高木 麻早(たかぎ まさ、1953年〈昭和28年〉12月31… 高木 麻早(たかぎ まさ、1953年〈昭和28年〉12月31日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。愛知県名古屋市出身。 愛知教育大学附属名古屋中学校、愛知淑徳高校、愛知淑徳短期大学国文科卒業。高校生の頃から歌唱力が注目され、名古屋出身のデュオ「チェリッシュ」の担当番組に出演依頼されるほどだった[要出典]。 1973年5月、ヤマハ第5回ポピュラーソングコンテストに出場し、「ひとりぼっちの部屋」で入賞、最優秀歌唱賞。『キューピットのささやき』を愛称に関東ポニーからソノシートでプレキャンペーン。同年9月10日、同曲で「ヤマハ音楽振興会」所属でキャニオンレコードからデビュー。キャッチフレーズは「フォーク界のアイドル」であった。
籾山 明(もみやま あきら、1953年12月31日- )は、… 籾山 明(もみやま あきら、1953年12月31日- )は、日本の東洋史学者。元埼玉大学教授。 1953年、群馬県桐生市で生まれた。信州大学人文学部で学び、1977年に卒業。京都大学大学院文学研究科に進み、1982年に博士課程を単位取得退学した。 島根大学法文学部助教授をへて、埼玉大学教養学部教授。2007年、文学博士号を取得。2010年に埼玉大学を退職。その後は、公益財団法人東洋文庫研究員を務めている。 専門は秦漢史。出土簡牘史料の研究が多い。
戸松 淳矩(とまつ あつのり、1952年12月31日 -)は… 戸松 淳矩(とまつ あつのり、1952年12月31日 -)は、日本の小説家、推理作家。京都府出身、学習院大学卒業。 1979年、『名探偵は千秋楽に謎を解く』でデビュー。長い沈黙を破って発表した『剣と薔薇の夏』で、第58回日本推理作家協会賞を受賞した。2012年、8年ぶりの新作『うそつき』を上梓している。2015年8月、第6長編『終戦のマグノリア』を発表。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
佐藤 充宏(さとう みつひろ、1951年12月31日 - )… 佐藤 充宏(さとう みつひろ、1951年12月31日 - )は、神奈川県横浜市出身のフリーアナウンサー、元NHKアナウンサー。オーケープロダクション所属。 青山学院大学法学部を卒業後、1974年入局。同期には末田正雄、徳田章、三宅民夫、桜井洋子らがいる。東京アナウンス室の在任中には、『連想ゲーム』司会、『イブニングネットワーク』・『イブニングネットワークみやぎ』メインキャスター、『NHKスペシャル』ナレーター、『きょうの料理』などを担当。 1995年にNHKを退職しフリーとなる。 フリー転身の直後よりフジテレビ『ビッグトゥデイ』の総合司会を担当。『ビッグトゥデイ』終了後は同じくフジテレビ『土曜一番!花やしき』のプレゼンター役をしばらく務めた。
ビートきよし(1949年12月31日 - )は、日本の漫才師… ビートきよし(1949年12月31日 - )は、日本の漫才師、お笑い芸人、コメディアン、俳優。本名、兼子 二郎(かねこ にろう)。旧芸名は松鶴家二郎、空きよし、兼子きよし、ビートキヨシ。 漫才ブーム(MANZAIブーム)全盛時から現在まで活動を続ける人気漫才コンビ「ツービート」のツッコミ役であり、たけしの毒舌に対するツッコミの「よしなさい!」は流行語になり、今も世間で使われている。神奈川県横浜市在住。 ボケ役である相方のビートたけし(北野武)のことは親しみを込めて相方と呼ぶ。かつてはダテ企画の所属だったが、2014年4月から相方の所属のオフィス北野所属となった。しかし相方の独立に伴い、2018年3月をもってオフィス北野から離れることになった。
木川 眞(きがわ まこと、1949年12月31日 - )は日… 木川 眞(きがわ まこと、1949年12月31日 - )は日本の実業家。ヤマトホールディングス元会長、経済同友会副代表幹事。元ヤマト運輸社長。 広島県御調郡(現尾道市)向島町出身。広島大学附属三原小学校、広島大学附属三原中学校、杉並区立高井戸中学校を経て、1968年東京都立西高等学校卒業、1973年一橋大学商学部卒業、同年富士銀行入行。 1996年富士銀行総合企画部副部長。1998年富士銀行人事部長。2001年富士銀行執行役員人事部長。2002年みずほコーポレート銀行常務執行役員リスク管理グループ統括役員兼人事グループ統括役員。2004年みずほコーポレート銀行常務取締役リスク管理グループ統括役員兼人事グループ統括役員。
