澤田 駿吾(さわだ・しゅんご、本名:澤田駿五、1930年2月… 澤田 駿吾(さわだ・しゅんご、本名:澤田駿五、1930年2月10日 - 2006年8月28日)は、日本のジャズ・ギタリスト。 1930年2月10日、愛媛県西宇和郡八幡浜町出身。少年時代に『姉妹と水兵』(1944年アメリカ映画)を見て、劇中のギター演奏に魅せられたのがギターを始めるきっかけになったと言う。 第二次世界大戦後に東京へ出て、本格的にジャズギターを始めると共に、米軍キャンプを回るようになる。 1954年に神奈川県横浜市の伊勢佐木町にあったクラブ:モカンボで行われた『モカンボ・セッション』では、ハナ肇、植木等、守安祥太郎らと共に参加している。 1957年にチコ・ハミルトン楽団のギタリストだったデンプシー・ライトに弟子入りし、本格的なジャズギターテクニックの伝授を受けた。
佐藤 博(さとう ひろし、1929年2月10日 - 2013… 佐藤 博(さとう ひろし、1929年2月10日 - 2013年1月13日)は、日本の経営者。TDK社長、会長を務めた。 東京都出身。1952年に日本大学旧工学部を卒業し、同年に東京電気化学工業(のちのTDK)に入社した。1966年12月に取締役に就任し、1974年に常務を経て、1987年2月に社長に就任。1998年6月に相談役に就任。 1991年4月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2013年1月13日、肺炎のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小島 幸夫(こじま ゆきお、1929年(昭和4年)2月10日… 小島 幸夫(こじま ゆきお、1929年(昭和4年)2月10日 - 1999年(平成11年)1月2日)は、教育者。政治家。京都府亀岡市長。京都府出身。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
柿本 多映(かきもと たえ、1928年2月10日 - )は、… 柿本 多映(かきもと たえ、1928年2月10日 - )は、日本の俳人。本名は妙子。 滋賀県大津市に生まれる。実家は天台宗総本山の園城寺(三井寺)。1947年、京都女子専門学校(現・京都女子大学)卒業。当初は短歌に携わるが、1951年の結婚を機に作歌から遠ざかる。1976年、西武百貨店大津俳句教室にて句作を開始。1977年、赤尾兜子の「渦」入会。1981年に兜子が没してのちは橋閒石、桂信子に師事。「草苑」「白燕」「犀」同人を経て、現在は無所属。渦賞、滋賀県出版文化賞、現代俳句協会賞(1988年)、草苑賞、桂信子賞(2013年)、詩歌文学館賞(2014年)、現代俳句大賞(2017年)、蛇笏賞(2020年)、第65回毎日芸術賞などを受賞。
千坂 侃雄(ちさか ただお、1927年(昭和2年)2月10日… 千坂 侃雄(ちさか ただお、1927年(昭和2年)2月10日 - 2017年(平成29年) 2月28日)は、日本の政治家。元宮城県古川市(現・大崎市)長(1期)。位階は正六位。旭日双光章。 宮城県大崎市志田郡古川町(のち古川市→大崎市古川)出身。旧制古川中学校(現・宮城県古川高等学校)卒。国民学校教諭を務め、1946年、古川町役場に入る。財政、秘書、商工、都市計画課長のほか、古川青年会議所理事長、古川市体育協会理事などを歴任した。その後、古川市収入役となり、1988年の古川市長選挙に立候補し、元市議会議長の中川俊一を破って当選した。4年後の市長選挙で再選を目指したが、再び立候補した中川俊一に敗れた。
佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 20… 佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 2008年6月28日)は、日本の編集者、評論家、随筆家である。雑誌『酒』(1955年 - 1997年)編集長。「カープを優勝させる会」を旗揚げし奔走したことで知られる。 広島県広島市出身。3歳から酒をたしなむ。広島女子商業学校(現広島翔洋高等学校)を経て広島大学に進学。1945年には広島市への原子爆弾投下により爆心地から1.9km離れた自宅で被爆。自身は母親と共に救出されたが、5年後には父親を原爆症により亡くした。第二次世界大戦後は広島で青年運動・平和運動・新劇などの活動もしていた。 大学卒業後、NHK広島放送局勤務を経て、単身で上京。1955年4月、雑誌『酒』を創刊。
