円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[要… 円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[要出典]、1940年(昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月9日)は日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。
5月13日生まれ:306人
円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[要… 円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[要出典]、1940年(昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月9日)は日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。
二井 將光(ふたい まさみつ、1940年5月13日 - )は… 二井 將光(ふたい まさみつ、1940年5月13日 - )は、日本の生化学者、分子生物学者。薬学博士。大阪大学名誉教授。東京都中野区出身。 植物が光のエネルギーを捉えて変換し、二酸化炭素と水から糖と酸素を生成、これを動物や微生物がもらい利用する過程を中心に、研究を展開した。生物のエネルギー通貨とよばれる物質、ATP(アデノシン3リン酸)が合成されるメカニズム、ATPが加水分解されるときに発生するエネルギーを使ったイオン(水素イオン)の輸送、ATPの形成するオルガネラ(細胞内小器官)の内部の酸性の機能、などの解明に大きな貢献をしている。 分子生物学と生化学の手法を用い、たくさんのタンパクから構成されている生物機械の解明に至った。
田中 信太郎(たなか しんたろう、1940年〈昭和15年〉5… 田中 信太郎(たなか しんたろう、1940年〈昭和15年〉5月13日 - 2019年〈令和元年〉8月23日)は、日本の現代美術家、彫刻家。 1960年代の「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を経て、ミニマリズムやインスタレーションの分野で活動。国内外で評価された。 1940年東京生まれ。太平洋戦争末期に茨城県日立市へ疎開し、茨城県立日立第一高等学校卒業。その後上京し、1959年二紀展に入選しデビューする。1960年より読売アンデパンダン展に出品し、篠原有司男らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」で活動する。 1960年代後半、ミニマル・アート的作風へ転向。1968年の個展「点・線・面」や、1970年の第10回日本国際美術展「人間と物質」展へ参加。
足立 正生(あだち まさお、1939年〈昭和14年〉5月13… 足立 正生(あだち まさお、1939年〈昭和14年〉5月13日 - )は、日本の映画監督・脚本家・俳優。パレスチナ解放人民戦線・日本赤軍の元メンバー。 福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)出身。日本大学芸術学部映画学科中退。若松プロダクション参加、若松孝二の盟友とされる。 1939年5月13日、福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)に生まれた。八幡市立中央中学校と福岡県立八幡高等学校を卒業。1959年、日本大学芸術学部映画学科に入学。新映画研究会を立ち上げた。同時期に、VAN映画科学研究所を設立。 1961年の監督映画『椀』が学生映画祭大賞を受賞し、1963年の自主製作映画『鎖陰』でも脚光を浴びた。
伊原 康隆(いはら やすたか、1938年5月13日 - )は… 伊原 康隆(いはら やすたか、1938年5月13日 - )は、日本の数学者。中央大学21世紀COE教授。東京大学名誉教授、京都大学名誉教授。専門は整数論で多くの業績を上げている。 東京都出身。父は大蔵省理財局長や横浜銀行頭取を歴任した伊原隆。都立日比谷高校を経て、1961年東京大学理学部数学科卒業。1963年同大学院修士課程修了。1967年理学博士。1976年東大教授を経て、1989年京都大学数理解析研究所教授、2002年退官。ICM (kyoto, 1990) では plenary speaker、ICM (Beijing, 2002) ではフィールズ賞選考委員。 弟子も多く、伊吹山知義(阪大教授)、織田孝幸(東大教授)、加藤和也(京大教授)、斎藤秀司(東大教授)、斎藤毅(東大教授)、金子昌信(九大教授)、橋本喜一朗(早大教授)等がいる。
