木島 日出夫(きじま ひでお、1946年9月5日 - )は、… 木島 日出夫(きじま ひでお、1946年9月5日 - )は、日本の政治家、弁護士。栃木県鹿沼市出身、栃木県立宇都宮高等学校卒業、東京大学法学部中退。
栃木県:155人
木島 日出夫(きじま ひでお、1946年9月5日 - )は、… 木島 日出夫(きじま ひでお、1946年9月5日 - )は、日本の政治家、弁護士。栃木県鹿沼市出身、栃木県立宇都宮高等学校卒業、東京大学法学部中退。
眞杉 瑞夫(真杉、ますぎ みつお、1946年〈昭和21年〉5… 眞杉 瑞夫(真杉、ますぎ みつお、1946年〈昭和21年〉5月15日 - )は、日本の政治家。元栃木県日光市長(1期)。 栃木県芳賀郡茂木町に生まれる。生後間もなく日光市に移る。栃木県立鹿沼高等学校卒。大学受験に失敗し、浪人生活を余儀なくされ大学への再受験に挑むも、母から「日光に残ってほしい」と言われ、進学を断念し、1966年日光市役所に入る。市役所では財政課長などを経て、2002年(平成14年)4月収入役に就任する。 収入役に就任して間もない2002年6月3日、日光市長の齋藤隆男が死去する。収入役に就任して間もない眞杉はそれに伴う市長選挙に立候補することを表明。7月の市長選挙で初当選する。在職中に市内の世界遺産に指定された文化財や自然遺産を保護するため、文化財周辺での歩きたばこや市内全域で吸い殻などのポイ捨てを禁止する「日光市環境美化都市条例」を制定、奥日光の湿原(戦場ケ原、小田代原、湯ノ湖、湯川)がラムサール条約に登録された。
真瀬 宏子(ませ ひろこ、1946年1月12日 - )は、日… 真瀬 宏子(ませ ひろこ、1946年1月12日 - )は、日本の政治家、洋画家、教員。栃木県野木町長(5期)。栃木県初の女性首長である。 栃木県那須郡烏山町(現・那須烏山市)生まれ。5歳より宇都宮市で育った。宇都宮大学教育学部附属小学校、宇都宮大学教育学部附属中学校、栃木県立宇都宮女子高等学校卒業。1968年(昭和43年)3月、東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。同年に安宅賞を受賞した。1974年(昭和49年)、東京芸術大学大学院修士課程修了。 1975年(昭和50年)より県立高等学校美術科の教師の職に就く。また洋画家としてこれまでに個展を30回開催した。2002年(平成14年)12月、土曜美術社出版販売から共作で絵本を出版。
梶 克之(かじ かつゆき、1944年(昭和19年)12月22… 梶 克之(かじ かつゆき、1944年(昭和19年)12月22日 - 2023年(令和5年)5月7日)は、日本の政治家。栃木県宇都宮市旭町出身。元栃木県議会議長で、元県議会議員(宇都宮市・上三川町選挙区選出、8期)。
小林 守(こばやし まもる、1944年10月26日 - 20… 小林 守(こばやし まもる、1944年10月26日 - 2023年1月17日)は、日本の政治家。位階は従四位。 衆議院議員(4期)、栃木県議会議員(2期)、自治政務次官(村山内閣)、衆議院環境委員長、市教育委員会教育長、立憲民主党栃木県連常任顧問を歴任した。 栃木県鹿沼市出身。1969年、東京教育大学文学部史学科卒業。卒業後、鹿沼市役所に奉職。人事係長などを務める。 1984年に市役所を退職し、栃木県議会議員選挙に立候補して初当選。以後2期連続当選。 1990年に行われた第38回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧栃木1区より立候補し当選。以後4期連続当選を果たす。 1994年に成立した村山内閣では自治政務次官を務めた。
栗川 仁(くりかわ じん、1944年(昭和19年)1月9日 … 栗川 仁(くりかわ じん、1944年(昭和19年)1月9日 - 2011年(平成23年)12月4日)は、日本の政治家。黒磯市長を1期、那須塩原市長を2期務めた。 1962年(昭和37年)3月、栃木県立那須農業高等学校(現栃木県立那須拓陽高等学校)卒業。1983年(昭和58年)4月の黒磯市議会議員選挙で初当選し、2003年(平成15年)まで市議会議員を5期務めた。この間、1995年(平成7年)5月から1997年(平成9年)5月まで、2001年(平成13年)4月から2002年(平成14年)12月まで市議会議長を務めた。 2003年(平成15年)2月9日に実施された黒磯市長選挙では無所属で立候補し渡辺喜美衆議院議員の黒磯後援会長で自民党の推薦を受けた候補者などを破り初当選を果たした。
阿久津 憲二(あくつ けんじ、1943年(昭和18年)3月1… 阿久津 憲二(あくつ けんじ、1943年(昭和18年)3月12日 - )は、日本の政治家。 栃木県那須塩原市長(1期)、栃木県議会議長(第94代)、栃木県議会議員(6期)、黒磯市議会議員(2期)を務めた。 栃木県出身。栃木県立黒磯高等学校卒業。黒磯市議会議員を2期務めた後、1991年の栃木県議会議員選挙に黒磯市選挙区(定数1)から出馬し、当選。以後、2012年1月まで県議を6期21年間務める(2007年の県議選以降は那須塩原市・那須町選挙区(定数4)から出馬)。2006年3月から第94代栃木県議会議長(~2007年4月)、2008年3月から栃木県議会会派の自由民主党議員会の会長を務めた(2010年6月に自由民主党離党(後述)に伴い退任)。
