勘米良 亀齢(かんめら かめとし、1923年(大正12年)1… 勘米良 亀齢(かんめら かめとし、1923年(大正12年)11月1日 - 2009年(平成21年)4月6日)は、昭和から平成時代の地質学者、古生物学者。 熊本県球磨郡湯前町で生まれる。旧制人吉中学校(現・熊本県立人吉高等学校)を卒業後、熊本県立工業高等学校(現・熊本県立熊本工業高等学校)を経て、1943年(昭和18年)10月九州帝国大学理学部地質学科に入学する。戦時中の当時、資源調査要員として新潟・長野県境の富倉(現・長野県飯山市富倉)へ学徒動員される。終戦後の1946年(昭和21年)9月、同校卒業後、同年10月に同校理学部助手となり、のち教授となった。球磨川下流域の調査を中心とした中生界の層序および火成岩・変成岩に付随する古生層の関係の研究に端を発した紡錘虫の化石帯区分に関する研究は日本地質学会研究奨励賞を受賞した。
谷口 巳三郎(たにぐち みさぶろう、1923年 <大正12年… 谷口 巳三郎(たにぐち みさぶろう、1923年 <大正12年> 11月1日 -2011年 <平成23年> 12月31日 )は、農業・環境・人材指導者、循環式有機農法農業家、妻は谷口恭子(タイとの交流の会で活動)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
扇田博元(おうぎだ ひろもと、1923年11月1日 - )は… 扇田博元(おうぎだ ひろもと、1923年11月1日 - )は、日本の教育学者。 奈良県生まれ。本名・常博。関西学院大学文学部教育学科卒、同大学院教育心理学修士課程修了、大伴教育研究所員、大阪府教育研究所員、大阪府科学教育センター主事、奈良文化女子短期大学教授、兵庫女子短期大学教授、近畿大学教養学部教授、ニューポート大学教授。日本個性教育研究会会長。
吉岡 繁(よしおか しげる、1923年11月1日 - 201… 吉岡 繁(よしおか しげる、1923年11月1日 - 2017年1月26日)は、日本の牧師、実践神学者。日本キリスト改革派仙台教会牧師と日本キリスト改革派神学校校長を務める。 日本キリスト教団牧師・松尾造酒蔵は実父。双恵学園の創設者・松尾武は叔父にあたる。 神奈川県横浜市に生まれる。松尾造酒蔵と、妻・きくの次男だった。旧制静岡高等学校(1940年入学)を経て、1943年に東京帝国大学文学部に入学した。しかし、その年に学徒出陣の対象となり、10月21日の「出陣学徒壮行会」では明治神宮外苑競技場を行進した。同年、吉岡家(千代)の養子となる。吉岡千代の夫・愛(めぐむ)の父は吉岡弘毅で、三男が信時潔であった。
本郷 次雄(ほんごう つぐお、1923年11月1日 - 20… 本郷 次雄(ほんごう つぐお、1923年11月1日 - 2007年4月2日)は、日本の菌類学者。滋賀大学名誉教授。理学博士(京都大学)。専門は菌類分類学。 滋賀県出身。1946年、広島文理科大学生物学科卒業。大学では、堀川芳雄の指導を受ける。 1951年、滋賀大学学芸学部助手。講師、助教授を経て、1968年、滋賀大学教育学部教授。1989年、名誉教授。この間、滋賀大学教育学部附属小学校長や同附属幼稚園長事務取扱併任。元日本菌学会会長(1987年~1989年)。アメリカ菌学会名誉会員。 ハラタケ目を中心に、日本の多くのキノコを分類し学名をつけた。その功績により、2003年に第13回南方熊楠賞(自然科学の部)を受賞した。
中山 真(なかやま まこと、1922年11月1日 - 200… 中山 真(なかやま まこと、1922年11月1日 - 2008年5月3日)は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1947年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、同年10月に三洋商会に入社。新潟アスファルト工業での勤務を経て、1951年12月に北越銀行に転じ、1972年5月に取締役に就任し、1975年12月に常務、1981年6月に専務を経て、1986年6月に副頭取に就任し、1987年6月には頭取に昇格。1993年6月に会長に就任。 1993年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 2008年5月3日多臓器不全のために死去。85歳没。
