寺田 典城(てらた すけしろ、1940年(昭和15年)6月1… 寺田 典城(てらた すけしろ、1940年(昭和15年)6月19日 ‐ )は、日本の政治家。旧姓は小原。 参議院議員(1期)、秋田県知事(民選第14・15・16代)、秋田県横手市長(2期)、秋田経済法科大学理事長、結いの党副代表、維新の党参議院議員会長などを務めた。また、知事在任中、全国知事会副会長、北海道東北知事会会長を務めた。 秋田県仙北郡大川西根村(現、大仙市)生まれ。秋田県立横手高等学校、早稲田大学第二法学部卒業。横手市の寺田家に婿入りし、石油小売会社テラセキ及び建設会社や創和建設の社長を務める。 1991年、横手市長選挙に出馬し、新人4人が立候補した混戦を制して初当選(現職の千田謙蔵市長は不出馬)。
田中 直紀(たなか なおき、1940年〈昭和15年〉6月19… 田中 直紀(たなか なおき、1940年〈昭和15年〉6月19日 - )は、日本の政治家、実業家。越後交通代表取締役会長。 外務政務次官(宇野内閣、第1次海部内閣)、農林水産副大臣(初代)、防衛大臣(第10代)、参議院議員(3期)、衆議院議員(3期)を歴任した。旧姓は鈴木。父は、内務官僚、自由党衆議院議員であった鈴木直人。妻は越後交通グループ前会長で現相談役である田中眞紀子。 石川県金沢市生まれ。現在は新潟県在住。武蔵高等学校中学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学卒業後は日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)に入社。1969年に田中角栄元総理の長女・田中眞紀子と結婚して田中家に婿入りし、姓を田中に改める。
張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、… 張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者・野球評論家、日本プロ野球名球会会員、韓国野球委員会(KBO)コミッショナー特別補佐官。在日韓国人二世であり、本名は張 勲(読みがな:チャン・フン、ハングル:장훈)。
常松 裕志(つねまつ ひろし、1940年6月19日-)は、日… 常松 裕志(つねまつ ひろし、1940年6月19日-)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。 旧満洲国浜江省ハルビン市生まれ。1963年東京大学経済学部卒。三井鉱山勤務を経て、1976年に三多摩医療生活協同組合を設立し、理事長に就任した。旧東京7区から1983年の総選挙、1986年の総選挙に立候補したが落選。同じく旧東京7区から1990年の総選挙に立候補して三度目の挑戦で初当選。1993年の総選挙で落選した。1996年の総選挙で新設された小選挙区東京19区に社会民主党から立候補するも落選。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
宮原 明(みやはら あきら、1939年6月19日-)は、日本… 宮原 明(みやはら あきら、1939年6月19日-)は、日本の実業家。富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)代表取締役社長、学校法人関西学院理事長などを歴任した。 1939年6月19日、大阪府生まれ。明星高等学校を卒業。1962年3月に関西学院大学商学部を卒業。同年、富士写真フイルム(現富士フイルムホールディングス)に入社。1971年に富士ゼロックスに転じる。その後、同社にて、1992年代表取締役社長、1998年代表取締役副会長。2002年相談役。2003年学校法人国際大学副理事長。2006年大京取締役。オリックス社外取締役、富士火災海上保険社外取締役なども歴任。この他、1995年4月から2006年6月まで社団法人経済同友会幹事、1998年から2000年まで社団法人ビジネス機械・情報システム産業協会会長 などを務めた。
細谷 治通(ほそや はるみち、1939年6月19日 - )は… 細谷 治通(ほそや はるみち、1939年6月19日 - )は、日本の元政治家。民主党福岡県連顧問・倫理委員会委員長。元民主党衆議院議員。父は衆議院議員を務めた細谷治嘉。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
