矢野 龍(やの りゅう、1940年11月12日 - )は、日… 矢野 龍(やの りゅう、1940年11月12日 - )は、日本の実業家。住友林業代表取締役社長、同社代表取締役会長を経て、同社最高顧問、都市緑化機構会長。元日本木造住宅産業協会会長。 満洲国生まれ。父は第二次世界大戦で戦死し、日本の降伏後母や妹2人と山口県美祢郡に引き揚げ、水車小屋に寝泊まりするなど貧しい生活を送った。山口県立厚狭高等学校を経て、1963年北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部米英学科卒業。 大学卒業後は駐在員枠で住友林業に入社し、シアトル出張所で山林の買い付けなどに従事したのち、1988年取締役海外第一部長に昇格。1992年常務取締役。1995年代表取締役専務取締役。 1999年から住友林業代表取締役社長を務め、2010年からは同社代表取締役会長を務めた。
枝川 公一(えだかわ こういち、1940年11月12日 - … 枝川 公一(えだかわ こういち、1940年11月12日 - 2014年8月15日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、翻訳家。
四代目 市川左團次(よだいめ いちかわ さだんじ 1940年… 四代目 市川左團次(よだいめ いちかわ さだんじ 1940年 (昭和15) 11月12日 - )は、歌舞伎役者、日本の俳優。本名は荒川 欣也(あらかわ きんや)。屋号は高島屋、定紋は三升に左(みますに ひだり)だが、通常は替紋の松皮菱に鬼蔦(まつかわびしに おにづた)を使用。歌舞伎名跡「市川左團次」の当代。
富野 幹雄(とみの みきお、1940年11月12日 - )は… 富野 幹雄(とみの みきお、1940年11月12日 - )は、日本のポルトガル語学者。南山大学名誉教授。 愛知県半田市生まれ。1963年同志社大学経済学部卒業。1966年東京外国語大学ポルトガル・ブラジル語学科卒業。1968年同大学院修士課程修了。1968 - 1970年サンパウロ州立大学で給費奨学生として学ぶ。1972年南山大学外国語学部専任講師、助教授、教授、2010年定年退職、名誉教授。
渡邉 玉枝(わたなべ たまえ、1938年11月12日 - )… 渡邉 玉枝(わたなべ たまえ、1938年11月12日 - )は、日本の登山家。富士河口湖町名誉町民。 山梨県富士河口湖町出身。家業の農業を手伝いながら、定時制高校に通う。都留短期大学(現都留文科大学)卒業後、神奈川県の職員(地方公務員)となる。神奈川県庁山岳会に入会し、登山を本格的に始め、1977年、マッキンリーに登頂。これは一般的なルートより難易度の高いバリエーションルートといわれる「南壁アメリカン・ダイレクトルート」の女性初登攀であった。 8,000メートル級の山4座のほか、モンブラン、キリマンジャロ、アコンカグアなどの登山歴をもつ。県庁勤務を経て県立高校事務長に就任。 田部井淳子に誘われ、50歳以上のメンバーで8000m級の山に挑戦しようという会「シルバータートル」に参加し、1991年52歳で初めての8000m峰チョ・オユーの登頂に成功する。
花井 幸子(はない ゆきこ、1937年(昭和12年)11月1… 花井 幸子(はない ゆきこ、1937年(昭和12年)11月12日 - 2022年(令和4年)10月1日)は、日本のファッションデザイナー。神奈川県横浜市出身。 新聞、広告関係、雑誌等で、ファッションイラストレーター、写真家としても活動。また審査員として、各団体、企業主催のコンクールなどの審査に携わった。 「生活のすべてがデザインの場である」との自論から、きもの、ゴルフウェア、宝飾品、インテリア、食器等44アイテム以上ものライセンス商品を展開。「ユキコ・ハナイ」は華やかな色や柄、流麗なシルエットが特徴で、大手企業のユニフォームや学校制服のデザインも多数手がけた。 元モデル・テレビ司会者の芳村真理とは同年代ということもあってか、彼女のモデル時代から40年以上に及ぶ親交を結んだ。