手仕事屋 きち兵衛(てしごとや きちべえ、1949年12月3… 手仕事屋 きち兵衛(てしごとや きちべえ、1949年12月31日 -)は、日本のミュージシャン・彫刻家・エッセイスト。 長野県松本市出身。長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。本名、伊東重喜。 音楽の道を志し、音楽大学進学を目指すも、さまざまな事情で進学を断念。しかし、音楽の道を諦めることはなく、木彫刻を生業としながら(20歳代で、長野県主催の工芸展に於いて奨励賞を受賞)作詞・作曲を行い、NHK放送局等に投稿する。 1986年、自らが作詞・作曲した「ねがい星」、「雨」等が、NHKの新ラジオ歌謡に採用され、音楽作家としてデビュー。次いで、自身が歌う「わすれ雪」で歌手としてもデビューする。以降、テレビドラマの主題歌や愛知県豊橋市立東陽中学校の校歌の作詞・作曲を手掛る。
佐伯 啓思(さえき けいし、1949年〈昭和24年〉12月3… 佐伯 啓思(さえき けいし、1949年〈昭和24年〉12月31日 - )は、日本の経済学者、思想家。京都大学名誉教授。専攻は社会経済学、社会思想史。 京都大学こころの未来研究センター特任教授。滋賀大学教授・京都大学教授等を歴任。共生文明学、現代文明論、現代社会論といった国際文明学、文明論を研究している。第4期文部科学省中央教育審議会委員を務めた。 著書に『隠された思考』(1985年)、『現代日本のリベラリズム』(1996年)など。 奈良県奈良市に生まれる。父は教育学者の佐伯正一。1972年(昭和47年)、東京大学経済学部を卒業。1979年(昭和54年)、東京大学大学院経済学研究科理論経済学専攻博士課程単位取得退学。
天児 牛大(あまがつ うしお、1949年12月31日 - 2… 天児 牛大(あまがつ うしお、1949年12月31日 - 2024年3月25日)は、日本の舞踏家、振付家、演出家。本名は上島正和。舞踏カンパニー山海塾主宰。勲章は旭日小綬章。全身白塗りと剃髪での舞踏で知られた。1997年よりオペラの演出も手がけた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。
松尾 泰一(まつお たいいち、1947年12月31日 - )… 松尾 泰一(まつお たいいち、1947年12月31日 - )は、日本の実業家。イーバンク銀行(現楽天銀行)の創業者である。
武田 龍精(たけだ りゅうせい、1940年12月31日 ‐ … 武田 龍精(たけだ りゅうせい、1940年12月31日 ‐ )は、日本の宗教学者、浄土真宗の僧侶。龍谷大学名誉教授。 広島県に生まれる。被爆体験を経て地元高校卒業後、早稲田大学教育学部英文科卒。龍谷大学真宗学科卒。アメリカ合衆国クレアモント大学神学院でホワイトヘッド哲学、比較宗教を研究。1970年修士課程修了後、龍谷大学大学院文学研究科博士課程単位取得。 龍谷大学文学部助手、助教授、経済学部助教授、文学部教授、2001年「親鸞浄土教と西田哲学」で、文学博士(龍谷大学)を学位の取得。文学研究科長、龍谷大学仏教文化研究所所長、人間・科学・宗教オープンリサーチセンター長。2010年定年、名誉教授。 専攻は真宗学で、大乗仏教思想とホワイトヘッド哲学との比較研究、宗教思想と科学の対話などの課題に取り組む。
日枝 久(ひえだ ひさし、1937年〈昭和12年〉12月31… 日枝 久(ひえだ ひさし、1937年〈昭和12年〉12月31日 - )は、日本の実業家、篤志家。フジサンケイグループ元代表。北海道空港取締役。 1980年5月、42歳の若さでフジテレビジョン編成局長に就任。後発局だったフジテレビを視聴率三冠王に押し上げ、黄金時代を牽引した。1988年6月には、同社初の生え抜き出身として代表取締役社長に就任。1997年の東証一部上場を実現し、2001年からは代表取締役会長兼CEOを務めた。2008年には、日本初の認定放送持株会社への移行を主導し、フジ・メディア・ホールディングスの代表取締役会長兼CEOに就任。放送事業を核に幅広い事業を展開する日本を代表するメディア・コングロマリットへと成長させた。
古屋 勝彦(ふるや かつひこ、1937年12月31日 - 2… 古屋 勝彦(ふるや かつひこ、1937年12月31日 - 2025年1月18日)は、日本の経営者。松屋社長、会長を務めた。 東京都出身。1960年に学習院大学政治経済学部を卒業し、同年に三菱銀行に入行。1963年に松屋に転じ、1981年5月に取締役に就任し、1982年10月に常務、1987年3月に専務、1989年1月に副社長を経て、同年12月には社長に就任。2003年5月に会長に就任。 2025年1月18日老衰のために死去。87歳没。 父は三代古屋徳兵衛。長男は古屋毅彦
