佐藤 俊一(さとう しゅんいち、1943年7月19日 - )… 佐藤 俊一(さとう しゅんいち、1943年7月19日 - )は東洋大学法学部第一部企業法学科教授(政治学、地域政治論)、山形県鶴岡市出身。 1967年に中央大学法学部法律学科から同大学院法学研究科(政治学)に進み、1973年に博士課程修了。1974年から1992年まで同大学法学部の非常勤講師を勤め、1995年から1997年までは群馬大学短期大学部助教授、1998年に母校の教養部教授を経て、同年に東洋大学法学部第一部企業法学科教授となる。それ以外にも1988年から2000年まで日本地方自治学会の理事と年報編集委員を1992年から1年間、日本行政学会企画委員を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
守谷 良二(もりや りょうじ、1942年9月8日 - 201… 守谷 良二(もりや りょうじ、1942年9月8日 - 2017年9月29日)は、立正大学経済学部教授。東京都市大学、東京電機大学工学部非常勤講師。山形県白鷹町出身。ペンネームは守谷両時。専門は代数関数論,数式処理。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
井上 史雄(いのうえ ふみお、1942年5月17日 - )は… 井上 史雄(いのうえ ふみお、1942年5月17日 - )は、日本の言語学者、東京外国語大学名誉教授。明海大学名誉教授。 山形県鶴岡市出身。2023年、瑞宝中綬章受章。 専門は「新方言」、方言イメージ、言語の市場価値などのアンケートである。
芳賀 卓(はが まさる、1941年2月 - )は、日本の植物… 芳賀 卓(はが まさる、1941年2月 - )は、日本の植物学者。理学修士。北海道教育大学名誉教授。利根別自然休養林研究会代表。山形県鶴岡市出身。
山浦 瑛子(やまうら えいこ、1940年4月28日 - 20… 山浦 瑛子(やまうら えいこ、1940年4月28日 - 2010年10月22日)は、日本の会計学者。専門は会計学。学位は、商学博士(拓殖大学・1994年)。元国士舘大学21世紀アジア学部教授。 山形県米沢市生まれ。1963年高崎経済大学経済学部経済学科卒業後、同年4月旺文社入社(1966年6月まで勤務)。 1971年3月拓殖大学大学院経済学研究科修士課程修了後、同年4月高崎経済大学経済学部助手、1972年4月同大学経済学部専任講師、1975年4月同大学経済学部助教授、1981年同大学経済学部教授。2000年同大学経済学部長。2002年4月同大学大学院経済・経営研究科修士課程教授。2004年4月同大学大学院経済・経営研究科博士後期課程教授。
舩山 龍二(ふなやま りゅうじ、1940年2月6日 - )は… 舩山 龍二(ふなやま りゅうじ、1940年2月6日 - )は、日本の実業家、JTB元代表取締役会長、元社長、立教大学観光学部元教授、日本ワーキング・ホリデー協会元会長、公益財団法人日本交通公社評議員。 1940年2月6日、山形県山形市生まれ。山形東高卒業。1962年3月、東京教育大学(現・筑波大学)理学部卒業。同年4月、日本交通公社(現JTB)入社。 国際旅行事業からその経歴をスタートさせ、海外旅行のルック販売部販売課長、国内旅行のエース課長などを歴任。経営企画室長、取締役九州営業本部長、常務人事部長などを経て1996年に代表取締役社長就任。2002年から代表取締役会長を務めた。 JTB会長と兼任して立教大学観光学部教授を務め、ツーリズム産業の発展のために後進の育成を行うとともに、日本旅行業協会(JATA)では副会長、海外旅行委員長などの要職を務め、初の大使が誕生したスロバキアには旅行会社5社とJALの協力を得て初のチャーター便を飛ばすなどの活動を行った。