前場 文夫(ぜんば ふみお、1943年(昭和18年)3月3日… 前場 文夫(ぜんば ふみお、1943年(昭和18年)3月3日 - )は、日本の政治家。前・茨城県結城市長(2期)、元・結城市議会議員(7期)。 出身地は不明(茨城県か栃木県)。栃木県立栃木高等学校卒業。日本大学経済学部中退。1983年(昭和58年)4月に結城市議会議員に就任。以後市議を7期務める。 2000年(平成12年)8月から2003年(平成15年)4月までの間、結城市議会議長を務めた。 2011年(平成23年)8月7日に行われた結城市長選挙に無所属で立候補。自由民主党とみんなの党の推薦を受けた司法書士の小林栄を128票差で破り初当選した(前場:10,817票、小林:10,689票)。投票率は51.21%。
西川 公也(にしかわ こうや、1942年〈昭和17年〉12月… 西川 公也(にしかわ こうや、1942年〈昭和17年〉12月26日 - )は、日本の政治家。 栃木県議会議員(5期)、栃木県議会議長(第81代)、衆議院議員(6期)。内閣府副大臣、衆議院農林水産委員長、農林水産大臣(第55・56代)、衆議院環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員長(初代)、自民党たばこ議員連盟副会長、自由民主党幹事長特別参与、内閣官房参与を歴任した。 栃木県塩谷郡氏家町(現・さくら市)生まれ。栃木県立宇都宮高等学校、東京農工大学農学部農業生産工学科卒業。東京農工大学大学院修士課程修了。1967年、栃木県庁に入庁。 1979年、栃木県議会議員選挙に出馬し、初当選した。 1993年から1994年まで県議会議長を務めた。
福田 武隼(ふくだ たけとし、1942年(昭和17年)3月1… 福田 武隼(ふくだ たけとし、1942年(昭和17年)3月11日 - 2016年(平成28年)9月16日)は、日本の政治家。医師。栃木県真岡市長(2期)。 東京府東京市板橋区生まれ。栃木県立真岡高等学校、千葉大学医学部卒。1975年に真岡市に福田胃腸科医院を開院。翌年、真岡胃腸病院と名称を変更。1989年に福田記念病院と改称した。2001年に真岡市長に当選。2005年に再選。2009年に退任した。2013年、旭日双光章を受章。2016年死去。叙従五位。
神田 厚(かんだ あつし、1941年5月11日 - 2008… 神田 厚(かんだ あつし、1941年5月11日 - 2008年2月22日)は、日本の政治家。勲章は正四位旭日重光章。防衛庁長官(第55代)、民社党国会対策委員長、衆議院議員(8期)を歴任した。父は衆議院議員を務めた神田大作。 1941年(昭和16年)栃木県芳賀郡益子町生まれ。栃木県立真岡高等学校、1966年(昭和41年)早稲田大学文学部を卒業した。早大を卒業した後に、駒込学園高等学校教諭、栃木自動車整備専門学校教員、父・神田大作衆議院議員秘書を経て、1976年(昭和51年)12月の第34回衆議院議員総選挙に旧栃木県第2区から民社党公認で出馬し、初当選を果たした。民社党の同期当選に大内啓伍、中野寛成、米沢隆がいる。
岡部 正英(おかべ まさひで、1938年〈昭和13年〉9月2… 岡部 正英(おかべ まさひで、1938年〈昭和13年〉9月22日 - 2025年〈令和7年〉10月9日)は、日本の政治家。元栃木県佐野市長(4期)、元栃木県議会議員、元佐野市議会議員。 栃木県佐野市生まれ。学生時代陸上競技中長距離走者として活躍、1500メートル競走高校日本記録を樹立。佐野市立城東中学校、栃木県立佐野高等学校卒業。佐野市議会議員、栃木県議会議員を歴任。 2005年(平成17年)2月28日、旧佐野市と安蘇郡田沼町・葛生町が新設合併し、新市制の佐野市が誕生。合併に伴い同年4月17日に行われた市長選挙に立候補し、旧佐野市長の飯塚昭吉、元市議の金子裕を破り初当選した。 全国生涯学習市町村協議会会長、栃木県市長会副会長、社団法人栃木県水道協会会長、栃木陸上競技協会副会長などを務めた。
福田 弘平(ふくだ こうへい、1937年4月23日 - 20… 福田 弘平(ふくだ こうへい、1937年4月23日 - 2013年1月19日)は、日本の政治家。和紙職人。烏山町長を1期務めた。 1937年(昭和12年)、栃木県那須郡烏山町(現那須烏山市)の和紙職人の家に生まれる。大学を中退して全国の和紙産地で3年間修業した後、家業を継ぐ。1965年(昭和40年)、福長押絵を創設。1982年(昭和57年)、合名会社福田製紙所の代表社員に就任。和紙業者の廃業が続出する中、色付き和紙を用いた押絵を開発するなど和紙の再興に力を注いだ。 2002年(平成14年)4月14日、烏山町長選挙で当選。2005年(平成17年)10月1日、烏山町が那須郡南那須町と新設合併して那須烏山市が発足したことに伴い町長を失職した。
