本海洋学会でも指導的な立場となった。1968年には第3回日本海洋学会賞を受賞した。
糸居 五郎(いとい ごろう、1921年〈大正10年〉1月17… 糸居 五郎(いとい ごろう、1921年〈大正10年〉1月17日 - 1984年〈昭和59年〉12月28日)は、日本のアナウンサー、ラジオ・ディスクジョッキー(DJ)。 日本のラジオDJの草分け的存在として、ラジオの深夜放送で活躍した。 命日の12月28日は、上野修の提唱により糸居の功績をたたえる記念日として「ディスクジョッキーの日」と定められている。 ジャーナリストで、地域向け新聞『小石川新聞』の編集・発行を手掛けていた糸居銀一郎の五男(末子)として、東京府東京市小石川区(現・東京都文京区)音羽に生まれる。本人は、父に鉱石ラジオのレシーバーを頭にかぶらされて聴いていたと、その自分の子供時代を語っている。
佐々木 直亮(ささき なおすけ、1921年1月17日 - 2… 佐々木 直亮(ささき なおすけ、1921年1月17日 - 2007年9月9日)は、医学博士、弘前大学名誉教授(衛生学)、疫学者。 1921年1月17日東京都港区三田綱町に生まれる。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て、1943年9月慶應義塾大学医学部卒業。1956年弘前大学医学部教授(衛生学)に就任。1986年退官、弘前大学名誉教授の称号を授与される。2007年9月9日午後9時頃、脳卒中のため青森県弘前の自宅で死去(享年86)。墓所は東京都港区の青山霊園。二男は指揮者の佐々木修。幕末の豪商伊藤八兵衛の曾孫。渋沢栄一の後妻の兼子は伯叔母にあたる。 1974年日本における高血圧の疫学的研究について毎日学術奨励賞、1981年衛生学青森県褒賞、1983年青森県の特産物であるりんごの高血圧予防効果を世界にさきがけて指摘したことにより木村甚弥賞(りんご顕彰会)、1986年脳卒中・高血圧予防についての疫学研究と地域住民の保健活動の推進の貢献に対し保健文化賞(厚生大臣賞))、1995年勲三等旭日中綬章、1996年、脳血管障害に関する基礎的臨床的研究分野における多大の貢献に対し美原賞、同年日本公衆衛生学会推薦により中冨健康科学振興賞、2002年青森りんごの発展に貢献した功績により青森りんご勲章を授与された。
新納 真人(にいの まびと、1921年1月17日 - 200… 新納 真人(にいの まびと、1921年1月17日 - 2008年8月23日)は、日本の経営者。鐘淵化学工業(現在のカネカ)社長、会長を務めた。 東京都出身。1943年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に鐘淵紡績に入社。1949年に鐘淵化学工業(のちのカネカ)に転じ、1966年11月に取締役に就任し、1971年11月に常務、1974年11月に専務を経て、1978年11月に副社長に就任し、1984年11月には社長に昇格。1989年6月に会長に就任し、1994年6月から相談役を務めた。 2008年8月23日胆嚢癌のために死去。87歳没。
礒永 秀雄(いそなが ひでお、1921年1月17日 - 19… 礒永 秀雄(いそなが ひでお、1921年1月17日 - 1976年7月27日)は、詩人。旧朝鮮仁川出身。 1921(大正10)年1月17日、旧朝鮮仁川の生まれ。詩人・童話作家。京城中学、姫路高校をへて東京帝大文学部美学科に進学。昭和18(1943)年、学徒動員で南方(ハルマヘラ島)へ行き、敗戦の翌年6月に復員。山口県光市に居住。やがて高校教師をしながら詩作を試み、23(1948)年、小詩集『天路への誘い』『聖玻璃彷徨』『夜の聖歌隊』を刊行。同年、結婚。25(1950)年、詩誌「駱駝」創刊。26(1951)年、詩集『浮灯台』で第1回山口県芸術文化振興奨励賞を受賞。昭和47(1972)年、山口県文学者訪中団の一員として中国訪問。
藤井松一(ふじい しょういち、1921年〈大正10年〉1月1… 藤井松一(ふじい しょういち、1921年〈大正10年〉1月17日 - 1980年〈昭和55年〉10月6日)は、日本の日本近代史学者。 岩手県花巻市出身。東京帝国大学文学部卒。立命館大学教授を務めた。歴史科学協議会に属し、左翼的な立場から近代日本史を研究したが、59歳で死去した。