川合 隆男(かわい たかお、1938年7月25日 - )は、… 川合 隆男(かわい たかお、1938年7月25日 - )は、日本の社会学者、慶應義塾大学名誉教授。社会学博士(慶應義塾大学・1975年)(学位論文「社会的成層の研究」)。社会調査に関する史的研究や近代日本社会学史研究を行う。山形県上山市生まれ。 1957年山形県立山形工業高等学校(建築科)卒業。1961年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1966年、慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。1964年慶應義塾大学法学部助手、1967年同専任講師、1970年同助教授。同年から1年間プリンストン大学に学ぶ。1975年社会学博士(慶應義塾大学)。1977年同教授。2004年定年退職、名誉教授。
佐藤 文隆(さとう ふみたか、1938年〈昭和13年〉3月2… 佐藤 文隆(さとう ふみたか、1938年〈昭和13年〉3月23日 - 2025年〈令和7年〉9月14日)は、日本の物理学者(宇宙物理学)・理論物理学者。専門は、宇宙論・相対性理論。学位は、理学博士(論文博士・京都大学)(学位論文 「General relativistic instability of the supermassive stars(超大質量星の一般相対論的不安定性)」)。京都大学名誉教授。 1938年(昭和13年)3月23日、佐藤茂吉・かね夫妻の三男として山形県西置賜郡鮎貝村(現・白鷹町)に生まれる。兄弟姉妹は兄2人、姉4人、妹1人がいる。父・茂吉は製材所を経営していた。 小学校6年生の時に湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞、湯川ブームが起きたのがきっかけで湯川に憧れるようになる。
安達 瑛二(あだち えいじ、昭和12年(1937年)1月26… 安達 瑛二(あだち えいじ、昭和12年(1937年)1月26日 - )は、日本の工学者、工学博士、豊田工業大学名誉教授。山形県鶴岡市出身。
御橋 廣眞(みはし こうしん、1937年(昭和12年) - … 御橋 廣眞(みはし こうしん、1937年(昭和12年) - 2026年(令和8年)3月7日)は、日本の生物物理学者。理学博士。名古屋大学名誉教授。日本福祉大学教授。財団法人天風会講師。大沢文夫の弟子の一人。山形県鶴岡市出身。
斎藤 たま(さいとう たま、1936年- 2017年1月26… 斎藤 たま(さいとう たま、1936年- 2017年1月26日)は、日本の民俗学者。 山形県東村山郡山辺町に生まれる。山形県立山形東高等学校定時制を卒業後は東京渋谷の書店に就職した。 1970年から子供の遊びや民俗風習の聞き取り調査を日本全国で手がけ、1971年に仕事は退職した。同じ遊びが離れた地域に広く分布していることに興味を抱いたことが、収集を手がけるきっかけだった。 1972年から埼玉県秩父市浦山の過疎部落(嶽)に移り住み、自給自足で暮らしながら著作を執筆した。 嶽での生活を28年あまり続けたのち秩父市街地に移住、晩年は長く入院生活を送り、2017年に死去した。 斎藤の収集した民俗資料については「今では採録することができない貴重なものも少なくありません」「採集された民俗は現在では消滅の危機にあり、それを書き残した調査カードは民俗学的に貴重な資料である」といった評価がなされている。
渋谷 重光(しぶや しげみつ、1935年6月7日 - 199… 渋谷 重光(しぶや しげみつ、1935年6月7日 - 1992年4月16日)は、日本の社会学者、社会心理学者、広告学者。 1935年山形県山形市生まれ。1954年山形県立山形東高等学校卒業。1958年中央大学法学部法律学科卒業。1961年中央大学大学院法学研究科公法専攻修士課程修了。日本産業構造研究所研究員、神奈川大学教授。
宗片 邦義(むなかた くによし、1934年(昭和9年)11月… 宗片 邦義(むなかた くによし、1934年(昭和9年)11月12日 - )は、日本の学者、静岡大学名誉教授、モンゴル国際経済商科大学名誉教授、華中科技大学・広東南大専修学院名誉教授、国際融合文化学会会長。山形県鶴岡市出身。旧名・上田邦義。離婚により宗片姓にもどる。