稲村 利幸(いなむら としゆき、1935年10月29日 - … 稲村 利幸(いなむら としゆき、1935年10月29日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(8期)。 栃木県足利市出身。1954年、栃木県立足利高等学校卒業。 高校時代から政治家を志し、旧栃木2区選出の自由民主党衆議院議員小平久雄の事務所などに出入りする。1958年、学習院大学政経学部政治学科卒業。 政界に人脈を広げるために雄弁会に入会しようと考え、早稲田大学政治経済学部経済学科に学士入学。1961年、早稲田大学政治経済学部卒業。早大在学中、三木武夫の秘書として活動。大学卒業後、小平の秘書となる。 1963年、第30回衆議院議員総選挙に旧栃木2区から自由民主党公認で立候補し落選。
蓮実 進(はすみ すすむ、1933年2月12日 - )は、日… 蓮実 進(はすみ すすむ、1933年2月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(当選4回)。 栃木県那須郡那須町に七人兄弟の五男として生まれる。栃木県立大田原高等学校、明治大学政治経済学部を卒業する。 作新学院の経営者・船田中の秘書として25年間勤める。また、1978年の江川事件にも関わった。 1983年、栃木県選挙区の参議院議員補欠選挙に立候補するも落選。以降、衆議院議員総選挙に旧栃木1区より2回出馬するが、いずれも落選。 1993年、第40回衆議院議員総選挙で旧栃木1区から初当選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の第41回衆議院議員総選挙では、栃木3区の党公認をめぐって新人の渡辺喜美と激しく争ったが、最終的には比例代表に回り、2期目の当選を果たす。
小西 栄造(榮造、こにし えいぞう、1931年(昭和6年)1… 小西 栄造(榮造、こにし えいぞう、1931年(昭和6年)12月11日 - 2023年(令和5年)3月15日)は、日本の政治家。元茨城県結城市長(3期)。位階は従五位。旭日双光章。 現在の茨城県結城市出身。栃木県立栃木高等学校卒。小西栄次郎商店に入社し、同社常務を経て、社長となる。商号を「小西」に改称し、社長に留まる。ほか、結城信用金庫理事、結城商工会議所会頭、結城市観光協会会長に就任。 2003年の結城市長選挙に立候補し、初当選。2007年の市長選挙で再選。市長は2011年まで務めた。2023年死去。
寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は… 寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は、日本の実業家、政治家。 野村證券副社長、ローンスタージャパン会長、東京スター銀行会長、多数国間投資保証機関長官(初代)、参議院議員(1期)、経済企画庁長官(第49代)、参議院外務委員長等を歴任した。 栃木県佐野市生まれ。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業。 大学卒業後、野村證券に入社。入社後、フルブライト奨学生としてアメリカ合衆国ペンシルベニア大学大学院に留学し、ウォートン・スクールで経営学修士(MBA)を取得した。帰国後、野村證券外国部次長を経て、1968年にニューヨーク支店長に就任。翌1969年、ニューヨーク支店は現地法人格を有する米国野村證券(Nomura Securities International Inc.)に再編され、寺澤は同社の初代代表取締役社長に就任した。
寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は… 寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は、日本の実業家、政治家。
小林 武夫(こばやし たけお、1931年(昭和6年)6月22… 小林 武夫(こばやし たけお、1931年(昭和6年)6月22日 - )は、日本の政治家。元栃木県小山市長(1期)。元栃木県議会議員(2期)。 栃木県下都賀郡小山町(現・小山市)出身。1949年、栃木県立栃木農業高等学校卒。1963年、小山市議会議員に初当選し、3期務める。1975年から栃木県議会議員を2期務めた(無所属→自由民主党)。1984年、小山市長の栗田政夫は病気のため辞任。小林は市長選挙に立候補し、当選する。1988年、市内の中学校の建設に関わる贈収賄事件で逮捕され、6月に市長を辞任した。同年10月宇都宮地裁で懲役2年、執行猶予4年、追徴金300万円の有罪判決を受けた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
上野 雄文(うえの ゆうぶん、1927年11月1日 - 19… 上野 雄文(うえの ゆうぶん、1927年11月1日 - 1997年8月7日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、日本社会党)。 栃木県宇都宮市出身。旧制大田原中学校(現・栃木県立大田原高等学校)卒業。専修大学短期大学部法律実務科卒業。1945年12月に栃木県庁に入り1963年2月末まで在籍した。その後は、県職員労働組合の役員を務める。1967年の栃木県議会議員選挙に宇都宮市選挙区から日本社会党公認で立候補して、初当選を果たした。その後連続4期務めた。 1982年10月7日に栃木県知事選挙に立候補し、県議を失職した。社会党推薦を得たが、自民、公明、民社、新自由クラブが推薦する現職の船田譲に敗れた。