大和屋 竺(やまとや あつし、1937年6月19日 - 19… 大和屋 竺(やまとや あつし、1937年6月19日 - 1993年1月16日)は、日本の脚本家、映画監督、俳優。アニメーション脚本家、中央競馬馬主の大和屋暁は息子。 1937年6月19日、北海道三笠市幌内町に生まれる。父は炭鉱労働者、母は没落旧家の出身だった。 1953年、父の停年退職に伴い、一家で上京。葛飾区青砥に住む。 1958年、2年間の浪人生活を経て早稲田大学第一文学部に入学(専攻は日本史)。在学中は田中陽造らと「稲門シナリオ研究会」に所属し、田中の脚本で16ミリ映画『一・〇五二』を監督した。 1962年、早稲田大学卒業。日活株式会社助監督部(第8期)に入社。同期に岡田裕、曽根義忠(中生)、山口清一郎らがいた。
木村 汎(きむら ひろし、1936年6月19日 - 2019… 木村 汎(きむら ひろし、1936年6月19日 - 2019年11月14日)は、日本の政治学者。拓殖大学海外事情研究所客員教授。北海道大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。専門はロシア政治、日露関係。 朝鮮・京城(現ソウル)生まれ。父は民法学者で京都大学名誉教授の木村常信。推理小説家の山村美紗は実姉、女優の山村紅葉は姪。 1960年京都大学法学部卒業、1962年同大学院政治学修士課程修了(指導教員は猪木正道)、同博士後期課程進学。1968年Ph.D.(アメリカ・コロンビア大学、政治学)。 1970年北海道大学法学部助教授、1977年教授、1978年同大学スラブ研究センター(現・北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター)教授、1991年北海道大学退官、名誉教授、国際日本文化研究センター教授、2002年同退官、名誉教授、拓殖大学海外事情研究所教授(のち客員教授)。
斉藤 京子(さいとう きょうこ、1936年(昭和11年)6月… 斉藤 京子(さいとう きょうこ、1936年(昭和11年)6月19日 - 2022年(令和4年)1月2日)は、日本の民謡歌手。秋田県北秋田郡栄村(現・北秋田市)太田生まれ。本名は齋藤京子。 「江差追分」の名人であった父・二代目大船繁三郎と、民謡歌手の母・函青白糸との間に生まれる。両親とともに巡業で各地を回り、4歳のとき函館で初舞台を踏む。 秋田・東北を中心に全国の民謡を手がけ、さらに端唄・小唄などの俗謡や、ご当地ソング・舞踊歌謡とレパートリーも幅広い。 1953年、17歳のときコロムビアから「新タント節」「もみすり唄」他でデビュー。20歳でキングレコードに移籍し、「おんな白虎隊」「あゝ川中島」などをヒットさせる。
青木 淳一(あおき じゅんいち、1935年6月19日 - 2… 青木 淳一(あおき じゅんいち、1935年6月19日 - 2022年11月11日)は、日本の動物学者、土壌動物学者。横浜国立大学名誉教授。ササラダニ類の分類学および生態学を専門とし、この類の分類学において日本の水準を高いものにした。 父方の祖父は華族(子爵)・政治家の青木信光。母方の祖父は台湾電力社長などを務めた官僚・実業家の松木幹一郎 。叔父(父の末弟)は東京医科歯科大学名誉教授・元学長で衛生動物学者の加納六郎。 ササラダニ類の分類学を手掛け、日本におけるこの分野をほとんど一人で開拓した。非常に精力的であり、日本におけるダニ類の研究発表先である日本蜘蛛学会の雑誌には、青木による新種記載の論文がほぼ毎号に出るという時期があった。
森田 稔(もりた みのる、1935年6月19日 - )は、日… 森田 稔(もりた みのる、1935年6月19日 - )は、日本のロシア音楽研究者、宮城教育大学名誉教授。 満州国奉天市(現中国瀋陽市)生まれ。東京外国語大学ロシヤ語科、東京藝術大学楽理科卒業。東京都立高校教諭、弘前大学講師、宮城教育大学助教授、教授を務め2001年定年退官。2015年春の叙勲で瑞宝中綬章受章。
永井 清彦(ながい きよひこ、1935年6月19日 - 20… 永井 清彦(ながい きよひこ、1935年6月19日 - 2017年7月14日)は、日本のジャーナリスト、国際政治学者。 東京府東京市牛込区(現東京都新宿区)出身。1958年東京大学文学部独文科卒、朝日新聞に入り、ドイチェ・ヴェレ、ザ・タイムズ記者ののち、桃山学院大学教授、玉川大学教授、1996年共立女子大学国際文化学部教授を務めた。
伊藤 一葉(いとう いちよう、本名:伊藤 家晴、1934年〈… 伊藤 一葉(いとう いちよう、本名:伊藤 家晴、1934年〈昭和9年〉6月19日 - 1979年〈昭和54年〉9月30日)は、日本の手品師。兵庫県城崎郡竹野町(現・豊岡市)出身。古川事務所(東京都中野区沼袋)所属(1976年2月)。 兵庫県立豊岡工業高等学校建築科(現在の兵庫県立豊岡総合高等学校)を卒業した。劇団を経営していた父親の影響で芸人を志し、松旭斎天佐天勝一座に入って旅回りの生活を6年間続けた。手品を始めたのは一座の手品師が高齢により舞台に出られなくなり代役を務めたからで、手品師の世界では珍しく師匠がいない。当初は手品だけを行っていたが、性分に合わず面白くなかったため、しゃべりながら手品をするようになった。
