市川 森一(いちかわ しんいち、1941年(昭和16年)4月… 市川 森一(いちかわ しんいち、1941年(昭和16年)4月17日 - 2011年(平成23年)12月10日)は、日本の脚本家、劇作家、小説家、コメンテーター。日本放送作家協会の会長を務めた。長崎県諫早市出身。 妻は『マキちゃん日記』で知り合った女優の柴田美保子。妹は放送作家の市川愉味子(井上愉味子)。実質的なデビュー作は円谷プロ製作『快獣ブースカ』。代表作は『傷だらけの天使』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンA』『コメットさん』『露玉の首飾り』『TAJOMARU』など多数。 実家の呉服屋を継がずに旧海軍大村航空隊の教官となった父・市川一郎(同志社専門学校高等商業部出身)と、寛政5年(1793年)創業の老舗の諫早名物おこし屋の娘であった母との間に1941年(昭和16年)誕生。
鈴木 敏郎(すずき としお、1941年4月17日 - )は、… 鈴木 敏郎(すずき としお、1941年4月17日 - )は、愛知県出身の元アナウンサー。 愛知教育大学卒業後の1964年に関西テレビ (KTV) へ入社し、アナウンサー時代には主に報道番組を担当した。その傍らで1980年代中頃までは、松本暢章と杉本清しか当時はレギュラーの競馬実況者がいなかった競馬中継の実況に松本に代わる形でサブ実況としても担当したが、競馬は当時殆どのレースを杉本が担当していたこともあり、年間数レース程度に留まっていたが、杉本がゴルフ中継で不在であった際の宝塚記念を2度実況した実績があった。 競馬実況は、杉本と後のアナウンス部長であった松本暢章から指導を受け、後に鈴木も松本とともに馬場鉄志に実況を指導している。
萩野 脩二(はぎの しゅうじ、1941年(昭和16年)4月1… 萩野 脩二(はぎの しゅうじ、1941年(昭和16年)4月17日 - 2022年11月18日)は、日本の中国文学者、関西大学名誉教授。専攻は、中国近代・現代文学。 1941年、東京で生まれた。京都大学文学部に入学し、吉川幸次郎、小川環樹に師事した。卒業後は京都大学大学院に進み、1970年に博士課程を単位取得退学。 奈良女子大学付属高校で教鞭をとった後、三重大学助教授に就いた。後に教授昇格。1991年、関西大学文学部教授となった。2009年からは同特別契約教授となり、2012年に退任し、名誉教授となった。2022年11月18日、新型コロナウイルス感染症のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
本多 信一(ほんだ しんいち、1941年4月17日 - 20… 本多 信一(ほんだ しんいち、1941年4月17日 - 2024年10月9日)は、日本の著述家、コンサルタント(中小企業診断士)。 1941年東京都生まれ、杉並区阿佐ヶ谷育ち。私立城北高等学校を経て、1965年中央大学法学部を卒業する。時事通信社を経て、1971年に現代職業研究所を設立する。そこで「内向型人間のお仲間」のため「個人のための無料職業&人生相談業」を行い、これを天職と考えているが、2013年時点で体調不良により相談は休業している。
金光 仁三郎(かねみつ じんさぶろう、1941年4月17日 … 金光 仁三郎(かねみつ じんさぶろう、1941年4月17日 - )は、日本のフランス文学者。中央大学名誉教授。フランス古典主義文学、比較神話学が専門。 東京都生まれ。1966年東京大学仏文科大学院修士課程修了。白百合女子大学文学部仏文学科専任講師、中央大学経済学部助教授、中央大学経済学部教授。2012年定年退任、名誉教授。
大友 浩(おおとも ひろし、1940年〈昭和15年〉4月17… 大友 浩(おおとも ひろし、1940年〈昭和15年〉4月17日 - )は、日本のフランス文学者。文学博士(東京大学)。Ph.D.(ボルドー大学)。元北星学園大学学長。現在、北海道大学及び北星学園大学名誉教授。山形県鶴岡市出身。 1963年東京大学教養学部卒業。1968年同大学院文学研究科博士課程修了。1971年ボルドー大学大学院文学研究科博士課程修了。1971年北海道大学文学部助教授。その後、同文学部教授。1994年大妻女子大学社会情報学部教授。北海道大学名誉教授。2000年北星学園大学学長に就く。2002年北星学園大学短期大学部学長に就く。2006年同学長退任。同文学部教授。2008年北星学園大学退職。