伊達錦 一成(だてにしき かずなり、1937年11月12日 … 伊達錦 一成(だてにしき かずなり、1937年11月12日 - 没年不明 )は、宮城県遠田郡涌谷町出身(生まれは東京府)で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は廣瀬 一成(ひろせ かずなり)。173cm、102kg。最高位は東十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。 入門する前は農業を営んでいた。1954年5月場所に初土俵。1963年7月場所に十両昇進。新十両の場所は8勝7敗と勝ち越すが、翌9月場所は5勝10敗と負け越し、2場所で幕下に陥落。1964年5月場所に再度十両に昇進するも、十両下位に甘んじて再び2場所で幕下に陥落。1965年5月場所限りで27歳で廃業した。
峯 京子(みね きょうこ、1936年11月12日 - )は、… 峯 京子(みね きょうこ、1936年11月12日 - )は、日本の女優。東京都出身。本名は成田美智子。
平島 正登(ひらしま まさと、1936年11月12日 - )… 平島 正登(ひらしま まさと、1936年11月12日 - )は、福岡県出身の元ラグビー選手。元ラグビー日本代表選手。主なポジションはスタンドオフ(SO)。
石川 富康(いしかわ とみやす、1936年11月12日 - … 石川 富康(いしかわ とみやす、1936年11月12日 - 2019年10月8日)は、日本の登山家。 1936年愛知県生まれ。20歳代から本格的に登山を始め、日本山岳会、愛知学院大学岳士山岳会に所属。 50歳以上のメンバーで8000m級の山に挑戦しようという会「シルバータートル」(田部井淳子や渡邊玉枝も所属)に参加し、1991年55歳で初めての8000m峰チョ・オユーの登頂に成功する。以後エベレストに2回登頂、8000m峰5座に6回登頂した。 2002年5月エベレストに登頂し、世界最高齢記録を更新(65歳176日)、ギネスブックに認定された。2008年1月南極大陸最高峰ヴィンソン・マシフに登頂し、7大陸最高峰登頂を達成、世界最高齢記録を更新(71歳59日)、ギネスブックに認定された。
中島 丈博(なかじま たけひろ、1935年〈昭和10年〉11… 中島 丈博(なかじま たけひろ、1935年〈昭和10年〉11月12日 - )は、日本の脚本家・小説家・映画監督。京都府生まれ、高知県中村市(現・四万十市)育ち。 父は日本画家の中島敬朝。京都で生まれ、太平洋戦争の影響で1945年10歳のとき、高知県中村市へ疎開。そこでプライバシーが筒抜けな地元住民の生活に衝撃を受け、それが作風にも影響を与えたと語っている。この頃のことは『野蛮な詩』(疎開後の小学生時代)、『郷愁』(中学時代)、『祭りの準備』(20代、上京まで)で小説・映画化している。1954年に高知県立中村高等学校を卒業。家はずっと貧乏で、父が胃潰瘍で入院して金がかかり大学進学を断念し、高知相互銀行に就職し三年ほど勤務する。
本村 和喜(もとむら かずき、1935年11月12日 - 1… 本村 和喜(もとむら かずき、1935年11月12日 - 1991年8月17日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。位階は正五位。勲等は勲三等。派閥は三塚派に所属した。 福岡県北九州市八幡東区生まれ。福岡県立八幡高等学校を経て、立命館大学法学部卒業。大学在学中は、ボクシング部と弁論部に所属し、大学代表として弁論大会に出場することもあった。 1964年、自民党衆議院議員小峰柳多の秘書。のちに参議院議員鬼丸勝之の秘書を経験。 1971年、福岡県議会議員選挙初当選。以後2期務める。 1980年の第12回参議院議員通常選挙と1983年の第13回参議院議員通常選挙に福岡県選挙区から自由民主党公認で立候補するも次点落選。
中村 修一郎(なかむら しゅういちろう、1935年11月12… 中村 修一郎(なかむら しゅういちろう、1935年11月12日 - 2009年12月22日)は、日本のプロ野球選手。二塁手が主だが三塁・一塁も守った。右投右打。
広瀬道貞(ひろせ みちさだ、1934年11月12日 - )は… 広瀬道貞(ひろせ みちさだ、1934年11月12日 - )は、大分県出身の株式会社テレビ朝日顧問。第13代日本民間放送連盟(民放連)会長(2006年~2012年)。
