金子 隆一(かねこ りゅういち、1948年5月18日 - 2… 金子 隆一(かねこ りゅういち、1948年5月18日 - 2021年6月30日)は、日本の写真史家、写真評論家、写真集コレクター、キュレーター。本職業は僧侶。東京都台東区の「正行院」住職。 東京都出身。東京都台東区谷中の慈雲山正行院にて、住職金子善英と母英子の長男として生まれる。1967年、立正大学文学部地理学科入学、写真部に入部、全日本学生写真連盟(「全日」)の活動に参加する。当時「全日」の指導者は写真評論家の福島辰夫であった。 このころ、ウィリアム・クラインの『ニューヨ−ク』、細江英公の『おとこと女』、森山大道の『にっぽん劇場写真帖』など初めて写真集を購入。後年国内外で著名な写真集コレクターになるが、その一歩を踏み出す。
青木 章(あおき あきら、1948年 - 2023年)は日本… 青木 章(あおき あきら、1948年 - 2023年)は日本の火山探検家。 立正大学探検部時代に、諏訪之瀬島で火山の噴火を目撃し、大きな感動をうけて火山の虜になり、以後諏訪之瀬島、伊豆大島三原山、阿蘇山、桜島、浅間山、昭和新山、焼山などの火山で火口近くから火山活動を観測・撮影に取り組んできた。1969年に諏訪之瀬島の富立岳を初登頂し、2023年に富立岳白水の滝源流で遭難死した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
北川 前肇(きたがわ ぜんちょう、1947年12月24日 -… 北川 前肇(きたがわ ぜんちょう、1947年12月24日 - )は、日蓮宗僧侶・仏教学者。立正大学名誉教授。東京都世田谷区妙揚寺住職。 福岡県生まれ。1971年立正大学仏教学部宗学科卒業。1976年同大大学院博士後期課程単位取得満期退学。2000年「日蓮教学研究 仏陀論・顕本論を中心として」で立正大学文学博士。 1974年立正大学仏教学部助手、1976年講師、1980年助教授、1988年教授に就任する。仏教学部長、副学長を歴任。2018年3月退任。 1981年日本印度学仏教学会賞、1987年望月学術賞受賞。
太田 博之(おおた ひろゆき、1947年11月25日 - )… 太田 博之(おおた ひろゆき、1947年11月25日 - )は、日本の元子役、俳優、実業家。 静岡県出身。立正大学中退。 1956年、新東宝の『新妻鏡』に初出演。子役として、映画、テレビドラマで活躍。『少年画報』の2代目表紙モデルも務めた。 1960年代は日活をはじめとする各社の青春映画、1970年代はテレビの時代劇を中心に活動した。 小学校3年生より車の運転を始め、B級ライセンスを所持、鈴鹿サーキットに於けるレースでリトル・ホンダを運転し210kmを出したことがある。 1976年、寿司チェーン店「小銭すし」を創業。その後同年中に店舗数は102店を数えるなど経営が順調に乗り出したことで、チェーン店の経営は片手間で出来ず、事業の方に専念したいとして、『スリランカの愛と別れ』を最後に芸能界を引退。
片桐 有而(かたぎり ゆうじ、1947年7月11日 - 20… 片桐 有而(かたぎり ゆうじ、1947年7月11日 - 2025年3月9日)は、日本の日蓮宗の僧侶、政治家。元千葉県鴨川市長(1期)、元天津小湊町長(2期)。日澄寺住職。別名は片桐 日岳。 千葉県安房郡天津町(のち天津小湊町、現・鴨川市)の日澄寺に生まれた。立正大学を卒業後、天津小湊町にある日蓮宗の寺院日澄寺の住職となり、1999年天津小湊町長に当選。2期務める。天津小湊町は2005年に鴨川市と合併し、合併後の鴨川市長執行者となる。2009年の鴨川市長選挙に立候補し、元市議ら2人を破り、当選する。鴨川市長は1期務め、2013年に退任。2019年に旭日双光章を受章した。 2025年3月9日に死去。
小谷 毎彦(こたに つねひこ、1946年(昭和21年)6月5… 小谷 毎彦(こたに つねひこ、1946年(昭和21年)6月5日 - )は日本の政治家。元北見市長。元北海道議。 2008年11月13日の神田孝次北見市長辞職に伴い、民主党、新党大地の推薦で市長選出馬を表明。 衆議院北海道第12区(宗谷・網走両管内)の松木謙公衆院議員と関係が深く、武部勤と関係が深い自民党系前職の神田孝次と一騎討ちとなり、次期衆院選における同選挙区の前哨戦の代理戦争と報道された。同年12月21日の市長選で神田を破り当選。 2012年11月25日の北見市長選挙に再選をめざし民主党、社民党、新党大地・真民主推薦で出馬するも、前北見市議会議員の櫻田真人に敗れた。その後、同年12月20日の任期満了を待たず、同年12月5日に市長を辞職した。
