亀田 尚己(かめだ なおき、1943年5月30日 - )は、… 亀田 尚己(かめだ なおき、1943年5月30日 - )は、日本のビジネス英語学者、同志社大学名誉教授。 神奈川県生まれ。日本大学商学部卒業、同大学院商学研究科商学専攻修士課程修了。1971年タモン設立、1980年同代表取締役会長。その後同志社大学商学部教授、同志社大学アメリカ研究所所長を勤め、2014年定年、同志社大学名誉教授となる。国際ビジネスコミュニケーション学会理事長を務めた。
田尻 孝(たじり たかし、1943年5月30日 - )は、日… 田尻 孝(たじり たかし、1943年5月30日 - )は、日本の医学者、外科医。日本医科大学学長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中原 とほる(なかはら とほる、1942年5月30日 - )… 中原 とほる(なかはら とほる、1942年5月30日 - )は日本の漫画家、医師。 山口県出身。父は社会科教師。中原は双子として生まれたが、双子の弟は生後半年で腸閉塞により死去。弟も漫画家になりたかったようでもし自分もなるならペンネームは中原とほるにすると決めていた。 1966-1967年のときに『COM』に初めて漫画『かえるになった次郎』を投稿、選外だったが講評のちばてつやから構図のユニークさや台詞回しの良さが挙げられていた。当初、大学の教育学部で学んでいたが嫌になり、計10年かけて1971年、岡山大学医学部卒業。四国の病院で働きだして間もない頃、漫画賞に応募するようになって10年、5回目にして1981年、39歳のときに『点とり虫のサンバ』がちばてつや賞佳作を受賞、特選ではなく佳作なことには残念だったが、これで漫画家を目指すようになる。
野崎 國勝(のざき くにかつ、1942年(昭和17年)5月3… 野崎 國勝(のざき くにかつ、1942年(昭和17年)5月30日 - )は、日本の政治家。元阿波市長(2期)。徳島県阿波市出身。 旧阿波郡阿波町善地(現在の阿波市)で生まれる。日本獣医畜産大学卒業。 1966年(昭和41年)、徳島県庁に入庁。その後、脇町農林事務所長、農林水産部次長、農林水産部参事などを歴任し2002年(平成14年)3月に退職する。 2005年(平成17年)7月から2007年(平成19年)4月まで阿波市助役、2007年4月から2009年(平成21年)2月まで阿波市副市長を務める。同年、阿波市長選に出馬し初当選を果たした。 2013年(平成25年)4月7日に告示された阿波市長選挙で、無投票により再選。
大野 雄二(おおの ゆうじ、英: Yuji Ohno、194… 大野 雄二(おおの ゆうじ、英: Yuji Ohno、1941年〈昭和16年〉5月30日 - )は、日本のジャズピアニスト、作曲家、編曲家。静岡県熱海市出身。『ルパン三世』シリーズの作曲家としても知られる。 日本テレビ音楽専属、フリーを経て、バップ専属で活動している。 静岡県熱海市にある旅館瑞雲荘大野屋(後のホテル大野屋)を創業した大野市郎の次男として生まれ、小学生の時からピアノを始める。6年生の2学期までは地元の小学校に通い、その後は小田原にある小学校・中学校まで越境通学していた。小田原市立第一中学校(現:小田原市立城山中学校)卒業後は慶應義塾高等学校に進学。同級生だった明石勇(クラリネット担当、後にNHKアナウンサーとなる)らと「ジュニア・ライト・ミュージック」を結成。
三浦 新(みうら あらた、1940年〈昭和15年〉5月30日… 三浦 新(みうら あらた、1940年〈昭和15年〉5月30日 - 2013年〈平成25年〉3月12日)は、日本の銀行家。山形銀行頭取、会長を歴任した。2010年(平成22年)旭日小綬章受章。位階は従五位。 三浦弥太郎山形銀行頭取の長男として、山形県山形市に生まれる。東京商科大学(現一橋大学)学長や両羽銀行(現山形銀行)頭取を務めた三浦新七は祖父。 慶應義塾大学商学部卒業後、三菱銀行勤務を経て、山形銀行入行。常務、専務を歴任し、45歳で頭取に就任するが、これに対しては行内外から若すぎるとの声も出た。 頭取在任中は、金融の自由化や国際化に対応し、事務センターの建設、第三次オンライン計画の策定のほか1988年(昭和63年)には、総預金1兆円を達成した。
柳澤 紀子(柳沢 紀子、やなぎさわ のりこ、1940年5月3… 柳澤 紀子(柳沢 紀子、やなぎさわ のりこ、1940年5月30日 - )は、日本の版画家、美術家、学者。武蔵野美術大学造形学部教授。 静岡県浜松市にて誕生。浜松市立高等学校を経て、1965年、東京藝術大学大学院を修了。その後、アメリカ合衆国ニューヨーク州に渡り、デザイン、版画といった美術への造詣を深める。帰国後は静岡県掛川市に居を構えアーティストとして活躍し、精力的に作品を発表する。 東京芸術大学では林武に油彩を学び、当時「最も影響を受けたのはゴーギャン」「版画の様々な制約の中自分が日常感じている矛盾、情念的なものをどれだけ表現出来るか」に意欲がわき、版画を志す。(「出会い」 静岡新聞 1982年1月12日) 東京芸術大学四年から大学院時代に、駒井哲郎に銅版画のてほどきをうける。