宗片 邦義(むなかた くによし、1934年(昭和9年)11月… 宗片 邦義(むなかた くによし、1934年(昭和9年)11月12日 - )は、日本の学者、静岡大学名誉教授、モンゴル国際経済商科大学名誉教授、華中科技大学・広東南大専修学院名誉教授、国際融合文化学会会長。山形県鶴岡市出身。旧名・上田邦義。離婚により宗片姓にもどる。
東海林 周太郎(しょうじ しゅうたろう、1933年11月12… 東海林 周太郎(しょうじ しゅうたろう、1933年11月12日 - 2017年7月15日)は、山形県山形市出身のバスケットボール選手・指導者である。 山形東高校から立教大学に進み、全日本チームの一員としてメルボルン五輪に出場。 卒業後は日本鉱業に入社し、ローマ五輪に出場した。 引退後はコーチに転じ、1966年には全日本の監督を務めた。 1995年にバスケットボール日本リーグ機構が発足されると、専務理事に就任した。 2017年7月15日、心筋梗塞のため神奈川県藤沢市の病院で死去。83歳没。晩年は同県茅ヶ崎市に在住しており、葬儀も茅ヶ崎市内の葬祭場でしめやかに営まれた。
竹内 成明(たけうち しげあき/せいめい、1933年11月1… 竹内 成明(たけうち しげあき/せいめい、1933年11月12日 - 2013年3月11日)は、日本の評論家・思想史学者。同志社大学名誉教授。 大阪府出身。京都大学文学部仏文科卒、同大学院修士課程修了。京都大学人文科学研究所助手、1973年同志社大学文学部助教授、教授。2004年定年、名誉教授。
有馬 真喜子(ありま まきこ、1933年11月12日 - )… 有馬 真喜子(ありま まきこ、1933年11月12日 - )は、女性問題の評論家、ジャーナリスト。 国民生活センター会長、財団法人横浜市女性協会顧問、特定非営利活動法人ユニフェム日本国内委員会理事長。所属団体は日本記者クラブ、日本エッセイストクラブ、京都大学人類学研究会。 本名は酒井 真喜子 (さかい まきこ)。夫は元朝日新聞編集委員・元東洋大学教授の酒井寛。元夫は明電舎元社員・日本共産党元常任幹部会委員の有馬治雄。父は陸上自衛隊武器学校初代校長や東急車輛製造取締役を歴任した海軍軍人・実業家の谷本政一。 広島県呉市出身。1957年、津田塾大学学芸学部英文学科を卒業し、朝日新聞社に入社。朝日新聞社初の女性記者となった。
小池 唯夫(こいけ ただお、1932年11月12日 - 20… 小池 唯夫(こいけ ただお、1932年11月12日 - 2017年11月30日)は、日本のジャーナリスト、実業家。元毎日新聞社長。元パシフィック・リーグ会長。栃木県出身。 早稲田大学政治経済学部卒業後の1956年4月に毎日新聞社に入社。政治部長、論説委員長、東京本社編集局長などを経て、1992年6月に代表取締役社長に就任。1995年から1999年まで日本新聞協会会長を務めた。2001年1月からはパシフィック・リーグ会長に就任。2008年12月に任期満了で退任するまで、日本ハムファイターズの北海道への本拠地移転問題の解決や、2004年から始まったプレーオフ制度の導入、オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併に端を発した球界再編問題への対応などに尽力した。
會田 雄亮(あいだ ゆうすけ、1931年11月12日 - 2… 會田 雄亮(あいだ ゆうすけ、1931年11月12日 - 2015年10月28日)は、日本の陶芸家。造園系彫刻家・環境デザイン造形作家。東北芸術工科大学名誉教授。環境造形や、練り込み(練り上げ)の工芸作品で知られる。1979年にはネッスル日本(現:ネスレ日本)の『ネスカフェゴールドブレンド』のイメージキャラクターに当たる「違いのわかる男」に起用された。このCMは山梨県南都留郡忍野村にある忍野窯でも流されている。 1931年(昭和6年)、東京都に生まれる。戦時中に山形へ疎開し山形県立山形第二中学校(現・山形県立山形南高等学校)に在籍。東京都立江北高等学校を経て1956年(昭和31年)千葉大学園芸学部旧造園学科卒業(都市計画系研究室出身)。
