神田 草平(かんだ そうへい、1941年6月12日 - 20… 神田 草平(かんだ そうへい、1941年6月12日 - 2023年5月29日)は、日本の実業家。CKD元社長、一般社団法人日本フルードパワー工業会(JFPA)元中部支部長。 1941年の生まれ。山口県下松市の出身である。山口県立徳山高等学校卒業。1964年3月に山口大学経済学部を卒業。同年4月にCKDに入社、後に同社代表取締役社長になる。2005年6月に同社相談役に就任した。2010年6月12日退職。東海山口県人会会長である。 2023年5月29日、誤嚥性肺炎のため死去。81歳没。 中国江蘇省無錫市の市内に無錫市機械資産経営有限公司との合弁で「無錫喜開理気動工業有限公司」を運営していたが、今後の中国市場の発展拡大に伴う生産対応及び世界市場への積極的な販売促進を目的に、グローバルな生産拠点が不可欠と考え、中国江蘇省無錫市の無錫国家新技術産業開発区(工業新区)の新会社の設立に携わった。
吉川征治( よしかわ せいじ、1940年12月12日 - )… 吉川征治( よしかわ せいじ、1940年12月12日 - )は、日本の実業家。エックスネットの創業者、初代社長である。 1940年生まれ。山口県の出身である。1959年3月に山口県立山口高等学校を卒業。1963年3月に山口大学工学部を卒業。同年4月に宇部興産に入社。1971年4月に野村総合研究所に入社、1986年4月に野村證券に移り株式開発室長等を歴任した。1991年6月、機関投資家向けに有価証券管理システムを提供するエックスネットを設立し、社長に就任した。また、2004年12月に日本ユニシスと共に合弁会社UXを設立し、2005年から事業活動を開始した。
矢野 龍(やの りゅう、1940年11月12日 - )は、日… 矢野 龍(やの りゅう、1940年11月12日 - )は、日本の実業家。住友林業代表取締役社長、同社代表取締役会長を経て、同社最高顧問、都市緑化機構会長。元日本木造住宅産業協会会長。 満洲国生まれ。父は第二次世界大戦で戦死し、日本の降伏後母や妹2人と山口県美祢郡に引き揚げ、水車小屋に寝泊まりするなど貧しい生活を送った。山口県立厚狭高等学校を経て、1963年北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部米英学科卒業。 大学卒業後は駐在員枠で住友林業に入社し、シアトル出張所で山林の買い付けなどに従事したのち、1988年取締役海外第一部長に昇格。1992年常務取締役。1995年代表取締役専務取締役。 1999年から住友林業代表取締役社長を務め、2010年からは同社代表取締役会長を務めた。
和田 紀夫(わだ のりお、1940年8月16日 - )は、日… 和田 紀夫(わだ のりお、1940年8月16日 - )は、日本の実業家。第5代日本電信電話(NTT)代表取締役社長。現、同社相談役、日本棋院理事長。
渡辺 一秀(わたなべ かずひで、1940年4月14日 - )… 渡辺 一秀(わたなべ かずひで、1940年4月14日 - )は、日本の実業家。マツダ代表取締役会長や、日本自動車工業会副会長、中国経済連合会副会長などを務めた。 山口県出身。山口県立山口高等学校を経て、1964年大阪市立大学法学部卒業、マツダ入社。1992年取締役に昇格。1997年常務取締役。1998年専務取締役。1999年代表取締役副会長。 2000年からマツダ代表取締役会長を務め、経営不振が続く中で人員削減などにあたった。2006年相談役。2008年中国電力監査役。日本自動車工業会副会長、中国経済連合会副会長、広島商工会議所副会頭、マツダ財団理事長、中国実業団陸上競技連盟会長なども歴任した。
山本 博巳(やまもと ひろみ、1940年2月20日 - 20… 山本 博巳(やまもと ひろみ、1940年2月20日 - 2021年11月2日)は、日本の実業家。日立物流名誉相談役、元社長。世界貿易センタービルディング役員。 山口県山口市出身。1962年に山口大学経済学部卒業。同年、日立物流に入社。同社取締役、同社常務などを経て1998年6月、同社専務取締役。2003年2月、同社長。同社名誉相談役山口大学理事及び同大経済学部鳳陽会理事長。世界貿易センタービルディングの役員だった。 2021年11月2日、病気のため死去。81歳没。 時代の最先端サービスである「システム物流」を強力に進める。社長に就任した際、トップとして企業の未来を見据えると同時に、自ら交渉の現場へ奔走。