小林 秀司(こばやし しゅうじ、1939年4月17日 - )… 小林 秀司(こばやし しゅうじ、1939年4月17日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県出身。 岡谷工業高校時代にはインターハイ10000mで3連覇を達成。明治大学在学時の1960年スコーバレーオリンピックに出場、1500m34位、5000m24位、10000m21位だった。
戸梶 正夫(とかじ まさお、1939年4月17日 - )は兵… 戸梶 正夫(とかじ まさお、1939年4月17日 - )は兵庫県神戸市長田区出身の元プロ野球選手(捕手)。
加藤 順介(かとう じゅんすけ、1937年4月17日 - )… 加藤 順介(かとう じゅんすけ、1937年4月17日 - )は、日本の経営者。小糸製作所社長、会長を務めた。東京都出身。 1960年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に小糸製作所に入社した。1968年に取締役に就任し、1972年に常務、1979年に専務を経て、1985年6月に副社長に就任し、1997年6月には社長に昇格した。2003年6月に会長、2007年6月に取締役相談役を経て、2009年6月には相談役に就任。 2002年4月に藍綬褒章を受章。
矢野 暢(やの とおる、1936年〈昭和11年〉4月17日 … 矢野 暢(やの とおる、1936年〈昭和11年〉4月17日 - 1999年〈平成11年〉12月14日)は、日本の政治学者。専門は東南アジア地域研究。1986年『冷戦と東南アジア』で吉野作造賞を受賞。 ノーベル賞に関するテレビ番組等にゲストとして出演するなどマスコミ露出も多く、アウンサンスーチーの京都大学留学時代の恩師とされる。1993年に発覚した「矢野事件」で知られる。事件の責任をとり同年末に京都大学を辞職した。 熊本県生まれ。生後満洲国関東州の大連に転居。八代市内の高等学校(現在の熊本県立八代中学校・高等学校)を経て、1959年京都大学法学部卒業、1961年同大学院修士課程修了、1965年同大学院博士課程修了。
田中 努(たなか つとむ 1936年4月17日 - )は、日… 田中 努(たなか つとむ 1936年4月17日 - )は、日本の官僚。経済企画事務次官。
江坂 彰(えさか あきら、1936年4月17日 - )は、日… 江坂 彰(えさか あきら、1936年4月17日 - )は、日本の経済評論家。 京都府生まれ。本名・海老名彰一[要出典]。1961年京都大学文学部卒業。東急エージェンシー本社マーケティング局長、関西支社長などを経て、1984年独立。『冬の火花』でデビュー。サラリーマンたちの人生を見つめた著作を発表。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川野 信男(かわの のぶお、1936年(昭和11年)4月17… 川野 信男(かわの のぶお、1936年(昭和11年)4月17日 - )は、日本の政治家。鹿児島県南さつま市長(1期)、同加世田市長(3期)を務めた。 鹿児島県南さつま市の旧加世田市地域出身。熊本大学法文学部卒業。1960年鹿児島県庁に入り、行政考査監(1982年)、企画部調整課長(1984年)、商工労働部工業振興課長(1986年)、商工政策課長(1987年)、総務部人事課長(1988年)、企画部次長(1990年)、総務部次長(1992年)を歴任。1993年に鹿児島県職員を退職。 1993年に加世田市長選挙に立候補して当選する。加世田市長は3期12年間務めた。2005年に加世田市は合併で南さつま市となり、合併直後の市長選挙に立候補して、旧笠沙町長を破って当選した。
畑 正憲(はた まさのり、1935年〈昭和10年〉4月17日… 畑 正憲(はた まさのり、1935年〈昭和10年〉4月17日 - 2023年〈令和5年〉4月5日)は、日本の小説家、エッセイスト、ナチュラリスト、動物研究家、プロ雀士。 愛称は「ムツゴロウさん」。日本エッセイスト・クラブ賞(1968年第16回)、菊池寛賞(1977年第25回)受賞、日本プロ麻雀連盟最高顧問であり初代十段位(畑が強すぎたため畑を位付けするために創設された)、最高位戦創案者。 畑は1935年(昭和10年)福岡県福岡市で生まれ、東京大学理学部で動物学を学んだ後、株式会社学研に入社して教育用の科学映画の作成に関わる。その後、動物関連のエッセーなどで作家としてデビュー。あだ名であるムツゴロウを冠したシリーズや小説を著した。
