森本 忠夫(もりもと ただお、1926年11月17日 - 2… 森本 忠夫(もりもと ただお、1926年11月17日 - 2015年5月11日)は、日本の実業家、文筆家。 京都府生まれ。戦時中は海軍航空隊員として太平洋戦争に従軍した。1952年京都大学経済学部卒業後、東洋レーヨン(現・東レ)に入社する。東レ取締役、東レ経営研究所社長を経て、龍谷大学経済学部教授(1999年まで)。 自らの軍歴から、森本も特別攻撃隊や太平洋戦争での日本の敗因に関心を持ち、東レ時代にはソビエト連邦との貿易実務に携わった。これらに関係する多数の著書がある。 2015年、肺炎のため88歳で死去した。
高橋 良(たかはし りょう、1926年11月17日 - 19… 高橋 良(たかはし りょう、1926年11月17日 - 1988年9月2日)は、日本の医学者、精神科医。元東京医科歯科大学医学部教授。長崎大学名誉教授。医学博士。
森田 浩一郎(もりた こういちろう、1925年11月17日 … 森田 浩一郎(もりた こういちろう、1925年11月17日 - 2017年3月8日)は、東京都出身の医学博士、医学者、医事評論家。
小池 銈(こいけ けい、1925年11月17日 - 2004… 小池 銈(こいけ けい、1925年11月17日 - 2004年)は、日本の英文学者、翻訳家。東京大学教養学部教授を経て、同名誉教授。 東京出身。本名・銈次。1952年東京大学文学部英文科卒、1951年東京大学教養学部助手、助教授、教授、1986年定年退官、名誉教授。1981年から1984年にかけて日本英文学会会長を務めた。アイザイア・バーリンなど思想史的な翻訳を行ったほか、深井 淳(ふかい じゅん)の筆名でミステリーの翻訳がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
出口 廣光(でぐち ひろみつ、1925年11月17日 - 2… 出口 廣光(でぐち ひろみつ、1925年11月17日 - 2000年10月30日)は、日本の政治家、官僚、地方公務員。参議院議員(1期、自由民主党)。 秋田県秋田市出身。1949年東北大学法文学部経済学科卒。自治庁に入り、三重県児童課長、青森県広報文書、労政各課長を経て、経済企画庁に出向。福岡県医務、地方各課長、自治大学校教務部長、労働省大臣官房付、大分県企画部長、自治省大臣官房調査官を歴任。1971年に秋田県庁に出向し、総務部長、出納長、副知事を歴任する。1983年の第13回参議院議員通常選挙で秋田県選挙区から自由民主党公認で立候補し当選。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。落選後は秋田県信用保証協会会長や県交通安全協会会長などを務めた。
木崎 良平(きさき りょうへい、1924年11月17日 - … 木崎 良平(きさき りょうへい、1924年11月17日 - )は、日本の西洋史学者、立正大学名誉教授。日露交渉史を研究した。 1924年、大阪府守口市生まれ。召集をへて、戦後京都大学西洋史学科を卒業。 1951年、鹿児島大学文理学部助教授に着任。1964年、学位論文『ルーシ」という語の意味に関する歴史的一考察』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1965年より鹿児島大学教養部教授、1971年より教養部長を務めた。1976年、立正大学教授となった。1995年に立正大学を定年退任し、名誉教授となった。
川竹 和夫(かわたけ かずお、1924年11月17日 -20… 川竹 和夫(かわたけ かずお、1924年11月17日 -2009年11月16日 )は、日本の社会学者(放送研究、国際コミュニケーション)である。 1949年(昭和24年)に東京大学文学部仏文科を卒業後、1950年(昭和25年)日本放送協会入局。放送記者、報道局副部長を経て、1970年(昭和45年)放送総局番組総括センター主管、翌1971年(昭和46年)放送センター建設委員会事務局次長、1973年(昭和48年)研究開発委員会事務局次長、1974年(昭和49年)会長室付、1976年(昭和51年)放送文化研究所次長、1977年(昭和52年)放送世論調査所所長等を経て、1982年(昭和57年)東京女子大学教授、1993年(平成5年)駒沢女子大学教授を歴任。
五味 克夫(ごみ よしお、1924年11月17日 - 202… 五味 克夫(ごみ よしお、1924年11月17日 - 2023年10月10日)は、日本史学者、鹿児島大学名誉教授。 愛知県豊橋市生まれ。1950年東京大学文学部国史学科卒業。1955年旧制大学院修了。日本常民文化研究所研究員、開成学園高等学校教諭、鹿児島大学文理学部助教授、同大学法文学部助教授・教授を務め、1990年定年退官、名誉教授となり、鹿児島女子大学教授を務めた。鹿児島県史料編さん顧問。2002年、勲三等旭日中綬章を受章。
