加藤 孝造(かとう こうぞう、1935年〈昭和10年〉3月1… 加藤 孝造(かとう こうぞう、1935年〈昭和10年〉3月12日 - 2023年〈令和5年〉4月17日)は、荒川豊蔵を第一世代とする美濃の第三世代の陶芸家。「瀬戸黒」人間国宝。 岐阜県土岐郡瑞浪町(現・瑞浪市河戸町)出身で後に多治見市星ケ台に移住した。2012年旭日小綬章受章。瑞浪市、多治見市、可児市の名誉市民。美濃陶芸協会会長、名誉会長及び名誉顧問を務めた。 瑞浪市土岐町で製糸業を営む家に生まれた。瑞浪町立瑞浪中学校を卒業後、岐阜県立多治見工業高等学校窯業科(現セラミック科)に進学。ほどなく全国最年少の18歳で日展洋画部に入選し、「天才」と騒がれる。高校卒業後、多治見市の岐阜県陶磁器試験場(後に岐阜県セラミックス研究所)に研究生として入所及び就職。
鈴木 藏(すずき おさむ、1934年(昭和9年)12月1日 … 鈴木 藏(すずき おさむ、1934年(昭和9年)12月1日 - )は岐阜県土岐市出身の日本の陶芸家。重要無形文化財保持者。 1934年、美濃焼の産地として知られる岐阜県土岐市駄知町にて、釉薬の研究者であり岐阜県の陶磁器試験場の技師でもある鈴木通雄の長男として生まれる。1953年(昭和28年)、岐阜県立多治見工業高等学校窯業科を卒業後、父・通雄が技術部長を任されていた丸幸陶苑試験室(幸兵衛窯関連会社の一般生活陶器製造会社)に入社。窯業開発研究室の助手として働きながら陶土や釉薬などについて学び、陶芸の基礎的な知識を本格的に身につける。さらに、五代目加藤幸兵衛(加藤卓男の父)から作陶の教え受け、荒川豊蔵や加藤土師萌などに師事するなど制作にも励んだ。
金重 道明(かねしげ みちあき、1934年4月1日 - 19… 金重 道明(かねしげ みちあき、1934年4月1日 - 1995年12月20日)は、岡山県出身の陶芸家。備前焼の陶工。 「美術人名辞典」 思文閣
池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23… 池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23日 - 1997年〈平成9年〉3月8日)は、日本の画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。しかし、多岐にわたる活動や多才さは、かえって“池田芸術”の高い知名度にふさわしい正当な評価を困難にしている。 旧満洲国奉天市(現在の瀋陽市)に生まれ、戦後長野県長野市で育つ。長野市立柳町中学校、長野北高等学校(現・長野県長野高等学校)定時制課程卒業。高校在学中に絵画が入選、画家を志し上京するが、東京芸術大学の受験に3度失敗し大学進学を断念。
森野 泰明(もりの たいめい、1934年2月8日 - )は、… 森野 泰明(もりの たいめい、1934年2月8日 - )は、日本の陶芸家。社団法人日展理事などを歴任した。公益社団法人日展顧問、京都工芸美術作家協会顧問、日本芸術院会員、文化功労者。勲等は旭日中綬章。本名は森野 泰明(もりの ひろあき)。 京焼きの陶芸家の森野嘉光の子として誕生し京都府で育つ。 京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)陶磁器科、同大学専攻科卒。 1957年日展初入選。1960年日展特選・北斗賞受賞。1962年よりシカゴ大学で陶芸を講じる。1968年日本現代工芸美術展会員賞外務大臣賞受賞。1969年日展会員。1983年日本新工芸展で文部大臣賞受賞。1996年京都府文化賞功労賞受賞。
伊勢﨑 満(いせさき みつる、1934年 - 2011年8月… 伊勢﨑 満(いせさき みつる、1934年 - 2011年8月28日)は、日本の陶芸家。日本伝統工芸会正会員。 代表作に、松岡氏立像(6尺)その10数氏の陶像製作など。 岡山県和気郡伊部(現:備前市伊部)で出生する。1934年(昭和9年)、備前焼無形文化財作家・伊勢崎陽山の長男として生まれ、父・陽山にその陶技を習得。1959年(昭和34年)3月 岡山大学特設美術科彫塑専攻。1959年(昭和34年)9月以降 日本伝統工芸展連続入選。1962年(昭和37年)4月 現代日本陶芸展入選。1968年(昭和43年)2月 現代陶芸の新世代展出品。その他、1962年(昭和37年)5月備前焼平安時代の古窯を復元、その焼成に成功。
