岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、… 岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ・監督。
4月20日生まれ:348人
岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、… 岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ・監督。
増田 敏男(ますだ としお、1929年(昭和4年)4月20日… 増田 敏男(ますだ としお、1929年(昭和4年)4月20日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)、熊谷市長(2期)を歴任した。 埼玉県熊谷市出身で埼玉県立熊谷高等学校を中退。 1959年5月、熊谷市議会議員に初当選する。 1967年4月、埼玉県議会議員に当選。 1981年3月、第82代埼玉県議会議長に就任した。 1982年5月、熊谷市長に初当選したが、1986年6月、熊谷市長を辞職。同7月、衆議院議員選挙旧埼玉3区で落選。 1990年2月、衆議院議員選挙旧埼玉3区で初当選。同3月、衆議院地方行政委員会理事となる。 1993年8月、国土政務次官に就任し、1996年1月、衆議院農林水産委員会理事となる。
永井 一正(ながい かずまさ、1929年〈昭和4年〉4月20… 永井 一正(ながい かずまさ、1929年〈昭和4年〉4月20日 - 2026年〈令和8年〉2月23日)は、日本のグラフィックデザイナー。大阪府大阪市出身。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)二代目会長。息子はHAKUHODO DESIGN(博報堂デザイン)代表取締役社長の永井一史。 日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会特別顧問、日本デザインコミッティ名誉会員。
郷 静子(ごう しずこ、1929年4月20日 - 2014年… 郷 静子(ごう しずこ、1929年4月20日 - 2014年9月30日)は、日本の小説家。
後藤 邦夫(ごとう くにお、1929年4月20日 - )は、… 後藤 邦夫(ごとう くにお、1929年4月20日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪府立大学)。元応用化学教室担当。 専門は、工業化学・材料化学、高分子化学。 1962年大阪府立大学(現:大阪公立大学)大学院工学研究科応用化学専攻にて、工学博士(大阪府立大学)。大阪工業大学工学部応用化学科助教授として着任し、応用化学教室を担当。1966年高分子化学専門の第4研究室(現:高分子材料化学研究室)を主催し、その後の高分子材料の研究・発展に貢献した。同学科教授を経て、1997年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部応用化学科にて35年以上の長きに渡り教鞭を執り、1958年の同学科開設後の初期の応用化学(特に、材料化学・高分子化学)研究・育成に貢献した。
藤本 昭(ふじもと あきら、1928年4月20日 - 201… 藤本 昭(ふじもと あきら、1928年4月20日 - 2019年7月16日)は、日本の経済学者、神戸大学名誉教授。中国経済が専門。 1928年、大阪市で生まれた。大阪商科大学経済学科で学び、戦後の1951年に卒業。 卒業後は大阪市立大学経済研究所助手に採用され、日本の繊維産業の調査研究に従事。しかし、経済研究所にアジア研究グループが組織されるとメンバーとなり、本格的に中国経済研究を始めた。1957年に講師昇格。1963年に神戸大学経済学部助教授となり、1971年に教授昇格。1973年、学位論文『新中国の国家財政の研究』を神戸大学に提出して経済学博士号を取得。1992年に神戸大学を定年退官し、名誉教授となった。
谷井 昭雄(たにい あきお、1928年4月20日 ‐ )は、… 谷井 昭雄(たにい あきお、1928年4月20日 ‐ )は、日本の実業家。松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)の4代目社長。大阪府出身。神戸高等工業学校(現・神戸大学工学部)精密機械科卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