今井 光也(いまい みつや、1922年11月1日 - 201… 今井 光也(いまい みつや、1922年11月1日 - 2014年5月6日)は、日本の作曲家、指揮者。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)生まれ。諏訪交響楽団員の父・今井久雄から音楽の薫陶を受けて育つ。旧制諏訪中学(現長野県諏訪清陵高等学校)を経て、山梨高等工業学校(現山梨大学工学部)卒業。三協精機製作所(現ニデックインスツルメンツ)に勤務する傍ら、1961年に諏訪交響楽団に入団し、フルート、ホルン奏者のほか指揮者を務めた。1962年11月に、オリンピック組織委員会とNHKが行ったオリンピック東京大会ファンファーレの公募に応募し、当選した。 他には数曲の校歌、社歌などの作曲を行っている。1990年に諏訪交響楽団会長に就任し、晩年は名誉会長を務めていた。
一色 尚次(いっしき なおつぐ、1922年(大正11年)11… 一色 尚次(いっしき なおつぐ、1922年(大正11年)11月1日 - 2013年(平成25年)6月22日)は、日本の工学者・エンジニア。工学博士(東京大学)、東京工業大学名誉教授。熱力学や伝熱工学、タービンや原動機を専門とし、濃度差エネルギーエンジンやスターリングエンジンの研究で特に有名である。熱力学や伝熱学の教科書執筆も手掛けた。妻は恵泉女学園特別顧問の一色義子。 船舶技術研究所機関開発第2部長、東京工業大学教授、日本大学教授、日本機械学会会長などを歴任。晩年はスターリングテクノラリー技術会会長やNPO日本スターリングエンジン普及協会名誉会長を長く務めた。逝去後には、スターリングエンジンの顕著な貢献を顕彰する「一色尚次賞」が設けられている。
三好 洋子(みよし ようこ、1922年11月1日 - 201… 三好 洋子(みよし ようこ、1922年11月1日 - 2018年)は、日本の西洋史学者。 東京生まれ。1943年、東京女子大学英語専攻部卒業。1949年9月、東京大学文学部史学科西洋史学専修を卒業。1950年に東京都立大学人文学部史学専修の助手となり、助教授を経て、1976年に教授となった。1982年「イギリス中世村落の研究」で名古屋大学・文学博士。84年都立大を定年退官、聖心女子大学教授を務めた。中世イングランド史が専門。
湊 庄市(みなと しょういち、1922年11月1日 - 20… 湊 庄市(みなと しょういち、1922年11月1日 - 2004年1月3日)は、日本の柔道家(講道館9段)、政治家。旧姓小山。 柔道界においては全日本柔道連盟顧問や四国柔道連盟副会長、徳島県柔道連盟会長、徳島県警師範等を、また政界においては徳島県議会議員として県議会議長等を務めた。 徳島県阿波郡市場町(現・阿波市)にて、養蚕業と雑貨商を営む小山家に次男として生まれた。1935年4月に旧制阿波中学校(現・県立阿波高校)へ入学し、授業で柔道と剣道のどちらかが必修科目となっていたため、道具の安い柔道を選択したのが斯道に触れるきっかけとなった。師範の竹内秀夫より柔道を学び、ここで同級生の川添利雄(のち高知県柔道連盟会長)や西條晃正(のち徳島県議会議員)らと阿波中の黄金時代を築いたのち、1939年6月付で講道館へ入門。
山本 鎮彦(やまもと しずひこ、1920年(大正9年)11月… 山本 鎮彦(やまもと しずひこ、1920年(大正9年)11月1日 - 2012年(平成24年)9月17日)は、日本の内務・警察官僚。第9代警察庁長官。位階は従三位。 長野県長野市生まれ。横浜第一中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)、旧制松本高等学校文科甲類を経て1943年東北帝国大学(現東北大学)法文学部法科卒。 1943年内務省入省。警視庁の初代公安三課長、警務部監察官など警備・公安畑一筋に歩む。公安三課長時代にラストヴォロフ事件を手掛けたのを始め、公安部長時代には第二次安保騒動、警備局長時代には赤軍派による日航機ハイジャック事件、金大中事件、連続企業爆破事件など歴史的事件に遭遇し、陣頭指揮を執った。
奥田 八二(おくだ はちじ、1920年11月1日 - 200… 奥田 八二(おくだ はちじ、1920年11月1日 - 2001年1月21日)は日本の政治家、社会学者。福岡県知事を3期12年にわたって務めた。九州大学名誉教授。 1920年(大正9年)、兵庫県で生まれる。龍野中学校、姫路高等学校 (旧制)を経て、1944年(昭和19年)に九州帝国大学(現・九州大学)法文学部を卒業し、九州大学で社会思想史の研究に取り組み教授に就任した。また、社会主義協会の発足や、炭鉱失業者の救済を目指した「黒い羽根運動」に参加した。1967年(昭和42年)の社会主義協会分裂では太田派に属し、知事退任後は『進歩と改革』(太田派『社会主義』後継誌)にたびたび寄稿した。 1983年(昭和58年)、当時の社会党や共産党の推薦を得て、自民党推薦の亀井光の5選を阻止すべく福岡県知事選に出馬した。