塩原 明(しおばら あきら、1940年5月30日 - )は、… 塩原 明(しおばら あきら、1940年5月30日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
四宮 鉄男(しのみや てつお、1940年5月30日 - 20… 四宮 鉄男(しのみや てつお、1940年5月30日 - 2025年3月9日[要出典])は、福岡県福岡市生まれ、ドキュメンタリー映画監督、テレビ演出家。 早稲田大学第一文学部社会学科を卒業。講談社に勤務するが、友人の泉田昌慶が黒木和雄監督の助監督だったことから、岩波映画製作所の演出家たちを中心にした同人組織「青の会」に入会。 1965年に講談社を退社し、フリーの助監督として土本典昭に師事する。1969年に岩波映画で『カラーの眼』を初演出。 のち、「日本リクルートセンター」、小泉修吉の「グループ現代」などで、教育・環境・障害者などに関わる、多数の作品を演出。 また、1970年代初期には「ある日のヨーロッパ」(フジテレビ)などのテレビのミニ番組も制作。
藤原 敬介(ふじわら きょうすけ、1939年5月30日 - … 藤原 敬介(ふじわら きょうすけ、1939年5月30日 - )は、日本の陶芸家。備前焼と志野を融合させた備前志野で知られる。備前志野は、敬介が創始したものである。 岡山県備前市穂浪に藤原啓(備前焼陶芸作家、重要無形文化財保持者、人間国宝)の次男として生まれる。本名恭助。兄は藤原雄で父と同じく重要無形文化財保持者(人間国宝)。 1957年 岡山県立閑谷高等学校(現岡山県立和気閑谷高等学校)卒業。 1961年 東京文化学院洋画科卒業。 1961年より1964年まで岐阜県多治見市陶元町の岐阜県陶磁器試験場(現・岐阜県セラミックス研究所)にて研修。 1965年 岡山県岡山市北区田益(たます)桃の里に築窯。
渡邉 隆夫(わたなべ たかお、1939年〈昭和14年〉5月3… 渡邉 隆夫(わたなべ たかお、1939年〈昭和14年〉5月30日 - )は、日本の実業家。渡文株式会社代表取締役社長、西陣織工業組合名誉顧問。地域政党京都党顧問。 同志社大学経済学部を卒業後、1962年(昭和37年)3月に東京の呉服問屋である菱一株式会社に入社する。その後、京都に戻り1964年(昭和39年)6月に渡文株式会社へ転職する。1982年(昭和57年) 6月には常務取締役となり、代表取締役社長に就任して現在に至る。 また、西陣織工業組合の理事長職を24年間務め、装業界の取引改善や関連工業職人の育成、技術継承などに努めるほか、日本絹人繊織物工業会や伝統的工芸品産業振興協会、京都府中小企業団体中央会の代表を務め織物業や伝統工芸産業分野での振興事業に尽力した。
中西 準子(なかにし じゅんこ、1938年5月30日 - )… 中西 準子(なかにし じゅんこ、1938年5月30日 - )は、日本の工学者、独立行政法人産業技術総合研究所名誉フェロー、横浜国立大学名誉教授。専門は環境工学(環境リスク学)。工学博士。文化勲章受章者、文化功労者。 大連市生まれ。父は当時満鉄調査部で後に参議院議員となった中西功。1942年に父が逮捕され、のちに治安維持法違反で起訴。母と妹と共に大連に残るが、1944年に家族で日本に戻り、神奈川県藤沢市鵠沼に住む。 神奈川県立湘南高等学校卒業。マルクス主義者だった父をみて、自身は違う道をと考え、化学工学の道を選ぶ。1961年横浜国立大学工学部工業化学科卒業、1967年東京大学大学院工学系研究科合成化学専攻博士課程修了。
左 とん平(ひだり とんぺい、1937年〈昭和12年〉5月3… 左 とん平(ひだり とんぺい、1937年〈昭和12年〉5月30日 - 2018年〈平成30年〉2月24日)は、日本の俳優、歌手、タレント。東京市王子区(現・東京都北区)出身。しまだプロダクション所属。世田谷高校卒業。息子の肥田木隆広は主婦の友社で雑誌の編集長を務めた。 父親は逓信省の役人で、退官後は旅館業、飲食店などを手広く経営していた。高校卒業後、進学せずにブラブラしているのを見かねた父親から、新丸子にある寿司屋の経営を任せられる。 1957年、高校の同級生だった辻しげるらと劇団を結成。その後、三木鶏郎、永六輔、いずみたくらが在籍する冗談工房に入団する。当時のマネージャーは、のちに作家となる野坂昭如だった[信頼性要検証]。
