小林 孝一郎(こばやし こういちろう、1977年〈昭和52年… 小林 孝一郎(こばやし こういちろう、1977年〈昭和52年〉8月8日 - )は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の参議院議員(1期)。元岡山県議会議員(3期)。 広島県福山市出身。広島大学附属福山高等学校、岡山大学医学部医学科卒業後、同大学病院等で内科医として勤務。 2011年の岡山県議会議員選挙で岡山市南区選挙区から自由民主党推薦で立候補し、初当選。以後3期務める。 2021年10月の第49回衆議院議員総選挙に自民党の比例中国ブロックから立候補したが、落選。 2024年8月、自民党岡山県連が翌年夏の第27回参議院議員通常選挙岡山県選挙区に向けて実施した公募に応募する意向を示した。同年11月24日、県連は小林を擁立する方針を決めた。
内田 玄祥(うちだ げんしょう、1974年 - )は、日本の… 内田 玄祥(うちだ げんしょう、1974年 - )は、日本の医師、馬主。元厚生労働省医系技官。岡山県井原市出身。エクステンション所属。 1974年、岡山県出身。長崎大学医学部を卒業後岡山大学大学院医学研究科を修了、医学博士の学位を得る。都内の病院での勤務を経て厚生労働省へ入省し、医系技官として政策立案に携わったほか、山梨県健康増進課長にも就任。その後は民間の医師として不妊治療に携わりたいという思いから厚生労働省を離れ、国立循環器病センターなどに勤務したのち2009年11月に静岡レディースクリニックを設立。現在は同クリニックなどを運営する医療法人社団幸のめばえ、および社会福祉法人幸のきずなの各理事長を務める。
森 臨太郎(もり りんたろう、1970年9月17日 - )は… 森 臨太郎(もり りんたろう、1970年9月17日 - )は、日本および英国の小児科医師、政治家。兵庫県宝塚市長(1期)。元国連職員。 兵庫県西宮市出身。小学校3年までは尼崎市の尼崎市立武庫南小学校に、4年からは西宮市の西宮市立鳴尾北小学校に通う。長野県北安曇郡小谷村の真木共働学舎で夏休みを過ごし、さまざまな障がいとともに生きる人たちと、助け合って自給自足の小さな社会の一員となる経験から、お互いに支えあって暮らす社会のあり方を実体験から学ぶ。 六甲学院中学校・高等学校を経て、1989年4月岡山大学医学部入学。阪神・淡路大震災では、医療ボランティアチームの一員として、神戸市長田区の保健所で活動。 1999年3月、岡山大学大学院医学研究科博士課程修了。
大藤 剛宏(おおとう たかひろ、1967年 - )は、世界で… 大藤 剛宏(おおとう たかひろ、1967年 - )は、世界で活躍する日本の外科医である。岡山大学医学部医学科卒(医学博士)。専門は心臓胸部外科学―肺移植。岡山大学臓器移植医療センター教授を経て、現在米国コーネル大学医学部心臓胸部外科教授。 広島県竹原市生まれ。広島加計学園英数学館高等学校、岡山大学医学部医学科を卒業。香川県立中央病院、岡山大学病院での研修を終えて、2002年からオーストラリア・メルボルンにあるモナシュ大学アルフレッド病院心肺移植センターで5年間Senior Transplant Fellowとして研鑽をつむ。2年間は胸部心臓外科でDonald Esmore教授のもと、心臓外科・肺移植の研修を受け、その後の3年間は肺移植内科でGregory Snell教授のもと免疫抑制療法をはじめ初診からドナー評価、そして周術期・遠隔期管理について研修を受ける。
中野 浩輔(なかの こうすけ、1963年3月11日 – )は… 中野 浩輔(なかの こうすけ、1963年3月11日 – )は、日本の歯科医師。 岡山県岡山市北区に所在する「岡山なかの歯科・矯正歯科クリニック」の院長を務める。補綴歯科、インプラント治療、矯正歯科、審美歯科を中心に臨床を行っているほか、メディア出演、講演活動、著書などを通じて歯科医療情報を発信している。 Doctors File などの医療紹介媒体では、多診療ユニットと専門領域を備えた診療体制が紹介されている。 以下は公式サイトなどに基づく。 外部メディアでは、歯科用CTやマイクロスコープなどを用いた診療体制が紹介されている。 11ireba.com の紹介による。 岡山大学歯学部在籍時、補綴第一講座にて「歯とレジン(合成樹脂材料)の接着」に関する研究を行い、学会発表および論文掲載歴があると紹介されている。
