井上 幸彦(いのうえ ゆきひこ、1937年(昭和12年)11… 井上 幸彦(いのうえ ゆきひこ、1937年(昭和12年)11月4日 - )は、日本の警察官僚。第80代警視総監。オウム真理教事件の捜査で名を馳せる。日韓合同開催ワールドカップなど国内の重要イベントでは警備を通して危機管理強化に貢献した。退官後、政治家への転身を目指し、2003年(平成15年)2月2日に行われた山梨県知事選挙に立候補したが、山本栄彦甲府市長に敗れて約46,000票差で落選した。栄典は瑞宝重光章。 1995年、突如発生した地下鉄サリン事件に見舞われ、警視庁は日本犯罪史上最悪のテロ事件に対応する使命を急遽担うこととなる。一般市民を狙った無差別化学テロという未曾有の凶悪犯罪に対し、井上自身も時の警視総監として警視庁の陣頭指揮を執る立場となった。
宮坂 静生(みやさか しずお、1937年11月4日 - )は… 宮坂 静生(みやさか しずお、1937年11月4日 - )は、日本の俳人、国文学者。信州大学名誉教授。本名、敏夫。 長野県千曲市生まれ、松本市育ち。信州大学で近世文学を専攻。卒業後、1961年から長野県の公立高校教諭となり、1974年信州大学医学部保健学科助教授、教授を経て2001年定年退官、名誉教授。大学では近世および近現代国文学、日本人の死生観等を専門とした。 俳句は14歳から始め、18歳から「若葉」に投句、富安風生、加倉井秋をに師事。1962年、「龍膽」編集長となり同誌を小諸から発行。1968年、藤田湘子に会い「鷹」に入会、翌年に無鑑査同人となる(1995年に退会)。1978年俳誌「岳」(たけ)を創刊、主宰。
豊田 隆謙(とよた たかよし、1936年11月4日 - )は… 豊田 隆謙(とよた たかよし、1936年11月4日 - )は、日本の内科医。専門は、糖尿病学。医学博士。
前田 正二(まえだ まさじ、1936年11月4日 - 201… 前田 正二(まえだ まさじ、1936年11月4日 - 2016年3月8日)は、東京都出身の元IBC岩手放送チーフアナウンサー。
木村 東道(きむら とうどう、1935年11月4日 - 20… 木村 東道(きむら とうどう、1935年11月4日 - 2007年7月8日)は、書家。木村卜堂の長男として東京都荒川区に生まれる。本名は繁男、東道は号。
池内 淳子(いけうち じゅんこ、1933年(昭和8年)11月… 池内 淳子(いけうち じゅんこ、1933年(昭和8年)11月4日 - 2010年(平成22年)9月26日)は、日本の女優。 東京市本所区東両国(現:東京都墨田区両国)の塩物問屋の長女として生まれる。幼稚園はトモエ学園に通う。 1952年(昭和27年)、十文字高等学校卒業後、日本橋三越への入社試験に受かるも親の反対に遭う。しかし祖父の許しを得て無事に入社、配属された呉服売り場に後の女優・前田通子もおり、そこで2人の美貌が評判となる。1年余り勤めたのちに退社し、花嫁修業のため和裁と料理の学校(日本女子割烹専修学校(現:池袋調理師専門学校))へ通った。 1954年(昭和29年)、週刊芸能誌『サンケイグラフ』の第2回「カバーガール」に応募。
内藤 史朗(ないとう しろう、1933年(昭和8年)11月4… 内藤 史朗(ないとう しろう、1933年(昭和8年)11月4日 - )は、日本の英文学者、小説家、大谷大学名誉教授。台湾・台北市生まれ。本籍は愛知県海部郡佐織町(現・愛西市)。1957年京都大学文学部英文科卒。大谷大学助教授、1976年教授、1999年名誉教授、京都造形芸術大学教授。1974年アイルランドのイェイツ夏季大学で講師を務め、1983年オックスフォード大学セント・ジョンズ・カレッジで客員として研究に携わる。ほか東アジア史に関する小説も書く。
鈴木 道雄(すずき みちお、1933年(昭和8年)11月4日… 鈴木 道雄(すずき みちお、1933年(昭和8年)11月4日 - )は、日本の土木工学者、建設事務次官。 1956年(昭和31年)東京大学工学部土木工学科を卒業し、建設省に入省。1988年(昭和63年)建設技監を経て、翌年建設事務次官に就任し、退官した。退官後、日本道路公団総裁を7年間務めたのち、1999年(平成11年)道路環境研究所理事長に就任した。 ほか、土木学会会長、副会長などを務めた。
山崎 國紀(やまさき くにのり、1933年11月4日 - )… 山崎 國紀(やまさき くにのり、1933年11月4日 - )は、日本近代文学研究者、花園大学名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