佐藤 重喜(さとう しげき、1937年5月30日 - 201… 佐藤 重喜(さとう しげき、1937年5月30日 - 2015年4月11日)は、日本の経営者。文化放送社長を務めた。 新潟県出身。1962年に早稲田大学院文学研究科を修了し、同年に文化放送に入社。1990年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1999年3月に社長に就任。2007年6月に会長に就任。 フジ・メディア・ホールディングス、フジテレビジョン各取締役、日本民間放送連盟常任理事なども歴任。 2014年4月に旭日中綬章を受章。 2015年4月11日肺炎のために死去。77歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山下 勇三(やました ゆうぞう、1936年5月30日 - 2… 山下 勇三(やました ゆうぞう、1936年5月30日 - 2008年1月31日)は、グラフィックデザイナー。広島県広島市観音(現・広島市西区)出身。 広島市立観音小学校、山陽中学校(現・山陽高等学校)、崇徳高等学校を経て、1960年多摩美術大学図案科卒業、ライトパブリシティに入社。和田誠は大学の同窓でデザイン会社も同僚の盟友。1963年に独立して「山下勇三事務所」を設立した。1969年、矢崎泰久の推薦により、日本のタウン誌第一号と呼ばれる「新宿プレイマップ」のアートディレクターとなる。「新宿PLAY MAP」というタイトルとロゴ文字を作成し、創刊号に斬新なイラストレーションの表紙画を書いた。「新宿プレイマップ」は第3号で降板したが、「話の特集」では、井上ひさしが15年にわたって長期連載した小説「江戸紫絵巻源氏」のイラストレーションを担当したほか、同誌に30年間掲載された永六輔との「せきこえのどに浅田飴」の広告を手がけた。
小坂 一也(こさか かずや、1935年5月30日 - 199… 小坂 一也(こさか かずや、1935年5月30日 - 1997年11月1日)は、日本の歌手、俳優。本名は同じ。 愛知県名古屋市守山区出生、東京都出身。成城学園高等学校中退。竹内事務所、六月劇場、グランパパプロダクションに所属していた。 世田谷区で工具製作所を営む小坂文男の子として、父の実家の名古屋で生まれる。父文男は1907年5月、土木請負業を営む小坂亥三郎の次男として生まれ、早稲田高等学院卒業後アメリカ行きを希望したが、父親の反対により叶わず、工業の道に進んだ経緯があった。そのため子の一也には英語を学ばせたく、知己の鈴木惣太郎のもとに通わせるなどした。小学校から高校まで成城学園で学ぶ。元衆議院議員の羽田孜とは同級生で親交が深かった。
松本 敏男(まつもと としお、1935年5月30日 - )は… 松本 敏男(まつもと としお、1935年5月30日 - )は、日本の俳優。 東京府(現・東京都)出身。日本大学卒業。劇団近代派、銀座プロを経て、楡プロに所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
今田 寛(いまだ ひろし、1934年5月30日 - )は、日… 今田 寛(いまだ ひろし、1934年5月30日 - )は、日本の心理学者。関西学院大学名誉教授。文学博士。専門分野は、学習心理学、基礎心理学、感情心理学。関西学院大学文学部教授、同大学学長(1997年4月から2002年3月まで)を歴任した。父は今田恵。 1934年、兵庫県西宮市生まれ。関西学院中学部・高等部、関西学院大学文学部心理学科卒業。同大学院文学研究科修了(心理学専攻)。1959年に同大学心理学科助手に就任、1963年アイオワ大学でPh.D.取得。1964年に関西学院大学心理学科専任講師、1968年に助教授、1975年に同大学教授に昇任した。1977年に関西学院大学で文学博士を取得。論文の題は「恐怖・不安の実験心理学的研究」。
橘 康太郎(たちばな こうたろう、1934年5月30日 - … 橘 康太郎(たちばな こうたろう、1934年5月30日 - 2012年6月1日)は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)。日本野球富山県連盟名誉会長。富山県高岡市出身。 実業家で、民主党の参議院議員・衆議院議員を務めた橘直治の息子として生まれた。早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了後、富山県議会議員(1期)、伏木海陸運送社長を務めた。その後旧富山2区より無所属で第38回総選挙に立候補し落選。続く第39回総選挙でも自由民主党の公認を得ながら落選、3度目の立候補となった第40回総選挙で初当選した。 地元には地盤の強固な綿貫民輔がいたため、小選挙区制に移行してからの富山3区(範囲は旧富山2区と同じ)からの立候補は叶わず、比例北陸信越ブロックへと転出して、第41回総選挙以降3回連続して比例区からの単独立候補で上位当選したが、衆院比例73歳定年制・比例連続2回規定という当時の自民党規定のため、第44回総選挙では自民党公認を得られずに、立候補を断念した。