水島 一也(みずしま かずや、1930年11月12日 - 2… 水島 一也(みずしま かずや、1930年11月12日 - 2017年10月31日)は、日本の経営学者。保険・リスクマネジメントの研究者。学位は、商学博士(神戸大学・1965年)。神戸大学名誉教授。元保険審議会会長。作家で精神科医の加賀乙彦は、名古屋陸軍幼年学校時代の1年先輩。旧東京府(現東京都)生まれ。 大学院門下生として、高尾厚、岡田太志、李潤浩、許碩芬、金基辰がいる。
南原 實(なんばら みのる、1930年11月12日 - 2… 南原 實(なんばら みのる、1930年11月12日 - 2013年11月12日)は、ドイツ文学者。東京大学名誉教授。 1930年、東京府で生まれた。武蔵高等学校を経て、東京大学文学部独文科に進学。同大学を卒業後、同大学大学院へ進んだ。 1969年に東京大学教養学部助教授に就任し、ドイツ語を講じた。後に教授昇進。1991年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。 2013年11月12日に膵臓がんのため死去。82歳没。 「青樹簗一」の名でレイチェル・カーソンの『沈黙の春』を訳した。
俵 孝太郎(たわら こうたろう、1930年11月12日 - … 俵 孝太郎(たわら こうたろう、1930年11月12日 - )は、政治評論家。血液型はA型。
渡辺 昭五(渡邊昭五、わたなべ しょうご、1930年11月1… 渡辺 昭五(渡邊昭五、わたなべ しょうご、1930年11月12日 - 2014年2月3日)は、日本文学研究者。学位は、(國學院大學・論文博士・1977年)。大妻女子大学名誉教授。 東京生まれ。1934年父の関東軍転任とともに満州に渡った。1943年、新京第一中学校(旧制)に入学。敗戦直前にソビエト・満州国境に動員された。敗戦後、浮浪生活を経た後、1946年に日本へ引き揚げた。旧制埼玉県立熊谷中学校(現埼玉県立熊谷高等学校)に転入し、1949年に卒業。就職しながら大学進学を目指し、1955年國學院大學文学部国文学科に入学。1959年に卒業し、同大学院に進んだ。1961年に修士課程を修了、博士課程に進んだ。
小林 彰太郎(こばやし しょうたろう、1929年11月12日… 小林 彰太郎(こばやし しょうたろう、1929年11月12日 - 2013年10月28日)は、日本の自動車評論家、自動車社会史研究者。 世界的に著名な自動車評論家の1人であり、日本の「モータージャーナリズム」を築き上げた第一人者として、戦後の日本車発展に大きく貢献した。また、自動車史研究やクラシックカーの権威としても知られ、欧州志向の伝統的な自動車趣味を自ら実践し、その魅力を発信した。自動車雑誌『カーグラフィック』(二玄社)の創刊者および名誉編集長であったほか、日本自動車ジャーナリスト協会副会長、日本カー・オブ・ザ・イヤー実行委員会委員長、カー・オブ・ザ・センチュリー名誉専門委員会副委員長等を歴任した。
上野 喜一郎(うえの きいちろう、1929年 <昭和4年> … 上野 喜一郎(うえの きいちろう、1929年 <昭和4年> 11月12日 - 2008年 <平成20年> 1月8日)は、日本の経営者。南国殖産社長を務めた。位階は従五位。 鹿児島県鹿児島市出身。1953年に慶應義塾大学経済学部を卒業。東京貿易での勤務を経て、1956年11月に南国殖産取締役に就任し、1971年6月に社長に就任。1993年には鹿児島讀賣テレビ社長に就任。 2002年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 2008年1月8日に腎不全のために死去。78歳没。死没日付をもって従五位に叙された。 上野喜左衛門(南国殖産代表取締役社長や参議院議員などを歴任)は父。永山在紀(元南国殖産代表取締役社長)は従弟。
尾吹 善人(おぶき よしと、1929年11月12日 - 19… 尾吹 善人(おぶき よしと、1929年11月12日 - 1995年12月4日 )は、日本の法学者(憲法)。千葉大学名誉教授。従三位勲三等旭日中綬章。朝鮮釜山出身。 カール・シュミット、ハンス・ケルゼン研究で功績を残す。カール・シュミット『憲法理論』(1972年)、ハンス・ケルゼン『法と国家の一般理論』(1991年)の翻訳は、名著として知られる。またアメリカ連邦憲法の表現の自由研究でも有名である。 基礎理論と解釈論に関する主な業績は、没後12年目にあたる2007年、東北大学の後輩や日本大学時代の門下生たちによって、論文集『憲法の基礎理論と解釈』(信山社)としてまとめられ、刊行された。その他に『基礎憲法』(東京法経学院出版、1978年)、『憲法教科書』(木鐸社、1993年)といった概説書や、『学説判例事典・憲法』(東出版、1970年)『憲法基本判例』(有斐閣、1986年)『日本憲法』(木鐸社、1990年)などがある。