百瀬 伸夫(ももせ のぶお、1933年11月4日 - 202… 百瀬 伸夫(ももせ のぶお、1933年11月4日 - 2020年10月21日)は、岸・アンド・アソシエーツ代表取締役会長。東京都出身。 早稲田大学政治経済学部卒業後、オクラホマ大学大学院修了。ハーバードビジネススクールITPプログラム、IMDにてマーケティング・経営を学ぶ。その後、電通に入社し営業・国際部門を担当。電通USA、電通ヨーロッパ会長など海外の日本法人の経営及びビーコンコミュニケーションズのJV企業経営を含め、15年以上にわたりゼネラルマネージメントを経験。2001年1月にビーコン・コミュニケーションズ設立により代表取締役会長に就任。2003年に経営コンサルティング会社・岸・アンド・アソシエーツに移籍し同社の代表取締役会長に就任。
半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2… 半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2011年2月5日頃)は、日本の元裁判官、元弁護士。茨城県古河市出身で、主に刑事裁判を担当。水戸家庭裁判所長、宇都宮地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後は公証人・弁護士を務めた。東京地裁部総括時代には、ロッキード事件児玉・小佐野ルートやダグラス・グラマン事件の審理などを担当した。
志生野 温夫(しおの はるお、1932年11月4日 - )は… 志生野 温夫(しおの はるお、1932年11月4日 - )は、大分県竹田市出身のフリーアナウンサー。シオノ事務所社長を務める。 國學院大學卒業後の1956年、日本テレビへ入社。同期に本多当一郎、赤木孝男がいる。1972年、アナウンス部副部長を最後にフリーへ転身。現在も地上波やCSなどで活躍し、日本テレビアナウンスカレッジ講師や結婚式の司会業(椿山荘)なども担当する。元NHKアナウンサーの山川静夫は大学時代の同級生である。 「〜であります!」調の実況が特徴であり(後輩の徳光和夫も影響を受けている)、倒産した全日本女子プロレスではWWWA2代目コミッショナーを務めた。
二川 幸夫(ふたがわ ゆきお、1932年11月4日 - 20… 二川 幸夫(ふたがわ ゆきお、1932年11月4日 - 2013年3月5日)は、日本の建築写真家、建築批評家。 大阪市出身。1951年大阪市立都島工業高等学校建築科卒業、1956年に早稲田大学文学部を卒業。在学中、建築史教授・田辺泰の勧めで民家の撮影を開始。 1957 - 59年、美術出版社から『日本の民家』全10巻(文:伊藤ていじ)を発表。1959年、同著によって毎日出版文化賞を受賞する。 1970年、建築書籍専門の出版社「A.D.A.EDITA Tokyo」を設立。建築デザイン専門誌「GA JAPAN」などを発行した。 安藤忠雄、妹島和世、ザハ・ハディドら、建築家の才能をいち早く見い出し、紹介した。
足立 克己(あだち かつみ、1932年11月4日 - 200… 足立 克己(あだち かつみ、1932年11月4日 - 2000年1月19日)は、日本の漫才作家、放送作家。 大阪府大阪市生まれ。生家は複数の職人を雇うほどの大手のパン店だった。 旧制大阪府立北野中学校在学中に、学制改革のため中学が新制の大阪府立北野高等学校となり、1951年同高校卒業。同年大阪外国語大学中国語科に入学するも、3か月で中退し、翌年に和歌山大学経済学部に入学する。和歌山大では野球部に入部し、1番・遊撃手のレギュラーを獲得した。またそのかたわら、寄席通いに熱中した。 当時和歌山大は近畿六大学野球連盟のリーグ1部に所属し、足立もリーグ表彰を受け、社会人野球の三井造船玉野への入団が決まりかけたがこれを固辞し「普通のサラリーマン」を目指す。
山口 繁(やまぐち しげる、1932年〈昭和7年〉11月4日… 山口 繁(やまぐち しげる、1932年〈昭和7年〉11月4日 - 2024年〈令和6年〉11月27日)は、日本の裁判官。位階は従二位、勲等は桐花大綬章。 司法研修所所長、福岡高等裁判所長官、最高裁判所判事を歴任。裁判官事務総局勤務時代には懸案となっていた簡易裁判所の統廃合に尽力して100ヶ所以上減らした。 1997年10月に最高裁判所長官(第14代)に就任。長官在任中に、1998年の寺西判事補事件では1998年12月1日に長官として裁判長を務めた最高裁大法廷の分限裁判で10対5で戒告処分を、また2001年に発覚した福岡高裁判事妻ストーカー事件では容疑者の夫である福岡高裁判事に2001年3月30日に長官として裁判長を務めた最高裁大法廷の分限裁判で12対3で戒告処分をそれぞれ決定した。