和田 功(わだ いさお、1933年6月19日 - )は京都府… 和田 功(わだ いさお、1933年6月19日 - )は京都府乙訓郡久世村(現:京都市南区)出身の元プロ野球選手。愛称は、和製シャンツ。 京都府立桂高等学校では、エースとして1950年秋季近畿大会府予選準決勝に進むが立命館高に惜敗。1952年に毎日オリオンズに入団。1953年に5勝を挙げ、1954年には16勝、1955年に18勝、1956年に14勝を挙げる。しかし、1957年は成績を落とし、登板数も減少した。1958年は前年からさらに登板数が減少する一方で、防御率については大きく改善したが、オフに大阪タイガースに移籍。移籍後の1959年は17試合に登板するも防御率5.04と精彩を欠き、同年オフに退団した。
川仁宏(かわに ひろし、昭和8年(1933年)6月19日 -… 川仁宏(かわに ひろし、昭和8年(1933年)6月19日 - 平成15年(2003年)2月5日 )は、編集者、思想家、パフォーマンスアーティスト。 東京都新宿区に生まれ、慶應義塾大学仏文科卒。 1950年代から、政治的な公然、非公然なものまで多種多様な活動に参加する傍ら、前衛パフォーマンスを実践した。中でも中西夏之、高松次郎らと共に行った「山手線事件(電車内での攪拌)」というハプニングは後のハイレッド・センターへと繋がるプレ・イヴェントとして名高い。
松下 滿雄(まつした みつお、1933年6月19日 - )は… 松下 滿雄(まつした みつお、1933年6月19日 - )は、日本の法学者、弁護士。東京大学名誉教授、成蹊大学名誉教授、上智大学教授。専門は経済法。法学博士(東京大学、1968年)。独占禁止法の研究者として知られ、日米通商摩擦に関する紛争事例を分析する。父は第5代・6代・7代立教大学総長の松下正寿。東京府出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
高木 敏子(たかぎ としこ、1932年(昭和7年)6月19日… 高木 敏子(たかぎ としこ、1932年(昭和7年)6月19日 - )は、日本の童話作家。 東京府東京市本所区(現:東京都墨田区)生まれ。戦前はガラス工芸品製造工場を営む家庭に育つ。文化学院卒業。旧姓江井。2012年現在は千葉県千葉市美浜区在住。 焼け跡世代の一員として自身の幼少時(小学6年生)の戦時体験を綴った処女作「ガラスのうさぎ」で、1978年に厚生省児童福祉文化奨励賞(現在は一般財団法人児童健全育成推進財団の主宰する児童福祉文化賞になっている)、1979年に 日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。2005年エイボン女性大賞を受賞。 「ガラスのうさぎ」は、戦争を知らない子ども達に、平和と命の尊さを知ってほしいという願いから刊行され、発刊以来、ロングセラーを続け、旧版、新版、文庫版あわせて今日まで220万部を超えるベストセラーとして多くの人々の間で読み継がれている。
一ノ瀬 綾(いちのせ あや、1932年6月19日 - 202… 一ノ瀬 綾(いちのせ あや、1932年6月19日 - 2025年2月17日)は、日本の作家。本名は掛川たつよ。 長野県小県郡武石村(現上田市)出身。上田高等女学校卒業後、農業に従事ののち上京。 1968年「春の終り」で農民文学賞、1975年「黄の花」で田村俊子賞受賞。
山内祥史(やまのうち しょうし、1932年6月19日 - 2… 山内祥史(やまのうち しょうし、1932年6月19日 - 2017年4月3日 )は、日本の近代文学研究者。専門は太宰治の書誌研究。 元神戸女学院大学学長、神戸海星女子学院大学学長。神戸女学院大学・神戸海星女子学院大学名誉教授。 香川県三豊郡(現在の観音寺市)出身。香川県立観音寺第一高等学校、関西学院大学文学部日本文学科卒業。関西学院大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程単位修得退学。 1961(昭和36)年4月樟蔭中学校・高等学校に国語教師として着任、1964(昭和39)年4月神戸女学院中学部・高等学部に転任し、1972(昭和47)年4月神戸女学院大学文学部総合文化学科助教授、以後1998(平成10)年3月まで、教授、文学部長、評議員、理事、学長を務めた。
久保田 競(くぼた きそう、1932年6月19日 - 202… 久保田 競(くぼた きそう、1932年6月19日 - 2024年6月29日)は、日本の大脳生理学者、医学博士(東京大学、1964年)、京都大学名誉教授。 大阪市出身で、川島隆太や澤口俊之らを指導した。幼児教育者の久保田カヨ子は配偶者、久保田宣伝研究所創業者の久保田孝は父。2011年に瑞宝中綬章を受章する。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