佐藤篤士(さとう とくじ、1934年3月20日-2006年5… 佐藤篤士(さとう とくじ、1934年3月20日-2006年5月31日)は、日本の法学者。 山形県鶴岡市出身。1952年、山形県立鶴岡南高等学校卒、1958年、早稲田大学第一法学部卒、1961年、同大学大学院法学研究科修士課程修了。同年、早稲田大学法学部助手、1964年、同専任講師、1966年、同助教授、1971年、同教授。1977年、法学博士。1980年法制史学会理事。2000年早稲田大学大学史資料センター所長。2004年、定年、名誉教授。専門は古代ローマ法。 恩師は、中村吉三郎 (法学者)。門下生に西村隆誉志(愛媛大学名誉教授)、原田俊彦(早稲田大学教授)、熊丸光男(帝京大学教授)、足立清人(北星学園大学教授)、藤野奈津子(千葉商科大学教授)らがいる。
山口 英世(やまぐち ひでよ、1934年3月3日 - )は、… 山口 英世(やまぐち ひでよ、1934年3月3日 - )は、日本の真菌学者、帝京大学名誉教授。 山形県東村山郡山辺町出身。1958年東京大学医学部医学科を卒業後、1963年同大学院生物系研究科第三基礎医学専門課程博士課程を修了し、医学博士の学位を取得。 1964年東京大学応用微生物研究所助手、1966年東京大学医学部講師、助教授を経て、1982年帝京大学医学部教授となり、帝京大学医真菌研究センター長を兼務、1999年帝京大学医真菌研究センター教授、2004年退職、名誉教授となる。 2014年、瑞宝中綬章を受章。
五百澤 智也(いおざわ ともや、1933年5月30日 - 2… 五百澤 智也(いおざわ ともや、1933年5月30日 - 2013年12月14日)は、日本の地理学者。山岳・氷河地形研究者であり、山岳鳥瞰図作家として知られる。 山形県山形市出身。東京教育大学理学部地学科地理学専攻卒業。大学時代には、九州南端の開聞岳から北海道の利尻山まで日本各地の山々に登り、日本アルプスにおける氷河地形の発達について強い関心を抱く。大学卒業後には魚沼水無川シン沢単独遡行。建設省地理調査所(のちの国土地理院)を37歳で退職するまで、空中写真撮影、写真判読、基本図測量、修正測量、地形図製作などに従事し、積雪調査の開発研究にあたる。1962年には、それまで知られていなかった槍・穂高山域で最低位の堆石堤群を発見し、その後、日本の氷河地形の再検討を続ける。
佐藤 満彦(さとう みつひこ、昭和8年(1933年) - )… 佐藤 満彦(さとう みつひこ、昭和8年(1933年) - )は、山形県鶴岡市出身の、植物学者、理学博士、東京都立大学 (1949-2011)理学部教授。
菅 洋(すげ ひろし、1932年12月9日 - )は、日本の… 菅 洋(すげ ひろし、1932年12月9日 - )は、日本の農学者、東北大学名誉教授。農学博士。専門は作物生理学。 山形県鶴岡市生まれ。1955年東北大学農学部卒業。農林省中国農業試験所勤務、1962年農林省農業技術研究所、1966年「大麦の出穂性に関する育種学的研究」で東北大学農学博士。1978年東北大学農学部助教授、82年教授。87年農学研究所長、89年遺伝生態研究センター長。96年定年退官、名誉教授。1983年日本作物学会賞受賞。
渡辺信夫(わたなべ のぶお、1932年2月18日-2001年… 渡辺信夫(わたなべ のぶお、1932年2月18日-2001年1月15日)は、日本の日本史学者。 山形県西村山郡河北町生まれ。1957年東北大学大学院国史学修士課程修了。福島工業高等専門学校助教授、1967年東北大学文学部助教授、教授、文学部長。 1995年、定年退官、名誉教授、放送大学教授。 交通・流通史研究を軸とした近世東北地域史研究を専攻とした。 1967年、東北大学より文学博士の学位を取得。
早坂 忠(はやさか ただし、1931年9月25日 - 199… 早坂 忠(はやさか ただし、1931年9月25日 - 1995年7月10日)は、日本の経済学史・経済思想史学者。 山形県山形市生まれ。東京大学教養学科卒業、大学院社会科学研究科理論経済学専攻博士課程単位取得退学(木村健康に師事)。1958年、東京大学教養学部助手。外国語部会英語科の講師、助教授を経て、1983年8月、教授。1990年3月、定年を待たずに退職し、4月より学習院大学経済学部教授、1992年5月、退職。1995年、叙正四位、叙勲三等授瑞宝章。 ケインズを中心に研究を行っていたが、東大では教養学部の英語科に所属しており、経済学ではなく英語の教授だった。
