多賀 弘明(たが ひろあき、1934年3月21日 - )は、… 多賀 弘明(たが ひろあき、1934年3月21日 - )は、日本のレーシングドライバー。早稲田大学卒業。東京都出身。日本のモータースポーツ黎明期に活躍したドライバーの一人として、日本グランプリなどに出場。 早稲田大学の自動車部に所属し、ラリーやフィギュアなどの競技に出場。 1963年の第1回日本グランプリでは、トヨペット・クラウンを駆ってC-VIクラスに出場し、優勝を飾っている。 1964年には「トヨタモータースポーツクラブ(TMSC)」の設立に関与し、2代目のTMSC会長に就任。 当初TMSCの主催で行われていた富士1000kmなどのレースや、1966年のトヨタ・2000GTによるスピードトライアル運営にも携わっていた。
本田 靖春(ほんだ やすはる、1933年(昭和8年)3月21… 本田 靖春(ほんだ やすはる、1933年(昭和8年)3月21日 - 2004年(平成16年)12月4日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 朝鮮・京城府生まれ。父は朝鮮総督府の役人で、後に日本高周波重工業に移った。会社では廉潔な管理職だったが、自宅では異様なほどに躾に厳しかったという。東京都立千歳高等学校、早稲田大学政治経済学部新聞学科卒業。高校時代の同級生に映画監督の恩地日出夫がいる。 1955年、読売新聞社に入社。直後から社会部に在籍、朝日新聞社の深代惇郎とは同じ警察担当記者として接点があった。1964年、売血の実態を抉った「黄色い血」追放キャンペーンでは、自らも山谷の売血常習者たちの列に並んで売血するなどの綿密な取材の効果あって大きな反響を呼び、献血事業の改善につながった。
種村 季弘(たねむら すえひろ、1933年(昭和8年)3月2… 種村 季弘(たねむら すえひろ、1933年(昭和8年)3月21日 - 2004年(平成16年)8月29日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家、評論家、エッセイスト。 1969年(昭和44年)の著書『ナンセンス詩人の肖像』では、ルイス・キャロル、エドワード・リア、モルゲンシュテルン、ハンス・アルプらの生涯と作品を紹介。ザッヘル=マゾッホなど多くのドイツ語圏の作家を翻訳、紹介した。澁澤龍彦や唐十郎らと共に1960年代 - 1970年代の、アングラ文化を代表する存在となる。 古今東西の異端的・暗黒的な文化や芸術に関する広汎な知識で知られ、クライストやホフマン、マゾッホなど独文学の翻訳の他、内外の幻想小説や美術、映画、演劇、舞踏に関する多彩な評論を展開し、錬金術や魔術、神秘学研究でも知られる。
図子 英雄(ずし ひでお、1933年3月21日 - 2016… 図子 英雄(ずし ひでお、1933年3月21日 - 2016年6月26日)は、日本の小説家・詩人。 愛媛県西条市生まれ。大分大学経済学部卒。愛媛新聞に入社。論説副委員長などを歴任する。1987年「カワセミ」で新潮新人賞受賞、芥川賞候補。1992年退職。同人誌「原点」を主宰。「えひめ文化図書賞」の選考委員などを務める。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
三浦 小平二(みうら こへいじ、1933年3月21日 - 2… 三浦 小平二(みうら こへいじ、1933年3月21日 - 2006年10月3日)は日本の陶芸家。1997年に人間国宝に認定された。 新潟県佐渡郡相川町(現在の佐渡市)出身。生家は佐渡無名異焼の窯元であり、三代常山の孫、三浦小平の長男として生まれた。1955年東京芸術大学美術学部彫刻学科を卒業後、加藤土師萌の元で青磁の伝統技法を学ぶ。 1969年に中近東や東アフリカ、1978年に中国・モンゴルなどアジア各国を巡り、各国の磁器の研究や自らの作品への投影に励んだ。特に、古代中国の皇室御用達であった国営陶磁器製作所が生み出す南宋官窯に強い影響を受け、目標としながら研究を重ねた。その末に佐渡の朱色の土を下地とした器に青磁釉をかけるという独特な技法を開発する。
土戸 清(つちど きよし、1933年3月21日 - 2025… 土戸 清(つちど きよし、1933年3月21日 - 2025年11月16日)は、日本の聖書学者。東北学院大学名誉教授。 神奈川県川崎市生まれ。1957年東京薬科大学卒業。61年東京神学大学大学院修士課程修了。69-71年ユニオン神学大学大学院(コロンビア大学大学院)留学(STM)。77-99年東北学院大学教授。92年「ヨハネ福音書における伝承と編集-「人の子」句を含む記事単元の伝承批判的・編集史的研究」で京都大学博士(文学)。2000-05年聖学院大学教授。東北学院大学名誉教授。日本基督教団大森めぐみ教会牧師。 国際新約学会会員。元日本新約学会会長。日本基督教学会理事。