上杉 清文(うえすぎ せいぶん、1946年4月25日 - )… 上杉 清文(うえすぎ せいぶん、1946年4月25日 - )は、日本の僧侶、劇作家、福神研究所所長、日蓮宗興統法縁会・成就山本國寺(静岡県富士市今泉)住職。 静岡県富士市の日蓮宗・本國寺に生まれる。立正大学仏教学部に在学中の1967年、瓜生良介主宰のアングラ劇団「発見の会」による内田栄一脚本の舞台を観て同会に入団。役者、脚本執筆などの活動を行う。1972年、荒戸源次郎がたちあげたアングラ劇団「天象儀館」に参加。座付作者となり、脚本を担当。平岡正明と出会い、山下洋輔、筒井康隆らの「全日本冷し中華愛好会」にも参加。末井昭編集の「ウィークエンド・スーパー」、「写真時代」などにも寄稿した。 1981年には、南伸坊提唱のパフォーマンス集団「HAND-JOE」(命名は糸井重里)に、末井昭ともに参加。
三木 随法(みき ずいほう、1946年(昭和21年) - 2… 三木 随法(みき ずいほう、1946年(昭和21年) - 2002年(平成14年)12月14日)は、日本の日蓮宗の僧侶。インドの仏教遺跡への巡礼のほか、日本各地で布教・講演・研修指導などを行い、仏教の普及に努めた。次男は三木大雲。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
三友 健容(みとも けんよう、MITOMO, Kenyō、1… 三友 健容(みとも けんよう、MITOMO, Kenyō、1945年4月5日-)は、日本の仏教学者(文学博士)。立正大学仏教学部元教授(名誉教授)。日蓮宗高應寺院首。専門は印度仏教学。
村井 紀(むらい おさむ、1945年2月11日 - )は、日… 村井 紀(むらい おさむ、1945年2月11日 - )は、日本の近代思想の研究者、評論家、前和光大学表現学部教授。
星 弘道(ほし こうどう、1944年9月10日 - )は、日… 星 弘道(ほし こうどう、1944年9月10日 - )は、日本の書家、日蓮宗の僧侶(妙純寺貫首・戒行寺住職)、日本藝術院会員。日本藝術院賞受賞者。 1944年、栃木県に生まれる。1967年に立正大学仏教学部を卒業した。1969年、浅香鉄心に師事した。1975年、第7回日展に「高青邱詩」で初入選した。 1995年から2015年まで大東文化大学で非常勤講師・特任教授を務めた。また、1998年に日本書作院理事長、2015年に全日本書道連盟理事長、2021年に同顧問(永年)となった。他に、日展理事、読売書法会最高顧問などを歴任。 1990年、第22回日展で「蘇東坡詩」により特選を受賞した。2007年、第39回日展で「李濂詩」により日展会員賞を受賞した。
車 だん吉(くるま だんきち、1943年12月6日 - )は… 車 だん吉(くるま だんきち、1943年12月6日 - )は、日本のタレント・俳優・漫画家。本名:白沢 力(しらさわ つとむ)。浅井企画所属。愛称は、だんちゃん。 東京都、現在の江東区生まれ、千葉県佐倉市在住。立正大学経済学部卒業。身長177cm。 1966年3月、大学卒業後に左とん平に弟子入りしたところ、左に浅井企画を紹介され、事務員として入社。萩本欽一が主宰していた劇団・東京新喜劇の劇団員だったいわたがん太(のちに岩がん太→岩だん吉と改名)とコンビを組むことになり、芸人に転身した。コント55号の弟分として「コント0番地」を名乗っていた。当時の芸名はたんくだん吉で、はかま満緒の命名による。これは「顔がマンガみたいだから」との理由で、『タンクタンクロー』と『冒険ダン吉』からのもじりである。