與那覇 朝大(よなは ちょうたい、1933年10月8日 - … 與那覇 朝大(よなは ちょうたい、1933年10月8日 - 2008年7月2日)は、沖縄県石垣市出身の画家、陶芸家。沖縄を代表する画家の1人であった。陶芸家の与那覇朝一は実弟、美術家の与那覇大智は息子。2002年に結婚した妻は歌手のGWINKO。 沖縄県石垣市に生まれる。19歳の時に画家となり、コザ市(現沖縄市)でアメリカ兵相手に肖像画を描いた。 1971年の新美術協会展で新人賞を受賞、1977年に沖縄県産業デザインコンクールで会長賞、1986年第33回新美術協会展で光琳賞、日本美術選賞を受賞した。1992年、新美術協会展で桃山芸術大賞、1998年、アート・オブ・ジ・イヤーのグランプリを受賞した。
加守田 章二(かもだ しょうじ、1933年(昭和8年)4月1… 加守田 章二(かもだ しょうじ、1933年(昭和8年)4月16日 - 1983年(昭和58年)2月26日)は、日本の陶芸家。 伝統にとらわれないモダンなデザインを研究し独創的な器の形を創作し様々な形で広く展開した加守田の作品は、従来の陶芸の概念を超え多くの人を引きつけるとともに高い評価を受け、現在も多くの陶芸家たちに影響を与えている。 1933年(昭和8年)4月16日、大阪府岸和田市に加守田貞臣、八重子の長男として生まれる。 大阪府立岸和田高等学校在学中に油絵に興味を抱き、卒業後上京して学ぼうとしたがこれを断念し、1952年(昭和27年)に京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)工芸科陶磁器専攻に入学。
野呂 圭介(のろ けいすけ、本名:板元 義典、1933年4月… 野呂 圭介(のろ けいすけ、本名:板元 義典、1933年4月3日 - )は、日本の俳優・タレント・ローカルタレント・陶芸家。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業。 俳優を志して上京し、1958年に『踏みはずした春』(日活)でデビュー以後、脇役として日活のスクリーンで活躍した。 邦画産業が斜陽化した1969年以降、僚友の宍戸錠と共に、テレビ番組『元祖どっきりカメラ』(NTV系)に転出。長髪にGパン、デニムベストのヒッピー風スタイルで赤ヘルを被り、ストーリーの最後に「どっきりカメラ NTV」と書かれたプラカードを掲げて現れては、だまされた相手が怒って逆襲し殴られる役(赤ヘルはこの目的)で、19年間にわたって人気を博す。
三浦 小平二(みうら こへいじ、1933年3月21日 - 2… 三浦 小平二(みうら こへいじ、1933年3月21日 - 2006年10月3日)は日本の陶芸家。1997年に人間国宝に認定された。 新潟県佐渡郡相川町(現在の佐渡市)出身。生家は佐渡無名異焼の窯元であり、三代常山の孫、三浦小平の長男として生まれた。1955年東京芸術大学美術学部彫刻学科を卒業後、加藤土師萌の元で青磁の伝統技法を学ぶ。 1969年に中近東や東アフリカ、1978年に中国・モンゴルなどアジア各国を巡り、各国の磁器の研究や自らの作品への投影に励んだ。特に、古代中国の皇室御用達であった国営陶磁器製作所が生み出す南宋官窯に強い影響を受け、目標としながら研究を重ねた。その末に佐渡の朱色の土を下地とした器に青磁釉をかけるという独特な技法を開発する。
大嶺 實清(おおみね じっせい、1933年 - )は、日本の… 大嶺 實清(おおみね じっせい、1933年 - )は、日本の陶芸家。読谷山窯窯元。沖縄県立芸術大学名誉教授・元学長。 沖縄県出身。返還前の沖縄で小学校教師をした後、画家を志して京都へ移住。哲学者・舩山信一の影響を受け、立命館大学文学部哲学科に入学。1961年に大学を卒業し、陶芸家への道を歩んだ。 1970年、首里城北に「石嶺窯」を、1980年には「読谷村窯」を築く。1986年、沖縄県立芸術大学の開学にともない教授に就任。1997年、同大学退官。また、2002年から2003年まで沖縄県立芸術大学学長を務める。 長男・大嶺由人、次男・大嶺亜人、三男・大嶺音也は、いずれも陶芸家。 沖縄県中頭郡において1980年に竣工させた読谷山窯(設計:洲鎌朝夫/匠設計)は、2011年に第11回日本建築家協会25年賞を受賞した。
大和 保男(やまと やすお、1933年 - )は、日本の陶芸… 大和 保男(やまと やすお、1933年 - )は、日本の陶芸家。萩焼作家。山口県山口市出身。山口県立大学大学院非常勤講師。山口県指定無形文化財萩焼保持者。 小学生の頃、第二次世界大戦の影響で陶工が召集されたことにより、大和が代わりに窯の手伝いを始めることになる。中学生になると、父の指導により本格的な陶工に成長した。 1980年より、日本工芸会山口支部幹事長に就任。 1988年、山口県指定無形文化財に指定された。 2000年には、フランスで「萩焼400年パリ展」を開催するなど海外にも活動の幅を広げた。