金子 満広(かねこ みつひろ 1924年〈大正13年〉11月… 金子 満広(かねこ みつひろ 1924年〈大正13年〉11月17日 - 2016年〈平成28年〉4月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算6期)。日本共産党書記局長、副委員長を歴任した。 1924年(大正13年)、群馬県利根郡利根村大楊(現・沼田市利根町大楊)に生まれる。尋常高等小学校卒業後、1941年(昭和16年)国鉄信越線横川機関区に就職。1944年(昭和19年)に運輸通信省鉄道教習所を卒業し、国鉄の東京鉄道局水上機関区に配属される。 1946年(昭和21年)日本共産党に入党。同年国鉄労働組合(国労)結成。7万5000人首切り反対闘争に参加。1949年(昭和24年)に国労高崎支部長となる。
石松 安次(いしまつ やすじ、1924年(大正13年)11月… 石松 安次(いしまつ やすじ、1924年(大正13年)11月17日 - 2018年(平成30年)3月20日)は、昭和から平成時代の政治家。位階は正五位。 大分県日田市長。日田市名誉市民。 日田市出身。高等小学校卒業。 日田商工会議所会頭を経て、1979年(昭和54年)から日田市長に4選。1995年(平成7年)引退した。市政、郷土の振興発展の実績から、2000年(平成12年)9月、日田市名誉市民に推挙された。 2018年(平成30年)3月20日、心不全のため死去した。
馬渡 一真(まわたり かずまさ、1923年11月17日 - … 馬渡 一真(まわたり かずまさ、1923年11月17日 - 2007年4月18日)は、日本の経営者。日本国有鉄道副総裁、日本テレコム初代社長を務めた。 東京都出身(一部の文献や報道では、長崎県出身または長崎県出生と記されている場合もある)。 1949年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本国有鉄道に入社した。営業課長在任時にはディスカバー・ジャパン・キャンペーンを実施し、成功させた。1972年6月に大阪鉄道管理局長に就任し、1974年8月に広報部長、1975年3月に旅客部長、1976年3月に常務理事を歴任した。1980年3月から1984年3月までに副総裁を務めた。1984年10月に日本テレコム社長に就任し、1989年10月から1997年までに会長を務めた。
北村 太郎(きたむら たろう、1922年11月17日 - 1… 北村 太郎(きたむら たろう、1922年11月17日 - 1992年10月26日)は、日本の詩人、翻訳家。本名・松村文雄(まつむら ふみお)。 東京府北豊島郡谷中村(現在の日暮里付近)にて、逓信省簡易保険局の下級官吏の家庭に双生児の兄として生まれる。関東大震災のため1923年から東京府荏原郡駒沢村字弦巻(東京都世田谷区世田谷1丁目)に育つ。駒沢小学校3年修了後、1932年、父が浅草合羽橋通りで蕎麦屋「小松庵」を始めたため、一家で東京市浅草区芝崎町(東京都台東区西浅草)に転居し、4年次から金竜小学校に転校。1935年、東京府立第三商業学校入学。同校では国語教諭佐藤義美の薫陶を受ける。 1940年、同校卒業後、横浜正金銀行に入行して帳面つけを担当するも、勤務時間中に『新潮』(を読んでいたため上司に激しく叱責され、1週間で無断退職。
佐々木原 正夫(ささきばら まさお、1921年(大正10年)… 佐々木原 正夫(ささきばら まさお、1921年(大正10年)11月17日 - 2005年)は、第二次世界大戦時における大日本帝国海軍のエース・パイロット。甲飛4期、飛練9期。最終階級は海軍飛曹長、ポツダム昇進により少尉。 青森県出身。1935年(昭和10年)4月、静岡県立沼津中学校に入学。後輩にのちに回天特攻隊隊員となる和田稔がいる。在学中の1938年(昭和13年)、クラスメートらとともに陸上競技部内に「器械体操倶楽部」を立ち上げた。 卒業後の1939年(昭和14年)4月、甲種飛行予科練習生4期生として霞ヶ浦海軍航空隊に入隊。予科練での一年半の基礎教育を終えて1940年(昭和15年)9月、第9期飛行練習生となり、戦闘機搭乗員としての教程を経て、開戦直前の1941年(昭和16年)9月、空母「翔鶴」乗組。
中村 博(なかむら ひろし、1921年〈大正10年〉11月1… 中村 博(なかむら ひろし、1921年〈大正10年〉11月17日 - 1999年〈平成11年〉1月24日)は、日本の官僚。位階は正四位。 愛知県出身。第八高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年7月、高等試験行政科試験に合格して厚生省に入省し厚生属任官。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学。1944年3月に経理学校を卒業し海軍主計中尉に任官。第22戦隊司令部付第2艦視艇艦司令承命服務となる。経理学校付第12期見習尉官隊第二分隊士(教官)を経て、1945年3月、主計大尉に進み、同年4月、第103戦隊司令部付春風勤務で終戦を迎えた。