石田 正人(いしだ まさと、1933年3月21日 - )は… 石田 正人(いしだ まさと、1933年3月21日 - )は、日本の政治家。元長野県飯山市長(1期)。旭日双光章。 現在の飯山市出身。下高井農林学校(現長野県下高井農林高等学校)卒業。昭和39年(1969年)から飯山市常盤農協に勤務しコシヒカリの品種「幻の米」のブランド育成と販路開拓に貢献し、北信州みゆき農協組合長を務めた。平成18年(2006年)飯山市長選挙に当選し、1期務めた。同年黄綬褒章受章。2013年秋の叙勲で旭日双光章を受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
高森 和子(たかもり かずこ、1932年〈昭和7年〉3月21… 高森 和子(たかもり かずこ、1932年〈昭和7年〉3月21日 - )は、日本の元女優、エッセイスト。大阪市東住吉区出身。本名同じ。 小学校時代、友井唯起子にクラシックバレエを4年間習った。1950年、東大谷高等女学校(現・東大谷高等学校)を卒業。学生時代はバレリーナを目指し友井バレエ団に在籍。遠縁に当たる大河内傳次郎の紹介で1951年、大映京都撮影所に入り、映画「上州鴉」でデビュー。 1953年、姉がNHKに在籍していた縁で大阪放送劇団へ入団。「正確な大阪弁が話せる女優」として大阪制作ドラマの売れっ子となる。 1966年、『横堀川』の主人公の妻役や1973年、八千草薫ら三姉妹の母親役を演じた『けったいな人びと』などで、実年齢よりもかなりの老け役を演じて好評を得る。
福島 雄次郎(ふくしま ゆうじろう、1932年3月21日 -… 福島 雄次郎(ふくしま ゆうじろう、1932年3月21日 - 2005年1月21日)は、日本の作曲家。熊本県八代市出身。 終戦後に結核に侵され、23歳まで療養生活を送る。この間、東京音楽学校(現・東京藝術大学)の通信教育で作曲を学び始める。回復後、東京に出るまでは保険の勧誘員やミシンのセールスマン、五木の山に行って飯場の仕事などをしていた。 東洋音楽短期大学(現・東京音楽大学)卒業。作曲を箕作秋吉、指揮法をアルベルト・レオーネに師事。1962年、「ヴァイオリンとオーケストラのためのラプソディー」で第2回TBS賞(日本を素材とする管弦楽曲募集)入賞。1963年、「オーケストラのための<三連画>」で第32回日本音楽コンクール第3位入賞。
加藤 誠(かとう まこと、1932年3月21日 - 2022… 加藤 誠(かとう まこと、1932年3月21日 - 2022年6月26日)は、日本の地質学者。北海道大学名誉教授。地層内において発見される古生物の研究、とりわけ古生代サンゴを専門とする。宮城県出身。 1932年3月に鉱山地質技師の長男として宮城県に生まれる。1954年金沢大学理学部地学科卒業。一度は国家公務員上級職として奉職し、その後、北海道大学大学院理学研究科に入学。1961年に同大大学院理学研究科博士課程を中退し、北海道大学理学部地質学鉱物学科助手となる。1962年3月 北海道大学理学博士 「Fine skeletal structures in Rugosa(ルゴーサ珊瑚骨格の細構造) 」。
今田 勝(いまだ まさる、1932年3月21日 - 2025… 今田 勝(いまだ まさる、1932年3月21日 - 2025年5月30日)は、日本のジャズ・ピアニスト、作曲家。 1932年3月21日、東京生まれ。若い頃、クラシック・ピアノのレッスンを受けた。明治大学在学中に学生バンドでジャズを演奏し、それから1年間ビジネスマンとなって仕事した。その後、プロとして音楽の道を追求することを決心。1953年からクラリネット奏者である北村英治のバンドの一員となった。 1964年から自身のトリオを率いた。1984年にフュージョン・バンドの「NOWIN (ナウイン)」を結成。1970年代からジャズ・フェスティバルで国際的に演奏を行ってきた。 2015年には、コンサートや日本クルーズ客船、太平洋マスターズ等のイベントで活動しており、ライブ・ハウス「六本木サテンドール」には毎月レギュラーで出演していた。
井村 淳(いむら じゅん、1932年3月21日 - 2013… 井村 淳(いむら じゅん、1932年3月21日 - 2013年11月21日)は、日本の人形劇俳優、演出家である。東京都新宿区出身。血液型はO型。 『できるかな』(NHK教育、1970年 - 1990年)にて、操演するキャラクター「ゴン太くん」を務め上げた。