中河 原理(なかがわ げんり、1931年11月4日 - 19… 中河 原理(なかがわ げんり、1931年11月4日 - 1998年4月3日)は、朝日新聞記者、音楽評論家。 作家・中河与一の次男として東京都に生まれる。 旧制成蹊高等学校卒業。 東京大学英文科卒業、同修士課程修了、朝日新聞社に入社、音楽評論家として活動した。 平明で的確なクラシック音楽評で知られた。 1998年4月3日、心筋梗塞のため66歳で亡くなった。
佐藤 静雄(さとう しずお、1931年〈昭和6年〉11月4日… 佐藤 静雄(さとう しずお、1931年〈昭和6年〉11月4日 - 2022年〈令和4年〉1月16日)は、日本の政治家、元参議院議員。位階は正五位。 福島県相馬郡福浦村(現南相馬市小高区)出身。双葉高校卒業。東北大学法学部を卒業後に福島県庁に勤務。出納長等の要職を務めた。 1992年、第16回参議院議員通常選挙に福島県選挙区から自民党公認で立候補し初当選。以後、科学技術政務次官、自治政務次官等の要職を歴任。1998年の第18回参議院議員通常選挙で落選、政界から引退した。2002年、勲三等旭日中綬章受章。 2022年1月16日、心筋梗塞のため、死去。90歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
森脇 和郎(もりわき かずお、1930年11月4日 - 20… 森脇 和郎(もりわき かずお、1930年11月4日 - 2013年11月23日)は、日本の遺伝学者、哺乳類学者。国立遺伝学研究所名誉教授。 1930年、東京生まれ(生命誌編集部 1998)。父は集団遺伝学者の森脇大五郎。 1954年東京大学理学部動物学科卒業、1959年同理学部研究科博士課程修了、1959年より国立遺伝学研究所細胞遺伝部研究員、1967年室長、1984年教授、1992年副所長(生命誌編集部 1998)。1964~1966年ミシガン大学哺乳動物遺伝学センターに留学し、1995年より総合研究大学院大学副学長となる(生命誌編集部 1998)。 1982年日本動物学会賞受賞。日本哺乳類学会賞、日本哺乳類学会特別賞、文部科学大臣表彰科学技術賞受賞。
佐藤 菊夫(さとう きくお、1929年 11月4日- )は、… 佐藤 菊夫(さとう きくお、1929年 11月4日- )は、日本の指揮者。東京管弦楽団音楽監督。東京合奏団主宰・音楽監督。世田谷区民吹奏楽団音楽監督。 国立音楽大学卒業。ウィーン国立音楽大学修了。秋田県秋田市土崎港の生まれ。妻は西川清子(チェンバロ奏者)。 1954年、国立音楽大学卒業。1956年、ウィーン国立音楽大学(オーストリア)に留学し、1960年、同大学の指揮・作曲科を修了。なお、妻の西川清子(挙式は1957年5月)も一緒に留学していた。ウィーン・アカデミー管弦楽団、ウィーン古典合奏団に入団して活動。 その一方、ウィーン少年合唱団の日本招へいなど、オーストリアと日本の音楽交流で尽力。 1961年の日本帰国後、1962年から指揮者として東京交響楽団などを担当。
山崎 巌(やまざき がん、1929年11月4日 - 1997… 山崎 巌(やまざき がん、1929年11月4日 - 1997年3月8日)は、日本の脚本家、小説家である。 1929年(昭和4年)11月4日、神奈川県横浜市に生まれる。 第二次世界大戦終了後、明治大学専門部文科を卒業し、化粧品をセールスしたり、通訳を務めたり、 1950年(昭和25年)6月に勃発した朝鮮戦争で設立された特需会社、あるいは相互金融会社に勤務した。 1955年(昭和30年)、同年下村明が発表した小説『黒帯三国志』の映画化に参加、松浦健郎、谷口千吉とともに脚色した。同作は、谷口が監督、東宝が製作して、翌1956年(昭和31年)1月29日に公開され、映画脚本家としてデビューした。デビュー第2作は、同年、ひきつづき松浦とともに宮本幹也の小説『大学の石松』を脚色、伊賀山正徳が監督し、東映東京撮影所が製作、東映が配給して同年5月18日に公開された。