小林 照彦(こばやし てるひこ、1920年〈大正9年〉11月… 小林 照彦(こばやし てるひこ、1920年〈大正9年〉11月17日 - 1957年〈昭和32年〉6月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。陸士53期。最終階級は帝国陸軍では陸軍少佐、空自では2等空佐。 1920年(大正9年)11月17日、東京府に生まれる。国士舘中学校を経て、1940年(昭和15年)2月に陸軍士官学校53期を卒業し、同年5月に陸軍砲兵少尉に任官したが、直後に砲兵科から航空兵科に転科し(昭和15年5月 陸軍航空兵少尉)、空中勤務者(分科は「軽爆撃機」)となる。飛行第45戦隊、飛行第66戦隊を経て、1943年(昭和18年)11月に飛行分科を「戦闘機」に転じ、明野陸軍飛行学校亀山分校で戦闘機学生教育を受ける。
武市 一夫(たけいち かずお、1919年〈大正8年〉11月1… 武市 一夫(たけいち かずお、1919年〈大正8年〉11月17日 - 1999年〈平成11年〉12月14日)は、日本の政治家。徳島市長。徳島県徳島市出身。勲三等瑞宝章受章。位階は従五位。 旧制徳島県立徳島中学校、旧制第三高等学校卒業。1941年、東京帝国大学法学部卒業。大学卒業後、満州国総務庁高等官の試補となる。終戦後は徳島に戻り、徳島県庁の秘書課長や副知事などを歴任。 1967年に徳島市長に就任。2期に渡って市長を務める。就任中はポルトガルレイリアと姉妹都市の協定を結んだり、市内の下水道や排水場の整備に貢献する等の業績を残している。 また徳島県信用保証協会の会長や日本下水道協会の副会長などを歴任。
天野 房三(あまの ふさぞう、1919年(大正8年)11月1… 天野 房三(あまの ふさぞう、1919年(大正8年)11月17日 - 2020年(令和2年)3月24日)は、昭和から平成時代の政治家。東京都渋谷区長。 東京府東京市神田区(現千代田区西神田)出身。1944年、明治大学専門部文科卒業。 1949年、渋谷区役所に入庁。1966年、渋谷区区民部長。1968年、総務部長。1970年、助役。 1975年、東京都の特別区において区長の公選選挙が復活。4月27日に行われた渋谷区長選挙に、自民党の推薦を得た天野、社会党・民社党の推薦と公明党の支持を得た北田繁、共産党公認の羽渕三良の3人が立候補し、天野が次点の北田を70票差で下し、初当選した(天野:38,966票、北田:38,896票、羽渕:8,863票)。
小林 胖(こばやし ゆたか、1917年11月17日 - 19… 小林 胖(こばやし ゆたか、1917年11月17日 - 1980年8月11日)は、日本の図書館情報学者。名前は「ばん」とも呼ばれた。 1917年 (大正6年) 11月17日東京に生まれる。漢籍に凝っていた父親が四書五経から「胖」という字を選び名付けた。1930年 (昭和5年) 、戸山小学校卒業後、武蔵高等学校尋常科へ入学、同高等科へ進み1939年卒業。同年東京帝国大学理学部化学科へ入学し、1941年12月卒業した。 1942年、三井化学工業株式会社研究員となるが、在職のまま兵役徴集に応じ、陸軍工兵学校幹部候補生隊で教育を受けた後に、満洲へ向かった。1943年、独立工兵大隊勤務中に発病し予備役となって帰国、三井化学工業に勤務し終戦となった。
丸林 久信(まるばやし ひさのぶ、1917年11月17日 -… 丸林 久信(まるばやし ひさのぶ、1917年11月17日 - 1999年)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、演出家、文筆家である。脚本家としての筆名に栄町 はじめ(さかえまち はじめ)がある。日本映画監督協会元会員、日本放送作家協会会員、日本脚本家連盟信託者。専修大学文学部講師、シナリオ・センター講師を歴任した。黒澤明の『生きる』、『生きものの記録』でチーフ助監督を務めたことでも知られる。 1917年(大正6年)11月17日、三重県多気郡下御糸村(現在の同県同郡明和町)に生まれる。のちに三重県立松阪高等学校の教諭を務めた丸林勝人(1921年 - 2010年)は実弟。 1937年(昭和12年)3月、早稲田第二高等学院(現在の早稲田大学高等学院)を卒業、同年4月には旧制早稲田大学文学部国文科(現在の早稲田大学文学部日本語日本文学コース)に進学、当時の恩師に河竹繁俊(1889年 - 1967年)がいた。