貞末 良雄(さだすえ よしお、1940年 - )は、日本の実… 貞末 良雄(さだすえ よしお、1940年 - )は、日本の実業家。メーカーズシャツ鎌倉株式会社創業者・取締役会長。 山口県柳井市生まれ。父が広島県で呉服屋を営んでいたため中学校から広島に移り、広島県立広島国泰寺高等学校を経て、現役で広島大学に不合格となり、大学受験浪人生活を送ったが、東京大学や東京工業大学の受験には失敗し、1964年千葉工業大学工学部電気工学科卒業。高速道路の照明についての卒論を書き、大学卒業後は和光電気研究室エンジニアを経て、1966年ヴァンヂャケット入社。同社統括部長などを務めたが、倒産により退社。その後、ヤオハンや数社のアパレル会社勤務を経て、1993年、53歳でメーカーズシャツ鎌倉設立。
梅崎 利秋(うめざき としあき、1936年9月2日 - 20… 梅崎 利秋(うめざき としあき、1936年9月2日 - 2018年12月31日)は、日本の実業家。新京成電鉄第7代代表取締役社長。 1936年9月2日、山口県下関市生まれ。1955年山口県立豊浦高等学校、1960年法政大学法学部政治学科卒業。 1961年京成電鉄入社。主に経理畑を歩み、同社取締役関連事業部長、常務取締役、専務取締役等を経て、2000年新京成電鉄代表取締役社長となり京成電鉄取締役を兼ねる。2006年新京成電鉄代表取締役会長、2008年相談役。2014年旭日中綬章受章。2018年12月31日、肺癌のため死去、82歳。叙正五位。
十時 啓視(ととき けいし、1936年4月25日 - 200… 十時 啓視(ととき けいし、1936年4月25日 - 2001年9月27日)は、光写真印刷株式会社の元社長。プロ野球選手。引退後の姓は「惟村(これむら)」。 山口県岩国市出身。岩国高校では、1953年秋季中国大会準決勝に進むが、広島観音高に延長13回サヨナラ負け。翌1954年夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが、萩高に延長16回敗退、甲子園には出場できなかった。 卒業後、1955年に読売ジャイアンツに入団。1956年に一軍に上がり、8月から右翼手として16試合に先発出場。同年の西鉄との日本シリーズは4試合に出場し2四球を選ぶ。1957年の西鉄との日本シリーズでは第1戦、第4戦に代打で起用され連続安打。
中部 慶次郎(なかべ けいじろう、1933年2月23日 - … 中部 慶次郎(なかべ けいじろう、1933年2月23日 - 2007年9月17日)は、日本の実業家。マルハ(現・マルハニチロ)元会長、プロ野球球団・横浜ベイスターズ元オーナー。山口県下関市出身。 1955年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に大洋漁業に入社。 1987年4月に副社長に就任し、1989年6月には社長に昇格。2002年3月には会長に退いた。社長在任時には、同族会社からの脱皮と総合食品企業への切り替えといった近代化を推し進めた。 1990年から2002年までに横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズのオーナーを務めた。
伊藤 豊章(いとう とよあき、1932年1月15日 - 20… 伊藤 豊章(いとう とよあき、1932年1月15日 - 2001年11月6日)は、日本の経営者。NTN社長を務めた。山口県萩市出身。 1956年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年に東洋ベアリング製造(のちのNTN)に入社。 1987年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1994年4月に専務を経て、1995年6月には社長に就任。 1999年11月に藍綬褒章を受章。 2001年11月6日冠不全のために在任中に死去。70歳没。
藤野 清(ふじの きよし、1931年〈昭和6年〉 - )は、… 藤野 清(ふじの きよし、1931年〈昭和6年〉 - )は、日本の実業家、技術コンサルタントである。元宇部興産(現・UBE)専務取締役。 1931年(昭和6年)、山口県宇部市に生まれる。 終戦間近の1944年(昭和19年)、広島県広島市の広島陸軍幼年学校へ入校するが、翌1945年(昭和20年)6月に阿南惟幾陸軍大臣(当時)の命を受けて広島から疎開し、2ヶ月後の広島市への原子爆弾投下による被爆を免れた。藤野はこれを「お前たちは敗戦後の日本の復興に努力せよ」との遺言と受け止めている。 終戦後、九州大学工学部機械工学科へ進学し、1953年(昭和28年)に卒業。同年宇部興産に入社し、同社機械部門に配属される。