熊田 誠(くまだ まこと、1920年1月17日 - 2007… 熊田 誠(くまだ まこと、1920年1月17日 - 2007年6月28日)は、日本の化学者。専門は、有機ケイ素化学・有機金属化学・有機合成化学など。京都大学名誉教授。1993年勲三等旭日中綬章受章。1994年恩賜賞・日本学士院賞受賞。2007年正四位。福井県小浜市出身。 有機金属化学、特に有機ケイ素化学、遷移金属触媒反応の分野において先駆的な研究をしこの分野の発展に指導的役割を果たした。また多くの門下生を輩出した。 専門は有機ケイ素化学、有機合成化学、有機金属化学を中心とする有機化学。 特に有機ケイ素化合物その他有機金属を用いる有機合成、構造有機化学で先駆的研究成果を多数。現在、シリコーン接着剤や化粧品などの原材料として幅広く使われる有機ケイ素化合物の新しい合成法や物性の研究開発を行った。
北原 文雄(きたはら あやお、1920年1月17日 - )は… 北原 文雄(きたはら あやお、1920年1月17日 - )は、日本の化学者。専門は、コロイド・界面化学とその化学史。 長野県上伊那郡藤沢村(現・伊那市)出身。旧制諏訪中学(現・長野県諏訪清陵高等学校)、第一高等学校理科乙類を経て、1942年東京帝国大学理学部化学科卒業。理学博士。 東京電気(現・東芝)入社。1949年佐賀県小城石炭研究所入所。1952年東邦大学理学部助教授。1959年同大学教授。1961年ペンシルベニア州立大学研究員。1963年東京理科大学工学部工業化学科教授。同大学工学部長を経て、1995年同大学名誉教授。 2020年には『化学者ウィリアムソンと日本人留学生たち』という本を出版した。
金 達寿(キム・タルス/キムダルス、김달수、1920年〈大正… 金 達寿(キム・タルス/キムダルス、김달수、1920年〈大正9年〉1月17日(陰暦1919年11月27日) - 1997年〈平成9年〉5月24日)は、在日朝鮮人小説家・古代史研究家。朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮総連を強く支持していたものの、実態を知り、1981年に韓国訪問以降は第三者の立場を取った。 日本統治下朝鮮の慶尚南道昌原郡内西面虎渓里(現・大韓民国慶尚南道昌原市馬山会原区)に、中農の地主の三男として生まれる。父・金柄奎、母・孫福南、長兄・金声寿、次兄・金良寿、妹・金ミョンスがいた。 父柄奎が遊蕩に耽り、破産。1925年(大正14年)、金達寿が5歳の時、両親は長男声寿と妹ミョンスを連れて、内地に渡る。
羽倉 信也(はぐら のぶや、1919年〈大正8年〉1月17日… 羽倉 信也(はぐら のぶや、1919年〈大正8年〉1月17日 - 2004年〈平成16年〉4月12日)は、日本の銀行家。第一勧業銀行頭取、第42代全国銀行協会会長、神社本庁理事。位階は従三位。 京都府生まれ。羽倉家の家系は千年前に迪ることができ、先祖代々京都伏見稲荷大社の社家(社務を司る家)であった。 慶應義塾大学予科に進み、英文学を極め、1941年(昭和16年)に同大経済学部卒業後、特殊銀行であった日本勧業銀行に入行。学生時代に培った英語力を活かし、アメリカの金融制度の翻訳や調査、戦後はGHQに提出する資料の作成に携わる。銀行員生活の大半を国際畑で過ごし、ニューヨーク支店長などを歴任し、1968年(昭和43年)に取締役丸の内支店長。
中林 賢二郎(なかばやし けんじろう、1919年1月17日 … 中林 賢二郎(なかばやし けんじろう、1919年1月17日 - 1986年1月11日)は、日本の歴史学者。労働運動史を研究した。法政大学教授。 横浜市生まれ。1944年9月、東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。翌1944年10月-1946年3月、財団法人東亜研究所に勤務。1946年10月-1951年11月、財団法人政治経済研究所に勤務。のち、1956年5月まで世界労働運動研究協議会事務局に勤務。1957年7月、社会主義経済研究所に入所。1959年10月より学校法人中央労働学園講師を兼任、1976年まで「労働運動と統一戦線」「国際労働運動史」を担当。東京都立大学 (1949-2011)法経学部講師、労働者教育協会理事、中央労働学園理事・常務理事を歴任。