河内山 重高(こうちやま しげたか、1927年2月10日 -… 河内山 重高(こうちやま しげたか、1927年2月10日 - 2013年8月8日)は、日本の経営者。山陽放送社長を務めた。 山口県出身。1950年に大阪大学工学部通信工学科を卒業。日本放送協会での勤務を経て、1953年6月に山陽放送に転じ、1968年5月に取締役、1974年に常務、1979年に専務を経て、1981年6月には社長に就任。1996年1月に会長に就任し、同年6月に相談役を経て、1997年4月に顧問に就任。 1994年4月に藍綬褒章を受章し、2000年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2013年8月8日、心不全のために死去。86歳没
久保田 照雄(くぼた てるお、1927年2月10日 - 20… 久保田 照雄(くぼた てるお、1927年2月10日 - 2010年5月10日)は、日本の銀行家。 富山県出身。1951年に東京大学経済学部を卒業し、同年に北陸銀行に入行。1972年5月に取締役に就任し、1975年12月に常務、1977年11月に専務を経て、1980年6月に頭取に就任。1992年6月に会長に就任し、1994年6月に取締役相談役を経て、1998年6月には相談役に退いた。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 2010年5月10日に肺炎のために死去。83歳没。
茂泉 昭男(しげいずみ てるお、1927年2月10日 - 2… 茂泉 昭男(しげいずみ てるお、1927年2月10日 - 2022年7月11日)は、日本の宗教学者。東北学院大学名誉教授。 新潟県出身。東北帝国大学文学部倫理学科卒業。1953年、東北学院大学助手、1955年、同大学講師、1958年、同大学助教授。62年論文「アウグスティヌスにおけるSYMBOLISM」で日本倫理学会・和辻哲郎賞受賞。1965年、東北学院大学教授となり、文学部基督教学科主任、大学図書館長を歴任。1986年「初期キリスト教神学における倫理と形成-アウグスティヌス研究」で東北大学文学博士。1994年定年退職、名誉教授。その後、嘱託教授を務めた。
工藤 晃(くどう あきら、1926年2月10日 - 2024… 工藤 晃(くどう あきら、1926年2月10日 - 2024年9月20日)は、日本の政治家、経済研究家。元衆議院議員(日本共産党公認、通算4期)。日本共産党中央委員会名誉役員。 東京都出身。旧制第五高等学校(現在の熊本大学)、東京大学理学部地質学科を卒業。1976年の衆院選に東京7区から出馬し初当選。以後1990年に落選するまで衆議院議員を4期務めた。地盤は佐々木憲昭に譲る。議員時代は党経済政策委員会責任者や社会経済研究所副所長などを歴任する。議員引退後は、日本共産党中央委員会付属社会科学研究所で主に経済研究に従事する。 1999年、前年10月に新日本出版社より刊行した『現代帝国主義研究』が、「アメリカの軍事支配、多国籍企業の支配を最新の資料にもとづき解明」したことにより、第24回野呂栄太郎賞を受賞。
村上清(むらかみ きよし、1926年2月10日 - 2008… 村上清(むらかみ きよし、1926年2月10日 - 2008年12月14日)は、日本の年金評論家。 愛媛県出身。1954年東京大学経済学部卒、日本団体生命保険入社、1974年同取締役、1971年東大経済学部講師を務めた。年金に関する多くの著訳書がある。 1960年代中頃から年金評論家としてメディアで活動を始める。年金危機を早くから予見していた人物である。政府からは修正積立方式に基づく財政運営と説明されていた公的年金に対して、実際は賦課方式で運営されていることを初めて指摘した。また1973年に厚生年金の水準給付(モデル年金)が賃金の60%に設定されたことに対して、将来の過大負担による財政崩壊を防ぐために給付水準に上限を設定することを主張した。
中田 幸平(なかた こうへい、1926年2月10日 - )は… 中田 幸平(なかた こうへい、1926年2月10日 - )は、日本の舞台衣裳デザイナー、玩具研究家、歴史家。 栃木県栃木市生まれ。戦後上京し俳優座に入る。1955年過ぎ桑沢デザイン研究所講師となり、舞台衣裳デザイナーとして独立する。1985年NHK大河ドラマ「春の波涛」の風俗考証を手がける。かたわら尾崎秀樹の大衆文学研究会に参加した。
下村康正(しもむら やすまさ、1925年2月10日 - 20… 下村康正(しもむら やすまさ、1925年2月10日 - 2009年8月18日)は、日本の法学者。刑法学者。学位は、法学博士(中央大学)。元司法試験考査委員。中央大学名誉教授。東京都生まれ。 旧制巣鴨中学校卒業。1947年中央大学法学部卒業。恩師は草野豹一郎。1948年中央大学法学部助手。1951年中央大学法学部助教授。1959年中央大学法学部教授。1963年中央大学通信教育部長に就く。1979年中央大学大学院法学研究科長・中央大学評議員に就任。1981年フランス・エクスマルセイユ第3大学客員教授(1982年まで)。1995年中央大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録(第一東京弁護士会)。2002年、勲三等瑞宝章受章。