松川 昭博(まつかわ あきひろ、1962年4月 - )は、日… 松川 昭博(まつかわ あきひろ、1962年4月 - )は、日本の病理学者、医師、医学博士。岡山大学・教授などを務める。専攻は医学(特に実験病理学、免疫学など)。 熊本県出身。熊本県立玉名高等学校卒業。 1987年に、熊本大学医学部医学科を卒業し、同大学で 研修医(整形外科)となる。1993年に同大学院医学研究科を修了した、同医学部助手に任じられる。同年、熊本大学より医学博士号を取得した。 1998年にはアメリカ合衆国のミシガン大学医学部に、主任研究員として留学した。帰国後、2003年に熊本大学医学部講師となり、2004年に大学院医学薬学部助教授に昇任した。 2005年に岡山大学大学院医歯薬学総合研究科教授に就任する。
新谷 悟(しんたに さとる、1961年12月19日 -)は、… 新谷 悟(しんたに さとる、1961年12月19日 -)は、日本の歯科医師、歯学者、開業医。元昭和大学歯学部顎口腔疾患制御外科学講座主任教授、元昭和大学歯科病院口腔がんセンター センター長。島根大学医学部臨床教授、山口大学医学部臨床教授、富山大学医学部非常勤講師。 1980年香川県立高松高等学校卒業。1988年岡山大学歯学部卒業。1992年同大学院歯学研究科博士課程修了、博士(歯学)の学位を取得。以後、愛知県がんセンターレジデント、岡山大学医員、助手、愛媛大学助教授を経て、2006年より昭和大学歯学部顎口腔疾患制御外科学講座主任教授に就任。その後、銀座にて歯科口腔外科クリニックを開業。
藤原 俊義(ふじわら としよし、1960年 - )は、日本の… 藤原 俊義(ふじわら としよし、1960年 - )は、日本の医学者、教育者、医師(外科医)、医学博士。岡山大学教授、岡山大学病院副病院長、オンコリスバイオファーマ株式会社特別顧問などを務める 専攻は医学(特に消化器外科学、腫瘍外科、遺伝子治療など)。岡山県出身。
那須 保友(なす やすとも、1957年1月29日 - )は、… 那須 保友(なす やすとも、1957年1月29日 - )は、日本の医学者、医師、医学博士、岡山大学教授である。第15代岡山大学学長。 専攻は医学(特に尿路性器悪性腫瘍、泌尿器内視鏡外科学、医学英語教育など)。岡山大学教授。同大学SiEED-Okayama起業家精神養成学講座代表、同大学理事(研究担当)、副学長、同大学研究推進機構長、同大学イノベーションマネジメントコア(IMaC)コア長などを経て、第15代岡山大学学長を務める。
吉野 正(よしの ただし 1957年 - )は、日本の病理学… 吉野 正(よしの ただし 1957年 - )は、日本の病理学者、医師、医学博士。岡山大学副学長・教授などを務める。 専攻は医学(特に病理学、癌など)。
西堀 正洋(にしぼり まさひろ 1956年 - )は、日本の… 西堀 正洋(にしぼり まさひろ 1956年 - )は、日本の医学者(薬理学)、教育者、医師、医学博士。岡山大学教授などを務める 専攻は医学(特に薬理学、医化学など)。滋賀県出身。
金澤 右(かなざわ すすむ、1955年9月26日 - )は、… 金澤 右(かなざわ すすむ、1955年9月26日 - )は、日本の医学者、医師。岡山大学教授、理事・病院長などを務めた。岡山大学名誉教授。現在は川崎医科大学総合医療センター放射線科特任教授。 専攻は医学(特に放射線診断学)。長野県出身。日本を代表する放射線科医。
青木 省三(あおき しょうぞう、1952年 - )は、日本の… 青木 省三(あおき しょうぞう、1952年 - )は、日本の精神科医。広島市生まれ。 広島大学附属高等学校を経て1977年岡山大学医学部卒業。90年「青年期におけるヒステリー性神経症の臨床的研究」で岡山大学より医学博士の学位を取得。90年-91年ロンドン大学精神医学研究所、ベスレム王立病院青年期病棟に留学。岡山大学医学部神経精神医学教室助教授、97年川崎医科大学精神科学教室教授。2018年公益財団法人慈圭会精神医学研究所所長・川崎医科大学名誉教授。専門は、青年期精神医学と精神療法。
佐野 俊二(さの しゅんじ、1952年 - )は、日本の医師… 佐野 俊二(さの しゅんじ、1952年 - )は、日本の医師。専門は心臓血管外科。元岡山大学教授、元米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校小児心臓胸部外科教授。左心低形成症候群の生存率を9割にまで引き上げた「SANOシャント(SANO術)」で知られる。 広島県芦品郡駅家町(現福山市)生まれ。広島県立福山誠之館高等学校を経て、1977年岡山大学医学部を卒業。1982年岡山大学大学院医学研究科修了。日本での臨床研修を終えて、1985年からニュージーランド・オークランドにあるオークランド大学グリーンレーン病院で、バレット・ボイス教授のもとで研修を受ける。その後、オーストラリアにある王立小児病院でロジャー・ミー教授のもとで研修を受け、Consultant Surgeon(准教授)になる。