齊藤 勇(さいとう いさむ、1943年7月27日 - )は、… 齊藤 勇(さいとう いさむ、1943年7月27日 - )は、日本の心理学者。立正大学名誉教授、文学博士。 山梨県生まれ。山梨県立甲府第一高等学校卒業。1972年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。1978年、1986年、カリフォルニア大学留学。1972年立正大学教養部講師、1975年同助教授、1981年同教授、1995年同文学部教授、2002年同心理学部教授。 2006年7月~9月(夏休み期間を除く)に『笑っていいとも!』(フジテレビ系列)木曜日に出演。以前は『それいけ!ココロジー』(読売テレビ)にも出演していた。 2014年3月で定年退職し、現在は立正大学心理学部対人・社会心理学科の非常勤講師を務めている。
浪本 勝年(なみもと かつとし、1942年9月9日 - )は… 浪本 勝年(なみもと かつとし、1942年9月9日 - )は、日本の教育学者。専門は、教育法学・教育行政学。教育基本法・教科書裁判を研究。立正大学名誉教授。 日本教育政策学会会長(2005年7月~2011年7月/第5~6期)歴任、現在は関東地方区理事を担当。 岡山県倉敷市出身、岡山県立倉敷青陵高等学校卒業、1966年東京大学教育学部教育行政学科卒業、同大学院教育学研究科博士後期課程(教育行政科専攻)満期退学。大学院時代は宗像誠也に師事。 1975年に立正大学文学部講師、1978年に同学部助教授。1984年に同学部教授、2002年に心理学部臨床心理学科教授となり、2013年3月に定年退職。その間、ロンドン大学特別研究員など。
根本 正義(ねもと まさよし、1942年2月1日 - 202… 根本 正義(ねもと まさよし、1942年2月1日 - 2023年10月25日)は、日本の近代児童文学研究者、東京学芸大学名誉教授。 東京都荒川区生まれ。1964年立正大学文学部国文学科卒業。1971年同大学院修士課程修了。1980年東京学芸大学助教授、1991年同教授。1999年東京学芸大学附属大泉小学校校長を併任(- 2003年)、2007年定年退職、名誉教授。 2023年10月25日午前7時20分、老衰のため埼玉県朝霞市の病院で死去。81歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
仁木 勝治(にき かつじ、1940年11月 - )は、日本の… 仁木 勝治(にき かつじ、1940年11月 - )は、日本の英文学者。立正大学名誉教授。 北海道生まれ。北海道立檜山高等学校、1963年立正大英文科卒、1971年同大学院博士課程満期退学。同助教授、教授。1995年「フォークナーの「世紀末」と「ギリシャ壷」」で立正大文学博士。2011年定年退任。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
冠 賢一(かんむり けんいち、1939年8月14日 - )は… 冠 賢一(かんむり けんいち、1939年8月14日 - )は、日本の日蓮宗僧侶・仏教学者。立正大学名誉教授。 東京生まれ。立正大学仏教学部宗教学科卒、同大学院博士課程満期退学、立正大学助教授、教授、96年「近世日蓮宗出版史研究」で立正大学より文学博士の学位を取得。2010年定年退任、名誉教授。経王寺住職。
鏡味 国彦(かがみ くにひこ、1938年8月 - )は、日本… 鏡味 国彦(かがみ くにひこ、1938年8月 - )は、日本の英文学・比較文学者。学位は、文学博士(立正大学・1987年)(学位論文「ジェイムズ・ジョイスと日本の文壇 -昭和初期を中心として」)。立正大学名誉教授。 名古屋市生まれ。愛知県立昭和高等学校、国際短期大学から立正大学に編入し卒業、1964年立正大学大学院英文科修士課程修了。1968年立正大大学院博士課程単位取得満期退学。立正大助手、助教授、教授、1987年学位論文「ジェイムズ・ジョイスと日本の文壇 -昭和初期を中心として」で立正大学より文学博士の学位を取得。2003年定年退任、名誉教授。
庭野 日鑛(にわの にちこう、改名前は庭野浩一、1938年(… 庭野 日鑛(にわの にちこう、改名前は庭野浩一、1938年(昭和13年)3月20日 - )は、日本の宗教家、在家仏教教団立正佼成会第2代会長。父庭野日敬の創立した立正佼成会の会長職を1991年(平成3年)に継承し、法華経を基盤とした日敬の教えをもとに布教伝道の日々を送っている。また、現在は(公財)WCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会会長をはじめ、同国際委員会名誉会長、ACRP(アジア宗教者平和会議)共同会長、(公財)庭野平和財団名誉会長、(公財)新宗連(新日本宗教団体連合会)顧問などを務め、国内外で宗教協力活動を推進している。