渋谷孝(しぶや たかし、1931年6月− 2019年11月2… 渋谷孝(しぶや たかし、1931年6月− 2019年11月25日)は、日本の文学研究者、国文学・日本語教育学者、宮城教育大学名誉教授。 山形県長井市生まれ。山形師範学校、東北大学文学部国文学科卒業、同大学院国文学国語学専修博士課程中退。新潟大学助教授、教授、79年宮城教育大学教授。1997年定年退官。この間附属小学校長、附属図書館長。東北地区国語教育研究協議会会長。2012年、瑞宝中綬章受章。2019年死去。叙正四位。 はじめ平安朝文学を専攻したが、国語科教育と文学の関係に疑問を抱き、多くの著作を著す。
横山 昭男(よこやま あきお、1930年10月16日 - 2… 横山 昭男(よこやま あきお、1930年10月16日 - 2022年11月30日)は、日本の歴史学者、山形大学名誉教授。日本近世史(藩政史・交通史)専攻。 山形県北村山郡大石田町生まれ。1960年東北大学大学院文学研究科修士課程修了。山形大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授。1981年「近世河川水運史の研究 最上川水運の歴史的展開を中心として」で東北大学より文学博士。 2022年11月30日、老衰のため山形市の病院で死去、92歳。
渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年〈昭和5年〉10… 渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年〈昭和5年〉10月15日 - 2017年〈平成29年〉4月17日)は、日本の英語学者、哲学者。歴史論・政治・教育・社会評論家。上智大学名誉教授。 専攻は英語文法史。学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)哲学博士。ミュンスター大学名誉哲学博士。公益財団法人日本財団評議員。 山形県鶴岡市出身。旧制山形県立鶴岡中学校在学中に学制改革が実施され、1949年に山形県立鶴岡第一高等学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)を卒業。なお同校は新制高等学校であるが、渡部は「私にとっての友達をつくる上で一番よかった時代は、やはり旧制高校に通っていたときだと思う」「旧制高校には各地域から選ばれた優秀な人間が集まってきていたので、周りを見渡せば『すごい』と思える人間ばかりだった」と回顧している。
茂木 清夫(もぎ きよお、1929年(昭和4年)12月28日… 茂木 清夫(もぎ きよお、1929年(昭和4年)12月28日 - 2021年(令和3年)6月6日)は、日本の地震学者・火山学者。専門分野は、固体地球物理・地震学・岩石力学。地震の発生機構および地震予知に関心を持ち、地震学および地震予知の権威である。地震学・火山学の研究における数々の業績を残した。東京大学名誉教授。元日本大学教授、元地震予知連絡会会長。山形県出身。 1929年(昭和4年)、山形県谷地町南町(現河北町谷地)に生まれる。旧制寒河江中学・山形高等学校を経て、1953年(昭和28年)に東京大学理学部(地球物理学科)を卒業。同年に三菱鉱業に入社し、1954年(昭和29年)に東京大学助手となる。
山口彦之(やまぐち ひこゆき、1929年2月2日- 2019… 山口彦之(やまぐち ひこゆき、1929年2月2日- 2019年7月8日)は、日本の遺伝子農学者。農学博士(1961年)。東京大学名誉教授。 山形県酒田市出身。1953年東京大学農学部卒、同大学院修了、1961年農学博士。1962年東大農学部助教授、1970年教授。1976-78年同大原子力総合研究センター所長併任、1989年定年退官、名誉教授となり、駒澤短期大学放射線科教授を務めた。酒田市・庄内バイオ研修センター所長。日本生物環境工学会初代会長。世界平和教授アカデミー代表理事。米、大麦の突然変異を研究した。