重藤 毅直(しげふじ たけなお、1936年12月31日 - … 重藤 毅直(しげふじ たけなお、1936年12月31日 - 2021年11月16日)は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。大分県出身。 1959年に大阪大学工学部造船学科を卒業し、同年に日立造船に入社。1999年10月に子会社の九州日立造船社長に就任し、2000年6月に常務を経て、2001年6月に社長に就任。2005年6月に取締役相談役に就任。 2021年11月16日心不全のために死去。84歳没。
五十嵐 均(いがらし ひとし、1934年12月31日 -)は… 五十嵐 均(いがらし ひとし、1934年12月31日 -)は、日本の小説家、推理作家。本名は五十嵐鋼三。 妹は小説家の夏樹静子。 東京府(現・東京都)生まれ。東京都立日比谷高等学校、慶應義塾大学法学部卒業。 1994年、『ヴィオロンのため息の 高原のDデイ』で第14回横溝正史賞(現・横溝正史ミステリ大賞)大賞を受賞しデビューする。 「」内が五十嵐均の作品
文田 哲雄(ふみた てつお、1933年12月31日 - 20… 文田 哲雄(ふみた てつお、1933年12月31日 - 2022年12月12日)は、日本の洋画家。鹿児島県立短期大学名誉教授。鹿児島市立美術館第12代館長。二科会会員・参与だった。 奄美群島の徳之島にある鹿児島県大島郡天城町兼久生まれ。京都府立京都第二中学校(旧制)から鹿児島県立第二鹿児島中学校(旧制)に転校し、学制改革で鹿児島県甲南高等学校となった同校を1955年3月に卒業。在学中に結核を発症して療養のため休学したので、旧制鹿児島二中・新制鹿児島県甲南高校に通算で約9年間在籍し、本来は鹿児島県甲南高校3期生だったが6期生として卒業した。高校在学中は美術部に在籍し、南日本美術展に1953年奨励賞、1954年県教育委員会賞で連続受賞。
小山田 了三(おやまだ りょうぞう、1932年12月31日 … 小山田 了三(おやまだ りょうぞう、1932年12月31日 - 2009年10月2日)は、日本の物性工学者、技術史学者。富士大学元学長。 岩手県盛岡市出身。小山田信茂の子孫。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1955年岩手大学教育学部卒、59年まで中学校教師、1961年東京理科大学卒、東京教育大学理学部をへて、1964年東京工業大学大学院修士課程修了、科学技術庁金属材料技術研究所研究員、71年同主任研究官、73年「溶融塩の基礎研究 二・三の基礎的性質とイオン間の相互作用について」で大阪大学工学博士。1974年長崎大学教育学部助教授、1978年教授、ニューマテリアル開発研究所・シンクタンク代表。1984年東京電機大学講師、1987年山梨学院大学商学部教授。
四代目 坂田 藤十郎(さかた とうじゅうろう、1931年〈昭… 四代目 坂田 藤十郎(さかた とうじゅうろう、1931年〈昭和6年〉12月31日 - 2020年〈令和2年〉11月12日)は、日本の歌舞伎役者。屋号は山城屋。定紋は五つ藤重ね星梅鉢、替紋は向い藤菱。位階は従三位、文化勲章受章者。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者。 前名の三代目 中村 鴈治郎(さんだいめ なかむら がんじろう)、また初名の二代目 中村 扇雀(にだいめ なかむら せんじゃく)としても知られる。日本舞踊雁音流の家元として雁音 歌扇(かりがね かせん)を名乗った。妻は女優で政治家の扇千景、妹は女優の中村玉緒。 現代歌舞伎の大看板のひとりでもあり、また上方歌舞伎の復興プロジェクトでも主導的な役目を務めたほか、近松門左衛門作品を原点から勉強し直すために劇団近松座を結成し、尽力した。
塚田 理(つかだ おさむ、1929年12月31日 - 201… 塚田 理(つかだ おさむ、1929年12月31日 - 2016年11月15日)は、日本の神学者。立教大学名誉教授。第7代学校法人立教学院院長。第15代立教大学総長。 新潟県上越市出身。立教大学文学部卒業。聖公会神学院卒業。オックスフォード大学大学院修了。 1957年より日本聖公会名古屋学生センター主事、聖公会神学院を経て立教大学文学部キリスト教学科勤務。 その後、同大学文学部長を経て、1994年大学総長(第15代)、1995年立教学院院長(第7代)。