江波 譲二(えなみ じょうじ、1938年(昭和13年)5月1… 江波 譲二(えなみ じょうじ、1938年(昭和13年)5月13日 - )は、東京都江東区出身の漫画家。 小学生の頃からスポーツ万能で学力優秀な生徒であった。中学生の頃に手塚治虫の漫画に影響を受け漫画家を目指す。東京都立第三商業高等学校卒業後の1957年、日の丸(集英社)掲載「幕末珍騒動」で漫画家デビュー。貸本漫画「トップ屋ジョーシリーズ」(ひばり書房)で人気漫画家となる。南波健二と大仙プロを設立。その後は少年誌や青年誌の世界で活躍した。近年では代々木アニメーション学院で講師を務めた。 2014年、「都会派アクション劇画~江波じょうじの世界~展」が、8月7日から31日にかけて東京・江東区森下文化センターで開催された。
平井 和正(ひらい かずまさ、1938年〈昭和13年〉5月1… 平井 和正(ひらい かずまさ、1938年〈昭和13年〉5月13日 - 2015年〈平成27年〉1月17日)は、日本の小説家・漫画原作者・脚本家。神奈川県横須賀市生まれ。娘は漫画家の平井摩利。 1938年、横須賀市に3人姉弟の長男として生まれる。祖母は仙台藩家老中野家の娘だという。手塚治虫の影響を受け、中学2年生で大学ノートに処女小説『消えたX』(長編SF)を執筆、級友に回覧され人気を博し、小説家を志す。神奈川県立横須賀工業高等学校を経て1958年に中央大学法学部に入学。 1959年、ハードボイルド小説「夜の干潮」が中央大学ペンクラブ会誌『白門文学』に掲載され、作品が初めて活字になる。中央大学ペンクラブ時代の友人に本間俊太郎がいる。
池田 行彦(いけだ ゆきひこ、1937年〈昭和12年〉5月1… 池田 行彦(いけだ ゆきひこ、1937年〈昭和12年〉5月13日 - 2004年〈平成16年〉1月28日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正三位、勲章は旭日大綬章。旧姓は粟根。 衆議院議員(10期)、内閣官房副長官(政務担当)、総務庁長官(第7代)、防衛庁長官(第50代)、外務大臣(第119、120代)、自由民主党政務調査会長(第42代)、自由民主党総務会長(第40代)等を歴任した。 妻・紀子の父は内閣総理大臣を務めた池田勇人。妻の姪・慶子の夫は衆議院議員の寺田稔。 兵庫県神戸市生まれ。父・粟根信行は行彦の7歳時に死去し、その後、父の郷里である広島市中島本町(現在の平和記念公園内)へ移る。1945年8月6日の原爆投下時は母の妹宅近くの豊田郡(現三原市)本郷町(現在の広島空港周辺)に疎開していたので、被爆を免れた。
池田 英俊(いけだ ひでとし、1937年〈昭和12年〉5月1… 池田 英俊(いけだ ひでとし、1937年〈昭和12年〉5月13日 - 2023年〈令和5年〉1月16日)は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 進学校・福岡高校では当初遊撃手であったが、1年次の1953年秋から投手に転向。2年次の1954年には夏の甲子園県予選で準決勝に進み、小倉高の畑隆幸と投げ合うが0-1で惜敗。その後も県予選で敗れ、甲子園出場はならなかった。 高校卒業後は西鉄の誘いを断り、1956年に兄が講師をしていた明治大学へ進学。1年次の同年秋季リーグから投手陣の主軸となり、東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、2年次の1957年秋季に7勝を記録。長嶋茂雄らのいた立大には及ばぬも2位躍進に貢献したが、冬休みのランニング中に肉離れを起こす。
坂野 潤治(ばんの じゅんじ、1937年(昭和12年)5月1… 坂野 潤治(ばんの じゅんじ、1937年(昭和12年)5月13日 - )は、日本の歴史学者。専門は、近代日本政治史。東京大学名誉教授。
多氣田 力(たけだ つとむ、1937年5月13日 - 201… 多氣田 力(たけだ つとむ、1937年5月13日 - 2017年9月7日)は、日本の実業家。アサツーディ・ケイ(ADK)代表取締役社長、コナミスポーツ&ライフ代表取締役会長。三重県出身。 1961年3月に早稲田大学第一文学部卒業と同時に旭通信社に入社。取締役、第一営業本部長、常務取締役を経て1996年3月に代表取締役社長に就任。1999年1月に第一企画と合併。2001年9月に代表取締役相談役に退き2002年4月に代表取締役を退任し青山学院大学大学院経営学研究科履修生となる。2003年3月に北海道日本ハムファイターズに移籍し相談役となる。同年6月にコナミ取締役、2004年6月にコナミスポーツ&ライフの代表取締役会長となる。
