萬田 正治(まんだ まさはる、1942年4月23日 - )は… 萬田 正治(まんだ まさはる、1942年4月23日 - )は、日本の農学者、専門は畜産学。鹿児島大学名誉教授。日本での持続可能な農業を研究提言するなかで、自らも萬田農園を開設し、合鴨農法による無農薬米の生産方法を確立・全国に普及させるなどの実績を持つ実践者でもある。放送大学客員教授、鹿屋体育大学理事、鹿児島大学経営協議会委員、鹿児島大学稲盛アカデミー特任教授、等を兼任。 鹿児島大学農学部卒、東北大学大学院終了、酪農学園大学講師
浅野 捷郎(あさの としお、1942年4月23日 - )は、… 浅野 捷郎(あさの としお、1942年4月23日 - )は、愛知県出身の日本の建築意匠・建築史家。大阪工業大学工学部建築学科元教授。工学博士(京都大学)。 専門は、建築史(特に西洋近世建築史)・建築意匠・建築デザイン。 京都工芸繊維大学大学院工芸学研究科修士課程修了。のちに京都大学大学院にて、工学博士(京都大学)。1968年大阪工業大学工学部建築学科に着任し、1974年同学科教授。2002年大阪工業大学退官。 大阪工業大学工学部建築学科にて、30年以上の長きに渡り教鞭を執り、特に建築史・建築意匠/建築デザインの研究に貢献した。 主な所属学会は、日本建築学会など。主な著書は、建築の形態と比例の研究―古代ギリシアから現代へ。
大谷 武彦(おおたに たけひこ、1941年4月23日 - )… 大谷 武彦(おおたに たけひこ、1941年4月23日 - )は、日本の実業家。NPO法人従心会代表、第一管財経営顧問、元クレオ代表取締役社長、元株式会社ランドコンピュータ常勤監査役。 奈良県出身。愛知県立瑞陵高等学校卒業。1965年3月高崎経済大学経済学部卒業後、飛島建設株式会社入社。米国現地法人社長を経て、1994年に株式会社クレオ(JASDAQ上場)に取締役副社長として経営参画。1997年同社代表取締役社長、2004年代表取締役会長を歴任。2005年に株式会社エス・エム・エス(東証一部上場)監査役に就任。2008年、株式会社ランドコンピュータ常任監査役に就任。2011年、株式会社従心会倶楽部を設立し、代表取締役に就任。
佐々木 丞平(ささき じょうへい、1941年4月23日 - … 佐々木 丞平(ささき じょうへい、1941年4月23日 - )は、日本の美術史家。京都大学名誉教授。専門は江戸時代後期の美術。2024年6月1日より花園大学歴史博物館長に就任。。 1941年、兵庫県生まれ。1965年に京都大学文学部哲学科を卒業し、同大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程を修了。 その後は京都府教育委員会文化財保護部技官となり、後に文化庁文化財調査官となる。1990年に学位論文『円山応挙研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。翌1991年、京都大学教授となった。2005年に京都大学を定年退任し、名誉教授となった。その後は京都国立博物館長を2021年3月末日まで勤めた。独立行政法人国立文化財機構理事長。
広瀬 忠邦(ひろせ ただくに、1941年4月23日- )は… 広瀬 忠邦(ひろせ ただくに、1941年4月23日- )は、日本の経営者。ダイビル社長、会長を務めた。 東京都出身。1965年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に大阪商船三井船舶に入社した。1995年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務を経て、2002年6月にはダイビル社長に就任した。2006年6月には相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
上野 圭一(うえの けいいち、1941年4月23日 - )は… 上野 圭一(うえの けいいち、1941年4月23日 - )は、日本の鍼灸師・民間医療家・翻訳家。日本ホリスティック医学協会副会長。CAMUNet(代替医療利用者ネットワーク)副代表。 兵庫県宝塚市武庫川町出身。1964年(昭和39年)早稲田大学英文科を経て、東京鍼灸柔整専門学校を卒業する。フジテレビジョンのディレクターを経て、1971年(昭和46年)退社した。
沢辺 瀞壱(さわべ せいいち、1940年(昭和15年)4月2… 沢辺 瀞壱(さわべ せいいち、1940年(昭和15年)4月23日 - )は、日本の政治家。 飯能市議会議員(1期)、埼玉県議会議員(3期)、飯能市長(3期)を歴任。2019年春の叙勲で旭日中綬章を受章。 埼玉県英霊にこたえる会会長。飯能市英霊にこたえる会会長。明治神宮崇敬会飯能支部支部長。 飯能自動車学校の設置者。一男四女の父。 代々埼玉県飯能市岩沢の素封家として栄えてきた沢辺家は、瀞壱の祖父沢辺庄太郎が入間郡加治村の村長、父の沢辺浩(こう)が飯能町の町議会議員を務めるなど、地域のリーダーシップを取っていた。 飯能町立加治小学校の教員をしていた父の浩が1937年(昭和12年)に朝鮮全羅南道に一家で出向し、巨文島の小学校に校長として赴任している中、1940年(昭和15年)4月に誕生した。