加賀山 朝雄(かがやま ともお 1926年(昭和元年)12月… 加賀山 朝雄(かがやま ともお 1926年(昭和元年)12月31日 - 1999年(平成11年)10月25日)は、日本国有鉄道常務理事、日本交通公社専務。享年72。 現在の東京都中野区出身。父・加賀山學は鉄道省工務局長を務めた。東大野球部時代は大型スラッガーとして知られ、最終学年となる1949年(昭和24年)の東京六大学野球リーグ戦で東大の主軸・一塁手(ライト・センター)として活躍した。 山崎諭、山崎喜暉ら「両山崎」が抜けた後、速球派の島村俊雄投手(陸士)、塩田捕手(旧制浦和高)、加賀山外野手、伊藤驍遊撃手(旧制姫路高)、佐藤二塁手(旧制新潟高)らの布陣でリーグ戦に臨み、春のリーグ戦では、慶大、法大から2勝して勝ち点を奪い、早大、明大からそれぞれ1勝を勝ち取った。
竹尾 治一郎(たけお じいちろう、1926年12月31日 -… 竹尾 治一郎(たけお じいちろう、1926年12月31日 - )は、日本の哲学者、関西大学名誉教授。分析哲学・科学哲学が専門。 大阪府大阪市出身。1950年京都大学文学部哲学科卒。大阪教育大学助教授、関西大学文学部教授。1997年定年、名誉教授となり、南大阪大学教授。
経塚 作太郎(きょうづか さくたろう、1925年12月31日… 経塚 作太郎(きょうづか さくたろう、1925年12月31日 - 2013年2月19日)は、日本の法学者、中央大学名誉教授。専門は国際法。 新潟県出身。1945年中央大学予科修了。1948年3月中央大学法学部英法科卒業、1948年9月同大学院(旧制)中退、1948年9月中央大学日本比較法研究所助手。1953年6月中央大学法学部助教授。1962年9月中央大学法学部教授。1966年米国・エール大学客員教授。1972年11月中央大学通信教育学部長。1974年4月中央大学学生部長。1977年「条約法の研究」で中央大学にて法学博士。1996年定年退職、名誉教授。1996年名城大学法学部教授、1998年退職、日本学術会議会員。
稲川 英雄(いながわ ひでお、1924年12月31日 - 2… 稲川 英雄(いながわ ひでお、1924年12月31日 - 2004年3月5日)は、日本のアナウンサー。 日本橋生まれ。『テレビ演芸会』『素人うた合戦』等を担当。更に、1953年12月、三原山大爆発リポートを担当。1966年1月にラジオ営業局JRN業務部、1967年2月にラジオ局放送部、1967年7月に第一制作部、1968年9月に第二制作部に所属、ラジオ交通情報の初代ヘリリポーターを務める。1969年3月にはテレビ制作局第二制作部兼テレビ編成局放送部、1970年3月にはテレビ本部編成局放送部、1970年9月には開発室に在籍した後、1972年12月に審議室委員に。1973年11月には調査局審査部、1974年2月には人事室開発センターに在籍した後、1974年3月、福島テレビに出向し、FTVテレポートのキャスターを担当した。
沼波 輝枝(ぬなみ てるえ、本名:沼波 華子(ぬなみ はなこ… 沼波 輝枝(ぬなみ てるえ、本名:沼波 華子(ぬなみ はなこ)、1923年12月31日 - 2013年4月1日)は日本の女優、声優。テアトル・エコーに所属していた。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鴎高等学校)卒業。東京都出身。身長162cm。体重50kg。父は国文学者の沼波瓊音。姉は歌人の沼波万里子
久保 卓也(くぼ たくや、1921年12月31日 - 198… 久保 卓也(くぼ たくや、1921年12月31日 - 1980年12月7日)は日本の警察・防衛官僚。元防衛事務次官。
村尾 アサ子(むらお アサこ、旧姓:中村、1921年(大正1… 村尾 アサ子(むらお アサこ、旧姓:中村、1921年(大正10年)12月31日 - 2003年(平成15年))は、日本のオルガニスト。ピアニスト。元徳島文理大学音楽学部教授。 東京音楽学校器楽科卒業。香川県高松市出身。 香川県高松市出身。1943年(昭和18年)に東京音楽学校器楽科(現:東京芸術大学音楽学部)を卒業し、オルガンを真篠俊雄、井原秀子に師事する。 大学を卒業後は徳島女子大学音楽学部で講師となり、その後、徳島文理大学音楽学部で教授を務めた。 またこれまでに香川音楽協会、全四国大学音楽学会に所属し、香川県教育委員会音楽指導主事などを歴任した。 2003年(平成15年)、死去。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
小川 信(おがわ まこと、1920年12月31日 - 200… 小川 信(おがわ まこと、1920年12月31日 - 2004年11月15日)は、日本の日本史学者。日本学士院賞受賞者。國學院大學名誉教授。 専門は日本中世史。室町時代政治史をテーマとし、考証に重きをおいた。晩年、歴史地理的な研究にも取り組んだ。自身が中心となって『久我家文書』編纂・刊行に従事。 東京市に生まれる。1938年暁星中学校卒業。1940年國學院大學予科修了。1942年9月國學院大學史学科卒業。卒業論文は「荘園内に於ける番頭に就いて」。同年10月応召。後、陸軍少尉に至る。1945年8月シベリア抑留。1948年5月復員。10月埼玉県立浦和高等学校教諭。1949年暁星高等学校講師。1952年麻布高等学校講師。