鎌田 正司(かまた しょうじ、1935年4月17日 - )は… 鎌田 正司(かまた しょうじ、1935年4月17日 - )は、東京府東京市(現・東京都)出身の日本のバスケットボール選手である。 早大卒業後、日本鋼管に入社。 全日本チームに選ばれ、ローマ五輪に出場。 1966年引退。母校・早大の監督に就任し、1968年インカレ優勝に導く。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
桑田 二郎(くわた じろう、1935年〈昭和10年〉4月17… 桑田 二郎(くわた じろう、1935年〈昭和10年〉4月17日 - 2020年〈令和2年〉7月2日)は、日本の漫画家。大阪府吹田市出身で、晩年は茨城県鉾田市(旧鹿島郡大洋村)に居住していた。旧ペンネームは桑田 次郎。絵のシャープな美しさで知られる。代表作は『まぼろし探偵』『月光仮面』『8マン』など。 1935年、大阪府吹田市に生まれる。幼少時は『のらくろ』(田河水泡)や『タンクタンクロー』(阪本牙城)、『長靴の三銃士』(井元水明)等、「少年倶楽部」や「幼年倶楽部」の漫画を愛読していた。1948年、手塚治虫の諸作品に影響されSF冒険漫画『奇怪星團』を描き上げる。原稿を出版社に持ち込み「青雅社」から13歳で貸本漫画デビュー(最年少記録)。
新堀 寛己(にいぼり ひろき、1934年4月17日 - )は… 新堀 寛己(にいぼり ひろき、1934年4月17日 - )は、ギター演奏家、新堀ギター音楽院創業者。東京都港区麻布出身。
今井 邦彦(いまい くにひこ、1934年4月17日 - 20… 今井 邦彦(いまい くにひこ、1934年4月17日 - 2025年2月8日)は、日本の言語学者・英語学者、東京都立大学名誉教授。 東京生まれ。1957年東京大学文学部英文科卒業。59年までロンドン大学音声学科に学び、英語発音技能第一級証明書を、国際音声学協会(IPA)から音声学技能第一級証明書を授与される。85年「英語抑揚の諸相」で東京都立大学より文学博士の学位を取得。東京都立大学助教授、教授、98年定年退官、名誉教授、学習院大学教授。2006年退職。専門は音声学、統語論、語用論。 2017年4月に瑞宝小綬章を受章した。
野村 三郎(のむら さぶろう、1933年〈昭和8年〉4月17… 野村 三郎(のむら さぶろう、1933年〈昭和8年〉4月17日 - )は、ウィーンに拠点を置く、日本の音楽評論家、音楽社会学者。ウィーン・メロス音楽研究所代表。日本ラトビア音楽協会の創立発起人の1人であり会員。TDU・雫穿大学のアドバイザーも務める。 「ウィーンの音楽界では最も著名な日本人」と評される。 1933年(昭和8年)、鹿児島県に生まれる。鹿児島県立鶴丸高等学校を卒業後、1952年(昭和27年)に上京し早稲田大学文学部哲学科で学び、早稲田大学大学院の文学研究科では音楽社会学を専攻し博士課程を修了。早稲田大学ではグリークラブに所属。 1966年(昭和41年)3月に立ち上げられた鹿児島短期大学設立準備委員会において、鹿児島の教員やスタッフが東京や文部省との綿密な連絡や教員についての情報収集を行うのは非効率的との判断により、同年6月1日付で野村が同準備委員会の東京駐在員に着任し、教養科教育課程作成の検討や原案作りなどを行う。
西山 忠範(にしやま ただのり、1932年4月17日 - )… 西山 忠範(にしやま ただのり、1932年4月17日 - )は、東京都出身の商法学者。元武蔵大学経済学部長。
嶋崎 丞(しまさき すすむ、1932年4月17日 - 201… 嶋崎 丞(しまさき すすむ、1932年4月17日 - 2019年12月19日)は、日本の陶磁器研究家。 石川県小松市生まれ。立教大学卒業、九州大学大学院文学研究科国史学専攻修士課程修了。1959年石川県美術館職員となる。資料課長、専業課長、1980年石川県立美術館開設準備室長、1983年石川県立美術館副館長、1991年館長。石川県七尾美術館館長、石川県文化財保存修復工房所長を兼任する。 2019年12月18日にホテル日航金沢で開かれていた「第60回美術家まつり」の席上で意識を失い、翌12月19日に虚血性心疾患のため石川県立中央病院で死去した。87歳没。 兄に嶋崎弘(雲井社長)、嶋崎均(参議院議員)、嶋崎譲(政治学者・衆議院議員)、東方歩(東洋交通社長)、妹に嶋崎晶子(立正短期大学教授)がいる。