五百澤 智也(いおざわ ともや、1933年5月30日 - 2… 五百澤 智也(いおざわ ともや、1933年5月30日 - 2013年12月14日)は、日本の地理学者。山岳・氷河地形研究者であり、山岳鳥瞰図作家として知られる。 山形県山形市出身。東京教育大学理学部地学科地理学専攻卒業。大学時代には、九州南端の開聞岳から北海道の利尻山まで日本各地の山々に登り、日本アルプスにおける氷河地形の発達について強い関心を抱く。大学卒業後には魚沼水無川シン沢単独遡行。建設省地理調査所(のちの国土地理院)を37歳で退職するまで、空中写真撮影、写真判読、基本図測量、修正測量、地形図製作などに従事し、積雪調査の開発研究にあたる。1962年には、それまで知られていなかった槍・穂高山域で最低位の堆石堤群を発見し、その後、日本の氷河地形の再検討を続ける。
岩浪 洋三(いわなみ ようぞう、1933年5月30日 - 2… 岩浪 洋三(いわなみ ようぞう、1933年5月30日 - 2012年10月5日)は、日本のジャズ評論家。尚美学園大学大学院芸術情報研究科・音楽表現専攻客員教授。
寺本 圭一(てらもと けいいち 1933年(昭和8年)5月3… 寺本 圭一(てらもと けいいち 1933年(昭和8年)5月30日 -2025年(令和7年)11月18日 )は、日本のカントリー・ミュージック歌手。作詞家・作曲家・音楽プロデューサー。 1933年5月30日生まれ。東京都出身。祖父は不動貯金銀行創業者の牧野元次郎。父は不動貯金銀行頭取の寺本五郎。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校と歩んだ慶應ボーイであったが、大学は青山学院へ進む。 青山学院大学時代にプロのミュージシャンに転向。1957年に明治大学を卒業したばかりの堀威夫と共にロカビリーバンド:スウィング・ウエストを結成し、ボーカリストとして活動。日劇ウエスタンカーニバルにも第1回から出演している。
近藤 健(こんどう たけし、1933年5月30日 - 201… 近藤 健(こんどう たけし、1933年5月30日 - 2017年8月31日)は、日本のジャーナリスト、アメリカ研究者。 東京生まれ。1957年国際基督教大学卒業後、毎日新聞社入社。1961-63年フルブライト奨学金でシラキュース大学大学院に学ぶ。66-67年サイゴン特派員、72-77年ワシントン特派員、外信部副部長、部長、ワシントン支局長、論説委員を歴任。退社後、1989年国際基督教大学教授、1999年愛知学院大学教授。2003年退職。
山田 博(やまだ ひろし、1932年5月30日 - )は、日… 山田 博(やまだ ひろし、1932年5月30日 - )は、日本の裁判官、弁護士。家庭裁判所調査官研修所長や、最高裁判所事務総局家庭局長、京都家庭裁判所長、浦和家庭裁判所長を歴任した。 神奈川県生まれ。1955年名古屋大学法学部卒業。1963年裁判官任官、大阪地方裁判所判事補。家庭裁判所調査官研修所教官、最高裁判所事務総局家庭局付、最高裁判所事務総局家庭局第三課長、最高裁判所事務総局家庭局第一課長、東京家庭裁判所部総括判事、東京地方裁判所部総括判事、家庭裁判所調査官研修所長、最高裁判所事務総局家庭局長、京都家庭裁判所長等を経て、浦和家庭裁判所長を最後に依願退官し、1997年日本大学教授に就任。のち、弁護士、家庭問題情報センター理事長を歴任。
望田 幸男(もちだ ゆきお、1931年5月30日 - 202… 望田 幸男(もちだ ゆきお、1931年5月30日 - 2023年1月6日)は、日本の歴史学者、同志社大学名誉教授。専門はドイツ近現代史。 山梨県甲府市生まれ。1974年京都大学大学院文学研究科博士課程修了、「近代ドイツの政治構造 :プロイセン憲法紛争史研究」で文学博士。同志社大学助教授、教授。2002年定年、名誉教授。 非核の政府を求める会・京都 代表世話人を務めるなど、市民運動にも携わった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
荒木 博(あらき ひろし、1931年5月30日 - 1985… 荒木 博(あらき ひろし、1931年5月30日 - 1985年7月10日)は日本の雑誌編集者。週刊現代・週刊ポスト元編集長。 1931年5月30日、東京に生まれる。東京教育大学文学部を卒業し、講談社に入社する。「婦人倶楽部」の編集を振り出しに、「たのしい三年生」・「日本」・「若い女性」を担当する。1964年に「週刊現代」の編集になり、3年後に編集長となる。「週刊現代」の発行部数をトップクラスに伸したが、編集をめぐって幹部と対立し、退社する。1969年に小学館が新しく発行する「週刊ポスト」の初代編集長にスカウトされる。このライバル誌への移籍は出版界の話題となった。 1985年7月10日、千葉県外房の海岸で入水自殺する。