露原 千草(つゆはら ちぐさ、1918年〈大正7年〉1月17… 露原 千草(つゆはら ちぐさ、1918年〈大正7年〉1月17日 - 2004年〈平成16年〉3月9日)は、日本の女優。東京府荏原郡大崎町(現東京都品川区大崎)出身。頌栄女子学院高等学校卒業。本名は服部 千草。 2004年3月9日、86歳で死去。
三浦 光子(みうら みつこ、1917年1月17日 - 196… 三浦 光子(みうら みつこ、1917年1月17日 - 1969年6月14日)は、日本の女優であり、生前は戦後の国際結婚の「第1号」と称されて注目を集めたこともあった。 東京市牛込出身。牛込区の余丁町小学校を卒業後に三崎英語学校を経て、大妻高等女学校(現・大妻中学校・高等学校)に進学した[要出典]。 1935年(昭和10年)日劇に入団、日劇ダンシングチームでの活躍が松竹の目に留まりスカウトされる。1938年(昭和13年)松竹大船撮影所に入社する。桑野通子・高杉早苗・高峰三枝子らが主演した音楽映画『蛍の光』(1938年)が第1回出演作品となり、デビューを果たした。以後松竹大船の映画作品に出演し、スター女優の一人に成長する。
武市 恭信(たけいち やすのぶ、1917年(大正6年)1月1… 武市 恭信(たけいち やすのぶ、1917年(大正6年)1月17日 - 2005年(平成17年)7月28日)は、日本の政治家。貞光町長(3期)、衆議院議員(1期)、徳島県知事(4期)を歴任した。 1917年1月17日、徳島県美馬郡貞光町(現在の同郡つるぎ町)に生まれる。旧制池田中学校、姫路高等学校を経て、京都帝国大学法学部卒業。 1947年より貞光町長を三期務めた後、1963年に衆議院議員に当選、1965年には徳島県知事に当選した。1965年10月9日から1981年10月4日の16年間、徳島県知事を務めた。1981年9月27日の第10回徳島県知事選挙には現職として立候補したが新人に敗れて徳島県知事を退任した。
山田 伸三(やまだ しんぞう、1914年1月17日 - 20… 山田 伸三(やまだ しんぞう、1914年1月17日 - 2000年3月20日)は、日本のスキー選手・指導者。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックにノルディック複合、クロスカントリースキーで出場。青森県出身。 青森県南津軽郡大鰐町出身。旧制弘前中学校を卒業。中学在学中の1928年、樺太の豊原で行われた大会に出場して複合で6位、距離で8位の成績を残し、将来を嘱望される。 中学卒業後は、青森営林局(青森林友)に入る。 1934年の第12回全日本スキー選手権大会ノルディック複合個人、翌年の同大会クロスカントリースキー個人長距離(17km)で優勝。 1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックでは、クロスカントリースキー個人長距離(18km)で49位、4x10kmリレーで12位、ノルディック複合個人で43位だった。
石原 繁三(いしはら しげぞう、1914年1月17日 - 1… 石原 繁三(いしはら しげぞう、1914年1月17日 - 1946年4月)は、千葉県出身のプロ野球選手(投手)。戦後東映フライヤーズで内野手として活躍した石原照夫は弟に当たる。 1930年に埼玉県の川越中学校から岩手県の遠野中学校へ転校。1932年に遠野中のエースとして東北大会を優勝し、第18回全国中等学校優勝野球大会へ出場した。卒業後に鉄道省へ入る。 1936年に東京セネタースへ入団。岩手県の学校卒業者として初のプロ野球選手となった。この年の春季リーグで9試合に登板し4勝を記録。翌年に召集されるが、1940年に復帰。1941年は大洋軍へ移籍し、同年すぐに黒鷲軍へ移籍。1942年に20勝を記録した。