森田 潔(もりた きよし、1949年12月24日 - )は、… 森田 潔(もりた きよし、1949年12月24日 - )は、日本の研究者、教育者、医師(麻酔科医)、医学博士。2011年4月 - 2017年3月まで岡山大学第13代学長を務めた。岡山大学名誉教授。 専攻は医学(特に麻酔科学、蘇生学など)。岡山県倉敷市出身。
橋本 俊明(はしもと としあき、1948年9月27日 - )… 橋本 俊明(はしもと としあき、1948年9月27日 - )は、日本の医師、実業家である。 岡山県岡山市で生まれる。1973年に岡山大学医学部を卒業、岡山大学医学部第一外科医局を経て、消化器専門の外科医として1981年に橋本胃腸科外科医院(現・岡山光南病院)を開業。1991年に病院の後方施設としてリハビリ主体の老人保健施設を始め、1994年に医療法人自由会を設立した後、1995年にケアハウス、グループホームを始めた。 1997年に株式会社メッセージを設立。2000年から施行された介護保険制度で、今まで相部屋だったグループホームが補助対象から外れたことを機に、介護付有料老人ホーム「アミーユ」を展開して急成長し、2004年4月にジャスダック上場を果たした。
槇野 博史(まきの ひろふみ、1948年7月29日 - )は… 槇野 博史(まきの ひろふみ、1948年7月29日 - )は、日本の医学者、教育者、医師(内科医)、医学博士、岡山大学教授で、第14代岡山大学学長(任期:2017年4月1日から6年間)を務めた。岡山大学名誉教授。 専攻は内科学(特に腎、免疫、内分泌)。岡山県岡山市北区出身。
高原 亮治(たかはら りょうじ、1947年 - 2013年7… 高原 亮治(たかはら りょうじ、1947年 - 2013年7月18日)は、日本の厚生労働技官、医師。防衛庁参事官等を経て、厚生労働省健康局長を最後に退官し、上智大学総合人間科学部教授、日本医療機能評価機構副理事長、厚生労働統計協会会長などを務めた。位階は正四位。瑞宝中綬章。 岡山県玉野市出身。岡山県立玉野高等学校を経て、1972年岡山大学医学部医学科卒業。1976年厚生省入省。1980年テキサス大学大学院公衆衛生大学院修士課程修了、公衆衛生学修士。厚生省大臣官房企画官、国民医療対策本部事務局次長、外務省在フィリピン日本国大使館一等書記官、岡山県環境保健部長、厚生省児童家庭局母子衛生課課長、厚生省環境衛生局食品衛生課長、厚生省保健医療局国立病院経営指導課長、厚生省保健医療局地域保健健康増進課長、厚生省大臣官房厚生科学課長、防衛庁参事官、厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部長、厚生労働省健康局長などを経て、2003年退官。
菅波 茂(すがなみ しげる、1946年12月29日 - )は… 菅波 茂(すがなみ しげる、1946年12月29日 - )は、広島県深安郡神辺町(現・福山市)出身の医学博士、医師、福祉事業家。国際医療ボランティアAMDA創設者、理事長。医療法人アスカ会・創設者、元理事長。アスカ国際クリニック(旧・菅波内科医院)元院長。社会福祉法人遊々会創設者、理事長。 アジアを中心に以下のような世界中の災害発生地に医師を派遣している。
中桐 伸五(なかぎり しんご、1943年6月4日 - 201… 中桐 伸五(なかぎり しんご、1943年6月4日 - 2016年2月12日)は、日本の政治家、医師。衆議院議員(2期)を務めた。 岡山県児島郡灘崎町(のち岡山市)出身。岡山大学医学部卒業。岡山大学助手等を経て、自治労常任顧問医。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に民主党公認で岡山2区から出馬。自由民主党から出馬した熊代昭彦に敗れるも比例復活し、初当選。2000年の第42回衆議院議員総選挙では再び熊代昭彦に敗れ比例復活もできず落選。落選後、「若い人に道を譲りたい。」と述べ、引退を表明。しかし、2003年8月に比例中国ブロックで当選していた山田敏雅が福山市長選挙出馬のため辞職したため、繰り上げ当選した。