橋口 稔(はしぐち みのる、1930年5月30日 -2020… 橋口 稔(はしぐち みのる、1930年5月30日 -2020年9月18日)は、日本の英文学者、翻訳家。東京大学教養学部教授を経て、同名誉教授。 1930年、神奈川県で生まれた。東京大学教養学部英文科で学び、1953年に卒業。 卒業後は、東京大学教養学部助手に採用された。その後、専任講師、助教授、教授に昇格。1991年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は鶴見大学教授を務め、2001年に退職。 2020年に死去。墓は多磨霊園にある。 専門は英文学で、20世紀の英国文学を専門とした。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
米山 高範(よねやま たかのり、1929年5月30日 - 2… 米山 高範(よねやま たかのり、1929年5月30日 - 2014年2月16日)は、日本の技術者、実業家。コニカ代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本科学技術連盟理事長、日本品質管理学会会長などを務めた。アメリカ品質学会(ASQ)功績賞、デミング賞本賞受賞。 東京市本所区(現墨田区)生まれ。府立七校(現東京都立墨田川高等学校)在学中に東京大空襲で家が焼失し、学生寮のある横浜工業専門学校(現横浜国立大学)に入学。1953年東京工業大学電気化学科卒業。大学では品質管理の水野滋教授に師事した。 1953年小西六写真工業(現コニカミノルタ)入社。八王子工場品質保証課長を経て、生産本部本部長付主任部員在任中に出版した著書『品質管理のはなし』で日経品質管理文献賞受賞。
甘糟 章(あまかす あきら、1929年5月30日 - 201… 甘糟 章(あまかす あきら、1929年5月30日 - 2013年11月19日)は、日本の雑誌編集者。元マガジンハウス副社長。 神奈川県横浜市中区伊勢佐木町出身。実家は米屋を営んでいた。神奈川県立横浜第三中学校(神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校の前身)、府立高等学校(東京都立大学の前身)を経て、1955年に東京大学文学部仏文科を卒業。 学習研究社を経て、1959年に平凡出版へ入社。『平凡パンチ』『週刊平凡』『an・an』の編集長として、1960年代から1970年代の流行の先駆者として活躍。その後、『クロワッサン』『ダカーポ』などを創刊し、大人になった『an・an』世代へのライフスタイルの提言を行う。1980年代に至るまで、出版文化の中での影響力は大きなものがあった。
小坂 太郎(こさか たろう、1928年(昭和3年)5月30日… 小坂 太郎(こさか たろう、1928年(昭和3年)5月30日 - 2010年(平成22年)11月8日)は、秋田県出身の詩人。第7回小熊秀雄賞受賞。本名小坂 芳太郎(こさか よしたろう)。 秋田県雄勝郡西馬音内町(現、羽後町)生まれ。旧制県立横手中学校卒。1951年(昭和26年)より郷里の中学校にて教職に就き、1989年(平成元年)羽後町立三輪中学校(教頭)を定年にて退官。教職の傍ら郷里を基底に詩作を続け、1960年(昭和35年)に思潮社より第一詩集『北方の眼』を刊行。生涯に詩集十冊のほか、評論や随筆集などを著した。1973年(昭和48年)詩「米」(『北の儀式』所収)にて第十回総評文学賞、翌1974年に第四詩集『北の儀式』にて小熊秀雄賞、1987年(昭和60年)には第八詩集『北の鷹匠』で秋田県芸術選奨を受賞している。
木村 恒久(きむら つねひさ、1928年5月30日 - 20… 木村 恒久(きむら つねひさ、1928年5月30日 - 2008年12月27日)は、日本のグラフィックデザイナー。東京造形大学客員教授。 大阪市出身。1946年に大阪市立工芸学校(現・市立工芸高校)図案科卒。1950年代にかけて大阪で精力的にデザイン制作や批評活動を展開、永井一正、片山利弘、田中一光らとともに「若手四天王」と称された。 1960年に上京し日本デザインセンターに入社、1964年に独立する。この間の1962年、日本建築家協会主催の「モデュール展」で原弘と共同制作を行い、ADC銅賞を受賞している。1964年の東京オリンピックではピクトグラムの制作に携わっている。 1966年には、前年に宇野亜喜良、永井一正、和田誠らとともに開催した展覧会「ペルソナ」で毎日産業デザイン賞を受賞している。