楠 恭(くすのき きょう、1915年11月17日 - 200… 楠 恭(くすのき きょう、1915年11月17日 - 2000年4月8日)は、浄土真宗の僧、仏教研究者。 富山県小矢部市出身。1942年大谷大学宗教学科卒。寺僧を務めながら妙好人について研究。東京本願寺学院教授。1999年仏教伝道文化賞受賞。
掛川 源一郎(かけがわ げんいちろう、1913年〈大正2年〉… 掛川 源一郎(かけがわ げんいちろう、1913年〈大正2年〉11月17日 - 2007年〈平成19年〉12月26日)は、日本の写真家。北海道室蘭町(現・室蘭市)生まれ。 中学在学中にカメラを始める。室蘭中学校(現北海道室蘭栄高等学校)、千葉高等園芸学校(現千葉大学園芸学部)卒業。誠文堂新光社『実際園芸』編集所に勤務。編集記者兼カメラマンとして活躍。 1950年代に土門拳が提唱したリアリズム写真(絶対非演出の絶対スナップ)の影響を受ける。戦後は伊達高校に教員として勤務するかたわら、北海道における社会派カメラマンとして、貧しい漁村や開拓農家の暮らし、アイヌ民族、伊達発電所建設反対運動、ポリオ(小児マヒ)の子どもたち、有珠山噴火などを長期にわたって撮影。
目加田 栄蔵(めかた えいぞう、1913年11月17日 - … 目加田 栄蔵(めかた えいぞう、1913年11月17日 - 1997年9月25日)は、日本の実業家。総合商社の三井物産の代表取締役常務取締役・顧問、豪州三井物産の社長、大洋州監督などを務めた。 1934年、彦根高等商業学校(現:滋賀大学経済学部)を卒業し、同年三井物産に入社した。 入社後は海外勤務を多く経験し、1939年から1941年までニューヨーク支店に勤務した。日米開戦直前のニューヨークでは、鉄鋼、銅、鉛、ニッケル、亜鉛、アルミニウム、マンガン鉱などの対日輸出制限が強まる状況を経験した。1941年9月にアルゼンチンへ転勤し、1942年から1946年までブエノスアイレスに在勤した。1947年に帰国し、1953年から1954年には新三井物産ニューヨーク駐在を務めた。
大野 元美(おおの もとよし、1912年〈大正元年〉11月1… 大野 元美(おおの もとよし、1912年〈大正元年〉11月17日 - 1982年〈昭和57年〉4月19日)は、日本の政治家、実業家。埼玉県川口市長(第8・9・10・11・13・14代)。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 長男はライオンズクラブ国際理事やゼネラル・サービス代表取締役社長を務めた大野元昭。孫は第61代埼玉県知事の大野元裕。 埼玉県北足立郡川口町(現・川口市)出身。父は元川口市会議員の大野元次郎。1933年(昭和8年)3月、明治大学専門部商科を卒業。大野電機鋳造所社長に就任。 埼玉県水泳連盟会長、県教育委員、川口市議会議員などの公職を経て、1957年(昭和32年)2月から1972年(昭和47年)4月までの4期、1976年(昭和51年)5月から1981年(昭和56年)4月までの2期、通算6期22年の長きにわたり川口市長を務めた。
鹿内 信隆(しかない のぶたか、1911年11月17日 - … 鹿内 信隆(しかない のぶたか、1911年11月17日 - 1990年10月28日)は、日本の実業家。フジサンケイグループ会議議長。 津軽藩の御蔵番だった祖父が、御維新で北海道樺太監獄の典獄長(刑務所長)に左遷され、北海道に渡る。 北海道の夕張郡の当時は人口6,000人程度の村だった由仁町に父・鹿内徹、母・モヨの長男として生まれた。母・モヨは写真館を経営していた。父・徹は撮影技師だったが由仁町に来てからは歯科医になった。 1924年、岩見沢中学に進むと弁論部に入って主将を務めていたが、鹿内は「小生意気な子供であった」という。通学用の革靴が買えなくて、母親の婦人靴をぱかぱかいわせながら穿いていた。
外野村 晋(とのむら しん、1911年11月17日 - 19… 外野村 晋(とのむら しん、1911年11月17日 - 1994年6月1日)は、山形県出身の俳優。 山形県飽海郡南遊佐村(現在の山形県酒田市)出身。本名は小野三郎。 東宝演劇研究会や東映東京撮影所を経て、東京俳優生活協同組合に所属していた。 戦前から数々の劇団に所属して舞台活動をしていたが、戦後に日活や東映東京制作の映画に端役を中心に出演するようになる。 代表作は『事件記者』の熊田記者役。 1994年6月1日、心臓発作により死去。82歳没。