古屋 哲夫(ふるや てつお、1931年3月21日 - 200… 古屋 哲夫(ふるや てつお、1931年3月21日 - 2006年12月2日)は、日本の歴史学者。専攻は日本近代史。京都大学名誉教授。 1931年、東京都で生まれた。1948年、東京都立第九中学校(現東京都立北園高等学校)卒業。1949年、浦和高等学校 (旧制)(現埼玉大学文理学部)に進学したが、学制改革にともなって新制へ移行したことにより、1949年に第1学年のみ修了。同年、東京大学教養学部文科1類に入学。1951年、同大学法学部に進学。1953年、法学部(政治コース)を修了。同年、同大学大学院社会科学研究科政治専門課程に進学し、1956年に同修士課程を修了、同博士課程に進学。1958年、歴史学研究会書記長。
楢信子(ならのぶこ、1931年3月21日- )は、日本の作家… 楢信子(ならのぶこ、1931年3月21日- )は、日本の作家。稲垣信子の本名で文学研究者。 日本領朝鮮生まれ。1954年奈良女子大学文学部英語英文学科卒。東京都区立中学校英語教師・都立高校司書教諭を経て、実践女子大学、杏林大学、専修大学にて非常勤講師を勤めた。文芸二人誌「双鷲」同人。稲垣瑞雄と東京都立立川高等学校の同僚だった時職場結婚した。21世紀には野上弥生子日記を読む仕事を続けた。
島田 竜三(しまだ りゅうぞう、1931年3月21日 - 没… 島田 竜三(しまだ りゅうぞう、1931年3月21日 - 没年不明)は、日本の俳優。旧芸名、沖 諒太郎。 日本大学芸術科卒業。劇団俳優座研究所出身。1954年、宝塚映画製作所に入社し、翌年にデビュー。東宝を経て、1958年に大映に入社。 以下に日本映画データベースに従い公開日、作品名、製作会社、役名を記載。
岩名 泰得(いわな やすのり、1931年3月21日 - )は… 岩名 泰得(いわな やすのり、1931年3月21日 - )は、日本のジャーナリスト、政治運動家。 東京府北豊島郡石神井村(現・東京都練馬区下石神井)生まれ。早稲田大学に進み、在学中の1953年1月15日、日本共産党に入党。党本部勤務員、東京・中央区委員会副委員長、東京・中部地区委員会常任委員を務めたのち、赤旗編集局に入局。校正部記者、整理部記者、外信部ハノイ特派員、外信部副部長、ブカレスト特派員などを歴任した。1984年7月15日、離党届を提出したが、1985年1月25日、除籍された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
柴田 穂(しばた みのる、1930年〈昭和5年〉3月21日 … 柴田 穂(しばた みのる、1930年〈昭和5年〉3月21日 - 1992年〈平成4年〉2月1日)は日本のジャーナリスト。元産経新聞論説委員長。 東京生まれ。東京外国語大学外国語学部中国語科卒業。 1954年産経新聞社に入社。のちソウル特派員、および北京支局長となる。紅衛兵らによる文化大革命について、1964年に決まった「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」もあり制約された報道だったが、柴田は壁新聞をよみこなし、権力闘争と看破し取材報道、1967年9月に中華人民共和国を追放となる。その後も中国や北朝鮮に対し客観的な観点で著作を行った。産経新聞論説委員に就任。1979年には『毛沢東の悲劇』シリーズを出版する。
井川 成正(いがわ しげまさ、1930年(昭和5年)3月21… 井川 成正(いがわ しげまさ、1930年(昭和5年)3月21日 - 2021年(令和3年)12月26日)は、日本の政治家。山口県下松市長を4期16年務めた。山口県下松市出身。 久保尋常高等小学校(現:下松市立久保小学校)卒業。 日立製作所笠戸工場に就職し、後に同社関連会社の清和工業株式会社を設立して代表取締役社長(市長当選後は取締役会長)に就任。 学校法人妹背学園理事長として市内の幼稚園3園を経営している。 退任時点で86歳であり、現役の市長としては全国で最高齢であった。山口県市長会会長を歴任した。 2016年11月、旭日中綬章を受章。 2021年12月26日9時22分、心不全のため、山口県周南市の病院で死去。
坂井 弘一(さかい ひろいち、1929年3月21日 - 20… 坂井 弘一(さかい ひろいち、1929年3月21日 - 2021年11月22日)は、日本の政治家。和歌山県日高郡南部町(現・みなべ町)出身。摂南工業専門学校(現・大阪工業大学)電気工学科卒業。元衆議院議員(8期)。 1929年3月21日、和歌山県日高郡南部町(現・みなべ町)に生まれる。 1948年、摂南工業専門学校(現・大阪工業大学)電気工学科を卒業する。 1963年、和歌山市議会議員選挙に、公明政治連盟から立候補し、当選する。 1967年、和歌山県議会議員選挙に立候補し、当選する。県議会議員に転出した。 1969年12月27日、第32回衆議院議員総選挙に、和歌山1区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降、連続8期)。