中原 とほる(なかはら とほる、1942年5月30日 - )… 中原 とほる(なかはら とほる、1942年5月30日 - )は日本の漫画家、医師。 山口県出身。父は社会科教師。中原は双子として生まれたが、双子の弟は生後半年で腸閉塞により死去。弟も漫画家になりたかったようでもし自分もなるならペンネームは中原とほるにすると決めていた。 1966-1967年のときに『COM』に初めて漫画『かえるになった次郎』を投稿、選外だったが講評のちばてつやから構図のユニークさや台詞回しの良さが挙げられていた。当初、大学の教育学部で学んでいたが嫌になり、計10年かけて1971年、岡山大学医学部卒業。四国の病院で働きだして間もない頃、漫画賞に応募するようになって10年、5回目にして1981年、39歳のときに『点とり虫のサンバ』がちばてつや賞佳作を受賞、特選ではなく佳作なことには残念だったが、これで漫画家を目指すようになる。
谷﨑 眞行(たにざき まさゆき、1942年5月 - )は、日… 谷﨑 眞行(たにざき まさゆき、1942年5月 - )は、日本の医師。元国立病院機構岡山医療センター副院長。専門は心臓血管外科。
五島 正規(ごとう まさのり、1939年3月5日 - 201… 五島 正規(ごとう まさのり、1939年3月5日 - 2016年11月14日)は、日本の政治家、医師。衆議院議員(6期)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院環境委員長を務めた。 京都府京都市出身。岡山大学医学部卒業。1979年11月に医療法人防治会四国勤労病院を設立。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で、日本社会党から高知県全県区に出馬し初当選。以降、連続当選6回。 1996年、旧民主党結党に参画。 小選挙区比例代表並立制が導入された同年の第41回衆議院議員総選挙以降は、高知1区から立候補した。この選挙では日本共産党の山原健二郎に、2000年の総選挙からは3回連続で自由民主党の福井照に敗れ、すべて比例四国ブロックで復活しての当選である。
小田 晋(おだ すすむ、1933年7月28日 - 2013年… 小田 晋(おだ すすむ、1933年7月28日 - 2013年5月11日)は大阪府生まれの日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。筑波大学名誉教授。国際医療福祉大学名誉教授。元帝塚山学院大学教授。医学博士。
榊原 宣(さかきばら のぶる、1931年9月8日 - 202… 榊原 宣(さかきばら のぶる、1931年9月8日 - 2025年3月25日)は、日本の外科医。順天堂大学名誉教授。専攻は消化器外科学。 岡山県岡山市生まれ。父は榊原亨、榊原仟は叔父。1956年岡山大学医学部卒、1961年同大学院博士課程修了、医学博士。岡山大学附属病院医師、1966年東京女子医科大学助教授、1974年教授、同第二病院長、1987年順天堂大学教授(外科学第一)、岡山市病院事業管理者を経て、順天堂大学名誉教授、社会医療法人社団十全会名誉理事長。 2002年日本医師会最高優功賞、2008年山陽新聞賞受賞、2011年春、瑞宝小綬章受勲。 2025年3月25日、老衰のため死去した。93歳没。
武智 秀夫(たけち ひでお、1930年12月24日 - 20… 武智 秀夫(たけち ひでお、1930年12月24日 - 2017年4月23日)は、日本の整形外科医・医学史家。愛媛県生まれ。1954年岡山医科大学医学部卒。1959年岡山大学大学院医学研究科博士課程修了、「腱の電子顕微鏡的研究」で医学博士。岡山大学医学部講師、助教授、1987年吉備高原医療リハビリテーションセンター院長。
粟井 弘二(あわい こうじ、1930年(昭和5年)3月11日… 粟井 弘二(あわい こうじ、1930年(昭和5年)3月11日 - 2019年(平成31年)1月4日)は、日本の内科医師、開業医。 岡山県津山市田町72番地に出生した[要出典]。粟井家は、美作菅氏の一つであった。 旧制岡山津山中学校(現・岡山県立津山高等学校)、旧制成城高等学校を経て、旧制岡山医科大学を1954年(昭和29年)に卒業した。卒業後、内科医を志して、岡山大学第二内科に入局し、血液学の研究に従事した。[要出典]学位論文は、特発性栓球減少性紫斑病(現在は特発性血小板減少性紫斑病,指定難病63)の研究で、その過程で、巨核球から血小板が分離して生成されることを発見した。[要出典]1999年刊行の内科学の教科書には、血小板の生成メカニズムとして記載されている。