黒柳 明(くろやなぎ あきら、1931年〈昭和6年〉6月19… 黒柳 明(くろやなぎ あきら、1931年〈昭和6年〉6月19日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(5期)、公明党参議院議員団長、公明党副委員長、新進党参議院議員代表、公明党常任顧問などを歴任した。 東京都出身。東京都立新宿高等学校を経て、早稲田大学英文科卒業。聖教新聞編集局長や潮出版社の編集主幹を歴任する。 1965年(昭和40年)の第7回参議院議員通常選挙に全国区から公明党公認で立候補し、初当選(連続5期当選)。 1971年(昭和46年)の第9回参議院議員通常選挙からは東京地方区で立候補し、当選を重ねる。 1992年(平成4年)、公明党副委員長に就任。1994年(平成6年)12月10日、新進党の結成に参加し、新進党参議院議員代表に就任。
阿部 洋(あべ ひろし、1931年6月19日 - 2025年… 阿部 洋(あべ ひろし、1931年6月19日 - 2025年1月 )は、教育学者、国立教育研究所名誉所員、福岡県立大学名誉教授。 北九州市出身。1954年九州大学教育学部卒、1959年同大学院教育史専攻博士課程満期退学、九大助手、福岡工業大学助教授、国立教育研究所に入り、アジア教育研究室長、名誉所員。福岡県立大学教授、2000年退官、名誉教授。南京師範大学名誉教授。1992年、「清末中国における近代学校制度の成立過程に関する研究」で九州大学より教育学博士を授与された。
加藤 昭(かとう あきら、1931年6月19日 - )は、日… 加藤 昭(かとう あきら、1931年6月19日 - )は、日本の地球科学者。専門は鉱物学(記載鉱物学)。理学博士(東京大学)。東京府生まれ。 1954年、東京大学理学部地学科卒業。1959年、東京大学大学院数物系博士課程修了、理学博士。同年、東京大学理学部地質学教室助手。1964年、国立科学博物館地学課勤務。東京大学理学部講師。1971年、国立科学博物館地学研究部地学第二研究室長。1975年 - 1982年、国際鉱物学連合の新鉱物・鉱物名委員会 (IMA-CNMMN) 委員長。1995年、国立科学博物館地学研究部長。1996年:、国立科学博物館定年退職、名誉研究員。 1985年、イタリアで発見された新鉱物が加藤柘榴石(katoite)と命名された。
小山 昭夫(こやま あきお、1931年6月19日 - )は、… 小山 昭夫(こやま あきお、1931年6月19日 - )は、日本の精神科医、学校法人経営者。藍野グループ代表、学校法人東北文化学園大学元理事長。 長男は健康科学大学元理事長で学校法人藍野大学理事長の小山英夫。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
日下 隆(くさか たかし、1929年6月19日 - 2010… 日下 隆(くさか たかし、1929年6月19日 - 2010年12月28日)は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(外野手)。 兄に大阪タイガースでプロ野球選手として活躍、引退後は政治家となった日下章がいる。息子は育英高校の夏の甲子園優勝監督(1993年)である日下篤。 鳴尾中学から法政大学へ進学。東京六大学野球リーグでは在学中1回優勝。リーグ通算71試合出場、223打数71安打、打率.318、0本塁打、34打点。首位打者1回(1950年秋季リーグ)。 1952年に近鉄パールス入団。翌1953年には開幕から一番打者、右翼手に抜擢され、規定打席(10位、打率.285)にも到達した。1954年は近鉄の野手で初めてオールスターゲームに出場。
植村 秀(うえむら しゅう、1928年〈昭和3年〉6月19日… 植村 秀(うえむら しゅう、1928年〈昭和3年〉6月19日 - 2007年〈平成19年〉12月29日)は日本の美容家、美容師、メイクアップアーティスト。東京都出身。シュウウエムラ化粧品創業者。 東京の羅紗婦人服地商「植村商店」代表・植村伝助の四男として生まれる。10代の頃に大病を患って長らく病床にあったときに、ヘアスタイルやメイクアップに興味を持つようになった。旧制成城高等学校を卒業後、東京の美容専門学校に入学した。130人の生徒の中で唯一の男子生徒だった。 植村が初めて映画のメイクアップを経験したのは、1957年の映画『ジョー・バタフライ(英語版)』(Joe Butterfly)の日本での撮影にメイクアップアシスタントとして参加したときだった。