川本 昭雄(かわもと あきお、1927年11月4日 - 20… 川本 昭雄(かわもと あきお、1927年11月4日 - 2004年2月11日)。首都東京の多くの記念事業による公園造成に関わり、都市計画公園緑地の改定による多摩川をはじめ荒川、江戸川などの河川敷緑地や、急激な宅地化の進んだ地域の丘陵緑地の保全、里山公園の整備、東京湾臨海部の公園整備計画、筑波研究学園都市移転跡地の公園化、東京都の中長期計画による公園緑地整備計画など多くの実績がある。 1951年3月 東京大学農学部農学科卒業。1951年3月 東京都建設局公園緑地部公園観光課採用。1957年には北村信正(東京都)の肝煎りで発足する「遊び場の研究会」に参加。1961年 12月.公園緑地部技術課計画第一係長。
津田 淳(つだ じゅん、1927年11月4日 - )は、日本… 津田 淳(つだ じゅん、1927年11月4日 - )は、日本の哲学者、茨城大学名誉教授。 北海道生まれ。東北大学文学部哲学科卒、同大学院博士課程満期退学。茨城大学教育学部助教授、教授。91年定年退官、名誉教授、中央学院大学教授。キリスト教哲学を研究した。
竹中 久二雄(たけなか くにお、1926年11月4日 - )… 竹中 久二雄(たけなか くにお、1926年11月4日 - )は、日本の農業経済学者。 山形県山形市生まれ。東京農業大学卒、1959年同大学院修士課程修了、同助手、講師、助教授、1975年教授、1987年常務理事、1994-1995年理事長。農学博士。
木島 力也(きじま りきや、1926年〈大正15年〉11月4… 木島 力也(きじま りきや、1926年〈大正15年〉11月4日 - 1993年〈平成5年〉9月2日)は、日本の総会屋、企業ゴロ、フィクサー、出版人、馬主。戸籍上の本名は鬼嶋 力也(読みは同じ)だが、本人はもっぱら「木島」の表記を用いていた。 児玉誉士夫門下で、西山広喜・岡村吾一とともに「児玉門下三羽ガラス」と呼ばれた。児玉の「側近」を自称し、児玉の没後は「後継者」を自称した。 総会屋小池隆一の師。木島の没後に発覚した一連の小池隆一事件においては、小池と金融機関各社との関係を実際に築いたのは木島であったとされている。 出版人としては現代評論社の創業者であり、新左翼系総合雑誌『現代の眼』のオーナーとして知られる。
小松 方正(こまつ ほうせい、1926年〈大正15年〉11月… 小松 方正(こまつ ほうせい、1926年〈大正15年〉11月4日 - 2003年〈平成15年〉7月11日)は、日本の俳優、声優。本名は小松 豊成(こまつ とよしげ)。 長野県松本市出身。生まれつき体が弱く、3歳の頃に肺炎を患い生死の境をさまよったことがあるという。小学校卒業後、叔父を頼って上京し昌平中学に入学した。卒業後、満鉄の技術員養成所に入るが、結核を患って退社する。1945年(昭和20年)、終戦直前に海軍へ入り、同年8月6日の原爆投下の前日まで広島市にいた。東京の警備隊に転勤となり前夜8月5日、最終列車で東京に向かう。新型爆弾投下をラジオで聞いた場所は、空襲の影響で列車が止まった静岡県掛川駅だった。
藤村 正哉(ふじむら まさや、1925年11月4日 - 20… 藤村 正哉(ふじむら まさや、1925年11月4日 - 2014年3月16日)は、日本の経営者。三菱マテリアル社長、会長を務めた。福岡県出身。 1948年に東京大学法学部を卒業し、同年に三菱鉱業に入社。1980年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に副社長を経て、1986年6月に社長に就任。1990年12月に三菱マテリアル社長に就任し、1994年6月に副会長、1995年6月に会長を経て、1999年6月には相談役に就任。 1997年11月に勲一等瑞宝章を受章した。 2014年3月16日、心筋梗塞のために死去。88歳没。
臼井 勝美(うすい かつみ、1924年11月4日 - 202… 臼井 勝美(うすい かつみ、1924年11月4日 - 2021年9月24日)は、日本の歴史学者、筑波大学名誉教授。専攻は日本近代史。近代日中関係史。 栃木県出身。大正から昭和前期における日中関係史研究の重鎮。外務省では栗原健の指導の下、外交文書の編纂に従事。転出後も『日本外交文書』編纂委員を務める。1990年には、NHKと共に張学良とのインタビューを行った。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