山田 勢児(やまだ せいじ、1932年11月27日 - 20… 山田 勢児(やまだ せいじ、1932年11月27日 - 2013年2月6日)は、日本の陶芸家。
吉田 美統(よした みのり、1932年7月7日 - )は日本… 吉田 美統(よした みのり、1932年7月7日 - )は日本の陶芸家。2001年に人間国宝に認定された。本名は吉田 稔。 石川県小松市出身。生家は作陶を生業としており、九谷焼独特の赤絵金襴手(きんらんで)を継承していた。美統も高校在学中から陶芸技法を学び始め、卒業後1951年に家業である錦山窯の三代目となり、九谷の伝統的な絵付け等の技法を習得。1962年には武蔵野美術短期大学の特修生として工芸デザインを学んでいる。釉裏金彩技法を用いた加藤土師萌の作品に出会ったことをきっかけに、自らの作陶にもその技術を取り入れる事を決意する。 九谷伝統の色絵具をかけた素地を本焼きして地色とし、その上に二種類の金箔を文様に切り取ったものを載せて焼き付け、更に仕上げとして全面に透明な釉薬をかけて焼き仕上げる。
藤原 雄(ふじわら ゆう、1932年6月10日 - 2001… 藤原 雄(ふじわら ゆう、1932年6月10日 - 2001年10月29日)は、日本の陶芸家。1996年に人間国宝に認定。 岡山県備前市(当時の和気郡伊里村)穂浪出身。藤原啓の長男として生まれる。1951年、明治大学文学部 日本文学科に進学。1955年、同大学を卒業後、みすず書房に就職。しかし同年9月、父親の看病のために休職して帰郷。小山富士夫に備前焼を勧められ、父に師事して技法を学びはじめる。1957年、結婚。 1958年、第5回日本伝統工芸展に初入選。長男・和が誕生する。1961年、日本工芸会より正会員に認定された。1963年、スペインのバルセロナで開催された国際陶芸展でグランプリを受賞する。
髙橋 忠雄(たかはし ただお、男性、1932年3月11日 -… 髙橋 忠雄(たかはし ただお、男性、1932年3月11日 - 2012年5月23日)は、日本の洋画家、彫刻家、陶芸家である。 兵庫県加西市生まれ。34歳で二科会彫刻部会員となり、木彫をはじめ、石膏、ブロンズ、金属、陶芸等あらゆる素材を駆使した立体を得意とした。1981年49歳で脳梗塞に倒れ、半身不随の車椅子生活ながら絵画制作を行う。大作を続々と国内外に発表し髙橋芸術を確立。立体、平面とも日本国内外に多数作品が収蔵されている。
會田 雄亮(あいだ ゆうすけ、1931年11月12日 - 2… 會田 雄亮(あいだ ゆうすけ、1931年11月12日 - 2015年10月28日)は、日本の陶芸家。造園系彫刻家・環境デザイン造形作家。東北芸術工科大学名誉教授。環境造形や、練り込み(練り上げ)の工芸作品で知られる。1979年にはネッスル日本(現:ネスレ日本)の『ネスカフェゴールドブレンド』のイメージキャラクターに当たる「違いのわかる男」に起用された。このCMは山梨県南都留郡忍野村にある忍野窯でも流されている。 1931年(昭和6年)、東京都に生まれる。戦時中に山形へ疎開し山形県立山形第二中学校(現・山形県立山形南高等学校)に在籍。東京都立江北高等学校を経て1956年(昭和31年)千葉大学園芸学部旧造園学科卒業(都市計画系研究室出身)。
濱田 篤哉(はまだ あつや、1931年〈昭和6年〉10月17… 濱田 篤哉(はまだ あつや、1931年〈昭和6年〉10月17日 - 1986年〈昭和61年〉5月18日)は、栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 「益子焼の中興の祖」である濱田庄司の三男であり、兄の濱田晋作、その息子で甥の濱田友緒も陶芸家である。 1931年(昭和6年)10月17日、陶芸家・濱田庄司の三男として栃木県益子町に生まれる。 1948年(昭和23年)、栃木県立真岡高等学校を卒業後、父・庄司の弟子となる。 1956年(昭和31年)に英国に渡り、約2年間イギリスのセント・アイヴスにあるバーナード・リーチの工房「リーチ・ポタリー(英語: Leach Pottery)」に在籍し、リーチに師事し共に働き、陶芸家としての足場を固めた。
濱田 篤哉(はまだ あつや、1931年-1986年)は、陶芸… 濱田 篤哉(はまだ あつや、1931年-1986年)は、陶芸家。兄の濱田晋作、その息子の濱田友緒も陶芸家。