矢島 翠(やじま みどり、1932年4月17日- 2011年… 矢島 翠(やじま みどり、1932年4月17日- 2011年8月30日)は、日本の評論家、翻訳家。 東京市出身。カトリック系の小学校で学び、幼い頃から英語に親しんだ。一方で典型的な皇国少女でもあった。女子に門戸が開かれたばかりの東京大学文学部に入学し、1955年英文科卒業。同年共同通信社に入社、特信部外国通信部配属。1960年特信部文化部、1968年ホノルル特派員、1971年外信部、1974年ニューヨーク特派員を歴任し、1976年帰国後退社。のちフリーランスで文筆活動をし、また大学の映画史の講座を受け持ったりした。 私生活では、大学卒業後まもなく大学の同級生でのちの映画助監督と結婚、1959年に出産。
白井 彦衛(しらい ひこえ、1932年4月17日 - 201… 白井 彦衛(しらい ひこえ、1932年4月17日 - 2011年[要出典] )は、日本の造園学者。千葉大学名誉教授。千葉大学園芸学部庭園学研究室で長く教職にあった。 北海道大学農学部林学科時代は絵画・美術にも造詣が深かった今田敬一に師事し、その後千葉大学へ移った。1979年に北海道大学より農学博士の学位を取得した[要出典]。 研究テーマは庭園学庭園等快適環境の学理と創出をめざす研究分野で、代表的な研究には、永保寺庭園における庭園様式に関する研究」、浄土庭園に関する研究など、日本庭園の研究や、都市環境における芸術の導入方法(1989年‐1990年)、都市環境における彫刻作品の量と住民の意識の関係(1991年)などがある。
森 常治(もり じょうじ、1931年4月17日 - 2015… 森 常治(もり じょうじ、1931年4月17日 - 2015年2月23日)は、日本の英文学者、詩人。早稲田大学理工学部名誉教授。 森於菟の五男として埼玉県大宮市に生まれる。森鷗外の孫。東京都立大森高等学校を経て早稲田大学第一文学部英文科卒業。同大学院文学研究科博士課程中退。小説家を目指し、丹羽文雄の『文学者』に参加、60年10月の『新潮』に「明るい砂丘の林の中で」を載せた。1961年より早大理工学部で英語を教え、1971年教授、2002年定年退任、名誉教授。日本記号学会会長。1987年『文学記号の空間』で平林たい子文学賞受賞。ケネス・バークの研究で知られる。文芸誌『同時代』同人。
太田 富雄(おおた とみお、1931年4月17日 - 201… 太田 富雄(おおた とみお、1931年4月17日 - 2016年11月27日)は、日本の脳神経外科医、大阪医科大学名誉教授。 1956年京都大学医学部卒、同大学院脳神経外科博士課程修了、1961年「合成樹脂による脳動脈瘤の破裂予防およびその補強法」で京都大学より医学博士の学位を取得。大阪医科大学教授、2002年定年退任、名誉教授、医誠会病院脳機能研究所、大阪脳神経外科病院、富永脳神経外科病院院長。
南 維三(みなみ いぞう、1931年4月17日 - )は、日… 南 維三(みなみ いぞう、1931年4月17日 - )は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。広島県広島市出身。 1956年に広島大学工学部を卒業し、同年に日立造船に入社。1988年6月に取締役に就任し、1991年4月に常務、1992年4月に専務を経て、1993年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。2001年6月に相談役に就任。
村田 忠良(むらた ただよし、1931年4月17日 - 20… 村田 忠良(むらた ただよし、1931年4月17日 - 2008年8月30日)は、日本の精神科医。 北海道生まれ。号・狸山人。1956年北海道大学医学部卒、1962年同大学院精神医学専攻博士課程修了、医学博士。北大医局員、士別市立病院医長、平松病院副院長、1971年聖母会天使病院精神科医長。1975年天使女子短期大学教授(兼任)。北海道家庭生活総合カウンセリングセンター理事長。アルコール依存症の治療に尽した。