福田 儀(ふくだ ただし、1927年9月5日 - )は日本の… 福田 儀(ふくだ ただし、1927年9月5日 - )は日本の政治家。今市市長(1期)。 栃木県今市市(現・日光市)出身。栗山村教育長を経て、1974年5月の栃木県議会議員補欠選挙に今市市選挙区から自由民主党公認で立候補して、初当選を果たした。その後、1975年、1979年、1983年にも当選した。また、1985年3月から1986年3月まで第77代同副議長を務めた。同年4月6日に辞職した。 任期満了に伴う今市市長選挙に立候補して、4選を目指した斎藤昭男を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) しかし1987年2月25日、市長選に絡んでその前に東武建設社長らに学校建設受注を約束して見返りに2835万円の賄賂を受け取ったとして事前収賄罪容疑で逮捕された。
安田 範(やすだ はん、1927年2月22日 - 2019年… 安田 範(やすだ はん、1927年2月22日 - 2019年11月5日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。位階は従五位。 栃木県宇都宮市出身。1947年早稲田大学専門部法律科卒。同年栃木県庁に入り、地方労働委員会勤務。1951年に退職。1954年社会党に入党。1960年から1年間広瀬秀吉の秘書を務めた。1963年から宇都宮市議を3期、1975年から栃木県議を4期務めた。1990年の総選挙で旧栃木1区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。のちに2002年から2010年まで栃木県遊技業協同組合理事長を務めた。 2019年11月5日、死去。92歳没。死没日をもって従五位叙位、旭日小綬章追贈。
武藤 山治(むとう さんじ、1925年7月8日 - 2001… 武藤 山治(むとう さんじ、1925年7月8日 - 2001年5月29日)は、日本の政治家。位階は正三位。日本社会党衆議院議員。 栃木県足利市出身。青年時代は勤労学生で、衆議院議員・金子益太郎の秘書をしながら早稲田大学政経学部を卒業する。その後、同大の大学院に進むが、1952年に大学院を中退して群馬県立館林女子高等学校の教員に就職。1955年、栃木県県議会議員に当選して2期務めたあと1960年の第29回衆議院議員総選挙で初当選を果たし、通算10期務めた。この間1977年に党政審会長、1986年に党副委員長、1988年に党代議士会会長を歴任した。一方で党内右派の政権構想研究会代表を務め、1981年に行われた日本社会党委員長選挙では飛鳥田一雄委員長の対抗馬として立候補し、落選。
増山 道保(ますやま みちほ、1924年(大正13年)11月… 増山 道保(ますやま みちほ、1924年(大正13年)11月21日 - 1999年(平成11年)9月14日)は、日本の政治家。宇都宮市長(5期)、栃木県議会議員(3期)、宇都宮市議会議員(1期)などを歴任した。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 栃木県宇都宮市塙田町出身。父・村字(むらじ)は、有限会社増山貨物(現・増山貨物自動車株式会社)の創業者で、8人きょうだい(6男2女)の3番目の男子として出生した。他の兄弟が宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)へ進んだのに対し、最初から家業を継ぐつもりだったので、宇都宮商業学校(現栃木県立宇都宮商業高等学校)へ進学・卒業し、1944年に巣鴨経済専門学校(現千葉商科大学)を卒業した。
岩崎 純三(岩﨑 純三、いわさき じゅんぞう、1924年(大… 岩崎 純三(岩﨑 純三、いわさき じゅんぞう、1924年(大正13年)5月5日 - 2004年(平成16年)7月10日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。栃木県真岡市長、参議院議員(自由民主党所属)、総務庁長官を歴任した。 栃木県真岡町(現:真岡市)出身。日本大学法文学部政治経済学科卒業。 1951年、真岡町議会議員に当選。1958年の第28回衆議院議員総選挙と1960年の第29回衆議院議員総選挙では栃木2区から自由民主党公認で立候補したが落選した。1962年に栃木県真岡市長に当選。当時、38歳の全国最年少市長だった。1977年まで4期15年務めた。その間、工業団地の造成、神戸製鋼の誘致などに努め、地元発展の基礎を作った。
鈴木 乙一郎(すずき おといちろう、1924年(大正13年)… 鈴木 乙一郎(すずき おといちろう、1924年(大正13年)3月20日 - 2012年(平成24年)1月3日)は、日本の政治家。1987年から2003年まで旧栃木市長を務めた。栃木市名誉市民。 1924年(大正13年)3月、栃木県下都賀郡豊田村小宅(現小山市小宅)の農家の長男として生まれる。小学校を卒業した1937年(昭和12年)、東京浅草の麻問屋に修業に行く。鈴木が語ったところによると修業先の麻問屋は厳しい家だったというが、この修業時代に培ったマナーや人脈は後に事業を興した際に役立ったという。また当時、将来に備えて夜学にも通っており、睡眠時間2,3時間、休みは月1日のみの生活が続いたという。 1941年(昭和16年)、徴用の知らせを受け愛知県豊川の火薬工場に配属されたが、同年12月に開戦の知らせを聞き、軍への入隊を志願。