宇都美 清(うつみ きよし、1928年(昭和3年)11月12… 宇都美 清(うつみ きよし、1928年(昭和3年)11月12日 - 1973年(昭和48年)3月4日)は日本の歌手。栃木県宇都宮市出身。本名は吉田清男。 1946年(昭和21年)、宇都宮商業学校を卒業目前にして、コロムビアの新人募集に応募し合格。同年5月発売の「銀座歩けば」でデビュー。芸名の宇都美清とは出身地の宇都宮から取ったものである。 1949年(昭和24年)までに7曲吹き込んだが、ヒットしたのは「旅役者の唄」(霧島昇)のB面曲「三千歳小唄」ぐらいで、翌年、ビクターへ移籍。渡辺はま子と吹き込んだ「火の鳥」がヒットし、「ああモンテンルパの夜は更けて」、「浅太郎月夜」等がヒットする。 NHK紅白歌合戦に3回出場している(詳細は下記参照)。
谷山 豊(たにやま とよ〈ゆたか〉 、1927年〈昭和2年〉… 谷山 豊(たにやま とよ〈ゆたか〉 、1927年〈昭和2年〉11月12日 - 1958年〈昭和33年〉11月17日)は、日本の数学者。理学博士。 埼玉県北埼玉郡騎西町(現在の加須市騎西地域)出身。開業医の家庭に、八人兄弟の六番目として生まれる。 旧制埼玉県立不動岡中学校(現在の埼玉県立不動岡高等学校)を経て、旧制浦和高等学校(現在の埼玉大学)に進学。身体が弱かったため2年休学して1950年に卒業。この頃に高木貞治の『近世数学史談』を読み、数学者を志すようになる。 その後、東京大学理学部数学科、同助手を経て、1958年に東京大学助教授に就任。同年5月、理学博士(東京大学。学位論文の題は『Jacobian varieties and number fields』)。
飛田 武幸(ひだ たけゆき、1927年11月12日 - 20… 飛田 武幸(ひだ たけゆき、1927年11月12日 - 2017年12月29日)は、日本の数学者。専門は、確率論、関数解析学。名古屋大学名誉教授。名城大学名誉教授。 ホワイトノイズ解析の基礎を確立。確率過程論国際学会会長、国際研究発表ジャーナル「Infinite dimensional Analysis, Quantum Probability and Related Topics」の編集長等を務めた。
園田 てる子(そのだ てるこ、1926年11月12日 - 1… 園田 てる子(そのだ てるこ、1926年11月12日 - 1976年5月11日)は、日本の小説家。 埼玉県生まれ。実家は石山家で、金物店。本名・照子。1943年熊谷高等女学校卒。1945年8月14日に園田芳男(1920- 航空技師、戦後は高校の数学教師)と結婚する。1950年頃から倶楽部雑誌や学習雑誌に小説を発表。次第に官能小説が多くなり、トルコ風呂(本番はなし)での体当たり体験ルポなども書いた。女流推理作家の集まり「霧の会」の会員でもあった。晩年は歴史小説に挑むが、自動車に撥ねられて即死した。
八田 恭昌(やつだ やすまさ、1926年11月12日 - 1… 八田 恭昌(やつだ やすまさ、1926年11月12日 - 1992年11月18日)は、日本の政治学者。ドイツ政治史学者。 1926年、兵庫県神戸市生まれ。静岡県立沼津中学校(現静岡県立沼津東高等学校)卒、1951年同志社大学文学部社会学科卒業、1953年同大学院社会福祉学専攻修了、同文学部社会学科助手、1962年講師、1965年助教授、1968年教授、1973年新聞学専攻教授。
鈴木たね子(すずき たねこ、1926年11月12日- 202… 鈴木たね子(すずき たねこ、1926年11月12日- 2020年4月24日)は、日本の食品栄養学者。 東京出身。帝国女子医科薬科専門学校(現東邦大学)薬学部卒、1962年「魚肉鮮度の化学的判定方法に関する研究」で農学博士(九州大学)。農林水産省水産庁水産研究所生物化学部長、日本大学短期大学部生活環境学科教授、国際学院埼玉短期大学健康栄養学科教授。日本おさかなマイスター協会講師、日本水産学会名誉会員。 2020年4月24日大腸がんにより死去