小林 司(こばやし つかさ、1929年(昭和4年)3月21日… 小林 司(こばやし つかさ、1929年(昭和4年)3月21日 - 2010年(平成22年)9月27日)は、日本の精神科医、作家、翻訳家。 日本シャーロック・ホームズ・クラブ主宰。 青森県弘前市出身。1953年(昭和28年)、新潟大学医学部卒業。1959年(昭和34年)、東京大学大学院修了、医学博士。大宅壮一東京マスコミ塾第7期生。上智大学カウンセリング研究所教授を経てメンタル・ヘルス国際情報センター所長。 洋子夫人は東山あかねという筆名で、「二人で一人」と公言している位である。「シャーロック・ホームズ」関連の共著・訳を中心に数十冊刊行している。 小林は極めて闊達なエスペランティストとしても知られ、日本エスペラント学会の顧問でもあった。
野﨑 元治(のざき げんじ、1928年 <昭和3年> 3月2… 野﨑 元治(のざき げんじ、1928年 <昭和3年> 3月21日 - 2023年 <令和5年> 5月20日)は、日本の経営者、銀行家。十八銀行頭取を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1948年に第五高等学校を経て、1951年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1978年2月に大臣官房審議官、同年8月にアジア開発銀行理事、1982年9月に東洋信託銀行常勤顧問、1986年9月に西宮酒造副社長を歴任し、1989年6月に十八銀行副頭取に就任し、1990年2月には頭取に昇格。2000年6月には会長に就任。 2023年5月20日、老衰のために死去。95歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
藤田 弘道(ふじた ひろみち、1928年 <昭和3年> 3月… 藤田 弘道(ふじた ひろみち、1928年 <昭和3年> 3月21日- 2018年 <平成30年> 3月13日)は、日本の経営者。凸版印刷社長、会長を務めた。位階は従四位。 静岡県出身。1953年に東京大学経済学部を卒業し、同年に凸版印刷に入社した。1980年に取締役に就任し、1985年8月に常務、1987年8月に専務を経て、1989年4月に副社長に就任し、1991年6月には社長に昇格した。2000年6月に会長に就任。 1999年4月に勲二等瑞宝章を受章した。 2018年3月13日、腎不全のために死去。89歳没。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
奥田 幹生(おくだ みきお、1928年3月21日 - 201… 奥田 幹生(おくだ みきお、1928年3月21日 - 2018年3月2日)は、日本の政治家。京都市会議長・衆議院議員(6期)・文部大臣などの要職を歴任。従三位。 京都府綾部市出身。京都師範学校を卒業後、教員生活を経て早稲田大学政治経済学部を卒業。早大卒業後、読売新聞記者となる。その後京都市会議員・同市会議長・京都府議会議員を経て、1979年の第35回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧京都1区から立候補し、落選した。翌1980年の第36回衆議院議員総選挙では(現職の田中伊三次が公認を返上したため)唯一の自民党公認候補として選挙戦を戦い、初当選した(当選同期に古賀誠・平沼赳夫・川崎二郎・柿澤弘治など)。
赤座 憲久(あかざ のりひさ、1927年3月21日 - 20… 赤座 憲久(あかざ のりひさ、1927年3月21日 - 2012年8月31日)は、日本の児童文学者。 岐阜県稲葉郡那加村(現各務原市)生まれ。岐阜師範学校(後の岐阜大学教育学部)卒。 はじめは「短歌人」に入会して短歌を創作。斎藤史に師事し、のちに「原型」に移る。岐阜県内の小学校、岐阜県立岐阜盲学校の教員を経て1971年より大垣女子短期大学教授。 1962年『目のみえぬ子ら』で毎日出版文化賞、1964年『大杉の地蔵』で講談社児童文学新人賞、1988年『雨のにおい星の声』で新美南吉児童文学賞、産経児童出版文化賞、絵本にっぽん大賞、1989年『かかみ野の土』『かかみ野の空』で日本児童文芸家協会賞受賞。
松浦 邦男(まつうら くにお、1927年3月21日 - 20… 松浦 邦男(まつうら くにお、1927年3月21日 - 2019年9月18日)は、日本の建築学者。京都大学名誉教授。工学博士。 京都大学建築学教室で、後に第18代京都大学総長となる前田敏男に師事し、建築環境工学、特に光環境(照明)を研究する。相互反射をはじめとする照度計算方法の発展に尽力し、1995年に国際照明委員会 (CIE) 賞を受賞。また、2006年には「建築環境工学、特に光環境工学の研究・教育とその発展に対する貢献」に対して日本建築学会賞大賞を受賞している。2007年、瑞宝中綬章受章。 この間、日本建築学会理事、照明学会副会長、日本照明委員会副会長などを歴任。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