鳥羽 董(とば ただす、1930年4月17日 - )は、日本… 鳥羽 董(とば ただす、1930年4月17日 - )は、日本の実業家。味の素代表取締役社長や、同社代表取締役副会長、ダイエー代表取締役社長を務めた。 1955年慶應義塾大学大学院経済学研究科修了、味の素入社。1981年取締役に昇格。1985年常務取締役。1987年代表取締役専務。1989年から代表取締役社長として「WE-21」計画を推し進めた。後任の代表取締役社長には江頭邦雄を推したが、創業家の反対で叶わず、1995年代表取締役副会長に退き、1996年にはダイエーに顧問として移った。1999年からダイエー代表取締役社長を務めて経営再建にあたった。
水野 好路(みずの こうじ、1930年〈昭和5年〉4月17日… 水野 好路(みずの こうじ、1930年〈昭和5年〉4月17日 - 1998年〈平成10年〉6月9日)は、昭和から平成時代の政治家。青森県十和田市長。 初代十和田市長の水野陳好の二男としてのちの十和田市に生まれる。1954年(昭和29年)岩手大学農学部を卒業し、青森県に出仕。青森県農林部土地改良二課長、同農林部次長などを経て、1981年(昭和56年)十和田市に出向し助役に就任する。退官後は日本基礎技術青森所長を経て、1992年(平成4年)10月、十和田市長に就任した。1996年(平成8年)再選したが、1998年(平成10年)在任中に死去した。 任期中は、農林業の振興、高森山周辺の観光開発、稲生川周辺整備、生活道路整備、国際交流の推進などに尽力した。
高田 衛(たかだ まもる、1930年4月17日 - 2023… 高田 衛(たかだ まもる、1930年4月17日 - 2023年7月5日)は、日本の日本近世文学研究者。旧・東京都立大学名誉教授。 富山県砺波市生まれ。生家は老舗料理旅館の水月楼(現:すいげつろうホテル)。早稲田大学第二文学部日本文学科卒業、同大学院文学研究科修士課程、東京都立大学大学院博士課程修了。立正学園女子短期大学(現・文教大学女子短期大学部)、都立大学、近畿大学の教職を歴任。 専攻は上田秋成研究であったが、1980年に中公新書で『八犬伝の世界』を刊行し、曲亭馬琴『南総里見八犬伝』を道教的な視点から分析し、伏姫を文殊菩薩、八犬士を八大童子とみる説を出して注目を集めた。近世後期の幻想文学の著述紹介に力を注ぐ。
西 達司(にし たつじ、1929年4月17日 - )は、日… 西 達司(にし たつじ、1929年4月17日 - )は、日本の経営者。紀陽銀行頭取を務めた。 和歌山県出身。1953年に和歌山大学経済学部を卒業し、同年に紀陽銀行に入行した。1978年6月に取締役に就任し、1981年4月に常務、1983年11月に専務を経て、1990年6月に副頭取に就任し、1993年10月には頭取に昇格。1995年5月から1996年6月までに会長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016… 石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016年6月22日)は、日本の合唱指揮者・合唱指導者・合唱曲の作曲家。合唱王国福島を築く。[要出典]福島県合唱連盟名誉理事長。福島県いわき市生まれ。
小川 宏(おがわ ひろし、1926年〈大正15年〉4月17日… 小川 宏(おがわ ひろし、1926年〈大正15年〉4月17日 - 2016年〈平成28年〉11月29日)は、日本のフリーアナウンサー・司会者。元NHKアナウンサー。東京都墨田区出身。 東京府南葛飾郡寺島町(後の東京市向島区、現:東京都墨田区東向島)生まれ。東京府立第七中学校(現:東京都立墨田川高等学校)を経て早稲田大学専門部工科建築科を卒業後、一旦間組(現在の安藤ハザマ)に入社するも半年で退職。NHKには二次募集で1949年に入局した。同期には八木治郎、大塚利兵衛、福島幸雄、穂坂俊明がいる。鶴岡放送局、郡山放送局(現在はいずれも支局)に勤務後、1952年より東京勤務となる。 1955年より『ジェスチャー』の4代目司会者として10年にわたって活躍。