山本 三郎(やまもと さぶろう、1909年(明治42年)11… 山本 三郎(やまもと さぶろう、1909年(明治42年)11月17日 - 1997年(平成9年)10月15日)は、日本の建設官僚、経営者。工学博士。建設事務次官などを歴任した。 山梨県に生まれる。1933年、東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、同年に内務省土木局に就職。関東地方建設局内の各所長などを経て、1956年、建設省河川局長、1960年、建設省技監、1961年、建設事務次官を歴任。1963年に退官した。同年、土木学会会長( - 1964年)に就任。 1964年、三井港湾開発社長となる。1974年、水資源開発公団総裁に就任し、1982年まで在任した。1997年死去。享年87。 治水分野で活躍し、特定多目的ダム法や海岸法、地すべり等防止法、治山治水緊急措置法の制定や、1963年に新河川法が制定される際に中心的な役割を果たした。
栗原 安秀(くりはら やすひで、1908年(明治41年)11… 栗原 安秀(くりはら やすひで、1908年(明治41年)11月17日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の陸軍軍人、国家社会主義者。陸軍士官学校第41期歩兵科出身。最終階級は歩兵中尉。 1936年2月26日に勃発した二・二六事件に参加した。磯部浅一に並ぶ急進派として知られる。 1908年11月17日、島根県松江市に生まれる(東京に在籍)。父は佐賀県出身の歩兵大佐栗原勇(12期)。父の転勤に従い、北海道旭川で暮らしている。二・二六事件において処分された予備役少将斎藤瀏(12期)とその娘で歌人の斎藤史とは家族ぐるみの付き合いをしていた。坂井直(事件時は歩兵第3聯隊第1中隊附中尉として斎藤實内大臣邸を襲撃、43期)もこの頃の幼馴染である。
服部 正一郎(はっとり しょういちろう、1907年11月17… 服部 正一郎(はっとり しょういちろう、1907年11月17日 - 1995年3月20日)は、日本画家、日本芸術院会員。茨城県出身。 茨城県稲敷郡龍ケ崎町(現龍ケ崎市)出身。旧制龍ヶ崎中学(現茨城県立竜ヶ崎第一高等学校)在籍中は弓道部で活躍したという。1929年(昭和4年)の第16回二科展で「庭」が初入選。 1967年(昭和42年)の第52回二科展に出品した「水郷」によって翌年に日本芸術院賞を受賞。 1987年(昭和42年)に日本芸術院会員となる。1992年、勲三等瑞宝章受章。 1995年(平成7年)3月20日に茨城県取手市の取手協同病院で死去。
西村 孝次(にしむら こうじ、1907年11月17日 - 2… 西村 孝次(にしむら こうじ、1907年11月17日 - 2004年6月29日)は、日本の英文学者、文芸評論家、翻訳家。元明治大学教授。 小林秀雄の従弟。弟の西村貞二は西洋史学者で東北大学教授を務めた。孫は元プロサッカー選手の西村卓朗。 京都市で約400年続いた仏書店で西村重右衛門(第十三代)の長男に生まれる。家業を継ぐはずだったが1923年に店が破産。進路に迷っていた時、京都へ来た小林秀雄から文学の道を勧められる。1925年京都府立第一商業学校卒、1929年関西学院英文科卒、学費のため一年半ゼネラルモーターズに勤め、1934年東北帝国大学法文学部英文科卒、創元社の原稿閲読者などを務める。1939年夏に、中村光夫、吉田健一、山本健吉、伊藤信吉らと同人誌『批評』(を創刊、英文学の翻訳、文芸評論などを寄稿。
柳瀬 良幹(やなせ よしもと、1905年(明治38年)11月… 柳瀬 良幹(やなせ よしもと、1905年(明治38年)11月17日 - 1985年(昭和60年)2月18日)は、日本の行政法学者。学位は、法学博士(1952年)。日本学士院会員。東北大学名誉教授。行政法学から憲法の諸問題を研究する。その理詰めの論述は、ハンス・ケルゼンに通ずる。和歌山県生まれ。美濃部達吉門下。 参考文献:藤田宙靖『行政法学の思考形式〔増補版〕』(木鐸社・2002年)
富樫 凱一(とがし がいいち、1905年11月17日 - 1… 富樫 凱一(とがし がいいち、1905年11月17日 - 1993年4月21日)は、日本の土木工学者、建設官僚。東名高速道路の全線開通、本州四国連絡橋の完成などに尽力。文化功労者。 北海道旭川市生まれ。北海道帝国大学卒業。内務省に入り、関門国道改良事務所長、建設省道路局長、技監などを歴任し、1960年退任。1966年日本道路公団総裁、1967年土木学会会長、1970年本州四国連絡橋公団総裁。1978年海洋架橋調査会会長。 技術者として、関門トンネルの設計・建設や東名高速道路建設に一貫して尽力した他、本州四国連絡橋の児島・坂出ルート(瀬戸大橋)の建設に関しては、開発公団初代総裁として長大吊り橋を始めとする新技術の導入・開発に当たった。