関口 功(せきぐち いさお、1927年3月21日 - 201… 関口 功(せきぐち いさお、1927年3月21日 - 2016年4月8日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。アメリカの黒人文学が専門。 東京出身。明治大学専門部文科文芸科、早稲田大学第二文学部英文科を卒業。明治大学文学部助教授、1968年教授。文学部長、1997年定年退任。
生地竹郎(おいじ たけろう、1926年3月21日-1980年… 生地竹郎(おいじ たけろう、1926年3月21日-1980年7月14日)は、日本の中世英文学者。 広島生まれ。父は陸軍主計少将・生地竹之助。1951年東北大学文学部英文科卒、山形大学講師、東北大学教養部助教授、上智大学文学部教授。1974年『ウィリアムスの見た農夫ビアズの夢』で日本翻訳文化賞受賞。
池田 清(いけだ きよし、1925年3月21日- 2006年… 池田 清(いけだ きよし、1925年3月21日- 2006年4月3日)は、日本の海軍軍人、政治学者。海兵73期。最終階級は海軍中尉。東北大学名誉教授。専攻は政治外交史。息子に国際政治学者の池田明史がいる。 鹿児島県日置郡日吉町(現日置市)出身。1944年(昭和19年)3月、海軍兵学校(73期)卒業。重巡洋艦「摩耶」に乗組、砲術士としてレイテ沖海戦に参加。「摩耶」が撃沈された後、戦艦「武蔵」に救助されるが、「武蔵」も撃沈され九死に一生を得た。帰還後は海軍潜水学校普通科を経て「伊四七潜」砲術長兼通信長となり、回天「多聞隊」を乗せて出撃した。 戦後は公職追放を経て、歴史学を志す。1952年(昭和27年)、東京大学法学部政治学科卒業。
村島 健一(むらしま けんいち、1925年3月21日 - 1… 村島 健一(むらしま けんいち、1925年3月21日 - 1990年10月13日)は、日本の社会評論家。戸籍名は村嶋健一。矢野 八朗(「ヤナヤロー」のもじり)の筆名でも活動。 ジャーナリストの村嶋歸之の息子として兵庫県西宮市に生まれる。静岡高等学校で吉行淳之介と知り合う。東京大学文学部独文科卒業後、毎日新聞社東京本社に入社。10年間の記者生活を経て、1959年4月からフリーとなる。『オール讀物』連載の人物論シリーズで注目され、その他、文明時評、コント、ショートショート、小説なども執筆。 長男の村嶋帰一は日興シティグループ証券チーフエコノミスト(東京大学教養学部国際関係論学科→野村総合研究所→シティグループ証券)。
信夫山 治貞(しのぶやま はるさだ、1925年3月21日 -… 信夫山 治貞(しのぶやま はるさだ、1925年3月21日 - 1977年9月2日)は、福島県伊達郡保原町(現在の伊達市)出身で小野川部屋に所属した大相撲力士。本名は本間 栄(ほんま さかえ)。最高位は東関脇(1958年9月場所、同年11月場所)。現役時代の体格は177cm、109kg。得意手はもろ差し、寄り。 上京して小野川部屋へ入門し、1940年5月場所において、15歳で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同じ本間。1944年、幕下入りを目前にしたところで召集され、朝鮮半島北部で敗戦を迎えた。ソ連の収容所に送られたが脱走し、偽名を使ってソウルまで逃れ、なんとか引揚船で博多港へと帰り着いた。 1946年11月場所、吾妻山の四股名(四股名はいったん本名でもある本間に戻した後、1949年10月場所で信夫山と改名した)で大相撲に復帰し、翌年11月場所で十両に昇進。
伊藤 宗一郎(いとう そういちろう、1924年〈大正13年〉… 伊藤 宗一郎(いとう そういちろう、1924年〈大正13年〉3月21日 - 2001年〈平成13年〉9月4日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等。勲章は旭日桐花大綬章。衆議院議員を13期務め、在任中には科学技術庁長官、防衛庁長官や第69代衆議院議長などを歴任した。宮城県名誉県民。 宮城県加美郡中新田町(現加美町)で呉服屋を営む父・宗太郎と、母・ときの長男として生まれた。少年時代には陸軍歩兵第4連隊の一日連隊長を務める機会があった。宮城県古川中学校(現・宮城県古川高等学校)、旧制第二高等学校文科甲類を経て、1947年に東北大学法学部を卒業。高校在学中に太平洋戦争が勃発、大学在学中には1年間軍務に就いて陸軍少尉に任官されていた。