櫻井 三男(さくらい みつお、1926年(大正15年)4月1… 櫻井 三男(さくらい みつお、1926年(大正15年)4月17日 - 2006年(平成18年)4月)は、日本のジャーナリスト、実業家。 上毛新聞元専務・論説委員長。上毛新聞TRサービス元取締役。 長男は元総務事務次官の櫻井俊。孫は嵐のメンバーの櫻井翔。 群馬県出身。父は太田市出身の教師。1948年(昭和23年)旧制新潟高等学校文科甲類を卒業。1949年(昭和24年)名古屋大学法経学部を中退。1950年(昭和25年)上毛新聞社に入社。入社後は報道部長、企画室長、高崎支社編集局長を経て、1974年(昭和49年)同社取締役に就任。1977年(昭和52年)同社常務を経て、1989年(平成元年)同社専務・論説委員長に就任。
清水 洋(しみず ひろし、1925年〈大正14年〉4月17日… 清水 洋(しみず ひろし、1925年〈大正14年〉4月17日 - 1991年〈平成3年〉12月13日)は、日本の音響工学者。工学博士(東北大学・1962年)。東北大学名誉教授、日本音響学会名誉会員。専門は電気音響工学、超音波工学。 新潟県新潟市白山浦(現 新潟市中央区白山浦)出身。1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1948年(昭和23年)3月に東北大学工学部電気工学科を卒業。 1948年(昭和23年)3月に東北大学電気通信研究所助手に就任、菊池喜充のもとで研究、1955年(昭和30年)11月に同研究所助教授に就任、1962年(昭和37年)12月に東北大学工学部通信工学科第四講座教授に就任。
藤城 清治(ふじしろ せいじ、1924年〈大正13年〉4月1… 藤城 清治(ふじしろ せいじ、1924年〈大正13年〉4月17日 - )は、日本の影絵作家。キャラクター「ケロヨン」の原作者としても知られる。東京府(東京都)出身・目黒区在住。ホリプロ(同社も目黒区に所在)とマネジメント契約を結んでいる。 ※パルナス製菓 CM(1960年代 - 1990年頃)の原画が藤城清治のものであるという情報がネットにあるが、間違いであるとのこと。 ※参考:その他の作品の展示施設[リンク切れ] ※SNSはスタッフが運営 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
新田 大作(にった だいさく、1924年4月17日 - 19… 新田 大作(にった だいさく、1924年4月17日 - 1986年8月17日)は、漢文学者。 東京生まれ。1948年東京帝国大学文学部中国哲学科卒業。実践女子大学文学部助教授、教授。
黒川 一男(くろかわ かずお、1922年〈大正11年〉4月1… 黒川 一男(くろかわ かずお、1922年〈大正11年〉4月17日 - 2010年〈平成22年〉4月16日)は、日本の泌尿器科学者、泌尿器科医。医学博士。徳島大学名誉教授、日本泌尿器科学会名誉会員、協立病院名誉院長。 新潟県新潟市礎町通上一ノ町(現 新潟市中央区礎町通上一ノ町)の黒川栄一郎の長男として出生。 新潟市礎尋常小学校を経て、1940年(昭和15年)3月に新潟中学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 1950年(昭和25年)3月に東京大学医学部助手に就任、1956年(昭和31年)5月に東京大学医学部講師に就任、同年8月に東京大学から医学博士の学位を取得、東京大学医学部附属病院分院外来診療所医長に就任、1961年(昭和36年)4月に東京大学医学部助教授に就任、東京大学医学部附属病院分院泌尿器科医長に就任、1963年(昭和38年)11月に徳島大学医学部泌尿器科学教室初代教授に就任、1976年(昭和51年)4月に徳島大学医学部附属看護学校第13代学校長に就任、1978年(昭和53年)1月に徳島大学医学部附属病院第14代病院長に就任、同月に徳島大学医学部附属助産婦学校第4代学校長に就任、1988年(昭和63年)3月に徳島大学を定年退官、4月に徳島大学名誉教授の称号を受称、徳島県徳島市八万町橋本の協立病院の院長に就任。