濱口 博章(浜口博章、はまぐち ひろあき、1925年2月10… 濱口 博章(浜口博章、はまぐち ひろあき、1925年2月10日 - )は、日本の国文学者。甲南大学・姫路獨協大学名誉教授。 兵庫県尼崎市生まれ。甲陽中学校を経て、1948年京都帝国大学文学部国文学科卒業。1956年同大学院退学。甲南大学講師、助教授、教授、1989年名誉教授、姫路獨協大学教授、1996年名誉教授。
岡本 正剛(おかもと せいごう、1925年2月10日 - 2… 岡本 正剛(おかもと せいごう、1925年2月10日 - 2015年1月16日)は、日本の武道家。大東流合気柔術六方会宗師。 岡本正剛は38歳という、武道を始めるには一般的に遅いと言われる年齢ではじめて大東流合気柔術の門をくぐった。それまで武道とは無縁の生活を送っていたが、知人から面白い技を使う人がいると聞き、冷やかし半分で堀川幸道のもとに見学に行ったのがその始まりだった。入門以来、ほぼ無欠席で稽古にいそしんだが本人は、「稽古後に皆でビールを飲むのが楽しみで通っていた」という。岡本は堀川門下生のなかでは異例のスピードで昇進した。 岡本の功績のひとつは、それまであまり知られることのなかった大東流合気柔術という武道を広く世に知らしめたことである。
塚田 浩(つかだ ひろし、1924年2月10日 - 2005… 塚田 浩(つかだ ひろし、1924年2月10日 - 2005年10月16日)は、日本の経営者。山陽特殊製鋼社長、会長を務めた。 埼玉県出身。1949年に京都大学法学部法学科を卒業し、同年に日本製鉄に入社。1979年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に専務、1987年6月に副社長を経て、1989年6月に山陽特殊製鋼社長に就任。1994年6月に会長に就任し、1997年6月に相談役を経て、1998年6月には相談役に就任。 1991年4月に藍綬褒章を受章し、1997年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2005年10月16日肺炎のために死去。81歳没。
添田 喬(そえだ たかし、1924年(大正13年)2月10日… 添田 喬(そえだ たかし、1924年(大正13年)2月10日 - )は日本の工学者。徳島大学名誉教授。広島文理科大学数学学科数学専攻卒業。 1949年に広島文理科大学数学学科数学専攻を卒業。1962年に京都大学で工学博士を授与。1978年に徳島大学工学部長に就任。1982年から1988年まで徳島大学学長・徳島大学工業短期大学部学長を務めた。 1986年から1990年まで日本学術会議会員、1988年から2000年まで徳島文理大学学長を歴任。2002年から徳島工業短期大学学監に就任、2006年から2011年まで倉敷芸術科学大学学長を務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
石垣 博美(いしがき ひろみ、1923年2月10日 - 20… 石垣 博美(いしがき ひろみ、1923年2月10日 - 2013年7月6日)は、日本の経済学者。北海道大学名誉教授。専門は国際経済学。経済学博士。 北海道に生まれる。1948年東京帝国大学経済学部卒業。同年、北海道大学法文学部助手。後に、北海道大学法経学部助手。1952年北海道大学法経学部助教授。1953年北海道大学経済学部助教授。1968年北海道大学経済学部教授。1973年北海道大学評議員に就任。1980年北海道大学経済学部長に就任。1981年文部省大学国際交流調査研究プロジェグト委員会委員。1984年大学基準協会国際交流委員会委員。1986年3月北海道大学停年退官。同名誉教授。北星学園大学経済学部教授。
大場 啓二(おおば けいじ、1923年(大正12年)2月10… 大場 啓二(おおば けいじ、1923年(大正12年)2月10日 - 2011年(平成23年)9月1日)は、日本の政治家。東京都世田谷区長(7期)、特別区長会会長を務めた。 現在の山形県最上郡舟形町出身。1940年、東京市経済局に入局。同局に在籍しながら日本大学法学部を卒業した。1943年に世田谷区役所に配属され、農務係長、広報係長、区議会事務局長を歴任した。 1975年、東京都の特別区において区長の公選選挙が復活。社会・共産・民社3党の推薦と公明党の支持を受け、世田谷区長選挙に立候補。自民党推薦の前選任区長の佐野保房、諸派の高田巖を破り初当選した(大場:129,894票、佐野:123,803票、高田:4,231票)。