福田 平(ふくだ たいら、1923年11月4日 - 2019… 福田 平(ふくだ たいら、1923年11月4日 - 2019年1月8日)は、日本の法学者。 専門は刑法学。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「違法性の錯誤」)。一橋大学名誉教授。2000年 勲二等瑞宝章受章。東京市麹町区(のち千代田区)出身。 その刑法学説は、師である団藤と同じく後期旧派に属するが、戦後ドイツの刑法学者ハンス・ヴェルツェルの刑法理論を日本に紹介し、行為論において、目的的行為論をとり、行為を主観客観の全体的構造をもつとした上で、違法性論において、行為無価値論にたった。 違法性の錯誤については、違法性の意識は故意とは無関係であるが、違法であると思わなかったことに相当の理由があれば責任を阻却するという厳格責任説をとる。
安部川 澄夫(あべかわ すみお、1922年11月4日 - 2… 安部川 澄夫(あべかわ すみお、1922年11月4日 - 2017年8月3日)は、日本の実業家。大和銀行元頭取・会長、新関西国際空港会長。東京都出身。 府立一中、一高を経て1947年に東京大学法学部を卒業し、同年に野村銀行(のちの大和銀行。統合により現在はりそな銀行となる。)に入行した。 「大和のプリンス」として注目され、1977年4月からは大和銀行副頭取を務め、1984年6月から1991年4月までに頭取を務めた。会長時代には、1985年に経営破たんした三光汽船の再建で手腕を発揮し、1989年にはイギリスのロイズ銀行から同行のアメリカの支店網を買収するなど、海外拠点の拡充にも力を入れた。 1991年4月から会長を務めたが、1995年11月の大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件による責任を取る形で辞任した。
山谷 親平(やまたに しんぺい、1922年〈大正11年〉11… 山谷 親平(やまたに しんぺい、1922年〈大正11年〉11月4日 - 1984年〈昭和59年〉11月28日)は、日本の評論家・ラジオパーソナリティ。福井県出身。日本において実質的な意味で初のラジオパーソナリティであったと言われている。 ジャーナリスト・政治家の山谷えり子(戸籍名は小川恵理子、結婚により改姓)は娘。 実母の実家のあった現在の福井県あわら市(旧・坂井郡芦原町)芦原温泉で生まれる。東京で育ち、日本大学法文学部に進学するが学徒動員となる。1944年(昭和19年)8月、志願して加藤隼戦闘隊(飛行第64戦隊)に加わり、3度撃墜されたが生還した。 戦後は産経新聞政治部記者、福井新聞政経部長を経て、1953年(昭和28年)に福井放送に入社。
野地 潤家(のじ じゅんや、1920年11月4日 - 201… 野地 潤家(のじ じゅんや、1920年11月4日 - 2016年5月15日)は、日本の国語教育学者、広島大学名誉教授。愛媛県大洲市出身。
古見 日嘉(ふるみ ひよし、1920年11月4日 - 197… 古見 日嘉(ふるみ ひよし、1920年11月4日 - 1973年1月2日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。主としてジャン・パウルを研究・翻訳した。 東京出身。1943年東京帝国大学文学部独文科卒。第六高等学校教授、埼玉大学助教授、旧・東京都立大学助教授、教授。1965年ジャン・パウル『美学入門』で日本翻訳文化賞受賞。
桜井 七之助(さくらい しちのすけ、1918年11月4日 -… 桜井 七之助(さくらい しちのすけ、1918年11月4日 - 没年不明)は、神奈川県出身のプロ野球選手。ポジションは投手、一塁手、三塁手、外野手。 神奈川工業学校在籍中は、快速球とカーブを兼ね備えた好投手として知られており、1935年夏の大会の甲神静大会予選では準決勝の静岡中学戦でノーヒットノーランを達成。決勝の甲府中学戦で五味芳夫(のち金鯱)と投げ合い、4-5で惜敗して惜しくも甲子園出場は成らなかった。 翌1936年に大東京軍の結成に参加。1936年秋季シーズンでは開幕投手を務めるなど、ドロップやカーブを武器に、チームの主戦投手として活躍した。しかし、同シーズンの大東京は歴史に残る大不振で、5勝21敗2引き分け(うち16連敗〈1リーグ時代の最多連敗記録〉がある)しか残せず、桜井自身も1勝10敗、防御率5.20と散々な成績に終わった(最多敗戦投手及びリーグワースト防御率〈規定投球回達成者19人中〉でもあった)。