津田 尚二(つだ しょうじ、1930年10月26日 - 20… 津田 尚二(つだ しょうじ、1930年10月26日 - 2013年7月24日 )は、日本の経営者。三越社長を務めた。 山口県山口市出身。1954年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に三越に入社。1981年2月に取締役に就任し、1985年2月に常務、1988年5月に専務を経て、1995年5月に社長に就任。1998年1月取締役相談役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松野 浩二(まつの こうじ、1930年10月20日 - 20… 松野 浩二(まつの こうじ、1930年10月20日 - 2023年5月25日)は、日本の経営者である。日立金属元社長。 山口県防府市出身。旧制防府中学校(現・山口県立防府高等学校)を卒業。山口大学経済学部卒業(第一期生)後、日立金属に入社。その後、同社の2代目代表取締役社長に就任。 1990年に藍綬褒章、2001年に勲三等旭日中綬章を受章。 2023年5月25日、脳梗塞のため死去。92歳没。
原野 和夫(はらの かずお、1928年1月9日 - 2019… 原野 和夫(はらの かずお、1928年1月9日 - 2019年11月9日)は、日本の実業家、時事通信社元社長、パシフィック・リーグ元会長。 山口県山口市出身。1950年に東京大学農学部を卒業し、時事通信社に入社。那覇特派員、海外部長、編集局長などを歴任し、1978年6月に取締役に就任し、1980年6月に代表取締役を経て、1984年6月から1990年6月まで社長を務めた。1986年にはフランスのレジオン・ドヌール勲章を受章した。 1991年1月にパシフィック・リーグ会長に就任。2000年12月に退任するまでの間、伊良部秀輝のメジャーリーグ挑戦やイチローのポスティングシステム採用(日本初)があり、1997年には観客動員1000万人突破を成し遂げた。
吉田 正樹(よしだ まさき、1925年2月3日 - 1993… 吉田 正樹(よしだ まさき、1925年2月3日 - 1993年2月6日)は、日本の経営者。三菱油化(現在の三菱ケミカル)社長を務めた。山口県下関市出身。 1947年に九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に商工省に入省した。1963年4月に三菱油化に移り、1973年2月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年3月に社長に就任した。 1984年11月に藍綬褒章を受章した。 1993年2月6日肝不全のため死亡。68歳没。
河村 良彦(かわむら よしひこ、1924年9月21日 - 2… 河村 良彦(かわむら よしひこ、1924年9月21日 - 2010年1月12日)は、日本の実業家。住友銀行(現:三井住友銀行)常務取締役を経て、イトマン社長を務めた。 1924年、6人兄弟の末っ子として山口県に生まれる。山口商業学校(戦後の商業高等学校に相当する学校)を1942年に卒業して、住友銀行に「ノンキャリア」行員として入行した。 磯田一郎(後に住友銀行頭取)は、住友銀行専務取締役だった1972年に、ノンキャリア行員ながら既に頭角を現していた河村について、下記の趣旨を述べている。 住友銀行下関支店へ配属の後、召集され中国大陸での転戦を経て復員。大阪市内の営業店へ転勤となる傍ら、働きながら関西大学経営学部(夜間)に7年間通い、1953年に卒業した。
中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月19日 - 2… 中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月19日 - 2007年10月18日)は、日本の政治家秘書・プロ野球チーム経営者。山口県山口市出身。 旧制山口中学校では安倍晋太郎と同級生であり野球部で活動、一塁手としてプレーし、甲子園を目指した。最終学歴は中央大学法学部卒業。 同郷であり、安倍の岳父であった岸信介の秘書となり、岸の内閣総理大臣在任中には内閣総理大臣秘書官を務めた。 1969年の第32回衆議院議員総選挙で、岸の側近の1人である今松治郎の秘書だった森喜朗は自由民主党の公認を得られず、無所属新人として出馬する際、岸の応援を中村に懇願した。中村は森の要望を快諾した。森を応援するため、岸は多忙な合間を縫って石川県小松市に赴いた。
属 正(さっか ただし、1923年7月24日 - 2022年… 属 正(さっか ただし、1923年7月24日 - 2022年9月6日)は、日本の経営者。山口県下関市出身。 1952年に九州大学理学部化学科を卒業し、同年に西部ガスに入社。1979年6月に理事に就任し、福岡支店長、取締役、常務、専務、副社長を経て、1989年6月に社長に就任し、1993年6月には副会長に就任。1998年6月から相談役を務めた。 1993年から2004年までに九州生産性本部会長を務めた。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、2001年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2022年9月6日、老衰のため死去。99歳没。