中島 義信(なかじま よしのぶ、1920年11月1日 - 1… 中島 義信(なかじま よしのぶ、1920年11月1日 - 1967年3月25日)は、日本の元ラグビー選手、元監督。 徳島県立阿波中学校(現在の徳島県立阿波高等学校)を経て立命館大学に進学。同校のラグビー部で活動。同大学を卒業後、近鉄(現在の花園近鉄ライナーズ)に加入。1952年、ラグビー日本代表選手として、オックスフォード大学との間で組まれた2試合のテストマッチに出場し、キャップ2を獲得。 1953年、1952年度の第5回全国社会人ラグビーフットボール大会(以下、全国社会人大会)に近鉄が出場できなかったことを受け、監督に就任。そして1953年度の第6回全国社会人大会において、九州電力(現在の九州電力キューデンヴォルテクス)と3-3の引き分けながらも、出場4回目にして悲願の同大会初優勝をもたらした。
服部 栄三(はっとり えいぞう、1920年11月1日 - 2… 服部 栄三(はっとり えいぞう、1920年11月1日 - 2008年1月27日)は、日本の法学者。 京都市出身。第三高等学校卒、1943年東京帝国大学法学部政治学科卒、1962年「団体法の研究 株式会社法を中心として」で東北大学・法学博士。 1945年10月東大法学部助手、1947年北海道大学法文学部助教授、1950年同志社大学法学部助教授、52年教授、1957年東北大学法学部教授、72年法学部長、84年定年退官、名誉教授。没後正四位。
広池 秋子(ひろいけ あきこ、1919年(大正8年)11月1… 広池 秋子(ひろいけ あきこ、1919年(大正8年)11月1日 - 2007年(平成19年)11月25日)は、日本の小説家、評論家、ヨーガ研究家。埼玉県出身。本名は増田秋子。東京府立第七高等女学校(現・東京都立小松川高等学校)卒。丹羽文雄に師事し、1953年「オンリー達」で芥川賞候補となる。以後は評論家として活動。 「オンリー達」は、『現代の女流文学 第1巻』(毎日新聞社、1974)、『女性作家シリーズ 現代秀作集』(角川書店、1999)、『戦後の出発と女性文学 第8巻 (昭和28年)』(ゆまに書房、2003)所収。
佐治 敬三(さじ けいぞう、1919年 <大正8年> 11月… 佐治 敬三(さじ けいぞう、1919年 <大正8年> 11月1日 - 1999年 <平成11年> 11月3日)は、日本の実業家。サントリー第2代社長、元会長。基礎科学研究を熱心にサポートした実業家としても知られる。位階は正三位。 1919年(大正8年)11月1日、サントリー創業者の鳥井信治郎の次男として大阪府大阪市東区住吉町(現:中央区松屋町住吉)に生まれる。 1932年(昭和7年)頃に母方の縁者と養子縁組をして「佐治」姓となったが、そのまま大阪の実父母のもとで暮らした。 1940年に、実兄が死去。 大阪府池田師範学校附属小学校、旧制浪速高等学校卒業。 1942年4月、大阪帝国大学理学部化学科卒業。
斎藤 公正(さいとう こうせい、1918年11月1日 - 1… 斎藤 公正(さいとう こうせい、1918年11月1日 - 1974年2月15日)は、池上通信機創業者。神奈川県出身。 慶應義塾大学経済学部卒業後、大日本帝国海軍主計科に入り、海軍経理学校でも学んだ。横須賀鎮守府、大湊海軍航空隊、滋賀海軍航空隊で主計長を務め、終戦時は主計少佐であった。 1946年、池上通信機材製作所(現・池上通信機)を設立。一代で一流メーカーに育て上げた。 1974年2月15日、神奈川県藤沢市の江の島ヨットハーバー前の駐車場を乗用車で二・三周した後、料金所脇から猛スピードで岸壁に衝突し、死亡した。労働組合の問題で悩んでおり、自殺ではないかとされている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
信州山 由金(しんしゅうざん よしかね、1918年11月1日… 信州山 由金(しんしゅうざん よしかね、1918年11月1日 - 1976年8月20日)は、長野県諏訪郡上諏訪町(現在の同県諏訪市岡村)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は河西 由金(かわにし よしかね)。 現役当時の体格は179cm、92kgと、当時としては肩幅も広くがっしりとした体型であった。右を差しての思い切った攻め、頭を付ける堅実さを持ち合わせた取り口。 18歳の時に角界入りし、1937年5月場所で初土俵。1938年5月、19歳で序ノ口に付き、故郷の長野県諏訪郡に由来する「諏訪昇」を四股名とした。 その後、1942年5月場所より、郷里・長野県の旧称(信濃・信州)に因んだ「信州山」に改名。