塚本 三郎(つかもと さぶろう、1927年〈昭和2年〉4月2… 塚本 三郎(つかもと さぶろう、1927年〈昭和2年〉4月20日 - 2020年〈令和2年〉5月20日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(通算10期)、民社党委員長(第5代)、書記長(第5代)などを歴任した。 愛知県名古屋市に製材所を営む家の三男として生まれる。旧制明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)から中央大学法学部に進み、中大では辞達学会(弁論部)で活動した。 中大卒業後まもなく運輸省で鉄道員として勤務、国鉄労働組合の結成にも関わり一時期本省への出向も経験した。運輸省退職後は家具製造卸業を営みつつ日本農民組合中央委員を歴任、1952年の総選挙・1953年の総選挙に無所属で19
森崎 和江(もりさき かずえ、1927年4月20日 - 20… 森崎 和江(もりさき かずえ、1927年4月20日 - 2022年6月15日)は、日本の詩人、ノンフィクション作家、元放送作家。 ASLE-Japan/文学・環境学会会員、日本放送作家協会会員。日本脚本家連盟会員。 日本統治時代の朝鮮の大邱で教師の子として生まれ、17歳で単身日本に渡る。1947年、福岡県女子専門学校(現・福岡女子大学)保健科卒。 太平洋戦争下の学生動員中、結核に感染し、戦後の3年間、療養所生活を送る。退所後、1950年、丸山豊が主宰する詩誌『母音』同人となる。1956年ごろから、NHK福岡放送局でラジオのエッセイや、ラジオドラマの脚本を担当。 1958年、『母音』で知り合った谷川雁ともに筑豊の炭坑町に転居。
佐々木 満(ささき まん(実際の読みは、ささき ゆたか)、1… 佐々木 満(ささき まん(実際の読みは、ささき ゆたか)、1926年4月20日 - 2022年4月7日)は、日本の政治家、官僚。自由民主党所属で参議院議員(4期)を務めた。 秋田県雄勝郡山田村出身。秋田県立能代高等学校、東京大学法学部卒業。大学卒業後、自治省に入省。後に秋田県庁に移り、厚生部長などを歴任。山崎五郎の死去に伴う1976年の参議院議員補欠選挙に秋田県選挙区から自民党公認で立候補し初当選。連続当選4回。党内では中曽根康弘→渡辺美智雄派に属し、北海道開発政務次官、自民党参議院政策審議会長などを務めた後、1990年第2次海部改造内閣の総務庁長官として初入閣。1995年には政府が提出した宗教法人法改正案を審議する参議院宗教法人等に関する特別委員長に就任したが、創価学会を基盤とする野党の新進党の強い反発で審議は混乱し、精神的にも肉体的にも自信を失った佐々木は健康上の理由で委員長を辞任。
杉村 隆(すぎむら たかし、1926年4月20日 - 202… 杉村 隆(すぎむら たかし、1926年4月20日 - 2020年9月6日)は、日本の医学者(生化学・腫瘍学)・医師。学位は、医学博士(東京大学・1957年)。国立がんセンター名誉総長、東邦大学名誉学長、国立がん研究センター名誉総長。日本学士院会員。文化功労者。位階は従三位、勲等は勲一等。 東京大学医学部助手、財団法人癌研究会癌研究所研究員、国立がんセンター研究所研究員、国立がんセンター研究所生化学部部長、国立がんセンター研究所所長、国立がんセンター総長、東邦大学学長、日本学士院院長などを歴任した。 生化学と腫瘍学を専攻する東京府出身の基礎医学研究者である。国立がんセンター在職時に東京大学医科学研究所教授に併任された。
大高 猛(おおたか たけし、1926年 (大正15年) 4月… 大高 猛(おおたか たけし、1926年 (大正15年) 4月20日 - 2000年 (平成12年) 1月22日)は、日本のグラフィックデザイナー。大阪を拠点に活動していた。 山口県出身。山口県立下関工業高等学校卒業。1948年(昭和23年)、明治工業専門学校(現・九州工業大学)卒業。 1953年(昭和28年)、大高デザインアソシエーツ(後の大高デザインプロダクション)を設立。1966年(昭和41年)、日本万国博覧会アートディレクター。1981年(昭和56年)、国際デザイン交流会アートディレクター。 1988年(昭和63年)、浪速短期大学(現在、大阪芸術大学短期大学部)教授に就任(のち、名誉教授)。
大塚 光信(おおつか みつのぶ、1926年4月20日 - 2… 大塚 光信(おおつか みつのぶ、1926年4月20日 - 2016年3月3日)は、日本の国語学者。京都教育大学名誉教授。 岡山県生まれ。1952年京都大学文学部卒業。卒業論文は「ドチリナ・キリシタン考」。「中世国語の国語史的研究」を研究課題として同大学大学院に進学し、1956年に修了。その後、尾道女子短期大学講師、京都教育大学教授、1990年定年退官、名誉教授。梅花女子大学教授、1992年から1995年まで学長。2004年春瑞宝中綬章受勲。