鮎川 弥一(あゆかわ やいち、1923年6月1日 - 199… 鮎川 弥一(あゆかわ やいち、1923年6月1日 - 1991年11月30日)は、日本の実業家。テクノベンチャー創業者。 山口県出身。旧制成蹊高等学校、東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業。日本冷蔵(現・ニチレイ)に入社後、食品化学研究のためフルブライト留学生として渡米。マサチューセッツ工科大学大学院博士課程修了。日本人として戦後初の博士の称号を受ける。 帰国後は、食品会社クノールの元親会社で多国籍総合食品化学会社のCPC(現・Ingredion)に入社し、同社極東代表および同子会社・日本CPC会長に就任。また、父・鮎川義介が設立した中小企業助成会を再編し、1974年にテクノベンチャー株式会社として改称して、代表取締役社長に就任。
岩本 賢太郎(いわもと けんたろう、1923年5月31日 -… 岩本 賢太郎(いわもと けんたろう、1923年5月31日 - 2007年8月21日)は、日本の実業家。日本石油社長を務めた。 山口県下松市出身[要出典]。1951年に東京大学を卒業して、日本石油に入社した。 1977年より取締役勤労部長となり、1982年に常務を経て、1988年に社長に就任。1992年まで務めた。1974年から1976年まで、野球部の部長も経験している。 2007年8月21日、心不全により川崎市内の病院で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
多田 公煕(ただ こうき、1923年〈大正12年〉3月18日… 多田 公煕(ただ こうき、1923年〈大正12年〉3月18日 - 2019年〈平成31年〉3月13日)は、日本の実業家。元中国電力代表取締役社長、元中国経済連合会会長。位階は従三位。 山口県生まれ。旧制山口中学、旧制山口高等学校を経て、1947年(昭和22年)九州帝国大学法文学部卒業、同年中国配電入社。 1977年(昭和52年)中国電力株式会社取締役総合企画室第一企画室長、1979年(昭和54年)中国電力株式会社常務取締役、1981年(昭和56年)中国電力株式会社取締役副社長、1989年(平成元年)中国電力株式会社代表取締役社長、1995年(平成7年)中国電力株式会社代表取締役会長、同年中国経済連合会会長、2001年(平成13年)中国電力株式会社相談役。
山中 鏆(やまなか かん、1922年1月20日 - 1999… 山中 鏆(やまなか かん、1922年1月20日 - 1999年9月26日)は、山口県下関市出身の日本の実業家。伊勢丹専務から、松屋では副社長・社長・会長を歴任、経営危機に陥っていた同社の再建を果たした後、東武百貨店の社長・会長を歴任した。『ミスター百貨店』『百貨店経営の神様』『松屋中興の祖』とも称された。 1922年1月20日、山口県下関市で7人兄弟の長男として生まれる。名前の鏆は『康熙字典』に記載されている中国の漢字で、大倉土木(現・大成建設)で北洋軍閥向けの貿易を担当していた父親が、「鉄をも貫くような強い意志」との意味を込めて命名した。この仕事のため生後1年で満州の奉天に渡り、南満州鉄道附属地で暮らした。
高村 武人(たかむら たけと、1920年(大正9年)4月12… 高村 武人(たかむら たけと、1920年(大正9年)4月12日 - 1998年(平成10年)10月18日)は、日本の陸軍軍人、実業家。山口県柳井市生まれ。 小林よしのりの「新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論」(1998年初版)でその生い立ち、戦歴が紹介された。 1935年(昭和10年)4月1日、 東京陸軍幼年学校 第39期生として入学。第3学年在学中の1937年(昭和12年)、日中戦争(支那事変)が勃発し、繰上げで11月19日に卒業。同年12月1日に陸軍予科士官学校へ入学した。1940年(昭和40年)9月、陸軍士官学校 第54期卒業。 陸士卒業と同時に久留米第56師団(竜兵団)に所属し南方パラオに動員後、各地を転戦。
柳井 等(やない ひとし、1919年(大正8年)7月28日 … 柳井 等(やない ひとし、1919年(大正8年)7月28日 - 1999年(平成11年)2月6日)は、日本の実業家。ファーストリテイリングの前身・小郡商事の創業者。小郡商事会長。通産大臣を務めた政治家田中龍夫の後援会長。ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長柳井正の父。 山口県吉敷郡陶村(現山口市陶)出身の父・柳井周吉は牛馬商を営んでいた。等は11人兄弟姉妹の8男である。生家は貧しかった。高等小学校を卒業すると進学をあきらめ、京都で飲食業をやっていた兄を頼って、洋服屋の丁稚奉公をはじめた。 徴兵されて中国で8年ほど過ごしたあと、小郡に帰った。暫くは兄(長男)の家で過ごす。4番目の兄・政雄から小郡商事の繊維・洋服部門を任された。