井ノ部 康之(いのべ やすゆき、1940年4月23日 - )… 井ノ部 康之(いのべ やすゆき、1940年4月23日 - )は、日本の小説家。 1940年(昭和15年)、福井県大野市に生まれる。福井県立大野高校卒業後、東北大学文学部美学美術史学科卒業。 図書編集者の後、テレビの構成作家となり、ドキュメンタリー番組、スポーツ番組、ワイドショー番組などの台本を多数執筆。1993年には「雪炎・星と語る男たち」でギャラクシー選賞を受賞。 近年は小説・ノンフィクションの執筆に専念している。主な作品は、千家三部作「千家再興」、「千家奔流」、「千家分流」(読売新聞社)。2020年には齢80にして、「白嶺の金剛夜叉 山岳写真家 白籏史郎」(山と渓谷社)を上梓した。
龍村 仁(たつむら じん、1940年4月23日 - 2023… 龍村 仁(たつむら じん、1940年4月23日 - 2023年1月2日)は、ドキュメンタリー監督、元NHKディレクター。有限会社龍村仁事務所代表。 兵庫県宝塚市出身。1963年、京都大学文学部美学科卒業後、NHKに入局。報道局を経て教育局でフィルムドキュメンタリーの演出に従事。 NHK 教養部のディレクターだった 1973年3月、龍村は、当時矢沢永吉などが所属していたロックバンド・キャロルに密着したドキュメンタリー番組を企画・製作したが、完成した作品にNHKの上層部が難色を示し、再編集した上で音楽番組として放送した。これに憤った龍村はその後、NHKを欠勤し、同じくNHK職員だった小野耕世(現マンガ評論家)と共に、ATGで龍村の監督によるドキュメンタリー映画『キャロル』を製作。
高谷 保宏(たかや やすひろ、1940年4月23日 - )… 高谷 保宏(たかや やすひろ、1940年4月23日 - )は、日本の経営者、銀行家。近畿大阪銀行頭取を務めた。 兵庫県出身。1964年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に近畿相互銀行(のちの近畿銀行)に入行した。1993年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1998年1月に専務を経て、1999年6月に社長に就任し、2000年4月から2003年4月までに近畿大阪銀行頭取を務めた。
曽根 悟(そね さとる、1939年4月23日 - )は日本の… 曽根 悟(そね さとる、1939年4月23日 - )は日本の工学者・鉄道技術者で、工学院大学元教授、東京大学名誉教授、2005年から2013年まで西日本旅客鉄道(JR西日本)社外取締役を務めていた。専門は電気工学・交通システム工学・パワーエレクトロニクス。鉄道に関する著作・発言を広範に行っている。
平林 武昭(ひらばやし たけあき、1938年4月23日 - … 平林 武昭(ひらばやし たけあき、1938年4月23日 - )は、日本の実業家、日本システム技術株式会社(JAST)代表取締役社長。 1938年(昭和13年)4月23日生まれ。1962年(昭和37年)3月、立教大学経済学部経済学科卒業。 大学卒業後、石川島播磨重工業(現・IHI)に入社。システムエンジニアを務め、米国から日本へ生産管理技術を持ち込む。 その後、工程管理システムの開発を進めて成果を上げ、ソフトウエアに無限の可能性を感じて同社を退社する。 1970年(昭和45年)、大阪万博のプロジェクトに参画し、先進的な工程管理システムの構築に関与し、1973年(昭和48年)3月、7人の陣容で日本システム技術株式会社(JAST)を設立し、代表取締役社長に就任。
玉懸 博之(たまかけ ひろゆき、1937年4月23日 - )… 玉懸 博之(たまかけ ひろゆき、1937年4月23日 - )は、日本思想史学者。文学博士(東北大学・論文博士・2000年)(学位論文「日本中世思想史研究」)。東北大学名誉教授。 岩手県二戸郡金田一村(現・二戸市)生まれ。1963年東北大学文学部日本思想史専攻卒業。68年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、東北大学文学部助手、73年講師、77年助教授、1986年教授(日本思想史)。2000年、「日本中世思想史研究」で、東北大学より文学博士の学位を取得。2001年定年退官、名誉教授、いわき明星大学教授、図書館長。2004年退職。日本思想史学会会長を務めた。