森永和彦(もりなが かずひこ、1926年4月20日-2012… 森永和彦(もりなが かずひこ、1926年4月20日-2012年3月30日)は、国際政治評論家。 神奈川県出身。東京大学経済学部卒。時事通信社に入り、解説委員長、監査役を務めた。日米関係、食料問題の立場から論陣を張った。
石川 松太郎(いしかわ まつたろう、1926年4月20日 -… 石川 松太郎(いしかわ まつたろう、1926年4月20日 - 2009年5月26日)は、日本の教育学者である。 東京出身。東京文理科大学卒業。和洋女子大学教授、図書館長、日本女子大学教授を経て、昭和女子大学大学院講師を務めた。父は石門心学研究の石川謙。父のあとを継ぐように日本教育史の研究に志す。江戸時代の寺子屋の研究や、そこで使われた往来物と呼ばれる教科書類の研究に力を注ぎ、謙堂文庫と称する、往来物などのコレクションは、近世往来物集成として刊行されるにいたった。 また、時代劇などでの寺子屋が登場する場面などでの、時代考証の指導をすることもあった(NHK『寺子屋ゆめ指南』など)。 なお、謙堂文庫の往来物コレクションは、没後は東京書籍の運営する東書文庫に移管され、その他の近世期の和書は横浜国立大学の図書館に寄贈された。
八木 治郎(やぎ じろう、1925年〈大正14年〉4月20日… 八木 治郎(やぎ じろう、1925年〈大正14年〉4月20日 - 1983年〈昭和58年〉4月18日)は、日本のアナウンサー、テレビ番組司会者。元NHKアナウンサーを経てフリー。 東京生まれ。幼・少年期を現在の千葉県香取市で過ごした。旧制千葉県立佐原中学校(現在の千葉県立佐原高等学校)から陸軍士官学校予科→陸軍航空士官学校を経て1949年、東京大学文学部中国文学科卒業。 同年NHK(日本放送協会)に入局。同期入局には小川宏、大塚利兵衛、福島幸雄、穂坂俊明らがいる。熊本、長崎勤務を経て、1953年にラジオの『音楽夢くらべ』で本格的にアナウンサーを開始。報道・芸能・社会番組などを担当。人気クイズ番組『私の秘密』では高橋圭三がNHKを退局しフリーになってからは、後任として1962年から4年間司会を務めた。
長塚 隆二(ながつか りゅうじ、1924年4月20日 - 2… 長塚 隆二(ながつか りゅうじ、1924年4月20日 - 2020年7月8日)は、日本のフランス文学者。 愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。読売新聞記者をへて日本大学教授。フランス・リヨン大学客員教授。フランス政府より芸術文化勲章一等章。1973年セネガルのサンゴール賞を受賞。1985年芸術文化勲章コマンドゥール受賞。Académie des siences d’outre「フランス海外学士院」会員。 ジョルジュ・サンドのほか、ナポレオン評伝などを執筆、翻訳も多い。 2020年7月8日、死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中川 正男(なかがわ まさお、1924年 <大正13年> 4… 中川 正男(なかがわ まさお、1924年 <大正13年> 4月20日 - 1999年 <平成11年> 3月14日)は、日本の経営者。北海道文化放送社長、会長を務めた。位階は従五位。 北海道出身。1948年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に北海道新聞社に入社。1981年に取締役、1985年に常務、1987年に専務を経て、1988年6月から1992年6月までに北海道文化放送社長を務めた。 1999年3月14日に心不全のために死去。74歳没。死没日付をもって従五位に叙され、勲四等旭日小綬章を追贈された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉川 雅恵(よしかわ まさえ、1923年4月20日 - 19… 吉川 雅恵(よしかわ まさえ、1923年4月20日 - 1991年12月17日)は日本の女優。本名は吉川美代子(旧姓:林田)。大阪府大阪市出身。旧芸名=仁保海(にほみ)月子。宝塚歌劇団在団中の愛称はオバァちゃん。特技は三味線、日舞。
近角 聰信或いは近角 聡信(ちかずみ そうしん、1922年4… 近角 聰信或いは近角 聡信(ちかずみ そうしん、1922年4月20日 - 2016年5月8日)は、日本の物理学者。専攻は磁性物理学・金属物理学。理学博士(1951年東京大学)。東京大学名誉教授、茅誠司の門下生、ロゲルギストのメンバー。浄土真宗大谷派の近角常観の四男。 下の名前に関して、学習院大学時代の論文を収録したJ-STAGEやCiNii Researchでは聴信と間違って表記されている。 大正11年(1922年)、東京府生まれ。第二高等学校を経て、昭和20年(1945年)、東京大学理学部物理学科を卒業後、同大学院(茅誠司研究室)を経て、1950年より学習院大学に助教授として勤務、53年に31歳で教授に就任。
犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 20… 犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 2017年7月24日)は、日本の慈善家・環境活動家・小説家。 首相を務めた犬養毅の孫にあたる。カトリック信徒。 現在の東京都新宿区四谷に犬養健・仲子夫妻の長女として生まれる。父・健は犬養毅の嗣子で親子2代の政治家であり、母方の曾祖父が長与専斎と後藤象二郎である。母方の祖父は男爵長与称吉。従姉の娘に緒方貞子、異母妹に安藤和津がいる。 女子学習院、津田英学塾で学んだ後、アメリカ合衆国やフランスに留学。 1970年代以降ヨーロッパに在住し、環境破壊抑止を目指した「みどり一本」運動を提唱したり、1979年から世界の飢餓、難民問題に深くかかわった。また欧州滞在中は、ジュネーヴ空港に近いフランスの街フェルネ=ヴォルテールに住み、ライフワークの聖書研究のかたわら、難民支援活動を積極的に展開した。
小笠原 貞子(おがさわら さだこ、女性、1920年4月20日… 小笠原 貞子(おがさわら さだこ、女性、1920年4月20日 - 1995年10月9日)は、日本の政治家。 1960年代 - 1990年代にかけて参議院議員、日本共産党副委員長、新日本婦人の会事務局長などを務めた。キリスト教徒であり、宗教的世界観を持たない同党において信仰を公表した人物の中では最も要職に就いた人物である。 東京都出身。北海道庁立札幌高等女学校補習科(現在の北海道札幌北高等学校)を卒業(1937年)。新日本婦人の会事務局長を経て、1968年の参議院議員選挙に全国区より出馬し初当選。1974年7月7日に実施された第10回参議院議員通常選挙では北海道地方区に移り、トップ当選(ただし、この選挙は自由民主党が同選挙区に保守系無所属も含めて3名を立候補させて共倒れになった側面もある)をした。
下出積与(しもで せきよ、戸籍上は「積與」。1918年4月2… 下出積与(しもで せきよ、戸籍上は「積與」。1918年4月20日 - 1998年5月16日)は、日本の歴史学者。研究分野は宗教史。明治大学名誉教授。 石川県出身。大聖寺中学校、1938年3月第四高等学校文科甲類卒業し、1941年、東京帝国大学文学部国史学科卒業。北國新聞社、旧制小松中学、大聖寺高校教諭、金沢高師教授を経て、1949年、金沢大学法文学部助教授、のち文学部教授。1968年、明治大学教授となり、1989年定年退任、名誉教授。 1975年に「日本古代の神祇と道教」により東京大学から文学博士の学位を取得。道教、神道などを研究した。
竹中 修一(たけなか しゅういち、1918年4月20日 - … 竹中 修一(たけなか しゅういち、1918年4月20日 - 1997年7月31日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(5期)。青森県出身。経世会所属であった。
武藤謙二郎(1918年4月20日 - 1973年4月20日)… 武藤謙二郎(1918年4月20日 - 1973年4月20日)は、日本の大蔵官僚。 横浜税関長、主計局次長(末席)、主計局次長(次席)、関税局長などを務めた。 茨城県出身。東京帝国大学法学部政治学科在学中に高等試験行政科を合格。1944年12月 東京帝大法学部政治学科を卒業。1942年1月 大蔵省入省。専売局長官官房兼主計局属。 1960年7月15日 大臣官房地方課長。1961年6月23日 主税局税関部企画課長。同年11月1日 関税局総務課長。1963年6月1日 横浜税関長。1965年6月18日 主計局次長(末席)。当時の主力産業であった農林業や公共事業などを担当した。1966年7月22日 主計局次長(次席)。
横山 正彦(よこやま まさひこ、1917年〈大正6年〉4月2… 横山 正彦(よこやま まさひこ、1917年〈大正6年〉4月20日 - 1986年〈昭和61年〉3月8日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。旧姓は伊藤。 長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)出身。旧制伊那中学(現長野県伊那北高等学校)、松本高等学校文科乙類を経て、1941年東京帝国大学経済学部卒。 大河内一男にマルクス主義経済学を学ぶ。社団法人銀行調査会事務局調査課、全国金融調査会調査部調査課勤務、1946年東大経済学部助教授、1955年教授、1961年「重農主義分析」で経済学博士。1978年定年退官、名誉教授、1982年駒澤大学教授。日本科学者会議の設立に参加した。