松原 治(まつばら おさむ、1917年〈大正6年〉10月7日… 松原 治(まつばら おさむ、1917年〈大正6年〉10月7日 - 2012年〈平成24年〉1月3日)は、日本の実業家。紀伊國屋書店名誉会長などを務めた。 山口県佐波郡徳地町(現在の山口市)に軍人の息子として生まれる。のちに父は電柱の銘板を取り扱う会社を経営していた。 大阪市築港南尋常高等小学校を卒業した1930年(昭和5年)、大阪府立市岡中学校(旧制)に入学。旧制浪速高等学校を経て東京帝国大学法学部に進む。同期に中曾根康弘がいた。 卒業後は南満洲鉄道に入社するも召集を受け、陸軍経理学校を首席卒業。中国各地を転戦し、陸軍主計中尉として太平洋戦争の敗戦を迎える。 復員後、1946年、大日本塩業株式会社に取締役業務部長として入社。
嘉屋 實(かや みのる、1917年1月1日 - 2002年1… 嘉屋 實(かや みのる、1917年1月1日 - 2002年12月3日)は、日本の経営者。 山口県岩国市出身。広島高等学校を経て1939年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年、日本鉱業に入社した。短期現役海軍主計科士官(3期)を志願。同年10月、海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。1940年3月に経理学校を卒業。1941年10月、主計大尉、1944年11月、海軍主計少佐に進み終戦を迎えた。 1965年8月に共同石油に転じ、取締役に就任し、常務、専務を経て、1978年6月に副社長に就任し、1983年6月には社長に昇格した。1985年11月に会長に就任し、1990年6月から相談役を務めた。
熊野 紀一(くまの のりかず、1916年2月11日 - 20… 熊野 紀一(くまの のりかず、1916年2月11日 - 2006年3月19日)は、日本の経営者。山口県山口市出身。 1939年に早稲田大学文学部を卒業し、1945年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1970年11月から1985年6月までに宝塚音楽学校校長と1982年6月から1997年6月までに逸翁美術館館長を務めた。 2006年3月19日大腸がんのために死去。90歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
河村 喜典(かわむら よしぶみ、1915年12月27日 - … 河村 喜典(かわむら よしぶみ、1915年12月27日 - 2010年5月25日)は、日本の経営者。三共株式会社(現第一三共)代表取締役社長・会長。 1915年12月27日山口県生まれ。豊浦中学校、第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。 サラリーマン社長ながら1975年から25年間の長期にわたって三共株式会社社長を務め、抗炎症剤ロキソニンや高脂血症治療剤メバロチンなどを大型製品に育てた。1997年、勲二等旭日重光章受章。2000年に代表取締役会長に就任するが、同年、取締役である息子の不祥事によって会長を退任する。2011年5月25日死去、95歳。
佐々木 英治 (ささき えいじ, 1915年(大正4年)8月… 佐々木 英治 (ささき えいじ, 1915年(大正4年)8月23日 - 2007年12月15日) は、日本の実業家。元宇部興産(現・UBE)代表取締役副社長、元テレビ山口社長。 山口県山口市生まれ。山口県立山口高等学校を経て京都帝国大学経済学部卒業。 1940年、沖ノ山炭鉱入社。1944年に宇部炭鉱が宇部興産と合併。1969年にテレビ山口株式会社取締役と宇部興産株式会社常務取締役を兼務。1983年宇部興産代表取締役副社長、1984年テレビ山口代表取締役社長に就任。宇部興産飲料と宇部ゴルフ観光の社長を歴任。山口テレメッセージ株式会社相談役も勤めた。
土方 三郎(ひじかた さぶろう、1914年8月16日 - 2… 土方 三郎(ひじかた さぶろう、1914年8月16日 - 2002年9月19日)は、日本の経営者。日東電気工業(現:日東電工)社長を務めた。山口県萩市出身。 1935年に高松高等商業学校を卒業し、日立製作所での勤務を経て、同年に日東電気工業(のちの日東電工)に入社。1949年に取締役に就任し、1957年に常務、1961年に専務、1971年11月に副社長を経て、1974年6月に社長に就任。1985年6月に会長に就任し、1989年6月には相談役に就任。 1985年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2002年9月19日老衰のために死去。88歳没。