髙村 弘毅(たかむら ひろき、1937年8月15日 - )は… 髙村 弘毅(たかむら ひろき、1937年8月15日 - )は、日本の地理学者。立正大学地球環境科学部名誉教授。同大学元学長(第29・30代)。専門は、水文学、水資源学、地下水学。学位は文学博士(立正大学・論文博士・1976年)。青森県三戸郡倉石村(現・五戸町)出身。2014年春、瑞宝中綬章を受章。
坂誥 秀一(さかづめ ひでいち、1936年(昭和11年)1月… 坂誥 秀一(さかづめ ひでいち、1936年(昭和11年)1月26日 - )は、日本の考古学者。立正大学名誉教授・同特別栄誉教授。同大学元学長(第27代)、品川区立品川歴史館館長を歴任。武蔵野文化協会会長。2012瑞宝中綬章受章。 東京都出身。立正大学付属立正中学校・高等学校を経て1958年(昭和33年)、立正大学文学部史学科卒業。1960年(昭和35年)、同大学院文学研究科国史学専攻修士課程修了。同大学助手・助教授・教授。1998年(平成10年)から2001年(平成13年)まで第27代学長。2006年(平成18年)定年退任、名誉教授。2012年(平成24年)春瑞宝中綬章叙勲。2020年(令和2年)特別栄誉教授。
新井正(あらい ただし、1935年- )は、日本の水文学者、… 新井正(あらい ただし、1935年- )は、日本の水文学者、立正大学地球環境科学部元教授(名誉教授)。水文気候学、陸水学が専門。
市川 智康(いちかわ ちこう、1934年(昭和9年)11月9… 市川 智康(いちかわ ちこう、1934年(昭和9年)11月9日 - )は、日本の僧侶。立正大学大学院仏教学専攻。日蓮宗妙安寺の住職。日蓮宗大本山池上本門寺学頭。南無の会総務。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
北原 進(きたはら すすむ、1934年5月29日 - )は、… 北原 進(きたはら すすむ、1934年5月29日 - )は、日本の歴史学者、立正大学名誉教授。近世民衆史が専門。 東京市杉並区生まれ。東京大学教育学部付属高校、立正大学経済学部卒、1961年同大学院修士課程修了、同経済学部助手。立正大学助教授、教授。2005年、定年退任、名誉教授。江戸東京博物館都市歴史研究室長を務めた。 日本歴史学協会会員で、家永三郎の教科書検定訴訟の支持者。
立木 大夫(たちき ともお、1934年〈昭和9年〉2月21日… 立木 大夫(たちき ともお、1934年〈昭和9年〉2月21日 - 2013年〈平成25年〉7月30日)は、日本の政治家。岡山県高梁市長(2期)。位階は正六位。旭日小綬章受章。 岡山県高梁市出身。立正大学文学部卒業。高梁市役所に入り、助役などを務める。1996年の市長選挙に立候補し、初当選。2000年の市長選挙は無投票で再選する。2004年高梁市は上房郡有漢町、川上郡成羽町、川上町、備中町と合併し、新たな高梁市が発足した。合併後の市長職務執行者となり、市長選挙には立候補しなかった。2005年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2013年死去。死没日付をもって正六位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
長弘毅(なが こうき、1934年 - 2014年12月26日… 長弘毅(なが こうき、1934年 - 2014年12月26日)は、インド文学者。 福井県生まれ。立正大学文学部史学科卒業、1958年から1963年インド留学、1963年にアジア・アフリカ語学院専任講師。1965年に富山国際大学に移籍、2004年まで同大学人文学部教授。日印サルボダヤ交友会会長、朝日カルチャーセンター講師。専攻は南アジア地域研究、特にヒンディー語学、ヒンディー文学および口承文芸。インド各地の農村で、民話収集を行った。 2014年12月26日死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