李 坰鎬(イ・ギョンホ、朝鮮語: 이경호、1917年11月1… 李 坰鎬(イ・ギョンホ、朝鮮語: 이경호、1917年11月1日 - 1987年2月28日)は、大韓民国の官僚、検察官、憲法学者、政治家。第10代韓国国会議員、第14代保健社会部長官。本貫は全州李氏。号は仁山(인산、インサン)。日本名は李家 坰鎬。 岳父は制憲国会議員の晋直鉉、娘の李玲愛(朝鮮語版)とその夫の金賛鎮(朝鮮語版)も国会議員を務めたことがある。 全羅南道光陽に生まれた。1940年に京城法学専門学校を卒業。1942年に九州帝国大学法文学部法科(現・九州大学法学部)を卒業し、1943年に高等文官試験司法科に合格した。朝鮮光復後の1947年に憲法学者としてソウル大学校法科大学助教授、1950年に東国大学校教授を務めた。
小林 昇(こばやし のぼる、1916年〈大正5年〉11月1日… 小林 昇(こばやし のぼる、1916年〈大正5年〉11月1日 - 2010年〈平成22年〉6月3日)は、日本の経済学者。専門は経済学史。学位は、経済学博士(東京大学・論文博士・1955年)。福島大学名誉教授、立教大学名誉教授。日本学士院会員。 東京海上保険会社での勤務を経て、福島高等商業学校教授・福島大学経済学部教授・立教大学経済学部教授・立教大学経済学部学部長・大東文化大学教授などを歴任。 経済学史を専攻する京都市出身の経済学者である。東京帝国大学卒。1940年、福島高等商業学校講師。途中3年間の兵役を挟み、福島大学経済学部の設立などに尽力する。1955年から82年まで立教大学経済学部教授。ドイツ経済学史に新地平を開き、特にフリードリッヒ・リストの研究で名高い。
野口 昭子(のぐち あきこ、1916年(大正5年)11月1日… 野口 昭子(のぐち あきこ、1916年(大正5年)11月1日 - 2004年(平成16年)7月27日)は、全生社社長、社団法人整体協会会長。整体協会創始者である野口晴哉の妻。旧姓・近衛、島津。 公爵近衛文麿の長女。母は毛利高範の娘・千代子。東京生まれ。女子学習院を卒業後、1937年に公爵島津忠重の嫡子・忠秀に嫁して修久ら二男一女を儲けるが、戦後の混乱期に忠秀のもとを去って出入りの整体師野口晴哉と駆け落ちし、「昭和のノラ事件」と呼ばれて話題になった。1945年12月に島津忠秀と離縁した。 野口晴哉と結婚してからは、晴哉の著作を発行する全生社の社長に就任し、出版事業を通じて野口整体の普及に貢献した。
小原 二郎(こはら じろう、1916年11月1日 - 201… 小原 二郎(こはら じろう、1916年11月1日 - 2016年5月12日)は、日本の人間工学、住宅産業、木材工学者。千葉工業大学理事・教授、千葉大学名誉教授。正四位。 長野県木曽郡読書村(現南木曽町)出身。 旧制岐阜県立恵那中学校(現岐阜県立恵那高等学校)、東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)を経て、1958年京都帝国大学農学部林学科卒業。専攻は人間工学、材料工学で、電車、自動車、航空機などの車両座席の改良、家具規格の基礎理論に貢献した。
増田 猛夫(ますだ たけお、1916年11月1日 - 200… 増田 猛夫(ますだ たけお、1916年11月1日 - 2006年3月30日)は、日本の実業家。伊藤忠商事副社長、伊藤忠燃料(現:伊藤忠エネクス)社長。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
桂 信子(かつら のぶこ、1914年11月1日 - 2004… 桂 信子(かつら のぶこ、1914年11月1日 - 2004年12月16日)は、日本の俳人。日野草城に師事。「旗艦」「青玄」などを経て「草苑」を創刊・主宰。本名は丹羽信子(にわのぶこ)。大阪市出身。1980年代以降は箕面市の自宅で過ごした。 大阪府大阪市東区八軒家に生まれる。大阪府立大手前高等女学校卒業。1934年、日野草城の「ミヤコ・ホテル」連作に感銘を受け、翌年より句作を開始。どこにも投句しなかったが、1938年、草城主宰の「旗艦」を知り投句。1939年、桂七十七郎と結婚。1941年、「旗艦」同人。同年、夫が喘息の発作のため急逝、以後会社員として自活する。 1946年「太陽系」創刊に参加、草城主宰の「アカシヤ」同人。
三浦 淳史(みうら あつし、1913年11月1日 - 199… 三浦 淳史(みうら あつし、1913年11月1日 - 1997年10月13日)は、日本の音楽評論家。秋田市生まれ。イギリス音楽の第一人者として知られた。 父は北海道帝国大学工学部で冶金学の教授を務めていた。札幌第二中学校(現札幌西高等学校)で伊福部昭、佐藤忠良らと知り合う。北大予科在学中の1934年、伊福部らと共に「新音楽連盟」を結成する。当時に映画『慕情』のモデルとなるイアン・モリソン(映画ではマーク・エリオット)に英語のてほどきを受ける。その後“落第”して東北帝国大学に転じる。1940年、同大学法文学部を卒業する。ここでは村岡典嗣による日本思想史の講義を受講したという。北大予科在学中から音楽誌『月刊楽譜』に「札幌楽信」等を寄稿、戦後音楽誌の復活に伴い、音楽ジャーナリズムで活躍するようになった。