北村 英三(きたむら えいぞう、1922年4月17日 - 1… 北村 英三(きたむら えいぞう、1922年4月17日 - 1997年3月7日)は、日本の俳優、演出家。晩年の芸名は喜多村 英三、本名は北村 英蔵(いずれも読みは同じ)。東京府東京市牛込区新小川町(現:新宿区新小川町)出身。妻は関えつ子、娘は北村岳子。 旧制第四高等学校(現:金沢大学)を経て、京都帝国大学文学部国語国文科に入学。学生演劇で当時の日本人男性としては長身だった体躯を生かし、翻案劇の主演と演出を数多く務めた。在学中の1947年に『劇団くるみ座』の創立に参加する。1948年、京都帝大を卒業。 近畿で製作された舞台、ラジオドラマ、テレビドラマ、映画に数多く出演した個性派俳優として知られ、映画『吸血鬼ゴケミドロ』の政治家・真野剛造のような権力者役や、結束信二脚本・司馬遼太郎原作のテレビドラマ『新選組血風録』と『燃えよ剣』での井上源三郎役、『部長刑事』の大阪府警捜査一課の大鍋部長刑事のような市井の人などの脇役を終生演じ続けた。
川部 修詩(かわべ しゅうじ、1922年4月17日 - 20… 川部 修詩(かわべ しゅうじ、1922年4月17日 - 2006年4月3日)は、日本の俳優、脚本家、映画評論家、雑誌編集者である。旧芸名川部 守一(かわべ しゅいち)。筆名の秋田 謙三(あきた けんぞう)では、テレビ台本の執筆、記録映画の製作を行う。日本映画ペンクラブ会員。麹町区第22代区長の川部爽介は実父である。 1922年(大正11年)4月17日、東京府豊多摩郡渋谷町(現在の東京都渋谷区)に生まれる。父の爽介は旧天童藩士で、川部が満3歳であった1925年(大正14年)8月に東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区)の区長に就任し、川部が満7歳を目前にし尋常小学校就学直前であった1929年(昭和4年)3月まで同職を務めた。
小林 信郎(こばやし のぶお、1921年4月17日 - 19… 小林 信郎(こばやし のぶお、1921年4月17日 - 1992年5月23日)は、日本の文部官僚、教育学者。 東京出身。1943年東京帝国大学文学部卒。文部省初等中等教育局視学官、日本女子大学文学部教授。92年定年退任、名誉教授。
酒井 傳六(さかい でんろく、1921年4月17日 - 19… 酒井 傳六(さかい でんろく、1921年4月17日 - 1991年8月17日)は、日本の翻訳家、エジプト研究家。文筆家。 新潟県佐渡島生まれ。1943年東京外国語学校仏語部卒業。1955年から1957年まで朝日新聞社特派員としてエジプトに滞在。古代エジプトの研究・訳業著述に従事。 1991年8月17日、頚椎損傷のため死去。
庄司 隆雄(しょうじ たかお、1920年(大正9年)4月17… 庄司 隆雄(しょうじ たかお、1920年(大正9年)4月17日 - 没年不明)は、日本の実業家。巽興行代表社長。 横浜市出身。田辺家の三男として生まれ、庄司家を継ぐ。慶應義塾大学経済学部卒業。その後、巽興行代表社長を務め、熊谷観光開発代表取締役社長、高根カントリー倶楽部総支配人を兼任。 義弟の原田利彦も同じく後に高根カントリー倶楽部理事長を務めている。 娘の希実子の夫(娘婿)は十二代目市川團十郎。孫に十三代目市川團十郎、四代目市川翠扇。曾孫(ともに十三代目團十郎の子)に四代目市川ぼたん、八代目市川新之助。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岡村 孝雄(おかむら たかお、1919年4月17日 - 20… 岡村 孝雄(おかむら たかお、1919年4月17日 - 2009年2月8日)は、高知県出身のプロ野球選手(投手)。 高知県立高知城東中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)在学中は甲子園出場なし。その後、南満洲工業専門学校(戦後、大連理工大学に改組),土佐電気鉄道でプレーした。 1948年に阪急ブレーブスに入団。翌1949年まで在籍した。1950年に新球団・広島カープが創設されるに当たり、初代監督を務める事となった石本秀一の誘いで、阪急時代のチームメイトだった内藤幸三,武智修,竹村元雄と共に広島に入団した。しかし、広島では一軍の出場機会はなく、シーズン途中に森井茂が入団してくると背番号を変更させられる有様だった。