鶴巻 良輔(つるまき りょうすけ、1926年11月12日 -… 鶴巻 良輔(つるまき りょうすけ、1926年11月12日 - )は、日本の経営者。昭和シェル石油社長を務めた。新潟県出身。 1947年に長岡高等工業学校を卒業し、同年に昭和石油に入社。1978年3月に取締役に就任し、1983年3月に常務、1987年3月に専務を経て、1993年9月には社長に就任。1995年4月から相談役を務めた。
永井 秀夫(ながい ひでお、1925年11月12日 - 20… 永井 秀夫(ながい ひでお、1925年11月12日 - 2005年12月12日)は、東京市小石川区(現文京区)生まれの歴史学者。北海道大学名誉教授。専攻は日本近代史、北海道史。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
桂田 鎮男(かつらだ しずお、1923年11月12日 - 2… 桂田 鎮男(かつらだ しずお、1923年11月12日 - 2014年10月21日)は、日本の経営者。住友ゴム工業社長を務めた。滋賀県出身。 1949年に京都大学法学部政治学科を卒業し、同年に住友電気工業に入社。1976年6月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1982年6月に顧問に就任。1982年3月に住友ゴム工業副社長に就任し、1984年3月には社長に昇格。1990年3月に副会長に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 2014年10月21日心不全のために死去。90歳没。
安部 一郎(あべ いちろう、1922年11月12日 - 20… 安部 一郎(あべ いちろう、1922年11月12日 - 2022年2月27日)は、日本の柔道家。講道館十段。 1950年代以降のヨーロッパにおいて講道館柔道の普及に尽力し、斯道の国際的発展に大いに貢献した。帰国後は講道館国際部部長や同審議部部長を経て、同参与を務めた。 秋田県の生まれ。両親が山形県出身であったため本籍はしばらく山形県西村山郡谷地町にあった。父親が農林省(現・農林水産省)に勤める国家公務員であった関係で安部は幼少時より宮崎県や岐阜県など日本各地を転々とし、中学校の入学時には群馬県の前橋市に住んでいた。 旧制前橋中学校(現・県立前橋高校)に入学すると体育のほかに軍事教練や武道の授業があり、武道は剣道と柔道のどちらかを選択することになる。
金 鍾喜(キム・ジョンギ、1922年11月12日 - 198… 金 鍾喜(キム・ジョンギ、1922年11月12日 - 1981年7月23日)は、韓国の実業家。ハンファグループの創設者。本貫は順天金氏。 1922年に出生。延禧専門学校(現延世大学校)を卒業後、1941年に日本の明治大学に留学。 1942年、朝鮮火薬共販株式会社に入社。 1952年に火薬メーカーの韓国火薬株式会社を設立。以降、次々に有力企業を立ち上げ、一代でハンファグループを創設。 1992年10月にグループの母体である韓国火薬株式会社を、株式会社ハンファへ社名変更すると共に、ハンファグループとして事業を展開。主なグループ企業に、ハンファ生命保険(旧・大韓生命)、ハンファ損害保険、ハンファ証券、ハンファケミカル、ハンファ建設、ハンファギャラリアなどがある。
鈴木 道明(すずき どうめい、1920年11月12日 - 2… 鈴木 道明(すずき どうめい、1920年11月12日 - 2015年12月23日)は、日本の作詞家・作曲家。東京府(現東京都)出身。 旧制早稲田中学校、早稲田大学卒業。学生時代は競泳選手であり、1940年に開催される予定であった東京オリンピック日本代表候補選手であった。大学卒業後に帝国陸軍飛行戦隊に入営し、戦闘機の搭乗員として南方戦線に出征した経験を持つ。 復員後、発足したばかりのラジオ東京(後のTBS〔東京放送〕)に入社し、テレビ・ラジオの音楽番組のプロデューサーやディレクターとして数々の番組を担当し、TBSでは編成局次長や第二演出部長の要職に就いていた。 その一方ではソングライターとして西田佐知子、日野てる子などに自作の楽曲を提供・発表し、数々のヒット曲を世に送り出した。