三宅 徳嘉(みやけ のりよし、1917年4月20日 - 20… 三宅 徳嘉(みやけ のりよし、1917年4月20日 - 2003年11月16日)は、日本のフランス語学者・フランス文学者。東京都立大学、学習院大学教授を務めた。父は裁判官の三宅徳業。
亀井 正夫(かめい まさお、1916年4月20日 - 200… 亀井 正夫(かめい まさお、1916年4月20日 - 2002年6月23日)は、日本の実業家。住友電気工業元社長、会長。関西国際空港株式会社元会長。住友老壮会会長。社会経済生産性本部元会長。国鉄再建監理委員会委員長。政治改革推進協議会会長。「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者。新しい日本をつくる国民会議元会長。勲一等旭日大綬章受章。 1916年兵庫県神戸市生まれ。旧制第一神戸中学校から岡山の旧制第六高等学校を経て1939年東京帝国大学法学部卒業。同年住友本社入社。1946年住友電気工業入社。1973年社長、1982年会長を経て1991年相談役に就任。1992年日本生産性本部会長。2001年より住友老壮会会長となる。
田丸 秀治(たまる ひではる、1914年4月20日 - 19… 田丸 秀治(たまる ひではる、1914年4月20日 - 1990年1月25日)は、日本の実業家。電通代表取締役社長、代表取締役相談役、日本広告業協会理事長等を歴任。マルさんの愛称で親しまれた。 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1935年第七高等学校造士館文科卒業。1938年東京帝国大学文学部を卒業。旧制中学校の教諭を経て、七高先輩の吉田秀雄に招かれて1948年に日本電報通信社に入社。部長、局長を経て、1967年に電通常務取締役に就任。その後、専務取締役を経て、1977年に代表取締役社長に就任。同時に吉田秀雄記念事業財団の理事長にもなる。
大横田 勉(おおよこた つとむ、1913年4月20日 - 没… 大横田 勉(おおよこた つとむ、1913年4月20日 - 没年不明)は日本の水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック400メートル自由形で銅メダルを獲得。明治大学出身。
高 在珌(コ・ジェピル、朝鮮語: 고재필、1913年4月20… 高 在珌(コ・ジェピル、朝鮮語: 고재필、1913年4月20日 - 2005年1月17日)は満州国の官僚、大韓民国の政治家、弁護士、法学者、陸軍軍人。第15代保健社会部(現・保健福祉部)長官、第7・8・9・10代大韓民国国会議員を歴任した。 本貫は長興高氏(朝鮮語版)で高敬命(朝鮮語版)の子孫である。号は河南(ハナム、하남)。1920〜30年代に水原学生独立運動事件(水原高等農林学校事件)を主導した1人で独立有功者の高在千は兄。 日本統治時代の全羅南道潭陽郡生まれ。1933年光州高等普通学校卒。1936年中央大学予科修了、1939年同大法学部卒。1937年に満州高等文官試験に合格し、満洲国国務院総務庁高等官試補に任命され、同年12月大同学院第1部卒業(第11期生)。
崔 貞基(チェ・ジョンギ、朝鮮語: 최정기、1913年4月2… 崔 貞基(チェ・ジョンギ、朝鮮語: 최정기、1913年4月20日 - 2000年2月1日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、実業家、大韓民国の教育者、政治家。第2代朝鮮大学校総長、第6代韓国国会議員。本貫は耽津崔氏(朝鮮語版)。 日本統治時代の全羅南道光州郡(現・光州広域市)出身。京都中学校、光州農業学校(現・光州自然科学高等学校(朝鮮語版))卒。1929年に農高読書会の幹部として光州学生運動に参加したため、治安維持法違反などにより検挙され、1930年に懲役3年を、1931年に懲役1年を処されたことがある。その後は東京工業大学化学工学科、朝鮮大学校大学院を卒業した。日本光科学工業株式会社専務取締役、高麗美油株式会社社長、第2代朝鮮大学校総長(1960年6月11日〜1961年8月27日)、光州学生独立運動同志会長を歴任した。