神津 善三郎(こうづ ぜんざぶろう、1919年12月31日 … 神津 善三郎(こうづ ぜんざぶろう、1919年12月31日 - 2002年5月15日)は日本の教育学者。専門は日本教育史。 長野県北佐久郡志賀村(現佐久市)生まれ、同郡小諸町(現小諸市)出身。旧制上田中学(現長野県上田高等学校)を経て、1944年慶應義塾大学文学部卒業。長野県短期大学(現長野県立大学)講師をへて、1961年教授、1976年学長就任。1984年長野大学学長に就任。1961年教育学博士(慶應義塾大学)(論文タイトルは『近代日本における義務教育の就学に関する研究:長野県における学齢期勤労児童の場合』) 長野県地方自治研究センター理事長やコープながの理事長を歴任した。1993年勲三等旭日中綬章。
井上 赳夫(いのうえ たけお、1914年12月31日 - 2… 井上 赳夫(いのうえ たけお、1914年12月31日 - 2003年10月)は、航空工学者、評論家。 神奈川県生まれ。1939年旅順工科大学機械工学科卒業、航空局技手。41年中央航空研究所研究官、44年航空局航空官、1956年科学技術庁科学調査官、66年科学審議官。1967年日本航空勤務、75年電商取締役営業部長。
林 雄一郎(はやし ゆういちろう、1912年(大正元年)12… 林 雄一郎(はやし ゆういちろう、1912年(大正元年)12月31日 - 2004年(平成16年)8月19日)は、昭和時代から平成時代にかけての合唱指揮者、作曲家。 大阪市・船場で紙箱製造業を営む家庭の五男として生まれる。汎愛小学校、明星商業学校を経て1930年(昭和5年)関西学院高等商業部に入学。在学中は関西学院グリークラブに所属し、3年生より学生指揮者を務める。在籍中に後に「関学トーン」と呼ばれる独自の響きを編み出し、1933年(昭和8年)第7回競演合唱祭に初出場で優勝。 卒業後は合唱指揮、作曲・編曲で活動。特に宗教曲、歌曲、流行曲等多岐にわたる合唱編曲に力を入れ、また師事した山田耕筰から山田の全歌曲を合唱に編曲するよう依頼され精力的に取り組んだ。
細川 ちか子(ほそかわ ちかこ、1905年(明治38年)12… 細川 ちか子(ほそかわ ちかこ、1905年(明治38年)12月31日 - 1976年(昭和51年)3月20日)は、日本の女優である。本名横田 冬(よこた ふゆ)。 東京市麹町区内幸町1-5(現在の千代田区内幸町1-5、現在の千代田区立内幸町ホール、第一ホテルアネックスの辺り)に生まれる。 香蘭女学校を卒業し、1925年に小山内薫らの「築地小劇場」に入団、新劇の世界に入った。演出家土方与志は恩師。細くて近眼の女だからと、芸名を「細川ちか子」と命名したのは土方である。 『各人各説』で伏見直江らと初舞台を踏み、その美貌でスターとなった。1929年、23歳のときに丸山定夫らとともに同劇団を脱退し、「新築地劇団」結成に参加する。
常盤 稔(ときわ みのる、1905年〈明治38年〉 12月3… 常盤 稔(ときわ みのる、1905年〈明治38年〉 12月31日 - 1981年〈昭和56年〉4月21日)は、日本の経営者。清水銀行頭取を務めた。 静岡県出身。1923年に沼津中学校を卒業し、同年6月に岩渕銀行に入行。 1948年に清水銀行に転じ、1960年4月に取締役に就任し、1969年4月に常務、1971年4月に専務を経て、1974年8月から1979年4月までに頭取を務めた。 1981年4月21日に胃癌のために死去。75歳没。
北島 織衛(きたじま おりえ、1905年〈明治38年〉12月… 北島 織衛(きたじま おりえ、1905年〈明治38年〉12月31日 - 1980年〈昭和55年〉4月27日)は、昭和期の日本の実業家。大日本印刷元会長。大平電工元社長。東邦紙業元取締役。 1905年12月31日、大日本印刷元社長・青木弘の三男として東京に生まれ、北島吉兵衛の養子となる。1923年、東京府立四中卒業。1929年、東京帝国大学法学部英法科を卒業し、大日本印刷の前身・秀英舎に入社。1955年に同社社長就任、1979年、同社会長。経営陣の刷新や労使関係の調整に強気の姿勢であたり、事業の拡大と多角化に努めた。 大日本印刷を世界最大の印刷会社にするとともに、インテリア、清涼飲料、電気部品などに進出、多角化をはかった。