有田 忠郎(ありた ただお、1928年(昭和3年)6月19日… 有田 忠郎(ありた ただお、1928年(昭和3年)6月19日 - 2012年3月11日)は、日本の詩人、翻訳家、仏文学者。専門はフランス詩。西南学院大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 長崎県佐世保市出身。海軍主計将校だった父の転勤に従って鎌倉、台湾、再び佐世保と転々とした。長崎県立佐世保中学校、第五高等学校を経て、1953年九州大学文学部仏文科卒業。1958年九州大学大学院第二期修了、九州大学文学部助手。1963年北九州大学講師、1964年同助教授、1968年同教授。1975年西南学院大学教授。1999年同大学を退職。 シャルル・ボードレールらの詩が専門だが、ヴィクトル・セガレンの全訳やサン=ジョン・ペルスの翻訳でも知られる。
鈴木 昭生(すずき しょうせい、1927年6月19日 - 2… 鈴木 昭生(すずき しょうせい、1927年6月19日 - 2009年8月18日)は、日本の男性俳優、声優。東京府(現:東京都)出身。 長男はムーンライダーズの鈴木慶一、次男は同じくムーンライダーズの鈴木博文。 東京都立青山高等学校卒業。日本大学専門部工科卒業。身長169cm、体重55kg。声域はバリトン。 1947年2月15日、劇団文化座入団。その後、九プロダクションに所属していた。 2004年に咽頭癌を患い、その後2006年に咽頭及び声帯切除により芸能活動を引退、治療に専念していたが、2009年8月18日、自宅にて心不全により死去。82歳没。
大内山 平吉(おおうちやま へいきち、1926年6月19日 … 大内山 平吉(おおうちやま へいきち、1926年6月19日 - 1985年11月1日)は、茨城県那珂郡平磯町(現:ひたちなか市)出身で双葉山道場、時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は大内 平吉(おおうち へいきち)。最高位は東大関。 1926年6月19日に茨城県那珂郡平磯町(現・茨城県ひたちなか市)で漁師を営む家に長男として生まれる。幼少時代から潜水が得意で、鮑や蛸を捕る腕はプロの潜水士にも劣らなかった。小学生の時は際立って大きくなく、平均よりやや高い程度の身長だったが、小学校を卒業してから船に乗って漁を手伝う内に急激に背が高くなった。1943年に家の漁船が大日本帝国海軍に徴用され、父と共に対潜哨戒部隊に配属されたが、海軍軍属の立場で食事に不自由しなかったことからさらに体格が大きくなり、周囲の軍人達の勧めと口利きで、1944年に双葉山相撲道場へ入門した。
黒川 洸(くろかわ ひかる、1925年6月19日 - 199… 黒川 洸(くろかわ ひかる、1925年6月19日 - 1998年12月28日)は、日本の実業家。テレビ愛知の初代社長を務めた。 石川県出身。海軍兵学校卒業。戦後の1951年に、早稲田大学政治経済学部卒業。同年、日本経済新聞社に入社。ロンドン特派員、編集局次長などを経て、1976年から取締役に就任。1982年に設立されたテレビ愛知の社長を1982年12月から1991年6月までに務めた。1991年6月から1993年6月までに会長を務めた。 1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1998年12月28日、心不全のため死去。73歳没。
田原 陶兵衛(十二代)(たはら とうべえ(じゅうにだい)、1… 田原 陶兵衛(十二代)(たはら とうべえ(じゅうにだい)、1925年(大正14年)6月19日 - 1991年(平成3年)9月27日)は、日本の陶芸家。萩焼の第一人者。 1925年6月19日、山口県長門市に生まれる。1944年、旧制山口高等学校在学中に召集を受けて満州に渡る。1945年、シベリアに抑留され、1948年に復員。復員後は長兄の11代田原陶兵衛に師事。1956年、長兄の急逝により12代陶兵衛を襲名する。 1969年、第16回日本伝統工芸展に「萩茶碗」を初出品。翌年、日本工芸会正会員となり、1981年から1988年まで同会理事を務める。1981年、山口県指定無形文化財萩焼保持者に認定される。
鎌田 博夫(かまた ひろお、1924年6月19日 - 201… 鎌田 博夫(かまた ひろお、1924年6月19日 - 2013年8月6日)は、日本のフランス文学者。東北大学名誉教授。 東京生まれ。大阪外国語大学フランス語科卒、1949年京都帝国大学文学部仏文科卒業、関西大学講師、1952年大阪市立大学講師。1968年東北大学文学部助教授、1970年教授、1988年定年退官、名誉教授、弘前大学人文学部教授、石巻専修大学理工学部教授。 フランス共和国教育功労章(シュヴァリエおよびオフィシェ)受章。2002年、勲三等旭日中綬章受章。