石橋 誠晃(いしばし せいこう、1936年(昭和11年)5月… 石橋 誠晃(いしばし せいこう、1936年(昭和11年)5月13日 - 2016年(平成28年)12月13日)は、昭和から平成時代の政治家。位階は正五位。愛知県常滑市長。 愛知県出身。法政大学法学部卒業。 常滑市議会事務局長、市消防長、助役を経て、1991年(平成3年)常滑市長に当選。2007年(平成19年)まで4期16年間務めた。 2008年、旭日小綬章受章。 2016年(平成28年)12月13日、肺癌のため死去した。叙正五位。
三木 卓(みき たく、1935年5月13日 - )は、日本の… 三木 卓(みき たく、1935年5月13日 - )は、日本の小説家、詩人、翻訳家。日本芸術院会員。
雄倉 幸昭(おぐら ゆきあき、1935年5月13日 - )は… 雄倉 幸昭(おぐら ゆきあき、1935年5月13日 - )は、日本の土木工学・衛生工学者。工学博士(京都大学)。大阪工業大学名誉教授・短期大学部元学部長、元應援團顧問。 専門は、土木環境システム工学・衛生工学、水理学・環境科学。 1958年京都大学工学部土木工学科卒業。同大学土木工学科助手などを経て、新日本技術コンサルタント(現:ニュージェック)にて土木環境システムの研究に従事。1975年京都大学大学院にて工学博士(指導教授:京都大学衛生工学科初代教授を務めた岩井重久)。1978年大阪工業大学工学部土木工学科教授。その後、同大学短期大学部元学部長および應援團顧問も務め、2006年大阪工業大学名誉教授。
鈴木昭憲(すずき あきのり、1935年5月13日 - )は、… 鈴木昭憲(すずき あきのり、1935年5月13日 - )は、日本の生物有機化学者。神奈川県出身。 昆虫や植物の生理活性物質の研究に大きく貢献した。東京大学副学長や秋田県立大学学長としての職務も行った。1997年の東大総長選では決選投票で蓮實重彦に敗れた。
岩崎 吉一(いわさき よしかず、1935年5月13日 - 1… 岩崎 吉一(いわさき よしかず、1935年5月13日 - 1994年6月13日)は、日本の美術評論家。 福岡県北九州市八幡西区香月生まれ。1963年学習院大学大学院美学美術史博士課程修了。1961年より東京国立近代美術館勤務、企画資料課長、次長。1994年6月13日、在職中に肺癌のため死去。
田中 寿一 (たなか じゅいち、1934年5月13日 - )… 田中 寿一 (たなか じゅいち、1934年5月13日 - )は、日本映画のプロデューサー。元妻は女優の沢井桂子と烏丸せつこ。 1957年に青山学院大学経済学部を卒業と同時に、東宝撮影所に入社。1962年に三船プロダクション設立に参加。1968年に東宝女優の沢井桂子と結婚。1979年に三船プロの内紛騒動が起こり、独立を強行する形で田中プロモーションを設立(後に和解が成立)。 1982年、沢井との間には子どももいたが、離婚の末、自社の所属女優だった烏丸せつこと結婚。21歳の歳の差婚だった。その後、烏丸との間に2女を儲ける。 1983年には田中プロ内で分裂騒動が起こり、大部分がアクターズプロモーションとして独立した。
滝沢 解(たきざわ かい、本名:南沢 栄一郎、1933年5月… 滝沢 解(たきざわ かい、本名:南沢 栄一郎、1933年5月13日 - 2003年1月)は、東京都生まれの劇作家・漫画原作者。筆名は曲亭馬琴の別名(改名後の本名。読みは異なる)にあやかったもの。 早稲田大学文学部演劇科卒業後、集英社に入社し、『りぼん』などの少女漫画担当の編集者となる。やがて漫画のストーリーや構成を作る作業に興味を覚え、29歳で退社しフリーの漫画原作者となる。 70年代の劇画シーンを漫画原作者として支え、赤塚不二夫から池上遼一、ふくしま政美、川崎三枝子、政岡としや、かわぐちかいじまで幅広い漫画家と組んで作品を発表した。2003年1月に癌の為に死去。
水越 敏行(みずこし としゆき、1932年5月13日 - 2… 水越 敏行(みずこし としゆき、1932年5月13日 - 2019年1月1日)は、日本の教育学者、大阪大学名誉教授。教育工学、メディア教育、情報教育に取り組む。三重県桑名市出身。 1955年三重大学農学部卒業。1958年名古屋大学教育学部卒業。1960年名古屋大学大学院教育学研究科修士課程修了。1963年名古屋大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。1975年「発見学習の研究」で教育学博士の学位を取得。 1963年金城学院大学講師、1965年大阪音楽大学助教授、1969年金沢大学教育学部専任講師、翌1970年助教授、1975年大阪大学人間科学部助教授、1981年教授、名誉教授。1995年関西大学総合情報学部教授、1996年学部長、1997年日本教育工学会会長、2003年定年退職、関西大学全学共通教育推進機構特別顧問。