伊藤 啓介(いとう けいすけ、1904年(明治37年)12月… 伊藤 啓介(いとう けいすけ、1904年(明治37年)12月31日 - 没年不明)は、日本の実業家。高岳製作所元取締役。三井銀行(現・三井住友銀行)元常任監査役。東京光学機械(現・トプコン)元監査役。 埼玉県大里郡寄居町の吉田正治の次男として生まれた。早くに父を亡くし、義兄の医師・幾瀬量(娘は幾瀬マサ)の世話になる。幾瀬の先輩の伊藤新作(日本煉瓦製造営業部長)を紹介され懇意になり、望まれて伊藤の末期養子及びその妻伊藤乃ふの養子となる。 旧制熊谷中学、旧制松本高校文科乙類を経て、1928年(昭和3年)に東京帝国大学経済学部を卒業。大学卒業後、三井銀行(現・三井住友銀行)に入行。同行にて監査役・常任監査役を歴任。
林 芙美子(はやし ふみこ、1903年〈明治36年〉12月3… 林 芙美子(はやし ふみこ、1903年〈明治36年〉12月31日 - 1951年〈昭和26年〉6月28日)は、日本の小説家。本名フミコ。身長140cm少々。 幼少期からの不遇の半生を綴った自伝的小説『放浪記』(1928年)で一躍人気作家となる。詩情豊かな文体で、暗い現実をリアルに描写する作風。一貫して庶民の生活を共感をこめて描き、流行作家として明治・大正・昭和を駆け抜けた。作品に『風琴と魚の町』(1931年)、『晩菊』(1948年)、『浮雲』(1951年)などがある。 著書『放浪記1 林芙美子文庫』の後書きでは山口県下関市生まれとなっている。尾道市立高等女学校(現・広島県立尾道東高等学校)卒。私生児として生まれ、養父・実母と共に行商を営みながら日本の各地を放浪する生活の中で、露天商やカフェの女給等の様々な職業を経験している。
清滝 幸次郎(清瀧 幸次郎、きよたき こうじろう、1903年… 清滝 幸次郎(清瀧 幸次郎、きよたき こうじろう、1903年〈明治36年〉12月31日 - 1984年〈昭和59年〉3月14日)は、日本の政治家(池田市議)、実業家。池田銀行頭取。南海毛糸紡績、宝塚ホテル、能勢電気各取締役。池田商工会議所会頭。位階は従五位。元・池田銀行頭取清滝一也は養子。プリンストン大学教授清滝信宏は孫。 大阪府池田市出身。清瀧辰吉の六男。伯父徳兵衛の養子となり1930年、家督を相続。1928年、京都帝国大学経済学部を卒業した。 1930年7月、池田実業銀行取締役に選ばれ同年9月1日頭取に就任した。1951年、池田銀行頭取に就任した。1974年春の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。
岡戸 武平(おかど ぶへい、1897年12月31日 - 19… 岡戸 武平(おかど ぶへい、1897年12月31日 - 1986年8月31日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家。 愛知県知多郡横須賀町(現・東海市)生まれ。小学校教員を経て、『名古屋新聞』『大阪時事新報』に勤務。小酒井不木の助手として『闘病術』の執筆を手助けする。 後に上京して博文館に入社。『文藝倶楽部』の最後の編集主任となる。1932年の同誌廃刊と同時に退社し、作家活動に入る。 1935年に第1回直木賞の候補となる。 太平洋戦争下の1944年に愛知県有松町(現・名古屋市)へ疎開し、そのまま名古屋に定住する。 戦後は東海地方の企業史執筆が多く、1960年に愛知県文化功労者。 『大阪時事新報』時代には江戸川乱歩と同僚であり、乱歩名義で発表された『蠢く触手』の代作を行ったことがある。
岩松 三郎(いわまつ さぶろう、1893年〈明治26年〉12… 岩松 三郎(いわまつ さぶろう、1893年〈明治26年〉12月31日 - 1978年〈昭和53年〉12月1日)は、日本の最高裁判所判事、弁護士。東京府出身。検事総長の佐藤藤佐は義弟。 任官当初は検事であったが、前科19犯のスリを取り調べたときに机上に置いた懐中時計を盗まれた事件がきっかけで、上席検事に検事不適格とされ、裁判官に転身。 1947年に最高裁判事となり、1956年に定年を待たずに依願退官。民事訴訟法の権威であり、論文集である『民事裁判の研究』は今なお多くの学術論文に引用される。1957年に、同じく民事訴訟法の権威であり、定年前に退官した兼子一と共に兼子・岩松法律事務所を設立。