庄司 和晃(しょうじ かずあき、1929年2月 - 2015… 庄司 和晃(しょうじ かずあき、1929年2月 - 2015年5月5日)は日本の教育実践家・教育学者。本名は庄司宗晃(しょうじむねあき)。 1929年山形県西村山郡本郷村葛沢(現、大江町葛沢)で生まれる。生家は曹洞宗の寺院で、父親はその住職。山形県立寒河江中学校に入学したが、予科練を志願し、その後小松海軍航空隊に転勤。一時期、藤沢市の日本精工に動員される。その後、中学校を卒業し、山形師範学校入学。卒業後、1948年より長井市豊田小学校に赴任。翌1949年に成城学園初等学校に教諭として転職。当時、成城学園にて社会科構想を説いていた柳田國男に師事する。1955年日本大学文学部(現、文理学部)宗教学科卒業。
梅木 壽雄(うめき としお、1927年(昭和2年) - )は… 梅木 壽雄(うめき としお、1927年(昭和2年) - )は、日本の民俗学者。庄内民俗学会・幹事。山形県鶴岡市錦町在住。 山形県鶴岡市に生れる。 鶴岡市周辺町村で中学校・社会科教諭を勤める。1982年(昭和57年)に山形県教育委員会・調査員となり、語り部の昔話を録音する。 2008年(平成20年)に鶴岡市「良い歯の長寿賞」を受賞した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
石坂 照子(いしざか てるこ、1926年9月28日 - 20… 石坂 照子(いしざか てるこ、1926年9月28日 - 2019年6月4日)は、日本の免疫学者。ジョンズ・ホプキンズ大学教授などを歴任、在米時代の愛称はテリー (Terry)。フルブライトフェロー。 夫の石坂公成とともに免疫グロブリンEの機序を解明、発表した。夫妻の功績を記念し毎年2月20日を「アレルギーの日」に、またその週は「アレルギー週間」に指定された。 旧姓松浦、1944年3月旧山形第一高等女学校卒業、東京女子医学専門学校(東京女子医科大学の前身)に進む。1949年に卒業し1957年月3月22日、東京大学で医学博士号を授与される。大学卒業後の1951年から1957年にわたり国立予防衛生研究所(国立感染症研究所の前身)で血清の研究を進め、フルブライト奨学金を得てアメリカ合衆国カリフォルニア工科大学へ研究留学するのは1957年から1959年までである。
稲垣 栄三(いながき えいぞう、1926年6月29日-200… 稲垣 栄三(いながき えいぞう、1926年6月29日-2001年3月6日)は、日本の建築史家、東京大学名誉教授。 山形県出身。府立六中(現都立新宿高等学校)を経て東京大学工学部卒。1961年「明治時代における西洋建築導入過程に関する研究」で工学博士。太田博太郎、堀口捨己に師事。東京都立大学助手、東大工学部助教授、73年教授。87年定年退官、明治大学教授。 69年神社建築史の研究で建築学会賞。著作「日本の近代建築」で近代建築の始まりを大正時代とする説を唱えた。
松野 良寅(まつの よしとら、1926年(大正15年) - … 松野 良寅(まつの よしとら、1926年(大正15年) - 2012年(平成24年)3月12日)は、日本の英学者。日本英学史学会第7代会長、我栄記念館館長。豊田實賞、米沢市功績章を受章。 山形県出身。米沢中学から、海軍兵学校入校。松野は海兵75期で、在校中に第二次世界大戦の終結を迎え卒業証書を授与されている。 戦後は東北大学法文学部英文科を卒業し、母校の教員や山形県教育庁主事などを務める。1967年(昭和42年)から山形大学工業短期大学部助教授、同教養部教授、1992年(平成4年)から東北芸術工科大学教授を歴任。 英学者としては『興譲館世紀』で第1回豊田實賞を受賞。また日本英学史学会会長を務めた。
小林政吉(こばやし まさきち、1923年-?)は、日本の宗教… 小林政吉(こばやし まさきち、1923年-?)は、日本の宗教学者、東北大学名誉教授。 山形市生まれ。1945年東北帝国大学法文学部文科(教育学専攻)卒業。1962年「教養と実存」で、文学博士の学位を取得。東北大学教育学部助教授、教授、1987年定年退官、名誉教授、東洋英和女学院大学教授。