狩久(かり きゅう、1922年2月10日 - 1977年10… 狩久(かり きゅう、1922年2月10日 - 1977年10月12日)は日本の小説家。貝弓子の別名でも執筆した。 本名は市橋久智。1922年 (大正11年) 2月10日東京都東京市芝区(現港区高輪)出身。1946年 (昭和21年) に慶應義塾大学工学部電気学科を卒業したが、その年に結核を発病し1953年 (昭和28年) まで療養所で闘病生活を送った。 療養所生活中の1951年 (昭和26年)、推理小説雑誌『別冊宝石』の短編懸賞部門に『落石』と『氷山』を投稿、そのうちの『落石』が優秀5作の1つに残った。 両作品は同年12月に『別冊宝石』で発表された。1953年 (昭和28年) からは自宅療養に変わり、以後本格推理ものや官能サスペンスなど多数の作品を執筆した。
村井 貞允(むらい さだまさ、1921年〈大正10年〉2月1… 村井 貞允(むらい さだまさ、1921年〈大正10年〉2月10日 - 2007年〈平成19年〉10月1日)は、日本の地質学者、理学博士、岩手大学名誉教授。
柴田 多摩男(しばた たまお、1920年2月10日 - 19… 柴田 多摩男(しばた たまお、1920年2月10日 - 1944年9月17日)は、長崎県出身のプロ野球選手。 海星中学から1939年に名古屋金鯱軍へ入団。1941年に大洋軍へ移籍し、同年退団。 後に応召され、1944年9月17日に亡くなった。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。
中山 了(なかやま さとる、1920年2月10日 - 200… 中山 了(なかやま さとる、1920年2月10日 - 2002年12月27日)は、日本の経営者。産業経済新聞社専務、名古屋タイムズ社長を経て中日新聞社専務、中日ドラゴンズ社長などを務めた。 高知県出身。1942年(昭和17年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1948年(昭和23年)に産業経済新聞社に入社する。1964年(昭和39年)12月に大阪本社編集局長に就任し、その後、取締役、本社編集局長、常務、専務などを歴任し、1974年(昭和49年)2月をもって退任。 名古屋タイムズ社長、名古屋タイムズ印刷社長を経て、1975年(昭和50年)5月に中日新聞社取締役に就任し、常務、専務などを務めた。
島田 安夫(嶋田 安夫、しまだ やすお、1920年〈大正9年… 島田 安夫(嶋田 安夫、しまだ やすお、1920年〈大正9年〉2月10日 - 1984年〈昭和59年〉4月11日)は、日本の政治家。位階は正五位勲三等、勲章は瑞宝章。衆議院議員(2期)、鳥取県議会議員(4期)。 鳥取県東伯郡浅津村上浅津(羽合町を経て現湯梨浜町上浅津)で、島田兼治の長男として生まれた。1933年(昭和8年)浅津高等小学校卒業を経て、1934年(昭和9年)大阪吉沢法律研修館を卒業した。1941年(昭和16年)鳥取歩兵第四十連隊入隊しバレテ峠の戦闘に参加。戦傷を受け1945年(昭和20年)1月に復員し3年間入院生活を送った。 1951年(昭和26年)浅津村議会議員となる同議長を務め、1953年(昭和28年)羽合町議会議員に当選し同議長も務めた。
星 長治(ほし ちょうじ、1920年2月10日 - 1994… 星 長治(ほし ちょうじ、1920年2月10日 - 1994年1月14日)は、日本の政治家、参議院議員(1期、自由民主党)。 宮城県亘理郡亘理町出身。仙台高等実務学校卒。亘理町議を経て、宮城県議を5期務め、県会議長になる。1983年の第13回参議院議員通常選挙で宮城県選挙区から自民党公認で立候補して当選。第3次中曽根内閣で農林水産政務次官に就任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選。参議院議員を1期務めた。1994年1月14日死去、73歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、従四位に叙される。 ほか、亘理町漁業協同組合長理事、宮城県信漁連会長、全国内水面漁協連副会長、自民党農水局、国民生活局次長、国土審議会委員などを歴任した。
秋山 澄夫(あきやま すみお、1919年2月10日 - 19… 秋山 澄夫(あきやま すみお、1919年2月10日 - 1993年7月12日)は、日本のフランス文学者。早稲田大学名誉教授。 マラルメ、シュールレアリスムなどを研究した。 岡山県生まれ。早稲田大学仏文科卒。早稲田大学教養部助教授、教授。1989年に定年退任、名誉教授。