戸田 吉蔵(とだ きちぞう、1913年11月1日 - 198… 戸田 吉蔵(とだ きちぞう、1913年11月1日 - 1986年4月17日)は、東京都出身のプロ野球選手。 荏原中学校から1943年に東京巨人軍へ入団。1946年に退団。1947年に国民野球連盟の大塚アスレチックスに入団。翌年退団。
楊 明文(ヤン・ミョンムン、朝鮮語: 양명문、1913年11… 楊 明文(ヤン・ミョンムン、朝鮮語: 양명문、1913年11月1日 - 1985年11月21日)は、大韓民国の詩人、文学者、教授。号は紫門(チャムン、자문)。 日本統治時代の平安南道平壌生まれ。1939年に詩集『華愁園』を発表した。1942年に専修大学法学部を卒業し、1944年までに東京で文学創作をした。 光復後は北朝鮮地域に行ったが、朝鮮戦争の第3次ソウルの戦いの時に越南した。その後は全国文化団体総連合会救国隊員、従軍作家団員として韓国陸軍に従軍した。終戦後はソウル大学校文理科大学・師範大学、国防部戦時連合大学、首都医科大学(現在のソウル友石大学校)、清州大学で詩論と文芸思潮の講義をし、1960年に梨花女子大学校副教授を務め、1966年以降は国際大学(現在の西京大学校)の国語国文学科教授を務めた。
西山 昭(にしやま あきら、1913年〈大正2年〉11月1日… 西山 昭(にしやま あきら、1913年〈大正2年〉11月1日 - 1988年〈昭和63年〉1月23日)は、日本の外交官。駐インドネシア特命全権大使、駐スイス特命全権大使、駐大韓民国特命全権大使、交流協会台北事務所代表、交流協会理事長。 福岡県出身。1933年(昭和8年)福岡高等学校文科甲類卒業。1936年(昭和11年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年10月、高等試験外交科試験に合格して外務省入省。1949年(昭和24年)外務省連絡局地方課長。1950年(昭和25年)在カルカタ日本政府在外事務所所長。1953年(昭和28年)外務省経済局第三課長。1955年(昭和30年)外務省経済局次長。1956年(昭和31年)外務省経済局外務参事官。
木羽 敏泰(きば としやす、1913年11月1日 - 201… 木羽 敏泰(きば としやす、1913年11月1日 - 2017年2月20日)は、日本の化学者、教育者。 1913年(大正2年)大阪市に生まれる。大阪府立浪速高等学校を経て東北帝国大学に進学。1937年(昭和12年)同大理学部化学科卒業。1939年(昭和14年)金沢高等工業学校に勤務。1941年(昭和16年)名古屋帝国大学工学部助教授、1949年(昭和24年)金沢大学教授。金沢大学では理学部分析化学講座を担当した。1969年(昭和44年)同大学理学部長,1979年(昭和54年)同大を定年退職、金沢工業大学教授に就任。1984年(昭和59年)金沢工業大学学長。1988年(平成元年)任期満了により同学長を退職。
大山 信郎(おおやま のぶろう、1911年11月1日 - 2… 大山 信郎(おおやま のぶろう、1911年11月1日 - 2009年2月13日)は、日本の医学者、医学博士。東京教育大学学長を務めた。 愛知県出身。1937年に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 東京帝国大学副手、山梨県立医学専門学校眼科部長、国立盲教育学校教授などを経て、1951年に東京教育大学教授に就任し、1974年3月から1978年3月までに学長を務めた。1972年4月に教育学部長を経て、1978年3月には名誉教授に就任。 1983年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2009年11月26日に死去。97歳没。
秋 玲二(あき れいじ、1910年(明治43年)11月1日 … 秋 玲二(あき れいじ、1910年(明治43年)11月1日 - 2006年(平成18年)2月24日)は、日本の漫画家、画家。佐賀県唐津市出身。本名古川 善男(ふるかわ よしお)。 生涯、数多くの学習漫画を手がけた。主な作品に『よっちゃんの勉強漫画』『クラブくんの冒険』など。日本漫画家協会名誉会員。また、石川滋彦の弟子として洋画家としても知られる。 1910年、佐賀県唐津市にて生誕。 1930年、東京市教員講習所養成科を卒業し、1946年まで東京の小学校の教員を務めていた。 1933年頃から漫画を描き始め、1939年4月から『東日小学生新聞』にて『よっちゃんの勉強漫画』の連載を開始し2000年に終了するまで60年以上連載されていた。