今道 友信(いまみち とものぶ、1922年11月19日 - … 今道 友信(いまみち とものぶ、1922年11月19日 - 2012年10月13日)は、日本の美学者および中世哲学研究者である。「エコエティカ」(生命倫理による人間学・倫理学)を提唱したことで知られる。東京大学名誉教授、聖トマス大学名誉教授、国際形而上学会会長、国際美学会終身委員兼名誉会長、国際エコエティカ学会名誉会長といった多くの要職を歴任した。かつては哲学美学比較研究国際センター所長、日本美容専門学校校長を務め、日本アスペン研究所特別顧問でもあった。 今道は離婚歴があり、実子としてギタリストで元BARBEE BOYSのメンバーであるいまみちともたか、ピアニストの川口信子がいる。再婚したドイツ人のクリスティネとの間には、ドイツ在住の今道友紀子と、心理学者でニューヨーク市立大学教員である今道友昭がいる。
中谷 瑾子(なかたに きんこ、1922年8月23日 - 20… 中谷 瑾子(なかたに きんこ、1922年8月23日 - 2004年6月23日)は、日本の法学者。専門は刑法。学位は博士(法学)(慶應義塾大学・論文博士・2001年)(学位論文「21世紀につなぐ生命と法と倫理:生命の始期をめぐる諸問題」)。慶應義塾大学名誉教授、大東文化大学名誉教授。山形県酒田市出身。 長男は慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI)特任教授で前WHO(世界保健機関)執行理事会議長を務めた中谷比呂樹(慶應義塾大学医学部卒業)。 1970年4月から翌年3月まで、ヨーロッパ諸国の大学、矯正施設を視察。厚生労働省の諮問機関「厚生科学審議会」の委員として医療法分野での功績の他、公安審査委員会委員としてオウム真理教の破壊活動防止法適用の審査(オウム真理教破壊活動防止法問題)を行った。
遠藤 浩(えんどう ひろし 1921年9月13日 - 200… 遠藤 浩(えんどう ひろし 1921年9月13日 - 2005年5月5日)は、日本の法学者。専門は民法。学習院大学名誉教授。山形県米沢市出身。 米沢市の実家(鍛冶町)の斜向かいに我妻栄の生家(鉄砲町)があった。米沢興譲館中学校3年時に肋膜炎・肺結核を患い、以後三十数年間は持病を抱えながらの生活となる。第一高等学校、東京帝国大学法学部卒。法学部大学院で我妻に師事した。 学習院大学名誉教授。元司法試験考査委員(任:1968年 - 1984年)および元国家公務員上級試験(現在の国家公務員第I種試験)考査委員(任:1970年 - 1972年)。元弁護士。勲三等瑞宝章受章。 米沢高等学校で教師と野球部監督を務め、プロ野球で活躍する皆川睦雄(南海ホークス)を指導した経歴を持っている。
菊地 吾郎(きくち ごろう、1920年1月14日 - 201… 菊地 吾郎(きくち ごろう、1920年1月14日 - 2014年7月24日)は、日本の医学者。日本医科大学学長、東北大学名誉教授。 1920年、山形県生まれ。1931年、旧制京華中学校に進学。1937年、旧制日本医科大学予科入学。1944年、同大学卒業。東北大学教授を定年退官後、同大学名誉教授となる。のち、母校に招かれて、日本医科大学学長を務める。 2014年7月24日、急性呼吸不全のため東京都荒川区の病院で死去。94歳没。
和田 英夫(わだ ひでお、1918年7月4日 - 2001年… 和田 英夫(わだ ひでお、1918年7月4日 - 2001年3月10日、82歳没)は、日本の法学者。専攻は、憲法・行政法。 第3代駿河台大学学長、明治大学名誉教授、駿河台大学名誉教授。 1918年に山形県西村山郡河北町で生まれる。旧制寒河江中学校(現:山形県立寒河江高等学校)を経て、東京帝国大学(現:東京大学)法学部政治学科を卒業。 1946年に北海道大学農学部副手、1948年講師、1950年北海道大学法文学部助教授、1954年から明治大学教授を務める。1989年に、設立準備委員として参画していた駿河台大学法学部教授となった。同大学では法学部長、1991年比較法研究所初代所長、法学研究科長を歴任した後、1994年に第3代学長となる(在任 : 1994年-1999年)。