柳谷 謙介(やなぎや けんすけ、1924年〈大正13年〉6月… 柳谷 謙介(やなぎや けんすけ、1924年〈大正13年〉6月19日 - 2017年〈平成29年〉11月18日)は、日本の外交官。 外務事務次官(第21代)、オーストラリア国駐箚特命全権大使、外務審議官、外務省大臣官房長、外務省情報文化局長などを歴任した。 東京府出身。学生時代は学徒出陣のため海軍に召集され、短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 その後、1948年(昭和23年)東京大学法学部を卒業。同年、外交官領事官採用試験に合格。外務省入省後、フランス、パキスタン、イギリスなどで勤務し、1959年(昭和34年)からは北東アジア課首席事務官を5年間務め、1965年(昭和40年)の日韓国交正常化への交渉を支えた。
紅野 敏郎(こうの としろう、1922年6月19日 - 20… 紅野 敏郎(こうの としろう、1922年6月19日 - 2010年10月1日)は、日本の日本文学研究者。専門は日本近代文学、特に白樺派の作家。早稲田大学名誉教授。息子は日本大学教授で日本文学研究者の紅野謙介。 兵庫県西宮市生まれ。中学卒業後は家業の醸造業に従事するが、1943年招集されてスマトラ島に出征する。敗戦後、1年あまりの捕虜生活を送る。1947年大東文化学院国語国漢科に入学、1949年早稲田大学第一文学部国文学科に編入学。1952年、同大学卒業。1953年から1960年まで京華学園教諭を務め、1960年早稲田大学教育学部専任講師。1962年同助教授、1967年同教授。1992年定年退職、名誉教授。
荻野 恒一(おぎの こういち、1921年6月19日 - 19… 荻野 恒一(おぎの こういち、1921年6月19日 - 1991年10月15日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。南山大学文学部教授、金沢大学教育学部教授、慶應義塾大学客員教授を務めた。 1921年、大阪で生まれた。旧制山口高等学校を経て、京都帝国大学医学部医学科に進学。1944年9月に同大学を卒業。 1944年10月、京都帝国大学医学部精神医学教室副手に採用され、実施修練に入った。後に助手、講師昇格。1952年、学位論文『易感性関係妄想の成立機転』で京都大学より医学博士の学位を取得。1953年3月から1955年12月まで、パリ大学医学部精神医学教室にに研究留学。 1956年1月、南山大学文学部教育家助教授に就任、のち教授に昇格。
中道 健太郎(なかみち けんたろう、1919年6月19日 -… 中道 健太郎(なかみち けんたろう、1919年6月19日 - 2013年4月17日)は、日本の経営者。カルピス食品工業(現在のアサヒ飲料)社長を務めた。 大阪府箕面市出身。1940年に大阪商科大学高商部を卒業。ピルマン製造で取締役を務め、1945年にカルピス食品工業に転じ、取締役、常務、専務を経て、1975年2月に社長に就任。1981年3月に相談役に就任。 2013年4月17日老衰のために死去。93歳没。
大内 力(おおうち つとむ、1918年6月19日 - 200… 大内 力(おおうち つとむ、1918年6月19日 - 2009年4月18日)は、日本の経済学者。専門は、経済理論・経済政策。学位は、経済学博士(東京大学・1961年)。東京大学名誉教授、信州大学名誉教授。日本学士院会員。勲等は勲二等。 財団法人日本農業研究所研究員、東京大学社会科学研究所助教授、東京大学経済学部教授、東京大学経済学部学部長、東京大学総長特別補佐、信州大学教授、大東文化大学教授、全国大学生活協同組合連合会会長などを歴任。 東京府出身の経済学者である。マルクス経済学の経済理論、経済政策を専攻し、宇野弘蔵理論の立場から日本の農業問題を研究。また近代経済学の成果を柔軟に取り入れ、1970年の『国家独占資本主義』では、宇野理論における現状分析として、管理通貨体制下における金融政策(インフレ政策)による賃金上昇抑制と、それによる恐慌への対処を現代国家の本質的機能であるとした。
浜田 到(はまだ いたる、1918年6月19日 - 1968… 浜田 到(はまだ いたる、1918年6月19日 - 1968年4月30日)は、日本の歌人、詩人、医師。ロサンゼルス出身。 1912年、農園を経営していた両親が移住していたロサンゼルスに生まれ、4歳のとき帰国。両親の出身地である鹿児島県国分市(現・霧島市)に育つ。鹿児島県立第一中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)在学中に短歌を始め、旧制姫路高等学校、旧制岡山医科大学を卒業。 1935年に、一中の教員であった安田尚義が主宰する潮音系短歌雑誌『山茶花』に短歌作品を発表。異色ある作品として注目される。以後、『歌宴』『工人』を経由。 1944年に岡山医科大学卒業後、鹿児島市内の済生会病院に勤務(内科医)。 1951年、中井英夫に見出され『短歌研究』8月号の「モダニズム短歌特集」に塚本邦雄らとともに寄稿、1960年には塚本邦雄、寺山修司、山中智恵子、菱川善夫らとともに同人誌「極」に参加。