島尾 永康(しまお ながやす、1920年11月12日 - 2… 島尾 永康(しまお ながやす、1920年11月12日 - 2015年1月6日)は、日本の科学者。専門は科学史。 2015(平成27)年1月6日逝去
馬淵 秀夫(まぶち ひでお、1920年11月12日 - 20… 馬淵 秀夫(まぶち ひでお、1920年11月12日 - 2013年2月19日)は、日本の経営者。日本酸素社長、会長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1943年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三菱商事に入社。1976年6月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1984年6月に副社長を経て、1986年7月に日本酸素常勤顧問に就任し、同年9月には社長に昇格。1991年6月から1996年12月までに会長を務めた。 1993年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2013年2月19日急性冠症候群のために死去。92歳没。
青鹿 明司(あおしか めいし、1920年11月12日 - 2… 青鹿 明司(あおしか めいし、1920年11月12日 - 2008年5月28日)は、日本の大蔵官僚。茨城県副知事、理財局次長、内閣官房内閣審議室長、常陽産業開発センター理事長、常陽銀行副頭取、同行頭取、同行会長などを歴任。茨城県水戸市千波町在住。趣味はゴルフ。 東京府出身。旧制第一高等学校、東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大在学中に高等試験行政科に合格。1943年9月 大蔵省入省。主計局属。同年、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学。1944年3月に卒業し、海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。 1946年2月 松江税務署長。1954年6月1日 大臣官房文書課長補佐。
宇野 義方(うの よしかた、1919年11月12日 - 20… 宇野 義方(うの よしかた、1919年11月12日 - 2009年8月12日)は、日本の国語学者。立教大学名誉教授。 1919年、宇野哲人の四男として東京に生まれた。東京帝国大学文学部国語学科で学び、1947年に卒業。卒業後は、日本女子大学助教授。1956年、立教大学文学部助教授となり、1963年に教授昇進。1985年に立教大学を定年退職して名誉教授となった。共立女子短期大学客員教授、特任教授を務めた。 2009年8月12日、肺炎のため死去。
飯野 利夫(いいの としお、1919年 <大正8年> 11月… 飯野 利夫(いいの としお、1919年 <大正8年> 11月12日 - 2007年 <平成19年> 8月8日)は、日本の会計学者。専攻は財務会計。一橋大学名誉教授、中央大学名誉教授、駿河台大学名誉教授。第2代駿河台大学学長。元日本会計研究学会理事長。1995年勲三等瑞宝章受章。位階は正五位。 富山県出身。高岡高等商業学校(現富山大学経済学部)を経て、1942年、東京商科大学(現一橋大学)を卒業する。大学では太田哲三に師事した。その後、一橋大学教授となるが、大学紛争で同大学を退職し、門下は残らなかった。指導学生に内山力(元中央大学教授)、吉野賢治(元太田昭和監査法人副理事長、学校法人中央学院理事長)などがいる。
三浦 道雄(みうら みちお、1918年(大正7年)11月12… 三浦 道雄(みうら みちお、1918年(大正7年)11月12日-1993年(平成5年)10月6日)は日本の政治家、実業家。青森県議会議長(自由民主党)、南部鉄道社長、東北電力監査役。 1918年(大正7年)11月12日に青森県三戸郡五戸町に生まれる。1942年(昭和17年)、法政大学経済学部を卒業する。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。大湊海軍航空隊付となる。同年5月、大湊軍需部付兼経理部部員に転任。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み、1945年(昭和20年)1月、大湊軍需部占守支部(北千島)に転じ、その後、小樽武官府で終戦を迎えた。