毛利 子来(もうり たねき、1929年11月27日 - 20… 毛利 子来(もうり たねき、1929年11月27日 - 2017年10月26日)は、日本の小児科医。子供・障害児に関する著書を多数刊行している。 千葉県生まれ。父は内科医。名前の由来は詩経の中の「霊台」の箇所に出てくる成語である。帝が民の楽しみのために霊台の建設を企てて呼びかけたところ、女子どもまでもがやってきたというくだりから取られたもので、「子どももやって来る」の意。大抵、「子来」を「たねき」と読んでもらえないので、自ら「たぬき先生」と称していた。父親は第二次世界大戦の終了3日前に戦場で拳銃自決した。戦時中、岡山県の母方の祖父母に預けられるが、祖父は病死し、祖母も重症の火傷を負っていた。苦学して、岡山医科大学(現・岡山大学医学部)を卒業。
江草 安彦(えぐさ やすひこ、1926年(大正15年)9月1… 江草 安彦(えぐさ やすひこ、1926年(大正15年)9月10日 - 2015年(平成27年)3月13日)は日本の医師、社会福祉事業者、教育者。学位は医学博士。岡山県名誉県民。 岡山県笠岡市生まれ。旧制広島県立福山誠之館中学校卒業後、岡山医科大学付属医科専門部(現岡山大学医学部)に進学し、勤務医を経て総合医療福祉施設・社会福祉法人旭川荘の創設に参加、旭川荘の第2代理事長(後に名誉理事長)となった。また日本で最初の医療福祉と健康科学を統合した大学である川崎医療福祉大学の初代学長を務めた他、国の福祉審議会委員も歴任した。2015年3月13日、心不全のため死去。88歳没。叙従四位。 岡山大学病院スペシャルニーズ歯科センター教授の江草正彦は次男。
山内 逸郎(やまのうち いつろう、1923年5月6日 - 1… 山内 逸郎(やまのうち いつろう、1923年5月6日 - 1993年6月8日)は、日本の医師。 岡山県岡山市出身。1947年岡山医科大学卒、1955年医学博士(岡山大学)。1952年国立岡山病院小児科医長。1955-1957年米国ニューヨーク州立大学生理学教室に学ぶ。1975年全国に先駆けて小児医療センターを設立、新生児の救急医療体制を整備。小児医療センター長、副院長を経て、1982年院長となる。1979年未熟児網膜症の診療を容易にした「経皮黄疸計」を開発。また母乳運動をすすめ、1986年には全国初の乳房センターを開設した。1976年の鹿児島の5つ子誕生の際には現地で医師団を指導した。1989年退官。
浜田 到(はまだ いたる、1918年6月19日 - 1968… 浜田 到(はまだ いたる、1918年6月19日 - 1968年4月30日)は、日本の歌人、詩人、医師。ロサンゼルス出身。 1912年、農園を経営していた両親が移住していたロサンゼルスに生まれ、4歳のとき帰国。両親の出身地である鹿児島県国分市(現・霧島市)に育つ。鹿児島県立第一中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)在学中に短歌を始め、旧制姫路高等学校、旧制岡山医科大学を卒業。 1935年に、一中の教員であった安田尚義が主宰する潮音系短歌雑誌『山茶花』に短歌作品を発表。異色ある作品として注目される。以後、『歌宴』『工人』を経由。 1944年に岡山医科大学卒業後、鹿児島市内の済生会病院に勤務(内科医)。 1951年、中井英夫に見出され『短歌研究』8月号の「モダニズム短歌特集」に塚本邦雄らとともに寄稿、1960年には塚本邦雄、寺山修司、山中智恵子、菱川善夫らとともに同人誌「極」に参加。
小坂 淳夫(こさか きよお、1915年 - 2005年)は、… 小坂 淳夫(こさか きよお、1915年 - 2005年)は、日本の内科医。岡山大学学長や、岡山県立大学学長、大学入試センター所長を務めた。従三位勲二等旭日重光章。 岡山県赤磐郡鳥取上村(現赤磐市)山口生まれ。1940年岡山医科大学(現岡山大学)卒業。1949年医学博士。1957年岡山大学医学部教授(内科学)。1965年岡山県医師会理事。1973年医学部長。同年岡山県三木記念賞受賞。74年日本糖尿病学会中国・四国支部長。75年岡山大学学長。82年大学入試センター所長。83年山陽新聞社賞受賞。87年勲二等旭日重光章受章。88年岡山県文化賞受賞。同年赤坂町名誉町民。93年初代岡山県立大学学長。05年従三位。