今井 政之(いまい まさゆき、1930年12月25日 - 2… 今井 政之(いまい まさゆき、1930年12月25日 - 2023年3月6日)は、日本の陶芸家。位階は従三位、勲等は文化勲章。公益社団法人日展名誉顧問、日本芸術院会員、文化功労者。国際陶芸アカデミー会員。 京都府美術工芸家協会理事、社団法人日展常務理事、財団法人京都文化財団理事などを歴任した。 苔泥彩とよばれる独特の技法を生みだし、現代陶芸界に独自の領域を開拓。 花や魚の模様を象嵌する技法の第一人者として知られ海外でも高い評価を受けている。 大阪府大阪市出身。1943年、父の郷里広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)に移り住む。広島県立竹原工業学校(現・広島県立竹原高等学校)卒業後、岡山県備前市に赴き備前焼の修行を始める。
川尻 一寛(かわじり いっかん、1930年(昭和5年)12月… 川尻 一寛(かわじり いっかん、1930年(昭和5年)12月25日 - 2008年(平成20年)12月29日)は、京都府京都市日吉出身の日本の陶芸家。本名は宗裕。 作風は伝統的な京焼き磁器を守りつつも大胆な形態の作品を発表した。 1930年(昭和5年)12月25日、京都府京都市日吉に生まれる。物心ついた頃から近所に製陶関連業の多い環境で育った。陶芸家クラブで清水六兵衛に師事する。 生前は現代工芸美術家協会評議員、日展理事などを務めた。 日本芸術院の工芸美術部門で1984年(昭和59年)第16回日展、1988年(昭和63年)第20回日展の2回で特選受賞している。 2001年、「豊穰」が日本芸術院賞を受賞。
中里 重利(なかざと しげとし、1930年12月24日 - … 中里 重利(なかざと しげとし、1930年12月24日 - 2015年5月12日)は、佐賀県唐津市出身の陶芸家。父は12代中里太郎右衛門(無庵)。兄は13代中里太郎右衛門。 人間国宝認定の実父中里無庵に幼少時から師事し、父より引き継いだ古唐津の技術で無庵の片腕として窯を切り盛りした。 22歳のときに東京都の東京国立博物館で鑑賞した中国・宋時代の瓶に影響を受け、白生地のない唐津焼において重利が苦心の末に粉引技法を確立させるきっかけとなった。 また作陶の傍らに先人の唐津焼古窯跡を研究した成果が1973年(昭和48年)に開いた自身の窯「三玄窯」である。 作風は計算を重ねた精巧なフォルムであり、2001年のインタビューでは「ものすごく計算してある」「固定観念を捨て(中略)肩書きだけで選んではいけない」などと述べている。
辻 協(つじ きょう、本名:辻 協子、1930年11月27日… 辻 協(つじ きょう、本名:辻 協子、1930年11月27日 - 2008年7月8日)は、日本の陶芸家。夫は陶芸家の辻清明。美術家の辻けいは娘。 1930年(昭和5年)東京都生まれ。1948年、神奈川県立平塚高等女学校卒業、1952年、東京女子美術専門学校(現女子美術大学)洋画科卒業。同年新工人会員になり、会の創立者である陶芸家・辻清明と知り合い、のちに結婚。結婚をきっかけに陶芸を始め、1970年(昭和45年)に女性としては初めての日本陶磁協会賞を受賞した。 夫・清明は2008年(平成20年)4月15日に亡くなったが、約3カ月後の7月8日に夫と同じ肝臓がんで死去。享年77。
濱田 晋作(はまだ しんさく、1929年(昭和4年)3月16… 濱田 晋作(はまだ しんさく、1929年(昭和4年)3月16日 - 2023年(令和5年)7月16日)は、日本の栃木県芳賀郡益子町の「益子焼」の陶芸家。 濱田庄司の次男であり、濱田窯の2代目当主である。 1929年(昭和4年)3月16日、濱田庄司の次男として東京に生まれる。 1930年(昭和5年)、1歳の時に栃木県芳賀郡益子町へ家族揃って移住する。 旧制真岡中学校(現・栃木県立真岡高等学校)を卒業後、早稲田大学文学部美術工芸窯業科に入学し美術工芸を学び、1950年(昭和25年)に卒業後、父・庄司の下で濱田窯にて修業を積み、本格的な作陶活動に入る。 1963年(昭和38年)、父の助手として渡米し、アメリカ各地の陶芸講習会でアシスタントを務める。
西本 瑛泉(にしもと えいせん、1928年 - 2023年9… 西本 瑛泉(にしもと えいせん、1928年 - 2023年9月28日)は、日本の陶芸家。日展を中心に活動し、1999年に作品「玄窯縄文譜『黎明』」で日本芸術院賞および恩賜賞を受賞した。 日展の工芸美術分野で活動した。1978年の第10回日展で特選、1982年の第14回日展で再特選を受賞した。2023年9月28日死去。 1993年、第32回日本現代工芸美術展出品作「縄文彩器」により内閣総理大臣賞を受賞した。 1998年には第19回広島文化賞を受賞した。 1999年、作品「玄窯縄文譜『黎明』」に対して平成10年度日本芸術院賞・恩賜賞が授与された。