坂本 貞雄(さかもと さだお、1918年(大正7年)2月10… 坂本 貞雄(さかもと さだお、1918年(大正7年)2月10日 - 2012年(平成24年)2月18日)は日本の政治家。東京都三鷹市長。革新市長会参与。 山形県新庄市出身。高等小学校卒業後、1955年から三鷹市議を4期務め、1959年から62年までは同市議会副議長に就任。1975年の三鷹市長選に日本社会党公認で出馬し、保守系無所属の指田正治、革新系無所属の寒川道夫をやぶり初当選を果たす。 その後、市長を4期務め、1991年に引退を表明する。 2012年2月18日に脳梗塞のため死去、94歳没。死没日をもって従四位に叙される。
中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 201… 中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 2010年4月22日)は、日本の技術者、実業家。北海道電力代表取締役社長、北海道経済連合会会長などを務めた。勲一等瑞宝章、ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章受章。 石川県羽咋郡志賀浦村(現志賀町)生まれ。北海道士別市出身。旧制旭川中学(現北海道旭川東高等学校)を経て、1941年北海道帝国大学工学部電気工学科卒業、日立製作所入社、日立工場回転機部配属。1942年大日本帝国陸軍八戸飛行場の第六航空教育隊入隊。ビルマの戦いに参加しシンガポールで日本の降伏を迎えた。レンパン島での捕虜生活を経て、1946年復員し北海道配電入社。1951年北海道電力入社。
藤井 重夫(ふじい しげお、1916年(大正5年)2月10日… 藤井 重夫(ふじい しげお、1916年(大正5年)2月10日 - 1979年(昭和54年)1月17日)は、兵庫県生まれの作家。 兵庫県豊岡市生まれ。豊岡商業学校卒(現兵庫県立豊岡総合高等学校)。 21歳で応召し、4年間を中国大陸の戦火の中で過ごした。1941年、25歳の時に朝日新聞に入社(姫路通信局専属通信員)。第二次世界大戦中は陸軍報道班員としてフィリピンやマレーなどに派遣され、約2年間を南方の地で従軍した。戦後の1951年、大阪本社から東京本社へ転勤。雑誌編集などに携わる傍ら、執筆した「佳人」(同人誌『作家』所収)が川端康成に激賞され、芥川賞候補となる。同作が1958年に日活で映画化されたことを機に、翌年朝日新聞社を退社し、作家業に専念する。
天津 龍太郎(あまつ りゅうたろう、1916年2月10日 -… 天津 龍太郎(あまつ りゅうたろう、1916年2月10日 - 1962年)は、日本の俳優である。新漢字表記天津 竜太郎、本名兼田 隆(かねだ たかし)。日本映画データベースにおける「大津竜太郎」は誤記。 1916年(大正5年)2月10日、岡山県英田郡吉野村(現在の同県美作市五名あたり)に生まれる。 兵庫県神戸市に移り、旧制・神戸市立第三神港商業学校(現在の神戸市立六甲アイランド高等学校)に入学する。同校卒業後、奈良県生駒郡伏見村(現在の同県奈良市あやめ池北1丁目)にあやめ池撮影所を持つ市川右太衛門プロダクションに入社、同社で俳優としてデビュー、脇役・端役等でサイレント映画に出演をしていた。1936年(昭和11年)12月に同社は解散し、松竹キネマに吸収されるが、それを目前とした同年9月、兵庫県西宮市甲陽園に甲陽撮影所を稼働させていた甲陽映画(同年5月設立)に移籍する。
福田 時雄(ふくだ ときお) のち 森山 時雄(もりやま と… 福田 時雄(ふくだ ときお) のち 森山 時雄(もりやま ときお、1915年2月10日 - 2001年1月6日)は、日本の陸上競技(障害走)選手・指導者、実業家、美術収集家。1936年ベルリンオリンピックに男子400メートルハードルで出場。 島根県出身。県立大社中学校(現在の島根県立大社高等学校)卒業。 関西大学に入学。1936年ベルリンオリンピックで日本代表選手となり、男子400メートルハードルに出場。 1937年9月5日、日本陸上競技選手権大会400メートルハードルにおいて、当時の日本学生記録(54秒8)をマーク。 1938年(昭和13年)関西大学法学部卒業。醸造業を営み、島根県醤油工業協同組合理事長を務めた。