趙 欣坡(チョ・フンパ、朝鮮語: 조흔파、1918年11月4… 趙 欣坡(チョ・フンパ、朝鮮語: 조흔파、1918年11月4日 - 1980年12月24日) は、大韓民国の小説家、放送作家。 本名は趙 鳳淳(チョ・ボンスン、조봉순)。本貫は漢陽趙氏。 日本統治時代の平安南道平壌に生まれ、1941年に専修大学法科卒業。1950年代初頭より文壇に登場した。1947年までソウル中央放送局アナウンサーを務め、そのほか京畿女子高等学校の教員、『現代女性』主幹、『国都新聞』『世界日報』『韓国経済新聞』の論説委員などを務めた。1960年公報室公報局長に異動後、国務院事務処公報局長とソウル中央放送局長などを務めた。また、1964年に発表した小説『ヤルゲ(ヤルゲ: 小憎らしい者の意)伝』で知られている。
折原 脩三(おりはら しゅうぞう、1918年11月4日 - … 折原 脩三(おりはら しゅうぞう、1918年11月4日 - 1991年2月28日)は、日本の思想や老い問題評論家。本名・伊東庫之助。 千葉県生まれ。東京商科大学(現・一橋大学)卒業。横浜正金銀行に勤務。 戦時中は陸軍二等兵として中国で従軍。 戦後、東京銀行に勤務するかたわら、評論活動を行っていたが、1973年に退職。 退職後は思想の科学研究会会長をつとめた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
寺田 治郎(てらだ じろう、1915年(大正4年)11月4日… 寺田 治郎(てらだ じろう、1915年(大正4年)11月4日 - 2002年(平成14年)3月17日)は、日本の裁判官。第10代最高裁判所長官。位階は従二位。 愛知県出身。旧制姫路高等学校を経て、1938年(昭和13年)東京帝国大学法学部を卒業。 司法官試補となるも、すぐに大日本帝国陸軍に召集され、法務大尉として終戦を迎えた。復員後は1947年(昭和22年)に京都地裁に勤務した後、1949年(昭和24年)に最高裁民事局勤務、最高裁事務総務局長、大津地裁所長、東京高裁判事を経て、1974年(昭和49年)に最高裁事務総長に就任。1976年(昭和51年)5月に日本共産党スパイ査問事件が国会で取り上げられた時には国会に呼ばれ、「国政調査権が確定判決の当否、事実認定、罪刑の当不当などを調査するのは司法権介入になるか」とただしたのに対し、寺田は1948年(昭和23年)の最高裁裁判官会議の議決から「確定判決の当否を調べるため、国会が証人喚問を行うようなことは的確ではない」と答弁した。
岩本 博行(いわもと ひろゆき、1913年(大正2年)11月… 岩本 博行(いわもと ひろゆき、1913年(大正2年)11月4日 - 1991年(平成3年)10月29日)は、日本の建築家。竹中工務店常務。 大阪府に生まれる(出身地は岡山県勝田郡奈義町)。 1932年(昭和7年)、大阪市立都島工業学校建築科を卒業し、竹中工務店に入る。 竹中入社後に小林三造に指導を受ける。日本建築素材の色彩を用いて統一感を与えることを持論とし、職人(大工・棟梁)の伝統を受け継ぐ人物と目された。 九州支店設計部長(1959年)、大阪本店設計部長(1962年)、取締役技師長(1968年)を経て、1972年に常務取締役に就任した。 竹中工務店の創立80周年記念事業の「竹中大工道具館」創設(1984年)にも関与した。
山崎 正一(やまざき まさかず、1912年11月4日 - 1… 山崎 正一(やまざき まさかず、1912年11月4日 - 1997年8月17日)は、日本の哲学者。東大名誉教授。臨済宗の僧侶。谷中・興禅寺先住職。
永田 英太郎(ながた えいたろう、1911年(明治44年)1… 永田 英太郎(ながた えいたろう、1911年(明治44年)11月4日 - 2002年(平成14年)9月19日)は、日本の実業家。栃木県出身。元栃木市長。永田製作所創業者。栃木市名誉市民。 1911年(明治44年)、栃木県栃木町(現栃木市)に生まれる。1930年(昭和5年)に旧制栃木県立栃木中学校(現 栃木県立栃木高等学校)、1934年に立教大学文学部を卒業。 1956年、栃木市教育委員に就任し、その翌年に永田製作所を創設。1965年に栃木市教育委員長、1969年に栃木商工会議所副会頭となる。 1979年、第11代栃木市長に就任。1988年、勲四等瑞宝章を受章。2002年(平成14年)、逝去。享年92(満91歳没)。