松栄 俊三(まつばえ しゅんぞう、1890年12月31日 -… 松栄 俊三(まつばえ しゅんぞう、1890年12月31日 - 1983年1月28日 )は、日本の実業家、政治家。新潟県佐渡郡相川町長・新潟県議会議員・佐渡汽船社長、会長などを務めた。 新潟県佐渡郡金丸村金丸の舟崎家の出で、相川の素封家松栄家に婿入りした。1889年の相川町の長者番付では、秋田藤十郎・幅野長蔵に次いで養父の松栄治作が3位にランクされている。 1915年早稲田大学商学部を卒業、1918年から町会議員を5期20年務める。この間郡会議員に2回当選。また1923年9月と1935年9月に県議に、高位当選している。相川町長は、1926年8月から1927年7月までと、佐渡鉱山の縮小騒ぎが起きた1928年6月から約1年余、推されて難しい時期の町政を担った。
園田 湖城(そのだ こじょう、男性、1886年〈明治19年〉… 園田 湖城(そのだ こじょう、男性、1886年〈明治19年〉12月31日 - 1968年〈昭和43年〉8月25日)は、近代日本の篆刻家である。 本名は耕作(後に穆に改名)、字は清卿、号は湖城の他に平盦がある。 滋賀県大津市出身。京都の藤井有鄰館の主事となる。書画の鑑定に精しく中国文物の収集を任されている。富岡鉄斎・内藤湖南らと交流し、森琴石らと平安印会を興した。門弟に加藤慈雨楼、水野恵らがいる。園田は古官印の研究をする時、官印には役人のさまざまな人生が投影されていることに思いを馳せ、香を焚きながら印譜作成に臨んだことが伝えられ記されている。
岩本 俊郷(いわもと としさと、1884年(明治17年)12… 岩本 俊郷(いわもと としさと、1884年(明治17年)12月31日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。兵庫県伊丹町(現在の伊丹市)町長。 兵庫県出身。1912年(明治45年)、東京帝国大学法学部独法科を卒業し、1915年(大正4年)に高等文官試験に合格した。群馬県属、同佐波郡長、同商工課長、香川県商工課長、同水産課長、同学務課長、広島県学務課長、同農務課長、新潟県学務部長、樺太庁警察部長、北海道庁学務部長を歴任した。 その後、共盛無尽取締役、尼崎市助役を経て、伊丹町長に就任した。
大原 重明(おおはら しげあきら、1883年(明治16年)1… 大原 重明(おおはら しげあきら、1883年(明治16年)12月31日 - 1961年(昭和36年)2月20日)は、日本の雅楽家、政治家、華族。貴族院伯爵議員。 東京府で伯爵・大原重朝の三男として生まれる。学習院を経て、1907年(明治40年)東京帝国大学文科大学国文科を卒業した。父の死去に伴い、1918年(大正7年)12月28日、伯爵を襲爵した。 郢曲を綾小路有良に、箏・琵琶を豊原喜秋に、篳篥を安倍季節にそれぞれ師事した。1909年(明治42年)宮内省歌御会講頌御人数に任じられ、御歌所参候、歌御会始講頌などを務め、1950年(昭和25年)の歌会始まで披講、講頌の役をほぼ毎年担った。 1922年(大正11年)5月11日、貴族院伯爵議員補欠選挙に当選し、研究会に属して活動し1925年(大正14年)7月9日まで1期在任した。
13代 稲葉 市郎右衛門(いなば いちろうえもん、1882年… 13代 稲葉 市郎右衛門(いなば いちろうえもん、1882年〈明治15年〉12月31日 - 1954年〈昭和29年〉8月2日)は、京都府熊野郡久美浜村(現・京都府京丹後市)出身の実業家・銀行家・政治家。京都府会議長、久美浜町長。稲葉市郎右衛門景介(いなば いちろうえもん けいすけ)とも呼ばれる。国鉄峰豊線(現・京都丹後鉄道宮津線)の開業に際して多額の私財を投じたことで知られる。 1882年(明治15年)12月31日、京都府熊野郡久美浜村(現・京丹後市)に生まれた。幼名は景介。 父は12代稲葉市郎右衛門(稲葉市郎右衛門英裕)、母はきせ。12代稲葉市郎右衛門は前妻のきせとの間に一男三女、後妻のとしとの間に四女を儲けており、景介は長男だった。
嵐 璃徳(あらし りとく、1875年〈明治8年〉12月31日… 嵐 璃徳(あらし りとく、1875年〈明治8年〉12月31日 - 1945年〈昭和20年〉12月16日)は、日本の俳優、歌舞伎役者である。本名は井上 徳太郎(いのうえ とくたろう)。関西歌舞伎に始まり、牧野省三が監督した日本初の時代劇映画、日本初の剣戟映画に出演、サイレント映画の時代に映画俳優として活躍した。 1875年(明治8年)12月31日、大阪府大阪市北堀江町(現在の同市西区北堀江)の花柳街の料亭を生家に、「井上徳太郎」として生まれる。その環境から、幼少より芸事を覚える。 満4歳にして1880年(明治13年)、先代・嵐璃徳に入門、2年後の1882年(明治15年)に大阪・角座で初舞台を踏んだ。