清河 七良(きよかわ しちりょう、1915年〈大正4年〉2月… 清河 七良(きよかわ しちりょう、1915年〈大正4年〉2月10日 - 2004年〈平成16年〉8月24日)は、日本の政治家。富山県松倉村長および魚津市長を歴任。位階は従四位。 1915年2月10日、朝鮮半島の鎮海にて、池上家の七人兄弟姉妹の6番目の子供として生を受ける。1928年3月に鎮海尋常高等小学校卒業、1933年3月に釜山公立中学校卒業。1936年3月15日に立命館大学専門部文科を卒業。 1936年9月4日、富山県下新川郡松倉村北山の旅館業『仁右衛門家』を営む清河家(母方の実家)の清河さきと養子縁組をし、美智子と結婚。同年12月16日から1940年6月30日まで富山県中新川郡早月加積尋常高等小学校に代用教員として勤務し、続いて同年6月30日から1941年3月29日まで富山県公立青年学校教諭となり、下新川郡魚津青年学校に勤務。
茂在 寅男(もざい とらお、1914年2月10日 - 201… 茂在 寅男(もざい とらお、1914年2月10日 - 2013年5月31日)は、日本の工学博士(航海計器学)、作家、水中考古学(海洋考古学)研究者。 茨城県筑波郡筑波町大字北条(現・つくば市北条)出身、千葉県市川市に在住していた。勲三等旭日中綬章、東京商船大学(現・東京海洋大学)名誉教授、英国王立航海研究所名誉会員、日本水中考古学会副会長。ペンネームは、油棚憲一(あぶらだな けんいち)、茂在公望(もざい こうぼう)、鬼怒川公望(きぬがわ こうぼう)、他。 日本で初めてヨットを製作する。土浦中学校(現・茨城県立土浦第一高等学校)、東京高等商船学校(現・東京海洋大学)航海科卒業後、日本郵船を経て、鳥羽商船学校、東京高等商船学校(東京商船大学を含む)、横浜国立大学、東京大学、東海大学で教鞭をとりながら、先端研究分野である船舶のオートパイロットを視野にいれた航海計器の近代航海術の技術開発研究を行う。
向山 一人(むかいやま かずと、1914年2月10日 - 1… 向山 一人(むかいやま かずと、1914年2月10日 - 1995年12月21日)は日本の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。 長野県上伊那郡中箕輪村(後の中箕輪町、現在の箕輪町)生まれ。旧制長野県伊那中学校(現長野県伊那北高等学校)を経て、早稲田大学附属高等工学校卒業。古河電工無線研究所研究課長を退職して、1940年東京市荏原区(現品川区)に「興亜工業社」(現KOA) を設立した。1955年伊那毎日新聞設立。1963年には建設省の専門委員、1964年興亜ソリッド社長、1967年には日本経済団体連合会常任理事を歴任した。1977年コーア会長に就任。 1962年紺綬褒章受章。1962年5月長野県箕輪町教育施設費のため100万円寄付により1963年2月2日紺綬褒章受章(飾版)、寄付の功績顕著として木杯一組台付を賜った。
富ノ山 等(とみのやま ひとし、1914年2月10日 - 1… 富ノ山 等(とみのやま ひとし、1914年2月10日 - 1945年10月30日)は、宮城県栗原郡築館町(現栗原市)出身で花籠部屋に所属した力士。本名は佐藤 等。最高位は西前頭4枚目。身長185cm、体重116kg。 1930年、花籠部屋から初土俵を踏む。序ノ口、三段目、幕下で優勝を経験し、3年で十両に昇進した。そのあと少し出世はゆっくりとなったが、1935年1月、20歳で新入幕を果たした。「富野山」に改名した1936年5月場所自己最高位となる西前頭4枚目まで上がるが、11戦全敗で終わった。「冨ノ山」に再改名した1937年5月場所十両に落ち、一時期素行不良で破門され、幕下付出で再出発したこともあった。
国定 謙男(くにさだ かねお、1913年(大正2年)2月10… 国定 謙男(くにさだ かねお、1913年(大正2年)2月10日 - 1945年(昭和20年)8月22日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争の敗戦を受けて、一家四人で自決した海軍少佐である。 岡山県出身。幼少期に北海道へ移り、室蘭中学4年修了で海軍兵学校入校。1932年(昭和7年)11月卒業。国定は海兵60期で、席次4番の恩賜組である。 国定は第26期飛行学生を修了した搭乗員であった。1937年(昭和12年)、海軍中尉で空母「龍驤」乗組であった国定は、第二次上海事変に出征し、日本国内で度々報じられる奮戦振りであった。岩国海軍航空隊飛行長として太平洋戦争の開戦を迎え、第12連合航空隊参謀、三重海軍航空隊教官、練習連合航空隊参謀などを歴任した。