福田 弘平(ふくだ こうへい、1937年4月23日 - 20… 福田 弘平(ふくだ こうへい、1937年4月23日 - 2013年1月19日)は、日本の政治家。和紙職人。烏山町長を1期務めた。 1937年(昭和12年)、栃木県那須郡烏山町(現那須烏山市)の和紙職人の家に生まれる。大学を中退して全国の和紙産地で3年間修業した後、家業を継ぐ。1965年(昭和40年)、福長押絵を創設。1982年(昭和57年)、合名会社福田製紙所の代表社員に就任。和紙業者の廃業が続出する中、色付き和紙を用いた押絵を開発するなど和紙の再興に力を注いだ。 2002年(平成14年)4月14日、烏山町長選挙で当選。2005年(平成17年)10月1日、烏山町が那須郡南那須町と新設合併して那須烏山市が発足したことに伴い町長を失職した。
佐藤 歳二(さとう としじ、1936年4月23日 - )は、… 佐藤 歳二(さとう としじ、1936年4月23日 - )は、日本の裁判官、弁護士。東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所上席調査官、司法研修所上席教官、横浜地方裁判所所長、早稲田大学法学部特任教授、司法協会理事長、TMI総合法律事務所顧問弁護士等を歴任。 1955年秋田県立角館高等学校卒業。1959年中央大学法学部卒業。1964年裁判官任官、仙台地方裁判所判事補。東京地方裁判所判事、司法研修所教官(民事裁判担当)、東京地方裁判所判事、最高裁判所事務総局民事局第一課長兼第三課長、東京地方裁判所部総括判事、司法研修所教官(第一部裁判官担当・民事)、最高裁判所上席調査官、東京地方裁判所所長代行等を経て、1996年新潟地方裁判所所長。
園山 俊二(そのやま しゅんじ、1935年〈昭和10年〉4月… 園山 俊二(そのやま しゅんじ、1935年〈昭和10年〉4月23日 - 1993年〈平成5年〉1月20日)は、日本の漫画家。血液型B型。 島根県松江市外中原町生まれ。島根大学教育学部附属小学校、同附属中学校、島根県立松江高等学校(現・島根県立松江北高等学校)を経て、早稲田大学商学部卒業。 早稲田大学在学中、英文科の講師三浦修や、同級生のしとうきねおらとともに早稲田大学漫画研究会を創設するも、結核の療養のため1年休学。復学後に漫研に復帰し、後輩の福地泡介、東海林さだおと出会う。園山・福地・東海林はのちに相次いでプロとなり、3人が出揃った1960年代後半当時の学生運動になぞらえて「漫画界の三派全学連」と称された。
森 暢子(もり のぶこ、1932年4月23日 - )は、日本… 森 暢子(もり のぶこ、1932年4月23日 - )は、日本の政治家、元日本社会党参議院議員(1期)。 岡山県岡山市出身。1961年岡山大学教育学部卒。中学教諭を務め、その後、岡山県教職員組合副委員長や日本社会党岡山県副委員長などを歴任する。1989年の第15回参議院議員通常選挙で岡山選挙区から日本社会党公認で立候補して当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選した。1998年の第18回参議院議員通常選挙では比例区に社会民主党から立候補したが落選した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
円谷 一(つぶらや はじめ、1931年(昭和6年)4月23日… 円谷 一(つぶらや はじめ、1931年(昭和6年)4月23日 - 1973年(昭和48年)2月9日)は、演出家、プロデューサー。円谷プロダクションの2代目社長。作詞家として、東 京一(あずま きょういち)の名義がある。父は初代社長で特技監督の円谷英二。 学習院大学卒。19歳の時にキリスト教の洗礼を受ける(洗礼名パウロ)。 KRT入社前年に、父・英二が特撮を手掛けた映画『ゴジラ』に参加。 1955年にラジオ東京→KRT(テレビ事業は現在のTBSテレビ)に入社。演出部にてディレクターとしてテレビドラマを制作。『おトラさん』や「純愛シリーズ」といった作品にも演出として携わっていた。 中でも、1962年に「東芝日曜劇場」で放送された『煙の王様』(脚本:生田直親)は、芸術祭文部大臣賞を受賞するなど高い評価を得た。
齋藤 興二(さいとう こうじ、1931年4月23日 - )は… 齋藤 興二(さいとう こうじ、1931年4月23日 - )は、日本の実業家。元岩谷産業株式会社代表取締役社長、元会長。元全国エルピーガス卸売協会会長。 1931年4月神奈川県に生まれる。1957年3月に横浜国立大学経済学部経済学科卒業後、岩谷産業株式会社入社。 1985年12月に創業者岩谷直治社長の後を受け、岩谷産業代表取締役社長に就任し、「強いイワタニの復活と新創業運動」を提唱した。 1986年、国内初となる液化水素エンジンを搭載した「H-1ロケット試験機1号機」に燃料を供給、以降1992年まで合計9号の打ち上げに成功した。その後、1994年に打ち上げられた「H-2ロケット1号機」にも純国産の液化水素の供給を行い、液化水素の民生用エネルギーの未来に大きな可能性を切り拓いた。