赤木 五郎(あかぎ ごろう、1909年〈明治42年〉 7月7… 赤木 五郎(あかぎ ごろう、1909年〈明治42年〉 7月7日 - 1999年〈平成11年〉8月11日)は、医学博士、眼科医師であり、教育者でもある。戦後、広島県立医科大学(現・広島大学医学部)の眼科の初代教授を務めた後、岡山大学第5代学長、川崎医科大学初代学長、岡山県立短期大学(現・岡山県立大学)学長を勤めた。位階は正四位。岡山県高梁市出身。 1927年(昭和2年)旧制高梁中学校(現・岡山県立高梁高校)卒業、1931年第六高等学校卒業を経て、岡山医科大学に入学、1935年(昭和10年)に岡山医科大学卒業した。卒業後嘱託として同大眼科教室副手として勤務する。1938年(昭和13年)青森県立病院眼科部長として赴任。
川﨑 祐宣(かわさき すけのぶ、1904年(明治37年)2月… 川﨑 祐宣(かわさき すけのぶ、1904年(明治37年)2月22日 - 1996年(平成8年)6月2日)は、日本の医師・医学教育家・学校経営者・慈善家。総合社会福祉施設を設立して心身障害者の福祉のために尽力した。 鹿児島県姶良郡横川村(後の横川町、現霧島市の一部)出身。旧制鹿児島県立加治木中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、旧制岡山医科大学(現・岡山大学医学部)を卒業後、勤務医を経て、川崎病院、社会福祉施設旭川荘、医療系学校法人川崎学園などを設立した。後に川崎医科大学附属川崎病院(現・川崎医科大学総合医療センター)病院長を務めた[要出典]。 岡山県の名誉県民、倉敷市の名誉市民をはじめ、中国において首都医学院(現・首都医科大学)、上海中医学院(現・上海中医薬大学)名誉教授の称号を受けている[要出典]。
鮫島 宗雄(さめじま むねお、1903年2月10日 - 19… 鮫島 宗雄(さめじま むねお、1903年2月10日 - 1947年8月6日)は、昭和初期の日本の臨床医師、医学研究者(医学博士)。南洋庁立の病院の医師として、トラック医院、パラオ医院、ヤップ医院、ヤルート医院、ポナペ医院で現地日本人およびミクロネシア人を診察した。その傍ら、ミクロネシア人についての医学的、人類学的、疫学的研究をおこなった。 1920年(大正9年)、岡山医学専門学校に進学する。在学中の1922年に岡山医学専門学校は岡山医科大学に昇格した。1924年(大正13年)3月、岡山医科大学付属専門部を卒業。 日本の各地の医師を経て、南洋群島に渡り1934年(昭和9年)頃に南洋庁の官医となる。
蜂谷 道彦(はちや みちひこ、1903年 - 1980年4月… 蜂谷 道彦(はちや みちひこ、1903年 - 1980年4月13日)は、日本の医学者・内科医師である。1945年の広島市への原子爆弾投下で被爆しながらも、広島逓信病院(広島はくしま病院の前身)院長として被爆者の治療と原爆症の研究を行い、その苦闘の記録は『ヒロシマ日記』として各国で出版された。岡山県岡山市出身。 1903年、岡山県御野郡牧石村(現:岡山市)に生まれる。(旧制)岡山県立矢掛中学校、(旧制)第六高等学校を経て1929年に岡山医科大学(岡山大学医学部の前身)を卒業する。その後、同大学の稲田内科にて研究を行い、1938年に学位を取得した。そして1942年には広島逓信病院の院長に就任し、これにより後半生を大きく変えることとなった。
吉益 脩夫(よします しゅうふ、1899年(明治32年)7月… 吉益 脩夫(よします しゅうふ、1899年(明治32年)7月11日 - 1974年(昭和49年)7月14日)は、日本の医学者・精神科医。犯罪学や精神鑑定など幅広く活用されている犯罪生活曲線の開発者である。 岐阜県大垣市出身。大垣中学校、第六高等学校を経て、1924年(大正13年)東京帝国大学医学部卒業。呉秀三門下となり、同大学精神病学教室助手、東京府立松沢病院に勤務。1925年(大正14年)東京帝国大学文学部大学院へ入学し、1931年(昭和6年)同大学大学院心理学専攻卒業。在学中、市ヶ谷刑務所精神考査嘱託を始めとし、豊多摩刑務所、小菅刑務所にて犯罪学研究に従事する。1936年(昭和11年)東京帝国大学脳研究室創設に際し、講師として着任。
木村 義雄(きむら よしお、1897年(明治30年)8月16… 木村 義雄(きむら よしお、1897年(明治30年)8月16日 – 1988年(昭和63年)5月27日)は、日本の医師、政治家。 1897年、山口県大津郡仙崎町(現・長門市仙崎)に生まれる。1921年、岡山医学専門学校を卒業。 1937年に妻の従兄弟で当時の日置村長の安倍寛(安倍晋三の祖父)の勧めで大津郡日置村に産婦人科医院を開業。1946年に安倍が死去すると、安倍が出馬を予定していた第22回衆議院議員総選挙に、安倍の長男である安倍晋太郎が被選挙権を得るまでのつなぎ役として出馬し当選するも、戦時中に地元の大政翼賛会の幹部を務めた事により公職追放され、衆議院議員の地位を失う。 1965年から油谷町長を1期務め、1971年には勲四等瑞宝章を受章。