前田 喜代士(まえだ きよし、1912年4月20日 - 19… 前田 喜代士(まえだ きよし、1912年4月20日 - 1938年1月)は、福井県出身のプロ野球選手。 武生中学では主将で4番中堅手だった。卒業後は慶大に進むも病気で中退。その後、ノンプロの呉羽紡績、日本レイヨンでプレーした。 1936年、名古屋軍の結成に参加し、そのまま入団。最初の公式リーグ戦である1936年春の第一回日本職業野球リーグ戦では左翼手として活躍し、5月17日の東京セネタース(鳴海球場)戦では、石原繁三からランニングホームランを打った。これは球団史上初めての本塁打である(日本プロ野球公式戦でも、同年5月4日に本塁打を打った藤井勇(大阪)に次いで第二号本塁打である)。同年秋の第二回日本職業野球リーグ戦においても12月7日の東京セネタース(洲崎球場)戦で、同じ石原繁三から日本プロ野球公式戦史上初の代打本塁打を打つなど、長打力のある打者として、弱小・名古屋軍を支えた。
池松 武之亮(いけまつ たけのすけ、1912年〈明治45年〉… 池松 武之亮(いけまつ たけのすけ、1912年〈明治45年〉4月20日 - 1990年〈平成2年〉5月23日)は、日本の医師。 いびき研究における世界的先駆者。 熊本県津奈木村(現・津奈木町)生まれ。父親が病院を開業した大分県竹田市荻町で育つ。大邱医学専門学校(現・慶北大学校医科大学)および千葉医科大学(現・千葉大学医学部)を卒業し、東京逓信病院および野田病院に勤務した。 1942年(昭和17年)に千葉県野田市にて池松耳鼻咽喉科を開業。いびきが原因で一夜にして離婚を言い渡された女性の治療をきっかけにいびきの研究をはじめ、39年間で8,000例以上のいびき手術を行った。1982年(昭和62年)にパリで開催された「第1回世界いびき学会」で名誉会長に就任した。
成良 一郎(なりよし いちろう、1911年(明治44年)4月… 成良 一郎(なりよし いちろう、1911年(明治44年)4月20日 - 2000年(平成12年)5月7日)は、日本の地方事務官である。 戦前は熊本県、沖縄県、岐阜県などに勤務し、戦後は主に栃木県で勤務した。栃木県では初代教育長に就任し、副知事も務めた。 1911年(明治44年)4月20日、成良清一の次男として大分県臼杵市に生まれる。 1930年(昭和5年)4月、福岡高等学校文科丙類に入学した。 1933年(昭和8年)、福岡高校を卒業した後、東京帝国大学法学部政治学科に入学した。1936年(昭和11年)には高等文官試験行政科に合格する。 1936年(昭和11年)3月、東京帝国大学を卒業後、地方事務官として熊本県に勤務する。
高山 英華(たかやま えいか、 1910年4月20日 - 1… 高山 英華(たかやま えいか、 1910年4月20日 - 1999年7月23日)は、日本の都市計画家、建築家。東京大学名誉教授。工学博士。近代都市計画学の創始者。 建築系の都市計画学者で、また都市工学の先駆者として都市再開発から広く地域開発、都市防災の推進等を通しまちづくり事業に貢献し、都市計画分野に大きな足跡を残す。 1910年4月生まれ。東京市芝区高輪育ち。幼少の頃住みかは高輪から代々木、代々木から大久保、その後に兄が結核にかかり、一家で阿佐ヶ谷に引越す。以来東京都杉並区に在住した。東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)、旧制成蹊高等学校を経て、1934年東京帝国大学工学部建築学科卒。
鈴木 實(すずき みのる 1910年(明治43年)4月20日… 鈴木 實(すずき みのる 1910年(明治43年)4月20日- 2001年(平成13年)10月28日)は、東京麹町生まれの大日本帝国海軍の軍人、実業家。旧海軍時代の最終階級は海軍中佐。本籍は新潟県岩船郡村上本町。
石川 七郎(いしかわ しちろう、1910年4月20日 - 1… 石川 七郎(いしかわ しちろう、1910年4月20日 - 1986年6月27日)は外科医、慶應義塾大学教授。 京都府京都市中京区出身。1936年(昭和11年)慶應義塾大学医学部卒。慶應義塾大学医学部教授を経て国立がんセンター病院長、総長を務める。胸部外科の権威として知られ、慶應義塾大学病院、国立がんセンター病院で辣腕を振るう。墓所は多磨霊園。 孫は元NHKアナウンサーの石川光太郎。 専門は呼吸循環器外科であり、数々の肺癌摘出手術を行うも、本人はヘビースモーカーであった。親分肌の豪快な人物として知られ多くの部下に慕われた。軍医として戦陣医療に携わった経験もある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