堀口 宏(ほりぐち ひろし、1928年5月30日 - 没年不… 堀口 宏(ほりぐち ひろし、1928年5月30日 - 没年不明)は、日本のプロボクサー。栃木県真岡市出身。元日本バンタム級王者。 ピストン堀口は実兄。 通算戦績 101戦82勝(24KO)11敗6分2無効試合 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
宮錦 浩(みやにしき ひろし、1927年5月30日 - 19… 宮錦 浩(みやにしき ひろし、1927年5月30日 - 1992年7月6日)は、岩手県宮古市出身で高砂部屋(入門時は芝田山部屋)に所属した大相撲力士。本名は野澤 浩(のざわ ひろし)。最高位は西小結(1955年1月場所)。得意手は左四つ、寄り。現役時代の体格は171cm、119kg。 実家は、酒や米を売る商店を営んでいた。 1942年(昭和17年)5月、元横綱・宮城山福松が率いる芝田山部屋に入門した(同年1月場所初土俵説もある)が、程なく親方が逝去。それにより宮城山の師匠・早瀬川(元関脇)の高田川部屋に預けられ、その後、彼の死去に伴って高砂部屋に移った。 序ノ口に付いた時の四股名は、出身地・岩手県の名峰(早池峰山)に因んだ「早地峯」。
渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年〈大正15年〉5月3… 渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年〈大正15年〉5月30日 - 2024年〈令和6年〉12月19日)は、日本の新聞記者・実業家。株式会社読売新聞グループ本社代表取締役主筆。位階は正三位、勲等は旭日大綬章。「ナベツネ」の通称で知られ、読売関係者の間では「ワタツネ」と呼ばれていた。株式会社読売新聞社社長、読売ジャイアンツの球団オーナー、株式会社読売ジャイアンツ取締役最高顧問、社団法人日本新聞協会会長を歴任した。日本のプロ野球界に関連する渡邉の伝説は数知れず、自ら「俺は最後の独裁者だ」と語ったとされ、マスメディアにおいて「野球界の独裁者」または単に「独裁者」と呼ばれていることについては渡邉自身が認めていた。
渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年〈大正15年〉5月3… 渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年〈大正15年〉5月30日 - )は、日本の新聞記者、実業家。株式会社読売新聞グループ本社代表取締役主筆。勲等は旭日大綬章。「ナベツネ」の通称で知られる。
水井 康雄(みずい やすお、1925年(大正14年)5月30… 水井 康雄(みずい やすお、1925年(大正14年)5月30日 - 2008年(平成20年)9月3日)は、パリを拠点とし国際的に活躍した、日本の石の彫刻家。主に、抽象的な形を志向し、公共の場に設置される大規模な作品を得意とした。 京都市に生まれる。父親は、当時外車を所有し運転するハイカラな人物であった。幼少の時から絵が好きでデッサン等に秀でていたが、当時時代の最先端であった機械工業に日本の未来を夢みて1944年(昭和19年)神戸工業専門学校(現・神戸大学工学部)機械学科に入学する。第二次世界大戦中は、川崎車両(現川崎重工業車両カンパニー)に学徒動員され鋳造を學ぶ。戦後を明石の川崎航空動員中に迎えた。
山崎 富治(やまざき とみじ、1925年5月30日 - 20… 山崎 富治(やまざき とみじ、1925年5月30日 - 2014年4月16日)は日本の実業家。山種証券(現SMBCフレンド証券)社長、会長、日本青年会議所会頭、山種美術館館長を歴任。「報告」「連絡」「相談」を重視する「ほうれんそう(報・連・相)経営」を提唱したことでも知られる。
鄭 輝東(チョン・フィドン、朝鮮語: 정휘동、1925年5月… 鄭 輝東(チョン・フィドン、朝鮮語: 정휘동、1925年5月30日 - 2012年7月5日)は、大韓民国の政治家、実業家。第10・11・12代韓国国会議員。本貫は東萊鄭氏(朝鮮語版)。 日本統治時代の慶尚北道尚州郡に生まれた。尚州国民学校(現・尚州初等学校)、大阪高等商業学校卒。一燈園農事研究所専門課程、成均館大学校経営行政大学院、嶺南大学校経営大学院修了。在日本居留民団京都本部副団長、京都韓国人商工会副会長、在日韓国人体育会副会長を歴任した。 第10代総選挙に無所属で立候補して初当選した。国会議員3期務めたほか、大韓消防協会顧問、社団法人尚州セマウル教育院設立者、社団法人尚州文化院長、学校法人尚州南山学院理事長、尚州薬酒株式会社代表理事、韓日合資株式会社パシフィックホテル代表理事、民主正義党中央委員会農林畜産分科委員長、前現職国会議員民友会会長を務めた。