十代 大樋 長左衛門(おおひ ちょうざえもん、1927年〈昭… 十代 大樋 長左衛門(おおひ ちょうざえもん、1927年〈昭和2年〉10月28日 - 2023年〈令和5年〉10月17日)は、日本の陶芸家で、大樋焼の本家十代当主。日展・日本現代工芸美術展・その他の個展などで大樋焼にとらわれない自由なかたちでの発表を行う際には大樋 年朗(おおひ としろう)を名乗る。2016年(平成28年)には「長左衛門」の名跡を長男・大樋年雄に譲って、以後は大樋 陶冶斎(おおひ とうやさい)を名乗る。本名は奈良 年郞(なら としろう)。文化勲章受章者。金沢市出身。
松井 康成(まつい こうせい、1927年(昭和2年)5月20… 松井 康成(まつい こうせい、1927年(昭和2年)5月20日 - 2003年(平成15年)4月11日)は、日本の陶芸家。国の重要無形文化財「練上手(ねりあげで)」保持者(人間国宝)。本名、美明。 練上手という技法を集大成し、伝統技術を基盤にした現代の個性豊かな陶芸のあり方を提示した。
河合 誓徳(かわい せいとく、1927年4月3日 - 201… 河合 誓徳(かわい せいとく、1927年4月3日 - 2010年3月7日)は、日本の陶芸家、日本芸術院会員。 大分県東国東郡国見町生まれ。1940年、旧制宇佐中学校に入学するも、1943年、鹿児島海軍航空隊甲飛13期飛行練習生として入隊。上海海軍航空隊を経て、終戦により復員。1947年、京都で山本紅雲に師事。1949年、国東へ戻るが陶磁の道を諦められず、諸隈貞山に弟子入りする。1951年、京都の加藤利昌の下で下絵付に従事。1952年、京都陶芸家クラブに加入し、6代清水六兵衛に師事。1952年、日展に初入選。1953年、河合栄之助の長女登志子と結婚し、河合家の後継者となる。その後、1961年設立の日本現代工芸美術家協会へ活躍の幅を広げ、その作品は数多くの賞を受賞する。
瀧田 項一(たきた こういち、1927年2月22日 - 20… 瀧田 項一(たきた こういち、1927年2月22日 - 2022年1月23日 )は日本を代表する陶芸家である。(本名:幸一) 栃木県烏山町(現・那須烏山市)出身。東京美術学校で富本憲吉に学び、益子の濱田庄司に師事。
鈴木 治(すずき おさむ、1926年11月15日 - 200… 鈴木 治(すずき おさむ、1926年11月15日 - 2001年4月9日)は日本の陶芸家。馬や鳥、雲や太陽などをモチーフにした抽象的フォルムの詩情あふれる作品で高く評価される。戦後の陶芸界をリードした走泥社の創立メンバー。京都市立芸術大学名誉教授。 1926年千家十職の永樂工房で轆轤(ろくろ)職人をしていた鈴木宇源治の三男として京都市五条坂に生まれ、早くから父に轆轤の手ほどきを受ける。1943年京都市立第二工業学校(現・京都市立伏見工業高等学校)窯業科を卒業。 戦後1946年中島清を中心に、京都の若手陶芸家が集まって結成された青年作陶家集団に参加。1948年解散。 同1948年八木一夫、山田光らとともに、陶芸による新しい造形表現を目指す前衛陶芸家集団走泥社を結成。
青木 龍山(あおき りゅうざん、1926年8月18日 - 2… 青木 龍山(あおき りゅうざん、1926年8月18日 - 2008年4月23日)は、日本の陶芸家である。 佐賀県西松浦郡有田町生まれ。本名は久重(ひさしげ)。多摩美術大学日本画科卒業。染め付けや色絵の白磁の町・有田で、漆黒の天目釉を中心とした作陶で知られる異色の作家。位階は従三位。 1926年(大正15年)有田町の陶磁器製造販売会社の長男として生まれる。佐賀県西松浦郡有田町外尾山の陶磁器製造販売会社「青木兄弟商会」の長男として生まれ、外尾尋常小学校に通う。佐賀県立有田工業学校を経て、1951年(昭和26年)多摩美術大学日本画科を卒業すると同時に、神奈川県の法政大学第二高等学校および法政大学女子高等学校の美術教師となり、以後二年間勤務するが、父に呼び戻されて、祖父の興した会社に入る。
清水 卯一(しみず ういち、1926年3月5日 - 2004… 清水 卯一(しみず ういち、1926年3月5日 - 2004年2月18日)は日本の陶芸家。京都府京都市東山区五条生まれ。1985年人間国宝に認定。 1926年(大正15年)3月5日、京焼陶磁器卸問屋を営む生家の長男として誕生した。 11歳で父が急死したため、1938年(昭和13年)、家業を継ぐことを目的として立命館商業学校(後の新制立命館高等学校)に入学するも、作陶に興味を抱き同校を2年修了後の1940年に中退。14歳で石黒宗麿に師事し、通い弟子として陶芸を学ぶ。しかし国の戦時体制強化が影響したため弟子期間は数か月に終わり、その後は自宅にろくろ場を設け自作を開始した。 翌1941年国立京都陶磁試験場に伝習生として入所、同所では日根野作三、水町和三郎の指導を受けた。