竹見 淳一(たけみ じゅんいち、1917年(大正6年)6月1… 竹見 淳一(たけみ じゅんいち、1917年(大正6年)6月19日 - 2003年(平成15年)5月23日)は、日本の実業家。日本ガイシ会長、ワシントンホテル取締役。NHK経営委員長、日経連(当時)副会長、JR東海監査役などを歴任した。 東京府高輪生まれ。森村学園の前身たる私立南高輪幼稚園、同小学校と黒澤明の姉である黒澤春代に教わる。デキの悪い子も骨身も惜しまず居残りで教えたり家庭教師をつけてくれたりした先生であった。父が亡くなったこともあり、将来も見据え官立に進むことにし東京府立一中入学。一中に入れたが、肺が弱く、7年間在籍した。その後、医科への進学も考えたが肺病もちでは医者に成れないと耳に入り、法文系統の慶應予科へ。
田中 生夫(たなか いくお、1917年6月19日 - 199… 田中 生夫(たなか いくお、1917年6月19日 - 1996年2月17日)は、日本の経済学者、岡山大学名誉教授。 京都府綾部市生まれ。第三高等学校卒。1941年、京都帝国大学経済学部卒、台湾銀行大阪支店に入行。1942年から1945年まで陸軍へ応召。1946年、岡山農業専門学校講師。1948年、教授。1950年、岡山大学法文学部講師、1951年に助教授、1961年に教授。1968年「イギリス初期銀行史研究」で、九州大学経済学博士。1980年から1982年、岡山大経済学部長、評議員。1981年から1982年、法文学部長。1983年、定年退官、名誉教授、金沢大学教授、のち福山大学教授、中京大学教授。
山内 一男(やまのうち かずお、1915年6月19日 - 2… 山内 一男(やまのうち かずお、1915年6月19日 - 2008年3月)は、日本の経済学者。法政大学名誉教授。中国経済の近代化過程を研究した、中国研究の第一人者。菅沼正久らと共に文化大革命を礼賛した代表的な人物として知られる。 広島県出身。1940年東京帝国大学(現・東京大学)卒、南満州鉄道調査部勤務。1957年まで中国に滞在。1961年法政大学教授。1986年定年退任、名誉教授、中国研究所理事長。1984年~1987年現代中国学会代表幹事。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
本木 荘二郎(もとき そうじろう、1914年6月19日 - … 本木 荘二郎(もとき そうじろう、1914年6月19日 - 1977年5月21日)は、日本の映画プロデューサー、映画監督、脚本家である。独立し、映画監督を兼ねるようになってからの筆名に岸本 恵一(きしもと けいいち)、高木 丈夫(たかぎ たけお)、藤本 潤三(ふじもと じゅんぞう)、藤本 潤二 (ふじもと じゅんじ)等がある。
坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月1… 坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月19日 - 1983年〈昭和58年〉6月2日)は、日本の政治家、農林官僚。衆議院議員(4期)。館林市名誉市民。 群馬県邑楽郡郷谷村(現・館林市)に生まれる。旧制館林中学校(現・群馬県立館林高等学校)、旧制第一高等学校文科を経て、1937年(昭和12年)に東京帝国大学法学部を卒業。 大学在学中の1936年(昭和11年)に高等文官試験に合格し、大学卒業後に農林省に入省。1956年(昭和31年)水産庁漁政部長生産部長となり、日ソの外交交渉に尽力。1959年(昭和33年)農林経済局長、1962年(昭和37年)農林水産技術会議事務局長を経て1963年(昭和38年)に退官する。
斎藤 栄三郎(齋藤 榮三郎、さいとう えいざぶろう、1913… 斎藤 栄三郎(齋藤 榮三郎、さいとう えいざぶろう、1913年6月19日 - 2000年7月9日)は、日本の政治家、経済評論家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、 科学技術庁長官(44代)。東京出身。早稲田大学商学部卒業。商学博士、法学博士、文学博士。 1931年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。1936年早稲田大学商学部卒業後、日本経済新聞社に入社。上海支局長、シンガポール支局長などを歴任した。 1949年には「一九四一~五年に於ける日本経済の実証的研究」にり早稲田大学から商学博士、1959年には「賠償の実証的研究」により中央大学から法学博士、1965年には「イスラムの社会思想」により東洋大学から文学博士を、それぞれ論文博士として取得した。