井上 和子(いのうえ かずこ、1919年4月17日 - 20… 井上 和子(いのうえ かずこ、1919年4月17日 - 2017年5月3日)は、日本の言語学者。日本語の分析を通した生成文法理論の研究で知られる。神田外語大学名誉教授、第2代学長。Ph.D.(ミシガン大学、1964年)。勲三等宝冠章(1996年春)。 1919年(大正8年)、大阪府生まれ。津田英学塾(現・津田塾大学)卒業後、米国ミルズ大学(英語版)を経て、米国ミシガン大学大学院博士課程修了。国際基督教大学教授、津田塾大学教授、神田外語大学教授を歴任。この間、日本言語学会会長、神田外語大学学長、神田外語大学言語科学研究センター顧問、日本言語学会顧問、日本英語学会顧問、社団法人全国外国語教育振興協会理事長なども務めた。
倉田 文作(くらた ぶんさく、1918年4月17日 - 19… 倉田 文作(くらた ぶんさく、1918年4月17日 - 1983年1月23日)は、日本の仏像学者。 千葉県安房郡生まれ。父は画家・倉田重吉。長野県立上田中学校を経て1940年青山学院文学部英文科卒業、1942年早稲田大学文学部文学科卒業、1944年東洋美術国際研究会嘱託。 1945年文部省社会教育局嘱託、1947年国立博物館に入り、調査課嘱託を経て、1948年文部技官、1950年文化財保護委員会事務局美術工芸課彫刻部勤務。1959年彫刻部主査、1964年文化財調査官、1966年事務局美術工芸課長、1969年東京国立博物館学芸部長に転じる。1972年文化庁文化財保護部文化財鑑査官、1975年奈良国立博物館長に就任、1981年博物館振興の功績により文部大臣より表彰を受け、1983年従四位に叙せられ勲二等瑞宝章を受章した。
大林 芳郎(おおばやし よしろう、1918年4月17日 – … 大林 芳郎(おおばやし よしろう、1918年4月17日 – 2003年7月19日)は、日本の経営者。総合建設会社・大林組の第3代社長。大林道路社長・会長。内外テクノス社長。大林不動産社長。大林組二代目社長で母方叔父の大林義雄の養子。全国建設業協会(全建)会長も務めた。 大阪府出身。大林組創業者大林芳五郎の長女ふさとその入り婿・賢四郎の二男。 1941年、東京帝国大学工学部建築学科を卒業し、大林組に入社。翌1942年に徴兵された。1943年11月、第2代社長の大林義雄(芳五郎の長男でふさの弟)の急死に伴い3代目社長に就任。以後45年余りにわたって社長職を務めた。1987年には会長職を兼任したが、1988年に4代目社長に津室隆夫を据え、会長職に専任。
南村 侑広(みなみむら ゆうこう、1917年4月17日 - … 南村 侑広(みなみむら ゆうこう、1917年4月17日 - 1990年4月17日)は、日本のプロ野球選手(外野手)、野球指導者、野球解説者。旧名は不可止(ふかし)。大阪府出身。
鈴木 茂(すずき しげる、1917年4月17日 - 2014… 鈴木 茂(すずき しげる、1917年4月17日 - 2014年10月29日)は日本の実業家。北海道拓殖銀行代表取締役頭取・会長、JR北海道代表取締役会長、札幌商工会議所会頭等を務めた。 北海道後志支庁管内岩内郡岩内町の雑貨屋「鈴木商店」の長男として生まれる。旧制小樽高等商業学校を経て、1941年12月に旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を繰り上げ卒業。大学では中山伊知郎ゼミナールに所属。卒業論文は「不完全競争の理論」。澁澤倉庫、芝浦工作機械を経て、1946年北海道拓殖銀行入行。1963年総務部長、1966年取締役函館支店長、1972年常務東京支店長、1976年専務、1977年副頭取。 歴代頭取に大蔵省OBが多いなか、1983年歴代3人目の生え抜きの北海道拓殖銀行代表取締役頭取に就任。
宮崎 善吾(みやざき ぜんご、1917年(大正6年)4月17… 宮崎 善吾(みやざき ぜんご、1917年(大正6年)4月17日 - 2006年(平成18年)12月13日)は、日本の政治家、会社役員。元・佐賀県副知事。 宮崎林三郎(2代目)の長男として佐賀県に生まれる。 九州大学卒業後、佐賀県職員となる。同県副知事まで登りつめ、1978年(昭和53年)6月から1979年(昭和54年)5月までその地位にあった。ほかに佐賀清和学園理事長、エフエム佐賀社長、財団法人佐賀経済調査協会理事長などを歴任。佐賀の顔役の1人であった。1987年、勲三等瑞宝章を受章。 第一勧業銀行頭取を務めた宮崎邦次は実弟。邦次は『第一勧業銀行総会屋利益供与事件』の発覚によって非業の死を遂げるが、善吾はその死について多くを語らず、香典やおくやみの言葉を贈ろうとする者はかなりの数にのぼったが、一切、断った。