イサム・ノグチ(Isamu Noguchi、1904年11月… イサム・ノグチ(Isamu Noguchi、1904年11月17日 - 1988年12月30日)は、アメリカ合衆国ロサンゼルス出身の彫刻家、造園家、作庭家、インテリアデザイナー、舞台芸術家。日系アメリカ人。日本名は野口 勇(のぐち いさむ)。ニューヨーク建築協会金賞、アメリカ国民芸術勲章、京都賞思想・芸術部門受賞など、アメリカと日本はもとより世界で愛された。北海道札幌市のモエレ沼公園は彼の遺作にして金字塔でもあった。 1904年、日本人詩人の野口米次郎とアメリカ人作家のレオニー・ギルモアとの間に生まれる。1907年、ノグチが3歳の時に母レオニーと来日し、米次郎と同居する。そして米次郎は武田まつ子と結婚し、ノグチは野口勇として森村学園付属幼稚園に通園する。
森本 孝順(もりもと きょうじゅん、1902年(明治35年)… 森本 孝順(もりもと きょうじゅん、1902年(明治35年)11月17日 - 1995年(平成7年)6月19日)は、律宗の僧侶。第81世唐招提寺長老(住職に相当)。律宗管長。 奈良県磯城郡生まれ。10歳で京都の壬生寺に入寺。大谷大学卒。1940年、奈良県五條市の講御堂寺、住職就任。以後、講御堂寺を自坊とす。荒廃していた唐招提寺の再興に尽くし、1946年、長老に就任。1980年、鑑真和上坐像(国宝)の中国里帰りを実現。1983年、130年ぶりに戒壇を復興した。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
平瀬 實武(実武、ひらせ さねたけ、1901年11月17日 … 平瀬 實武(実武、ひらせ さねたけ、1901年11月17日 - 1994年1月18日)は、日本の政治家、革新首長。第15代鹿児島市長、第2代鹿児島県串木野市長、第6代串木野町長。鹿児島県議会(鹿児島県会)議員、鹿児島市会議員、同副議長も歴任した。串木野市名誉市民。位階は従五位。 鹿児島市下荒田町の旧家・最上家に生まれる(平瀬は養子先の姓)。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1922年旧制第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)文科卒業、1926年に東京帝国大学農学部農業経済学科卒業。同じ下荒田町出身で後輩の佐多忠隆とは、旧制中学生(通う中学は別)と旧制七高生のとき、ともに社会主義について勉強した。
山本三吾(やまもと さんご、1901年11月17日 - 19… 山本三吾(やまもと さんご、1901年11月17日 - 1964年8月31日)は日本の法学者、翻訳家。山本琴子はその妻。 新潟県生まれ。早稲田大学政治経済科を出て、同大学の講師を務める。その傍ら、『外交時報』に国際法関係の論文を寄稿。L・H・モルガン『古代社会』、マックス・アドラー(英語版)『マルキシズム国家観』(山本琴名義)、『マル・エン全集』23巻の一部などの翻訳を行った。埼玉県で没する。
岡 一男(おか かずお、1900年〈明治33年〉11月17日… 岡 一男(おか かずお、1900年〈明治33年〉11月17日 - 1981年〈昭和56年〉5月17日)は、日本の国文学者。専門は平安朝文学。学位は、文学博士(1953年)(学位論文「紫式部の研究」)。早稲田大学名誉教授。 福井県生まれ。早稲田大学国文科卒業、早稲田大学教授。五十嵐力に学ぶ。1953年、「紫式部の研究」で文学博士の学位を取得。1971年、定年退任、二松学舎大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大林 良一(おおばやし りょういち、1899年11月17日 … 大林 良一(おおばやし りょういち、1899年11月17日 -1988年10月18日 )は、日本の経済学者である。専門は、社会保障学、保険学。一橋大学名誉教授、第9代成城大学学長。
北村 喜八(きたむら きはち、1898年11月17日 - 1… 北村 喜八(きたむら きはち、1898年11月17日 - 1960年12月27日)は、日本の演出家、劇作家、翻訳家。 石川県出身。東京帝国大学英文科卒。 1924年(大正13年)、築地小劇場に参加する。1937年(昭和12年)、村瀬と芸術小劇場を結成し主宰する。第二次世界大戦後は新劇で活動。1950年(昭和25年)8月18日、阿部知二とともに第22回国際ペンクラブ大会に戦後始めて代表として出席。1951年(昭和26年)、国際演劇協会日本センター初代理事長となる。 ドイツ・英米演劇を翻訳した。 妻は女優の村瀬幸子。
榊原 巌(さかきばら がん、1898年〈明治31年〉11月1… 榊原 巌(さかきばら がん、1898年〈明治31年〉11月17日 - 1994年〈平成6年〉11月30日)は、日本の経済学者、キリスト教(アナバプティズム)研究家、政治家、実業家。青山学院大学名誉教授。筆名は、吾妻 東一、福田 逸史。 妻は衆議院議員の榊原千代。息子はヒッポファミリークラブ創設者の榊原陽。 愛知県碧南市生まれ。1921年(大正10年)3月、官立神戸高等商業学校を中途退学する。同年4月に東京商科大学(現・一橋大学)本科に入学し、1924年(大正13年)3月に卒業する。同年4月に横浜社会問題研究所の研究員に就任する。 1926年(大正15年)6月から福島高等商業学校(現・福島大学)講師、1927年(昭和2年)7月から同校教授に就任する。