田原 陶兵衛(十二代)(たはら とうべえ(じゅうにだい)、1… 田原 陶兵衛(十二代)(たはら とうべえ(じゅうにだい)、1925年(大正14年)6月19日 - 1991年(平成3年)9月27日)は、日本の陶芸家。萩焼の第一人者。 1925年6月19日、山口県長門市に生まれる。1944年、旧制山口高等学校在学中に召集を受けて満州に渡る。1945年、シベリアに抑留され、1948年に復員。復員後は長兄の11代田原陶兵衛に師事。1956年、長兄の急逝により12代陶兵衛を襲名する。 1969年、第16回日本伝統工芸展に「萩茶碗」を初出品。翌年、日本工芸会正会員となり、1981年から1988年まで同会理事を務める。1981年、山口県指定無形文化財萩焼保持者に認定される。
篠田 義一(しのだ ぎいち、1924年(大正13年)12月2… 篠田 義一(しのだ ぎいち、1924年(大正13年)12月26日 - 2010年(平成22年)1月26日)は、日本の陶芸家。長野県下伊那郡川路村(現在の飯田市大字川路)出身。 家は祖父の代より篆刻家で、表札や旅館の看板、寺社の扁額などを手掛けていた。生地は川路村だったが、父の篠田弼は松本市浅間温泉に移って土産物の陶芸を営み、篠田もその下で育つ。これにより旧制中学校在学中に陶芸家を志望した。 開智尋常小学校、1942年(昭和17年)に松本第二中学を卒業後、京都の陶芸家伊東陶山の門を叩くが断られ、代わりに紹介された近藤悠三に師事した。1944年(昭和19年)、福知山の陸軍に召集され、幹部候補生試験を経て沖縄派遣を控える中で軍曹で終戦を迎えた。
藤井 佐知(ふじい さち、出生名:山口 幸子(やまぐち さち… 藤井 佐知(ふじい さち、出生名:山口 幸子(やまぐち さちこ)、本名:藤井 幸子(ふじい さちこ)、1924年(大正13年)12月6日 - 2015年(平成27年)10月21日)は、日本の淡路島にあった兵庫県三原郡阿那賀村(現在の南あわじ市)の陶芸家である。 栃木県益子町の益子焼の「中興の祖」である濱田庄司の「唯一の女性の弟子」であり、濱田庄司の教えを受けて、淡路島の土を用いて低火度釉薬であるガレナ釉:鉛釉を用いたスリップウェアを作陶し続け、濱田庄司からは「私にも出来ない、大らかな仕事をする人です」と評されていた。 寡作の陶芸家であったため、藤井が作陶し、世に出た作品の数は決して多く無かったが、その作品は現在もスリップウェア愛好家の中で高く評価されている。
小泉 淳作(こいずみ じゅんさく、1924年10月26日 -… 小泉 淳作(こいずみ じゅんさく、1924年10月26日 - 2012年1月9日)は、日本の日本画家、陶芸家。特定の美術団体に属さず、画壇とも距離を置いたことから「孤高の画家」と呼ばれた。 神奈川県鎌倉市生まれ。政治家小泉策太郎の七男で、俳優小泉博は弟にあたる。慶應義塾幼稚舎、普通部を経て、慶應義塾大学文学部予科に入学。1943年、慶應義塾大学予科を中退し、東京美術学校日本画科に入学。山本丘人に師事し、1952年同学科を卒業。1944年応召となるが、結核で療養生活に入る。陸軍予備士官学校の経験からか、戦争には強烈な嫌悪感を抱いていた。 その後、デザイナーとして活動し、1954年第18回新制作展に「花火」「床やにて」が初入選。
13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん… 13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん、1923年(大正12年)5月31日 - 2009年(平成21年)3月12日)は、陶芸家。位階は正五位。 日本芸術院会員。本名・中里忠夫。法号・中里逢庵。佐賀県唐津市出身。日本工匠会会長。国際陶芸アカデミー会員。 12代中里太郎右衛門(中里無庵)の長男であり、弟の中里重利、中里隆も陶芸家、自身の長男忠寛もまた14代中里太郎右衛門で伝統ある陶芸家の家系である。 進学に際しては後の作陶力向上のため絵画能力を重視した父無庵の意見により佐賀県立唐津中学校を経て美術学校である官立東京高等工芸学校工芸図案科に入学した経緯があった。 戦時中の1943年(昭和18年)には宮崎県の航空教育隊に入営、所属部隊が1945年5月に台湾の台北空港に展開、そのまま現地で終戦し1946年(昭和21年)まで台中で捕虜生活を経験した。