藤田 進(ふじた すすむ、1913年2月10日 - 2003… 藤田 進(ふじた すすむ、1913年2月10日 - 2003年3月1日)は、昭和期の政治家、参議院議員(5期)。労働運動家、第2代総評議長。教育者、大阪工大摂南大学(現学校法人常翔学園)総長・理事長。経済学博士(法政大学)。 広島県賀茂郡黒瀬町(現:東広島市)生まれ。1932年、関西工学校(現大阪工業大学)土木科卒業。ウェイン州立大学留学。広島県庁を経て、中国電力に勤務し、戦後、労働運動に明け暮れ1952年総評議長就任。炭労(日本炭鉱労働組合)、電産(日本電気産業労働組合)の二大争議を指導した。 1953年参院選全国区に日本社会党から出馬し初当選(連続5期)。1960年、法政大学から経済学博士の学位を授与される。
久保田 きぬ子(くぼた きぬこ、1913年2月10日 - 1… 久保田 きぬ子(くぼた きぬこ、1913年2月10日 - 1985年12月24日)は、日本の憲法学者。元立教大学法学部教授、元成蹊大学法学部教授、元東北学院大学法学部教授。比較憲法とプライバシーの権威として知られるほか、1961年(昭和36年)から3回にわたり国連総会の日本政府代表代理を務めた。東京大学初の女性学生の一人。中央教育審議会委員や文部省教育職員養成審議会委員などを歴任。勲三等宝冠章受賞。専門はアメリカ憲法、プライバシー権など。 旧相川町(現新潟県佐渡市)出身。国連総会の政府代表代理、中央教育審議会や被爆者対策基本問題懇談会の委員、東京都知事顧問などを歴任。父は元相川町長の久保田金五郎 (8代目)、祖父は新潟県第27大区副大区長を務めた久保田金五郎 (7代目)。
小泉 明(こいずみ あきら、1913年2月10日 - 197… 小泉 明(こいずみ あきら、1913年2月10日 - 1977年2月8日)は、日本の経済学者。ケインズ経済学を専攻、国際金融論。第7代一橋大学学長。経済学博士。正三位勲二等旭日重光章。 神奈川県横浜市出身。1938年東京商科大学(現一橋大学)を卒業。山口茂ゼミ出身。三洋証券社長の土屋陽三郎、新日本証券社長の鷹尾寛、東京銀行頭取の横山宗一、鹿島建設副会長の原明太郎、マツダ会長の岩沢正二、丸井今井社長の今井道雄、日東製網社長の小林政夫、三井不動産社長の坪井東らとともに大学の同期会を結成。 大学卒業後第一生命保険に入社するが、1940年に同社を退職し東京商科大学助手に就任。同助教授を経て、戦後一橋大学商学部助教授、58年教授に昇格。
塚本 倉人(つかもと くらと、1912年〈明治45年〉2月1… 塚本 倉人(つかもと くらと、1912年〈明治45年〉2月10日 - 2001年〈平成13年〉5月11日)は、日本の実業家。政治家。元福岡県甘木市(現・朝倉市)長(5期)。位階は正五位。 福岡県出身。1930年(昭和5年)、甘木町立実業専修学校(現・福岡県立朝倉高等学校)卒。精米業を営み、後に合名会社化し、塚本食糧工業所を興す。1955年(昭和30年)に甘木市議会議員に初当選した。1963年(昭和38年)5月7日から1964年(昭和39年)10月8日まで、第6代市議会議長を務めた。同年、甘木市長に当選する。同年11月から1972年(昭和47年)11月まで2期務めた。 1976年(昭和51年)の甘木市長選挙に立候補して、保守系無所属の新人を破って返り咲きを果たした。
小堀 清一(こぼり せいいち、1912年2月10日 - 19… 小堀 清一(こぼり せいいち、1912年2月10日 - 1996年2月2日)は、将棋棋士。九段。神奈川県横浜市出身。金子金五郎九段門下。
諏訪多 栄蔵(すわた えいぞう、1911年2月10日 - 1… 諏訪多 栄蔵(すわた えいぞう、1911年2月10日 - 1992年5月5日)は、日本の登山家。 東京市日本橋馬喰町生まれ。1928年工学院(現工学院大学)冶金学科卒、トキワ鉛工業に入社。大阪に住み、西岡一雄らの手引きで登山を始める。吉沢一郎、望月達夫、深田久弥らとともに日本のヒマラヤ研究の第一人者であった。
宗 道臣(そう どうしん、1911年(明治44年)2月10日… 宗 道臣(そう どうしん、1911年(明治44年)2月10日 - 1980年(昭和55年)5月12日)は、日本の武道家、思想家、教育者、社会指導者、社会運動家、宗教家。日本の武道の一つである少林寺拳法の創始者であり、北少林義和門拳第21代正統継承者(事実上の古典的嵩山少林寺における最後の正統継承者) 姓名は中野 理男(なかの みちお)、中野 道臣(なかの みちおみ)を経て、最終的には宗 道臣を名乗った 1911年(明治44年)2月10日、岡山県英田郡江見村(現・美作市)に生まれる。1919年(大正7年)、義父が死亡し、1924年(大正12年)に家出し、祖父の住む満州へと移る。1926年(大正15年)母と妹が死亡、1927年(昭和2年)には妹と祖父が死亡、天涯孤独となる。
天野 節(あまの みさお、1911年2月10日 - 没年不明… 天野 節(あまの みさお、1911年2月10日 - 没年不明)は、日本の洋画家。徳島県麻植郡美郷村(現吉野川市)出身。徳島県師範学校卒業。 日本色彩学会名誉会員。奉天省美術展特選、新世紀美術展大内賞、徳島県出版文化賞などを受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