関根 真隆(せきね しんりゅう、1933年 - )は、日本史… 関根 真隆(せきね しんりゅう、1933年 - )は、日本史学者。 東京生まれ。1960-62年聖徳太子奉讃会研究生。1962年立正大学大学院修士課程修了。1979年「奈良朝食生活の研究」で國學院大學文学博士。龍谷大学非常勤講師。宮内庁正倉院事務所調査室長。
丸山 照雄(まるやま てるお、1932年(昭和7年)4月27… 丸山 照雄(まるやま てるお、1932年(昭和7年)4月27日 - 2011年(平成23年)6月13日)は、日本の宗教評論家、日蓮宗僧侶。雅号は苦佛。 山梨県身延町出身。身延高校在学中から社会運動に傾倒し、立正大学在学中に仏教青年運動「信行会」を組織した。その後同大を中退し、久遠寺塔中の宝聚院麓坊住職、日蓮宗現代宗教研究所調査主任を歴任。 1970年(昭和45年)、東寺真言宗の松下隆洪らと共に、公害を起こした企業を呪い殺す「公害企業主呪殺祈祷僧団」を組織し、四日市市(四日市喘息)や神岡町(イタイイタイ病)などを行脚。それが教団内で問題となり、同研究所を辞職させられ、教団の役職すべてを辞す。以後は宗派にとらわれない広範な宗教・評論活動をおこなう。
中尾 堯(なかお たかし、1931年12月14日 - )、中… 中尾 堯(なかお たかし、1931年12月14日 - )、中尾堯文(なかお ぎょうぶん)。日本の歴史学者、仏教学者、立正大学名誉教授。仏教古文書学の観点からの日蓮遺文や曼荼羅本尊などを研究。 広島県三次市生まれ。 立正大学文学部史学科卒、1957年(昭和32年)同大学院修士課程修了、同文学部副手、助手。立正女子大学短期大学助教授。1974年(昭和49年)『日蓮宗の成立と展開 中山法華経寺を中心として』で、文学博士(東京教育大学)の学位を取得。 1979年(昭和54年)立正大学文学部教授。 2002年(平成14年)定年退任、名誉教授。日本古文書学会会長、文部省学術審議会専門委員、文化庁文化財保護審議会専門委員、千葉県文化財保護審議会委員などを歴任。
吉田 栄夫(よしだ よしお、1930年12月18日 - 20… 吉田 栄夫(よしだ よしお、1930年12月18日 - 2021年7月22日)は日本の自然地理学者。国立極地研究所・立正大学名誉教授。元日本極地研究振興会理事長。理学博士(東京大学)。 主に南極観測に携わっており、1957年の第2次夏隊を皮切りに、第4次越冬隊、第8次越冬隊、第16次観測副隊長兼夏隊長、第20次観測隊長兼夏隊長、第22次観測隊長兼越冬隊長、第27次観測隊長兼夏隊長、アメリカ隊基地、ニュージーランド隊基地、イギリス隊基地などで6回観測に従事。 吉田による南極の地形研究は、その後の南極の氷河地形研究において主要な先行研究となっている。 1960年の第4次越冬隊と1961年の第5次越冬隊において、やまと山脈の地形調査を実施した。
安部 光恭(あべ みつやす、1930年(昭和5年)8月23日… 安部 光恭(あべ みつやす、1930年(昭和5年)8月23日 - 2000年(平成12年)12月13日)は日本のジャーナリスト、僧侶。仏光寺住職、元静岡第一テレビ常務。第3回菊池寛賞受賞。 1930年(昭和5年)8月23日、静岡県伊東市に生まれる。立正大学文学部を卒業後、松田竹千代の秘書を経て、昭和27年に読売新聞に嘱託記者として入社する。1954年(昭和29年)3月、第五福竜丸ビキニ被爆事件をスクープし、読売新聞の正社員となる。そのスクープにより、1955年(昭和30年)に第3回菊池寛賞を受賞する。1969年(昭和44年)に退社し、木部佳昭の秘書、仏光寺副住職などを経て、1979年(昭和54年)に静岡第一テレビに入社する。
望月 海淑(もちづき かいしゅく、1930年 - )は、日蓮… 望月 海淑(もちづき かいしゅく、1930年 - )は、日蓮宗の僧、仏教学者、身延山大学名誉教授。 山梨県生まれ。立正大学仏教学科卒。1998年「法華経における信行の研究 法華経における信の研究序説」で立正大学より文学博士の学位を取得。身延山短期大学助教授、身延山大学教授、2000年名誉教授。総本山身延山久遠寺庶務部長・布教部長 、山梨県南巨摩郡身延町樋澤坊院首。梵・漢対照の法華経を研究。日蓮宗総合財団賞(学術研究部門)受賞。