藤森 真治(眞治、ふじもり しんじ、1891年(明治24年)… 藤森 真治(眞治、ふじもり しんじ、1891年(明治24年)8月5日 - 1957年(昭和32年)5月17日)は、大正から昭和期の医師、政治家。参議院議員、医学博士。 兵庫県姫路市出身。1913年(大正2年)岡山医学専門学校を卒業。1915年(大正4年)耳鼻咽喉科医院を開業する。その後、ベルン大学を卒業して医学博士となる。 姫路市本町に藤森病院を開業し院長に就任、藤森医療財団理事長となる。また兵庫県医師会姫路市支部長、姫路市公職適否審査委員などを務め、姫路市議会議員にも選出された。ほか日本医療法人協会理事長、日本耳鼻咽喉科学会評議員、日本気管食道科学会顧問、社会保障制度審議会委員を歴任した。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で兵庫県地方区から出馬して当選し、緑風会に所属して参議院議員に1期在任した。
菅 實(かん みのる、1884年? - 1946年(昭和21… 菅 實(かん みのる、1884年? - 1946年(昭和21年))は、日本の医師、政治家。新字体にて菅 実(かん みのる)と表記されることもある。菅納家重の子。第94代内閣総理大臣菅直人の祖父。 久米郡医師会会長、久米郡会議員などを歴任した。 岡山県出身。生家は江戸時代には村の庄屋を務めており、元は豪族であった。 旧制岡山県津山中学校(現・岡山県立津山高等学校)を経て岡山医学専門学校を卒業し、医師となる。岡山県病院で研修の後、1911年(明治44年)に津山市内で開業。1913年(大正2年)に郷里に戻って医業を続け、久米郡医師会長、郡会議員などを歴任。囲碁、俳諧の趣味も楽しみ、1946年(昭和21年)に62歳で死去。
竈門 亀千代(かまど かめちよ、1879年(明治12年)5月… 竈門 亀千代(かまど かめちよ、1879年(明治12年)5月24日 - 没年不明)は、日本の医師。竈門眼科医院院長。有田郡医師会評議員、健保査定委員。族籍は和歌山県平民。 和歌山県出身。湯浅町湯浅在籍。1905年(明治38年)8月、岡山医学専門学校(のちの岡山大学医学部)を卒業後、同年香川県高松市市立病院勤務。1906年(明治39年)、神戸市山本眼科病院勤務。なお、勤務中に船医としてハワイ(布哇)移民局トラホーム検査の情態視察に赴き、同地に四か月滞在した。 1907年(明治40年)、和歌山市木下眼科医院に勤務し、同年竈門眼科医院を開業。 趣味は書画と魚釣り。
逢坂 藍水(おうさか らんすい、1878年〈明治11年〉11… 逢坂 藍水(おうさか らんすい、1878年〈明治11年〉11月13日 - 1949年〈昭和24年〉2月11日)は、日本の医師、歌人、政治家。本名は逢坂 佐馬之助(おうさか さまのすけ)。他の筆名に逢坂 蘭翠がある。 1878年11月13日、徳島県美馬郡半田町(現・つるぎ町)に、熊八の三男として生まれる。1879年10月20日、熊八が病死し、それ以降は伯父の真佐八を「父」と呼ぶ。 1883年4月、半田口山小学校初等科(後の半田尋常小学校)に入学する。1888年3月、半田尋常小学校を卒業する。同年4月、半田簡易小学校において1年間の補習を受ける。1889年5月から1890年4月まで、半田簡易小学校の補助教員に、1895年1月から4月まで、久保尋常小学校の補助教員に、同年5月から12月まで、半田尋常高等小学校の補助教員になる。
佐伯 矩(さいき ただす、さえき ただす、1876年〈明治9… 佐伯 矩(さいき ただす、さえき ただす、1876年〈明治9年〉9月1日 - 1959年〈昭和34年〉11月29日)は、日本の栄養学者、医師。医学博士。「栄養学の創始者」、「栄養学の父」と称される。世界に先駆けて医学から栄養学を独立させ、栄養研究所、栄養士制度を発展させた。 栄養は保健・経済・道徳の基本をなすと「栄養三輪」を唱えた。著書『栄養』では、栄養学だけでなく食糧政策にも言及し、魚類を重んじ畜産は小動物にすべきとしている。自分で料理をすることはほとんどなかった。 佐伯が少年時代に育った愛媛県郡中町(現・伊予市)の栄養寺には、佐伯の筆による「栄養」の書と「栄養」顕彰碑が建立されている。 1876年9月1日、愛媛県新居郡氷見村(現・西条市)の医師の家に生まれる。