北村 一男(きたむら かずお、1897年11月17日 - 1… 北村 一男(きたむら かずお、1897年11月17日 - 1965年3月29日)は日本の政治家、参議院議員、新潟県知事。 1897年、新潟県見附市出身。新潟県立加茂農林学校を経て1920年(大正9年)に中央大学商科を卒業後、堤商会(のちに旧日魯漁業、輸出食品と合同して社名を日魯漁業に、現マルハニチロ)に入社して樺太-カムチャツカ間を往復。この際ゲーペーウーに拿捕されるなどの苦労があったが、これによって堤清六社長の信頼を得た。戦後は自由党に所属し、1947年(昭和22年)の第1回参議院議員通常選挙に新潟地方区から出馬して初当選。2期にわたって議員を務め、農林政務次官、国土総合開発審議会、米価審議会各委員、参議院法務委員長、党の政務調査会副会長、参議院幹事長などを歴任した。
坂口 謹一郎(さかぐち きんいちろう、1897年(明治30年… 坂口 謹一郎(さかぐち きんいちろう、1897年(明治30年)11月17日 - 1994年(平成6年)12月9日)は、日本の農芸化学者。発酵、醸造に関する研究では世界的権威の一人で、「酒の博士」として知られた。東京大学応用微生物研究所初代所長および同大学名誉教授、理化学研究所副理事長。日本学士院会員。愛称は「坂謹(さかきん)」。 新潟県高田(現・上越市)出身。正利の長男 。新潟県立高田中学校を中退し上京、神田の順天中学校に編入。同期には中村震太郎もいたが、とくに学友との交流もなかった。同校卒業後、第一高等学校理科に首席で入学。1919年、同校卒業、1922年、東京帝国大学農学部卒業。同助手、講師、助教授を経て、1939年、教授。
岡本 伝之助(岡本 傳之助、おかもと でんのすけ、1896年… 岡本 伝之助(岡本 傳之助、おかもと でんのすけ、1896年〈明治29年〉11月17日 - 1982年〈昭和57年〉1月15日)は、日本の政治家、実業家、神奈川県多額納税者。衆議院議員(神奈川県第二区選出)。横須賀名誉市長。さいか屋会長。横須賀商工会議所顧問。 神奈川県三浦郡横須賀町(現横須賀市)出身。岡本傳兵衛の長男。神奈川県立横須賀中学校で学び、中退した。1905年、家督を相続し父業の呉服商を継ぎ、後百貨店さいか屋を設立し、社長となる。 さいか屋、さいか屋商事、相模運輸、神奈川県繊維製品配給統制各社長、小美屋、神中鉄道、興電社各取締役、日本百貨店組合理事、横須賀方面繊維製品小売商業組合理事長、相模運輸監査役、同常務取締役、横須賀商工会議所会頭、同顧問などを務めた。
金倉 円照(金倉 圓照、かなくら えんしょう、1896年11… 金倉 円照(金倉 圓照、かなくら えんしょう、1896年11月17日 - 1987年1月24日)は、インド哲学者・仏教学者。位階は正三位。学位は、文学博士。東北大学名誉教授、宮城教育大学学長。龍厳寺住職(浄土真宗本願寺派)。特にジャイナ教と正当バラモン教の諸哲学体系の研究で知られる。 鹿児島県川辺郡坊津町(現・南さつま市)出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)を経て、1917年第七高等学校造士館 (旧制)卒業、1920年東京帝国大学文学部印度哲学科卒業。大学卒業後、ヨーロッパへ留学。1923年東北帝国大学助教授、1926年東北帝国大学教授(戦後学制改革により東北大学教授)。1931年に論文「ブリハダーラヌヤコーパニシヤツドバーシユヤの研究」により東京帝国大学より文学博士を授与される。
川田 栄三(榮三、かわた えいぞう、1896年 <明治29年… 川田 栄三(榮三、かわた えいぞう、1896年 <明治29年> 11月17日 - 1985年 <昭和60年> 6月14日)は、日本の経営者、銀行家。位階は従五位。 群馬県出身。1923年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に安田銀行に入行。 1943年に肥後銀行に転じ、取締役に就任し、1945年に常務を経て、1946年に頭取に就任。1971年11月に会長を経て、1976年12月には常任顧問に就任。 1958年に黄綬褒章を受章し、1967年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 1985年6月14日心筋梗塞のために死去。88歳没。死没日付をもって従五位に叙された。