清水 脩(しみず おさむ、1911年11月4日 - 1986… 清水 脩(しみず おさむ、1911年11月4日 - 1986年10月29日)は、日本の作曲家。カワイ楽譜(現:カワイ出版)元社長。大阪府大阪市天王寺区出身。 1932年(昭和7年)大阪外国語学校(新制大阪外国語大学の前身、現:大阪大学外国語学部)のフランス語科を卒業後、1938年(昭和12年)に東京音楽学校(現:東京芸術大学)選科に入学、橋本國彦に作曲、細川碧らに理論を学ぶ。1939年(昭和14年)、第8回音楽コンクール作曲部門で「花に寄せたる舞踏組曲」が1位入選、1950年(昭和25年)「インド旋律による四楽章」が芸術祭管弦楽曲に入選、1953年(昭和28年)に「交響曲第1番」で第1回尾高賞の佳作に入選、1955年(昭和30年)に歌劇「修禅寺物語」で伊庭歌劇賞および毎日音楽賞を受賞。
米内山 義一郎(よないやま ぎいちろう、1909年(明治42… 米内山 義一郎(よないやま ぎいちろう、1909年(明治42年)11月4日 - 1992年(平成4年)10月5日)は、昭和から平成初期の農民運動家、社会運動家、政治家。衆議院議員、青森県上北郡浦野舘村長。 青森県上北郡浦野舘村(上北町を経て現東北町)で、歯科医師・米内山健助、ミキの長男として生まれる。1923年(大正12年)4月、青森県立青森中学校(現青森県立青森高等学校)に入学。同級に津島修治(太宰治)、阿部合成らがいた。 1926年(大正15年)10月、青森中学校を中退して帰郷し青年団活動に従事。1927年(昭和2年)6月、社会民衆党に入党し小作争議に加わる。1928年(昭和3年)全国農民組合青森県連合会の創立に加わり執行委員に就任し、上北地方の農民運動を指導した。
柴野 民三(しばの たみぞう、1909年11月4日 - 19… 柴野 民三(しばの たみぞう、1909年11月4日 - 1992年4月11日)は、日本の児童文学作家・詩人。 東京府東京市京橋区(現・東京都中央区)生まれ。日比谷小学校(現千代田区立麹町小学校)、錦城商業学校卒業。 1929年(昭和4年)、大橋図書館にに勤務し、児童図書室を担当する。『赤い鳥』などに投稿し北原白秋に師事。童謡誌「チチノキ」同人として詩作する。1932年(昭和7年)、有賀連らと「チクタク」を創刊。1935年(昭和10年)、私立大橋図書館を退職し、小川未明主宰『お話の木』創刊に際して編集に当たる。のち絵雑誌『コドモノヒカリ』などを編集、1942年から文筆業。 1992年4月11日、呼吸不全のため死去。
桑原福保(くわばら ふくほ、1907年(明治40年)11月4… 桑原福保(くわばら ふくほ、1907年(明治40年)11月4日 - 1963年(昭和38年)7月18日)は、日本の洋画家。家族や日常風景を題材とした写実的な作品を多く残す。 山梨県東八代郡境川村寺尾(笛吹市)に生まれる。父は神主の腎蔵、母は志ん。桑原家には四男三女があり、福保は長男。幼少期から洋画を志し、油彩画を手がける。 1927年(昭和2年)3月に山梨県師範学校(山梨大学)本科第一部を、翌1928年(昭和3年)3月に山梨県師範学校専攻科を卒業後、同年4月から山梨県中巨摩郡田之岡村(南アルプス市)の八田尋常小学校に美術教師として勤務する傍ら制作活動を行う。同年12月10日には母の志んが死去。 大正期から昭和初期にかけて、中央画壇ではフォービズムの影響を受けた画風や日本的な油彩画、写実などの画風や前衛美術運動が活発化しており、山梨においても赤蓼会が甲府で展覧会を開催し、土屋義郎らが中心となり岸田劉生をはじめとする草土社の画風に影響された写実表現を展開していた。
原 賢一(はら けんいち、1906年(明治39年)11月4日… 原 賢一(はら けんいち、1906年(明治39年)11月4日 - 1974年(昭和49年))は、昭和期の政治家。長野県上伊那郡西箕輪村長、伊那市長。 長野県上伊那郡西箕輪村(現伊那市)生まれ。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)を経て、1934年(昭和9年)東北帝国大学を卒業。東筑摩郡入山部実業公民学校教諭に就任。その後、渡満し炭鉱会社に勤めた。 1945年(昭和20年)西箕輪村嘱託となり、戦後の農地問題に取り組む。1951年(昭和26年)西箕輪村長に就任。1955年(昭和30年)合併後の伊那市議会議員となり初代議長を務めた。 1958年(昭和33年)4月、伊那市長選挙に当選し、1966年(昭和41年)4月まで2期務めた。
木村 英一(きむら えいいち、1906年11月4日 - 19… 木村 英一(きむら えいいち、1906年11月4日 - 1981年11月15日)は、日本の中国哲学研究者。大阪大学名誉教授。 京都府出身。1930年京都帝国大学文学部支那哲学史卒。1960年「老子の新研究」で京都大学文学博士。京大助教授、1949年大阪大学文学部教授、67年定年退官、名誉教授、追手門学院大学教授。