秋山 駿(あきやま しゅん、1930年〈昭和5年〉4月23日… 秋山 駿(あきやま しゅん、1930年〈昭和5年〉4月23日 - 2013年〈平成25年〉10月2日)は、日本の文芸評論家、日本藝術院会員。位階は従四位。本名は駿(すすむ)。 東京府池袋出身。旧制東京都立第十中学校(現・東京都立西高等学校)を経て、1948年に旧制第二早稲田高等学院入学、翌年学制改革により新制早稲田大学第一文学部仏文科に移り、1953年に卒業する。1956年6月、報知新聞社に入社。1960年「小林秀雄」で『群像』第3回新人文学賞評論部門受賞。評論「内部の人間」「想像する自由」(いずれも1963年発表)などを、久保田正文や三島由紀夫に激賞された。1979年から1993年まで東京農工大学教授、1997年から武蔵野女子短期大学・武蔵野女子大学教授。
高尾 利数(たかお としかず、1930年4月23日 - 20… 高尾 利数(たかお としかず、1930年4月23日 - 2018年5月6日)は、日本の神学者、宗教学者、法政大学名誉教授。 山梨県都留市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1949年昭和大学医学部中退、1951年茨城キリスト教短期大学卒業、1953年アブリン・キリスト教大学文学部(アメリカテキサス州)卒業、1959年東京神学大学大学院組織神学専攻修士課程修了。茨城キリスト教短期大学専任講師、名古屋学院大学助教授、関東学院大学神学部助教授、法政大学第二教養部教授、法政大学社会学部教授、2001年3月定年退職、名誉教授。
竹村 幸雄(たけむら ゆきお、1930年(昭和5年)4月23… 竹村 幸雄(たけむら ゆきお、1930年(昭和5年)4月23日 - 1998年(平成10年)11月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)を務めた。 堀川高校卒業。京都新報社社長や京都原水禁議長を歴任。 現在の京都府第2区に含まれる東山区選出の京都市議を経て1972年第33回衆議院議員総選挙に、旧京都1区から日本社会党公認で初当選(同じ自治体議員出身の社会党新人代議士に村山富市)。しかし任期満了で迎えた1976年第34回衆議院議員総選挙で落選。35回、36回、38回の総選挙にも京都1区から立候補するも全て落選している。 その後、1983年の第13回参議院議員通常選挙で京都府選挙区から立候補するが落選。
中村 淳治(なかむら じゅんじ、1930年(昭和5年)4月2… 中村 淳治(なかむら じゅんじ、1930年(昭和5年)4月23日 - 2010年(平成22年)11月19日)は、昭和から平成時代前期の政治家。醸造家。青森県黒石市長。 青森県南津軽郡黒石町(現黒石市)出身。1951年(昭和26年)明治薬学専門学校を卒業し、黒石市職員となる。黒石市議会議員を2期務めたのち、1974年(昭和49年)黒石市長に当選。3期12年に渡り務め、市民文化会館や黒石公民館の建設、勤労青少年ホームや中央スポーツ館などの整備、3度に渡る浅瀬石川水害の復旧などに尽力した。退任後は、酒蔵「中村亀吉」を経営し、平成22年度の全国清酒鑑評会で金賞を受賞した。 2010年(平成22年)11月19日午前7時52分、黒石病院で死去。
越智 通雄(おち みちお、1929年〈昭和4年〉4月23日 … 越智 通雄(おち みちお、1929年〈昭和4年〉4月23日 - 2021年〈令和3年〉1月30日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正三位。 衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第41・44代)、金融再生委員会委員長(第2代)を歴任。日韓親善協会中央会会長。 東京生まれ。東京高師附属中(現・筑波大附属中・高)卒業。同期生に大川慶次郎、大島通義、岡野行秀、三浦公亮など。旧制一高を経て、東京大学法学部法律学科を卒業後、大蔵省に入省。ニューヨーク副領事、福田赳夫大蔵大臣秘書官、主計局調査課長などを経て退官。 1972年の第33回衆議院議員総選挙で賀屋興宣の後継として旧東京3区より出馬し当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・野田毅・深谷隆司など)。