長岡 三重子(ながおか みえこ、1914年〈大正3年〉7月3… 長岡 三重子(ながおか みえこ、1914年〈大正3年〉7月31日 - 2021年〈令和3年〉1月19日)は、日本の女子水泳選手、実業家、能楽師。 1914年7月31日、山口県徳山市(現在の周南市)で、商家の7人兄弟の次女として生まれる。勉強熱心な家庭で山口県立徳山高等女学校(現在の山口県立徳山高等学校)に進学。同校を卒業したのち、1938年(昭和13年)、23歳の時に長岡守治と結婚し、藁工品の卸問屋「田布施長岡本店」に嫁ぐ。その後、守治との間に2人の子(二男)を授かり、専業主婦として一家を支え続けた。 1968年(昭和43年)、夫・守治が56歳で死去。53歳で家業を継ぐこととなったが、当時藁工品から化学製品への移行期で藁工品は斜陽になりつつあった。
新谷 要二(しんたに ようじ、1911年(明治44年)2月2… 新谷 要二(しんたに ようじ、1911年(明治44年)2月26日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。山口県議会副議長。千鳥水産代表取締役。旭洋造船取締役。山口県輸出スダレ協同組合理事長。山口県漁業生産組合長。下関漁港管理委員。下関水産振興協会・山口県遠洋底曳網漁業協会下関支部各理事。 山口県萩市出身。中央大学中退。1951年、山口県議会議員に当選。住所は山口県萩市唐樋町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
柳井 政雄(やない まさお、1908年2月15日 - 199… 柳井 政雄(やない まさお、1908年2月15日 - 1998年)は日本の部落解放運動家、実業家、政治家、ヤクザ。小郡商事(現、ファーストリテイリング)創業者。同代表、全日本同和会初代会長、同山口県連合会会長、山口県部落対策審議会委員、総理府同和対策協議会ならびに同和対策審議会委員、山口市議会議員、山口県議会議員、田中龍夫後援会会長などを歴任した。 ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井正の父である柳井等の兄にあたる。また、政雄の叔父の柳井傳一は全国水平社の創立大会の参加者で、みずから創設に尽力した山口県水平社の聯盟本部役員を務めた。 山口県吉敷郡小郡町(現・山口市小郡)で牛馬商の柳井周吉の四男として生まれる。
松田 武(まつだ たけし、1906年(明治39年)8月3日 … 松田 武(まつだ たけし、1906年(明治39年)8月3日 - 1988年(昭和63年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、旧軍需省官僚、実業家である。第4代航空幕僚長。
伍堂 輝雄(ごどう てるお、1906年(明治39年)1月1日… 伍堂 輝雄(ごどう てるお、1906年(明治39年)1月1日 - 1993年(平成5年)12月16日)は、広島県安芸郡下蒲刈島三之瀬出身の実業家、弁護士。元日本航空(JAL)会長。 1906年、弁護士の永野法城の五男、永野輝雄として出生。日本有数の閨閥地図を作り上げたといわれた"永野六兄弟"の一人となった。 海軍中将だった伍堂卓雄に養子入りし、広島高等師範学校附属小学校・中学校(現・広島大学附属小学校、広島大学附属中学校・高等学校)、第六高等学校を経て、東京帝国大学卒業。卒業後、岩田寅造法律事務所に勤務。1933年、日本鋼管顧問弁護士。 昭和鋼管勤務、鉄道大臣秘書官を経て1941年日本鋼管に入社。
坂本 実(さかもと みのる、1904年7月9日 - 1970… 坂本 実(さかもと みのる、1904年7月9日 - 1970年2月6日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。
水野 一夫(みずの かずお、1900年4月11日 - 199… 水野 一夫(みずの かずお、1900年4月11日 - 1994年8月28日)は、日本の経営者。宇部興産(現・UBE)社長、会長を務めた。山口県防府市出身。 1938年に東京帝国大学法学部を卒業。 1942年に宇部興産(現・UBE)取締役に就任し、取締役、総務部長、常務、専務を経て、1961年11月に副社長に就任し、1977年12月から1983年6月までに社長を務め、1983年6月から取締役相談役を務めた。 経団連常任理事なども歴任した。 1966年に藍綬褒章を受章し、1972年に勲三等旭日中綬章を受章し、1980年に勲二等旭日重光章を受章した。 1994年8月28日、心不全のために死去。94歳没。