大嶺 政寛(おおみね せいかん、1910年(明治43年)2月… 大嶺 政寛(おおみね せいかん、1910年(明治43年)2月10日 - 1987年(昭和62年)12月20日)は、沖縄県出身の洋画家。昭和時代の戦前戦後にわたって沖縄の原風景を描き、「赤瓦屋根の政寛」と称された。沖縄民芸協会会長を務めた。 那覇市久米町生まれ。沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)在学時に、比嘉景常の薫陶を受けて西洋画を志す。1929年(昭和4年)沖縄県立第二中学校を卒業後、沖縄県師範学校本科二部に進み、1930年(昭和5年)に卒業する。以後、那覇尋常小学校や那覇市立商業学校(現・沖縄県立那覇商業高等学校)、沖縄県立第一高等女学校等で教鞭を執る。 1933年(昭和8年)、第10回春陽会展に入選。
伊東 多三郎(いとう たさぶろう、1909年2月10日 - … 伊東 多三郎(いとう たさぶろう、1909年2月10日 - 1984年10月29日)は、日本史学者、東京大学名誉教授。専門は日本近世史。研究分野は、近世の文化史・社会史から政治史に、そして経済史にまで及ぶ広範囲なものであった。この他、自治体史編纂にも積極的に取り組み、『水戸市史』『小千谷市史』『新潟県史』の編纂に関わった。 新潟県古志郡富曽亀村亀貝(のち長岡市亀貝町)に伊東三次郎の長男として生まれた。1921年旧制長岡中学入学、1925年旧制新潟高等学校文科乙類入学、1928年卒業。1931年東京帝国大学文学部国史科卒業、大倉精神文化研究所の嘱託となる。翌1932年に卒業論文『国学の史的考察』(大岡山書店、1932年)を刊行し、東京帝国大学文学部史料編纂所嘱託。
山岡 亮一(やまおか りょういち、1909年2月10日 - … 山岡 亮一(やまおか りょういち、1909年2月10日 - 1991年9月21日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授、高知大学名誉教授。専門は農業経済学。経済学博士(京都大学・1962年)。京都府生まれ。 子に山岡亮平(動物生態学者、京都工芸繊維大学名誉教授)、山岡耕作(魚類学者、高知大学名誉教授)など
高馬 一郎(こうま いちろう、1909年2月10日 - 20… 高馬 一郎(こうま いちろう、1909年2月10日 - 2006年8月12日)は、日本の経営者。グンゼ社長を務めた。兵庫県姫路市出身。 1930年に上田蚕糸専門学校製糸科を卒業し、同年に郡是製絲(のちのグンゼ)に入社。1959年1月に取締役に就任し、1965年1月に常務、1967年1月に専務を経て、1975年1月には社長に就任。1979年2月には会長に就任。 2006年8月12日老衰のために死去。97歳没。
三船 留吉(みふね とめきち、1909年(明治42年)2月1… 三船 留吉(みふね とめきち、1909年(明治42年)2月10日 - 1983年(昭和58年)1月7日)は、日本の社会運動家、実業家。日本共産党員でありつつ、特別高等警察(特高)のスパイとして活動した。「小林多喜二を売った男」として知られている。 秋田県由利郡川内村(現由利本荘市)生まれ。1928年頃に上京し、旋盤工として働きながら、1930年10月、全国労働組合同盟(全労)亀戸分会に加入、東京・下町の労働運動に参加した。やがて非合法の組合運動に接近する中で、検挙・拘留を繰り返し、1930年頃警視庁特高課毛利基直属のスパイとなった。 1931年6月15日、コミンテルン上海出張所(極東部)組織部長イレール・ヌーランとその妻が上海租界警察に逮捕されるという「上海ヌーラン事件」を誘発した。
塩田 末平(しおた すえひら、1907年〈明治40年〉2月1… 塩田 末平(しおた すえひら、1907年〈明治40年〉2月10日 - 没年不明)は、日本の検察官、弁護士、公証人。元広島地方検察庁検事正。 香川県三豊郡仁尾村(現・三豊市仁尾町)出身。常三郎の二男。旧制香川県立三豊中学校、旧制第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。 1929年(昭和4年)高等文官試験司法科合格。東京帝国大学卒業後、1930年(昭和5年)司法省入省。1931年(昭和6年)松山地方裁判所検事局検事に任官。岡山地方裁判所検事局検事、東京地方裁判所検事局検事に転任。 1941年(昭和16年)外務省に出向。上海領事館検察領事、南京領事館検察領事に就任。1945年(昭和20年)司法省に復帰。