三隅 二不二(みすみ じゅうじ/じふじ、1924年(大正13… 三隅 二不二(みすみ じゅうじ/じふじ、1924年(大正13年)3月21日 - 2002年(平成14年)5月31日)は、日本の心理学者。専攻は社会心理学。文学博士。元九州大学教授、大阪大学名誉教授、筑紫女学園大学・短期大学元学長。財団法人集団力学研究所初代所長。 福岡県出身。クルト・レヴィンによって創始されたグループ・ダイナミックス(集団力学)を日本に紹介し、その普及と発展に力を注いだ。リーダーシップをパフォーマンスとメンテナンスの2つの機能の複合として捉えるPM理論で世界的に知られる。 日本グループ・ダイナミックス学会の設立に尽力し、2代目会長に就任。以来、長きに渡って同学会の幹部を務める。また九州大学教育学部教授在任中の1967年(昭和42年)、学界と地元企業の交流の場として集団力学研究所を設立。
水庭 進(みずにわ すすむ、1924年3月21日-2017年… 水庭 進(みずにわ すすむ、1924年3月21日-2017年6月14日)は、戦前・戦後に活躍したアナウンサー、教育者、文筆家、俳人。 東京生まれ。東京外国語学校英語科卒。日本放送協会の国際放送の英語アナウンサーを務めた。俳人協会会員。 巣鴨学園を経て東京外国語学校(現・東京外国語大学)、英米科3年生在学時の1944年、学生アルバイトとして英語アナウンサーとなり、その後1946年に職員として入局。 戦後の国際放送再開以降も英語アナウンサーとしてニュースや朗読番組などで活躍し、1967年の吉田茂国葬の実況生中継も行った。チーフアナウンサー、アジア部長、欧米部長、国際局次長などを務め、1980年に定年退職。
田中 範隆(たなか のりたか、1924年(大正13年)3月2… 田中 範隆(たなか のりたか、1924年(大正13年)3月21日 - )は、日本の政治家。元福岡県筑紫野市長(2期)。 福岡県出身。1945年、長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)卒。卒業後は田中油糧工業に入り、専務を経て、社長となる。また、筑紫野市商工会議所会頭も務めた。筑紫野市議会議員を経て、1995年、筑紫野市長に初当選。1999年は無投票で再選。2003年に元筑紫野市議の平原四郎に敗れた。
西山 孝(にしやま たかし、1924年(大正13年)3月21… 西山 孝(にしやま たかし、1924年(大正13年)3月21日 - 2002年(平成14年)7月25日)は、日本の政治家。元愛知県豊田市長(3期)。 愛知県出身。挙母町立青年学校で3年学ぶ。1942年(昭和17年)、名古屋高等工業学校土木科(名古屋工業大学の前身)卒業。挙母町役場に勤務。1965年(昭和40年)4月、豊田市建設部長に就任。1971年(昭和46年)4月、土木部長に就任。1975年(昭和50年)4月、助役に就任。 1975年(昭和50年)11月、豊田市長の佐藤保が健康上の理由により、任期満了に伴う市長選への不出馬を表明。次いで佐藤は、挙母町立青年学校教諭時代の教え子である西山を後継者として強く推した。
中村 拡三(なかむら こうぞう、1923年3月21日 - 2… 中村 拡三(なかむら こうぞう、1923年3月21日 - 2002年9月10日)は、日本の解放運動家・教育家。 長野県塩尻市出身。1943年長野師範学校卒業。長野県、奈良県、京都府で小中学校の教諭として勤務した後、解放教育研究所事務局長をへて、近畿大学人権問題研究所助教授、教授。1993年定年退職。部落解放運動に挺身し「解放の学力」を提唱した。
林大造(はやし たいぞう、1922年3月21日 - 1979… 林大造(はやし たいぞう、1922年3月21日 - 1979年11月9日)は日本の大蔵官僚。国際金融局次長、国際金融局長などを歴任した。 東京府出身。旧制府立高等学校、東京帝国大学法学部法律学科卒業。1944年9月 大蔵省入省。銀行保険局属。1945年5月 金融局。1946年2月 銀行局。1947年4月 高等試験行政科を合格。1951年8月 甲府税務署長。外務省在ドイツ大使館、主税局国際租税課長などを経て、1966年8月1日 大臣官房調査課長。1967年7月25日 大臣官房調査企画課長。1968年6月25日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。1970年6月25日 大臣官房審議官(国際金融局担当)。
秋山 巌(あきやま いわお、1921年3月21日 - 201… 秋山 巌(あきやま いわお、1921年3月21日 - 2014年9月15日)は、日本の版画家。大分県竹田市出身。 1953年に太平洋美術学校卒業後、棟方志功、布施悌次郎、坂本繁二郎に師事。 その後、独学で民俗学・仏教学・俳詩・陶芸・彫刻・水墨画を学び、1966年より、駐日アメリカ合衆国大使館主催によるCWAJ現代版画展に招待され、作品を出品している。 フクロウをはじめとする動物や民話、種田山頭火の俳句などを題材とした木版画や肉筆画作品を多数発表した。日本美術家連盟会員。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