伊藤 勲(いとう いさお、1917年1月20日 - 2012… 伊藤 勲(いとう いさお、1917年1月20日 - 2012年11月15日)は、日本の政治学者、上智大学名誉教授。 山形県山形市生まれ。1938年中央大学専門部法律科卒、1939年内閣情報局勤務、1941年中央大学法学部卒、中央気象台勤務、1949年運輸省へ出向。1957年上智大学法学部助教授、1963年教授、1966年「明治政党史の研究」で中大法学博士。1983年上智大学を定年、名誉教授、松阪大学教授。
吉川 需(よしかわ まつ、1916年 - 1995年)は、日… 吉川 需(よしかわ まつ、1916年 - 1995年)は、日本の造園学者。庭園史家。研究は発掘庭園史をテーマに戦後に東京大学の助手を経て昭和26年から文化財保護委員会に移り以後、文化庁退官まで一貫して庭園の調査研究、文化財遺構の発掘調査・復元整備に尽力。師の吉永義信と共に精力的に全国を巡り、幾多の名園を実測調査、記録・報告する。 庭園の名勝指定や解除、遺構の整備、復原などに携わり、平城京の北宮庭園などの指定、岡山の後楽園をはじめ、鹿苑寺(金閣寺)や縮景園などの戦災復旧事業に尽力すると同時に、中尊寺、毛越寺、無量光院などに関連した平泉の庭園遺跡について一連の調査を進め、その成果を総括。 文化財保護審議会専門委員(第3專門調査会会長),財団法人日本ナショナルトラスト専門委員、社団法人日本庭園協会理事長、文化財指定庭園保護協議会会長、識名園復旧整備委員会、史跡永福寺発掘整備委員会、松本城整備研究会会長他、昭和35年5月から日本造園学会評議員・理事・監事・副会長を歴任。
秋山 太一郎(あきやま たいちろう、1915年〈大正4年〉8… 秋山 太一郎(あきやま たいちろう、1915年〈大正4年〉8月16日 - 2006年〈平成18年〉1月5日)は、日本の医学者、医学博士(東京大学)、実業家。補綴材(エピテーゼ、プロテーゼ)の研究者。株式会社高研の創業者。株式会社荘内日報社元社長・元会長。鶴岡市行政顧問。勲四等瑞宝章。山形県鶴岡市出身。「世界にさきがけ、独創に生きる」を座右の銘とした。 医療用高分子の研究の分野で活躍し、血液樹脂、合成高分子、医用シリコーン、医療用の生体モデルなどを開発し、医療技術の向上に貢献した。略歴は以下のとおり。
佐藤 甚次郎(さとう じんじろう、1914年〈大正3年〉11… 佐藤 甚次郎(さとう じんじろう、1914年〈大正3年〉11月24日 - 2002年〈平成14年〉10月1日)は、日本の地理学者(地理学)。 山形県鶴岡市生まれ。東京高等師範学校研究科地理科卒、日本大学法文学部史学科地理学卒、日本女子大学附属高等学校教諭、1965年「日本農家の間取型に関する地理学的研究」で、東京教育大学より理学博士の学位を取得。日本女子大学教授、1985年定年、名誉教授。 1987年、勲四等旭日小綬章を受章。2002年10月1日、脳腫瘍による虚血性心不全のため死去。
堀米 庸三(ほりごめ ようぞう、1913年2月24日 - 1… 堀米 庸三(ほりごめ ようぞう、1913年2月24日 - 1975年12月22日)は、山形県河北町生まれの歴史家。専攻は西洋中世史。
佐藤 正己(さとう まさみ、1910年(明治43年)7月16… 佐藤 正己(さとう まさみ、1910年(明治43年)7月16日 - 1984年(昭和59年)8月30日)は、日本の植物学者。理学博士(東京帝国大学・1942年)。茨城大学名誉教授。山形県東田川郡山添村(現・鶴岡市)出身。地衣類研究の権威として知られている。
黒羽根 忠雄(くろばね ただお、1909年〈明治42年〉10… 黒羽根 忠雄(くろばね ただお、1909年〈明治42年〉10月5日 - 1996年〈平成8年〉6月17日)は、日本の医学者、内科医。医学博士(東京慈恵会医科大学)。元・黒羽根内科医院院長。山形県鶴岡市出身。 貧しい人からは診療料金を取らない事で知られ、通称は「赤ひげ先生」であった。 東京医学専門学校(現・東京医科大学)を卒業後、東京慈恵会医科大学で大脳生理や条件反射学総説大脳感応現象の研究をした。
星川 長七(ほしかわ ちょうしち、1908年10月13日 -… 星川 長七(ほしかわ ちょうしち、1908年10月13日 - 1996年9月17日)は、日本の法学者。 山形県新庄市出身。早稲田大学法学部卒業。早稲田大学法学部教授を務めた後、1987年から1991年まで初代駿河台大学学長を務めた。1980年、勲三等瑞宝章を受章。1996年9月17日、腎不全のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