中野 幸一(なかの こういち、1932年5月13日- )は、… 中野 幸一(なかの こういち、1932年5月13日- )は、日本の国文学者。専攻は平安文学。学位は、文学博士。早稲田大学名誉教授。 神奈川県生まれ。1956年、早稲田大学第一文学部文学科国文学専修卒業。1958年、同大学大学院文学研究科修了、早稲田大学付属高等学院講師。1961年、同大学院博士課程修了、早稲田大学教育学部助手。1966年、同専任講師、1970年助教授、1975年教授。1979年、「うつほ物語の研究」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。2003年、定年退職、名誉教授。 文部省大学設置・学校法人審議会専門委員をはじめ、センチュリー財団理事、早稲田大学評議員などを務めた。 自身の研究で大きな部分を占める源氏物語に関係する資料を中心に、多くの資料を個人収集し、「九曜文庫」と呼んでいる。
高崎 一郎(たかさき いちろう、本名:俊威 ジョニー 高崎(… 高崎 一郎(たかさき いちろう、本名:俊威 ジョニー 高崎(としたけ ジョニー たかさき)、1931年5月13日 - 2013年8月10日)は司会者。元ニッポン放送プロデューサー・パーソナリティ、パシフィック音楽出版(フジパシフィック音楽出版の前身)社長。三越顧問。血液型はB型。
清水 善三(しみず ぜんぞう、1931年5月13日 - 20… 清水 善三(しみず ぜんぞう、1931年5月13日 - 2012年7月16日)は、仏教美術史学者、京都大学名誉教授。 静岡県出身。1958年京都大学文学部美学美術史卒、1963年同大学院博士課程満期退学。1964年京大文学部助手、1968年京都精華短期大学助教授、教授。1971年京大文学部助教授、1979年「平安彫刻史の研究」で京大文学博士、1980年教授、1995年定年退官、名誉教授。
矢野 宏(やの ひろし、1931年5月13日 - 2023年… 矢野 宏(やの ひろし、1931年5月13日 - 2023年1月27日)は、日本の計測工学者。 東京府東京市(現新宿区)出身。1955年、東京大学工学部卒業。田口玄一に師事し、1971年に「ロックウェルかたさ試験機の精度向上に関する研究」で東京大学より工学博士の学位を取得。 1956年、工業技術院計量研究所へ入所し、のちに力学部長を務めた。1991年、宮城教育大学教育学部技術科教授。1994年、電気通信大学電気通信学部機械制御工学科教授。1999年から2007年まで東京電機大学客員教授。日本規格協会参与。品質工学会会長。2008年、応用計測研究所株式会社代表取締役。
伊藤 邦男(いとう くにお、1930年(昭和5年)5月13日… 伊藤 邦男(いとう くにお、1930年(昭和5年)5月13日 - 2012年(平成24年)11月12日)は、日本の新聞記者、実業家。朝日新聞社常務を経て、全国朝日放送(テレビ朝日)社長を務めた。神奈川県横須賀市出身。 1953年(昭和28年)東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。1983年1月名古屋本社編集局長、1984年12月名古屋本社代表、1986年6月取締役・名古屋本社代表。 1987年(昭和62年)6月取締役・東京本社編集局長に就き、ロッキード事件や昭和天皇のがん闘病報道などを指揮するが、1989年5月朝日新聞珊瑚記事捏造事件で責任を問われ編集局長を更迭となる。 1990年5月常務(総務・労務担当)、1992年4月常務(総合企画室担当)。
瀬戸山 登一(せとやま とういち、1930年5月13日 - … 瀬戸山 登一(せとやま とういち、1930年5月13日 - 1978年10月19日)は、日本の法学者。専門は、行政法・公法学。学位は、法学博士(明治大学・論文博士・1972年)(学位論文「明治憲法における予算制度」)。元八幡大学教授。宮崎県都城市出身。子息に大阪大学大学院法学研究科教授瀬戸山晃一がいる。 宇賀田順三、森三十郎、和田英夫らに師事した。存命中に32の研究論文を発表した(法学セミナー1973判例憲法等)。また福岡大学法学部、鹿児島大学法文学部の非常勤講師も勤めた。明治憲法における研究では、予算制度の研究の他、租税法律主義、予算の効力、現憲法下における思想の残存とその検討、ドイツ予算制度の導入とその矛盾、等多角的また比較論的にも考察し当時の学会に於いて一定の評価を得た。
徳山 詳直(とくやま しょうちょく、1930年〈昭和5年〉5… 徳山 詳直(とくやま しょうちょく、1930年〈昭和5年〉5月13日 - 2014年〈平成26年〉10月20日)は、日本の教育者。 1930年5月13日、隠岐島(島根県隠岐郡海士町)生まれ。1948年に同志社外事専門学校に入学、1950年に同志社大学法学部政治学科へ進学。進学後、朝鮮動乱に抗議する運動に身を投じたことから、数回にわたり逮捕・拘留される。拘置中に差し入れられた奈良本辰也の著書『吉田松陰』に感銘を受ける。同時に、近代西欧文明が行き詰まりを予測し、芸術の力による芸術立国を志した。 1977年に京都芸術短期大学を設立したことを皮切りに、1991年に京都造形芸術大学(現京都芸術大学)、1992年に東北芸術工科大学、1993年に財団法人日本文化藝術財団を創設し、各校の理事長を勤める。