13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん… 13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん、1923年(大正12年)5月31日 - 2009年(平成21年)3月12日)は、陶芸家、日本藝術院会員。本名・中里忠夫。法号・中里逢庵。佐賀県唐津市生まれ。日本工匠会会長。国際陶芸アカデミー会員。
月形 那比古(つきがた なひこ 1923年(大正12年)5月… 月形 那比古(つきがた なひこ 1923年(大正12年)5月22日 - 2006年(平成18年)8月16日)は、日本の陶芸家。鬼志野創始者、鬼志野宗家。昭和中期から平成中期にかけ、現代美濃陶芸界における志野焼黎明期〜発展期〜成熟期で活躍した日本を代表する荒川豊蔵の次の直接の第二世代の陶工作家。「炎の陶工」「炎の陶人」「沙門の陶工」と言われた。代表作は美濃陶芸の他に、絵画、書、彫刻、篆刻作品などにも秀作を手掛けた。志野焼誕生地の美濃・岐阜県土岐市にて没。享年84(満83歳没)。 1923年(大正12年)新潟県糸魚川市に生まれる。当時の実家は専業農家。5人兄弟姉妹の三男。父は石刻匠、母は華道家。父が那比古5歳の時に不慮の事故で急逝。
清水九兵衛(きよみず きゅうべえ、旧字体: 淸水 九兵衞、1… 清水九兵衛(きよみず きゅうべえ、旧字体: 淸水 九兵衞、1922年5月15日 - 2006年7月21日)は彫刻家、陶芸家。日本における抽象彫刻の第一人者である一方、京焼の名家として知られる清水六兵衞(七代)を襲名していた。名は広、旧姓は塚本。 愛知県大久手町(現・名古屋市千種区大久手町)に生まれ、愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)へ進学。第二次世界大戦開戦直後に名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)で建築を学び、主にイタリアのファシスト政権下で存続していたモダニズム建築に興味を持った。沖縄戦から生還し、戦後は東京藝術大学美術学部鋳金科で彫刻を学んだ。在学中に京都の清水焼の名跡、六代清水六兵衛の養子となり陶芸をはじめた。
鳴海 要(なるみ かなめ、1920年10月5日 - 2004… 鳴海 要(なるみ かなめ、1920年10月5日 - 2004年8月28日)は、日本の陶芸家。りんご釉の開発者。 青森県中津軽郡岩木町(現 弘前市)出身。1951年県工業試験場窯業部研究員、1954年加藤土師萌に師事。1956年東京藝術大学美術学部副手。1961年現代日本陶芸特選。1964年に帰郷し、賀田で築窯する。 1977年岩木町褒賞、1996年青森県文化賞、1999年青森県褒賞、2003年青森りんご勲章をそれぞれ受賞した。2003年、鳴海要記念陶房館を開設し、同年地域文化功労者文部大臣表彰を受けた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
辻 輝子(つじ てるこ、1920年〈大正9年〉8月2日 - … 辻 輝子(つじ てるこ、1920年〈大正9年〉8月2日 - 2017年〈平成29年〉10月23日)は、女流陶芸家。日本の女性陶芸家第1号。仙台万華鏡美術館名誉館長。夫は日本犬研究家の斎藤弘吉。弟に陶芸家の辻清明、子に陶芸家の辻厚成、孫に陶芸家の辻厚志がいる。
島岡 達三(しまおか たつぞう、1919年(大正8年)10月… 島岡 達三(しまおか たつぞう、1919年(大正8年)10月27日 - 2007年(平成19年)12月11日)は、栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 「益子焼の中興の祖」である濱田庄司に師事し、「縄文象嵌技法」を考案し、陶芸:民芸陶器の重要無形文化財技術保持者(人間国宝)となった。 1919年(大正8年)10月27日、三代続いた組紐師の父・島岡米吉と母・かうの長男として、東京市芝区愛宕町(現・東京都港区愛宕)に生まれた。 1936年(昭和11年)、もともとは文系が志望であったが、技術者を優遇していたその当時の時代の風潮を懸念した父に工業系を勧められたため、東京府立高等学校高等科理科に入学し、そして1939年(昭和14年)には東京工業大学窯業学科に入学した。