福岡 克也(ふくおか かつや、1930年 - )は、日本の林… 福岡 克也(ふくおか かつや、1930年 - )は、日本の林業経済学者、環境学者、立正大学名誉教授。
小笠原 環山(おがさわら かんざん、1925年12月22日 … 小笠原 環山(おがさわら かんざん、1925年12月22日 - 2000年11月24日)は、日本の書家、水墨画家。本名は小笠原 一郎、「環山」は雅号。山梨県櫛形町(現・南アルプス市)の出身。1990年に刊行された『小笠原環山書画集』は美術評論家の田宮文平による書評の対象となり、1999年には月刊誌『趣味の水墨画』の特集「今月の画家」で取り上げられた。 山梨県出身。幼少の頃、曾祖父・小笠原蘭侯と父・補暠から書・詩の影響を受けた。立正大学文学部国文科を中退、在学中は中村星湖研究に関心を寄せた。のちに『墨象』誌上で「夏目漱石と中村星湖の手紙」「相馬御風の書簡 中村星湖との交流」「星湖先生の書」などの文章を発表している。
金野 靜一(きんの せいいち、1924年9月15日 - 20… 金野 靜一(きんの せいいち、1924年9月15日 - 2021年5月18日)は、日本の歴史学者、教育者。元岩手県立博物館長。 岩手県大船渡市出身。立正大学地理歴史科卒業。岩手県立高校教諭、岩手県立盛岡第二高等学校校長、岩手県立博物館長。盛岡大学短大部教授、岩手県文化財保護審議会長、岩手県教育弘済会理事長を歴任。 2021年5月18日、急性心筋梗塞のため死去。
中濃 教篤(なかの きょうとく、1924年3月30日-200… 中濃 教篤(なかの きょうとく、1924年3月30日-2003年4月30日)は、日蓮宗の僧侶、政治・社会運動家。 神奈川県出身。1945年立正大学仏教学部卒。インドシナ解放闘争に共鳴、アジア仏教徒会議などに参加。1971年日蓮宗現代宗教研究所長、79年顧問。東京都台東区領玄寺住職。
高嶌 正人(たかしま まさと、1924年2月13日 - )は… 高嶌 正人(たかしま まさと、1924年2月13日 - )は、日本の歴史学者。立正大学名誉教授。同大元理事長。 1924年、長崎県東彼杵郡川棚町で生まれた。本姓・高嶌。立正大学文学部史学科で学び、卒業。同大学大学院文学研究科国史学専攻に進み、1954年に修士課程を修了。 修了後は立正大学文学部助手に採用された。後に助教授、教授に昇格。1981年、学位論文『奈良時代における諸氏族の研究』を立正大学に提出して文学博士号を取得。また、理事長も務めた。立正大学を退任後、名誉教授。日本学術会議会員。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
日顕(にっけん、1922年〈大正11年〉12月19日 - 2… 日顕(にっけん、1922年〈大正11年〉12月19日 - 2019年〈令和元年〉9月20日)は、日本の仏教僧侶で、日蓮正宗総本山・大石寺の第67世法主を務めた。 阿部姓で姓名は阿部 日顕(あべ にっけん)。 1922年(大正11年)12月19日、父は第60世法主・日開、母は彦坂スマ。 1928年に得度し、1943年に立正大学日蓮学科を卒業、教学部長、総監の要職を経て、1979年(昭和54年)7月に総本山第67世法主として登座。 1991年に当時の信徒団体であった創価学会を破門。2005年(平成17年)12月16日、隠居・退座する。 2019年(令和元年)9月20日午前7時30分、東京都世田谷区の隠居所にて逝去。
服部 銈二郎(はっとり けいじろう、大正10年(1921年)… 服部 銈二郎(はっとり けいじろう、大正10年(1921年)7月3日 - 平成25年(2013年)6月9日)は、日本の地理学者。専門は、都市地理学、地誌学、アーバン・アメニティ論。立正大学名誉教授。日本地理学会名誉会員、日本都市学会顧問、アーバン・アメニティ研究所所長。 大正10年(1921年)7月3日、東京府東京市牛込区に生まれた。間もなく南足立郡千住町に移り、千住町立千寿第一小学校(足立区立千寿本町小学校に統合)に入学した。短歌を趣味とする母の旅行に年数回連れられる内、自身も旅行好きとなり、高学年には一人で日本各地を旅行するようになった。 東京府立第七中学校(東京都立墨田川高等学校)在学中、校友会雑誌に「奥羽地方の交通」「伊豆半島西海岸をめぐりて」を発表した。