高木 正明(たかぎ まさあき、1929年5月13日 - 20… 高木 正明(たかぎ まさあき、1929年5月13日 - 2006年1月4日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 北海道札幌市出身。中央大学法学部中退。中川一郎秘書、北海道議会議員などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に北海道選挙区から自民党公認で出馬し、宏池会新人岩本政光と共に初当選。 1983年1月の中川一郎自殺事件では、検案書作りに絡んで「急性心筋こうそくの疑い」という嘘の検案書を病院に作らせた虚偽診断書作成教唆罪に問われ、虚偽診断書作成罪に問われた病院長と共に同年11月上旬に略式命令を受けて罰金刑が言い渡された。 1998年まで3期18年務めた(1998年も公認決定していたが出馬断念し、道議会の後輩で中川一郎の実弟であった中川義雄が出馬)。
加賀美 彰(かがみ あきら、1929年5月13日 - )は、… 加賀美 彰(かがみ あきら、1929年5月13日 - )は、日本の経営者。間組社長を務めた。東京都出身。 1949年に山梨工業専門学校土木工学科を卒業し、同年に間組に入社。1981年に取締役に就任し、1985年12月に常務、1987年12月に専務を経て、1989年12月に副社長に就任し、1992年9月には社長に昇格した。1993年に仙台市長への贈賄容疑で逮捕されたことにより、社長を退任。
西田 司(にしだ まもる、1928年〈昭和3年〉5月13日 … 西田 司(にしだ まもる、1928年〈昭和3年〉5月13日 - 2014年〈平成26年〉5月9日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲章は勲一等旭日大綬章。大洲市名誉市民。 自治大臣(第51・55代)、国家公安委員会委員長(第61・65代)、国土庁長官(第21代)、衆議院議員(8期)、愛媛県喜多郡長浜町長(3期)等を歴任した。 愛媛県喜多郡長浜町(現・大洲市)生まれ。愛媛県立松山農業学校(現愛媛大学農学部)卒業後、長浜町議会議員に当選。町議会議長を経て、1963年に県内最年少で町長に選出され、3期12年務める。 1976年、第34回衆議院議員総選挙に高橋英吉の地盤を継承し、旧愛媛3区(定数3)から無所属で出馬。
色摩 力夫(しかま りきを、1928年5月13日 - 202… 色摩 力夫(しかま りきを、1928年5月13日 - 2022年11月24日)は、日本の外交官。国家基本問題研究所客員研究員。浜松大学教授。 神奈川県横浜市生まれ。仙台陸軍幼年学校卒業、陸軍士官学校61期。東京大学文学部仏文学科卒業。 1954年、外務省入省、スペイン留学、国際連合局社会課長、アメリカ局中南米参事官、内閣官房インドシナ難民連絡調整会議事務局長、サン・パウロ総領事を経て、ホンジュラス大使、コロンビア大使、チリ大使を歴任。 1992年に退官し、浜松大学国際経済学部教授。2003年退職。 1998年、勲二等瑞宝章受章。
津軽海 伝藏(つがるうみ でんぞう、1928年5月13日 -… 津軽海 伝藏(つがるうみ でんぞう、1928年5月13日 - 2013年7月14日)は、青森県南津軽郡(現黒石市)出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は宇野 傳三(うの でんぞう)。身長167cm、体重79kg。得意手は、左四つ、寄り。最高位は西十両16枚目(1957年1月場所)。得意技は左四つ、寄り。引退後は若者頭・津軽海として長く後進の指導に当たった。 第二次世界大戦中は満蒙開拓青少年義勇軍に加入し、中国大陸に渡っていた。終戦と共に、中国から引き揚げて郷里の青森に戻った。予てから相撲好きであったため、角界入りを決意し、知人から春日野部屋を紹介され入門。1948年5月場所で初土俵を踏んだ。
武田 克之(たけだ かつゆき、1927年5月13日 - 20… 武田 克之(たけだ かつゆき、1927年5月13日 - 2016年10月14日)は、日本の医学者、皮膚科医。徳島大学名誉教授、第9代徳島大学学長。 愛媛県出身。1953年徳島医科大学卒業。同大学医学部教授、徳島大学病院院長、医学部長を経て1991年に同大学学長に就任し1997年まで務めた。徳島大学埋蔵文化財委員会委員長、NPO法人F.M.L理事長なども歴任。 1960年 徳島大学 医学博士。論文の題は「皮膚機能と肝機能の関連にかんする臨床的研究」。 2003年春の叙勲で勲二等旭日重光章を受章。2016年10月14日死去。同日付で叙従三位。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