福田 武(ふくだ たけし、1921年〈大正10年〉6月5日 … 福田 武(ふくだ たけし、1921年〈大正10年〉6月5日 - )は、日本の政治家。元栃木県鹿沼市長(2期)。 栃木県出身。旧制宇都宮中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)、慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学経済学部卒。卒業後は陸軍に入隊する。 戦後は地元で肥料商を始め、鹿沼相互信用金庫に入り、理事長、会長となる。ほか、鹿沼商工会議所会頭、栃木県信用金庫協会会長、全国信用金庫協会理事などを歴任する。 1992年(平成4年)鹿沼市長稲川武が2回目の当選を決めた直後に急逝したために行われた市長選挙に立候補し、対立候補に大差を付け、当選。1996年(平成8年)に再選。2000年(平成12年)に三選を目指したが、元鹿沼市議会議長の阿部和夫に敗れた。
中里 精(なかざと せい、1917年(大正6年)3月30日 … 中里 精(なかざと せい、1917年(大正6年)3月30日 - 2000年(平成12年)12月30日)は、日本の政治家。栃木県真岡市長(1期)。 栃木県芳賀郡山前村(のち真岡町、現・真岡市)出身。山前農業協同組合長、山前村議会議員を経て、合併後の真岡町議会議員、市政施行後の真岡市議会議員、同議長を務め、真岡市長岩崎純三の下で助役を15年務めた。1977年、岩崎の退任により、真岡市長に就任、市長を1期務めた。1981年に市長を退任した。2000年に死去した。
藤尾 正行(ふじお まさゆき、1917年〈大正6年〉1月1日… 藤尾 正行(ふじお まさゆき、1917年〈大正6年〉1月1日 - 2006年〈平成18年〉10月22日)は、日本の政治家。位階勲等は正三位勲一等。 衆議院議員(11期)、文部大臣(第109代)、労働大臣(第43代)、自由民主党政務調査会長(第31代)を歴任した。 東京生まれ。関東大震災で家が焼失したことから、移住先の神戸で少年時代を過ごす。教員への暴力事件で旧制神戸第一中学校を放校処分になった後、明治大学予科に進むが、ここでも教員への暴力により中退。応召し、2年間の兵役に従事して病気除隊後、上智大学文学部新聞学科卒業。 読売新聞社記者を経て、河野一郎に見出され1963年の第30回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧栃木2区から出馬し、初当選した(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・西岡武夫らがいる)。
猪瀬 征次郎(いのせ まさじろう、1914年(大正3年)3月… 猪瀬 征次郎(いのせ まさじろう、1914年(大正3年)3月12日 - 2002年(平成14年)8月4日)は、昭和から平成時代の政治家。栃木県今市市長。 栃木県出身。旧制今市中学校卒業。 1959年(昭和34年)から1964年(昭和39年)まで今市市議会議員、同年今市市長に初当選するも、任期途中の1966年(昭和41年)に辞任。1979年(昭和54年)再び同市議となり、1987年(昭和62年)当時の今市市長の福田儀が建設業者から賄賂を受け取ったとして事前収賄罪容疑で逮捕され、市長を辞職。出直し市長選挙に立候補し、市長に再選した。市長再選前は米穀商をしており、栃木県米穀商組合役員も務めていた。1991年(平成3年)落選した。
神田 大作(かんだ だいさく、1913年2月12日 - 19… 神田 大作(かんだ だいさく、1913年2月12日 - 1983年5月28日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(4期)。 栃木県芳賀郡益子町に生まれる。栃木県立真岡中学校を卒業。農民運動に携わり、1947年(昭和22年)から栃木県議会議員を2期務める。1955年(昭和30年)の第27回衆議院議員総選挙で旧栃木県第2区から立候補し当選。日本社会党栃木県連会長を務めた後、1960年(昭和35年)、同党を離党し民主社会党に参加。民社党では県連書記長を務めた。衆議院議員は通算4期当選、1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙に立候補せず引退。1983年(昭和58年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章。
栗田 英男(くりた ひでお、1912年(大正元年)12月20… 栗田 英男(くりた ひでお、1912年(大正元年)12月20日 - 1996年(平成8年)10月4日)は、日本の商人(肥料商)、実業家(東京毎夕新聞社主、鉱山経営者)、総会屋、衆議院議員、美術評論家(栗田美術館創設者)。中央大学法学部中退。 栃木県足利市の豪商出身。復員後の1946年第22回衆議院議員総選挙に、栃木県全県区から諸派扱いで初出馬したが落選。 翌1947年の第23回衆議院議員総選挙では、新設の旧栃木県第2区から民主党公認で立候補し、初当選。政界進出と同時に栗田政治経済研究所を設立した。 在職中、栗田の拠出した金が汚職に用いられた疑惑が持ち上がり、1948年の衆議院不当財産取引調査特別委員会で証人喚問された。