平塚 運一(ひらつか うんいち、1895年11月17日 - … 平塚 運一(ひらつか うんいち、1895年11月17日 - 1997年11月18日)は、島根県八束郡津田村(現松江市)出身の版画家。勲三等瑞宝章受章(1977年)、松江市名誉市民(1989年)。 1895年(明治28年)11月17日、島根県八束郡津田村(現松江市)に生まれた。島根県立松江商業学校に入学したが、1913年(大正2年)に中途退学し、松江市役所に勤務。石井柏亭の洋画講習会がきっかけとなり、1915年(大正4年)に上京してデッサンに励み、さらに版画技術を会得。1916年(大正5年)には、二科展に版画作品が入選し、日本美術院展には油彩作品と水彩画作品が入選した。1917年(大正6年)に帰郷して結婚し、公立小学校の図画教員となった。
山田 龍雄(やまだ たつお、1893年(明治26年)11月1… 山田 龍雄(やまだ たつお、1893年(明治26年)11月17日 - 1945年(昭和20年)4月2日)は、日本の大蔵官僚。逓信次官。 高知県出身。旧制高知県立第一中学校(現・高知県立高知追手前高校)、旧制第六高等学校を経て、1918年(大正7年)に高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学法律科を卒業した。大蔵省では銀行局に配属した後、司税官、税務監督局事務官、同書記官、銀行検査官、預金部書記官・監理課長、大蔵書記官・主計局予算決算課長、主計局予算課長、内閣調査局調査官、大蔵省主税局長・醸造試験所長を歴任した。1937年(昭和12年)、大蔵省造幣局長に就任し、1940年(昭和15年)に逓信次官に転じた。
広瀬 豊作(ひろせ とよさく、旧字体: 廣瀨豐作、1891年… 広瀬 豊作(ひろせ とよさく、旧字体: 廣瀨豐作、1891年11月17日 - 1964年4月12日)は、大正・昭和期の大蔵官僚。鈴木貫太郎内閣での大蔵大臣。石川県金沢市出身。位階および勲等は正三位勲一等。 元加賀藩士知行100石の広瀬嘉次馬の5男として生まれる。広瀬家の先祖官兵衛は浅井家家臣であったが、滅亡したため前田家の家臣となった。父は京都御所警備や北越戦争に従軍し、第三大隊分隊長となった。 金沢一中(同級にミッドウェー海戦にて戦死した航空母艦「加賀」艦長・岡田次作海軍少将がいる)、第一高等学校を経て、1917年に東京帝国大学独法科を卒業する。同年7月大蔵省に入省。同期には大蔵次官を後に務めた賀屋興宣と大野龍太がいた。
魚澄惣五郎(うおずみ そうごろう、明治22年(1889年)1… 魚澄惣五郎(うおずみ そうごろう、明治22年(1889年)11月17日 - 昭和34年(1959年)3月26日)は、日本の日本史学者。広島大学名誉教授。 明治22年(1889年)11月17日、兵庫県神戸市兵庫区宮前町において、魚澄惣一郎・くま夫妻の次男として生まれる。 明治41年(1908年)3月25日、第八高等学校第一部乙類に入学する。 明治44年(1911年)2月に『八高校友会雑誌第二号』に最初の論文「政治家としての新井白石」を発表し、7月1日に第八高等学校を卒業。8月31日に東京帝国大学文科大学史学科に入学し国史学を専攻する。 大正3年(1914年)7月10日、東京帝国大学文科大学史学科を卒業し、9月1日に京都帝国大学大学院に入学する。
月野木 正雄(つきのき まさお、1888年(明治21年)11… 月野木 正雄(つきのき まさお、1888年(明治21年)11月17日 - 1972年(昭和47年)4月15日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級 鹿児島県出水郡、のちの出水市で生まれた。陸軍士官学校第22期卒業。1936年(昭和11年)8月に独立山砲兵第3連隊長に就任し、1937年(昭和12年)8月2日に陸軍砲兵大佐に進級した。盧溝橋事件発生後に戦線が拡大する中、日中戦争に出動。1938年(昭和13年)7月に近衛野砲兵連隊長に転じ、8月に南寧に出動した。 1941年(昭和16年)3月に陸軍少将に進級と同時に第13軍兵器部長に就任し、1942年(昭和17年)10月に長崎要塞司令官に転じた。
八代 五郎造(やしろ ごろうぞう / ごろぞう、1887年(… 八代 五郎造(やしろ ごろうぞう / ごろぞう、1887年(明治20年)11月17日 - 1949年(昭和24年)8月8日)は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。旧姓・石垣。 愛知県で石垣安次郎の五男として生まれ、海軍士官・八代六郎の養子となる。養父の死去に伴い、1930年8月1日、男爵を襲爵した。 1920年(大正9年)7月、東北帝国大学理学部を卒業。1912年(大正元年)海軍技手に就任。その後、東電電球取締役、東光電気重役、東西電球重役などを務めた。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した。