生田 房弘(いくた ふさひろ、1929年4月23日 - 20… 生田 房弘(いくた ふさひろ、1929年4月23日 - 2021年5月26日)は、神経病理学者、新潟大学脳研究所教授。 1929年生まれ。1955年、新潟大学を卒業する。 1960年、アメリカ合衆国に渡り、モンテフィオレ病院に従事する。同年3月の新潟大学医学博士論文の題は「Glioma(神経膠腫)の局在について」。1973年、新潟大学脳研究所教授に就任する。 1982年、ウィーンで行われた国際神経病理学会で、脳梗塞などで一部失われた脳機能が、グリア細胞のアストロサイトの細胞分裂や移動により、シナプスをカバーすることで重要な働きをするという研究を発表する。1992年4月には、医学書院より出版された年鑑『神経研究の進歩』36巻にて、「『脳死』の神経病理学」という題名の論文を発表し、脳死判定された患者の心停止死後の剖検結果を報告し、脳死判定後も、脳深部の視床下部の細胞が自己融解しない場合があることを明らかにした。
中村 啓信(なかむら ひろとし、1929年(昭和4年)4月2… 中村 啓信(なかむら ひろとし、1929年(昭和4年)4月23日 - )は、日本の日本文学者。國學院大學名誉教授。 1929年、山梨県甲府市山宮町で生まれた。山梨県立甲府第一高等学校を卒業し、國學院大學文学部国文科に進学。1953年に卒業し、同大学大学院に進んだ。1957年、博士課程を満期退学。 その後、國學院大學日本文化研究所研究員。1976年、同大学文学部教授に就き、日本文化研究所教授を兼ねた。1989年古事記学会代表理事に就任。また同年に日本学術会議推薦人となった。1993年、学位論文『荷田春満書入古事記とその研究』を國學院大学に提出して文学博士の学位を取得。2000年に國學院大學を定年退任し、名誉教授となった。
後藤 俊夫(ごとう としお、1929年4月23日 - 199… 後藤 俊夫(ごとう としお、1929年4月23日 - 1990年8月29日)は、日本の天然物化学者である。名古屋大学教授。 1929年(昭和4年)岐阜県岐阜市に生まれる。1946年(昭和21年)に岐阜薬学専門学校(現岐阜薬科大学)に入学、1949年(昭和24年)に卒業。同年名古屋大学理学部化学科に入学。卒業後、日本薬化学株式会社に入社するも、1954年(昭和29年)に母校名古屋大学に助手(平田義正教授)として戻る。1957年(昭和32年)から1959年(昭和34年)にかけてハーバード大学化学科(ルイス・フィーザー教授)に留学。1960年(昭和35年)名古屋大学より理学博士の学位を授与される。1961年(昭和36年)名古屋大学理学部助教授。
伊藤 喜一郎(いとう きいちろう、1929年4月23日 - … 伊藤 喜一郎(いとう きいちろう、1929年4月23日 - 2002年11月21日)は、日本の経営者。愛知県名古屋市西区出身。 1953年に京都大学経済学部を卒業し、同年に東海銀行に入行。1979年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1987年6月に副頭取に就任し、1988年6月には頭取に昇格。1994年6月に会長、1995年3月に取締役相談役を経て、1999年から名誉顧問を務めた。 名古屋銀行協会会長、名古屋商工会議所副会頭、中部経済連合会副会長、名古屋国際芸術文化交流財団理事長、中部空港調査会理事長なども歴任。 2002年11月21日、脳塞栓のために死去。73歳没。
吉田 庄司(よしだ しょうじ、1929年4月23日 - 20… 吉田 庄司(よしだ しょうじ、1929年4月23日 - 2008年7月17日)は、日本の工学者(通信工学情報ネットワークシステム)。工学博士・学校法人東海大学理事・元日本電信電話株式会社取締役。旧制東北大学工学部通信工学科卒、IEEEフェロー。静岡県出身。
諸井 虔(もろい けん、1928年4月23日 - 2006年… 諸井 虔(もろい けん、1928年4月23日 - 2006年12月29日)は、日本の実業家。太平洋セメント株式会社相談役のほか、多くの取締役、公職を務めた。牛尾治朗と並び財界きっての論客といわれ、規制緩和を強力に主張した。リクルート事件では、両者とも未公開株譲渡を受けている。 出身の諸井家は江戸時代、現在の埼玉県本庄市で代々名主を務めた家系で、秩父セメントの創業者一族にあたる。虔は本家の生まれではなかったが、父の作曲家諸井三郎が経済的自立に苦労した姿を見ていたことと、本家に男子がいなかったことから、伯父の諸井貫一に請われて秩父セメントの経営を継いでいる。 なお、父や弟の諸井誠のように職業音楽家にこそならなかったものの、東京大学在学中や日本興業銀行在職中にアマチュア合唱団の指揮者として実績を残した。