田中 耕三(たなか こうぞう、1926年〈大正15年〉5月1… 田中 耕三(たなか こうぞう、1926年〈大正15年〉5月13日 - 2021年〈令和3年〉9月12日)は、日本の経営者。山口銀行元頭取。 山口県徳山市(現周南市)出身。埼玉県朝霞市の海軍兵学校在学中に終戦を迎える。 戦後、慶応義塾大学大学院経営管理学研究科修士課程修了、日立製作所に入社。人事部労務課に配属され労働組合との交渉窓口を担当した。 1953年(昭和28年)、山口銀行から労務管理の責任者として招聘され、翌年3月入行。7月1日、総務部長代理に就任する。以後、総務部人事課長、総務部次長兼人事課長等、長らく人事部門の役職を歴任し、本店営業部副長となる。 1975年(昭和50年)5月取締役に選任され、80年12月常務、86年6月専務に昇進する。
瀬田 道弘(せだ みちひろ、1926年〈大正15年〉5月13… 瀬田 道弘(せだ みちひろ、1926年〈大正15年〉5月13日 - 2007年 〈平成19年〉 10月31日)は、日本の政治家。元奈良県香芝市長(1期)。位階は正六位。旭日双光章受章。 兵庫県神戸市出身。1948年〈昭和23年〉神戸工業専門学校(現・神戸大学工学部)卒。卒業後はミノルタカメラ(現・コニカミノルタ)に入社。財務部長、保険代行会社取締役などを務める。1992年〈平成4年〉香芝市長選挙に立候補し、当選する。1996年〈平成8年〉にも立候補し、再選を目指したが、落選した。2007年〈平成19年〉10月31日死去。死没日付をもって正六位に叙され、旭日双光章を受章した。
佐伯 進(さえき すすむ、1925年5月13日 - 2021… 佐伯 進(さえき すすむ、1925年5月13日 - 2021年7月1日)は、日本の実業家。ノリタケカンパニーリミテド社長・会長や、中部経済同友会代表幹事、学校法人名城大学理事長を務めた。勲三等瑞宝章、スリランカラトナ勲章、藍綬褒章受章。 愛知県で佐伯卯四郎(のちに日本陶器社長・会長)の子として生まれる。 旧制愛知一中(のちの愛知県立旭丘高等学校)を経て、1943年東京商科大学(のちの一橋大学)予科入学、1945年陸軍予備士官学校卒業。1948年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、日本陶器入社。大学では古川栄一ゼミナールに所属。 日本陶器では一貫して営業畑を歩み、本社での営業やニューヨークに通算17年駐在を経て、1971年取締役、1973年常務取締役、1981年専務取締役、1985年代表取締役副社長。
新野 幸次郎(にいの こうじろう、1925年5月13日 - … 新野 幸次郎(にいの こうじろう、1925年5月13日 - 2020年12月13日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。神戸大学第9代学長。 鳥取県八頭郡八東町(現・八頭町)の商家の二男として生まれる。鳥取県立商業学校(現・鳥取県立鳥取商業高等学校)から、1943年に兵庫県立神戸高等商業学校(現・兵庫県立大学)に進学するも、太平洋戦争中で勉強ができず、1946年に神戸経済大学(現・神戸大学)に進んだ。同大学で宮田喜代蔵に師事し、1949年に卒業。卒業と同時に文部教官に任官し、神戸大学経済学部助手となり、1952年講師、1953年助教授を経て、1963年に教授に就任した。1976-1978年に経済学部長兼経済学研究科長、1985-1991年に学長を務めた。
平田 豊(ひらた ゆたか、1925年5月13日 - )は、日… 平田 豊(ひらた ゆたか、1925年5月13日 - )は、日本の経営者。東京都出身。 1948年に京都帝国大学法学部法学科を卒業し、同年に三和銀行に入行。1970年11月に取締役を就任し、常務、専務を歴任。 1977年9月にユニチカ副社長に就任し、1982年4月には社長に昇格。社長在任時には、経営の再建に尽力した。1989年6月から1993年6月までに会長を務めた。 1989年4月から1年間日本紡績協会会長を務めた。
加藤 暎一(かとう えいいち、1924年(大正13年)5月1… 加藤 暎一(かとう えいいち、1924年(大正13年)5月13日 - 2006年(平成18年)5月29日)は日本の医学者。元慶應義塾看護短期大学学長。日本腎臓学会名誉会員。 1947年慶應義塾大学医学部卒業、同内科学教室副手。1949年同助手。1954年から55年までロックフェラー財団研究員としてイェール大学に留学。1955年、医学博士の学位を取得。1960年から63年まで国立栃木病院内科部長。1964年から72年まで慶應義塾保健管理室主任、慶應義塾大学医学部講師。1973年同助教授。 1988年、慶應義塾看護短期大学教授・学長に就任。1991年、定年退職。 2006年5月29日、前立腺がんのため死去。