中川 以良(なかがわ もちなが、1900年(明治33年)1月… 中川 以良(なかがわ もちなが、1900年(明治33年)1月29日 – 1997年(平成9年)10月24日)は、日本の実業家、政治家。四国電力社長、参議院議員、香川県名誉県民。
末光 賢吉(すえみつ けんきち、前名・一郎、1900年(明治… 末光 賢吉(すえみつ けんきち、前名・一郎、1900年(明治33年) - 没年不明)は、日本の実業家。関門日報社会長。 山口県下関市出身。末光鉄之助の長男。前名・一郎を改める。1926年、早稲田大学専門部法科を卒業する。父経営の関門日日新聞に入り社長秘書兼会計課長を経て、1942年1月合併と共に関門日報社監査役。住所は山口県下関市阿弥陀寺町。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
青木 作雄(あおき さくお、1898年〈明治31年〉2月3日… 青木 作雄(あおき さくお、1898年〈明治31年〉2月3日 - 1985年〈昭和60年〉8月6日)は、日本の政治家(衆議院議員、山口県会議員、下関市会議員)、家主、山口県多額納税者、会社役員。山陽ビルディング取締役。 山口県下関市出身。青木平七の長男。1920年、東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。広島高等工業学校に学んだ。 古河合名調査課、百十銀行貸付係等歴勤。1923年、家督を相続した。1927年、家業を継いだ。貸家業を営んだ。陸軍三等主計に任ぜられた。 下関市会議員、同参事会員、山口県会議員、同参事会員等となる。1937年、衆議院議員に選ばれ、1期務めた。興亜議員同盟、東方会に所属した。
藤本 万次郎(ふじもと まんじろう、1898年2月 - 19… 藤本 万次郎(ふじもと まんじろう、1898年2月 - 1984年)は、日本の実業家、政治家、思想家。 山口県熊毛郡上関町祝島生まれ。旧制広島県立広島商業高校卒業。山口県公安委員長、(社)日本水産物輸入協議会会長、大日本水産会理事、日本海難審判協会(現:公益財団法人海難審判・船舶事故調査協会)理事、日韓親善協会会長、(社)下関水産振興協会会長、下関市社会福祉協議会会長、下関市公平委員会委員、下関都市計画審議会委員、下関市総合政策審議委員などの公職や衆議院議員・安倍晋太郎後援会連合会会長、衆議院議員・周東英雄後援会会長、参議院議員江島淳後援会会長、下関市長・井川克己後援会会長などの政治家後援会の要職を多数務めた。
吉本 熊夫(よしもと くまお、1898年(明治31年)1月2… 吉本 熊夫(よしもと くまお、1898年(明治31年)1月24日 - 1959年(昭和34年)9月19日)は、日本の実業家。日本ガイシ代表取締役社長や、愛知県経営者協会会長を務めた。 山口県下松市出身。1919年東京高等工業学校(現東京工業大学)電気科卒業。1948年日本碍子社長。1950年初代昭和法人会会長、名古屋地方国有鉄道調停委員会委員。1955年化学工学会東海支部長、経済審議会委員。1958年愛知県経営者協会会長。1959年急逝、正五位勲三等瑞宝章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
二木 謙吾(ふたつぎ けんご、1897年〈明治30年〉1月1… 二木 謙吾(ふたつぎ けんご、1897年〈明治30年〉1月1日 - 1983年〈昭和58年〉12月22日)は、日本の政治家、教育者、実業家。初代学校法人宇部学園理事長、宇部興産顧問、山口県議会議長、参議院議員(3期)、大蔵政務次官、自由民主党両院議員総会長。 1897年(明治30年)、宇部村(現宇部市)に生まれる。福岡県で炭鉱業に参画するが経営的には失敗し帰郷、山口師範学校本科第一部を卒業し教員に転身する。教育者としての頭角を現した二木は、公立学校長など要職を務めるうちに宇部市の教育界で信頼を得、1942年(昭和17年)12月に蔵原経智から宇部女子商業学校の学校運営を受託、同校の理事長兼校長に就任し学校経営に参入する。
中安 閑一(なかやす かんいち、1895年〈明治28年〉4月… 中安 閑一(なかやす かんいち、1895年〈明治28年〉4月5日 - 1984年〈昭和59年〉1月31日)は、日本の経営者。宇部興産株式会社(現:UBE株式会社)会長、経済団体連合会常任理事、日本経営者団体連盟常任理事、経済企画庁経済審議会専門委員、産業機械統制会理事技術部長。 山口県宇部市出身である。宇部尋常高等小学校を卒業後、山口中学校に入学。中学時代は模型飛行機作りに熱中しながら勉学に励んだといい、卒業後は機械工学を学ぶため東京高等工業学校機械科(現・東京工業大学工学部)に入学した。 1918年(大正7年)3月に東京高等工業を卒業すると、三菱重工業に入社した。当時は戦争景気に沸き高給を約束してくれる会社も多かったが、当時三菱がイスパノシーザーと呼ばれる飛行機を製造していたことから入社を決めたという。