野草 平十郎(のぐさ へいじゅうろう、1913年6月19日 … 野草 平十郎(のぐさ へいじゅうろう、1913年6月19日 - 1999年5月6日)は、日本の政治家。1978年から1990年までの3期にわたり、兵庫県尼崎市長を務めた。勲三等旭日中綬章。
市古 宙三(いちこ ちゅうぞう、1913年(大正2年)6月1… 市古 宙三(いちこ ちゅうぞう、1913年(大正2年)6月19日 - 2014年(平成26年)6月21日)は、日本の中国史学者、お茶の水女子大学名誉教授。 1913年、山梨県で生まれた。東京帝国大学文学部東洋史学科で学び、1937年に卒業。 卒業後は、東亜研究所書員として勤務。戦後の1951年、お茶の水女子大学助教授に就いた。1957年に教授昇格。1969年から1971年まで文教育学部長、1972年からは附属図書館長も務めた。1976年、お茶の水女子大学学長に就任。1979年にお茶の水女子大学を定年退官し、名誉教授となった。同年4月からは中央大学教授として教鞭を執った。 2014年6月21日午前5時10分、老衰のため101歳で死去。
和田 信賢(わだ のぶかた、1912年〈明治45年〉6月19… 和田 信賢(わだ のぶかた、1912年〈明治45年〉6月19日 - 1952年〈昭和27年〉8月14日)は、戦前から戦後にかけて活動したNHKのアナウンサー。妻は後輩アナウンサーの大島(旧姓)実枝子(1918年(大正7年)- 2016年(平成28年)、1939年入局)。 東京府に生まれ、東京府立第五中学校、第二早稲田高等学院を経て早稲田大学に進学するも中退した。1934年に日本放送協会(当時は社団法人)へ第1期アナウンサーとして入局した。 和田が一躍有名になった場面は、1939年の大相撲1月場所の実況中継である。和田はこの場所の実況中継を初日から4日目まで担当したが、4日目(1月15日・日曜日)に70連勝を目指していた双葉山定次が、結びの一番で安藝ノ海節男に外掛けで敗れ、連勝が69で止まった。
秀村 欣二(ひでむら きんじ、1912年6月19日 - 19… 秀村 欣二(ひでむら きんじ、1912年6月19日 - 1997年4月8日)は、日本の西洋史学者(古代ローマ史)。東京大学教養学部名誉教授。 1912年、福岡県福岡市で生まれた。旧制福岡中学(現・福岡県立福岡高校)、旧制福岡高等学校を経て、東京帝国大学文学部西洋史学科に進学。1936年に同大学を卒業。 東京大学教養学部教授。1973年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は青山学院大学文学部教授として教鞭を執り、1984年に退職した。
高橋 静之助(たかはし せいのすけ、1911年6月19日 -… 高橋 静之助(たかはし せいのすけ、1911年6月19日 - 1991年6月26日 )は、日本の経営者。北越銀行頭取を務めた。 新潟県長岡市出身。1932年に名古屋高等商業学校を卒業し、1933年4月に六十九銀行(のちの北越銀行)に入行。1963年5月に取締役に就任し、1965年11月に常務、1970年11月に専務を経て、1972年11月には頭取に就任。1977年6月から1981年6月までに取締役相談役を務めた。長岡商工会議所会頭、長岡市教育委員長なども歴任。 1978年11月に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲四等瑞宝章を受章。 1991年6月26日、心不全のために死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
植松 雅俊(うえまつ まさとし、1910年(明治43年)6月… 植松 雅俊(うえまつ まさとし、1910年(明治43年)6月19日 - 1958年(昭和33年)11月14日)は、昭和期の宮内官、政治家。京都府華族(子爵)。貴族院議員。正五位。 1910年(明治43年)6月、式部官・植松雅道の長男として生まれる。 1935年(昭和10年)九州帝国大学法文学部を卒業。同年以降、宮内省諸陵寮雇、同嘱託、殿掌などを務めた。 父の死去に伴い、1941年(昭和16年)7月1日、子爵を襲爵した。 1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選した。研究会に所属し、1947年(昭和22年)5月2日まで在任した。 1958年(昭和33年)11月、死去。