岡部 嶺男(おかべ みねお、1919年10月3日 - 199… 岡部 嶺男(おかべ みねお、1919年10月3日 - 1990年9月4日)は、日本の陶芸家。 愛知県瀬戸市出身。加藤唐九郎の長男。 1937年(昭和12年)、愛知県立瀬戸窯業学校卒。1940年(昭和15年)、東京物理学校中退。主な受賞歴に、日展特選・北斗賞、プラハ国際陶芸展グランプリ、日本工芸会奨励賞など。「岡部嶺男青磁」と呼ばれる独特な作風で知られた。 旧姓は加藤。父の唐九郎とは不和で、永仁の壺事件によって決裂し、のちに妻の実家の姓である岡部姓を名乗るようになった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤本 能道(ふじもと よしみち、1919年1月10日 - 1… 藤本 能道(ふじもと よしみち、1919年1月10日 - 1992年5月16日)は日本の陶芸家。1986年に人間国宝に認定された。
八木 一夫(やぎ かずお、1918年(大正7年)7月4日 -… 八木 一夫(やぎ かずお、1918年(大正7年)7月4日 - 1979年(昭和54年)2月28日)は日本の陶芸家である。戦後復興期に前衛陶芸家集団「走泥社」を結成、器としての機能を持たない「オブジェ焼」と呼ばれる作品を発表し、現代陶芸に新分野を確立した。陶芸家八木一艸の長男。長男は陶芸家の八木明。 京都市五条坂に陶芸家八木一艸の長男として生まれる。1937年京都市立美術工芸学校彫刻科卒業の後、商工省設置の国立陶磁器試験所の伝習生となり、沼田一雅の「日本陶彫協会」に入会し陶彫を学んだ。1939年兵役で南支広東方面へ派遣されたが、病気のため翌年除隊。帰国後、日本画の前衛団体「歴程美術協会」などと関わりを持つなかでシュルレアリスムや抽象美術などの西洋の最先端美術への親しみを深めるが、戦時下の社会で前衛を否定して古典回帰を求める風潮が高まり、八木もまたしばらくは陶芸を中断して神戸や京都で教員として生活した。
田村 耕一(たむら こういち 1918年(大正7年)6月21… 田村 耕一(たむら こういち 1918年(大正7年)6月21日 - 1987年(昭和62年)1月3日)は、日本の陶芸家。1986年(昭和61年)に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。 栃木県佐野市富岡町出身。昭和16年(1941年)東京美術学校工芸科図案部を卒業し、大阪府下で楽焼を学ぶが翌年応召する。戦後の昭和20年(1945年)京都市の松風工業株式会社松風研究所に入所して陶磁器の本格的研究を開始し、富本憲吉に師事した。昭和23年(1948年)栃木県佐野市へ帰り、赤見窯の築窯に加わる。翌年新匠工芸会展に出品、昭和25年(1950年)には濱田庄司の勧めで「栃木県窯業指導所」(現在の「栃木県産業技術センター 窯業技術支援センター」)技官となり、ココ工芸の結成に参加、のち生活工芸集団結成に加わった。
加藤 卓男(かとう たくお、1917年(大正6年)9月12日… 加藤 卓男(かとう たくお、1917年(大正6年)9月12日 - 2005年(平成17年)1月11日)は、陶芸家。幸兵衛窯六代目。ラスター彩、青釉、三彩、ペルシア色絵などを再現。国指定重要無形文化財(人間国宝)、岐阜県名誉県民、多治見市名誉市民。
吉賀 大眉(よしか たいび、1915年2月8日 - 1991… 吉賀 大眉(よしか たいび、1915年2月8日 - 1991年10月13日)は、陶芸家。文化功労者。 山口県萩市出身。本名は寿男。東京美術学校彫刻科卒。萩焼作家協会会長、山口芸術短期大学教授を務めた。1971年日本芸術院賞受賞。1982年日本芸術院会員。1986年勲三等瑞宝章、1990年文化功労者。墓は山口県萩市大井の周鷹寺の墓地にある。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
中村 六郎(なかむら ろくろう、1914年2月4日 - 20… 中村 六郎(なかむら ろくろう、1914年2月4日 - 2004年4月11日)は岡山県備前市伊部生まれの陶芸家。愛称は「六さん」 日本工芸会中国支部、備前焼陶友会、伝統工芸士会に所属した。 父親が金重陶陽らの作家たちと親しく、その影響で陶芸家を志す。終戦までは会社勤めをするが、1945年に金重陶陽に師事し、技術の修練を積む。また、北大路魯山人が金重陶陽宅に来訪時には、藤原啓、山本陶秀らと共に、その技術を学び影響を受けたと言われている。 1961年に六郎窯を築いて独立する。1986年には伝統工芸士に認定される。 ろくろでは徳利などの酒器を好んで製作。たたらでは泡瓶、急須、茶碗なども手がける。朴訥で野性味あふれる作風。