伊藤 孝次郎 (いとう こうじろう、1918年(大正7年)1… 伊藤 孝次郎 (いとう こうじろう、1918年(大正7年)11月12日 - 1992年(平成4年)5月10日)は、日本の地方政治家。東久留米市長を務めた。 山形県出身。早稲田大学専門部政経科に通い(1940年卒業)、1939年中外商業新報記者となる。翌年青島興亜新報支局長兼論説委員となる。戦後、東京タイムズに入り、社会部次長を経て、総理府公職訴願審査委員会事務局に勤める。その後、東京都久留米町議会(現・東久留米市議会)議員に当選。市制施行後に副議長に就任した。 1978年10月10日、東久留米市長の石塚政寿が汚職事件の責任をとり辞職。石塚の辞職に伴い11月26日に行われた市長選に社会党・共産党の推薦を得て立候補。
串田 孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2… 串田 孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2005年7月8日)は、日本の詩人、哲学者、随筆家。 1915年、東京市芝区生まれ。駿河台や永田町や一番町に育つ。暁星中学校で学び、中学時代から登山を始めた。1932年、旧制東京高等学校文科丙類に入学し、1935年に卒業。東京帝国大学文学部哲学科で学び、1938年に卒業した。同1938年には、処女短編集『白椿』(初見靖一名義)を刊行した。 卒業後は、上智大学で教鞭をとる。戦後、1946年に『永遠の沈黙 パスカル小論』を上梓し、『歴程』同人となる。旧制東京高等学校で教鞭をとり、1955年、最初の山の本『若き日の山』を上梓、1958年、尾崎喜八らと山の文芸誌『アルプ』を創刊、1983年に終刊するまで責任編集者を務めた。
丸木 清美(まるき せいみ、1914年(大正3年)11月12… 丸木 清美(まるき せいみ、1914年(大正3年)11月12日 - 1994年(平成6年)8月27日)は、日本の医師、精神科医、政治家、教育者。 埼玉医科大学創立者。日本医科大学卒業、医学博士(東京大学)。 埼玉県入間郡毛呂村(現毛呂山町)生まれ。旧制埼玉県立川越中学校から、1939年(昭和14年)3月に日本医科大学を卒業後、東京帝国大学(現東京大学)精神科教室に入局。教授は内村祐之。医学博士(東京大学)、同年10月海軍軍医(中尉)。1944年(昭和19年)少佐。1947年(昭和22年)に祖父の丸木清太郎が創設した毛呂病院の院長となった。1949年(昭和24年)精神薄弱児施設(現障害児入所施設)育心寮を、1950年(昭和25年)救護施設育心寮を開設。
大塚 徳郎(おおつか とくろう、1914年11月12日 - … 大塚 徳郎(おおつか とくろう、1914年11月12日 - 2002年9月16日)は、日本史学者。宮城教育大学名誉教授。平安時代政治史が専門。 東京府東京市(現・東京都渋谷区)出身。1939年東京文理科大学卒、1965年「平安初期政治史研究」で東京教育大学文学博士。 東北大学教養部助教授、宮城教育大学教授、1978年学長となり、のち名誉教授。1987年勲二等旭日重光章受勲。
尹 宅重(ユン・テクチュン、朝鮮語: 윤택중、1913年11… 尹 宅重(ユン・テクチュン、朝鮮語: 윤택중、1913年11月12日または12月16日 - 2002年1月26日)は、大韓民国の教育者、政治家。第2・4・5代韓国国会議員、全州明倫大学学長、檀国大学学長、文教部長官を歴任した。 本貫は坡平尹氏。号は嗚川または鳴川。 全羅北道益山郡出身。1936年中央高等普通学校卒、1939年普成専門学校法科卒、1943年中央大学法学部卒。中央中学校・普成専門学校・京城帝国大学勤務を経て、光復後は中央高等学校教師を務め、1945年9月に高麗青年党委員、1946年4月に西北学生援護会監査役を務めた。その後は金性洙の推薦で全羅北道文社局長・学務局長・教育局長などを務め、1948年の初代総選挙では全羅北道選挙委員会委員を務めた。