大沢 豊子(おおさわ とよこ、1873年(明治6年)12月3… 大沢 豊子(おおさわ とよこ、1873年(明治6年)12月31日 - 1937年(昭和12年)6月15日)は、明治から昭和にかけての速記者、ジャーナリスト。群馬県館林市生まれ。生涯で三度職業を変え、それぞれの分野を女性の職業とする先鞭をつけた。 旧館林藩士であった父大沢師容、母やをの長女として生まれる。小学校を卒業後の1888年(明治21年)、15歳で東京に出て、遠縁であった佃与次郎の速記塾に入り、2年間速記を学んだ。 翌1889年(明治21年)、講演速記として業務を始め、7月、大日本婦人衛生学会の講演会の速記を初めて担当。同年の12月9日には、設立3年目であった婦人矯風会が主催した廃娼演説会で、同門の中村たま子と共に植木枝盛らの演説を速記した。
藤井 利誉(ふじい としたか、明治5年12月2日(1872年… 藤井 利誉(ふじい としたか、明治5年12月2日(1872年12月31日) - 昭和20年(1945年)12月30日)は、日本の教育者。 福島県出身。1901年(明治34年)、東京高等師範学校文科を卒業。福島県師範学校教諭、福井県師範学校教諭、東京女子高等師範学校教授・附属小学校主事を歴任。1916年(大正5年)、欧米諸国に留学。帰国後、東京女子高等師範学校附属高等女学校主事に任命された。1924年(大正13年)、東京市に転じ、教育局学務課長・視学課長、教育局長を歴任した。 1934年(昭和9年)に退官後も帝国教育会理事を務めた。
安西 直一(あんざい なおいち、明治5年12月2日(1872… 安西 直一(あんざい なおいち、明治5年12月2日(1872年12月31日) - 昭和28年(1953年)9月7日)は、日本の実業家、政治家。千葉県会議長。日本養鮑(名)社長。東京瓦斯会長を務めた安西浩は長男。昭和電工社長を務めた安西正夫は次男。孫に東京瓦斯相談役を務めた安西邦夫や実業家の安西孝之などがいる。 千葉県夷隅郡清海村(のち興津町、現勝浦市)出身。父・八郎兵衛は漁師だった。後に次男安西正夫と森矗昶長女の満江が結婚して安西家と森家は親族同士となるが、正夫・満江それぞれの祖父である八郎兵衛・森為吉両人とも、勝浦の有力な網元だった(安西浩#安西家も参照)。 二松學舍修業。日露役に従軍する。郡会議長、県参事会員同議長町長。
丘 浅次郎(おか あさじろう、明治元年11月18日(1868… 丘 浅次郎(おか あさじろう、明治元年11月18日(1868年12月31日) - 昭和19年(1944年)5月2日)は、日本の動物学者。高等師範学校教授を歴任。 1868年、遠江国掛塚(現・静岡県磐田市掛塚)生まれ。父親が大阪造幣局勤務であったため、少年期は大阪市内で暮らす。大坂英語学校に入学し抜群の成績を修め、その後に旧制第一高等学校の前身である東京大学予備門に入学するも、歴史科目のみ成績が極端に悪く、2年続けて落第したため退学処分となった。このため大学の正規課程への入学資格を持たず、1886年帝国大学理科大学動物学科選科に入学した。1891年から3年間ドイツに留学し、フライブルク大学でアウグスト・ヴァイスマンに、またライプツィヒ大学でカール・ロイカルトに師事。
辰沢 延次郎(たつざわ えんじろう、慶応元年11月14日(1… 辰沢 延次郎(たつざわ えんじろう、慶応元年11月14日(1865年12月31日) - 1931年(昭和6年)10月16日)は日本の実業家、政治家。東京市会議員。 静岡藩士、石渡栄次郎の二男として江戸(後の東京市京橋区新船松町(霊岸島)、現東京都中央区新川)に生まれる。辰沢豊三郎の養子となった後、1877年(明治10年)1月家督相続。攻玉社中学を経て、1885年(明治18年)東京商船学校航海科卒業、海運業界に入る。当初は運転士として海上勤務だったが入社先が日本郵船に改称すると陸上勤務に転じる。同社は艀船部を廃止して京浜艀船受負事務所を新設、辰沢は同社を退職して1897年(明治30年)に事務所と同じ所在地に辰沢回漕店を開業、自ら海運業を営み、日本郵船から事業を受け継いで京浜間の貨物輸送を嘱託されていた。
秋 乕太郎(あき とらたろう、1865年12月31日(慶応元… 秋 乕太郎(あき とらたろう、1865年12月31日(慶応元年11月14日) – 1922年(大正11年)12月15日)は、衆議院議員(憲政会)。秋虎太郎とも書く。 下総国葛飾郡関宿町(千葉県東葛飾郡関宿町を経て現野田市)で関宿藩士秋汲平の子として生まれる。明倫学舎と紫溟学舎で学んだ。小学校教員や新聞記者を経て、1890年(明治23年)、本郷区会議員に当選。以後、連続当選を重ね、議長にも就任した。1891年(明治24年)には東京府会議員に当選し、1896年(明治29年)には東京市会議員に、当選した。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。 その他、禅徒生命保険株式会社取締役、東京医学講習所(現在の東京医科大学)主幹などを務めた。