井上 孝俊(いのうえ たかとし、1927年(昭和2年)4月2… 井上 孝俊(いのうえ たかとし、1927年(昭和2年)4月23日 - 1996年(平成8年)12月16日)は、昭和から平成時代の政治家。神奈川県大和市長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 大和市出身。1949年(昭和24年)東京農林専門学校卒業。 1963年(昭和38年)大和市農協理事。1975年(昭和50年)より大和市議会議員を3期務めたのち、1987年(昭和62年)大和市長に当選。2期務め、1995年(平成7年)引退した。 1989年(平成元年)「大和」と表記する全国の自治体11市町村に参加を呼びかけ、第1回まほろばサミットを開催。ほか、全国基地協議会理事、大和市基地対策協議会会長を歴任した。 1996年死去。
板倉 周二(いたくら しゅうじ、大正15年(1926年)4月… 板倉 周二(いたくら しゅうじ、大正15年(1926年)4月23日 - )は日本の実業家。鳥取缶詰代表取締役会長。境港商工会議所参与。元永瀬石油監査役。 岳父は元鳥取缶詰代表取締役会長の板倉乾。長男は鳥取缶詰代表取締役社長の板倉良多。 昭和19年(1944年)大阪陸軍幼年学校卒業。昭和20年(1945年)陸軍航空士官学校廃止により中退。昭和22年(1947年)松江高等学校理科甲類卒業。昭和25年(1950年)大阪大学工学部発酵工学科卒業。 昭和26年(1951年)鳥取缶詰勤務。昭和30年(1955年)同社常務取締役に就任。昭和56年(1981年)同社代表取締役社長に就任。 趣味は読書。座右の銘は分相応。
八剣 浩太郎(やつるぎ こうたろう、1926年4月23日 -… 八剣 浩太郎(やつるぎ こうたろう、1926年4月23日 - 2009年6月8日)は、日本の小説家。本名、岡田稔。北海道生まれ。明治大学卒。 教師や新聞記者を経て、文筆業に入る。江戸時代を舞台にした時代小説を書き、桔梗之介を主人公とする『孤剣奥の細道』以下の作品などがある。 2009年6月8日、胆管癌のため死去。
井山 計一(いやま けいいち、1926年4月23日 - 20… 井山 計一(いやま けいいち、1926年4月23日 - 2021年5月10日)は、日本のバーテンダー。世界的に知られるカクテル「雪国」の考案者として知られる。2018年にはカクテル「雪国」の誕生秘話と井山の半生を描いたドキュメンタリー映画『YUKIGUNI』が製作された。2020年にはバーテンダーとして現代の名工を受賞している。 1926年、山形県酒田市に産まれる。山形県立酒田商業学校を卒業後、神奈川県横浜市の東京芝浦電気軍需工場で働く。召集令状が届いたのは終戦の2日後であり、従軍はしていない。戦後は叔父が経営するダンスホールでプロダンサーとして指導を行う。そこの生徒であった女性と結婚して仙台市へ移住し、バーテンダー見習い募集の貼り紙を見て、これに応募し採用される。
佐藤 経明(さとう つねあき、1925年4月23日 - 20… 佐藤 経明(さとう つねあき、1925年4月23日 - 2014年8月5日)は、日本の経済学者、横浜市立大学名誉教授。比較経済体制論専攻。 日本領朝鮮平壌生まれ。旧制第六高等学校を経て、1952年東京大学経済学部卒、1954年同大学院修了。堤清二は友人。1956年愛知大学専任講師、1957年東京都立商科短期大学講師、助教授、1970年横浜市立大学商学部助教授、1972年教授、1988年定年退官、名誉教授、日本大学経済学部教授、1995年定年退職。 2012年胃癌のため胃を全摘出する。2014年8月5日、89歳で死去。
土山 秀夫(つちやま ひでお、1925年(大正14年)4月2… 土山 秀夫(つちやま ひでお、1925年(大正14年)4月23日 - 2017年(平成29年)9月2日)は、日本の病理学者、医師。長崎大学名誉教授、長崎平和宣言文起草委員、核兵器廃絶ナガサキ市民会議代表、「核兵器廃絶―地球市民長崎集会」実行委員会顧問、長崎県九条の会共同代表ほか。元長崎大学学長。世界平和アピール七人委員会委員。 1925年(大正14年)4月23日、長崎県長崎市に生まれる。1943年(昭和18年)、長崎県立長崎中学校を卒業。1945年(昭和20年)8月9日、午前中は長崎を離れていたが、夕方に長崎に戻ったため、被爆。1952年(昭和27年)、長崎医科大学(現長崎大学医学部)を卒業。その後、長崎大学医学部助手、講師、助教授を務める。
木塚 忠助(きづか ただすけ、1924年4月23日 - 19… 木塚 忠助(きづか ただすけ、1924年4月23日 - 1987年12月16日)は、佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。 昭和20年代を代表する遊撃手。1948年に南海に入団すると、長らく不動の一番・遊撃手を務め、ベストナイン遊撃手を7回獲得した。強肩・俊足でバカ肩、イダ天とも称された。通算盗塁数479個は歴代4位(引退当時はプロ野球最多記録)。 唐津中学(現・佐賀県立唐津東高校)出身。野球を始めたのは3年からと遅かったが、5年次には佐賀県大会で1試合16奪三振を記録する好投手となり、職業野球からも誘いを受けた。しかし警察官の父親の勧めで、鉄道省門司鉄道局に進む。 門鉄では三塁手を務め、俊足・強肩・強打の三拍子揃った活躍を見せた。