中村 賢二郎(なかむら けんじろう、1925年5月30日 -… 中村 賢二郎(なかむら けんじろう、1925年5月30日 - )は、日本の西洋史学者、京都大学人文科学研究所名誉教授。宗教改革を専門とした。 1925年、兵庫県神戸市で生まれた。京都帝国大学文学部史学科で学び、1948年に卒業。 1950年、神戸大学文理学部助手に採用された。1958年、立命館大学文学部助教授に就いた。1965年に京都大学人文科学研究所助教授に転じ、1977年に教授昇格。1990年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。 CiNii Books 著者 - 中村賢二郎
前田 信二郎(まえだ しんじろう、1924年5月30日 - … 前田 信二郎(まえだ しんじろう、1924年5月30日 - 1974年3月3日)は、刑法学者、犯罪学者。 京都市生まれ。1948年京都帝国大学法学部卒。研究生をへて1953年近畿大学法学部助教授、教授、琉球大学教授。49歳で死去。売春、サド裁判などについても研究した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
キノ トール(1922年5月30日〈または5月31日〉 - … キノ トール(1922年5月30日〈または5月31日〉 - 1999年11月29日)は、日本の劇作家、脚本家、演出家。本名は木下 徹(きのした とおる)。東京都出身。テアトル・エコー顧問。妻は、産婦人科医、性医学評論家であるドクトル・チエコ(本名:木下 和子)。 出生時の姓名は松宮 徹。父は東京市世田谷区在住の松宮三郎。のちに木下荘()(満洲パルプ工業常務)の養子となる。俳優の松宮五郎(本名:隆)は、徹の実弟にあたる。 日本大学芸術学部卒業。第二次世界大戦中、予備学生として学徒出陣、海軍航空隊中尉で終戦を迎える。戦後、「独立劇場」設立。「東京青年劇場」を経てテアトル・エコーに入団。脚本家、演出家として劇団活動の基礎を築いた。
秦 謹一(はた きんいち、1920年(大正9年)5月30日 … 秦 謹一(はた きんいち、1920年(大正9年)5月30日 - 2006年(平成18年)8月17日)は、日本の工学者。北海道工業大学名誉教授・北海道大学名誉教授である。徳島県徳島市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
夏原 平次郎(なつはら へいじろう、1919年〈大正8年〉5… 夏原 平次郎(なつはら へいじろう、1919年〈大正8年〉5月30日 - 2010年〈平成22年〉6月19日)は、日本の実業家である。 滋賀県最大のスーパーマーケットチェーン平和堂を一代で築きあげたことから、滋賀県出身の商人は滋賀県内では大成しない(近江商人)という定説を覆した商人と評される。なお、2012年9月に中国の平和堂店舗が襲撃を受けた際、『みのもんたの朝ズバッ!』と『情報プレゼンター とくダネ!』が平和堂創業一族を在日華僑であると報じたが、これは誤りであり、番組内で訂正と謝罪があった。 滋賀県犬上郡河瀬村大字犬方(現在の彦根市犬方町)生まれ。農家の長男に生まれ、祖母の影響から仏教への信心を深める。
松本 美樹(まつもと みき、1918年5月30日 - 200… 松本 美樹(まつもと みき、1918年5月30日 - 2001年)は、日本の元プロデューサー、元作家。宣弘社に所属していた。愛媛県出身。本名は松本 美喜男。長男は、フジテレビで外信部記者、解説委員、ニュースキャスターを務めた松本方哉。 アニメ『サザエさん』の初代プロデューサーなどを務めた。 旧制中学校卒業後に作家を目指し、両親に勘当同然の扱いを受けるも叔父を頼り上京した。日本大学芸術学部卒業後は、作家の横光利一に弟子入りした。 第二次世界大戦時は召集され、シベリアに抑留される。 終戦後は帰国し、大正製薬の宣伝課長に就任した。その後、宣伝で携わった縁から宣弘社に転職した。 宣弘社入社後は東芝の専任部門「東芝分室」を立ち上げ、同社が提供する特撮番組『光速エスパー』やアニメ『忍風カムイ外伝』のプロデューサーを務めた。
平田 義正(ひらた よしまさ、1915年5月30日 - 20… 平田 義正(ひらた よしまさ、1915年5月30日 - 2000年3月5日)は、日本の天然物化学者。名古屋大学名誉教授。 1915年、山口県山口市生まれ。山口高等学校理科甲類を卒業し、1938年に東京帝国大学理学部化学科に入学。1941年に卒業した。卒業研究および同大学大学院においては、有機化学の久保田勉之助教授(ポール・サバティエ門下)の下で黄変米の有毒成分を研究した。 1943年より、母校である東京帝国大学助手になる。1944年1月、名古屋帝国大学に理学部講師として着任し、6月には助教授に就任。太平洋戦争中の戦時下では、研究室疎開先の長野県上田市で江上不二夫の指導の下、乏しい物資の中で研究に当たった。