神尾 秀雄(かみお ひでお、1920年3月21日 - 200… 神尾 秀雄(かみお ひでお、1920年3月21日 - 2008年10月28日)は、日本の実業家。トヨタ自動車元副社長。千代田火災海上保険(現あいおいニッセイ同和損害保険)元会長。トヨタ中興の祖である豊田英二最高顧問の懐刀と言われた。2013年時トヨタ広報部長の神尾隆は甥。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小巻 敏雄(こまき としお、1920年3月21日 - 199… 小巻 敏雄(こまき としお、1920年3月21日 - 1990年6月16日)は日本の教育者、政治家。元参議院議員(日本共産党公認)。 京都府与謝郡加悦町(現・与謝野町)生まれ。1944年、早稲田大学文学部卒業。その後、1947年に、京都府立宮津中学校(現・京都府立宮津高等学校)で、1951年に大阪府立生野高等学校でそれぞれ勤務する。生野高等学校時代に、大阪府立高校教職員組合の執行委員長に就任。委員長には1973年まで在職した。1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区から出馬し初当選を果たす。当選1回。党内では文教委員などを歴任した。1980年の第12回参院選に立候補したが落選した。 1990年6月16日、心筋梗塞のため奈良県奈良市の県立奈良病院で死去。
永山 光幹(ながやま こうかん、本名:茂、1920年3月21… 永山 光幹(ながやま こうかん、本名:茂、1920年3月21日 - 2010年3月22日)は、日本の刀剣研師。人間国宝(重要無形文化財保持者)。 神奈川県中郡相川村(現・厚木市)出身。1934年(昭和9年)、刀剣研磨、鑑定家の大家である本阿彌光遜に入門。1941年(昭和16年)に招集され、歩兵第49連隊に入営、中国へ出征する。現地でも軍刀研磨に従事。1946年(昭和21年)に復員し、本阿彌に再入門。 1955年(昭和30年)に本阿彌家免許皆伝。財団法人日本美術刀剣保存協会主催研磨技術等発表会において無鑑査、同審査員。翌年、神奈川県平塚市で研磨業を開業。1961年(昭和36年)6月、日本美術刀剣保存協会貴重刀剣審査員、同研磨技術等講習会講師。
小島 貞二(こじま ていじ、1919年3月21日 - 200… 小島 貞二(こじま ていじ、1919年3月21日 - 2003年6月24日)は、日本の著作家、相撲・プロレス・演芸評論家にしてそれらの歴史研究者、作詞家。 相撲関係の雑誌などでは大須 猛三(おおす もうさん)のペンネームを使っていたことがある。 愛知県豊橋市出身。旧制豊橋中学校(現:愛知県立時習館高等学校)を卒業後、漫画家を志して上京し、川原久仁於に師事して絵を描いていたが、身長182cmの体格を見込まれて大相撲の出羽海部屋に入門することになり、1938年5月場所に本名で初土俵を踏む。双葉山の70連勝を阻止した平幕時代の安芸ノ海の付け人を経験し、その70連勝阻止の瞬間を裏方からの目線で見た著作がある(別冊1億人の昭和史 昭和大相撲史)。
肥田 真幸(肥田 眞幸、ひだ さねゆき、1919年(大正8年… 肥田 真幸(肥田 眞幸、ひだ さねゆき、1919年(大正8年)3月21日 - 2012年(平成24年)9月12日)は、元大日本帝国海軍軍人、海上自衛官。海兵第67期卒業。第9代航空集団司令官(海将)。 鹿児島県鹿児島市生まれ、日置郡串木野村(後の串木野町、串木野市、合併によりいちき串木野市)出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)から、1936年(昭和11年)に海軍兵学校入学。1939年(昭和14年)7月25日、海軍兵学校(第67期)卒業。任海軍少尉候補生、「八雲」乗組。兵学校同期には中村悌次(元海上幕僚長)がいた。
木原研三(きはら けんぞう、1919年3月21日 - 200… 木原研三(きはら けんぞう、1919年3月21日 - 2008年)は、英語学者、お茶の水女子大学名誉教授。 愛媛県出身。1941年東京帝国大学英文科卒、1942年中央気象台附属技術官養成所講師。1947年教授、1949年お茶の水女子大学助教授、1959年教授、1970年同附属高等学校校長、1971年文教育学部長、1983年定年退官、名誉教授。気象論文英訳の功績で気象庁から感謝状。1992年秋、勲三等旭日中綬章受勲。『コンサイス英和辞典』などの編纂で知られた。