秦 佐八郎(はた さはちろう、1873年(明治6年)3月23… 秦 佐八郎(はた さはちろう、1873年(明治6年)3月23日 - 1938年(昭和13年)11月22日)は、日本の医師、細菌学者。医学博士(東京帝国大学医科大学)。 数百年に渡り、不治の病の筆頭として人類を苦しめて来た梅毒の、史上初の治療薬となったサルバルサン(砒素化合物製剤606号)を、ドイツのパウル・エールリヒ(エールリヒは、秦との共同研究以前の業績で1908年ノーベル生理学・医学賞を受賞していた)と共に開発し、多くの患者を救ったことで知られる。 秦は、1911年にノーベル化学賞と1912年・1913年にノーベル生理学・医学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸した。島根県美濃郡都茂村(現:益田市)出身。
松崎 章太郎(まつざき しょうたろう、明治5年(1872年)… 松崎 章太郎(まつざき しょうたろう、明治5年(1872年)5月 – 没年不詳)は、東京市麻布区長、東京府豊多摩郡落合町長、医師。 岡山県和気郡福河村(現在の備前市)出身。1893年(明治26年)、第三高等中学校を卒業し、翌年医術開業免状を得た。日清戦争では陸軍三等軍医として従軍した。その後岡山や大阪で開業。1903年(明治36年)より内務省衛生局に技手として勤務し、日露戦争では陸軍二等軍医として従軍した。その後、静岡県技師・警察医長、同衛生課長、宮城県技師・衛生課長、愛知県技師・衛生課長などを歴任した。退官後、東京市主事・衛生課長に任命され、のち麻布区長に転じた。1928年(昭和3年)、落合町長に選ばれた。
皿井 立三郎(さらい たつさぶろう、明治3年10月11日(1… 皿井 立三郎(さらい たつさぶろう、明治3年10月11日(1870年11月4日) - 昭和20年(1945年)12月18日)は日本の医師、俳人。大阪府士族。元皿井耳鼻咽喉科医院長。 妻・清江は本田親雄男爵の三女。五男五郎の妻昭子は女優司葉子の姉。長女慶子は旧伯太藩主家の渡辺英綱子爵に嫁いだ。 岡山県士族・武市文太郎の二男。皿井安太郎の養子となる。明治20年(1887年)家督を相続する。 明治28年(1895年)、岡山医専卒業。同校講師。独逸に留学しロストック大学に学び帰朝、耳鼻咽喉科医師となる。 趣味は俳句。俳人としても活動。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大林 森次郎(おおばやし もりじろう、慶応3年8月1日(18… 大林 森次郎(おおばやし もりじろう、慶応3年8月1日(1867年8月29日) – 昭和5年(1930年)1月4日)は、衆議院議員(立憲政友会)、医師。 讃岐国綾歌郡富熊村(現在の香川県丸亀市)の松井家に生まれ、大林三斎の養子となった。第三高等中学校医学部を卒業し、医師となった。香川県医師会副会長、香川県医師会会長、綾歌郡医師会会長を歴任した。 また郡会議員、郡参事会員、県会議員、県参事会員に選出された。 1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第14回衆議院議員総選挙でも再選された。
伊野 英男(いの ひでお)は、日本の医学者、医師、医学博士。… 伊野 英男(いの ひでお)は、日本の医学者、医師、医学博士。岡山大学副理事・教授などを務める。 専攻は医学(特に医療教育、シミュレーショントレーニングなど)。
伊達 洋至(だて ひろし)は、日本の呼吸器外科医師、医学博士… 伊達 洋至(だて ひろし)は、日本の呼吸器外科医師、医学博士、京都大学大学院医学研究科器官外科学講座呼吸器外科学教授、日本胸部外科学会理事。
植村 貞繁(うえむら さだしげ)は、日本の医師。医学博士(メ… 植村 貞繁(うえむら さだしげ)は、日本の医師。医学博士(メルボルン大学)。国際学会Chest Wall International Group理事、Nuss法漏斗胸手術手技研究会 代表世話人、西宮渡辺心臓脳・血管センター 漏斗胸治療センター長、日本小児泌尿器科学会・日本小児放射線学会 評議員、日本外科学会指導医、専門医、日本小児外科学会指導医、専門医。川崎医科大学小児外科学前教授。専門は胸壁外科。 医師。医学博士。MD, PhD。日本の漏斗胸治療における先駆者。 岡山大学医学部医学科卒業。(1980年) メルボルン大学医学部 博士課程修了。(1996年) 岡山大学医学部医学科を卒業後、兵庫県立こども病院、国立小児病院を経て1983年に香川医科大学小児外科助手となる。