海鋒 義美(かいほこ よしみ、1905年11月4日 - 19… 海鋒 義美(かいほこ よしみ、1905年11月4日 - 1997年6月18日)は日本の作曲家、教育者である。宮城県において音楽教育に尽力した。また、東北地方の多くの学校の校歌や、戦後のラジオ番組において多数の童謡の作曲を手掛けた。三男の海鋒正毅はクラリネット奏者である。 海鋒は山形県北村山郡山口村(現在の天童市)で生まれた。東京音楽学校(後の東京芸術大学)臨時教員養成所を卒業し、熊本県立山鹿高等女学校勤務を経て、1933年(昭和8年)から宮城県仙台市の音楽指導員となった。この時、尋常小学校、高等小学校、計22校で月に最低一回は指導する決まりだった。この頃、児童唱歌コンクール(後のNHK全国学校音楽コンクール)において市内の東二番丁尋常小学校や南材木町尋常小学校が優勝しており、仙台で合唱の流行があった。
彭瑞麟(ほう ずいりん、Peng Ruey-lin,1904… 彭瑞麟(ほう ずいりん、Peng Ruey-lin,1904年11月4日 − 1984年2月3日)は、台湾の写真家。日本統治下で活動し台湾における写真家の先駆的な存在であったが、中国復帰と国民党による統治下で写真家としての活動を終え長く幻の写真家と言われていた。 新竹県出身。台北師範学校で石川欽一郎の下で水彩画を学び、1928年に東京写真専門学校(現東京工芸大学)に進学。写専在学中に東京写真研究会のコンクールに入選し、皇族の写真撮影にも携わった。 1931年に首席で卒業すると台北市太平町(現大同区延平北路)にアポロ写真館を開業。写真技師として生計を立てながら後進の指導にもあたる。1938年には大阪毎日新聞主催の日本写真美術展で「太魯閣の娘」が入選、また写真印刷でも業績を残した。
日高 孝次(ひだか こうじ、1903年11月4日 - 198… 日高 孝次(ひだか こうじ、1903年11月4日 - 1984年8月15日)は、日本の海洋物理学者。弟は歴史学者の日高次吉。 1903年に宮崎県宮崎郡広瀬村(現在の宮崎市)で出生。旧制宮崎中学を経て第七高等学校造士館を卒業後、東京帝国大学理学部物理学科に進学し、1926年(大正15年)に同大学を卒業。その後すぐに中央気象台に入庁、海洋気象台で勤務した。この間、転倒温度計(英語版)に関する日高公式を作成した。 1934年(昭和9年)に「湖沼の振動及び海流に関する海洋物理学的研究」で理学博士。同論文で帝国学士院から学士院賞を受賞した。1941年(昭和16年)、他の日本の海洋学者らとともに日本海洋学会を設立し、自身も1948年(昭和23年)から1966年(昭和41年)まで同会会長を務めた。
藤松 正憲(ふじまつ まさのり、1903年11月4日 - 1… 藤松 正憲(ふじまつ まさのり、1903年11月4日 - 1997年7月29日 )は、日本の経営者。足利銀行頭取を務めた。 佐賀県出身。1927年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1956年5月に監事を経て、1958年5月に足利銀行に転じ、副頭取に就任し、同年10月には頭取に昇格した。1972年5月に会長を経て、1982年6月には相談役に就任。 1940年に勲五等双光旭日章、1961年に紺綬褒章、1969年4月に藍綬褒章、1981年4月に勲三等旭日中綬章をそれぞれ受章。 1997年7月29日、心不全のために死去。93歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
上村 松篁(うえむら しょうこう、1902年〈明治35年〉1… 上村 松篁(うえむら しょうこう、1902年〈明治35年〉11月4日 - 2001年〈平成13年〉3月11日)は日本画家。花鳥画の近代化に貢献し、文化功労者となりさらに文化勲章を受章した。京都市立芸術大学教授。 本名は信太郎。母は近代美人画の大家、上村松園。未婚で松篁を出産した松園はその父について自ら語ることはなかったが、一部の書籍では松園の師の日本画家・鈴木松年が父であるとみなされている。松年が実の父であることは、松篁が著作中で明らかにしており、13歳のころに初めて松年を父と紹介されたとしている。 息子は同じく日本画家の上村淳之。 1902年(明治35年)、上村松園の長男として京都府京都市中京区四条堺町に生まれる。