上野 淳一(うえの じゅんいち、1909年11月1日 - 1… 上野 淳一(うえの じゅんいち、1909年11月1日 - 1997年10月19日)は、朝日新聞社の元社主。 朝日新聞社第3代社主・上野精一の息子であり、初代社主・上野理一の孫。岳父は三井財閥幹部の福井菊三郎。岳母の父は麻布中学校を創立した江原素六。息子は第4代社主の上野尚一。 北野中学校、広島高等学校 (旧制)、1934年京都帝国大学経済学部卒業。1937年に朝日新聞社に入社。戦後の1945年に戦争責任を明らかにするために退社。神戸商科大学事務局長、田中耕太郎最高裁判所長官の秘書官を務めた後、1952年に朝日新聞社に復帰した。1970年から社主となった。京都国立博物館評議員、仏教美術研究上野記念財団理事。
平田 陽一郎(ひらた よういちろう、1908年11月1日 -… 平田 陽一郎(ひらた よういちろう、1908年11月1日 - 1988年10月10日)は、日本のジャーナリスト、実業家。 愛媛県八幡浜市生まれ。松山中学校 (旧制)に入学。松山高等学校 (旧制)在学時、のちの日本共産党議長宮本顕治や憲法学者大野盛直らと同人雑誌『白堊紀』を発行するなどの親交があった。 京都帝国大学卒業。大阪毎日新聞記者を経て、1942年愛媛合同新聞社(現愛媛新聞社)編集局長。1946年愛媛新聞社社長。1947年日本で初めて新聞週間行事を実施した。1953年南海放送開局、社長に就任。 1963年1月の第5回愛媛県知事選挙に「県政刷新県民の会」より出馬、自由民主党公認の現職知事久松定武に接戦の末惜敗した。
土倉 冨士雄(どくら ふじお、1908年(明治41年)11月… 土倉 冨士雄(どくら ふじお、1908年(明治41年)11月1日 - 1983年(昭和58年)7月31日)は、日本の実業家。カルピス食品工業元社長・会長。 1908年11月1日、奈良県に生まれる。父は日本統治下の台湾で林業・電力事業等に足跡を残した土倉龍治郎(カーネーションの父とも称される)。 祖父は明治期の林業家で、自由民権運動や大学設立等の教育他、幅広い分野に大きな影響を与えた土倉庄三郎。 成城高等学校を経て(級友に大岡昇平など)、1932年、京都帝国大学経済学部卒業。 1956年、招聘を受けカルピス食品工業入社、調査部長(東亞合成化学工業退社)。1957年、取締役経理部長。1959年、常務。
福井 研介(ふくい けんすけ、1908年11月1日 - 20… 福井 研介(ふくい けんすけ、1908年11月1日 - 2000年1月17日)は、日本の翻訳家。 岡山県生まれ。1940年、東京外国語学校専修科露語科修了。 1946年3月まで外務省に勤務。それ以降、ロシア児童文学などの翻訳を始めた。1955年の『エジプトの少年』で産経児童出版文化賞受賞。
西園寺 公一(さいおんじ きんかず、1906年(明治39年)… 西園寺 公一(さいおんじ きんかず、1906年(明治39年)11月1日 - 1993年(平成5年)4月22日)は、日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)、外務省嘱託職員、太平洋問題調査会理事などを歴任した。ゾルゲ事件に連座して逮捕、有罪となり、公爵家を廃嫡となった。 1906年(明治39年)11月1日、西園寺家の嫡男として神奈川県に誕生した。祖父は元老・西園寺公望、父は公望の婿養子となった西園寺八郎(実父は旧長州藩主の毛利元徳)で、母は公望の長女・新子である。 学習院初等科を経て、1924年(大正13年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同級生には、朱牟田夏雄(東京大学名誉教授)、春山泰雄(サッカー日本代表)などがいた。
松井 道夫(まつい みちお、1906年(明治39年)11月1… 松井 道夫(まつい みちお、1906年(明治39年)11月1日 - 2014年(平成26年)9月19日)は、日本の弁護士、裁判官、政治家。緑風会所属参議院議員。
松井 道夫(まつい みちお、1906年(明治39年)11月1… 松井 道夫(まつい みちお、1906年(明治39年)11月1日 - 2014年(平成26年)9月19日)は、日本の弁護士、裁判官、政治家。緑風会所属参議院議員。都市計画家・早稲田大学教授の松井達夫は兄。 新潟県出身。1929年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業し、弁護士となる。 その後、判事に任官。長野地方裁判所、千葉地方裁判所、松山地方裁判所、甲府地方裁判所で判事を務めた。満洲国に転じ、ハルビン地方法院審判官、牡丹江高等法院審判官、チャムス地方法院次長を歴任。帰国後、甲府地方裁判所部長を務めた。 1947年4月、第1回参議院議員通常選挙において全国区に出馬し当選(任期3年)。1950年6月、第2回通常選挙で落選したため、参議院議員を一期のみ務めた。