川上 宗薫(かわかみ そうくん、1924年4月23日 - 1… 川上 宗薫(かわかみ そうくん、1924年4月23日 - 1985年10月13日)は、日本の小説家。本名はむねしげと読み、筆名もむねしげと読ませていた時期がある。愛媛県生まれ。 日本基督教団メソジスト派の牧師、川上平三の子として愛媛県東宇和郡宇和町卯之町(現在の西予市)に生まれる。大分県と長崎県で小学校時代を送り、1937年、鎮西学院中等部(現・鎮西学院高等学校)に首席入学。第七高等学校や長崎高等商業学校の入試に失敗し、1943年、西南学院高等学部商科に入学。1944年秋、長崎県大村の陸軍連隊に入隊。しかし肋膜炎を意図的に悪化させ、敗戦までの約1年間を入院患者として過ごす。 1945年8月9日、母と2人の妹を長崎原爆で喪う。
山田 清市(やまだ せいいち、1924年4月23日 - 20… 山田 清市(やまだ せいいち、1924年4月23日 - 2000年12月1日)は、日本の国文学者。 福井県勝山生まれ。1954年早稲田大学大学院文学研究科博士課程中退。1956年亜細亜大学・日本経済短期大学専任講師、57年助教授、63年教授、75-81年日本経済短期大学長。82年「伊勢物語の成立と伝本の研究 伊勢物語校本と研究 伊勢物語成立論補説」で早大文学博士。83年亜細亜大図書館長。95年定年退任、名誉教授。
飯田 孝三(いいだ こうぞう、1923年 <大正12年> 4… 飯田 孝三(いいだ こうぞう、1923年 <大正12年> 4月23日 - 2013年 <平成25年> 5月4日)は、日本の経営者。日本原子力発電社長を務めた。京都府出身。位階は従四位。 1946年に東京帝国大学第一工学部電気工学科を卒業し、1947年に関西配電(のちの関西電力)に入社。1968年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1979年6月に専務を経て、1983年6月に副社長に就任し、1992年6月には日本原子力発電社長に就任。1995年5月に会長に就任。 1984年4月に藍綬褒章を受章し、1997年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2013年5月4日胃癌のために死去。90歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
緒方 俊明(おがた としあき、1922年4月23日 - )は… 緒方 俊明(おがた としあき、1922年4月23日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。
神谷 健一(かみや けんいち、1922年(大正11年)4月2… 神谷 健一(かみや けんいち、1922年(大正11年)4月23日 - 2006年(平成18年)4月11日)は、日本の銀行家。国民政治協会会長(第6代)、三井銀行社長、三井住友銀行名誉顧問、慶應義塾評議委員会議長、交詢社理事等を歴任。 兵学者・宇都宮三郎の本家に当たる子孫。幼稚舎より慶應義塾に学ぶ。 海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』浴恩出版会、1968年。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
樋泉 正起(といずみ まさおき、1922年 <大正11年> … 樋泉 正起(といずみ まさおき、1922年 <大正11年> 4月23日 - 2012年 <平成24年> 1月30日)は、日本の経営者、銀行家。山梨中央銀行頭取を務めた。位階は正五位。 山梨県出身。1946年に早稲田大学法学部を卒業し、1947年に山梨中央銀行に入行。1977年6月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1981年6月に専務、1982年6月に副頭取を経て、1983年6月に頭取に就任。1991年6月に会長に就任し、1995年6月から1997年6月までに取締役相談役を務めた。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2012年1月30日心筋梗塞のために死去。