生野 幸吉(しょうの こうきち、1924年5月13日 - 1… 生野 幸吉(しょうの こうきち、1924年5月13日 - 1991年3月31日)は、日本のドイツ文学者、詩人、小説家、翻訳家。東京大学名誉教授。 東京・高円寺生まれ、1947年、東京帝国大学法学部政治科卒業、1951年、東京大学独文科卒、助手となる。 1954年、東京水産大学講師。1954年から 1955年にかけて、ドイツ学術交流会の奨学金によりミュンヘン大学に留学、1961年、東京大学教養学部講師。1964年、東京大学文学部助教授、1973年、教授。1985年定年退官。 その後、大阪経済法科大学教授。1986年、千葉大学教授。 1991年3月31日、死去。墓所は多磨霊園(11-1-10) 詩人として「歴程」同人。
石井 久(いしい ひさし、1923年5月13日 - 2016… 石井 久(いしい ひさし、1923年5月13日 - 2016年4月22日)は、日本の実業家。立花証券の父として知られ、最後の相場師などの異名をとった。 13人兄弟のうちの7番目の五男として福岡県筑紫郡大野村(現大野城市)牛頸(うしくび)の小農家藤井家に生まれる。地元の尋常高等小学校を卒業ののち、昭和13年(1938年)4月に渡辺鉄工所(九州飛行機)に入所。8年後の昭和21年(1946年)8月に弁護士を志して上京するが、警視庁警察練習所に入所、のち昭和22年(1947年)3月をもって24歳で巡査となる。同年11月に5歳年下の石井愛子と結婚、石井姓へ。 警視庁を退官ののち昭和23年(1948年)6月に東京自由証券株式会社に入社、株式新聞の記者などを経て、昭和28年(1953年)3月29歳のときに石井株式研究所を創立する。
番匠 義彰(ばんしょう よしあき、1922年5月13日 - … 番匠 義彰(ばんしょう よしあき、1922年5月13日 - 1992年4月12日)は、日本の映画監督。 東京都出身。父は鹿児島教会牧師や北陸学院短期大学学長を務めた番匠鉄雄。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)(1940年=33回卒)を経て、1945年に早稲田大学文学部英文科卒業。大学在学中の1943年、松竹大船撮影所に助監督として入社。中村登の下で松竹大船に特徴的な映画技術や映画作法を習得。1955年、「かりそめの唇」で監督デビュー。特に喜劇を得意分野としたが、逆に情緒的・悲劇的作品においても評価を得た。1965年の「ウナ・セラ・ディ東京」をもって退社、フリーとなって活動の場をテレビ映画へ移した。
八木 國之(やぎ くにゆき、1922年5月13日 - 200… 八木 國之(やぎ くにゆき、1922年5月13日 - 2008年4月6日)は、日本の法学者・弁護士。法学博士(中央大学)。中央大学名誉教授。 広島県尾道市生まれ。市川秀雄門下。なお、「八木国之」とも表記される 1942年に中央大学専門部法学科を卒業し、同年中央大学法学部入学。1943年臨時召集。大日本帝国陸軍主計少尉を経て1945年に復員・復学。1946年中央大学法学部卒業。1953年同大学院法学研究科修了。中央大学法学部助教授。1962年同法学部教授。1965年同大学院法学研究科教授。中央大学協議員。1966年中央大学評議員。1977年中央大学通信教育部長。1985年同大学院法学研究科委員長。
由利 徹(ゆり とおる、1921年〈大正10年〉5月13日 … 由利 徹(ゆり とおる、1921年〈大正10年〉5月13日 - 1999年〈平成11年〉5月20日)は、日本の喜劇俳優。本名:奥田 清治(おくだ きよはる)。1950年代半ばからお笑いユニット“脱線トリオ”の一人として有名になり、解散後は喜劇役者、またコメディアンとして東北弁を駆使した言い回しや持ちギャグを用いてお茶の間を沸かせた。 宮城県石巻市にて、大工の親方である佐々木庄治と母きよの子として生まれる(3男3女の6人兄弟の長男)。父は腕のいい大工として知られていた。幼少期から茶目っ気があり、父の宴会で芸を披露するなどしていた。現在の石巻市立門脇小学校へ入学すると、学芸会で毎年主役を演じた。1930年小学3年次にレビュー劇団を見て感動し、後日東京に行くため、家出して入団を希望するが父親に連れ戻されたため断念したことがある。
石井 武夫(いしい たけお、1920年5月13日 - 没年不… 石井 武夫(いしい たけお、1920年5月13日 - 没年不明)は、兵庫県出身のプロ野球選手。 中外商業高校から1938年に阪急軍へ入団。1942年に応召され、戦後阪急に復帰するが1946年限りで引退した。