仁井田 一郎(にいだ いちろう 1912年(明治45年) -… 仁井田 一郎(にいだ いちろう 1912年(明治45年) - 1975年(昭和50年))は栃木県足利郡御厨町(現足利市)町議会議員・実業家・農業技術研究家。栃木県のイチゴ栽培技術を確立し、同県を日本有数のイチゴ生産地に発展させた。
小平 久雄(こだいら ひさお、1910年2月22日 - 19… 小平 久雄(こだいら ひさお、1910年2月22日 - 1998年8月12日)は、日本の政治家。位階は正三位。総理府総務長官・労働大臣・衆議院副議長。栃木県小山市名誉市民(1982年)。 栃木県下都賀郡石橋町(現下野市)に、初の公選栃木県知事を務めた小平重吉の長男として生まれる。1927年、旧制栃木県立栃木中学校を卒業。1934年、東京商科大学(のち一橋大学)を卒業後、三井鉱山勤務を経て、1939年に家業である「小平重工業」(のち小平産業)の常務取締役に就任。ほかグループ企業各社の役員を務める。 1947年、第23回衆議院議員総選挙に民主党から旧栃木2区にて立候補し当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘・増田甲子七・中山マサ・倉石忠雄・荒木万寿夫・松野頼三・石田博英・園田直・原田憲・櫻内義雄・根本龍太郎・佐々木秀世・中村寅太など)。
星野 仁十郎(ほしの にじゅうろう、1908年(明治41年)… 星野 仁十郎(ほしの にじゅうろう、1908年(明治41年)3月16日 - 1986年(昭和61年)7月22日)は、日本の政治家、アイスホッケー選手。栃木県(旧)日光市長を務めた。 日光町清滝水沢に生まれる。1942年(昭和12年)5月、日光町議会議員となる。その後、日光町の市制施行に伴い市議会議員となり1969年(昭和44年)7月まで議員を務めた。同年8月23日の日光市長選挙で当選。同月28日から1981年(昭和56年)8月27日まで市長を務めた。 市長在任中には前任者の佐々木耕郎と同様に観光施設の整備などに力を注いだ。さらに、清滝バイパスや霧降高原有料道路の開通など道路を整備することによる観光客増加を図った。
大橋 喜美(おおはし きみ、1905年(明治38年)1月29… 大橋 喜美(おおはし きみ、1905年(明治38年)1月29日 – 1999年(平成11年)6月1日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員(1期)。 栃木県鹿沼市出身。1925年、東京女子高等師範学校文科卒。島根県立浜田高等女学校、滋賀県大津市高等女学校の教員を経て、結婚により宮崎県延岡市に移る。夫の死後、故郷の鹿沼へ戻り、栃木県立鹿沼高等女学校講師になる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙では宮崎県から日向民主党公認で立候補して初当選した。当選後は国民協同党に入るが、翌1947年の第23回衆議院議員総選挙では宮崎1区から民主党公認で立候補したが落選。1949年の第24回衆議院議員総選挙では選挙区を栃木1区に移して立候補したが落選した。
田村 賢作(たむら けんさく、1904年7月5日 - 198… 田村 賢作(たむら けんさく、1904年7月5日 - 1989年1月11日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 栃木県下都賀郡国分寺町(現下野市)出身。栃木師範学校を卒業。小学校教員を経て、国民学校校長や県視学官などを歴任。1951年(昭和26年)から栃木県議会議員を4期務める。この間、1959年(昭和34年)5月から1960年(昭和35年)9月まで県議会副議長を、1964年(昭和39年)2月から1965年(昭和40年)3月まで県議会議長を務めた。1965年の第7回参議院議員通常選挙で栃木県選挙区から立候補して当選。参議院議員は1期務め、第2次佐藤第1次改造内閣では行政管理政務次官を務めている。
谷 邦夫(たに くにお、1904年5月12日 - 1991年… 谷 邦夫(たに くにお、1904年5月12日 - 1991年11月23日)は、日本の政治家、歌人。 本名は谷 国夫(たに くにお)。 栃木県那須郡湯津上村(現大田原市)佐良土に生まれる。1920年(大正9年)3月、宇都宮商業学校を卒業。家業の商店を継ぐ傍ら、歌誌『創作』に入会し若山牧水に師事した。後に吉植庄亮の『橄欖』に入会する。 1942年(昭和17年)4月、湯津上村議会議員に当選した。以後5回当選し、1951年(昭和26年)4月から村議会副議長を4年間、1965年(昭和40年)4月から村議会議長を2年間務めた。途中、1957年(昭和32年)12月には合併をめぐる対立から村議会議員を辞職している(後述)。