川本 泰三(かわもと たいぞう、1914年1月17日 - 1… 川本 泰三(かわもと たいぞう、1914年1月17日 - 1985年9月20日)は、愛知県瀬戸市出身のサッカー選手、サッカー指導者、実業家。ポジションはフォワード。 小学校時代に大阪へ転居、大阪府立市岡中学からサッカーを始め、1930年に第12回全国中等学校蹴球選手権大会に出場してベスト4の成績を残した。1931年に市岡中学を卒業し、早稲田高等学院(予科に相当)を経て早稲田大学に入学。予科在学中からア式蹴球部で試合出場し、予科3年の1933年から早大の関東大学リーグ4連覇に貢献した。 在学中の1934年5月に開催された第10回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出されて、5月15日のオランダ領東インド代表戦で初出場し、初得点も決めた。
岩倉 靖子(いわくら やすこ、1913年(大正2年)1月17… 岩倉 靖子(いわくら やすこ、1913年(大正2年)1月17日 - 1933年(昭和8年)12月21日)は、日本の華族。岩倉公爵家出身。 共産主義に傾倒して検挙・起訴され(赤化華族事件)、保釈中に自殺した。 1913年(大正2年)1月17日、岩倉具張公爵の三女として誕生。元勲岩倉具視は曾祖父にあたる。 翌1914年に具張が金銭スキャンダルで隠居・愛人とともに失踪し兄具栄が襲爵、一家は世間の好奇の目を避けて一時、当時東京郊外であった猿楽町の西郷豊二家(西郷従道の六男、母櫻子の実家)に移り住む。この時期、大叔母にあたる森寛子の影響を受け、一家そろってキリスト教に入信する。靖子も教会に毎週通っていたが、洗礼は受けなかった。
洲之内 徹(すのうち とおる、1913年1月17日 - 19… 洲之内 徹(すのうち とおる、1913年1月17日 - 1987年10月28日)は、日本の美術エッセイスト、小説家、画廊主・画商。美術エッセイ「気まぐれ美術館」の筆者として名高い。愛媛県出身。 松山生まれ。松山中学(現愛媛県立松山東高等学校)を経て、1930年に東京美術学校建築科に入学。在学中にプロレタリア運動に参加、1932年に検挙され、学校は退校処分となって帰郷した。そして松山でも運動をつづけ、1933年、徴兵検査後に検挙・収監されたが、後に「転向」して釈放された。その後1938年に軍の宣撫班員となって中国大陸へ渡り、対共工作と情報収集に携わった。そして終戦を迎え、1946年春に帰国した。 戦後、郷里松山に引き揚げて古本屋を開業。
和田 義三(わだ よしぞう、1913年1月17日 - 199… 和田 義三(わだ よしぞう、1913年1月17日 - 1990年11月8日)は日本の漫画家。東京府出身。 1936年、東京美術学校工芸科図案部卒業。戦前には横山隆一主宰の「漫画集団」に参加、スケッチ入りの紀行文などを執筆していた。1943年には横山、近藤日出造、横井福次郎、那須良輔らとともに田村町に『漫画』同人用の宿舎を借りて暮らした。 第二次大戦終戦後の1945年8月、復刊された『漫画』に作品を寄稿する。1946年鈴木郁三によって創刊された漫画紙『子供マンガ新聞』に初代編集長として1952年まで連載を持ち、「ほらふき千一夜」「勇ましいキック君」などを掲載。1948年には映画『ターザンの黄金』から始まる一連のターザンブームに乗じて『少年ターザン』を子供マンガ新聞社より出版。
河 泰煥(ハ・テファン、朝鮮語: 하태환、1913年1月17… 河 泰煥(ハ・テファン、朝鮮語: 하태환、1913年1月17日または1914年4月24日 - 1991年8月13日)は、大韓民国の教育者、実業家、政治家。第3・4代韓国国会議員。 第8代国会議員の金柄潤(朝鮮語版)は妻の弟である。 日本統治時代の慶尚北道迎日郡(現・浦項市)出身。立命館大学法文学部卒。大学在学中に東亜連盟事件により3年間服役した。その後は浦項女子中学校教員、同志商業中・高等学校設立校長、同志財団理事長、浦項水産大学学長、東海時報社創立社長、慶尚南道教育委員会副議長、浦項市教育委員・教育会会長、自由党浦項市党委員長・中央委員、第3代国会国防部原綿事件調査報告者、第4代国会国防委員長・台風災害対策特別委員会委員長、浦項実業専門学校校長を務めた。