村山 修一(むらやま しゅういち、1914年5月30日- 2… 村山 修一(むらやま しゅういち、1914年5月30日- 2010年4月16日)は、日本の歴史学者。文学博士(京都大学・1961年)(学位論文「日本中世都市生活の研究:特に中世京都の都市生活における社会と宗教との関係を顧慮しての」)。大阪女子大学名誉教授。皇族が歴代門主を務めた妙法院に残る膨大な文献史料類の翻刻に尽力し、『妙法院日次記』として刊行された。方広寺(京の大仏)は、江戸時代に妙法院の管理下にあったことから、それについての研究も行った。1987年勲三等旭日中綬章受章。 大阪市生まれ。1937年、京都帝国大学文学部史学科卒業。1961年、「日本中世都市生活の研究:特に中世京都の都市生活における社会と宗教との関係を顧慮しての」で京都大学より文学博士の学位を取得。
安藝ノ海 節男(あきのうみ せつお、1914年5月30日 -… 安藝ノ海 節男(あきのうみ せつお、1914年5月30日 - 1979年3月25日)は、広島県広島市南区宇品海岸出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。第37代横綱。本名は永田 節男(ながた たかお)。 双葉山定次の70連勝を阻止した「世紀の一番」で知られる。四股名は「せつお」だが、本名は「たかお」と読む。 広島県広島市南区宇品海岸の食料品商の家に生まれ、宇品尋常高等小学校を卒業後は家業を手伝う。1931年に市内で開催された関西中学校相撲選手権を観戦したところ、藤嶌にスカウトされて角界入り。1932年2月場所に出羽海部屋から“永田”の四股名で初土俵を踏む。序二段で「安藝ノ海」と改名すると、順調に昇進して1936年1月場所に新十両、1938年1月場所では、23歳で新入幕を果たした。
仮谷 忠男(かりや ただお、1913年5月30日 - 197… 仮谷 忠男(かりや ただお、1913年5月30日 - 1976年1月15日)は、日本の政治家、衆議院議員(5期、自由民主党)。建設大臣(第37代)。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。 高知県幡多郡上灘村(現土佐清水市)出身。高等小学校卒業後、家業の農業に携わる傍ら、漁師もしていた。清水町助役、以布利漁協組合長、県漁連副会長を経て1947年より高知県議会議員を4期、同議長も経験して超党派県政をスローガンに公正円満な議会運営で与野党問わず議員の人望を得た。1960年の第29回衆議院議員総選挙に高知県全県区から自由民主党で立候補し、当選する。自民党では佐藤派→田中派に所属する。農林政務次官、建設政務次官、衆議院農林水産委員長を歴任し、田中改造内閣で科学技術庁長官を要請されたが辞退し、1974年三木武夫内閣で建設大臣に就任する。
阿部保(あべ たもつ、1910年5月30日 - 2007年1… 阿部保(あべ たもつ、1910年5月30日 - 2007年1月10日)は、日本の詩人、美学者、英文学者である。北海道大学の名誉教授を務めた。 阿部保は山形県に生まれた。成蹊高等学校を経て、1933年に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業した。その後、聖橋高等工学校講師、日本大学講師、成蹊高等学校教授、大倉経済専門学校教授、東京経済大学教授を歴任し、1951年に北海道大学文学部教授に就任、1974年に定年退官した。退官後は東京経済大学非常勤講師を務めた。 専門は美学である。旧制高校在学中より自ら詩作を行い、第3次『椎の木』同人として百田宗治に師事した。また、エドガー・アラン・ポー、ウィリアム・ブレイクなど英語詩人の研究、翻訳も行った。
北島 義彦(きたじま よしひこ、1910年〈明治43年〉5月… 北島 義彦(きたじま よしひこ、1910年〈明治43年〉5月30日 - 1959年〈昭和34年〉1月7日)は、日本の政治家。元自由民主党都議会議員。1964年東京オリンピック大会招致実行委員長。位階は正六位。勲等は勲五等。 佐賀県小城郡小城町(現・小城市)生まれ。日本大学卒業。会社顧問、北区立赤羽小学校PTA会長などを歴任した。1943年(昭和18年)3月に東京府会議員となった。同年9月の東京都議会議員選挙に当時の王子区から立候補して初当選を果たした。柔道5段。 戦後の1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補したが落選した。落選後は翌1947年(昭和22年)から北区選挙区から民主党公認で都議に当選した。