仙石 永博(せんごく ながひろ、1909年4月20日 - 2… 仙石 永博(せんごく ながひろ、1909年4月20日 - 2001年1月20日)は、日本の経営者。住友倉庫社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。位階は従四位。 1934年に東京帝国大学法学部法科を卒業し、同年に住友倉庫に入社。1956年5月に取締役に就任し、1961年3月に常務、1966年11月に専務を経て、1970年11月には社長に就任。1976年6月に会長、1981年6月に取締役相談役を経て、1983年6月に相談役に就任。 1973年11月に藍綬褒章を受章し、1974年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2001年1月20日肺炎のために死去。91歳没。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
武ノ里 武三(たけのさと たけぞう、1909年4月20日 -… 武ノ里 武三(たけのさと たけぞう、1909年4月20日 - 没年不明)は、青森県五所川原市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は吉崎 武三。最高位は東前頭14枚目(1943年1月場所)。173cm・94kg。得意技は左四つ、寄り。 1926年1月場所に初土俵を踏んで以降順調に出世し、東幕下5枚目で迎えた1930年10月場所で幕下優勝し、翌1931年1月場所に十両に昇進。しかし当場所は体調不良により4勝7敗と振るわず、翌5月場所も全休したため幕下に陥落。その直後の1932年1月の春秋園事件で天竜・大ノ里らと行動を共にし協会を脱退、翌年設立の関西角力協会に参加した。 関西角力協会では幕内で活躍、松ノ里、中ノ里とともに「大ノ里門弟三羽烏」と言われていた。
並木 芳雄(なみき よしお、1908年(明治41年)4月20… 並木 芳雄(なみき よしお、1908年(明治41年)4月20日 - 1975年(昭和50年)1月19日)は、昭和期の政治家。位階は従四位。 東京府西多摩郡西多摩村(羽村町を経て現羽村市)で、並木俊蔵の息子として生まれる。1931年(昭和6年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した。 大阪商船に入社。アメリカに留学し、ニューヨーク・ナショナル・シティ銀行に入社し英語と事務管理を研究した。同行マニラ支店に転じマニラ軍政部通訳を兼務した。その後、比島留日学生寄宿舎監、駐日比島大使館に出向して終戦を迎え、銀行を退社した。 戦後、郷里で農村文化の向上に尽力し、民間側の通訳も担った。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に東京都第7区から民主党公認で立候補して当選し、その後、1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙まで連続して再選され、衆議院議員に連続5期在任した。
飯島 亮(いいじま りょう、1908年〈明治41年〉4月20… 飯島 亮(いいじま りょう、1908年〈明治41年〉4月20日 - 1990年〈平成2年〉)は、日本の造園家、作庭家、庭園作家、造園研究者、造園指導者、造園教育者。元千葉大学園芸学部教授。農学博士。茨城県龍ケ崎市出身。
河内 清(かわち きよし、1907年4月20日 - 1991… 河内 清(かわち きよし、1907年4月20日 - 1991年2月11日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。静岡大学名誉教授。 愛知県知多郡内海町(現・南知多町)出身。第一高等学校を経て、1930年東京帝国大学仏文科卒業。徳川義忠(尾張徳川家・分家)の家庭教師を務め、31年草村北星の龍吟社に入る。32年藤山工業図書館勤務、38年財団法人東亜研究所(近衛文麿総裁)に入り調査員となる。戦後の47年広島文理科大学および広島高等師範学校講師、48年静岡高等学校教授、49年静岡大学文理学部教授、54年図書館長、62年文理学部長、65年改組により初代人文学部長、67年東京教育大学教授、71年定年退官、静大名誉教授、72年白百合女子大学教授、78年定年退職。
安部 三史(あべ さんし、1907年4月20日 - 1993… 安部 三史(あべ さんし、1907年4月20日 - 1993年11月5日)は、日本の医学者。専門は公衆衛生学。元北海道医療大学学長。 北海道出身。1933年(昭和8年)北海道帝國大學医学部卒業後、同医学部助手。1941年(昭和16年)帯広高等獣医学校講師に就任。帯広獣医畜産専門学校講師を経て1946年(昭和21年)北海道大学医学部講師。その後、同医学部助教授。1956年同教授。1963年同医学部長。1967年北海道大学歯学部教授となり、同歯学部長。1970年北海道大学停年退官。同名誉教授。北星学園大学文学部社会福祉学科教授。1974年東日本学園大学薬学部教授。1977年東日本学園大学2代学長に就任。