佐藤 源治(さとう げんじ、1908年(明治41年) - 1… 佐藤 源治(さとう げんじ、1908年(明治41年) - 1995年(平成7年)6月9日)は、日本の教育者、民俗学者。朝日村名誉村民(現・鶴岡市名誉市民)。栄典は従四位・勲四等・旭日小綬章。
舩山 信一(ふなやま しんいち、1907年7月29日 - 1… 舩山 信一(ふなやま しんいち、1907年7月29日 - 1994年3月16日)は、日本の哲学者・マルクス主義者。立命館大学名誉教授。マルクス、ヘーゲル、フォイエルバッハの研究を通じて人間学的唯物論を確立した。船山信一とも書かれる。 山形県東置賜郡吉島村(現:川西町)生まれ。米沢中学校(現:山形県立米沢興譲館高等学校)、山形高等学校を経て、1930年、京都帝国大学文学部哲学科卒業。西田幾多郎の下で哲学を学ぶ。マルクス主義者であることから、学派的には三木清、戸坂潤らとともにいわゆる西田左派に属する。1932年、戦前の著名なマルクス主義団体である唯物論研究会を戸坂潤らと結成。1933年、日本プロレタリア科学同盟に参加。
阿部 襄(あべ のぼる、1907年6月10日 - 1980年… 阿部 襄(あべ のぼる、1907年6月10日 - 1980年4月22日)は、山形県出身の動物学者・生態学者。山形大学名誉教授。理学博士。 1907年、山形県飽海郡松山町生まれ。阿部富太郎とゆきの長男である阿部一郎の長男。叔父(父の弟)に、哲学者・美学者の阿部次郎、陸軍軍人・実業家の堀三也、動物学者の阿部余四男、日本史学者の竹岡勝也らがいる。 旧制山形高等学校を経て、1931年に東北帝国大学理学部生物学科卒業。1941年に「潮間帯ならびに浅海にすむ数種の無脊椎動物に関する生態学的研究」で東北帝国大学より理学博士の学位を授与。師道大学教授、山形県立農林専門学校教授、山形大学農学部教授を歴任。 戦前、日本学術振興会研究員として「パラオ熱帯生物研究所」に派遣されてサンゴなどの研究を行なった生物学者・生態学者であり、戦時中は満州産ドブガイなどの研究を行ない(阿部襄 1943)、終戦を吉林市で迎え(阿部襄 1970)、のちに山形大学農学部応用動物学研究室教授、山形大学名誉教授となった。
白畑 よし(しらはた よし、1906年10月29日 - 20… 白畑 よし(しらはた よし、1906年10月29日 - 2006年6月2日)は、日本の美術史家。日本の女性美術史家の草分けであった。 山形県酒田市出身。指物師であった父の上京に従い9歳で東京に移る。文部省美術研究所(現東京国立文化財研究所)を経て、1952年京都国立博物館に入る。1962年資料室長。絵巻、大和絵を研究、女絵の様式展開の解明に貢献した。
戸川 安章(とがわ あんしょう、明治39年(1906年)8月… 戸川 安章(とがわ あんしょう、明治39年(1906年)8月3日 - 平成18年(2006年)12月12日)は、日本の民俗学者。山形県民俗研究協議会会長。日本山岳修験学会顧問。致道博物館顧問、荘内文化財保存会理事。鶴岡女子専門学校校長。栄典・称号は、勲五等双光旭日章・羽黒町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。
阿部 吉雄(あべ よしお、1905年〈明治38年〉5月12日… 阿部 吉雄(あべ よしお、1905年〈明治38年〉5月12日 - 1978年〈昭和53年〉5月30日)は、日本の中国哲学者。 1905年、山形県山形市で生まれた。山形中学校を経て、東京帝国大学文学部支那哲学科に入学。1928年、卒業論文『荀子の研究』を提出して同大学を卒業。同大学大学院に進学した。 1930年、東方文化学院東京研究所の助手となり、服部宇之吉の「儀礼鄭注補正」の助手を務めた。1935年に同研究所研究員となり、「朱子経説の淵源」の題目で研究を進めた。 1941年、京城帝国大学法文学部助教授として赴任。当地で朝鮮儒学に関心を抱いた。李退渓と闇書の思想的血縁関係について著した専門書をまとめたものの、公刊直前に敗戦となり、原稿ともども失う。