秋田 三一(あきた さんいち、旧姓・武光、1895年〈明治2… 秋田 三一(あきた さんいち、旧姓・武光、1895年〈明治28年〉3月22日 - 1987年〈昭和62年〉9月18日)は、日本の政治家(貴族院議員)、山口県多額納税者、実業家。神戸近海汽船代表取締役。 山口県防府市出身。生家の武光家は防府天満宮で代々大宮司を務めた。武光信雄の三男で、下関の秋田寅之介の養子となる。山口県立山口中学校(現山口県立山口高等学校)、第五高等学校を経て、1918年(大正7年)、東京帝国大学法科大学法律学科(英法科)卒業。 三井銀行横浜支店に入り、彦島船渠常務取締役を経て秋田汽船に転じ、代表取締役となる。材木商海運貿易鉱業を営む。山口県多額納税者に列し、1939年(昭和14年)貴族院議員に互選され、同年9月29日から研究会に属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
重宗 雄三(しげむね ゆうぞう、1894年(明治27年)2月… 重宗 雄三(しげむね ゆうぞう、1894年(明治27年)2月11日 - 1976年(昭和51年)3月13日)は、日本の政治家、実業家。 参議院議長(第8-10代)、参議院副議長(第4代)、運輸大臣(第24代)を歴任。 山口県岩国市出身。1912年(明治45年)3月、東京高等工業学校附属工業補習学校(現東工大附属高専攻科)を卒業して兄重宗芳水が創業した明電舎に入社、1938年(昭和13年)社長。1946年(昭和21年)8月14日、貴族院議員に勅選され、交友倶楽部に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任。同郷の岸信介、佐藤栄作兄弟に懇請される形で1947年4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し、当選する。
中嶋 勝一(なかしま かついち、1892年(明治25年)9月… 中嶋 勝一(なかしま かついち、1892年(明治25年)9月23日 - 1965年(昭和40年)9月27日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。中島と表記する事例がある。 山口県玖珂郡川越村(周東町を経て現岩国市周東町)で、中嶋佐吉の長男として生まれる。小学校を卒業した。 下関唐戸乾物商業組合理事、日満大豆製粉工業取締役社長、中嶋重石鉱業取締役社長、日満食品工業取締役社長、仁田鉱山取締役などを務めた。 政界では、下関市会議員に選出され、同副議長も務めた。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で山口県第2区から民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。この間、民主党山口県支部長などを務めた。
羽仁 路之(はに みちゆき、1891年11月25日 - 19… 羽仁 路之(はに みちゆき、1891年11月25日 - 1980年7月12日)は、日本の経営者。太平鉱業社長。位階は正四位。 山口県萩市出身。1917年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年4月に三菱合資会社鉱山部に入社。1918年4月に三菱鉱業に転じ、1946年11月に取締役に就任し、1950年4月に太平鉱業(のちの三菱金属鉱業)社長に就任。1956年5月には相談役に就任。 1960年に藍綬褒章を受章し、1966年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1980年7月12日肺炎のために死去。88歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
田辺 譲(田邊 讓、たなべ ゆずる、1887年(明治20年)… 田辺 譲(田邊 讓、たなべ ゆずる、1887年(明治20年)8月21日 – 1952年(昭和27年)1月1日)は、大正から昭和前期の実業家・政治家。衆議院議員、山口県会議長、山口県美祢郡大嶺村長、同大嶺町初代町長。 山口県美祢郡大嶺奥分村(大嶺村、大嶺町を経て現美祢市大嶺町奧分)で、素封家・田辺誠民と辰(小沢正路の四女)の長男として生まれる。1909年(明治42年)山口中学校(現山口県立山口高等学校)を卒業し、東京美術学校(現東京芸術大学)で学んだ。 郵便局長、大嶺酒造取締役社長、大嶺運送社長、秋吉洞自動車社長、有ノ木炭鉱社長、日本石灰工業所取締役社長、貯蔵食糧取締役社長、大嶺無煙炭礦取締役、山口県地方木材 (株) 理事、山口県山林会副会長、山口県耕地協会常務理事などを務めた。