和田 教美(わだ たかよし、1919年3月21日 - 200… 和田 教美(わだ たかよし、1919年3月21日 - 2001年1月12日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、朝日新聞論説委員。 和歌山県和歌山市出身。1939年官立和歌山高等商業学校(現和歌山大学経済学部)卒業、朝日新聞社入社、東京本社政治部次長、大阪本社経済部長を歴任。 1964年東京12チャンネル(現テレビ東京)、21時朝日新聞ワイドニュース司会。1969年朝日ジャーナル編集長就任。その後、東京本社出版局次長、朝日新聞論説委員となる。 1983年第13回参議院議員通常選挙に公明党から比例代表で初当選。なお非創価学会員であった[要出典]。1989年第15回参議院議員通常選挙にて再選。1994年新進党結成に加わる。
木暮 武太夫(こぐれ ぶだゆう、旧名・欽一(きんいち)、19… 木暮 武太夫(こぐれ ぶだゆう、旧名・欽一(きんいち)、1918年〈大正7年〉3月21日 - 1988年〈昭和63年〉5月1日)は、日本の政治家、実業家。伊香保町議会議長、株式会社木暮旅館(現・ホテル木暮)代表取締役社長、伊香保ガス株式会社代表取締役社長、上毛新聞社取締役。日本観光協会理事、群馬県観光協会長、群馬県スケート連盟会長、26代目武太夫。位階は従五位。 1918年(大正7年)、先代木暮武太夫(元運輸大臣、国会議員、旧名:正一)の長男として群馬県北群馬郡伊香保町(現・渋川市)に生まれる。木暮家は、天正10年(1582年)長尾輝景から伊香保温泉の安堵状を与えられた木暮下総守を先祖とする旧家で、木暮旅館(現在のホテル木暮)を営み、代々「武太夫」の名を世襲する家柄である。
広津 桃子(ひろつ ももこ 廣津桃子、1918年3月21日 … 広津 桃子(ひろつ ももこ 廣津桃子、1918年3月21日 - 1988年11月24日)は、日本の作家、随筆家。広津和郎の娘。 広津和郎と下宿屋の娘神山ふくの長女として生まれる。神山家は幕末に御家人から町人になり、桃子の祖父の代には麴町の英国大使館近くで薪炭を商っていたが、永田町で下宿屋を始めた一家である。生まれて間もなく両親は別居し、母のもとで育つ。日本女子大学国文科卒業後、叔母の神山かねが経営する目黒区駒場町の下宿屋「西山寮」で母と暮らしながら、女学校で教鞭を取っていたが、1945年5月の空襲で西山寮が全焼する。戦後、同人雑誌『文学行動』に「窓」を発表し、1952年より母、叔母とともに藤沢市鵠沼に暮らす。
青葉 笙子(あおば しょうこ、1918年(大正7年)3月21… 青葉 笙子(あおば しょうこ、1918年(大正7年)3月21日 - 2012年(平成24年)2月28日)は、昭和時代に活躍した歌手。「鴛鴦道中」などで知られる。本名は小野寺 貞子(おのでら ていこ)。 宮城県仙台市の裕福な家庭に生まれる。幼い頃に母を亡くし、祖父母に育てられる。実家にあった蓄音機から流れる流行歌の世界に憧れるようになり、特に後の恩師となる関種子の歌う「嘆きの夜曲」を聞き、歌手を志すようになる。 1936年(昭和11年)、日本コロムビアが松竹とタイアップして、音丸の「下田夜曲」の宣伝のために開催した歌謡コンクールに応募し、優勝した。このコンクールには、後に活躍する若き日の岡晴夫や近江俊郎の姿もあったが、女性の歌であったためかいずれも落選している。
升田 幸三(ますだ こうそう/ますだ こうぞう、1918年〈… 升田 幸三(ますだ こうそう/ますだ こうぞう、1918年〈大正7年〉3月21日 - 1991年〈平成3年〉4月5日)は、将棋棋士、実力制第四代名人。棋士番号18。 木見金治郎の弟子であり、木村義雄・塚田正夫・大山康晴と死闘を演じ、木村引退後は大山と戦後将棋界で覇を競った。昭和の将棋界で一番のスター棋士である。 名前の読みは「こうそう」であるが、将棋界では「こうぞう」で通した。 父栄一、母カツノの四男として生まれる。1932年(昭和7年)2月に「日本一の将棋指し」を目指して家出。家出の時に愛する母の使う物差しの裏に墨でしたためた「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら…」の文言は、後に現実のものとなる(詳細は後述)。
秋山 長造(あきやま ちょうぞう、1917年3月21日 - … 秋山 長造(あきやま ちょうぞう、1917年3月21日 - 2010年6月2日)は、日本の政治家。元日本社会党参議院議員・参議院副議長。 岡山県出身。1940年に東京大学法学部を卒業し、朝日新聞記者となる。 戦後日本社会党結成に参加。1953年の参院選に岡山県地方区から左派社会党公認で立候補、当選。1955年10月の社会党再統一後は党参議院政策審議副会長・参議院国会対策副委員長を歴任する。1964年に三木行治岡山県知事の死去に伴う知事選に社会党推薦で立候補した。この時、自民党はほとんど同期の参議院議員だった加藤武徳を擁立したため、両者による一騎討ちとなった。二人の立候補により告示日の同年10月18日付で公職選挙法の規定により両者は参議院議員を退職(自動失職)となった。