岡崎 功(おかざき いさお、1920年7月17日 - 200… 岡崎 功(おかざき いさお、1920年7月17日 - 2006年)は、日本の右翼活動家・教育者。島根県出身。昭和戦前期から占領期にかけて活動し、1945年に松江騒擾事件を起こした。別名岡崎允佐夫(おかざき いさお)。 松江騒擾事件とは島根県庁の焼き討ち事件で、1945年8月24日、終戦に不満をもった岡崎らが「聖戦続行、昭和維新政府樹立」を要求して皇国義勇軍と名乗り、島根県知事公舎、発電所、新聞社等を襲撃した。襲撃後、皇国義勇軍は罪を不問とする条件で投降したが、岡崎は戦時騒擾罪等で無期懲役となって服役した。1952年、サンフランシスコ平和条約発効等による恩赦で出所。その後、1961年に学校法人淞南学園、現立正大学淞南高等学校を創立して理事長となり、長く学校の経営にあたった。
吉田 格(よしだ いたる、1920年〈大正9年〉3月3日- … 吉田 格(よしだ いたる、1920年〈大正9年〉3月3日- 2006年〈平成18年〉3月または4月)は、日本の考古学者。鳥取県八頭郡八頭町(旧・鳥取県八頭郡大伊村)出身。立正大学に学び、太平洋戦争後は同大学や東京学芸大学の教授として日本列島の先史時代(縄文時代)の研究を行った。称名寺式土器や花輪台式土器を関東地方の縄文土器の型式として設定し、縄文土器編年に学史的業績を残した。 1920年(大正9年)3月3日に、鳥取県八頭郡大伊村(現・同郡八頭町)大字下野464番地で、吉田辰次・せつ夫妻の次男として生まれた。 1923年(大正12年)3月、3歳前後で東京府北豊島郡滝野川町中里(現東京都北区滝野川)に転出し、府内の学校で教育を受ける。
中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 -… 中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 - 1997年4月22日)は日本の教育者、政治家、文学者。元衆議院議員(日本共産党公認、3期)。柔道7段。 秋田県秋田市出身。秋田市立川尻小学校を経て秋田市商業学校(現秋田市立秋田商業高等学校)卒業。京都の紡績工場に勤務後、立正大学高等師範科卒業。 戦後は秋田市立高等学校の教師を経て、1951年に教職を辞し秋田市会議員選挙に日本社会党再建派から出馬。この時は落選するものの4年後に秋田市議となり2期務める。初出馬の際に推薦されたことから共産党との縁ができ、市議在任中の1961年12月に日本共産党に入党。1963年から秋田県議3期を経て、1972年に行われた第33回衆議院議員総選挙の秋田県第1区に、日本共産党から立候補し初当選を果たす。
小花波 平六(こばなわ へいろく、1920年〈大正9年〉1月… 小花波 平六(こばなわ へいろく、1920年〈大正9年〉1月20日 - 2007年〈平成19年〉6月4日)は、日本の教師、民俗学者。 群馬県に生まれる。群馬師範学校に学び、同校で担任であった千々和実の歴史の授業に「大きな感化を受けた」という。1931年に出征し、1946年に復員すると、東京・板橋で小学校教員になる。1956年に立正大学を卒業。卒業論文は「北魏王朝の経済政策」。1974年から1977年まで板橋区立の小学校校長を務める。教材研究として地域の石造物調査に取り組み、特に庚申塔の調査に焦点を当て、1959年に庚申懇話会を創立した。その後も庚申信仰の第一人者として研究を続けた。教員を退職した後には、板橋区立郷土資料館館長などを務めた。
斎藤 純忠(さいとう じゅんちゅう、1918年(大正7年)8… 斎藤 純忠(さいとう じゅんちゅう、1918年(大正7年)8月18日 - 2010年(平成22年)10月21日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県戸田市長。日蓮宗の僧。妙顕寺住職。 埼玉県北足立郡戸田村(戸田町を経て現戸田市)出身。1941年(昭和16年)立正大学文学部卒業。戸田市助役を経て、1974年(昭和49年)以来、戸田市長に6選した。市長在任中は、道路・下水道整備、公共施設建設、埼京線の駅の誘致などに取り組んだ。