山口 好一(やまぐち こういち、1903年11月8日 - 1… 山口 好一(やまぐち こういち、1903年11月8日 - 1969年3月19日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(7期)。弁護士。 栃木県栃木町(現:栃木市)に生まれる。旧栃木中、旧制一高を経て、1927年東京帝国大学法学部法律学科(英法)卒。卒業後は栃木商業学校教諭となり、1935年に高等試験司法科試験に合格し、弁護士となった。この他明治大学、日本大学の各講師を務めた。 戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙において栃木県(全県1区)から日本自由党公認で立候補して初当選。以来当選7回。在職中は衆議院地方行政委員長、同懲罰委員長、同科学技術振興対策特別委員長、第3次吉田内閣法務政務次官などを歴任した。
矢野 登(やの のぼる、1903年8月25日 - 1993年… 矢野 登(やの のぼる、1903年8月25日 - 1993年4月17日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(2期、自由民主党)。 栃木県那須郡烏山町(現那須烏山市)出身。1921年栃木県立小瀬農学校卒。1938年三共日産自動車(株)を創立。ほか三共物産(株)、(株)東武宇都宮百貨店、日産プリンス栃木販売(株)を創立。代表取締役などに就任した。この他宇都宮商工会議所副会頭や栃木県石油協同組合理事長を歴任。1968年の第8回参議院議員通常選挙に栃木県選挙区から自由民主党公認で立候補して初当選。第2次田中内閣で通商産業政務次官を務めた。1974年7月の第10回参議院議員通常選挙で落選。同年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。
大貫 大八(おおぬき だいはち、1903年(明治36年)6月… 大貫 大八(おおぬき だいはち、1903年(明治36年)6月1日 – 1971年(昭和46年)7月22日)は、昭和期の弁護士、農民運動家、政治家。衆議院議員(1期)。 栃木県那須郡境村(烏山町境を経て現那須烏山市)で生まれる。弁護士の書生のかたわら下野中学校(現作新学院高等学校)を卒業。中央大学専門部法科に進学し、三輪寿壮弁護士事務所の書生をしながら1927年(昭和2年)に大学を卒業。高等試験司法科試験に合格し、1928年(昭和3年)宇都宮市で弁護士を開業した。 三輪の薫陶を受け日本労農党に入党し、1930年(昭和5年)宇都宮市会議員選挙(初回の普通選挙)で黒沢幸一と共に当選。労農大衆党栃木県連執行委員、栃木農民組合執行委員を務め、小作争議、労働争議を指導した。
国井 淳一(國井、くにい じゅんいち、1902年(明治35年… 国井 淳一(國井、くにい じゅんいち、1902年(明治35年)9月7日 – 1974年(昭和49年)10月29日)は、昭和期の詩人、農民運動家、政治家。参議院議員、栃木県那須郡親園村長。 栃木県那須郡親園村(現大田原市親園)出身。1924年(大正13年)東洋大学文化学科を卒業した。その後、上智大学哲学科を中退。 1925年(大正14年)本所キリスト教産業青年会内産業学院主事に就任。この頃、白鳥省吾に師事し、『日本詩人』、『地上楽園』、『詩神』、『北方詩人』などに農民詩を発表した。1934年(昭和9年)親園村長に就任し1期在任した。また、農民青年運動を指導し全国農村青年連盟委員長となった。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して次点であったが、膳桂之助が公職追放で当選を辞退したため当選者となり(補欠、任期3年)、国民民主党に所属し参議院議員に1期在任した。
横川 信夫(よこかわ のぶお、1901年8月1日 - 197… 横川 信夫(よこかわ のぶお、1901年8月1日 - 1975年11月10日)は、昭和期の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)、栃木県知事(公選第4-7代)。 栃木県宇都宮市の出身。宇都宮中学校、第二高等学校理科甲類を経て、1925年東京帝国大学農学部卒業、農林省に入省。青森営林局の技手を振り出しに林野畑を歩き、1939年満洲国林野局計画課長、1944年同林野総局林産課長、1945年東満総省林政庁長となる。 同年、ソ連軍の侵攻によりシベリアに抑留される。1948年に帰国。林野庁に入り、1950年に林野庁長官になる。 退官後の1953年の第3回参議院議員通常選挙全国区に自由党から出馬して当選する。
高瀬 伝(高瀬 傳、たかせ でん、1898年12月6日 - … 高瀬 伝(高瀬 傳、たかせ でん、1898年12月6日 - 1969年4月27日)は、日本の鉄道官僚、政治家。位階は従三位。労働政務次官、衆議院議員(7期)などを歴任した。 栃木県大田原市生まれ。第五高等学校、1923年東京帝国大学法学部政治科卒業。 1924年、鉄道省入省。同期に佐藤栄作(元内閣総理大臣)、山本利三郎(鉄道技術者)、小野哲(元千葉県知事)。東鉄旅客課長、国際観光局ニューヨーク事務所長、タイ国大使館一等書記官、鉄道監、終戦連絡中央事務局参与などを務める。 1946年の第22回衆議院議員総選挙栃木選挙区に日本社会党から立候補し、初当選。 1955年、第2次鳩山一郎内閣労働政務次官。