岩田 巌(いわた いわお、1905年4月20日 - 1955… 岩田 巌(いわた いわお、1905年4月20日 - 1955年3月3日)は、日本の会計学者。元一橋大学商学部教授。 東京都新宿区西大久保生まれ。先祖は武蔵野の郷士で、家には家系図が残されている。 1923年3月、私立豊山中学校(現・日本大学豊山中学校・高等学校)第4学年修了後、父の死去により、就職のためから早稲田実業学校(現・早稲田実業学校高等部)へ編入、1年間在籍するも、就職はしなかった。1930年、東京商科大学本科卒業、同年同大学研究科入学。大学時代はマックスウェーバーの研究に取り組む。1931年、中央会計研究所入所。1932年、東京商科大学研究科修了。1933年、東京商科大学予科講師、1937年同教授、1941年同大学助教授兼予科教授。
辰巳 柳太郎(たつみ りゅうたろう、1905年〈明治38年〉… 辰巳 柳太郎(たつみ りゅうたろう、1905年〈明治38年〉4月20日 - 1989年〈平成元年〉7月29日)は、日本の俳優。兵庫県赤穂郡坂越村(現・赤穂市)生まれ。本名は新倉武一。 島田正吾と共に、新国劇の屋台骨を支えた1人。 少年時代に養子に出されるも、養家を13件も転々としながら関西甲種商業学校(現・関西大学第一中学校・高等学校)を経て、商業学校(現・大阪市立天王寺商業高等学校)を中退。 1919年、小林一三が国民劇創設のため作った「男子養成会」の創設メンバー(男子専科生第一期生)として宝塚入り。 1926年に旅回りの一座に入り、長野県で初舞台を経験。半年後、小林一三主宰、坪内士行文芸部長の「宝塚国民座」に入団して東伍作の名で舞台に立つ。
泉 春子(いずみ はるこ、1905年〈明治38年〉4月20日… 泉 春子(いずみ はるこ、1905年〈明治38年〉4月20日 - 1998年〈平成10年〉?)は、日本の女優である。本名は、出生名が吉村 春子(よしむら はるこ)、俳優の中根龍太郎と結婚して山口 春子(やまぐち はるこ)、死別後に再婚して徳田 春子(とくだ はるこ)となった。デビュー作での芸名は沢村春子であったが、次の作品でこの芸名に改名した。身長は4尺3寸(約162.9センチメートル)、体重は12貫(約45.0キログラム)。 1905年(明治38年)4月20日、長崎県佐世保市下京町に「吉村春子」として生まれる。 1918年(大正7年)、旧制白南風小学校(現在の佐世保市立白南風小学校)を卒業、満15歳になる1920年(大正9年)には「娘歌舞伎」に入門する。
秋山 清(あきやま きよし、1904年4月20日 - 198… 秋山 清(あきやま きよし、1904年4月20日 - 1988年11月14日)は、福岡県小倉市(現・北九州市)出身の詩人、アナキスト。終戦まで局(つぼね)清のペンネームを用いる。 1904年、福岡県小倉市(現・北九州市)で生まれる。小倉中学(現・県立小倉高)を経て日本大学中退。1924年創刊のアナーキズム系の詩誌『詩戦行』に参加。1930年、小野十三郎と『弾道』創刊。第二次世界大戦後、1946年、金子光晴、岡本潤、小野十三郎とともに詩誌『コスモス』を創刊。アナキスト連盟や新日本文学会常任委員の活動のかたわら、『新日本文学』、『現代詩』に詩や評論を発表。詩史や自伝、作家論などの著作も多い。
栗生 純夫 (くりう すみお、1904年(明治37年)4月2… 栗生 純夫 (くりう すみお、1904年(明治37年)4月20日 - 1961年(昭和36年)1月17日)は、日本の俳人、小林一茶研究家。本名は神林 新治(かんばやし しんじ)。須坂市名誉市民。 長野県上高井郡須坂町(現在の須坂市東横町)の農業・繭糸商の家に生まれる。小諸市出身の臼田亜浪に師事。実作者の立場から小林一茶を研究し、軍隊入営中に『一茶新考』を出版するなど、書物を数多く発表。1946年(昭和21年)、郷里の長野県須坂町で俳誌『科野』(しなの)を創刊し、『信濃毎日新聞』俳壇選者を長く担当するなど、信濃俳壇の中心となって活躍した。一茶研究により日本俳文学会会員に推挙される。1961年死去。
入江 啓四郎(いりえ けいしろう、1903年4月20日 - … 入江 啓四郎(いりえ けいしろう、1903年4月20日 - 1978年8月13日)は、日本の国際法学者・ジャーナリスト。 鳥取県西伯郡春日村(現・米子市)生まれ、上海で育つ。1919年豊浦中学校中退。1921年日本中学校卒業。1923年第一早稲田高等学院卒業。1927年3月、早稲田大学法学部卒業。1927年4月、ジャパンタイムズに記者として入社。その後、日本新聞連合社記者を経て、1936年1月、同盟通信社に勤務、1937年に同社パリ支局長。1939年に同社ジュネーヴ支局長。『ヴェルサイユ体制の崩壊』全3巻を上梓する。1945年同社編集局外信部長。1945年、時事通信社編集局外信部長。1946年、同社時事研究所長。