佐藤 智雄(さとう ともお、1917年5月14日-2000年… 佐藤 智雄(さとう ともお、1917年5月14日-2000年2月8日)は、日本の社会学者。中央大学名誉教授。専門は、ジャーナリズム論・メディア論・新聞学・宗教社会学。新潟県佐渡郡相川町出身。 日蓮宗の古刹の寺社に生まれる。1941年立正大学文学部哲学科卒業。同文学部助手。1946年立正大学文学部専門部専任講師。1949年中央大学経済学部助教授。1951年中央大学文学部助教授。1960年中央大学文学部教授。1969年中央大学評議員(〜1985年)。1988年中央大学定年退職。同名誉教授。淑徳大学社会福祉学部教授。1989年同大学院社会福祉学研究科教授。1992年淑徳大学退職。 学外の役職として、日本社会学会理事、日本新聞学会理事、1960年NHK放送文化研究所研究委員(〜1970年)、1965年広告電通賞審査委員(〜1969年)、1976年日本生活環境センター理事、1985年文部省科学技術審議会専門委員、放送大学教養学部客員教授など。
野村 耀昌(のむら ようしょう、1916年9月3日 - 19… 野村 耀昌(のむら ようしょう、1916年9月3日 - 1997年3月2日)は、日蓮宗の僧、刻字作家。 立正大学卒。1966年「周武法難の研究」で立正大学文学博士。立正大学仏教学部教授。87年定年退任、名誉教授。中国仏教史が専門。
松沢 光雄(松澤 光雄、まつざわ みつお、1915年9月13… 松沢 光雄(松澤 光雄、まつざわ みつお、1915年9月13日 - 没年不詳)は、日本の地理学者・社会学者、教育者。 長野県生まれ。1953年立正大学文学部地理学科卒。中野区立第五中学校教諭、千代田区立今川中学校(現千代田区立神田一橋中学校)校長、跡見学園女子大学講師、教授。1990年「わが国繁華街の機能区域とその空間的配列について」で立正大学文学博士。 田中啓爾を慕って立正大学に進み、1973年サンケイ商業新聞に「繁華街一等地」を連載。1974-77年サンケイ新聞に「商い風土記」を連載、1979年マンガ害悪論を唱えた。
中村 瑞隆(なかむら ずいりゅう、1915年2月23日-20… 中村 瑞隆(なかむら ずいりゅう、1915年2月23日-2003年11月15日)は、日蓮宗の僧、仏教学者、立正大学学長を務めた。 青森県出身。1941年立正大学文学部仏教学科卒、同大学院修了。45年専門部講師、48年助教授、49年立正大学講師、50年助教授、61年教授、66年「如来蔵思想研究」で九州大学文学博士。73年法華経文化研究所長。1977年仏教伝道文化賞受賞。1983-86年立正大学長、名誉教授。1987年、勲三等瑞宝章受章。日本学術会議会員。
青山 良道(あおやま よしみち、1914年(大正3年)3月3… 青山 良道(あおやま よしみち、1914年(大正3年)3月31日 - 1986年(昭和61年)4月23日)は、日本の政治家、教諭。東京都中野区長(2期)、東京都議会議員(3期)を務めた。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 長男は石原慎太郎東京都知事の下で東京都副知事を務めた青山佾。 静岡県御殿場市生まれ。1943年立正大学専門部地理学科卒業。東京府立第三中学校(現・東京都立両国高等学校)教諭、東京都高等学校教職員組合委員長を務めた。 1955年、日本社会党公認で東京都議会議員選挙に出馬し、初当選を果たした。3期目任期中の1965年に都議を辞職した。 1971年2月26日から1979年2月9日まで足掛け3期、中野区教育委員を務めた。
田中日淳(たなか にちじゅん、 1914年(大正3年)3月1… 田中日淳(たなか にちじゅん、 1914年(大正3年)3月17日 - 2010年(平成22年)7月18日)は、日蓮宗の僧。第48代日蓮宗管長・大本山池上本門寺第81世貫首。立正大学仏教学部卒業。北海道出身。 北海道爾志郡乙部町出身。母親の願いにより乙部町本昭寺の久遠院日啓(浅野本淳)に就いて出家。1929年(昭和4年)に15歳で上京、大本山池上本門寺塔頭の照栄院に寄在しつつ立正大学仏教学部を卒業した。またその際に、久遠院日啓の願いにより照栄院住職であった観是院日教(石川日教、後の池上本門寺第77世貫首)の弟子となった。 第二次世界大戦中の1940年(昭和15年)に応召され、仙台市の予備士官学校を卒業後、見習士官になり航空兵に転科。