井口 秋子(いぐち あきこ、1905年11月1日 - 198… 井口 秋子(いぐち あきこ、1905年11月1日 - 1984年10月2日)は、日本のピアニスト、ピアノ教育家。東京芸術大学名誉教授。夫は同じくピアニスト・ピアノ教育家の井口基成。結婚前の姓は澤嵜(さわざき)。 訳書に「現代ピアノ演奏法」(ライマー・ギーゼキング著)がある。 息子の井口家成は物理学者で東京工業大学教授。
茂木 史朗(しげき しろう、1905年〈明治38年〉11月1… 茂木 史朗(しげき しろう、1905年〈明治38年〉11月1日 - 1945年〈昭和20年〉4月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。戦艦「大和」 航海長。愛媛県出身。海軍兵学校53期。重巡「鳥海」や戦艦「榛名」などで航海長を歴任し、巧みな操艦技術で知られた。沖縄水上特攻作戦直前に戦艦「大和」の航海長に着任。最期は艦橋で主羅針儀に身を括り、艦と運命を共にした。 1905年(明治38年)、松山市河原町に父・木和村利平、母・ツネヨの四男として生まれた。版画家の木和村正次郎(創爾郎)は次兄である。幼くして両親と死別し、1914年(大正3年)3月24日にツネヨの実弟である茂木氏男・トヨ夫妻の養子となる。
木元 規矩男(きもと きくお、1905年11月1日 -199… 木元 規矩男(きもと きくお、1905年11月1日 -1992年11月19日)は、日本の実業家、ラグビー選手。 鹿児島県出身。旧制川内中学卒業後、明治大学に入学。 明治大学ラグビー部では(当初、柔道部だったが転部)、当初フッカーだったが北島忠治に譲り、知葉友雄とセカンドロー(ロック)を組み活躍した(5シーズン26試合出場、3トライ)。 1924年(大正13年)、明治大学在学中に秋田県のラグビーを振興するメンバーとして尽力した。 1929年(昭和4年)、毎日新聞社東京本社に入社し、東京本社総務局長、西部本社営業局長を歴任。1958年(昭和33年)、RKB毎日放送代表取締役専務、副社長を歴任した。 1974年(昭和49年)2月から1986年3月まで、九州ラグビーフットボール協会会長を務めた。
佐藤 朔(さとう さく、1905年(明治38年)11月1日 … 佐藤 朔(さとう さく、1905年(明治38年)11月1日 - 1996年(平成8年)3月25日)は、日本のフランス文学者、第13代慶應義塾塾長、日本芸術院会員。位階勲等は従三位勲一等。
平田 小六(ひらた ころく、1903年11月1日 - 197… 平田 小六(ひらた ころく、1903年11月1日 - 1976年5月18日)は、日本の作家。 秋田県生まれ。弘前中学校卒。プロレタリア文学の作家として出発、農民小説を書く。戦後は新日本文学会所属。 英語教師である父・孝次郎の勤務先である秋田県大館町に生まれる。第五十九国立銀行の行員となった父の転勤に伴い、幼い時期は青森県内を転々とする。1923年(大正12年)に弘前中学校を卒業すると、家計を助けるために進学を断念して代用教員に就く。1924年、北津軽郡小泊村下前尋常小学校(後の下前小学校。2010年に小泊小学校に統合され閉校)に訓導として着任する。(下前尋常高等小学校は明治9年に完成しました)この下前での2年弱の体験が、後の『囚はれた大地』の原型となった。
薄田 太郎(すすきだ たろう、1902年11月1日 - 19… 薄田 太郎(すすきだ たろう、1902年11月1日 - 1967年4月23日)はNHKの元アナウンサー、郷土史家、大衆芸能評論家。 NHK広島局の初代アナウンサーであり、戦前の広島市の大衆文化史を記録した『がんす横丁』の著者として知られる。 広島市に生まれ、1908年創立されたばかりの広島市立竹屋小学校に入学。卒業後、県立広島商業学校(現在の県立広島商業高校)に入学し、学生野球の応援団長として名を馳せた。その後、素人劇団「広島十一人座」の同人となり、1928年の広島放送局の開局とともに初代アナウンサーの一人となり、特にスポーツ実況で知られた。敗戦前後は南方にいたため原爆には被災せず、翌1946年夏に引揚船により帰国。