矢野 政男(やの まさお、1898年(明治31年)12月1日… 矢野 政男(やの まさお、1898年(明治31年)12月1日 – 1968年(昭和43年)10月11日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 栃木県那須郡烏山町(現那須烏山市)で、矢野留松の二男として生まれる。1916年(大正5年)栃木県立烏山中学校(のち栃木県立烏山高等学校)を卒業した。 1928年(昭和3年)烏山町で矢野自動車商会を設立し、事業の成長に伴い東野自動車株式会社に改組して宇都宮市に進出した。その他、栃木県中央貨物自動車取締役社長、宇都宮自動車取締役社長、芳南交通取締役社長、両毛酸素取締役社長、三共工業取締役社長、茨城県日産自動車販売取締役社長、東野鉄道(のち東野交通)取締役社長、那須高原開発取締役社長、金桝商会取締役社長、東野観光取締役社長、北関運輸取締役社長、東武宇都宮百貨店会長、三共石油会長などを務めた。
金子 益太郎(かねこ ますたろう、1897年(明治30年)7… 金子 益太郎(かねこ ますたろう、1897年(明治30年)7月7日 - 1983年(昭和58年)10月6日)は、大正から昭和期の農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員(2期)、栃木県栃木市長。幼名は亀吉で、35歳の時に益太郎と改名した。 栃木県下都賀郡栃木町入舟町(現栃木市入舟町)で、染物屋・金子忠吉(ただよし)の二男として生まれる。1912年(明治45年)3月、栃木町立第一尋常高等小学校高等科を卒業した。 その後上京し、働きながら独学し、山室軍平の導きでキリスト教に入信。雑司ヶ谷で小間物屋を開業したが、労働農民運動に加わった。1926年(大正15年)日本労農党に入党。 1929年(昭和4年)に帰郷して栃木県下の労農運動を大屋政夫、石山寅吉らと指導した。
田中 利勝(たなか としかつ、1897年(明治30年)3月1… 田中 利勝(たなか としかつ、1897年(明治30年)3月12日 - 1961年(昭和36年)11月2日)は、日本の社会運動家、政治家。参議院議員(1期)、衆議院議員(1期)。 栃木県上都賀郡足尾町(現日光市)で、田中秀助、サヨ夫妻の二男として生まれた。1911年、足尾尋常小学校卒業と同時に足尾銅山の坑夫となる。 1918年米騒動を契機に社会運動に関心を持ち、1919年、足尾銅山に結成された大日本鉱山労働同盟会に加わり役員に就任。同年11月、坑夫の待遇改善運動のため入獄し、1920年、東京控訴院で執行猶予の有罪判決を受けて足尾銅山を解雇された。同年9月、福島県安積郡郡山町に移り、郡山電気(後の東部電力)に入社。
青木 源吉(あおき げんきち、1897年(明治30年)3月7… 青木 源吉(あおき げんきち、1897年(明治30年)3月7日 - 1973年(昭和48年)1月27日)は、日本の政治家。栃木県今市市長、栃木県議会議員を務めた。 今市町室瀬に生まれる。今市尋常高等小学校を卒業。1929年(昭和4年)、今市町会議員に当選し、1947年(昭和22年)まで務める。1947年4月、今市町長選挙に立候補するが、現職の熊谷安正に敗れる。1948年(昭和23年)2月27日、熊谷が町長在任のまま死去。町長死去に伴う選挙は同年4月25日に行われ、無所属で立候補した青木が当選した。 町長在任中の1949年(昭和24年)に発生した今市地震では復興に努力した。1952年(昭和27年)4月23日の町長選挙では青木の他に立候補者がなく無投票で再選。
菊地 幸作(きくち こうさく、1896年(明治29年)6月2… 菊地 幸作(きくち こうさく、1896年(明治29年)6月20日 - 1984年(昭和59年)1月2日)は、日本の政治家。栃木県真岡市長(2期)。 真岡市出身。1912年、芳賀農林学校卒業。1920年、栃木県庁に入る。県庁内では秘書、商工各課長、知事官房主事などを務め、東京都繊維配給に転じ、経理総務各部長を歴任し、その後は栃木県監査委員、県人事委員会委員長などを務めた。1954年、合併による真岡町の町長選挙に立候補し、当選する。真岡町は同年10月に市制施行し、真岡市長となった。市長を2期務め、1967年に市長を退任した。ほか、栃木県土地改良事業団体連合会会長、穴川土地改良区連合会理事長を歴任した。
高柳 宰正(たかやなぎ さいしょう、1895年(明治28年)… 高柳 宰正(たかやなぎ さいしょう、1895年(明治28年)4月13日 - 1974年(昭和49年))は、日本の政治家。栃木県矢板市長を務めた。 矢板町針生に生まれる。旧制 大田原中学校 卒業(明治45年、第6回卒)。矢板町会議員、栃木県会議員を経て、1942年(昭和17年)に矢板町長に就任。町長は1945年(昭和20年)10月31日まで務めた。 1955年(昭和30年)2月、合併に伴う矢板町長選挙に立候補したが大島喜一郎に敗れた。その後、1959年(昭和34年)2月の矢板市長選挙で当選し、市長は1963年(昭和38年)2月16日まで務めた。市長在任中には、小学校の改築や道路整備などを行い市勢の発展に尽力した。