羽嶋山 昌乃武(はじまやま まさのぶ、1922年(大正11年… 羽嶋山 昌乃武(はじまやま まさのぶ、1922年(大正11年)4月23日 - 2011年(平成23年)6月13日)は、岐阜県羽島郡桑原村(現・羽島市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は山内 昌乃武(やまうち まさのぶ)。身長176cm、体重120kg。最高位は西張出関脇(1956年(昭和31年)3月場所)。得意手は左四つ、櫓投げ、上手投げ。 一時期「羽島山」、「岐阜錦」を名乗った。 17歳の時に出羽海部屋へ入門し、1939年(昭和14年)5月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名でもある「山内」。以来順調に出世し、1945年(昭和20年)6月場所で新入幕を果たした(その間、初名の「山内」から「羽嶋山」→「羽島山」と2度四股名を変えた。
金 亨錫(キム・ヒョンソク、朝鮮語: 김형석、英語: Kim… 金 亨錫(キム・ヒョンソク、朝鮮語: 김형석、英語: Kim Hyung-suk、1920年4月23日 - )は、韓国の哲学者、延世大学校名誉教授。世界最高齢の著者として、ギネス世界記録を保持している。
利光 達三(としみつ たつぞう、1920年4月23日 - 1… 利光 達三(としみつ たつぞう、1920年4月23日 - 1994年11月5日)は、日本の実業家。小田急電鉄社長や、同社会長、日本民営鉄道協会会長、立教学院理事長等を歴任した。勲一等瑞宝章受章。 千葉県市川市出身。1944年立教大学経済学部経済学科卒業。小田急電鉄専務取締役を経て、1981年から小田急電鉄取締役社長を務め、小田急エージェンシーの設立などを行った。1987年立教学院理事長、立教大学校友会会長。1989年日本民営鉄道協会会長。1991年小田急電鉄取締役会長。1982年藍綬褒章受章、1991年勲一等瑞宝章受章。1994年11月5日、急性心不全のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
梶原 しげよ(かじわら しげよ、本名・髙村しげよ(たかむら … 梶原 しげよ(かじわら しげよ、本名・髙村しげよ(たかむら しげよ)、1920年(大正9年)4月23日 - 2015年(平成27年)11月8日)は、日本の詩人。 宮城県気仙沼市唐桑町出身。実家は早馬神社。気仙沼実科高等女学校(宮城県鼎が浦高等学校、統合され現 宮城県気仙沼高等学校)卒業。 10代から短歌や詩を書き始め、高等女学校卒業後、国語教師として小学校に勤務してから短歌と詩の投稿をはじめる。1952年、唐桑小学校校歌を作詞。1953年に髙村智(フランス文学者で、のち東京都立大学教授)と結婚した。 1959年に 第一詩集『生と死のうた』を出版し、2011年までに16の詩集を残す。95歳で生涯を閉じるまで、一貫して、生と死をテーマにした詩を紡ぎ、その詩は何カ国語にも訳され、20世紀芸術世界賞をはじめとして海外でも数々の賞を受け、ローマ、ヴェネツィア、モスクワ等より名誉作家として認定される。
野村 芳太郎(のむら よしたろう、1919年(大正8年)4月… 野村 芳太郎(のむら よしたろう、1919年(大正8年)4月23日 - 2005年(平成17年)4月8日)とは、日本の映画監督。父は映画監督の野村芳亭、祖父は浮世絵師の二代目野村芳国。 父・芳亭は日本の映画監督の草分け的存在で、松竹蒲田撮影所の所長も務めた。その関係で、京都と東京を行き来して育つ。京都市生まれで、生後まもなく東京市浅草区に移った。蒲田小学校から暁星小学校、暁星中学校を経て慶應義塾大学文学部芸術学科卒業。大学卒業後の1941年、松竹大船撮影所に入社。 1946年に復員。黒澤明作品の『醜聞』『白痴』では助監督を務め、黒澤からは「日本一の助監督」と評価された。1952年の『鳩』で監督デビュー。
斎藤 義光(さいとう よしみつ、1919年4月23日 - 1… 斎藤 義光(さいとう よしみつ、1919年4月23日 - 1997年4月20日)は、日本の国文学者。 北海道生まれ。東京文理科大学国文科卒。東京都立白鷗高等学校教諭、小山台高等学校校長。大妻女子大学教授。1990年定年退任、名誉教授。
井上 宇市(いのうえ ういち、1918年4月23日 - 20… 井上 宇市(いのうえ ういち、1918年4月23日 - 2009年7月17日)は、日本の建築設備学者。日本建築学会名誉会員。早稲田大学名誉教授。 公益社団法人 空気調和・衛生工学会では井上宇市記念賞を設けている。 埼玉県秩父郡秩父町(現・秩父市)生まれ。旧制熊谷中学校を経て1940年、旧制新潟高等学校を卒業したが、肺結核で一年療養を経て、東京帝国大学第一工学部船舶工学科に入学。1944年に卒業し、同年10月に福生航空教導師団を経て陸軍技術中尉任官し第1航空技術研究所勤務。 戦後の1946年から大成建設株式会社に勤務を経て1953年より早稲田大学第一理工学部及び第二理工学部建築学科専任講師に転任。