甲木 保(かつき たもつ、1902年(明治35年)11月1日… 甲木 保(かつき たもつ、1902年(明治35年)11月1日 - 1975年(昭和50年)11月30日)は、昭和期の文部官僚、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 福岡県三潴郡蒲池村(現柳川市)で、甲木鹿松の二男として生まれる。福岡県立中学伝習館(現福岡県立伝習館高等学校)を経て、1926年(大正15年)日本大学専門部法律科を卒業した。 文部省に入省し、同省嘱託、文部属兼厚生属、文部理事官などを歴任。1942年(昭和17年)大政翼賛会に転じ、錬成部副部長に就任。1944年(昭和19年)翼賛会を退職し、三笠製薬研究所を設立。戦後に株式会社に改組し三笠製薬社長に就任。三笠物産社長も務めた。 1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で福岡県第3区から民主自由党所属で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
小園 安名(こぞの やすな、1902年〈明治35年〉11月1… 小園 安名(こぞの やすな、1902年〈明治35年〉11月1日 - 1960年〈昭和35年〉11月25日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校第51期卒業。最終階級は海軍大佐剥奪。 1902年(明治35年)11月1日、鹿児島県川辺郡万世町(現・南さつま市)に生まれる。旧制鹿児島県立川辺中学校を経て1920年8月26日に海軍兵学校第51期に入学。同期に樋端久利雄、山本祐二、三代一就、大井篤らがいる。1923年7月14日、同校を卒業し、少尉候補生。練習艦「磐手」乗組み。 1926年3月、霞ヶ浦海軍航空隊第14期飛行学生、11月、卒業。空母「赤城」分隊長着任。霞ヶ浦航空隊教官着任。小園に思想的影響を受けた飛行学生の中尉らが五・一五事件を起こし、小園も「皇道革新」を主張し五・一五事件を支持したことから転勤させられる。
西村 半次郎(にしむら はんじろう、1901年11月1日 -… 西村 半次郎(にしむら はんじろう、1901年11月1日 - 1987年8月14日)は、日本の経営者。元住友信託銀行社長。京都府出身。 1926年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に住友信託銀行に入行。1946年4月に取締役に就任し、同年1月に常務、1948年5月に専務、1958年5月に副社長を経て、1960年5月には社長に就任。1969年5月に会長に就任し、1972年5月には相談役に就任。 1963年に藍綬褒章を受章し、1972年に勲二等瑞宝章を受章。 1987年8月14日に急性心不全のために死去。85歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
藤田 徳太郎(ふじた とくたろう、1901年11月1日 - … 藤田 徳太郎(ふじた とくたろう、1901年11月1日 - 1945年6月29日)は、日本の国文学者。 1901年、山口県下関市で生まれた。第五高等学校に入学。在学中から短歌雑誌「白路」を通して作歌活動を行っており、後に小説家となる林房雄や国文学者となる森本治吉、中島光風らと交友を結んだ。東京帝国大学文学部に入学し、国文学を専攻して卒業。 その後は、浦和高等学校教授に就任。和歌は佐佐木信綱に師事、日本の歌謡を研究した。1941年、大東塾塾長の影山正治が主宰する歌道普及を目的とした全国組織「新国学協会」が発足すると、その中に加わった。また、愛国百人一首の選定に当たるなど戦時下では国粋主義的な立場をとった。
美濃部 洋次(みのべ ようじ、1900年11月1日 - 19… 美濃部 洋次(みのべ ようじ、1900年11月1日 - 1953年2月28日 52歳)は、日本の商工官僚。
内田 敏雄(うちだ としお、1900年〈明治33年〉11月1… 内田 敏雄(うちだ としお、1900年〈明治33年〉11月1日 - 没年不詳)は、昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。位階は正四位。 海軍士官・内田正敏の養子・栄(矢部善作の二男)の長男として生まれる。養曽父・正敏の死去に伴い、1922年(大正11年)6月2日、男爵を襲爵した。 1926年(大正15年)4月、京都帝国大学法学部政治経済学科を卒業。1927年(昭和2年)東京市社会局嘱託となる。その後、南洋拓殖人事課長、同参事などを務めた。 1946年(昭和21年)5月11日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。 1977年(昭和52年)時点でのインタビューが残っている。