粟田 彰常(あわた あきつね、1920年〈大正9年〉5月13… 粟田 彰常(あわた あきつね、1920年〈大正9年〉5月13日 - 2006年〈平成18年〉8月30日)は、日本の皇族、華族、陸軍軍人。陸軍大将東久邇宮稔彦王の第3王子。母は、明治天皇第9皇女・聡子内親王。兄に盛厚王、師正王、弟に俊彦王がいる。階級は陸軍大尉、勲等は勲一等旭日桐花大綬章、爵位は侯爵。皇族時代は、彰常王(あきつねおう)と称された。 1920年(大正9年)5月13日、 東久邇宮稔彦王と同妃聡子内親王の第3男男子として生まれる。1940年(昭和15年)5月13日に皇族議員として貴族院議員となり、同年9月陸軍士官学校(54期)を卒業する。翌月の10月25日願による臣籍降下が認められ、昭和天皇から粟田の氏を賜り、侯爵の爵位を授けられ華族に列せられ貴族院議員の資格が消滅。
布目 潮渢(ぬのめ ちょうふう、1919年5月13日 - 2… 布目 潮渢(ぬのめ ちょうふう、1919年5月13日 - 2001年1月17日)は、日本の東洋史学者・中国学者。専門は唐代史。大阪大学名誉教授。茶の文化と歴史の研究、陸羽『茶経』の翻訳で知られる。 1919年、日蓮宗の宣教師としてハワイに滞在していた父の任地であったハワイで四人兄弟の長男として生まれた。愛知県名古屋市中川区出身。東京帝国大学文学部東洋史学科で学び、1943年に卒業。卒業後は海軍予備学生として軍務につき、中尉で敗戦を迎えた。 戦後は東洋文庫研究員となり、東方文化研究所助手に採用された。その後関西に移って教諭となり、京都府立京都第一女学校、鴨沂高等学校などに勤務。1950年12月、西京大学助教授に就いた。
生駒 勘七(いこま かんしち、1919年5月13日 - 19… 生駒 勘七(いこま かんしち、1919年5月13日 - 1987年5月16日)は日本の郷土史家、教育者。 長野県西筑摩郡福島町(現木曽町)生まれ。法政大学卒業。1941年に代用教員となり、1949年から木曽郡各地の小学校で教諭を務める傍ら、木曽谷の近世史や民俗学について広範な研究活動を展開し、一志茂樹らと木曽の中山道宿駅の調査にあたり、木曽馬や木曽の山林、御嶽山等に関する研究に従事する。また「木曽福島町史」や「三岳村誌」の編纂に当たる。 1963年に郷土文化研究会を設立して会長となり、会誌「木曽」を創刊。また木曽福島郷土館の建設に尽力し、同町文化財審議委員会委員長を務めた。1975年中日教育賞受賞。
岸野 雄三(きしの ゆうぞう、1918年5月13日 - 20… 岸野 雄三(きしの ゆうぞう、1918年5月13日 - 2001年1月19日)は、日本の体育学者。 宮崎県出身。1942年東京文理科大学哲学科卒。学生時代は体操競技の選手で、1939年明治神宮体育大会個人総合で優勝、翌年の“幻の東京オリンピック”候補選手。1946年東京高等師範学校助教授、49年教授、同年東邦大学助教授、1967年教授、また、東京教育大学体操部部長を務めた。1974年筑波大学体育科学系教授となり、体育科学系長、体育専門学群長を務めた。その間、日本体育学会理事長、日本学術会議会員、体協役員などをつとめる。82年定年退官、名誉教授。早稲田大学客員教授となり、その後、国際武道大学教授、のち副学長に就任。
星野紀(ほしの とし、1918年(大正7年)5月13日 - … 星野紀(ほしの とし、1918年(大正7年)5月13日 - 1991年(平成3年)2月12日 )は、囲碁の棋士。山梨県出身、竹田逸子四段門下、日本棋院所属、九段。 大月市に生まれる。1932年に中学を中退して上京し竹田逸子に入門し、1934年に入段。1938年に召集され、騎兵として1939年にノモンハンで重傷を負い入院、続いて青森県の連隊に配属されるが上官を殴って重営倉入りとなり、紀元節で恩赦になった。1942年二段。 1950年大手合後期第三部優勝、三段。1951年四段。1953年五段。1956年六段。1962年七段。1966年首相杯争奪高段者トーナメントに優勝。1969年八段。1970年本因坊戦リーグ入り。
亘理 厚(わたり あつし、1917年5月13日 - 1983… 亘理 厚(わたり あつし、1917年5月13日 - 1983年1月24日)は、日本の機械工学者。東京大学名誉教授。自動車の振動・騒音研究の祖である。陸軍では技術大尉となる。 宮城県出身。1935年、函館中学校(現北海道函館中部高等学校)、1938年、第二高等学校理科を卒業。 陸軍航空技術研究所の所属時には、中西不二夫の指導を受け、星形エンジンのピストンの運動について研究した。その後、クランク軸のねじり振動防止のための摩擦ダンパの研究を行った。 戦後は航空機関連の研究が禁止されてしまったため、紡績用スピンドルの高速回転化を目指し、スピンドルの触れ回り運動の研究を行った。これにより工学博士の学位を得た。