上村 千一郎(うえむら せんいちろう、1912年1月17日 … 上村 千一郎(うえむら せんいちろう、1912年1月17日 - 1991年3月20日)は、日本の政治家、弁護士。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(10期)、環境庁長官(第10代)。 1912年(明治45年)1月17日、愛知県渥美郡福江町(現田原市福江町)に生まれた。祖父は実業家の上村杢左衛門であり、父は上村武太郎。12歳のときに父親を亡くした。 愛知県成章中学校(現愛知県立成章高等学校)、早稲田大学法学部卒業。大学卒業後にはドイツ留学の話があったが、千一郎を跡取りと考えていた祖父の杢左衛門が難色を示したことで御破算となった。大学院で憲法を学んだあと、豊橋市で弁護士を開業した。そのかたわら青年塾を開設し人材の育成に情熱を傾けた。
播上 英次郎(はたがみ えいじろう、1912年(明治45年)… 播上 英次郎(はたがみ えいじろう、1912年(明治45年)1月17日 - 2000年(平成12年)3月13日)は日本の実業家。岡山放送社長、サンケイ新聞専務、日本民間放送連盟副会長。 1912年(明治45年)1月17日に東京に生まれる。1935年(昭和10年)に法政大学経済学部を卒業する。1954年(昭和29年)にニッポン放送に入社し、1958年(昭和33年)にフジテレビに移り、1961年(昭和36年)にサンケイ新聞大阪本社販売局長に就任する。1963年(昭和38年)に広島テレビ取締役、1965年(昭和40年)にフジテレビ電波企画室長、1969年(昭和44年)にサンケイ新聞専務大阪本社代表、大阪新聞社長、日本工業新聞専務、1970年(昭和45年)に関西テレビ取締役、1973年(昭和48年)に同社副社長を経て、1980年(昭和55年)に岡山放送社長に就任し、1988年(昭和63年)に退任する。
鶴ヶ嶺 道芳(つるがみね みちよし、1912年1月17日 -… 鶴ヶ嶺 道芳(つるがみね みちよし、1912年1月17日 - 1972年3月18日)は、鹿児島県熊毛郡中種子町出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は下家 道義。最高位は東前頭2枚目(1942年5月場所)。得意手は左四つ、吊り、櫓投げ。現役時代の体格は188cm、101kg。引退後は井筒部屋を経営し、多くの力士を育てた。 1931年5月場所、井筒部屋から「種子ヶ島」の四股名で初土俵をふむ。相星(4勝4敗)は一度あるが負け越し無しで順調に昇進を重ね、1934年1月場所に新十両。この時「星甲」を名乗る。種子ヶ島、星甲の四股名はともに先代井筒の横綱・2代西ノ海(西ノ海も鶴ヶ嶺同様種子島出身)が若き日に名乗った名で、星甲は師匠から受け継いだものでもあった。
岩本 節治(いわもと せつじ、1911年(明治44年)1月1… 岩本 節治(いわもと せつじ、1911年(明治44年)1月17日 - 2002年(平成14年)5月5日)は、日本の実業家、政治家。長野県諏訪市長。 長野県諏訪郡湖南村(現諏訪市)で、岩本久吉、まき の六男として生まれた。湖南小学校卒業後、1934年(昭和7年)製材所に勤務し、1941年(昭和16年)諏訪木材に転じた。1944年(昭和19年)応召。戦後、諏訪木材に復帰。1948年(昭和23年)独立して木材業をはじめ、1950年(昭和25年)湖南木工社長となる。1955年(昭和30年)諏訪市議会議員となり連続2期在任した。 1963年(同38年)5月、諏訪市長選挙に当選し、1983年(昭和58年)1月まで5期務めた。
佐久間 正(さくま ただし、1910年1月17日 - 199… 佐久間 正(さくま ただし、1910年1月17日 - 1992年9月26日)は、日本のスペイン語学者、東西交渉史学者。 東京出身。1938年中央大学法学部卒。1945年横浜市立経済専門学校講師、1949年横浜市立大学助教授、教授、1960年亜細亜大学教授、1962年清泉女子大学教授。80年定年。